「喜とは自他共に喜ぶ事」
自分だけの幸福も
他人だけの不幸もない。
信頼と尊敬の絆を
社会の隅々に広げよう!
椎地四郎殿御書 P1448
『大海へ衆流入るされども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れどもかへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ』
☆女性に贈ることば 十月一日
一個の人間が、一生に経験することにはかぎりがある。しかし、読書によって、ほかの人が経験したことを、自分のものとすることができる。人生の深さ、世間の広さを知り、人間を洞察し、社会を見る目を養うことができると言ってよい。
☆今日のことば365 十月一日
さあ 待望の秋だ
読み書き
そして すべてに必ず一歩一歩
前進しよう
☆大白蓮華巻頭言 2017年10月号 わが地域を栄光の寂光土に
わが地域の広宣流布を一歩前進させる。そのために、どれほど深い祈りがあり、人知れぬ苦闘があることだろうか。この尊い一歩から、全ては始まる。
それは「立正安国」の拡大にも、さらには「世界平和の前進」にまで、力強く連動していくのだ。
60年前の秋、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を獅子吼し、核兵器の廃絶(はへ遠大なスケールで、 平和の潮流を起こしていかれた。と同時に、先生が着手された重大な布石が、足もとの生活の場である地域社会に密着したブロック組織の強化である。
その模範、すなわち、幸せあふれる地域の模範をつくらんと、私は、東京の下町、葛飾の初代の総ブロック長として、愛する同志と奔走を開始した。
私たちが、まず挑戦したのは、「地域の全同志がしつかり勤行をできるように」ということである。勤行、唱題こそ、幸福になるための最も基本の実践であり、人間革命と宿命転換の源泉であるからだ。
御義口伝には、「此を去って彼に行くには非ざるなり」「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」(P781)と明快に説かれている。
ゆえに我ら創価家族は、一人また一人に仏法を語り、一軒また一軒と家庭訪問を重ね、地涌の題目を強く広く響かせながら、一番身近な地域から寂光土の建設に挑んできた。どんな難儀な場所でも決して諦めず、どんな災難の時にも断じて屈せずに!
久遠より
誓い願いし
この地かな
宝土に変えゆけ
幸の仲間と
どうすれば、あの友が発心し、この家とも仏縁を結べるか。どうすれば、わが街に幸と正義の陣列を増やせるか。そう心を砕くリーダーの悩みこそ、地に足の着いた、何より気高い仏の悩みといってよい。
だからこそ、仏の智慧が湧き、仏の力が漲るのだ。
だからこそ、自他共に仏の生命を呼び覚まして、現実の濁世の只中でお互いに励まし合い、支え合う信頼と尊敬のスクラムを築き、広げていけるのだ。
頼もしいことに、それぞれのブロックや地区や支部などの誇り高き"幸福責任者"の方々と一緒に、団地部、地域部、農漁光部、そして勝利島の宝友が、いずこでも、かけがえのない地域社会の希望の灯台となって光を放ってくれている。
日蓮大聖人は仰せになられた。
「大木の下の小木・大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへ・ いきをえて・さかうる事に候」(P1170)
自行化他の題目を唱える創価の友が、その家に、その職場に、その地域に、一人いるということは、 「幸福の大樹」が毅然とそびえむっていることだ。
縁する人が、信心している、いないを問わずに、 皆を必ずや妙法の福徳で潤していくことができる。
さあ、御本仏より任された宝の郷土を、栄光の寂光土と栄えさせゆこう! そして、世界の友と題目の獅子吼を轟かせ、我らの地球に「平和の大河」を いよいよ滔々と流れ通わせていこうではないか!