広布の便りを届ける
気高き配達員の皆様
毎朝ありがとう!
蒸し暑い梅雨の時期。
健康・無事故を祈る!
法華経題目抄 P947
『妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』
◇希望の明日へ
夫婦という関係も、年月とともにしだいに変わっていく。最初は、ケンカばかりして"毎日、離婚を決意していた"ような夫婦でも、やがて互いの良いところが見えてくる場合がある。大切なのは、互いに人間として成長していくことであり、その根本は信心である。特に、奥さんの信心は重要である。大聖人も、夫を矢に、妻を弓にたとえ、『やのはしる事は弓のちから』(P975)−−矢の走ることは弓の力である−−と仰せである。夫が思う存分、その力を発揮し、正しい方向に進んでいくには、妻の信心が大きな力となる。その影響力は、想像する以上に大きい、というのが、長い間の体験を適して見つめてきた一つの結論である。
平3・3・4
☆女性に贈ることば 六月十二日
正しき行動の人は、たとえ無認識な人から軽蔑され、非難されようとも、必ず、その偉大さが証明されるようになる。また、真剣な行動は、心ある人の共感の眼差しをひきつけずにはおかない。
☆今日のことば 六月十二日
人を尊敬してゆかなくてはならない。尊敬する人は、人から尊敬される。ちょうど、鏡の前に立ったのと同じである。おこれば、おこる顔だし、笑えば笑った顔がうつる。自分の姿で、すべてが決まるのだ。
☆我らの勝利の大道No.106 創価の花のスクラム(下)
家庭にあっても、地域にあっても母から娘へ、学会精神という究極の負けじ魂が継承されている。
◇偉大な関西の母
昭和三十一年(一九五六年)の五月。関西の天地に、一万一千百十一世帯の弘教という常勝不滅の金字塔が打ち立てられた。
その時の一人に、大阪の鶴見区の母がおられた。夫に先立たれ、四歳と二歳のお子さんを抱えていた。
昼は男性に混じって工事現場で汗を流し、夕方からは、うどん屋で毎日懸命に働いた。
それでも生活は苦しい。自分の着物を質屋に入れ、子どもの服まで質入れせねばならなかった時は、涙が止まらなかったそうだ。
翌三十二年(一九五七年)七月−−中之島の中央公会堂で行われた大阪大会にも、駆けつけてくれた。
土砂降りの中、幼子の一人を背負い、一人と手をつなぎながら、場外のスピーカーからの声にじっと耳を傾けておられたのだ。
冤罪による投獄から出獄した私は、厳然と宣言した。
「最後は、信心しきったものが必ず勝つ−−」
彼女は、この一言を命に刻みつけ、広布の闘争に走り続けてこられた。
昭和四十年(一九六五年)十月。布施市内(現・東大阪市)での記念撮影に伺った折、私は、この母と握手をして励ました。
その後も、働いて働いて、働き抜いて、二人のお子さんを夜間の大学まで通わせておられる。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)との御金言のまま、学会活動に徹する中で、一切を宿命転換してこられた。
悲哀の雲を一掃するように、決然と信心に励まれた創価の母。誰に褒められなくとも、何の名声もなくとも、ただ一筋に広宣流布のため、庶民の幸福と正義の常勝のために−−。
この余りにも尊き母は、昨年、所願満足の姿で霊山に旅立たれた。私も妻と懇ろに追善の題目を送らせていただいた。
現在、女子部のリーダーと育ったお孫さんたちが、世代をつなぎながら、常勝関西のロマンを立派に受け継がれている。
「御義口伝」には『忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり』(P771)と仰せである。
妙法を唱える我らの生命には、打ち続く困難も不撓不屈で耐え抜く「忍辱の心」が湧き起こる。
母の祈りは無敵だ。母の慈愛は海より深い。
母の笑顔は、いかなる闇も照らし晴らす太陽だ。
偉大な母の心に包まれ、広布の大空へ羽ばたく大切な娘たちよ! 華陽の乙女たちよ! 婦人部と女子部の固き絆は、創価の最高の誉れである。