2015年3月15日日曜日

2015.03.14 わが友に贈る

師弟の誓願に立つ
支部長・婦人部長は
広布躍進の要だ!
確信・情熱・勇気で
皆の心に希望の光を!

御義口伝巻上 P709
『文句の一に云く「如是とは信順の辞なり信は則ち所聞の理会し順は則ち師資の道成ず」と』

◇人生の座標
組織が完成し、大きくなっていくほど、リーダーは常に自身を律し、人々に奉仕し貢献することを忘れてはならない。自身を悼んだ慢心は敵である。

☆100文字の幸福抄
真剣に誠実に生き切った
父母たちの尊き人生は、
家族という生命の大地に還る。
そして後継の世代へ、
永遠に豊かな心の滋養を贈っていく。
家族とは、志を同じくし、励まし合い、
助け合う人間の絆といってもよい。

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第12回 デンバーの湖�
この春、卒業を迎える皆さん! 晴れの門出、誠におめでとう! 皆、本当によく頑張りました。
私は、一人一人の健闘を讃えて、皆さんのご家族や、未来部の担当者の方々と一緒に、大拍手を送り、祝福の万歳を叫んでおります。
卒業は、ここまで自分を育んでくれた方々に感謝を表し、その恩返しに、より立派に成長していくことを誓う出発でもあります。
わが卒業生が、一人ももれなく、偉大な勝利の青春を飾りゆかれることを、私は祈ります。

私がお招きいただいた、世界の大学の卒業式も、それぞれに清々しい決意が漲っていました。
特に、野外で行われたアメリカの名門デンバー大学の卒業式は、実に晴れ晴れとした、伸びやかな式典でした。
コロラド州の州都デンバーは、全長4,500キロに及ぶロッキー山脈の大自然に抱かれています。
「平原の女王都市」とも呼ばれ、1年のうち約300日が晴天という気候です。交通の要衝として栄え、全米最大規模の空港もあります。多様性あふれる国際都市であり、教育都市でもある。"アメリカ人が移り住みたい街"の第1位に選ばれたことがあります。
この憧れの地に立つのが、1864年創立のデンバー大学です。
卒業式は、抜けるような青空の下、卒業生とそのご家族、さらに留学生とも麗しい交流を重ねてきた市民の方々など、5千人が列席して行われました。1996年の6月のことです。
この席上、私は光栄にも「名誉教育学博士号」をお受けしました。壇上で紹介され、リッチー総長から名誉学位記を授与していただき、握手を交わしました。すると、そのあと、突然、卒業生に祝辞をと、求められました。事前にお話はなかったので、原稿などは、もちろん準備していませんでした。
さあ、どうするか……。マイクの前に立った私は、とっさに、心強い味方を見つけたのです。
それは、天空の太陽でした。また、彼方にそびえるロッキー山脈でした。そして、その上に浮かぶ月でした。この三つの"わが友"を指しながら、私は若き英才たちに語りかけました。
「太陽は燦々と輝いています。月もまた、皆さま方に輝いています。太陽は情熱。月は知性です。ロッキー山脈は厳然たる信念の姿で皆さま方を見守っています」と。
そして簡潔に、感謝とお祝いを述べて、「皆さま方の前途に、栄光あれ! 勝利あれ! そして皆さま方が全世界に羽ばたいていかれることを念願して、私のあいさつを終わります。サンキュー!」と結びました。
皆、明るい拍手と歓声で応えてくれました。
いつ、どんな時にも、空を見上げ、世界を見渡せば、そこには、共に生きる仲間がいます。
人間だけではありません。太陽も、月も、星々も、山も、川も、海も、木々も、花々も、鳥も、魚も、虫も……。その仲間たちと楽しく朗らかに、生きる喜びをうたいあげていく——それが「詩心」といってもよいでしょう。

ああ、美しきかな、
ひろびろとした空、
琥珀色に波打つ穀物の穂、
実り豊かな平原にそびえる
厳かな紫の山々……

これは、アメリカの第2の国歌といわれる「アメリカ・ザ・ビューティフル(美しきアメリカ)」の一節です。作詞者のキャサリン・リー・ベイツという女性は、ロッキー山脈の山の頂から望むコロラド州の絶景に胸をふるわせ、この詞を生み出したといいます。
豊かな大自然に恵まれたコロラド、そしてデンバーの天地は、多くの詩人から愛されてきました。
私が若き日から愛読してきた民衆詩人のホイットマンも、デンバーにほれ込んでいた一人です。
デンバーの名所であるフェリル湖は、「コロラドの桂冠詩人」と呼ばれたトマス・フェリルの名を冠した湖です。
諸行事の合間に、デンバーの友人が案内してくれました。
創価学会の初代会長である牧口常三郎先生は、大著『人生地理学』で、"山と結合して絶景を表し、人の心を感動させるのが、湖の最も顕著な特徴"と論じられました。
白雪を冠したロッキー山脈の雄姿と、天の鏡のようなフェリル湖——私は眼前に広がる絵巻に胸を高鳴らせ、カメラを向けました。
写真もまた、「目で詠む生命の詩」です。

この96年に、デンバーでうれしい再会を果たした友人がいます。
デンバー大学の副学長で、世界的な国際法学者のベッド・ナンダ博士です。博士とは、94年に創価大学でお会いして以来、交流を重ね、対談集も発刊しました。
デンバーのご自宅にもお招きいただき、キャサリーン夫人、愛娘アンジェリーさんと、真心あふれる歓迎をしてくださいました。
ナンダ博士は、1934年、インド北西部のグジランワラ(現在はパキスタン領)に住むヒンズー教徒の家庭に生まれました。
しかし、12歳の時、インドとパキスタンが別々の国として独立した直後に、"宗教の違い"によって迫害を受け、故郷を捨ててインドへ移住しなければならなくなりました。
それでも、ナンダ青年は、負けじ魂を燃え上がらせ、決然と勉学に励みました。インドを代表するデリー大学やアメリカ屈指の名門エール大学で学び、やがて、国際法の大家となり、世界法律家協会の会長を務められました。
博士が語ってくださった幼き日のエピソードがあります。
「あの人は悪い人だ」と誰かがいうと、お母さんから、「いいえ、その人にも必ずよいところがあるはずです。私たちに今、それが見えないだけですよ」と、さとされたというのです。
人間への信頼と目覚めを促されたお母さんの教えを胸に、博士は「自分と異なるものを尊敬する」生き方を貫いてこられたのです。
その「開かれた共生の哲学」を、ナンダ博士は、東西の創価学園でも、また、アメリカ創価大学でも、詩心豊かに示してくださいました。