ありのままでいい。
悩みや苦難と戦い
人間革命に挑みゆく
ドラマを堂々と語ろう!
その姿が皆の希望だ!
法華初心成仏抄 P556
『人に吉と思はれ人の心に随いて貴しと思はれん僧をば法華経のかたき世間の悪知識なりと思うべし』
◇人生の座標
美の追求も、最初は「ものまね」から入ることも多いでしょう。「まなぶ」とは「まねぶ」からきたという。はじめから独創性が発揮されるわけではない。
ピアノでも、鍵盤もちゃんと弾けないで自己流でやっても、それを独創とは言わない。はじめは、「まね」も新たなる芸術を引き出すための手段になる。しかし、まねがいつまでも、まねで終わってしまってはいけない。
☆こころに響く言葉
特質生かし主体性の確立を
女性は主体性を持たなければならない。同時に、その主体性の確立も、
女性としての特質を生かした方法を考えるべきである。
木の枝にも、折れやすい潅木もあれば、柳の枝のようにしなやかで、しかも強いものもあるように。
☆名誉会長と共に新時代を駆ける 第22回 永遠の功徳は難と戦う中に
今年も、7月6日、初代会長・牧口先生、第2代会長・戸田先生の法難の日を迎えた。
戦時中の1943年(昭和18年)のこの日、牧口先生は折伏に赴いた静岡・下田で、戸田先生は東京・白金台の自宅で、逮捕された。悪法たる治安維持法の違反と不敬罪の容疑であった。
日蓮大聖人の仏法は、本来、万人が妙法の当体であり、仏の生命を具えた尊極無上の存在であると教える。「生命の尊厳」を守り抜き、「人間の平等」を打ち立てる根本の哲理である。
それは、国家神道を精神の支柱として、思想を統制し、一国を上げて戦争を推し進めようとした軍部政府とは、真っ向から対立するものであった。
約1年4カ月の間、獄中で耐え忍び、戦い抜かれた牧口先生。手紙に悠然と「災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛(=ほんのわずか)です」と記されている。
信仰を持った生命の究極の強さが、燦然と光を放っている。
御聖訓には、『三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり』(P441、「教機時国抄」)と仰せである。
牧口先生は、三類の強敵と戦い、死身弘法を貫かれた。生きて牢獄を出た戸田先生は、人間革命の民衆運動に一人立たれた。
ここに、創価の平和と正義の起点があり、アジアをはじめ全世界から、絶対の信頼を寄せられる原点がある。
戸田先生は、牧口先生の三回忌に師を偲んで語られた。
「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」
何と崇高な創価の師弟か。
我らはその誉れの後継である。ゆえに何も恐れない。苦難を勝ち越える中に、永遠の功徳が湧く。師子王の心に、栄光と勝利は輝く。勇気ある信心で、大いなる境涯を開きゆこう!