2016年2月17日水曜日

2016.02.17 わが友に贈る

「竹の節を一つ破ぬれば
余の節亦破るる」
果敢な「一転突破」が
破竹の勢いを生む!
それが勝利の方程式だ!

立正安国論 P18
『仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く諸法も亦忘失せん』

☆四季の語らい
いかなる困難があろうが、一つ一つ、地道に、順番に積み上げて、努力し、そして待つことです。希望を決して失わずに、時を知り、時をつくり、時を待つことです。必ずや、勝利の時は訪れます。

☆女性に贈ることば 二月十七日
かけがえのない一生である。大切な、尊き自分自身である。将来に悔いや、心のかげりを残すような青春であってもらいたくない。
最後の最後に「私は幸福になった」「私は本当に満足だ。勝った」と笑顔で言える人生のための青春時代であっていただきたい。

☆今日のことば365 二月十七日
自分の幸福を犠牲にして、他人のため、社会のために尽くしていくのは、確かに美しい行為ではあるが、自分を失ってしまったならば、それは、単なるお人好しで終わってしまう。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 経王殿御返事�
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)8月、日蓮大聖人が流罪先の佐渡・一谷から、鎌倉の門下に宛てて送られたお手紙です。四条金吾宛てと伝えられてきましたが、詳細は不明です。
この門下の娘である経王御前が病気を患いますが、本抄は、その報告に対する御返事です。

◇御文
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124 7行目)

◇通解
この曼荼羅(御本尊)を、よくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

◇拝読範囲の大意(P1124冒頭〜10行目「皐諦女の守護ふかかるべきなり」)
冒頭で、経王御前の回復を諸天善神に一日中、祈っていることを述べられています。
また、日蓮大聖人は本抄を認める直前、本抄を頂くこの門下に御本尊を与えられていますが、この御本尊をわが身から離さず受持していくよう教えられています。
続けて、この御本尊は、正法・像法時代に誰も顕したことのない未曽有の本尊であることを示されています。そして、師子王がどんな獲物にも全力で向かうのと同じように、大聖人が全生命を注いで御図顕されたのが御本尊であると述べられます。
さらに、御本尊を強盛に信じていくならば、諸天善神に守られ、福徳あふれる幸福境涯を開いていけることを教えられています。

〈解説〉何ものにも揺るがぬ幸福境涯を築きゆこう
日蓮大聖人は、一切衆生を救うために、仏界を現した御自身の生命を御本尊に顕されました。
本抄を認められる直前、大聖人は、本抄を頂くこの門下に御本尊を与えられています。
掲げた御文の前段で大聖人は、御本尊について、正法・像法の2千年を通じて誰も顕したことのない本尊であり、今、大聖人が初めて顕されること、また大聖人が全生命を注いで顕されたものであることを示されています。
そして、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」と仰せです。私たちが唱える題目は師子吼のようなものであるとの意味です。
「師子吼」とは、師子がほえることをいいます。百獣の王であるライオンの声を聞けば、一切の獣は恐れおののき、逃げ去ります。同じように、御本尊に向かって真剣に題目を唱える時、胸中の仏界の生命を現して、いかなる病苦や障魔も打ち破っていくことができるのです。
さらに大聖人は、南無妙法蓮華経を持つ人は、諸天善神に守護されて、福徳あふれる、師子王のような悠々たる境涯を開いていくことができると教えられています。
妙法を持つ人は、どのような場所、どのような境遇にあっても、今いる所で"生きていること自体が楽しい"という絶対的幸福境涯を築くことができるのです。
この御本尊の功力を引き出すのは、御本尊を拝する私たち自身の信心です。大聖人は「能く能く信ぜさせ給うべし」と教えられています。
何があっても信心が揺らぐことなく、御本尊を拝して題目を唱えきっていく。この強盛な信心によって、いかなる苦難も乗り越えていくことができます。
ここで大切なのは、師匠と心を合わせた師弟不二の祈りです。
「御義口伝」には「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)と示されています。
弟子が師匠と同じく、どこまでも広布を願う一念で祈っていく時、その祈りを根本とする行動が人間革命の原動力となり、私たちは何ものにも微動だにしない境涯を築いていくことができるのです。
池田SGI会長は、広宣流布へ師弟が心を合わせて祈り、同志が異体同心で祈るところから、新しい前進が始まり、功徳も広がると述べて、「題目こそ、絶対勝利の力なのである」と呼び掛けています。
唱題を根本とした、華陽姉妹の異体同心のスクラムで2月闘争を勝ち開いていきましょう。

〈理解を深めよう〉「師子奮迅之力」
日蓮大聖人は本抄で、御本尊を認める御自身の姿勢について、師子王は「前三後一」といって、蟻を捕ろうとする時も、猛々しいものを捕ろうとする時も勢いを出すことは全く同じであると述べられています(御書1124ページ、趣旨)。
百獣の王である師子は、蟻であろうと、猛獣であろうと、どんな相手にも慎重かつ全力で挑みます。
この師子の様子になぞらえ、法華経従地涌出品第15では、仏が衆生を救うにあたって出す偉大な力を「師子奮迅之力」と説いています。「師子奮迅之力」は、師子奮迅の力との意味です。本抄で大聖人は、御自身が師子王に劣らぬ姿勢で御本尊を顕されたのは、「師子奮迅之力」と説く経文の通りであることを示されています。
私たちの実践で言えば、日々、目の前の課題の克服を祈り、全力で挑戦していく中に、「師子奮迅」の生き方があると言えるでしょう。そのための根本となる唱題も、勝利を真剣に願う強盛な一念で祈っていくことが大切です。
池田SGI会長は「大事は小事の積み重ねである。一日一日、目の前の課題に真剣勝負で挑み、一つ一つ、断固として勝っていくことだ。それが『師子奮迅』の勢いである」と述べています。
例えば、勇気の一歩を踏み出すこと、目の前の友を励ますこと。こうして自他共の幸福を願って、今いる場所で力を尽くしていく中に、師子王の闘争を貫かれた大聖人の弟子としての信心の姿勢があるのです。

◇SGI会長の指針から
大聖人は『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124)と断言されております。
題目の師子吼に勝るものはない。
若き不二の愛弟子たちは、断じて負けてはならない。
いかなる病も、いかなる悩みも乗り越えるためにある。
仏になるためにある。
断固と勝ち切って、大勢の苦悩の友を励まし、救っていくための試練である。
(2013・11・30付、青年部代表勤行会へのメッセージ)

「立正安国」の誓願を燃え上がらせ、朗々と妙法を唱え戦う我らに、「師子奮迅の力」が漲ってくることは絶対に間違いない。
何ものも恐れるな!
断じて負けるな!
共に励まし合い、共々に「師子奮迅の力」を出して、戦い、勝とうではないか!
(2013・4・27付、「随筆 我らの勝利の大道」〈師子奮迅の力を!〉)