学会の会館は
平和と安心の大城。
周辺および館内の
整理整頓、安全点検を!
役員の皆様に感謝!
四条金吾殿御返事 P1180
『此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』
◇希望の明日へ
ひるむ前に行動である。行動すれば、どんな困難の山も越えられる。まず足を踏み出すことである。前に進むことである。一歩一歩、焦らず、弛まず、登ることである。
平5・11・21
☆みんなで学ぶ教学 No.001「正法・像法・末法」
仏法に説かれるさまざまな教えを学ぶと、信仰への確信が一段と深まり、さらなる実践の原動力となります。新連載「みんなで学ぶ教学〜新会員のための仏法用語〜」では、信心を深める上で大切な言葉を順次、取り上げます。第1回は「正法・像法・末法」。日蓮大聖人が説き顕された南無妙法蓮華経こそ、争いが絶えない時代である末法の全民衆を救う大法であることを学びます。
◇時の変遷と弘めるべき法
仏法は、現実社会で生きる人々を救済するために説かれたのであり、救われるべき人々の背景となる時代との関わりを抜きに考えることはできません。
時代の移り変わりとともに、弘めるべき法も変わっていきます。
釈尊の在世には衆生を救済できた教えであっても、時代が下るにつれて、人々の機根(仏法を理解する能力)が悪くなるために、次第に通用しなくなるのです。
仏法では、こうした仏滅後の時代の推移を「正法」「像法」「末法」と立て分けています。これらをまとめて「三時」、あるいは「正・像・末の三時」といいます。
「正法」とは、仏法が正しく弘められていく時代。
「像法」とは、仏法が形式化、形骸化(形だけになる)していく時代。そして「末法」とは、仏法本来の精神が失われた時代です。
仏教では、この三つの時代のそれぞれの長さについてさまざまな説がありました。
日蓮大聖人は、正法千年、像法千年、それ以降を末法とする説を用いられています。
実際に、各時代の仏法の正しい実践者は、三時のそれぞれに応じた教えを実践し、弘めていきました。その時代の人々の機根にあわせて仏法を説き弘めていったのです。
◇五百年ごとの区切り
大聖人が御書で引用されている「大集経」では、釈尊滅後の時代の移り変わりを、五百年ごとに五つに分けて示しています。
最初の五百年は悟りを得る人が多い「解脱堅固」の時代。「解脱」とは"悟り"のことです。「堅固」とは、それぞれの時代の様相がしっかりと定まっていることを指しています。
次の五百年は禅定(瞑想)の修行が盛んに行われる「禅定堅固」の時代です。
第三の五百年は経典の読誦や法門の聴聞が盛んに行われる「読誦多聞堅固」の時代、第四の五百年は堂塔や寺院が盛んに造られる「多造塔寺堅固」の時代です。
そして、第五の五百年には、仏法の中でさまざまな見解が入り乱れて争う「闘静堅固」の時代を迎えます。
今あげた「五箇の五百歳」と、先に述べた「正・像・末の三時」との対応について、「解脱堅固」「禅定堅固」が正法時代、次の「読誦多聞堅固」「多造塔寺堅固」が像法時代、そして第五の五百年間である「闘評堅固」が末法の初めにあたるとされています。