2017年10月29日日曜日

2017.10.29 わが友に贈る

「一日もいきてをわせば
功徳つもるべし」御聖訓。
断じて病魔に負けるな!
尊き使命の人生を
強く強く生き抜こう!

可延定業書 P986
『きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』

☆女性に贈ることば 十月二十九日
同じ一生であるならば、喜んで生きたほうが得である。同じ行動をするなら、喜んで行動したほうが価値的である。愚痴や義務感で日々を灰色に覆うよりも、喜びを創り出していこうとする生き方のほうが、より創造的である。

☆今日のことば365 十月二十九日
単なる自分のわがままから、次から次へと職を変えるということは、人生において大きなマイナスであるし、その仕事に生きがいを見いだしていけるかどうかは、なによりもまず自分の努力いかんによって決定されるということを知っていただきたいのである。
仕事は、自分がそのなかに飛びこみ、苦労していったときに初めてよろこびを見いだしていけるものである。

☆金秋のモスクワ 初訪露43年 池田先生の足跡をたどって(下) 2017年10月20日
◇「人間を信じる」優しさと強さを
作家のチェーホフが、ゴーゴリ、ブルガーコフがいる。作曲家のショスタコービッチ、それにフルシチョフ、エリツィンら、世界を揺るがした政治家たちも。
モスクワのノヴォデヴィチ墓地には、荘重な造りを施した墓石が並ぶ。著名人たちの墓に、国内外の多くの観光客が集まっている。
そうした喧噪から離れた静かな場所に、一つの墓石があった。
「レム・ホフロフ」と刻まれたそれは、物理学者で、1973年から77年までモスクワ大学総長を務めた、ホフロフ博士のものである。
「素朴と言われてもよい、ともかく人間に会うことだ。人間として、人間同士の友情を結ぶことだ」。1974年9月8日、そう心に期してモスクワの土を踏んだ池田先生が、初めて出会った「人間」こそ、ホフロフ総長であった。
「モスクワは今、金の秋を迎えました。最もよい季節です」。穏やかな笑みを絶やさず、鋭い知性を温厚な振る舞いの中に包み込んでいた総長。
質実そのものの墓石が、そうした姿をしのぶのに、ふさわしいものに思えた。
77年、総長は登山中の事故で、51歳の若さで世を去った。池田先生は81年5月の3度目の訪露で、墓前に献花し、エレーナ夫人の自宅を訪問。残された子息たちを励ましている。
総長との交友はわずか4年に過ぎなかったが、その4年を礎に、モスクワ大学と、池田先生が創立した創価大学との友情はログノフ総長、現サドーヴニチィ総長に引き継がれ、43年後の今、大きく花開いている。
その一つの証左が、モスクワ大学で行われた、池田先生に対する「国際グローバル研究アカデミー」正会員証の授与であった。
授与は、世界50カ国から1500人の学識者らが集った国際会議「グローバリスティクス2017」の初日、9月25日に行われた。
同会議はサドーヴニチィ総長が提唱し、隔年で開かれているもの。開催中、キャンパスの至るところに会議のポスターを見かけ、モスクワ大学が総力を挙げていることが伝わってきた。
しかし総長は、開会式であいさつすると、席をはずさざるを得なかった。総長が正会員を務める最高学術機関「ロシア科学アカデミー」の、総裁選と重なったためである。
多忙を極める、その総長が、日も暗くなった後にわざわざ大学に戻り、本館に招いたのが、池田博正SGI副会長(創大最高顧問)だった。
開口一番、総長は「創価大学は、わがモスクワ大学が、日本で真っ先に交流を始めた大学の一つです。池田先生とは長年にわたって交流し、対談集も出すことができました」と。
そして「創大は私たちにとって、"最優先"の大学なのです」と述べ、再訪への期待を語った。
総長は幾たびも創大を訪れており、直近の来訪は昨年12月15日。プーチン大統領と時を同じくしての訪日だった。
創大訪問の予定は、到着したその日の午後4時。ところが、飛行機の遅れと道路の渋滞が重なり、東京・八王子市のキャンパスに着いた時間は午後7時半になった。予定行事のいくつかをキャンセルしても、驚くには当たらない。
ところが総長は、予定通りに講演を行い、同大学に開設された「ロシアセンター」にも足を運んだ。大学を出発した時、午後9時を過ぎていた。
"創大は最優先の大学"——それが掛け値なしの言葉であることが分かる。
「ぜひ池田先生に、私の心からの敬意をお伝えください。(94年5月、モスクワ大学に)一緒に植えた白樺の木も育っています。先生のご健勝とご長寿を、心から祈っています」
そう総長は、大学本館で池田SGI副会長に語るのだった。

モスクワ大学の正式名称は「M・V・ロモノーソフ記念モスクワ国立大学」という。
1755年、43歳だった科学者ロモノーソフが創立に奔走した。帝政ロシアの時代にあって、"特権階級のためではない、全ての人に開かれた学びの場を"との理想を掲げた。
風当たりは強かった。開校式にも出席できなかった。最初は、小さな薬局を校舎に改装して使った。
「赤の広場」の北側に位置するその場所には、国立歴史博物館が立っている。建物の壁に、大学原点の地であることを示すレリーフが刻まれていた。
「雀が丘」にある現在のモスクワ大学は、一つの街と言っていいほどの、広大なキャンパスを有する。
高さ240メートルの本館は圧倒的な存在感を持ち、モスクワを代表するクラシック建築の一つ。キャンパスにはロモノーソフ像が立ち、ロモノーソフ棟という名の建物もある。
創立者と「建学の精神」を大事にしていることが、一目で分かる。
43年前、池田先生は本館のバルコニーに立ち、市内を一望しながら、ホフロフ総長に語った。
「創価大学は、まだ、誕生したばかりの小さな大学ですが、21世紀には、貴大学に匹敵する大学になって、世界に貢献したいというのが、私の夢なんです」
ロモノーソフと同じ43歳で創大を開学して3年。まだ、卒業生もいなかった。
総長は応じた。「大学の意義は、決して大きさで決まるのではありません。創価大学には、全人類的価値を掲げる、すばらしい『建学の精神』があります。そこには、限りない未来があります。だからこそ私たちは、創価大学と真剣にお付き合いしたいのです」
創価教育の世界的広がり。ロシアをはじめ、各国で活躍する創大卒業生。モスクワ大学と創大の、今も続く留学生の往来——。それらを思う時、池田先生の間断なき行動への感謝とともに、ホフロフ総長の慧眼がしのばれてならない。

「モスクワに来られる時は、いつでもお会いしたい」——「正会員証」の授与翌日の9月26日、アレクセイ・ホフロフ副総長が、池田SGI副会長はじめ訪問団を本館に迎えた。副総長は、レム・ホフロフ総長の子息である。
池田先生が81年、総長の墓参の後、夫人の自宅を訪ね、激励したのが若き日の副総長。以来、先生と3度の出会いを重ねてきた。
「池田先生は偉大な方です。露日の友好、人的交流に長く貢献してこられた」「(初訪露された)74年が『原点』です。私は何度も日本を訪れていますが、常に心掛けているのは、父の開いた道を確かに継承していくということなのです」
にこやかに語る副総長。時は移ろい、体制は変わっても、父から子へ、「心」は確かにつながっていた。
国際会議「グローバリスティクス2017」の期間中、モスクワ大学の植物園に入らせてもらった。
94年5月17日、サドーヴニチィ総長と池田先生が植えた白樺の木が、そこに立っている。
人の腰の高さほどだった若木は、厳寒に、吹雪に嵐に耐えて、大木に育っていた。緑の葉は黄色く色づきはじめ、「金秋」の到来間近を告げていた。
白い木肌。風にさらさらと揺れる細い枝。白樺は優しく、素朴で美しい。
しかし、弱いのではない。やせた土にも育ち、山火事などで荒れた土地にも、最初に姿を見せ、人々を癒やしてくれるのが、白樺の木であるという。
人間もまた、"しなやかな強さ"を持ちたい。相手を思う優しさが世界を結び、ひたむきに信念を語り抜く強さが、社会を変えゆくことを信じたい。
モスクワ大学の白樺が、それを教えてくれた。