2017年10月18日水曜日

2017.10.18 わが友に贈る

信心とは行動の異名だ。
広布に動けば動くほど
友情と境涯は広がる。
さあ今日もはつらつと
足取り軽く友のもとへ!

四条金吾殿御返事 P1180
『此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』

☆女性に贈ることば 十月十八日
誰が見ていようと、見ていまいと、つねに人間として正しい行動を貫いている。いっさい恥じるところがない。ゆえに心は青空の如く晴れ晴れとし、悠々としていられる。
これこそ、優れた人物に共通する楽しみであり、また誇りである。

☆今日のことば365 十月十八日
あまり若い時にあさましい恋愛をするのは私には賛成できません。恋は一生に一度、命がけですればよいのだ。情熱は、牛のよだれのようにだらだらと流すものではありません。

☆新時代を進む 第18回 心を結べ!仏縁を幾重にも
わが師の笑顔が浮かぶ。戸田先生が放たれた「原水爆禁止宣言」より60年——。
歴史を画する「核兵器禁止条約」が国連で採択され、その発効へ力強く尽力されるICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)に、今年のノーベル平和賞の授賞が決定した。
広島・長崎の被爆者の熱願を世界へ伝え、核兵器の非人道性を訴え続けてこられた尊き奮闘に敬意を表し、心から祝福申し上げたい。
ICANの方々と手を携え、世界中で核兵器廃絶を訴える展示の開催など民衆行動を進めてきた創価の青年を、恩師も労い、讃えてくださっているに違いない。
「核兵器なき世界」への大いなる一歩前進である。「無理だ」「不可能だ」と絶望するような局面でも、絶対に諦めない。皆が心を合わせ、連帯を広げ、新しい力を糾合すれば、世界の未来は必ず開いていけるのだ。
— ◇ —
日蓮大聖人は仰せである。「御勘気を二度まで・かほり・すでに頸となりしかども・ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん」(御書1138ページ)
いかなる試練があろうと、恐れなく正義を掲げ、叫び切る。その一貫した信念の行動が、人々の心を変える。
大聖人の「立正安国」の御精神と、恩師の遺訓を原点として、我らは、どんな困難にも一歩も退かず、大誠実の対話を貫き通している。だからこそ、今や世界の良識が絶大なる信頼を寄せ、創価の前進勝利を熱く見つめているのだ。
「地球民族の平和の柱」「生命尊厳の哲理の眼目」「人道勝利の栄光の大船」として、遠大な未来を展望しつつ、今日も一人一人と心を結び、仏縁を幾重にも広げていこうではないか!
— ◇ —
「原水爆禁止宣言」の前年(1956年)、恩師の心を体し、私は不二の関西の宝友たちと、揺るぎない民衆の正義と平和の連帯を築き上げた。
さらに、その年の10月、全国から勇み集った同志と山口開拓闘争を開始した。まず10日間の短期決戦を一日一日、誇りも高く——「必ず勝つと決めて祈る」「心を一つに励まし合う」「勇気と確信で語り切る」と、皆で勝利へ走り抜いた。
病気と闘う友とは、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(同1124ページ)の御聖訓を一緒に拝した。
広布の大使命に挑む学会員の色心は、かけがえのない「宝器」である。師子王の頑健なる大生命力が漲らないわけがない。
わが全同志の健康を妻と強く祈念する日々である。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 女子部教学室 法華証明抄 2017年10月14日
◇師弟を根本に勝利の人生を
今月は「法華証明抄」を学びます。
池田先生は、つづっています。
「弟子が師と不二の道を貫けば、打ち破れない魔性などありません。師弟が一体であれば、変毒為薬できない病気などありません。健康・長寿の要諦を示す『師弟勝利の一書』。これが『法華証明抄』です」
病と闘う愛弟子に本抄で渾身の大激励をされた日蓮大聖人。その法華経の行者としての烈々たる師子吼を心に刻みましょう。(拝読範囲は本抄全編です)

◇本抄について
本抄は、弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人が身延で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下である南条時光に送られたお手紙です。
熱原の法難を、強盛な信心で勇敢に乗り越えた時光は、この時、24歳の青年でした。その時光が重病であるとの報告が大聖人のもとに入ります。
実は、大聖人御自身も、この前年から病と闘われていました。本抄を送られる3日前には、時光へのお見舞いの書状を弟子に代筆させて送られています。そして今度は自らが病を押して筆を執られ、時光に宛てて再び送られたのが本抄です。
本抄には、「法華経の行者 日蓮(花押)」と認められています。そのように記された御書は、本抄のみです。
法華経の行者としての立場から、広布後継の弟子の勝利のために厳愛の御指導をされているのが本抄なのです。

◇御文
『すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか、其の義なくして現在には頭破七分の科に行われ・後生には大無間地獄に堕つべきか』(御書1587ページ4行目〜7行目)

◇通解
(南条時光が)もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうとこころみているのでしょう。人の命には限りがあります。ですから少しも驚いてはいけません。
また、鬼神どもよ。この人(時光)を悩ますとは、剣を逆さまにのむのか。自ら、大火を抱くのか。三世十方の仏の大怨敵となるのか。まことに恐れるべきである。
この人の病をすぐに治して、反対に、この人の守りとなって餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。そうでなければ、現世には「頭が七つに破れる」との罪を受け、後生には大無間地獄に堕ちるであろう。

◇解説 鬼神を呵責する御本仏の大確信
"後継のわが弟子よ、断じて生き抜け!"
本抄には、病と闘われながら、弟子のために命を削る思いで筆を執られた日蓮大聖人の深き慈愛が込められています。
本抄を頂いた南条時光は、熱原の法難の際、矢面に立って同志を守り抜くなど、強盛な信心を貫いてきた門下です。
その時光の信心の姿勢をたたえて、大聖人は掲げた御文で、時光が仏になることは間違いないと述べられています。
そして、時光が今、直面している病は、天魔や外道が信心を試そうとして起こっていると仰せです。天魔・外道とは、ここでは仏道修行を妨げ、災厄をもたらす働きのことを指します。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書1087ページ)とあるように、信心の実践が深まっているからこそ障魔が競い起こります。
大事なことは、障魔が競い起こった時に、ひるむことなく戦い抜く勇気です。そして、必ず変毒為薬してみせると腹を決め、広布のためにできる行動を起こすことです。
続いて大聖人は、時光の命を奪おうとする鬼神に対し、"時光を苦しめるとは、自ら身を滅ぼし、あらゆる仏の敵となるつもりか"と烈々たる気迫で叱り飛ばしておられます。
ここでの鬼神とは、人の生命をむしばみ、奪う働きをするものを指します。
もともと鬼神は、餓鬼道の苦しみを受けている衆生です。鬼神は、法華経を持つ人を守護すること等で、この苦悩の境涯を脱することができるのです。
ゆえに大聖人は鬼神に向かって、妙法を持つ時光の病を治し、さらに時光を守護して、餓鬼道の苦しみから免れるよう教えられているのです。
この鬼神への呵責を通して大聖人は、何ものも恐れぬ法華経の行者としての確信を時光に示されていると拝されます。
この師の厳愛の指導に、時光は奮い立ったことでしょう。時光は大病を克服して、50年も寿命を延ばし、師匠への報恩の人生を貫いたのです。
「師匠にお応えしたい」と立ち上がれば、無限の勇気と力が湧き上がり、苦難を乗り越え、変毒為薬することができるのです。
栄光の11・18「創価学会創立記念日」へ、強盛な祈りを根本に、正義の対話を広げ、"師弟勝利の門"を開いていきましょう!

◇池田先生の講義から
私たちも、いよいよ、「法華経の行者の祈り」を強盛にして、病魔に対しては「鬼神めらめ」と叱責しながら、一切の悪鬼をも、わが使命の人生の味方に変えていく決心で前進していきたい。
ゆえに、師子吼の如き題目が大切です。(中略)いかなる病魔に対しても、わが生命の奥底から「師子王の心」を取りいだして、敢然と立ち向かっていく——この「勇気ある信心」が根幹となるのです。
◇ ◆ ◇
真の健康とは何か。それは、病気がない状態を言うのではありません。信心根本に生き生きと価値創造の営みを続けられるかどうかです。病気の宿業を使命に変え、常に自身の生命を革新している人は、病魔に勝利している人です。戦う中に、真の色心の健康がある。それを教えているのが日蓮仏法です。(中略)何があっても絶対に負けない。あきらめない。屈しない。この人こそ、生命の勝利者です。真の健康・長寿の勇者なのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)

研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻、「法華証明抄」(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第3巻、「生老病死」��(同)