新聞休刊日
中興入道消息 P1333
『去ぬる正嘉年中の大地震文永元年の大長星の時内外の智人其の故をうらなひしかどもなにのゆへいかなる事の出来すべしと申す事をしらざりしに、日蓮一切経蔵に入りて勘へたるに』
◇希望の明日へ
病気に悩む同志に対しては、心をくだきにくだいて守りあい、激励していくことが大切である。ただし、病院での看護も整備されている時代にあっては、だれもかれも見舞いに行くことだけが、真心ではない。むしろ、病院には行かないで、自宅等で題目を送ったほうが価値的な場合も少なくない。ともあれ、人情の機微を踏まえた励ましを、お願いしたい。
昭63・11・24
☆100文字の幸福抄
「非暴力」とは、
単に暴力を使わないというだけではない。
暴力は、問題や対立の原因を
「人のせい」にするところから生まれる。
非暴力とは、その反対に、
「まず自分が変わろう」とする
生き方なのである。
☆新・人間革命 法旗23
勢い−−。
それは、"断じて成し遂げよう!"という、強き決意と闘魂から生まれる。
それは、自ら勇んでなそうとする、自主、自発の行動から生まれる。
それは、間髪を容れぬ迅速な実践によって生まれる。
それは、皆が互いに競い合い、触発し合う、切磋琢磨から生まれる。
そして、戦いは、勢いのある方が勝つ。
☆我らの勝利の大道No.092 尊き全同志に感謝
◇平和・安穏・幸福へ確かな一歩
大勝利
広布の歴史に
三世まで
友の奮闘
名誉と光らむ
「青年学会 拡大の年」を、我らは戦い、勝った。
大勝利のこの一年──。私は、わが愛する同志一人ひとりの手を取り、高く掲げて、大健闘を讃えたい気持ちでいっぱいである。
創価の母・婦人部の奔走は、何と神々しいことか。
黄金柱の壮年部の、堂々たる前進も美事である。
世界の希望である青年の活躍は一段と目覚ましい。
偉大な生命尊厳の哲理を持ち、地域のために祈り、語り、動き、一人ひとりと地道に友情を広げる。その一歩また一歩が、いかに尊貴であることか。
ロシアの法華経研究の母であるヴォロビヨヴア博士は、語っておられた。
「私は創価学会の皆様に叫びたい。
皆様の一歩は、日本のみならず世界の人びとを『平和』と『安穏』と『幸福』へ導く一歩なのです」と。
今日も、「無冠の友」の皆様方は、厳寒の中で、誉れのわが地域を走り抜いてくださっている。
この一年も、黙々と我らの宝城を荘厳してくださった「守る会」の同志がいる。
さらに、今月、結成六十周年を迎えた「統監部」の友が、緻密な貢献を続けられていることも、よく存じ上げている。
それぞれの地域で、大変お世話になっている個人会場のご家庭にも、皆で心から感謝申し上げたい。
わが学会は、陰の労苦を惜しまない尊き尊き皆様方によって支えられている。
日蓮大聖人が佐渡流罪の大難を勝ち越えて鎌倉へ帰られる折の、佐渡の門下との惜別の情を綴られた一節がある。「国府尼御前御書」に、こう仰せである。
『つらかりし国なれどもそりたるかみをうしろへひかれ・すすむあしもかへりしぞかし』(P1325)
−−大変に辛い流刑地でしたが、わが身を顧みず、私を守ってくださった方々とお別れする時は、まさに後ろ髪を引かれる思いがしました−−と、門下の陰の支えに深い感謝の念を表されている。
私には、人知れず学会を厳然と護り、広布のため、後輩のためにと尽くしてくださっている、偉大な多宝の父母たちへの仰せであると拝されてならない。
大聖人はこの国府尼に対して、『後生には霊山浄土に・まいりあひ・まひらせん』(同P)とも語りかけておられる。
日蓮仏法の精神に照らせば、大聖人と御一緒に、我らは生死を超えて「常楽我浄」の生命の旅を未来永劫に続けていけるのである。
私も、霊山に旅立たれた同志の方々に、朝な夕な、追善回向の題目を送らせていただいている。私の生命から、永遠なる広布の戦友たちが離れることはない。
このたび蓮祖ゆかりの天地に、新たに佐渡平和会館が誕生した。佐渡の素晴らしい地域広布の大発展を、大聖人が、いかばかりお喜びくださることだろうか。
◇全員が大人材に!
この十二月で、師・戸田城聖先生が、男子部の人材グループ「水滸会」を結成されてから六十年となる。
初会合の冒頭、先生は「水滸会から巣立った者は、いずれそれぞれの道で一流の人物となっていくのだ」と宣言された。
その直後の昭和二十八年(一九五三年)一月二日。二十五歳の私は、男子部の第一部隊長の任を受けた。
「一年間で一千人の連帯への拡大」という目標を掲げて、三百三十七人の陣列から行動を開始した。
私が率先して実行し、リーダーに訴えたことは−−
第一に、わが同志を慈しみ、励ますこと。
第二に、目標達成まで祈り切ること。
第三に、自分自身が成長し続けること。
第四に、勇気をもって戦い抜くこと、である。
この挑戦の中で、一人ひとりが信心の喜びに目覚め、秘めていた力を、思う存分に発揮していった。そして、皆が喜々として、励まし合いながら、目標を突破していったのである。
実践によって青年を育て、酒々たる大河の如く、平和の人材群を、社会へ、世界へ送り出していく。ここに、創価の本領がある。
この一年も、わが青年部の君たち、貴女たちは、本当によく戦ってくれた。
女子部の清新なる"華陽リーダー"も、皆、大きく成長してくれた。
新たな男女青年部の躍進そして勝利が、新たな広布の道を開くのだ。
雄々しき青年たちよ!
太陽の心の乙女だちよ!
英知の学才たちよ!
大成長の青春たれ!
皆、かけがえのない若き生命の明鏡を、自分らしく磨き上げながら、一流の「人間の賢者」「幸福の博士」、そして「平和の指導者」に育っていただきたい。そのための最高の修行が、日々の勤行・唱題であり、学会活動なのである。
2012年12月30日日曜日
2012年12月29日土曜日
2012.12.29 わが友に贈る
我らは常に前へ!
永遠に青年の心で!
それが創価の魂だ。
偉大な同志と共に
明年も新たな開拓を!
持妙法華問答抄 P464
『受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、同じく信を取るならば又大小権実のある中に諸仏出生の本意衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ』
◇希望の明日へ
生命は、永遠であり、三世を貫いていく。ゆえに、一時期、病などに苦しんだとしても、その人の立場、立場で最後まで信心をまっとうしていけば、必ずそれが次の生への大きな推進力となる。御書に『病によりて道心はをこり候なり』(P1480)−病によって仏道を求める心は起こるものです−と仰せのごとく、病気が信心の発心の機縁となることも少なくない。また、その苦しんだ経験が、人格を深め、慈愛の心を豊かに育んでいく。要するに、病気の苦しみに絶対に負けないことだ。それを信心で打開し、克服しながら、大いなる境涯を開きゆく突破口としていくことができる。
昭63・11・24
☆100文字の幸福抄
流行や虚像に目を奪われて
右往左往する生き方は、浅はかである。
目先のことばかりにとらわれて、
揺れ動く人生は愚かである。
自分自身の胸中に、
常に「充実」という心の宮殿が輝いている
賢者の人生でありたい。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.046 苦労はすべて永遠の功徳に
日々、日本そして世界中の多くの同志から、この一年の勝利の報告が届いている。
皆の喜びが、わが喜びであり、皆の勝利が、わが勝利である。人生と社会の大舞台で、皆、よくぞ戦い、よくぞ勝った。
そして、どの地でも、どの国でも、後継の人材が立ち上がっている。新しい時代が開かれた。
苦労は、全て、永遠の「功徳」に変わり、仏縁は、全て、広布の「眷属」に変わるのである。
挑戦したことは全部、大指導者として、生々世々、勝ち栄えていくために、深い意味があるのだ。
「学会精神」とは「折伏精神」の異名である。
大事なのは、これからだ。「長の一念」で、一切は決まる。我らは、日本のため、世界のために、ますます威風も堂々と前進したい。
御聖訓には、『真実に、一切衆生にとって、身心の難を防止し、打ち勝つ秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである』(P1170、通解、「四条金吾殿御返事」)と断言されている。
信心で、乗り越えられない苦難などない。
題目で、悠々と、自在に、人生を開いていくのだ。
皆、体を大切に! 年末年始を、無事故で、しっかり頼みます。
くれぐれも、風邪をひかないように!
どうか、よいお年をお迎えください。
永遠に青年の心で!
それが創価の魂だ。
偉大な同志と共に
明年も新たな開拓を!
持妙法華問答抄 P464
『受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、同じく信を取るならば又大小権実のある中に諸仏出生の本意衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ』
◇希望の明日へ
生命は、永遠であり、三世を貫いていく。ゆえに、一時期、病などに苦しんだとしても、その人の立場、立場で最後まで信心をまっとうしていけば、必ずそれが次の生への大きな推進力となる。御書に『病によりて道心はをこり候なり』(P1480)−病によって仏道を求める心は起こるものです−と仰せのごとく、病気が信心の発心の機縁となることも少なくない。また、その苦しんだ経験が、人格を深め、慈愛の心を豊かに育んでいく。要するに、病気の苦しみに絶対に負けないことだ。それを信心で打開し、克服しながら、大いなる境涯を開きゆく突破口としていくことができる。
昭63・11・24
☆100文字の幸福抄
流行や虚像に目を奪われて
右往左往する生き方は、浅はかである。
目先のことばかりにとらわれて、
揺れ動く人生は愚かである。
自分自身の胸中に、
常に「充実」という心の宮殿が輝いている
賢者の人生でありたい。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.046 苦労はすべて永遠の功徳に
日々、日本そして世界中の多くの同志から、この一年の勝利の報告が届いている。
皆の喜びが、わが喜びであり、皆の勝利が、わが勝利である。人生と社会の大舞台で、皆、よくぞ戦い、よくぞ勝った。
そして、どの地でも、どの国でも、後継の人材が立ち上がっている。新しい時代が開かれた。
苦労は、全て、永遠の「功徳」に変わり、仏縁は、全て、広布の「眷属」に変わるのである。
挑戦したことは全部、大指導者として、生々世々、勝ち栄えていくために、深い意味があるのだ。
「学会精神」とは「折伏精神」の異名である。
大事なのは、これからだ。「長の一念」で、一切は決まる。我らは、日本のため、世界のために、ますます威風も堂々と前進したい。
御聖訓には、『真実に、一切衆生にとって、身心の難を防止し、打ち勝つ秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである』(P1170、通解、「四条金吾殿御返事」)と断言されている。
信心で、乗り越えられない苦難などない。
題目で、悠々と、自在に、人生を開いていくのだ。
皆、体を大切に! 年末年始を、無事故で、しっかり頼みます。
くれぐれも、風邪をひかないように!
どうか、よいお年をお迎えください。
2012.12.28 わが友に贈る
近隣や友人へ
年末年始の挨拶を大切に。
誠実の一言が心を結ぶ。
友好を深めゆく行動で
仏縁を大きく広げよう!
教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』
◇希望の明日へ
健康の時にこそ、大いに働くべきである。そうでなければ深い悔いを残してしまう。
昭63・11・3
☆100文字の幸福抄
命を慈しむ心、
愛する家族を守ろうとする時に発揮する
女性の力は偉大である。
女性の慈愛が賢明な勇気となって、
家庭だけでなく、広く社会に開かれていった時、
世界の平和構築は
必ず大きく前進するであろう。
年末年始の挨拶を大切に。
誠実の一言が心を結ぶ。
友好を深めゆく行動で
仏縁を大きく広げよう!
教機時国抄 P438
『謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり』
◇希望の明日へ
健康の時にこそ、大いに働くべきである。そうでなければ深い悔いを残してしまう。
昭63・11・3
☆100文字の幸福抄
命を慈しむ心、
愛する家族を守ろうとする時に発揮する
女性の力は偉大である。
女性の慈愛が賢明な勇気となって、
家庭だけでなく、広く社会に開かれていった時、
世界の平和構築は
必ず大きく前進するであろう。
2012年12月27日木曜日
2012.12.27 わが友に贈る
福徳の道ゆく
無冠の友に最敬礼。
雪道・凍結路に注意を。
絶対無事故を祈る!
周囲も最大の配慮を!
王舎城事 P1138
『御勘気を二度までかほりすでに頚となりしかどもついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』
◇希望の明日へ
自ら苦労を求め、ほんとうにハラをすえて戦いきってこそ、成仏の道もある。全部、自分のためである。血液の中の白血球も、健康の"敵"と戦う使命を果たしてこそ、生き生きと勢いを増す。手足も頭脳も使わなければ衰える。広布のために"戦おう"という強盛な一念があってこそ、かぎりなき生命力がわき、色心ともに健康へと向かう。私自身、本来なら、とうに倒れている体である。ただ広布のため仏子のためにとの真剣の一念が、厳として寿命を延ばしてきた。これ自体、偉大なる護法の功徳の証明であると確信する。
昭63・6・17
☆100文字の幸福抄
新たな社会の希望の活力は、
女性のソフト・パワーである。
女性の知恵が発揮されれば、
職場であれ、地域であれ、
創造性が液り、調和が図られていく。
女性が安心して伸びやかに働ける社会を
皆で作っていくことが大切である。
☆各部代表者会議へのメッセージ
名誉会長は、勇敢に堂々と広宣流布へと戦い抜いた同志の奮闘に感謝し、この勢いと息吹で新たな1年も前進していこうと強調。
日蓮大聖人は、強敵との戦いを勝ち越えた門下に、『これに・つけても・いよいよ強盛に大信力をいだし給へ』(P1192)と仰せになられた。創価の同志は、久遠より「広宣流布」「立正安国」を共に誓い合った、地涌の菩薩の陣列である。最高の誇りと自信を持って、題目を唱え抜きながら、新たな挑戦と開拓の手をどんどん打っていただきたいと念願した。
さらに名誉会長は、皆が思う存分に力を発揮していけるよう、厳然と祈り、見守っていると心情を伝え、「大切な大切な同志と共に、功徳と歓喜と希望に満ち満ちた、新年を迎えてください」と述べた。
最後に、「風邪などひかないように!」「わが誉れの愛弟子、万歳!」と呼び掛けて、メッセージを結んだ。
無冠の友に最敬礼。
雪道・凍結路に注意を。
絶対無事故を祈る!
周囲も最大の配慮を!
王舎城事 P1138
『御勘気を二度までかほりすでに頚となりしかどもついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』
◇希望の明日へ
自ら苦労を求め、ほんとうにハラをすえて戦いきってこそ、成仏の道もある。全部、自分のためである。血液の中の白血球も、健康の"敵"と戦う使命を果たしてこそ、生き生きと勢いを増す。手足も頭脳も使わなければ衰える。広布のために"戦おう"という強盛な一念があってこそ、かぎりなき生命力がわき、色心ともに健康へと向かう。私自身、本来なら、とうに倒れている体である。ただ広布のため仏子のためにとの真剣の一念が、厳として寿命を延ばしてきた。これ自体、偉大なる護法の功徳の証明であると確信する。
昭63・6・17
☆100文字の幸福抄
新たな社会の希望の活力は、
女性のソフト・パワーである。
女性の知恵が発揮されれば、
職場であれ、地域であれ、
創造性が液り、調和が図られていく。
女性が安心して伸びやかに働ける社会を
皆で作っていくことが大切である。
☆各部代表者会議へのメッセージ
名誉会長は、勇敢に堂々と広宣流布へと戦い抜いた同志の奮闘に感謝し、この勢いと息吹で新たな1年も前進していこうと強調。
日蓮大聖人は、強敵との戦いを勝ち越えた門下に、『これに・つけても・いよいよ強盛に大信力をいだし給へ』(P1192)と仰せになられた。創価の同志は、久遠より「広宣流布」「立正安国」を共に誓い合った、地涌の菩薩の陣列である。最高の誇りと自信を持って、題目を唱え抜きながら、新たな挑戦と開拓の手をどんどん打っていただきたいと念願した。
さらに名誉会長は、皆が思う存分に力を発揮していけるよう、厳然と祈り、見守っていると心情を伝え、「大切な大切な同志と共に、功徳と歓喜と希望に満ち満ちた、新年を迎えてください」と述べた。
最後に、「風邪などひかないように!」「わが誉れの愛弟子、万歳!」と呼び掛けて、メッセージを結んだ。
2012年12月26日水曜日
2012.12.31 わが友に贈る
病魔と闘う友よ
絶対に負けるな!
妙法は生命の大良薬。
師子吼の題目で
健康・勝利へ出発だ!
佐渡御勘気抄 P891
『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめとをしはからる、既に経文のごとく悪口罵詈刀杖瓦礫数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべし』
◇希望の明日へ
どこまでも「健康第一」で進んでいただきたい。学会員は、大切な広宣流布の仏子である。もし、健康を損なうようなことがあれば、これほど、残念なことはない。ゆえに生活はリズム正しく、休養も十分にとっていただきたい。自発的な意思でやることは別として、権威や上からの圧迫で、自分の体を損なうまで、無理をする必要はないのである。どうか、リズム正しい生活、価値的にして快適な活動の日々を送りつつ、仏法のため、広宣流布のために、ご奉公していただきたい。すばらしき人生を築いていただきたい。
平2・2・13
☆100文字の幸福抄
現代社会は、殺伐とした荒れ野のように
ストレスが充満している。
心を疲弊させ、
不幸へと引きずろうとする悪縁も少なくない。
だからこそ、最も身近な「家庭」が大地となり、
「家族の心の結合」で
支え守り合うことが大切である。
絶対に負けるな!
妙法は生命の大良薬。
師子吼の題目で
健康・勝利へ出発だ!
佐渡御勘気抄 P891
『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめとをしはからる、既に経文のごとく悪口罵詈刀杖瓦礫数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をもたすけたてまつるべし』
◇希望の明日へ
どこまでも「健康第一」で進んでいただきたい。学会員は、大切な広宣流布の仏子である。もし、健康を損なうようなことがあれば、これほど、残念なことはない。ゆえに生活はリズム正しく、休養も十分にとっていただきたい。自発的な意思でやることは別として、権威や上からの圧迫で、自分の体を損なうまで、無理をする必要はないのである。どうか、リズム正しい生活、価値的にして快適な活動の日々を送りつつ、仏法のため、広宣流布のために、ご奉公していただきたい。すばらしき人生を築いていただきたい。
平2・2・13
☆100文字の幸福抄
現代社会は、殺伐とした荒れ野のように
ストレスが充満している。
心を疲弊させ、
不幸へと引きずろうとする悪縁も少なくない。
だからこそ、最も身近な「家庭」が大地となり、
「家族の心の結合」で
支え守り合うことが大切である。
2012年12月25日火曜日
2012.12.25 わが友に贈る
風邪・流感に注意!
帰宅時や食事前など
手洗い、うがいの励行を!
予防対策を万全に
健康第一で明年へ!
経王殿御返事 P1124
『日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり』
◇希望の明日へ
人間、何が幸せか。一日一日、「きょうも、やり切った」「きょうも、悔いがない」「きょうも、私は勝った」という行動を重ねることだ。毎日、自分として"これでよし"と言えるよう、精いっぱいの努力で生きる。その積み重ねが、大勝利の人生となる。平凡なようだけれども、これが人生の「王道」であり、「王者の道」である。
平5・7・17
☆100文字の幸福抄
女性は、現実の幸福を求めるからこそ、
生活を大事にする。
女性のもつ大いなる「持続性」、
しなやかな「現実感覚」こそ、
硬直し窮屈な社会に、
はつらつとした活力を与え、
新しい時代を切り開くのだ。
帰宅時や食事前など
手洗い、うがいの励行を!
予防対策を万全に
健康第一で明年へ!
経王殿御返事 P1124
『日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり』
◇希望の明日へ
人間、何が幸せか。一日一日、「きょうも、やり切った」「きょうも、悔いがない」「きょうも、私は勝った」という行動を重ねることだ。毎日、自分として"これでよし"と言えるよう、精いっぱいの努力で生きる。その積み重ねが、大勝利の人生となる。平凡なようだけれども、これが人生の「王道」であり、「王者の道」である。
平5・7・17
☆100文字の幸福抄
女性は、現実の幸福を求めるからこそ、
生活を大事にする。
女性のもつ大いなる「持続性」、
しなやかな「現実感覚」こそ、
硬直し窮屈な社会に、
はつらつとした活力を与え、
新しい時代を切り開くのだ。
2012.12.24 わが友に贈る
明年の勢いを決める
大事な年末。
多忙な時こそ
祈りから出発だ!
栄光へ万全の助走を!
本尊供養御書 P1536
『事多しと申せども年せまり御使急ぎ候へば筆を留候い畢んぬ』
◇今週のことば
拡大・大勝利の一年
本当にありがとう!
健康・無事故で
晴れ晴れと総仕上げを!
明年も共に勝ち抜こう!
2012年12月24日
◇希望の明日へ
語源ということではないが、福運も、「福」に「運ぶ」と書く。家を建てるのに、一つ一つレンガを運ぶ。そのように、広宣流布のために、会合に足を運ぶ、個人指導に足を運ぶ、その仏の使いとしての行動が、自分自身の福を運んでいることになる。その積み重ねが、"盤石な幸福"という、すばらしい自身の宮殿を築く。福運は、どこかから転がってくるのではない。自分で運び、自分で動かしていくのである。
平5・6・24
☆100文字の幸福抄
女性は本然的な平和主義者である。
生命を生み、慈しむ。
人と人とのつながりを大切にする。
平和のための
新たなパートナーシップづくりに、
女性の声、問題意誠、知恵、洞察力が
フルに生かされなければならない。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.045 わが大切な同志、万歳!
この一年、「青年学会 拡大の年」を飾る偉大なる前進、本当にありがとう! この功徳は計り知れない。
真剣に、懸命に、広布へ戦った全ての人が勝利者だ。これほど尊い偉業はない。
薫陶してきた後継の友が、わが直系の弟子が、ぐんぐん成長している。そのことが、私は何よりもうれしい。
真実の対話は、心を結ぶ。
戸田先生は「折伏しておけば、信頼というものが、必ず残る」と教えてくださった。
人間の絆こそ宝だ。
「古い友人を大切にし、新しい友人をつくれ」とは、トルコのアタチュルク初代大統領のモットーであった。
縁した友を大事にすれば、巡り巡って、必ず広宣流布の力になる。どんな時でも、変わらない信義を貫くことだ。それが揺るぎない常勝の大城を築いていくのである。
励ましの言葉、励ましの声こそが、社会を生き生きと蘇らせていく源泉だ。
リーダーは、言葉でもいい、笑顔でもいい、皆の奮闘に、必ず応えていくことだ。
リーダーの確信ある声の響きは、友を勇気づけ、魔を打ち砕き、次の勝利への威光勢力を増していく。
日蓮大聖人は『いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし』(P1448)と仰せである。一人一人が喜び勇んで、広宣流布の大闘争に励み、いやまして広大無辺の大功徳を受け切っていく道を開いていくのだ。
皆、健康で、晴れ晴れと、人生を勝ち抜き、生き抜いてください。皆様方の幸福と健康と勝利を、毎日、真剣に祈っています。わが大切な大切な同志、万歳!
大事な年末。
多忙な時こそ
祈りから出発だ!
栄光へ万全の助走を!
本尊供養御書 P1536
『事多しと申せども年せまり御使急ぎ候へば筆を留候い畢んぬ』
◇今週のことば
拡大・大勝利の一年
本当にありがとう!
健康・無事故で
晴れ晴れと総仕上げを!
明年も共に勝ち抜こう!
2012年12月24日
◇希望の明日へ
語源ということではないが、福運も、「福」に「運ぶ」と書く。家を建てるのに、一つ一つレンガを運ぶ。そのように、広宣流布のために、会合に足を運ぶ、個人指導に足を運ぶ、その仏の使いとしての行動が、自分自身の福を運んでいることになる。その積み重ねが、"盤石な幸福"という、すばらしい自身の宮殿を築く。福運は、どこかから転がってくるのではない。自分で運び、自分で動かしていくのである。
平5・6・24
☆100文字の幸福抄
女性は本然的な平和主義者である。
生命を生み、慈しむ。
人と人とのつながりを大切にする。
平和のための
新たなパートナーシップづくりに、
女性の声、問題意誠、知恵、洞察力が
フルに生かされなければならない。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.045 わが大切な同志、万歳!
この一年、「青年学会 拡大の年」を飾る偉大なる前進、本当にありがとう! この功徳は計り知れない。
真剣に、懸命に、広布へ戦った全ての人が勝利者だ。これほど尊い偉業はない。
薫陶してきた後継の友が、わが直系の弟子が、ぐんぐん成長している。そのことが、私は何よりもうれしい。
真実の対話は、心を結ぶ。
戸田先生は「折伏しておけば、信頼というものが、必ず残る」と教えてくださった。
人間の絆こそ宝だ。
「古い友人を大切にし、新しい友人をつくれ」とは、トルコのアタチュルク初代大統領のモットーであった。
縁した友を大事にすれば、巡り巡って、必ず広宣流布の力になる。どんな時でも、変わらない信義を貫くことだ。それが揺るぎない常勝の大城を築いていくのである。
励ましの言葉、励ましの声こそが、社会を生き生きと蘇らせていく源泉だ。
リーダーは、言葉でもいい、笑顔でもいい、皆の奮闘に、必ず応えていくことだ。
リーダーの確信ある声の響きは、友を勇気づけ、魔を打ち砕き、次の勝利への威光勢力を増していく。
日蓮大聖人は『いよいよ・はげまして法華経の功徳を得給うべし』(P1448)と仰せである。一人一人が喜び勇んで、広宣流布の大闘争に励み、いやまして広大無辺の大功徳を受け切っていく道を開いていくのだ。
皆、健康で、晴れ晴れと、人生を勝ち抜き、生き抜いてください。皆様方の幸福と健康と勝利を、毎日、真剣に祈っています。わが大切な大切な同志、万歳!
2012年12月23日日曜日
2012.12.23 わが友に贈る
変わらぬ友情は
人生最高の宝!
誇り高く
誠実に生きる人には
勝利の栄冠が輝く!
兄弟抄 P1088
『心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり』
◇希望の明日へ
人生の目的は、最大の幸福、すなわち、絶対的幸福を実現することである。絶対的幸福とは、時間がたっても変わることなく、永遠に続くもので、外の条件に影響されることがなく、生命の内から込み上げてくる幸福感といってよい。世間的な地位や財産、満足等の一時的なものではない。法に則って生き、法のうえで、いかなる位を得ていくか。その生命の位は、法とともに永遠である。学会員は永遠の"生命の王者"として生きられるのである。
平5・2・13
☆100文字の幸福抄
世界は広く大きい。
宇宙は更に広くて大きい。
しかし人間の心は、更に更に広く大きい。
ゆえに、人に何と言われようと、
「必ず自分は道を開ける!」と信じることだ。
勇気を出して自分が変われば、
周りも変わる。すべてが変わる。
☆人生を生き抜く羅針盤「自分が変われば環境も変わる」(2012年11月25日)
◇自身の弱い心に勇敢に打ち勝つ
さまざまな苦難や試練に直面した時、人は「挑むのか、逃げるのか」「その環境を受け入れるのか、変えるのか」といった選択を迫られることがあります。今回は、自分自身が「環境」を変えていく主体者へと成長する重要性を、日蓮大聖人の仏法から学んでいきましょう。
◇若者の業種別離職率
厚生労働省は今年10月、入社から3年以内に離職した人の割合を、初めて業種別に公表しました。
それによると、3年前に大学を卒業した若者では、教育・学習支援業と宿泊・飲食業が48%と高い離職率を示しています。一方、製造業は16%、鉱業・採石業や電気・ガスは1割未満にとどまり、業種で大きな差があることも分かりました。
全体では、大卒者は28%、高卒者は35%が3年以内に離職しており、離職率は1995年ごろから高い水準で推移しています。
過酷な労働環境や職場の人間関係の悩みなど、離職に至る理由はさまざまです。中には離職がやむを得ないケースもあるでしょう。
反対に、何かあれば「他の仕事の方が自分に合っている」といった安易な発想から転職に動く人も少なからずいて、「若者の離職」は大きな社会問題になっています。
転職の明確な動機や、転職先での具体的目標がなければ、結果的に何度も転職を繰り返すことになりかねないと、多くの人材コンサルタントは指摘しています。転職活動では、単に職業を変えるだけでなく、一人一人の目的観の確立や心の変革が重要なのです。
◇現実変革のための宗教
日蓮大聖人の仏法は「変革の宗教」であるといわれます。自身の生命を変革し、周囲を変革し、社会を変革する——。それは、世間一般のイメージにあるような"現実追従の宗教"でもなければ、困難を避けて理想世界に救いを求める"現実逃避の宗教"でもありません。
むしろ、社会に積極的に関わり、より良い世の中に変えていく"現実変革の宗教"なのです。
大聖人は、その変革の第一歩こそ自身の心の変革である、と説きます。
大聖人は御書で、『衆生の心が汚れれば、住む国土も汚れ、心が清ければ国土も清いとあるように、浄土(=清浄な国土)といい穢土(=汚れた国土)といっても、土に二つの違いがあるわけではない。ただ私たちの心の善悪によるのである』(P384、通解)と仰せです。
ここでいう「穢土」とは、凡夫が住む、煩悩や苦しみに満たされた国土のことであり、「浄土」とは、仏の住む清らかな世界のことです。
法華経以外の経典では、一般には、この二つの国土は、まったく別々なものとされていました。しかし、大聖人は周囲の環境が浄土になるか穢土になるか、それを決めるのは「衆生(人々)の心」であると仰せです。
この御文は、人間生命と国土、社会の関係を教えられていますが、要は私たち一人一人が、いかなる生命観、哲学を持つかによって、国土や社会の安穏や繁栄も、反対に荒廃も決まってしまうことを示しています。
◇ 強き一念で悩みを成長の糧に「挑戦」と「持続」の実践
大聖人は自身の内に仏の生命を開く方途として「南無妙法蓮華経」の唱題行を説き顕されました。これこそが「変革の道」の根幹となる実践です。
大聖人は先の御文に続いて、『深く信心を起こし、日夜朝暮に怠らずわが心を磨くべきである。どのように磨くべきか。ただ南無妙法蓮華経と唱えることが磨くことになる』(同、通解)とも仰せです。
常に挑戦の心で唱題に励み、具体的な努力を続けていく。この挑戦と持続が変革を後押ししていくのです。
大事なことは、まず「自分自身が変わろうとすること」です。「他者が悪い」「環境が悪い」と嘆いている限り、何の問題解決にもなりません。
むしろ、さまざまな問題や課題を環境のせいにするのではなく、原因を自分に求め、自分と向き合う「勇気」を出す。一念を定めて、自分自身との闘争を開始していくことです。
池田名誉会長は語っています。
「『自身』が変われば『世界』が変わる。『わが一念の変革』が、すべての変革の鍵なのです。これが『人間革命』です。そして、誰にでも、その変革の力が具わっている。この生命の真実に気づけば、いつでも、どこでも、どのような状況にあっても、その力を現実に開き顕していくことができます」と。
周囲の環境に負け、悩みに翻弄される人生から、強き一念で悩みを成長の糧とする人生へ——。大聖人の仏法は、自らの心次第で困難な環境を変え、主体的な生き方ができることを教えているのです。
◇理解のために「仏法即社会」とは?
私たちの信仰の目的は、自身の生命に何があっても崩れない幸福境涯を築きながら、社会全体を幸福に導いていくことです。その実践の場は、現実の社会です。
日蓮大聖人は、『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(P992)と仰せです。仏法は「体」であり根本です。その仏法が見失われれば、世間の乱れとなって表れてきます。
法華経以外では、「世間(=社会、世の中)の法」と「仏法」を別々にとらえているのが大半でした。それに対して法華経は『世間の法が、そのまま仏法の全体』(P1597、趣旨)であると説きます。
現実の社会や生活を離れて仏法は存在しません。また、社会や生活の一切の営みは、仏法と違背しないという考えが「仏法即社会」です。
池田名誉会長は綴っています。
「『仏法即社会』である。ゆえに、仏法の哲理を社会に開き、時代の建設に取り組むことは、信仰者の使命である。それには、一人ひとりが人格を磨き、周囲の人びとから、信頼と尊敬を勝ち得ていくことだ」と。
現実社会で信頼を勝ち得ていく中に、仏法の偉大さの証明もあるのです。
人生最高の宝!
誇り高く
誠実に生きる人には
勝利の栄冠が輝く!
兄弟抄 P1088
『心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文なり』
◇希望の明日へ
人生の目的は、最大の幸福、すなわち、絶対的幸福を実現することである。絶対的幸福とは、時間がたっても変わることなく、永遠に続くもので、外の条件に影響されることがなく、生命の内から込み上げてくる幸福感といってよい。世間的な地位や財産、満足等の一時的なものではない。法に則って生き、法のうえで、いかなる位を得ていくか。その生命の位は、法とともに永遠である。学会員は永遠の"生命の王者"として生きられるのである。
平5・2・13
☆100文字の幸福抄
世界は広く大きい。
宇宙は更に広くて大きい。
しかし人間の心は、更に更に広く大きい。
ゆえに、人に何と言われようと、
「必ず自分は道を開ける!」と信じることだ。
勇気を出して自分が変われば、
周りも変わる。すべてが変わる。
☆人生を生き抜く羅針盤「自分が変われば環境も変わる」(2012年11月25日)
◇自身の弱い心に勇敢に打ち勝つ
さまざまな苦難や試練に直面した時、人は「挑むのか、逃げるのか」「その環境を受け入れるのか、変えるのか」といった選択を迫られることがあります。今回は、自分自身が「環境」を変えていく主体者へと成長する重要性を、日蓮大聖人の仏法から学んでいきましょう。
◇若者の業種別離職率
厚生労働省は今年10月、入社から3年以内に離職した人の割合を、初めて業種別に公表しました。
それによると、3年前に大学を卒業した若者では、教育・学習支援業と宿泊・飲食業が48%と高い離職率を示しています。一方、製造業は16%、鉱業・採石業や電気・ガスは1割未満にとどまり、業種で大きな差があることも分かりました。
全体では、大卒者は28%、高卒者は35%が3年以内に離職しており、離職率は1995年ごろから高い水準で推移しています。
過酷な労働環境や職場の人間関係の悩みなど、離職に至る理由はさまざまです。中には離職がやむを得ないケースもあるでしょう。
反対に、何かあれば「他の仕事の方が自分に合っている」といった安易な発想から転職に動く人も少なからずいて、「若者の離職」は大きな社会問題になっています。
転職の明確な動機や、転職先での具体的目標がなければ、結果的に何度も転職を繰り返すことになりかねないと、多くの人材コンサルタントは指摘しています。転職活動では、単に職業を変えるだけでなく、一人一人の目的観の確立や心の変革が重要なのです。
◇現実変革のための宗教
日蓮大聖人の仏法は「変革の宗教」であるといわれます。自身の生命を変革し、周囲を変革し、社会を変革する——。それは、世間一般のイメージにあるような"現実追従の宗教"でもなければ、困難を避けて理想世界に救いを求める"現実逃避の宗教"でもありません。
むしろ、社会に積極的に関わり、より良い世の中に変えていく"現実変革の宗教"なのです。
大聖人は、その変革の第一歩こそ自身の心の変革である、と説きます。
大聖人は御書で、『衆生の心が汚れれば、住む国土も汚れ、心が清ければ国土も清いとあるように、浄土(=清浄な国土)といい穢土(=汚れた国土)といっても、土に二つの違いがあるわけではない。ただ私たちの心の善悪によるのである』(P384、通解)と仰せです。
ここでいう「穢土」とは、凡夫が住む、煩悩や苦しみに満たされた国土のことであり、「浄土」とは、仏の住む清らかな世界のことです。
法華経以外の経典では、一般には、この二つの国土は、まったく別々なものとされていました。しかし、大聖人は周囲の環境が浄土になるか穢土になるか、それを決めるのは「衆生(人々)の心」であると仰せです。
この御文は、人間生命と国土、社会の関係を教えられていますが、要は私たち一人一人が、いかなる生命観、哲学を持つかによって、国土や社会の安穏や繁栄も、反対に荒廃も決まってしまうことを示しています。
◇ 強き一念で悩みを成長の糧に「挑戦」と「持続」の実践
大聖人は自身の内に仏の生命を開く方途として「南無妙法蓮華経」の唱題行を説き顕されました。これこそが「変革の道」の根幹となる実践です。
大聖人は先の御文に続いて、『深く信心を起こし、日夜朝暮に怠らずわが心を磨くべきである。どのように磨くべきか。ただ南無妙法蓮華経と唱えることが磨くことになる』(同、通解)とも仰せです。
常に挑戦の心で唱題に励み、具体的な努力を続けていく。この挑戦と持続が変革を後押ししていくのです。
大事なことは、まず「自分自身が変わろうとすること」です。「他者が悪い」「環境が悪い」と嘆いている限り、何の問題解決にもなりません。
むしろ、さまざまな問題や課題を環境のせいにするのではなく、原因を自分に求め、自分と向き合う「勇気」を出す。一念を定めて、自分自身との闘争を開始していくことです。
池田名誉会長は語っています。
「『自身』が変われば『世界』が変わる。『わが一念の変革』が、すべての変革の鍵なのです。これが『人間革命』です。そして、誰にでも、その変革の力が具わっている。この生命の真実に気づけば、いつでも、どこでも、どのような状況にあっても、その力を現実に開き顕していくことができます」と。
周囲の環境に負け、悩みに翻弄される人生から、強き一念で悩みを成長の糧とする人生へ——。大聖人の仏法は、自らの心次第で困難な環境を変え、主体的な生き方ができることを教えているのです。
◇理解のために「仏法即社会」とは?
私たちの信仰の目的は、自身の生命に何があっても崩れない幸福境涯を築きながら、社会全体を幸福に導いていくことです。その実践の場は、現実の社会です。
日蓮大聖人は、『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(P992)と仰せです。仏法は「体」であり根本です。その仏法が見失われれば、世間の乱れとなって表れてきます。
法華経以外では、「世間(=社会、世の中)の法」と「仏法」を別々にとらえているのが大半でした。それに対して法華経は『世間の法が、そのまま仏法の全体』(P1597、趣旨)であると説きます。
現実の社会や生活を離れて仏法は存在しません。また、社会や生活の一切の営みは、仏法と違背しないという考えが「仏法即社会」です。
池田名誉会長は綴っています。
「『仏法即社会』である。ゆえに、仏法の哲理を社会に開き、時代の建設に取り組むことは、信仰者の使命である。それには、一人ひとりが人格を磨き、周囲の人びとから、信頼と尊敬を勝ち得ていくことだ」と。
現実社会で信頼を勝ち得ていく中に、仏法の偉大さの証明もあるのです。
2012.12.22 わが友に贈る
「守る会」をはじめ
広布の宝城を厳護する
尊き同志、万歳!
1年間ありがとう!
功徳は万代に永遠なり。
土篭御書 P1213
『法華経を余人のよみ候は口ばかりことばばかりはよめども心はよまず心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』
◇希望の明日へ
大きな目的のために行動すれば、それだけ自分の夢が広がる。大きな歴史が輝く。一人一人が広宣流布の大願に生きぬくとき、自分の小我は大我となっていく。法のため、人のために行動した分だけ"大きな自分"となる。それは即"大きな幸福"である。自分が得するのである。
平5・1・17
☆100文字の幸福抄
表面は華やかに振る舞い、
頑張っているように見せかけても、
日々の鍛えなき人は意外ともろいものだ。
"まじめ"と"努力"に徹した人ほど、
強いものはない。
どこまでも地道な歩みを貫き通した人に、
人生最終章の栄冠は輝くのである。
☆声優・俳優でおなじみ キートン山田さん
◇どん底からの逆転劇 アニメ「ちびまる子ちゃん」のナレーター
【静岡県伊東市】国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」。家族の日常を描いた、涙と笑いあふれる人気番組だ。ナレーターは、ご存じ、キートン山田さん(66)=本名・山田俊司、高原支部、副支部長。抑揚のない淡々とした語り口。"キートン節"と呼ばれている。若かりし頃に抱いた「トップスター」への夢。だが、屈辱の日々が待っていた。その時、退路を断つ決断に出る。そして目指した新たな目標——。これは、栄光と挫折のドラマである。
◇頑固おやじ
日本が東京オリンピックに沸いた、1964年(昭和39年)。19歳の山田青年は、コンクリート会社で働いていた。高度経済成長期の建設ラッシュ。トラックで現場を回った。
運転席に乗り込んできた、おやじがいた。鈴木芳太郎さん。二回り年が離れた、頑固一徹の職人。創価学会員だった。
「子どもに勉強を教えてくれ」と言われ、おやじの家に下宿した。タンスに囲まれた2階の4畳半。1階から、にぎやかな声がした。座談会の笑い声。隅っこに座らされ、小さくなった。
おやじは食事の時も、山田青年に信心を語った。「祈りとして叶わざるなしの信心だ。やってみるか?」。苦痛だった。テレビのプロレス中継に気を取られても、「信心の話は、毛穴から入るから」と、おやじは語り続けた。
熱意に押され、65年1月に入会。「何でも叶う」と言われ、「一生の仕事」を祈った。
半年が過ぎた、ある日のこと。山田青年は、工場の外階段で、一枚の紙を拾う。劇団のチラシ。運命的なものを感じた。サラリーマンと劇団員。"二足のわらじ"が始まった。
4年後。役者の世界で生きると決めた。「声の仕事」が入った。セリフは八百屋の「いらっしゃい!」。一言でも充実感があった。
その日の帰り道、商店街を歩くと、気付いたことがある。同じ言葉でも魚屋とケーキ屋では、言い方も声量も違う。世にあふれる生きたセリフ。自分のものにしようと歩き回った。犬やカラスも観察した。心が躍る。
夕焼け色に染まった映画の看板があった。トップスターが笑っていた。それを、にらんだ。
「あそこへ行くんだ」
◇背水の陣
栄光と挫折を味わった。70年代、第一次アニメブームの到来とともに、声優として波に乗った。「ゲッターロボ」の神隼人。「一休さん」の将軍さま。何本もレギュラーが決まり、多忙になった。ファンクラブもできた。「だから、仕方ないよな」。学会活動から、足が遠のいた。
転落は、あっという間だった。アニメブームが収束に向かうにつれ、依頼が途絶えた。事務所のせいにした。36歳の時。食べ盛りの子どもが3人いる。途方に暮れた。
内職とアルバイトを始めた。テレビから声が流れる。「俺の方がうまい」と、電源を切った。嫉妬していた。
砂をかむような毎日。千葉県松戸市の自宅から、浅草の仕事場まで歩いた。わずかな交通費さえ惜しい。
「犬とアヒルの餌に」と、パンの耳をもらい、家族で食べた。油で揚げて砂糖をまぶす。「おいしい」と食べる子どもたち。後ろ姿に「ごめんな」と声を掛けたかった。
仕事があれば……そう思い、アルバイト情報誌に救いを求めた。
たまに、声優の仕事があった。「あっ」。スタジオで、声が漏れた。ズボンに小さなビニールの"かけら"が付いていた。内職のくずだった。情けなかった。「生きてても仕方ない」。顔から表情が消えていく。
"行き詰まったら原点へ帰れ"
心の声がした。池田名誉会長だった。
あれは−−68年4月。埼玉総合本部幹部会。鈴木のおやじが「前に行け」と、背中を押した。前から13列目に座れた。名誉会長が登壇した時、経験したことのない安心感が全身を包み込む。「池田先生に、ついて行こう」
原点を思い浮かべ、御書を開いた。『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』(P1192)。鈴木のおやじが何度も口にした一節。「苦しい時は、誰でも策に走りたがるのさ。でもよ、山ちゃん。信心だ。絶対に信心で立つんだ」。おやじの声が、毛穴から染み込んでいた。
背水の陣を敷く。アルバイトと内職を辞め、その時間を学会活動に充てた。「まだ終わりじゃない。裸一貫で出直そう」
江戸川の土手を歩いた。いつか聞いた「三流の一流」。三流でもいいじゃないか。その中で自分なりの一流を目指せばいい。そう思うと、心が軽くなった。
天を見上げた。久々に仰いだ空は、吸い込まれそうなほど青かった。
◇「私の人生『後半へ続く』」白羽の矢
新出発の証しとして、改名しようと考えた。プロダクションは、「仕事に影響する」と反対した。
その頃、電車で読んだ一冊の本がある。「世界の三大喜劇王」と呼ばれていた「バスター・キートン」。その芸風は、喜怒哀楽を表情に出さない"偉大なる無表情"と呼ばれた。目指そうと思った。
「キートン山田」。男の断固たる決意の表れ。38歳の春。血が騒いだ。
"時"をじっと待った。84年10月。一本の電話が入った。テレビ東京の情報番組の仕事だった。翌年4月にはNHKの教育番組の仕事も。2本のレギュラー。感謝に震えた。
会いたい人がいた。鈴木のおやじ。70歳近くになっていた。体は少しだけ、しぼんだように思う。「信心で立ち上がりました」。おやじは、うれしそうに笑ってくれた。
おやじが旅立った後、あるアニメの番組宣伝を依頼された。44歳の冬。今思えば、それがオーディションだったのかもしれない。
主人公の女の子は「さくらももこ」といった。
その数カ月前。都内で、「ちびまる子ちゃん」のオーディションが行われた。配役が次々と決まっていく。しかし、原作者・さくらももこさんのイメージに合わない役が一つだけあった。
ナレーターだ。
難航した。放送日が迫る。誰かが言った。「キートン山田は?」。白羽の矢が立った。
キートンさんの声を吹き込んだ番組宣伝のテープは、ニューヨークにいる、さくらさんに渡った。ホテルの一室。テープから淡々と流れる"偉大なる無表情"。さくらさんの瞳が輝く。
「この声と、このしゃべり方が欲しかった」
1990年1月7日。「ちびまる子ちゃん」第1回放送日。"キートン節"が茶の間に流れた。
思わず、台本にないセリフをつぶやいたことがある。おもしろいと、台本に加わった。
「後半へ続く」
キートンさんの代名詞になった。
66歳になった今も、劇団「ふりぃすたいる」を主宰しながら、俳優、声優、ナレーターとして活躍中だ。
揺るがぬ信念がある。「変わらないために、変わり続けたい」。喜怒哀楽を出さない"キートン節"。それを変わらず表現するために、日々、生命を磨き、成長を続ける。
今年、「ちびまる子ちゃん」の放送は1000回を超えた。22年間、今も変わらぬ"偉大なる無表情"。磨きがかかる。
今の思いを語った。
「70代のキートンをご期待ください。私の人生『後半へ続く』
広布の宝城を厳護する
尊き同志、万歳!
1年間ありがとう!
功徳は万代に永遠なり。
土篭御書 P1213
『法華経を余人のよみ候は口ばかりことばばかりはよめども心はよまず心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ』
◇希望の明日へ
大きな目的のために行動すれば、それだけ自分の夢が広がる。大きな歴史が輝く。一人一人が広宣流布の大願に生きぬくとき、自分の小我は大我となっていく。法のため、人のために行動した分だけ"大きな自分"となる。それは即"大きな幸福"である。自分が得するのである。
平5・1・17
☆100文字の幸福抄
表面は華やかに振る舞い、
頑張っているように見せかけても、
日々の鍛えなき人は意外ともろいものだ。
"まじめ"と"努力"に徹した人ほど、
強いものはない。
どこまでも地道な歩みを貫き通した人に、
人生最終章の栄冠は輝くのである。
☆声優・俳優でおなじみ キートン山田さん
◇どん底からの逆転劇 アニメ「ちびまる子ちゃん」のナレーター
【静岡県伊東市】国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」。家族の日常を描いた、涙と笑いあふれる人気番組だ。ナレーターは、ご存じ、キートン山田さん(66)=本名・山田俊司、高原支部、副支部長。抑揚のない淡々とした語り口。"キートン節"と呼ばれている。若かりし頃に抱いた「トップスター」への夢。だが、屈辱の日々が待っていた。その時、退路を断つ決断に出る。そして目指した新たな目標——。これは、栄光と挫折のドラマである。
◇頑固おやじ
日本が東京オリンピックに沸いた、1964年(昭和39年)。19歳の山田青年は、コンクリート会社で働いていた。高度経済成長期の建設ラッシュ。トラックで現場を回った。
運転席に乗り込んできた、おやじがいた。鈴木芳太郎さん。二回り年が離れた、頑固一徹の職人。創価学会員だった。
「子どもに勉強を教えてくれ」と言われ、おやじの家に下宿した。タンスに囲まれた2階の4畳半。1階から、にぎやかな声がした。座談会の笑い声。隅っこに座らされ、小さくなった。
おやじは食事の時も、山田青年に信心を語った。「祈りとして叶わざるなしの信心だ。やってみるか?」。苦痛だった。テレビのプロレス中継に気を取られても、「信心の話は、毛穴から入るから」と、おやじは語り続けた。
熱意に押され、65年1月に入会。「何でも叶う」と言われ、「一生の仕事」を祈った。
半年が過ぎた、ある日のこと。山田青年は、工場の外階段で、一枚の紙を拾う。劇団のチラシ。運命的なものを感じた。サラリーマンと劇団員。"二足のわらじ"が始まった。
4年後。役者の世界で生きると決めた。「声の仕事」が入った。セリフは八百屋の「いらっしゃい!」。一言でも充実感があった。
その日の帰り道、商店街を歩くと、気付いたことがある。同じ言葉でも魚屋とケーキ屋では、言い方も声量も違う。世にあふれる生きたセリフ。自分のものにしようと歩き回った。犬やカラスも観察した。心が躍る。
夕焼け色に染まった映画の看板があった。トップスターが笑っていた。それを、にらんだ。
「あそこへ行くんだ」
◇背水の陣
栄光と挫折を味わった。70年代、第一次アニメブームの到来とともに、声優として波に乗った。「ゲッターロボ」の神隼人。「一休さん」の将軍さま。何本もレギュラーが決まり、多忙になった。ファンクラブもできた。「だから、仕方ないよな」。学会活動から、足が遠のいた。
転落は、あっという間だった。アニメブームが収束に向かうにつれ、依頼が途絶えた。事務所のせいにした。36歳の時。食べ盛りの子どもが3人いる。途方に暮れた。
内職とアルバイトを始めた。テレビから声が流れる。「俺の方がうまい」と、電源を切った。嫉妬していた。
砂をかむような毎日。千葉県松戸市の自宅から、浅草の仕事場まで歩いた。わずかな交通費さえ惜しい。
「犬とアヒルの餌に」と、パンの耳をもらい、家族で食べた。油で揚げて砂糖をまぶす。「おいしい」と食べる子どもたち。後ろ姿に「ごめんな」と声を掛けたかった。
仕事があれば……そう思い、アルバイト情報誌に救いを求めた。
たまに、声優の仕事があった。「あっ」。スタジオで、声が漏れた。ズボンに小さなビニールの"かけら"が付いていた。内職のくずだった。情けなかった。「生きてても仕方ない」。顔から表情が消えていく。
"行き詰まったら原点へ帰れ"
心の声がした。池田名誉会長だった。
あれは−−68年4月。埼玉総合本部幹部会。鈴木のおやじが「前に行け」と、背中を押した。前から13列目に座れた。名誉会長が登壇した時、経験したことのない安心感が全身を包み込む。「池田先生に、ついて行こう」
原点を思い浮かべ、御書を開いた。『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』(P1192)。鈴木のおやじが何度も口にした一節。「苦しい時は、誰でも策に走りたがるのさ。でもよ、山ちゃん。信心だ。絶対に信心で立つんだ」。おやじの声が、毛穴から染み込んでいた。
背水の陣を敷く。アルバイトと内職を辞め、その時間を学会活動に充てた。「まだ終わりじゃない。裸一貫で出直そう」
江戸川の土手を歩いた。いつか聞いた「三流の一流」。三流でもいいじゃないか。その中で自分なりの一流を目指せばいい。そう思うと、心が軽くなった。
天を見上げた。久々に仰いだ空は、吸い込まれそうなほど青かった。
◇「私の人生『後半へ続く』」白羽の矢
新出発の証しとして、改名しようと考えた。プロダクションは、「仕事に影響する」と反対した。
その頃、電車で読んだ一冊の本がある。「世界の三大喜劇王」と呼ばれていた「バスター・キートン」。その芸風は、喜怒哀楽を表情に出さない"偉大なる無表情"と呼ばれた。目指そうと思った。
「キートン山田」。男の断固たる決意の表れ。38歳の春。血が騒いだ。
"時"をじっと待った。84年10月。一本の電話が入った。テレビ東京の情報番組の仕事だった。翌年4月にはNHKの教育番組の仕事も。2本のレギュラー。感謝に震えた。
会いたい人がいた。鈴木のおやじ。70歳近くになっていた。体は少しだけ、しぼんだように思う。「信心で立ち上がりました」。おやじは、うれしそうに笑ってくれた。
おやじが旅立った後、あるアニメの番組宣伝を依頼された。44歳の冬。今思えば、それがオーディションだったのかもしれない。
主人公の女の子は「さくらももこ」といった。
その数カ月前。都内で、「ちびまる子ちゃん」のオーディションが行われた。配役が次々と決まっていく。しかし、原作者・さくらももこさんのイメージに合わない役が一つだけあった。
ナレーターだ。
難航した。放送日が迫る。誰かが言った。「キートン山田は?」。白羽の矢が立った。
キートンさんの声を吹き込んだ番組宣伝のテープは、ニューヨークにいる、さくらさんに渡った。ホテルの一室。テープから淡々と流れる"偉大なる無表情"。さくらさんの瞳が輝く。
「この声と、このしゃべり方が欲しかった」
1990年1月7日。「ちびまる子ちゃん」第1回放送日。"キートン節"が茶の間に流れた。
思わず、台本にないセリフをつぶやいたことがある。おもしろいと、台本に加わった。
「後半へ続く」
キートンさんの代名詞になった。
66歳になった今も、劇団「ふりぃすたいる」を主宰しながら、俳優、声優、ナレーターとして活躍中だ。
揺るがぬ信念がある。「変わらないために、変わり続けたい」。喜怒哀楽を出さない"キートン節"。それを変わらず表現するために、日々、生命を磨き、成長を続ける。
今年、「ちびまる子ちゃん」の放送は1000回を超えた。22年間、今も変わらぬ"偉大なる無表情"。磨きがかかる。
今の思いを語った。
「70代のキートンをご期待ください。私の人生『後半へ続く』
2012年12月21日金曜日
2012.12.21 わが友に贈る
受験生が大奮闘!
自分らしく堂々と
ベストを尽くせ!
家族や周囲の友も
温かな配慮と励ましを!
種種御振舞御書 P912
『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか』
◇希望の明日へ
人生の目的は何か。それは、幸福である。仏法の目的は何か。それも幸福である。信心の目的も、教育の目的も、すべて幸福にある。そして幸福には相対的幸福と絶対的幸福がある。お金があるから、健康であるから、地位があるから幸福−−というだけでは、それらがなくなれば不幸を感ずる。絶対的幸福は、何がなかろうと、また何があろうとも、"生きていること自体が楽しい"という自分自身の境涯にある。この不動の自分自身を確立するための信心である。絶対的幸福は、広宣流布へと進みゆく大闘争のなかに厳然と築かれていく。
平4・11・2
☆100文字の幸福抄
後ろを向く必要はない。
未来は、すべて、
現在の心のあり方で決まる。
ゆえに、今いるこの場所で、
断じて勝ってみせると決めることだ。
「心の大地」を豊かに耕し、
未来への種を蒔いていけばよいのである。
自分らしく堂々と
ベストを尽くせ!
家族や周囲の友も
温かな配慮と励ましを!
種種御振舞御書 P912
『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか』
◇希望の明日へ
人生の目的は何か。それは、幸福である。仏法の目的は何か。それも幸福である。信心の目的も、教育の目的も、すべて幸福にある。そして幸福には相対的幸福と絶対的幸福がある。お金があるから、健康であるから、地位があるから幸福−−というだけでは、それらがなくなれば不幸を感ずる。絶対的幸福は、何がなかろうと、また何があろうとも、"生きていること自体が楽しい"という自分自身の境涯にある。この不動の自分自身を確立するための信心である。絶対的幸福は、広宣流布へと進みゆく大闘争のなかに厳然と築かれていく。
平4・11・2
☆100文字の幸福抄
後ろを向く必要はない。
未来は、すべて、
現在の心のあり方で決まる。
ゆえに、今いるこの場所で、
断じて勝ってみせると決めることだ。
「心の大地」を豊かに耕し、
未来への種を蒔いていけばよいのである。
2012年12月20日木曜日
2012.12.20 わが友に贈る
多忙な年の瀬。
火災や交通事故に注意!
リーダーの声掛けが
皆の心を引き締める。
最高の総仕上げを共に!
女人成仏抄 P471
『経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云』
◇希望の明日へ
現実を離れて仏法はない。また幸福もない。"平凡な""身近な"なかにこそ、人生の本当の幸福もある。また、そういう現実生活に幸福の花を咲かせていくのが仏法であり、「創価(価値創造)」なのである。
平4・7・3
☆100文字の幸福抄
過去に生きる人は、
後ろばかり振り返って、新鮮な魂の輝きがない。
今を生きる女性は、
常に何かに貢献しょうと努力している。
その魂は生き生きとして光っている。
今を生きる女性は、
毎日、力強く、前進する。
☆教学論苑「後継の人材の育成」(2012/08/21)
"民衆と共に戦う陣列に 真の仏法の精神が脈動"
大乗仏教の精髄である法華経。万人成仏を説く法華経における最重要テーマの一つが、"釈尊入滅後の未来に、この法華経を誰が弘めるのか"であった。
「如我等無異」(我が等しくして異なること無からしめん 法華経)。あらゆる人を仏である自分と同じ幸福境涯に、という法華経の精神を未来永劫にわたり流れ通わせることが、日蓮大聖人直結の団体である創価学会の使命であることは論をまたない。ここでは、広宣流布を永遠たらしめるために何よりも大切な「後継の人材の育成」について考えてみたい。
◇原点となった師との出会い
52年前の1960年(昭和35年)3月、中学3年生の時であった。当時、総務であった池田先生が高崎に、いらっしゃると聞き、会場に駆けつけた。
先生は、自作の詩を通して、ご自身の若き日の苦闘や青年の生き方について語ってくださった。
「希望に燃えて 怒涛に向かい たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが じっとこらえて今に見ろ」
後になってこの詩が、池田先生が19歳で戸田先生にお会いした直後に読まれた「希望に燃えて」であることを知ったが、「じっとこらえて 今に見ろ」の一節がストレートに私の命に突き刺さり、自らの"生きる力"となった。
2カ月後に第3代会長に就任された池田先生は、以来、全国各地で、そして全世界で、未来へ使命を分かち持つ後継の青年を陸続と育てられた。
その積み重ねによって、人材の流れは大河となり、今日の192カ国・地域に広がる創価学会の大発展が築かれたのである。
◇仏教がインドでなぜ滅んだのか
池田先生が範を示されている「後継の人材の育成」こそ、法華経見宝塔品に説かれる「令法久住」を永遠たらしめる要諦である。
その中で釈尊は、「自分はもうすぐ亡くなるので、この法華経を誰かに託したい」「ここに無数の仏が集まったのも、同じく令法久住のためである」と語るのである。
日蓮大聖人は「顕仏未来記」の中で、"仏教発祥の地・インドにはもはや仏法はなく、中国には大乗経がわずかに残るのみで、実態は形骸化している"ことを指摘されている。そして、仏法を持ち、伝えていく人がいないので、あたかも木石の像が法衣を着、鉢を持っているようなもので、なんの役にも立っていない、と述べられている。
池田先生とインドを代表する知性であるロケッシュ・チャンドラ博士との対談集『東洋の哲学を語る』の「なぜ仏教はインドで滅んだか」との一項は、示唆に富んでいる。
「インドでは、仏教は主として哲学的な機能にとどまりました」「仏教自体が限られた一部の上流階級のものになってしまいました」と語るチャンドラ博士。
それを受けて、池田先生は、インドのネルー初代首相の「『人間の生き方』を身をもって説いた釈尊が、人間を超えた"神"のように権威化されたために、仏教は滅んだ」との言葉を紹介し、日蓮大聖人の仏法が、"人間の実生活から遊離した仏教を人間に取り戻すことを教えたもの"であることに言及。創価学会の運動について「釈尊や大聖人の歩いた『人間の道』を受け継ぐものであり、そのために、仏を権威化して人間を手段にしているものとは、徹して戦うのです」と語られている。
人間を離れたところに、仏法の精神が脈打つことはない。いくら経典が残ろうと、現実に、民衆の中に生き、民衆と共に戦う後継の人材を陸続と育てていくことなくして、広宣流布の運動の永続性はないことを、私たちは知らなければ成らない。
さらに、この教学論苑では、未来部を育む同志に感謝、広布のバトンを親から子へ孫へとのタイトルで広布後継の育成に言及されています。
火災や交通事故に注意!
リーダーの声掛けが
皆の心を引き締める。
最高の総仕上げを共に!
女人成仏抄 P471
『経文には一人一日の中に八億四千念あり念念の中に作す所皆是れ三途の業なり等云云』
◇希望の明日へ
現実を離れて仏法はない。また幸福もない。"平凡な""身近な"なかにこそ、人生の本当の幸福もある。また、そういう現実生活に幸福の花を咲かせていくのが仏法であり、「創価(価値創造)」なのである。
平4・7・3
☆100文字の幸福抄
過去に生きる人は、
後ろばかり振り返って、新鮮な魂の輝きがない。
今を生きる女性は、
常に何かに貢献しょうと努力している。
その魂は生き生きとして光っている。
今を生きる女性は、
毎日、力強く、前進する。
☆教学論苑「後継の人材の育成」(2012/08/21)
"民衆と共に戦う陣列に 真の仏法の精神が脈動"
大乗仏教の精髄である法華経。万人成仏を説く法華経における最重要テーマの一つが、"釈尊入滅後の未来に、この法華経を誰が弘めるのか"であった。
「如我等無異」(我が等しくして異なること無からしめん 法華経)。あらゆる人を仏である自分と同じ幸福境涯に、という法華経の精神を未来永劫にわたり流れ通わせることが、日蓮大聖人直結の団体である創価学会の使命であることは論をまたない。ここでは、広宣流布を永遠たらしめるために何よりも大切な「後継の人材の育成」について考えてみたい。
◇原点となった師との出会い
52年前の1960年(昭和35年)3月、中学3年生の時であった。当時、総務であった池田先生が高崎に、いらっしゃると聞き、会場に駆けつけた。
先生は、自作の詩を通して、ご自身の若き日の苦闘や青年の生き方について語ってくださった。
「希望に燃えて 怒涛に向かい たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが じっとこらえて今に見ろ」
後になってこの詩が、池田先生が19歳で戸田先生にお会いした直後に読まれた「希望に燃えて」であることを知ったが、「じっとこらえて 今に見ろ」の一節がストレートに私の命に突き刺さり、自らの"生きる力"となった。
2カ月後に第3代会長に就任された池田先生は、以来、全国各地で、そして全世界で、未来へ使命を分かち持つ後継の青年を陸続と育てられた。
その積み重ねによって、人材の流れは大河となり、今日の192カ国・地域に広がる創価学会の大発展が築かれたのである。
◇仏教がインドでなぜ滅んだのか
池田先生が範を示されている「後継の人材の育成」こそ、法華経見宝塔品に説かれる「令法久住」を永遠たらしめる要諦である。
その中で釈尊は、「自分はもうすぐ亡くなるので、この法華経を誰かに託したい」「ここに無数の仏が集まったのも、同じく令法久住のためである」と語るのである。
日蓮大聖人は「顕仏未来記」の中で、"仏教発祥の地・インドにはもはや仏法はなく、中国には大乗経がわずかに残るのみで、実態は形骸化している"ことを指摘されている。そして、仏法を持ち、伝えていく人がいないので、あたかも木石の像が法衣を着、鉢を持っているようなもので、なんの役にも立っていない、と述べられている。
池田先生とインドを代表する知性であるロケッシュ・チャンドラ博士との対談集『東洋の哲学を語る』の「なぜ仏教はインドで滅んだか」との一項は、示唆に富んでいる。
「インドでは、仏教は主として哲学的な機能にとどまりました」「仏教自体が限られた一部の上流階級のものになってしまいました」と語るチャンドラ博士。
それを受けて、池田先生は、インドのネルー初代首相の「『人間の生き方』を身をもって説いた釈尊が、人間を超えた"神"のように権威化されたために、仏教は滅んだ」との言葉を紹介し、日蓮大聖人の仏法が、"人間の実生活から遊離した仏教を人間に取り戻すことを教えたもの"であることに言及。創価学会の運動について「釈尊や大聖人の歩いた『人間の道』を受け継ぐものであり、そのために、仏を権威化して人間を手段にしているものとは、徹して戦うのです」と語られている。
人間を離れたところに、仏法の精神が脈打つことはない。いくら経典が残ろうと、現実に、民衆の中に生き、民衆と共に戦う後継の人材を陸続と育てていくことなくして、広宣流布の運動の永続性はないことを、私たちは知らなければ成らない。
さらに、この教学論苑では、未来部を育む同志に感謝、広布のバトンを親から子へ孫へとのタイトルで広布後継の育成に言及されています。
2012年12月19日水曜日
2012.12.19 わが友に贈る
婦人部の奮闘ありて
皆が前進、皆が勝利!
心から感謝合掌。
永遠の福徳に満ちた
太陽の母たち、万歳!
法蓮抄 P1045
『現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』
◇希望の明日へ
どこまでも謙虚な幸福の追求者として、万人と同じように、民衆とともに、真剣に仏道修行していく。だれよりも、福運を積む機会を逃さず、勇み、喜んで行動していく。"もう、これでいい"などと倣らず、"さあ、また福徳を開こう。永遠の幸福の境涯をつくろう"と戦っていく。その"水遠の向上""永遠の闘争"の決心に、仏法の精神が脈動している。
平4・6・11
☆100文字の幸福抄
結婚したら幸せで、
結婚しないと不幸なのか。
決して、そうとは言えない。
急き立てられたり、あせる必要もない。
結婚するかしないか、いくつで結婚するか。
それで、人生が決.まるのではない。
幸福を決めるのは「心」である。
☆教学論苑「たゆまぬ信心」(2012/10/02)
"水の流れるがごとき"前進で揺るがぬ幸福を築こう
「火の信心」ではなく、「水の信心」を心掛けよう−−。草創以来、多くの同志が心に刻んできた学会指導である。
ここでは、池田先生が高知で折々語られた指導をあらためてひもときながら、「たゆまぬ信心」の大切さについて確認したい。
◇「土佐のいごっそう」を激励
1972年 6月20日、約6,000人の同志と共に記念撮影をしてくださった際には、「豊かな常識をたたえて伸び伸びと楽しく信心に励み、信心即生活の実証を、自身、家庭、社会の上に示してほしい。これが"水の信心"である」と「水の信心」の大切さについて教えてくださった。
78年12月、7泊8日にわたった高知指導でも、「高知はこれからも、大聖人が仰せになっておられる"水の流れるがごとき信心"を、一人一人が信念強く貫き、楽しい人生を讃嘆しながら、生き生きとしたご長寿の生涯を送っていただきたい」と「水の信心」を貫くことを強調された。
90年11月、高知で開催された「第1回四国総会」では、"ハマグリの貝殻を手に、大海の水をくみ出そうと日夜励む姿が、諸天をも動かし、やがては大願の成就にもつながった"という大施太子の説話を引用。「信心の大道も、広布の正道も長い。その途上には、さまざまな苦難があることも必定である。しかし、苦難や障害に屈することなく、信心を持続しぬいていただきたい」と語られている。
◇どんな時も求道心を燃やす
「火の信心」「水の信心」という言葉は、日蓮大聖人が、青年門下・南条時光に送られた「上野殿御返事」の次の一節に由来する。
「抑今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・もえたつばかりほもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり、此れはいかなる時も・つねは・たいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるかたうとし。とうとし」(P1544)
大聖人は、法華経の行者を「火のごとく信ずる人」と「水のごとく信ずる人」に分けられ、法義を聞いた時には情熱の炎を燃やすものの、時がたつと信仰心が失われてしまうのが「火のごとく信ずる人」であり、これに対して、常に停滞の心なく実践し続けるのが「水の如く信ずる人」であると教えられている。
ここで「いつも・たいせず」「いかなる時も・つねは・たいせず」との仰せに着目したい。
「水のごとき信心」とは、単なる「信仰の継続」と言う次元だけを指したものではなく、いかなる時、いかなる環境下にあろうとも前に進み続ける、力強い不退の信心を意味していると拝される。
なぜたゆまずに信心に励んでいくことが大切なのか。仏法は常に、仏と魔の戦いであり、胸中の精神闘争であることを振り返れば、その答えの輪郭がおのずと見えてくる。
◇挑戦する中で「仏の境涯」に
仏法は、私たちの生命に、「無明」と「法性」があることを説く。
「悪縁に遇えば迷いと成り善縁に遇えば悟と成る悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり」(P510)と仰せのように、善に縁すれば「法性」と顕れ、悪に縁すれば「無明」と顕れるのである。
この「法性」を顕現させ、「無明」を冥伏させていく実践こそ、私たちの仏道修行にほかならない。
戸田先生はかつてこう指導された。
「たゆまず流れ出る水の信心であれ!溜まり水は動かないから腐ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退転である」
成仏とは、絶え間なき生命練磨の異名にほかならないのだ。そしてそれは、常に法性を表し、無明を冥伏させゆく普段の実践が肝要となることを教えられている。
移ろいやすいのが人の心である。
古今東西、人間は、流転する自身の生命に振り回されて生きてきた。人間社会もまたしかりである。
そうした人間の持つ避けがたき傾向を力強く打ち破るほうとこそ、何ものにもゆるがぬ、たゆみなき「水の信心」なのである。
◇心の師を求め続ける人生を
仏道修行に励めば、それを妨げようとする働きが、さまざまな形で顕れてくる。
そうした「三障四魔」の正体を見抜き、障魔が競い起こった時こそいよいよの信心で乗り越える中に、真の幸福境涯の確立がある。
日蓮大聖人は、池上兄弟に対して「心の師とは・なるとも心を師とはせざれ・・・」と指導されている。
揺れ動く自分の心を基準とするのではなく、「心の師」を求めていかなければならないのである。
池田先生は、「勝利の経典『御書』に学ぶ』の中で、心の師を求めるとは、「御本尊根本」「御書根本」の姿勢であると述べた上で、「『法』と私たちを結びつけるのが、仏法実践の『師匠』の存在です」と教えてくださっている。
(高知総県長 秋山義人)
皆が前進、皆が勝利!
心から感謝合掌。
永遠の福徳に満ちた
太陽の母たち、万歳!
法蓮抄 P1045
『現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』
◇希望の明日へ
どこまでも謙虚な幸福の追求者として、万人と同じように、民衆とともに、真剣に仏道修行していく。だれよりも、福運を積む機会を逃さず、勇み、喜んで行動していく。"もう、これでいい"などと倣らず、"さあ、また福徳を開こう。永遠の幸福の境涯をつくろう"と戦っていく。その"水遠の向上""永遠の闘争"の決心に、仏法の精神が脈動している。
平4・6・11
☆100文字の幸福抄
結婚したら幸せで、
結婚しないと不幸なのか。
決して、そうとは言えない。
急き立てられたり、あせる必要もない。
結婚するかしないか、いくつで結婚するか。
それで、人生が決.まるのではない。
幸福を決めるのは「心」である。
☆教学論苑「たゆまぬ信心」(2012/10/02)
"水の流れるがごとき"前進で揺るがぬ幸福を築こう
「火の信心」ではなく、「水の信心」を心掛けよう−−。草創以来、多くの同志が心に刻んできた学会指導である。
ここでは、池田先生が高知で折々語られた指導をあらためてひもときながら、「たゆまぬ信心」の大切さについて確認したい。
◇「土佐のいごっそう」を激励
1972年 6月20日、約6,000人の同志と共に記念撮影をしてくださった際には、「豊かな常識をたたえて伸び伸びと楽しく信心に励み、信心即生活の実証を、自身、家庭、社会の上に示してほしい。これが"水の信心"である」と「水の信心」の大切さについて教えてくださった。
78年12月、7泊8日にわたった高知指導でも、「高知はこれからも、大聖人が仰せになっておられる"水の流れるがごとき信心"を、一人一人が信念強く貫き、楽しい人生を讃嘆しながら、生き生きとしたご長寿の生涯を送っていただきたい」と「水の信心」を貫くことを強調された。
90年11月、高知で開催された「第1回四国総会」では、"ハマグリの貝殻を手に、大海の水をくみ出そうと日夜励む姿が、諸天をも動かし、やがては大願の成就にもつながった"という大施太子の説話を引用。「信心の大道も、広布の正道も長い。その途上には、さまざまな苦難があることも必定である。しかし、苦難や障害に屈することなく、信心を持続しぬいていただきたい」と語られている。
◇どんな時も求道心を燃やす
「火の信心」「水の信心」という言葉は、日蓮大聖人が、青年門下・南条時光に送られた「上野殿御返事」の次の一節に由来する。
「抑今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・もえたつばかりほもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり、此れはいかなる時も・つねは・たいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるかたうとし。とうとし」(P1544)
大聖人は、法華経の行者を「火のごとく信ずる人」と「水のごとく信ずる人」に分けられ、法義を聞いた時には情熱の炎を燃やすものの、時がたつと信仰心が失われてしまうのが「火のごとく信ずる人」であり、これに対して、常に停滞の心なく実践し続けるのが「水の如く信ずる人」であると教えられている。
ここで「いつも・たいせず」「いかなる時も・つねは・たいせず」との仰せに着目したい。
「水のごとき信心」とは、単なる「信仰の継続」と言う次元だけを指したものではなく、いかなる時、いかなる環境下にあろうとも前に進み続ける、力強い不退の信心を意味していると拝される。
なぜたゆまずに信心に励んでいくことが大切なのか。仏法は常に、仏と魔の戦いであり、胸中の精神闘争であることを振り返れば、その答えの輪郭がおのずと見えてくる。
◇挑戦する中で「仏の境涯」に
仏法は、私たちの生命に、「無明」と「法性」があることを説く。
「悪縁に遇えば迷いと成り善縁に遇えば悟と成る悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり」(P510)と仰せのように、善に縁すれば「法性」と顕れ、悪に縁すれば「無明」と顕れるのである。
この「法性」を顕現させ、「無明」を冥伏させていく実践こそ、私たちの仏道修行にほかならない。
戸田先生はかつてこう指導された。
「たゆまず流れ出る水の信心であれ!溜まり水は動かないから腐ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退転である」
成仏とは、絶え間なき生命練磨の異名にほかならないのだ。そしてそれは、常に法性を表し、無明を冥伏させゆく普段の実践が肝要となることを教えられている。
移ろいやすいのが人の心である。
古今東西、人間は、流転する自身の生命に振り回されて生きてきた。人間社会もまたしかりである。
そうした人間の持つ避けがたき傾向を力強く打ち破るほうとこそ、何ものにもゆるがぬ、たゆみなき「水の信心」なのである。
◇心の師を求め続ける人生を
仏道修行に励めば、それを妨げようとする働きが、さまざまな形で顕れてくる。
そうした「三障四魔」の正体を見抜き、障魔が競い起こった時こそいよいよの信心で乗り越える中に、真の幸福境涯の確立がある。
日蓮大聖人は、池上兄弟に対して「心の師とは・なるとも心を師とはせざれ・・・」と指導されている。
揺れ動く自分の心を基準とするのではなく、「心の師」を求めていかなければならないのである。
池田先生は、「勝利の経典『御書』に学ぶ』の中で、心の師を求めるとは、「御本尊根本」「御書根本」の姿勢であると述べた上で、「『法』と私たちを結びつけるのが、仏法実践の『師匠』の存在です」と教えてくださっている。
(高知総県長 秋山義人)
2012年12月18日火曜日
2012.12.18 わが友に贈る
青年の熱と力で
広宣流布は大躍進!
本当にありがとう!
皆が新しい決意で
新しい未来へ出発!
佐渡御書 P960
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし』
◇希望の明日へ
信心は何のためにするのか。それは一人残らず幸福になるためである。広布の組織も、そのためにある。この妙法を持ちきった人は、絶対に不幸にはならない。その確信の一念が大切である。大確信が大福運を開いていく。
平4・2・2
☆100文字の幸福抄
結婚を「ゴールイン」というのは
必ずしも適切ではないと思う。
むしろ結婚は新しい「スタート」と
考えてはどうだろうか。
夫は、妻と家庭に対する責任、
妻は、夫と家庭に対する責任を
それぞれ背負ったレースといえる。
☆教学論苑「広宣流布の大願」(2112/10/23)
「我いま仏の 旨をうけ 妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ 味方は少なし 敵多し」
1972年(昭和47年)9月7日、霧島の九州研修道場で、池田先生と友にキャンプファイアを囲みながら「同志の歌」を歌った日のことが忘れられない。とりわけ、「妙法流布の大願」との一節を思い起こすたびに、「戸田先生、池田先生の師弟の陣列に連なって、不惜身命で広布に生きる決意を新たにしてきた。
ここでは、法華経化城喩品に説かれる「師弟の因縁」を通して、師と共に広宣流布の大願に生き抜くことこそ無上の人生であることを確認したい。
"「救われる人」から「救う人」へ 師弟共戦の中に自他共の幸福が"
◇「在在諸仏土常与師倶生」
「師弟の因縁」について、化城喩品第7には次のように説かれている。
−−三千塵点劫もの昔、私(釈尊)は大通智勝仏という仏の16番目の王子として活動していた。仏と同じく法華経の教えを広め、民衆を救ってきた。今、私の教えを聞いているあなた方は、遠い過去に私と因縁を結んできたのである−−。
声聞たちは「在在諸仏土常与師倶生」との教えを聞くことで、"三世にわたって、師匠である釈尊と共に戦う使命があるのだ"という「師弟の因縁」を知ることができたのである。
日蓮大聖人は、佐渡の地で弟子となった最蓮房にあてたお手紙の中で次のように綴られている。
「過去の宿縁追い来たって今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ」(P1338)
大聖人と最蓮房の過去からの宿縁の深さについて述べた上で、「在在諸仏土常与師倶生」の文を引用し、三世に及ぶ師弟の強い絆を強調されたのだ。
曽谷殿や秋元殿に送られたお手紙の中でも、大聖人はこの一節を引用して、門下の心に希望の明かりをともしておられる。
今世で師と共に妙法流布に生きる人生がどれほど尊いものなのか。
「師壇となる事は三世の契り」(P1070)ーー三世にわたって師と共に戦うことのできる使命の大きさと歓喜があらためて胸に迫ってくる。
◇思い起こした「深心の本願」
法華経化城喩品で「師弟の因縁」を知った声聞たちの歓喜はいかばかりであったであろう。続く五百弟子受記品第8で「唯だ仏世尊のみ能く我れ等が深心の本願を知ろしめせり」と述べるのである。
この「深心の本願(最も深い過去世からの願い)」について、池田先生は次のように語られている。
「法華経では、声聞たちが無量の過去から、『無上の悟りを得たい』『一切衆生を救いたい』という『深心の本願』を持っていたことが明かされます。いわば、声聞たちは、はるかな過去世以来の大願を思い起こすことで、師と同じ菩薩の修行をしていた自分を"発見"し、"自覚"するのです」
"一切衆生の救済"という「深心の大願」を思い起こさせてくれるーー。仏法の実践において師匠の存在が大切である理由がここにあり、師と共に妙法流布の戦いに立ち上がる中に真の弟子の道があるのだ。
法華経に説かれる「戦う師弟の精神」を現代によみがえらせたのが、創価学会である。
「創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の「獄中の悟達」にある。法華経に説かれた『在在諸仏土常与師倶生』の文を生命で読んだ戸田の、『われ地涌の菩薩なり』との悟達こそが、学会の魂である」(小説『新・人間革命』第22巻・新世紀の章)
創価三代の師弟に連なる「弟子の道」こそ、成仏の直道にほかならないのだ。
◇自身の宿命が使命に変わる
自分の悩みの克服のみを願う人生から、自他共の幸福の実現のために戦う人生へ。民衆の救済という大願に目覚めたとき、自らがおかれている境遇や取り巻く環境の意味も大きく変わってくる。
「衆に三毒有りと示し 又た邪見の相を現ず 我が弟子は是の如く 方便も衆生を度す」(法華経)
釈尊自身が声聞に対して「自ら貧・瞋・癡の三毒に侵されている姿を示すのも、邪見にとらわれている姿を現すもの全て人々を救うための方便である」と教えているのだ。
『法華経の智慧』で先生は「勝つために自分があえてつくった苦悩なのだから、勝てないわけがない。負けるはずがないのです。『大願』を自覚すれば、つまり『我、本来仏なり』と自覚すれば、自身の宿命すら使命に変わるのです。多くの人々と同じように『悩める民衆』の姿で生まれ、どこまでも『民衆と友に』幸福になっていくーーそれが私どもの使命のドラマなのです」と述べられている。
何の苦悩も葛藤もない平穏な日々を送っているだけでは、人間的な成長は望めない。友の心の痛みの分かる人になることもない。
現実社会の中で苦労を重ねた分だけ境涯が広がり、苦しむ友の心に寄り添い、同苦し、一緒に立ち上がって行ける。草創以来、自身の使命に目覚めた多くの学会員が「人間革命」の挑戦の中でこのことを実感してきた。
◇御本仏の精神をよみがえらせる
日蓮大聖人は、門下に対して「願わくば我が弟子等・大願ををこせ(中略)をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」(P1561)と叫ばれた。
法華経に説かれている「民衆救済の大願」に生き抜けば、「つゆ」や「ちり」が「大海」「大地」と一体化するように、私たち一人一人も、永遠に朽ちることのない仏の境涯を開くことができるのだ。
この御本仏の民衆救済の精神を現代によみがえらせたのが、創価3代会長であり、師と共に広宣流布に戦ってきた無数の創価学会員であることはいうまでもない。
池田先生はかつて詩「青年の譜」でこう綴ってくださった。
「われには われのみの使命がある 君にも 君でなければ 出来ない使命がある」
師匠は教えてくださっている。「全ての人に、その人にしかない使命がある」ことを。
総本部完成の明2013年は、鹿児島の同志にとって、牧口先生の初来訪75周年、池田先生の初来訪55周年の佳節でもある。師と共に戦うことが出来る使命を自覚した全同志と共に広宣流布に邁進し、圧倒的な拡大の結果をもって、「青年学会 勝利の年」を荘厳する決意である。
(鹿児島総県総合長 松元耕一郎副会長)
広宣流布は大躍進!
本当にありがとう!
皆が新しい決意で
新しい未来へ出発!
佐渡御書 P960
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし』
◇希望の明日へ
信心は何のためにするのか。それは一人残らず幸福になるためである。広布の組織も、そのためにある。この妙法を持ちきった人は、絶対に不幸にはならない。その確信の一念が大切である。大確信が大福運を開いていく。
平4・2・2
☆100文字の幸福抄
結婚を「ゴールイン」というのは
必ずしも適切ではないと思う。
むしろ結婚は新しい「スタート」と
考えてはどうだろうか。
夫は、妻と家庭に対する責任、
妻は、夫と家庭に対する責任を
それぞれ背負ったレースといえる。
☆教学論苑「広宣流布の大願」(2112/10/23)
「我いま仏の 旨をうけ 妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ 味方は少なし 敵多し」
1972年(昭和47年)9月7日、霧島の九州研修道場で、池田先生と友にキャンプファイアを囲みながら「同志の歌」を歌った日のことが忘れられない。とりわけ、「妙法流布の大願」との一節を思い起こすたびに、「戸田先生、池田先生の師弟の陣列に連なって、不惜身命で広布に生きる決意を新たにしてきた。
ここでは、法華経化城喩品に説かれる「師弟の因縁」を通して、師と共に広宣流布の大願に生き抜くことこそ無上の人生であることを確認したい。
"「救われる人」から「救う人」へ 師弟共戦の中に自他共の幸福が"
◇「在在諸仏土常与師倶生」
「師弟の因縁」について、化城喩品第7には次のように説かれている。
−−三千塵点劫もの昔、私(釈尊)は大通智勝仏という仏の16番目の王子として活動していた。仏と同じく法華経の教えを広め、民衆を救ってきた。今、私の教えを聞いているあなた方は、遠い過去に私と因縁を結んできたのである−−。
声聞たちは「在在諸仏土常与師倶生」との教えを聞くことで、"三世にわたって、師匠である釈尊と共に戦う使命があるのだ"という「師弟の因縁」を知ることができたのである。
日蓮大聖人は、佐渡の地で弟子となった最蓮房にあてたお手紙の中で次のように綴られている。
「過去の宿縁追い来たって今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ」(P1338)
大聖人と最蓮房の過去からの宿縁の深さについて述べた上で、「在在諸仏土常与師倶生」の文を引用し、三世に及ぶ師弟の強い絆を強調されたのだ。
曽谷殿や秋元殿に送られたお手紙の中でも、大聖人はこの一節を引用して、門下の心に希望の明かりをともしておられる。
今世で師と共に妙法流布に生きる人生がどれほど尊いものなのか。
「師壇となる事は三世の契り」(P1070)ーー三世にわたって師と共に戦うことのできる使命の大きさと歓喜があらためて胸に迫ってくる。
◇思い起こした「深心の本願」
法華経化城喩品で「師弟の因縁」を知った声聞たちの歓喜はいかばかりであったであろう。続く五百弟子受記品第8で「唯だ仏世尊のみ能く我れ等が深心の本願を知ろしめせり」と述べるのである。
この「深心の本願(最も深い過去世からの願い)」について、池田先生は次のように語られている。
「法華経では、声聞たちが無量の過去から、『無上の悟りを得たい』『一切衆生を救いたい』という『深心の本願』を持っていたことが明かされます。いわば、声聞たちは、はるかな過去世以来の大願を思い起こすことで、師と同じ菩薩の修行をしていた自分を"発見"し、"自覚"するのです」
"一切衆生の救済"という「深心の大願」を思い起こさせてくれるーー。仏法の実践において師匠の存在が大切である理由がここにあり、師と共に妙法流布の戦いに立ち上がる中に真の弟子の道があるのだ。
法華経に説かれる「戦う師弟の精神」を現代によみがえらせたのが、創価学会である。
「創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の「獄中の悟達」にある。法華経に説かれた『在在諸仏土常与師倶生』の文を生命で読んだ戸田の、『われ地涌の菩薩なり』との悟達こそが、学会の魂である」(小説『新・人間革命』第22巻・新世紀の章)
創価三代の師弟に連なる「弟子の道」こそ、成仏の直道にほかならないのだ。
◇自身の宿命が使命に変わる
自分の悩みの克服のみを願う人生から、自他共の幸福の実現のために戦う人生へ。民衆の救済という大願に目覚めたとき、自らがおかれている境遇や取り巻く環境の意味も大きく変わってくる。
「衆に三毒有りと示し 又た邪見の相を現ず 我が弟子は是の如く 方便も衆生を度す」(法華経)
釈尊自身が声聞に対して「自ら貧・瞋・癡の三毒に侵されている姿を示すのも、邪見にとらわれている姿を現すもの全て人々を救うための方便である」と教えているのだ。
『法華経の智慧』で先生は「勝つために自分があえてつくった苦悩なのだから、勝てないわけがない。負けるはずがないのです。『大願』を自覚すれば、つまり『我、本来仏なり』と自覚すれば、自身の宿命すら使命に変わるのです。多くの人々と同じように『悩める民衆』の姿で生まれ、どこまでも『民衆と友に』幸福になっていくーーそれが私どもの使命のドラマなのです」と述べられている。
何の苦悩も葛藤もない平穏な日々を送っているだけでは、人間的な成長は望めない。友の心の痛みの分かる人になることもない。
現実社会の中で苦労を重ねた分だけ境涯が広がり、苦しむ友の心に寄り添い、同苦し、一緒に立ち上がって行ける。草創以来、自身の使命に目覚めた多くの学会員が「人間革命」の挑戦の中でこのことを実感してきた。
◇御本仏の精神をよみがえらせる
日蓮大聖人は、門下に対して「願わくば我が弟子等・大願ををこせ(中略)をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」(P1561)と叫ばれた。
法華経に説かれている「民衆救済の大願」に生き抜けば、「つゆ」や「ちり」が「大海」「大地」と一体化するように、私たち一人一人も、永遠に朽ちることのない仏の境涯を開くことができるのだ。
この御本仏の民衆救済の精神を現代によみがえらせたのが、創価3代会長であり、師と共に広宣流布に戦ってきた無数の創価学会員であることはいうまでもない。
池田先生はかつて詩「青年の譜」でこう綴ってくださった。
「われには われのみの使命がある 君にも 君でなければ 出来ない使命がある」
師匠は教えてくださっている。「全ての人に、その人にしかない使命がある」ことを。
総本部完成の明2013年は、鹿児島の同志にとって、牧口先生の初来訪75周年、池田先生の初来訪55周年の佳節でもある。師と共に戦うことが出来る使命を自覚した全同志と共に広宣流布に邁進し、圧倒的な拡大の結果をもって、「青年学会 勝利の年」を荘厳する決意である。
(鹿児島総県総合長 松元耕一郎副会長)
2012年12月17日月曜日
2012.12.17 わが友に贈る
轟く正義の勝鬨!
広布新時代の
栄光の旭日は昇った!
我らのスクラムは
社会の希望の柱なり!
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
◇今週のことば
尊き大勝利、万歳!
偉大な同志の奮闘は
大聖人が御照覧なり。
無量の「心の財」を胸に
誇りも高く新たな年を!
2012年12月17日
◇希望の明日へ
勇気と決断なくして、目標の達成はない。喜びも幸福もない。人は、使命を果たすことによって幸福になることができる。
『主婦と生活』平4・1月号
☆100文字の幸福抄
恋愛は、ある意味で
「ブレーキのない車」に
乗ってしまうような面がある。
だから女性は毅然としていなければならない。
女性には自分を守る権利がある。
その気持ちがわからない男性であれば、
相手にする価値もない。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.044 烈々たる祈りと勇気と勢いで
毎日、わが友の奮闘を聞くたびに、私の胸は熱くなる。
広宣流布の戦いは、皆が幸福になるための戦いだ。
『いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし』(P1090)
この御聖訓のままに進むのだ。負けじ魂を燃やして!
戸田先生は人生に勝つ急所を、こう教えてくださった。
「自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。
要は自分だ」と。
人ではない。自分が壁を破るのだ。断じて悔いを残してはならない。
戦いにあって最も大事なことは、人の心をつかむことである。
人の心を動かし、とらえるものは、策でもなければ、技術でもない。ただ誠実と熱意によるのである。
いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!──この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開くのだ。
縁する全ての友、そして、一緒に戦う同志の幸福を祈り抜き、尽くし抜いていく。それが創価のリーダーだ。
わが友が、一生涯、幸福な人生を歩めるように──私はいつも、そういう思いで、祈りに祈り、励ましてきた。
皆が最高の信心の思い出を刻める前進であっていただきたい。
団結こそ勝利である。
どこまでも、心を合わせ、祈りを合わせて、仲良く進むのだ。
皆、素晴らしい人生を!
共に勝利の万歳を!
後世の人から讃えられる金字塔を!
◎公明党大勝利、おめでとうございます!
広布新時代の
栄光の旭日は昇った!
我らのスクラムは
社会の希望の柱なり!
種種物御消息 P1549
『其の上雨ふりかぜふき人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ』
◇今週のことば
尊き大勝利、万歳!
偉大な同志の奮闘は
大聖人が御照覧なり。
無量の「心の財」を胸に
誇りも高く新たな年を!
2012年12月17日
◇希望の明日へ
勇気と決断なくして、目標の達成はない。喜びも幸福もない。人は、使命を果たすことによって幸福になることができる。
『主婦と生活』平4・1月号
☆100文字の幸福抄
恋愛は、ある意味で
「ブレーキのない車」に
乗ってしまうような面がある。
だから女性は毅然としていなければならない。
女性には自分を守る権利がある。
その気持ちがわからない男性であれば、
相手にする価値もない。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.044 烈々たる祈りと勇気と勢いで
毎日、わが友の奮闘を聞くたびに、私の胸は熱くなる。
広宣流布の戦いは、皆が幸福になるための戦いだ。
『いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし』(P1090)
この御聖訓のままに進むのだ。負けじ魂を燃やして!
戸田先生は人生に勝つ急所を、こう教えてくださった。
「自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。
要は自分だ」と。
人ではない。自分が壁を破るのだ。断じて悔いを残してはならない。
戦いにあって最も大事なことは、人の心をつかむことである。
人の心を動かし、とらえるものは、策でもなければ、技術でもない。ただ誠実と熱意によるのである。
いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!──この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開くのだ。
縁する全ての友、そして、一緒に戦う同志の幸福を祈り抜き、尽くし抜いていく。それが創価のリーダーだ。
わが友が、一生涯、幸福な人生を歩めるように──私はいつも、そういう思いで、祈りに祈り、励ましてきた。
皆が最高の信心の思い出を刻める前進であっていただきたい。
団結こそ勝利である。
どこまでも、心を合わせ、祈りを合わせて、仲良く進むのだ。
皆、素晴らしい人生を!
共に勝利の万歳を!
後世の人から讃えられる金字塔を!
◎公明党大勝利、おめでとうございます!
2012年12月16日日曜日
2012.12.16 わが友に贈る
我らの大願は
全人類の幸福!
その主役は民衆だ!
大いなる理想へ
勇気と執念の祈り強く!
佐渡御書 P959
『今謗法の酔さめて見れば酒に酔る者父母を打て悦しが酔さめて後歎しが如し歎けども甲斐なし此罪消がたし、何に況や過去の謗法の心中にそみけんをや』
◇希望の明日へ
信心の世界にあっては、祈れば祈った分だけ、動けば動いた分だけ、語れば語った分だけ、「因果の理法」で、すべて自身の福徳となる。自分の境涯をかぎりなく広げていく。自分自身の幸福の軌道を固めていく。信心の世界には、まったく"無駄"がない。
平4・1・12
☆100文字の幸福抄
恋愛によって、一人の人を愛することができ、
その愛情が真実であるならば、
生涯の苦楽を共にする
結婚への道を進むことが、
至当であるといえよう。
恋愛は、幸福な結婚への真実をためす
試練の行為と考えていきたい。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.044 烈々たる祈りと勇気と勢いで
毎日、わが友の奮闘を聞くたびに、私の胸は熱くなる。
広宣流布の戦いは、皆が幸福になるための戦いだ。
『いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし』(P1090)
この御聖訓のままに進むのだ。負けじ魂を燃やして!
戸田先生は人生に勝つ急所を、こう教えてくださった。
「自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。
要は自分だ」と。
人ではない。自分が壁を破るのだ。断じて悔いを残してはならない。
戦いにあって最も大事なことは、人の心をつかむことである。
人の心を動かし、とらえるものは、策でもなければ、技術でもない。ただ誠実と熱意によるのである。
いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!──この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開くのだ。
縁する全ての友、そして、一緒に戦う同志の幸福を祈り抜き、尽くし抜いていく。それが創価のリーダーだ。
わが友が、一生涯、幸福な人生を歩めるように──私はいつも、そういう思いで、祈りに祈り、励ましてきた。
皆が最高の信心の思い出を刻める前進であっていただきたい。
団結こそ勝利である。
どこまでも、心を合わせ、祈りを合わせて、仲良く進むのだ。
皆、素晴らしい人生を!
共に勝利の万歳を!
後世の人から讃えられる金字塔を!
◎きょう一日、頑張りましょう!(^^)!
全人類の幸福!
その主役は民衆だ!
大いなる理想へ
勇気と執念の祈り強く!
佐渡御書 P959
『今謗法の酔さめて見れば酒に酔る者父母を打て悦しが酔さめて後歎しが如し歎けども甲斐なし此罪消がたし、何に況や過去の謗法の心中にそみけんをや』
◇希望の明日へ
信心の世界にあっては、祈れば祈った分だけ、動けば動いた分だけ、語れば語った分だけ、「因果の理法」で、すべて自身の福徳となる。自分の境涯をかぎりなく広げていく。自分自身の幸福の軌道を固めていく。信心の世界には、まったく"無駄"がない。
平4・1・12
☆100文字の幸福抄
恋愛によって、一人の人を愛することができ、
その愛情が真実であるならば、
生涯の苦楽を共にする
結婚への道を進むことが、
至当であるといえよう。
恋愛は、幸福な結婚への真実をためす
試練の行為と考えていきたい。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.044 烈々たる祈りと勇気と勢いで
毎日、わが友の奮闘を聞くたびに、私の胸は熱くなる。
広宣流布の戦いは、皆が幸福になるための戦いだ。
『いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし』(P1090)
この御聖訓のままに進むのだ。負けじ魂を燃やして!
戸田先生は人生に勝つ急所を、こう教えてくださった。
「自分が変わり、自分が成長し、自分が責任を持てば、一切に勝利できるのだ。
要は自分だ」と。
人ではない。自分が壁を破るのだ。断じて悔いを残してはならない。
戦いにあって最も大事なことは、人の心をつかむことである。
人の心を動かし、とらえるものは、策でもなければ、技術でもない。ただ誠実と熱意によるのである。
いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!──この烈々たる祈りと勇気と勢いで、栄光の歴史を開くのだ。
縁する全ての友、そして、一緒に戦う同志の幸福を祈り抜き、尽くし抜いていく。それが創価のリーダーだ。
わが友が、一生涯、幸福な人生を歩めるように──私はいつも、そういう思いで、祈りに祈り、励ましてきた。
皆が最高の信心の思い出を刻める前進であっていただきたい。
団結こそ勝利である。
どこまでも、心を合わせ、祈りを合わせて、仲良く進むのだ。
皆、素晴らしい人生を!
共に勝利の万歳を!
後世の人から讃えられる金字塔を!
◎きょう一日、頑張りましょう!(^^)!
2012.12.15 わが友に贈る
朝の決意が
一日を決める!
きょうの行動が
永遠の思い出を創る!
わが使命を果たせ!
諸法実相抄 P1360
『ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり』
◇希望の明日へ
「喜び」−−何があっても楽しく。
「節度」−−いつも良識を基準に。
「平静」−−焦らず、くよくよせず、堂々と落ち着いて生きる。
そうすれば、いつも健康でいられる。これは人生の幸福の条件ともいえよう。何かあるとすぐに動揺し、疑い、悲しむ。そうした弱さが、せっかくの幸福を自分で壊してしまう。何かあったから不幸なのではない。それに負けるか、より幸福になるチャンスにするか、自分しだいである。
平3・5・25
☆100文字の幸福抄
素晴らしい恋愛は、
誠実で成熟した
「自立した個人」の間にこそ生まれる。
だからこそ
自分を磨くことが大切なのだ。
本当の愛情は、もたれ合いではない。
本当の恋愛をするなら、
本気で自分をつくるのだ。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.043 全員が勝利の王者に
北風に胸張り、新たな歴史を開きゆく、勇敢なる日々の挑戦、本当にありがとう!
私の心には、いつも恩師の慈顔がある。あの豪放磊落な戸田先生の声が響く。
「大作、戦いは、いよいよ、これからだ!
楽しく、また断固として、一緒に戦おうじやないか!」
「途中に何かあろうが、最後に勝て! 断じて勝て! 最後に勝てば、全部、勝利なのだ」
一緒に広宣流布のために戦おう! 全員が勝利の王者となり、幸福の女王となって、この人生を生き抜こう!。
決意は力なり。
決意は栄光なり。
人生と社会の舞台で、勝つために、大事なのは「気迫」だ。その「気迫」は、祈って御本尊からいただくのだ。
御聖訓には仰せである。
『おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も臆する心を起こしてはならない』(P910、通解)
ピンチの時こそ、心が負けないことである。
偉くなる人間は、いろいろな経験をして、それを乗り越えて偉大になるのだ。
過去は過去だ。後ろは振り向かずに、前を見るのだ。
戦いは、戦い切れば、勝ちだ。その人が勝ったのだ。
幸せな人生とは何か。
それは、使命に生きることだ。広宣流布という永遠の法則に則って生きることだ。どんな時も、信念と朗らかさを持って生きることである。
妙法の人に悲嘆などない。強い心で、明るく進むのだ。
わが友よ、悪戦苦闘を突き抜けて、信心の力で勝利を!
栄光の創価の大道を、晴れ晴れと歩みゆけ!
一日を決める!
きょうの行動が
永遠の思い出を創る!
わが使命を果たせ!
諸法実相抄 P1360
『ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり』
◇希望の明日へ
「喜び」−−何があっても楽しく。
「節度」−−いつも良識を基準に。
「平静」−−焦らず、くよくよせず、堂々と落ち着いて生きる。
そうすれば、いつも健康でいられる。これは人生の幸福の条件ともいえよう。何かあるとすぐに動揺し、疑い、悲しむ。そうした弱さが、せっかくの幸福を自分で壊してしまう。何かあったから不幸なのではない。それに負けるか、より幸福になるチャンスにするか、自分しだいである。
平3・5・25
☆100文字の幸福抄
素晴らしい恋愛は、
誠実で成熟した
「自立した個人」の間にこそ生まれる。
だからこそ
自分を磨くことが大切なのだ。
本当の愛情は、もたれ合いではない。
本当の恋愛をするなら、
本気で自分をつくるのだ。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.043 全員が勝利の王者に
北風に胸張り、新たな歴史を開きゆく、勇敢なる日々の挑戦、本当にありがとう!
私の心には、いつも恩師の慈顔がある。あの豪放磊落な戸田先生の声が響く。
「大作、戦いは、いよいよ、これからだ!
楽しく、また断固として、一緒に戦おうじやないか!」
「途中に何かあろうが、最後に勝て! 断じて勝て! 最後に勝てば、全部、勝利なのだ」
一緒に広宣流布のために戦おう! 全員が勝利の王者となり、幸福の女王となって、この人生を生き抜こう!。
決意は力なり。
決意は栄光なり。
人生と社会の舞台で、勝つために、大事なのは「気迫」だ。その「気迫」は、祈って御本尊からいただくのだ。
御聖訓には仰せである。
『おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も臆する心を起こしてはならない』(P910、通解)
ピンチの時こそ、心が負けないことである。
偉くなる人間は、いろいろな経験をして、それを乗り越えて偉大になるのだ。
過去は過去だ。後ろは振り向かずに、前を見るのだ。
戦いは、戦い切れば、勝ちだ。その人が勝ったのだ。
幸せな人生とは何か。
それは、使命に生きることだ。広宣流布という永遠の法則に則って生きることだ。どんな時も、信念と朗らかさを持って生きることである。
妙法の人に悲嘆などない。強い心で、明るく進むのだ。
わが友よ、悪戦苦闘を突き抜けて、信心の力で勝利を!
栄光の創価の大道を、晴れ晴れと歩みゆけ!
2012.12.14 わが友に贈る
勇気ある信心こそ
沖縄健児の魂!
真実の楽土建設へ
大誠実で語り抜け!
大情熱で舞いに舞え!
弟子檀那中への御状 P177
『定めて日蓮が弟子檀那流罪死罪一定ならん少しも之を驚くこと莫れ方方への強言申すに及ばず是併ながら而強毒之の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候、各各用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え』
◇希望の明日へ
人生は劇である。劇には喜劇と悲劇がある。その定義は、どう違うのか。それは、いたって明快である。"結末が幸福なら喜劇、結末が不幸なら悲劇"と。大変わかりやすい。途中は関係ないのである。人生もまた、結末いかんで悲劇にもなれば、喜劇にもなる。人生の途中の姿だけを見て、うらやましがったり、反対にバカにしたりする。それでは、人生の真実はわからない。たとえ途中が、良いように見えても、最後にどうなるかはわからない。その"最終の勝利"のための信仰である。
平3・3・9
☆100文字の幸福抄
自身のなかに眠っているものを、
触発し、磨き顕してくれる
「出会い」をもてるかどうかが、
人生にあって重大な意味をもつ。
よき「出会い」を重ねていく人こそ、
最高の人生の輝きを獲得できる
幸福博士である。
☆我らの勝利の大道No.091 広布大願に走る
◇立ち向かう底力を
先日も、東日本大震災で被災され、福島県から茨城県に避難されているご夫妻の活躍を、妻と伺った。
先の見えない現実がある。その言うに言われぬ思いを笑顔で包み、「自分のできることから」と、近所の草むしりやゴミ拾い等を続けてこられた。避難生活の中で信頼と友好を広げることは容易ではない。だが、夫妻は今日も、近隣の方と挨拶を交わし、地道に対話を重ねながら、今住む地域の同志と前進されている。
この健気な友を見よ。
この麗しき家族を見よ。
大震災に屈しない、この東北健児の底力を見よ!
「大震災に立ち向かう姿を見せることが使命だと思って、頑張っています」と夫妻は語られる。草むしりで泥のついた、その手のひらを私は固く握り、讃嘆して差し上げたいのだ。
日本全国、全世界、我ら戦う同志の心は、いつも、つながっている。この最極の人間の絆がある限り、断じて負けることはない。
ルネサンス時代の万能の巨人レオナルド・ダ・ビンチは叫んだ。
「困難なにものぞ。努力の前には如何なる困難もなし」
わが愛する「創価ルネサンス」の旗手だちよ、どんな困難も恐れるな!
我らには「勇猛精進」の努力がある。最強無敵の「法華経の兵法」がある。
『日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』(P1463)
この御金言通りに、我らは勇気と団結の「黄金の心」で戦う!
そして、共々に、永遠に不滅の「正義の師弟城」を勝ち築こうではないか!
団結の
創価の同志は
輝きて
勝利の歴史を
三世に残せや
沖縄健児の魂!
真実の楽土建設へ
大誠実で語り抜け!
大情熱で舞いに舞え!
弟子檀那中への御状 P177
『定めて日蓮が弟子檀那流罪死罪一定ならん少しも之を驚くこと莫れ方方への強言申すに及ばず是併ながら而強毒之の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候、各各用心有る可し少しも妻子眷属を憶うこと莫れ権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え』
◇希望の明日へ
人生は劇である。劇には喜劇と悲劇がある。その定義は、どう違うのか。それは、いたって明快である。"結末が幸福なら喜劇、結末が不幸なら悲劇"と。大変わかりやすい。途中は関係ないのである。人生もまた、結末いかんで悲劇にもなれば、喜劇にもなる。人生の途中の姿だけを見て、うらやましがったり、反対にバカにしたりする。それでは、人生の真実はわからない。たとえ途中が、良いように見えても、最後にどうなるかはわからない。その"最終の勝利"のための信仰である。
平3・3・9
☆100文字の幸福抄
自身のなかに眠っているものを、
触発し、磨き顕してくれる
「出会い」をもてるかどうかが、
人生にあって重大な意味をもつ。
よき「出会い」を重ねていく人こそ、
最高の人生の輝きを獲得できる
幸福博士である。
☆我らの勝利の大道No.091 広布大願に走る
◇立ち向かう底力を
先日も、東日本大震災で被災され、福島県から茨城県に避難されているご夫妻の活躍を、妻と伺った。
先の見えない現実がある。その言うに言われぬ思いを笑顔で包み、「自分のできることから」と、近所の草むしりやゴミ拾い等を続けてこられた。避難生活の中で信頼と友好を広げることは容易ではない。だが、夫妻は今日も、近隣の方と挨拶を交わし、地道に対話を重ねながら、今住む地域の同志と前進されている。
この健気な友を見よ。
この麗しき家族を見よ。
大震災に屈しない、この東北健児の底力を見よ!
「大震災に立ち向かう姿を見せることが使命だと思って、頑張っています」と夫妻は語られる。草むしりで泥のついた、その手のひらを私は固く握り、讃嘆して差し上げたいのだ。
日本全国、全世界、我ら戦う同志の心は、いつも、つながっている。この最極の人間の絆がある限り、断じて負けることはない。
ルネサンス時代の万能の巨人レオナルド・ダ・ビンチは叫んだ。
「困難なにものぞ。努力の前には如何なる困難もなし」
わが愛する「創価ルネサンス」の旗手だちよ、どんな困難も恐れるな!
我らには「勇猛精進」の努力がある。最強無敵の「法華経の兵法」がある。
『日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』(P1463)
この御金言通りに、我らは勇気と団結の「黄金の心」で戦う!
そして、共々に、永遠に不滅の「正義の師弟城」を勝ち築こうではないか!
団結の
創価の同志は
輝きて
勝利の歴史を
三世に残せや
2012年12月13日木曜日
2012.12.13 わが友に贈る
さあ挑戦だ!
青春の大闘争を
痛快に勝ち飾れ!
広宣流布の一切は
わが青年部に託す!
御講聞書 P833
『法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり』
◇希望の明日へ
"悪戦苦闘"がなく、何の難も労苦もない人生。確かに、それは楽に思われる。しかし、ちょうど、外気にも触れず皮膚を鍛えていない赤ん坊が、病弱な子どもに育ってしまうように、鍛えのない人生、鍛えのない心に甘んじていては、本当の幸福をつかめるはずがない。幸福は、何ものをも堂々と乗り越えていける確固たる自分自身の胸中にあるからだ。その意味で、むしろ、何かで苦労を重ね、自分を鍛えていけること自体、幸せなことなのである。
平3・3・4
☆100文字の幸福抄
この人生、友情をこそ、私は信ずる。
友情をこそ、誇りとする。
相手を人間として、
心から「好きだ」という感情は、
いわば魂と魂の交響であり、
人間性の精髄に通じる。
そこには他の何ものも介在する余地がない。
☆我らの勝利の大道No.091 広布大願に走る
◇なぜ挑戦が大切か
「七十五万世帯」を達成した弟子に、戸田先生は、新たな目標として「三百万世帯」と宣言された。
なぜ、現実社会の真っ直中で、労を惜しまず「広宣流布」「立正安国」の挑戦を続けるのか。
その意義を、恩師は故郷の北海道の同志に語ってくださったことがある。
第一に、地域と社会への貢献を果たしながら、多くの人びとと仏縁を結んで、自他共に功徳を広げていくことができる。
第二に、戦いを通して組織の隅々まで力を痩らせ、異体同心のスクラムを強くすることができる。
第三に、目標に向かい、一人ひとりが「自分らしく悔いなく戦い切った」と御本尊に報告できる清々しい歴史を残し、勝利の喜びをつかめる。
使命の激戦を一つ一つ、勝ち越えながら、わが同志が「功徳」と「和楽」と「歓喜」の実証を、いやまして仲良く賢く、朗らかに開いていくことが、先生の願いであられたのだ。
師の遺訓となった三百万世帯の夢は、弟子の報恩の奔走、そして青年の果敢なる突破力によって、わずか五年にして達成された。
五十年前の昭和三十七年(一九六二年)の十一月であった。
半世紀を経て、今や学会は「三類の強敵」の一切の大難を勝ち越え、栄光輝く「民衆勝利の大城」と聳え立った。後継の地涌の青年は澎湃と躍り出て、「一閻浮提広布」の未来を洋々と展望する時代を迎えた。
どんなに、日蓮大聖人が、また戸田先生が喜ばれていることか。
◇一人残らず幸福に
大聖人が『日本六十六箇国・二つの島』『国国・郡郡・郷郷・里里・村村』などと表現された御文がある(P1331)。
日本列島の隅々まで広大な御境涯に包まれながら、庶民が暮らす小さな地域共同体にも目を注がれていたといえようか。
さらに『五畿(山城・大和・河内・和泉・摂津)・七道(東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海)・郡は五百八十六・郷は三千七百二十九』(P1072)とも記されている。
人口についても『男は十九億九万四千八百二十八人・女は二十九億九万四千八百二十人』、合わせて『四十九億八万九千六百五十八人』等と詳細に書き留められている。
ここでの「億」は、今と違って「十万」に当たる。大聖人は、当時の日本の全人口を約五百万人と見ておられたことになる。
私か感動するのは、大聖人が地域や人口を「一桁」の数まで掌握され、胸中に収められていることだ。
そこに、「どんな小さな村々も残らず安穏にしていくのだ」「一人も残らず幸福にしていくのだ」との執念とも思える甚深のお心が拝されてならない。
わが学会の最優秀の統監部の皆様方の人知れぬ奮闘も、この大聖人の御精神に真っ直ぐ連なっている。
ともあれ、どれほど広宣流布が拡大しても、一番大事なのは、それぞれの地域で懸命に生き抜く庶民であり、その「一人」である。
そして、北海道、東北、関東、東京、東海道、信越、北陸、中部、関西、中国、四国、九州、沖縄──どの方面、どの地域も、大切な大切な広布の舞台である。
大聖人のお心のままに、私たちは徹して「一人」に光を当て、共に対話し、共に励まし合い、すべての地域が共に栄える、よりよき社会を建設していくのだ。
青春の大闘争を
痛快に勝ち飾れ!
広宣流布の一切は
わが青年部に託す!
御講聞書 P833
『法華経の行者は蓮華の泥水に染まざるが如し、但だ唯一大事の南無妙法蓮華経を弘通するを本とせり』
◇希望の明日へ
"悪戦苦闘"がなく、何の難も労苦もない人生。確かに、それは楽に思われる。しかし、ちょうど、外気にも触れず皮膚を鍛えていない赤ん坊が、病弱な子どもに育ってしまうように、鍛えのない人生、鍛えのない心に甘んじていては、本当の幸福をつかめるはずがない。幸福は、何ものをも堂々と乗り越えていける確固たる自分自身の胸中にあるからだ。その意味で、むしろ、何かで苦労を重ね、自分を鍛えていけること自体、幸せなことなのである。
平3・3・4
☆100文字の幸福抄
この人生、友情をこそ、私は信ずる。
友情をこそ、誇りとする。
相手を人間として、
心から「好きだ」という感情は、
いわば魂と魂の交響であり、
人間性の精髄に通じる。
そこには他の何ものも介在する余地がない。
☆我らの勝利の大道No.091 広布大願に走る
◇なぜ挑戦が大切か
「七十五万世帯」を達成した弟子に、戸田先生は、新たな目標として「三百万世帯」と宣言された。
なぜ、現実社会の真っ直中で、労を惜しまず「広宣流布」「立正安国」の挑戦を続けるのか。
その意義を、恩師は故郷の北海道の同志に語ってくださったことがある。
第一に、地域と社会への貢献を果たしながら、多くの人びとと仏縁を結んで、自他共に功徳を広げていくことができる。
第二に、戦いを通して組織の隅々まで力を痩らせ、異体同心のスクラムを強くすることができる。
第三に、目標に向かい、一人ひとりが「自分らしく悔いなく戦い切った」と御本尊に報告できる清々しい歴史を残し、勝利の喜びをつかめる。
使命の激戦を一つ一つ、勝ち越えながら、わが同志が「功徳」と「和楽」と「歓喜」の実証を、いやまして仲良く賢く、朗らかに開いていくことが、先生の願いであられたのだ。
師の遺訓となった三百万世帯の夢は、弟子の報恩の奔走、そして青年の果敢なる突破力によって、わずか五年にして達成された。
五十年前の昭和三十七年(一九六二年)の十一月であった。
半世紀を経て、今や学会は「三類の強敵」の一切の大難を勝ち越え、栄光輝く「民衆勝利の大城」と聳え立った。後継の地涌の青年は澎湃と躍り出て、「一閻浮提広布」の未来を洋々と展望する時代を迎えた。
どんなに、日蓮大聖人が、また戸田先生が喜ばれていることか。
◇一人残らず幸福に
大聖人が『日本六十六箇国・二つの島』『国国・郡郡・郷郷・里里・村村』などと表現された御文がある(P1331)。
日本列島の隅々まで広大な御境涯に包まれながら、庶民が暮らす小さな地域共同体にも目を注がれていたといえようか。
さらに『五畿(山城・大和・河内・和泉・摂津)・七道(東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海)・郡は五百八十六・郷は三千七百二十九』(P1072)とも記されている。
人口についても『男は十九億九万四千八百二十八人・女は二十九億九万四千八百二十人』、合わせて『四十九億八万九千六百五十八人』等と詳細に書き留められている。
ここでの「億」は、今と違って「十万」に当たる。大聖人は、当時の日本の全人口を約五百万人と見ておられたことになる。
私か感動するのは、大聖人が地域や人口を「一桁」の数まで掌握され、胸中に収められていることだ。
そこに、「どんな小さな村々も残らず安穏にしていくのだ」「一人も残らず幸福にしていくのだ」との執念とも思える甚深のお心が拝されてならない。
わが学会の最優秀の統監部の皆様方の人知れぬ奮闘も、この大聖人の御精神に真っ直ぐ連なっている。
ともあれ、どれほど広宣流布が拡大しても、一番大事なのは、それぞれの地域で懸命に生き抜く庶民であり、その「一人」である。
そして、北海道、東北、関東、東京、東海道、信越、北陸、中部、関西、中国、四国、九州、沖縄──どの方面、どの地域も、大切な大切な広布の舞台である。
大聖人のお心のままに、私たちは徹して「一人」に光を当て、共に対話し、共に励まし合い、すべての地域が共に栄える、よりよき社会を建設していくのだ。
2012年12月12日水曜日
2012.12.12 わが友に贈る
関東の誇り高き友よ!
我らの敢闘精神とは
執念の祈りと行動だ!
異体同心の突破力だ!
堂々たる創価の旗を。
開目抄上 P192
『仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし』
◇希望の明日へ
仏典に"人のため灯をともせば、自分の前も明るくなる"とある。他の人のために、生命の火を燃やしていけば、自分も温かくなり、明るくなっていく。内側から輝いてくる。その人が教養のある人である。幸せな人である。死や老いを前にしても、たじろがない勇気をもてる人である。
『主婦と生活』平3・1月号
☆100文字の幸福抄
よき友人をもっている人は
強力な「補助エンジン」をつけているようなものだ。
苦しい坂でも励まし合って
力強く進んでいける。
友情は互いに刺激し合い、
人生を向上させ、彩りを宰える。
友人のいる人は「豊かな人」なのだ。
☆我らの勝利の大道No.091 広布大願に走る
◇戦いの中で強くなれ!
「生きるということは、人間の中で生きることだ。人間の中で生きるということは、戦うということだ」
この言葉は、フィリピンの英雄ホセ・リサールの大闘争の雄姿を彷彿させる。
人生は戦いだ。自然界も、社会も、あらゆる次元で戦いの連続である。
戦うからこそ、生命の飛躍がある。発光がある。
光栄にも、今回、この英雄の精神を継承するリサール協会から「ゴールデンハー卜賞」を授与いただき、フィリピンSGIの同志と共に拝受した。
「ゴールデンハート」つまり「黄金の心」である。
それは、何ものにも壊されず、決して朽ち果てることのない、「真金」の魂ともいえよう。
日蓮大聖人は、『金は・やけば真金となる』(P1083)と仰せである。
試練に遭うごとに、いよいよ強くなり、いよいよ輝きを増す。これが、我らの「黄金の心」だ。
誓願を
共に果たさむ
師弟不二
「御義口伝」に宣わく、
『大願とは法華弘通なり』(P736)と。
昭和二十六年(一九五一年)の晴れやかな五月三日、第二代会長就任式で、わが師・戸田城聖先生は、「七十五万世帯の折伏」を師子吼された。
多くの友は"夢物語"と聞いたかもしれない。
◇師弟共戦の呼吸で
しかし私は、師の誓願を全身で受け止め、わが誓いとして燃え上がらせた。
翌年(昭和二十七年)の初め、思うように弘教が進まないなか、師が言われた。
「大作、君が立ち上がってくれないか」
「わかりました。先生がびっくりするような折伏の攻勢に転じてご覧にいれます。先生はゆっくりと見ていてください」
この深き師弟共戦の呼吸から、蒲田支部で1ヵ月の弘教二百一世帯という拡大の歴史も始まったのだ。
蒲田の「二月闘争」を起点に、東京、北海道、関西、中国と、拡大の潮流は、うねりをあげていった。
大躍進の姿に、戸田先生の喜びは、ひとしおであった。師の喜ぶ顔ほど、最高の勲章はない。
そして、昭和三十二年(一九五七年)の十二月、師の誓願であり念願であった、偉大なる七十五万世帯の金字塔は、遂に堂々と打ち立てられたのである。
あれから、五十五星霜。この厳寒の師走も、わが友は、広宣流布の誓願に燃え、"師と共に"と走り抜いてくれている。こんなに嬉しく、有り難いことはない。
大聖人は、相模国(現在の神奈川県)を主戦場とした、「立正安国」の法戦の中で述懐なされている。
『但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず』(P35)
国土の安穏、正法正義の興隆、そして民衆の幸福。ここに、御本仏の「毎自作是念」(毎(つね)に自ら是の念を作(な)す)があられた。
この御一念に、そのまま直結して行動し抜いているのが、創価の師弟である。
だから強い。だから何ものにも屈しない。
たとえ権力や人気があろうが、いかに外面を飾ろうが、その心根が卑しい一身の我利我欲であれば、いずれ庶民の賢者から鋭く見破られ、歴史の厳しい審判を免れないであろう。
そうした浅ましい名聞名利の姿を悠然と見下ろしながら、我らは、どこまでも民衆と共に生き抜く。
最も誇り高音「人間の王道」を、宇宙で無上の「生命の正道」を、堂々と進み切っていくのだ。
我らの敢闘精神とは
執念の祈りと行動だ!
異体同心の突破力だ!
堂々たる創価の旗を。
開目抄上 P192
『仏法を学せん人知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし』
◇希望の明日へ
仏典に"人のため灯をともせば、自分の前も明るくなる"とある。他の人のために、生命の火を燃やしていけば、自分も温かくなり、明るくなっていく。内側から輝いてくる。その人が教養のある人である。幸せな人である。死や老いを前にしても、たじろがない勇気をもてる人である。
『主婦と生活』平3・1月号
☆100文字の幸福抄
よき友人をもっている人は
強力な「補助エンジン」をつけているようなものだ。
苦しい坂でも励まし合って
力強く進んでいける。
友情は互いに刺激し合い、
人生を向上させ、彩りを宰える。
友人のいる人は「豊かな人」なのだ。
☆我らの勝利の大道No.091 広布大願に走る
◇戦いの中で強くなれ!
「生きるということは、人間の中で生きることだ。人間の中で生きるということは、戦うということだ」
この言葉は、フィリピンの英雄ホセ・リサールの大闘争の雄姿を彷彿させる。
人生は戦いだ。自然界も、社会も、あらゆる次元で戦いの連続である。
戦うからこそ、生命の飛躍がある。発光がある。
光栄にも、今回、この英雄の精神を継承するリサール協会から「ゴールデンハー卜賞」を授与いただき、フィリピンSGIの同志と共に拝受した。
「ゴールデンハート」つまり「黄金の心」である。
それは、何ものにも壊されず、決して朽ち果てることのない、「真金」の魂ともいえよう。
日蓮大聖人は、『金は・やけば真金となる』(P1083)と仰せである。
試練に遭うごとに、いよいよ強くなり、いよいよ輝きを増す。これが、我らの「黄金の心」だ。
誓願を
共に果たさむ
師弟不二
「御義口伝」に宣わく、
『大願とは法華弘通なり』(P736)と。
昭和二十六年(一九五一年)の晴れやかな五月三日、第二代会長就任式で、わが師・戸田城聖先生は、「七十五万世帯の折伏」を師子吼された。
多くの友は"夢物語"と聞いたかもしれない。
◇師弟共戦の呼吸で
しかし私は、師の誓願を全身で受け止め、わが誓いとして燃え上がらせた。
翌年(昭和二十七年)の初め、思うように弘教が進まないなか、師が言われた。
「大作、君が立ち上がってくれないか」
「わかりました。先生がびっくりするような折伏の攻勢に転じてご覧にいれます。先生はゆっくりと見ていてください」
この深き師弟共戦の呼吸から、蒲田支部で1ヵ月の弘教二百一世帯という拡大の歴史も始まったのだ。
蒲田の「二月闘争」を起点に、東京、北海道、関西、中国と、拡大の潮流は、うねりをあげていった。
大躍進の姿に、戸田先生の喜びは、ひとしおであった。師の喜ぶ顔ほど、最高の勲章はない。
そして、昭和三十二年(一九五七年)の十二月、師の誓願であり念願であった、偉大なる七十五万世帯の金字塔は、遂に堂々と打ち立てられたのである。
あれから、五十五星霜。この厳寒の師走も、わが友は、広宣流布の誓願に燃え、"師と共に"と走り抜いてくれている。こんなに嬉しく、有り難いことはない。
大聖人は、相模国(現在の神奈川県)を主戦場とした、「立正安国」の法戦の中で述懐なされている。
『但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず』(P35)
国土の安穏、正法正義の興隆、そして民衆の幸福。ここに、御本仏の「毎自作是念」(毎(つね)に自ら是の念を作(な)す)があられた。
この御一念に、そのまま直結して行動し抜いているのが、創価の師弟である。
だから強い。だから何ものにも屈しない。
たとえ権力や人気があろうが、いかに外面を飾ろうが、その心根が卑しい一身の我利我欲であれば、いずれ庶民の賢者から鋭く見破られ、歴史の厳しい審判を免れないであろう。
そうした浅ましい名聞名利の姿を悠然と見下ろしながら、我らは、どこまでも民衆と共に生き抜く。
最も誇り高音「人間の王道」を、宇宙で無上の「生命の正道」を、堂々と進み切っていくのだ。
2012年12月11日火曜日
2012.12.11 わが友に贈る
志燃える四国こそ
平和革命の電源地だ!
勇敢に一人立て!
真実の魂の叫びは
必ず万波と広がる!
上野殿御消息 P1527
『生落されて乳をのむ事一百八十余石三年が間は父母の膝に遊び人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし』
◇希望の明日へ
どんな状況にあっても、"楽しみ"をつくっていける−−その人こそ、幸福である。そうなれるための信仰である。
平3・1・23
☆100文字の幸福抄
桜は桜、梅は梅と、
そのままの姿で最高に美しい。
人間も同じで、誰一人として使命のない人はいない。
希望さえ失わなければ、
その人でしか、もちえない、
最高の輝きを放ちながら、
自分らしい人生を送ることができる。
☆太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志No.12 会おう!今しかない 千葉
◇君の故郷に行くよ
「野田は、非常に活気のある街です」。名誉会長が、そう言って話し始めた。
72年3月10日、千葉・野田市を初訪問。同市は日本最大のしょうゆの生産地として知られ、工場や物流拠点の誘致、宅地化も進み、急速な発展を続けていた。
「野田にもいよいよ、皆さん方の春がやってきた」
「仲良く、微動だにしない信心で、和合の地域を築いていってください」「明るく伸び伸びと、地域の人々に信頼され、尊敬されながら、新たな自覚で進んでください」
"広布即地域貢献"の方程式を教えたのである。
名誉会長を迎えた市内の会場。その最前列には、当時、創価高校1年生の櫻田秀樹さん、母・ヤヱ子さん、祖母・徳栄さんが並んでいた。
"やっぱり先生は約束を守ってくださった"ーー秀樹さんは感激でいっぱいだった。
"約束"は、68年(昭和43年)12月21日にさかのぼる。
そうか学園の英香料で、中学・高校1期の寮生を囲み、創立者の名誉会長との懇談会が開かれた。
野田市の実家を離れ、寮生活を送っていた中学1年の秀樹さんは、会場となった食堂の最前列左側にいた。
懇談が終わり。全員で外に出ようとする時、席を立った名誉会長が偶然、目の前に。
桜田さんは思い切って言った。「池田先生、皆がお待ちしていますから、野田に来てください!」
そう言葉が口について出たのには、訳がある。
小学校の教員を務めながら、女で一つで育て、学園に送り出してくれた母・ヤヱ子さんの苦労は、よく分かっていた。何度も激励してくれ、合格を喜んでくれた未来部の担当者や、地域の同志のことも、頭から離れなかった。
名誉会長は秀樹さんに行った。「いつか君の故郷を訪れて、君を育ててくれたお母さんの労苦を、心からねぎらいたい」「必ず行くよ!」
野田訪問には、一人の少年との"約束"を果たす意味も込められていたのである。
野田への滞在中、天空に美しい七色の虹がかかった。
名誉会長は詠んだ。
「栄光の 虹かかりけり 野田の友」
その後、櫻田さんの母・ヤヱ子さんは小学校の校長に。
秀樹さんも教員の道を選び、親子2代で小学校の校長。総県教育部長を務める。教育者の一人として、名誉会長の「励ましの哲学」を、ひしひしと、かみしめている。
「3時間かけても何も生まれないことがあれば、先生のように、たった5分で、人生を決めるような出会いを結ぶこともできます。
信じ、受け止め、励まし、心を結ぶ。先生に教えていただいたことを、自分の立場でやり続けたいと思います」
名誉会長は、千葉の友に呼び掛けたことがある。
「時は帰らない。時は矢の如く飛び去る。ゆえに、一日一日が連続的な真剣勝負と、自覚すべきであろう」
その思いで、師匠は、千葉の天地に広布の足跡をしるしていった。
今、使命深き同志も、同じ決心で走る。創価栄光の旭日を仰ぎ見るために!
平和革命の電源地だ!
勇敢に一人立て!
真実の魂の叫びは
必ず万波と広がる!
上野殿御消息 P1527
『生落されて乳をのむ事一百八十余石三年が間は父母の膝に遊び人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし』
◇希望の明日へ
どんな状況にあっても、"楽しみ"をつくっていける−−その人こそ、幸福である。そうなれるための信仰である。
平3・1・23
☆100文字の幸福抄
桜は桜、梅は梅と、
そのままの姿で最高に美しい。
人間も同じで、誰一人として使命のない人はいない。
希望さえ失わなければ、
その人でしか、もちえない、
最高の輝きを放ちながら、
自分らしい人生を送ることができる。
☆太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志No.12 会おう!今しかない 千葉
◇君の故郷に行くよ
「野田は、非常に活気のある街です」。名誉会長が、そう言って話し始めた。
72年3月10日、千葉・野田市を初訪問。同市は日本最大のしょうゆの生産地として知られ、工場や物流拠点の誘致、宅地化も進み、急速な発展を続けていた。
「野田にもいよいよ、皆さん方の春がやってきた」
「仲良く、微動だにしない信心で、和合の地域を築いていってください」「明るく伸び伸びと、地域の人々に信頼され、尊敬されながら、新たな自覚で進んでください」
"広布即地域貢献"の方程式を教えたのである。
名誉会長を迎えた市内の会場。その最前列には、当時、創価高校1年生の櫻田秀樹さん、母・ヤヱ子さん、祖母・徳栄さんが並んでいた。
"やっぱり先生は約束を守ってくださった"ーー秀樹さんは感激でいっぱいだった。
"約束"は、68年(昭和43年)12月21日にさかのぼる。
そうか学園の英香料で、中学・高校1期の寮生を囲み、創立者の名誉会長との懇談会が開かれた。
野田市の実家を離れ、寮生活を送っていた中学1年の秀樹さんは、会場となった食堂の最前列左側にいた。
懇談が終わり。全員で外に出ようとする時、席を立った名誉会長が偶然、目の前に。
桜田さんは思い切って言った。「池田先生、皆がお待ちしていますから、野田に来てください!」
そう言葉が口について出たのには、訳がある。
小学校の教員を務めながら、女で一つで育て、学園に送り出してくれた母・ヤヱ子さんの苦労は、よく分かっていた。何度も激励してくれ、合格を喜んでくれた未来部の担当者や、地域の同志のことも、頭から離れなかった。
名誉会長は秀樹さんに行った。「いつか君の故郷を訪れて、君を育ててくれたお母さんの労苦を、心からねぎらいたい」「必ず行くよ!」
野田訪問には、一人の少年との"約束"を果たす意味も込められていたのである。
野田への滞在中、天空に美しい七色の虹がかかった。
名誉会長は詠んだ。
「栄光の 虹かかりけり 野田の友」
その後、櫻田さんの母・ヤヱ子さんは小学校の校長に。
秀樹さんも教員の道を選び、親子2代で小学校の校長。総県教育部長を務める。教育者の一人として、名誉会長の「励ましの哲学」を、ひしひしと、かみしめている。
「3時間かけても何も生まれないことがあれば、先生のように、たった5分で、人生を決めるような出会いを結ぶこともできます。
信じ、受け止め、励まし、心を結ぶ。先生に教えていただいたことを、自分の立場でやり続けたいと思います」
名誉会長は、千葉の友に呼び掛けたことがある。
「時は帰らない。時は矢の如く飛び去る。ゆえに、一日一日が連続的な真剣勝負と、自覚すべきであろう」
その思いで、師匠は、千葉の天地に広布の足跡をしるしていった。
今、使命深き同志も、同じ決心で走る。創価栄光の旭日を仰ぎ見るために!
2012年12月10日月曜日
2012.12.10 わが友に贈る
新聞休刊日
御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』
◇希望の明日へ
人生に"何か"を残せる人は、幸せである。永遠の歴史を残せる人は、さらに幸せである。周囲の変化に動ずることなく、ひとたび築き始めた"わが塔"を完成するまで戦う−−栄光と満足は、その人のものである。
平3・1・19
☆100文字の幸福抄
心の定まった女性は強い。
信念に生きる女性は人格が光り、
善悪をきちんと見極める。
たとえ、ひとたびは負けたように見えても、
最後は人間としての勝利者と輝く。
周囲がどうあれ、
信念に生き抜いた人が勝ちである。
☆太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志No.12 会おう!今しかない 千葉
「たった一瞬の出会いが、一生を決める場合がある。たった一言が、人生の転機にもなる」
「ゆえに私は、生命のアンテナを研ぎ澄まし、『今しかない』『今しかない』と、一人また一人と、出会いを重ねてきた」
「随筆 昇りゆく千葉の旭日」の一節である。池田名誉会長と千葉の同志の絆は硬く、そして強い。
食料の買出しに、千葉市の幕張を訪れたのは17歳。敗戦直後の秋だった。名誉会長の本家のルーツは「千葉庄池田郷」、千葉城の周辺であったとされる。
足跡は、千葉市に加え、全県に刻まれる。その隅々に、励ましの温もりが生きている。
◇菜の花、ありがとう
「これから雨脚が強くなる予報です。鼓笛隊は小さい子が多いので、帰ってください。絶対無事故のためです」。役員からそう告げられていた鼓笛隊の千葉責任者・西郡喜代乃さんは、"みんなにどう伝えれば・・・"と困り果てていた。
1969年(昭和44年)3月30日、市原市臨海体育館。名誉会長が出席する記念撮影会で、演奏するはずだった。練習を重ね、衣装も整い、後は本番を待つだけなのに・・・。
西郡さんは意を決して、皆に帰ることを告げた。
それでも"池田先生に、鼓笛隊がいたことを知ってほしい"との思いは消えない。リーダーたちで相談し、花を届けることを決めた。
大塚信子さんが急ぎ手配した、千葉の県花・菜の花を幹部に託す。そして貸し切りバスで千葉会館に戻った。悔し涙が、車中にあふれていた。
会館に着き、解散。だが西郡さんには、バス代を清算する仕事が残っていた。再び会館に行き、館内の受付にいた。その時である。
名誉会長が階段を下りてきた。記念撮影を終え、千葉会館に戻った後、会館をたつところだった。
西郡さんは慌てて「こんばんは!鼓笛隊です!」。
すると明るい声が返った。
「きょうは菜の花、ありがとう!誰が届けてくれたか、すぐにわかったよ」
その一言で、西郡さんは全てが報われた気がした。
さらに名誉会長はこう続けた。
「疲れていたけど、あの菜の花を見て、疲れが飛んだよ。本当にうれしかった。私の部屋に飾っておくよ」
西郡さんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「きょうは、どんな演奏をしてくれるはずだったんだい?」と名誉会長。
「はい!"さくら変奏曲"と『ビア樽ポルカ』です」
「いい曲だね。聴きたかった。演奏、本当に聴きたかったよ。皆にそう伝えてね」
自宅に帰り、一人一人に伝わるよう、大急ぎで手を尽くした。隊員たちの悔し涙は、感激の涙に一変した。
じつは西郡さんは、この前年にも激励を受けている。
68年(昭和43年)8月25日、都内で開かれた、鼓笛隊との協議会に参加していたのだ。
「この中で、お父さんがいない人は手を挙げてごらん?」と名誉会長。
西郡さんが手を挙げた。
「お母さんがいない人は?」
挙げた手は、そのままだった。
2年前に母を亡くし、1カ月半前に、がんとの闘病の末に父が逝ったばかりだった。
「いかなる苦難が、いよいよ重なろうと、これを乗り切らねばならぬ・・・」。小説『人間革命』第4巻の一節を何度も読み返し、仕事に、広布に、父の看病に、一歩も引かずに歯を食いしばってきた。
「前にいらっしゃい」
名誉会長は、手を挙げた人を前に呼んでくれた。
「先生!『人間革命』の4巻、ありがとうございました。あの本を読んで私は立ち上がりました」と西郡さん。
名誉会長は両親のことを聞きながら、「親がいなくて、信心を貫くことは大変なことなんだ」「頑張るんだよ」。
その眼差しを、西郡さんは忘れることができない。
「どんなことがあっても強く、負けないで、平和と幸福の大道を走りぬく。この"鼓笛隊の心"を。池田名誉会長に教えていただいたのです」
御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』
◇希望の明日へ
人生に"何か"を残せる人は、幸せである。永遠の歴史を残せる人は、さらに幸せである。周囲の変化に動ずることなく、ひとたび築き始めた"わが塔"を完成するまで戦う−−栄光と満足は、その人のものである。
平3・1・19
☆100文字の幸福抄
心の定まった女性は強い。
信念に生きる女性は人格が光り、
善悪をきちんと見極める。
たとえ、ひとたびは負けたように見えても、
最後は人間としての勝利者と輝く。
周囲がどうあれ、
信念に生き抜いた人が勝ちである。
☆太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志No.12 会おう!今しかない 千葉
「たった一瞬の出会いが、一生を決める場合がある。たった一言が、人生の転機にもなる」
「ゆえに私は、生命のアンテナを研ぎ澄まし、『今しかない』『今しかない』と、一人また一人と、出会いを重ねてきた」
「随筆 昇りゆく千葉の旭日」の一節である。池田名誉会長と千葉の同志の絆は硬く、そして強い。
食料の買出しに、千葉市の幕張を訪れたのは17歳。敗戦直後の秋だった。名誉会長の本家のルーツは「千葉庄池田郷」、千葉城の周辺であったとされる。
足跡は、千葉市に加え、全県に刻まれる。その隅々に、励ましの温もりが生きている。
◇菜の花、ありがとう
「これから雨脚が強くなる予報です。鼓笛隊は小さい子が多いので、帰ってください。絶対無事故のためです」。役員からそう告げられていた鼓笛隊の千葉責任者・西郡喜代乃さんは、"みんなにどう伝えれば・・・"と困り果てていた。
1969年(昭和44年)3月30日、市原市臨海体育館。名誉会長が出席する記念撮影会で、演奏するはずだった。練習を重ね、衣装も整い、後は本番を待つだけなのに・・・。
西郡さんは意を決して、皆に帰ることを告げた。
それでも"池田先生に、鼓笛隊がいたことを知ってほしい"との思いは消えない。リーダーたちで相談し、花を届けることを決めた。
大塚信子さんが急ぎ手配した、千葉の県花・菜の花を幹部に託す。そして貸し切りバスで千葉会館に戻った。悔し涙が、車中にあふれていた。
会館に着き、解散。だが西郡さんには、バス代を清算する仕事が残っていた。再び会館に行き、館内の受付にいた。その時である。
名誉会長が階段を下りてきた。記念撮影を終え、千葉会館に戻った後、会館をたつところだった。
西郡さんは慌てて「こんばんは!鼓笛隊です!」。
すると明るい声が返った。
「きょうは菜の花、ありがとう!誰が届けてくれたか、すぐにわかったよ」
その一言で、西郡さんは全てが報われた気がした。
さらに名誉会長はこう続けた。
「疲れていたけど、あの菜の花を見て、疲れが飛んだよ。本当にうれしかった。私の部屋に飾っておくよ」
西郡さんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「きょうは、どんな演奏をしてくれるはずだったんだい?」と名誉会長。
「はい!"さくら変奏曲"と『ビア樽ポルカ』です」
「いい曲だね。聴きたかった。演奏、本当に聴きたかったよ。皆にそう伝えてね」
自宅に帰り、一人一人に伝わるよう、大急ぎで手を尽くした。隊員たちの悔し涙は、感激の涙に一変した。
じつは西郡さんは、この前年にも激励を受けている。
68年(昭和43年)8月25日、都内で開かれた、鼓笛隊との協議会に参加していたのだ。
「この中で、お父さんがいない人は手を挙げてごらん?」と名誉会長。
西郡さんが手を挙げた。
「お母さんがいない人は?」
挙げた手は、そのままだった。
2年前に母を亡くし、1カ月半前に、がんとの闘病の末に父が逝ったばかりだった。
「いかなる苦難が、いよいよ重なろうと、これを乗り切らねばならぬ・・・」。小説『人間革命』第4巻の一節を何度も読み返し、仕事に、広布に、父の看病に、一歩も引かずに歯を食いしばってきた。
「前にいらっしゃい」
名誉会長は、手を挙げた人を前に呼んでくれた。
「先生!『人間革命』の4巻、ありがとうございました。あの本を読んで私は立ち上がりました」と西郡さん。
名誉会長は両親のことを聞きながら、「親がいなくて、信心を貫くことは大変なことなんだ」「頑張るんだよ」。
その眼差しを、西郡さんは忘れることができない。
「どんなことがあっても強く、負けないで、平和と幸福の大道を走りぬく。この"鼓笛隊の心"を。池田名誉会長に教えていただいたのです」
2012年12月9日日曜日
2012.12.09 わが友に贈る
壁を破るのは
「今から」の決意だ!
「これから」の行動だ!
「自分から」の勢いだ!
誓いを果たす人生たれ。
法蓮抄 P1050
『今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし』
◇今週のことば
厳寒の中の大奮闘を
諸仏も諸天も讃嘆!
「法華経に勝る兵法なし」
いよいよの信力、行力で
新時代を勝ち開け!
2012年12月09日
◇希望の明日へ
信心は行動である。妙法蓬華経の経にも、広くいえば、行動、振る舞いの意味がある。広布のために動いた分だけ、自身の境涯も、福運も、無限に開けていく。人生それぞれ自由である。どう生きようが、どう遊ぼうが、とやかく言う必要もなければ、とやかく言われる必要もない。それを前提としたうえで、妙法の信仰は、自分自身の深い境涯を開き、深い福運を積み、深い人生を生きていくためのものである。また、縁する人々をも全部、幸福の方向へと導いていける。ゆえに、信仰だけは、"強き信心"に生きぬくべきである。
平2・12・9
☆100文字の幸福抄
少しずつでも歩いていれば、
目的地へ到着できる。
止まってしまえば、それ以上、前に行けない。
努力とは平凡なことかもしれない。
しかし、平凡なことを
倦まず弛まず持続していくことは、
まざれもなく非凡なことである。
☆南米ベネズエラ国立タチラ実践大学からの名誉博士号への謝辞
はじめに、本日、大学院の晴れの卒業を迎えられる若き英才の皆様方に、最大のお祝いを申し上げます。
南米の「友情交流の故郷」タチラ州より光を放ち、ベネズエラの「真心の都」サンクリストバル市にそびえ立つ貴大学より、本日、私は栄えある「名誉博士」の学位を賜りました。
この何ものにも替えがたい栄誉を、私は、貴国の良き市民、良き国民として、誠実に社会貢献を貫くベネズエラSGIの大切な友人たちとともに、謹んで拝受させていただきます。誠に誠に、ありがとうございました。
◇人間教育の模範
世界の大学に、それぞれ素晴らしい校歌があります。私も、縁の大学の校歌を一曲また一曲、胸に刻んでまいりました。その中にあっても、貴大学の校歌は、ひときわ荘厳であり、民衆への慈愛と高邁なる哲学性に漲っております。
「英知が育まれるこの祖国の殿堂を守らんと/松明の明かりを投影し我らは毅然と戦う/タチラの農業、労働と平和への敬愛を深化し/努力の人に耕された畝間から実りを収穫しよう」
「高潔、愛情、楽観主義は善の人の象徴である/我らは先人の勇壮な行動に照らされ、未来への信念の歩みを進める」
雄大なるアンデスの大自然と、悠久なる文明の歴史とを気宇壮大に呼吸しながら、なんと気高き教育の理想が詠い上げられていることでありましょうか。この人間教育の模範と光る学舎こそ、貴・国立タチラ実践大学なのであります。
1974年、タチラ州の象徴と輝く豊かな実りの農園跡に、民衆の願いが結晶した学府として、貴大学は創立されました。
貴大学が高らかに掲げておられる価値観は、誠に明確であります。すなわち、「責任」「誠実」「尊敬」「自由」「公平性」「連帯」、そして「倫理」。
この七つの指標を体現されゆく、英明なサンチェス総長の指揮のもと、貴大学は尊き庶民の期待に応えて、民衆の幸福と社会の発展に尽力しゆく最優秀の逸材を、七彩の虹の如く、次代の大空へ送り出されているのであります。
さらにまた、最先端の農業工学、工業産業学の先駆のキャンパスとの誇りも高く、近年では酪農・肉用牛の増殖を成功させて、気候に左右されることなく搾乳と食肉の増産を可能にするなど、貴国の食料自給にも多大な貢献を果たしておられることも、よく存じ上げております。
「食は命」であります。貴大学の探究は、まさしく「命」を守り育む最重要の挑戦といってよいでありましょう。
一貫して「世界の持続可能な開発に積極的に携わる市民」を育成されゆく貴大学の実践は、新たな地球文明の建設への勇壮なる槌音となって、いやまして響きわたっていくであろうことを、私は確信してやまないのであります。
◇スポーツの都
わが憧れのサンクリストバル市は、若き生命が躍動しゆく、明るい「スポーツの都」としても、よく知られております。
サンチェス総長自身、青年の息吹で、自転車競技をはじめ、貴国のスポーツ振興のリーダーシップを担い立ってこられました。
思えば、日本の軍国主義による投獄にも屈しなかった信念の教育者であり、私の人生の師である戸田城聖先生(創価学会第2代会長)も、機会あるごとにスポーツを通して青年の心身を薫陶してくださいました。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」とは、この恩師の叫びであります。
私は、貴大学をはじめ、貴国の青年に湧き起こる「熱」と「力」に、新時代を創りゆく希望のエネルギーを見出す一人であります。
◇忍耐強く!
サンチェス総長は常々、述べておられます。「特質や能力、立場の異なる人も、目的が同じであれば、その目的の実現に向かって、団結して働くことができる」と。
まことに、スポーツはもとより、人生の万般において「団結こそ力」であり、「団結こそ勝利」であります。
東洋の聖賢も、「異体同心であれば万事を成就する」と説いております。
なかんずく、教育という人類の未来を開く究極の目的のために、一致団結して働くことほど、崇高な事業はありません。
サンチェス総長を中心とした、教職員と御関係の皆様方の見事なる団結で、学生の多様な学びの場を数多く創り上げてこられた業績に、私は、あらためて賞讃の大拍手を送らせていただきたいのであります。
貴国の大歴史家であるペドロ・グラセス先生は、力強く語られました。「精神力、忍耐力、能力を注ぎ、断固たる態度で臨めば、それぞれが目指すものを達成することができるのだ。そこには、笑顔の明日へと続く、希望あふれる道が開かれているのだ」
本日よりは、私も名誉ある貴大学の一員として、貴大学の諸先生方、そして卒業生の皆様方と手を携えながら、世界の青年たちの「笑顔の明日」へと続く「希望の道」を広々と勝ち開いてまいる決心です。
その決意を今再び、我が誉れの母校たる貴大学の校歌の一節に託させていただきます。
「同じ理想に燃える友情の呼びかけの音調に合わせ/我らは宇宙大の成長をもって、より良い祖国を構築する/地元とその山々に対する情熱に燃え、我らは忍耐強く耐え/心には世界の旗をなびかせる」
終わりに、貴大学の永遠の御発展、そしてサンチェス総長はじめ、貴大学の諸先生方、さらに卒業生の皆様方の益々の御健勝を心からお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムーチャスーグラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)
「今から」の決意だ!
「これから」の行動だ!
「自分から」の勢いだ!
誓いを果たす人生たれ。
法蓮抄 P1050
『今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続ぐ人なり、我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや、若し此れを捨て給はば仏還つて我が身を捨て給うなるべし』
◇今週のことば
厳寒の中の大奮闘を
諸仏も諸天も讃嘆!
「法華経に勝る兵法なし」
いよいよの信力、行力で
新時代を勝ち開け!
2012年12月09日
◇希望の明日へ
信心は行動である。妙法蓬華経の経にも、広くいえば、行動、振る舞いの意味がある。広布のために動いた分だけ、自身の境涯も、福運も、無限に開けていく。人生それぞれ自由である。どう生きようが、どう遊ぼうが、とやかく言う必要もなければ、とやかく言われる必要もない。それを前提としたうえで、妙法の信仰は、自分自身の深い境涯を開き、深い福運を積み、深い人生を生きていくためのものである。また、縁する人々をも全部、幸福の方向へと導いていける。ゆえに、信仰だけは、"強き信心"に生きぬくべきである。
平2・12・9
☆100文字の幸福抄
少しずつでも歩いていれば、
目的地へ到着できる。
止まってしまえば、それ以上、前に行けない。
努力とは平凡なことかもしれない。
しかし、平凡なことを
倦まず弛まず持続していくことは、
まざれもなく非凡なことである。
☆南米ベネズエラ国立タチラ実践大学からの名誉博士号への謝辞
はじめに、本日、大学院の晴れの卒業を迎えられる若き英才の皆様方に、最大のお祝いを申し上げます。
南米の「友情交流の故郷」タチラ州より光を放ち、ベネズエラの「真心の都」サンクリストバル市にそびえ立つ貴大学より、本日、私は栄えある「名誉博士」の学位を賜りました。
この何ものにも替えがたい栄誉を、私は、貴国の良き市民、良き国民として、誠実に社会貢献を貫くベネズエラSGIの大切な友人たちとともに、謹んで拝受させていただきます。誠に誠に、ありがとうございました。
◇人間教育の模範
世界の大学に、それぞれ素晴らしい校歌があります。私も、縁の大学の校歌を一曲また一曲、胸に刻んでまいりました。その中にあっても、貴大学の校歌は、ひときわ荘厳であり、民衆への慈愛と高邁なる哲学性に漲っております。
「英知が育まれるこの祖国の殿堂を守らんと/松明の明かりを投影し我らは毅然と戦う/タチラの農業、労働と平和への敬愛を深化し/努力の人に耕された畝間から実りを収穫しよう」
「高潔、愛情、楽観主義は善の人の象徴である/我らは先人の勇壮な行動に照らされ、未来への信念の歩みを進める」
雄大なるアンデスの大自然と、悠久なる文明の歴史とを気宇壮大に呼吸しながら、なんと気高き教育の理想が詠い上げられていることでありましょうか。この人間教育の模範と光る学舎こそ、貴・国立タチラ実践大学なのであります。
1974年、タチラ州の象徴と輝く豊かな実りの農園跡に、民衆の願いが結晶した学府として、貴大学は創立されました。
貴大学が高らかに掲げておられる価値観は、誠に明確であります。すなわち、「責任」「誠実」「尊敬」「自由」「公平性」「連帯」、そして「倫理」。
この七つの指標を体現されゆく、英明なサンチェス総長の指揮のもと、貴大学は尊き庶民の期待に応えて、民衆の幸福と社会の発展に尽力しゆく最優秀の逸材を、七彩の虹の如く、次代の大空へ送り出されているのであります。
さらにまた、最先端の農業工学、工業産業学の先駆のキャンパスとの誇りも高く、近年では酪農・肉用牛の増殖を成功させて、気候に左右されることなく搾乳と食肉の増産を可能にするなど、貴国の食料自給にも多大な貢献を果たしておられることも、よく存じ上げております。
「食は命」であります。貴大学の探究は、まさしく「命」を守り育む最重要の挑戦といってよいでありましょう。
一貫して「世界の持続可能な開発に積極的に携わる市民」を育成されゆく貴大学の実践は、新たな地球文明の建設への勇壮なる槌音となって、いやまして響きわたっていくであろうことを、私は確信してやまないのであります。
◇スポーツの都
わが憧れのサンクリストバル市は、若き生命が躍動しゆく、明るい「スポーツの都」としても、よく知られております。
サンチェス総長自身、青年の息吹で、自転車競技をはじめ、貴国のスポーツ振興のリーダーシップを担い立ってこられました。
思えば、日本の軍国主義による投獄にも屈しなかった信念の教育者であり、私の人生の師である戸田城聖先生(創価学会第2代会長)も、機会あるごとにスポーツを通して青年の心身を薫陶してくださいました。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」とは、この恩師の叫びであります。
私は、貴大学をはじめ、貴国の青年に湧き起こる「熱」と「力」に、新時代を創りゆく希望のエネルギーを見出す一人であります。
◇忍耐強く!
サンチェス総長は常々、述べておられます。「特質や能力、立場の異なる人も、目的が同じであれば、その目的の実現に向かって、団結して働くことができる」と。
まことに、スポーツはもとより、人生の万般において「団結こそ力」であり、「団結こそ勝利」であります。
東洋の聖賢も、「異体同心であれば万事を成就する」と説いております。
なかんずく、教育という人類の未来を開く究極の目的のために、一致団結して働くことほど、崇高な事業はありません。
サンチェス総長を中心とした、教職員と御関係の皆様方の見事なる団結で、学生の多様な学びの場を数多く創り上げてこられた業績に、私は、あらためて賞讃の大拍手を送らせていただきたいのであります。
貴国の大歴史家であるペドロ・グラセス先生は、力強く語られました。「精神力、忍耐力、能力を注ぎ、断固たる態度で臨めば、それぞれが目指すものを達成することができるのだ。そこには、笑顔の明日へと続く、希望あふれる道が開かれているのだ」
本日よりは、私も名誉ある貴大学の一員として、貴大学の諸先生方、そして卒業生の皆様方と手を携えながら、世界の青年たちの「笑顔の明日」へと続く「希望の道」を広々と勝ち開いてまいる決心です。
その決意を今再び、我が誉れの母校たる貴大学の校歌の一節に託させていただきます。
「同じ理想に燃える友情の呼びかけの音調に合わせ/我らは宇宙大の成長をもって、より良い祖国を構築する/地元とその山々に対する情熱に燃え、我らは忍耐強く耐え/心には世界の旗をなびかせる」
終わりに、貴大学の永遠の御発展、そしてサンチェス総長はじめ、貴大学の諸先生方、さらに卒業生の皆様方の益々の御健勝を心からお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
ムーチャスーグラシアス!(スペイン語で「大変にありがとうございました!」)
2012年12月8日土曜日
2012.12.08 わが友に贈る
師弟源流の天地
大北陸の友よ!
誓願の誉れの勇者よ!
広布の一切を勝ち開く
決定打を今こそ放て!
曾谷殿御返事 P1065
『白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天帝釈日月四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし』
◇希望の明日へ
要は、「みじめに負けるよりも、晴ればれと勝つ人生を」ということである。心と一念が負ければ、勝負はおしまいである。あきらめは幸福の死である。"断じて勝つ!"。その根性のある人が、最後の勝者である。華やかな名声も、位も、富も、それだけでは、表面を着飾っただけである。ほかならぬ自分自身が病み苦しんでいては、どんな衣装をつけても幸せとはいえない。当然の道理である。はつらつたる健康な生命、愉快な、生き生きと、満ち足りた心−−ここに幸福の実体がある。
平2・11・30
☆100文字の幸福抄
自分こそが、
自分の人生という劇の「脚本家」であり、
「主人公」なのである。
誰かが脚本を書いてくれるのではない。
演出してくれるのでもない。
自分が書いて、自分が俳優として演ずる。
全部、自分がつくるのである。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.042 師の心をわが心として進め
◇師の心をわが心として進め
戸田先生は、真面目な庶民を見下す傲慢やエゴを断じて許さず、こう宣言された。
「苦しみ悩んでいる人を救うのが、本当の宗教だ。本当の仏教だ。
学会は庶民の味方である。不幸な人の味方なのだ」
社会から悲惨の二字をなくすため、一度、戦いを始めたならば、力を抜いてはいけない。全力、全魂で進むのだ。
何より最前線の一人一人に力を注ぐ。そのために、どんどん手を打っていくことだ。
日蓮大聖人は『声も惜まず』(P72)、『言(ことば)をもおしまず』(P356)、大言論戦を貫かれた。
民衆の声が歴史を動かす。
大きな山に挑めば、疲れたり、不安にもなろう。その時にこそ、皆が喜び勇んで進んでいけるよう、リーダーが励ましていくことである。
励ましの声こそが、最高の武器であり戦略なのだ。
皆が持っている力を、どう引き出していくか。どう発揮させてあげられるか。そのためにリーダーがいる。皆が思う存分、力を出せば、広布の勝利の原動力となる。
どこまでも、師匠の心をわが心として戦うことだ。そうすれば、無敵の力が出る。
私は、戸田先生の心を心として戦った。だから、限りない力が湧いた。不可能を可能にするのは、師と不二の心で戦い抜くことである。
君よ! きょうも晴れ晴れと勇気の師子吼を!
貴女よ! きょうも大福運の希望の舞を!
今こそ、新しい時代の夜明けを、断固として開こう!
仲良く! 朗らかに!
「異体同心」という永遠不滅の原点を胸に!
大北陸の友よ!
誓願の誉れの勇者よ!
広布の一切を勝ち開く
決定打を今こそ放て!
曾谷殿御返事 P1065
『白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり、此の声をきかせ給う梵天帝釈日月四天等いかでか色をましひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし』
◇希望の明日へ
要は、「みじめに負けるよりも、晴ればれと勝つ人生を」ということである。心と一念が負ければ、勝負はおしまいである。あきらめは幸福の死である。"断じて勝つ!"。その根性のある人が、最後の勝者である。華やかな名声も、位も、富も、それだけでは、表面を着飾っただけである。ほかならぬ自分自身が病み苦しんでいては、どんな衣装をつけても幸せとはいえない。当然の道理である。はつらつたる健康な生命、愉快な、生き生きと、満ち足りた心−−ここに幸福の実体がある。
平2・11・30
☆100文字の幸福抄
自分こそが、
自分の人生という劇の「脚本家」であり、
「主人公」なのである。
誰かが脚本を書いてくれるのではない。
演出してくれるのでもない。
自分が書いて、自分が俳優として演ずる。
全部、自分がつくるのである。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.042 師の心をわが心として進め
◇師の心をわが心として進め
戸田先生は、真面目な庶民を見下す傲慢やエゴを断じて許さず、こう宣言された。
「苦しみ悩んでいる人を救うのが、本当の宗教だ。本当の仏教だ。
学会は庶民の味方である。不幸な人の味方なのだ」
社会から悲惨の二字をなくすため、一度、戦いを始めたならば、力を抜いてはいけない。全力、全魂で進むのだ。
何より最前線の一人一人に力を注ぐ。そのために、どんどん手を打っていくことだ。
日蓮大聖人は『声も惜まず』(P72)、『言(ことば)をもおしまず』(P356)、大言論戦を貫かれた。
民衆の声が歴史を動かす。
大きな山に挑めば、疲れたり、不安にもなろう。その時にこそ、皆が喜び勇んで進んでいけるよう、リーダーが励ましていくことである。
励ましの声こそが、最高の武器であり戦略なのだ。
皆が持っている力を、どう引き出していくか。どう発揮させてあげられるか。そのためにリーダーがいる。皆が思う存分、力を出せば、広布の勝利の原動力となる。
どこまでも、師匠の心をわが心として戦うことだ。そうすれば、無敵の力が出る。
私は、戸田先生の心を心として戦った。だから、限りない力が湧いた。不可能を可能にするのは、師と不二の心で戦い抜くことである。
君よ! きょうも晴れ晴れと勇気の師子吼を!
貴女よ! きょうも大福運の希望の舞を!
今こそ、新しい時代の夜明けを、断固として開こう!
仲良く! 朗らかに!
「異体同心」という永遠不滅の原点を胸に!
2012年12月7日金曜日
2012.12.07 わが友に贈る
愛する北海天地には
燃える開拓魂がある!
いかなる吹雪も烈風も
打ち破る同志がいる!
師弟の三代城よ勝て!
一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』
◇希望の明日へ
"朗らかに"人生を生きぬいていただきたい。簡単なようで、じつはそこに信心の一つの要諦がある。幸福を呼び寄せる大切な秘訣がある。"朗らか"のなかには、強さがある。賢明さがある。豊かな心情もある。"芯"の通った人格の輝きもある。幸・不幸を決めるのは、環境ではない。人間である。自分自身の境涯である。弱き人は、幸福そのもののような環境でも不幸を感じる場合がある。強き人は、不幸そのもののような悩みの境遇のなかから、金剛のごとき幸福を打ち鍛え、つくり出すことができる。そして信仰とは最高に"強く"生きぬくことである。悩みも圧迫もすべてをはね返し、ねじり伏せ、わが「精神の王国」には一歩たりとも寄せつけない。すべてを希望への薪とし、幸福へのエネルギーとしていける−−それが王者である。「朗らか王」である。かけがえのない人生である。同じ生きるならば、楽しく生きていきたい。人をも幸福にさせていきたい。そして学会員こそ"金剛宝器戒"を持った「金剛の境涯」の人である。
平2・11・28
☆100文字の幸福抄
世界でたった一つしかない、
自分の命を使って、
どのような人生を生きるか。
この一点を外して、「何のため」という
大目的を見失ったまま、
いかなる富や名声を手にしてもむなしい。
使命とは「命を使う」と書く。
☆我らの勝利の大道No.090「乱世を勝ち抜く」
◇「仏法勝負」の時
この「炭労事件」に続いて起きたのが「大阪事件」であった。
七月三日、私は事実無根の冤罪で拘束され、二週間後に出獄した。身の潔白と正義の証明は、法廷闘争に移ることになった。
七月十七日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と叫んだ。
「正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」──これは、今もなお、私と関西同志の共戦の誓いである。
三ヵ月後の初公判の翌日(十月十九日)、私は同志と京都の宇治川を訪れた。
源平合戦などの"先陣争い"の舞台として名高い、その流れを見つめつつ、関西の友と拝してきた一節をあらためて心肝に染めた。
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり』(P1451)
仏法は勝負だ。今この時この場所で、生命を赤々と燃やして戦える。それは、わが人間革命の一世一代の晴れ舞台となるのだ。
いずこの地であれ、勇んで立ち上がる「一人」が、どれほど大切な存在か。
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(P1467)
地域に根差し、決然と「法旗」を掲げて戦う同志を励まされた御金言である。
今、まさに、この通りに地域社会の「柱の人」「宝の人」が、日本中、世界中に躍り出ている。
「地域の幸福責任者」との使命に燃えて、郷土の繁栄を願い、友の幸福を祈りながら、誠実に社会貢献の行動に徹しておられる。
東日本大震災の苦難の被災地にあっても、人びとを励まし、心の絆を結びながら、復興・再生の使命に献身してくださっている。
大聖人も、「貴方が一人立つことが勝利なのだ!」
「貴女がここの広宣流布を担う責任者なのですよ!」と、どれほど御賞讃くださっていることだろうか。
民衆自身が、幸福と平和の強靭なる連帯を、地域から社会へ、世界へ広げていく。ここに、「立正安国」の実像もあるのだ。
『我日本の柱とならむ』(P232)──私の胸には、日蓮大聖人の師子吼が轟いてやまない。
わが弟子だちよ、今いる場所で、師子となって立ち上がれ! 地域の信頼と希望の灯台となって、乱世の闇を照らせ! 威風も堂々と、民衆の幸福と安穏の柱となって、栄光の金字塔を
築きゆこうではないか!
乱世にて
君も私も
不屈なる
闘魂光らせ
常勝絵巻を。
燃える開拓魂がある!
いかなる吹雪も烈風も
打ち破る同志がいる!
師弟の三代城よ勝て!
一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』
◇希望の明日へ
"朗らかに"人生を生きぬいていただきたい。簡単なようで、じつはそこに信心の一つの要諦がある。幸福を呼び寄せる大切な秘訣がある。"朗らか"のなかには、強さがある。賢明さがある。豊かな心情もある。"芯"の通った人格の輝きもある。幸・不幸を決めるのは、環境ではない。人間である。自分自身の境涯である。弱き人は、幸福そのもののような環境でも不幸を感じる場合がある。強き人は、不幸そのもののような悩みの境遇のなかから、金剛のごとき幸福を打ち鍛え、つくり出すことができる。そして信仰とは最高に"強く"生きぬくことである。悩みも圧迫もすべてをはね返し、ねじり伏せ、わが「精神の王国」には一歩たりとも寄せつけない。すべてを希望への薪とし、幸福へのエネルギーとしていける−−それが王者である。「朗らか王」である。かけがえのない人生である。同じ生きるならば、楽しく生きていきたい。人をも幸福にさせていきたい。そして学会員こそ"金剛宝器戒"を持った「金剛の境涯」の人である。
平2・11・28
☆100文字の幸福抄
世界でたった一つしかない、
自分の命を使って、
どのような人生を生きるか。
この一点を外して、「何のため」という
大目的を見失ったまま、
いかなる富や名声を手にしてもむなしい。
使命とは「命を使う」と書く。
☆我らの勝利の大道No.090「乱世を勝ち抜く」
◇「仏法勝負」の時
この「炭労事件」に続いて起きたのが「大阪事件」であった。
七月三日、私は事実無根の冤罪で拘束され、二週間後に出獄した。身の潔白と正義の証明は、法廷闘争に移ることになった。
七月十七日、中之島の中央公会堂で行われた大阪大会で、私は烈々と叫んだ。
「正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」──これは、今もなお、私と関西同志の共戦の誓いである。
三ヵ月後の初公判の翌日(十月十九日)、私は同志と京都の宇治川を訪れた。
源平合戦などの"先陣争い"の舞台として名高い、その流れを見つめつつ、関西の友と拝してきた一節をあらためて心肝に染めた。
『今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり』(P1451)
仏法は勝負だ。今この時この場所で、生命を赤々と燃やして戦える。それは、わが人間革命の一世一代の晴れ舞台となるのだ。
いずこの地であれ、勇んで立ち上がる「一人」が、どれほど大切な存在か。
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(P1467)
地域に根差し、決然と「法旗」を掲げて戦う同志を励まされた御金言である。
今、まさに、この通りに地域社会の「柱の人」「宝の人」が、日本中、世界中に躍り出ている。
「地域の幸福責任者」との使命に燃えて、郷土の繁栄を願い、友の幸福を祈りながら、誠実に社会貢献の行動に徹しておられる。
東日本大震災の苦難の被災地にあっても、人びとを励まし、心の絆を結びながら、復興・再生の使命に献身してくださっている。
大聖人も、「貴方が一人立つことが勝利なのだ!」
「貴女がここの広宣流布を担う責任者なのですよ!」と、どれほど御賞讃くださっていることだろうか。
民衆自身が、幸福と平和の強靭なる連帯を、地域から社会へ、世界へ広げていく。ここに、「立正安国」の実像もあるのだ。
『我日本の柱とならむ』(P232)──私の胸には、日蓮大聖人の師子吼が轟いてやまない。
わが弟子だちよ、今いる場所で、師子となって立ち上がれ! 地域の信頼と希望の灯台となって、乱世の闇を照らせ! 威風も堂々と、民衆の幸福と安穏の柱となって、栄光の金字塔を
築きゆこうではないか!
乱世にて
君も私も
不屈なる
闘魂光らせ
常勝絵巻を。
2012年12月6日木曜日
2012.12.06 わが友に贈る
広宣流布は言論戦だ。
心を揺さぶる
確信の言葉を語れ!
乱世を照らす
真実の叫びを放て!
兄弟抄 P1084
『なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ』
◇希望の明日へ
信仰は義務ではない。幸福になるための権利である。幸福は自分で勝ち取るものである。安閑とした人生のなかでつかむことはできない。押し寄せる風波と戦うなかで、獲得する以外にない。ゆえに強く、あくまでも強くなければ、幸福への道を進むことはできない。いわば波潤万丈の人生で勝利した分だけ、偉大なる幸福は築かれていくのである。
平2・7・8
☆100文字の幸福抄
美しいものをたくさん発見できる人。
その人こそ、美しき人ではないか。
「ああ、きれいな空!」
「この花を見てごらん!」と、
暮らしのなかで自分らしい感動を
見つけられる人は幸せである。
その人の生活は豊かである。
☆我らの勝利の大道No.090「乱世を勝ち抜く」
◇一歩も退かぬ執念
二百年前(一八一二年)の夏から冬にかけて、ユーラシア大陸を舞台に決戦が行われた。
皇帝ナポレオンが率いるフランス軍と、忍耐強く応戦するロシア軍とである。
ロシアが厳冬を迎えるなか、戦況は一変していく。この戦いを描いた名作『戦争と平和』で、大文豪トルストイは洞察した。
最後の勝敗を決するのは、究極のところ、戦う人間の「ひとりひとりの中にある感情だ」と。
いうなれば、たとえ一人になっても「必ず勝つ!」と最前線に飛び込む勇気があるか、そして「絶対に負けるものか!」と一歩も退かぬ執念があるかだ。
南アフリカの"人権の巌窟王"マンデラ氏は、獄中で『戦争と平和』を愛読された。その中で、ナポレオン軍を撃退した、ロシアのクトゥーゾフ将軍の人間学に惹かれたという。
つまり、「宮廷の薄っぺらで変わりやすい価値観にまどわされず、自分の部下と民衆を本能的に理解して、そのうえで行動した」
点である。
そして、この本を通し、マンデラ氏は「ほんとうに同胞を導くには、ほんとうに同胞を知らなくてはならない」ことを、あらためて学んだと言われるのだ。
本来、民衆の不屈の魂に勝るものはない。民衆の智慧と勇気を凌ぐものはない。この民衆の偉大な底力を、恐れなく勇敢に示し切ってきたのが、我ら創価の師弟である。
日本の北の大地・北海道や東北、信越や北陸などでも、わが同志は、今日も雪道に黄金の足跡を刻みながら、寒風に胸張りながら、前進してくれている。
北海道では二十七日、暴風雪のため、厳寒のなか、室蘭や登別などで五万数千世帯が停電した。停電が三晩に及んだ地域もある。一刻も早い全面復旧と皆様の無事を祈り、心よりお見舞いを申し上げたい。
◇一番大変な所へ!
五十五年前(一九五七年)の年頭、私は、当時の文京支部の地区があった炭鉱の街・夕張に足を運んだ。
横殴りの吹雪を突いて、大会に集って来られる尊き同志を、私は会場の入り□に立ってお迎えした。
偉大な使命に燃えて戦う地涌の菩薩の方々である。この皆様方なくして、この街、この地域の広宣流布は成し得ないのだ。
半年後の六月下旬。権勢に傲った炭鉱労組による、学会員への人権侵害「夕張炭労事件」に対し、我らは敢然と抗議に立ち上がった。
戸田先生と私の不二の決心は、善良な庶民が二度と理不尽な圧迫に苦しまぬように、この一戦を徹して勝ち切ることであった。
私は電光石火、北海道に走った。夕張を駆けた。
一番、苦労している友、大変な所で必死に戦っている同志のもとヘ──。
今こそ反転攻勢で、一気に事を決するのだ。
そのために私は──
「断じて勝つ!」と、強盛に祈った。「私の戦いを見よ!」と、先陣切って最前線に飛び込んだ。不正を打ち破る言論戦で、恐れなく先手先手で攻め抜いた。
その勢いは勢いを増し、北海道全土をはじめ多くの同志が、私と共に、勇気を光らせて行動してくれた。
一方、学会と対決すると呼号していた炭労は、法的にも、また道理の上でも、不利と見るや、公開討論からも逃げてしまった。
一気呵成に戦いを起こしてわずか数日、形勢は一変した。わが民衆の人権と正義の旗は、愛する北海天地に翻ったのである。
我らは、永遠に異体同心で勝つ。師子奮迅の師弟の勢いで勝つのだ。
心を揺さぶる
確信の言葉を語れ!
乱世を照らす
真実の叫びを放て!
兄弟抄 P1084
『なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ』
◇希望の明日へ
信仰は義務ではない。幸福になるための権利である。幸福は自分で勝ち取るものである。安閑とした人生のなかでつかむことはできない。押し寄せる風波と戦うなかで、獲得する以外にない。ゆえに強く、あくまでも強くなければ、幸福への道を進むことはできない。いわば波潤万丈の人生で勝利した分だけ、偉大なる幸福は築かれていくのである。
平2・7・8
☆100文字の幸福抄
美しいものをたくさん発見できる人。
その人こそ、美しき人ではないか。
「ああ、きれいな空!」
「この花を見てごらん!」と、
暮らしのなかで自分らしい感動を
見つけられる人は幸せである。
その人の生活は豊かである。
☆我らの勝利の大道No.090「乱世を勝ち抜く」
◇一歩も退かぬ執念
二百年前(一八一二年)の夏から冬にかけて、ユーラシア大陸を舞台に決戦が行われた。
皇帝ナポレオンが率いるフランス軍と、忍耐強く応戦するロシア軍とである。
ロシアが厳冬を迎えるなか、戦況は一変していく。この戦いを描いた名作『戦争と平和』で、大文豪トルストイは洞察した。
最後の勝敗を決するのは、究極のところ、戦う人間の「ひとりひとりの中にある感情だ」と。
いうなれば、たとえ一人になっても「必ず勝つ!」と最前線に飛び込む勇気があるか、そして「絶対に負けるものか!」と一歩も退かぬ執念があるかだ。
南アフリカの"人権の巌窟王"マンデラ氏は、獄中で『戦争と平和』を愛読された。その中で、ナポレオン軍を撃退した、ロシアのクトゥーゾフ将軍の人間学に惹かれたという。
つまり、「宮廷の薄っぺらで変わりやすい価値観にまどわされず、自分の部下と民衆を本能的に理解して、そのうえで行動した」
点である。
そして、この本を通し、マンデラ氏は「ほんとうに同胞を導くには、ほんとうに同胞を知らなくてはならない」ことを、あらためて学んだと言われるのだ。
本来、民衆の不屈の魂に勝るものはない。民衆の智慧と勇気を凌ぐものはない。この民衆の偉大な底力を、恐れなく勇敢に示し切ってきたのが、我ら創価の師弟である。
日本の北の大地・北海道や東北、信越や北陸などでも、わが同志は、今日も雪道に黄金の足跡を刻みながら、寒風に胸張りながら、前進してくれている。
北海道では二十七日、暴風雪のため、厳寒のなか、室蘭や登別などで五万数千世帯が停電した。停電が三晩に及んだ地域もある。一刻も早い全面復旧と皆様の無事を祈り、心よりお見舞いを申し上げたい。
◇一番大変な所へ!
五十五年前(一九五七年)の年頭、私は、当時の文京支部の地区があった炭鉱の街・夕張に足を運んだ。
横殴りの吹雪を突いて、大会に集って来られる尊き同志を、私は会場の入り□に立ってお迎えした。
偉大な使命に燃えて戦う地涌の菩薩の方々である。この皆様方なくして、この街、この地域の広宣流布は成し得ないのだ。
半年後の六月下旬。権勢に傲った炭鉱労組による、学会員への人権侵害「夕張炭労事件」に対し、我らは敢然と抗議に立ち上がった。
戸田先生と私の不二の決心は、善良な庶民が二度と理不尽な圧迫に苦しまぬように、この一戦を徹して勝ち切ることであった。
私は電光石火、北海道に走った。夕張を駆けた。
一番、苦労している友、大変な所で必死に戦っている同志のもとヘ──。
今こそ反転攻勢で、一気に事を決するのだ。
そのために私は──
「断じて勝つ!」と、強盛に祈った。「私の戦いを見よ!」と、先陣切って最前線に飛び込んだ。不正を打ち破る言論戦で、恐れなく先手先手で攻め抜いた。
その勢いは勢いを増し、北海道全土をはじめ多くの同志が、私と共に、勇気を光らせて行動してくれた。
一方、学会と対決すると呼号していた炭労は、法的にも、また道理の上でも、不利と見るや、公開討論からも逃げてしまった。
一気呵成に戦いを起こしてわずか数日、形勢は一変した。わが民衆の人権と正義の旗は、愛する北海天地に翻ったのである。
我らは、永遠に異体同心で勝つ。師子奮迅の師弟の勢いで勝つのだ。
2012年12月5日水曜日
2012.12.05 わが友に贈る
誉れの本陣同志よ!
我らの勝利こそ
全世界の希望の光だ!
大東京の底力を
満天下に示しゆけ!
経王御前御書 P1123
『又如何に唱うとも日蓮に怨をなせし人人は先ず必ず無間地獄に堕ちて無量劫の後に日蓮の弟子と成つて成仏す可し、恐恐謹言』
◇希望の明日へ
妙法だけが成仏の種子であり、それ以外に、仏になる種子はない。"水速の幸福"を開く道はない。その偉大な妙法を信受することのできた学会員は、すでに最高の幸福者である。この信心を貫いていけば、必ず仏になれると、御本仏が断言あそばされている。学校に通い、まじめに努力すれば、必ず卒業できるのが道理である。同じように、信・行・学の正しい"軌道"にのっとっていけば、全員が崩れぬ幸福を確立できる。すなわち最極の人生、最極の幸福境界である仏となっていくことは間違いない。
平2・5・13
☆100文字の幸福抄
相手の気持ちに敏感に反応し動いていける。
悩んでいる人がいれば、
思わず心と体が動いていく。
そうした鋭敏な
感受性のアンテナをもっている人こそ、
「美しき人」である。
美の根本は心の美しさである。
☆我らの勝利の大道No.090「乱世を勝ち抜く」
ドイツの大詩人ゲーテは乱世を生きる魂を歌った。
「ほかの人たちが右往左往しても、そなたは忠実な眼差しで見分けなさい。ほかの人たちがみじめに歎き合っても、そなたはたのしく事をはこびなさい」と。
人の心が揺れ動く時代だからこそ、自分自身の前にある「世界の根づよい生命と雄々しさ」を見つめ、「その内なる力と永続する力」を発揮していくように呼び掛けてやまなかった。
汲めども尽きぬ智慧と勇気の泉は、わが生命に厳然とある。そう確信すれば、何を恐れることがあろうか。
『当世は世みだれて民の力よわし』(P1595)
御聖訓には、乱世の本質を、こう喝破されている。
世の乱れの奥には、必ず生命の濁りがあり、貪欲や争いに突き動かされた人心の乱れがある。
結局、自分一人では何も変わらない。何をやっても無駄だ──そうした民衆の無力感が、社会を暗くする。
精神の柱を失い、人間の生命の可能性を信じられない絶望は、乱世の闇を深める病根だ。
この無明の闇を打ち破る無限の希望の大光こそが、日蓮仏法である。
本来、万人が「仏」という偉大な生命を具えている。いかなる困難の壁も、いかなる宿命の嵐もこ必ず乗り越えられるのだ。
信仰は
勝利を開く
大法理
あの「"まさか"が実現」の大阪の戦いを開始した時、関西本部の「大法興隆所願成就』の御本尊の御前で、私たちが真っ先に拝した御聖訓がある。
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(P123)
御本尊には、南無妙法蓮華経という根源の一法を中心に、あらゆる十界の衆生が認められている。
ゆえに、どんな苦しみや悩みを抱えた同志も、この広宣流布の大闘争のなかで大きく境涯を開き、一切の願いを成就していくのだ。
さらにまた、信仰をしていない友とも広々と仏縁を結び、民衆の都・関西に「立正安国」の安穏と繁栄の光を満たしていくのだ。
そう私は祈りを重ねた。
「報恩抄」には、『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(P329)と仰せである。
今も、乱世に怯まず、真の仏道修行に励みゆく、わが宝友と宝土に、"一日また一日、無量無辺の大功徳あれ!"と、私は一心不乱に題目を送り続けている。
◎昨日の「我らの勝利の大道」はミスってしまいました!すみませ〜ん!(^^)!
我らの勝利こそ
全世界の希望の光だ!
大東京の底力を
満天下に示しゆけ!
経王御前御書 P1123
『又如何に唱うとも日蓮に怨をなせし人人は先ず必ず無間地獄に堕ちて無量劫の後に日蓮の弟子と成つて成仏す可し、恐恐謹言』
◇希望の明日へ
妙法だけが成仏の種子であり、それ以外に、仏になる種子はない。"水速の幸福"を開く道はない。その偉大な妙法を信受することのできた学会員は、すでに最高の幸福者である。この信心を貫いていけば、必ず仏になれると、御本仏が断言あそばされている。学校に通い、まじめに努力すれば、必ず卒業できるのが道理である。同じように、信・行・学の正しい"軌道"にのっとっていけば、全員が崩れぬ幸福を確立できる。すなわち最極の人生、最極の幸福境界である仏となっていくことは間違いない。
平2・5・13
☆100文字の幸福抄
相手の気持ちに敏感に反応し動いていける。
悩んでいる人がいれば、
思わず心と体が動いていく。
そうした鋭敏な
感受性のアンテナをもっている人こそ、
「美しき人」である。
美の根本は心の美しさである。
☆我らの勝利の大道No.090「乱世を勝ち抜く」
ドイツの大詩人ゲーテは乱世を生きる魂を歌った。
「ほかの人たちが右往左往しても、そなたは忠実な眼差しで見分けなさい。ほかの人たちがみじめに歎き合っても、そなたはたのしく事をはこびなさい」と。
人の心が揺れ動く時代だからこそ、自分自身の前にある「世界の根づよい生命と雄々しさ」を見つめ、「その内なる力と永続する力」を発揮していくように呼び掛けてやまなかった。
汲めども尽きぬ智慧と勇気の泉は、わが生命に厳然とある。そう確信すれば、何を恐れることがあろうか。
『当世は世みだれて民の力よわし』(P1595)
御聖訓には、乱世の本質を、こう喝破されている。
世の乱れの奥には、必ず生命の濁りがあり、貪欲や争いに突き動かされた人心の乱れがある。
結局、自分一人では何も変わらない。何をやっても無駄だ──そうした民衆の無力感が、社会を暗くする。
精神の柱を失い、人間の生命の可能性を信じられない絶望は、乱世の闇を深める病根だ。
この無明の闇を打ち破る無限の希望の大光こそが、日蓮仏法である。
本来、万人が「仏」という偉大な生命を具えている。いかなる困難の壁も、いかなる宿命の嵐もこ必ず乗り越えられるのだ。
信仰は
勝利を開く
大法理
あの「"まさか"が実現」の大阪の戦いを開始した時、関西本部の「大法興隆所願成就』の御本尊の御前で、私たちが真っ先に拝した御聖訓がある。
『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(P123)
御本尊には、南無妙法蓮華経という根源の一法を中心に、あらゆる十界の衆生が認められている。
ゆえに、どんな苦しみや悩みを抱えた同志も、この広宣流布の大闘争のなかで大きく境涯を開き、一切の願いを成就していくのだ。
さらにまた、信仰をしていない友とも広々と仏縁を結び、民衆の都・関西に「立正安国」の安穏と繁栄の光を満たしていくのだ。
そう私は祈りを重ねた。
「報恩抄」には、『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(P329)と仰せである。
今も、乱世に怯まず、真の仏道修行に励みゆく、わが宝友と宝土に、"一日また一日、無量無辺の大功徳あれ!"と、私は一心不乱に題目を送り続けている。
◎昨日の「我らの勝利の大道」はミスってしまいました!すみませ〜ん!(^^)!
2012年12月4日火曜日
2012.12.04 わが友に贈る
創価のスクラムは
永遠に異体同心で前進!
新時代を開くのは
我らの決定した一念だ。
勇猛果敢に打って出よ!
撰時抄 P265
『教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり』
◇希望の明日へ
草創の先輩は、長年ともに戦ってきた同志のためにも、自分自身が"幸福の春"を勝ち取らねばならない。後輩の人が、その姿を見て、ああよかった、信心を続けた人はあんなに立派になり、幸福になるのだと、喜んでいかれるだけの歴史を示していかなければならない。
平2・4・29
☆100文字の幸福抄
心は不思議である。心は微妙である。
こちらが悪い感情を抱いていると、
相手にもそれが伝わっている。
こちらが笑顔の思いで提すれば、
相手にも微笑みの心が宿る。
相手はいわば、
自分にとっての鏡のような存在である。
☆我らの勝利の大道No.089 「創立」の原点に誓う
◇広布の大願へ 勇猛精進で!
大輪の
菊花満開
創価かな
十一月十八日「創立の日」を迎える学会本部は今、全国の同志から届けられた菊の花で輝いている。
東京の足立、山梨、茨城の土浦・筑波、京都の友らが丹精込めた菊花が眩い。山科王朝グループの創作屏風も華やかだ。
さらに大阪の泉州総県、また、文化本部の「菊花グループ」等の方々からの真心の大輪も香しい。
日蓮大聖人は仰せになられた。
『菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ』(P1095)
他の草が秋になって枯れても、菊は咲いているため「仙草」(妙なる草の意)と呼ばれた。同じように、"世の中が乱れている時にこそ、聖人と愚人は明らかになる"と示されている。
試練の時にこそ、人間の真価は光る。ゆえに、苦難にも胸を張り、朗らかに自分らしく開花しゆくのだ。
菊で思い出すのは、昭和五十三年(一九七八年)の「創立の月」、私が大阪・泉佐野市の泉州文化会館を初訪問した時のことである。
この折、会館は千二百鉢を超す菊に彩られていた。わが同志が、一年前から育ててくださったものだ。
どんな時も、寄り添う。温かく、粘り強く励まし続ける。菊作りの労作業は、人材育成にも通じようか。
美事な菊花は、今や地域の名物ともなっている。
この泉州をはじめ大関西の人材城からは、先輩方の熱い激励に包まれ、「負けたらあかん」との常勝の心を継ぐニューパワーの青年が陸続と育っている。
先日、泉州の天地には、新たな宝城・高石文化会館も堂々と誕生した。
わが愛する関西の同志の菊花満開の笑顔が、私には何よりの喜びである。
◇偉大な母に感謝!
泉州文化会館で、妻と共に、一人のご婦人と語り合ったことも懐かしい。
その方は、若くして夫を亡くされ、女手一つで三人のお子さんを育ててこられた。夫が営んでいた会社を継ぎ、自らが社長に就いた。仕事や育児に加え、広布の活動も、一歩も引かずに頑張っておられた。
偉大な母の奮闘を聞き、私は、すぐさま提案した。
「明日、ご主人の法要を行いましょう」
翌日、会館に集ってこられたお子さんに、私は、「日本一のお母さんだよ」と心から讃えた。
人類の幸福といっても、母を大切にすることから始まる。母を大切にする社会は、必ず勝ち栄えていく。
今、ご長男は会社を継ぎ、立派に親孝行の道を歩まれ、錦宝会(多宝会)となられた母も、ますます意気軒昂で、地域広布のために歩かれていると伺っている。
大聖人は、病と闘う富木尼を励まして言われた。
『末法の今の女性が、法華経を信受して、寿命を延ばすことは、秋に稲が実り、冬に菊の花が咲くようなもので、誰が驚くでしょうか』(P985、通解)と。
いかなる宿命も必ずや転換し、人生の四季を「常楽我浄」という生命の実りと彩りで最高に充実させていくために、妙法はあるのだ。
大聖人は、『願わくは、日天、月天よ、尼御前の命に代わって助けられよ』(P978、通解)とまで強く祈られていた。
この御本仏のお心を深く拝し、私と妻も、わが久遠の創価家族の皆様方のご健康とご長寿を、ひたぶるに祈る日々である。
ともあれ、日本、いな世界には、「清浄」「高潔」との菊の花言葉の如き、尊い広布の母が無数におられる。だからこそ、学会は強い。
私たちは、気高き婦人部に心から感謝を捧げたい。
永遠に異体同心で前進!
新時代を開くのは
我らの決定した一念だ。
勇猛果敢に打って出よ!
撰時抄 P265
『教主釈尊記して云く末代悪世に法華経を弘通するものを悪口罵詈等せん人は我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり』
◇希望の明日へ
草創の先輩は、長年ともに戦ってきた同志のためにも、自分自身が"幸福の春"を勝ち取らねばならない。後輩の人が、その姿を見て、ああよかった、信心を続けた人はあんなに立派になり、幸福になるのだと、喜んでいかれるだけの歴史を示していかなければならない。
平2・4・29
☆100文字の幸福抄
心は不思議である。心は微妙である。
こちらが悪い感情を抱いていると、
相手にもそれが伝わっている。
こちらが笑顔の思いで提すれば、
相手にも微笑みの心が宿る。
相手はいわば、
自分にとっての鏡のような存在である。
☆我らの勝利の大道No.089 「創立」の原点に誓う
◇広布の大願へ 勇猛精進で!
大輪の
菊花満開
創価かな
十一月十八日「創立の日」を迎える学会本部は今、全国の同志から届けられた菊の花で輝いている。
東京の足立、山梨、茨城の土浦・筑波、京都の友らが丹精込めた菊花が眩い。山科王朝グループの創作屏風も華やかだ。
さらに大阪の泉州総県、また、文化本部の「菊花グループ」等の方々からの真心の大輪も香しい。
日蓮大聖人は仰せになられた。
『菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ』(P1095)
他の草が秋になって枯れても、菊は咲いているため「仙草」(妙なる草の意)と呼ばれた。同じように、"世の中が乱れている時にこそ、聖人と愚人は明らかになる"と示されている。
試練の時にこそ、人間の真価は光る。ゆえに、苦難にも胸を張り、朗らかに自分らしく開花しゆくのだ。
菊で思い出すのは、昭和五十三年(一九七八年)の「創立の月」、私が大阪・泉佐野市の泉州文化会館を初訪問した時のことである。
この折、会館は千二百鉢を超す菊に彩られていた。わが同志が、一年前から育ててくださったものだ。
どんな時も、寄り添う。温かく、粘り強く励まし続ける。菊作りの労作業は、人材育成にも通じようか。
美事な菊花は、今や地域の名物ともなっている。
この泉州をはじめ大関西の人材城からは、先輩方の熱い激励に包まれ、「負けたらあかん」との常勝の心を継ぐニューパワーの青年が陸続と育っている。
先日、泉州の天地には、新たな宝城・高石文化会館も堂々と誕生した。
わが愛する関西の同志の菊花満開の笑顔が、私には何よりの喜びである。
◇偉大な母に感謝!
泉州文化会館で、妻と共に、一人のご婦人と語り合ったことも懐かしい。
その方は、若くして夫を亡くされ、女手一つで三人のお子さんを育ててこられた。夫が営んでいた会社を継ぎ、自らが社長に就いた。仕事や育児に加え、広布の活動も、一歩も引かずに頑張っておられた。
偉大な母の奮闘を聞き、私は、すぐさま提案した。
「明日、ご主人の法要を行いましょう」
翌日、会館に集ってこられたお子さんに、私は、「日本一のお母さんだよ」と心から讃えた。
人類の幸福といっても、母を大切にすることから始まる。母を大切にする社会は、必ず勝ち栄えていく。
今、ご長男は会社を継ぎ、立派に親孝行の道を歩まれ、錦宝会(多宝会)となられた母も、ますます意気軒昂で、地域広布のために歩かれていると伺っている。
大聖人は、病と闘う富木尼を励まして言われた。
『末法の今の女性が、法華経を信受して、寿命を延ばすことは、秋に稲が実り、冬に菊の花が咲くようなもので、誰が驚くでしょうか』(P985、通解)と。
いかなる宿命も必ずや転換し、人生の四季を「常楽我浄」という生命の実りと彩りで最高に充実させていくために、妙法はあるのだ。
大聖人は、『願わくは、日天、月天よ、尼御前の命に代わって助けられよ』(P978、通解)とまで強く祈られていた。
この御本仏のお心を深く拝し、私と妻も、わが久遠の創価家族の皆様方のご健康とご長寿を、ひたぶるに祈る日々である。
ともあれ、日本、いな世界には、「清浄」「高潔」との菊の花言葉の如き、尊い広布の母が無数におられる。だからこそ、学会は強い。
私たちは、気高き婦人部に心から感謝を捧げたい。
2012年12月3日月曜日
2012.12.03 わが友に贈る
愛する大関西の
誓いの友よ!
新たな常勝の空へ
破竹の勢いで進め!
錦州城に凱歌あれ!
法蓮抄 P1041
『仏は二百五十戒を持ち三千の威儀をととのへ給いしかば諸の天人これを渇仰し四衆これを恭敬す』
◇今週のことば
波浪は障害にあうごとに
その頑固の度を増す。
不屈の祈りで
挑戦、また挑戦だ。
そこに勝利の旗が!
2012年12月03日
◇希望の明日へ
学会員は一生成仏のために仏道修行をしている。また、世界の人々の幸福のためにも、広宣流布を進めている。仏道修行にも、広布の戦いにも、数々の苦難はある。幸福という理想と、仏道修行という労苦の現実という"落差"に悩む人がいるかもしれない。しかし、仏道修行、広宣流布のための労苦は、幸福を築くための労苦である。それは、理想と現実の"落差"ではなく、幸福のための"直通"である。
平1・2・20
☆100文字の幸福抄
「美しい姿勢」は、さわやかで、
はつらつとした印象を与える。
まず、気持ちを一新する。
心がけしだいで立ち居振る舞いも美しくなる。
「健康になろう。そのために動こう」との一念で、
生き生きと行動することが
心身の健康を生む。
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第8回「秀才とは親孝行の人なり」
──仏法でも「声仏事を為す」と、声や言葉の重要性が強調されています。
名誉会長 先日、創価学園を訪問してくださったモンゴルの大詩人メンドオーヨ先生(モンゴル文化詩歌アカデミー総裁)も言われていました。
「言葉ほど力強いものはありません。言葉は使い方によって、『光の言葉』として人々を輝かすことができます」と。
真心を言葉にすることです。
「お母さん、いつもありがとうございます」
「お父さん、肩でももみましょうか」
「毎日、健康を祈っています」
「必ず立派になって、将来は海外旅行に連れて行きます」
たまには、これくらいのことを言ってあげようよ。「熱でもあるのか?」と心配されるかもしれないが(笑い)、心ではうれしいよ。
ともあれ、何か特別なことをするのが親孝行とは限らない。
毎朝、早く起きて、きちんと朝食を食べて学校に行く。勉強を頑張る。友達と仲良くする──そうした行動一つ一つが親孝行につながります。
──お父さんやお母さんがいなくて、人知れず、寂しい思いをしているメンバーも、少なくありません。
名誉会長 よく、分かります。でも、みんなは師子の子です。強く明るく朗らかに、胸を張って生きていくんです。
お母さん一人ならば、お父さんの分まで2倍、大事にしてあげていただきたい。お父さん一人ならば、お母さんの代わりになって支えてあげてください。
親を亡くした友もいるでしょう。しかし、あなたの胸の中で生きておられる。御本尊を拝すれば、御本尊の中におられます。題目で結ばれています。いつも成長を見守ってくれている。みんなの努力に必ず大拍手を送ってくれているのです。
日蓮大聖人は、母を亡くした門下に、仰せになられた。
「我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が□は父母の口なり」(同977ページ)
ゆえに、父母から授かった我が身を使って広宣流布に励む功徳は、そのまま、すべて父母の生命に伝わっていきます。
君の勝利の姿が、父母の勝利の姿なのです。
──「どうしても親を尊敬できない」と言うメンバーもいます。
名誉会長 今はそれでもいい。親がどうあれ、自分は自分です。一人の人間として、思う存分、伸びていこうよ。かけがえのない、わが青春なのだから。
自分だけでは抱えきれない、難しい問題があったら、信頼できる学会の先輩に相談してください。
そのうえで忘れてはならないのは、「生んでくれたこと自体に大恩がある」ということです。親も人間です。決して完璧ではない。
聡明な皆さんは、どうか、親の悩みや苦労も察してあげられる「大人」になってください。
戸田先生は「親をも愛せない者には、広宣流布はできない!」と、あえて厳しく言われました。
親子の縁は不思議であり、深い意味がある。みんな、偉大な使命を果たさんがために、自分の親を選んで生まれてきたんだ。
だからこそ、親を大切にすることは、生まれてきたこと、生きることへの感謝の表れです。親孝行しようという心は、自身の生命を大きく開くことになるのです。
ともあれ、皆さんには、共に悩み、共に祈ってくれる創価家族もついています。私も一緒です。
大きな明るい心で、楽しく賑やかに希望の新年を迎えようよ!
誓いの友よ!
新たな常勝の空へ
破竹の勢いで進め!
錦州城に凱歌あれ!
法蓮抄 P1041
『仏は二百五十戒を持ち三千の威儀をととのへ給いしかば諸の天人これを渇仰し四衆これを恭敬す』
◇今週のことば
波浪は障害にあうごとに
その頑固の度を増す。
不屈の祈りで
挑戦、また挑戦だ。
そこに勝利の旗が!
2012年12月03日
◇希望の明日へ
学会員は一生成仏のために仏道修行をしている。また、世界の人々の幸福のためにも、広宣流布を進めている。仏道修行にも、広布の戦いにも、数々の苦難はある。幸福という理想と、仏道修行という労苦の現実という"落差"に悩む人がいるかもしれない。しかし、仏道修行、広宣流布のための労苦は、幸福を築くための労苦である。それは、理想と現実の"落差"ではなく、幸福のための"直通"である。
平1・2・20
☆100文字の幸福抄
「美しい姿勢」は、さわやかで、
はつらつとした印象を与える。
まず、気持ちを一新する。
心がけしだいで立ち居振る舞いも美しくなる。
「健康になろう。そのために動こう」との一念で、
生き生きと行動することが
心身の健康を生む。
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第8回「秀才とは親孝行の人なり」
──仏法でも「声仏事を為す」と、声や言葉の重要性が強調されています。
名誉会長 先日、創価学園を訪問してくださったモンゴルの大詩人メンドオーヨ先生(モンゴル文化詩歌アカデミー総裁)も言われていました。
「言葉ほど力強いものはありません。言葉は使い方によって、『光の言葉』として人々を輝かすことができます」と。
真心を言葉にすることです。
「お母さん、いつもありがとうございます」
「お父さん、肩でももみましょうか」
「毎日、健康を祈っています」
「必ず立派になって、将来は海外旅行に連れて行きます」
たまには、これくらいのことを言ってあげようよ。「熱でもあるのか?」と心配されるかもしれないが(笑い)、心ではうれしいよ。
ともあれ、何か特別なことをするのが親孝行とは限らない。
毎朝、早く起きて、きちんと朝食を食べて学校に行く。勉強を頑張る。友達と仲良くする──そうした行動一つ一つが親孝行につながります。
──お父さんやお母さんがいなくて、人知れず、寂しい思いをしているメンバーも、少なくありません。
名誉会長 よく、分かります。でも、みんなは師子の子です。強く明るく朗らかに、胸を張って生きていくんです。
お母さん一人ならば、お父さんの分まで2倍、大事にしてあげていただきたい。お父さん一人ならば、お母さんの代わりになって支えてあげてください。
親を亡くした友もいるでしょう。しかし、あなたの胸の中で生きておられる。御本尊を拝すれば、御本尊の中におられます。題目で結ばれています。いつも成長を見守ってくれている。みんなの努力に必ず大拍手を送ってくれているのです。
日蓮大聖人は、母を亡くした門下に、仰せになられた。
「我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が□は父母の口なり」(同977ページ)
ゆえに、父母から授かった我が身を使って広宣流布に励む功徳は、そのまま、すべて父母の生命に伝わっていきます。
君の勝利の姿が、父母の勝利の姿なのです。
──「どうしても親を尊敬できない」と言うメンバーもいます。
名誉会長 今はそれでもいい。親がどうあれ、自分は自分です。一人の人間として、思う存分、伸びていこうよ。かけがえのない、わが青春なのだから。
自分だけでは抱えきれない、難しい問題があったら、信頼できる学会の先輩に相談してください。
そのうえで忘れてはならないのは、「生んでくれたこと自体に大恩がある」ということです。親も人間です。決して完璧ではない。
聡明な皆さんは、どうか、親の悩みや苦労も察してあげられる「大人」になってください。
戸田先生は「親をも愛せない者には、広宣流布はできない!」と、あえて厳しく言われました。
親子の縁は不思議であり、深い意味がある。みんな、偉大な使命を果たさんがために、自分の親を選んで生まれてきたんだ。
だからこそ、親を大切にすることは、生まれてきたこと、生きることへの感謝の表れです。親孝行しようという心は、自身の生命を大きく開くことになるのです。
ともあれ、皆さんには、共に悩み、共に祈ってくれる創価家族もついています。私も一緒です。
大きな明るい心で、楽しく賑やかに希望の新年を迎えようよ!
2012年12月2日日曜日
2012.12.02 わが友に贈る
「強盛の信心
弥弥悦びをなすべし」
さあ今日も前進!
断じて悔いを残すな!
猛然と自身の壁を破れ!
辧殿御消息 P1225
『おのおのは随分の日蓮がかたうどなり、しかるをなづきをくだきていのるにいままでしるしのなきはこの中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ、をもいあわぬ人をいのるは水の上に火をたき空にいゑをつくるなり』
◇希望の明日へ
いうまでもないが、お金もまた、一生を賭けるには、あまりにも"不確実な"そしてはかないものである。お金はイコール "確実な幸福"ではない。むしろ、"財産"があるゆえに不幸になる場合もあまりに多い。まさに大聖人の仰せのごとく『南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の恩出なるべき』(P467)なのである。この御金言を心に深く刻みながら、広布と信心に進みゆくわが人生こそ"最高の幸福"と確信し、晴れやかに、また堂々と生きぬいていただきたい。
昭62・11・15
☆100文字の幸福抄
自分の個性を鍛え上げた人は美しい。
すぐ消えてしまう「一時の美」ではなく
ずっと続く「一生涯の美」である。
その人は他人をうらやまない。
他人を妬まない。
その人自身の心が
夏の高原の青空のように晴ればれとしている。
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第8回「秀才とは親孝行の人なり」
──リサールは、19世紀の後半、植民地として支配されていたフィリピンを独立に導いた英雄です。35歳の若さで革命に殉じました。言語学者や詩人、小説家、医師、美術家、農学者、教育者としても活躍した、「アジアのルネサンス人」と言うべき万能の偉人です。
名誉会長 そうだね。彼の才能の原点は、両親、特に母親の愛情あふれる教育でした。
お母さんは、リサールが幼いころから読書を勧め、時には読み聞かせもしてあげました。その時、聞いた物語が、生涯、彼を支えました。
お母さんと共に「語学」を学び、世界市民の大きな心を養い、のちに22もの言語を使いこなせるようになっています。
ところがある時、そのお母さんが、支配者たちの策略によって、2年半もの間、投獄されてしまう。もちろん、まったく無実の罪です。学問があったお母さんは、権力者の言いなりにはならず、ねたまれ、憎まれていたのです。
理不尽な権力の魔性を目の当たりにしたリサール少年は、祖国の独立を誓います。母のため、国のため、立ち上がったのです。その勇者の精神は、今もフィリピンの大地に光り輝いています。
──"親の恩に報いるんだ!"との思いが、リサールの精神を、迫害をも恐れぬ強い魂へと磨いていったのですね。
名誉会長 その通りです。
私の大好きな沖縄の民謡(「てぃんさぐぬ花」)には、"天の星は数えようと思えば数えられるけれど、親の教えは数え切れない"という歌詞があります。親は、子どもが見えないところで、想像できない苦労を重ねて、君たちを育ててくれています。そうした親の恩を知り、恩に報いていく時、大いなる力が湧きます。
日蓮大聖人は、12歳の時、父母の恩に報いようと、『日本第一の智者となし給へ』(P888)との誓願を立てられました。
心こそ、一切の根本です。
「親孝行」という心があれば、人間は、どこまでも成長していけるんです。
そのうえで、具体的な"親孝行の方法"があります。
大聖人は、青年門下の南条時光に、「親に良い物をあげようと思っても、何もできない時は、せめて日に二度、三度、笑顔を見せてあげなさい」(御書1527ページ、通解)と、実に分かりやすく教えてくださっています。
みんなは、まだ働いていないんだから、無理して高価な物をプレゼントしたら、かえって心配をかけてしまうでしょう。
でも、笑顔は"タダ"です。自分の"心の銀行"から、いくらでも引き出すことができる。しかも、親が一番、喜んでくれる。
わが子が笑顔であれば、親は無条件で幸せなのです。
──「素直に笑顔になれない」「いまさら照れくさい」というメンバーもいるかもしれません……。
名誉会長 まあ、思春期だもの。しょうがない一面もある。笑顔が苦手であれば、元気よく声を出すことです。
特に、返事が大事だ。「はい!」の一言は、親を安心させる"魔法の言葉"なんだよ。
「いってらっしゃい。気をつけるのよ」「はい! いってきます」
「ちょっと、宿題がまだでしょう」「はい!今やります」(笑い)
「いいかげん、テレビ消して!」「はい! すぐ消します」(爆笑)
何でもいいんだよ。とにかく元気に「はい!」と返事をすることです。そうすれば、親はまず安心するんです。
「宿題したの?」
「うるさい」
「早く寝なさい」 「やだ」
「歯を磨きなさい」 「ウザい」
これでは、親がかわいそうだ。親は、いつだってうるさいものです。"ああ、うちの親は、エネルギーが有り余っていて、いいな"ととらえていくことです(笑い)。
明るい返事一つで、親も自分も、驚くほど心が明るくなる。家庭の雰囲気が温かくなる。みんなの返事には、それほど大きな力がある。
◎「希望の明日」へはきょうから「幸福・福運」です!(^^)!
弥弥悦びをなすべし」
さあ今日も前進!
断じて悔いを残すな!
猛然と自身の壁を破れ!
辧殿御消息 P1225
『おのおのは随分の日蓮がかたうどなり、しかるをなづきをくだきていのるにいままでしるしのなきはこの中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ、をもいあわぬ人をいのるは水の上に火をたき空にいゑをつくるなり』
◇希望の明日へ
いうまでもないが、お金もまた、一生を賭けるには、あまりにも"不確実な"そしてはかないものである。お金はイコール "確実な幸福"ではない。むしろ、"財産"があるゆえに不幸になる場合もあまりに多い。まさに大聖人の仰せのごとく『南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の恩出なるべき』(P467)なのである。この御金言を心に深く刻みながら、広布と信心に進みゆくわが人生こそ"最高の幸福"と確信し、晴れやかに、また堂々と生きぬいていただきたい。
昭62・11・15
☆100文字の幸福抄
自分の個性を鍛え上げた人は美しい。
すぐ消えてしまう「一時の美」ではなく
ずっと続く「一生涯の美」である。
その人は他人をうらやまない。
他人を妬まない。
その人自身の心が
夏の高原の青空のように晴ればれとしている。
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第8回「秀才とは親孝行の人なり」
──リサールは、19世紀の後半、植民地として支配されていたフィリピンを独立に導いた英雄です。35歳の若さで革命に殉じました。言語学者や詩人、小説家、医師、美術家、農学者、教育者としても活躍した、「アジアのルネサンス人」と言うべき万能の偉人です。
名誉会長 そうだね。彼の才能の原点は、両親、特に母親の愛情あふれる教育でした。
お母さんは、リサールが幼いころから読書を勧め、時には読み聞かせもしてあげました。その時、聞いた物語が、生涯、彼を支えました。
お母さんと共に「語学」を学び、世界市民の大きな心を養い、のちに22もの言語を使いこなせるようになっています。
ところがある時、そのお母さんが、支配者たちの策略によって、2年半もの間、投獄されてしまう。もちろん、まったく無実の罪です。学問があったお母さんは、権力者の言いなりにはならず、ねたまれ、憎まれていたのです。
理不尽な権力の魔性を目の当たりにしたリサール少年は、祖国の独立を誓います。母のため、国のため、立ち上がったのです。その勇者の精神は、今もフィリピンの大地に光り輝いています。
──"親の恩に報いるんだ!"との思いが、リサールの精神を、迫害をも恐れぬ強い魂へと磨いていったのですね。
名誉会長 その通りです。
私の大好きな沖縄の民謡(「てぃんさぐぬ花」)には、"天の星は数えようと思えば数えられるけれど、親の教えは数え切れない"という歌詞があります。親は、子どもが見えないところで、想像できない苦労を重ねて、君たちを育ててくれています。そうした親の恩を知り、恩に報いていく時、大いなる力が湧きます。
日蓮大聖人は、12歳の時、父母の恩に報いようと、『日本第一の智者となし給へ』(P888)との誓願を立てられました。
心こそ、一切の根本です。
「親孝行」という心があれば、人間は、どこまでも成長していけるんです。
そのうえで、具体的な"親孝行の方法"があります。
大聖人は、青年門下の南条時光に、「親に良い物をあげようと思っても、何もできない時は、せめて日に二度、三度、笑顔を見せてあげなさい」(御書1527ページ、通解)と、実に分かりやすく教えてくださっています。
みんなは、まだ働いていないんだから、無理して高価な物をプレゼントしたら、かえって心配をかけてしまうでしょう。
でも、笑顔は"タダ"です。自分の"心の銀行"から、いくらでも引き出すことができる。しかも、親が一番、喜んでくれる。
わが子が笑顔であれば、親は無条件で幸せなのです。
──「素直に笑顔になれない」「いまさら照れくさい」というメンバーもいるかもしれません……。
名誉会長 まあ、思春期だもの。しょうがない一面もある。笑顔が苦手であれば、元気よく声を出すことです。
特に、返事が大事だ。「はい!」の一言は、親を安心させる"魔法の言葉"なんだよ。
「いってらっしゃい。気をつけるのよ」「はい! いってきます」
「ちょっと、宿題がまだでしょう」「はい!今やります」(笑い)
「いいかげん、テレビ消して!」「はい! すぐ消します」(爆笑)
何でもいいんだよ。とにかく元気に「はい!」と返事をすることです。そうすれば、親はまず安心するんです。
「宿題したの?」
「うるさい」
「早く寝なさい」 「やだ」
「歯を磨きなさい」 「ウザい」
これでは、親がかわいそうだ。親は、いつだってうるさいものです。"ああ、うちの親は、エネルギーが有り余っていて、いいな"ととらえていくことです(笑い)。
明るい返事一つで、親も自分も、驚くほど心が明るくなる。家庭の雰囲気が温かくなる。みんなの返事には、それほど大きな力がある。
◎「希望の明日」へはきょうから「幸福・福運」です!(^^)!
2012年12月1日土曜日
2012.12.01 わが友に贈る
正義の魂燃ゆる
東海道の同志よ!
旭日の大生命力で
平和の楽土を築け!
総仕上げの時は今!
三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』
◇希望の明日へ
立場や民族を超えた友情を築けるかどうか。それが人類の未来を決する。友情が、二十一世紀のキーワードである。もちろん人間であるかぎり、永遠に、何らかの対立や相克、意見の違いはある。しかし、それで憎しみ合ったり、殺し合いをしたりする必要は絶対にない。皆、地球という「共通の家」に住んでいる人類家族である。
平5・6・22
☆100文字の幸福抄
清々しい声の人でありたい。
声には、その人の真の姿がそのまま表れる。
私がお会いしてきた一流の人物は
例外なく立派な声をされていた。
声は人格である。
声は心である。
ゆえに、心を磨き、声を大切にしてほしい。
☆大白蓮華巻頭言12月号「信仰とは不屈の旗なり」
恐れるな
蓮華の法は
何ものも
乗り越え楽しく
境涯長者と
人生は早い。月日の経つスピードは、年齢を重ねるごとに、加速していくように感じられるものだ。
日蓮大聖人は、『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』(P955)と仰せになられた。
大聖人と御一緒にとの思いで、私たちは一日一日を大切に丁寧に、広宣流布の大願に生き抜いていきたい。
誰人にも、月月・日日に、越えねばならない坂があるであろう。
どんなに険しい坂であっても、我らは題目を唱え、同志と励まし合い、断固と上り切っていくのだ。また、必ず上り切ることができる。そして一年の棹尾に、「今年も断じて負けなかった!」「来年も絶対に勝ってみせる!」と不屈の旗を掲げるのだ。これが、「人間革命」の年輪となる。
師・戸田城聖先生の叫びが蘇る。
「つまずき倒れれば、大地を踏みしめて立つように、何度でも立ち上がれる力こそ、信心だよ。何があろうと、びくともするな!」と。
経済苦や病気、また人間関係など、深い悩みに直面する友を、先生は抱きかかえるように励まし続けた。
「難が大きい分、必ず大きく勝ち切れる。今の苦労を糧に、大勢め人を救いゆく大境涯を開いて、常楽我浄の人生を何千回、いな何億回と、楽しく繰り返していけるんだよ!」
妙法に照らして、永遠という次元から見れば、今世の試練は、すべて自他共に金剛不壊の幸福境涯を勝ち取っていくための現象である。
その変毒為薬の実証を示す「心の財」の長者の方々が、日本中、世界中に光っておられるではないか。
ある年の瀬、大聖人は上野尼御前の真心に感謝され、こう記された。
『此の御志は・いかんがせんと・うれしくをもひ候ところに・両眼より・ひとつのなんだを・うかべて候』(P1583)
私には、さながら尊き多宝の母である学会婦人部の皆様方への讃嘆と拝されてならない。
また、この母の信心に続く娘(重須殿女房)へ贈られたのが、正月の御文として有名な十字御書である。
『法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし』(P1492)とは、絶対の約束であられる。
「先駆」の誉れも高き北九州に、夫を戦争で奪われ、郵便配達をしながら、娘を育て上げた女性がいる。戦時中、非国民呼ばわりされても、捕虜の敵兵たちに飲み水を汲んであげた慈愛と信念の母であった。
戦後、平和を願い、広宣流布のため、愛娘と全身全霊で奔走された。悪口罵詈にも怯まず、愛する郷土に立正安国の対話を広げ抜いた。
最晩年は、後継の友たちの何より嬉しい勝利の晴れ姿を見届け、「大九州、万歳!」「創価学会、万歳!」と声高らかに叫び切って、所願満足の人生を飾っていかれたのである。
あまりにも崇高な父母たちが命を賭して築き上げた創価の人材城に、いよいよ民衆凱歌の万歳を轟かせていくのが「青年学会 勝利の年」だ。
古代ローマの哲人セネカは「王者とは、何も恐れぬ者」と結論した。
我らは妙法と共に、恐れなき人間王者、信仰王者の心で、境涯を開き、仏縁を結び、新たな栄光の旗を打ち立てようではないか!
堂々と
また晴れ晴れと
この人生
勝ち抜け断固と
王者の如くに
東海道の同志よ!
旭日の大生命力で
平和の楽土を築け!
総仕上げの時は今!
三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』
◇希望の明日へ
立場や民族を超えた友情を築けるかどうか。それが人類の未来を決する。友情が、二十一世紀のキーワードである。もちろん人間であるかぎり、永遠に、何らかの対立や相克、意見の違いはある。しかし、それで憎しみ合ったり、殺し合いをしたりする必要は絶対にない。皆、地球という「共通の家」に住んでいる人類家族である。
平5・6・22
☆100文字の幸福抄
清々しい声の人でありたい。
声には、その人の真の姿がそのまま表れる。
私がお会いしてきた一流の人物は
例外なく立派な声をされていた。
声は人格である。
声は心である。
ゆえに、心を磨き、声を大切にしてほしい。
☆大白蓮華巻頭言12月号「信仰とは不屈の旗なり」
恐れるな
蓮華の法は
何ものも
乗り越え楽しく
境涯長者と
人生は早い。月日の経つスピードは、年齢を重ねるごとに、加速していくように感じられるものだ。
日蓮大聖人は、『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』(P955)と仰せになられた。
大聖人と御一緒にとの思いで、私たちは一日一日を大切に丁寧に、広宣流布の大願に生き抜いていきたい。
誰人にも、月月・日日に、越えねばならない坂があるであろう。
どんなに険しい坂であっても、我らは題目を唱え、同志と励まし合い、断固と上り切っていくのだ。また、必ず上り切ることができる。そして一年の棹尾に、「今年も断じて負けなかった!」「来年も絶対に勝ってみせる!」と不屈の旗を掲げるのだ。これが、「人間革命」の年輪となる。
師・戸田城聖先生の叫びが蘇る。
「つまずき倒れれば、大地を踏みしめて立つように、何度でも立ち上がれる力こそ、信心だよ。何があろうと、びくともするな!」と。
経済苦や病気、また人間関係など、深い悩みに直面する友を、先生は抱きかかえるように励まし続けた。
「難が大きい分、必ず大きく勝ち切れる。今の苦労を糧に、大勢め人を救いゆく大境涯を開いて、常楽我浄の人生を何千回、いな何億回と、楽しく繰り返していけるんだよ!」
妙法に照らして、永遠という次元から見れば、今世の試練は、すべて自他共に金剛不壊の幸福境涯を勝ち取っていくための現象である。
その変毒為薬の実証を示す「心の財」の長者の方々が、日本中、世界中に光っておられるではないか。
ある年の瀬、大聖人は上野尼御前の真心に感謝され、こう記された。
『此の御志は・いかんがせんと・うれしくをもひ候ところに・両眼より・ひとつのなんだを・うかべて候』(P1583)
私には、さながら尊き多宝の母である学会婦人部の皆様方への讃嘆と拝されてならない。
また、この母の信心に続く娘(重須殿女房)へ贈られたのが、正月の御文として有名な十字御書である。
『法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし』(P1492)とは、絶対の約束であられる。
「先駆」の誉れも高き北九州に、夫を戦争で奪われ、郵便配達をしながら、娘を育て上げた女性がいる。戦時中、非国民呼ばわりされても、捕虜の敵兵たちに飲み水を汲んであげた慈愛と信念の母であった。
戦後、平和を願い、広宣流布のため、愛娘と全身全霊で奔走された。悪口罵詈にも怯まず、愛する郷土に立正安国の対話を広げ抜いた。
最晩年は、後継の友たちの何より嬉しい勝利の晴れ姿を見届け、「大九州、万歳!」「創価学会、万歳!」と声高らかに叫び切って、所願満足の人生を飾っていかれたのである。
あまりにも崇高な父母たちが命を賭して築き上げた創価の人材城に、いよいよ民衆凱歌の万歳を轟かせていくのが「青年学会 勝利の年」だ。
古代ローマの哲人セネカは「王者とは、何も恐れぬ者」と結論した。
我らは妙法と共に、恐れなき人間王者、信仰王者の心で、境涯を開き、仏縁を結び、新たな栄光の旗を打ち立てようではないか!
堂々と
また晴れ晴れと
この人生
勝ち抜け断固と
王者の如くに
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