2013年6月10日月曜日

2013.06.10 わが友に贈る

新聞休刊日

富木尼御前御返事 P975
『やのはしる事は弓のちからくものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり』

◇希望の明日へ
夫人は、偉大なる母でもある。仏法では、妻を弓、夫を矢にたとえ、弓が立派であれば、矢はそれだけ遠く飛ぶことができることを教えている。「内助の功」と言うが、女性が聡明であればこそ、夫婦はともに幸福の人生を歩むことができる。逆に、どれほど男性が立派であっても、女性が愚かであれば、二人とも不幸な人生をたどってしまう場合が多いものである。
平2・10・5

☆女性に贈ることば 六月十日
わが家の平和といっても、苦労や悩みが何もない状態ではない。どんな嵐のような時であっても、家族のなかに太陽が輝いていればよいのです。その一家の太陽こそ、お母さんです。

☆今日のことば 六月十日
時の推移は、極めて自然に流れるものだ。
それは河の水の流れに似ている。時に巌が水流に逆らうように、
流れをおしとどめ、飛沫をとびちらすが、水の流れはとどまらない。

☆我らの勝利の大道No.106 創価の花のスクラム(下)
◇勝つと決めれば力は出る

負けるなと
 今朝も祈らむ
  友の幸

豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂に来館された方々が、平成二年(一九九〇年)の新築以来、この四月で一千万人を超えた。
牧口先生、戸田先生の法難の地に立つ師弟の殿堂は、今や全国、全世界の同志が集い、出発しゆく広布の勝利の電源地となった。
"戸田講"の最初のオープンは昭和五十四年(一九七九年)六月−−あの障魔の嵐に挑み戦った時代から、私も、新装の前後を合わせて六十回を超える訪問を重ね、全学会の指揮を執らせていただいた。
いつも、皆を温かく迎えてくれる、地元の豊島家族の真心も感謝に堪えない。
晴れの一千万人目の来館者となったのは、埼玉から勇み集った、清々しい女子部の友であった。
思えば、過日の聖教新聞では、埼玉の行田市で生き生きと活躍する同志の姿も紹介されていた(五月十六日付「地域紀行」)。
行田には、難攻不落と呼ばれ、勇気あふれる女性の歴史が伝えられる「忍城」の史跡がある。

◇忍城の女性の物語
この「忍城」でのエピソードをもとにした短編小説が、山本周五郎氏の「笄堀」である。
今月は、山梨県出身の氏の生誕百十周年。そして、氏は、わが神奈川文化会館が立つ横浜市の中区に居を構えておられた。
氏が綴った物語には、人生を勝ち開く幾つもの示唆が込められている。
−−忍城の攻略に押し寄せたのは石田三成が率いる大軍三万。しかも、その時、忍城の城主は精兵五百余騎を従え小田原城へ向かっており、不在であった。
城内に残されたのは、老兵や実戦経験の少ない将兵たち三百人。圧倒的な劣勢にもかかわらず、忍城は微動だにしなかった−−。