2012年7月13日金曜日

2012.07.13 わが友に贈る

今の苦労が
全部、生きてくるのが
変毒為薬の仏法だ。
信心あるかぎり
希望の門は開く!

経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』

◇希望の明日へ
信心で大切なのは、行動である。広布のため、法のため、人々のために、やむにやまれず、自らの決意で行動した分だけ、自身の福徳となる。行動の人は、つねに若々しく、前進がある。行動のない、観念の信心は、空転するだけで成長はない。
平6・3・10

☆みんなで学ぶ教学 No.001「正法・像法・末法」
◇万人を救う希望の教え
末法の特徴について、同じく「大集経」では「闘評言訟・白法隠没」と説かれています。
「闘評」とは"争い"を、「白法」とは"清浄な善の法"すなわち釈尊の正しい教えを意味します。
末法は、仏法の争いが起こり、釈尊の正しい教えが分からなくなり、埋没してしまう時代なのです。
混乱は、仏教内部のみにとどまりません。人々の生命それ自体が、以前にも増して、「貪り」「瞑り」「裔か」の三毒に支配されるため、社会においても争いや対立が絶えなくなります。
いわば、仏法も社会も行き詰まった時代が末法であるといえます。
大聖人は、混迷の時代である末法の全ての人々を救済するために、法華経の肝要の法である南無妙法蓮華経を打ち立てられました。南無妙法蓮華経の唱題行によって、一人一人が「貪(むさぼ)り」「瞋(いか)り」「癡(おろ)か」の生命を打ち破り、自身に元来具わる仏の生命を開き顕すことができるようになったのです。
大聖人は『今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり』(P720)、『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし』(P329)と述べられています。
日蓮大聖人の仏法こそ、末法の闇を照らす希望の太陽であり、今を生きる全ての人々を幸福にし、世界の平和と人類の繁栄を実現する万能薬なのです。

◇更なる理解のために
戸田第2代会長は、「同じ法華経にも、仏と、時と、衆生の機根とによって、その表現が違うのである。その極理は一つであっても、その時代の衆生の仏縁の浅深厚薄によって、種々の差別があるのである」と述べ、具体的に�釈尊在世と正法の法華経は「釈尊の法華経28品」�像法の法華経は「天台大師の摩詞止観」�末法の法華経は「日蓮大聖人の南無妙法蓮華経」と教えています。
時代によってさまざまな法華経がある──『法華経 方便品・寿量品講義』の冒頭部分や、『法華経の智慧』の序品�において、このことが詳しく述べられています。