新時代の連帯広げる
尊き壮年部の友よ!
向上の息吹に燃えて
今日も若々しく前へ!
皆が信心の王者たれ!
法蓮抄 P1051
『悪王あつて法華経を失わば身命をほろぼすとも随うべからず』
☆四季の語らい
太陽が郎れば、それを隠そうとする雲もある。しかし、どれほど雲が集まろうとも、太陽は太陽である。太陽の光を消すことは、絶対にできない。
☆女性に贈ることば 二月二十三日
人間として、たしかな目的をもって生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です。
☆今日のことば365 二月二十三日
"遊ぶのはよいが、遊ばれてはいけない"とよくいわれる。遊びを楽しめることが必要なのであって、けじめつかずに流されてはいけないという意味らしい。虚無的な遊びは、結局、疲労と悔恨、そして悲哀がのこる場合が多いだろう。仕事にせよ、"遊ぶ"にせよ、もっとも生き甲斐を感ずるのは、人間らしい知恵を発揮して、何かを創造していく時であるらしい。
☆仏法の教え 如説修行
【Q】日蓮大聖人と法華経の関係について教えてください。
【A】釈尊の教えの肝要である法華経を身読されたのが日蓮大聖人です。
『日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん』(開目抄、P203)
仏教の創始者である釈尊の願い。それは、説かれた教えの肝要である法華経に「我が如く等しくして異なること無からしめん」(法華経P130)とあるとおり、万人の成仏の実現でした。法華経には、さらに、こう説かれています。
「私(=釈尊)が亡くなって後、『後の五百歳』に正法を全世界に広宣流布して、断絶させてはならない」(同P601、趣意)
「後の五百歳」とは、釈尊の仏法が混乱するとともに、人々の生命が濁り、社会においても争いが絶えない末法のことです。この末法に正法である法華経が全世界に弘まっていくことを釈尊は予言されたのです。
この経文のままに妙法を弘通し、全人類の救済に立ち上がられたのが、末法の御本仏・日蓮大聖人です。
佐渡流罪の渦中に認められた「開目抄」では、『日蓮がいなければ、だれを法華経の行者と定めて、釈尊の予言を真実であると証明し助けることができるだろうか』(P203、通解)と仰せです。
大聖人は、法華経を弘めたために、経文に示されるとおりの大難に遭われました。法華経を身読されることで、法華経が真実の教えであることを証明されたのです。
【Q】真の大聖人門下の実践とはいかなるものでしょうか?
【A】日興上人のごとく、不惜身命で広宣流布に生き抜くことです。
『されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ』(撰時抄、P291)
『大願とは法華弘通なり』(P736)——日蓮大聖人は、自ら妙法弘通の御生涯を貫かれるとともに、弟子にも広宣流布の大願に生き抜くよう、繰り返し促されています。
『されば、わが弟子らよ、試みに法華経のとおり身命も惜しまず修行し、このたび仏法を試みなさい』(P291、通解)
大聖人は、6人の高弟を「本弟子」と定められ、滅後の広布を託されました(六老僧)。しかし、日興上人以外の五老僧は、権力に媚びへつらい、弾圧を恐れて「天台沙門(天台宗の僧)」と名乗るなど、大聖人の弟子としての誇りを捨ててしまいました。
その中で、日興上人のみが、「日蓮大聖人の弟子」と名乗られ、弟子の育成に尽力される傍ら、大聖人の御精神を永遠たらしめるために御書の収集・保存に努められたのです。
88歳で生涯を閉じる1カ月前には、末代の門下のために「日興遺誡置文」を定められました。
その中で『未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである』(P1618、通解)と仰せです。
この師弟に脈打つ不惜身命の精神を受け継いでいるのが、私たち創価学会員にほかなりません。
【Q】日顕宗も題目を唱えていますが……。
【A】日蓮仏法を詐称する悪侶とは徹して戦うことが、大聖人の仰せにかなった実践です。
『日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』(種種御振舞御書、P919)
『予が弟子等は我が如く正理を修行し給え』(P1367)
仏法を実践するにあたっては、日蓮大聖人が説かれた教義と実践を正しく継承することが大切です。
『(法華経の行者である)日蓮を、仮に用いたとしても、悪しく誤って敬えば、国は亡んでしまう』(P919、通解)
表面上は日蓮仏法を信奉しているようであっても、その実体が大聖人の御精神に違背しているならば、厳然たる「罰」の現証が現れることは、御聖訓に照らして間違いありません。
日顕宗の坊主は、信徒に対して「僧を呼んで追善しなければ、成仏できない」「塔婆を立てないと追善回向できない」など、御書のどこにもない邪義を振りかざし、戒名や塔婆を金儲けの道具として、自らの醜い欲望を満たしてきました。広宣流布の御遺命を忘れて、腐敗堕落の極みに陥った結果、信者は最盛期の2%にまで激減し、衰亡の坂を転がり落ちています。
『いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし』(P1494)
日蓮仏法を詐称する日顕宗とは徹して戦うことが、大聖人の御精神にかなった実践なのです。
〈智慧の扉〉 三国四師
日蓮大聖人は「顕仏未来記」の末尾で『安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く』(P509)と仰せです。
大聖人は、この御文の前の部分で、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師という三国の正師を受け継いで、末法に妙法を弘通してきたと述べられます。そして、この三国三師に御自身を加え、「三国四師」と名づけると述べられたのです。
この仰せは、釈尊から始まる仏教正統の精神が、天台大師、伝教大師を経て、大聖人に継承されているとの宣言にほかなりません。