2015年7月23日木曜日

2015.07.23 わが友に贈る

「父母の恩を報ぜよ」
感謝を言葉にしよう!
最高の笑顔を送ろう!
親孝行の人生こそ
仏法の真髄の道だ。

可延定業書 P986
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりともこれを延るならば千万両の金にもすぎたり』

◇人生の座標
美術は人類の最極の、平和への魂の昇華なり。

☆こころに響く言葉
挫折を踏み越えて

地に倒れた者は地によって起つと言われる。また、麦は踏まれてこそしっかり育つという。
人間が、人間関係や社会関係での失敗で、立ち上がれぬはずはない。
失敗したからと自暴自棄になるのは、人生を自ら放棄することである。
むしろ、このときこそ、より冷静に、賢明に、教養豊かなあなたを生かしきることである。

☆随筆民衆凱歌の大行進 第24回� 青年の心 燃える七月
イタリア・ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ビンチは叫んだ。
「純金かどうかは試錬によってわかる」
精錬を重ねてこそ、真金は生まれる。苦難は常に、本物と偽物を峻別する試金石だ。
7月6日、私は八王子市の東京富士美術館を視察し、「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」の会場に足を運んだ。
巨匠の"未完の壁画"を今に伝えるイタリアの国宝「タヴォラ・ドーリア」——人馬が渾然一体となった激戦の画面からは、新しき創造に挑む、壮絶な精神の闘争を感じてならなかった。

この日は、生命尊厳の大仏法を行じられた牧口先生、戸田先生が、軍部政府の弾圧で逮捕された「法難」から満72年の日であった。
死身弘法の先師、恩師を偲び、東京牧口記念会館の「初代会長牧口常三郎先生顕彰室」で勤行・唱題し、報恩感謝の祈りを捧げた。
「嵐は誉れ」の師弟の歴史が刻まれた7月——若獅子の男子部も、華陽の女子部も、また英知の男女学生部も、それぞれ目覚ましい前進と成長を遂げている。
私は妻と共に、愛する青年たちのスクラムの大勝利を真剣に祈念した。

艱難を
 一つ一つと
  乗り越えて
 黄金(きん)と輝く
  不敗の生命に

日本中、世界中の青年たちが、続々と、人間革命と対話拡大の喜びの体験を報告してくれている。
南米ブラジルの若人の活躍も素晴らしい。
なぜブラジルで弘教が大きく進んでいるのか。ある青年リーダーが笑顔で答えていた。
「喜びが"伝播"しているからです」と。
仏法対話が楽しくて仕方がない。友の幸福に尽くせることが嬉しくて仕方がない——その喜びが同志から同志へ、友人から友人へと"伝播"するゆえに、次々と弘教が実るというのだ。
まさに『随喜する声を聞いて随喜し』(P1199、「月水御書」)と仰せの通りの実践である。
思い起こせば、戸田先生は迫害の獄中にあって「われ地涌の菩薩なり」と久遠の使命を覚知し、随喜の涙を流されながら、広宣流布に生き抜くと誓願された。
いうなれば、師が獄中で体験された「一人の大歓喜」が二人・三人・百人と伝播し、ついに日本中、世界中に広がってきたのが、今日の大法弘通の実相である。
今や192カ国・地域に拡大した、世界広布という「大河」の源流の「一滴」を尋ね見れば、「一人の大歓喜」から全ては始まったのである。
法華経の随喜功徳品には「五十展転(てんでん)の功徳」が説かれる。法華経の法理を聞いて歓喜した人が、別の人にその話を伝え、聞いたその人がまた次の人に自身の歓喜を語る。そうして50人目の人が聞いた功徳も甚大であるという法理だ。
「信心はすごいよ!」とありのままに歓喜を語れば、既に立派な折伏である。その体験を語る側も聞く側も、共に福徳の花を爛漫(らんまん)と咲かせる因を積んでいけるのだ。
ゆえに、すぐに対話が実らずとも、落ち込むことも、焦ることもない。
『いよいよ悦びをますべし』(P203、「開目抄」)との御聖訓のままに、自信満々と、喜び勇んで次の友へ、また次の友へと、語り広げていけばよい。その弛まぬ実践に、新たな「五十展転」のドラマが生まれるのである。

7月は「関西の月」。関西家族の幸福と人材の拡大の行進は、いよいよ勢いを増している。
関西総会の意義を込めた、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂での本部幹部会には、海外のリーダーたちも出席した。
前日の各地の交流交歓会とともに、関西の同志の熱烈な歓迎に大感動していた。
今や世界の友の共通語となった「JOSHO KANSAI(常勝関西)」の魂を、それぞれの国や地域に持ち帰り、新たな波動を起こしてくれるに違いない。
この戸田記念講堂は、昭和53年(1978年)の7月17日、関西の歌「常勝の空」を、師弟して初めて大合唱した場所でもある。
今回の関西総会でも、若人が中心になり、「常勝の空」を美事に演奏し、歌い上げた。さらに全関西を結んで、壮年も婦人も、懐かしき錦宝会(多宝会)の皆様方も加わり、力強い歌声を響かせてくれたのである。
男女青年部も、新たな拡大の金字塔を打ち立てて、晴れの日を迎えた。未来部の友も凜々しく成長している。
あの雷雨の大阪大会をはじめ、私と幾多の共戦の歴史を刻んでくれた、尊き父母たちの関西魂は、新世代の友に厳然と受け継がれている。その「常勝後継」の劇に、私の胸は熱く高鳴る。
法華経に説かれる「衆生所遊楽」の意義を、私は関西の同志と幾たびとなく語り合ってきた。
真の遊楽とは、生きていること自体が楽しいという、生命の奥底からあふれる充実と歓喜である。いかなる事態に遭遇しても崩れない絶対的幸福境涯にほかならない。
その大生命力の源泉が自行化他の題目である。
「唱題第一」の人は、何があっても負けない。必ず勝ち越え、全てを悠々と楽しんでいける。
『菩薩とは仏果を得る下地なり』(P738、「御義口伝」)とあるが如く、この地道な唱題と、広布への勇気の対話を土台としてこそ、自他共に最も幸福で痛快なる常勝の人生が開かれていくのだ。