仏法は最高峰の
人生勝利の哲学なり。
自らが学んだ確信を
友人に堂々と語ろう!
行学の二道を朗らかに!
撰時抄 P260
『正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ』
◇人生の座標
その人の曲を美しいと感じたり、絵が素晴らしいと感じたりすることと、作品をつくった芸術家を尊敬することとは別問題です。
技術や才能の問題と、人物への尊敬を混同してはいけない。
☆こころに響く言葉
虚飾を取り払ったところに
いっさいの虚飾を取り払って、まったくの赤裸々な一個の人間として立ちあらわれるとき、
本当の美しさ、気高さというものを、顕現できることが大切であろう。
☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第16回 バンコクの河畔で�
伸びゆく若人の笑顔ほど、まばゆいものはありません。
未来を見つめる若人の瞳ほど、涼やかなものはありません。
日蓮大聖人は、『人の魂は顔に現れ、その顔に現れている魂は、眼の中に収まっているものである』(P1402趣意、「妙法尼御前御返事」)と仰せです。
若くして、正しい信仰という、太陽の魂を持った皆さん方には、ひときわ明るい笑顔と、凛々しい瞳が光っています。
私は、世界を旅して多くの出会いを重ねてきました。その中で、"発見"したことがあります。
それは、いずこの国であれ、いかなる状況であれ、青年の瞳が希望に燃えている限り、未来は必ず開かれるということです。
「微笑みの国」と讃えられるタイ王国でも、たくさんの「美しき瞳」と出会いました。
1988年の2月、私は首都バンコクにあるSGIのタイ会館を訪問し、タイの繁栄と幸福を、愛する同志と共に祈念しました。
そして、次の行事の合間に、"母なる大河"チャオプラヤー川のほとりに立ち寄りました。
我が故郷・大田の多摩川べりに立ったような懐かしさと安らぎを感じる場所です。
目の前を、一人の少年が操る水上バスが、にぎやかなエンジン音を響かせて通り過ぎました。その音に促されるように、私はシャッターを切りました。「微笑みの国」に、さらに輝く微笑みあれ」との願いを込めて——。
タイを潤し、世界有数の稲作地帯にしたのも、チャオプラヤー川であり、歴代の王朝の都も、すべて、その河畔に建設されました。
美しい言葉が残されています。
「どこかに涼やかな河が流れていれば、旅人たちが必ず寄ってくる。彼らは河のほとりで水を浴びたり、飲んだり、安心してくつろぎ、楽しむ。誠実な良き人はこの川のようである」
タイは仏教国です。人々はタイ仏教の教えに従い、日々、「善い行い」を積み重ねることに、幸福と喜びを見いだして生きています。
御書には、『陰徳あれば陽報あり』(P1178「陰徳陽報御書」、P1180「四条金吾殿御返事」)と、希望の未来を開く「方程式」が示されています。「陰徳」とは、地道に「善い行い」を積み重ねることです。その努力の先には、必ず「陽報」、すなわち晴れ晴れとした勝利の道が開けていくのです。
タイは、80年代末から飛躍的に経済が発展。通貨危機や大洪水なども乗り越えた"不屈の国"です。自動車産業が盛んなことから、「東洋のデトロイト」と呼ばれるまでになりました。
61年の初訪問以来、6度にわたりこの地を訪れ、繁栄を祈り続けてきた私にとって、何よりうれしいことです。
今日のタイの大発展を象徴し、国民から広く敬愛されてやまない指導者こそ、プーミポン・アドゥンヤデート国王です。
国王が即位されたのは、第2次世界大戦が終結した翌年の1946年。明年で、即位70周年の佳節を迎えられます。
私は、バンコクのチトラダ宮殿を訪れ、3度にわたって国王を表敬いたしました。
国王の信条の一つに、「大事なことは、悪人にいばらせぬよう、善人が、もっともっと成長することです」とあります。
「国民のために!」「国民に尽くし抜く!」と、歴代王室の誰も足を踏み入れたことのない辺地にまで行かれたことも有名です。
愛用するカメラを首にかけ、鉛筆と地図を手に、長靴を泥まみれにして歩かれる。その土地の人々の要望にじっくりと耳を傾け、何ができるかを一緒に考え、具体的な救済策を示されたのです。
いつも変わらぬ、聡明にして温かな人格。そして、真剣な眼差し——国王は、タイ国民の最高の手本です。
プーミポン国王に、青年たちへの指針を伺ったことがあります。国王は、万感を込めて語ってくださいました。
「時は過去・現在・未来と、瞬時もたゆまず流れていきます。そして、時とともに一切は変化していきます。そこで大切なことは、将来のことを思い悩むよりも、現在にこそ自己のベストを尽くすことです。現在の課題に対し、誠実に、勤勉に取り組んでいくことです」と。
誠実に、勤勉に、今この時に、ベストを尽くす——それは、一言で「真面目であること」と言いかえてもいいかもしれません。
私がタイで出会った方々は、皆、本当に真面目です。老若男女を問わず、誠実であり、勤勉でした。そして真剣に、この国の未来のために働いておられました。
今年の4月には、プーミポン国王の次女であるシリントーン王女が、新緑輝く創価大学のキャンパスを訪問して、記念講演を行ってくださいました。
王女は、タイの名門・チュラロンコン大学、タマサート大学と創大の長年にわたる交流に触れるとともに、ご自身が取り組まれている「万人のための教育」の実現への熱意を語られました。構内見学の折など、ペンとノートを手に、丹念にメモをとられる姿にも、皆が感銘しておりました。
まさに、国王譲りの「誠実さ」「勤勉さ」、そして「英邁さ」です。
残念なことに、今の世の中には"真面目さ"をからかうような風潮が見受けられます。もしかしたら皆さんの中にも、「真面目な人」と聞くと、近寄りがたいような、マイナスのイメージを持つ人がいるかもしれません。
勉強も、クラブ活動も、真面目にやれば、忙しいし、苦労も多い。
しかし、これだけは言えます。真面目にベストを尽くして、うまくできれば自信になる。たとえ、うまくいかなくても、挑戦した分、前進できる。次につながります。
やり切ったという充実感があり、後悔が残りません。
真面目な人が偉い人です。最後は必ず勝利します。
創価教育の父であり、小学校の校長であった牧口常三郎先生は、教員を採用するにあたって、最も大切にされたのは、「真面目であること」でした。
その弟子の戸田城聖先生も、「信用できない人間」として「生活態度が不真面目な人」を挙げ、そういう人物にだまされないよう、青年に教えてくださいました。
信仰とは、何にもまして「真面目」な世界です。
皆さんのお父さん、お母さんたちは、毎日毎日、誠実に、勤勉に、友のため、地域のために、ベストを尽くしておられます。
そうした真面目に生きる庶民を、私は一番、信頼しています。だからこそ、真面目な人をバカにしたり、いじめたりする人間とは、断固として戦うのです。
学会は、「真面目な人の集い」です。ゆえに、強く正しい。だから明るく、楽しく、朗らかなのです。
192カ国・地域に広がる「平和のネットワーク」を築くことができたのは、人々の幸福のために、世界の平和のために、真面目に取り組んできたからです。
「真面目な人が最も幸福な人」——これが、人生の鉄則であり、多くの友を見守り続けてきた私の結論です。