2017年10月7日土曜日

2017.10.07 わが友に贈る

副役職の皆様こそ
異体同心の要なり!
絶対勝利の力なり!
その勇気の一歩から
拡大の千波万波が!

四条金吾殿御返事 P1143
『一切衆生南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや』

☆女性に贈ることば 十月七日
素晴らしい恋愛は、実は、誠実で成熟した、「自立した個人」と「自立した個人」の間にしか生まれない。自分を磨くことが大切なのです。

☆今日のことば365 十月七日
多数派の意見が、必ずしも優れているといえない。少数者の意見にも、よいものがある。ゆえに、少数者の、意見を大事にし、よく聞かなければいけない。

☆世界写真紀行第24回 北京・北海公園 2017年9月29日
◇人間の心に友情の橋を
静かな湖面。抜けるような青空。時代は移れど、変わらぬ悠久の時が流れる。
北京・故宮博物院の北西に位置する北海公園。
千年ほど前につくられ、現存する中国最古の宮廷庭園とされる。東京ドーム15個分にもなる広さの半分以上が、人造の湖からなる。
清の名君・乾隆帝が南方の園林を模した芸術的意匠を施したのをはじめ、中華文明の粋を凝らした「庭の中の庭」として歴代皇帝に愛された。
贅を尽くした庭園だが、今は人民に開かれ、地方からの観光客とおぼしき人の姿も多い。中国の人々にとっても、ここは憧れの地であり、最高の憩いの場所なのだろう。
池田先生は5度目の訪中となった1980年(昭和55年)の4月24日、庭園の湖に浮かぶ瓊華島のレストラン「?膳飯荘」で�穎超女史と語り合った。
周恩来総理の夫人として激闘の日々に伴走した女史は、静かに、そして熱く、中日友好が世々代々続くことへの願いを語った。総理の心を池田先生に託すように。
語らいの場を辞した後、池田先生は、にぎわう湖上の橋で一人の幼子を見つけた。膝を折り、目線を下げて"いつか日本へ"と優しく手を差し伸べる。さらに公園では、水色の服を着た子にも、素朴な親子らにも声を掛けた。
またこの訪中では、広東省の桂林と上海も訪れた。
雨が煙る桂林では、川の岸辺で遊んでいた子どもたちを招き、インスタントカメラで記念撮影を。「一生懸命に勉強して、立派な人に」と、小さな人民服をまとった子たちを包んだ。
上海では、非行少年が学ぶ学校を視察。「この学校で、しっかり学び抜いて、社会のために、お父さん、お母さんのために、自己自身のために勝利してください。決して落胆せずに大成長し、必ず日本に来てください。忍耐だよ。負けてはいけないよ!」と。
同行したスタッフの一人は振り返る。「先生はどこに行っても、寸暇を惜しむように青少年を励まされました。まるで日本の未来部員に接するかのように。そして、指導者に対するのと変わらぬ誠実さで。その一つ一つの振る舞いが脳裏に焼き付いています」
国家の要人であっても、名もなき少年少女であっても、たとえ国や言葉が違えど、一個の人間として真心で接し、心に橋を架けていく。万代に続く信頼と友誼も、そこから始まる。ここに、「人間外交」の真髄があろう。
池田先生は語った。
「私は中国を愛します。中国が大事です。同時に、人間を愛します。人類全体が大事なんです」
この訪中から37年。時代は大きく変わった。中国経済は著しく伸び、自転車の"洪水"だった北京の日常は、車の"洪水"になった。
けれども、池田先生が一人一人の人間と誠実に語り合い、築き上げた「金の橋」は今も変わらない。否、後継の若人たちが続き、いやまして輝きを放っている。
第5次訪中を終えた池田先生は、長崎の空港に降り立った。会長辞任からちょうど1年、初の本格的な地方指導の第一歩をしるした。九州の後、関西、中部、東海道へ。
一人また一人と同志を励まし、共に世界平和のスクラムを広げゆく大長征が、今再び始まったのも、この時だったのである。