誠実には誠実で
真心には それ以上の
真心で応えよう!
そこに信頼と友情の
花は咲き薫る。
土篭御書 P1213
『法華経を余人のよみ候は口ばかりことばばかりはよめども心はよまず心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』
☆四季の語らい
「闇が深ければ深いほど暁は近い」という言葉がある。しかし、新しい時代の扉が独りでに開くことはない。悲劇から立ち上がり、それを真正面から見据えて時代変革の"最大のチャンス"に転じていくかどうかは、あくまで人間にかかっている。
☆女性に贈ることば 二月十八日
年齢ではない。環境でもない。心である。
人生は心ひとつで、いつでも、どこでも、最高に輝かせることができる。
☆今日のことば365 二月十八日
女性にとって、若いということは、それだけで、すばらしい宝石をもっているようなものだ。みずみずしいというか、ういういしいというか、若い女性は、なにも飾らずとも、それだけで美しいものである。
☆〜新会員のための仏法入門〜 第22回 地涌の菩薩
◇現実世界を舞台に民衆を救済
釈尊は法華経において、滅後の悪世末法における弘教を上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩に託しました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、法華経の会座で大地から現れ出てきた「地涌の菩薩」を取り上げ、「日蓮と同意」で広宣流布に邁進する創価学会員こそ、釈尊久遠の弟子たる地涌の菩薩であることを確認します。
◇釈尊滅後に法華経を弘通
大乗仏教において"一切衆生を救済する志を立てて修行する者"を菩薩といいます。
法華経では、途中から、"釈尊の滅後、とりわけ末法に、法華経をだれが弘通するのか"が大きなテーマになります。
滅後の正法弘通を勧める釈尊に応えて、さまざまな菩薩たちが弘教を誓いますが、釈尊はその願いを退けます。そして"私の本当の弟子がいる"と宣言し、六万恒河沙(インドのガンジス河の砂の数の6万倍)もの無数の菩薩を大地の下から呼び出しました。これが地涌の菩薩です。
さらにそれぞれが無数の眷属(仲間)を率いていました。
その姿は、大きな山がそびえ立つように堂々としており、品格に満ちていて、智慧にあふれ、志が堅固で、強い忍耐力を持っています。
"釈尊を25歳の青年とすれば、地涌の菩薩はまるで人生経験豊かな100歳の人のように見える"と説かれるほど立派で気高いものでした。
これらの菩薩をいつ、どこで教えてきたのか——説法の場にいた大衆の質問に答えて、釈尊は、地涌の菩薩との師弟の関係を明かすために"久遠の昔から仏として化導してきた"と述べます。
◇"成仏の根源の法"を所持
地涌の菩薩は、釈尊の"久遠の弟子"として、はるか昔から修行を続けてきました。『能く能く心をきたはせ給うにや』(P1186)——鍛え抜いてきたゆえに、末法悪世にあっても困難を乗り越えて妙法を弘めていく力をもっています。だからこそ、釈尊は他の菩薩たちの願いを退けてまで、地涌の菩薩に未来の広宣流布を託したのです。
また、地涌の菩薩は、"成仏のための根源の法"を既に所持しており、釈尊と同じ仏としての生命境涯を持っています。しかし、どこまでも現実世界で人々を救っていくために、仏の境涯を持ちながらも、菩薩の姿として民衆の中で民衆と苦楽を共にします。
◇広布の大願に生き抜こう
末法の御本仏である日蓮大聖人は、この地涌の菩薩の上首(最高リーダー)である上行菩薩のお立場から、法華経に秘められた御自身の生命そのものである南無妙法蓮華経を御本尊として顕し、万人に成仏への道を開かれました。
「諸法実相抄」には『地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり』(P1359)と御自身が地涌の菩薩の先駆者として末法の民衆を救う大闘争を起こされたことを述べられています。
さらに、続く部分で『いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや』(P1360)と仰せです。
大聖人と同じ心で広宣流布の大願に生き抜く人は皆、地涌の菩薩であり、釈尊久遠の弟子にほかなりません。
◇戸田会長の"獄中の悟達"
第2次世界大戦中に軍部政府によって不当に捕らえられた戸田城聖第2代会長は、獄中で唱題と思索を重ねる中で「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得ました。出獄後、この"獄中の悟達"を原点として創価学会を再建し、日本の広宣流布の盤石な基盤を築かれたのです。
そして愛弟子である池田SGI会長の手によって、広宣流布の舞台は世界へと大きく飛躍し、今や地涌の連帯は192カ国・地域にまで広がりました。
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』(同P)
妙法に巡り合い、自らの使命を自覚した同志が、新たな悩める友に地涌の菩薩として生き抜く喜びを語り伝えていく。この希望の連鎖によって築き上げられた、地球を包むSGIのネットワークこそ、「地涌の義」そのものといえるでしょう。