◇今週のことば
黄金柱の壮年部は
「法華経の兵法」で戦う。
「師子吼の題目」で挑む。
大誠実の訪問・激励で
地域に輝く連帯を!
2016年02月29日
兵衛志殿御返事 P1090
『貪欲瞋恚愚癡と申すさけにえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候』
☆女性に贈ることば 二月二十九日
幸福は決して有名無名では決まらない。
浅はかな見栄に左右されることは愚かである。
平凡な中に、幸福という賢人の道を知っている女性は、すでに勝っているのだ。
☆今日のことば365 二月二十九日
なし ⇒ 変わりに池田大作名言100選より
読書
たった一つの言葉にも、人生を変える力がある。
たった一冊の本にも、時代を動かす力がある。
☆御書の解説 2016.02.27
Q 「世界広布」と言われても実感が湧きません。
A 今いる地域で使命を果たすことが第一歩
本部幹部会の中継行事に参加した伊藤くん。会館で小林男子部本部長にバッタリ会いました。
小林男子部本部長 お疲れさま! 今回の"本幹"、どうだった?
伊藤くん いや〜、やっぱりSGIの拡大の様子を聞くと、感動するというか、驚きますね!
小林 うん。まさに「世界広布新時代」って感じだね。
伊藤 日常の学会活動の中で世界広布を感じる機会が少ない分、海外の話を聞くと、刺激になります。
小林 あはは。でも僕は、毎日の学会活動の中に「世界広布」を実感しているけどなあ。
伊藤 え? うちの地域にSGIメンバーがいましたっけ? それとも外国人を折伏しているんですか。
小林 いやいや、そうじゃなくて(笑い)。他の国から見れば、日本だって「外国」だし、「世界の国の一つ」だろう。僕らの活動も立派な世界広布の戦いなんだよ。
伊藤 でもずっと日本にいると、実感が湧かないですよ。
小林 日蓮大聖人も、一度も日本から出られることはなかった。でも「一閻浮提広宣流布」を誓願され、『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり』(P1360)と仰せの通り、一人立ち、世界広布の未来を開かれたんだ。
伊藤 確かに……。
小林 そして池田先生の渾身の励ましによって、世界のあの国この地域に"広布の一粒種"が陸続と誕生した。その草創の先輩方が「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(同1467ページ)との御聖訓のままに戦ってこられたからこそ……。
伊藤 学会は192カ国・地域にまで広がったんですね!
小林 その通り! 池田先生は「世界広布といっても、その最前線は、いずこの国でも、一対一の対話ではないか」と綴られている。
伊藤 一対一の対話って、まさに僕らが日々、やっていることです。
小林 今いる場所で、広布の使命を果たしていくことが大事なんだ。それぞれの国や地域の"広布の清流"が世界中で同時に流れ、集まることによって、"世界広布の大河"となる——そんな新時代を、僕らは今、生きているんだよ。
2016年2月29日月曜日
2016年2月28日日曜日
2016.02.28 わが友に贈る
いつまでに何をするか。
「明確な目標」
「具体的な行動」が
壁を破りゆく力!
わが挑戦の劇を綴れ!
弟子檀那中への御状 P177
『定めて日蓮が弟子檀那流罪死罪一定ならん少しも之を驚くこと莫れ方方への強言申すに及ばず是併ながら而強毒之の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候、各各用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え』
☆四季の語らい
情熱の人は美しい、神々しく、崇高である。惰性の日々では、真に生きているとはいえない。「大情熱」こそ、生の証であり、勝利への道を開く。
☆女性に贈ることば 二月二十八日
自分の心が変わり、使命感が変われば、すべてが変わっていく。
人のために、と行動していくなかに、最も光り輝いていく生命の軌道がある。
☆今日のことば365 二月二十八日
押し潰されるような
いやな時があったならば
朝早くすがすがしい散歩でもする余裕を
持ってくれ給えと
私は 君に激励しておきたいのだ
☆農漁村ルネサンス体験主張大会へのSGI会長のメッセージ
◇「食」を育み「命」を養う究極の聖業
日本列島を明るく結び、そして希望の未来を開きゆく農漁村ルネサンス体験主張大会、誠におめでとうございます。
ご多忙の中、全国の中継会場にご臨席を賜りました諸先生方、ご友人の方々に心より御礼申し上げます。本当に本当にありがとうございました。
素晴らしい主張を発表してくださる皆さん方、また陰で大会を支えてくださっている皆さん方も、感謝に堪えません。
愛する東北の同志の心意気を起点とする、この大会も、おかげさまで、今や全国35万人以上の方々が参加され、旭日のごとく地域を照らし、社会を照らす"日本最大級の農漁村の集い"となりました。
一切の根本である「食」を育み、「命」を養う農漁業の営みは、人知れず、そして労苦をいとわずに、自らの心血を注ぎゆく究極の聖業であります。
私も海苔屋の息子です。少年時代に、真冬の東京湾での海苔作りを手伝った思い出を、今も掛け替えのない宝としております。
わがふるさとでは、どんな寒風の日のつらい労作業であっても、決して「寒い」とは口にしませんでした。あえて朗らかに「今日は、いいあんばいですね」と声を掛け合い、ねぎらい合ったのです。海が冷たければ冷たいほど色つやのよい、おいしい海苔ができると考えられていたからです。
時を超えて、今も農漁業を貫く、誇り高き「負けじ魂」と麗しいチームワークに、私は最大の敬意と感謝を表したいのであります。
今、私たち創価の連帯は、世界五大陸の192カ国・地域に広がりました。そして、いずこにあっても、生命尊厳の仏法の哲理を実践しながら、農漁業に取り組んでいる誉れの同志がおります。
先月は、イタリア全土の22会場を映像で結び、歓喜の大会が盛大に開かれました。その中心会場となった私どものミラノの会館は、いにしえ、緑したたる農場が広がっていた天地です。現在、16世紀の建物を修復した事務所や近代的な講堂が立つ敷地の前には、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチが設計に携わったとされる運河が、ゆったりと流れております。
経済の難局が続く時代にあって、私の友人たちも激闘を重ねておりますが、その中で、力強い成長産業として、イタリア社会の活力となっているのが、農林水産業であると伺いました。
聞けば、戦後の急速な発展のなかで、イタリアの村は、日本以上に、深刻な過疎化が進み、街は荒んでしまったといいます。
そうした中で、地域の自慢の食材や美しい景色、伝統の建物などを大切に生かして、新しい田舎の魅力をつくろうと、手作りの運動が起こりました。
当初は「無謀だ」と批判されましたが、地道な訴えの積み重ねで、だんだんと理解が拡大していきました。やがて、国レベルの取り組みとなり、世界から観光客が訪れる憧れの田園風景が、見事に築かれていったのです。
この創造的な挑戦においては、何といっても女性の活躍が際立ち、さらにうれしいことに、多くの若者が希望を見いだしているといいます。
ファシズムと勇敢に戦い、地球環境を守る先駆を切った、ローマクラブ創立者のペッチェイ博士も、私との対談で、こうした草の根の運動を高く評価されていたことを、懐かしく思い起こすのであります。
昨年のミラノ万博では、和食を紹介する日本館に長蛇の列ができました。また先日は、3年連続で日本の農林水産物・食品の輸出額が過去最高になったと発表されました。今、世界の熱い視線が、安全でおいしい日本の食に注がれる時代となったのです。
なかんずく、青き地球を包む壮大なスケールで、女性力・青年力を発揮し、知恵と創意工夫を重ねゆく、わが農漁光部の皆さんと大切な友人の方々こそ、生命共生と地域復興の新時代を切り開く"ルネサンス"の主役である!——私は、そう確信してやみません。
課題は、あまりにも多いでしょう。しかし、だからこそ、私たちの農漁業の未来には、無限の沃野が開かれております。
古代ローマの哲人セネカは、"賢者との出会いが、何より必要である"と叫びました。
大地を踏みしめ、大海原を見つめながら、最極の人生を生きゆく賢者が集い合う今日の会合が、大いなる知恵を分かち合い、新たな船出の機会となることを念願し、記念のメッセージとさせていただきます。
「生命の世紀」の先頭を照らす、平和の太陽のスクラム、万歳!
「明確な目標」
「具体的な行動」が
壁を破りゆく力!
わが挑戦の劇を綴れ!
弟子檀那中への御状 P177
『定めて日蓮が弟子檀那流罪死罪一定ならん少しも之を驚くこと莫れ方方への強言申すに及ばず是併ながら而強毒之の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候、各各用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え』
☆四季の語らい
情熱の人は美しい、神々しく、崇高である。惰性の日々では、真に生きているとはいえない。「大情熱」こそ、生の証であり、勝利への道を開く。
☆女性に贈ることば 二月二十八日
自分の心が変わり、使命感が変われば、すべてが変わっていく。
人のために、と行動していくなかに、最も光り輝いていく生命の軌道がある。
☆今日のことば365 二月二十八日
押し潰されるような
いやな時があったならば
朝早くすがすがしい散歩でもする余裕を
持ってくれ給えと
私は 君に激励しておきたいのだ
☆農漁村ルネサンス体験主張大会へのSGI会長のメッセージ
◇「食」を育み「命」を養う究極の聖業
日本列島を明るく結び、そして希望の未来を開きゆく農漁村ルネサンス体験主張大会、誠におめでとうございます。
ご多忙の中、全国の中継会場にご臨席を賜りました諸先生方、ご友人の方々に心より御礼申し上げます。本当に本当にありがとうございました。
素晴らしい主張を発表してくださる皆さん方、また陰で大会を支えてくださっている皆さん方も、感謝に堪えません。
愛する東北の同志の心意気を起点とする、この大会も、おかげさまで、今や全国35万人以上の方々が参加され、旭日のごとく地域を照らし、社会を照らす"日本最大級の農漁村の集い"となりました。
一切の根本である「食」を育み、「命」を養う農漁業の営みは、人知れず、そして労苦をいとわずに、自らの心血を注ぎゆく究極の聖業であります。
私も海苔屋の息子です。少年時代に、真冬の東京湾での海苔作りを手伝った思い出を、今も掛け替えのない宝としております。
わがふるさとでは、どんな寒風の日のつらい労作業であっても、決して「寒い」とは口にしませんでした。あえて朗らかに「今日は、いいあんばいですね」と声を掛け合い、ねぎらい合ったのです。海が冷たければ冷たいほど色つやのよい、おいしい海苔ができると考えられていたからです。
時を超えて、今も農漁業を貫く、誇り高き「負けじ魂」と麗しいチームワークに、私は最大の敬意と感謝を表したいのであります。
今、私たち創価の連帯は、世界五大陸の192カ国・地域に広がりました。そして、いずこにあっても、生命尊厳の仏法の哲理を実践しながら、農漁業に取り組んでいる誉れの同志がおります。
先月は、イタリア全土の22会場を映像で結び、歓喜の大会が盛大に開かれました。その中心会場となった私どものミラノの会館は、いにしえ、緑したたる農場が広がっていた天地です。現在、16世紀の建物を修復した事務所や近代的な講堂が立つ敷地の前には、万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチが設計に携わったとされる運河が、ゆったりと流れております。
経済の難局が続く時代にあって、私の友人たちも激闘を重ねておりますが、その中で、力強い成長産業として、イタリア社会の活力となっているのが、農林水産業であると伺いました。
聞けば、戦後の急速な発展のなかで、イタリアの村は、日本以上に、深刻な過疎化が進み、街は荒んでしまったといいます。
そうした中で、地域の自慢の食材や美しい景色、伝統の建物などを大切に生かして、新しい田舎の魅力をつくろうと、手作りの運動が起こりました。
当初は「無謀だ」と批判されましたが、地道な訴えの積み重ねで、だんだんと理解が拡大していきました。やがて、国レベルの取り組みとなり、世界から観光客が訪れる憧れの田園風景が、見事に築かれていったのです。
この創造的な挑戦においては、何といっても女性の活躍が際立ち、さらにうれしいことに、多くの若者が希望を見いだしているといいます。
ファシズムと勇敢に戦い、地球環境を守る先駆を切った、ローマクラブ創立者のペッチェイ博士も、私との対談で、こうした草の根の運動を高く評価されていたことを、懐かしく思い起こすのであります。
昨年のミラノ万博では、和食を紹介する日本館に長蛇の列ができました。また先日は、3年連続で日本の農林水産物・食品の輸出額が過去最高になったと発表されました。今、世界の熱い視線が、安全でおいしい日本の食に注がれる時代となったのです。
なかんずく、青き地球を包む壮大なスケールで、女性力・青年力を発揮し、知恵と創意工夫を重ねゆく、わが農漁光部の皆さんと大切な友人の方々こそ、生命共生と地域復興の新時代を切り開く"ルネサンス"の主役である!——私は、そう確信してやみません。
課題は、あまりにも多いでしょう。しかし、だからこそ、私たちの農漁業の未来には、無限の沃野が開かれております。
古代ローマの哲人セネカは、"賢者との出会いが、何より必要である"と叫びました。
大地を踏みしめ、大海原を見つめながら、最極の人生を生きゆく賢者が集い合う今日の会合が、大いなる知恵を分かち合い、新たな船出の機会となることを念願し、記念のメッセージとさせていただきます。
「生命の世紀」の先頭を照らす、平和の太陽のスクラム、万歳!
2016年2月27日土曜日
2016.02.27 わが友に贈る
後継の育成こそ
万代の発展の礎だ。
未来部担当者の偉大な
貢献に心から感謝!
人類の宝を頼む!
祈祷経送状 P1357
『法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得広宣流布大願をも成就す可きなり』
☆四季の語らい
どんな悩みがあっても、それを克服する力は人間自身の心の中にある。そして逆境に打ち勝って、生命は強くなり、光り輝いていく。
☆女性に贈ることば 二月二十七日
いつも自然に振舞うこと、なごやかな雰囲気をつくること、笑顔を絶やさないことー一緒にいて、ありがたいなと思うのは、こうした妻の姿である。
☆今日のことば365 二月二十七日
青年時代の理想を一生もちつづけて実践する人が、人間としてもっとも価値ある人である。
☆華陽姉妹のための法華経入門 安楽行品14
◇安楽行とは?
迹門十四品の最後は「安楽行品」だね。「安楽行」ってことは、「楽な修行」ということ?
そんな修行があればいいけど。でも、何も苦労がないことが「安楽」ではないのよ。日蓮大聖人は、『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(P750)と仰せだよ。
「難と戦うこと」が「安楽」か。試練にぶつかったとしても決して揺るがない幸福の境涯が「安楽」ということなんだね。
◎「法華経の智慧」から
難を避け、苦しみを避けて、何か、こそこそと生きていくような弱々しい生命ではないのです。
「さあ何でもこい!」と。「さあ、また山を越えるぞ!山を越えた分、また人生を大きく楽しめるんだ。多くの人を救えるんだ」と。
究極の「積極的人生」が大聖人の仏法です。(普及版中巻P124〜125)
◇安楽行品の概要
「安楽行品」の冒頭、文殊師利菩薩が釈尊に「悪世において、どのように法華経を説き弘めていけばよいでしょうか」と質問します。
質問に対して釈尊は、「四安楽行」といって、�身�口�意�誓願の四つの修行法を教えたの。
「安楽行品」は、法華経の初心者である菩薩たちに、「対話の方法」を説いたものといえるかな。
えっ!そんなの初めて聞いたよ〜。今までの対話、題目と情熱だけでやってきたけど大丈夫だったかな。
すごい!それでいいのよ!大聖人は、『安楽行の体とは所謂上行所伝の南無妙法蓮華経是なり』(P798)と言われているんだ。安楽行の全てが「南無妙法蓮華経」に具わっているのよ。その上で、「安楽行品」が教えている、友の幸福のために発揮するべき智慧について学んでいきましょう。
◎「法華経の智慧」から
あらゆる人々に、どうしたら妙法の功徳を受けさせてあげられるか。安楽行品は、その一念を教えている。
ゆえに、友の幸福を真剣に祈り、智慧を発揮して仏法を語っていくなかに、安楽行品の心は全部生きてくるのです。(普及版中巻P119〜120)
◇四安楽行
「四安楽行」の一つ目は「身安楽行」。これは、「どう振る舞うべきか」と、「人との交際はどうするべきか」が説かれているの。
忍耐強く、優しく、誠実に振る舞うこと。そして人との交際では、誘惑されて仏道の志を失いそうなところへは近づくなと言われているね。
次に、「口安楽行」。これは口のきき方についての注意だよ。
例えば、経典の悪口を言ってはいけない、他人のここが好きとか嫌いとか言ってはいけないなどだね。
そうなの。ただ、あくまで法を説くにあたっては「方便を用いて皆を発心させ、次第次第に仏道に入らせよ」「慈しみの心をもって説け」「昼も夜もつねに、無上道の教えを説き、多くの因縁、譬喩を語って、衆生を歓喜させよ」などと強調しているよ。
どうしたら皆を元気にすることができるか、希望と安心を与えられるか、といつも考えているリーダーの姿勢に通じているね!
次は、「意安楽行」。心の持ち方について説かれているよ。
「法華経を説くにあたっては、妬み、怒り、驕り、へつらい、いつわりの心を捨てよ」。そして「法を弘める人を尊敬しなくてはならない」と言っているね。
それに、「法を説く相手が、深く法を愛しているから、その人には多く説き、そうでない人には少なく説く、ということがあってはならない」とも注意しているの。
どんな相手も温かく包容し、親身になって話を聞き、励ましていきなさいってことだね。
最後は、「誓願安楽行」。全ての衆生を救済する誓願を立てる努力のことだよ。
たとえ法を理解しようとしない相手だとしても、「私が最高の境地を得た時、この人を仏法から離れないようにさせよう」と思いなさい、と言っているよ。
どんなに反発している人であっても、絶対に見捨てずに包容していくということだね。その上で、実は、私たち学会員は、この「安楽行品」の誓願とは比べものにならないほど偉大な実践をしているといえるよ。
私たちって、そんなにすごいの?どういうこと?
「安楽行品」の菩薩は、「私が最高の境地を得た時」つまり、自分が仏になったら皆を救ってあげると言っている。それに対して、"自分のことを後回しにしてでも悩める人を救っていこう!"という心意気にあふれているのが、「地涌の菩薩」なんだ。
まさに、私たちは地涌の菩薩として、真っ先に悩んでいる友を救っているよね。自他共の幸福のために行動するなかで、真の仏の「安楽」の境涯が現れるんだね!
◇自在に弘教を
「安楽行品」の最後の部分では、「ケイチュウメイシュの譬え」が説かれます。
転輪聖王がメイシュを誰にも与えなかったように、仏がずっと胸中に秘めてきた法華経を今説いている、ということを譬えた説話だね。
転輪聖王は、車輪の形をした「輪宝」という武器を転がして、悪を砕き、国内を統治すると言われているよ。
王が「輪宝」を転じて敵を破ったように、仏は「法輪」、つまり対話・言論の力で戦っていくの。
大聖人は、転輪聖王について、「わずかな間に、全世界をめぐる」〈1042p 趣意〉と説かれているよ。
友から友へ、国から国へと「法輪」を次々に転じて、法を自由自在に弘めていくのが仏の闘争なの!
車輪の回転のように、常に友の幸福のために行動し続けている学会員さんの姿そのものだね。
世界に妙法を広めている学会は、まさに「広布の転輪聖王」だね!私もどんどん行動して対話を拡大していきたいな!
◎「法華経の智慧」から
一軒また一軒、こつこつと激励や弘教に歩く。一人また一人と、友から友に仏法を語っていく。
その行動こそ「転法輪」です。妙法を世界に転じ広げゆく「広布の転輪聖王」の行動です。その福運は永遠です。〈中略〉
今、行動した分だけ、来世も、次の生も、また次の生も、あるいは社会の大指導者となり、あるいは大科学者となり、大文豪、大経済人、大学者となり、また無名の庶民の王者となり、あらゆる長者の姿をとって、妙法を根本に人々を救っていけるのです。〈普及版 中巻 137p〉
【まとめ】
◇苦難を成長への糧に
万代の発展の礎だ。
未来部担当者の偉大な
貢献に心から感謝!
人類の宝を頼む!
祈祷経送状 P1357
『法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得広宣流布大願をも成就す可きなり』
☆四季の語らい
どんな悩みがあっても、それを克服する力は人間自身の心の中にある。そして逆境に打ち勝って、生命は強くなり、光り輝いていく。
☆女性に贈ることば 二月二十七日
いつも自然に振舞うこと、なごやかな雰囲気をつくること、笑顔を絶やさないことー一緒にいて、ありがたいなと思うのは、こうした妻の姿である。
☆今日のことば365 二月二十七日
青年時代の理想を一生もちつづけて実践する人が、人間としてもっとも価値ある人である。
☆華陽姉妹のための法華経入門 安楽行品14
◇安楽行とは?
迹門十四品の最後は「安楽行品」だね。「安楽行」ってことは、「楽な修行」ということ?
そんな修行があればいいけど。でも、何も苦労がないことが「安楽」ではないのよ。日蓮大聖人は、『今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(P750)と仰せだよ。
「難と戦うこと」が「安楽」か。試練にぶつかったとしても決して揺るがない幸福の境涯が「安楽」ということなんだね。
◎「法華経の智慧」から
難を避け、苦しみを避けて、何か、こそこそと生きていくような弱々しい生命ではないのです。
「さあ何でもこい!」と。「さあ、また山を越えるぞ!山を越えた分、また人生を大きく楽しめるんだ。多くの人を救えるんだ」と。
究極の「積極的人生」が大聖人の仏法です。(普及版中巻P124〜125)
◇安楽行品の概要
「安楽行品」の冒頭、文殊師利菩薩が釈尊に「悪世において、どのように法華経を説き弘めていけばよいでしょうか」と質問します。
質問に対して釈尊は、「四安楽行」といって、�身�口�意�誓願の四つの修行法を教えたの。
「安楽行品」は、法華経の初心者である菩薩たちに、「対話の方法」を説いたものといえるかな。
えっ!そんなの初めて聞いたよ〜。今までの対話、題目と情熱だけでやってきたけど大丈夫だったかな。
すごい!それでいいのよ!大聖人は、『安楽行の体とは所謂上行所伝の南無妙法蓮華経是なり』(P798)と言われているんだ。安楽行の全てが「南無妙法蓮華経」に具わっているのよ。その上で、「安楽行品」が教えている、友の幸福のために発揮するべき智慧について学んでいきましょう。
◎「法華経の智慧」から
あらゆる人々に、どうしたら妙法の功徳を受けさせてあげられるか。安楽行品は、その一念を教えている。
ゆえに、友の幸福を真剣に祈り、智慧を発揮して仏法を語っていくなかに、安楽行品の心は全部生きてくるのです。(普及版中巻P119〜120)
◇四安楽行
「四安楽行」の一つ目は「身安楽行」。これは、「どう振る舞うべきか」と、「人との交際はどうするべきか」が説かれているの。
忍耐強く、優しく、誠実に振る舞うこと。そして人との交際では、誘惑されて仏道の志を失いそうなところへは近づくなと言われているね。
次に、「口安楽行」。これは口のきき方についての注意だよ。
例えば、経典の悪口を言ってはいけない、他人のここが好きとか嫌いとか言ってはいけないなどだね。
そうなの。ただ、あくまで法を説くにあたっては「方便を用いて皆を発心させ、次第次第に仏道に入らせよ」「慈しみの心をもって説け」「昼も夜もつねに、無上道の教えを説き、多くの因縁、譬喩を語って、衆生を歓喜させよ」などと強調しているよ。
どうしたら皆を元気にすることができるか、希望と安心を与えられるか、といつも考えているリーダーの姿勢に通じているね!
次は、「意安楽行」。心の持ち方について説かれているよ。
「法華経を説くにあたっては、妬み、怒り、驕り、へつらい、いつわりの心を捨てよ」。そして「法を弘める人を尊敬しなくてはならない」と言っているね。
それに、「法を説く相手が、深く法を愛しているから、その人には多く説き、そうでない人には少なく説く、ということがあってはならない」とも注意しているの。
どんな相手も温かく包容し、親身になって話を聞き、励ましていきなさいってことだね。
最後は、「誓願安楽行」。全ての衆生を救済する誓願を立てる努力のことだよ。
たとえ法を理解しようとしない相手だとしても、「私が最高の境地を得た時、この人を仏法から離れないようにさせよう」と思いなさい、と言っているよ。
どんなに反発している人であっても、絶対に見捨てずに包容していくということだね。その上で、実は、私たち学会員は、この「安楽行品」の誓願とは比べものにならないほど偉大な実践をしているといえるよ。
私たちって、そんなにすごいの?どういうこと?
「安楽行品」の菩薩は、「私が最高の境地を得た時」つまり、自分が仏になったら皆を救ってあげると言っている。それに対して、"自分のことを後回しにしてでも悩める人を救っていこう!"という心意気にあふれているのが、「地涌の菩薩」なんだ。
まさに、私たちは地涌の菩薩として、真っ先に悩んでいる友を救っているよね。自他共の幸福のために行動するなかで、真の仏の「安楽」の境涯が現れるんだね!
◇自在に弘教を
「安楽行品」の最後の部分では、「ケイチュウメイシュの譬え」が説かれます。
転輪聖王がメイシュを誰にも与えなかったように、仏がずっと胸中に秘めてきた法華経を今説いている、ということを譬えた説話だね。
転輪聖王は、車輪の形をした「輪宝」という武器を転がして、悪を砕き、国内を統治すると言われているよ。
王が「輪宝」を転じて敵を破ったように、仏は「法輪」、つまり対話・言論の力で戦っていくの。
大聖人は、転輪聖王について、「わずかな間に、全世界をめぐる」〈1042p 趣意〉と説かれているよ。
友から友へ、国から国へと「法輪」を次々に転じて、法を自由自在に弘めていくのが仏の闘争なの!
車輪の回転のように、常に友の幸福のために行動し続けている学会員さんの姿そのものだね。
世界に妙法を広めている学会は、まさに「広布の転輪聖王」だね!私もどんどん行動して対話を拡大していきたいな!
◎「法華経の智慧」から
一軒また一軒、こつこつと激励や弘教に歩く。一人また一人と、友から友に仏法を語っていく。
その行動こそ「転法輪」です。妙法を世界に転じ広げゆく「広布の転輪聖王」の行動です。その福運は永遠です。〈中略〉
今、行動した分だけ、来世も、次の生も、また次の生も、あるいは社会の大指導者となり、あるいは大科学者となり、大文豪、大経済人、大学者となり、また無名の庶民の王者となり、あらゆる長者の姿をとって、妙法を根本に人々を救っていけるのです。〈普及版 中巻 137p〉
【まとめ】
◇苦難を成長への糧に
2016年2月26日金曜日
2016.02.26 わが友に贈る
一人一人の可能性を
最後まで信じ抜く。
それが仏法の人間主義!
真剣な祈りと励ましで
友の仏性を呼び覚ませ!
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
☆四季の語らい
「個性的に生きる」というのは、結構、大変です。個性的に生きるためには、自分というものを、しつかりもつことです。「自分の目」を開いて、ものごとを見、「自分の耳」を澄ませて人の話を聞き、「自分の頭」をフル回転させて考え、「自分の信念」を貫く勇気が必要です。
☆女性に贈ることば 二月二十六日
栄誉に輝いた友をほめたたえ、ともに喜ぶ人は、その心に福徳が積まれていく。反対に、妬んだり、たいしたことはないと見くだしたりする人は、自身の福徳を消してしまう。
わが友を幸福にしゆく女性が、幸福の博士なのである。
☆今日のことば365 二月二十六日
人には、ほめられて、ますますそれを実践してよくなっていく人、ほめられたが途中から叱られて、よくなっていく人、また叱られてのびていく人、それから叱られてもなかなかよくならない人と四種類ある。ほめられて成長していくという人はごく少ない。ほんとうに叱ってくれる人がいるということは、ありがたいことであり、幸福なことだ。
☆新時代を創る 第7回 創価の女性は世界の希望
今、創価の友は、わが地域から社会へ、希望の対話を広げ、生き生きと人間主義の連帯を築いている。
新時代の2月闘争だ。友の奮闘に感謝しつつ、この20日に「渋谷の日」を迎える、東京・渋谷平和会館の前を車で通った(17日)。会館と共に、地域が発展しゆく様子は、うれしい限りだ。皆、誠実な粘り強い日々の行動で、幾重にも信頼を勝ち開いてこられた。
小事が大事である。地道な努力の積み重ねが、大きな勝利の花を咲かせる。
戸田先生が教えてくださった、広布の指導者の心得がある。それは——
「個人指導を大切に」
「小会合を大切に」
「言葉遣いを大切に」
「ふだんの交流を大切に」
「その家庭を大切に」
「その人の立場を大切に」——この六つである。
どうすれば、皆が元気に喜んで進んでいけるか。具体的に手を打つことだ。
何があろうと、妙法の力で変毒為薬していく。共に祈り、苦難を乗り越える。これが、我ら創価家族だ。
分け隔てなく、励まし合い、支え合う。心と心の絆が安心社会をつくるのだ。
桃の節句が近づくと、よみがえる思い出がある。
戦争中、空襲で、わが家は全焼した。なんとか運び出した長持ちに入っていたのは「ひな人形」だった。
気丈な母が言った。「このおひなさまが飾れるような家に、きっと住めるようになるよ!」。その明るい一言に、皆が救われた。
仏法は『声仏事を為す』(P708)と説く。確信の声、慈愛の声、智慧の声が、人の心を温める。
清々しい声で希望の門を開いてくれているのが、白蓮グループの皆様である。
その薫陶を宝として、たくさんの先輩たちが各界に世界に羽ばたいている。
国際的に活躍する女性教育者が、白蓮での薫陶は、どんな学府でも成し得ない生命の鍛錬であり、最高の幸福の土台になっていますと振り返っておられた。
麗しい華陽姉妹は、いつまでも、いくつになっても、広宣流布ひとすじに、青春の心で、はつらつと生き抜いていただきたい。
「題目」と「勇気」、そして「学会精神」を胸に!
最後まで信じ抜く。
それが仏法の人間主義!
真剣な祈りと励ましで
友の仏性を呼び覚ませ!
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
☆四季の語らい
「個性的に生きる」というのは、結構、大変です。個性的に生きるためには、自分というものを、しつかりもつことです。「自分の目」を開いて、ものごとを見、「自分の耳」を澄ませて人の話を聞き、「自分の頭」をフル回転させて考え、「自分の信念」を貫く勇気が必要です。
☆女性に贈ることば 二月二十六日
栄誉に輝いた友をほめたたえ、ともに喜ぶ人は、その心に福徳が積まれていく。反対に、妬んだり、たいしたことはないと見くだしたりする人は、自身の福徳を消してしまう。
わが友を幸福にしゆく女性が、幸福の博士なのである。
☆今日のことば365 二月二十六日
人には、ほめられて、ますますそれを実践してよくなっていく人、ほめられたが途中から叱られて、よくなっていく人、また叱られてのびていく人、それから叱られてもなかなかよくならない人と四種類ある。ほめられて成長していくという人はごく少ない。ほんとうに叱ってくれる人がいるということは、ありがたいことであり、幸福なことだ。
☆新時代を創る 第7回 創価の女性は世界の希望
今、創価の友は、わが地域から社会へ、希望の対話を広げ、生き生きと人間主義の連帯を築いている。
新時代の2月闘争だ。友の奮闘に感謝しつつ、この20日に「渋谷の日」を迎える、東京・渋谷平和会館の前を車で通った(17日)。会館と共に、地域が発展しゆく様子は、うれしい限りだ。皆、誠実な粘り強い日々の行動で、幾重にも信頼を勝ち開いてこられた。
小事が大事である。地道な努力の積み重ねが、大きな勝利の花を咲かせる。
戸田先生が教えてくださった、広布の指導者の心得がある。それは——
「個人指導を大切に」
「小会合を大切に」
「言葉遣いを大切に」
「ふだんの交流を大切に」
「その家庭を大切に」
「その人の立場を大切に」——この六つである。
どうすれば、皆が元気に喜んで進んでいけるか。具体的に手を打つことだ。
何があろうと、妙法の力で変毒為薬していく。共に祈り、苦難を乗り越える。これが、我ら創価家族だ。
分け隔てなく、励まし合い、支え合う。心と心の絆が安心社会をつくるのだ。
桃の節句が近づくと、よみがえる思い出がある。
戦争中、空襲で、わが家は全焼した。なんとか運び出した長持ちに入っていたのは「ひな人形」だった。
気丈な母が言った。「このおひなさまが飾れるような家に、きっと住めるようになるよ!」。その明るい一言に、皆が救われた。
仏法は『声仏事を為す』(P708)と説く。確信の声、慈愛の声、智慧の声が、人の心を温める。
清々しい声で希望の門を開いてくれているのが、白蓮グループの皆様である。
その薫陶を宝として、たくさんの先輩たちが各界に世界に羽ばたいている。
国際的に活躍する女性教育者が、白蓮での薫陶は、どんな学府でも成し得ない生命の鍛錬であり、最高の幸福の土台になっていますと振り返っておられた。
麗しい華陽姉妹は、いつまでも、いくつになっても、広宣流布ひとすじに、青春の心で、はつらつと生き抜いていただきたい。
「題目」と「勇気」、そして「学会精神」を胸に!
2016.02.25 わが友に贈る
御聖訓「仏の如く
互に敬うべし」。
全員が宝の人材だ。
共に褒め讃え合い
換気あふれる前進を!
諸法実相抄 P1359
『仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり』
☆四季の語らい
乱世である。乱世になればなるほど、原理原則が大切になる。右を見たり、左を見たりせず、不変の大道を歩むことが要求される。不安に振り回されたら、社会は自滅する。先が見えない時代だからこそ「不変の信念」を貫く人が信用される。
☆女性に贈ることば 二月二十五日
赤ちゃんが初めて自分を見つめて笑ってくれた時、片言のことばでしゃべった時。初めて自分の足で歩き始めた時 −。毎日が驚きと感動の日々だったと思います。
子どもがだんだん大きくなると、そうした感動を感じることは少なくなるかもしれませんが、子どもたちは変わることなく成長を続けているのです。その子どもの成長を温かく見守りながら、自分もともに成長する母親であり、教育者であってほしいと思います。
☆今日のことば365 二月二十五日
真の勝利は勇気と執念の連続によってのみ得られる
見栄をすて 外聞をすてて
体当たりで栄光の道を切り拓いてゆこう
☆御書と歩む 第5回 地涌の誇りを胸に
『上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべし』(寂日房御書、P903)
◇通解
(法華経神力品の「斯人行世間〈斯の人世間に行じて〉」の5文字は)上行菩薩が末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇を照らすであろうということである。
◇同志への指針
日蓮大聖人に連なり、末法という「今この時」に妙法を唱え弘める我らは、皆、地涌の闘士である。広宣流布は、全人類の宿命を転換し、世界の平和を実現しゆく究極の大聖業だ。一人一人が、久遠から誓い願って躍り出てきた宿縁深き兄弟姉妹なのだ。
さあ、共々に元初の太陽を生命に昇らせながら、いかなる苦悩の闇も打ち破り、勝利の大光を放ちゆこう!
互に敬うべし」。
全員が宝の人材だ。
共に褒め讃え合い
換気あふれる前進を!
諸法実相抄 P1359
『仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり』
☆四季の語らい
乱世である。乱世になればなるほど、原理原則が大切になる。右を見たり、左を見たりせず、不変の大道を歩むことが要求される。不安に振り回されたら、社会は自滅する。先が見えない時代だからこそ「不変の信念」を貫く人が信用される。
☆女性に贈ることば 二月二十五日
赤ちゃんが初めて自分を見つめて笑ってくれた時、片言のことばでしゃべった時。初めて自分の足で歩き始めた時 −。毎日が驚きと感動の日々だったと思います。
子どもがだんだん大きくなると、そうした感動を感じることは少なくなるかもしれませんが、子どもたちは変わることなく成長を続けているのです。その子どもの成長を温かく見守りながら、自分もともに成長する母親であり、教育者であってほしいと思います。
☆今日のことば365 二月二十五日
真の勝利は勇気と執念の連続によってのみ得られる
見栄をすて 外聞をすてて
体当たりで栄光の道を切り拓いてゆこう
☆御書と歩む 第5回 地涌の誇りを胸に
『上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべし』(寂日房御書、P903)
◇通解
(法華経神力品の「斯人行世間〈斯の人世間に行じて〉」の5文字は)上行菩薩が末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇を照らすであろうということである。
◇同志への指針
日蓮大聖人に連なり、末法という「今この時」に妙法を唱え弘める我らは、皆、地涌の闘士である。広宣流布は、全人類の宿命を転換し、世界の平和を実現しゆく究極の大聖業だ。一人一人が、久遠から誓い願って躍り出てきた宿縁深き兄弟姉妹なのだ。
さあ、共々に元初の太陽を生命に昇らせながら、いかなる苦悩の闇も打ち破り、勝利の大光を放ちゆこう!
2016年2月24日水曜日
2016.02.24 わが友に贈る
火事への用心を怠るな!
たこ足配線は厳禁。
ストーブやコンロの
消し忘れに気を付けよ。
油断は大敵だ!
佐渡御書 P960
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし』
☆四季の語らい
人間は、自分が「こうなろう」と、心に強く念じた通りの人間になれるものです。心に描いた「自分像」に近づいていけるのです。社会も、みんなが「こうしたい」と強く願った通りの方向に、近づけていけるのです。夢の力は偉大です。「サイフの中に何が入っているか」よりも、「心の中に何が入っているか」が、未来を決めるのです。
☆女性に贈ることば 二月二十四日
なんでも聞こう、学ぼう。友人を広げよう。こういう姿勢の人は、自身の可能性を大きく伸ばすことができる。
☆今日のことば365 二月二十四日
汝よ 汝は いかにして
そんなに苦しむのか
汝よ 汝は いかにして
そんなに泣くのか
汝よ 汝は いかにして
そんなに悩むのか
苦しむがよい
若芽が 大地の殻を打ち破って
伸びゆくために
泣くがよい
梅雨の、彼方の、太陽を仰ぎ見る日まで
已むを得まい
悩むがよい
暗い 深夜を過ぎずして
尊厳なる 曙の空を望むことはできないからだ
☆四季の励まし 動こう語ろう! 足取り軽く
御書に「仏種は縁に従って起る」
と示されている。
人の心は、
他者との触れ合いという
「縁」によって
大きく変わることができる。
ありのままの人間として
心を開き、声をかけていくのだ。
その瞬間から、
お互いの生命が、
より強く、より豊かに変わり始める。
対話は、生命と生命が奏でゆく
交響曲である。
活力あふれる前進のリズムも、
心通う信頼のハーモニーも、
新たな創造の旋律も、
対話から生まれる。
皆、最初の一声には勇気がいる。
だが、臆さず声をかければ、
そこから新鮮な魂の共鳴が広がる。
どんな機会も逃さず、
私は人と会ってきた。
「会う」ことで
学会の味方を増やした。
学会を強くしてきた。
「もう、会う人がいない」
というくらい、
会って会って会いまくる。
ここに学会の強さがある。
たくさん思い出をつくりながら、
生き生きと、
友情と信頼を広げてまいりたい。
黙っていては、大善を為し得ない。
臆さず、自分らしく、
自信満々と声を響かせていくのだ。
民衆の真実の声、
確信の声が轟くところ、必ず
「立正安国」の夜明けが開かれる。
常勝の春の曲を奏でながら、
勇気と希望の対話の花々を
爛漫と咲かせゆこう!
路傍の菜の花が、春を告げていた。鮮やかな黄色を目にすると、海風も、暖かく感じられる。
1999年(平成11年)2月下旬から、池田SGI会長は、太平洋を望む宮崎市の宮崎研修道場を訪れていた。青空の日、南国の一足早い春を同志に届けようと、シャッターを切った。
「菜の花」とは文字通り、食用の花という意味である。食卓を彩る野菜、また油の原料として、日本人の生活と結び付いてきた。
冬の単調な風景を見慣れた目には、その黄色がまばゆく、"さあ春だ" "動こうよ、語ろうよ"と促すかのようだ。今年も、春はすぐそこ。足取り軽く友のもとへ! 友情の花を咲かせよう。
たこ足配線は厳禁。
ストーブやコンロの
消し忘れに気を付けよ。
油断は大敵だ!
佐渡御書 P960
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし』
☆四季の語らい
人間は、自分が「こうなろう」と、心に強く念じた通りの人間になれるものです。心に描いた「自分像」に近づいていけるのです。社会も、みんなが「こうしたい」と強く願った通りの方向に、近づけていけるのです。夢の力は偉大です。「サイフの中に何が入っているか」よりも、「心の中に何が入っているか」が、未来を決めるのです。
☆女性に贈ることば 二月二十四日
なんでも聞こう、学ぼう。友人を広げよう。こういう姿勢の人は、自身の可能性を大きく伸ばすことができる。
☆今日のことば365 二月二十四日
汝よ 汝は いかにして
そんなに苦しむのか
汝よ 汝は いかにして
そんなに泣くのか
汝よ 汝は いかにして
そんなに悩むのか
苦しむがよい
若芽が 大地の殻を打ち破って
伸びゆくために
泣くがよい
梅雨の、彼方の、太陽を仰ぎ見る日まで
已むを得まい
悩むがよい
暗い 深夜を過ぎずして
尊厳なる 曙の空を望むことはできないからだ
☆四季の励まし 動こう語ろう! 足取り軽く
御書に「仏種は縁に従って起る」
と示されている。
人の心は、
他者との触れ合いという
「縁」によって
大きく変わることができる。
ありのままの人間として
心を開き、声をかけていくのだ。
その瞬間から、
お互いの生命が、
より強く、より豊かに変わり始める。
対話は、生命と生命が奏でゆく
交響曲である。
活力あふれる前進のリズムも、
心通う信頼のハーモニーも、
新たな創造の旋律も、
対話から生まれる。
皆、最初の一声には勇気がいる。
だが、臆さず声をかければ、
そこから新鮮な魂の共鳴が広がる。
どんな機会も逃さず、
私は人と会ってきた。
「会う」ことで
学会の味方を増やした。
学会を強くしてきた。
「もう、会う人がいない」
というくらい、
会って会って会いまくる。
ここに学会の強さがある。
たくさん思い出をつくりながら、
生き生きと、
友情と信頼を広げてまいりたい。
黙っていては、大善を為し得ない。
臆さず、自分らしく、
自信満々と声を響かせていくのだ。
民衆の真実の声、
確信の声が轟くところ、必ず
「立正安国」の夜明けが開かれる。
常勝の春の曲を奏でながら、
勇気と希望の対話の花々を
爛漫と咲かせゆこう!
路傍の菜の花が、春を告げていた。鮮やかな黄色を目にすると、海風も、暖かく感じられる。
1999年(平成11年)2月下旬から、池田SGI会長は、太平洋を望む宮崎市の宮崎研修道場を訪れていた。青空の日、南国の一足早い春を同志に届けようと、シャッターを切った。
「菜の花」とは文字通り、食用の花という意味である。食卓を彩る野菜、また油の原料として、日本人の生活と結び付いてきた。
冬の単調な風景を見慣れた目には、その黄色がまばゆく、"さあ春だ" "動こうよ、語ろうよ"と促すかのようだ。今年も、春はすぐそこ。足取り軽く友のもとへ! 友情の花を咲かせよう。
2016年2月23日火曜日
2016.02.23 わが友に贈る
新時代の連帯広げる
尊き壮年部の友よ!
向上の息吹に燃えて
今日も若々しく前へ!
皆が信心の王者たれ!
法蓮抄 P1051
『悪王あつて法華経を失わば身命をほろぼすとも随うべからず』
☆四季の語らい
太陽が郎れば、それを隠そうとする雲もある。しかし、どれほど雲が集まろうとも、太陽は太陽である。太陽の光を消すことは、絶対にできない。
☆女性に贈ることば 二月二十三日
人間として、たしかな目的をもって生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です。
☆今日のことば365 二月二十三日
"遊ぶのはよいが、遊ばれてはいけない"とよくいわれる。遊びを楽しめることが必要なのであって、けじめつかずに流されてはいけないという意味らしい。虚無的な遊びは、結局、疲労と悔恨、そして悲哀がのこる場合が多いだろう。仕事にせよ、"遊ぶ"にせよ、もっとも生き甲斐を感ずるのは、人間らしい知恵を発揮して、何かを創造していく時であるらしい。
☆仏法の教え 如説修行
【Q】日蓮大聖人と法華経の関係について教えてください。
【A】釈尊の教えの肝要である法華経を身読されたのが日蓮大聖人です。
『日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん』(開目抄、P203)
仏教の創始者である釈尊の願い。それは、説かれた教えの肝要である法華経に「我が如く等しくして異なること無からしめん」(法華経P130)とあるとおり、万人の成仏の実現でした。法華経には、さらに、こう説かれています。
「私(=釈尊)が亡くなって後、『後の五百歳』に正法を全世界に広宣流布して、断絶させてはならない」(同P601、趣意)
「後の五百歳」とは、釈尊の仏法が混乱するとともに、人々の生命が濁り、社会においても争いが絶えない末法のことです。この末法に正法である法華経が全世界に弘まっていくことを釈尊は予言されたのです。
この経文のままに妙法を弘通し、全人類の救済に立ち上がられたのが、末法の御本仏・日蓮大聖人です。
佐渡流罪の渦中に認められた「開目抄」では、『日蓮がいなければ、だれを法華経の行者と定めて、釈尊の予言を真実であると証明し助けることができるだろうか』(P203、通解)と仰せです。
大聖人は、法華経を弘めたために、経文に示されるとおりの大難に遭われました。法華経を身読されることで、法華経が真実の教えであることを証明されたのです。
【Q】真の大聖人門下の実践とはいかなるものでしょうか?
【A】日興上人のごとく、不惜身命で広宣流布に生き抜くことです。
『されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ』(撰時抄、P291)
『大願とは法華弘通なり』(P736)——日蓮大聖人は、自ら妙法弘通の御生涯を貫かれるとともに、弟子にも広宣流布の大願に生き抜くよう、繰り返し促されています。
『されば、わが弟子らよ、試みに法華経のとおり身命も惜しまず修行し、このたび仏法を試みなさい』(P291、通解)
大聖人は、6人の高弟を「本弟子」と定められ、滅後の広布を託されました(六老僧)。しかし、日興上人以外の五老僧は、権力に媚びへつらい、弾圧を恐れて「天台沙門(天台宗の僧)」と名乗るなど、大聖人の弟子としての誇りを捨ててしまいました。
その中で、日興上人のみが、「日蓮大聖人の弟子」と名乗られ、弟子の育成に尽力される傍ら、大聖人の御精神を永遠たらしめるために御書の収集・保存に努められたのです。
88歳で生涯を閉じる1カ月前には、末代の門下のために「日興遺誡置文」を定められました。
その中で『未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである』(P1618、通解)と仰せです。
この師弟に脈打つ不惜身命の精神を受け継いでいるのが、私たち創価学会員にほかなりません。
【Q】日顕宗も題目を唱えていますが……。
【A】日蓮仏法を詐称する悪侶とは徹して戦うことが、大聖人の仰せにかなった実践です。
『日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』(種種御振舞御書、P919)
『予が弟子等は我が如く正理を修行し給え』(P1367)
仏法を実践するにあたっては、日蓮大聖人が説かれた教義と実践を正しく継承することが大切です。
『(法華経の行者である)日蓮を、仮に用いたとしても、悪しく誤って敬えば、国は亡んでしまう』(P919、通解)
表面上は日蓮仏法を信奉しているようであっても、その実体が大聖人の御精神に違背しているならば、厳然たる「罰」の現証が現れることは、御聖訓に照らして間違いありません。
日顕宗の坊主は、信徒に対して「僧を呼んで追善しなければ、成仏できない」「塔婆を立てないと追善回向できない」など、御書のどこにもない邪義を振りかざし、戒名や塔婆を金儲けの道具として、自らの醜い欲望を満たしてきました。広宣流布の御遺命を忘れて、腐敗堕落の極みに陥った結果、信者は最盛期の2%にまで激減し、衰亡の坂を転がり落ちています。
『いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし』(P1494)
日蓮仏法を詐称する日顕宗とは徹して戦うことが、大聖人の御精神にかなった実践なのです。
〈智慧の扉〉 三国四師
日蓮大聖人は「顕仏未来記」の末尾で『安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く』(P509)と仰せです。
大聖人は、この御文の前の部分で、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師という三国の正師を受け継いで、末法に妙法を弘通してきたと述べられます。そして、この三国三師に御自身を加え、「三国四師」と名づけると述べられたのです。
この仰せは、釈尊から始まる仏教正統の精神が、天台大師、伝教大師を経て、大聖人に継承されているとの宣言にほかなりません。
尊き壮年部の友よ!
向上の息吹に燃えて
今日も若々しく前へ!
皆が信心の王者たれ!
法蓮抄 P1051
『悪王あつて法華経を失わば身命をほろぼすとも随うべからず』
☆四季の語らい
太陽が郎れば、それを隠そうとする雲もある。しかし、どれほど雲が集まろうとも、太陽は太陽である。太陽の光を消すことは、絶対にできない。
☆女性に贈ることば 二月二十三日
人間として、たしかな目的をもって生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です。
☆今日のことば365 二月二十三日
"遊ぶのはよいが、遊ばれてはいけない"とよくいわれる。遊びを楽しめることが必要なのであって、けじめつかずに流されてはいけないという意味らしい。虚無的な遊びは、結局、疲労と悔恨、そして悲哀がのこる場合が多いだろう。仕事にせよ、"遊ぶ"にせよ、もっとも生き甲斐を感ずるのは、人間らしい知恵を発揮して、何かを創造していく時であるらしい。
☆仏法の教え 如説修行
【Q】日蓮大聖人と法華経の関係について教えてください。
【A】釈尊の教えの肝要である法華経を身読されたのが日蓮大聖人です。
『日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん』(開目抄、P203)
仏教の創始者である釈尊の願い。それは、説かれた教えの肝要である法華経に「我が如く等しくして異なること無からしめん」(法華経P130)とあるとおり、万人の成仏の実現でした。法華経には、さらに、こう説かれています。
「私(=釈尊)が亡くなって後、『後の五百歳』に正法を全世界に広宣流布して、断絶させてはならない」(同P601、趣意)
「後の五百歳」とは、釈尊の仏法が混乱するとともに、人々の生命が濁り、社会においても争いが絶えない末法のことです。この末法に正法である法華経が全世界に弘まっていくことを釈尊は予言されたのです。
この経文のままに妙法を弘通し、全人類の救済に立ち上がられたのが、末法の御本仏・日蓮大聖人です。
佐渡流罪の渦中に認められた「開目抄」では、『日蓮がいなければ、だれを法華経の行者と定めて、釈尊の予言を真実であると証明し助けることができるだろうか』(P203、通解)と仰せです。
大聖人は、法華経を弘めたために、経文に示されるとおりの大難に遭われました。法華経を身読されることで、法華経が真実の教えであることを証明されたのです。
【Q】真の大聖人門下の実践とはいかなるものでしょうか?
【A】日興上人のごとく、不惜身命で広宣流布に生き抜くことです。
『されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ』(撰時抄、P291)
『大願とは法華弘通なり』(P736)——日蓮大聖人は、自ら妙法弘通の御生涯を貫かれるとともに、弟子にも広宣流布の大願に生き抜くよう、繰り返し促されています。
『されば、わが弟子らよ、試みに法華経のとおり身命も惜しまず修行し、このたび仏法を試みなさい』(P291、通解)
大聖人は、6人の高弟を「本弟子」と定められ、滅後の広布を託されました(六老僧)。しかし、日興上人以外の五老僧は、権力に媚びへつらい、弾圧を恐れて「天台沙門(天台宗の僧)」と名乗るなど、大聖人の弟子としての誇りを捨ててしまいました。
その中で、日興上人のみが、「日蓮大聖人の弟子」と名乗られ、弟子の育成に尽力される傍ら、大聖人の御精神を永遠たらしめるために御書の収集・保存に努められたのです。
88歳で生涯を閉じる1カ月前には、末代の門下のために「日興遺誡置文」を定められました。
その中で『未だ広宣流布が成就しない間は、身命を捨て、力の限り妙法を弘めていくべきである』(P1618、通解)と仰せです。
この師弟に脈打つ不惜身命の精神を受け継いでいるのが、私たち創価学会員にほかなりません。
【Q】日顕宗も題目を唱えていますが……。
【A】日蓮仏法を詐称する悪侶とは徹して戦うことが、大聖人の仰せにかなった実践です。
『日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』(種種御振舞御書、P919)
『予が弟子等は我が如く正理を修行し給え』(P1367)
仏法を実践するにあたっては、日蓮大聖人が説かれた教義と実践を正しく継承することが大切です。
『(法華経の行者である)日蓮を、仮に用いたとしても、悪しく誤って敬えば、国は亡んでしまう』(P919、通解)
表面上は日蓮仏法を信奉しているようであっても、その実体が大聖人の御精神に違背しているならば、厳然たる「罰」の現証が現れることは、御聖訓に照らして間違いありません。
日顕宗の坊主は、信徒に対して「僧を呼んで追善しなければ、成仏できない」「塔婆を立てないと追善回向できない」など、御書のどこにもない邪義を振りかざし、戒名や塔婆を金儲けの道具として、自らの醜い欲望を満たしてきました。広宣流布の御遺命を忘れて、腐敗堕落の極みに陥った結果、信者は最盛期の2%にまで激減し、衰亡の坂を転がり落ちています。
『いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし』(P1494)
日蓮仏法を詐称する日顕宗とは徹して戦うことが、大聖人の御精神にかなった実践なのです。
〈智慧の扉〉 三国四師
日蓮大聖人は「顕仏未来記」の末尾で『安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く』(P509)と仰せです。
大聖人は、この御文の前の部分で、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師という三国の正師を受け継いで、末法に妙法を弘通してきたと述べられます。そして、この三国三師に御自身を加え、「三国四師」と名づけると述べられたのです。
この仰せは、釈尊から始まる仏教正統の精神が、天台大師、伝教大師を経て、大聖人に継承されているとの宣言にほかなりません。
2016年2月22日月曜日
2016.02.22 わが友に贈る
◇今週のことば
学会は励ましの世界。
「勇気」即「慈悲」の声が
蘇生の力を広げる。
「自他共に喜ぶ」
大歓喜の人生を快活に!
2016年02月22日
法蓮抄 P1045
『現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』
☆四季の語らい
「戦う勇気」のなかに、人生の「幸福」と「勝利」がある。これが人生の真髄である。胸中に「戦う心」が燃えていれば、それ自体が勝利である。どんなに栄え、勝ち誇っているように見えても、「戦う心」をなくせば、すでに敗北である。
☆女性に贈ることば 二月二十二日
人生は戦いである。それが生命の法則である。戦いを避けることは、それ自体、敗北である。
幸福は勝ち取るものだ。
☆今日のことば365 二月二十二日
立派な少年は
必ず立派な 青年となる
立派な少年は
必ず立派な 社会人と
なることができる
希望にもえて
前進する少年は
必ず良い 社会の指導者と
なることができる
☆勝利の人間学 第90回 壁を破れ!道を開け!
◇一日一日が建設そして勝負
青春は一日一日が建設である。勝負である。
「報恩抄」には、『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(P329)と記されている。
広宣流布の大理想に向かって、仏道修行に励む青年は、それだけ忙しいし、苦労も多い。しかし、だからこそ、かけがえのない充実がある。計り知れない功徳を積める。
君の今日の挑戦が、広布の一歩前進だ。
あなたの明日の勝利が、創価家族の希望だ。
朗々たる勤行・唱題で、大宇宙のリズムと合致して、一日一日の目標と課題に、生き生きと粘り強く挑みゆこう!
◇白蓮姉妹よ 幸福の舞を
今、広布の華・白蓮グループの乙女たちが、全国各地で、はつらつと新出発している。
仲良く励まし合いながら、尊き使命を果たしてくれているスクラムに、感謝は尽きない。
「御本尊を中心とした団結ほど、この世で強く、固く、美しい団結はない」と語られた戸田先生も、どれほど喜ばれていることか。
法華経には『如蓮華在水(蓮華の水に在るが如し)』と説かれる。
たとえ、泥沼のような現実社会にあっても、白蓮姉妹は、誇り高き名前の通り、必ず最も尊貴な幸福の華の舞を広げていけるのだ。
どうか、自信とロマンに胸を張って、ますます明るく朗らかに前進していただきたい。
◇祈りこそ勝利の究極の力
日蓮大聖人は、『はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし』(P1192)と仰せられた。
祈りこそ、勝利の究極の力である。
妙法への「信」を深めて題目を唱え、「断じて勝つ!」と決めれば、いくらでも智慧が湧く。困難であればあるほど、勇気が漲る。
我らには、無敵の信仰がある。どんな苦境も突破できないわけがない。ゆえに、「異体同心の祈り」から出発するのだ。
誰よりもまず、青年が最前線を走り、連帯を広げる。そして壁を破り、道を開く。この師弟の二月の伝統を、愛する君たちに託したい。
学会は励ましの世界。
「勇気」即「慈悲」の声が
蘇生の力を広げる。
「自他共に喜ぶ」
大歓喜の人生を快活に!
2016年02月22日
法蓮抄 P1045
『現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』
☆四季の語らい
「戦う勇気」のなかに、人生の「幸福」と「勝利」がある。これが人生の真髄である。胸中に「戦う心」が燃えていれば、それ自体が勝利である。どんなに栄え、勝ち誇っているように見えても、「戦う心」をなくせば、すでに敗北である。
☆女性に贈ることば 二月二十二日
人生は戦いである。それが生命の法則である。戦いを避けることは、それ自体、敗北である。
幸福は勝ち取るものだ。
☆今日のことば365 二月二十二日
立派な少年は
必ず立派な 青年となる
立派な少年は
必ず立派な 社会人と
なることができる
希望にもえて
前進する少年は
必ず良い 社会の指導者と
なることができる
☆勝利の人間学 第90回 壁を破れ!道を開け!
◇一日一日が建設そして勝負
青春は一日一日が建設である。勝負である。
「報恩抄」には、『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(P329)と記されている。
広宣流布の大理想に向かって、仏道修行に励む青年は、それだけ忙しいし、苦労も多い。しかし、だからこそ、かけがえのない充実がある。計り知れない功徳を積める。
君の今日の挑戦が、広布の一歩前進だ。
あなたの明日の勝利が、創価家族の希望だ。
朗々たる勤行・唱題で、大宇宙のリズムと合致して、一日一日の目標と課題に、生き生きと粘り強く挑みゆこう!
◇白蓮姉妹よ 幸福の舞を
今、広布の華・白蓮グループの乙女たちが、全国各地で、はつらつと新出発している。
仲良く励まし合いながら、尊き使命を果たしてくれているスクラムに、感謝は尽きない。
「御本尊を中心とした団結ほど、この世で強く、固く、美しい団結はない」と語られた戸田先生も、どれほど喜ばれていることか。
法華経には『如蓮華在水(蓮華の水に在るが如し)』と説かれる。
たとえ、泥沼のような現実社会にあっても、白蓮姉妹は、誇り高き名前の通り、必ず最も尊貴な幸福の華の舞を広げていけるのだ。
どうか、自信とロマンに胸を張って、ますます明るく朗らかに前進していただきたい。
◇祈りこそ勝利の究極の力
日蓮大聖人は、『はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし』(P1192)と仰せられた。
祈りこそ、勝利の究極の力である。
妙法への「信」を深めて題目を唱え、「断じて勝つ!」と決めれば、いくらでも智慧が湧く。困難であればあるほど、勇気が漲る。
我らには、無敵の信仰がある。どんな苦境も突破できないわけがない。ゆえに、「異体同心の祈り」から出発するのだ。
誰よりもまず、青年が最前線を走り、連帯を広げる。そして壁を破り、道を開く。この師弟の二月の伝統を、愛する君たちに託したい。
2016年2月21日日曜日
2016.02.21 わが友に贈る
わが生命には
無限の向上の力がある。
限界を決めるのは
自分の弱い心だ。
確信と勇気で壁を破れ!
御義口伝巻上 P725
『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり』
☆四季の語らい
人間には「第二の誕生」がある。お母さんから生まれた時を「第一の誕生」としたら、自分が自分自身の羽で飛び始める時である。「成長」の時だから、いっぱい「悩み」があるものです。走れば「風」を受ける。山に登れば息が切れる。それと同じように、成長しているから「悩み」がある。「希望」と「悩み」との戦いが、青春時代です。自分の心の中で、どっちが勝つか、その競争です。
☆女性に贈ることば 二月二十一日
一流の人格の人は、友情を徹底して大切にする。信義を重んじる。
☆今日のことば365 二月二十一日
私はテレビ文化そのものを、否定しているのでは毛頭ない。ただ、その相対として、活字文化が軽視されるのを悲しむのである。テレビの楽しさを享受しつつも、それに埋没してはいけない。一人一人が主体性をもち、逆にテレビ文化を支配していくとき、初めてテレビ文化を超えたといいうるであろう。"家に本なきは、人に魂なきがごとし"と私は思うのである。
☆勝利の人間学 第89回 師子王と立て! 創価班よ 牙城会よ
◇厳護の誇りに生き抜け
正しい仏法を行ずる人々を断固として護り抜く──これが法華経を貫く誓願である。
日蓮大聖人は、熱原の法難の渦中、同志を護るため、矢面に立って奔走した若き南条時光に感謝なされ、「賢人」とまで讃えられた。
この賢人の行動を、現代に受け継いでいるのが、わが創価班であり、わが牙城会である。
それは、御義口伝に『最上第一の相伝』(P781)と仰せの『当起遠迎(とうきおんごう)、当如敬仏(とうにょきょうぶつ)』(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)の実践である。これほど誇り高き仏道修行はない。
日夜、仏意仏勅の学会を厳護する君たちを、御本仏は最大に讃嘆してくださっている。
◇陰の労苦ありて人間は偉大に
一回一回、どれほど苦労し、やりくりしての着任であるか。自らが悪戦苦闘しながら、同志のため、地域のため、使命に徹してくれていることも、私はよく分かっている。
戸田先生の訓練も厳しかった。「全体観に立って、陰で万全を尽くして手を打つ人間がいてこそ、戦いは勝利できるのだ」と。
ここに、常勝の人間指導者の薫陶がある。
創価班・牙城会で自らを鍛えた青年は、本物だ。社会のいずこでも勝ち光る、真生の実力を磨いていることを、自負してもらいたい。
君たちの偉大な「陰徳」の行動が、必ずや無量の「陽報」となって輝きわたることを、わが人生の勝利劇をもって証明するのだ。
◇世界広布の最強の連帯を
御聖訓には、『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし』(P1190)と仰せである。
師子王は、いかなる強敵も断じて恐れない。
師子王は、いかなる邪悪も勇敢に打ち破る。
どんな宿命の嵐が吹き荒れようと、題目の師子吼を唱え抜き、楽観主義で進むのだ。
今、世界中で、創価班・牙城会の友が、社会の第一級のリーダーと育ち活躍している。この仲間と最強の連帯を組み、破邪顕正の言論を広げ、民衆の凱歌を轟かせるのだ!
無限の向上の力がある。
限界を決めるのは
自分の弱い心だ。
確信と勇気で壁を破れ!
御義口伝巻上 P725
『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり』
☆四季の語らい
人間には「第二の誕生」がある。お母さんから生まれた時を「第一の誕生」としたら、自分が自分自身の羽で飛び始める時である。「成長」の時だから、いっぱい「悩み」があるものです。走れば「風」を受ける。山に登れば息が切れる。それと同じように、成長しているから「悩み」がある。「希望」と「悩み」との戦いが、青春時代です。自分の心の中で、どっちが勝つか、その競争です。
☆女性に贈ることば 二月二十一日
一流の人格の人は、友情を徹底して大切にする。信義を重んじる。
☆今日のことば365 二月二十一日
私はテレビ文化そのものを、否定しているのでは毛頭ない。ただ、その相対として、活字文化が軽視されるのを悲しむのである。テレビの楽しさを享受しつつも、それに埋没してはいけない。一人一人が主体性をもち、逆にテレビ文化を支配していくとき、初めてテレビ文化を超えたといいうるであろう。"家に本なきは、人に魂なきがごとし"と私は思うのである。
☆勝利の人間学 第89回 師子王と立て! 創価班よ 牙城会よ
◇厳護の誇りに生き抜け
正しい仏法を行ずる人々を断固として護り抜く──これが法華経を貫く誓願である。
日蓮大聖人は、熱原の法難の渦中、同志を護るため、矢面に立って奔走した若き南条時光に感謝なされ、「賢人」とまで讃えられた。
この賢人の行動を、現代に受け継いでいるのが、わが創価班であり、わが牙城会である。
それは、御義口伝に『最上第一の相伝』(P781)と仰せの『当起遠迎(とうきおんごう)、当如敬仏(とうにょきょうぶつ)』(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)の実践である。これほど誇り高き仏道修行はない。
日夜、仏意仏勅の学会を厳護する君たちを、御本仏は最大に讃嘆してくださっている。
◇陰の労苦ありて人間は偉大に
一回一回、どれほど苦労し、やりくりしての着任であるか。自らが悪戦苦闘しながら、同志のため、地域のため、使命に徹してくれていることも、私はよく分かっている。
戸田先生の訓練も厳しかった。「全体観に立って、陰で万全を尽くして手を打つ人間がいてこそ、戦いは勝利できるのだ」と。
ここに、常勝の人間指導者の薫陶がある。
創価班・牙城会で自らを鍛えた青年は、本物だ。社会のいずこでも勝ち光る、真生の実力を磨いていることを、自負してもらいたい。
君たちの偉大な「陰徳」の行動が、必ずや無量の「陽報」となって輝きわたることを、わが人生の勝利劇をもって証明するのだ。
◇世界広布の最強の連帯を
御聖訓には、『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし』(P1190)と仰せである。
師子王は、いかなる強敵も断じて恐れない。
師子王は、いかなる邪悪も勇敢に打ち破る。
どんな宿命の嵐が吹き荒れようと、題目の師子吼を唱え抜き、楽観主義で進むのだ。
今、世界中で、創価班・牙城会の友が、社会の第一級のリーダーと育ち活躍している。この仲間と最強の連帯を組み、破邪顕正の言論を広げ、民衆の凱歌を轟かせるのだ!
2016.02.20 わが友に贈る
今、何をなすべきか。
限られた時間を
最大に活用することが
日々の充実を生む。
賢明な「時間革命」を!
女人成仏抄 P471
『経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云』
☆四季の語らい
人間の尊厳を踏みつける悪を目の当たりにしながら、怒りもない。声も出せない。行動も起こせない。それでは、もはや「死火山」の人間である。いざという時に、青年は、正義の「活火山」となって、叫ばなければならない。戦わなければならない。平穏に生きるだけでは、自分の「歴史」はできない。それでは何のための人生か分からない。声があり、耳があり、口があり、頭がある。すべてを極限まで使いきってこそ、真の「人間」となる。
☆女性に贈ることば 二月二十日
人間の最も美しい姿のひとつは、真剣に仕事に打ち込んでいる姿である。
仕事に着任をもって、はつらつと取り組んでいる女性は、若さを失わない。
☆今日のことば365 二月二十日
大自然は、つぶさに観察すれば、するほど、その精巧さに驚嘆せずにはいられないような、複雑、微妙で、しかも壮大な生命の環を構成している。まさしく、宇宙の大芸術であるといってよい。昔から、人間の英知は、自らがその環のひとつであることを察知し、巧みに生きる術を考え出してきた。
☆四季の励まし 「慈愛の声」が「勇気の連鎖」に
どんな人も見放さない。
決めつけない。切り捨てない。
信じ抜き、手を差し伸べて、
仏性を呼び起こす。
これが仏法の人間主義だ。
迷える心に
勇気の一歩を踏み出させる力は、
真心の励ましである。
励ましが勇気を生む。
ここに、創価の世界の
限りなき勇気の連鎖がある。
広宣流布へ戦う同志に
最敬礼していくことだ。
心で思うだけでなく、
口に出さなければ
相手に伝わらない。
ほめて、ほめて、ほめ抜くことだ。
「励まし」が
前進のエネルギーになる。
「慈愛の声」が
皆の勇気になる。
自信になり、張り合いになる。
「声仏事を為す」である。
世の中には、
無数の「心が傷ついた人」がいる。
そういう人たちに癒やしの手を
差し伸べなければならない。
そうすることによって、実は
自分自身が癒やされていく。
エゴイズムに閉じこもっていては
幸福はない。
打って出て、
「人のため」に行動する時、
自分自身の生命の泉も
蘇生していくのである。
人と会い、人と語り、
希望の種を蒔く。
ここに、偉大な歴史をつくる
確かな道がある。
地味のように見えても、
将来、思いもよらぬ力になる。
喜んで動けば、力は倍加する。
誠実に戦いを進めたところが、
最後に勝つ。
これが創価の方程式だ。
澄んだ冬空。陽光が、わずかに残った屋根の雪を暖かく照らしている。
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻は1月20日、21年ぶりに埼玉文化会館を訪問した。県歌「広布の旗」の歌碑や創価ライブラリーを視察し、恩師記念室で勤行・唱題。全同志の福徳と勝利、関東総会の大成功を祈念した。
写真は、この恩師記念室から、隣接する埼玉国際女性会館を撮った一枚である。
ロマン総会から"拡大の年"を出発した女子部。「太陽の励まし 拡大運動」に進む婦人部。写真から、埼玉、関東、そして全国の尊き友に幸あれ——との心が光る。
限られた時間を
最大に活用することが
日々の充実を生む。
賢明な「時間革命」を!
女人成仏抄 P471
『経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云』
☆四季の語らい
人間の尊厳を踏みつける悪を目の当たりにしながら、怒りもない。声も出せない。行動も起こせない。それでは、もはや「死火山」の人間である。いざという時に、青年は、正義の「活火山」となって、叫ばなければならない。戦わなければならない。平穏に生きるだけでは、自分の「歴史」はできない。それでは何のための人生か分からない。声があり、耳があり、口があり、頭がある。すべてを極限まで使いきってこそ、真の「人間」となる。
☆女性に贈ることば 二月二十日
人間の最も美しい姿のひとつは、真剣に仕事に打ち込んでいる姿である。
仕事に着任をもって、はつらつと取り組んでいる女性は、若さを失わない。
☆今日のことば365 二月二十日
大自然は、つぶさに観察すれば、するほど、その精巧さに驚嘆せずにはいられないような、複雑、微妙で、しかも壮大な生命の環を構成している。まさしく、宇宙の大芸術であるといってよい。昔から、人間の英知は、自らがその環のひとつであることを察知し、巧みに生きる術を考え出してきた。
☆四季の励まし 「慈愛の声」が「勇気の連鎖」に
どんな人も見放さない。
決めつけない。切り捨てない。
信じ抜き、手を差し伸べて、
仏性を呼び起こす。
これが仏法の人間主義だ。
迷える心に
勇気の一歩を踏み出させる力は、
真心の励ましである。
励ましが勇気を生む。
ここに、創価の世界の
限りなき勇気の連鎖がある。
広宣流布へ戦う同志に
最敬礼していくことだ。
心で思うだけでなく、
口に出さなければ
相手に伝わらない。
ほめて、ほめて、ほめ抜くことだ。
「励まし」が
前進のエネルギーになる。
「慈愛の声」が
皆の勇気になる。
自信になり、張り合いになる。
「声仏事を為す」である。
世の中には、
無数の「心が傷ついた人」がいる。
そういう人たちに癒やしの手を
差し伸べなければならない。
そうすることによって、実は
自分自身が癒やされていく。
エゴイズムに閉じこもっていては
幸福はない。
打って出て、
「人のため」に行動する時、
自分自身の生命の泉も
蘇生していくのである。
人と会い、人と語り、
希望の種を蒔く。
ここに、偉大な歴史をつくる
確かな道がある。
地味のように見えても、
将来、思いもよらぬ力になる。
喜んで動けば、力は倍加する。
誠実に戦いを進めたところが、
最後に勝つ。
これが創価の方程式だ。
澄んだ冬空。陽光が、わずかに残った屋根の雪を暖かく照らしている。
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻は1月20日、21年ぶりに埼玉文化会館を訪問した。県歌「広布の旗」の歌碑や創価ライブラリーを視察し、恩師記念室で勤行・唱題。全同志の福徳と勝利、関東総会の大成功を祈念した。
写真は、この恩師記念室から、隣接する埼玉国際女性会館を撮った一枚である。
ロマン総会から"拡大の年"を出発した女子部。「太陽の励まし 拡大運動」に進む婦人部。写真から、埼玉、関東、そして全国の尊き友に幸あれ——との心が光る。
2016年2月19日金曜日
2016.02.19 わが友に贈る
大自然と共に生きる
農漁光部の友よ!
尊き奮闘は地域の光だ。
豊かな知恵と忍耐で
理想の郷土を築きゆけ!
松野殿御返事 P1384
『魚の子は多けれども魚となるは少なく菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし、人も又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少し』
☆四季の語らい
「希望が生命力のもとである」ということは事実です。「希望の死」は、「心の死」です。希望と使命感ほど、この世に強いものはないのです。
☆女性に贈ることば 二月十九日
子どもが起こす問題行動は、何か意味がある。子どもの心が発するシグナルです。
心のどこかがおかしくても、子どもは、それをうまく表現できない。また、自分でもよくわからないのが実際でしょう。
子どもの行動の意味を理解し、対応してあげることが必要なのです。子どものシグナルに気づくためには、心が子どもの方を向いていなくてはいけません。
☆今日のことば365 二月十九日
人生は最後の一瞬まで、建設の連続でありたい。
この心構えを生涯持ちつづけたかどうかが、その人の人生の価値を決定するといっても過言ではない。
☆新時代を創る 第6回 恩師と共に功徳満開の春へ
戸田城聖先生を偲び、生誕の日に恩師記念会館で勤行・唱題した(11日)。広宣流布の大願に生き抜かれた崇高な生涯を仰げば、無限の勇気が湧き上がる。
巌のごとき師であった。
恐れなき師子であった。
青年を愛し、青年の未来を信ずる慈父であった。
昭和33年(1958年)の3月、戸田先生は後継に広布の印綬を託された。
会館の展示室には、関東の友から届けられた、その当時を描いた絵画が掛けられてあり、妻と共に懐かしく拝見した。
「追撃の手をゆるめるな!」——烈々たる師の叫びが耳朶から離れない。
師匠という大山ありて、弟子の桜は咲く。その爛漫たる勝利の人材の開花を、恩師はどれほどお喜びか。
法華経の化城喩品には、「在在の諸仏の土に 常に師と?に生ず」と説かれている。
師弟一体で戦い抜き、師弟不二で勝ち切って、正義を打ち立てるのだ。
師の慈愛の深さ、人間味あふるる温かさを思うと、熱いものが込み上げる。
最愛の家族を亡くした方に「本当にかわいそうに」と、わが事のように涙し、とことん励まされる。
苦境の友に心を砕かれる姿は、"これほどまでに"と思うほどであった。
一対一の個人指導に全精魂を注ぎ、不幸にさせてなるものかと大激励された。
ここに学会の生命線がある。師弟の実践がある。
苦悩にあえぐ友の幸福を祈り、世界平和を願われた師の心を心とし、私たちは民衆の中へ飛び込むのだ。
「報恩抄」には、『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(P329)と仰せである。
恩師が教えてくださった「難を乗り越える信心」そして「異体同心の団結」を断じて忘れてはならない。
共に祈り、共々に語り、広布に走る一日は、黄金の思い出となる。
人を励まし育てた歴史は、無上の宝と輝く。
楽しく、心軽く進もう!
健康の道、使命の道、三世にわたる栄光の道を!
偉大なる
恩師と共に
学会は
三障乗り越え
三類勝ちたり
農漁光部の友よ!
尊き奮闘は地域の光だ。
豊かな知恵と忍耐で
理想の郷土を築きゆけ!
松野殿御返事 P1384
『魚の子は多けれども魚となるは少なく菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし、人も又此くの如し菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少し』
☆四季の語らい
「希望が生命力のもとである」ということは事実です。「希望の死」は、「心の死」です。希望と使命感ほど、この世に強いものはないのです。
☆女性に贈ることば 二月十九日
子どもが起こす問題行動は、何か意味がある。子どもの心が発するシグナルです。
心のどこかがおかしくても、子どもは、それをうまく表現できない。また、自分でもよくわからないのが実際でしょう。
子どもの行動の意味を理解し、対応してあげることが必要なのです。子どものシグナルに気づくためには、心が子どもの方を向いていなくてはいけません。
☆今日のことば365 二月十九日
人生は最後の一瞬まで、建設の連続でありたい。
この心構えを生涯持ちつづけたかどうかが、その人の人生の価値を決定するといっても過言ではない。
☆新時代を創る 第6回 恩師と共に功徳満開の春へ
戸田城聖先生を偲び、生誕の日に恩師記念会館で勤行・唱題した(11日)。広宣流布の大願に生き抜かれた崇高な生涯を仰げば、無限の勇気が湧き上がる。
巌のごとき師であった。
恐れなき師子であった。
青年を愛し、青年の未来を信ずる慈父であった。
昭和33年(1958年)の3月、戸田先生は後継に広布の印綬を託された。
会館の展示室には、関東の友から届けられた、その当時を描いた絵画が掛けられてあり、妻と共に懐かしく拝見した。
「追撃の手をゆるめるな!」——烈々たる師の叫びが耳朶から離れない。
師匠という大山ありて、弟子の桜は咲く。その爛漫たる勝利の人材の開花を、恩師はどれほどお喜びか。
法華経の化城喩品には、「在在の諸仏の土に 常に師と?に生ず」と説かれている。
師弟一体で戦い抜き、師弟不二で勝ち切って、正義を打ち立てるのだ。
師の慈愛の深さ、人間味あふるる温かさを思うと、熱いものが込み上げる。
最愛の家族を亡くした方に「本当にかわいそうに」と、わが事のように涙し、とことん励まされる。
苦境の友に心を砕かれる姿は、"これほどまでに"と思うほどであった。
一対一の個人指導に全精魂を注ぎ、不幸にさせてなるものかと大激励された。
ここに学会の生命線がある。師弟の実践がある。
苦悩にあえぐ友の幸福を祈り、世界平和を願われた師の心を心とし、私たちは民衆の中へ飛び込むのだ。
「報恩抄」には、『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(P329)と仰せである。
恩師が教えてくださった「難を乗り越える信心」そして「異体同心の団結」を断じて忘れてはならない。
共に祈り、共々に語り、広布に走る一日は、黄金の思い出となる。
人を励まし育てた歴史は、無上の宝と輝く。
楽しく、心軽く進もう!
健康の道、使命の道、三世にわたる栄光の道を!
偉大なる
恩師と共に
学会は
三障乗り越え
三類勝ちたり
2016年2月18日木曜日
2016.02.18 わが友に贈る
誠実には誠実で
真心には それ以上の
真心で応えよう!
そこに信頼と友情の
花は咲き薫る。
土篭御書 P1213
『法華経を余人のよみ候は口ばかりことばばかりはよめども心はよまず心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』
☆四季の語らい
「闇が深ければ深いほど暁は近い」という言葉がある。しかし、新しい時代の扉が独りでに開くことはない。悲劇から立ち上がり、それを真正面から見据えて時代変革の"最大のチャンス"に転じていくかどうかは、あくまで人間にかかっている。
☆女性に贈ることば 二月十八日
年齢ではない。環境でもない。心である。
人生は心ひとつで、いつでも、どこでも、最高に輝かせることができる。
☆今日のことば365 二月十八日
女性にとって、若いということは、それだけで、すばらしい宝石をもっているようなものだ。みずみずしいというか、ういういしいというか、若い女性は、なにも飾らずとも、それだけで美しいものである。
☆〜新会員のための仏法入門〜 第22回 地涌の菩薩
◇現実世界を舞台に民衆を救済
釈尊は法華経において、滅後の悪世末法における弘教を上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩に託しました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、法華経の会座で大地から現れ出てきた「地涌の菩薩」を取り上げ、「日蓮と同意」で広宣流布に邁進する創価学会員こそ、釈尊久遠の弟子たる地涌の菩薩であることを確認します。
◇釈尊滅後に法華経を弘通
大乗仏教において"一切衆生を救済する志を立てて修行する者"を菩薩といいます。
法華経では、途中から、"釈尊の滅後、とりわけ末法に、法華経をだれが弘通するのか"が大きなテーマになります。
滅後の正法弘通を勧める釈尊に応えて、さまざまな菩薩たちが弘教を誓いますが、釈尊はその願いを退けます。そして"私の本当の弟子がいる"と宣言し、六万恒河沙(インドのガンジス河の砂の数の6万倍)もの無数の菩薩を大地の下から呼び出しました。これが地涌の菩薩です。
さらにそれぞれが無数の眷属(仲間)を率いていました。
その姿は、大きな山がそびえ立つように堂々としており、品格に満ちていて、智慧にあふれ、志が堅固で、強い忍耐力を持っています。
"釈尊を25歳の青年とすれば、地涌の菩薩はまるで人生経験豊かな100歳の人のように見える"と説かれるほど立派で気高いものでした。
これらの菩薩をいつ、どこで教えてきたのか——説法の場にいた大衆の質問に答えて、釈尊は、地涌の菩薩との師弟の関係を明かすために"久遠の昔から仏として化導してきた"と述べます。
◇"成仏の根源の法"を所持
地涌の菩薩は、釈尊の"久遠の弟子"として、はるか昔から修行を続けてきました。『能く能く心をきたはせ給うにや』(P1186)——鍛え抜いてきたゆえに、末法悪世にあっても困難を乗り越えて妙法を弘めていく力をもっています。だからこそ、釈尊は他の菩薩たちの願いを退けてまで、地涌の菩薩に未来の広宣流布を託したのです。
また、地涌の菩薩は、"成仏のための根源の法"を既に所持しており、釈尊と同じ仏としての生命境涯を持っています。しかし、どこまでも現実世界で人々を救っていくために、仏の境涯を持ちながらも、菩薩の姿として民衆の中で民衆と苦楽を共にします。
◇広布の大願に生き抜こう
末法の御本仏である日蓮大聖人は、この地涌の菩薩の上首(最高リーダー)である上行菩薩のお立場から、法華経に秘められた御自身の生命そのものである南無妙法蓮華経を御本尊として顕し、万人に成仏への道を開かれました。
「諸法実相抄」には『地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり』(P1359)と御自身が地涌の菩薩の先駆者として末法の民衆を救う大闘争を起こされたことを述べられています。
さらに、続く部分で『いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや』(P1360)と仰せです。
大聖人と同じ心で広宣流布の大願に生き抜く人は皆、地涌の菩薩であり、釈尊久遠の弟子にほかなりません。
◇戸田会長の"獄中の悟達"
第2次世界大戦中に軍部政府によって不当に捕らえられた戸田城聖第2代会長は、獄中で唱題と思索を重ねる中で「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得ました。出獄後、この"獄中の悟達"を原点として創価学会を再建し、日本の広宣流布の盤石な基盤を築かれたのです。
そして愛弟子である池田SGI会長の手によって、広宣流布の舞台は世界へと大きく飛躍し、今や地涌の連帯は192カ国・地域にまで広がりました。
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』(同P)
妙法に巡り合い、自らの使命を自覚した同志が、新たな悩める友に地涌の菩薩として生き抜く喜びを語り伝えていく。この希望の連鎖によって築き上げられた、地球を包むSGIのネットワークこそ、「地涌の義」そのものといえるでしょう。
真心には それ以上の
真心で応えよう!
そこに信頼と友情の
花は咲き薫る。
土篭御書 P1213
『法華経を余人のよみ候は口ばかりことばばかりはよめども心はよまず心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』
☆四季の語らい
「闇が深ければ深いほど暁は近い」という言葉がある。しかし、新しい時代の扉が独りでに開くことはない。悲劇から立ち上がり、それを真正面から見据えて時代変革の"最大のチャンス"に転じていくかどうかは、あくまで人間にかかっている。
☆女性に贈ることば 二月十八日
年齢ではない。環境でもない。心である。
人生は心ひとつで、いつでも、どこでも、最高に輝かせることができる。
☆今日のことば365 二月十八日
女性にとって、若いということは、それだけで、すばらしい宝石をもっているようなものだ。みずみずしいというか、ういういしいというか、若い女性は、なにも飾らずとも、それだけで美しいものである。
☆〜新会員のための仏法入門〜 第22回 地涌の菩薩
◇現実世界を舞台に民衆を救済
釈尊は法華経において、滅後の悪世末法における弘教を上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩に託しました。今回の「みんなで学ぶ教学」では、法華経の会座で大地から現れ出てきた「地涌の菩薩」を取り上げ、「日蓮と同意」で広宣流布に邁進する創価学会員こそ、釈尊久遠の弟子たる地涌の菩薩であることを確認します。
◇釈尊滅後に法華経を弘通
大乗仏教において"一切衆生を救済する志を立てて修行する者"を菩薩といいます。
法華経では、途中から、"釈尊の滅後、とりわけ末法に、法華経をだれが弘通するのか"が大きなテーマになります。
滅後の正法弘通を勧める釈尊に応えて、さまざまな菩薩たちが弘教を誓いますが、釈尊はその願いを退けます。そして"私の本当の弟子がいる"と宣言し、六万恒河沙(インドのガンジス河の砂の数の6万倍)もの無数の菩薩を大地の下から呼び出しました。これが地涌の菩薩です。
さらにそれぞれが無数の眷属(仲間)を率いていました。
その姿は、大きな山がそびえ立つように堂々としており、品格に満ちていて、智慧にあふれ、志が堅固で、強い忍耐力を持っています。
"釈尊を25歳の青年とすれば、地涌の菩薩はまるで人生経験豊かな100歳の人のように見える"と説かれるほど立派で気高いものでした。
これらの菩薩をいつ、どこで教えてきたのか——説法の場にいた大衆の質問に答えて、釈尊は、地涌の菩薩との師弟の関係を明かすために"久遠の昔から仏として化導してきた"と述べます。
◇"成仏の根源の法"を所持
地涌の菩薩は、釈尊の"久遠の弟子"として、はるか昔から修行を続けてきました。『能く能く心をきたはせ給うにや』(P1186)——鍛え抜いてきたゆえに、末法悪世にあっても困難を乗り越えて妙法を弘めていく力をもっています。だからこそ、釈尊は他の菩薩たちの願いを退けてまで、地涌の菩薩に未来の広宣流布を託したのです。
また、地涌の菩薩は、"成仏のための根源の法"を既に所持しており、釈尊と同じ仏としての生命境涯を持っています。しかし、どこまでも現実世界で人々を救っていくために、仏の境涯を持ちながらも、菩薩の姿として民衆の中で民衆と苦楽を共にします。
◇広布の大願に生き抜こう
末法の御本仏である日蓮大聖人は、この地涌の菩薩の上首(最高リーダー)である上行菩薩のお立場から、法華経に秘められた御自身の生命そのものである南無妙法蓮華経を御本尊として顕し、万人に成仏への道を開かれました。
「諸法実相抄」には『地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり』(P1359)と御自身が地涌の菩薩の先駆者として末法の民衆を救う大闘争を起こされたことを述べられています。
さらに、続く部分で『いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや』(P1360)と仰せです。
大聖人と同じ心で広宣流布の大願に生き抜く人は皆、地涌の菩薩であり、釈尊久遠の弟子にほかなりません。
◇戸田会長の"獄中の悟達"
第2次世界大戦中に軍部政府によって不当に捕らえられた戸田城聖第2代会長は、獄中で唱題と思索を重ねる中で「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得ました。出獄後、この"獄中の悟達"を原点として創価学会を再建し、日本の広宣流布の盤石な基盤を築かれたのです。
そして愛弟子である池田SGI会長の手によって、広宣流布の舞台は世界へと大きく飛躍し、今や地涌の連帯は192カ国・地域にまで広がりました。
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』(同P)
妙法に巡り合い、自らの使命を自覚した同志が、新たな悩める友に地涌の菩薩として生き抜く喜びを語り伝えていく。この希望の連鎖によって築き上げられた、地球を包むSGIのネットワークこそ、「地涌の義」そのものといえるでしょう。
2016年2月17日水曜日
2016.02.17 わが友に贈る
「竹の節を一つ破ぬれば
余の節亦破るる」
果敢な「一転突破」が
破竹の勢いを生む!
それが勝利の方程式だ!
立正安国論 P18
『仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く諸法も亦忘失せん』
☆四季の語らい
いかなる困難があろうが、一つ一つ、地道に、順番に積み上げて、努力し、そして待つことです。希望を決して失わずに、時を知り、時をつくり、時を待つことです。必ずや、勝利の時は訪れます。
☆女性に贈ることば 二月十七日
かけがえのない一生である。大切な、尊き自分自身である。将来に悔いや、心のかげりを残すような青春であってもらいたくない。
最後の最後に「私は幸福になった」「私は本当に満足だ。勝った」と笑顔で言える人生のための青春時代であっていただきたい。
☆今日のことば365 二月十七日
自分の幸福を犠牲にして、他人のため、社会のために尽くしていくのは、確かに美しい行為ではあるが、自分を失ってしまったならば、それは、単なるお人好しで終わってしまう。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 経王殿御返事�
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)8月、日蓮大聖人が流罪先の佐渡・一谷から、鎌倉の門下に宛てて送られたお手紙です。四条金吾宛てと伝えられてきましたが、詳細は不明です。
この門下の娘である経王御前が病気を患いますが、本抄は、その報告に対する御返事です。
◇御文
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124 7行目)
◇通解
この曼荼羅(御本尊)を、よくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。
◇拝読範囲の大意(P1124冒頭〜10行目「皐諦女の守護ふかかるべきなり」)
冒頭で、経王御前の回復を諸天善神に一日中、祈っていることを述べられています。
また、日蓮大聖人は本抄を認める直前、本抄を頂くこの門下に御本尊を与えられていますが、この御本尊をわが身から離さず受持していくよう教えられています。
続けて、この御本尊は、正法・像法時代に誰も顕したことのない未曽有の本尊であることを示されています。そして、師子王がどんな獲物にも全力で向かうのと同じように、大聖人が全生命を注いで御図顕されたのが御本尊であると述べられます。
さらに、御本尊を強盛に信じていくならば、諸天善神に守られ、福徳あふれる幸福境涯を開いていけることを教えられています。
〈解説〉何ものにも揺るがぬ幸福境涯を築きゆこう
日蓮大聖人は、一切衆生を救うために、仏界を現した御自身の生命を御本尊に顕されました。
本抄を認められる直前、大聖人は、本抄を頂くこの門下に御本尊を与えられています。
掲げた御文の前段で大聖人は、御本尊について、正法・像法の2千年を通じて誰も顕したことのない本尊であり、今、大聖人が初めて顕されること、また大聖人が全生命を注いで顕されたものであることを示されています。
そして、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」と仰せです。私たちが唱える題目は師子吼のようなものであるとの意味です。
「師子吼」とは、師子がほえることをいいます。百獣の王であるライオンの声を聞けば、一切の獣は恐れおののき、逃げ去ります。同じように、御本尊に向かって真剣に題目を唱える時、胸中の仏界の生命を現して、いかなる病苦や障魔も打ち破っていくことができるのです。
さらに大聖人は、南無妙法蓮華経を持つ人は、諸天善神に守護されて、福徳あふれる、師子王のような悠々たる境涯を開いていくことができると教えられています。
妙法を持つ人は、どのような場所、どのような境遇にあっても、今いる所で"生きていること自体が楽しい"という絶対的幸福境涯を築くことができるのです。
この御本尊の功力を引き出すのは、御本尊を拝する私たち自身の信心です。大聖人は「能く能く信ぜさせ給うべし」と教えられています。
何があっても信心が揺らぐことなく、御本尊を拝して題目を唱えきっていく。この強盛な信心によって、いかなる苦難も乗り越えていくことができます。
ここで大切なのは、師匠と心を合わせた師弟不二の祈りです。
「御義口伝」には「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)と示されています。
弟子が師匠と同じく、どこまでも広布を願う一念で祈っていく時、その祈りを根本とする行動が人間革命の原動力となり、私たちは何ものにも微動だにしない境涯を築いていくことができるのです。
池田SGI会長は、広宣流布へ師弟が心を合わせて祈り、同志が異体同心で祈るところから、新しい前進が始まり、功徳も広がると述べて、「題目こそ、絶対勝利の力なのである」と呼び掛けています。
唱題を根本とした、華陽姉妹の異体同心のスクラムで2月闘争を勝ち開いていきましょう。
〈理解を深めよう〉「師子奮迅之力」
日蓮大聖人は本抄で、御本尊を認める御自身の姿勢について、師子王は「前三後一」といって、蟻を捕ろうとする時も、猛々しいものを捕ろうとする時も勢いを出すことは全く同じであると述べられています(御書1124ページ、趣旨)。
百獣の王である師子は、蟻であろうと、猛獣であろうと、どんな相手にも慎重かつ全力で挑みます。
この師子の様子になぞらえ、法華経従地涌出品第15では、仏が衆生を救うにあたって出す偉大な力を「師子奮迅之力」と説いています。「師子奮迅之力」は、師子奮迅の力との意味です。本抄で大聖人は、御自身が師子王に劣らぬ姿勢で御本尊を顕されたのは、「師子奮迅之力」と説く経文の通りであることを示されています。
私たちの実践で言えば、日々、目の前の課題の克服を祈り、全力で挑戦していく中に、「師子奮迅」の生き方があると言えるでしょう。そのための根本となる唱題も、勝利を真剣に願う強盛な一念で祈っていくことが大切です。
池田SGI会長は「大事は小事の積み重ねである。一日一日、目の前の課題に真剣勝負で挑み、一つ一つ、断固として勝っていくことだ。それが『師子奮迅』の勢いである」と述べています。
例えば、勇気の一歩を踏み出すこと、目の前の友を励ますこと。こうして自他共の幸福を願って、今いる場所で力を尽くしていく中に、師子王の闘争を貫かれた大聖人の弟子としての信心の姿勢があるのです。
◇SGI会長の指針から
大聖人は『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124)と断言されております。
題目の師子吼に勝るものはない。
若き不二の愛弟子たちは、断じて負けてはならない。
いかなる病も、いかなる悩みも乗り越えるためにある。
仏になるためにある。
断固と勝ち切って、大勢の苦悩の友を励まし、救っていくための試練である。
(2013・11・30付、青年部代表勤行会へのメッセージ)
「立正安国」の誓願を燃え上がらせ、朗々と妙法を唱え戦う我らに、「師子奮迅の力」が漲ってくることは絶対に間違いない。
何ものも恐れるな!
断じて負けるな!
共に励まし合い、共々に「師子奮迅の力」を出して、戦い、勝とうではないか!
(2013・4・27付、「随筆 我らの勝利の大道」〈師子奮迅の力を!〉)
余の節亦破るる」
果敢な「一転突破」が
破竹の勢いを生む!
それが勝利の方程式だ!
立正安国論 P18
『仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く諸法も亦忘失せん』
☆四季の語らい
いかなる困難があろうが、一つ一つ、地道に、順番に積み上げて、努力し、そして待つことです。希望を決して失わずに、時を知り、時をつくり、時を待つことです。必ずや、勝利の時は訪れます。
☆女性に贈ることば 二月十七日
かけがえのない一生である。大切な、尊き自分自身である。将来に悔いや、心のかげりを残すような青春であってもらいたくない。
最後の最後に「私は幸福になった」「私は本当に満足だ。勝った」と笑顔で言える人生のための青春時代であっていただきたい。
☆今日のことば365 二月十七日
自分の幸福を犠牲にして、他人のため、社会のために尽くしていくのは、確かに美しい行為ではあるが、自分を失ってしまったならば、それは、単なるお人好しで終わってしまう。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 経王殿御返事�
◇本抄について
本抄は、文永10年(1273年)8月、日蓮大聖人が流罪先の佐渡・一谷から、鎌倉の門下に宛てて送られたお手紙です。四条金吾宛てと伝えられてきましたが、詳細は不明です。
この門下の娘である経王御前が病気を患いますが、本抄は、その報告に対する御返事です。
◇御文
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124 7行目)
◇通解
この曼荼羅(御本尊)を、よくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。
◇拝読範囲の大意(P1124冒頭〜10行目「皐諦女の守護ふかかるべきなり」)
冒頭で、経王御前の回復を諸天善神に一日中、祈っていることを述べられています。
また、日蓮大聖人は本抄を認める直前、本抄を頂くこの門下に御本尊を与えられていますが、この御本尊をわが身から離さず受持していくよう教えられています。
続けて、この御本尊は、正法・像法時代に誰も顕したことのない未曽有の本尊であることを示されています。そして、師子王がどんな獲物にも全力で向かうのと同じように、大聖人が全生命を注いで御図顕されたのが御本尊であると述べられます。
さらに、御本尊を強盛に信じていくならば、諸天善神に守られ、福徳あふれる幸福境涯を開いていけることを教えられています。
〈解説〉何ものにも揺るがぬ幸福境涯を築きゆこう
日蓮大聖人は、一切衆生を救うために、仏界を現した御自身の生命を御本尊に顕されました。
本抄を認められる直前、大聖人は、本抄を頂くこの門下に御本尊を与えられています。
掲げた御文の前段で大聖人は、御本尊について、正法・像法の2千年を通じて誰も顕したことのない本尊であり、今、大聖人が初めて顕されること、また大聖人が全生命を注いで顕されたものであることを示されています。
そして、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」と仰せです。私たちが唱える題目は師子吼のようなものであるとの意味です。
「師子吼」とは、師子がほえることをいいます。百獣の王であるライオンの声を聞けば、一切の獣は恐れおののき、逃げ去ります。同じように、御本尊に向かって真剣に題目を唱える時、胸中の仏界の生命を現して、いかなる病苦や障魔も打ち破っていくことができるのです。
さらに大聖人は、南無妙法蓮華経を持つ人は、諸天善神に守護されて、福徳あふれる、師子王のような悠々たる境涯を開いていくことができると教えられています。
妙法を持つ人は、どのような場所、どのような境遇にあっても、今いる所で"生きていること自体が楽しい"という絶対的幸福境涯を築くことができるのです。
この御本尊の功力を引き出すのは、御本尊を拝する私たち自身の信心です。大聖人は「能く能く信ぜさせ給うべし」と教えられています。
何があっても信心が揺らぐことなく、御本尊を拝して題目を唱えきっていく。この強盛な信心によって、いかなる苦難も乗り越えていくことができます。
ここで大切なのは、師匠と心を合わせた師弟不二の祈りです。
「御義口伝」には「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)と示されています。
弟子が師匠と同じく、どこまでも広布を願う一念で祈っていく時、その祈りを根本とする行動が人間革命の原動力となり、私たちは何ものにも微動だにしない境涯を築いていくことができるのです。
池田SGI会長は、広宣流布へ師弟が心を合わせて祈り、同志が異体同心で祈るところから、新しい前進が始まり、功徳も広がると述べて、「題目こそ、絶対勝利の力なのである」と呼び掛けています。
唱題を根本とした、華陽姉妹の異体同心のスクラムで2月闘争を勝ち開いていきましょう。
〈理解を深めよう〉「師子奮迅之力」
日蓮大聖人は本抄で、御本尊を認める御自身の姿勢について、師子王は「前三後一」といって、蟻を捕ろうとする時も、猛々しいものを捕ろうとする時も勢いを出すことは全く同じであると述べられています(御書1124ページ、趣旨)。
百獣の王である師子は、蟻であろうと、猛獣であろうと、どんな相手にも慎重かつ全力で挑みます。
この師子の様子になぞらえ、法華経従地涌出品第15では、仏が衆生を救うにあたって出す偉大な力を「師子奮迅之力」と説いています。「師子奮迅之力」は、師子奮迅の力との意味です。本抄で大聖人は、御自身が師子王に劣らぬ姿勢で御本尊を顕されたのは、「師子奮迅之力」と説く経文の通りであることを示されています。
私たちの実践で言えば、日々、目の前の課題の克服を祈り、全力で挑戦していく中に、「師子奮迅」の生き方があると言えるでしょう。そのための根本となる唱題も、勝利を真剣に願う強盛な一念で祈っていくことが大切です。
池田SGI会長は「大事は小事の積み重ねである。一日一日、目の前の課題に真剣勝負で挑み、一つ一つ、断固として勝っていくことだ。それが『師子奮迅』の勢いである」と述べています。
例えば、勇気の一歩を踏み出すこと、目の前の友を励ますこと。こうして自他共の幸福を願って、今いる場所で力を尽くしていく中に、師子王の闘争を貫かれた大聖人の弟子としての信心の姿勢があるのです。
◇SGI会長の指針から
大聖人は『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(P1124)と断言されております。
題目の師子吼に勝るものはない。
若き不二の愛弟子たちは、断じて負けてはならない。
いかなる病も、いかなる悩みも乗り越えるためにある。
仏になるためにある。
断固と勝ち切って、大勢の苦悩の友を励まし、救っていくための試練である。
(2013・11・30付、青年部代表勤行会へのメッセージ)
「立正安国」の誓願を燃え上がらせ、朗々と妙法を唱え戦う我らに、「師子奮迅の力」が漲ってくることは絶対に間違いない。
何ものも恐れるな!
断じて負けるな!
共に励まし合い、共々に「師子奮迅の力」を出して、戦い、勝とうではないか!
(2013・4・27付、「随筆 我らの勝利の大道」〈師子奮迅の力を!〉)
2016年2月16日火曜日
2016.02.16 わが友に贈る
足を運んだ分だけ
心と心は通い合う。
会って語った分だけ
真実の友情は深まる。
さあ今日も訪問激励を!
経王殿御返事 P1124
『日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり』
☆四季の語らい
真実の同苦は、ただ、苦悩を分かち合い、ともに嘆き悲しむことだけでは終わらない。また、単に、同情と慰めだけに終わるものでもない。まことの同苦の人には、人びとの苦悩の解決のための果敢な行動がある。慈悲から発する、何ものを恐れぬ勇気がある。そして、不屈の信念の持続がある。
☆女性に贈ることば 二月十六日
本当に自分のことを理解してくれる人がいるかぎり、安心して力を出すことができる − それぐらい、心の絆は重要です。
親子の絆、教師と生徒の絆、師弟の鮮と、さまざまな鮮があるが、人生の年給を重ねれば重ねるほど、そのありがたみがわかるようになる。
☆今日のことば365 二月十六日
怜悧な、利害打算の多い世の中にあって、もっと無償の行為があってよいのではないかと思う。だまされまいとするあまり、人間らしい善意の芽ばえすらつみ取ってしまっては、味気なさすぎる。
☆戸田平和研究所の国際会議への池田SGI会長のメッセージ
どの民族も、いかなる国の人々も犠牲にならずに、ともに平和と幸福を享受できる世界を築かねばならない——。
私の師である、創価学会の戸田城聖第2代会長の忘れ得ぬ叫びであります。
1996年2月、私は、この「地球民族主義」をはじめとする戸田会長の思想を原点として、師の名を冠した平和研究所を設立いたしました。
その発足にあたって呼び掛けたのが、人類が直面するさまざまな課題を解決する道筋を探るために、それぞれのテーマごとに「研究協力のネットワーク」を形成し、世界の英知を結集するアプローチであります。
以来、20年間にわたり、本日ご臨席の諸先生方をはじめとする、世界の多くの学識者の方々のご支援、ご協力を賜る中、国連の強化、核兵器の廃絶、軍縮、紛争解決、人間の安全保障、多文化社会、食糧問題、気候変動など、時代の喫緊の課題をテーマにした会議を開催してまいりました。
こうした共同研究を通じて、国や民族、宗教の垣根を越えての「対話」の道を開いてきましたが、世界で今、戦後最悪といわれる難民問題に凝縮された形で現れているように、紛争の長期化や排他主義の高まりといった「戦争の文化」に歯止めをかけることは、平和研究にとっての一大焦点であるのみならず、人間の良心を糾合して取り組むべき急務であると思えてなりません。
その意味で今回、キリスト教、ユダヤ教、イスラム、仏教を背景とする研究者、運動家、宗教者が一堂に会し、各地で広がる「暴力と憎悪の連鎖」を乗り越え、世界に「平和と人道の潮流」を高めゆくために、宗教、また信仰を持った個々人がどのような役割を果たしていけるのかについて探究する意義は大きく、会議の成功を心から願うものであります。
◇具体的な提案は平和実現への柱
「新しい文明を生み出し、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならない」(『21世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)
これは、20世紀を代表する歴史家、アーノルド・J・トインビー博士が、私との対談の中で述べておられた言葉であります。
トインビー博士が、この諸悪として、「貪欲」などとともに挙げていたのが、「戦争と社会的不公正」でありました。
長い歴史の中で多くの宗教が平和を希求しながらも、時として対立を助長するような要因となったケースがあったことは否めません。
しかし博士は、その事実を踏まえつつも、歴史をさらに紐解いていくならば、宗教が平和裡に共存していた事例がいくつもみられることを指摘しつつ、宗教が人間の善性を薫発し、諸悪を乗り越える道を開く可能性に期待を寄せていたのです。
トインビー博士の歴史観の核心が、「挑戦と応戦」というテーマにあったことはよく知られますが、かつて、特に宗教に焦点を当てながら、次のような問題提起をしていたことが、思い起こされます。
宗教が本来求められる役割を発揮するためには、それぞれの宗教が「もう一度自己に忠実にならなければならない」(『現代が受けている挑戦』吉田健一訳)と強調した上で、具体的な課題として、以下の三つの変化が求められると提起していたのです。
第一は、「お互いに対する態度と行動を、敵意と敵対から愛と協力に変えなければならない」こと、第二は、「実際的な方法で、各時代の重大な問題に関与しなければならない」こと、第三は、「制度、教義、教えの永久に変わらぬ本質から、長い歴史のうちに本質を覆い隠してしまった非本質的な付着物を取り去らなければならない」ことであります。
一、この問題提起を受けて、私が宗教者としての立場から申し述べたいのは、博士の言う第二の課題——すなわち、時代の重大な課題に対し、自らの信仰に照らして行動を起こすことを起点に据えていけば、第一の課題や第三の課題と向き合う道も、おのずと浮かび上がってくるのではないかということです。
私自身、一人の仏法者として、その問題意識を念頭に置きつつ、行動を重ねてまいりました。師の戸田会長が語った、「人類の平和と進歩のためには、具体的な提案をすることが大切である」「具体的な提案は、実現への"柱"となり、人類を守る"屋根"ともなっていく」との言葉を胸に、現代の諸問題を乗り越えるための方策を探究し、毎年の記念提言で発表してきました。
また、人類を取り巻く危機を打開し、次の世代に希望の未来をつないでいきたいとの思いで、さまざまな思想的な背景をもった各国の識者の方々との対話を続け、友好と連帯を深めてきました。そして、その一つ一つの対話を通じて、自らが信仰する仏法の本質とは何かを見つめ直してきたのであります。
折しも国連では昨年9月、2030年に向けての新しい国際目標となる、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。
そこでは、世界が直面する課題の解決に臨むにあたって「誰も置き去りにしない」との誓約を掲げるとともに、その冒頭に「平和」と題する一節が設けられ、次のように宣言されています。「我々は、恐怖及び暴力から自由であり、平和的、公正かつ包摂的な社会を育んでいくことを決意する」
誰も置き去りにすることなく、すべての人々が平和に生き、尊厳を輝かせていける世界を築くために、宗教が担うべき役割はますます重要になってきています。今回の会議で、その役割を力強く発揮するための要件が掘り下げられ、21世紀の世界への指標が発信されていくことを願ってやみません。
最後に、ご臨席の諸先生方のますますのご健勝とご活躍を心から念願し、私のメッセージとさせていただきます。
心と心は通い合う。
会って語った分だけ
真実の友情は深まる。
さあ今日も訪問激励を!
経王殿御返事 P1124
『日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり』
☆四季の語らい
真実の同苦は、ただ、苦悩を分かち合い、ともに嘆き悲しむことだけでは終わらない。また、単に、同情と慰めだけに終わるものでもない。まことの同苦の人には、人びとの苦悩の解決のための果敢な行動がある。慈悲から発する、何ものを恐れぬ勇気がある。そして、不屈の信念の持続がある。
☆女性に贈ることば 二月十六日
本当に自分のことを理解してくれる人がいるかぎり、安心して力を出すことができる − それぐらい、心の絆は重要です。
親子の絆、教師と生徒の絆、師弟の鮮と、さまざまな鮮があるが、人生の年給を重ねれば重ねるほど、そのありがたみがわかるようになる。
☆今日のことば365 二月十六日
怜悧な、利害打算の多い世の中にあって、もっと無償の行為があってよいのではないかと思う。だまされまいとするあまり、人間らしい善意の芽ばえすらつみ取ってしまっては、味気なさすぎる。
☆戸田平和研究所の国際会議への池田SGI会長のメッセージ
どの民族も、いかなる国の人々も犠牲にならずに、ともに平和と幸福を享受できる世界を築かねばならない——。
私の師である、創価学会の戸田城聖第2代会長の忘れ得ぬ叫びであります。
1996年2月、私は、この「地球民族主義」をはじめとする戸田会長の思想を原点として、師の名を冠した平和研究所を設立いたしました。
その発足にあたって呼び掛けたのが、人類が直面するさまざまな課題を解決する道筋を探るために、それぞれのテーマごとに「研究協力のネットワーク」を形成し、世界の英知を結集するアプローチであります。
以来、20年間にわたり、本日ご臨席の諸先生方をはじめとする、世界の多くの学識者の方々のご支援、ご協力を賜る中、国連の強化、核兵器の廃絶、軍縮、紛争解決、人間の安全保障、多文化社会、食糧問題、気候変動など、時代の喫緊の課題をテーマにした会議を開催してまいりました。
こうした共同研究を通じて、国や民族、宗教の垣根を越えての「対話」の道を開いてきましたが、世界で今、戦後最悪といわれる難民問題に凝縮された形で現れているように、紛争の長期化や排他主義の高まりといった「戦争の文化」に歯止めをかけることは、平和研究にとっての一大焦点であるのみならず、人間の良心を糾合して取り組むべき急務であると思えてなりません。
その意味で今回、キリスト教、ユダヤ教、イスラム、仏教を背景とする研究者、運動家、宗教者が一堂に会し、各地で広がる「暴力と憎悪の連鎖」を乗り越え、世界に「平和と人道の潮流」を高めゆくために、宗教、また信仰を持った個々人がどのような役割を果たしていけるのかについて探究する意義は大きく、会議の成功を心から願うものであります。
◇具体的な提案は平和実現への柱
「新しい文明を生み出し、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならない」(『21世紀への対話』、『池田大作全集第3巻』所収)
これは、20世紀を代表する歴史家、アーノルド・J・トインビー博士が、私との対談の中で述べておられた言葉であります。
トインビー博士が、この諸悪として、「貪欲」などとともに挙げていたのが、「戦争と社会的不公正」でありました。
長い歴史の中で多くの宗教が平和を希求しながらも、時として対立を助長するような要因となったケースがあったことは否めません。
しかし博士は、その事実を踏まえつつも、歴史をさらに紐解いていくならば、宗教が平和裡に共存していた事例がいくつもみられることを指摘しつつ、宗教が人間の善性を薫発し、諸悪を乗り越える道を開く可能性に期待を寄せていたのです。
トインビー博士の歴史観の核心が、「挑戦と応戦」というテーマにあったことはよく知られますが、かつて、特に宗教に焦点を当てながら、次のような問題提起をしていたことが、思い起こされます。
宗教が本来求められる役割を発揮するためには、それぞれの宗教が「もう一度自己に忠実にならなければならない」(『現代が受けている挑戦』吉田健一訳)と強調した上で、具体的な課題として、以下の三つの変化が求められると提起していたのです。
第一は、「お互いに対する態度と行動を、敵意と敵対から愛と協力に変えなければならない」こと、第二は、「実際的な方法で、各時代の重大な問題に関与しなければならない」こと、第三は、「制度、教義、教えの永久に変わらぬ本質から、長い歴史のうちに本質を覆い隠してしまった非本質的な付着物を取り去らなければならない」ことであります。
一、この問題提起を受けて、私が宗教者としての立場から申し述べたいのは、博士の言う第二の課題——すなわち、時代の重大な課題に対し、自らの信仰に照らして行動を起こすことを起点に据えていけば、第一の課題や第三の課題と向き合う道も、おのずと浮かび上がってくるのではないかということです。
私自身、一人の仏法者として、その問題意識を念頭に置きつつ、行動を重ねてまいりました。師の戸田会長が語った、「人類の平和と進歩のためには、具体的な提案をすることが大切である」「具体的な提案は、実現への"柱"となり、人類を守る"屋根"ともなっていく」との言葉を胸に、現代の諸問題を乗り越えるための方策を探究し、毎年の記念提言で発表してきました。
また、人類を取り巻く危機を打開し、次の世代に希望の未来をつないでいきたいとの思いで、さまざまな思想的な背景をもった各国の識者の方々との対話を続け、友好と連帯を深めてきました。そして、その一つ一つの対話を通じて、自らが信仰する仏法の本質とは何かを見つめ直してきたのであります。
折しも国連では昨年9月、2030年に向けての新しい国際目標となる、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。
そこでは、世界が直面する課題の解決に臨むにあたって「誰も置き去りにしない」との誓約を掲げるとともに、その冒頭に「平和」と題する一節が設けられ、次のように宣言されています。「我々は、恐怖及び暴力から自由であり、平和的、公正かつ包摂的な社会を育んでいくことを決意する」
誰も置き去りにすることなく、すべての人々が平和に生き、尊厳を輝かせていける世界を築くために、宗教が担うべき役割はますます重要になってきています。今回の会議で、その役割を力強く発揮するための要件が掘り下げられ、21世紀の世界への指標が発信されていくことを願ってやみません。
最後に、ご臨席の諸先生方のますますのご健勝とご活躍を心から念願し、私のメッセージとさせていただきます。
2016年2月15日月曜日
2016.02.15 わが友に贈る
新聞休刊日
三沢抄 P1488
『かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりてあるひはいさめ或はをどしてみよそれに叶はずば我みづからうちくだりて国主の身心に入りかわりてをどして見むにいかでかとどめざるべきとせんぎし候なり』
☆四季の語らい
希望を捨てない人には、いかなる困難にも負けない強さがある。しかし、希望を失えば、人生は闇だ。絶望は精神の死に等しい。青年は、常に希望をいだき、希望とともに生きていくことだ。
☆女性に贈ることば 二月十五日
世界の人びととの友好も大事であるが、隣近所との友好はもつと大事である。友好・友情こそ、人生の宝である。
☆今日のことば365 二月十五日
青春は一生の土台を築く時代である。土台が、立派に仕上がっていなければ、その上に何を積み重ねても崩れてしまう。将来の、大きな花を咲かせるために、その土台を建設している時代だと思えば、勉強も、仕事も、すべてが有意義にならないわけがない。
利己主義のみでなく、つねに社会に目を開き、社会のなかで、自分を大きく成長させようという人生は、もっとも充実した、青春といえよう。
☆御書と歩む 第4回 折伏の功徳は永遠
『一句妙法に結縁すれば億劫にも失せずして大乗無価の宝珠を研き顕すを生値仏法と云うなり所謂南無妙法蓮華経の仏法なり』(御義口伝、P793)
◇通解
たとえ一句でも妙法に縁を結ぶならば、その宿福は億劫という計り知れない長遠な年月の間にも、失われることはない。そして、大乗教の究極である無上に高価な宝珠、すなわち衆生の胸中にある仏の尊極の生命を磨き顕していくことができる。これを「(宿福深厚にして)生まれて仏法に値えり」というのであり、その「仏法」とは南無妙法蓮華経の仏法なのである。
◇同志への指針
今、日本と世界の津々浦々で、後継の青年が拡大に挑戦してくれている。何と頼もしく、尊い姿であろうか。
下種仏法である。ひとたび妙法に縁した福徳は決して消えない。仏法対話に励んだ功徳は三世永遠に輝きわたる。折伏は難事中の難事である。挑んだ分だけ境涯が広がり、真実の友情は深まる。満々たる生命力で、信心の確信を朗らかに語り抜くのだ。
三沢抄 P1488
『かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりてあるひはいさめ或はをどしてみよそれに叶はずば我みづからうちくだりて国主の身心に入りかわりてをどして見むにいかでかとどめざるべきとせんぎし候なり』
☆四季の語らい
希望を捨てない人には、いかなる困難にも負けない強さがある。しかし、希望を失えば、人生は闇だ。絶望は精神の死に等しい。青年は、常に希望をいだき、希望とともに生きていくことだ。
☆女性に贈ることば 二月十五日
世界の人びととの友好も大事であるが、隣近所との友好はもつと大事である。友好・友情こそ、人生の宝である。
☆今日のことば365 二月十五日
青春は一生の土台を築く時代である。土台が、立派に仕上がっていなければ、その上に何を積み重ねても崩れてしまう。将来の、大きな花を咲かせるために、その土台を建設している時代だと思えば、勉強も、仕事も、すべてが有意義にならないわけがない。
利己主義のみでなく、つねに社会に目を開き、社会のなかで、自分を大きく成長させようという人生は、もっとも充実した、青春といえよう。
☆御書と歩む 第4回 折伏の功徳は永遠
『一句妙法に結縁すれば億劫にも失せずして大乗無価の宝珠を研き顕すを生値仏法と云うなり所謂南無妙法蓮華経の仏法なり』(御義口伝、P793)
◇通解
たとえ一句でも妙法に縁を結ぶならば、その宿福は億劫という計り知れない長遠な年月の間にも、失われることはない。そして、大乗教の究極である無上に高価な宝珠、すなわち衆生の胸中にある仏の尊極の生命を磨き顕していくことができる。これを「(宿福深厚にして)生まれて仏法に値えり」というのであり、その「仏法」とは南無妙法蓮華経の仏法なのである。
◇同志への指針
今、日本と世界の津々浦々で、後継の青年が拡大に挑戦してくれている。何と頼もしく、尊い姿であろうか。
下種仏法である。ひとたび妙法に縁した福徳は決して消えない。仏法対話に励んだ功徳は三世永遠に輝きわたる。折伏は難事中の難事である。挑んだ分だけ境涯が広がり、真実の友情は深まる。満々たる生命力で、信心の確信を朗らかに語り抜くのだ。
2016年2月14日日曜日
2016.02.14 わが友に贈る
◇今週のことば
逆境と戦う不屈の心が
未来の勝利を開く。
「大悪をこれば大善」
大確信の唱題で
朗らかに前へ進め!
2016年02月14日
本尊供養御書 P1536
『法華経を持ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず』
☆こころに響く言葉 人生を誤る衝動の恋
恋は衝動的であり、激しく燃え上がると、身を滅ぼす危険も、もはや顧みなくなる。
自らの心を冷静に見極めるゆとりなど、どこかに忘れてしまうのが通例であるようだ。
もちろん、醜い打算や、かけひきの具に恋を利用し、美しかるべき青春を濁らせてしまうようなことがあっては、
残念なことだと思う。しかし、恋の衝動に終始し、人生を誤ることは、本人にとって、さらに大きい不幸である。
特に、女性の場合は、どうしても被害も大きく、心に深い傷を残してしまう結果となる。
☆女性に贈ることば 二月十四日
人間は自分一人で生まれてくることはできない。また附して、たった一人で一人前の人間になれるものでもない。家族のなかに生まれ、家族のなかで育ち、やがて一個の人間として成長していく。夫婦も、親子も、兄弟姉妹も、日に見えぬひとつの法則で結ばれているともいえる。その心の絆こそ、真の家族の結晶であるに違いない。
☆今日のことば365 二月十四日
高山を征服しようという意欲はあっても、登山の技術をもたなければ、暴挙にすぎなくなってしまう。それと同じく、人生のあらゆる障害も、それを克服するには、どうすれば、もっとも確実に、価値的に目的を達成できるかを知らなければなるまい。
☆池田SGI会長の指針 【牙城会】
日蓮大聖人は、ある時に、四条金吾に対して、『さきざき申すがごとく・さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし』(P1169)と注意を促された。
"これほどまでに!"と思うほど、弟子の身の安全に細かく気を配られている。これが御本仏の大慈悲の御振る舞いである。会合で勇ましく指導することだけがリーダーではない。
会員の無事故・安全を、誰よりも真剣に祈り、人知れず心を砕いていくのが、広宣流布の指導者である。
"私が断じて守る!"
"断じて、悪を寄せつけない!"
この強き一念こそ、牧口先生、戸田先生、そして私と、三代の師弟に流れる「厳護の魂」である。
御書には「摩訶止観」を引いて、『城の主剛ければ守る者も強し城の主恇(おず)れば守る者忙る、心は是れ身の主なり』(P979)と仰せである。
その三代の魂を継承し、会館厳護、会員厳護に徹してくださっているのが、わが牙城会の諸君である。
皆、地涌の菩薩である。
皆、無限の使命がある。
その力を発揮するために、青年の心を鍛え、正しく育てられる団体は学会しかない。この正義の大学校のなかで、牙城会は、いわば最大規模の名門学府だ。
「信仰を守って、その旗を守ることだ。それを高くかかげることだ」(『カラマーゾフ兄弟』1、北垣信行訳、『世界文学全集』45所収、講談社)
これは、ドストエフスキーの有名な信念の言葉である。
「牙城」とは、大将軍の旗である「牙旗」を掲げた城のことであった。
今こそ民衆の大城に、正義の大旗を翻す時だ!
牙城会の若師子よ、自らの地域で勝て! 今いる場所で断固と勝ち抜け!
君たち自身が、学会正義の旗幟として、破邪顕正の旗印として、断じて、新しき民衆の、新しき勝利の歴史を築き、飾ってくれたまえ!
※「随筆 新・人間革命」 わが牙城会の使命を讃う
◎「こころに響く言葉」は本日で終了です。
逆境と戦う不屈の心が
未来の勝利を開く。
「大悪をこれば大善」
大確信の唱題で
朗らかに前へ進め!
2016年02月14日
本尊供養御書 P1536
『法華経を持ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず』
☆こころに響く言葉 人生を誤る衝動の恋
恋は衝動的であり、激しく燃え上がると、身を滅ぼす危険も、もはや顧みなくなる。
自らの心を冷静に見極めるゆとりなど、どこかに忘れてしまうのが通例であるようだ。
もちろん、醜い打算や、かけひきの具に恋を利用し、美しかるべき青春を濁らせてしまうようなことがあっては、
残念なことだと思う。しかし、恋の衝動に終始し、人生を誤ることは、本人にとって、さらに大きい不幸である。
特に、女性の場合は、どうしても被害も大きく、心に深い傷を残してしまう結果となる。
☆女性に贈ることば 二月十四日
人間は自分一人で生まれてくることはできない。また附して、たった一人で一人前の人間になれるものでもない。家族のなかに生まれ、家族のなかで育ち、やがて一個の人間として成長していく。夫婦も、親子も、兄弟姉妹も、日に見えぬひとつの法則で結ばれているともいえる。その心の絆こそ、真の家族の結晶であるに違いない。
☆今日のことば365 二月十四日
高山を征服しようという意欲はあっても、登山の技術をもたなければ、暴挙にすぎなくなってしまう。それと同じく、人生のあらゆる障害も、それを克服するには、どうすれば、もっとも確実に、価値的に目的を達成できるかを知らなければなるまい。
☆池田SGI会長の指針 【牙城会】
日蓮大聖人は、ある時に、四条金吾に対して、『さきざき申すがごとく・さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし』(P1169)と注意を促された。
"これほどまでに!"と思うほど、弟子の身の安全に細かく気を配られている。これが御本仏の大慈悲の御振る舞いである。会合で勇ましく指導することだけがリーダーではない。
会員の無事故・安全を、誰よりも真剣に祈り、人知れず心を砕いていくのが、広宣流布の指導者である。
"私が断じて守る!"
"断じて、悪を寄せつけない!"
この強き一念こそ、牧口先生、戸田先生、そして私と、三代の師弟に流れる「厳護の魂」である。
御書には「摩訶止観」を引いて、『城の主剛ければ守る者も強し城の主恇(おず)れば守る者忙る、心は是れ身の主なり』(P979)と仰せである。
その三代の魂を継承し、会館厳護、会員厳護に徹してくださっているのが、わが牙城会の諸君である。
皆、地涌の菩薩である。
皆、無限の使命がある。
その力を発揮するために、青年の心を鍛え、正しく育てられる団体は学会しかない。この正義の大学校のなかで、牙城会は、いわば最大規模の名門学府だ。
「信仰を守って、その旗を守ることだ。それを高くかかげることだ」(『カラマーゾフ兄弟』1、北垣信行訳、『世界文学全集』45所収、講談社)
これは、ドストエフスキーの有名な信念の言葉である。
「牙城」とは、大将軍の旗である「牙旗」を掲げた城のことであった。
今こそ民衆の大城に、正義の大旗を翻す時だ!
牙城会の若師子よ、自らの地域で勝て! 今いる場所で断固と勝ち抜け!
君たち自身が、学会正義の旗幟として、破邪顕正の旗印として、断じて、新しき民衆の、新しき勝利の歴史を築き、飾ってくれたまえ!
※「随筆 新・人間革命」 わが牙城会の使命を讃う
◎「こころに響く言葉」は本日で終了です。
2016年2月13日土曜日
2016.02.13 わが友に贈る
天候不順の時は
高齢者の会合参加に
最大の配慮を!
リーダーは同志の
無事故を最優先で!
四条金吾殿御返事 P1186
『神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれどもつかう人によりて物をきり候か』
☆こころに響く言葉 一生に一度、命がけで
若いときの恋愛は、男性を見る目がないから危うい。
十人の中で一番よいと思っても、
二十人、三十人の中に入ってみるともっとよい人がいる。
百人の中ではどうかというと、
その人が一位になるとは限らない。また別の立派な人を見ると、その人がよくなる。
だから、
あまり若いときに、あさましい恋愛をするのは私には賛成できません。
恋は一生に一度、命がけですればよいのだ。
☆女性に贈ることば 二月十三日
時間がたくさんあるからといって、いい子育てができるわけではない。
たとえ時間が限られていても、聡明な心があれば、子どもとの凝結した触れあいはつくれるものでしょう。
☆今日のことば365 二月十三日
青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから、望みが小さいようでは、なにもできないで終わる。
☆池田SGI会長の指針 【創価班】
汚れた悪世にあって、苦悩と傲慢の人間同士のぶつかり合いは厳しい。その厳しき社会のなかにこそ、人間は錬磨されてゆくのである。
この荒れ狂う人間の葛藤のなかに、作り上げた妙法修行の一日の功徳は、平凡な、戦いのなき極楽浄土での百年の功徳より、一層、偉大なのである。
広宣流布を目的とする、わが創価班の朝な夕なの活動は、正義の拡大である。正義と栄光の城を厳護しゆく勇敢なる闘争である。
悪との戦いの先陣を走り、勝ち開きゆく使命の勇者——それが、わが創価班の諸君である。
さらに君たちは、「追撃の手をゆるめるな」と遺言した戸田城聖の峻厳なる指導を胸に、命を顧みず、捨て身となって、破邪顕正の前進を止めない。常に、邪悪なる輩から、わが同志を守り、わが本陣を守りに守ってくださっている。
その美しくも尊き使命と魂の光る創価班の諸君に、心から私たちは感謝申し上げたい。
戸田先生は断言なされた。
「折伏に精進するならば、魔の侵すところとはならない。決して天魔鬼神に侵されることのない平和な生活ができる」
学会厳護とは何か。
それは弘教の大波で、広宣流布の新しき舞台を、新しき人材の陣列を、無限に拡大していくことだ!
仏法に説く現実社会の障魔がいかに競い起ころうとも、真の学会精神に立つ師弟がある限り、すべてを変毒為薬して、赫々たる太陽の光に包まれゆく大道が、無限に我らの前にはある。
私と創価班は、「古の奇しき縁」で結ばれた家族だ。この創価の師弟による、新しい建設の時代が、再び今、開始された。その偉大なる指導者たる創価班に、私は、イギリスの哲学者ラッセルの箴言を贈りたい。
「偉大な建設的な事業の成功から得られる満足は、人生が与える最大の満足の一つである」(『幸福論』安藤貞雄訳、岩波文庫)
※「随筆 新・人間革命」 若き広布の指導者・創価班
高齢者の会合参加に
最大の配慮を!
リーダーは同志の
無事故を最優先で!
四条金吾殿御返事 P1186
『神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれどもつかう人によりて物をきり候か』
☆こころに響く言葉 一生に一度、命がけで
若いときの恋愛は、男性を見る目がないから危うい。
十人の中で一番よいと思っても、
二十人、三十人の中に入ってみるともっとよい人がいる。
百人の中ではどうかというと、
その人が一位になるとは限らない。また別の立派な人を見ると、その人がよくなる。
だから、
あまり若いときに、あさましい恋愛をするのは私には賛成できません。
恋は一生に一度、命がけですればよいのだ。
☆女性に贈ることば 二月十三日
時間がたくさんあるからといって、いい子育てができるわけではない。
たとえ時間が限られていても、聡明な心があれば、子どもとの凝結した触れあいはつくれるものでしょう。
☆今日のことば365 二月十三日
青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから、望みが小さいようでは、なにもできないで終わる。
☆池田SGI会長の指針 【創価班】
汚れた悪世にあって、苦悩と傲慢の人間同士のぶつかり合いは厳しい。その厳しき社会のなかにこそ、人間は錬磨されてゆくのである。
この荒れ狂う人間の葛藤のなかに、作り上げた妙法修行の一日の功徳は、平凡な、戦いのなき極楽浄土での百年の功徳より、一層、偉大なのである。
広宣流布を目的とする、わが創価班の朝な夕なの活動は、正義の拡大である。正義と栄光の城を厳護しゆく勇敢なる闘争である。
悪との戦いの先陣を走り、勝ち開きゆく使命の勇者——それが、わが創価班の諸君である。
さらに君たちは、「追撃の手をゆるめるな」と遺言した戸田城聖の峻厳なる指導を胸に、命を顧みず、捨て身となって、破邪顕正の前進を止めない。常に、邪悪なる輩から、わが同志を守り、わが本陣を守りに守ってくださっている。
その美しくも尊き使命と魂の光る創価班の諸君に、心から私たちは感謝申し上げたい。
戸田先生は断言なされた。
「折伏に精進するならば、魔の侵すところとはならない。決して天魔鬼神に侵されることのない平和な生活ができる」
学会厳護とは何か。
それは弘教の大波で、広宣流布の新しき舞台を、新しき人材の陣列を、無限に拡大していくことだ!
仏法に説く現実社会の障魔がいかに競い起ころうとも、真の学会精神に立つ師弟がある限り、すべてを変毒為薬して、赫々たる太陽の光に包まれゆく大道が、無限に我らの前にはある。
私と創価班は、「古の奇しき縁」で結ばれた家族だ。この創価の師弟による、新しい建設の時代が、再び今、開始された。その偉大なる指導者たる創価班に、私は、イギリスの哲学者ラッセルの箴言を贈りたい。
「偉大な建設的な事業の成功から得られる満足は、人生が与える最大の満足の一つである」(『幸福論』安藤貞雄訳、岩波文庫)
※「随筆 新・人間革命」 若き広布の指導者・創価班
2016年2月12日金曜日
2016.02.12 わが友に贈る
日蓮仏法の魂は
「行動」にあり!
何事も勇気をもって
まず一歩踏み出そう。
さあ挑戦開始だ!
撰時抄 P256
『夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし』
☆こころに響く言葉 ほんものの恋
恋愛のために、まわりと折り合いが悪くなり、仕事も手につかなくなって、
自身が、いい加減になってきたら、その恋は本ものではない。
恋するがゆえに、生命が生き生きと躍動し、
仕事に張り合いが感じられ、周りの人びとからも、
いよいよ親しまれるようになったら、その恋は、
本ものであると考えて、まず間違いなかろう。
☆女性に贈ることば 二月十二日
どんな時代の変化にあっても、つねに変わることがないのが、真の友情である。何かあると、すぐに変わってしまうような友情は本物ではない。むしろ、試練にあえばあうほど、真の友情はより強く、深く、結びあっていく。
☆今日のことば365 二月十二日
未来を論ずる人は多い
しかし 未来を考える人は余りにも少ない
☆中等部結成記念大会へのSGI会長のメッセージ
わが命、わが宝の、愛する中等部の皆さん! 晴れやかな結成記念大会、誠におめでとう! 真心あふれる担当者の方々にも、最大に感謝いたします。最も期待し、信頼してやまない皆さんと、一緒に肩を組んで、「正義の走者」を高らかに歌いゆく思いで、すべてを見守っております。
日蓮大聖人は、正月のお手紙で、後継の若人が父母の信心を、より強盛に受け継いでいる姿を讃えられて、『青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆し、喜んでいます』(P1554、趣意)と仰せになられました。
私にとっての何よりの誇りも、中等部の愛弟子の皆さん方が、ますます立派に成長してくれていることなのです。
65年前の1月、私は、恩師・戸田城聖先生から頂いた本を読了しました。フランスの大文豪ビクトル・ユゴーの『九十三年』です。現在は、創価大学の中央図書館に所蔵されています。
この『九十三年』に、忘れ得ぬ一節があります。それは、「大きな苦しみは、魂をとてつもなく大きなものにする」(榊原晃三訳)という言葉です。
たとえ、いやなことや、つらいことがあっても、勇気を出して挑戦した分、人間は強く大きく成長できるのです。なかんずく皆さんには、どんな苦難も、断じて乗り越えていける題目があります。絶対に励まし合える同志がいます。断固と味方になってくれる良き先輩がいます。
どうか、何があろうとも、負けじ魂を朗らかに燃やし、一日一日、粘り強く学びの努力を重ねて、偉大な自分自身を創り上げてください。そして人類の幸福と、地球の平和のために、思う存分、大活躍をしていただきたいのです。私も、皆さん一人一人に題目を送り続けます。
世界第一の希望の中等部、万歳! 皆、親孝行を頼むね!
「行動」にあり!
何事も勇気をもって
まず一歩踏み出そう。
さあ挑戦開始だ!
撰時抄 P256
『夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし』
☆こころに響く言葉 ほんものの恋
恋愛のために、まわりと折り合いが悪くなり、仕事も手につかなくなって、
自身が、いい加減になってきたら、その恋は本ものではない。
恋するがゆえに、生命が生き生きと躍動し、
仕事に張り合いが感じられ、周りの人びとからも、
いよいよ親しまれるようになったら、その恋は、
本ものであると考えて、まず間違いなかろう。
☆女性に贈ることば 二月十二日
どんな時代の変化にあっても、つねに変わることがないのが、真の友情である。何かあると、すぐに変わってしまうような友情は本物ではない。むしろ、試練にあえばあうほど、真の友情はより強く、深く、結びあっていく。
☆今日のことば365 二月十二日
未来を論ずる人は多い
しかし 未来を考える人は余りにも少ない
☆中等部結成記念大会へのSGI会長のメッセージ
わが命、わが宝の、愛する中等部の皆さん! 晴れやかな結成記念大会、誠におめでとう! 真心あふれる担当者の方々にも、最大に感謝いたします。最も期待し、信頼してやまない皆さんと、一緒に肩を組んで、「正義の走者」を高らかに歌いゆく思いで、すべてを見守っております。
日蓮大聖人は、正月のお手紙で、後継の若人が父母の信心を、より強盛に受け継いでいる姿を讃えられて、『青は藍より出でて藍より青く、氷は水より出でて水より冷たいようであると感嘆し、喜んでいます』(P1554、趣意)と仰せになられました。
私にとっての何よりの誇りも、中等部の愛弟子の皆さん方が、ますます立派に成長してくれていることなのです。
65年前の1月、私は、恩師・戸田城聖先生から頂いた本を読了しました。フランスの大文豪ビクトル・ユゴーの『九十三年』です。現在は、創価大学の中央図書館に所蔵されています。
この『九十三年』に、忘れ得ぬ一節があります。それは、「大きな苦しみは、魂をとてつもなく大きなものにする」(榊原晃三訳)という言葉です。
たとえ、いやなことや、つらいことがあっても、勇気を出して挑戦した分、人間は強く大きく成長できるのです。なかんずく皆さんには、どんな苦難も、断じて乗り越えていける題目があります。絶対に励まし合える同志がいます。断固と味方になってくれる良き先輩がいます。
どうか、何があろうとも、負けじ魂を朗らかに燃やし、一日一日、粘り強く学びの努力を重ねて、偉大な自分自身を創り上げてください。そして人類の幸福と、地球の平和のために、思う存分、大活躍をしていただきたいのです。私も、皆さん一人一人に題目を送り続けます。
世界第一の希望の中等部、万歳! 皆、親孝行を頼むね!
2016年2月11日木曜日
2016.02.11 わが友に贈る
試練の時こそ
飛躍のチャンス。
「冬は必ず春となる」
大確信を胸に
強盛なる祈りを!
椎地四郎殿御書 P1448
『此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』
☆こころに響く言葉 美しい"誤解"と惨めな"理解"
よく恋愛は美しい誤解であり、結婚は惨めな理解である。などと言われます。———
たしかに、恋愛のときは、相手の一部分しか見えないものです。また、
互いによく見せようとしているから、それぞれの「わがまま」は押し隠されています。
ところが結婚すると、お互いに遠慮がなくなるし、今まで見えなかった欠陥が目についてきます。
そこで、今までの恋愛が誤解によって生まれたことをはじめて理解し、
惨めな気持ちになるというわけです。理想的な結婚は、仮に恋愛が"美しい誤解"であったことに気づいたとしても、互いにそれをカバーし合い、守り合っていくことによって、営まれていくものでしょう。
若い二人のことですから、恋愛には、当然、誤解もあります。しかし、美しい夢は、
二人でしっかり育んでいくべきです。
それにはやはり、地についた、正しい"目"を失ってはならないと思うのです。
☆女性に贈ることば 二月十一日
恩師・戸田先生が最後の誕生日(昭和三十三年二月十一日)に、私の妻に贈ってくださった和歌がある。
「月光の やさしき姿に 妙法の 強き心を ふくみ持てかし」
戸田先生から薫陶していただいた、この強き心を、女性の皆さんに伝えられることを、妻は深い喜びとしている。
☆今日のことば365 二月十一日
よき友を持つこと
よき先輩を持つこと
これは 人生の至上の幸運であり
誇るべき宝であるといっても過言ではなかろう
☆新時代第8回全国男子部幹部会へSGI会長のメッセージ
永遠なる「常勝の都」兵庫での男子部幹部会、誠におめでとう!
私の心も、懐かしき神戸の天地にそびえ立つ難攻不落の大城に、愛する君たちと共にあります。
不二の君たちが、全国、全世界の先陣を切って、日本第一の折伏を成し遂げてくれた大闘争に、大拍手を送ります。兵庫に、関西に、新しい若き地涌の人材が陸続と躍り出ていることも、嬉しく頼もしく伺っています。
愛弟子が、出陣太鼓を轟かせ、正義の凱歌を歌い、奏で、舞いながら、時代の闇を打ち破れ!と立ち上がった。その雄姿を、私は、君たちを応援してやまない兵庫広布の尊き父母たちと一緒に、すべて見守っております。
寒風のなか、挑戦と努力を重ねてきた出演者の皆さん、登壇者の皆さん、本当にありがとう!陰で一切を支えてくれている役員の皆さんに、心から感謝します。
有名な御聖訓には『人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし』(P1598)と仰せです。
あの阪神・淡路大震災のさなか、誉れの兵庫の友は、自らも被災しながら、苦しむ人々の救援と励ましに走りに走ってくれました。その同志の気高き陰徳が、偉大な陽報となって、今日の兵庫の大復興を照らしてきました。この精神を受け継ぐ諸君の今の戦いが、日本、そして世界の希望の未来を大きく照らすことを、私は大確信しております。
「大阪事件」の勝訴の前夜、私は尼崎での関西男子部幹部会で宣言しました。
「不幸な人の味方となり、真実に全民衆が、安心して暮らしていける世の中を築き上げよう」と。
「兵庫」とは、無敵の「法華経の兵法」の力みなぎる「人材の宝庫」です。
君たち一人一人が、「正しい仏法が最後は必ず勝つ」という信念で、職場でも地域社会でも、堂々たる勝利者となってもらいたい。
そして、あらゆる困難に打ち勝って、広宣流布のため、立正安国のために、正義のスクラムを、断じて広げていっていただきたいのであります。
結びに、御書を拝したい。『日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』(P1463)と。
異体同心の同志の絆が光り、破邪顕正の師子吼が響くところが常勝の都だ。
共々に"大楠公"を歌い、「常勝の空」を歌いながら、「世界広布新時代 拡大」の大勝利の黎明を、断固として君たちが開いてくれたまえ!
体を大切に、親孝行を頼む。いざや前進 恐れなく!
飛躍のチャンス。
「冬は必ず春となる」
大確信を胸に
強盛なる祈りを!
椎地四郎殿御書 P1448
『此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし』
☆こころに響く言葉 美しい"誤解"と惨めな"理解"
よく恋愛は美しい誤解であり、結婚は惨めな理解である。などと言われます。———
たしかに、恋愛のときは、相手の一部分しか見えないものです。また、
互いによく見せようとしているから、それぞれの「わがまま」は押し隠されています。
ところが結婚すると、お互いに遠慮がなくなるし、今まで見えなかった欠陥が目についてきます。
そこで、今までの恋愛が誤解によって生まれたことをはじめて理解し、
惨めな気持ちになるというわけです。理想的な結婚は、仮に恋愛が"美しい誤解"であったことに気づいたとしても、互いにそれをカバーし合い、守り合っていくことによって、営まれていくものでしょう。
若い二人のことですから、恋愛には、当然、誤解もあります。しかし、美しい夢は、
二人でしっかり育んでいくべきです。
それにはやはり、地についた、正しい"目"を失ってはならないと思うのです。
☆女性に贈ることば 二月十一日
恩師・戸田先生が最後の誕生日(昭和三十三年二月十一日)に、私の妻に贈ってくださった和歌がある。
「月光の やさしき姿に 妙法の 強き心を ふくみ持てかし」
戸田先生から薫陶していただいた、この強き心を、女性の皆さんに伝えられることを、妻は深い喜びとしている。
☆今日のことば365 二月十一日
よき友を持つこと
よき先輩を持つこと
これは 人生の至上の幸運であり
誇るべき宝であるといっても過言ではなかろう
☆新時代第8回全国男子部幹部会へSGI会長のメッセージ
永遠なる「常勝の都」兵庫での男子部幹部会、誠におめでとう!
私の心も、懐かしき神戸の天地にそびえ立つ難攻不落の大城に、愛する君たちと共にあります。
不二の君たちが、全国、全世界の先陣を切って、日本第一の折伏を成し遂げてくれた大闘争に、大拍手を送ります。兵庫に、関西に、新しい若き地涌の人材が陸続と躍り出ていることも、嬉しく頼もしく伺っています。
愛弟子が、出陣太鼓を轟かせ、正義の凱歌を歌い、奏で、舞いながら、時代の闇を打ち破れ!と立ち上がった。その雄姿を、私は、君たちを応援してやまない兵庫広布の尊き父母たちと一緒に、すべて見守っております。
寒風のなか、挑戦と努力を重ねてきた出演者の皆さん、登壇者の皆さん、本当にありがとう!陰で一切を支えてくれている役員の皆さんに、心から感謝します。
有名な御聖訓には『人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし』(P1598)と仰せです。
あの阪神・淡路大震災のさなか、誉れの兵庫の友は、自らも被災しながら、苦しむ人々の救援と励ましに走りに走ってくれました。その同志の気高き陰徳が、偉大な陽報となって、今日の兵庫の大復興を照らしてきました。この精神を受け継ぐ諸君の今の戦いが、日本、そして世界の希望の未来を大きく照らすことを、私は大確信しております。
「大阪事件」の勝訴の前夜、私は尼崎での関西男子部幹部会で宣言しました。
「不幸な人の味方となり、真実に全民衆が、安心して暮らしていける世の中を築き上げよう」と。
「兵庫」とは、無敵の「法華経の兵法」の力みなぎる「人材の宝庫」です。
君たち一人一人が、「正しい仏法が最後は必ず勝つ」という信念で、職場でも地域社会でも、堂々たる勝利者となってもらいたい。
そして、あらゆる困難に打ち勝って、広宣流布のため、立正安国のために、正義のスクラムを、断じて広げていっていただきたいのであります。
結びに、御書を拝したい。『日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』(P1463)と。
異体同心の同志の絆が光り、破邪顕正の師子吼が響くところが常勝の都だ。
共々に"大楠公"を歌い、「常勝の空」を歌いながら、「世界広布新時代 拡大」の大勝利の黎明を、断固として君たちが開いてくれたまえ!
体を大切に、親孝行を頼む。いざや前進 恐れなく!
2016年2月10日水曜日
2016.02.10 わが友に贈る
人間外交の要諦は
「誠実」「知恵」
そして「勇気」だ。
わが使命の地で
信頼の絆を広げよう!
神国王御書 P1521
『日蓮此の事を疑いしゆへに幼少の比より随分に顕密二道並びに諸宗の一切の経を或は人にならい或は我れと開見し勘へ見て候へば故の候いけるぞ』
☆こころに響く言葉 第三者に助言を求めよ
恋を、二人だけの秘密にしたいというのも、
若い女性の心理としてはわからぬでもないが、
それを不幸の落とし穴にしないためには、
必ず、賢明な第三者に、助言を求めるようにすることが大事であろう。
そして、恋をしている限り、自己の判断には、
常に誤りを犯すおそれがつきまとっている、
というぐらいにまで自分を客観視していくことだ。
☆女性に贈ることば 二月十日
家庭教育へのアドバイス−−
○子どもと交流する日々の工夫を
○父と母が争う姿を見せない
○父と母が同時には叱らない
○公平に。ほかの子と比較しない
○親の信念の生き方を伝えよう
☆今日のことば365 二月十日
新しい事業の建設には、希望があり、未来がある。だが、その完成へ向かって、どこまで努力と研究と忍耐がつづけられるかによって、その事業が真実に進展し具体化されるか、あるいは夢想と化して消滅していくかが決定されるのである。
☆御書と歩む 第3回 報恩の一念から無限の力が
『仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』(報恩抄、P293)
◇通解
仏教を学ぼうとするものが、どうして父母の恩、師匠の恩、国の恩を忘れてよいだろうか。この大恩に報いるには、仏法を完全に習得し、智慧のある人となってはじめて可能となるのではないか。
◇同志への指針
断じて師匠の大恩に報いるのだ!——私は、この一念で広宣流布のあらゆる突破口を開いてきた。
あの蒲田での「2月闘争」も、戸田先生に喜んでいただきたいとの弟子の誓願が成就したものである。
報恩の心は強く深い。豊かである。「師弟」に生き抜けば、無限の力が出る。自身の壁を大きく打ち破れる。必ず全てに勝利できるのだ。
「誠実」「知恵」
そして「勇気」だ。
わが使命の地で
信頼の絆を広げよう!
神国王御書 P1521
『日蓮此の事を疑いしゆへに幼少の比より随分に顕密二道並びに諸宗の一切の経を或は人にならい或は我れと開見し勘へ見て候へば故の候いけるぞ』
☆こころに響く言葉 第三者に助言を求めよ
恋を、二人だけの秘密にしたいというのも、
若い女性の心理としてはわからぬでもないが、
それを不幸の落とし穴にしないためには、
必ず、賢明な第三者に、助言を求めるようにすることが大事であろう。
そして、恋をしている限り、自己の判断には、
常に誤りを犯すおそれがつきまとっている、
というぐらいにまで自分を客観視していくことだ。
☆女性に贈ることば 二月十日
家庭教育へのアドバイス−−
○子どもと交流する日々の工夫を
○父と母が争う姿を見せない
○父と母が同時には叱らない
○公平に。ほかの子と比較しない
○親の信念の生き方を伝えよう
☆今日のことば365 二月十日
新しい事業の建設には、希望があり、未来がある。だが、その完成へ向かって、どこまで努力と研究と忍耐がつづけられるかによって、その事業が真実に進展し具体化されるか、あるいは夢想と化して消滅していくかが決定されるのである。
☆御書と歩む 第3回 報恩の一念から無限の力が
『仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』(報恩抄、P293)
◇通解
仏教を学ぼうとするものが、どうして父母の恩、師匠の恩、国の恩を忘れてよいだろうか。この大恩に報いるには、仏法を完全に習得し、智慧のある人となってはじめて可能となるのではないか。
◇同志への指針
断じて師匠の大恩に報いるのだ!——私は、この一念で広宣流布のあらゆる突破口を開いてきた。
あの蒲田での「2月闘争」も、戸田先生に喜んでいただきたいとの弟子の誓願が成就したものである。
報恩の心は強く深い。豊かである。「師弟」に生き抜けば、無限の力が出る。自身の壁を大きく打ち破れる。必ず全てに勝利できるのだ。
2016年2月9日火曜日
2016.02.09 わが友に贈る
人生は強気でいけ!
「臆病にては
叶うべからず」だ。
「断じて勝つ」と決め
果敢に打って出よ!
大悪大善御書 P1300
『大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし』
☆こころに響く言葉 恋愛は結婚の実を結ぶ
恋愛と結婚とは、それぞれ独立した、別々のもののように考えられ、
それ近代的な生き方であるように言われているが、
私はそれは誤りであると思っている。
やはり、真剣な恋愛は、結婚という実を結ぶための花でなければならない。
☆女性に贈ることば 二月九日
人生は、ひとつひとつが戦いである。途中に何があろうと、必ず、幸福の花を咲かせゆく戦いだ。
☆今日のことば365 二月九日
宇宙の奏でるリズムというものに人間も一体になって協和し、自然も、世のなかも、自分も歩調を揃えて新しい年に変わるという感情----そこに測り知れない安堵感と、一種の快い緊張感がある。
☆四季の励まし アジア広布55周年 「信頼」と「尊敬」の連帯を
人間の善の絆が拡大することが、
広布の拡大である。
私たちの実践で言えば、
どこまでも真心を尽くし、
誠実に身近な家族、友人、知人の
一人一人を大切にすることだ。
人と人との
「信頼」と「尊敬」による
連帯の広がりが、
広宣流布の姿なのである。
現代の底流には、
「民衆の時代」へ向かう
確かな潮流がある。
しかし一方で、人間を手段化し、
人間性を踏みにじる濁流もまた
激しくなっている。
だからこそ、
一人の「屹立した人間」を
創ることが、
岐路の時代にあって
一切の根幹となる。
苦悩の民衆がいる限り、
創価学会の戦いに終わりはない。
広宣流布とは、
人類の苦を抜き去り、
「慈悲の行業」を
世界に広げる戦いである。
平和と幸福の種を蒔き続ける
永遠の挑戦である。
我ら創価の連帯は、
この「慈悲」の精神で、
人類を結びゆくのだ。
地域の中で
友情と信頼の絆を一つ一つ
勝ち取っていく中でこそ、
世界は平和へと
一歩一歩前進する。
毎日の振る舞い、
そして地道な対話を通し、
「生命の尊厳」
「人間の尊厳」への
思いを高め合う中で、
「平和の文化」の土壌は
豊かになり、
新しい地球文明は花開く。
「アジアの民に 日をぞ送らん」。この恩師・戸田第2代会長の悲願を胸に、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、アジアへの第一歩をしるして、今月28日で55周年となる。
アジアと共に——この心を継ぎ、交流を進めてきたのが九州の同志。1994年(平成6年)11月、福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)で開かれた「アジア青年平和音楽祭」では香港、韓国、インドの友らが舞い、5万人で「歓喜の歌」を大合唱。SGI会長が、その1シーンをカメラに収めた。
各国・地域の指導者と語らい、民衆と触れ合って、「共生のアジア」の構築へ奔走してきたSGI会長に続き、足元の対話、足元の行動から、平和の創造へ挑みたい。
「臆病にては
叶うべからず」だ。
「断じて勝つ」と決め
果敢に打って出よ!
大悪大善御書 P1300
『大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし』
☆こころに響く言葉 恋愛は結婚の実を結ぶ
恋愛と結婚とは、それぞれ独立した、別々のもののように考えられ、
それ近代的な生き方であるように言われているが、
私はそれは誤りであると思っている。
やはり、真剣な恋愛は、結婚という実を結ぶための花でなければならない。
☆女性に贈ることば 二月九日
人生は、ひとつひとつが戦いである。途中に何があろうと、必ず、幸福の花を咲かせゆく戦いだ。
☆今日のことば365 二月九日
宇宙の奏でるリズムというものに人間も一体になって協和し、自然も、世のなかも、自分も歩調を揃えて新しい年に変わるという感情----そこに測り知れない安堵感と、一種の快い緊張感がある。
☆四季の励まし アジア広布55周年 「信頼」と「尊敬」の連帯を
人間の善の絆が拡大することが、
広布の拡大である。
私たちの実践で言えば、
どこまでも真心を尽くし、
誠実に身近な家族、友人、知人の
一人一人を大切にすることだ。
人と人との
「信頼」と「尊敬」による
連帯の広がりが、
広宣流布の姿なのである。
現代の底流には、
「民衆の時代」へ向かう
確かな潮流がある。
しかし一方で、人間を手段化し、
人間性を踏みにじる濁流もまた
激しくなっている。
だからこそ、
一人の「屹立した人間」を
創ることが、
岐路の時代にあって
一切の根幹となる。
苦悩の民衆がいる限り、
創価学会の戦いに終わりはない。
広宣流布とは、
人類の苦を抜き去り、
「慈悲の行業」を
世界に広げる戦いである。
平和と幸福の種を蒔き続ける
永遠の挑戦である。
我ら創価の連帯は、
この「慈悲」の精神で、
人類を結びゆくのだ。
地域の中で
友情と信頼の絆を一つ一つ
勝ち取っていく中でこそ、
世界は平和へと
一歩一歩前進する。
毎日の振る舞い、
そして地道な対話を通し、
「生命の尊厳」
「人間の尊厳」への
思いを高め合う中で、
「平和の文化」の土壌は
豊かになり、
新しい地球文明は花開く。
「アジアの民に 日をぞ送らん」。この恩師・戸田第2代会長の悲願を胸に、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、アジアへの第一歩をしるして、今月28日で55周年となる。
アジアと共に——この心を継ぎ、交流を進めてきたのが九州の同志。1994年(平成6年)11月、福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)で開かれた「アジア青年平和音楽祭」では香港、韓国、インドの友らが舞い、5万人で「歓喜の歌」を大合唱。SGI会長が、その1シーンをカメラに収めた。
各国・地域の指導者と語らい、民衆と触れ合って、「共生のアジア」の構築へ奔走してきたSGI会長に続き、足元の対話、足元の行動から、平和の創造へ挑みたい。
2016年2月8日月曜日
2016.02.08 わが友に贈る
◇今週のことば
草の根の語らいで
広布は拡大!
座談会が飛躍台だ。
「声仏事を為す」
心の思いを響かせよ!
2016年02月08日
兄弟抄 P1089
『其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をはうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき』
☆こころに響く言葉 二人で離陸の準備を
恋に溺れ、自己を見失ってしまうか、
自己を客観視しつつ、恋を生かしきっていけるか、
恋愛という滑走路を経て、結婚という離陸、上昇の成否が決定される。
恋愛と結婚の激動は、長い人生行路のスタートである。
行く手にはいかなる嵐や気流の乱れがあろうと、
びくともしないだけの機体整備を、飛び立つ前にしっかり、
二人の力でやっておく必要がある。
☆女性に贈ることば 二月八日
世問は矛盾だらけである。正しき眼をもっていないともいえる。問題は、その矛盾を突き抜け、大きく乗り越えて、どう揺るぎない自分自身をつくりあげるかである。
☆今日のことば365 二月八日
人間は、自分の心を自由にすることができると錯覚しているが、いざ事に当たったとき、自分の心さえ自由にできないのが常である。心を支配するものこそ、生命の働きなのだが、人は生命に関する意識の不充分さから、これに気づかないのである。
☆新時代を創る 第5回 希望の光の哲学を社会へ
各地で真剣に御書講義が行われている。寒風の中、最高峰の生命哲学を学ぶ友の姿がすがすがしい。
心に刻んだ御書は、勇気の泉だ。勝利の力だ。自他共の幸福の土台となる。
御聖訓には仰せである。
『(南無妙法蓮華経の)「妙」の文字は、月である。太陽である。星である。鏡である。衣服である。食物である。花である。(万物を生む)大地である。(すべての川を収める)大海である。一切の功徳を合わせて『妙』の文字となられたのである』(御書1484ページ、通解)
功徳の集まりが御本尊である。妙法を信ずる人は胸中の御本尊を輝かせていける。広布に生きる人生に行き詰まりは断じてない。
今、SGIの各国でも、教学の研修が活発だ。地涌の菩薩のスクラムは、あらゆる差異の壁を越えて、世界を結んでいる。
全人類の宿命を転換しゆく平和の原動力こそ、太陽の仏法なのだ。
日蓮大聖人の仰せに『一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし』(同587ページ)とある。何と広大な慈悲であられるか。
まさに、この心を拝して行動しているのが、東日本大震災に立ち向かってきた東北の凱歌の人々である。
その東北に励ましを送るのが、阪神・淡路大震災を越えてきた兵庫そして大阪の久遠の友である。
大悪をも大善に転じゆく希望の哲理を抱き締め、共に忍耐強く、福光の未来へ歩み抜いてこられた。
最も苦しんでいる人に寄り添い続ける。共に立ち上がる。どんな人も、あきらめない。ここにこそ、仏法の出発点がある。
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』(同234ページ)
この御金言を共に拝し、わが創価家族は、いかなる苦難も勝ち越えてきた。
我らは今再び、不退転の決意を燃え上がらせ、宿命と闘う友を抱きかかえながら、心一つに、生老病死の苦悩をも常楽我浄の大歓喜の劇へと転換しゆくのだ。
永遠に崩れぬ常勝の人材城をともどもに築こう!
草の根の語らいで
広布は拡大!
座談会が飛躍台だ。
「声仏事を為す」
心の思いを響かせよ!
2016年02月08日
兄弟抄 P1089
『其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をはうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき』
☆こころに響く言葉 二人で離陸の準備を
恋に溺れ、自己を見失ってしまうか、
自己を客観視しつつ、恋を生かしきっていけるか、
恋愛という滑走路を経て、結婚という離陸、上昇の成否が決定される。
恋愛と結婚の激動は、長い人生行路のスタートである。
行く手にはいかなる嵐や気流の乱れがあろうと、
びくともしないだけの機体整備を、飛び立つ前にしっかり、
二人の力でやっておく必要がある。
☆女性に贈ることば 二月八日
世問は矛盾だらけである。正しき眼をもっていないともいえる。問題は、その矛盾を突き抜け、大きく乗り越えて、どう揺るぎない自分自身をつくりあげるかである。
☆今日のことば365 二月八日
人間は、自分の心を自由にすることができると錯覚しているが、いざ事に当たったとき、自分の心さえ自由にできないのが常である。心を支配するものこそ、生命の働きなのだが、人は生命に関する意識の不充分さから、これに気づかないのである。
☆新時代を創る 第5回 希望の光の哲学を社会へ
各地で真剣に御書講義が行われている。寒風の中、最高峰の生命哲学を学ぶ友の姿がすがすがしい。
心に刻んだ御書は、勇気の泉だ。勝利の力だ。自他共の幸福の土台となる。
御聖訓には仰せである。
『(南無妙法蓮華経の)「妙」の文字は、月である。太陽である。星である。鏡である。衣服である。食物である。花である。(万物を生む)大地である。(すべての川を収める)大海である。一切の功徳を合わせて『妙』の文字となられたのである』(御書1484ページ、通解)
功徳の集まりが御本尊である。妙法を信ずる人は胸中の御本尊を輝かせていける。広布に生きる人生に行き詰まりは断じてない。
今、SGIの各国でも、教学の研修が活発だ。地涌の菩薩のスクラムは、あらゆる差異の壁を越えて、世界を結んでいる。
全人類の宿命を転換しゆく平和の原動力こそ、太陽の仏法なのだ。
日蓮大聖人の仰せに『一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし』(同587ページ)とある。何と広大な慈悲であられるか。
まさに、この心を拝して行動しているのが、東日本大震災に立ち向かってきた東北の凱歌の人々である。
その東北に励ましを送るのが、阪神・淡路大震災を越えてきた兵庫そして大阪の久遠の友である。
大悪をも大善に転じゆく希望の哲理を抱き締め、共に忍耐強く、福光の未来へ歩み抜いてこられた。
最も苦しんでいる人に寄り添い続ける。共に立ち上がる。どんな人も、あきらめない。ここにこそ、仏法の出発点がある。
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』(同234ページ)
この御金言を共に拝し、わが創価家族は、いかなる苦難も勝ち越えてきた。
我らは今再び、不退転の決意を燃え上がらせ、宿命と闘う友を抱きかかえながら、心一つに、生老病死の苦悩をも常楽我浄の大歓喜の劇へと転換しゆくのだ。
永遠に崩れぬ常勝の人材城をともどもに築こう!
2016年2月7日日曜日
2016.02.07 わが友に贈る
広宣流布とは
友情を広げること。
励まし 励まされる
心の交流こそが
平和を築く直道だ!
御義口伝巻下 P781
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり』
☆こころに響く言葉 結婚とは何か
建設の日々の始まり
結婚は、新しい人生の門出の祝典である。
それは同時に、建設の日々の始まりでなくてはならない。
☆女性に贈ることば 二月七日
失敗しても、叱るより「今回は、あなたらしくなかったね」と言ったほうがいい。
壁を乗り越える自信と、乗り越える喜びを伝えてあげたい。
☆今日のことば365 二月七日
一冊の本のなかに、ひとつの世界があり、いろんな人生があります。人間一人が、実際に、自分で体験できる人生は、ひとつしかありませんが、読書は、あらゆる人生体験を教えてくれるのです。人は、一冊の本を読むごとに、人生を、より豊かにしていくことができるのです。
☆随筆永遠なれ創価の大城 第2回 勇気凜々 2月を先駆
◇キューバの発展
かつて核戦争の恐怖に人類を震撼させ、東西冷戦の象徴的事件となった「キューバ危機」から半世紀——。昨年七月に、アメリカとの国交回復の朗報が世界を駆け巡ったことは記憶に新しい。
そのキューバでも、わが地涌の同志が生き生きと活躍している。
SGIは「国家の平和と安定に寄与している団体」と高く評価され、「よき市民」としての貢献は社会に輝きを放っているのである。
この発展するキューバ創価学会の源流にも、一人の母の奮闘があった。
もう三十五年ほど前になろうか。学会員であった日本人の夫と結婚し、その後、入会して神奈川の婦人部として活動されていたキューバ出身の女性を、私と妻は全力で励ました。
「あなたには、深い使命があります。題目をあげて前進してください。ご家族と必ず幸せになってください!」
彼女は、「愛する祖国に平和と希望の種を蒔こう!」と、尊い誓願を立てられた。
そしてキューバにいる両親を入会に導き、妹も続いた。今、その妹さんがキューバ創価学会のリーダーを立派に務め、和楽のスクラムを牽引しておられる。これほど嬉しいことはない。
◇師子吼の一人に
「一人立つ」勇者がいれば、そこから必ず状況は変えられる。
「真剣な一人」「必死の一人」から、勝利の突破口は開かれるのだ。
キューバ独立の英雄ホセ・マルティは叫んだ。
「正義に無頓着な大衆より、たった一人の正義の人の存在が強いのです。真の勝利を得るには、まず精神の上で勝利することです」
日蓮仏法の実践の魂も「一人立つ」ことだ。勇み立って、「法華折伏・破権門理」の戦いを起こすことである。
黙っていては、正義を為すことはできない。
語らなければ、真実は伝わらない。
御聖訓には、「彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書一一九〇ページ)と仰せではないか。
「声も惜まず」(同七二六ページ)、「言をもおしまず」(同三五六ページ)と叫ばれた誉れある大聖人の一門として、自信満々と、正義の言論戦を繰り広げるのだ。
今、全国各地の男子部・女子部・学生部が先頭に立って、「青年の声」を結集し、「青年の連帯」を拡大している。
地域の太陽・婦人部は明るく皆を照らし、励ましの光を、いやまして快活に広げてくれている。
創価の黄金柱・壮年部も、結成五十周年の佳節を前に、堂々たる行進を開始した。
「伝統の二月」から、創価の春へ!
聡明に、健康第一で、一日一日を勝ち進もう!
仲良く励まし合って、皆が力を出し切ろう!
胸を張り、声も惜しまず、わが信念を語ろう!
朗らかに伸び伸びと、笑みを湛えて、友情を結ぼう!
勇気凜々、創価の師弟桜の道を、晴れ晴れと開きゆくのだ!
伝統の
勇気の拡大
二月かな
いざや楽しく
広布の旗 振れ
友情を広げること。
励まし 励まされる
心の交流こそが
平和を築く直道だ!
御義口伝巻下 P781
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり』
☆こころに響く言葉 結婚とは何か
建設の日々の始まり
結婚は、新しい人生の門出の祝典である。
それは同時に、建設の日々の始まりでなくてはならない。
☆女性に贈ることば 二月七日
失敗しても、叱るより「今回は、あなたらしくなかったね」と言ったほうがいい。
壁を乗り越える自信と、乗り越える喜びを伝えてあげたい。
☆今日のことば365 二月七日
一冊の本のなかに、ひとつの世界があり、いろんな人生があります。人間一人が、実際に、自分で体験できる人生は、ひとつしかありませんが、読書は、あらゆる人生体験を教えてくれるのです。人は、一冊の本を読むごとに、人生を、より豊かにしていくことができるのです。
☆随筆永遠なれ創価の大城 第2回 勇気凜々 2月を先駆
◇キューバの発展
かつて核戦争の恐怖に人類を震撼させ、東西冷戦の象徴的事件となった「キューバ危機」から半世紀——。昨年七月に、アメリカとの国交回復の朗報が世界を駆け巡ったことは記憶に新しい。
そのキューバでも、わが地涌の同志が生き生きと活躍している。
SGIは「国家の平和と安定に寄与している団体」と高く評価され、「よき市民」としての貢献は社会に輝きを放っているのである。
この発展するキューバ創価学会の源流にも、一人の母の奮闘があった。
もう三十五年ほど前になろうか。学会員であった日本人の夫と結婚し、その後、入会して神奈川の婦人部として活動されていたキューバ出身の女性を、私と妻は全力で励ました。
「あなたには、深い使命があります。題目をあげて前進してください。ご家族と必ず幸せになってください!」
彼女は、「愛する祖国に平和と希望の種を蒔こう!」と、尊い誓願を立てられた。
そしてキューバにいる両親を入会に導き、妹も続いた。今、その妹さんがキューバ創価学会のリーダーを立派に務め、和楽のスクラムを牽引しておられる。これほど嬉しいことはない。
◇師子吼の一人に
「一人立つ」勇者がいれば、そこから必ず状況は変えられる。
「真剣な一人」「必死の一人」から、勝利の突破口は開かれるのだ。
キューバ独立の英雄ホセ・マルティは叫んだ。
「正義に無頓着な大衆より、たった一人の正義の人の存在が強いのです。真の勝利を得るには、まず精神の上で勝利することです」
日蓮仏法の実践の魂も「一人立つ」ことだ。勇み立って、「法華折伏・破権門理」の戦いを起こすことである。
黙っていては、正義を為すことはできない。
語らなければ、真実は伝わらない。
御聖訓には、「彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書一一九〇ページ)と仰せではないか。
「声も惜まず」(同七二六ページ)、「言をもおしまず」(同三五六ページ)と叫ばれた誉れある大聖人の一門として、自信満々と、正義の言論戦を繰り広げるのだ。
今、全国各地の男子部・女子部・学生部が先頭に立って、「青年の声」を結集し、「青年の連帯」を拡大している。
地域の太陽・婦人部は明るく皆を照らし、励ましの光を、いやまして快活に広げてくれている。
創価の黄金柱・壮年部も、結成五十周年の佳節を前に、堂々たる行進を開始した。
「伝統の二月」から、創価の春へ!
聡明に、健康第一で、一日一日を勝ち進もう!
仲良く励まし合って、皆が力を出し切ろう!
胸を張り、声も惜しまず、わが信念を語ろう!
朗らかに伸び伸びと、笑みを湛えて、友情を結ぼう!
勇気凜々、創価の師弟桜の道を、晴れ晴れと開きゆくのだ!
伝統の
勇気の拡大
二月かな
いざや楽しく
広布の旗 振れ
2016年2月6日土曜日
2016.02.06 わが友に贈る
受験生の皆さんの
健康と栄光を祈る!
今までの努力を信じて
自分らしく悔いなく
ゴールへ走り抜け!
兄弟抄 P1088
『始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず』
☆こころに響く言葉 新しい"幸"か"不幸"かへの出発
結婚は、女性にとって第二の人生であろう。
この第二の人生は、その前の人生が幸せであったから、
そのまま第二の人生も幸せになるとは限らないし、また、結婚前が不幸だったから、
そのまま不幸の人生が続くとも限らない。
第二の人生は、二人にとって、
文字どおり新しい幸か不幸かへの出発でもあろう。
☆女性に贈ることば 二日六日
負けるな! 断じて負けるな!
幸福が人生の目的だ。
そのために努力を!
そのために忍耐を!
生き抜くのだ。
愉快に生き抜くのだ。
強く生き抜くのだ。
☆今日のことば365 二月六日
信頼と尊敬に包まれた美しい人生の送れる人は、必ず、深く父母や師、また国家社会から受けた恩を知っている人だといえないだろうか。
☆随筆永遠なれ創価の大城 第2回 勇気凜々 2月を先駆
◇「声も惜まず」我らは進む! 誠実 真剣 明朗 春呼ぶ対話の花を
二月は、わが師・戸田城聖先生の生誕の月だ。
そのお祝いに、沖縄の友が、戸田先生のお好きだった桜の花便りをいち早く届けてくれた。
思えば、五十五年前(一九六一年)、恩師の悲願であった東洋広布へ私が第一歩を踏み出した時も、不二の心で日本一の折伏の金字塔を打ち立ててくれたのが、沖縄の同志であった。
誉れ高き沖縄家族は、世界初の広宣流布、立正安国のモデル地帯をと、人生に「福徳の花」を、地域に「友情の花」を、社会に「人材の花」を、爛漫と咲き薫らせながら、前進している。
「先駆」の誇りの九 州との異体同心の連携も、頼もしい限りである。
日蓮大聖人は、「さきがけ」の闘魂を大事になされていた。
『先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし』(御書一四一五ページ)とも仰せである。
四国青年部の心意気から誕生した「紅の歌」に「魁光りぬ」と謳い上げられているように、我らの学会精神の強さと深さが、ここにある。
◇埼玉に拡大の波
東にあって「先駆」の気概に燃える天地が、関東であり、埼玉である。
埼玉といえば、戸田先生の事業が最悪の状態にあった時、先生と訪れ、苦境の打開へ奔走した思い出がある。恩知らずの弟子が次々と去っていく中で一人、懸命に支え、お守りしていた時期だ。
「必ず創価の春を勝ち開いてみせます!」。私は師に誓い、猛然と祈り抜き、阿修羅の如く戦い抜いた。
先月、私は妻と共に、幾重にも懐かしき埼玉の文化会館を訪問した。
埼玉そして関東の同志は今、三月の本部幹部会に向け、「わが地域の新時代を開こう」と、まさに先駆の心で「広布拡大」「対話拡大」に勇んで挑戦してくれている。
「対話」の要諦とは、いったい何か。
埼玉出身で、日本の近代経済の父・渋沢栄一翁は訴えている。
「世に至誠ほど、偉力あるものはない」と。
至誠、つまり「誠実」の限りを尽くす以上の偉大な力はないのだ。
渋沢翁はさらに、"至誠をもって、わが真心を表し、人と向き合うことだ。そうすれば、いかに交際が下手でも、必ず、相手に心は通じる。小手先の策を用いる必要などない"(趣意)とも言われていた。
その通りである。
大聖人は『心こそ大切なれ』(御書一一九二ページ)と仰せられた。
わが友に幸せになってほしい。よき社会、よき未来を一緒に築いていきたい——真心からの真剣な祈りと、勇気の対話が、自身の境涯も大きく開いていくのだ。
戸田先生は、よく語ってくださった。
「相手に真面目に真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。
これが創価学会の発祥の原理であり、発展の原動力である」と。
心を打つものは心だ。妙法は、人間の心を強く聡明にする。自他共に幸福の峰へ導き、我らの地域を繁栄させ、平和の世界を築いていくための力である。慈悲と智慧の哲理であり、人間学であり、大法則なのである。
◇時を創り平和へ
六十五年前(一九五一年)、私は埼玉の中核であった、当時の志木支部川越地区に通い始め、足かけ三年にわたって渾身の御書講義を重ねた。
「この埼玉の地から、無数の地涌の菩薩よ躍り出で給え!」
そう祈り、若き情熱を注いで迎えた最終の講義は、一九五三年(昭和二十八年)の二月十日——戸田先生の誕生日の前日であった。
参加者も約五十人に増えた盛況の中で、皆で拝したのは「佐渡御書」であったと記憶する。
『日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり』(同九五七ページ)
大聖人を流罪し、「自界叛逆難」の様相を招いた狂乱の権力者に対する、烈々たる師子吼を留められた重書である。
私が川越での御書講義を担当した当時、世界は厳しき東西冷戦の真っ只中にあった。
交通や通信の発達によって、世界は急速に狭くなった。人類は一つの地球に暮らす仲間ではないか——。そう考えれば、東西の分断と対立とは、大聖人が警鐘を鳴らされた「自界叛逆難」であるとも捉えられる。
その渦中に、戸田先生は「地球民族主義」を提唱され、弟子の私たち青年に、世界の平和のため、民衆の幸福のために立ち上がれと、深く期待されたのである。
先生の名代として、愛する埼玉の講義を修了した、その夜の日記を繙くと、こう記してある。
「次第に、人材、人物が、輩出して来た様子。」
「共産主義国対自由主義国、世界の二大陣営の激突に苦悩する。吾々の前進が、その第一段階の橋渡しか。」
「時を待て。時を待て。同志よ。民衆よ。人類よ。——」
東西冷戦の冬の時代を越えて、SGIの平和と人道の連帯は、百九十二カ国・地域に拡大した。粘り強く時を待ち、時を創り、人類の幸福の春を呼ぶ民衆の乱舞が、今、地球を舞台に、絢爛と花開いているのだ。
◎2/4の聖教新聞「青年教育者会議 結成30年」に大久保聖子さんが! 千葉1期だったんですね、おめでとうございま〜す(^^♪
健康と栄光を祈る!
今までの努力を信じて
自分らしく悔いなく
ゴールへ走り抜け!
兄弟抄 P1088
『始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず』
☆こころに響く言葉 新しい"幸"か"不幸"かへの出発
結婚は、女性にとって第二の人生であろう。
この第二の人生は、その前の人生が幸せであったから、
そのまま第二の人生も幸せになるとは限らないし、また、結婚前が不幸だったから、
そのまま不幸の人生が続くとも限らない。
第二の人生は、二人にとって、
文字どおり新しい幸か不幸かへの出発でもあろう。
☆女性に贈ることば 二日六日
負けるな! 断じて負けるな!
幸福が人生の目的だ。
そのために努力を!
そのために忍耐を!
生き抜くのだ。
愉快に生き抜くのだ。
強く生き抜くのだ。
☆今日のことば365 二月六日
信頼と尊敬に包まれた美しい人生の送れる人は、必ず、深く父母や師、また国家社会から受けた恩を知っている人だといえないだろうか。
☆随筆永遠なれ創価の大城 第2回 勇気凜々 2月を先駆
◇「声も惜まず」我らは進む! 誠実 真剣 明朗 春呼ぶ対話の花を
二月は、わが師・戸田城聖先生の生誕の月だ。
そのお祝いに、沖縄の友が、戸田先生のお好きだった桜の花便りをいち早く届けてくれた。
思えば、五十五年前(一九六一年)、恩師の悲願であった東洋広布へ私が第一歩を踏み出した時も、不二の心で日本一の折伏の金字塔を打ち立ててくれたのが、沖縄の同志であった。
誉れ高き沖縄家族は、世界初の広宣流布、立正安国のモデル地帯をと、人生に「福徳の花」を、地域に「友情の花」を、社会に「人材の花」を、爛漫と咲き薫らせながら、前進している。
「先駆」の誇りの九 州との異体同心の連携も、頼もしい限りである。
日蓮大聖人は、「さきがけ」の闘魂を大事になされていた。
『先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし』(御書一四一五ページ)とも仰せである。
四国青年部の心意気から誕生した「紅の歌」に「魁光りぬ」と謳い上げられているように、我らの学会精神の強さと深さが、ここにある。
◇埼玉に拡大の波
東にあって「先駆」の気概に燃える天地が、関東であり、埼玉である。
埼玉といえば、戸田先生の事業が最悪の状態にあった時、先生と訪れ、苦境の打開へ奔走した思い出がある。恩知らずの弟子が次々と去っていく中で一人、懸命に支え、お守りしていた時期だ。
「必ず創価の春を勝ち開いてみせます!」。私は師に誓い、猛然と祈り抜き、阿修羅の如く戦い抜いた。
先月、私は妻と共に、幾重にも懐かしき埼玉の文化会館を訪問した。
埼玉そして関東の同志は今、三月の本部幹部会に向け、「わが地域の新時代を開こう」と、まさに先駆の心で「広布拡大」「対話拡大」に勇んで挑戦してくれている。
「対話」の要諦とは、いったい何か。
埼玉出身で、日本の近代経済の父・渋沢栄一翁は訴えている。
「世に至誠ほど、偉力あるものはない」と。
至誠、つまり「誠実」の限りを尽くす以上の偉大な力はないのだ。
渋沢翁はさらに、"至誠をもって、わが真心を表し、人と向き合うことだ。そうすれば、いかに交際が下手でも、必ず、相手に心は通じる。小手先の策を用いる必要などない"(趣意)とも言われていた。
その通りである。
大聖人は『心こそ大切なれ』(御書一一九二ページ)と仰せられた。
わが友に幸せになってほしい。よき社会、よき未来を一緒に築いていきたい——真心からの真剣な祈りと、勇気の対話が、自身の境涯も大きく開いていくのだ。
戸田先生は、よく語ってくださった。
「相手に真面目に真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。
これが創価学会の発祥の原理であり、発展の原動力である」と。
心を打つものは心だ。妙法は、人間の心を強く聡明にする。自他共に幸福の峰へ導き、我らの地域を繁栄させ、平和の世界を築いていくための力である。慈悲と智慧の哲理であり、人間学であり、大法則なのである。
◇時を創り平和へ
六十五年前(一九五一年)、私は埼玉の中核であった、当時の志木支部川越地区に通い始め、足かけ三年にわたって渾身の御書講義を重ねた。
「この埼玉の地から、無数の地涌の菩薩よ躍り出で給え!」
そう祈り、若き情熱を注いで迎えた最終の講義は、一九五三年(昭和二十八年)の二月十日——戸田先生の誕生日の前日であった。
参加者も約五十人に増えた盛況の中で、皆で拝したのは「佐渡御書」であったと記憶する。
『日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり』(同九五七ページ)
大聖人を流罪し、「自界叛逆難」の様相を招いた狂乱の権力者に対する、烈々たる師子吼を留められた重書である。
私が川越での御書講義を担当した当時、世界は厳しき東西冷戦の真っ只中にあった。
交通や通信の発達によって、世界は急速に狭くなった。人類は一つの地球に暮らす仲間ではないか——。そう考えれば、東西の分断と対立とは、大聖人が警鐘を鳴らされた「自界叛逆難」であるとも捉えられる。
その渦中に、戸田先生は「地球民族主義」を提唱され、弟子の私たち青年に、世界の平和のため、民衆の幸福のために立ち上がれと、深く期待されたのである。
先生の名代として、愛する埼玉の講義を修了した、その夜の日記を繙くと、こう記してある。
「次第に、人材、人物が、輩出して来た様子。」
「共産主義国対自由主義国、世界の二大陣営の激突に苦悩する。吾々の前進が、その第一段階の橋渡しか。」
「時を待て。時を待て。同志よ。民衆よ。人類よ。——」
東西冷戦の冬の時代を越えて、SGIの平和と人道の連帯は、百九十二カ国・地域に拡大した。粘り強く時を待ち、時を創り、人類の幸福の春を呼ぶ民衆の乱舞が、今、地球を舞台に、絢爛と花開いているのだ。
◎2/4の聖教新聞「青年教育者会議 結成30年」に大久保聖子さんが! 千葉1期だったんですね、おめでとうございま〜す(^^♪
2016年2月5日金曜日
2016.02.05 わが友に贈る
「まことの信心」は
苦難の時に試される。
いざという時に
決然と一人立つ
真正の勇者たれ!
四条金吾殿御返事 P1169
『仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり』
☆こころに響く言葉 結婚は幸福へのゴールインではない
結婚は、ある場合には二人の愛の結果であり、
恋愛のゴールインかもしれないが、
それはそのまま幸福へのゴールインではない。
☆女性に贈ることば 二月五日
親や周囲が、思春期の特徴をよく理解することだ。子どもの言うことをよぐ聞いてあげる。子どもをありのまま受け入れる。さらに子どもがほっとする居心地のいい家庭をつくる。そういう努力をはらいながら、思春期は勇気をもって耐える期間であると受け止めて、接していってはどうだろうか。
☆今日のことば365 二月五日
主義主張に戦う者は、生涯、駒を進めることを瞬時も忘れてはならない。自己の使命を強く決意した、崇高なる戦いほど強力なものはない。いかなることも、逞しく建設していけるものだ。もし使命に目覚めないならば、人間ほど弱く脆く汚いものはないだろう。
☆ロマン総会へのSGI会長夫妻のメッセージ
◇桜梅桃李のスクラムで「平和の門」を開きゆけ
寒風に胸を張って、希望と友情の桜梅桃李のスクラムを広げゆく「ロマン総会」、誠におめでとうございます。
世界192カ国・地域の創価家族も、新年を飾る華陽姉妹の晴れの集いに、喜びのエールを送ってくれています。
日蓮大聖人は、お正月、女性の門下に与えられたお手紙の中で、「私たち凡夫は、まつげが近くにあるのと、虚空(大空)が遠くにあるのとは見ることができません。それと同じように、私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのです」(御書1491ページ、通解)と仰せになられました。
若くして、この世界一の大哲学を学び、実践する皆さん方は、自分自身の心の中にある仏の生命、すなわち最も尊く、最も強く、最も美しい福運と智慧の光を、思う存分に輝かせていける女性です。
家庭も、地域も、社会も、明るく朗らかに照らしゆける"幸福の太陽"の一人ひとりなのです。
皆さんには、あらゆる宿命を勝ち越えてきた母たち父たちが示す、人生勝利への正しい軌道があります。
どうか、どんな時にも「歓喜の中の大歓喜」の題目を忘れず、仲良く励まし合いながら、それぞれの誓い光るロマンの舞台で、何があっても負けない青春の劇を、賢く粘り強く、創り上げていってください。
私と妻は、大切な宝の皆さんの健康と活躍を、毎日、強盛に祈り抜いていきます。お元気で! 花の女子部よ! 大事な今を、そして永遠に、幸福勝利の限りなき平和の門を開きゆけ!
苦難の時に試される。
いざという時に
決然と一人立つ
真正の勇者たれ!
四条金吾殿御返事 P1169
『仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり』
☆こころに響く言葉 結婚は幸福へのゴールインではない
結婚は、ある場合には二人の愛の結果であり、
恋愛のゴールインかもしれないが、
それはそのまま幸福へのゴールインではない。
☆女性に贈ることば 二月五日
親や周囲が、思春期の特徴をよく理解することだ。子どもの言うことをよぐ聞いてあげる。子どもをありのまま受け入れる。さらに子どもがほっとする居心地のいい家庭をつくる。そういう努力をはらいながら、思春期は勇気をもって耐える期間であると受け止めて、接していってはどうだろうか。
☆今日のことば365 二月五日
主義主張に戦う者は、生涯、駒を進めることを瞬時も忘れてはならない。自己の使命を強く決意した、崇高なる戦いほど強力なものはない。いかなることも、逞しく建設していけるものだ。もし使命に目覚めないならば、人間ほど弱く脆く汚いものはないだろう。
☆ロマン総会へのSGI会長夫妻のメッセージ
◇桜梅桃李のスクラムで「平和の門」を開きゆけ
寒風に胸を張って、希望と友情の桜梅桃李のスクラムを広げゆく「ロマン総会」、誠におめでとうございます。
世界192カ国・地域の創価家族も、新年を飾る華陽姉妹の晴れの集いに、喜びのエールを送ってくれています。
日蓮大聖人は、お正月、女性の門下に与えられたお手紙の中で、「私たち凡夫は、まつげが近くにあるのと、虚空(大空)が遠くにあるのとは見ることができません。それと同じように、私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのです」(御書1491ページ、通解)と仰せになられました。
若くして、この世界一の大哲学を学び、実践する皆さん方は、自分自身の心の中にある仏の生命、すなわち最も尊く、最も強く、最も美しい福運と智慧の光を、思う存分に輝かせていける女性です。
家庭も、地域も、社会も、明るく朗らかに照らしゆける"幸福の太陽"の一人ひとりなのです。
皆さんには、あらゆる宿命を勝ち越えてきた母たち父たちが示す、人生勝利への正しい軌道があります。
どうか、どんな時にも「歓喜の中の大歓喜」の題目を忘れず、仲良く励まし合いながら、それぞれの誓い光るロマンの舞台で、何があっても負けない青春の劇を、賢く粘り強く、創り上げていってください。
私と妻は、大切な宝の皆さんの健康と活躍を、毎日、強盛に祈り抜いていきます。お元気で! 花の女子部よ! 大事な今を、そして永遠に、幸福勝利の限りなき平和の門を開きゆけ!
2016年2月4日木曜日
2016.02.04 わが友に贈る
聖教拡大に尽力する
全ての皆様に感謝!
「仏は文字に依って
衆生を度し給うなり」
幸福の哲理を社会へ!
諸法実相抄 P1360
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』
☆こころに響く言葉 過酷なレースのスタート
結婚にゴールインするというのも、誤解を生みやすい、
適切でない表現なのである。
結婚は、むしろスタートと考えなくてはならない。
しかも、夫は、妻と家庭に対する責任を、
妻は、夫と家庭に対する責任という重荷を、
それぞれ背負った、過酷なレースのスタートであると、
私は考えている。
☆女性に贈ることば 二月四日
苦しい時は、この間が永遠に続くような気がするものです。
しかし、そうではない。冬はいつか必ず春になります。永遠に続く冬はない。
誰よりも苦しんだあなたが、誰よりも人の心がわかるあなたなのです。誰よりもつらい思いをしたあなたは、誰よりも人の優しさに敏感なあなたのはずです。
☆今日のことば365 二月四日
弁解せぬ 人生であれ
堅実なる 人生であれ
健康なる 人生であれ
☆キューバの国際会議へのSGI会長のメッセージ
キューバ共和国の「偉大なる精神の師父」ホセ・マルティの名を冠した、意義深き第2回国際会議の大成功を、心からお祝い申し上げます。
敬愛するキューバの友として、また、崇高なるマルティの人間主義に共鳴する一人として、平和と連帯のメッセージを贈らせていただきます。
1996年6月、私は、貴国を訪れ、フィデル・カストロ前国家評議会議長をはじめ多くの方々とお会いし、文化・教育の交流を結ばせていただきました。
それは、指導者はもとより、一人一人の市民や青年の心に生き生きと脈打つ「マルティの心」との出あいの旅であったといっても、決して過言ではありません。
その後、光栄にも、ホセ・マルティ研究所所長のシンティオ・ヴィティエール博士と私は対話を重ね、対談集『カリブの太陽 正義の詩——「キューバの使徒 ホセ・マルティ」を語る』を発刊するに至りました。
この対談集は日本語、スペイン語、英語で出版されております。人類の宝たるマルティの思想と人生をめぐって、世界の多くの方々、とりわけ若い向学の世代と共に学び、語らう魂の広場を、未来へ継続して分かち合えますことは、私にとって何よりの喜びであります。
今回の会議では、125年前、マルティが建国の基本精神を明かした歴史的なスピーチのタイトルが掲げられています。
「すべての人々とともに、すべての人々のために」と。
何と簡潔明瞭でありながら、何と奥深く、気高い哲学が結晶している表現でしょうか。
まさに、地球的問題群に挑む世界市民が共通の指標とすべき、21世紀文明の旗印なりと、私は感嘆するのであります。
ここには、マルティが共和国の第一の原則と定めた「人間の品位に対する尊厳」が貫かれております。
マルティは、人間生命が具える善性を、揺るぎなく信頼してやみませんでした。
「民衆はすべて、共通の堂々とした、すばらしい何かを——空よりも広く、大地よりも大きく、星座よりも輝いていて、海よりも洋々としたものをもっています。それは人間の精神です」と。
時代の混迷が深ければ深いほど、私たちは、マルティがいついかなる時も手放さなかった「人間の品位に対する尊厳」に立ち返って、一人一人の生命に秘められた、限りない智慧と力を、いよいよ解き放っていきたいと思うのであります。
それを可能ならしめる翼こそ、マルティが見事に体現しているごとく、一つは「連帯への対話」であり、一つは「人間教育」ではないでしょうか。
マルティは喝破しました。
「人間を分けたり、限定したり、切り離したり、囲いに入れたりすることは、すべて人類に対する罪である」(エルミニオ・アルメンドロス著、神尾朱実訳『椰子より高く正義をかかげよ』海風書房)と。
20年前、貴国へ第一歩をしるさせていただいた時、私の胸に響いていたのも、このマルティの獅子吼でありました。
そしてまた、マルティは、「もっとも幸せな民衆とは、子どもたちによりよい情緒教育や思想知識を与えることのできる民衆である」と洞察しております。
今、うれしいことに、貴国の誇る名門ハバナ大学と、私が創立した創価大学の学術・教育交流も、素晴らしい成果を収めていることを、ここに謹んでご報告申し上げます。
教育を人生最大の事業と定めてきた私は、「すべての人々とともに、すべての人々のために」とのテーマに、なかんずく「すべての青年とともに、すべての未来のために」と加えさせていただきたいのであります。
ともあれ、マルティの太陽のごとき不撓不屈の楽観主義は、「民衆が疲れても、決して諦めない人間たれ」と私たちを勇気づけてくれております。
このマルティから託された勇気を、私たちは自らの信念の行動を通して世界の青年に示し、厳として受け継いでいきたいと願っております。
東洋の英知の言葉に「人のために火をともせば、わが前も明らかになる」とあります。
私も、尊敬する先生方と手を携えて、マルティが夢見た人類の平和と幸福の未来を、さらに明々と照らしゆくことを、ここにお誓い申し上げます。
最後に、愛するキューバ共和国のますますの栄光とご発展、そして本日、ご出席のすべての皆さま方のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。
全ての皆様に感謝!
「仏は文字に依って
衆生を度し給うなり」
幸福の哲理を社会へ!
諸法実相抄 P1360
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』
☆こころに響く言葉 過酷なレースのスタート
結婚にゴールインするというのも、誤解を生みやすい、
適切でない表現なのである。
結婚は、むしろスタートと考えなくてはならない。
しかも、夫は、妻と家庭に対する責任を、
妻は、夫と家庭に対する責任という重荷を、
それぞれ背負った、過酷なレースのスタートであると、
私は考えている。
☆女性に贈ることば 二月四日
苦しい時は、この間が永遠に続くような気がするものです。
しかし、そうではない。冬はいつか必ず春になります。永遠に続く冬はない。
誰よりも苦しんだあなたが、誰よりも人の心がわかるあなたなのです。誰よりもつらい思いをしたあなたは、誰よりも人の優しさに敏感なあなたのはずです。
☆今日のことば365 二月四日
弁解せぬ 人生であれ
堅実なる 人生であれ
健康なる 人生であれ
☆キューバの国際会議へのSGI会長のメッセージ
キューバ共和国の「偉大なる精神の師父」ホセ・マルティの名を冠した、意義深き第2回国際会議の大成功を、心からお祝い申し上げます。
敬愛するキューバの友として、また、崇高なるマルティの人間主義に共鳴する一人として、平和と連帯のメッセージを贈らせていただきます。
1996年6月、私は、貴国を訪れ、フィデル・カストロ前国家評議会議長をはじめ多くの方々とお会いし、文化・教育の交流を結ばせていただきました。
それは、指導者はもとより、一人一人の市民や青年の心に生き生きと脈打つ「マルティの心」との出あいの旅であったといっても、決して過言ではありません。
その後、光栄にも、ホセ・マルティ研究所所長のシンティオ・ヴィティエール博士と私は対話を重ね、対談集『カリブの太陽 正義の詩——「キューバの使徒 ホセ・マルティ」を語る』を発刊するに至りました。
この対談集は日本語、スペイン語、英語で出版されております。人類の宝たるマルティの思想と人生をめぐって、世界の多くの方々、とりわけ若い向学の世代と共に学び、語らう魂の広場を、未来へ継続して分かち合えますことは、私にとって何よりの喜びであります。
今回の会議では、125年前、マルティが建国の基本精神を明かした歴史的なスピーチのタイトルが掲げられています。
「すべての人々とともに、すべての人々のために」と。
何と簡潔明瞭でありながら、何と奥深く、気高い哲学が結晶している表現でしょうか。
まさに、地球的問題群に挑む世界市民が共通の指標とすべき、21世紀文明の旗印なりと、私は感嘆するのであります。
ここには、マルティが共和国の第一の原則と定めた「人間の品位に対する尊厳」が貫かれております。
マルティは、人間生命が具える善性を、揺るぎなく信頼してやみませんでした。
「民衆はすべて、共通の堂々とした、すばらしい何かを——空よりも広く、大地よりも大きく、星座よりも輝いていて、海よりも洋々としたものをもっています。それは人間の精神です」と。
時代の混迷が深ければ深いほど、私たちは、マルティがいついかなる時も手放さなかった「人間の品位に対する尊厳」に立ち返って、一人一人の生命に秘められた、限りない智慧と力を、いよいよ解き放っていきたいと思うのであります。
それを可能ならしめる翼こそ、マルティが見事に体現しているごとく、一つは「連帯への対話」であり、一つは「人間教育」ではないでしょうか。
マルティは喝破しました。
「人間を分けたり、限定したり、切り離したり、囲いに入れたりすることは、すべて人類に対する罪である」(エルミニオ・アルメンドロス著、神尾朱実訳『椰子より高く正義をかかげよ』海風書房)と。
20年前、貴国へ第一歩をしるさせていただいた時、私の胸に響いていたのも、このマルティの獅子吼でありました。
そしてまた、マルティは、「もっとも幸せな民衆とは、子どもたちによりよい情緒教育や思想知識を与えることのできる民衆である」と洞察しております。
今、うれしいことに、貴国の誇る名門ハバナ大学と、私が創立した創価大学の学術・教育交流も、素晴らしい成果を収めていることを、ここに謹んでご報告申し上げます。
教育を人生最大の事業と定めてきた私は、「すべての人々とともに、すべての人々のために」とのテーマに、なかんずく「すべての青年とともに、すべての未来のために」と加えさせていただきたいのであります。
ともあれ、マルティの太陽のごとき不撓不屈の楽観主義は、「民衆が疲れても、決して諦めない人間たれ」と私たちを勇気づけてくれております。
このマルティから託された勇気を、私たちは自らの信念の行動を通して世界の青年に示し、厳として受け継いでいきたいと願っております。
東洋の英知の言葉に「人のために火をともせば、わが前も明らかになる」とあります。
私も、尊敬する先生方と手を携えて、マルティが夢見た人類の平和と幸福の未来を、さらに明々と照らしゆくことを、ここにお誓い申し上げます。
最後に、愛するキューバ共和国のますますの栄光とご発展、そして本日、ご出席のすべての皆さま方のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げ、私のメッセージとさせていただきます。
2016年2月3日水曜日
2016.02.03 わが友に贈る
青年の声こそ
未来を開く力!
新しい発想
大胆な行動で
時代をリードせよ!
波木井三郎殿御返事 P1371
『既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり』
☆こころに響く言葉 妻のあり方
権力欲、名誉欲は逆効果
夫を偉くしたいとあせる妻の存在は、結局は逆な効果しか生まれない。
夫や子どもを叱咤することによって、
自分の権力欲、名誉欲を満たそうとする。
夫の仕事ぶりを批判したり、夫をさしおいて会社の上役へのお世辞に狂奔したり、
また子どもを有名校へ合格させようと熱中したりすることは、
かえって逆効果になってしまう場合もある。
☆女性に贈ることば 二月三日
挑戦なきところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する。
☆今日のことば365 二月三日
思想や人生観は、その人の人生行路を決定づける。容姿とか、財産とか、家庭の境遇とかに自信をなくして、卑屈な人生観を持てば、すべて世のなかが、ゆがんだ鏡に映されるように、曲がってみえてしまうものだ。
☆社会で光る 開目抄
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ』(P234)
◇通解
私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。
◇指針
心は不思議です。縁に触れて、さまざまな感情が引き出され、境涯も刻々と変化していきます。
思いもよらぬ事態には、戸惑いを見せ『なぜ』を繰り返す。時には、自らに都合のいい解釈をあてはめ、自分以外の何かに原因を求めることもあります。
人生に試練はつきもの。ましてや、仏道修行に励む私たちには「法華経の行者」ゆえの苦難が競い起こってきます。しかし、疑い深い凡夫の眼では、なかなか苦難の本質はとらえきれません。
本抄は、文永9年(1272年)2月、四条金吾を介し、門下一同に送られた『開目抄』の一節です。
この御文の後に『つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわすするなるべし』と続くように、生命が「疑う心」に覆われてしまえば、自身でも気づかぬうちに、仏道から外れてしまうのです。
いざという時、また、一人の時に、信心の真価が問われます。信心を忘れ、右往左往して策に走っても、小手先の浅知恵しか生まれません。
「疑う心」「嘆きの心」を打ち払い、今こそ「まことの時」と心を定め、現実に立ち向かっていく。仏の眼で突き進む人生こそ、人間革命の実証が輝いていくのです。
◇SGI会長の指針
広宣流布は魔との戦いです。権威権力の迫害をはじめ、予期せぬことが起こり、不信を煽りたてることもあるでしょう。
どうか、何があろうが、「信」の一字を、深く、深く、胸に刻んで、広宣流布の大道を歩み通し、断じて幸せになってください。
「信」によって結ばれた、地涌の固いスクラムは、いかなる力も、決して破ることはできません。
未来を開く力!
新しい発想
大胆な行動で
時代をリードせよ!
波木井三郎殿御返事 P1371
『既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり』
☆こころに響く言葉 妻のあり方
権力欲、名誉欲は逆効果
夫を偉くしたいとあせる妻の存在は、結局は逆な効果しか生まれない。
夫や子どもを叱咤することによって、
自分の権力欲、名誉欲を満たそうとする。
夫の仕事ぶりを批判したり、夫をさしおいて会社の上役へのお世辞に狂奔したり、
また子どもを有名校へ合格させようと熱中したりすることは、
かえって逆効果になってしまう場合もある。
☆女性に贈ることば 二月三日
挑戦なきところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する。
☆今日のことば365 二月三日
思想や人生観は、その人の人生行路を決定づける。容姿とか、財産とか、家庭の境遇とかに自信をなくして、卑屈な人生観を持てば、すべて世のなかが、ゆがんだ鏡に映されるように、曲がってみえてしまうものだ。
☆社会で光る 開目抄
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ』(P234)
◇通解
私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。諸天の加護がないからと、疑ってはならない。現世が安穏でないことを嘆いてはならない。
◇指針
心は不思議です。縁に触れて、さまざまな感情が引き出され、境涯も刻々と変化していきます。
思いもよらぬ事態には、戸惑いを見せ『なぜ』を繰り返す。時には、自らに都合のいい解釈をあてはめ、自分以外の何かに原因を求めることもあります。
人生に試練はつきもの。ましてや、仏道修行に励む私たちには「法華経の行者」ゆえの苦難が競い起こってきます。しかし、疑い深い凡夫の眼では、なかなか苦難の本質はとらえきれません。
本抄は、文永9年(1272年)2月、四条金吾を介し、門下一同に送られた『開目抄』の一節です。
この御文の後に『つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわすするなるべし』と続くように、生命が「疑う心」に覆われてしまえば、自身でも気づかぬうちに、仏道から外れてしまうのです。
いざという時、また、一人の時に、信心の真価が問われます。信心を忘れ、右往左往して策に走っても、小手先の浅知恵しか生まれません。
「疑う心」「嘆きの心」を打ち払い、今こそ「まことの時」と心を定め、現実に立ち向かっていく。仏の眼で突き進む人生こそ、人間革命の実証が輝いていくのです。
◇SGI会長の指針
広宣流布は魔との戦いです。権威権力の迫害をはじめ、予期せぬことが起こり、不信を煽りたてることもあるでしょう。
どうか、何があろうが、「信」の一字を、深く、深く、胸に刻んで、広宣流布の大道を歩み通し、断じて幸せになってください。
「信」によって結ばれた、地涌の固いスクラムは、いかなる力も、決して破ることはできません。
2016年2月2日火曜日
2016.02.02 わが友に贈る
会合の大成功へ
リーダーは
万全の準備を!
皆の歓喜と決意が
勝利への原動力だ!
佐渡御勘気抄 P891
『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめとをしはからる、既に経文のごとく悪口罵詈刀杖瓦礫数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべし』
☆こころに響く言葉 夫が苦境に立たされたとき
男一匹、生活力を失ったときほど、辛い惨めなことはないのです。
まったくどうしようもない。
それを傍でガミガミやられたら、実にたまったものじゃない。
ガミガミ言って、
それで宿命が変わるものなら、こんな簡単なことはない。
そうはいかないのです。
結局のところ、貧乏運を福運に変えることです。
☆女性に贈ることば 二月二日
物事を、目先だけで見る人がいる。
たえず目先のことに紛動され、一喜一憂する生き方には、真の幸福も、真の向上もない。
一生涯を見据えて生きる忍耐が、永遠の幸福への種子になっていくのだ。
☆今日のことば365 二月二日
一度や、二度の失敗でくじけることはまことに愚かだ。人生は、長い長い旅路である。途中で、いかにすばらしい、華やかな人生を歩んでも、最後に不幸な、敗れた人生と化してしまったならば、これほどみじめなことはない。
☆輝きのグループ学習 持妙法華問答抄
『願わくは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(P467)
◇通解
願わくは「現世は安らかであり、後世には善い処に生まれる」と仰せの妙法を持つのみが、この人生の真の名誉であり、後世には成仏の手引きとなるのである。すべからく心を一つにして、南無妙法蓮華経と自分も唱え、他人にも勧めることこそが、人間として生まれてきた今生の思い出である。
◇学習内容
本抄は、日蓮大聖人が42歳の時、伊豆流罪から赦免された直後に、鎌倉で認められたとされています。
松葉ヶ谷の法難、伊豆流罪と打ち続く諸難の真っただ中でありながら、大聖人は、不安を覚える弟子に、縁に粉動されることなく信心を貫く必要を訴え、自行化他にわたる実践こそが、人生最高の思い出になると教えられています。
◇幸福になるために
大聖人は『願わくは』と呼びかけられ、"苦難に負けることなく、妙法を持ち抜き、最高の幸福境涯を築いてほしい"と励ましを送られています。
法華経には『現世安穏・後生善処』と妙法の大功徳が説かれています。
法華経の実践がなければ、現世で積んだ業は消えずに、来世まで続きます。
つまり、現世の悪業は、また、来世の苦しみとなるのです。
反対に、現世で幸福境涯を確立すれば、来世も善処に生まれ、幸福の軌道を進むことができるのです。
本抄にある『今生の名聞』とは、社会的な地位や財産、名声ではありません。「妙法を持つ」こと。
すなわち、自身が唱題に励むだけでなく、友の幸福を願い、仏法を伝える実践が最高の誉れなのです。
池田先生は、「人間は皆、幸福になるために生まれてきた。勝つために生まれてきた。人を幸福にするために生まれてきた。それを妨げんとする、ありとあらゆる宿命の苦悩をいかに打開していくか。ここに万人の挑戦がある。
どんな悲嘆のどん底であっても、必ず立ち上がれる。どんな絶望の暗闇であっても、絶対に打ち破れる。この究極の幸福勝利の力たる妙法を、御本仏は、全人類に惜しみなく開き示してくださったのである」と綴られています。
リーダーは
万全の準備を!
皆の歓喜と決意が
勝利への原動力だ!
佐渡御勘気抄 P891
『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめとをしはからる、既に経文のごとく悪口罵詈刀杖瓦礫数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべし』
☆こころに響く言葉 夫が苦境に立たされたとき
男一匹、生活力を失ったときほど、辛い惨めなことはないのです。
まったくどうしようもない。
それを傍でガミガミやられたら、実にたまったものじゃない。
ガミガミ言って、
それで宿命が変わるものなら、こんな簡単なことはない。
そうはいかないのです。
結局のところ、貧乏運を福運に変えることです。
☆女性に贈ることば 二月二日
物事を、目先だけで見る人がいる。
たえず目先のことに紛動され、一喜一憂する生き方には、真の幸福も、真の向上もない。
一生涯を見据えて生きる忍耐が、永遠の幸福への種子になっていくのだ。
☆今日のことば365 二月二日
一度や、二度の失敗でくじけることはまことに愚かだ。人生は、長い長い旅路である。途中で、いかにすばらしい、華やかな人生を歩んでも、最後に不幸な、敗れた人生と化してしまったならば、これほどみじめなことはない。
☆輝きのグループ学習 持妙法華問答抄
『願わくは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(P467)
◇通解
願わくは「現世は安らかであり、後世には善い処に生まれる」と仰せの妙法を持つのみが、この人生の真の名誉であり、後世には成仏の手引きとなるのである。すべからく心を一つにして、南無妙法蓮華経と自分も唱え、他人にも勧めることこそが、人間として生まれてきた今生の思い出である。
◇学習内容
本抄は、日蓮大聖人が42歳の時、伊豆流罪から赦免された直後に、鎌倉で認められたとされています。
松葉ヶ谷の法難、伊豆流罪と打ち続く諸難の真っただ中でありながら、大聖人は、不安を覚える弟子に、縁に粉動されることなく信心を貫く必要を訴え、自行化他にわたる実践こそが、人生最高の思い出になると教えられています。
◇幸福になるために
大聖人は『願わくは』と呼びかけられ、"苦難に負けることなく、妙法を持ち抜き、最高の幸福境涯を築いてほしい"と励ましを送られています。
法華経には『現世安穏・後生善処』と妙法の大功徳が説かれています。
法華経の実践がなければ、現世で積んだ業は消えずに、来世まで続きます。
つまり、現世の悪業は、また、来世の苦しみとなるのです。
反対に、現世で幸福境涯を確立すれば、来世も善処に生まれ、幸福の軌道を進むことができるのです。
本抄にある『今生の名聞』とは、社会的な地位や財産、名声ではありません。「妙法を持つ」こと。
すなわち、自身が唱題に励むだけでなく、友の幸福を願い、仏法を伝える実践が最高の誉れなのです。
池田先生は、「人間は皆、幸福になるために生まれてきた。勝つために生まれてきた。人を幸福にするために生まれてきた。それを妨げんとする、ありとあらゆる宿命の苦悩をいかに打開していくか。ここに万人の挑戦がある。
どんな悲嘆のどん底であっても、必ず立ち上がれる。どんな絶望の暗闇であっても、絶対に打ち破れる。この究極の幸福勝利の力たる妙法を、御本仏は、全人類に惜しみなく開き示してくださったのである」と綴られています。
2016年2月1日月曜日
2016.02.01 わが友に贈る
◇今週のことば
地区・ブロックを起点に
さあ、伝統の二月だ!
勇者は最前線を走る。
「二人・三人。百人と」
仏縁を楽しく広げよ!
2016年02月01日
法蓮抄 P1046
『譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るる』
☆こころに響く言葉 夫の嘘に対して
もし夫が嘘をついていると見破っても、
しらん顔してそれを許す度量と、これはということは、おさえる、
許さないという一面が必要である。そうすれば、ききめがある。
☆女性に贈ることば 二月一日
日常の生活のなかにこそ、人間が生を営むうえでの大切な本質があり、意味がある。それをおろそかにしては、真の幸福も平和もあり得ない。
いかに地味な陰の仕事でも、生き生きと、そして地道に、一日また一日、価値を創造しゆく人生は幸福である。
☆今日のことば365 二月一日
よき種は よき苗となり
よき花が咲こう
よき少年は よき青年となる
よき青年は よき社会の指導者となろう
☆大白蓮華巻頭言 2016年2月号 心を灯す「喜びの対話録」を!
対話から、「生きる喜び」は生まれる。
アメリカの未来学者ヘンダーソン博士が"平和の先生"と仰いだのも、対話に励むお母さんであった。
「母は周りに、いつも声をかけていました。相手を尊敬して話しかけるので、皆に好かれていました。
母のようになりたい! そう思ったものです」と。
人が人を思いやる声ほど、温かいものはあるまい。
その励ましが、人間の善なる命を呼び起こすのだ。
生命は生命によって磨かれる。すなわち対話である。
『月月・日日に』慈折広宣流布のため、立正安国のため、わが創価家族の信念の行動は止むことがない。
声も惜しまぬ不擁不屈の挑戦があるからこそ、「人間革命」の歓喜の劇は、全世界に広がっているのだ。
日蓮大聖人は、十界のいかなる衆生も即身成仏させる妙法の力を、『水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる』(P1403)と警えられた。
なんと鮮烈な讐喩であられることか。
水底の石に秘められた火を打ち出すように、また、長き闇に覆われた洞窟を照らし晴らすように、友の心を信じ、生命尊厳の哲理で劇的に蘇らせていく。
これが、私たちの仏法の語らいなのである。
身構える必要などない。自らの胸奥に燃え上がる確信の炎は、縁する人の心に、しかと伝わるからだ。
「本有無作」という、ありのままの大誠実の生命で、価値創造の希望の燈を点火していけばよいのだ。
真心こめて語っても、反発されることがある。誠意を尽くして、心ない冷笑が返ってくることもある。
しかし、すべて「不軽菩薩」に連なる仏道修行だ。
いかなる圧迫にも屈せず、一人一人を敬い、啓発の対話を貫き通した不軽は、無量の功徳を成就した。
この如説の対話によって境涯を大きく開き、宿命を転換し、大福徳を蔽らせてきたのが、学会員である。
毎日、泣くほどの生活苦や、病苦を乗り越えてきた埼玉の功労の夫妻は今、朗らかな笑顔で語る。
「感謝の心で、隣人も知人も友人も、みんな幸せになってほしいと朝晩、名前を挙げて祈っています。対話をすれば、自分が変われる。どんな人も変わる。
だから、種を蒔くことをやめません!」と。
世界には、野蛮な暴力が噴出し、憎しみの怒号や悪意の虚言が渦巻いている。それゆえにこそ、人間を尊敬し、信頼し、善意の連帯を拡大しゆく創価の正義の声を、いやまして強く広く、高めていきたい。
師・戸田城聖先生は、「自行化他の題目を唱え、わが身に妙法がしみ込んでくると、折伏したくなり、人を救いたくなる。この実践によって、人生も社会も、よりよく打開していけるのだ!」と言われた。
我らには誓願の題目がある。祈り、涌現した仏の命で、人と会い、人と語る。その一切が仏縁となる。
高齢や病などで動けずとも、題目は必ず相手に届く。
さあ、「今生人界の思出」と輝く、喜びの対話録を、楽しく伸びやかに勝ち広げようではないか!
大境涯
開き勝ちゆけ
この生命
祈り走りて
喜び語れや
地区・ブロックを起点に
さあ、伝統の二月だ!
勇者は最前線を走る。
「二人・三人。百人と」
仏縁を楽しく広げよ!
2016年02月01日
法蓮抄 P1046
『譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るる』
☆こころに響く言葉 夫の嘘に対して
もし夫が嘘をついていると見破っても、
しらん顔してそれを許す度量と、これはということは、おさえる、
許さないという一面が必要である。そうすれば、ききめがある。
☆女性に贈ることば 二月一日
日常の生活のなかにこそ、人間が生を営むうえでの大切な本質があり、意味がある。それをおろそかにしては、真の幸福も平和もあり得ない。
いかに地味な陰の仕事でも、生き生きと、そして地道に、一日また一日、価値を創造しゆく人生は幸福である。
☆今日のことば365 二月一日
よき種は よき苗となり
よき花が咲こう
よき少年は よき青年となる
よき青年は よき社会の指導者となろう
☆大白蓮華巻頭言 2016年2月号 心を灯す「喜びの対話録」を!
対話から、「生きる喜び」は生まれる。
アメリカの未来学者ヘンダーソン博士が"平和の先生"と仰いだのも、対話に励むお母さんであった。
「母は周りに、いつも声をかけていました。相手を尊敬して話しかけるので、皆に好かれていました。
母のようになりたい! そう思ったものです」と。
人が人を思いやる声ほど、温かいものはあるまい。
その励ましが、人間の善なる命を呼び起こすのだ。
生命は生命によって磨かれる。すなわち対話である。
『月月・日日に』慈折広宣流布のため、立正安国のため、わが創価家族の信念の行動は止むことがない。
声も惜しまぬ不擁不屈の挑戦があるからこそ、「人間革命」の歓喜の劇は、全世界に広がっているのだ。
日蓮大聖人は、十界のいかなる衆生も即身成仏させる妙法の力を、『水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる』(P1403)と警えられた。
なんと鮮烈な讐喩であられることか。
水底の石に秘められた火を打ち出すように、また、長き闇に覆われた洞窟を照らし晴らすように、友の心を信じ、生命尊厳の哲理で劇的に蘇らせていく。
これが、私たちの仏法の語らいなのである。
身構える必要などない。自らの胸奥に燃え上がる確信の炎は、縁する人の心に、しかと伝わるからだ。
「本有無作」という、ありのままの大誠実の生命で、価値創造の希望の燈を点火していけばよいのだ。
真心こめて語っても、反発されることがある。誠意を尽くして、心ない冷笑が返ってくることもある。
しかし、すべて「不軽菩薩」に連なる仏道修行だ。
いかなる圧迫にも屈せず、一人一人を敬い、啓発の対話を貫き通した不軽は、無量の功徳を成就した。
この如説の対話によって境涯を大きく開き、宿命を転換し、大福徳を蔽らせてきたのが、学会員である。
毎日、泣くほどの生活苦や、病苦を乗り越えてきた埼玉の功労の夫妻は今、朗らかな笑顔で語る。
「感謝の心で、隣人も知人も友人も、みんな幸せになってほしいと朝晩、名前を挙げて祈っています。対話をすれば、自分が変われる。どんな人も変わる。
だから、種を蒔くことをやめません!」と。
世界には、野蛮な暴力が噴出し、憎しみの怒号や悪意の虚言が渦巻いている。それゆえにこそ、人間を尊敬し、信頼し、善意の連帯を拡大しゆく創価の正義の声を、いやまして強く広く、高めていきたい。
師・戸田城聖先生は、「自行化他の題目を唱え、わが身に妙法がしみ込んでくると、折伏したくなり、人を救いたくなる。この実践によって、人生も社会も、よりよく打開していけるのだ!」と言われた。
我らには誓願の題目がある。祈り、涌現した仏の命で、人と会い、人と語る。その一切が仏縁となる。
高齢や病などで動けずとも、題目は必ず相手に届く。
さあ、「今生人界の思出」と輝く、喜びの対話録を、楽しく伸びやかに勝ち広げようではないか!
大境涯
開き勝ちゆけ
この生命
祈り走りて
喜び語れや
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