2017年10月31日火曜日

2017.10.31 わが友に贈る

「法華経の信心を・
とをし給へ」御聖訓。
"頑張り抜く"ことが
人生勝利の根本だ!
断じて負けない人たれ!

諌暁八幡抄 P585
『今日蓮は去ぬる建長五年四月二十八日より今年弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり』

☆女性に贈ることば 十月三十一日
一時の勝ち負けよりも大事なことは、何か。それは、「頑張ろう!戦いきろう!」という熱い情熱が燃えているかどうかです。

☆今日のことば365 十月三十一日
趣味というものに理屈はない。必ずしもなんらかの自己の目的と合致しなければならないというのでもない。いうなれば、趣味とは、自分の世界ができることの喜びであり、それ自体が楽しみなのである。

☆池田先生の揮毫 永遠の一筆 「青年よ世紀山」
1982年5月、池田先生は長崎を訪問。滞在中、諫早文化会館の敷地内にある「長崎池田青年塾」で未来を担う若き英雄たちに思いをはせて墨書したのが「青年よ世紀山」の揮毫である。
その前年の12月、同じ九州の地で、世界に向けて長編詩「青年よ21世紀の広布の山を登れ」を発表。
当時、九州をはじめ全国では悪侶による謀略の嵐が吹き荒れていた。その中で、後継の弟子は師との誓いを胸に、学会員を断じて守ろうと創価の旗を掲げ戦っていた。"青年しかない。 青年が立ち上がる時が来たのだ!"−−池田先生は険しき21世紀の世界広布の山を登りゆく 同志を、寸暇を惜しんで励まし抜いた。
「世界広布新時代青年拡大の年」である本年、山また山を越え、青年の気概に燃える友が新たな決意で、朗らかに前進している。
(2017年1月号 グラフSGI)

☆青春勝利の大道 第22回 希望の経典 御書と共に
◇一生の土台を築く研鑽を
創価の師弟は、常に御書とともに前進する。
思えば、私が戸田先生に初めてお会いしたのも、先生が「立正安国論」を烈々と講義されている座談会であった。
学生部の俊英たちと一緒に「御義口伝」を学び始めてからは、この8月で55年となる。御聖訓には、「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(御書1474ページ)と仰せである。青春時代に深く心肝に染めた御文は、人生勝利の土台となり、平和創造の力となる。
御書を開けば、勇気が出る。智慧が湧く。希望が漲る。さあ、勤行・唱題で生命力も豊かに、今日も御書を繙こう!

◇学んだことを語れば力に
戸田先生は、よく言われた。「『声仏事を為す』(同708等)である。仏法で学んだことは、どしどし、声にして話しなさい。
そうすれば、どんどん身につくものです」と。
秋の教学試験へ、求道の息吹があふれている。受験する友も、応援する先輩も、学んだこと、感動したことを語ろう!
御書の一節でも、仏法用語でもいい。勇気の声で、
仏の智慧と確信を伝えていくことだ。それは必ずや、
自らの「心の財」となる。そして、友の悩みの闇を明るく照らし、迷いの暗雲を振り払う力となるからだ。
「哲学の宝剣」を磨き、破邪顕正と広布拡大の言論を!

2017年10月30日月曜日

2017.10.30 わが友に贈る

◇今週のことば
我らは誇り高き
広宣流布の闘士だ。
「大願とは法華弘通なり」
創立の精神たぎらせ
新たな拡大を共々に!
2017年10月30日

下山御消息 P357
『而るを日蓮が出現して一切の人を恐れず身命を捨てて指し申さば賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに剰へ頚に及ばむとせし事は存外の次第なり』

☆女性に贈ることば 十月三十日
「あのうちが、こうだから」とか、「このうちは、ああしていた」と気にして、何か同じようでなければならないと考えるのは、愚かです。他人と比較しても、他人と同じにはなれないし、なる必要もない。それでは、にせものをつくります。形式をつくります。見栄っ張りをつくり、体裁をつくってしまう。

☆今日のことば365 十月三十日
この社会、この世界は、決して、大人だけのものではないのだ。
次をゆずるべき少年青年達の社会であり、世界があることを真摯に自覚すべきである。

☆御書と歩む 第90回 妙法の福徳は燦然たり
『仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候』(崇峻天皇御書、1170ページ)

◇通解
仏法の中に、「内薫外護」という大変に大事な法門があって、それは仏法の要である。

◇同志への指針
内なる仏性を薫発すれば、外からの守護が必ず現れる。「内薫外護」の法門の通り、四条金吾夫妻は不屈の信心で相次ぐ苦境を大逆転した。
誰が見ていなくとも、誠実に積み重ねた善行を、仏天は御照覧である。因果の理法に照らされて、全て自身を荘厳する大果報となるのだ。
陰徳の人生に栄光の陽報はいよいよ輝く。私の70年の信仰の大確信である。

☆青春勝利の大道 第21回 生命磨く鍛えの日々を
◇朝の勤行が勝利のリズム
伝統の教学試験に向け、若人の求道が、何と凜々しいことか。受験者を応援してくれるスクラムも尊い限りである。
夏は青年の鍛えの季節。清々しい朝の勤行に挑戦しよう!
そこに、きょう一日を勝ち切っていくリズムがあるからだ。たゆまぬ価値創造の日々に、「信心即生活」の真髄がある。
今回の試験で学ぶ御聖訓には、「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(御書557ページ)と仰せである。
さあ、妙法の旭日を生命に輝かせ、攻めゆく青春であれ!

◇友情のドラマを爽快に
戸田先生は「開かれた青年たれ!」と言われ、「どんどん人と会い、人と対話せよ!人の心をつかみ、味方をつくれ! 全てが自分自身の訓練となり、財産となる」と励まされた。
窮屈に考えなくてよい。ありのままの自分で、誠実に語っていけば、真心は通ずる。仏縁が必ず結ばれる。
今、世界の青年が、仏法の哲理を求めている時代である。自信満々と朗らかに、自らの体験を伝えていくことだ。座談会など学会家族の人間共和の世界へ、いざなっていくことだ。
創価の青年らしく、自らの境涯を大きく開き、新しい友情のドラマを爽快に創ろう!

2017年10月29日日曜日

2017.10.29 わが友に贈る

「一日もいきてをわせば
功徳つもるべし」御聖訓。
断じて病魔に負けるな!
尊き使命の人生を
強く強く生き抜こう!

可延定業書 P986
『きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』

☆女性に贈ることば 十月二十九日
同じ一生であるならば、喜んで生きたほうが得である。同じ行動をするなら、喜んで行動したほうが価値的である。愚痴や義務感で日々を灰色に覆うよりも、喜びを創り出していこうとする生き方のほうが、より創造的である。

☆今日のことば365 十月二十九日
単なる自分のわがままから、次から次へと職を変えるということは、人生において大きなマイナスであるし、その仕事に生きがいを見いだしていけるかどうかは、なによりもまず自分の努力いかんによって決定されるということを知っていただきたいのである。
仕事は、自分がそのなかに飛びこみ、苦労していったときに初めてよろこびを見いだしていけるものである。

☆金秋のモスクワ 初訪露43年 池田先生の足跡をたどって(下) 2017年10月20日
◇「人間を信じる」優しさと強さを
作家のチェーホフが、ゴーゴリ、ブルガーコフがいる。作曲家のショスタコービッチ、それにフルシチョフ、エリツィンら、世界を揺るがした政治家たちも。
モスクワのノヴォデヴィチ墓地には、荘重な造りを施した墓石が並ぶ。著名人たちの墓に、国内外の多くの観光客が集まっている。
そうした喧噪から離れた静かな場所に、一つの墓石があった。
「レム・ホフロフ」と刻まれたそれは、物理学者で、1973年から77年までモスクワ大学総長を務めた、ホフロフ博士のものである。
「素朴と言われてもよい、ともかく人間に会うことだ。人間として、人間同士の友情を結ぶことだ」。1974年9月8日、そう心に期してモスクワの土を踏んだ池田先生が、初めて出会った「人間」こそ、ホフロフ総長であった。
「モスクワは今、金の秋を迎えました。最もよい季節です」。穏やかな笑みを絶やさず、鋭い知性を温厚な振る舞いの中に包み込んでいた総長。
質実そのものの墓石が、そうした姿をしのぶのに、ふさわしいものに思えた。
77年、総長は登山中の事故で、51歳の若さで世を去った。池田先生は81年5月の3度目の訪露で、墓前に献花し、エレーナ夫人の自宅を訪問。残された子息たちを励ましている。
総長との交友はわずか4年に過ぎなかったが、その4年を礎に、モスクワ大学と、池田先生が創立した創価大学との友情はログノフ総長、現サドーヴニチィ総長に引き継がれ、43年後の今、大きく花開いている。
その一つの証左が、モスクワ大学で行われた、池田先生に対する「国際グローバル研究アカデミー」正会員証の授与であった。
授与は、世界50カ国から1500人の学識者らが集った国際会議「グローバリスティクス2017」の初日、9月25日に行われた。
同会議はサドーヴニチィ総長が提唱し、隔年で開かれているもの。開催中、キャンパスの至るところに会議のポスターを見かけ、モスクワ大学が総力を挙げていることが伝わってきた。
しかし総長は、開会式であいさつすると、席をはずさざるを得なかった。総長が正会員を務める最高学術機関「ロシア科学アカデミー」の、総裁選と重なったためである。
多忙を極める、その総長が、日も暗くなった後にわざわざ大学に戻り、本館に招いたのが、池田博正SGI副会長(創大最高顧問)だった。
開口一番、総長は「創価大学は、わがモスクワ大学が、日本で真っ先に交流を始めた大学の一つです。池田先生とは長年にわたって交流し、対談集も出すことができました」と。
そして「創大は私たちにとって、"最優先"の大学なのです」と述べ、再訪への期待を語った。
総長は幾たびも創大を訪れており、直近の来訪は昨年12月15日。プーチン大統領と時を同じくしての訪日だった。
創大訪問の予定は、到着したその日の午後4時。ところが、飛行機の遅れと道路の渋滞が重なり、東京・八王子市のキャンパスに着いた時間は午後7時半になった。予定行事のいくつかをキャンセルしても、驚くには当たらない。
ところが総長は、予定通りに講演を行い、同大学に開設された「ロシアセンター」にも足を運んだ。大学を出発した時、午後9時を過ぎていた。
"創大は最優先の大学"——それが掛け値なしの言葉であることが分かる。
「ぜひ池田先生に、私の心からの敬意をお伝えください。(94年5月、モスクワ大学に)一緒に植えた白樺の木も育っています。先生のご健勝とご長寿を、心から祈っています」
そう総長は、大学本館で池田SGI副会長に語るのだった。

モスクワ大学の正式名称は「M・V・ロモノーソフ記念モスクワ国立大学」という。
1755年、43歳だった科学者ロモノーソフが創立に奔走した。帝政ロシアの時代にあって、"特権階級のためではない、全ての人に開かれた学びの場を"との理想を掲げた。
風当たりは強かった。開校式にも出席できなかった。最初は、小さな薬局を校舎に改装して使った。
「赤の広場」の北側に位置するその場所には、国立歴史博物館が立っている。建物の壁に、大学原点の地であることを示すレリーフが刻まれていた。
「雀が丘」にある現在のモスクワ大学は、一つの街と言っていいほどの、広大なキャンパスを有する。
高さ240メートルの本館は圧倒的な存在感を持ち、モスクワを代表するクラシック建築の一つ。キャンパスにはロモノーソフ像が立ち、ロモノーソフ棟という名の建物もある。
創立者と「建学の精神」を大事にしていることが、一目で分かる。
43年前、池田先生は本館のバルコニーに立ち、市内を一望しながら、ホフロフ総長に語った。
「創価大学は、まだ、誕生したばかりの小さな大学ですが、21世紀には、貴大学に匹敵する大学になって、世界に貢献したいというのが、私の夢なんです」
ロモノーソフと同じ43歳で創大を開学して3年。まだ、卒業生もいなかった。
総長は応じた。「大学の意義は、決して大きさで決まるのではありません。創価大学には、全人類的価値を掲げる、すばらしい『建学の精神』があります。そこには、限りない未来があります。だからこそ私たちは、創価大学と真剣にお付き合いしたいのです」
創価教育の世界的広がり。ロシアをはじめ、各国で活躍する創大卒業生。モスクワ大学と創大の、今も続く留学生の往来——。それらを思う時、池田先生の間断なき行動への感謝とともに、ホフロフ総長の慧眼がしのばれてならない。

「モスクワに来られる時は、いつでもお会いしたい」——「正会員証」の授与翌日の9月26日、アレクセイ・ホフロフ副総長が、池田SGI副会長はじめ訪問団を本館に迎えた。副総長は、レム・ホフロフ総長の子息である。
池田先生が81年、総長の墓参の後、夫人の自宅を訪ね、激励したのが若き日の副総長。以来、先生と3度の出会いを重ねてきた。
「池田先生は偉大な方です。露日の友好、人的交流に長く貢献してこられた」「(初訪露された)74年が『原点』です。私は何度も日本を訪れていますが、常に心掛けているのは、父の開いた道を確かに継承していくということなのです」
にこやかに語る副総長。時は移ろい、体制は変わっても、父から子へ、「心」は確かにつながっていた。
国際会議「グローバリスティクス2017」の期間中、モスクワ大学の植物園に入らせてもらった。
94年5月17日、サドーヴニチィ総長と池田先生が植えた白樺の木が、そこに立っている。
人の腰の高さほどだった若木は、厳寒に、吹雪に嵐に耐えて、大木に育っていた。緑の葉は黄色く色づきはじめ、「金秋」の到来間近を告げていた。
白い木肌。風にさらさらと揺れる細い枝。白樺は優しく、素朴で美しい。
しかし、弱いのではない。やせた土にも育ち、山火事などで荒れた土地にも、最初に姿を見せ、人々を癒やしてくれるのが、白樺の木であるという。
人間もまた、"しなやかな強さ"を持ちたい。相手を思う優しさが世界を結び、ひたむきに信念を語り抜く強さが、社会を変えゆくことを信じたい。
モスクワ大学の白樺が、それを教えてくれた。

2017年10月28日土曜日

2017.10.28 わが友に贈る

季節の変わり目。
バランスの取れた食事
適度な睡眠・運動など
疲れをためない工夫を
新人即生活で進もう!

清澄寺大衆中 P895
『恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へ』

☆女性に贈ることば 十月二十八日
小さい頃から、子どもの傾向というものを賢明に見極めていくことです。そうすれば、大きくなって反抗するような時期を迎えたとしても、動じないですむ。

☆今日のことば365 十月二十八日
自惚れは、未来の前進を不明確にし、
暗黒へ梶を取っていくようなものである。

☆10・18「民音創立記念日」特集
◇文化の交流で世界を結ぶ 相互理解深める公益事業
きょう18日、創立記念日を迎えた民主音楽協会(民音)。アジア、中南米、アフリカ、欧州など、世界に文化交流を広げ、名実共に日本を代表する音楽文化団体へと発展した。ここでは、民音の公益事業と、駐日コロンビア共和国大使館のガブリエル・ドゥケ大使へのインタビューを紹介する。

今秋、民音では「ニカラグア共和国」「バーレーン王国」の2カ国との音楽交流が新たに始まり、海外との文化交流は、107カ国・地域となった。
民音は、これまで7万8000回を超す演奏会を開催。鑑賞者は延べ1億1000万人以上に上る。
このほかにも、若手指揮者の登竜門といわれる「東京国際音楽コンクール〈指揮〉」の開催や"青少年に一流の音楽との出あいを"との理念で開始された「学校コンサート」、さらには地域・社会への貢献を目的とした公益事業にも力を注いできた。
創立50周年を迎えた2013年からは、"民音第2期"と位置づけ、日本の優れた伝統芸能を世界に広める活動を展開。同年10・11月に、「民音芸術団」の特別公演が中国の北京、天津両市の3会場で開催された。以来、毎年の公演は、大きな反響を呼んでいる。
さらに、世界と日本の青年音楽家たちの交流を目的とした「Min?On Global Music Network」が、14年から新たにスタート。
15年のロシア公演は、特別な行事のみで使用されるモスクワ大学の「インペリアル・ホール」で行われ、音楽文化を通して、相互理解を深めた。
民音音楽博物館では、「教育、学術および文化の発展に寄与する」との目的から、これまで文化講演会を開催してきた。現在、各国大使館との共催企画も積極的に行われている。

インタビュー 駐日コロンビア共和国大使館 ガブリエル・ドゥケ大使
——昨年、駐日大使に就任されて以降、コロンビア大使館との共催で2回、民音文化講演会が開催されています。

ガブリエル・ドゥケ大使 昨年、パーカッション奏者のトゥパック・マンティージャの講演会を開催しました。先月には、わが国が誇るダンスカンパニー「ペリフェリア」が、ダンスの魅力を伝えてくれました。
どちらの講演会も好評を博し、大変にうれしく思います。
コロンビアと民音との関係は1988年に始まりました。この時、民音の招聘で、「コロンビア国立民族舞踊団」の公演が実現しました。99年には、アンドレス・パストラナ元大統領の来日を記念し、無形文化遺産に登録されている「バランキージャ民族舞踊団」の公演が、民音主催で行われました。
長年にわたる民音とのパートナーシップは、コロンビアと日本の両国間の相互理解を深める上で、非常に有意義なものです。

——池田SGI会長の「芸術・文化・音楽を通しての人間と人間の交流による相互理解こそが、世界平和の基盤である」との理念のもと、民音は1963年10月に誕生しました。

大使 その理念に、全面的に賛同します。SGI会長は、多くの文化的業績を残されています。その一つが民音の創立です。
日本の文化を世界に発信し、世界の多様な文化を日本国内に紹介する。民音の使命の大きさは、計り知れません。
昨年、わが国のサントス大統領がノーベル平和賞を受賞しました。半世紀以上にわたる内戦終結への努力が評価されたものです。
大統領の信念とは、思想や価値観などの差異があったとしても、「我々は『同じ人間』である」ということです。私たちは、人類全体に恩恵をもたらすことに力を合わせていかねばなりません。
「差異」は本来、人間を分断するものではなく、人間を豊かにするものです。その力となるのが、文化交流なのです。

——大使に就任されて、さまざまな日本文化に触れてこられたと伺いました。

大使 私自身、来日してから、より文化の大切さを感じるようになりました。というのも、日本文化を通して、日本のことが、さらに好きになったからです。
歌舞伎、能、和太鼓、墨絵など、日本には洗練された表現の文化が多いと思います。食文化も芸術的です。
コロンビアは、北はカリブ海、西は太平洋に面し、南東部には熱帯雨林が広がっています。生物多様性に富んでいます。
こうした地理的環境が多彩な文化を育みました。また、歴史的にも、先住民の文化、スペイン統治時代の欧州文化の影響も受けています。アフリカ系移民が受け継いできた文化もあります。わが国では、さまざまな文化が融合しています。
音楽のジャンルは多岐にわたり、ダンスの種類も数多くあります。総じて、明るい表現のものが、多いのが特徴です。
こうした「違い」が、私に思考の幅の広がりを、もたらしてくれています。

——最後に、今後の民音の活動に対する期待をお聞かせください。

大使 これまで続けてこられた事業を、さらに発展させてもらいたいと思います。民音の活動は、世界平和を築く基盤となるものです。ぜひ、世界との交流を、さらに広げてほしい。
ただ、コロンビアとの関係は、どの国よりも深いものであってほしいですね(笑い)。
今後も、民音との協力関係を深めながら、文化交流を促進し、日本との友好の絆を強めていきたいと念願しています。

2017年10月27日金曜日

2017.10.27 わが友に贈る

地道な家庭訪問こそ
広布進展の原動力だ。
膝詰めの対話から
新たなうねりを起こし
本年を勝ち飾ろう!

小乗大乗分別抄 P526
『或は慈悲魔と申す魔身に入つて三衣一鉢を身に帯し小乗の一法を行ずるやからはづかの小法を持ちて国中の棟梁たる比叡山竜象の如くなる智者どもを一分我が教にたがへるを見て邪見の者悪人なんどうち思へり』

☆女性に贈ることば 十月二十七日
青春時代、いくら華やかに虚栄を張っても、それだけでは結局、年をとって福運は消えてしまう。虚栄には幸福はない。
地道の中にこそ、幸福の道がある。

☆今日のことば365 十月二十七日
いくら正しい意見だといっても、常に自分の主張だけを貫こうとすれば、人はなかなか聞くものではありません。いつも自分の意見ばかり押し通そうとする人と、ふだん、よく他の人の意見を聞く人とでは、どちらが本当に大事な時に説得力をもつことができるでしょうか。
協調性があり、他の人の意見もよく聞く人こそ、いざというとき、本当に主張しぬきたい意見が皆に聞き入れられるのです。

☆世界の識者の眼 ペルー コンチネンタル大学 エサウ・カロ・メサ総長 2017年10月17日
◇「民衆のため」を忘れるな SGIの人間主義を時代が希求
池田先生は、南米最古の学府である国立サンマルコス大学をはじめ、ペルーの諸大学から名誉学術称号が贈られている。1999年9月には、名門・国立ペルー中央大学から「名誉博士号」が授与された。当時、同大学の総長だったエサウ・カロ・メサ氏(現・コンチネンタル大学総長)に、先生との思い出、創価教育やSGIへの評価などについてインタビューした。(聞き手=西賢一記者)

◇社会を照らす価値創造教育
——池田先生との出会いを教えてください。

カロ総長 初めに、このたびのサンマルコス大学からの「名誉博士号」の授与を、心からお祝い申し上げたいと思います(本年8月)。
「名誉教授」称号(1981年)に続く栄誉は、ペルー社会からの絶大なる信頼の証しといっても過言ではありません。
池田博士は、世界中に"価値の種子"をまき、平和の文化を築くための道筋を示してこられました。そのような方と同時代を生きることができ、誇りに思います。
これから先も長きにわたり、博士が我々と一緒にいてくださることを望み、また祈っています。
私が池田博士という存在に出あったのは、ペルー中央大学の総長時代でした。95年に総長に就任し、「価値創造の教育」を探究する中、その道で世界的に活躍されている人物がいることを知ったのです。
その後、ペルーSGIのシマ理事長(現・最高参与)にお会いし、現代を代表する識者である博士を、より深く理解することができました。
博士の哲学は21世紀に不可欠なものです。ゆえに人間主義の巨匠を、ペルー中央大学にお迎えしたい。その思いを強くした私は、自らが推薦人となって、「名誉博士号」を授与する議案を大学評議会に提出しました。
当時の評議会は、学部長と学生代表らで構成されていました。最初に授与対象者の経歴や業績を詳細かつ厳正に審査します。この時は、平和・文化・教育における博士の顕著な足跡を全員が高く評価し、全会一致で決定したことをよく覚えています。
そして、99年9月に東京で授与式を執り行うことになったのです。

——来日の折には、創価学園・創価大学を視察されています。創価教育の実践は、総長の目にどのように映ったのでしょうか。

総長 まず感銘を受けたのは、創価教育の質の高さです。
"小学校から大学までトータルして見る"という一貫教育システムは、ペルーでは一般的ではありません。しかも、日本をはじめ世界各国に幼稚園もあります。
滞在中、私は関西創価学園と創価大学を訪問しました。そこで目の当たりにしたのは、時間に正確で礼儀正しい生徒・学生の姿であり、彼らと教職員との親しい関係性でした。
"縦"ではなく"横"の関係を築こうとされている教職員の姿勢に感動したのです。
その模範こそ、世界的な指導者でありながら、誰よりも気さくで温かく接してくださった池田博士でした。
私自身も、教育者として、こちらから学生たちの輪の中に入ることを心掛けています。
歴史を振り返ると、ペルーの教育は非常に厳格であったように思えます。そこには、人間的な価値を教えてこなかった一つの反省があります。
わが国では、今も犯罪が多発し、多くの青年たちが価値を見失い、人生を豊かに生きる方法を知らずに育っています。
だからこそ、価値創造の教育が必要である。とりわけ、高等教育を受ける人たちは、知識だけでなく、人間性を育まなければならない——博士の振る舞いと創価教育の実践から、そのことを学ばせていただきました。
博士からは現在も、毎年のようにグリーティングカード(新年状)が届き、そのたびに真の友情を感じ、喜びでいっぱいになります。

◇「正直」「誠実」「勤勉」であれ
——99年の授与式の席上、総長は「今日に通用する教訓」として、インカ帝国時代の三つの倫理観に言及されました。

総長 そうでしたね。
その一つ目は、「アマ・リューリャ」——「うそをついてはならない」です。
単純なようですが、学術界をはじめ、どのような分野でも、客観性や現実性、何より誠実性が求められます。うそによっては、どんな問題も解決することはできません。
二つ目は、「アマ・ケーリャ」——「怠けてはならない」です。
例えば、仕事において肉体的、精神的な負担を軽減し、効率化をはかることは、もちろん必要です。しかし、それにこだわりすぎて、勤勉さを欠くことは望ましくありません。
三つ目は、「アマ・スア」——「盗んではならない」です。
これは、盗難や犯罪といった、社会の秩序を乱す行為の排除であり、私たちは多くの善良な人々が営々として築き上げてきた価値観の破壊を防がなければなりません。
インカ文明は、これらの倫理観によって、「正直さ」「誠実さ」「勤勉さ」という行動規範を民衆の中に打ち立てようとしました。
私が追求してきたのは、価値観の喪失が叫ばれる現代社会において、どうすればこの行動規範を時代精神として復興できるか、ということでした。
その答えを、私は池田博士とSGIが進めておられる「人間革命」運動の中に見いだしたのです。
世界を善の方向へと導く博士の哲学のように、インカの倫理観もまた、私たち自身の行動を通して、ペルー社会に復元しなければならないと考えています。

——SGIの「人間革命」運動のどのような点を評価されていますか。

総長 SGIの皆さんは、"より良いペルー"を目指して、日々奮闘されています。そこには、私たちが忘れてはならない、人間として大変に重要な価値が光っていると感じます。
世界には多くの宗教がありますが、SGIではより人間的な教育が行われていると確信します。
池田博士がペルーを初訪問されて、昨年でちょうど50年になったと伺いました。
その大切な原点を胸に、良き市民であろうとする、お一人お一人に、私は敬意を表したい。
仏法思想の偉大さは、それを実践する皆さんが「生き方が変わった」「元気になった」「幸せになった」という事実によって証明されていくべきでありましょう。
SGIをリードする博士は、言葉で、活字で、行動で、平和貢献の道を歩み続けておられます。その全てが「民衆のため」という一点に集約されていることに感動を禁じ得ません。
わが大学は「コンチネンタル」、つまり「大陸」という名前を冠しています。
その名の通り、これからも広々と開かれた視点を大切にしながら、博士と共に、SGIの皆さんと共に進んでいきたいと願っています。

Esau Caro Meza 1942年生まれ。コンチネンタル大学総長。ペルー中央大学卒。インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベガ大学で博士号を取得(経営学)。化学エンジニア。ペルー中央大学総長などを歴任。創価大学名誉博士。

2017年10月26日木曜日

2017.10.26 わが友に贈る

打てば響くような
反応のスピードこそ
外交の要諦だ。
迅速かつ誠実な行動で
信頼の輪を幾重にも!

御義口伝巻上 P737
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と云云』

☆女性に贈ることば 十月二十六日
人に尽くそうと決め、勇気を出して行動を開始した時、もっと強い自分になれる。人間としての器が、もつと大きくなる。

☆今日のことば365 十月二十六日
人が一生の間に体験することは、まことに限られたものである。だが、読書によって、他人の経験を自分の経験として体験することは、人生の深さと世間の広さをまざまざと知ることだといってよい。

☆パラグアイ・ニホンガッコウ大学「名誉教育学博士号」授与式から オルテガ総長の授与の辞 2017年10月16日
本大学の大学評議会の決議によって、池田大作博士のこれまでの偉大なご功績に鑑み、「名誉教育学博士号」を授与することが決定されました。
大学関係者および来賓の皆さまが参列されている席上、大学評議会議長として私に付与された権限によって、この学位記を授与させていただきます。
ただ今から、池田博士には、教育における名誉博士としての全ての権利、義務、尊厳、さらに特権が与えられ、ニホンガッコウ大学の一員となられます。そして、人類のために大変多くの業績を残されている池田博士は、本学で名誉博士としての待遇を受けられることになります。
世界の平和および環境のため、重要な運動を今日まで展開し、善の行動をしてこられたのが池田博士です。
その顕彰の証人として来られた大学関係者の皆さまのご参列に、深く感謝申し上げます。
そして、池田博士への「名誉教育学博士号」授与式に参列された全ての来賓の皆さまにも、心より御礼申し上げます。
大変にありがとうございました(大拍手)。

2017年10月25日水曜日

2017.10.25 わが友に贈る

広布に生きる人生に
行き詰まりはない。
全てを意味あるものに!
たくましき楽観主義で
胸中に新生の太陽を!

諸経と法華経と難易の事 P992
『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』

☆女性に贈ることば 十月二十五日
教育は、「共育(共に育つ)」です。
子どもは不思議です。子どもには、まぶしい生命の輝きがある。子どもの元気な姿を見れば、大人も元気になる。
にぎやかな子どもの声があるところ、そこには希望がある。
平和がある。生きる喜びがわいてくる。

☆今日のことば365 十月二十五日
歌は心で聴くものだ。そうすれば、その歌の精神が明瞭にわかるだろう。聴く心がなければ、言葉はわかっても、その歌の精神はわかるはずがない。

☆ニホンガッコウ大学「名誉教育学博士号」授与に寄せた池田先生の謝辞 2017年10月16日
一、貴国パラグアイは、偉大なる「太陽の大地」にして「勇壮な歴史を誇る、伝説の大地」(詩人ルベン・ダリオ)と讃えられております。
どこまでも澄み渡る青空、緑輝く大地、平和に流れゆく大河、そして、世界のいずこにも増して、朗らかで、友誼の心あふれる人々——今、私の心は、「太陽の大地」の誇り高き宝友と一緒にあります。
憧れの貴国を、私が初めて訪問できたのは、1993年の2月でありました。
奇しくも、その3月に創立されたのが、青少年を薫育する、貴「ニホンガッコウ」であります。
校歌に、「全体人間になれと、無限の可能性を広げてくれる」「教育の絶え間ない向上を目指す、献身の教育に賞讃あれ」と謳われているように、崇高なる人間教育の理念を掲げ、若き英才を育んでこられました。そして、2008年12月に、世界市民を育成する先進的な知性の学城「ニホンガッコウ大学」が威風堂々とそびえ立ったのであります。
貴大学からの最高に栄えある英知の宝冠を、私は貴国の良き市民、模範の国民として活躍する、敬愛するパラグアイの友をはじめ、世界192カ国・地域のSGIメンバーと共に、分かち合わせていただきます。
誠に、誠にありがとうございます。(大拍手)

◇牧口先生の実践と響き合う理念
一、貴大学のシンボルマークには、両手に抱かれた地球に、パラグアイと日本が描かれています。そこには、最も遠く離れた両国の心を一つに結び、人類に貢献しゆく人材を輩出しようとの、オルテガ総長ご夫妻の強い決意が輝き光っております。
貴国のグアラニーの伝統の言葉に、「志を抱き続ければ、成し遂げられる」とあるように、総長ご夫妻は、幾多の困難を勝ち越えながら、今日の大発展を築いてこられたのであります。
総長ご夫妻は、学生や児童と接する時は、実の父母のように、こまやかに心を配り、保護者であるご家族も折々に学校に招くなど、皆の絆を強め合うひとときを持たれていると伺っております。キャンパスに広がる人間教育の麗しき光景が目に浮かぶようです。
それは、創価教育の創始者である牧口常三郎先生の理念とも深く響き合うものであります。
教育の目的は「子どもの幸福」にあるとの信念に立った牧口先生は、若き日、寒さの厳しい北海道の小学校では、雪の降る朝でも外に出て、登校する子どもたちを迎えました。あかぎれで手を腫らした子がいれば、お湯を沸かし、手を温めてあげたといいます。
また、東京の小学校の校長時代には、弁当を持参できない子どものために、無料の給食を先駆的に実施されるなど、さまざまな工夫をこらし、子どもたちを慈しまれました。
「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である」と牧口先生は宣言されています。
そして、「自他共の幸福」を目指す人間教育の粘り強い推進によって、社会の矛盾や葛藤を打開しつつ、平和な社会の創造をと展望したのであります。
この教育哲学もまた、貴大学の理念に深く通底していることに、私は感銘を深くしております。
貴国が誇る世界的な作家であり、私どもSGIの草の根の教育運動にも深い共感を寄せてくださっていた、ロア・バストス先生は、述べられています。
「大きな出来事というものは、時として目に見えない、ささやかなことから始まることが多いものだ」と。
一人一人の若人を励まし、一人一人の人材を育てゆく教育は、「時として目に見えない」誠に地道な営みであります。
しかし、その弛みなき挑戦の中にこそ、時代を変革し、社会を安定させ、前進させゆく、偉大なる原動力があるのではないでしょうか。

◇壮麗な人間共和と平和友情の花園を
一、歴史を創るのは「水底のゆるやかな動き」である——これは、私が対談したイギリスの大歴史家トインビー博士の深き洞察でもありました。
貴国の国名「パラグアイ」には、「大河の集まる国」との意義があると言われます。
貴大学が、滔々と流れゆく大河の如く、尽きることのない幾多の優秀な人材を育み、世に送り出しながら、パラグアイの大地に、そして地球社会の沃野に、壮麗な人間共和と平和友情の花園を、いよいよ咲き広げていかれることを心から願ってやみません。
私も、今日よりは、誉れ高き貴大学の一員として、先生方とご一緒に、生涯、全力を尽くしゆく決意でおります。
その心情を、私の大好きなグアラニーの箴言に託させていただきます。
「勇者と船の帆は、最後まで屹立している」と。
結びに、わが母校たる貴大学のますますの隆盛と、パラグアイの無窮の栄光、そして本日ご列席のすべての皆様方のますますのご健勝を、心よりお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムーチャス・グラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)(大拍手)

2017年10月24日火曜日

2017.10.24 わが友に贈る

誉れの「11・18」へ
皆が清新な決意で
広布拡大の快進撃を!
新しい友をつくり
新しい時代を開こう!

御義口伝巻上 P725
『信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり』

☆女性に贈ることば 十月二十四日
誠実にかなうものはない。誠実さがないところに、愛情もない。論理も包容力も、ユーモアもなくなる。笑顔も、知恵もなくなる。
誠実が、人びとの心を動かす。誠実が、人生の勝利のカギである。

☆今日のことば365 十月二十四日
職場には、だいたい三様の人がいる。絶対にいなくてはならない人、いてもいなくてもよい人、いないほうがよい人。それは仕事の種類で決まるものではない。人によって決まってくるのである。

☆御書と歩む 第89回 「一念に億劫の辛労」を!
『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』(御義口伝、790ページ)

◇通解
一念に億劫の辛労を尽くして、自行化他にわたる実践に励んでいくなら、本来、わが身に具わっている仏の生命が瞬間瞬間に現れてくる。いわゆる南無妙法蓮華経は精進行である。

◇同志への指針
いかなる壁も、題目を唱え抜いて突破する。一念を定めた今の勇猛精進が、億劫にも通ずる地涌の大闘争だ。
妙法のために尽くす辛労に一切の無駄はない。広宣流布の最前線で、負けじと勇んで戦い進む中でこそ、仏の智慧は躍動する。諸天も動き、必ず活路は開けるのだ。
信頼するわが同志よ、悪戦苦闘を突き抜けて、歓喜の大功力を漲らせてくれ給え!

2017年10月23日月曜日

2017.10.23 わが友に贈る

◇今週のことば
「日本の柱」は勝ちたり。
皆の尊き大奮闘、万歳!
「冥の照覧」は厳然だ。
福運も仏縁も満々と
さあ 胸張り前進を!
2017年10月23日

諸法実相抄 P1360
『釈迦仏多宝仏十方の諸仏菩薩虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり』

☆女性に贈ることば 十月二十三日
伸びようとしている人は美しい。人生という旅は、足を止めてしまえば、そこが終点である。
生きているかぎり、より高く、より深く、広い何かを求めて、進歩していきたい。

☆今日のことば365 十月二十三日
親子の愛、夫婦の愛、恋人同士の愛、友愛等----さまざまな愛があろうが、そのなかに流れゆくものは、いつも生命の暖かいふれあいなのだ。

☆御書と歩む 第88回 嵐に不動の鍛えの信心で
『きたはぬ・かねは・さかんなる火に入るればとくとけ候、冰をゆに入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』(四条金吾殿御返事、1169ページ)

◇通解
鍛えられていない鉄は、燃え盛る火に入れれば、すぐに溶けてしまう。それは、氷を湯に入れたようなものである。剣などは、大火に入れても、しばらくは溶けない。これは、鍛えられているからである。

◇同志への指針
わが門下は鍛え抜いた宝剣なり! 試練の炎にも怯むことなかれ! これが御本仏の烈々たる師子吼であられる。
「仏法は勝負」だ。断じて負けない金剛不壊の生命を発揮する信仰なのだ。ひたぶるに仏道修行に徹しゆく人は、「ここぞ」という時に、必ず絶対勝利の実証を示せる。
創価の青年は、何ものにも翻弄されぬ「世雄」(社会の英雄)と勝ち光れ!

2017年10月22日日曜日

2017.10.22 わが友に贈る

広宣流布の労苦は全て
「今生人界の思出」に。
わが身を飾る大福徳に。
栄光の創立記念日へ
共々に凱歌の歴史を!

新池御書 P1443
『相構へていかにしても此の度此の経を能く信じて命終の時千仏の迎いに預り霊山浄土に走りまいり自受法楽すべし、信心弱くして成仏ののびん時某をうらみさせ給ふな』

☆女性に贈ることば 十月二十二日
すべての努力は、人生の宝です。勝利の宝であり、幸福の宝です。

☆今日のことば365 十月二十二日
岩に、さえぎられた苗木は、まっすぐに伸びることはできない。かといって、温室で育てられたものは、はやく生長するが、風雪に対する抵抗力が弱いものである。伸び伸びと、自由な空気のなかで、しかも、自然な試練のなかに、きたえられていくことが、本人にとって、最も幸せな道ではないだろうか。

☆ワールドリポート 微笑みの国タイ バーンサパーン本部バーングルード地区 2017年10月13日
◇さあ今日も友のもとへ!
◇広布の一粒種誕生から14年 咲き輝く2000人の笑顔
本年、地涌の陣列が16万人を超え、勢いよく発展を遂げるタイ創価学会。首都バンコクをはじめ、プーケットやサムイ島などタイ南部でも、拡大の機運が高まっている。バンコクから車で南へ4時間。プラチュワプキーリーカンの友を訪ねた。(記事=小野顕一、写真=伊野光)

車で南下するにつれ、日差しがジリジリと強まる。
車中、バンコクからタイ南部に通うリーダーが教えてくれた。「これから向かうバーンサパーン本部は、十数年前までメンバーがいませんでした。今では800世帯、2000人が活動しています」「次々に新しい地区や支部が誕生して、名称を覚えるのが一苦労です」と、にこやかに笑う。
海岸沿いの家で、同本部・バーングルード地区の座談会が行われていた(先月19日)。会場に入ると、照りつける太陽から一転、暗い室内に目がくらむ。平日の昼、午後1時から始まった座談会だが、会場は多くの人でにぎわっていた。
「活動に励む中で、時間を自在に活用できる境涯になっていけるんです」と、漁師のチャイナロン・ノーイポンさん(副支部長)。この会場の提供者だ。
入会は6年前。がんに苦しむめいが、信心で病を克服したことに驚いた。「何かあったら祈って」の一言が胸に残った。
ある朝の漁。魚に引っ張られて、釣り竿が海中に沈んでしまった。無我夢中で題目を唱え、海面から水中を探る。すると信じられないことに、釣り竿が浮かび上がってきた。おまけに、針には巨大な魚が。
この日をきっかけに、チャイナロンさんは活動に参加。幸・不幸を決めるのは自身の一念であると学び、信仰の喜びを語り歩いた。
2011年8月、折伏した友人3人と共に御本尊を受持。友人が、またその友人に弘教を実らせ、歓喜の輪は70人に広がっている。

この地で最初に信心を始めたのは、パイブーン・タンマウィスットさん(本部長)とプラパーポーン・タユウさん(婦人部本部長)夫妻。2003年9月、母の勧めで入会した。
ぜんそくやリウマチに悩んでいた夫妻だが、「唱題すると、健康を取り戻し、元気に活躍する未来の姿が浮かびました」。病気を治し、信心の確信を得る。翌年には折伏も実りだした。
収穫に波があったゴムの栽培も安定。弘教に歩いた分、ゴムの木も大きく成長するように思えた。品質の良さが口コミで広がり、大口の顧客にも恵まれた。
「友人に語れる体験が増えた。それが一番の喜びです」と夫妻は言う。「会う人全てに、仏法の偉大さを伝えています。悩みのない人はいませんから」
タイは国民の大半が仏教徒。仏法用語への理解もある。「でも学会で折伏を実践するまでは、どこか遠い教えのように感じていました」と地区の友は言う。
「宿命」という言葉も、宿命転換の法理を知らなければ、「宿命だから……」と諦めを促すものとなる。
宿命転換の仏法を知った喜び、そして活動から得る生命の充実が、どの友の表情にもあふれていた。
魚屋を営むソムチャーイ・ノーイポンさん(副支部長)は、「信心をする前、家族の中で、私は犬より人気がなかった」と笑う。
家庭不和に貧乏、さらに病に苦しむ姿を見かねた妹から仏法の話を聞き、6年前に入会。健康を回復し、家を好条件で購入することができた。あれほど悩んだ家庭内の口論もなくなり、両親と7人のきょうだい、そして2人の子と共に、一家和楽の信心に励む。
「願いがかなうこともそうですが、それ以上に"なぜその問題で悩む必要があったのか"、納得できる答えが得られることに感謝です」とソムチャーイさん。仕事後、皆で唱題するのが何よりの楽しみと話す。
唐辛子とキュウリ栽培を手掛けるモンティカー・カンナークさん(婦人部員)は、先に入会した両親から唱題を勧められていた。
だが4年前の5月、父が事故で急死。打ちひしがれる母に、同志がつきっきりで激励を重ねてくれた。
その励ましの心に接し、モンティカーさんは、仏法に縁した父が、宿命を転換して次の生に旅立ったことを確信する。一昨年5月、御本尊を受持した。
「信心の偉大さを示し語れるように」と祈ると、収穫量が日ごとに増え、作物が考えられないほどの高値で売れた。そうした彼女の変化を間近で見ていた友人も、御本尊を頂いている。
家具職人のコーソン・トーンテーさん(副支部長、2011年入会)は同志の振る舞いに胸を打たれた。
タイでは、あいさつの際に手を合わせるが、学会員がまるで仏を敬うように手を合わせる姿に、この上ない誠実さを感じたという。「正しい道を教えている」と直感し、それから学会の会合に参加するように。
相手に寄り添う家具作りができ、それが好調な売り上げにも直結。「池田先生に感謝をお伝えしたい。私たちが日蓮大聖人の仏法を信じられるのは、先生のおかげですから」と語る。
同本部では12月に御本尊授与式が行われる。30人の会友が、教学を深めつつ、御本尊を自宅に迎える日を心待ちにしている。
取材中、ふと気が付いた。
タイの同志が必ず、「信心を教えてくれた池田先生に恩返しがしたい。だから広宣流布がしたい」と、異口同音に言うことに——。
感謝と報恩の行動ある限り、人生はどこまでも勝ち開ける。友の太陽のような微笑みが、そのことを雄弁に物語っていた。

2017年10月21日土曜日

2017.10.21 わが友に贈る

「其の国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」
執念の祈りと挑戦で
わが使命の天地に
広布の大金字塔を!

千日尼御前御返事 P1316
『法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄餓鬼畜生等の百獣に恐るる事なし』

☆女性に贈ることば 十月二十一日
背伸びをすることなく、つくろうことなく、しかし決して怯むことなく、その場その場で自分のもてる力を、誠実に真剣に出しきっていく。その人こそ、平凡に見えて、豊かな知恵の人であろう。

☆今日のことば365 十月二十一日
若いのだ 進もう
 一直線に 吾が道を
若いのだ 働こう
 天より与えられし ものを作る思いで
若いのだ 勇気を出せ
 師の下に戦うは 総てが 善に通ずるを確信して
若いのだ 快活であれ
 負けても 勝っても 苦しくとも 淋しくとも

☆金秋のモスクワ 初訪露43年 池田先生の足跡をたどって(上) 2017年10月12日
◇「使命感」が人間を偉大にする
その場所を訪ねたのは、9月23日土曜日、快晴の朝だった。モスクワのひんやりとした空気は、はや晩秋を思わせる。
ロシアのノーベル文学賞作家ミハイル・ショーロホフ氏の部屋があったアパートは、クレムリンの西、シプチェフ・ブラジェク通りの33番に、質素なたたずまいで、今も健在だった。
43年前、池田先生との会談が行われた、まさにその場所である。
建物の壁には、ここにかつて住んだ著名人のレリーフが並ぶ。ソ連時代の軍人たちに交じってショーロホフ氏のレリーフがあった。
建物の入り口はテープで遮られ、どうやら改装中らしい。インターホンを押し、遠く日本から訪ねた「理由」を伝えてみた。
"ロシアのお母さん"といった風情の、気のいいご婦人が工事の立会人で、快く中に通してくれた。ショーロホフ氏の部屋は、4階の9号室だったという。
婦人はエカテリーナ・ミレンチェワ・ファジーエワさん。驚いたことに、父親がショーロホフ氏と友人だったと話す。ソ連時代、ロシア共和国の文化省で要職にあったそうで、「ノーベル文学賞の授賞式にも、父はショーロホフと共に行きました」と教えてくれた。
「歴史を残すのは大事なことです」。笑顔で語るエカテリーナさんと別れ、再び通りから9号室を見上げてみる。ここで43年前、ロシアきっての文豪と、東洋の仏教指導者である先生が出会ったのだと思うと、深い感慨が込み上げてきた。
——1974年9月16日午後、語らいは実現した。
初訪露の過密な行程の中で、この会談だけは、池田先生のほうから強く希望したものだった。『静かなドン』『人間の運命』をはじめ、ロシアの大地と民衆に根差して歴史を捉えた、骨太のショーロホフ文学に魅了されてきたからだ。
しかし、会談が実現するかどうかは、直前まで分からなかった。
ショーロホフ氏は当時69歳。健康状態は思わしくなく、しかも普段は、モスクワから離れた、ドン川のほとりにあるヴョーシェンスカヤ村で暮らしていた。
だが、関係者の心配は杞憂に終わる。池田先生という人物に氏は大いに関心を抱き、医師の制止を押し切って、このモスクワのアパートに出向いたのである。
氏はわざわざスーツに着替え、先生を迎えた。
「ロストフには行きましたか」と、氏は尋ねた。ロストフ州は氏の故郷であり、『静かなドン』の舞台でもある。
先生は答えた。
「いいえ、今回は、訪問することはできませんでした。いつか、ぜひ、ご一緒に訪問させていただきたい」「そのためにもショーロホフ先生には、いつまでも、お元気でいていただかなくてはなりません。東洋には、深い使命に生きる人は、健康になるという考えがあります。一番、大切なのは、使命感です」
氏が返した。「私も、それを信じます。何回も入院したが、病気を克服して出てきました。私は使命感を忘れたことはありません」
池田先生に期待通りの"人物"を見たからだろう。氏は終始、上機嫌で、コニャックを持ち出し、酒を飲まない先生に勧め、困らせる場面もあった。
「私は飲めませんが、私の師匠の前会長は、よく飲みました。その前の会長は飲みません。"飲む・飲まない"が交互になっているんです」
そんな先生の当意即妙の答えから、話題は自然に、創価学会の師弟、軍部政府の弾圧と戦った歴史に及んでいった。
ショーロホフ氏もまた、ロシア革命後の内戦の中で青春を送り、第2次世界大戦では、ドイツ軍の爆撃で母を亡くした。遠くの中学に入った一人息子と文通したい一心で文字を覚えたという、けなげで、いとしい大切な母を——。
あまつさえ、会談当時、文豪は"『静かなドン』は盗作"とする、いわれなき中傷とも戦っていた。
人間は、歴史という大河の流れに任せて、波間を漂う木の葉のような存在にすぎないのか。それとも、逆巻く運命の波に抗い、自らの人生を切り開こうとする戦いに価値があるのか。
それはショーロホフ文学、いなショーロホフという人間そのものの真髄に迫る問いであり、だからこそ先生が、ぜひとも聞いてみたいテーマであった。
「運命の変革を突き詰めて考えていくならば、どうしても自己自身の変革の問題と関連してくると思います。この点はどのようにお考えでしょうか」
それに対する氏の見解こそは、語らいの核心を成すものだった。
「運命に負けないかどうかは、その人の信念の問題であると思います。一定の目的に向かう信念のない人は何もできません。
われわれは、皆が"幸福の鍛冶屋"です。幸福になるために、精神をどれだけ鍛え抜いていくかです。精神的に強い人は、たとえ運命の曲がり角にあっても、自分の生き方に一定の影響を与えうるものです」
池田先生はうなずいた。
「まったく同感です。たとえ、どんなに過酷な運命であっても、それに負けない最高の自己をつくる道を教えているのが仏法なんです。その最高の自己を『仏』と言います。
また、そう自分を変革することを、私たちは『人間革命』と呼んでいます」
——語らいから43年。モスクワで、うれしい出会いがあった。
池田先生に対し、モスクワ大学でロシア「国際グローバル研究アカデミー」正会員証が授与された翌日(9月26日)、氏の令孫であるアレクサンドル・ショーロホフ下院(国家院)議員(ロシア国際博物館評議会会長)と、池田博正SGI副会長をはじめ代表団の懇談が持たれたのである。
祖父のアパートにあるレリーフのことが話題に上ると、議員は「"偉大なる池田先生とショーロホフがここで会見した"と、そこに刻まれるべきですね」と笑顔で応じた。
さらに議員は、『静かなドン』が近年、テレビドラマになった話題を紹介。「古典や名著は、どんなに時代が変わり光の当てられ方が変わっても、人々に訴え掛ける力を持っているものです」と語るのだった。
そして、一冊の書籍を手渡した。
『わが父について』。議員の父君が、その父親である文豪ショーロホフとの思い出をつづった本である。「池田会長。心からの敬意を込めて。貴殿がかつて始めた対話を続けるために」と献辞が添えられていた。
父から子、子から孫へ、ショーロホフ家の魂が受け継がれているように、祖父ショーロホフと池田先生が始めた対話もまた、世代を超えて続いている証しとして、贈られたのである。
モスクワの秋は短い。10月にはもう雪が舞い、長い冬がやってくる。だからこそ、命を燃やして輝く黄葉がいとおしい。
ロシアの人々は、この短く美しい季節を「黄金の秋」と呼ぶ。
通りの街路樹の葉は淡く色づき、まさに、金秋の季節が始まろうとしていた。
市街を蛇行して流れるモスクワ川は、ゆるやかに、しかし確かに、水を運んでいた。その流れはオカ川へと注ぎ、オカ川はやがてヴォルガ川と合流して、はるかカスピ海にたどり着く。
川の水は、一時として同じ場所にとどまらない。同じように、現在は瞬く間に過去へと流れ去り、人間を待ってはくれない。
しかし、だからこそ、諦めるのでもなく、時流に右往左往するのでもなく、この世に生を受けた根源の使命を深く見つめて、「今」という瞬間瞬間を、真剣に戦い抜く人でありたい。
その努力の中でのみ、時空の壁を乗り越える偉大なる精神の力を、人は、得ることができるのだろう。

2017年10月20日金曜日

2017.10.20 わが友に贈る

御聖訓「ちかいし願
やぶるべからず」
誓願は果たしてこそ!
決定した祈りと行動で
断じて栄光をつかもう!

開目抄下 P236
『設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁へずばいかでか生死を離るべき』

☆女性に贈ることば 十月二十日
人ではない。自分である。自分が成長すれば周囲も変わる。
自分を見つめず、何を論じ何を行っても、無責任であるし、大きな価値は生めないであろう。

☆今日のことば365 十月二十日
スポーツには、ルールがきちんと定められており、そのルールにのっとって、フェア・プレーすることが要求されます。ルールを守ること、卑怯な行動をとらないこと、チームのなかで自分の役目を果たすこと、互いの弱点をカバーし合い、助け合っていくこと、これらは、あらゆる社会生活に共通する重要な精神だと思います。

☆新時代を進む 第19回 正義の走者は"澎湃"と!
我ら創価家族には、偉大な正義の源流がある。
戦時中、軍部政府の弾圧にも断じて屈しなかった殉教の師父・牧口先生が、獄中で最後の葉書を綴られたのは、昭和19年(1944年)の10月13日であった。
御本仏御入滅のこの日、先生は「三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」と大確信を記された。
先師の死身弘法を偲び、「立正安国」の魂を胸に奮闘する全同志に届けと、八王子の東京牧口記念会館で勤行・唱題した(10日)。
会館には、随所に線が引かれた、牧口先生の座右の御書が保管されている。
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」
「いまだこりず候」
「悪は多けれども一善にかつ事なし」
広布の大闘争の中でこそ、境涯革命ができ、無量の大福運を積める。ゆえに、大聖人直結の「勇気」と「執念」と「団結」で恐れなく戦い進め、との先師の師子吼が生命に響いてくる。
— ◇ —
東京富士美術館の「遥かなるルネサンス」展にも立ち寄り、イタリアが誇る美の至宝を鑑賞した。
その一つに、ルネサンス期の美術工芸の名品「市民を救うカエサルが描かれた大皿」が展示されている。
厳しい戦いに臨んだ古代ローマの英雄カエサルは、「この困難は、ただ機敏な行動によってのみ克服される」と叫んだ。
学会の強さはスピードである。どんな困難にも、創価の英雄は迅速果敢な行動で栄光の逆転劇を生むのだ。
— ◇ —
牧口先生の夢を実現した創価大学・創価女子短期大学のキャンパスも回った。
創大祭・白鳥祭を大成功で終え、愛する創大生・短大生が躍動していた。英知の世界市民たる留学生の友情も、尊く輝き光っている。
牧口先生が若き日、用いられた筆名は「澎湃」である。水が漲るように勢いを増す生命力で「従藍而青」の人材群を育成されたのだ。
先生が展望した、民衆の幸福と平和を開く「人道的競争」の時代が始まった。その先頭に正義の走者たる創価のメロスたちが、いよいよ"澎湃"と躍り出ている。
— ◇ —
寒さが本格化してきた。北海道や東北はじめ全宝友の健康と無事安穏を祈る。無冠の友も、お元気で! 皆で悔いなく走り切って、立正安国の勝利を飾ろう!

2017年10月19日木曜日

2017.10.19 わが友に贈る

「強敵を伏して
始て力士をしる」御聖訓。
困難に挑み抜いてこそ
本当の力が発揮される。
破竹の勢いで進もう!

日女御前御返事 P1243
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉る』

☆女性に贈ることば 十月十九日
声は鏡であり、その人の境涯が、くつきりと映し出される。
声ひとつで、人びとに希望を与え、納得と安心を広げ、正義を奮い起こしていくことができる。

☆今日のことば365 十月十九日
人間誰しも
 悩みは一生にわたってあるものだ
ただ その悩みをいかに転換させ
 人生をして向上にむかわしめてゆくかが
  大事な起点であるといっていい

☆御書と歩む 第87回 題目には無量無辺の功徳力
『今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて十方世界の三身円満の諸仏をあつめて釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に一仏・一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり、故に妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり』(唱法華題目抄、13ページ)

◇通解
今、法華経は、四十余年の諸経を一経に収め、十方世界の(法・報・応の)三身円満の諸仏を釈迦一仏の分身の諸仏であると説くゆえに、一仏は一切仏であり、妙法の二字に諸仏は皆、収まるのである。ゆえに妙法蓮華経の五字を唱える功徳は莫大である。

◇同志への指針
妙法は一切を動かす大宇宙の根源の力である。ゆえに、我らの唱題の音声は、十方世界に轟きわたる。届かないところなどない。
自行化他の題目に、諸天は舞い、十方の諸仏は歓喜する。万人の仏性を呼び覚ます、無量無辺の功徳力がある。
宿命転換も唱題だ。人間革命も唱題だ。広宣流布も唱題だ。地涌の題目の底力を、今こそ発揮しようではないか!

☆10月度座談会拝読御書 阿仏房尼御前御返事
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が身延の地から、佐渡の門下である阿仏房の妻・千日尼に送られた御消息です。建治元年(1275年)の御述作とされてきましたが、現在は建治2年(1276年)と考えられています。
千日尼は、大聖人の佐渡流罪中に、夫の阿仏房と一緒に大聖人に帰依し、苦境にあられた大聖人のもとに夫と共に通って種々の品を御供養するなど、強盛な信心を貫きました。
大聖人が佐渡流罪を赦免になり、身延に入山されてからも、千日尼は阿仏房を度々、大聖人のもとへ送り出しています。
本抄は、千日尼が謗法の罪の軽重の問題について質問したことに対し認められた御返事です。
大聖人は、法華経は一切衆生を仏にする教えであり、法華経への信心があれば、必ず成仏できることを教えられています。拝読御文では、いよいよ強盛な信心に励んでいくよう激励され、仏法を語って人々から憎まれたとしても信心を貫いていくよう励まされています。

◇拝読御文
『弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり』

◇仏縁の拡大
仏法では衆生の成仏への過程について、種熟脱の三義を説いています。これは植物が、初めは種から発芽し、成長し、実を結ぶ過程に譬えて、衆生の成仏への過程を示したものです。
このなかで一切の出発点となるのが、衆生の心田に成仏への種を下ろす「下種」という働き掛けです。
法華経では、一切衆生の生命に、もともと仏性という成仏への因が具わっていると説きます。具体的にその仏性を発動させていく働き掛けが、妙法を説いて衆生の生命に成仏の種子を下ろす「下種」という行為なのです。
日蓮大聖人は「仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説くなるべし」(御書1467ページ)と仰せです。
すなわち一乗(妙法)を聞いたという縁に触発されて初めて、人々の胸中に「仏種」が形成され、芽生えていくのです。
ここでいう「仏種」とは、衆生の生命にもともと具わる仏性のことです。成仏の根本因を植物の種に譬えて仏種と呼んでいます。
人々に大聖人の仏法を語っていく行為は、相手の成仏への機縁となる尊い行為であり、その功徳は計り知れません。
妙法を根本に誠実な対話によって仏縁を広げることで、自他共の幸福の連帯が広がっていくのです。

◇「如説修行」
日蓮大聖人は拝読御文で法華経や釈尊の教え、さらに天台、妙楽、伝教、章安という仏法の正師の教え通りに実践する人が「如説修行の人」であると教えられています。
「如説修行」は法華経の文であり、「説の如く修行す」と読み下します。
大聖人は「如説修行抄」で、「此等のをきての明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり」(御書503ページ)と仰せです。
「此等のをきて」とは、法華経以外の爾前権教は全て無得道であるから捨てるべきであるとの仏説を指しています。法華経のみが成仏の法であると信じて実践する人こそ、如説修行の人です。
大聖人は、仏の教えのままに、大難を乗り越えながら法華経の肝要である南無妙法蓮華経を弘め抜かれました。
さらに大聖人は同抄で、「釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊・天台・伝教の三人は・さてをき候ぬ、末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり」(同504ページ)と、折伏行を実践している大聖人とその門下こそが末法における「如説修行の行者」であると断言されています。
現代において、大聖人の仰せのままに妙法を弘通している団体は、創価学会以外にありません。
大聖人は「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し」(同416ページ)と仰せです。創価学会員として御書に仰せの通りに仏法を実践することが、成仏への直道となるのです。

◇順縁・逆縁
友人が仏法の教えを聞いて、素直に信じ仏道に入ることを「順縁」といいます。
逆に、友人が反発する場合もあります。しかし、その場合も、仏法の教えを聞いたということは、仏法に縁したことにほかなりません。仏法に対し悪い行いをしても、それがかえって仏道に入るきっかけとなることを「逆縁」といいます。
日蓮大聖人は、次のように仰せです。
「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(御書552ページ)
「毒鼓」とは、毒薬が塗られた太鼓のことで、涅槃経には、その音を耳にした人は、たとえ聞くつもりがなくても、皆、死んでしまうと説かれています。
ここで"死ぬ"とは、「煩悩が死ぬ」ことを意味し、妙法に縁すれば、たとえ反発した人であっても、煩悩を滅して成仏に至ることを譬えています。
相手が正法を耳にすればいつかは必ず信心に目覚め、成仏することができます。ゆえに、大聖人は「強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり」(同ページ)と、妙法蓮華経の五字を説き聞かせる以外に「仏になる道」はないと断言されているのです。
順縁・逆縁、いずれの衆生も救うのが、南無妙法蓮華経の仏法です。大聖人の仏法は、まさに末法において万人の救済を可能とする教えなのです。

◇池田先生の指針から 難が競うのは正法である証し
仏法を語れば必ず難にあう。悪世の中で、真実を語り抜くほどの難事はありません。大聖人は、千日尼を励まされました。
「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ」(御書1308ページ)
正法を語って悪口罵詈されることは、最高の名誉である。
仏法のために、嫌な思いをした分だけ、すべて功徳に変わる。勇気をもって正義を語り抜くことこそ、「如説修行」の実践であると示されているのです。
生命は永遠であり、妙法の力用は宇宙大です。
この世の非難中傷など、あまりにも小さな波にすぎない。そう心に決めた大勇の信心が、無量無辺の大福運となって、わが生命を、一家眷属を、三世永遠の幸福と栄光で包んでいく。
これが仏法の因果の理法であります。
戸田先生も、「何があろうと、広宣流布のためには、びくともしない人間となれ!」と教えられました。(『御書と師弟』第3巻)
◇ ◆ ◇
当時、皆で学んだ「阿仏房尼御前御返事」には、次のような一節があった。
「弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり」(同ページ)
私は訴えていった。
経文に照らし、御書に照らし、正法正義を叫べば、必ず迫害がある。非難、中傷のつぶてを浴びる。
それは、正義の証明なのである。ゆえに絶対に臆してはならない。
「憎むなら憎むがいい! 自分は何も恐れないぞ」と、いよいよ信心の炎を燃やすことだ! いよいよ正義を叫ぶことだ!
その人が「如説修行の人」なのである。
御本仏・蓮祖の御指南に一分の誤りもないのだ。(『池田大作全集』第132巻)

参考文献
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第14巻(聖教新聞社)

2017年10月18日水曜日

2017.10.18 わが友に贈る

信心とは行動の異名だ。
広布に動けば動くほど
友情と境涯は広がる。
さあ今日もはつらつと
足取り軽く友のもとへ!

四条金吾殿御返事 P1180
『此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』

☆女性に贈ることば 十月十八日
誰が見ていようと、見ていまいと、つねに人間として正しい行動を貫いている。いっさい恥じるところがない。ゆえに心は青空の如く晴れ晴れとし、悠々としていられる。
これこそ、優れた人物に共通する楽しみであり、また誇りである。

☆今日のことば365 十月十八日
あまり若い時にあさましい恋愛をするのは私には賛成できません。恋は一生に一度、命がけですればよいのだ。情熱は、牛のよだれのようにだらだらと流すものではありません。

☆新時代を進む 第18回 心を結べ!仏縁を幾重にも
わが師の笑顔が浮かぶ。戸田先生が放たれた「原水爆禁止宣言」より60年——。
歴史を画する「核兵器禁止条約」が国連で採択され、その発効へ力強く尽力されるICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)に、今年のノーベル平和賞の授賞が決定した。
広島・長崎の被爆者の熱願を世界へ伝え、核兵器の非人道性を訴え続けてこられた尊き奮闘に敬意を表し、心から祝福申し上げたい。
ICANの方々と手を携え、世界中で核兵器廃絶を訴える展示の開催など民衆行動を進めてきた創価の青年を、恩師も労い、讃えてくださっているに違いない。
「核兵器なき世界」への大いなる一歩前進である。「無理だ」「不可能だ」と絶望するような局面でも、絶対に諦めない。皆が心を合わせ、連帯を広げ、新しい力を糾合すれば、世界の未来は必ず開いていけるのだ。
— ◇ —
日蓮大聖人は仰せである。「御勘気を二度まで・かほり・すでに頸となりしかども・ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん」(御書1138ページ)
いかなる試練があろうと、恐れなく正義を掲げ、叫び切る。その一貫した信念の行動が、人々の心を変える。
大聖人の「立正安国」の御精神と、恩師の遺訓を原点として、我らは、どんな困難にも一歩も退かず、大誠実の対話を貫き通している。だからこそ、今や世界の良識が絶大なる信頼を寄せ、創価の前進勝利を熱く見つめているのだ。
「地球民族の平和の柱」「生命尊厳の哲理の眼目」「人道勝利の栄光の大船」として、遠大な未来を展望しつつ、今日も一人一人と心を結び、仏縁を幾重にも広げていこうではないか!
— ◇ —
「原水爆禁止宣言」の前年(1956年)、恩師の心を体し、私は不二の関西の宝友たちと、揺るぎない民衆の正義と平和の連帯を築き上げた。
さらに、その年の10月、全国から勇み集った同志と山口開拓闘争を開始した。まず10日間の短期決戦を一日一日、誇りも高く——「必ず勝つと決めて祈る」「心を一つに励まし合う」「勇気と確信で語り切る」と、皆で勝利へ走り抜いた。
病気と闘う友とは、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(同1124ページ)の御聖訓を一緒に拝した。
広布の大使命に挑む学会員の色心は、かけがえのない「宝器」である。師子王の頑健なる大生命力が漲らないわけがない。
わが全同志の健康を妻と強く祈念する日々である。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 女子部教学室 法華証明抄 2017年10月14日
◇師弟を根本に勝利の人生を
今月は「法華証明抄」を学びます。
池田先生は、つづっています。
「弟子が師と不二の道を貫けば、打ち破れない魔性などありません。師弟が一体であれば、変毒為薬できない病気などありません。健康・長寿の要諦を示す『師弟勝利の一書』。これが『法華証明抄』です」
病と闘う愛弟子に本抄で渾身の大激励をされた日蓮大聖人。その法華経の行者としての烈々たる師子吼を心に刻みましょう。(拝読範囲は本抄全編です)

◇本抄について
本抄は、弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人が身延で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下である南条時光に送られたお手紙です。
熱原の法難を、強盛な信心で勇敢に乗り越えた時光は、この時、24歳の青年でした。その時光が重病であるとの報告が大聖人のもとに入ります。
実は、大聖人御自身も、この前年から病と闘われていました。本抄を送られる3日前には、時光へのお見舞いの書状を弟子に代筆させて送られています。そして今度は自らが病を押して筆を執られ、時光に宛てて再び送られたのが本抄です。
本抄には、「法華経の行者 日蓮(花押)」と認められています。そのように記された御書は、本抄のみです。
法華経の行者としての立場から、広布後継の弟子の勝利のために厳愛の御指導をされているのが本抄なのです。

◇御文
『すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまいを忽になをして・かへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか、其の義なくして現在には頭破七分の科に行われ・後生には大無間地獄に堕つべきか』(御書1587ページ4行目〜7行目)

◇通解
(南条時光が)もはや仏に成ることは間違いないと見えたからこそ、天魔や外道が病にさせて脅そうとこころみているのでしょう。人の命には限りがあります。ですから少しも驚いてはいけません。
また、鬼神どもよ。この人(時光)を悩ますとは、剣を逆さまにのむのか。自ら、大火を抱くのか。三世十方の仏の大怨敵となるのか。まことに恐れるべきである。
この人の病をすぐに治して、反対に、この人の守りとなって餓鬼道の大苦から免れるべきではないか。そうでなければ、現世には「頭が七つに破れる」との罪を受け、後生には大無間地獄に堕ちるであろう。

◇解説 鬼神を呵責する御本仏の大確信
"後継のわが弟子よ、断じて生き抜け!"
本抄には、病と闘われながら、弟子のために命を削る思いで筆を執られた日蓮大聖人の深き慈愛が込められています。
本抄を頂いた南条時光は、熱原の法難の際、矢面に立って同志を守り抜くなど、強盛な信心を貫いてきた門下です。
その時光の信心の姿勢をたたえて、大聖人は掲げた御文で、時光が仏になることは間違いないと述べられています。
そして、時光が今、直面している病は、天魔や外道が信心を試そうとして起こっていると仰せです。天魔・外道とは、ここでは仏道修行を妨げ、災厄をもたらす働きのことを指します。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書1087ページ)とあるように、信心の実践が深まっているからこそ障魔が競い起こります。
大事なことは、障魔が競い起こった時に、ひるむことなく戦い抜く勇気です。そして、必ず変毒為薬してみせると腹を決め、広布のためにできる行動を起こすことです。
続いて大聖人は、時光の命を奪おうとする鬼神に対し、"時光を苦しめるとは、自ら身を滅ぼし、あらゆる仏の敵となるつもりか"と烈々たる気迫で叱り飛ばしておられます。
ここでの鬼神とは、人の生命をむしばみ、奪う働きをするものを指します。
もともと鬼神は、餓鬼道の苦しみを受けている衆生です。鬼神は、法華経を持つ人を守護すること等で、この苦悩の境涯を脱することができるのです。
ゆえに大聖人は鬼神に向かって、妙法を持つ時光の病を治し、さらに時光を守護して、餓鬼道の苦しみから免れるよう教えられているのです。
この鬼神への呵責を通して大聖人は、何ものも恐れぬ法華経の行者としての確信を時光に示されていると拝されます。
この師の厳愛の指導に、時光は奮い立ったことでしょう。時光は大病を克服して、50年も寿命を延ばし、師匠への報恩の人生を貫いたのです。
「師匠にお応えしたい」と立ち上がれば、無限の勇気と力が湧き上がり、苦難を乗り越え、変毒為薬することができるのです。
栄光の11・18「創価学会創立記念日」へ、強盛な祈りを根本に、正義の対話を広げ、"師弟勝利の門"を開いていきましょう!

◇池田先生の講義から
私たちも、いよいよ、「法華経の行者の祈り」を強盛にして、病魔に対しては「鬼神めらめ」と叱責しながら、一切の悪鬼をも、わが使命の人生の味方に変えていく決心で前進していきたい。
ゆえに、師子吼の如き題目が大切です。(中略)いかなる病魔に対しても、わが生命の奥底から「師子王の心」を取りいだして、敢然と立ち向かっていく——この「勇気ある信心」が根幹となるのです。
◇ ◆ ◇
真の健康とは何か。それは、病気がない状態を言うのではありません。信心根本に生き生きと価値創造の営みを続けられるかどうかです。病気の宿業を使命に変え、常に自身の生命を革新している人は、病魔に勝利している人です。戦う中に、真の色心の健康がある。それを教えているのが日蓮仏法です。(中略)何があっても絶対に負けない。あきらめない。屈しない。この人こそ、生命の勝利者です。真の健康・長寿の勇者なのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)

研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻、「法華証明抄」(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第3巻、「生老病死」��(同)

2017年10月17日火曜日

2017.10.17 わが友に贈る

大変な時こそ
朗らかに! 大胆に!
強気で祈り進めば
逆風すら追い風になる。
挑戦と感激のドラマを!

曾谷殿御返事 P1065
『白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天帝釈日月四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし』

☆女性に贈ることば 十月十七日
どんなに絶体絶命の危機にあっても、最後の最後まで「希望はある」と信ずることだ。胸中にある希望は無限だからである。

☆今日のことば365 十月十七日
宇宙自然の運行は、複雑微妙である。しかし、ごまかしのない確たるものであることも事実である。その本質をどれだけ的確に洞察し、人間生活をより実り多きものにするか。そして、人間の歴史が営々として築きあげてきた知識の遺産のいずれが正しく、いずれが間違っているか−−その判別の作業は、困難だが重要なことではないだろうか。

☆新時代を進む 第17回 「師子王の心」で勇敢に!!
御本仏・日蓮大聖人が、「立正安国論」を認められ、民衆の安穏と世界の平和への道を示されたのは、文応元年(1260年)である。
それから満700年、第3代会長に就任した私は、直ちに関西を訪れ、そして北海道・東北・関東から九州・沖縄まで日本全国を駆け巡った。愛する同志と「立正安国」の対話の大波を起こしていったのである。
さらに10月の2日に、世界広布への一歩を踏み出した。上着の内ポケットに恩師の写真を抱いて。
3週間ほどの短期日に、3カ国9都市を回った。
一日一日が、まさに真剣勝負である。一人一人と誠心誠意、語り、励まし、仏縁を結んで、幸と平和の種を蒔いていった。
「悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る」(御書31ページ)
我らはいよいよ勇気凜々と確信の声を響かせて、人間性薫る「蘭室の交わり」を広げていくのだ。
— ◇ —
「立正安国」のためには、正しき哲学に生き抜く賢人を忍耐強く育て、たゆまず社会に送り出し続けていかねばならない。
御聖訓には、「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり」「此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり」(同1151ページ)と明快に示されている。
毀誉褒貶の八風など、物ともしない信念の賢人は、民衆の大地にこそ立つ。
「民衆と共に」「民衆の中へ」「民衆のために」——徹して、この一点を貫き通すゆえに、我ら創価の師弟は、梵天・帝釈を揺り動かしながら、全てを勝ち越えていけるのだ。
— ◇ —
きょう(2日)、北海道・厚田の戸田記念墓地公園は開園40周年を迎える。恩師の故郷を生死不二の永遠の都にと献身くださっている方々に、感謝は尽きない。「心の財」は無量である。
開園のあいさつで私は、先生と学んだ小説『永遠の都』の一節を引いた。
「常に断崖の淵を歩いてきた人間にとって、最大の緊急事態も、いわば日常茶飯の出来事にすぎません」(ホール・ケイン著、新庄哲夫訳、潮出版社)
仏法の眼から見れば、障魔が競い起こるのは、必ず勝てるという瑞相である。
さあ、広布の長途の旅を、どんな時も朗らかに悠然と、共に励まし、共々に征こうではないか!
「師子王の心」で、勝利の決勝点へ!

☆10月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 上野殿後家尼御返事
◇必ず勝つと決めて前進! わが地域を幸福の楽土へ
10月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)」を研さん。日蓮大聖人の励ましの心と、「一念」を定めることの大切さを学ぶ。

◇御文
『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ』(御書1504ページ)

◇通解
浄土といっても、地獄といっても、自分の外にあるのではない。ただ、私たちの胸の中にある。これを悟るのを仏といい、これに迷うのを凡夫という。これを悟るのが法華経である。もし、そうであるなら、法華経を受持している人は、「地獄即寂光」と悟ることができるのである。

◇背景と大意
本抄は、日蓮大聖人へ御供養の品を送った上野尼御前に宛てられたお手紙である。尼御前は駿河国(現在の静岡県中央部)の門下で、南条時光の母親に当たる。
尼御前の夫・南条兵衛七郎は文永2年(1265年)3月、重い病のため、他界。本抄は文永11年(1274年)の御執筆ともいわれてきたが、内容等から、兵衛七郎が逝去したすぐ後、文永2年7月の御述作とされている。
兵衛七郎が亡くなった時、後に家督を継ぐ次男の時光は7歳。末子の五郎は、まだ尼御前の胎内にいた。
本抄で大聖人は、尼御前を温かく励まされ、法華経を受持する者は「地獄即寂光」と悟っているのであり、亡き夫は法華経の行者であり、日蓮の弟子であるのだから、地獄の苦しみを免れ、必ず成仏している、と教えられている。
尼御前は大聖人の激励を胸に、その後も、五郎の早世など度重なる苦難を、信心根本に勝ち越えていった。

◇解説
法華経以前の仏教では、苦悩に満ちた娑婆世界とは別に、仏が住む清浄な国土である「浄土(寂光土)」があるとされていた。
事実、現実世界においては、家族との死別、病気の苦しみ、仕事の問題や人間関係——誰しも何らかの苦悩を抱えている。
眼前に立ちはだかる壁を前に、他人のせいにして愚痴や不満の心に覆われ、今の苦しみから逃れたい一心で現実逃避を選ぼうとする人もいる。
こうした浄土観を転換させたのが法華経である。法華経で「十界互具」が説かれることで、「浄土」と「地獄」は人間の外にある別々の世界であるとの認識を一変させる。いわば、人間の内面にある生命境涯として展開されるのである。
日蓮大聖人は本抄で、「浄土」と「地獄」が「私たち自身の胸中にある」ことを、悟るのが「仏」であり、迷うのが「凡夫」であると示された。
つまり、妙法を持つ私たちは、たとえ地獄のような苦悩の淵にいたとしても、自行化他の題目を唱えることで、わが胸中に仏界の生命を涌現させ、今いる場所を浄土(寂光土)へと転じていくことができると仰せだ。これを「地獄即寂光」といい、この法理を悟っているのが仏である。
別の御書に「餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る」(1050ページ)とある。同じガンジス川を見ても、十界の境涯によって見える"景色"は全く違うものとなる。
悩みが尽きない凡夫でも、仏の智慧を発揮すれば、苦しみの環境さえも一変させることができる。つまり、物事をどう感じるかを決定するのは、周りの状況ではなく、自身の境涯そのものなのだ。
いかなる苦難にあっても"これこそ信心を深めるチャンスである"と快活に決意を燃やし、真正面から立ち向かっていくのが、広宣の闘士たる男子部の気概だ。広布と人生の勝利を目指し、常に"今こそ戦うべき時!"と一念を定めていきたい。
池田先生は語っている。
「大事なことは、常に前進の方向へ一念を定めることです。壁を乗り越える挑戦自体が、自身の境涯を確実に広げていく因となることは間違いありません。戦えば必ず生命は変わります」と。
さあ、広布を永遠ならしめる基盤を築く時は今である。自他共の幸福を目指し、勇気と誠実と正義の対話を広げよう! 悩める友に励ましを送ろう! そして、今いる場所を希望あふれる楽土にしていこうではないか。

2017年10月16日月曜日

2017.10.16 わが友に贈る

◇今週のことば
法華経に勝る兵法なし。
「いよいよ・
はりあげてせむべし」
勇気凛々と語り切れ!
そこに栄光の暁鐘が。
2017年10月16日

妙法尼御前御返事 P1404
『日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし』

☆女性に贈ることば 十月十六日
すべてに喜びを見いだしていくことだ。自分が喜べば、周囲も、さわやかになる。笑顔が広がる。価値が生まれる。

☆今日のことば365 十月十六日
大事な時に、人々の善悪が、わかるものだ。大事な、事件の時に、立派な、態度でありたい。

☆世界写真紀行 第25回 スイス・チューリヒの街並み 2017年10月9日
◇信義と誠実を貫く人に
路面電車や車が行き交い、多くの人でにぎわう大通り。歴史を感じさせる建物と、洗練された原色のデザインが調和する。
スイス・チューリヒのバーンホーフ通り。
町の中心にある中央駅からチューリヒ湖へ延びる約1・3キロ。大手銀行や保険会社が集中する金融街でもある。
世界的な経済都市である一方、チューリヒには、大学をはじめ教育機関も多く、文教都市としての顔も持つ。
初代会長・牧口先生が"教師の理想"とたたえたペスタロッチも、この町で生まれた。彼はチューリヒ郊外に農場を開園。貧しい農民の子どもたちと共に、労働と教育とを一体とする学校を開き、子どもたちの幸福のために生涯をささげた。
1961年10月、池田先生がスイスを初訪問。ジュネーブを経て、16日にチューリヒに到着した。
市街を散策する先生の一行。チューリヒ湖から、バーンホーフ通りを歩いて、中央駅へ向かった。
しばらく行くと、通り沿いの公園に、子どもと男性のブロンズ像が見えた。教育者ペスタロッチである。一行は、そこで足を止めた。
ペスタロッチの生い立ちには、次のようなエピソードがある。
——彼の家には、お手伝いのバーバラ・シュミットという女性がいた。ペスタロッチが幼い頃、父親は亡くなるが、彼女は夫人を助け、子どもたちを育てていく。
バーバラは十分な教育を受けていなかったものの、いちずで誠実だった。決して約束は破らず、強い信仰心と忍耐力を持っていた。ペスタロッチは後年、「この一女性の追憶はわたしにとって永久に忘れることができないだろう」(佐藤正夫訳)と記している——。
公園に立つ像を見つめつつ、語り合う様子が、小説『新・人間革命』第5巻「歓喜」の章につづられている。
山本伸一は、ペスタロッチの人格形成に大きな影響を与えたバーバラの存在を通し、次のように語った。
「人間の真価というのは、学歴や立場、肩書によって決まるのではない。信義を守るかどうか、誠実であるかどうかです。真剣であるかどうかです。そして、"信義の人""誠実の人""真剣の人"には、人間性の光彩がある。その人間性は、人の心を開き、必ず触発を与えていく。学会の世界を見ても、これまで、黙々と、陰で学会を支えてきたのは、そうした庶民ともいうべき、無名の人たちです」
無名の庶民が立ち上がり、師匠と共に築いてきた創価の大城。それは、民衆を大地とするゆえに、いかなる嵐にも微動だにしない。
友を信じ、対話を重ね、変わらぬ友情を結ぶ。どこまでも真剣に、どこまでも誠実に——。その人間としての誇り高い挑戦が、時代を根底から大きく動かしていく。

2017年10月15日日曜日

2017.10.15 わが友に贈る

「いまだこりず候」と
何度も立ち上がる中に
自身の人間革命がある。
さあ勇敢に 堂々と
正義の対話を広げよう!

聖愚問答抄下 P500
『此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし』

☆女性に贈ることば 十月十五日
本当の幸福は−−自分自身の魂のなかにある。
決意の魂、勇気の魂、人びとに尽くす魂のなかにある。

☆今日のことば365 十月十五日
私は 日和見の評論を
 決してしたくない
人間共通の悩みを共にしながら
 勇気ある提言を
  貫き通したいのだ

☆希望航路 池田先生と進む人生旅 オーストリア4=完 2017年10月6日
◇広布の英雄その名を残せ
1992年6月10日、国家勲章「オーストリア科学・芸術名誉十字章勲一等」を受章した池田先生は、文部省からウィーン市立公園に向かった。公園内に立つヨハン・シュトラウス2世像の前で、祝福に駆け付けたオーストリアの同志が待っていたのである。
今、ザルツブルク地区の婦人部長を務めるサヨコ・フーバーさんも、この場にいたメンバーの一人である。
「私は、生粋の道産子です。『三代城の誇り』は片時も忘れたことはありません」
北海道・札幌で生まれたフーバーさん。13歳で入会し、女子部では大ブロック長(現・女子地区リーダー)を務めた。
71年2月には、札幌・中島公園での「雪の文化祭」に、姉の美智代さんと共に参加。先生との忘れ得ぬ出会いを結んでいる。
24歳の時、旅行先のハワイでオーストリア人の男性と出会い、6年後、結婚を機にザルツブルクに渡った。
市内のホテル勤務を経て、大手旅行会社に就職。ザルツブルクとウィーンの事務所で所長を務め、社会貢献を果たしていく。
一時的に、仕事でウィーンに移住したこともあったが、ザルツブルクの自宅を手放すことはなかった。
彼女の心には常に、「ザルツブルクの大地に根を張って、広宣流布を進めよう」との決意があったのである。
ザルツブルクは、カトリックの聖職者が領主を兼ねて統治した教会国家の時代を経て、発展した街。フーバーさんは、移住した三十数年前の状況をこう振り返る。
「この街では、カトリックの教義が市民生活に浸透しています。折伏をしたって、"頭が狂っているのか"と笑われる。当時は、まだそんな時代でした」
移住した当時、市内のメンバーは、彼女と日本人の女子部員の2人だけ。日本食を振る舞うパーティーを開き、近隣との友好を深めたが、弘教はなかなか実らない。
フーバーさんは御本尊に強く祈った。「ザルツブルクに広布の人材をください」と。
会合などでウィーンに行く際は、「聖教グラフ」(当時)を片手に、道中で出会った人に仏法の魅力を語った。
必ず広布を!——彼女の一念に吸い寄せられるように、他都市や他国から一人また一人とメンバーが集まってきた。13年前、ザルツブルクに地区が誕生した際、フーバーさんは初代地区婦人部長に就任。今ではインド、スリランカ、イタリア、ドイツなど各国の友が集うにぎやかな地区に発展している。
中には、仕事や留学で一時的に滞在し、ザルツブルクを離れていってしまう同志もいるが、彼女は言う。
「移民の多い都市だから人の出入りは少なくありません。でも、メンバーと共に唱えた題目は、ザルツブルクの大地に浸透しているんです。その功徳の積み重ねが、国土世間を変え、人々の宿命転換を果たしていくと確信しています」
8年ほど前に夫を亡くしたフーバーさん。家族のいない異国の地では「心細さ」を感じることも多い。
その時、支えとなったのは、先生の「建設は死闘。破壊は一瞬」との指針と、オーストリア広布の礎を築いた同志の励ましだった。
92年、シュトラウス像前での先生との記念撮影の際、フーバーさんは、ザルツブルクから駆け付けた。
先生の姿を見た時、彼女は心の中で、「先生! 私はザルツブルク広布に一生をささげます!」と叫んだ。
師への誓いは、25年たった今も色あせることなく輝いている。

記念撮影の折、先生は一人の年配の婦人を抱きかかえるようにして励ましている。
その場にいた中では最年長だったヨハナ・コッツァーさん。2度の世界大戦をくぐり抜け、戦争で家庭を破壊された彼女は、イタリアに住む娘の勧めで入会した。彼女を知る人は「愛嬌があり、青年部をかわいがっていました。誰からも好かれる素晴らしいおばあちゃんでした」と述懐する。
コッツァーさんに、優しく声を掛けた先生。「80歳です」と胸を張る彼女に、先生はすかさず、"いつまでも若々しく、お元気で!"と。笑顔の輪が広がった。
その後、コッツァーさんは95歳で天寿をまっとうするまで、この出会いを宝に、地道な信心を貫いた。
先生と話している瞬間を捉えた写真を大事に持ちながら、いつも先生への感謝を語っていたという。

オーバーエスターライヒ州の州都リンツの郊外にある街・ベルスに住み、支部婦人部長を務めるアグネス・シュタイナーさんも、92年の記念撮影に参加した一人である。
ザルツブルクで生まれた彼女は、ウィーンの大学に進学。だが、試験に合格できず、退学を余儀なくされ、社会福祉の専門学校に入学した。
挫折を乗り越えようと懸命に頑張っていたつもりだったが、周りが見えなくなっていたのか、知人から"あなたはまず、傲慢な性格を直した方がいい"と言われ、心が傷つき、孤独を感じていた。
その中で、友人が仏法を勧めてくれた。題目を唱えると、心に生命力がみなぎることを感じた。87年、彼女は御本尊を受持する。
以来、同州を広布の舞台として、メンバーの激励に走る中、彼女はリンツに住む一人の婦人部員に出会う。
女手一つで家庭を守るそのメンバーは、苦悩の底にいた。心の病を抱える6歳の息子(ヤコブ・カットナーさん)が、家出を繰り返していたのである。
悩みに沈むお母さんに寄り添い、「宿命を乗り越えよう」と、共に題目を唱えた。
その中、92年に先生との出会いが訪れる。記念撮影の折、シュトラウス像に向かう先生の隣には、カットナーさんの姿があった。
先生がカットナーさんの肩に手を置き、並んで歩く姿に、シュタイナーさんは「涙を抑えることができませんでした」と語る。
後に、カットナーさんは手記に、「僕の肩にかかる先生の腕は、暗闇と不安から守ってくれるマントのように感じた」と記した。
立派な青年に成長したカットナーさんは、ウィーンの大学で博士号を取得し、今、音楽イベントの企画宣伝会社を経営している。
シュタイナーさん自身もまた、押し寄せる幾多の苦難を信心根本に乗り越えてきた。
さまざまな家庭の問題があり、夫と離婚。長男のユキオさんは、学校を中退した後、事故に遭い、瀕死の重傷を負った。
試練が襲うたび、彼女は信心の炎を燃え上がらせ、一家の宿命転換を果たしていった。
長男は奇跡的な回復を遂げ、高校卒業後、念願の就職を得る。
長女のミツコさんは創価大学の国際教養学部に留学し、夢を目指して研究に励んでいる。
「離婚した夫とも、深い友情を結ぶことができました。彼は今、支部長として元気に学会活動に走っています。家族は今、かつては想像すらできなかった『強い心の絆』で結ばれています」
ベルスに移住して四半世紀。今、街のメンバーは25年前の約10倍、州の同志も7倍以上に増えている。
ソ連のゴルバチョフ元大統領がベルスを訪問した際、彼女は"ひとめだけでも"と観衆の列に加わった。
彼女の目の前に、一台の車が止まる。そこから降りてきたのは、大統領だった。
彼女が携えていた「グラフSGI」を見た大統領は、そこに載っていた池田先生の写真に喜び、居合わせた報道陣や市民に向かって先生の写真を掲げ、「彼は私の友人です!」と語った。
大統領が深い信頼を寄せる先生を師と仰ぎ、広布の使命を果たせる。彼女の胸には感激が込み上げた。

2010年9月4日、先生はオーストリアの友に、次のように詠み贈っている。

崇高な
 世界広布の
  英雄と
 君よ その名を
  三世に残せや

華々しい活躍の舞台がなくてもいい。いつも心に師を抱きながら苦難の友を励まし、「自他共の幸福」を勝ち開く。社会の安穏と繁栄を願い、正義の信念を叫び切っていく。それこそ、師弟栄光の誉れの道である。
颯爽と使命の天地を駆ける「広布の英雄」。その雄姿を、後世の人々は「偉大なる人間革命の勝利劇」とともに、語り継ぐだろう。

2017年10月14日土曜日

2017.10.14 わが友に贈る

頼もしき壮年部よ!
険難の峰を越えてきた
誠実と確信の声は
全てを味方に変える。
今こそ信心の底力を!

兵衛志殿御返事 P1108
『二人一同の儀は車の二つのわの如し鳥の二つの羽のごとし』

☆女性に贈ることば 十月十四日
働くこと、子を育てること、妻であること。また娘であること、地域の一員であること、学ぶこと−−それらが互いにぶつかりあい、悩みながらも、なおすべてを自分の成長の糧にしようと心が定まった時、初めて、女性は一個の太陽になれる。

☆今日のことば365 十月十四日
私には、菊つくりの経験はない。しかし丹精こめて、見事な大輪を咲かせる心境は理解できるような気がする。
私にとって最大の楽しみは、手塩にかけた青年たちが、立派に成長していくのを見守ることだ。

◇四季の励まし 信心しきった人が勝つ 2017年10月8日
ひとたび戦いを起こしたならば、
断じて勝たねばならない。
勝って、広宣流布の
偉大な歴史を残すことだ。
人ではない。自分である。
自身が、
どれだけ真剣に行動したか。
「私が戦う!」という
情熱がなければ、
勝利の勢いは生まれない。

同じ戦うならば、
前向きにいかなければ、
つまらない。
自ら動いて、
気持ちよく戦ってこそ
喜びもわく。
"生き生きと"
挑戦することである。
"生き生きと"進むところに、
福運はついてくる。

人生は、
「これ以上無理だ」と
あきらめる自分、
「もうこれくらいでいいだろう」と
妥協しそうになる
自分との戦いである。
「断じてあきらめない」
「断じて負けない」と、
自己との闘争に勝ちゆくことだ。

「いまだ こりず候」——
ここに、日蓮仏法の
真髄の負けじ魂がある。
正義の魂は絶対にこりない。
第六天の魔王の方が「こりた」と
音をあげるまで、
攻めて攻めて攻め抜くのだ。

「広宣流布」と「信心」——
これだけは、
断じて忘れてはならない。
大変な時に、頑張った分だけ、
功徳が増していく。
途中に何があろうとも、
信心しきった者は、
最後は必ず勝利する。

10年前の2007年(平成19年)11月。258回目の関西指導の折、池田大作先生は車中から、中之島の大阪市中央公会堂をカメラに収めた。
白い花こう岩を配した赤れんがの壁に、青銅のドーム屋根。明年で開館100年の歴史を刻む公会堂が常勝の空に向かい、堂々と、そびえ立っている。
不敗の原点である「大阪大会」(1957年)から60年。その舞台となった公会堂で、池田先生は師子吼した。最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つ——と。
我らの「異体同心」の祈りと行動に勝る力はない。いかなる試練も、互いに励まし合いながら乗り越え、威風堂々と勝ち進もう。地涌の我らは、勝つために生まれてきたのだから!

2017年10月13日金曜日

2017.10.13 わが友に贈る

「一日なりとも名を
あげん事こそ大切なれ」
見栄や格好はいらない。
広宣流布に生き抜く
誉れの自分史を残そう!

四条金吾殿御返事 P1192
『いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし』

☆女性に贈ることば 十月十三日
聡明な自分自身を築いていただきたい。社会にあって、「あの人は、さすがだ」と言われる人格をつくることです。皆と協調し、皆をリードし、皆から尊敬される人生を歩んでいってほしい。

☆今日のことば365 十月十三日
私が、どう苦しんでいようと、病んでいようと、国が破れようと、太陽はつねに輝いていた。私の心の底には、踏まれても、押されても希望の芽がすくすくと伸びていた。希望とは、一人の人間における太陽のようなものかもしれない。

☆御書と歩む 第86回 いかなる障魔も吹き飛ばせ
『種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし』(開目抄、232ページ)

◇通解
(誘惑や脅しなど)種々の大難が出てきても、私の正しい法義が智者に破られることがない限り、決して受け入れることはない。それ以外の大難は、私にとっては風の前の塵のような、とるに足りないものである。

◇同志への指針
御本仏は命にも及ぶ大難・佐渡流罪の中で、民衆の生命を「宝塔」と輝かせ、留難の地も寂光土へ転じられた。
この大境涯に連なり、勝利島部など地域本部をはじめ、わが同志は、試練を勝ち越え、信頼を広げてきた。
我らには、何ものにも破られざる正義の大哲理がある。いかなる障魔も塵の如く吹き飛ばし、地域に社会に「平和の柱」を打ち立てるのだ。

☆壁を破れ! 私の決意 第12回 アメリカ レイナ・ケリーさん 2017年10月4日
◇不屈の祈りで使命の道開く
——発心したきっかけを教えてください。
わが家は、日本人の祖母が一家で最初に入会。私も幼い頃から、勤行・唱題に励んでいました。
その後、両親の仕事の関係で日本とアメリカを転々とし、高校卒業後、ハワイ大学に進学しましたが、入学早々、学ぶ意義が分からなくなり、1年次の前期で大学を中退。信心からも遠ざかり、レストランでアルバイトをしながら、友人と遊び回る日々を送っていました。
しかし、いつも帰宅すると、むなしさだけが残り、"このままでいいのか"という思いでいっぱいでした。
そんな中、日本に住む祖母を訪ねました。入会以来、真っすぐに信心を貫いてきた祖母は、私の話をじっくりと聞いてくれ、池田先生の指導を通して懸命に励ましてくれたのです。「お題目をあげよう」と。
私は久しぶりに御本尊の前に座り、唱題しました。不安が充満していた心が、少しずつ穏やかになり、前向きな気持ちに変わっていくことを実感しました。"もう一度、信心根本に頑張ろう"と奮起し、帰国後、座談会などに積極的に参加するようになりました。

——学会活動に励む中で、生活の変化はありましたか?
それまで職を転々としていましたが、何かで広布のお役に立ちたいと、以前から興味のあった服飾関係の短大に入学。大学で学ぶのは再挑戦でしたが、懸命に挑む中で、授業料の全額免除も受けられ、無事に卒業することができました。
その後は、婦人服を製造するハワイの企業で、CG(コンピューターグラフィックス)を用いて、デザイン等をサポートするテクニカルデザイナーに。祈ってきたことが全てかない、信心への確信を、いっそう深めることができました。

——パシフィック圏の副女子部長としても、活躍されていますね。
今、アメリカでは、広宣流布大誓堂完成5周年となる2018年の11月18日に向け、全米で青年5万人の結集を成し遂げようと、訪問激励、弘教拡大に全力で取り組んでいます。
また、青年部の教学運動「イケダ・ウィズダム・アカデミー」で、池田先生の『開目抄講義』を研さんし、苦難に負けない生き方、師匠を持つ人生の素晴らしさなどを学び合っています。
私もこれまで、アカデミーを通して池田先生の思想や行動を深く知り、師の心をわが心として、広布のために戦おうと仏法対話に挑戦。一昨年、いとこに弘教を実らせることができました。

——今後の決意を聞かせてください。
パシフィック圏は、池田先生が世界平和の旅路の中で最初に訪問してくださったハワイや、SGI結成の地・グアムなど、太平洋に輝く縁深き島々で構成されています。私たちには、美しい"平和の楽園"から、創価の人間主義の哲学を広げる大きな使命があると確信しています。
この使命の天地を広布の舞台とする誇りを胸に、大好きな華陽姉妹と心を合わせ、友情対話の大潮流を巻き起こしてまいります。

【プロフィル】1985年入会。婦人服のデザインをサポートするテクニカルデザイナーとして奮闘中。圏副女子部長。

2017.10.12 わが友に贈る

「団結」は無敵の力だ!
日々 奮闘する同志に
最大の励ましを!
感謝と尊敬の心に
前進の勢いは加速する!

十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』

☆女性に贈ることば 十月十二日
何があっても、「私は太陽なんだ!」と悠然と生きることだ。
もちろん、曇りの日もある。しかし、曇っていても、太陽はその厚い雲の上で変わらずに輝いている。苦しい時も、心の輝きを失ってはならない。

☆今日のことば365 十月十二日
人間に心情を語ることにかけては、音楽ほど真正直なものはないだろう。嘘をつこうにも嘘のつきようはない。言語もいらない。論理を追う必要もない。理解しようなどと身がまえる愚かさを、さらさら必要としない。耳を澄ましていれば、わが心のなかの楽器は自然と共鳴するのだ。

☆御書と歩む 第85回 臨終只今の悔いなき日々を
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』(生死一大事血脈抄、1338ページ)

◇通解
強く心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念しなさい。生死一大事の血脈をこれよりほかに決して求めてはならない。

◇同志への指針
戸田先生にお仕えし、戦う日々、心肝に染めた御聖訓である。今この時を、弟子として「臨終正念」「臨終只今」の決意で、悔いなく生き切るのだ、と。
眼前の戦いに、題目を唱えて挑む中にこそ、仏の智慧と力が流れ通うのである。
今日の課題は何か。張りのある勤行で明確に祈り、生命力を漲らせて、一日一日を勝ち切っていくことだ。

☆誓いの天地 三重・津市 2017年10月3日
◇青年に脈打つ「不屈の心」 空飛ぶ者の王・鷲のごとく
古くは安濃津と呼ばれた三重県の津市。「津」は「港」を意味し、鹿児島県南さつま市の坊津、福岡市の花旭塔津と並んで、「日本三津」の一つだった。
伊勢平野の中心に位置し、東は伊勢湾に面した港町、西は奈良県境まで山々がそびえる。海と山に囲まれた自然豊かな街だ。
天むす発祥の地。うなぎ屋が多くあり、津ギョーザも人気を集める。
平安時代の清少納言が『枕草子』につづった「ななくりの湯」は、市内の榊原温泉だといわれる。
松田綾香さん(中勢常楽圏、女子部部長)は、老舗の温泉旅館でフロント業務を担当する。
旅館は明後年、創業100周年を迎える。「お客さまの視点に立ち、"最高のおもてなしを"との心で仕事に取り組んでいます」
高校卒業後から働き始めた。最初は、予約を受けた際、客の要望を周囲に伝え忘れるなど、さまざまな失敗も経験。そのたびに、"最高の接客を"と祈り、決意新たに仕事に臨んだ。
勤務時間が不規則な中、学会活動にも全力を注いできた。3期にわたって白蓮グループで薫陶を受け、弘教も実らせた。
中学生の時、両親が離婚。複雑な感情を抱いていた中で、地域の学会員から何度も励ましが。創価家族の温かさを深く知った。
2年前、女子部部長の任命を受け、愛する地域を駆ける日々だ。
「旅館の発展は地域の繁栄にもつながります。これからも、信心根本に仕事に励んでいきます」

安藤恭典さん(中勢常楽圏、男子地区リーダー)は3歳の時、中耳炎が原因で聴覚のほとんどを失った。
"みんなと一緒に勉強がしたい"と、普通小学校で学んだ。しかし、中学生の時、いじめに遭い、心を閉ざすように。
ろう学校の高等部に進学したが、よそ者扱いされた。その時、学校の先輩からアドバイスを受け、手話を習得。そこから、周囲に溶け込めるようになった。
同校を卒業後、介護施設に就職。そこで、学会員と知り合った。
素直に勤行の実践を開始。しばらくすると、周囲から「雰囲気が変わったね」と言われるように。最初は信心に反対だった両親も、息子が変わる姿に入会を認め、2006年(平成18年)4月、晴れて御本尊を受持した。
学会活動に励みながら、地域活動にも率先してきた。現在、手話サークルの講師を務める。また、県聴覚障害者協会にも所属し、さまざまな活動に携わる。
昨年、9回目の挑戦で、介護福祉士の資格を取得。職場では、"利用者の方々に喜んでもらいたい"と心を砕き、信頼を広げる。
かつては、いじめの原因となった聴覚障がいを、心から憎んだ。しかし、今、"障がいがあるからこそ、使命に生きる人生を歩むことができる"と実感する。
不屈の心で進む安藤さんの確信——それは、「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)の御聖訓である。

◇栄光の共戦譜
10月を迎えると、三重の友の「不屈の心」は、一段と燃え上がる。
池田先生が三重を初めて訪れたのは、1959年(昭和34年)10月5日。「伊勢湾台風」の猛威が東海地方を襲った直後である。
先生は、被災した友を抱きかかえるように激励。「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)の御聖訓を拝し、必ず変毒為薬ができると訴えた。この励ましを胸に、友は勝利の実証を示していったのである。
74年(同49年)10月6日には、三重県体育館(当時)で開催された第1回「三重県総会」に出席した。
先生は、障魔に打ち勝つ信心の重要性を強調。"一人一人の尊い人生にあって、自分自身の人間革命の軌跡を立派に勝ち取っていただきたい"と望んだ。
この日は「三重の日」。友は今、立正安国の対話に勇んで打って出ている。

20回を数える三重訪問の中でも、白山町にある三重研修道場では、数々の「師弟の原点」が刻まれてきた。
76年(同51年)7月23日、発表間もない「人間革命の歌」を師と共に熱唱。78年(同53年)4月23日の「三重文化合唱祭」では、師への誓いを込め、「威風堂々の歌」「今日も元気で」などを、高らかに歌い上げた。
合唱祭の翌日、舟見悦子さん(中勢本陣圏、婦人部副本部長)は、津文化会館(当時、三重文化会館)を訪問した師と、初めての出会いを結んだ。
館内にいた同志に、先生は声を掛け、「記念写真を撮ろう」と。撮影のために並ぶと、舟見さんの前に立ったのが、先生だった。
撮影が終わると、舟見さんは無我夢中で、「近くでパン屋をしています。お立ち寄りください」。先生は笑顔で「分かりました」と。
その日の夜、舟見さんは会合に参加するため、同会館にいた。すると、「すぐ、お店に戻ってきて」との連絡が。急いで店に向かうと、師の姿があった。
先生は、心臓が悪かった舟見さんの母・すゞさん(故人)の体調を気遣いつつ、「題目を唱え、いつまでも健康でね」と激励。舟見さんには、「学会から離れてはいけないよ」と優しく語った。
店には次々と地域の学会員が来た。その方々にも、先生は励ましを送った。
「わざわざ店に足を運んでくださり、信心を打ち込んでくださったことへの感謝は、忘れることなどできません」
以来、師への報恩の道を歩んできた。39年を経た今も、その誓いは赤々と燃える。今年2月には、弘教を実らせた。
舟見さんは語る。「生涯、広布に戦い抜く人生を貫いていきます」

師弟共戦の歌声が轟いた「三重文化合唱祭」から8カ月後の78年12月1日、先生は名張市を訪問。翌2日には、津市内の功労者宅を訪れている。
3日、三重研修道場の周辺で懇談会が行われた。同道場の整備などに携わった前出高男さん(中勢常楽圏、堅塁長〈ブロック長〉)は連絡を受け、駆け付けた。
先生は、前出さんに「地域から信頼される人に」と。その場にいた別のメンバーにも、「広宣流布は足元からだよ」と語った。
"宝の原点"を胸に、前出さんは、地域に尽くしてきた。スポーツ少年団の監督を約30年務め、現在は、青少年健全育成の活動に携わる。さらに、地域の体育協会、老人会でも活躍。周囲の信頼は厚い。
2011年(平成23年)、妻・トモ子さんが安らかに霊山へ。前出さんは力を込める。
「最後の最後まで、広布に走り抜いた妻の分まで戦い、必ず人生を勝利していきます」

1978年の三重訪問は、悪侶と退転・反逆者らが、師弟を離間させる謀略を巡らせていた渦中だった。その障魔の嵐を勝ち越え、82年(昭和57年)5月6日、友は4年ぶりに師を三重研修道場に迎えた。
翌7日、先生は三重県代表者会議に出席した後、桑本アヤ子さん(中勢常楽圏、婦人部員)が営む「レストラン白山」に、三重のリーダーと向かった。
先生は桑本さんに声を掛け、家族や店のことなどを尋ねた。桑本さんは、73年(同48年)にレストランをオープン。その4年後に、夫が亡くなった。
そのことを聞いた先生は、「立派なお店をつくられて。素晴らしいご主人でしたね」と。
桑本さんは、「未入会の夫のことまでたたえてくださった真心に感動しました」と振り返る。
翌8日、さらには9日にも、先生は桑本さんに励ましを。2人の子どもにも声を掛けた。
現在、レストランは次男の正行さん(同、地区部長)が継ぐ。正行さんは創価大学を卒業後、調理師免許を取得。35年前の師との出会いを誇りとして、地域から愛されるレストランを目指し、奮闘を重ねる。
2年前、桑本さんは脳梗塞を発症。さらに、失語症にもなったが、懸命なリハビリを続け、話せるまでに回復した。
母子は口をそろえる。「師恩を胸に、地域に幸福の連帯を広げていきます」
——三重県の地形は、「翼を広げた鷲」の姿に似ているといわれる。このことを通して、池田先生は三重の友に呼び掛けた。
「空飛ぶ者の王・鷲のごとく、大空に向かって勇壮なる飛翔を共々にしてゆこうではないか!」
鳥や飛行機と同様、広布の戦いにおいても、「向かい風」の時こそ、飛翔の好機——この勝利の要諦を知る三重の友が、新たな広布の暁鐘を打ち鳴らす。

2017年10月11日水曜日

2017.10.11 わが友に贈る

「但偏に国の為
法の為 人の為」御聖訓。
さあ 誇りも高く
立正安国の大理想へ!
善の連帯広げる対話を!

種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』

☆女性に贈ることば 十月十一日
人は生き方を通して、後世まで語り継がれる。その意味では、偉大な人生は、いつまでも生き続けるといってよい。

☆今日のことば365 十月十一日
青春時代は、ビルディングでいえば、土台づくりの時期である。それなりの境遇にあって、甘やかされず、甘えず、苦労を財産としてゆく情熱がなければならないと思う。ともかく基礎づくりの時代に、その人生の基礎を、深く、強く構築しておかなければ、いかなる高層の建物が出来あがっても、厳しい社会の嵐に崩壊させられるか、あるいは自身のなかより、朽ち滅びてゆくかであろう。

☆「創価栄光の集い」への池田先生のメッセージ 2017年10月8日
◇民衆貢献の世界市民たれ
一、青春の栄光凱歌を轟かせゆく創大祭、白鳥祭、誠におめでとう! 
私の命も八王子にあります。わが愛する創大生、短大生、そして留学生の皆さんと一緒です。共に歌い、共に奏で、共に舞いゆく心で、きょうの晴れ舞台はもちろん、準備から後片付けまで、一切を見守っています。よき仲間と練習に金の汗を流してきた出演者の皆さん、ありがとう!
陰の尊き労苦をいとわず、無事故の運営に当たってくれている皆さんにも、心から感謝します。
本日は、光栄にも、「文化大恩の国」から、私が敬愛してやまない大誠実の哲人指導者をお迎えすることができ、これほどうれしいことはありません。李寿成博士ご夫妻、誠に誠にありがとうございます(大拍手)。そして、日本の各界を代表される先生方に、激務の中、ご来学をいただき、厚く厚く御礼を申し上げます(大拍手)。
交換教員の先生方、さらに、大学を陰に陽に支えてくださっている方々も、いつもいつも本当にありがとうございます。
今回の大学祭のテーマに、皆さんは、「勇気の一歩で勝利の歴史を!」、そして「栄光への道を開きゆこう!」と掲げました。きょうは、韓国の国花である麗しき無窮花も咲き薫るキャンパスを共々に散策しながら語り合うような思いで、このテーマに沿って、簡潔に3点、エールを送ります。

◇混沌の闇に立ち向かう"光"とは
一、第一に、「太陽の如き勇気で学の光を!」と申し上げたい。
李博士と私は、戦乱の20世紀の前半に生を享けた世代です。私たちにとって、混沌の闇に立ち向かう光は何であったか? それは、学ぶことであり、教育であったといっても過言ではありません。
李博士のご一家は、日本の非道な植民地支配に続いて、祖国が引き裂かれる分断の中で、正義の信念の法律家であられた父君を奪われてしまいました。しかし母君は苦労に苦労を重ねて、博士をはじめ8人のお子さん方を、全員、大学へ送り出されました。この母君の無窮の愛情に応えんと、兄弟姉妹で徹して勉学に励み、皆、立派に大成されたのであります。
李博士は、やがて母校・ソウル大学の大総長となられました。学生たちを、それぞれの家庭の「宝」とし、未来の社会の「柱」として厳然と守り、励まし、薫陶していかれました。
そして、その人徳と学識を仰がれ、総理に要請され、衆望を担い立って、不滅の功績を残してこられたのです。
まさしく、李博士とご一家は、言い知れぬ苦難の悲劇さえも、教育の力と学の光で、社会を赫々と照らす大いなる使命の勝利劇に転じられました。
皆さん方にも、深い深い心で大学へ送り出してくださっているご家族がおられる。また、皆さんの成長と栄光を何よりの喜びとし、誇りとしてくださる郷土の方々、さらに日本や韓国をはじめ、世界中の宝友がおられます。
どうか、この信頼の励ましを忘れずに、「負けじ魂」の勇気を太陽の如く燃え上がらせ、今は学び、鍛え、大いに実力をつけていただきたい。人格を磨いていただきたい。
その決意を込めて、偉大な模範であられる李博士ご夫妻に、熱烈な大拍手をお送りしたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
一、第二に申し上げたいのは、「民衆と共に、明朗闊達に勝利の歴史を!」ということです。
李博士は、ご両親や師匠から、「どんなに苦しくとも、正しくないことには、頭を下げてはならない」という正義の魂を学ばれました。さらに「困っている人々、悩んでいる人々のために働く。恐れず先頭に立って民衆に仕え、貢献する」との人道の信念を受け継ぎ、貫き通してこられたのです。
創価教育の創始者である牧口常三郎先生、戸田城聖先生から、私たちが脈々と継承している精神も同じであります。「正義に依って立つ」「民衆の大地に依って立つ」——これほど強く朗らかな青春はない。
何ものにも負けず、若き英知と力を思う存分に発揮して、使命を果たしていけるのです。
「民衆立」を誉れとする創価の学舎に集い合った皆さんは、毀誉褒貶の風など、鋭く、また悠々と見下ろしながら、どこまでも民衆と共に、明朗闊達に正義の勝利の歴史を築いていただきたいのであります。

◇平和即栄光の道
一、第三に、「若き世界市民の声で『平和』即『栄光』への道を!」と申し上げたい。
李博士と私が共有する信条は、文化・教育次元での民衆の交流には、いかなる混迷も超えて、戦争を押し止める力がある。なかんずく、青年の交流を、たゆまず活性化することが最重要であるということです。
本日の留学生の皆さんの多彩にして見事な団結の演技に象徴されるように、わが創大・短大には、世界市民の友情の対話と連帯が、一段と織り成されています。未来の地球社会の確かな共生のモデルが、ここにあります。
少年少女の幸福を願って、先駆の行動に挑まれた、韓国の児童文学家・方定煥先生は呼び掛けております。
「今日、我々にいかなる苦労があろうとも、新しく立ち上がる学生たちに溢れんばかりの力強い生命力があれば、何の悲しいことがあるだろうか。生命力だ! 生命力だ!」と。
さあ、試練に怯まず、日々、新しく立ち上がる創大生よ! 短大生よ! 留学生よ! 平和という人類の究極の栄光に向かって、いよいよ「溢れんばかりの力強い生命力」で、「勇気の一歩」を踏み出してくれ給え!——と申し上げ、私のメッセージといたします。
ご来賓の先生方、本当にありがとうございます。
テダニ・カムサハムニダ!(韓国語で「大変に、ありがとうございました!」)

2017年10月10日火曜日

2017.10.10 わが友に贈る

新聞休刊日

法華初心成仏抄 P557
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』

☆女性に贈ることば 十月十日
目標に到達するには、一歩また一歩と粘り強く積み重ねていくしかありません。
その間、目に見えるような成果があがらない時もある。しかし、努力を重ねて、ある一定のレベルに達すると、一気に目の前が開けていく。ちょうど山の峰を越えた時、急に眼前が開けるように。そこまでが我慢のしどころです。

☆今日のことば365 十月十日
目ほど不思議なものはない。言葉の通じない動物でさえ、目では、ものを言っている。まして、人間の目は「心の窓」ともいわれ、心のなかを語ってくれる。口先では時に心にもないことを言っても目だけはごまかせないものである。

☆「情熱の日」記念集会への池田先生のメッセージ 2017年10月6日
◇若き賢者の学園生たちよ 負けじ魂で挑戦の青春を
一、尊き「黄金の絆」で、世界を、未来を照らしゆく「情熱の日」、誠におめでとう! わが命の学園生たちが「何があっても立ち向かう」と、「勇気を燃やして」前進してくれ、本当にうれしい!
若き世界市民の創造性光る学園祭も、「みんな元気」で「大情熱の旗」を共に掲げた運動会・競技大会も、大成功おめでとう! 
一、先日、私は、ロシアの著名な学術団体である「国際グローバル研究アカデミー」の正会員に就任しました。これも、皆さん方の創立者としての栄誉であり、私はメッセージの中でも、わが学園の「環境教育」について紹介し、世界の識者の方々から感嘆の声をいただきました。
このアカデミーの事務局が置かれているのは、世界の名門・モスクワ大学です。創立より260年を超す歴史の中で、人類の文化に貢献する幾多の逸材を送り出してこられました。あの大文豪トルストイも、一時期、モスクワ大学で学んだことは、よく知られています。
「実りの秋」は「読書の秋」です。読書は学園の誇り高き伝統です。
私も、青春時代、恩師・戸田城聖先生から、毎日のように「今、何を読んでいるか?」と尋ねられました。ですから、どんなに忙しくとも、少しでも本を読み、真剣に学んでいなければ、先生の前には立てない。それほどの厳しい薫陶だったのです。
ある日、先生からの問いかけに、「トルストイの『読書の輪』という本を読んでいます」とお答えしたことも、懐かしい思い出です。
これは、もともとのタイトルで、翻訳本では『一日一善』、最近では『文読む月日』などと訳されています。一日を一章として、トルストイが古今東西の英知の名言を集めた研鑽の書です。大文豪も、日々、人類の良識と魂の対話を交わしながら、学び続けていたのです。
きょう10月5日の欄には、こう記されています。
「善事(=善い事)は常に努力と共に行われる。しかしながら、努力が再三反復されると、その善事は習慣となる」(原久一郎訳『一日一善 下巻』岩波書店、現代表記に改めた)とあります。
私は、この言葉を踏まえて、皆さんに、「勝利は自分自身の中にある」「勝利は、朗らかな、たゆまぬ努力にある」と申し上げたいのであります。
勉学であれ、語学であれ、スポーツであれ、読書であれ、自分らしく地道に「努力」を積み重ねゆく青年は、清々しく輝き光っています。
すぐに目に見える結果は出ないかもしれない。なかなか思うようにいかないこともある。人の方が先に進んでいると思える場合もある。
けれども何より大事なのは、自分自身が「今ここで」ベストを尽くしていることです。その努力の生命にこそ「勝利」があるからです。
モスクワ大学のサドーヴニチィ総長と、私は3冊の対談集を発刊しました。
総長は十代の日、地下600メートルの炭鉱で汗を流して働きながら、学んで学んで学び抜いて、ついに世界的な数学者、教育者となった方です。
この偉大な数学者が強調されていることも、「途中を飛ばしたり、省略したりして、正しい結論に達することはできない。目標に達するためには、常に一定の努力が必要なのである」ということです。
青春は、思いがけない試練や悩みの壁に直面する。誰しも、焦って楽な近道を探したくなることがある。しかし、そこが踏ん張りどころです。負けじ魂の大情熱の出番です。
たとえ遠回りに思えても、目の前の課題に勇敢に挑み、忍耐強く、もう一歩の努力を貫くことです。その時に、深い闇を破って決然と旭日が昇るように、必ずや勝利の光の道が広々と開かれていくのです。
ゆえに、努力の青年は朗らかです。かけがえのない青春の一日一日、つまらないことでクヨクヨしたり、悪い縁に振り回されたりしては、自分が損をしてしまう。若き賢者の学園生は、よき友と励まし合い、楽しく伸び伸びと、前へ前へ学び進んでいってください。まさしく、「負けない今日を友と笑顔で」走り抜いていただきたい。今回の「情熱の日」に、このことを約束し合いたいが、どうだろうか!(大拍手)
一、昨日は「中秋の名月」。月光が、一段と美しく冴えわたる季節です。
私と妻の心には、学園生と一緒に仰いだ名月が、いつも皆さん方の聡明な知性の笑顔と二重写しになって輝いています。
どうか、その明るい大らかな負けじ魂の笑顔を、お父さんやお母さん方にも見せて差し上げて、親孝行をお願いします。
創立50周年という、不思議なこの時に集い合ってくれた大切な大切な宝の皆さんの益々の健康と無事故、そして、いよいよの大成長を祈りに祈って、私のメッセージとします。
皆、風邪などひかないように!

2017年10月9日月曜日

2017.10.09 わが友に贈る

◇今週のことば
広布の大闘争にこそ
宿命転換の劇がある。
共に励ましは知り抜こう!
極楽百年に勝る功徳を
今日も楽しく朗らかに!
2017年10月9日

曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』

☆女性に贈ることば 十月九日
親の恩は深い。親を苦しませたり、悲しませたりしてはならない。親を喜ばせ、楽しませてあげよう、と努力できる人は大人である。その努力はまた、自分自身の勝利に直結していく。

☆今日のことば365 十月九日
浅はかな
 感情の人生を生きるよりも
自分らしく
 ひとつの深い理由と
  信念のために生きゆく
 青春であってもらいたい

☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生4 東京校 1973〜75年度 2017年10月1日
◇君よ、獅子となって立ち上がれ! 未来の勝利を決めるのは自分自身だ。
1973年、東京・創価高校では、4期生が最上級生となった。
彼らの大半は中学1期生として入学し、「中高一貫教育」を受けた最初のメンバーである。
「次の卒業式は盛大にやろう」。創立者・池田先生は折々にそう語り、鳳雛たちの成長を心待ちにしていた。

◇卒業式は「3・16」
「日程はどうですか」
第4回卒業式を目前に控えた74年2月24日、先生は教職員に尋ねた。
当初、卒業式の予定は3月1日だった。ところが、国鉄のストライキが予告され、日程の見直しを余儀なくされていたのである。
懇談の席上、教職員から幾つかの案が提示された。予定通り断行するか、一日早めるか。国立大学の入学試験が落ち着く3月中旬という意見もあった。
しばらく耳を傾けていた先生が口を開く。
「私は3月16日がいいと思う」
それは、さかのぼること16年前(58年)、先生が恩師・戸田先生から後継のバトンを託された日であった。
だがこの年、3月上旬から4月中旬にかけて、先生は北中南米を回り、各国で大学講演等を行うことが決まっていた。
当日の出席は難しい。その代わりに、4月に卒業生の大会の実施を提案し、自らも参加することを約束したのである。
その後、教職員らの決議によって、卒業式は3月16日に開催されることが正式に決定した。
「卒業式の時に、私が海外にいることにも意味があるんだよ」
「3月16日、良い日だ。世界平和の人材が巣立つ日だね」
以来、毎年巡りくる学園の「3・16」は、創立者と卒業生との"誓いの原点の日"となった。

◇世界へ羽ばたけ
「君たちが、どこの国へ行っても自由に活躍できるように道を切り開いていくのが、私の使命です」——先生の平和旅の広がりによって、学園生は常に「世界」を身近に感じてきた。
75年春、日本と中国の国交正常化後、初の国費留学生が創価大学へ。先生は来日した彼らを連れて、学園を訪れた。
第8回入学式の終了後、学園生の代表と留学生による記念の集いが行われた。
卓球大会の後の歓迎夕食会では、こんな一こまがあった。
「これは、おしぼり」「これは、大根おろし」と、先生はテーブルに置かれた品々を留学生に紹介していった。生活に根ざした言葉を理解し、庶民の心を知ってほしい、との思いからだった。
そんな先生の振る舞いは、日中の若き生命に深く刻まれた。
中村隆一さん(高校8期)も、その一人。新入生の代表として、卓球大会を参観した。
「先生は私たちに"力を付けて、世界に羽ばたくんだよ"と言われ、一人一人と握手してくださいました」と振り返る。
中村さんは95年、創価学会の日中友好青年交流団の一員として中国へ。その際、許金平さん(中日友好協会副会長)ら当時の留学生と20年ぶりに再会を果たした。
あの日、許さんは卓球大会で決勝に進出。対戦相手となった先生から贈られたラケットを、宝物として大切にしていた。
この出会いで、日中友好への思いを一段と強くした中村さん。4年後、勤務先の自動車メーカーが中国・瀋陽に工場を出すことになり、現地に派遣された。現在は広東省で1000人規模の工場の責任者を務める。
「先生が、私たちの未来を信じてエールを送ってくださったから、今の自分があります。だからこそ、この場所で中国の発展に貢献する人材を育てたい。それが私の日中友好です」

◇寮歌を歌いゆけ
76年1月24日。6期生の卒業記念集会で、寮歌(現・校歌)「草木は萌ゆる」の合唱が始まると、程なくして先生は歌を止めた。
覇気がなく、声が死んでいる。
先生は訴えた。
——寮歌には、学園の一切の精神が入っている。その心が歌われなくなったら、伝統はなくなってしまう、と。
集会に先立って行われた、送別記念卓球大会。ここでも、先生の指摘は本質を突いていた。
「私の目から見たら、今の学園は少々、堕落しているように思います」
「1期、2期は金だ。今は鉄じゃないか」
開校から8年。いまだ草創の建設期である。
期待が大きいからこその、厳愛の言葉が胸に響く。皆、神妙な面持ちで先生の顔を見つめた。
当時、2年生だった鈴木昇さん(高校7期)。大手小売企業のシンクタンク(研究機関)に勤めた後、市場調査の会社を設立。講師として母校・創大の教壇にも立つ。
「先生は最後に『万歳で3年生を送り出そう』と提案され、卓球部の部長だった私が音頭を取ることになりました」。だが、緊張のあまり、声が小さくなってしまった。
すると先生は鈴木さんに言った。"それでは一人で多くの人を引っ張っていくことはできない。獅子は吼えなければならない時があるんだ"
卒業式まで約2カ月。この瞬間から、学園の空気は一変した。
寮歌に込められた魂とは何か。何のために学園で学ぶのか。真剣に語り合う姿がキャンパス中で見られるようになった。
校内の清掃や新聞の作成も始まった。全学園生が一体となって、勉学にクラブ活動に、真剣に取り組んだ。
1カ月後の2月28日、先生は生徒の代表と再び語り合った。
「学園生活を有意義にするのも、無意味にするのも、自分の決意次第です。成長するか、怠惰な生活を送るかは、全て自分の姿勢で決まってしまいます」
「私は、19歳のときから、世界平和のために30年間、生命をかけて戦ってきた一人です。これからも戦っていきます」「その平和への戦いを受け継ぐのは君たちです」
そして先生は、学園生からの要望に応え、色紙に筆を走らせた。
開校の年に、寮生の代表が作詞した「草木は萌ゆる」。4番までだった歌詞に、5番をつくって贈ったのは先生だった。
その最後の一節を先生はつづった。わが生命たる一人一人の勝利と栄光を願いつつ——。
「未来に 羽ばたけ 君と僕」と。

2017年10月8日日曜日

2017.10.08 わが友に贈る

御聖訓「命限り有り
惜む可からず」
二度と来ない今を
悔いなく戦い切ろう!
自身の壁を破る歴史を!

日興遺誡置文 P1618
『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』

☆女性に贈ることば 十月八日
子どもには、思い出をたくさんつくってあげることです。
子どもたちのために、私は手品をすることもあるし、ピアノを弾くこともある。すべて、なんらかの思い出をつくってあげたいとの気持ちなのです。
幼き日のよき思い出は、一生を支える力となるからです。

☆今日のことば365 十月八日
今日の問題は、何か
今日の一日の使命を果たすことだ
今日の使命とは 何ぞ
自己の境遇にて戦うことなり
その戦いとは 如何
自己を発揮し 全力を尽くして進むことだ

☆希望航路 池田先生と進む人生旅 オーストリア3
◇試練を越えて勝利の行進
オーストリア文部省「賓客の間」にホルンの典雅な音色が響く。
同国が生んだ天才作曲家・モーツァルトの「ディベルティメント」第8番第1楽章。池田先生の「オーストリア科学・芸術名誉十字章勲一等」授章を祝賀し、同省所属のホルン五重奏団が奏でた。
1992年6月10日、先生の文化交流の貢献などをたたえ、文部大臣から叙勲された国家勲章である。
先生は謝辞の中で、日本政府が初めて公式参加したウィーン万国博覧会(1873年)に言及。"先師・牧口初代会長は、貴国とわが国との美しい友情の序曲が、まさに奏でられようとしていたころ(1871年)に誕生されました"と述べつつ、オーストリアと日本の友好にかける決意をこう語った。
「縁深き貴国の尊敬する皆さま方とご一緒に、私は滔々たるドナウの流れのごとく、人間と人間、心と心とを結ぶ精神の大河を、はるかな未来へと開いてまいりたい」
この日、先生は和歌を詠んでいる。

妙法を
 唱え 唱えて
  三世まで
 和楽と幸福
   墺国同志は

※「墺国」とは、オーストリアの意。

この叙勲式には、オーストリアを代表する名女優、エリザベート・アウグスティンさん(副総合婦人部長)が列席していた。
彼女が印象深く覚えている場面の一つは、当時、同国の文部次官だったユッタ・ウンカルト=サイフェルト氏の祝辞である。
「サイフェルト氏の先生への賛嘆の言葉は非常に情熱的でした。普段、こうした式典はクールな(落ち着いた)雰囲気で行われますが、先生の叙勲式は、笑顔があふれる心温まる式典でした」
アウグスティンさんは、23歳の時、ドイツ語圏最高峰と称されるブルク劇場の専属俳優になる。シェークスピア「真夏の夜の夢」のヘレナ役、映画「マリア・テレジア」の主演など数々の名作で脚光を浴びた。
誰もが憧れる順風満帆な役者人生に見えるが、胸奥では「本当の幸福」を求め、煩悶を続けていた。成功や名声を得ることは一時の幸福に過ぎない。本当の幸せとは一体どこにあるのか——と。
確固たる人生哲学を求め、彼女は1986年、友人の勧めで御本尊を受持した。後に大統領から"宮廷俳優"の称号を受ける夫をはじめ、友人に弘教を実らせていった。
6年後、先生の国家勲章の叙勲式に夫と共に列席。先生ご夫妻との出会いを結んだ。
「ご活躍は、よく伺っています。国立劇場の名優にお会いできて光栄です」と握手をしてくれた先生は、こう言葉を継いだ。
「素晴らしい女優になるためには、まず、一人の人間として立派であり、偉大でなければなりません」
その言葉に、はっとした。心の闇に光が差すように感じた。
彼女は言う。「人間として偉大になるには、自分の弱さと向き合い、戦い続けなければならない。自行化他の実践に励み、弱さを克服していく中に幸福への直道があると、先生に教えていただきました」
別れ際、先生はユーモアを込め、「次に会う時は、あなたのサインをください」と。
恐縮したアウグスティンさんが「私の方こそ先生のサインがほしいです」と応えると、笑顔が広がった。
この日の原点を胸に刻み、夫の心臓病など幾多の試練を勝ち越えた。また、3人の子を育てながら、仕事でも実証を示してきた。
今もなお、女優兼監督としてブルク劇場の舞台に立つ傍ら、大学で後進の教育、演技指導に当たっている。
同国SGIでは、広報担当を務め、多くの学識者らと友誼を深めている。
本年6月、先生の叙勲25周年を記念する座談会がオーストリア各地で開かれ、彼女の自宅でも開催された。
「来賓であるサイフェルト氏と共に、私が仏法対話を進める3人の友人も出席してくれました。SGIへの深い友情を語る氏の姿に触れ、友人は感激していました」
アウグスティンさんにとって25年前の叙勲式は、師弟の絆を結び、サイフェルト氏との友情の契機となった「人生の原点」である。

同国SGIの書記長を務めるヒロユキ・シミズさんは、東京・小平市の出身。62年、病弱に悩む母と共に、10歳で入会した。
6年後の68年8月8日に行われた「第1回高等部総会」での先生の「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びる」「語学を学びなさい」との言葉に、自身の使命を見いだし、海外への挑戦を志した。
東京の国立大学でドイツ語を専攻し、78年にミュンヘン大学に留学。卒業後、デュッセルドルフの日系貿易商社に就職したが、上司との人間関係に悩み、転職を考えていた。
その折、フランクフルトを訪問した先生との出会いが。運営役員だったシミズさんに、先生は職場のことを尋ね、「いい会社だね。20年頑張りなさい」と声を掛けてくれた。
そして、そばにあった扇子に筆を走らせ、シミズさんに贈った。
「忘れまじ 君が育つを 待つ日々と 五月十九日 ドイツにて 清水君 大作」
シミズさんは述懐する。「退職しようとしていたことを見抜かれたのだと思います。先生の言葉に奮起し、職場で信頼を得ようと懸命に働きました」
努力が実り、シミズさんは管理職として次々に昇進を果たす。
そして、92年に先生がオーストリアを訪問した際は、運営役員として同行した。
「振り返れば、この時、オーストリア広布との縁が結ばれたのだと思います」
98年、部長職でオーストリアへ転勤に。2004年に独立・起業し、現在は日本とオーストリアの技術協力や貿易を軸とした投資・代理業務などを幅広く展開している。
師との約束を胸に、社会に貢献し、広布の最前線でも活躍を続ける中で、家族の宿命転換を果たした。
入会当時、体の弱かった母は見違えるように健康になり、2度のがんを乗り越えた。全ての苦難を題目根本に乗り越えた母の姿に、本物の信心を教わった。
長年、信心に猛反対だった父も晩年は学会への理解を深め、オーストリア広布に励むシミズさんの背中を押してくれるように。父は今年3月、母は今年7月、地域の同志の方々の祈りに包まれ、共に91歳で、眠るように霊山に旅立った。
傍らには、二人三脚で広布の道を歩む妻のルイーゼさん(副総合婦人部長)がいる。
結婚の際(83年)、フランクフルトに滞在していた先生に報告すると、一緒に勤行・唱題をしてくれた。「頼むよ」との先生の力強い声が耳を離れない。
シミズさんは今、縁する全ての人に「感謝の唱題」を送りながら、師から託され、師に誓った「オーストリア広布」という誉れの使命に生きる。

楽聖・ベートーベンが人生の大半を過ごしたオーストリア。先生は彼の楽曲を若き日から愛聴してきた。
聴力を失うなど、幾多の試練にも、ベートーベンは屈しなかった。鋼のような"生命のバネ"で苦難を跳ね返し、不滅の名作群を残していった。代表作の多くは、難聴になった20代後半以後に作られたものである。
苦悩と闘い抜き、栄光の凱歌を奏でた音楽家の生涯を偲び、先生はつづっている。
「死後もなお、彼の音楽は、世界の民衆の心を感動で征服しつつ、勝利、勝利の行進を続けている。『一人の人間における人間革命の波動は、これほど世界を変えるのだ。よし! 彼は音楽で、我は我の道で!』。〈我が青春の誓い〉と永遠に結ばれた街。それがウィーンなのである」
安逸をむさぼる人生に幸福はない。眼前に立つ試練の壁に雄々しく挑みゆく中に、充実の時は輝くのだ。
広布の誓願が刻まれたオーストリアの天地で対話に走る同志は、師の心を継ぎ、偉大なる人間革命の哲理を社会に広げている。

2017年10月7日土曜日

2017.10.07 わが友に贈る

副役職の皆様こそ
異体同心の要なり!
絶対勝利の力なり!
その勇気の一歩から
拡大の千波万波が!

四条金吾殿御返事 P1143
『一切衆生南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文あに自受法楽にあらずや』

☆女性に贈ることば 十月七日
素晴らしい恋愛は、実は、誠実で成熟した、「自立した個人」と「自立した個人」の間にしか生まれない。自分を磨くことが大切なのです。

☆今日のことば365 十月七日
多数派の意見が、必ずしも優れているといえない。少数者の意見にも、よいものがある。ゆえに、少数者の、意見を大事にし、よく聞かなければいけない。

☆世界写真紀行第24回 北京・北海公園 2017年9月29日
◇人間の心に友情の橋を
静かな湖面。抜けるような青空。時代は移れど、変わらぬ悠久の時が流れる。
北京・故宮博物院の北西に位置する北海公園。
千年ほど前につくられ、現存する中国最古の宮廷庭園とされる。東京ドーム15個分にもなる広さの半分以上が、人造の湖からなる。
清の名君・乾隆帝が南方の園林を模した芸術的意匠を施したのをはじめ、中華文明の粋を凝らした「庭の中の庭」として歴代皇帝に愛された。
贅を尽くした庭園だが、今は人民に開かれ、地方からの観光客とおぼしき人の姿も多い。中国の人々にとっても、ここは憧れの地であり、最高の憩いの場所なのだろう。
池田先生は5度目の訪中となった1980年(昭和55年)の4月24日、庭園の湖に浮かぶ瓊華島のレストラン「?膳飯荘」で�穎超女史と語り合った。
周恩来総理の夫人として激闘の日々に伴走した女史は、静かに、そして熱く、中日友好が世々代々続くことへの願いを語った。総理の心を池田先生に託すように。
語らいの場を辞した後、池田先生は、にぎわう湖上の橋で一人の幼子を見つけた。膝を折り、目線を下げて"いつか日本へ"と優しく手を差し伸べる。さらに公園では、水色の服を着た子にも、素朴な親子らにも声を掛けた。
またこの訪中では、広東省の桂林と上海も訪れた。
雨が煙る桂林では、川の岸辺で遊んでいた子どもたちを招き、インスタントカメラで記念撮影を。「一生懸命に勉強して、立派な人に」と、小さな人民服をまとった子たちを包んだ。
上海では、非行少年が学ぶ学校を視察。「この学校で、しっかり学び抜いて、社会のために、お父さん、お母さんのために、自己自身のために勝利してください。決して落胆せずに大成長し、必ず日本に来てください。忍耐だよ。負けてはいけないよ!」と。
同行したスタッフの一人は振り返る。「先生はどこに行っても、寸暇を惜しむように青少年を励まされました。まるで日本の未来部員に接するかのように。そして、指導者に対するのと変わらぬ誠実さで。その一つ一つの振る舞いが脳裏に焼き付いています」
国家の要人であっても、名もなき少年少女であっても、たとえ国や言葉が違えど、一個の人間として真心で接し、心に橋を架けていく。万代に続く信頼と友誼も、そこから始まる。ここに、「人間外交」の真髄があろう。
池田先生は語った。
「私は中国を愛します。中国が大事です。同時に、人間を愛します。人類全体が大事なんです」
この訪中から37年。時代は大きく変わった。中国経済は著しく伸び、自転車の"洪水"だった北京の日常は、車の"洪水"になった。
けれども、池田先生が一人一人の人間と誠実に語り合い、築き上げた「金の橋」は今も変わらない。否、後継の若人たちが続き、いやまして輝きを放っている。
第5次訪中を終えた池田先生は、長崎の空港に降り立った。会長辞任からちょうど1年、初の本格的な地方指導の第一歩をしるした。九州の後、関西、中部、東海道へ。
一人また一人と同志を励まし、共に世界平和のスクラムを広げゆく大長征が、今再び始まったのも、この時だったのである。

2017年10月6日金曜日

2017.10.06 わが友に贈る

「願くは我が弟子等・
大願ををこせ」御聖訓。
誓いの道を真っすぐに
「私は勝った」と
言い切れる一日一日を!

生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』

☆女性に贈ることば 十月六日
誰か一人でもいい、信頼して何でも話せるよき相談相手をもつことが大切だ。客観的に見てくれて、自分のことを思ってくれる人のアドバイスに耳を傾けたほうが賢明である。

☆今日のことば365 十月六日
人を見る訓練というものは、長い人生の間に、ある程度は自然にできてゆくものかもしれない。裏切られたり、足をさらわれたり、ひどいめにあって、人を見る目も肥えていくが、このような小説を深く読んで、人物に対する目を開くことば大いに役立つものだ。

☆御書と歩む 第84回 生命尊厳の社会を築け!
『仏法渡って今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ』(教行証御書、1283ページ)

◇通解
日本に仏法が渡ってから今、七百余年になる。前代未聞の大法が、この国に流布して、インド・中国をはじめ、一閻浮提の一切衆生が仏に成ることができるとは、なんとありがたいことではないか。

◇同志への指針
大聖人の「立正安国」の大闘争から七百五十余年。一切衆生の幸福と平和という大願を受け継いで、今、世界中で地涌の友が立ち上がっている。一閻浮提広宣流布の「天の時」が来た。
乱世を照らす立正安国の哲学を、人類が渇仰している。我らは一歩も退かない。一人一人と確信の対話を広げ、民衆の笑顔が光る生命尊厳の社会を築きゆこう!

☆地域を歩く 東京都大田区 2017年9月27日
◇わが使命の故郷に尽くす
多摩川の土手に立つ。東の空に1機、また1機——数分おきに、飛行機が飛び立っていく。行き先は、北か南か、はたまた世界の国々か。機体は吸い込まれるように、空の彼方へ消えていく。
日本の"空の玄関口"といわれる、東京・大田区の羽田空港(東京国際空港)。1960年(昭和35年)10月2日、池田先生はここからアメリカ・ハワイへ、初の海外訪問に旅立ち、世界広布の第一歩をしるした。この日は、創価学会の「世界平和の日」となっている。
羽田平和会館のロビーには、57年前のその日、池田先生を見送る人々の様子を写した写真が飾られている。タラップを上り、飛行機に乗り込む先生。デッキでは多くの人が手を振っている。
撮影したのは飛田菊雄さん(故人)。この日の早朝に池田先生の出発を知り、妻の芳子さん(故人)と駆け付けた。
長女の宣子さん(地区副婦人部長)は語る。
「母はよく、10月2日が近づくと、写真を広げて眺めていました。生後半年だった私を抱いて向かったこと、午前9時には見送る人でいっぱいだったことなど、懐かしそうに教えてくれました」
そんな両親に育てられ、わが故郷と世界とのつながりを、おのずと意識するようになった。
今は、"世界広布も身近なところから始まる"との思いで、海外からの友人にも、学会の書籍を渡して対話を広げる。
地球を包む仏法の広がりに思いをはせながら、故郷の発展に尽くす——大田には、そんな同志の姿がある。

◇今いる場所から世界広布を進める
羽田の地域には、空港で働く人も多い。
女子部の岡�栄子さん(副本部長兼部長)は、国際線の客室乗務員として、月の半分以上を国外で過ごす。時差もある。気候の違いもある。「地元に帰ってメンバーに会うことが、私にとって一番の、心の活力になっています」
"時間が限られるからこそ、自由な時間をメンバーのために使いたい"と、訪問激励を大切にしている。海外の宿泊先でも、乗客の安全とともに、地元の女子部員のことを思い浮かべては題目を送る。
機内での一期一会の関わりにも、地元の友とのつながりにも、同じく真心を尽くせる自分でありたいと思っている。

空港から川を挟んだ向かいの、"羽田"と名が付く地域には、町工場や零細企業が並ぶ。
下田秀之さん(総区男子部副書記長)は昨年4月から、羽田平和会館の裏手に位置する父の会社を手伝う。そこでは再資源化されたプラスチックを、中国や東南アジアに向けて輸出している。
下田さんは以前、大手プラスチックメーカーに勤務していた。いつか父の後を継ぐことも考えて、同じ業界を選んだ。しかし父からは「お前は外で働く方がいい」と、常々言われた。
小さな会社は、社会のわずかな変化にさえも、大きな打撃を受けかねない。「父は、そうした自営業の厳しさを身に染みて知るからこそ、あえて私には、別の道を歩ませようとしたのだと思います」
同じように自営業で働く壮年部や男子部が周囲にいたことが心強かった。先輩たちは何でも相談に乗ってくれた。
何よりも母の「信心があれば、大丈夫」との確信が、背中を押した。
池田先生が幼少期を過ごした羽田。会館には、「故郷城」の碑が立つ。その地で、父と同じ苦労をしようと、下田さんは決めた。
「父からは、『信心も仕事も、基本が大切だ。基本を積み重ねる以外に何もできない』とよく言われました。早く一人前になって、両親を安心させたい」

羽田は昔、漁師町だった。今も、海老取川や多摩川には漁船が浮かぶ。漁師をなりわいにする人は減ったが、昔も今も週末には、釣り竿を担いだ人々が海や川へ繰り出していく。
町工場に勤める伊東重雄さん(副本部長)も昔は、釣り船を持っていた。職場の同僚や友人を誘っては船に乗った。
「船の上だと何でも話せるんです(笑い)。学会の話をすると、友人たちが『それなら、聖教新聞を読んでみるよ』って言ってくれたもんです」
釣りがきっかけで、町会長とも仲良くなり、町会の役員を頼まれるようになった。
「昔は、学会と地域の間に"見えない壁"があるように感じていました。でも、それは、自分が過剰に意識していただけだと気付いたんです。地元を大切に思う気持ちは一緒ですから」
現在は、町会の交通部長を務める。交通安全週間には、妻と共に家の前で、登校する子どもたちに無事故を呼び掛ける。

大きく発展した羽田の地域は今、建物の密集地だ。隙間無く家を詰め込んだような一帯は、車が入れないほどの細い路地が入り組んでいる。
これには、一つの理由がある。戦後、現在の空港の敷地に住んでいた人々は、GHQ(連合国軍総司令部)の指示により、立ち退きを余儀なくされた。そこで、川を渡った地域の、親戚や知人の庭に家を建てたというのだ。
砂利や貝殻のかけらが敷かれた、細い路地裏を通り、古くから広布の会場になっている安田はな子さん(支部副婦人部長)のお宅に向かった。
現在93歳。信心する前は体が弱かった。3人目の子を産んだ直後は体重が40キロを切り、日々、頭痛と目まいに襲われた。健康になりたいと、62年に信心を始めた。
近所の人からは、"しきみの神様を拝んでる"と言われた。唱題に挑戦し会合に参加すると、少しずつ心が晴れた。徐々に体も健康になった。
地区担当員(現在の地区婦人部長)になる時、先輩から「羽田を頼むよ」と言われた言葉が忘れられない。以来、近隣の一人一人の無事故と幸せを祈ってきた。
近くに住む宮原志げさん(婦人部員)は「安田さんは困った人がいると聞くと、食事の途中でもすぐに駆け付けてくれた」と。
「これが私の宝物です」と、安田さんが見せてくれたのは、自宅前の通りを写した写真。沿道の家々に、三色旗がはためいている。
「2001年の5月3日に撮ったものです。地域の人たちが、この日を一緒に祝ってくれたんです。みんなでお赤飯も食べたんですよ」
毎年、安田さん宅で行う婦人部総会には、10人以上の友人が参加する。
地区担当員の時代、メンバーと共に毎週末、空港との境を流れる海老取川の沿道の清掃を始めた。雑草を刈り、ゴミを拾う。「ここは、日本の玄関口ですから。空港に向かう人たちが気持ちよく通れるように。いつ、池田先生が来られてもいいように」
清掃活動は地区のメンバーに引き継がれ、30年以上も続いた。その道は現在、区によって桜の木が植樹され、地域の憩いの道になっている。
◇ 
先生は、かつて羽田会館(当時)を訪れ、羽田の同志に語った。
「羽田は私の故郷です。皆さんが日本一、幸せになってくだされば、私は安心して世界広布の指揮を執れます」
"今いる場所で、模範の地域貢献を進めよう"。それが、私たちの世界広布——羽田の友は、そう決意する。

2017年10月5日木曜日

2017.10.05 わが友に贈る

「なにの兵法よりも
法華経の兵法」だ。
題目を唱え抜く人は
絶対に行き詰らない。
全てに信心で挑もう!

妙一尼御前御消息 P1252
『譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇えり、父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し』

☆女性に贈ることば 十月五日
強くなれば、悲しみさえも栄養になる。苦悩が自分を深めてくれる。自分が押しっぶされそうな苦しみの底で、跡めて、人生と生命の真髄が、心に染み通ってくる。だから、苦しんだからこそ、生きなければならない。前へ前へ進むのである。

☆今日のことば365 十月五日
千里の道も一歩からである。その道を確実に前へ歩んで征く人は強い。今、何里まで来たかと振り返った時に、その途を歩んだことに喜びを見いだすことができる。

☆四季の励まし 開拓精神で限界の壁を破れ 2017年10月1日
「大願」に立たずして、
偉大な開拓は成し得ない。
開拓精神とは、
広宣流布の理想に生き抜く
不動の自覚に立つことだ。
決して現実の壁に怯まず、
断固として、
臆病の壁を破る勇気だ。
昨日よりは今日、
今日よりは明日と、
新しき戦野に挑みゆく闘魂だ。

勇気こそ
万事の決定打である。
あきらめや弱気を
打ち破るのも勇気だ。
限界に挑むのも勇気である。
「師子王の心」が学会魂である。
その勇気は「取り出す」ものだ。
勇気のない人はいない。
出していないだけなのだ。

勢いと気迫と執念をもって、
正義と真実の声を
発信し続ける以外にない。
声が邪悪を倒す。
声が時代を動かす。
仏法は「声仏事を為す」と説く。
声が世界を変えていくのである。

どこまでも
目の前の一人と向き合い、
誠実な、親身な、粘り強い対話を
積み重ねていくことだ。
躊躇していれば、
何も変わらない。
さあ、対話だ。友と会うのだ。
友と語るのだ。友を励ますのだ!

自らに勝たなければ、
真実の幸福は開けない。
広宣流布も、
勝つことによって進んでいく。
勝つことで、
わが仏の生命は輝いていく。
「成仏」とは、
真の勝利の異名なのである。
全員が勝とう!

ジェット機がゆっくり高度を上げると、窓の向こうに、緑野と大海原が広がっていた。1994年(平成6年)8月、池田大作先生は13日間の北海道指導を終えて、新千歳空港から次の目的地である青森へ。機内から"北の大地"にカメラを向けた。
開拓の地・北海道。明治初頭、開拓者たちは未開の地に飛び込み、艱難辛苦を乗り越えてきた。世界広布という未聞の道もまた、創価三代の会長の大闘争と、同志の共戦によって開かれてきたのである。
あす10月2日は、池田先生が海外訪問の第一歩を踏み出した「世界平和の日」。先生は「これまでと同じ考えで同じ行動をしていたのでは、開拓など、できようはずがない」と。今こそ、勇気を奮い起こし、自身の中にある"限界の壁"を打ち破ろう。

2017年10月4日水曜日

2017.10.04 わが友に贈る

奮闘するブロック長
白ゆり長に最敬礼!
地道な祈りと行動で
同志を鼓舞する
模範の存在たれ!

法華初心成仏抄 P557
『一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり』

☆女性に贈ることば 十月四日
老いを、単に死に至るまでの衰えの時期とみるのか、それとも、人生の完成に向けての総仕上げの時ととらえるのか。同じ時間を過ごしても、人生の豊かさは天と地の違いがある。まっ赤な夕陽のような荘厳な生命を燃やしゆくことだ。

☆今日のことば365 十月四日
花鳥風月−−大自然の美しさに、恵まれているわが国だが、四季のなかでも、秋は、また格別だ。特に夜がいい。一日の仕事を終え、一息いれながら、ふと眺める、さえた月に、忘れられていた自然を再発見し、そのなかにいる自分をあらためて見直してみることがある。

☆ロシア国際グローバル研究アカデミー「正会員証」授与に寄せた池田先生のメッセージ 2017年9月28日
一、貴国ロシアが掲げられた意義深き「環境年」の金秋に、豊穣なる英知の実りをもたらす国際学術会議「グローバリスティクス2017」の開催、誠におめでとうございます。
実行委員長であられるモスクワ大学のサドーヴニチィ総長、世界経済国際関係研究所のディンキン所長、モスクワ国際関係大学のトルクノフ学長をはじめ、ご関係の先生方に、満腔の敬意を表するものであります。
そして、このたびは光栄にも、貴・国際グローバル研究アカデミーの「正会員」にご選出いただいたことに対して、この場をお借りしまして、心からの感謝を申し上げます。
誠に誠に、ありがとうございました。

◇次世代へ継承できるか否か
一、地球社会の進むべき道を明晰に示しゆかれる世界的な知性の先生方が集われた本会議は、テーマに「グローバルなエコロジーと持続可能な開発」と銘打たれております。
私の胸には、人類の宝の大文豪であるトルストイ翁も、この集いを見守られているかの如く、その簡潔明瞭な洞察が蘇ってまいります。
すなわち、「幸福の最初の、そして万人にみとめられている条件」は何か? それは「人間と自然とのつながりが侵されていないような生活、つまり、大空のもとで、陽の光や新鮮な空気に親しむ生活、大地や動植物と結びつくことである」(中村融訳『トルストイ全集15』河出書房新社)と。
人類が営々と享受してきた、この幸福の第一条件たる「人間と自然とのつながり」が極めて衰弱し、断絶の危機さえ憂慮されているのが、現代世界であるといっても、決して過言ではないでしょう。
この生命の根源的な絆を蘇生せしめ、厳護し、次世代へ継承していくことができるか否かが、今、私たちに重大な使命として問われています。
そのために要請されるのが、まさしく「グローバルなエコロジー」という、地球全体を俯瞰する大いなる視座であります。
とともに、「持続可能な発展」という、未来世代の生存権を断じて守り抜かんとする責任感ではないでしょうか。
「文明」と「教育」の未来を展望して、私は、敬愛してやまぬサドーヴニチィ総長と縦横に対話を重ね、対談集を発刊してまいりました。とりわけ、総長はいち早く、「エネルギー」と「エコロジー」という両側面からの挑戦に対し、「学問」と「倫理」で応戦していくことを呼び掛けられました。
そして、その先頭にモスクワ大学が立って、世界の大学の連帯を牽引してこられたのであります。
私たち創価大学も、その同志として共に探究し、行動しゆくことを誇りとし、喜びとしております。
生命と生命が織り成す妙なる連関性について、仏典には「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」(御書574ページ)とあります。
主体となる人間の生命と、それを取り巻く環境世界は一体不二の関係にあり、生命から環境、環境から生命、さらに、生命同士、環境同士と、それぞれ瞬間瞬間に作用し合っております。互いに尊き価値を創造しながら、生命と環境を未来へと、つないでいくのであります。
仏法の眼に照らせば、この慈悲の働きこそが、大自然と大宇宙の本然の力用であります。ゆえに人間も、なべての生命の尊厳に目覚めつつ、大宇宙の慈悲のリズムと大法則に則って、自他共の幸福に、自然との共生に、国土の平和に、そして未来の繁栄に尽くしていくべきことを促しているのであります。

◇環境教育の持つ可能性
一、「環境教育」の持つ大きな可能性を、私自身、深く実感してきました。
その一端として、私の創立した関西創価学園では、NASA(アメリカ航空宇宙局)の教育プログラム(アースカム)に参加しております。
400キロの天空を周回する国際宇宙ステーションのカメラを、学園生たちが、自ら地上から遠隔操作し、地上を撮影するという取り組みです。世界各地の定点観測も継続して行い、気候変動による影響等も調査しています。
10代の瑞々しい科学者たちが、森林の消失や砂漠の拡大なども鋭敏に直視しつつ、美しき母なる地球の環境を、断じて守り抜かんとする決意を深めているのであります。
一、本会議には、ロシアの宇宙開発の父・ツィオルコフスキーの生誕160周年を祝賀する意義も込められていると、伺っております。
ツィオルコフスキーは、「大宇宙は、永遠に青春である」と謳い上げ、「人間の英知は、宇宙の最も強力な要因であり、大海よりも広大である」との素晴らしい言葉を残しました。
青年を愛し育む心に満ちた本会議が、「永遠の青春」の息吹を漲らせつつ、"宇宙で最も強力な"人間の英知の結集で、この星の未来を希望の大光で照らしゆかれますことを、心から念願して、私のメッセージとさせていただきます(大拍手)。

2017年10月3日火曜日

2017.10.03 わが友に贈る

御聖訓「仏の如く
互に敬うべし」
一人一人の敢闘を
心から讃え合おう!
皆で歓喜の大行進を!

開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』

☆女性に贈ることば 十月三日
苦労を避けてはならない。断じて悩みに勝たなければならない。自分の宝は自分でつくる以外にない。
自分自身が自分自身で「よかった」「勝った」と言える人生の価値を創ることだ。その人が栄光の人、勝利の人である。

☆今日のことば365 十月三日
人間の網膜に映った単なる、事実が、ことごとく真実を語っているとは限らない。いや、真実をゆがめ、真実を嘘にすることもあろう。ここが、大事なところだと思う。

☆新世紀の旭日 アメリカ創価大学第4回 セカンドホーム(第2の家) 2017年9月19日
◇支え合う"家族"の絆
三方を谷に囲まれた丘の上にあるアメリカ創価大学(SUA)。緩やかな傾斜が続くキャンパスの、一番高い場所には学生寮が立つ。
SUAは「学生第一」。最も見晴らしの良い、美しい場所に学生寮を——創立者・池田先生の心である。
サンライズ(日の出)、ホライズン(地平線)、オーロラなど、それぞれに名が付いた八つの寮で、世界中から集った学生たちが学ぶ。
SUAの学生は、約4割が米国外からの留学生である。この割合は、先日、米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」が発表した大学ランキングでも、全米の第1位に輝いた。
入学を機に、初めて家族と離れて暮らす友も多い。そうした学生が安心して大学生活を送れるよう、さまざまなサポート体制が整う。
◇ 
リサ・ダイザーさんは、寮生活を支えるスタッフの中心。2001年の開学時から、寮に住み込みで学生に寄り添い続けてきた。
24時間、部屋の設備の不具合などに対応しながら、学生の悩みの相談に乗ることもしばしば。新しい環境で、生まれ育った文化や背景が異なる人と共に送る寮生活。すれ違いや葛藤があるのは当然である。
その一人一人に、「ありのままでいいんだよ」と訴えている。
「寮は自分の良いところも、弱い部分も、全てをさらけ出せる"家"のような場所。互いを受け入れ合う家族のような絆が、寮生活の中で育まれていきます」
SUAでは1年次、大学が割り当てたルームメートと、一つの部屋で共同生活を送る。2年次以降はルームメートを選択でき、個別の部屋に住みながら、バスルームを共有するのが一般的である。
13期生のキャシディー・ブラッドフォードさん(アメリカ)とカオリ・ツジさん(日本)は、2年間をルームメートとして過ごした。
1年次の、ツジさんの述懐。
「理想に燃えて入学したものの、英語力に不安がありました。でもキャシディーが、会った瞬間から笑顔で話を聞いてくれたから、少しずつ自信を持てるようになりました」
一方のブラッドフォードさんも、ツジさんに支えられた。「創価教育・学生研究プロジェクト」の責任者を務めた2年次。激務で身も心もへとへとになった時、部屋に帰ると、励ましの言葉が書かれたメモや、お菓子が置かれていた。
3年次の留学では、アルゼンチンでスペイン語を学んだ。ホームシックになった彼女を、すでに留学を終えていたツジさんがスカイプ(テレビ電話)で励まし続けた。
ブラッドフォードさんは言う。
「母国語が使えない環境で生活をすることがどれほど大変か分かった時、英語を学んでSUAに入学した友人への、心からの尊敬の念が生まれました」
これは、他の多くの学生にも共通する思いだ。言葉が通じない。文化になじめない。こうした苦労を皆が一様に経験し、乗り越えるのが3年次の留学である。
学友への尊敬と感謝を一段と深めて、キャンパスで再会。SUAの多様性が、さらに輝きを放ち始める。

開学前のある時、設立準備委員会に出席した池田先生は、「創立者として、二つだけお願いしたい」と。
1点目に、寮の環境を、学生にとって素晴らしいものにする。
そして2点目が、食堂についてだった。「栄養バランスも良く、健康的で、食べるのが楽しみになるような食堂にしていただきたい。そうでないと勉強するにも力が出ません」
この提案のもと、教職員が直接、他大学の学食を視察するなどして、SUAの業者を選定した。
日々のカフェテリアは学生、教職員の触れ合いの場。勉学の合間の語らいが、活力の源になる。食事は毎日が食べ放題。経済的理由から、学生が節約しないようにとの配慮だ。
各国の料理が並ぶことも多い。
「母国の料理が出た時は、うれしかった。おいしい食事のおかげで、家族と離れていても頑張れます」。アフリカ出身の学生は語る。
時には、食事を部屋に持ち帰り、一人でゆっくり食べたい日も。
カフェテリアのスタッフは言う。「"元気がないな"と感じたら、声を掛ける時もあるよ。この大学はいい人たちばかりだから、何とか力になりたいと思ってね」
寮で、カフェテリアで、SUAの日常を支える人たちがいる。自分らしくいられる場所だからこそ、学生は、SUAを"セカンドホーム(第2の家)"と呼ぶ。

学生に囲まれる教職員にとっても、SUAは"ホーム"だ。
ホセ・ロペスさんとマリアさん夫妻は、04年から清掃スタッフとして働いている。
メキシコ出身で、英語は片言しか話せない。人との関わりはそう多くはないだろう——。そう思っていたが、SUAは違った。
スペイン語圏出身の学生や、スペイン語を学ぶ学生。そして時には、ほとんど話せないはずの学生が、「オラ(こんにちは)!」「コモエスタス(元気ですか)?」と話し掛けてくるではないか。その人懐っこさに押されて、二人も持ち前の陽気さで、学生たちに応じるようになっていった。
「会話の半分くらいしか通じていない時もありますよ。でも、心は通じている気がする。彼らとのやりとりが、私たちの生きがいです」
卒業生から、自宅にエアメールが届いたこともある。"私の父、母である二人へ"。それらは今も大切に飾っている。
「学生も、教職員も大好き。皆さんのために、キャンパスをきれいにすることだけは任せてくださいね」

インタビュー 2017年卒業 ダレーナ・トランさん
●「思いやりの心」を学んだ
アメリカ生まれの私は、複雑な家庭環境で育ち、「家族」と呼べる存在はいませんでした。友人たちはSUAを"セカンドホーム"と呼びますが、私にとっては"ファーストホーム(第1の家)"です。
自分一人で生きていける力を付けようと決め、学校では常にトップの成績を維持しました。他の有名大学にも合格しましたが、SUAへの進学を決めたのは、一人の先輩と話したのがきっかけです。SUAには「思いやりの文化」があるとの、彼の言葉が心に残ったのです。
思いやり——それは最初、私には理解できないものでした。人に優しくされ、手を差し伸べられても、裏切られるのを恐れ、関わることを拒否してきたからです。
しかし、SUAの友人たちは、落ち込んでいる私を見逃しません。「困った時は、いつでも話してよ」と声を掛けてくれました。体調を崩した時、一緒にカフェテリアまで歩いてくれた友人。病院に行きたい時、試験直前の勉強を中断して、車で送り迎えをしてくれた友人もいました。
私がどれほど人間関係に懐疑的でも、友人たちは、変わらぬ愛情で包み込んでくれました。
教職員も、いつも温かく励ましてくれました。そして世界中で、私たちを真心で支援してくださる寄付者の方々にも、深く感謝しています。
こうした人たちのおかげで、私もまた、自身の思いやりの心を広げようと挑戦を始めました。新入生をサポートするスチューデント・オリエンテーション・リーダー(SOL)や、来学者のツアーガイドなど、進んで人の中に飛び込みました。
もちろん最初は、ぎこちなさもありましたが、文化や価値観が異なる人と友情を育むためには、居心地のいい空間を抜け出すことが大切なのだと気付きました。SUAには、そうして自らの殻を破ろうと挑戦する友人が多くいます。だからこそ、どんな人をも受け入れる、思いやりの文化が生まれています。
卒業100日前に開かれた伝統の行事で、4年生を代表して、自身の体験を発表した時のこと。ステージに立った私を、司会が紹介しました。「私たちの最愛の一人です」と。そして場内から大拍手が起きました。忘れられない瞬間でした。
たとえ社会の無関心や無慈悲が叫ばれても、身近な人を思いやる一人がいれば、必ず社会は変わると確信します。思いやることを学んだSUAの卒業生として、私はそんな一人でありたいと願っています。

2017年10月2日月曜日

2017.10.02 わが友に贈る

◇今週のことば
我らには題目がある。
我らには師弟がある。
我らには団結がある。
「異体同心」の宝友と
いざや前進! 恐れなく
2017年10月2日

撰時抄 P265
『教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり』

☆女性に贈ることば 十月二日
新たな歴史は一人の挑戦から始まる。偉大な勝利は一人の戦いから始まる。
状況を嘆いたり、人任せにしてばかりいては、何も変わらない。自分が変われば、その分、世界が変わる。

☆今日のことば365 十月二日
悠久の大宇宙のなかに生きる自己の無限の可能性を確信して、たゆまず自己を開発していく。それこそ、人間の存在を無限に開く、最も意義ある人生といえましょう。

☆希望航路 池田先生と進む人生旅 オーストリア1 2017年9月18日
◇必ず幸福に! 仏法に犠牲はない
池田先生はこれまで、オーストリアを3度(1961年10月、81年5月、92年6月)訪問している。この激励行を原点として、同国のSGIメンバーは、どのように広宣流布を進めてきたのだろうか。その師弟のストーリーをひもとく。

20年ぶり2度目の訪問だった。81年5月25日、池田先生はブルガリアをたち、オーストリアの首都ウィーンに降り立った。
この時、同国SGIのメンバー数は、わずか17人。この訪問から広布拡大の上げ潮が起こるのである。
翌26日、先生は、ウィーン近郊で、英国オックスフォード大学のブライアン・ウィルソン教授と会談した後、SGIの懇談会に出席。オーストリア広布の未来を見据え、指針を贈った。
「仏法の信仰者は、生命の尊厳をもととして、文化、平和を徹底的に愛し、行動していっていただきたい。そして、勤行・唱題が一切の源泉となることを忘れてはならない。自分を大切に、家庭を大切に、良き市民として世界に貢献してもらいたい」
「オーストリアは、少人数の精鋭主義で、一人一人が身体的、精神的、社会的にも立派な輝く実証を示しゆくことが大切である。絶対に焦ってはならない。少人数で、長い将来の基盤を確実に築きゆく10年、20年であっていただきたい」
そして先生は、「きょうは、ここに世界一小さな本部を結成しよう」と提案。「まずは、良い人50人を目指そう」との具体的な指標も示した。
この席上、フルートの二重奏でオーストリア民謡を披露した夫妻がいる。キヨシ・ツクイさん(副理事長)と妻のエリカさん(ウィーン西本部総合婦人部長)である。
14歳でフルートを始めたキヨシさん。中学時代は学会の音楽隊で青春の汗を流した。
高等部の時、池田先生の「青年は世界を目指せ」との言葉を胸に刻み、音楽の都ウィーンに渡ったのは、74年のことである。
3年後、チェコ・プラハの国際コンクールで、同門だったエリカさんと出会い、79年に結婚。夫妻で広布草創の道を駆けた。
夫妻が奏でる麗しい音色を聴いた先生は、ウィーンの絵はがきにペンを走らせた。
「忘れまじ 二人のフルート 幸あれと」
さらに、先生は夫妻の熱演をたたえ、握手を交わした。夫妻の感激はひとしおだった。
終了後、キヨシさんは先生に、「オーストリアの国籍を取ろうと思います」と、かねてから抱いていた決意を報告した。
うなずいた先生は、「生涯、オーストリア広布に生き抜くんだよ」と励ました。
だが、キヨシさんには心配なこともあった。日本で暮らす家族のこと。すでに父は他界し、妹が母の面倒を見ていた。
「家族の将来をどう考えればよいでしょうか」と尋ねたキヨシさんに、間髪入れず、先生の力強い声が返ってきた。
「仏法には犠牲はないよ。私がいるじゃないか。創価学会があるじゃないか。お母さんは絶対に幸せになれる。心配ないよ」
そして、"日本に戻ったら、お母さまに必ずお会いするよ"と約束した。翌々月、先生は創価学園の栄光祭に、キヨシさんの母と妹を招待し、真心の励ましを送っている。
ツクイさん夫妻は、信心で多くの苦難を乗り越えた。難産の末、未熟児で誕生した双子も後継の道を歩む。
長女のサチエさんはウィーン経済大学で修士号を取得し、世界的な技術監査協会に勤務。SGIでは、ウィーン西本部で女子部本部長を務めている。
長男のヒロシさんは、創価大学文学部を卒業し、グラフィックデザイナーとして大手企業で働く。ウィーン北本部の男子部本部長として、友の激励に力を注ぐ日々だ。
キヨシさんは18年にわたり、オーストリアSGIの書記長を。
音楽家として、ミュルツツーシュラーク市立ヨハネス・ブラームス音楽学校の副校長を長年務め、東京でのコンサートを通じた両国の文化交流にも貢献を果たしてきた。

81年5月27日、先生はウィーン市内で、各界の名士と会見した。
オーストリア文部省ではフレド・ジノワツ副首相と、ウィーン国立歌劇場ではエーゴン・ゼーフェルナー総監督と会談。話題の中心は、80年秋に民音が招へいした同歌劇場の日本公演。両者から高い評価が寄せられた。
また、61年の初訪問時に宿泊したホテルの支配人・オスターダール氏やベートーベン博物館の管理人であるドボルジャック氏と懇談し、友情を育んでいる。
その間隙を縫い、先生は、同国SGIの初代本部長に就任したヨシオ・ナカムラさんのアパートを訪ねた。
先生は「皆で勤行しても大丈夫? お隣の迷惑にならないかな」と尋ね、了承を得ると、居合わせたメンバーと勤行・唱題した。
前日の本部結成の場で地区担当員(現在の地区婦人部長)の任命を受けたアヤコ・ナカムラさん(副総合婦人部長)はこの時、アパートに隣接するベルヴェデーレ宮殿の広場で、未来っ子たちのお守りをしていた。
「先生との勤行に参加できないことは残念でしたが、これも広布の重要な役目だと、遊んでいる子どもたちがけがをしないように、見守っていました」
数十分後、役目を交代してアパートに戻ったアヤコさんを、先生は温かく迎え、「子どもたちの面倒を見てくれてありがとう」とオレンジジュースを手渡してくれた。「その先生のぬくもりは、今も忘れられません」
新潟で生まれ育ったアヤコさん。夫の音楽留学を機に、オーストリアに渡り、78年7月に入会した。
移住した当初は、ドイツ語ができず、生活に不安を抱えていた。また、体質の関係で、医師から「自然妊娠はできない」と言われ、悩んでいた。
体調の優れない中、家計を支えるためにベビーシッターの仕事をし、片言のドイツ語で折伏にも挑んだ。
仏縁を広げたが、弘教はなかなか実らなかった。そうした苦悩の中での81年5月の先生の訪問だった。
26日の懇談会にも出席したアヤコさん。先生は握手し、「頑張るんだよ」と声を掛けてくれた。この時、先生は語っている。
「仏法に巡り合うということが、どれほどまれなことか。皆さんは、その喜びと誇りを持ってもらいたい」
アヤコさんは「確信に満ちた先生の声の響きに圧倒されました。仏法に出合えた感謝と、宿命転換しようという勇気が湧いたんです」と振り返る。
学会活動と弘教に挑み抜き、翌82年12月、アヤコさんは"不可能"といわれた自然妊娠で、待望の第1子を出産した。今、先生の激励行の記憶を青年部に語り継いでいる。
81年の先生の訪問を原点として、オーストリア広布は、着実な伸展を続けてきた。
そして、11年後の92年6月、先生の3度目の訪問を、幸福と勝利の実証をもって迎えるのである。

☆希望航路 池田先生と進む人生旅 オーストリア2 2017年9月21日
◇共に師弟栄光の劇を!
オーストリア広布の拡大の転機は、1981年5月の池田先生の激励行である。次の訪問(92年)までの11年間に入会した友は今、広布の中核を担う。
86年に御本尊を受持したラリー・ウィリアムス理事長も、83年に入会したヴァレリー・ルボー婦人部長も、そうしたメンバーだ。
また、日本とオーストリアの文化・教育交流が進み、SGIへの理解が広がった。
90年7月には、創価大学とクラーゲンフルト大学との間に、交流協定が結ばれている。翌91年6月、オーストリア芸術家協会は先生の写真芸術の業績を高く評価し、「在外会員」の証書を授与。92年には「自然との対話——池田大作写真展」が、オーストリア文部省の後援のもと、同協会と東京富士美術館の共催で開かれている。

理事長のウィリアムスさんは、プロの写真家である。26歳の時、ウィーンの中心にスタジオを構えた。彼の広告写真は街路を飾り、全国に名をはせる。
だが、多忙を極め、体が悲鳴を上げた。28歳で肝臓病を患い、生命の危機にひんする。
重篤患者ばかりの病棟で毎日のように人の臨終に接し、"地位や名声を得ても、生老病死の苦しみからは逃れられない"と思った。
退院後、仕事を共にした新聞記者から仏法の話を聴く。85年秋、誘われて行ったのは、ベルヴェデーレ宮殿の傍らにあるアパート。4年前に先生ご夫妻が訪問し、オーストリア広布の発展を祈った、ナカムラ初代本部長の自宅だった。
「世界広布を願う先生の題目に導かれ、地涌の使命を自覚しました」と、ウィリアムスさんは言う。
翌年、30歳で入会。日本でのSGI研修会に参加し、先生との出会いを重ねた。
男子部のリーダーとして広布をけん引し、第2次宗門事件の時も、正義の言論で同志を守った。
92年6月10日、ウィーン市立公園で、先生ご夫妻、同志と共に記念撮影を行った。
終了後、先生はドイツ訪問のため、車でウィーンの空港へ。駐車場から出る際、車道で交通整理をしていたのが、ウィリアムスさんだった。
先生は、車の窓を開け、右手を胸に当ててお辞儀をし、感謝の心を示した。
"陰の人"を忘れない。真心には真心で応える。その時の先生の温かなまなざしが、ウィリアムスさんの胸を離れない。

ルボー婦人部長は、フランス・マルセイユの出身。57歳でアルツハイマー病を発症した母を救いたいと、83年に入会した。闘病をわが事のように捉え、祈り、支えてくれたメンバーの真心に感激し、不退の信心を誓う。
パリの大学を卒業した後、高校の非常勤講師として、英語とフランス語を教える。87年にオーストリアに移住し、国連職員になってからも広布の最前線を走り続けた。
オーストリアSGIの初代女子部長に就任し、91年6月、南仏トレッツの欧州研修道場で、先生から声を掛けられた。
「あなたのことは知っているよ。妻と一緒に聖教新聞で見たよ。女子部長だね」
女子部長就任の際に掲載された聖教新聞の小さな記事を、覚えていてくれたのだ。感激がこみ上げた。
彼女には、忘れられない記憶がある。ウィーン市立公園での記念撮影の折、地道な信心を貫いてきた老紳士の前で、先生は立ち止まり、深々と頭を下げた。撮影が終わった後、普段は寡黙な老紳士が、感動の面持ちで語った。
「今まで、私に、あそこまで丁重に感謝を表し、関心を寄せてくれた人はいませんでした。先生の真心に涙の出る思いでした」
「励まし」とは、目の前の相手を尊重し、感謝の心を表すことから始まる。先生の姿にそう教わった。
ルボーさんは、国連職員の要職を担いながら2人の子を育て、家庭を守ってきた。
夫のウィリアムス理事長と共に、広布拡大に尽力。長男のシンイチさん、長女のヒロミさんは英国の大学に在籍し、後継の人材に成長している。
多忙な日々にも、ルボーさんは、メンバーの激励を欠かさない。
女子部時代は、朝、出勤前に女子部員宅を訪問。メンバーと一緒に勤行・唱題し、同志と共に一日のスタートを切った。7年前に婦人部長に就任してからも訪問激励に徹し、心の絆を大切にする。
青年部は、そんなルボーさんを"母""姉"のように慕い、信心を学んでいる。

ルイーゼ・シミズさん(副総合婦人部長)は欧州副女性部長を兼任し、主に東欧諸国を回りながら、同志の激励に奔走している。
シミズさんは、神奈川・鎌倉で生まれた。戸田先生の願業「75万世帯」への拡大の中、1955年5月、母・兄と共に入会。当時は父の酒乱に悩み、御本尊に向かう母の背中に信心を学んだ。
父の仕事の関係で縁したドイツへの留学を志し、74年、ヴュルツブルクの大学へ。修士号を取得した。
日本の交流団の通訳を担当した際、婦人部の友から、当時本紙に連載されていた小説『人間革命』第10巻の切り抜きをもらった。
描かれていたのは、「大阪の戦い」。一心に師匠を求め、報恩を貫く山本伸一青年の姿に胸を熱くした。
81年、ドイツを訪問した先生は、運営役員だったシミズさんに、「ありがとう」と。
「その凜々しく誠実な姿は、私が思い描いていた山本伸一青年の姿そのものでした」
その後、彼女はドイツ語のSGI公認通訳として、先生と識者との会見に同席。83年6月には、ライン川の船上で行われた先生とドイツの哲学者ヨーゼフ・デルボラフ博士との会見で通訳を務めた。
その際、先生から父のことを聞かれ、「いい娘になるんだよ」と声を掛けられた。
また後年には、博士との対談集『21世紀への人間と哲学』に「思い出の 対話の一書 わが君に」と記し、贈ってくれた。
師の指針を胸に、父の幸せを真剣に祈った結果、信心に反対していた父が、自らすすんで先生の著作をひもとくように。教学試験に挑み、同志と家庭訪問に歩くようになり、大好きだった酒も飲まなくなった。師の激励に応え、一家和楽の信心を築いたのだ。
シミズさんは今、オーストリアSGIの書記長を務める夫のヒロユキさんと広布の道を歩む。2人の娘も信心を継承し、長女のタカコさんは婦人部グループ長、次女のヒロコさんも女子部員として、希望の人生を開いている。

92年6月11日、ドイツ・フランクフルト市内でヨーロッパ代表者会議が開催された。
席上、先生は、前日に行われたウィーン市立公園での記念撮影で、オーストリアの同志に会えた喜びを語っている。出会いの場所に立っていたのは、ワルツ王とたたえられたヨハン・シュトラウス2世の像。先生はワルツの歴史に触れつつ、こう述べている。
「ワルツは"市民の音楽"である。貴族文化に対して、新しく下から盛り上がっていった新興の市民層の感情を表現している。私ども、妙法で結ばれた世界市民も、軽快に、そして楽しく——ワルツを踊るような気持ちで、ともどもに広宣流布の旅を勝利してまいりたい」
偉大な師の境涯に触れれば、試練に立ち向かう勇気が湧く。師と共に戦う喜びは、いかなる苦難をも使命に転じていけるのだ。
"広宣流布は、ワルツのように"——先生の指針に呼応し、広布の舞台に立つオーストリアの友は、師弟栄光の劇を舞いゆく。

2017年10月1日日曜日

2017.10.01 わが友に贈る

「喜とは自他共に喜ぶ事」
自分だけの幸福も
他人だけの不幸もない。
信頼と尊敬の絆を
社会の隅々に広げよう!

椎地四郎殿御書 P1448
『大海へ衆流入るされども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れどもかへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ』

☆女性に贈ることば 十月一日
一個の人間が、一生に経験することにはかぎりがある。しかし、読書によって、ほかの人が経験したことを、自分のものとすることができる。人生の深さ、世間の広さを知り、人間を洞察し、社会を見る目を養うことができると言ってよい。

☆今日のことば365 十月一日
さあ 待望の秋だ
読み書き
そして すべてに必ず一歩一歩
前進しよう

☆大白蓮華巻頭言 2017年10月号 わが地域を栄光の寂光土に
わが地域の広宣流布を一歩前進させる。そのために、どれほど深い祈りがあり、人知れぬ苦闘があることだろうか。この尊い一歩から、全ては始まる。
それは「立正安国」の拡大にも、さらには「世界平和の前進」にまで、力強く連動していくのだ。
60年前の秋、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を獅子吼し、核兵器の廃絶(はへ遠大なスケールで、 平和の潮流を起こしていかれた。と同時に、先生が着手された重大な布石が、足もとの生活の場である地域社会に密着したブロック組織の強化である。
その模範、すなわち、幸せあふれる地域の模範をつくらんと、私は、東京の下町、葛飾の初代の総ブロック長として、愛する同志と奔走を開始した。
私たちが、まず挑戦したのは、「地域の全同志がしつかり勤行をできるように」ということである。勤行、唱題こそ、幸福になるための最も基本の実践であり、人間革命と宿命転換の源泉であるからだ。
御義口伝には、「此を去って彼に行くには非ざるなり」「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」(P781)と明快に説かれている。
ゆえに我ら創価家族は、一人また一人に仏法を語り、一軒また一軒と家庭訪問を重ね、地涌の題目を強く広く響かせながら、一番身近な地域から寂光土の建設に挑んできた。どんな難儀な場所でも決して諦めず、どんな災難の時にも断じて屈せずに!

久遠より
 誓い願いし
  この地かな
 宝土に変えゆけ
   幸の仲間と

どうすれば、あの友が発心し、この家とも仏縁を結べるか。どうすれば、わが街に幸と正義の陣列を増やせるか。そう心を砕くリーダーの悩みこそ、地に足の着いた、何より気高い仏の悩みといってよい。
だからこそ、仏の智慧が湧き、仏の力が漲るのだ。
だからこそ、自他共に仏の生命を呼び覚まして、現実の濁世の只中でお互いに励まし合い、支え合う信頼と尊敬のスクラムを築き、広げていけるのだ。
頼もしいことに、それぞれのブロックや地区や支部などの誇り高き"幸福責任者"の方々と一緒に、団地部、地域部、農漁光部、そして勝利島の宝友が、いずこでも、かけがえのない地域社会の希望の灯台となって光を放ってくれている。
日蓮大聖人は仰せになられた。
「大木の下の小木・大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへ・ いきをえて・さかうる事に候」(P1170)
自行化他の題目を唱える創価の友が、その家に、その職場に、その地域に、一人いるということは、 「幸福の大樹」が毅然とそびえむっていることだ。
縁する人が、信心している、いないを問わずに、 皆を必ずや妙法の福徳で潤していくことができる。
さあ、御本仏より任された宝の郷土を、栄光の寂光土と栄えさせゆこう! そして、世界の友と題目の獅子吼を轟かせ、我らの地球に「平和の大河」を いよいよ滔々と流れ通わせていこうではないか!