「竹の節を一つ破ぬれば
余の節亦破るる」
勇気の一点突破が
破竹の快進を生む。
青年よ先頭に立て!
聖愚問答抄上 P498
一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる
◇希望の明日へ
家庭においても、ご主人と奥さんが、わが家はわが家らしく力を合わせていけば、それでよいと思う。ただひと言、申し上げるならば、夫は、やはり、力をもたねば、家族を守っていくことはできない。一方、先哲の言にも"夫は矢、妻は弓"とある。弓を射る場合、手元で一分(約三ミリ)の狂いは、的に届いたときには四丈八尺(約十四・五メートル)もの差になると聞いたことがある。変化の時代であるがゆえに、家庭にあっては聡明な奥さんのリードが大切であろう。
『主婦の友』 昭64・1月号
☆女性に贈ることば 六月六日
初代会長の牧口常三郎先生は三つの目的について語っている。「千メートル競走のついでに百メートルの競走はできるが、百メートル競走のついでに千メートル競走はできない。大目的が確立してこそ、中日的、小目的が明確になり、その方法も生まれる」と。
人生というマラソンレースで勝利者になることが大切なのである。
☆今日のことば 六月六日
困難というものは、自分がつくるものだ。それを乗り越えて行くのも、ほかならぬ自分だ。困難を避ける弱虫になにができる。
☆我らの勝利の大道 山本伸一No.105 朗らかに進め 使命の青春
ああわが使命
果たさなん
集いて来たれ
生々の
永遠の都に
爛漫と爛漫と
薫れ生命の 青春桜
昭和五十三年(一九七八年)の三月十六日−−。
大東京の第二の本陣・立川文化会館で、女子部歌「青春桜」が発表された。
それは、広宣流布という何よりも崇高な使命に生き抜く乙女たちの晴れやかな生命の讃歌である。
当時は、悪逆な坊主や背信者らが暗躍していた。しかし、わが"創価山"に集いたる女子部の友の心は、一点の曇りもなかった。
私は、その心に応えて、歌詞にもメロディーにも、何度も手を入れた。
完成した「青春桜」は、何ものにも壊されない師弟の絆の調べとなった。
私は確信していた。
−−この清く朗らかな歌声が続く限り、我らの前進は不滅だ、と。
発表から三十五年が経った今、この時の乙女たちは、変わらざる誓いのまま、地域と社会の最前線で福智輝く女性リーダーとなって指揮を執っている。
自らの「生命の青春桜」を若々しく咲き薫らせながら、後に続く女子部を、妹の如く、娘の如く、慈しみ、励ましてくれていることは、何とも嬉しい限りだ。
新宿区信濃町の創価女子会館には、この「青春桜」の歌碑が設置されている。
広布の誓いに舞いゆく心は、世界の華陽の乙女に脈々と流れ通っているのだ。
◎本日の御書の通解は、題目を一遍唱えたならば一切衆生の仏の生命が皆呼ばれてここに集まる! 素晴らしい!(^^)!