信心継承の夏!
親子で勤行・唱題し
わが家の広布史を
じっくり語り合おう。
価値ある日々を前進!
聖人御難事 P1190
『よからんは不思議わるからんは一定とをもへ』
◇希望の明日へ
短い一生である。その短い今世の人生で、永遠にわたる生命の軌道が決定されてしまう。八十年内外の一生を、名聞名利で飾ってみても、あとが永劫に地獄であっては何にもならない。ちょっとした臆病で退転し、悪道に堕ちてから後悔しても、もはや後悔しきれない。この一生を、どこまでも広布の前進とともに生き、徹底して苦楽をともにしていく−−その潔い信心の一念によって、三世にわたる絶対的な幸福境涯への軌道ができあがっていくことは間違いない。
昭63・4・10
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.024「さあ勇敢に打って出よ!」
戸田先生は、勇んで広布に走る友に、こう叫ばれた。
「時にめぐりあい、その時に生きるということは、人生の重大な問題である」
「仏勅によって与えられた、広宣流布のこの日にめぐりあっているわれらの喜び、誇りはこれ以上のものはない」
我らの天地に、永遠に崩れぬ「師弟不二の人材城」を築く時は、今である。断固として、誉れ高き「勝ち戦」の歴史を開いてもらいたい。
勝つことは、幸福である。皆が仏になるための戦いだ。広宣流布のために、頭を使い、心を砕く。その生命は、生々世々、大博士となり、大指導者となっていくのである。
新時代の「将の将」と立つ君よ! 師弟一体の「諸葛孔明」となって、悠々と、堂々と、皆を鼓舞する名指揮を執るのだ。呼吸を合わせ、心を合わせて、楽しく、「異体同心」の出発を頼みます。
今この時に集い合った皆さんこそが、広宣流布の永遠の勝利を決していくのである。
使命は大きい。これほど晴れがましい今世の劇はない。思い切り打って出て、栄光の舞台を飾ろう!
信心の「剣」を光らせるのは、勇気である。戦いは、徹して強気で、攻め抜いていくことだ。日々、油断することなく、一太刀一太刀、名刀を振りおろすように、鋭く先手先手を打っていくのだ。
日蓮大聖人も、『彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(P1190)と仰せではないか。
皆、誉れの創価の弟子らしく、「勇敢」に戦おう!
「勇敢」の二字を忘れるな!
2012年7月31日火曜日
2012年7月30日月曜日
2012.07.30 わが友に贈る
奮闘する受験生に
皆でエールを!
努力は必ず実る。
自分らしく
ベストを尽くせ!
弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』
◇今週のことば
青年が伸びゆく夏だ。
張りのある勤行で
生命力を満々と!
今日も強く楽しく
勇敢に挑戦の一歩を!
2012年07月30日
◇希望の明日へ
人生の終極の目標と、途上でのさまざまな課題。この両者をはき違えてしまうところに、人生の悲劇の大半の理由がある。社会的な地位も、名声も、財産も、決して人生究極の目的ではない。恋愛も、同様である。したがって、仮に、事業や恋愛に失敗することがあっても、それは人生そのものの敗北ではない。大切なのは、さまざまな挫折や失敗を乗り越え、大いなる目的のために、どう生かしきっていくかである。
昭63・1・15
☆広島・長崎・沖縄 青年部平和サミットへのメッセージ
創価三代の「平和の大誓願」を、誰にもまして真剣に誠実に粘り強く受け継いでくれている、沖縄、広島、長崎の青年部の皆さん、偉大なる歴史を刻みゆく「平和サミット」、誠におめでとう!
暑いなか、本当にご苦労様です。
主催の沖縄の皆さんをはじめ、尊き金の汗を流されゆく、わが誉れの友に、心から感謝申し上げます。
先月、ブラジルで「リオ+20」(国連持続可能な開発会議)が行われました。そのなかでとりわけ世界の首脳の注目を集めたのが、開会式でスピーチしたニュージーランドの若さ女性の言葉でした。
「私は今、燃える心でこの場に立っています。世界の状況に困惑し怒りに燃えています」
「私は自分の未来のために闘うためにここにいます。そのために私は今ここにいるのです」
持続可能な地球社会を展望する時、その前進を阻む"一凶"とは何か−−。それは、核兵器に象徴される、多くの人々の生命を犠牲にし、かけがえのない生態系を破壊してまでも、自らの欲望を満たそうという非人道性に他なりません。
この非人道性との大闘争を、今から55年前に「原水爆禁止宣言」で烈々と師子吼されたのが、わが師・戸田城聖先生なのであります。
この師の不二の弟子として、私は今日まで、ただひたすらに戦い続けてきました。その行動の結晶の一つが、今年で30回を数える平和提言の発表であります。
それは、平和を求める世界のリーダーや識者と対話を積み重ね、生命尊厳の哲学を実践する民衆の連帯を広げゆくなかで、一つ一つ、紡ぎ上げてきたものです。
大歴史家のトインビー博士が洞察されていたように、徹底して人と会い、対話を深め、友情の輪を幾重にも織り成すなかでこそ、新しき歴史創造の原動力は生み出すことができます。
どうか、わが後継の青年部の諸君も、徹して「対話」の波動を広げ、同世代の友と平和のスクラムを力強く組みながら、「核兵器のない世界」、そして「持続可能な地球社会」への大道を敢然と開いていっていただきたいのであります。
ここ沖縄で、かつて核ミサイルの発射基地だった場所に、「世界平和の碑」が建立されて今年で28周年になります。
この「世界平和の碑」を私が撮影した写真を、執務室の壁に大切に飾ってくださっているのが、大切な友人である、シドニー平和財団のスチュアート・リース理事長です。リース理事長は、私との対談で、より良い世界への変革を果たすために重要となるのは、他の人々の不幸や苦悩に対して、自発的に関心を持つ人々を増やしていくことであり、とくに青年の意識変革が大切だと指摘しておられました。
その上で、具体的な方法として、次の二つの段階を踏むごとが大切であると強調されていました。
第一段階は、「どうせ、何をしてもだめだ」という、あきらめの心を、まず克服すること。
第二段階は、ともに努力していく仲間との信頼を構築すること。そして、「小さな勝利」を一つ一つ積み重ねていくなかで、次のステップへと着実に進むことが肝要である、と。
その実践に、来る日も来る日も、取り組み続けてきたのが、わが創価の同志であります。牧口先生、戸田先生の時代から、学会の歴史は一貫して、この「無関心」と「無慈悲」の壁を打ち破ってきた、民衆の民衆による民衆のための「平和闘争」「人権闘争」の歴史に他なりません。
なかんずく、皆さん方の祖父母の世代、また父母の世代にあたる、沖縄、広島、長崎の同志こそ、『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』(P31)との立正安国論の魂のままに行動し抜いてこられた、最も偉大な使命の方々であります。
どうか、3県の青年部の皆さんは、この崇高な心を受け継ぎながら、「不戦の世紀の鐘」を世界に高らかに打ち鳴らしていってください。
あまりにも残酷な沖縄での地上戦、そして広島・長崎への原爆投下から70年の節目を迎える2015年を一つの目標とし、一人一人がそれぞれの立場で「小さな勝利」を日々、忍耐強く勝ち取りながら、「核兵器と戦争のない世界」を築き上げゆく"平和のリーダー"に大成長されることを、私は念願してやみません。
リース理事長と私の対談では、オーストラリアの詩人で、女性や先住民の人権の勝利のために戦ったメアリー・ギルモアの詩について語り合いました。その詩を、愛する3県の若き平和の盟友に贈り、私のメッセージといたします。
「闇黒の中からも
光は現れ
漆黒の夜からも
新たな日は始まる。
だからこそ、勇気を持て。希望を失ってはいけない。
日が暮れても
また朝は来るのだから」と。
沖縄、広島、長崎の青年部、万歳! 3県の偉大な連帯、万歳!
皆でエールを!
努力は必ず実る。
自分らしく
ベストを尽くせ!
弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』
◇今週のことば
青年が伸びゆく夏だ。
張りのある勤行で
生命力を満々と!
今日も強く楽しく
勇敢に挑戦の一歩を!
2012年07月30日
◇希望の明日へ
人生の終極の目標と、途上でのさまざまな課題。この両者をはき違えてしまうところに、人生の悲劇の大半の理由がある。社会的な地位も、名声も、財産も、決して人生究極の目的ではない。恋愛も、同様である。したがって、仮に、事業や恋愛に失敗することがあっても、それは人生そのものの敗北ではない。大切なのは、さまざまな挫折や失敗を乗り越え、大いなる目的のために、どう生かしきっていくかである。
昭63・1・15
☆広島・長崎・沖縄 青年部平和サミットへのメッセージ
創価三代の「平和の大誓願」を、誰にもまして真剣に誠実に粘り強く受け継いでくれている、沖縄、広島、長崎の青年部の皆さん、偉大なる歴史を刻みゆく「平和サミット」、誠におめでとう!
暑いなか、本当にご苦労様です。
主催の沖縄の皆さんをはじめ、尊き金の汗を流されゆく、わが誉れの友に、心から感謝申し上げます。
先月、ブラジルで「リオ+20」(国連持続可能な開発会議)が行われました。そのなかでとりわけ世界の首脳の注目を集めたのが、開会式でスピーチしたニュージーランドの若さ女性の言葉でした。
「私は今、燃える心でこの場に立っています。世界の状況に困惑し怒りに燃えています」
「私は自分の未来のために闘うためにここにいます。そのために私は今ここにいるのです」
持続可能な地球社会を展望する時、その前進を阻む"一凶"とは何か−−。それは、核兵器に象徴される、多くの人々の生命を犠牲にし、かけがえのない生態系を破壊してまでも、自らの欲望を満たそうという非人道性に他なりません。
この非人道性との大闘争を、今から55年前に「原水爆禁止宣言」で烈々と師子吼されたのが、わが師・戸田城聖先生なのであります。
この師の不二の弟子として、私は今日まで、ただひたすらに戦い続けてきました。その行動の結晶の一つが、今年で30回を数える平和提言の発表であります。
それは、平和を求める世界のリーダーや識者と対話を積み重ね、生命尊厳の哲学を実践する民衆の連帯を広げゆくなかで、一つ一つ、紡ぎ上げてきたものです。
大歴史家のトインビー博士が洞察されていたように、徹底して人と会い、対話を深め、友情の輪を幾重にも織り成すなかでこそ、新しき歴史創造の原動力は生み出すことができます。
どうか、わが後継の青年部の諸君も、徹して「対話」の波動を広げ、同世代の友と平和のスクラムを力強く組みながら、「核兵器のない世界」、そして「持続可能な地球社会」への大道を敢然と開いていっていただきたいのであります。
ここ沖縄で、かつて核ミサイルの発射基地だった場所に、「世界平和の碑」が建立されて今年で28周年になります。
この「世界平和の碑」を私が撮影した写真を、執務室の壁に大切に飾ってくださっているのが、大切な友人である、シドニー平和財団のスチュアート・リース理事長です。リース理事長は、私との対談で、より良い世界への変革を果たすために重要となるのは、他の人々の不幸や苦悩に対して、自発的に関心を持つ人々を増やしていくことであり、とくに青年の意識変革が大切だと指摘しておられました。
その上で、具体的な方法として、次の二つの段階を踏むごとが大切であると強調されていました。
第一段階は、「どうせ、何をしてもだめだ」という、あきらめの心を、まず克服すること。
第二段階は、ともに努力していく仲間との信頼を構築すること。そして、「小さな勝利」を一つ一つ積み重ねていくなかで、次のステップへと着実に進むことが肝要である、と。
その実践に、来る日も来る日も、取り組み続けてきたのが、わが創価の同志であります。牧口先生、戸田先生の時代から、学会の歴史は一貫して、この「無関心」と「無慈悲」の壁を打ち破ってきた、民衆の民衆による民衆のための「平和闘争」「人権闘争」の歴史に他なりません。
なかんずく、皆さん方の祖父母の世代、また父母の世代にあたる、沖縄、広島、長崎の同志こそ、『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』(P31)との立正安国論の魂のままに行動し抜いてこられた、最も偉大な使命の方々であります。
どうか、3県の青年部の皆さんは、この崇高な心を受け継ぎながら、「不戦の世紀の鐘」を世界に高らかに打ち鳴らしていってください。
あまりにも残酷な沖縄での地上戦、そして広島・長崎への原爆投下から70年の節目を迎える2015年を一つの目標とし、一人一人がそれぞれの立場で「小さな勝利」を日々、忍耐強く勝ち取りながら、「核兵器と戦争のない世界」を築き上げゆく"平和のリーダー"に大成長されることを、私は念願してやみません。
リース理事長と私の対談では、オーストラリアの詩人で、女性や先住民の人権の勝利のために戦ったメアリー・ギルモアの詩について語り合いました。その詩を、愛する3県の若き平和の盟友に贈り、私のメッセージといたします。
「闇黒の中からも
光は現れ
漆黒の夜からも
新たな日は始まる。
だからこそ、勇気を持て。希望を失ってはいけない。
日が暮れても
また朝は来るのだから」と。
沖縄、広島、長崎の青年部、万歳! 3県の偉大な連帯、万歳!
2012.07.29 わが友に贈る
わが街の発展に尽くす
地域部・団地部の
尊き汗に感謝!
皆様の地道な奮闘こそ
偉大な仏法の証明だ。
松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』
◇希望の明日へ
誠実にまさるものはない。一時の結果はどうあれ、長い目で見れば、誠実の人には、信用が残る。自分も誇りがもてる。信用は財産である。誇りは勲章である。そして、誠実の二字の裏には、つねに激闘がある。なまやさしいものではない。
平5・7・17
☆御書とともにNo.087 「生命の世紀」を築け
『一切衆生のみならず十界の依正の二法・非情の草木・一微塵にいたるまで皆十界を具足せり』(小乗大乗分別抄、P522)
◇通解
一切衆生だけではなく十界の依報・正報の二法も、非情の草木や一微塵に至るまで、みな十界を具足している。
◇同志への指針
仏法の真髄に照らせば、人間はもとより、全宇宙の一切に尊極なる仏性を見出すことができる。生命の尊厳を確立し、人間と人間、人間と自然、人間と宇宙が、調和しながら共生していくための智慧が、妙法なのである。
この最高峰の哲理を、世界は深く求め始めている。私たちが仏法を語り広げる草の根の対話運動は即、二十一世紀を「生命の世紀」と輝かせる偉大な事業なのだ。
◎北陸研修道場からの"能登島"ロケーションは最高です!(^^)!
地域部・団地部の
尊き汗に感謝!
皆様の地道な奮闘こそ
偉大な仏法の証明だ。
松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』
◇希望の明日へ
誠実にまさるものはない。一時の結果はどうあれ、長い目で見れば、誠実の人には、信用が残る。自分も誇りがもてる。信用は財産である。誇りは勲章である。そして、誠実の二字の裏には、つねに激闘がある。なまやさしいものではない。
平5・7・17
☆御書とともにNo.087 「生命の世紀」を築け
『一切衆生のみならず十界の依正の二法・非情の草木・一微塵にいたるまで皆十界を具足せり』(小乗大乗分別抄、P522)
◇通解
一切衆生だけではなく十界の依報・正報の二法も、非情の草木や一微塵に至るまで、みな十界を具足している。
◇同志への指針
仏法の真髄に照らせば、人間はもとより、全宇宙の一切に尊極なる仏性を見出すことができる。生命の尊厳を確立し、人間と人間、人間と自然、人間と宇宙が、調和しながら共生していくための智慧が、妙法なのである。
この最高峰の哲理を、世界は深く求め始めている。私たちが仏法を語り広げる草の根の対話運動は即、二十一世紀を「生命の世紀」と輝かせる偉大な事業なのだ。
◎北陸研修道場からの"能登島"ロケーションは最高です!(^^)!
2012.07.28 わが友に贈る
青年が青年を呼ぶ
ヤング男子部よ
大情熱を燃やせ!
フレッシュな若き力を
時代は待望している!
衆生身心御書 P1594
『つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり』
◇希望の明日へ
戦いには武器が必要である。創価学会の最上の武器は信心である。そのうえで、大切なことは誠実である。仕事においても、折伏・弘法においても、外交においても、誠実によってのみ、深く人の心をつかむことができる。これこそが最終の真実の勝利のカギである。そして誠実には、裏に、血のにじむような努力と辛労があり、祈りがある。
平3・2・8
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第5回「心も体も健やかに」
池田名誉会長 「九州北部豪雨」で被災された皆様方に、重ねてお暴い申上げます。
熊本県、福岡県、大分県、佐賀県を中心にした広範な地域が甚大な被害を受けました。あの懐かしく、心美しき人びとの天地が−−と思うと胸が痛みます。
その中で、わが同志は、被災者の支援と激励に奮闘してくださっています。青年部の「かたし隊」の大活躍も、よく伺っています。暑い中での作業であり、さぞかし大変でしょう。本当にありがとうございます。
御聖訓に『災来るとも変じて幸と為らん』(P979)と仰せのごとく、苦難に断じて負けない復旧と生活の再建を、私も毎日、真剣に祈っております。
−−被災された同志の方々も、池田先生からのお見舞いの御伝言を胸に立ち上がっています。
梅雨が明けて、いよいよ夏本番ですが、今後も局地的な豪雨や台風への備えが必要です。厳しい暑さが続くので、熱中症にも注意しなければなりません。疲れがたまって、体調も崩しがちです。
そこで今回は「健康」をテーマに伺いたいと思います。青年部は、結成の月から師子奮迅の勢いで前進しており、その勢いを、さらに大きく着実なものにするためにも、健康は大切だと思います。
名誉会長 その通りだね。「健康」は宝です。私の青春時代は、病気との闘いの連続でした。結核で随分苦しんだ。ですから、健康が、どれほど大切か、ありがたいか、身に染みて感じてきました。
それだけに、未来部、青年部の皆さんには、同じ苦しみを絶対に味わわせたくな
い。できることならば、一人ももれなく、頑健で、思う存分に若い生命を満喫してもらいたい。これが私の願いです。
今まさに、病と闘っている友もいるでしょう。断じて勝ち越えていただきたい。生きて、生きて、生き抜いて、今世の偉大なる使命を堂々と果たし切っていただきたい。わが友に襲いかかる病魔よ、立ち去れと、私は祈り抜いています。
−−池田先生の励ましのもと、創価学会の庭で元気な同志と共に生きゆく中で、生命力を湧き立たせ、健康を勝ち開くことができたという体験は数え切れません。
名誉会長 うれしいことです。先日も、インドの友から、青年部のメンバーが、社会の各界のリーダーとなって、目覚ましい活躍をされている様子を伺いました。
思えば、インドを独立に導いたマハトマ・ガンジーは「真の健康」の意義について、「真理と正義の理想を不挑不屈で追求してゆくことなのです」と語っています。「健康」とは戦う生命だと言うのです。
ガンジー自身、若き日から非暴力の大闘争を貫きました。断食を重ねて体を痛めつけ、何度も投獄されて、なお、78歳で凶弾に倒れるまで戦い抜いております。
広宣流布という最高の「真理と正義の理想」へ前進する皆さんは、若き「健康の王者」なのです。人のため、社会のため、未来のため、わが生命を燃やして価値を創造していくところに、真実の健康は光るといってよいでしょう。
−−池田先生は、かねてより、21世紀は「健康の世紀」「生命の世紀」と提唱され、現代化学の父ライナス・ポーリング博士ら多くの識者と語り合われてきました。
時代は、その通りに「健康」がますます焦点となってきました。
名誉会長 皆が「生き生きと健康に」、そして誰もが「若々しく長寿で」、勝利の人生を飾る21世紀としたい。
今、「健康」は、「生きる意味」や「生きがい」を実感できているかどうか、という観点からも深く見直されている。いわゆる「生の質(クオリティー・オブ・ライフ)」が、総合的に問われる時代に入っています。それは、「生命の尊厳」と「平和の探求」にも連動しています。
御聖訓には、『人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露』(P1173)と仰せです。
この世に生まれ、人間として生きていること、それ自体が、本来、奇跡のように尊いことです。
まして、尊い使命を自覚して、深い生きがいを感じながら、価値ある一日一日を生き切ることは、無上の幸福です。仏法は、釈尊以来、このことを一貫して目指している。生き抜く力を奮い起こし、究極の生命力を湧き上がらせていく智慧と実践を教えています。
若くして仏法の「色心不二」「本有の生死」の生命哲学を受持した皆さんは、まさしく「新時代の人間主義のパイオニア(開拓者)」なのです。
−−仏典には当時の最先端であったインド医学の精髄も記されています。仏教医学という分野も生まれて研究されているほどです。
池田名誉会長 民衆の「生きる力」を引き出すのが「仏」です。ゆえに仏法では、仏を「大医王」に譬えているのです。
なかんずく法華経には、『此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり』(創価学会版法華経P602)と明かされています。
天台大師は、この妙法の大良薬を弘める仏を、"単に病気を治すだけではなく、病気になる以前よりも、一段と健康に、一層、元気はつらつにする最高の医師"に譬えています。
病気を転機として、より丈夫になり、より深い境涯を開いて、より力強く人々を励ましていける。まさに「変毒為薬」できるのです。
ですから、若い時に思いもよらず病気に直面しても、驚いたり落胆したりしてはなりません。
「若いんだから必ず乗り越えられる。そして、この病を通して、偉大な長寿の人生を勝ち開いてみせる」と心を決め、強く朗らかに立ち向かっていただきたいのです。
ヤング男子部よ
大情熱を燃やせ!
フレッシュな若き力を
時代は待望している!
衆生身心御書 P1594
『つゆつもりて河となる河つもりて大海となる塵つもりて山となる山かさなりて須弥山となれり小事つもりて大事となる何に況や此の事は最も大事なり』
◇希望の明日へ
戦いには武器が必要である。創価学会の最上の武器は信心である。そのうえで、大切なことは誠実である。仕事においても、折伏・弘法においても、外交においても、誠実によってのみ、深く人の心をつかむことができる。これこそが最終の真実の勝利のカギである。そして誠実には、裏に、血のにじむような努力と辛労があり、祈りがある。
平3・2・8
☆若き君へ 新時代の主役に語る 第5回「心も体も健やかに」
池田名誉会長 「九州北部豪雨」で被災された皆様方に、重ねてお暴い申上げます。
熊本県、福岡県、大分県、佐賀県を中心にした広範な地域が甚大な被害を受けました。あの懐かしく、心美しき人びとの天地が−−と思うと胸が痛みます。
その中で、わが同志は、被災者の支援と激励に奮闘してくださっています。青年部の「かたし隊」の大活躍も、よく伺っています。暑い中での作業であり、さぞかし大変でしょう。本当にありがとうございます。
御聖訓に『災来るとも変じて幸と為らん』(P979)と仰せのごとく、苦難に断じて負けない復旧と生活の再建を、私も毎日、真剣に祈っております。
−−被災された同志の方々も、池田先生からのお見舞いの御伝言を胸に立ち上がっています。
梅雨が明けて、いよいよ夏本番ですが、今後も局地的な豪雨や台風への備えが必要です。厳しい暑さが続くので、熱中症にも注意しなければなりません。疲れがたまって、体調も崩しがちです。
そこで今回は「健康」をテーマに伺いたいと思います。青年部は、結成の月から師子奮迅の勢いで前進しており、その勢いを、さらに大きく着実なものにするためにも、健康は大切だと思います。
名誉会長 その通りだね。「健康」は宝です。私の青春時代は、病気との闘いの連続でした。結核で随分苦しんだ。ですから、健康が、どれほど大切か、ありがたいか、身に染みて感じてきました。
それだけに、未来部、青年部の皆さんには、同じ苦しみを絶対に味わわせたくな
い。できることならば、一人ももれなく、頑健で、思う存分に若い生命を満喫してもらいたい。これが私の願いです。
今まさに、病と闘っている友もいるでしょう。断じて勝ち越えていただきたい。生きて、生きて、生き抜いて、今世の偉大なる使命を堂々と果たし切っていただきたい。わが友に襲いかかる病魔よ、立ち去れと、私は祈り抜いています。
−−池田先生の励ましのもと、創価学会の庭で元気な同志と共に生きゆく中で、生命力を湧き立たせ、健康を勝ち開くことができたという体験は数え切れません。
名誉会長 うれしいことです。先日も、インドの友から、青年部のメンバーが、社会の各界のリーダーとなって、目覚ましい活躍をされている様子を伺いました。
思えば、インドを独立に導いたマハトマ・ガンジーは「真の健康」の意義について、「真理と正義の理想を不挑不屈で追求してゆくことなのです」と語っています。「健康」とは戦う生命だと言うのです。
ガンジー自身、若き日から非暴力の大闘争を貫きました。断食を重ねて体を痛めつけ、何度も投獄されて、なお、78歳で凶弾に倒れるまで戦い抜いております。
広宣流布という最高の「真理と正義の理想」へ前進する皆さんは、若き「健康の王者」なのです。人のため、社会のため、未来のため、わが生命を燃やして価値を創造していくところに、真実の健康は光るといってよいでしょう。
−−池田先生は、かねてより、21世紀は「健康の世紀」「生命の世紀」と提唱され、現代化学の父ライナス・ポーリング博士ら多くの識者と語り合われてきました。
時代は、その通りに「健康」がますます焦点となってきました。
名誉会長 皆が「生き生きと健康に」、そして誰もが「若々しく長寿で」、勝利の人生を飾る21世紀としたい。
今、「健康」は、「生きる意味」や「生きがい」を実感できているかどうか、という観点からも深く見直されている。いわゆる「生の質(クオリティー・オブ・ライフ)」が、総合的に問われる時代に入っています。それは、「生命の尊厳」と「平和の探求」にも連動しています。
御聖訓には、『人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露』(P1173)と仰せです。
この世に生まれ、人間として生きていること、それ自体が、本来、奇跡のように尊いことです。
まして、尊い使命を自覚して、深い生きがいを感じながら、価値ある一日一日を生き切ることは、無上の幸福です。仏法は、釈尊以来、このことを一貫して目指している。生き抜く力を奮い起こし、究極の生命力を湧き上がらせていく智慧と実践を教えています。
若くして仏法の「色心不二」「本有の生死」の生命哲学を受持した皆さんは、まさしく「新時代の人間主義のパイオニア(開拓者)」なのです。
−−仏典には当時の最先端であったインド医学の精髄も記されています。仏教医学という分野も生まれて研究されているほどです。
池田名誉会長 民衆の「生きる力」を引き出すのが「仏」です。ゆえに仏法では、仏を「大医王」に譬えているのです。
なかんずく法華経には、『此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり』(創価学会版法華経P602)と明かされています。
天台大師は、この妙法の大良薬を弘める仏を、"単に病気を治すだけではなく、病気になる以前よりも、一段と健康に、一層、元気はつらつにする最高の医師"に譬えています。
病気を転機として、より丈夫になり、より深い境涯を開いて、より力強く人々を励ましていける。まさに「変毒為薬」できるのです。
ですから、若い時に思いもよらず病気に直面しても、驚いたり落胆したりしてはなりません。
「若いんだから必ず乗り越えられる。そして、この病を通して、偉大な長寿の人生を勝ち開いてみせる」と心を決め、強く朗らかに立ち向かっていただきたいのです。
2012年7月25日水曜日
2012.07.25 わが友に贈る
きょうの課題は何か。
朝の祈りの中で
明確にすることだ。
一つ一つ粘り強く
誠実に成し遂げよ!
四条金吾殿御返事 P1118
『貴辺日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ』
◇希望の明日へ
大聖人は、『瞋恚(しんに)は善悪に通ずる者なり』(P584)と明快に仰せである。単に、怒ってはいけない、批判してはいけない、というのではない。瞋恚すなわち怒りは、善悪の両方に通じると教えられている。感情にまかせた私憤は、自身も他人も傷つけることが多い。しかし、正法を破り、民衆を苦しめ、信徒を蔑(さげす)む大悪への怒りは、"正義の怒り"であり"大善の怒り"である。それを今、創価学会は実践している。牧口先生、戸田先生の指導通りである。大聖人の一御聖訓の通りである。
平5・11・18
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第4回「夢は未来を開く"宝の鍵"」
−−未来部は、「鍛えの夏」「飛躍の夏」を迎えました。
「創価ファミリー月間」であり、家族の皆さんの応援もいただいて、みな、元気に頑張っています。
池田名誉会長 夏は、若い生命がクンダンと伸びゆく季節です。みんなの成長が本当に楽しみです。健康・無事故で、張り切って充実の夏を過ごせるよう、私も真剣に題目を送っています。
夏になると、鮮やかによみがえる光景があります。
恩師・戸田城聖先生に、故郷の北海道・厚田へ連れていっていただき、一緒に眺めた大海原です。
当時、私は26歳。厚田の海は、夕日に赤く染まり、雄大でした。
先生は力強く言われました。
「この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。
君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。この私に代わって」
地球上から「悲惨」の二字をなくし、人々が「生きる喜び」を味わいながら、幸福と平和を勝ち開いていく−−この「世界広宣流布」という師匠の夢を、私の夢として受け継いだ語らいです。
当時(1954年)、まだまだ小さな創価学会で、世界広布は「夢物語」でした。誰も想像できなかったでしょう。
しかし、私は心に深く誓ったのです。必ず実現してみせる、と。その誓いが私の人生となりました。
−−かつて関西創価学園生との語らいの折、「池田先生の夢は何ですか」という質問に、先生は「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです」と答えてくださいました。あの時の感動は忘れません。
名誉会長 戸田先生は、偉大な夢に生き抜かれました。先生の夢には、希望が輝いていました。青年と壮大な夢を分かち合いながら、進むべき正しい道を厳然と示してくださったのです。
「新聞をつくろう。日本中の人に読ませよう」
「大学をつくろう。世界一の大学にしよう」
そう夢を語られたのは、先生の事業が一番苦しかった時です。
この戸田先生の夢を、私は全て実現してきました。ありがたいことに、師匠の大きな夢に向かってまい進する中で、私自身が皆さんの年代のころに描いていた夢も、叶えることができました。
「日本中に桜の木を植えたい」
「人々の心に残る小説を書きたい」等々です。
そして今、私には、新しい夢があります。それは、「未来部のみんなの夢が実現すること」です。
君たちの描く夢に、私の夢は受け継がれていきます。あなたたちの夢への一歩が、私の夢の一歩です。一緒に夢見て、一緒に実現したい。そのために、祈り、見守り、応援したい。それが私の心です。
朝の祈りの中で
明確にすることだ。
一つ一つ粘り強く
誠実に成し遂げよ!
四条金吾殿御返事 P1118
『貴辺日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ』
◇希望の明日へ
大聖人は、『瞋恚(しんに)は善悪に通ずる者なり』(P584)と明快に仰せである。単に、怒ってはいけない、批判してはいけない、というのではない。瞋恚すなわち怒りは、善悪の両方に通じると教えられている。感情にまかせた私憤は、自身も他人も傷つけることが多い。しかし、正法を破り、民衆を苦しめ、信徒を蔑(さげす)む大悪への怒りは、"正義の怒り"であり"大善の怒り"である。それを今、創価学会は実践している。牧口先生、戸田先生の指導通りである。大聖人の一御聖訓の通りである。
平5・11・18
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第4回「夢は未来を開く"宝の鍵"」
−−未来部は、「鍛えの夏」「飛躍の夏」を迎えました。
「創価ファミリー月間」であり、家族の皆さんの応援もいただいて、みな、元気に頑張っています。
池田名誉会長 夏は、若い生命がクンダンと伸びゆく季節です。みんなの成長が本当に楽しみです。健康・無事故で、張り切って充実の夏を過ごせるよう、私も真剣に題目を送っています。
夏になると、鮮やかによみがえる光景があります。
恩師・戸田城聖先生に、故郷の北海道・厚田へ連れていっていただき、一緒に眺めた大海原です。
当時、私は26歳。厚田の海は、夕日に赤く染まり、雄大でした。
先生は力強く言われました。
「この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。
君は、世界の広宣流布の道を開くんだ。この私に代わって」
地球上から「悲惨」の二字をなくし、人々が「生きる喜び」を味わいながら、幸福と平和を勝ち開いていく−−この「世界広宣流布」という師匠の夢を、私の夢として受け継いだ語らいです。
当時(1954年)、まだまだ小さな創価学会で、世界広布は「夢物語」でした。誰も想像できなかったでしょう。
しかし、私は心に深く誓ったのです。必ず実現してみせる、と。その誓いが私の人生となりました。
−−かつて関西創価学園生との語らいの折、「池田先生の夢は何ですか」という質問に、先生は「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです」と答えてくださいました。あの時の感動は忘れません。
名誉会長 戸田先生は、偉大な夢に生き抜かれました。先生の夢には、希望が輝いていました。青年と壮大な夢を分かち合いながら、進むべき正しい道を厳然と示してくださったのです。
「新聞をつくろう。日本中の人に読ませよう」
「大学をつくろう。世界一の大学にしよう」
そう夢を語られたのは、先生の事業が一番苦しかった時です。
この戸田先生の夢を、私は全て実現してきました。ありがたいことに、師匠の大きな夢に向かってまい進する中で、私自身が皆さんの年代のころに描いていた夢も、叶えることができました。
「日本中に桜の木を植えたい」
「人々の心に残る小説を書きたい」等々です。
そして今、私には、新しい夢があります。それは、「未来部のみんなの夢が実現すること」です。
君たちの描く夢に、私の夢は受け継がれていきます。あなたたちの夢への一歩が、私の夢の一歩です。一緒に夢見て、一緒に実現したい。そのために、祈り、見守り、応援したい。それが私の心です。
2012年7月24日火曜日
2012.07.24 わが友に贈る
友好拡大の夏到来。
余裕ある計画立て
絶対無事故の行動を!
「前前の用心で
断じて油断を排せ!
御義口伝巻下 P787
『自身の仏乗を悟つて自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり』
◇希望の明日へ
悪に迫害されてこそ、正義である。悪人に刑を宣告された人こそ、真の勝者である。悪人は正義の人を陥れることはできる。だますこともできよう。しかし決して、その人を打ち負かすことはできない。汚すこともできない。迫害を受ければ受けるほど、その人は高貴に輝くからである。
平5・6・3
☆鼓笛隊結成記念日へのメッセージ
結成56周年を迎えた鼓笛隊。
メッセージの中で名誉会長は、世界各地に広がる鼓笛姉妹のスクラムを祝福し、「私と妻は、一人一人と固く心の握手を交わす思いで、すべてを見守っております」と述べた。
さらに、『自他共に智慧と慈悲があることを喜びという』(P761、趣意)等の御聖訓を拝し、「鼓笛隊の皆さん方の生命それ自体が、尊極の仏そのものであります。皆さん方こそ、最も深く、最も生き生きと、自他共に智慧と慈悲を広げゆく、大歓喜の太陽なのであります」と讃えた。
また、「悩み」こそ、信心を深め、真の幸福を築く機縁になるとの戸田第2代会長の言葉を紹介。「皆さん方の青春は、何があろうと『努力即希望』『勇気即勝利』そして『忍耐即功徳』の黄金の一歩また一歩です。さあ、全員が使命の舞台で、悔いのない一日一日を勝ち取りながら、美事な幸福勝利の舞を思う存分、飾っていってください」と念願した。
☆平成24年8月号大白蓮華巻頭言「健康長寿の生命を勝ちとれ!」
断固して
健康勝ちとれ
偉大なる
君の命は
使命の生命と
「人生にかける理想があり、それに向かって全魂を打ち込んで進む時、人間はいつまでも若いのです」と、ロシアの芸術の母ナターリヤ・サーツさんは微笑んでおられた。
このサーツさんも「なんと若々しく、大きなエネルギーに満ちているのでしょうか!」と感嘆していたのが、創価の女性のスクラムである。
若さは「心」で決まる。年を重ね、体が老いても、広宣流布に戦う心は、同志と共に躍動し、決して老けない。
御義口伝には、『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五宇なり』(P716)と仰せである。
仏法の極意は、遠くにあるのではない。父母から頂いた我が身こそが妙法蓮華経の尊極なる当体なのだ。
ゆえに、題目を唱え、法のため、友のため、立正安国のため、頭を使い、足を運び、声を出す我が色心に、仏の智慧が冴えわたり、仏の大功力が満々と座ってこないわけがない。
信心は最高にして無上の健康法である。ゆえに「張りのある勤行」を基本として、"絶対に健康になる"と一念を定め、一日一日、みずみずしい生命力で前進していくことだ。
人の何倍も忙しい使命の毎日だからこそ、聡明に無駄な時間を排して、上手に睡眠をとっていただきたい。無理を重ね疲れをためれば、病魔に付け入る隙を与えてしまうからだ。
『いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり』(P1596)である。
自分が自分の名医となり、看護師となって、油断なく体調を整え、教養ある食生活も心がけていきたい。
生老病死は人生の根本課題だ。誰人も、病気との闘いは避けられない。
大聖人は、闘病中の壮年門下を労われて、『長い病にかかったことで、日夜ひまなく求道の心を起こされました』(P1480、趣意)と仰せである。
信心が弱いから、病気になるのではない。信心を強めて、「人間革命」の転機とし、「一生成仏」の境涯を深めゆくために病気があるのだ。
恐れなく病魔に立ち向かう中で、わが生命がどれほど尊厳であるかに目覚めることができる。どこまでも妙法と共に生き抜かんとする心に、永遠の仏の生命を感得できるのだ。
幼い娘の病と闘う一家を励まされて、大聖人は『法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり』(P1125)と断言なされた。
どんな病や苦しみがあろうとも、わが家は題目の師子吼を轟かせて、断じて勝ち越えてみせる。この常楽我浄の生命の勝利を示し切って、悩める友を励まし導いていくのだ。
忘れ得ぬ長崎広布の母は、脳の大病を初信の功徳で見事に克服した。悪逆な坊主の迫害からも、島々まで奔走して同志を守り抜いてくれた。
八十七歳の今も「友を苦しめる三障四魔は絶対に許さない!」と強盛に祈り、「青年を育てることが私の健康法です」と平和の対話を広げる。友人からも「貴女の声を聞けば、元気になる」と喜ばれる日々である。
「『声仏事』だよ。勇んで声を発せば、自分の仏の力が増す。わが生命力を吹き込んで、相手の命を蘇らせてゆくのだ」と、恩師は叫ばれた。
病魔も退散する勇気凛々たる音声で、今日も生き生きと語り、闘おう!
わが友の
健康長寿を
祈るらむ
創価の城の
完勝誓いて
余裕ある計画立て
絶対無事故の行動を!
「前前の用心で
断じて油断を排せ!
御義口伝巻下 P787
『自身の仏乗を悟つて自身の宮殿に入るなり所謂南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり』
◇希望の明日へ
悪に迫害されてこそ、正義である。悪人に刑を宣告された人こそ、真の勝者である。悪人は正義の人を陥れることはできる。だますこともできよう。しかし決して、その人を打ち負かすことはできない。汚すこともできない。迫害を受ければ受けるほど、その人は高貴に輝くからである。
平5・6・3
☆鼓笛隊結成記念日へのメッセージ
結成56周年を迎えた鼓笛隊。
メッセージの中で名誉会長は、世界各地に広がる鼓笛姉妹のスクラムを祝福し、「私と妻は、一人一人と固く心の握手を交わす思いで、すべてを見守っております」と述べた。
さらに、『自他共に智慧と慈悲があることを喜びという』(P761、趣意)等の御聖訓を拝し、「鼓笛隊の皆さん方の生命それ自体が、尊極の仏そのものであります。皆さん方こそ、最も深く、最も生き生きと、自他共に智慧と慈悲を広げゆく、大歓喜の太陽なのであります」と讃えた。
また、「悩み」こそ、信心を深め、真の幸福を築く機縁になるとの戸田第2代会長の言葉を紹介。「皆さん方の青春は、何があろうと『努力即希望』『勇気即勝利』そして『忍耐即功徳』の黄金の一歩また一歩です。さあ、全員が使命の舞台で、悔いのない一日一日を勝ち取りながら、美事な幸福勝利の舞を思う存分、飾っていってください」と念願した。
☆平成24年8月号大白蓮華巻頭言「健康長寿の生命を勝ちとれ!」
断固して
健康勝ちとれ
偉大なる
君の命は
使命の生命と
「人生にかける理想があり、それに向かって全魂を打ち込んで進む時、人間はいつまでも若いのです」と、ロシアの芸術の母ナターリヤ・サーツさんは微笑んでおられた。
このサーツさんも「なんと若々しく、大きなエネルギーに満ちているのでしょうか!」と感嘆していたのが、創価の女性のスクラムである。
若さは「心」で決まる。年を重ね、体が老いても、広宣流布に戦う心は、同志と共に躍動し、決して老けない。
御義口伝には、『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五宇なり』(P716)と仰せである。
仏法の極意は、遠くにあるのではない。父母から頂いた我が身こそが妙法蓮華経の尊極なる当体なのだ。
ゆえに、題目を唱え、法のため、友のため、立正安国のため、頭を使い、足を運び、声を出す我が色心に、仏の智慧が冴えわたり、仏の大功力が満々と座ってこないわけがない。
信心は最高にして無上の健康法である。ゆえに「張りのある勤行」を基本として、"絶対に健康になる"と一念を定め、一日一日、みずみずしい生命力で前進していくことだ。
人の何倍も忙しい使命の毎日だからこそ、聡明に無駄な時間を排して、上手に睡眠をとっていただきたい。無理を重ね疲れをためれば、病魔に付け入る隙を与えてしまうからだ。
『いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり』(P1596)である。
自分が自分の名医となり、看護師となって、油断なく体調を整え、教養ある食生活も心がけていきたい。
生老病死は人生の根本課題だ。誰人も、病気との闘いは避けられない。
大聖人は、闘病中の壮年門下を労われて、『長い病にかかったことで、日夜ひまなく求道の心を起こされました』(P1480、趣意)と仰せである。
信心が弱いから、病気になるのではない。信心を強めて、「人間革命」の転機とし、「一生成仏」の境涯を深めゆくために病気があるのだ。
恐れなく病魔に立ち向かう中で、わが生命がどれほど尊厳であるかに目覚めることができる。どこまでも妙法と共に生き抜かんとする心に、永遠の仏の生命を感得できるのだ。
幼い娘の病と闘う一家を励まされて、大聖人は『法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり』(P1125)と断言なされた。
どんな病や苦しみがあろうとも、わが家は題目の師子吼を轟かせて、断じて勝ち越えてみせる。この常楽我浄の生命の勝利を示し切って、悩める友を励まし導いていくのだ。
忘れ得ぬ長崎広布の母は、脳の大病を初信の功徳で見事に克服した。悪逆な坊主の迫害からも、島々まで奔走して同志を守り抜いてくれた。
八十七歳の今も「友を苦しめる三障四魔は絶対に許さない!」と強盛に祈り、「青年を育てることが私の健康法です」と平和の対話を広げる。友人からも「貴女の声を聞けば、元気になる」と喜ばれる日々である。
「『声仏事』だよ。勇んで声を発せば、自分の仏の力が増す。わが生命力を吹き込んで、相手の命を蘇らせてゆくのだ」と、恩師は叫ばれた。
病魔も退散する勇気凛々たる音声で、今日も生き生きと語り、闘おう!
わが友の
健康長寿を
祈るらむ
創価の城の
完勝誓いて
2012年7月23日月曜日
2012.07.23 わが友に贈る
創価班、牙城会
白蓮Gはじめ
広布を支える
尊き同志に感謝!
冥の照覧は厳然なり!
法華初心成仏抄 P550
『妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし』
◇今週のことば
友情は人生の宝だ。
古き友人を大切に
新しき絆を結ぼう!
明るく楽しく
仏縁と境涯の拡大を!
2012年07月23日
◇希望の明日へ
正しいものは正しい、誤りは誤りと明快にしていくのが、本当の人格者であり、"誠実の人""信念の人"である。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.023「広宣流布の大願の祈りを」
師匠だったら、どうするか。この一点を考え、祈りに祈り抜いて、いかなる広布の戦も勝利する。これが真の弟子だ。今、若き指導者が育ち、学会総体が一段と強くなってきた。
いまだかつてない誉れの勝利劇を飾っていただきたい。
自分のためだけではなく、「広宣流布のため」という大願に立った祈りから、偉大なる仏力・法力は湧き出ずる。
私も、友のため、平和のため、希望と幸福を全世界に拡大するために、毎日、真剣に祈ってきた。
勢いある祈り、具体的な祈り、何があっても前向きな祈りが大事だ。
御聖訓には『教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき』(P1187)と仰せである。
現状を嘆いても、しかたがない。青空のような大きな心で、カラッとした気持ちで題目をあげるのだ。
どんな時も「さあ、これからだ!」と、勇気凛々と進むのが、本因妙の仏法である。
人を動かすのは、役職や肩書や格好ではない。「真心」「大確信」「大誠実」−−それが人を動かすのだ。心が心を動かすのである。
戸田先生は常々語っておられた。「創価学会は、苦しんでいる人々を救うため、広宣流布という仏の仕事をする、最高に尊い組織だ。戸田の命よりも大事な組織だ」
わが身をなげうって、民衆のために! 正義のために!
これが創価の師弟の心だ。
師弟に徹し抜いた時に、未曽有の力が出るのである。
明るく、元気に、張り切って進もう! 何ものにも負けないで!
白蓮Gはじめ
広布を支える
尊き同志に感謝!
冥の照覧は厳然なり!
法華初心成仏抄 P550
『妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし』
◇今週のことば
友情は人生の宝だ。
古き友人を大切に
新しき絆を結ぼう!
明るく楽しく
仏縁と境涯の拡大を!
2012年07月23日
◇希望の明日へ
正しいものは正しい、誤りは誤りと明快にしていくのが、本当の人格者であり、"誠実の人""信念の人"である。
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.023「広宣流布の大願の祈りを」
師匠だったら、どうするか。この一点を考え、祈りに祈り抜いて、いかなる広布の戦も勝利する。これが真の弟子だ。今、若き指導者が育ち、学会総体が一段と強くなってきた。
いまだかつてない誉れの勝利劇を飾っていただきたい。
自分のためだけではなく、「広宣流布のため」という大願に立った祈りから、偉大なる仏力・法力は湧き出ずる。
私も、友のため、平和のため、希望と幸福を全世界に拡大するために、毎日、真剣に祈ってきた。
勢いある祈り、具体的な祈り、何があっても前向きな祈りが大事だ。
御聖訓には『教主釈尊をうごかし奉れば・ゆるがぬ草木やあるべき・さわがぬ水やあるべき』(P1187)と仰せである。
現状を嘆いても、しかたがない。青空のような大きな心で、カラッとした気持ちで題目をあげるのだ。
どんな時も「さあ、これからだ!」と、勇気凛々と進むのが、本因妙の仏法である。
人を動かすのは、役職や肩書や格好ではない。「真心」「大確信」「大誠実」−−それが人を動かすのだ。心が心を動かすのである。
戸田先生は常々語っておられた。「創価学会は、苦しんでいる人々を救うため、広宣流布という仏の仕事をする、最高に尊い組織だ。戸田の命よりも大事な組織だ」
わが身をなげうって、民衆のために! 正義のために!
これが創価の師弟の心だ。
師弟に徹し抜いた時に、未曽有の力が出るのである。
明るく、元気に、張り切って進もう! 何ものにも負けないで!
2012年7月22日日曜日
2012.07.22 わが友に贈る
「父母に孝あるべし」
自身の成長こそ
最高の親孝行!
報恩は仏法の魂だ。
感謝の心で光れ!
松野殿御返事 P1386
『天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』
◇希望の明日へ
笑顔の人は強い。正義の人は明るい。悪口も圧迫も、たくましい笑顔でおおらかに笑いとばしていける。反対に人の悪口ばかり言って、自分は何も価値ある行動をしないような人は、かわいそうな人である。あわれな人間である。自分がみじめになる。そして、こうした人々には、晴れやかな美しい笑顔がない。本当の愉快な人生を決して味わえない。
平4・3・16
☆御書とともにNo.086 宝の後継者を育てよ
『日蓮は少(わかき)より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』(四条金吾殿御返事、P1169)
◇通解
日蓮は若い時から今生の栄えを祈ったことはない。ただ仏になろうと思い願うだけである。しかし、あなたのことは、絶えず法華経、釈迦仏、日天子に祈っているのである。それは、あなたが法華経の命を継ぐ人だと思うからである。
◇同志への指針
広宣流布に励むわが同志こそ、妙法の命を継ぐ、かけがえのない宝の存在である。ゆえに断じて守り抜くのだ!−−これが日蓮大聖人の深い御慈愛であられた。
そのお心のままに戦えば、学会は永遠に勝ち進んでいくのだ。一番大切な「法華経の命を継ぐ人」である青年部・未来部を、さらに皆で励まし、育てていこう!
自身の成長こそ
最高の親孝行!
報恩は仏法の魂だ。
感謝の心で光れ!
松野殿御返事 P1386
『天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』
◇希望の明日へ
笑顔の人は強い。正義の人は明るい。悪口も圧迫も、たくましい笑顔でおおらかに笑いとばしていける。反対に人の悪口ばかり言って、自分は何も価値ある行動をしないような人は、かわいそうな人である。あわれな人間である。自分がみじめになる。そして、こうした人々には、晴れやかな美しい笑顔がない。本当の愉快な人生を決して味わえない。
平4・3・16
☆御書とともにNo.086 宝の後継者を育てよ
『日蓮は少(わかき)より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をば・ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』(四条金吾殿御返事、P1169)
◇通解
日蓮は若い時から今生の栄えを祈ったことはない。ただ仏になろうと思い願うだけである。しかし、あなたのことは、絶えず法華経、釈迦仏、日天子に祈っているのである。それは、あなたが法華経の命を継ぐ人だと思うからである。
◇同志への指針
広宣流布に励むわが同志こそ、妙法の命を継ぐ、かけがえのない宝の存在である。ゆえに断じて守り抜くのだ!−−これが日蓮大聖人の深い御慈愛であられた。
そのお心のままに戦えば、学会は永遠に勝ち進んでいくのだ。一番大切な「法華経の命を継ぐ人」である青年部・未来部を、さらに皆で励まし、育てていこう!
2012年7月21日土曜日
2012.07.21 わが友に贈る
中継行事を支える
サテライトGの皆様。
友に希望を届ける
功徳は無量無辺だ。
地道な陰の労苦に感謝!
四条金吾殿御返事 P1192
『兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』
◇希望の明日へ
言うべきことも言えない。言いたいことも言えない。これこそ地獄である。正義の主張を語って語って語り抜いていく。そこにこそ、わが生命の勝利が晴ればれと輝くのである。
平3・11・23
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第4回「挑戦の夏に!」
少年少女部のみなさん、新しい学年での1学期、よくがんばりましたね。
先日(7月15日)、行われた「創価ファミリー大会」でも、みなさん方の代表の活躍の姿と、すばらしい歌声の大合唱に、全国のお父さん、お母さん方も、世界のリーダーたちも、心から感激していました。
本当に本当にありがとう!
みなさんが明るくはつらつと前進してくれることこそが、全同志の何よりの喜びであり、広宣流布の最大の希望なのです。
いよいよ、イギリスの首都ロンドンで始まったオリンピックにも、みなさんの先輩にあたる少年少女部出身の若き友が、何人も出場して奮闘しています。
今のみなさん方の中からも、将来、オリンピックで金メダルを勝ち取るような人が、きっと出てくることでしょう。
みなさん方が、ありとあらゆる分野で、世界の大舞台に躍り出て、大勝利者として光り輝いていくことを、私は強く深く、祈り、信じています。
どうか、大きな夢を広げながら、この夏休みも、元気いっぱいに、学び、遊び、きたえ、成長していってください。
そこで、きょうは、楽しい夏休みをすごすための合言葉を一つ、みなさんに伝えておきたいと思います。
それは「チャレンジ」です。
そう、何でもいいから「挑戦しよう!」ということです。
みなさんが本当に楽しいなと感じるのは、どんな時でしょうか。もちろん、いろいろな楽しさがあります。ただ、その中で、何か目標を立てて、一生けんめい挑戦している時は、たとえ大変であっても、心が生き生きと充実しているでしょう。この充実感こそ、本当の楽しさと一体なんです。
オリンピックで活躍する選手たちも、みんな、それはそれは苦しい練習の連続です。
でも、「勝利」という目標に向かって、思い切り挑戦しているから、心が充実して躍動しています。その誇り高い楽しさを知っているから、きびしい訓練にも歯を食いしばってたえられるのです。
みなさんの中には、せっかく挑戦しても、なかなか長続きしないという人もいることでしょう。私にも、よくわかります。
でも、「三日坊主」だって、かまわない。三日間、挑戦したことは、三日分は前進し、成長したということだからです。三日続いたのだから、自分に自信を持つことです。くよくよしないで、三日坊主を何回もくり返せばいいんです。10回くり返せば、1ヵ月にもなります。
何回も、こりずに決意して、挑戦できる人が、偉い人です。勝つ人です。
大事なことは、ねばり強く挑戦を続けるということなんです。
ねばり強い挑戦のチャンピオンというべき人がいます。私の尊敬する友人である、南アフリカ共和国のマンデラ元大統領です。私より10歳年上で、先日(7月18日)、94歳になられました。
長い間、黒人が差別され、いじめられてきた国で、27年半、つまり1万日もの間、牢獄に入れられながら、人間の自由と平等のために、挑戦を貫き通した不屈の人です。
マンデラさんは、「インビクタス」という題名の詩を大切にしてきました。
むずかしい言葉だけど、日本語では「負けない」「へこたれない」「屈しない」という意味です。みなさんが知っている「負けじ魂」と言いかえてもいいでしょう。
マンデラさんが大統領となった翌年の1995年、南アフリカでラグビーというスポーツのワールドカップ(世界選手権大会)が盛大に行われました。
この時、地元である南アフリカの選手たちは、マンデラ大統領から励まされ、「インビクタス」すなわち「負けじ魂」を燃え上がらせました。そして、いくつもの試練を勇敢に乗り越え、自分たちより強いと言われていたチームを次々に破って、ついに優勝をもぎ取ったのです。
選手たちは、最高に晴れがましい笑顔で、マンデラ大統領をはじめ、黒人も白人も分けへだてのない、新しい国の全国民に「負けじ魂」の栄冠をささけました。
自分らしく挑戦を続けている人は、途中、負けたように見えることがあっても、最後には必ず勝利者となります。
以前、私か関西創価学園の「健康祭」に出席した時のことです。
マラソンの途中で体調をくずしてしまい、みなから大きくおくれてしまった一人の学園生かいました。しかし、ゆっくりゆっくりでしたが、最後まであきらめずに走り通したのです。ゴールでは、みなが大拍手で迎えました。私は胸につけていた白いバラのリボンを、金メダルの代わりに差し上げて、健闘をたたえました。
その負けじ魂の学園生は、勉学にも、ねぱり強く挑戦を重ね、今は正義の弁護士となって、庶民のために大活躍しています。
勉強や読書においても、「もう一歩ねばる心」が力となります。"もうやめたいな"と思った時に、「あと5分」「あと1ページ」と、自分の心をふるい立たせることです。
最近の研究では、「ちょっとがんばってできた」という達成感は、人間の脳にとって、とてもいいことがわかってきました。新しいことにチャレンジしていくことで、脳は強く賢く成長するのです。
私は、師匠・戸田先生の偉大な歴史を残すため、そして友に励ましを送るためにと、小説『人間革命』『新・人間革命』を書き続けてきました。1枚また1枚、1回また1回と積み重ねて、連載回数は合わせて6400回を超えました。
これからも、力の限り書きまくって、みなさんに、創価の一切のバトンを託していく決心です。
ともあれ、本当に楽しく充実した青春とは、自分自身の「挑戦の心」で、いくらでも広かっていきます。
きょうは、きのうの自分に勝つ!
あしたは、きょうの自分に勝つ!
そのくり返しが、偉大な人生を築きます。
さあ、「挑戦の夏」だ。挑戦の原動力である題目を唱えながら、新しいチャレンジを開始しよう!
君の晴れ舞台で、あなたの晴れ舞台で、自分自身の新記録を打ち立てていってください。
愛するみなさんの健康と無事故を、私は祈りに祈っていきます。
一回りも二回りも、大きく成長したみなさんと対話することを楽しみにしています。元気でね!
(2012.08.01 少年少女きぼう新聞掲載)
サテライトGの皆様。
友に希望を届ける
功徳は無量無辺だ。
地道な陰の労苦に感謝!
四条金吾殿御返事 P1192
『兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』
◇希望の明日へ
言うべきことも言えない。言いたいことも言えない。これこそ地獄である。正義の主張を語って語って語り抜いていく。そこにこそ、わが生命の勝利が晴ればれと輝くのである。
平3・11・23
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第4回「挑戦の夏に!」
少年少女部のみなさん、新しい学年での1学期、よくがんばりましたね。
先日(7月15日)、行われた「創価ファミリー大会」でも、みなさん方の代表の活躍の姿と、すばらしい歌声の大合唱に、全国のお父さん、お母さん方も、世界のリーダーたちも、心から感激していました。
本当に本当にありがとう!
みなさんが明るくはつらつと前進してくれることこそが、全同志の何よりの喜びであり、広宣流布の最大の希望なのです。
いよいよ、イギリスの首都ロンドンで始まったオリンピックにも、みなさんの先輩にあたる少年少女部出身の若き友が、何人も出場して奮闘しています。
今のみなさん方の中からも、将来、オリンピックで金メダルを勝ち取るような人が、きっと出てくることでしょう。
みなさん方が、ありとあらゆる分野で、世界の大舞台に躍り出て、大勝利者として光り輝いていくことを、私は強く深く、祈り、信じています。
どうか、大きな夢を広げながら、この夏休みも、元気いっぱいに、学び、遊び、きたえ、成長していってください。
そこで、きょうは、楽しい夏休みをすごすための合言葉を一つ、みなさんに伝えておきたいと思います。
それは「チャレンジ」です。
そう、何でもいいから「挑戦しよう!」ということです。
みなさんが本当に楽しいなと感じるのは、どんな時でしょうか。もちろん、いろいろな楽しさがあります。ただ、その中で、何か目標を立てて、一生けんめい挑戦している時は、たとえ大変であっても、心が生き生きと充実しているでしょう。この充実感こそ、本当の楽しさと一体なんです。
オリンピックで活躍する選手たちも、みんな、それはそれは苦しい練習の連続です。
でも、「勝利」という目標に向かって、思い切り挑戦しているから、心が充実して躍動しています。その誇り高い楽しさを知っているから、きびしい訓練にも歯を食いしばってたえられるのです。
みなさんの中には、せっかく挑戦しても、なかなか長続きしないという人もいることでしょう。私にも、よくわかります。
でも、「三日坊主」だって、かまわない。三日間、挑戦したことは、三日分は前進し、成長したということだからです。三日続いたのだから、自分に自信を持つことです。くよくよしないで、三日坊主を何回もくり返せばいいんです。10回くり返せば、1ヵ月にもなります。
何回も、こりずに決意して、挑戦できる人が、偉い人です。勝つ人です。
大事なことは、ねばり強く挑戦を続けるということなんです。
ねばり強い挑戦のチャンピオンというべき人がいます。私の尊敬する友人である、南アフリカ共和国のマンデラ元大統領です。私より10歳年上で、先日(7月18日)、94歳になられました。
長い間、黒人が差別され、いじめられてきた国で、27年半、つまり1万日もの間、牢獄に入れられながら、人間の自由と平等のために、挑戦を貫き通した不屈の人です。
マンデラさんは、「インビクタス」という題名の詩を大切にしてきました。
むずかしい言葉だけど、日本語では「負けない」「へこたれない」「屈しない」という意味です。みなさんが知っている「負けじ魂」と言いかえてもいいでしょう。
マンデラさんが大統領となった翌年の1995年、南アフリカでラグビーというスポーツのワールドカップ(世界選手権大会)が盛大に行われました。
この時、地元である南アフリカの選手たちは、マンデラ大統領から励まされ、「インビクタス」すなわち「負けじ魂」を燃え上がらせました。そして、いくつもの試練を勇敢に乗り越え、自分たちより強いと言われていたチームを次々に破って、ついに優勝をもぎ取ったのです。
選手たちは、最高に晴れがましい笑顔で、マンデラ大統領をはじめ、黒人も白人も分けへだてのない、新しい国の全国民に「負けじ魂」の栄冠をささけました。
自分らしく挑戦を続けている人は、途中、負けたように見えることがあっても、最後には必ず勝利者となります。
以前、私か関西創価学園の「健康祭」に出席した時のことです。
マラソンの途中で体調をくずしてしまい、みなから大きくおくれてしまった一人の学園生かいました。しかし、ゆっくりゆっくりでしたが、最後まであきらめずに走り通したのです。ゴールでは、みなが大拍手で迎えました。私は胸につけていた白いバラのリボンを、金メダルの代わりに差し上げて、健闘をたたえました。
その負けじ魂の学園生は、勉学にも、ねぱり強く挑戦を重ね、今は正義の弁護士となって、庶民のために大活躍しています。
勉強や読書においても、「もう一歩ねばる心」が力となります。"もうやめたいな"と思った時に、「あと5分」「あと1ページ」と、自分の心をふるい立たせることです。
最近の研究では、「ちょっとがんばってできた」という達成感は、人間の脳にとって、とてもいいことがわかってきました。新しいことにチャレンジしていくことで、脳は強く賢く成長するのです。
私は、師匠・戸田先生の偉大な歴史を残すため、そして友に励ましを送るためにと、小説『人間革命』『新・人間革命』を書き続けてきました。1枚また1枚、1回また1回と積み重ねて、連載回数は合わせて6400回を超えました。
これからも、力の限り書きまくって、みなさんに、創価の一切のバトンを託していく決心です。
ともあれ、本当に楽しく充実した青春とは、自分自身の「挑戦の心」で、いくらでも広かっていきます。
きょうは、きのうの自分に勝つ!
あしたは、きょうの自分に勝つ!
そのくり返しが、偉大な人生を築きます。
さあ、「挑戦の夏」だ。挑戦の原動力である題目を唱えながら、新しいチャレンジを開始しよう!
君の晴れ舞台で、あなたの晴れ舞台で、自分自身の新記録を打ち立てていってください。
愛するみなさんの健康と無事故を、私は祈りに祈っていきます。
一回りも二回りも、大きく成長したみなさんと対話することを楽しみにしています。元気でね!
(2012.08.01 少年少女きぼう新聞掲載)
2012年7月20日金曜日
2012.07.20 わが友に贈る
尊き女子部の友よ
「華陽リーダー」の
新出発おめでとう!
唱題第一の実践で
朗らかに勝利の舞を!
四条金吾殿御返事 P1136
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』
◇希望の明日へ
大聖人の仰せのままに正法を実践している創価学会が、正道無視の"邪"に勝利することは絶対に間違いない。このことを強く強く確信し、大いなる勇気をもって一直線に正義を主張しきっていただきたい。
平3・9・20
☆希望の女子部結成61周年へのメッセージ
「生命光る挑戦の青春を!」
きょう7月19日、女子部は結成61周年の佳節を晴れやかに迎えた。池田名誉会長夫妻は、記念のメッセージを贈り、祝福した。
この中で名誉会長夫妻は、『只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(P384)との一節を拝し、「どんな苦しいことがあっても、題目を唱え抜きながら、一つまた一つ、挑戦していく。その積み重ねが、わが生命を最も尊く光らせ、生き生きと仏の智慧と力を開いていきます」と強調。粘り強い仏道修行によって、一生の幸福の土台を築いていくことが、偉大な「華陽の青春」の大道であると呼び掛けた。
そして、戸田第2代会長の「学会精神とは、一人一人を大切にする心だ。誰もが妙法の当体だからだよ」との指導を紹介。「皆さん方一人一人こそが、創価学会の希望であり、宝です」「幸福と仏縁と人材を拡大しながら、聡明に仲良く、朗らかに勝利の青春を飾っていってください」と期待を寄せた。
「華陽リーダー」の
新出発おめでとう!
唱題第一の実践で
朗らかに勝利の舞を!
四条金吾殿御返事 P1136
『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』
◇希望の明日へ
大聖人の仰せのままに正法を実践している創価学会が、正道無視の"邪"に勝利することは絶対に間違いない。このことを強く強く確信し、大いなる勇気をもって一直線に正義を主張しきっていただきたい。
平3・9・20
☆希望の女子部結成61周年へのメッセージ
「生命光る挑戦の青春を!」
きょう7月19日、女子部は結成61周年の佳節を晴れやかに迎えた。池田名誉会長夫妻は、記念のメッセージを贈り、祝福した。
この中で名誉会長夫妻は、『只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(P384)との一節を拝し、「どんな苦しいことがあっても、題目を唱え抜きながら、一つまた一つ、挑戦していく。その積み重ねが、わが生命を最も尊く光らせ、生き生きと仏の智慧と力を開いていきます」と強調。粘り強い仏道修行によって、一生の幸福の土台を築いていくことが、偉大な「華陽の青春」の大道であると呼び掛けた。
そして、戸田第2代会長の「学会精神とは、一人一人を大切にする心だ。誰もが妙法の当体だからだよ」との指導を紹介。「皆さん方一人一人こそが、創価学会の希望であり、宝です」「幸福と仏縁と人材を拡大しながら、聡明に仲良く、朗らかに勝利の青春を飾っていってください」と期待を寄せた。
2012年7月19日木曜日
2012.07.19 わが友に贈る
御書を身で拝してこそ
勝利の道は開かれる。
わが胸中に
確信の炎をともせ!
行学二道の勇者たれ!
松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』
◇希望の明日へ
悪を責めなければ自身も悪となってしまう。悪と戦い、勝ってこそ善は証明される。その正義の人は大福運を積み、成仏への道を大きく開きゆくことは間違いない。
平3・8・18
☆創価学園「栄光の日」へのメッセージ
わが宝の中の一番の宝である学園生の皆さん!。
新たな伝統を築きゆく「栄光の日」の集い、誠におめでとう!
暑い中、ご苦労さまです!
この一学期、学園生は、一人一人、本当によく頑張ってくれました。皆さんの真剣な努力と目をみはるばかりの大成長を、私は何よりも何よりもうれしく見守っています。
学園生と私の心は、一体不二です。ゆえに、皆さんが元気いっぱい前進してくれるほど、私もますます元気いっぱい、皆さんの道を世界へ未来へ広げていけるのです。
きょうは一点、「不屈のチャレンジで、栄光の旗を!」と申し上げたい。
まもなく、英国のロンドンで、人類の希望の祭典オリンピックが開幕します。私の英国の友人たちも、成功のため陰に陽に尽力しています。
オリンピックといえば、私か思い起こす一人の勇敢な青年がいます。
1936年、ドイツのベルリンで行われた大会で、100メートル走、200メートル走、走り幅跳び、400メートルリレーの四つの種目で、堂々と金メダルを飾ったアフリカ系アメリカ人(黒人)のジェシー・オーエンス選手です。
なぜ、これほど栄光の旗を掲げることができたのか。
それは、「負けじ魂」を燃え上がらせて、不屈のチャレンジを続けていったからです。
オーエンス選手は、綿つみを行う大家族の一家に生まれました。
病弱でしたが、肺炎にかかっても医者に診てもらうお金がないほど、家は貧しかったといいます。
学校に通いながらも、忙しい収穫の時期には働かねばなりませんでした。
しかし、決してへこたれずに学び抜き、大好きな陸上に打ち込んでいきました。練習に練習を重ね、高校時代から、その才能をクンダンと伸ばしていったのです。
オーエンス青年は、力強く、こう語っております。
「私たちは皆、夢を持っています。その夢を現実のものとするには、凄まじい決意、献身、自己鍛錬、そして努力が必要なのです」と。
学園生の皆さんには、一人も残らず、かけがえのない使命があります。それぞれに計り知れない才能があります。
わが学園生が偉大な夢に向かって、不屈のチャレンジを貫き通して、どれほど荘厳な栄光の旗を打ち立ててくれることか。私は、絶対の自信と大確信を持つております。
オーエンス選手がベルリンのオリンピックに挑んだのは、22歳の時です。
じつは、この時のオリンピックは、独裁者ヒトラーのもと、理不尽な人種差別の悪意が渦巻き、黒人選手は侮辱され、見下されていました。
しかし、オーエンス青年は、そうした逆風を見事に跳ね返し、「黒いカモシカ」と謳われる美しいフォームで、さっそうと駆け抜けて、前人未到の四つの金メダルを勝ちとったのであります。
この一人の青年の大勝利は、虐げられてきた人々に、限りない誇りと希望と勇気を贈りました。のちの人権闘争にも、力強い影響を与えたといわれております。
55年前のきょう7月17日、私は関西の天地で「正義が最後は必ず勝つ」と宣言しました。それは、正義の人材が必ず勝つということです。
すなわち、私の直系中の直系である学園生たちの大勝利です。
正義の負けじ魂が光る学園生の晴れ姿こそ、人々の幸福のために金の汗を流してこられた尊き庶民の夢であり、平和を願って信念の行動を貫く世界の良識の希望なのであります。
私か対談したアメリカの大歴史学者ビンセント・ハーディング博士は、盟友である「人権の獅子」キング博士の人生をアルファペッ卜の「C」の字から始まる三つの言葉で讃えておられました。それ
は「勇気(Courage)」「創造力(Creativity)」そして「思いやりの心(Compassion)」です。
この三つ──「勇気」と「創造力」と「思いやりの心」を、わが学園生も、明々と光り輝かせながら、偉大な青春を走り抜いていただきたい。
今は、自分らしく、また粘り強く、眼前の課題に断固たる勝利をもぎとりながら、良き友と、強く正しく朗らかに学び進んでいってください。
この夏、一段と見違えるように大成長しゆく君たち、貴女たちの英姿を、私は祈り見守っています。
ご家族にも創立者の私から、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
わが誉れの学園生に、健康あれ! 希望あれ! 栄光あれ!
勝利の道は開かれる。
わが胸中に
確信の炎をともせ!
行学二道の勇者たれ!
松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』
◇希望の明日へ
悪を責めなければ自身も悪となってしまう。悪と戦い、勝ってこそ善は証明される。その正義の人は大福運を積み、成仏への道を大きく開きゆくことは間違いない。
平3・8・18
☆創価学園「栄光の日」へのメッセージ
わが宝の中の一番の宝である学園生の皆さん!。
新たな伝統を築きゆく「栄光の日」の集い、誠におめでとう!
暑い中、ご苦労さまです!
この一学期、学園生は、一人一人、本当によく頑張ってくれました。皆さんの真剣な努力と目をみはるばかりの大成長を、私は何よりも何よりもうれしく見守っています。
学園生と私の心は、一体不二です。ゆえに、皆さんが元気いっぱい前進してくれるほど、私もますます元気いっぱい、皆さんの道を世界へ未来へ広げていけるのです。
きょうは一点、「不屈のチャレンジで、栄光の旗を!」と申し上げたい。
まもなく、英国のロンドンで、人類の希望の祭典オリンピックが開幕します。私の英国の友人たちも、成功のため陰に陽に尽力しています。
オリンピックといえば、私か思い起こす一人の勇敢な青年がいます。
1936年、ドイツのベルリンで行われた大会で、100メートル走、200メートル走、走り幅跳び、400メートルリレーの四つの種目で、堂々と金メダルを飾ったアフリカ系アメリカ人(黒人)のジェシー・オーエンス選手です。
なぜ、これほど栄光の旗を掲げることができたのか。
それは、「負けじ魂」を燃え上がらせて、不屈のチャレンジを続けていったからです。
オーエンス選手は、綿つみを行う大家族の一家に生まれました。
病弱でしたが、肺炎にかかっても医者に診てもらうお金がないほど、家は貧しかったといいます。
学校に通いながらも、忙しい収穫の時期には働かねばなりませんでした。
しかし、決してへこたれずに学び抜き、大好きな陸上に打ち込んでいきました。練習に練習を重ね、高校時代から、その才能をクンダンと伸ばしていったのです。
オーエンス青年は、力強く、こう語っております。
「私たちは皆、夢を持っています。その夢を現実のものとするには、凄まじい決意、献身、自己鍛錬、そして努力が必要なのです」と。
学園生の皆さんには、一人も残らず、かけがえのない使命があります。それぞれに計り知れない才能があります。
わが学園生が偉大な夢に向かって、不屈のチャレンジを貫き通して、どれほど荘厳な栄光の旗を打ち立ててくれることか。私は、絶対の自信と大確信を持つております。
オーエンス選手がベルリンのオリンピックに挑んだのは、22歳の時です。
じつは、この時のオリンピックは、独裁者ヒトラーのもと、理不尽な人種差別の悪意が渦巻き、黒人選手は侮辱され、見下されていました。
しかし、オーエンス青年は、そうした逆風を見事に跳ね返し、「黒いカモシカ」と謳われる美しいフォームで、さっそうと駆け抜けて、前人未到の四つの金メダルを勝ちとったのであります。
この一人の青年の大勝利は、虐げられてきた人々に、限りない誇りと希望と勇気を贈りました。のちの人権闘争にも、力強い影響を与えたといわれております。
55年前のきょう7月17日、私は関西の天地で「正義が最後は必ず勝つ」と宣言しました。それは、正義の人材が必ず勝つということです。
すなわち、私の直系中の直系である学園生たちの大勝利です。
正義の負けじ魂が光る学園生の晴れ姿こそ、人々の幸福のために金の汗を流してこられた尊き庶民の夢であり、平和を願って信念の行動を貫く世界の良識の希望なのであります。
私か対談したアメリカの大歴史学者ビンセント・ハーディング博士は、盟友である「人権の獅子」キング博士の人生をアルファペッ卜の「C」の字から始まる三つの言葉で讃えておられました。それ
は「勇気(Courage)」「創造力(Creativity)」そして「思いやりの心(Compassion)」です。
この三つ──「勇気」と「創造力」と「思いやりの心」を、わが学園生も、明々と光り輝かせながら、偉大な青春を走り抜いていただきたい。
今は、自分らしく、また粘り強く、眼前の課題に断固たる勝利をもぎとりながら、良き友と、強く正しく朗らかに学び進んでいってください。
この夏、一段と見違えるように大成長しゆく君たち、貴女たちの英姿を、私は祈り見守っています。
ご家族にも創立者の私から、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
わが誉れの学園生に、健康あれ! 希望あれ! 栄光あれ!
2012年7月18日水曜日
2012.07.18 わが友に贈る
熱中症に要注意!
強い日差しを避け
こまめに水分補給を!
室温調整も賢明に。
健康勝利の夏を前進!
諸経と法華経と難易の事 P992
『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』
◇希望の明日へ
正義の人は美しい。信念の人は気高い。勇気の人は高貴である。一方、策の人は卑劣な人である。名聞名利の人は臆病な人である。そして世の中には、こうした人々が、あまりにも多い。状況に応じて手のひらを返したように変節する。悲しいことだが、これが現実である。
平3・7・7
☆創価学会の歴史と確信 創価学会会長戸田城聖
創価学会が、初代会長牧口常三郎先生に率いられて、大法弘通のために立たれたときは、罰ということを正宗信者が忘れていたときである。牧口先生は罰論をもって大法を弘通せんとし、内外にこれを説いて、あらゆる難にあったのである。罰論を説くのは、日蓮正宗の教義に背くものとして攻撃した僧侶すらあったのである。
牧口先生は。敢然として法罰の恐ろしさ。法罰厳然たるを説いてゆずらずして、ご一生を終わったのである。「御本尊様は偉大な力がおありになる。罰なくして大利益があるわけがない。子をしかる力のない父が、子に幸福を与えられない。御本尊様をじっと拝んでみよ。『若し悩乱せん者は頭七分に破れん』との御本尊様のおおせが聞こえないか。御本尊様が罰をおおせではないか」とは先生の持論で、私も先生の持論は正しいと思う。これに反対する者は、大御本尊の威力を信じない者であり。これこそ、釈迦仏法のやさしい慈悲のすがたのみをあこがれる文上仏法のやからで、口蓮正宗の正流ではない。
私もかさねてこれをいうが、御本尊の向かって右の御かたわらに「若し悩乱せん者は頭七分に破れん」としたためられている。これが罰論でなくてなんであろう。向かって左の御かたわらを拝せば「供養すること有らん者は福十号に過ぎん」と、これはご利益をくださるとの御おおせではないか。
利益と罰は、われわれ日常の真実の生活であり、価値生活の全体である。この尊いことを忘れておって、牧口先生がこれを説くや、おどろきあわてた連中のすがたは、いま思い出してもこっけいのきわみである。そして、いまごろになって、むかしから知っていたような顔をしている悪侶もあるのにはおどろくのである。今日にいたって、なお、これを思い出さない愚侶もいるのには、おどろくというより無知を悲しむものである。
聖人御難事に大聖人の御おおせにいわく、
「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(P1190)と。
大法に背く者に厳然と罰ありとの御聖訓ではないか。だれか、これを否定いたしましょうぞ。否定することは謗法であり、悪人、愚人の証明となるではないか。
また、大聖人の御おおせには。
「大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるるか、罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰・四候、日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるるは総ぱちなり、やくびやうは冥罰なり。大田等は現罰なり別ばちなり、各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(P1190)と。
牧口先生は。この御抄のお心を心として、おどしてもおじず、おどろかず、法罰を説いて内外の難をこうむったのである。
時あたかも、わが国は太平洋戦争に直面し、国をあげて修羅のちまたに突入したのである。牧口会長は、この大戦争の間に、強く大聖人の御精神を奉戴して、国家の悪思想たる天照大神を拝むということに対立したのであった。
時の軍部は。蒙古襲来のとき。神風が天照大神によって吹いたという歴史にだまされていたのであった。国家が誘法の行為をなすことを知らず、大聖人の教えを聞こうとせず、語ろうともせず、かつ、御本仏大聖人の祈りによって神風が吹いたことは、知らなかったのである。米国はデューイの哲学により、日本の軍部は低級な邪義である神道論によって、一国の精神統一を図った。勝敗は物量だけの問題でなく、すでにこのことによって定まっていたのである。かれらが敗戦とともに、狂人的になることは、どうすることもできないことであった。
高級な仏教哲学は、敗戦すべきことを教えていたのであるが、そのたいせつな教理である大聖人の御遺文すら焼き捨てようとかかったのである。軍部の偉大な権力は狂人に刃物で、民衆はおどされるままにふるえあがって、バカのように天照大神の神棚を作って拝んだのである。このとき、牧口会長は、天照大神の神札を拝むことは、正宗の精神に反すると、きびしく会員に命ぜられたのである。
日本の国は、軍部にひきずられて妙な考え方になっていた。国内が思想的に乱れるのを恐れ、宗教の統一を図ろうとくわだてた。天照大神を拝んで神風を吹かしてもらうと言いたしたのである。天照大神を拝まないものは国賊であり、反戦思想であるとしていた。日本始まって以来、初めて国をあげて天照大神への信心である。
天照大神とて、法華経守護の神である。法華経に祈ってこそ天照大神も功力をあらわすのである。しかるに。文底独一の法華経を拝まず、天照大神だけを祈るがゆえに、天照大神の札には魔が住んで、祈りは宿らず、一国を狂人としたのである。
しかも。御開山日興上人の御遺文にいわく「檀那の社参(しゃさん)物詣(ものもうで)を禁ず可し」(御書全集一六一七ページ)とおおせある。この精神にもとづいて牧口会長は、「国を救うは日蓮大聖人のご真意たる大御本尊の流布以外はない。天照大神を祈って、なんで国を救えるものか」と強く強く言いだされたのである。
当時、御本山においても。牧口会長の、宗祖および御開山のおきてに忠順に、どこまでも、一国も一家も個人も、大聖の教義に背けば罰があたるとの態度に恐れたのである。信者が忠順に神棚をまつらなければ、軍部からどんな迫害がくるかと、御本山すら恐れだしたようである。
昭和十八年六月に学会の幹部は登山を命ぜられ、「神札」を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうかと、二上人立ち会いのうえ渡辺慈海師より申しわたされた。
御開山上人の御遺文にいわく、
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
この精神においてか、牧口会長は、神札は絶対に受けませんと申しあげて、下山したのであった。しこうして、その途中、私に述懐して言わるるには、
「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。いまこそ、国家諌暁の時ではないか。なにを恐れているのか知らん」と。
まことに大聖人の御金言は恐るべく。権力は恐るべきものではない。牧口会長の烈々たるこの気迫ありといえども、狂人の軍部は、ついに罪なくして罪人として、ただ天照大神をまつらぬという"とが"で、学会の幹部二十一名が投獄されたのである。このとき、信者一同のおどろき、あわてかた、御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしきしだいであった。牧ロ、戸田の一門は登山を禁ぜられ、世をあげて国賊の家とののしられたのは、時とはいえ、こっけいなものである。
また、投獄せられた者どもも、あわれであった。事業のつぶれる者、借金取りにせめられる者、収入の道なく食えなくなる者等続出して。あとに残った家族も、悲嘆にくれたのである。このゆえに、まず家族が退転しだした。疑いだした。これは確信なく、教学に暗いゆえであった。投獄せられた者も、だんだんと退転してきた。いくじのない者どもである。勇なく、信が弱く、大聖人を御本仏と知らぬ悲しさである。
名誉ある法難にあい、御仏のおめがねにかないながら、名誉ある位置を自覚しない者どもは退転したのである。大幹部たる野島辰次、稲葉伊之助、寺坂陽三、有村勝次、木下鹿次をはじめ、二十一名のうち十九名まで退転したのである。
会長牧口常三郎、理事長戸田城聖、理事矢島周平の三人だけが、ようやくその位置に踏みとどまったのである。いかに正法を信ずることは、難いものであろうか。会長牧口常三郎先生は、昭和十九年十一月十八日、この名誉の位置を誇りながら栄養失調のため、ついに牢死したのであった。
私は牧口会長の死を知らなかった。昭和十八年の秋、警視庁で別れを告げたきり。たがいに三畳一間の独房に別れ別れの生活であったからである。二十歳の年より師弟の縁を結び、親子もすぎた深い仲である。
毎日、独房のなかで、「私はまだ若い。先生は七十五歳でいらせられる。どうか、罪は私一人に集まって、先生は一日も早く帰られますように」と大御本尊に祈ったのである。
牧口先生の先業の法華経誹誘の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう。昭和二十年一月八日、投獄以来一年有半に、「牧ロは死んだよ」と、ただ一声を聞いたのであった。独房へ帰った私は、ただ涙に泣きぬれたのであった。
ちょうど、牧口先生の亡くなったころ、私は二百万べんの題目も近くなって、不可思議の境涯を、御本仏の慈悲によって体得したのであった。その後、取り調べと唱題と、読めなかった法華経が読めるようになった法悦とで毎日暮らしたのであった。
その取り調べにたいして、同志が、みな退転しつつあることを知ったのであった。歯をかみしめるようななさけなさ。心のなかからこみあげてくる大御本尊のありがたさ。私は一生の命を御仏にささげる決意をしたのであった。敗戦末期の様相は牢獄のなかまでひびいてくる。食えないで苦しんでいる妻子のすがたが目にうつる。私は、ただ大御本尊様を拝んで聞こえねど聞こえねばならぬ生命の力を知ったがゆえに、二千べんの唱題のあとには、おのおのに百ぺんの題目を回向しつつ、さけんだのである。
「大御本尊様、私と妻と子との命を納受したまえ。妻や子よ、なんじらは国外の兵の銃剣にたおれるかもしれない。国外の兵に屈辱されるかもしれない。しかし、妙法の信者戸田城聖の妻として、また子と名のり、縁ある者として、霊鷲山会に詣でて、大聖人にお目通りせよ。かならず厚くおもてなしをうけるであろう」
毎日、唱題と祈念と法悦の日はつづけられるとともに、不思議や、数馬判事の私を憎むこと山より高く、海よりも深き実情であった。法罰は厳然として。彼は天台の一念三千の法門の取り調べになるや、重大な神経衰弱におちいり、十二月十八日より三月八日まで一行の調書もできず、裁判官を廃業してしまったのである。
牧口先生をいじめ、軽蔑し、私を憎み、あなどり、同志をうらぎらせた彼は、裁判官として死刑の宣告をうけたのである。その後の消息は知るよしもないが、阿弥陀教の信者の立場で私ども同志を裁いた彼は、無間地獄まちがいなしと信ずるものである。不思議は種々につづいたが、結局、七月三日に、私はふたたび娑婆へ解放されたのであった。
帰ったときの憤りは、御仏にあらずんば知るあたわざるものがあった。
創価学会のすがたはあとかたなく、目にうつる人々は御本尊を疑い、牧口先生を恨み、私を憎んでいるのである。
狂人的警察官、不良の官吏、斎木という特高の巡査になぐられ、いじめられ、ついに死を覚悟して、取り調べのすきをうかがって二階から飛び降りたほど苦しんだ稲葉伊之助氏などは、四か年の刑をおそれて畜生界のすがたであった。
そのほかの幹部は、一人となく退転し、強く広宣流布を誓った自分ながら、空爆のあとの焼け野原に立って孤独を感ずるのみであった。いま、蘇生した矢島周平君すら、手のほどこすところなく、病めるウサギのごとく穴居(けっきょ)しているのであった。
私は。まず大法流布に自重して時を待った。そしてまず、法華経の哲学を説いたのであった。これがまた大誘法なることは、後において実証せられたのであるが、自分としては再建の第一歩であったのである。そのとき、まず、創価学会員のうち柏原ヤス、和泉美代夫人、矢島周平、原島宏治、小泉隆、辻武寿の諸氏が、昭和二十一年の二、三月ごろまでに駆けつけたのであった。
それ以後、日蓮正宗の教義および大御本尊の偉大な法力・仏力を再教育し、いかなる難に出あうとも、退転することなき強き信念を植えつけ、信心の正しきありかたを教え、折伏こそ大聖人の御意志であることを知らしめたのである。
昭和二十一年の秋には、創価学会の再建はひとまず緒についたかたちとなったが、いまだ人材はそろわず、信力弱く、学力は低く、とうてい一国広宣流布の大旗は掲げられなかったのである。ゆえに、折伏行を第一義の訓練にはいり、初信者をただお寺へ案内するだけの弱い折伏のすがたであった。第四回の総会に私がいいましたごとくである。いま一度、そのときのことぱを引用するが、いまだ大確信のこもったものでないことは、読者にはよくわかることと思う。
日蓮大聖人様から六百余年、法燈連綿と正しくつづいた宗教が日蓮正宗である。もっとも完全無欠な仏法が正宗なのである。この仏法こそ、私たちを真に幸福にみちびいてくれる宗教であることを。私たちは日夜身をもって体験しているのである。
世界の文化がいくら発達しても、国と国とのもつ間柄が道徳を無視して、実力と権力闘争の世界では、けっして人類の真の幸福はない。不幸にして原子爆弾による戦争が起こったならば、世界の民族は崩壊の道をたどる以外にない。このときに日本国に厳然として存在している人類の破滅を阻止しうる偉大な宗教が、日蓮大聖人によって与えられているのであると確信する。
毎朝、御観念文に拝するごとく、主師親の三徳をそなえられていらっしゃる大聖人を、われわれごとき者が拝することのできるのは、真にもったいないしだいである。われわれは大聖人の家来であり、子であり、弟子なのである。そして宇宙の仏様であらせられる大聖人の家来、子、弟子となれることは人生の大因縁なのである。しかも開示悟入の大聖人の因縁である。大聖人の御出世は、われわれのごとき無知な悪人に大御本尊を拝ましてやるという一大因縁なのである。ゆえに、大聖人の教えに随順して、世に最高唯一の大御本尊様を子として、弟子として、家来として拝することは無上の大果報である。
ゆえに、世人に先だってこの因縁を知りえたわれわれは、御本尊様の功徳を悩める衆生につたえる使命をもっている。われも拝み、人にも拝ませるようにつとめ、善きにつけ、悪しきにつけ、世の中がいかになろうとも、世界人類の幸福のために、自分も拝み、他にも拝ませなければならない。私たちは無知な人々をみちびぐ車屋である。迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である。宝の山にはいって宝をとるかとらないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのである。
宗教によって名誉を欲するのではない。まして新興の宗教屋のごとき金もうけを目的とするものでないことなど、いまさら申しあげるまでもない。ただ目前のご利益をのぞみ、真の大聖人の功徳を知りえないならば、まことに不覚といわなければならない。
最近にいたって、百人にもおよぶ指導員ができて、ともに同志として広宣流布に邁進できることになったのは、まことによろこぱしく思っているしだいである。
以上のように、学会活動は消極的であったことは、いなまれないのである。
しかるに、日本の国は滅びている。日本の民衆は、悩みに悩んでいる。学会は当然、立たなければならないのである。
学会再発足のとき、立正交成会も同じく小さな教団として、やっと息をついていたのは。自分たちのよく知っているところである。しかるに、七か年の時を経過して、かれは大なる教団となって邪教の臭気を世にばらまいている。大聖人の真の仏法を奉持して邪宗ののさばるにまかせているのは、だれの罪かと私は自問した。「これは創価学会を率いる者の罪である」と自答せざるをえないのである。
また自分は、文底独一の教理を説いていると深く信じているが、教本には文上の法華経を用いている。
この二つの罪は、御本仏の許すべからざるものである。私は大難をうけたのである。立つべき秋に立たず、つくべき位置につかず、釈迦文上の法華経をもてあそぶ者として、大謗法の罪に私は問われたのである。ありがたや、死して無間地獄うたがいなき身が、御本尊の功徳はありがたく、現世に気づくことができたのである。
私は、悩みに悩みとおしたのである。理事長の位置を矢島周平氏にゆずり、敢然と悩みのなかに突入したのであった。「転重軽受法門」のありがたさ、「兄弟抄」の三障四魔のおことばのありがたさに、泣きぬれたのであった。
兄弟抄の御おおせには、
「其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち人たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く『行解既に勤めぬれぱ三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(P1087)と。
以上の二つの法門を身に読ましていただいた私は、このたびは路上において、「霊山一会の大衆儼然として未だ散らず」して、私の身のなかに、永遠のすがたでましますことと、拝んだのであった。
私は歓喜にもえたのである。私は証のありしだい敢然立つことを決意したのである。
(昭和二十六年七月十日)
強い日差しを避け
こまめに水分補給を!
室温調整も賢明に。
健康勝利の夏を前進!
諸経と法華経と難易の事 P992
『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』
◇希望の明日へ
正義の人は美しい。信念の人は気高い。勇気の人は高貴である。一方、策の人は卑劣な人である。名聞名利の人は臆病な人である。そして世の中には、こうした人々が、あまりにも多い。状況に応じて手のひらを返したように変節する。悲しいことだが、これが現実である。
平3・7・7
☆創価学会の歴史と確信 創価学会会長戸田城聖
創価学会が、初代会長牧口常三郎先生に率いられて、大法弘通のために立たれたときは、罰ということを正宗信者が忘れていたときである。牧口先生は罰論をもって大法を弘通せんとし、内外にこれを説いて、あらゆる難にあったのである。罰論を説くのは、日蓮正宗の教義に背くものとして攻撃した僧侶すらあったのである。
牧口先生は。敢然として法罰の恐ろしさ。法罰厳然たるを説いてゆずらずして、ご一生を終わったのである。「御本尊様は偉大な力がおありになる。罰なくして大利益があるわけがない。子をしかる力のない父が、子に幸福を与えられない。御本尊様をじっと拝んでみよ。『若し悩乱せん者は頭七分に破れん』との御本尊様のおおせが聞こえないか。御本尊様が罰をおおせではないか」とは先生の持論で、私も先生の持論は正しいと思う。これに反対する者は、大御本尊の威力を信じない者であり。これこそ、釈迦仏法のやさしい慈悲のすがたのみをあこがれる文上仏法のやからで、口蓮正宗の正流ではない。
私もかさねてこれをいうが、御本尊の向かって右の御かたわらに「若し悩乱せん者は頭七分に破れん」としたためられている。これが罰論でなくてなんであろう。向かって左の御かたわらを拝せば「供養すること有らん者は福十号に過ぎん」と、これはご利益をくださるとの御おおせではないか。
利益と罰は、われわれ日常の真実の生活であり、価値生活の全体である。この尊いことを忘れておって、牧口先生がこれを説くや、おどろきあわてた連中のすがたは、いま思い出してもこっけいのきわみである。そして、いまごろになって、むかしから知っていたような顔をしている悪侶もあるのにはおどろくのである。今日にいたって、なお、これを思い出さない愚侶もいるのには、おどろくというより無知を悲しむものである。
聖人御難事に大聖人の御おおせにいわく、
「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(P1190)と。
大法に背く者に厳然と罰ありとの御聖訓ではないか。だれか、これを否定いたしましょうぞ。否定することは謗法であり、悪人、愚人の証明となるではないか。
また、大聖人の御おおせには。
「大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるるか、罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰・四候、日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるるは総ぱちなり、やくびやうは冥罰なり。大田等は現罰なり別ばちなり、各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(P1190)と。
牧口先生は。この御抄のお心を心として、おどしてもおじず、おどろかず、法罰を説いて内外の難をこうむったのである。
時あたかも、わが国は太平洋戦争に直面し、国をあげて修羅のちまたに突入したのである。牧口会長は、この大戦争の間に、強く大聖人の御精神を奉戴して、国家の悪思想たる天照大神を拝むということに対立したのであった。
時の軍部は。蒙古襲来のとき。神風が天照大神によって吹いたという歴史にだまされていたのであった。国家が誘法の行為をなすことを知らず、大聖人の教えを聞こうとせず、語ろうともせず、かつ、御本仏大聖人の祈りによって神風が吹いたことは、知らなかったのである。米国はデューイの哲学により、日本の軍部は低級な邪義である神道論によって、一国の精神統一を図った。勝敗は物量だけの問題でなく、すでにこのことによって定まっていたのである。かれらが敗戦とともに、狂人的になることは、どうすることもできないことであった。
高級な仏教哲学は、敗戦すべきことを教えていたのであるが、そのたいせつな教理である大聖人の御遺文すら焼き捨てようとかかったのである。軍部の偉大な権力は狂人に刃物で、民衆はおどされるままにふるえあがって、バカのように天照大神の神棚を作って拝んだのである。このとき、牧口会長は、天照大神の神札を拝むことは、正宗の精神に反すると、きびしく会員に命ぜられたのである。
日本の国は、軍部にひきずられて妙な考え方になっていた。国内が思想的に乱れるのを恐れ、宗教の統一を図ろうとくわだてた。天照大神を拝んで神風を吹かしてもらうと言いたしたのである。天照大神を拝まないものは国賊であり、反戦思想であるとしていた。日本始まって以来、初めて国をあげて天照大神への信心である。
天照大神とて、法華経守護の神である。法華経に祈ってこそ天照大神も功力をあらわすのである。しかるに。文底独一の法華経を拝まず、天照大神だけを祈るがゆえに、天照大神の札には魔が住んで、祈りは宿らず、一国を狂人としたのである。
しかも。御開山日興上人の御遺文にいわく「檀那の社参(しゃさん)物詣(ものもうで)を禁ず可し」(御書全集一六一七ページ)とおおせある。この精神にもとづいて牧口会長は、「国を救うは日蓮大聖人のご真意たる大御本尊の流布以外はない。天照大神を祈って、なんで国を救えるものか」と強く強く言いだされたのである。
当時、御本山においても。牧口会長の、宗祖および御開山のおきてに忠順に、どこまでも、一国も一家も個人も、大聖の教義に背けば罰があたるとの態度に恐れたのである。信者が忠順に神棚をまつらなければ、軍部からどんな迫害がくるかと、御本山すら恐れだしたようである。
昭和十八年六月に学会の幹部は登山を命ぜられ、「神札」を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうかと、二上人立ち会いのうえ渡辺慈海師より申しわたされた。
御開山上人の御遺文にいわく、
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
この精神においてか、牧口会長は、神札は絶対に受けませんと申しあげて、下山したのであった。しこうして、その途中、私に述懐して言わるるには、
「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。いまこそ、国家諌暁の時ではないか。なにを恐れているのか知らん」と。
まことに大聖人の御金言は恐るべく。権力は恐るべきものではない。牧口会長の烈々たるこの気迫ありといえども、狂人の軍部は、ついに罪なくして罪人として、ただ天照大神をまつらぬという"とが"で、学会の幹部二十一名が投獄されたのである。このとき、信者一同のおどろき、あわてかた、御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしきしだいであった。牧ロ、戸田の一門は登山を禁ぜられ、世をあげて国賊の家とののしられたのは、時とはいえ、こっけいなものである。
また、投獄せられた者どもも、あわれであった。事業のつぶれる者、借金取りにせめられる者、収入の道なく食えなくなる者等続出して。あとに残った家族も、悲嘆にくれたのである。このゆえに、まず家族が退転しだした。疑いだした。これは確信なく、教学に暗いゆえであった。投獄せられた者も、だんだんと退転してきた。いくじのない者どもである。勇なく、信が弱く、大聖人を御本仏と知らぬ悲しさである。
名誉ある法難にあい、御仏のおめがねにかないながら、名誉ある位置を自覚しない者どもは退転したのである。大幹部たる野島辰次、稲葉伊之助、寺坂陽三、有村勝次、木下鹿次をはじめ、二十一名のうち十九名まで退転したのである。
会長牧口常三郎、理事長戸田城聖、理事矢島周平の三人だけが、ようやくその位置に踏みとどまったのである。いかに正法を信ずることは、難いものであろうか。会長牧口常三郎先生は、昭和十九年十一月十八日、この名誉の位置を誇りながら栄養失調のため、ついに牢死したのであった。
私は牧口会長の死を知らなかった。昭和十八年の秋、警視庁で別れを告げたきり。たがいに三畳一間の独房に別れ別れの生活であったからである。二十歳の年より師弟の縁を結び、親子もすぎた深い仲である。
毎日、独房のなかで、「私はまだ若い。先生は七十五歳でいらせられる。どうか、罪は私一人に集まって、先生は一日も早く帰られますように」と大御本尊に祈ったのである。
牧口先生の先業の法華経誹誘の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう。昭和二十年一月八日、投獄以来一年有半に、「牧ロは死んだよ」と、ただ一声を聞いたのであった。独房へ帰った私は、ただ涙に泣きぬれたのであった。
ちょうど、牧口先生の亡くなったころ、私は二百万べんの題目も近くなって、不可思議の境涯を、御本仏の慈悲によって体得したのであった。その後、取り調べと唱題と、読めなかった法華経が読めるようになった法悦とで毎日暮らしたのであった。
その取り調べにたいして、同志が、みな退転しつつあることを知ったのであった。歯をかみしめるようななさけなさ。心のなかからこみあげてくる大御本尊のありがたさ。私は一生の命を御仏にささげる決意をしたのであった。敗戦末期の様相は牢獄のなかまでひびいてくる。食えないで苦しんでいる妻子のすがたが目にうつる。私は、ただ大御本尊様を拝んで聞こえねど聞こえねばならぬ生命の力を知ったがゆえに、二千べんの唱題のあとには、おのおのに百ぺんの題目を回向しつつ、さけんだのである。
「大御本尊様、私と妻と子との命を納受したまえ。妻や子よ、なんじらは国外の兵の銃剣にたおれるかもしれない。国外の兵に屈辱されるかもしれない。しかし、妙法の信者戸田城聖の妻として、また子と名のり、縁ある者として、霊鷲山会に詣でて、大聖人にお目通りせよ。かならず厚くおもてなしをうけるであろう」
毎日、唱題と祈念と法悦の日はつづけられるとともに、不思議や、数馬判事の私を憎むこと山より高く、海よりも深き実情であった。法罰は厳然として。彼は天台の一念三千の法門の取り調べになるや、重大な神経衰弱におちいり、十二月十八日より三月八日まで一行の調書もできず、裁判官を廃業してしまったのである。
牧口先生をいじめ、軽蔑し、私を憎み、あなどり、同志をうらぎらせた彼は、裁判官として死刑の宣告をうけたのである。その後の消息は知るよしもないが、阿弥陀教の信者の立場で私ども同志を裁いた彼は、無間地獄まちがいなしと信ずるものである。不思議は種々につづいたが、結局、七月三日に、私はふたたび娑婆へ解放されたのであった。
帰ったときの憤りは、御仏にあらずんば知るあたわざるものがあった。
創価学会のすがたはあとかたなく、目にうつる人々は御本尊を疑い、牧口先生を恨み、私を憎んでいるのである。
狂人的警察官、不良の官吏、斎木という特高の巡査になぐられ、いじめられ、ついに死を覚悟して、取り調べのすきをうかがって二階から飛び降りたほど苦しんだ稲葉伊之助氏などは、四か年の刑をおそれて畜生界のすがたであった。
そのほかの幹部は、一人となく退転し、強く広宣流布を誓った自分ながら、空爆のあとの焼け野原に立って孤独を感ずるのみであった。いま、蘇生した矢島周平君すら、手のほどこすところなく、病めるウサギのごとく穴居(けっきょ)しているのであった。
私は。まず大法流布に自重して時を待った。そしてまず、法華経の哲学を説いたのであった。これがまた大誘法なることは、後において実証せられたのであるが、自分としては再建の第一歩であったのである。そのとき、まず、創価学会員のうち柏原ヤス、和泉美代夫人、矢島周平、原島宏治、小泉隆、辻武寿の諸氏が、昭和二十一年の二、三月ごろまでに駆けつけたのであった。
それ以後、日蓮正宗の教義および大御本尊の偉大な法力・仏力を再教育し、いかなる難に出あうとも、退転することなき強き信念を植えつけ、信心の正しきありかたを教え、折伏こそ大聖人の御意志であることを知らしめたのである。
昭和二十一年の秋には、創価学会の再建はひとまず緒についたかたちとなったが、いまだ人材はそろわず、信力弱く、学力は低く、とうてい一国広宣流布の大旗は掲げられなかったのである。ゆえに、折伏行を第一義の訓練にはいり、初信者をただお寺へ案内するだけの弱い折伏のすがたであった。第四回の総会に私がいいましたごとくである。いま一度、そのときのことぱを引用するが、いまだ大確信のこもったものでないことは、読者にはよくわかることと思う。
日蓮大聖人様から六百余年、法燈連綿と正しくつづいた宗教が日蓮正宗である。もっとも完全無欠な仏法が正宗なのである。この仏法こそ、私たちを真に幸福にみちびいてくれる宗教であることを。私たちは日夜身をもって体験しているのである。
世界の文化がいくら発達しても、国と国とのもつ間柄が道徳を無視して、実力と権力闘争の世界では、けっして人類の真の幸福はない。不幸にして原子爆弾による戦争が起こったならば、世界の民族は崩壊の道をたどる以外にない。このときに日本国に厳然として存在している人類の破滅を阻止しうる偉大な宗教が、日蓮大聖人によって与えられているのであると確信する。
毎朝、御観念文に拝するごとく、主師親の三徳をそなえられていらっしゃる大聖人を、われわれごとき者が拝することのできるのは、真にもったいないしだいである。われわれは大聖人の家来であり、子であり、弟子なのである。そして宇宙の仏様であらせられる大聖人の家来、子、弟子となれることは人生の大因縁なのである。しかも開示悟入の大聖人の因縁である。大聖人の御出世は、われわれのごとき無知な悪人に大御本尊を拝ましてやるという一大因縁なのである。ゆえに、大聖人の教えに随順して、世に最高唯一の大御本尊様を子として、弟子として、家来として拝することは無上の大果報である。
ゆえに、世人に先だってこの因縁を知りえたわれわれは、御本尊様の功徳を悩める衆生につたえる使命をもっている。われも拝み、人にも拝ませるようにつとめ、善きにつけ、悪しきにつけ、世の中がいかになろうとも、世界人類の幸福のために、自分も拝み、他にも拝ませなければならない。私たちは無知な人々をみちびぐ車屋である。迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である。宝の山にはいって宝をとるかとらないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのである。
宗教によって名誉を欲するのではない。まして新興の宗教屋のごとき金もうけを目的とするものでないことなど、いまさら申しあげるまでもない。ただ目前のご利益をのぞみ、真の大聖人の功徳を知りえないならば、まことに不覚といわなければならない。
最近にいたって、百人にもおよぶ指導員ができて、ともに同志として広宣流布に邁進できることになったのは、まことによろこぱしく思っているしだいである。
以上のように、学会活動は消極的であったことは、いなまれないのである。
しかるに、日本の国は滅びている。日本の民衆は、悩みに悩んでいる。学会は当然、立たなければならないのである。
学会再発足のとき、立正交成会も同じく小さな教団として、やっと息をついていたのは。自分たちのよく知っているところである。しかるに、七か年の時を経過して、かれは大なる教団となって邪教の臭気を世にばらまいている。大聖人の真の仏法を奉持して邪宗ののさばるにまかせているのは、だれの罪かと私は自問した。「これは創価学会を率いる者の罪である」と自答せざるをえないのである。
また自分は、文底独一の教理を説いていると深く信じているが、教本には文上の法華経を用いている。
この二つの罪は、御本仏の許すべからざるものである。私は大難をうけたのである。立つべき秋に立たず、つくべき位置につかず、釈迦文上の法華経をもてあそぶ者として、大謗法の罪に私は問われたのである。ありがたや、死して無間地獄うたがいなき身が、御本尊の功徳はありがたく、現世に気づくことができたのである。
私は、悩みに悩みとおしたのである。理事長の位置を矢島周平氏にゆずり、敢然と悩みのなかに突入したのであった。「転重軽受法門」のありがたさ、「兄弟抄」の三障四魔のおことばのありがたさに、泣きぬれたのであった。
兄弟抄の御おおせには、
「其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち人たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く『行解既に勤めぬれぱ三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」(P1087)と。
以上の二つの法門を身に読ましていただいた私は、このたびは路上において、「霊山一会の大衆儼然として未だ散らず」して、私の身のなかに、永遠のすがたでましますことと、拝んだのであった。
私は歓喜にもえたのである。私は証のありしだい敢然立つことを決意したのである。
(昭和二十六年七月十日)
2012年7月17日火曜日
2012.07.17 わが友に贈る
信心とは
仏と魔との戦い!
一つ一つ真剣に
勝利していくことだ。
題目根本で進め!
◇今週のことば
創価ファミリー大会は
希望と和楽と歓喜の集い。
人材を育てる人こそ
未来を創る大人材だ。
「信心の継承」に総力を!
2012年07月17日
南条殿御返事 P1578
『法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所尊しと申すは是なり』
◇希望の明日へ
人間として、だれが勝利者なのか敗者なのか。ずる賢く、うまく立ち回って、世の拍手を浴びる人間がいる。正義を曲げないがゆえに、世の指弾を一身に浴びる人がいる。表面のみを見れば、要領よく生きたほうが得かもしれない。しかし、心は自らの悪の泥にまみれる。胸中は、光のささない、まっ暗な洞窟となる。友情の花も咲かない。希望という新鮮な空気もない。誓いに生ききった、さわやかな満足もない。ただ、うしろめたく、ただ、むなしい。これでは幸福とはいえないし、人間らしい一生に、なるはずがないのである。
平3・6・1
☆創価ファミリー大会・新時代第59回本部幹部会・青年部幹部会へのメッセージ
「青年の月」7月のはつらつたる本部幹部会、おめでとうございます!(大拍手)
また、暑いなか、本当にご苦労様です。
きょうは海外の大事なリーダーの皆さん方も集われております。
アメリカの皆さん! ブラジル青年部の皆さん! イタリアの皆さん! 東アジアの台湾・香港・マカオ・フィリピンの皆さん! インドの皆さん! そして韓国の皆さん!
尊い研修に、ようこそ、お越しくださいました。
すべて偉大な世界広布の歴史であり、皆さん方の黄金の足跡に、功徳は無量無辺についてきます。
ここで、今回の九州の豪雨による甚大な被害に、重ねて心からお見舞いを申し上げます。
被災地にあって、わが誉れの同志は、地域の柱となって奮闘されております。
九州青年部の友も、懸命に支援に奔走してくれております。
御聖訓に、『大悪をこれば大善きたる』(P1300)と厳然と約束されている通り、必ずや偉大な「変毒為薬」の実証が示されていくことを、強く確信してやみません。
私も、愛する九州の友を、仏天よ、守りに護れと、一心不乱に祈り抜いております。
全国、全世界の同志と共に、「大九州、負けるな! 大九州の人材城よ、永遠なれ!」とエール(声援)を送ろうではありませんか!
もう40年以上も前になりますが、創価学会が大きな難を乗り越えていく渦中、私は一つの宣言をしました。
それは「学会がどうなるか、21世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が、必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」と。
今まさに、「その時」が来ました。
これほど頼もしい、これほど壮大な世界的な広がりをもった、社会貢献の若き人材の陣列が、一体、どこにあるでしょうか。
きょうは、力強く正義と幸福の連帯を拡大しゆく「全国青年部幹部会」、そして、創立100周年の未来を勝ち開く、「創価ファミリー大会」の開催、誠におめでとう!
さて、まもなく英国のロンドンで、平和の祭典オリンピックが開催されます。
スポーツをはじめ、青春と人生の万般において、勝敗を大きく決するのが、「勢い」であることは、論を待ちません。
個人であれ、団体であれ、「勢い」のあるところが勝ち栄えていきます。
その意味から──我らは、「師子奮迅の勢い」で、そして「常勝破竹の勢い」で、明るく朗らかに勝ち進もう!──と申し上げたいのであります。
法華経には、「師子奮迅の力」と説かれています。
題目という師子吼を唱える人は、この最強最大の生命力を満々と湛え、いかなる課題であれ「師子奮迅の勢い」で挑み、苦しみさえも楽しみに変えながら、勝ち越えていくことができるのであります。
古来、東洋では、おさえ難い勢いのことを「破竹の勢い」といいます。どうすれば、この「破竹の勢い」を生み出すことができるのか。
御書には、『竹の節を一つ破れば、他の節も次々に破れていくようなものである』(P1046、通解)と、記されております。
要するに、目の前にある、なすべきことを、一つ一つ強盛に祈り切って、断固として戦い、勝ちとっでいくことであります。
それが、たとえ小さなことであっても、地味であっても、まったく構いません。
「今、これをやり遂げてみせる」と誓いを立て、誠実に、粘り強く、果たし切っていくことです。
その一点突破から、「破竹の勢い」が生まれます。
それが「人間革命」の勢いとなり、青春と人生の「常勝」の勢いとなっていくのであります。
なかんずく、華陽の乙女が、また創価の若き丈夫が、真心を込めて同志を励まし、勇気を出して友と仏縁を結んでいくことが、いかに偉大であるか。
そこに必ず、旭日が昇りゆくような勢いで、新たな広宣流布の「希望の門」が、晴れ晴れと開かれることは、絶対に間違いありません。
「一人」の人材を徹して大切にし、育て上げていく。
そのたゆまぬ積み重ねによって、今日の創価学会の大発展が築かれました。
一人一人の生命を「仏の如く」大切にする学会精神を貫き通していく限り、はるかな未来まで、創価の勝利の勢いは加速するのであります。
日蓮大聖人は、『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1589)と仰せになられました。
妙法と共に、同志と共に、私と共に、誇りも高く、何ものにも負けず、勇敢に戦い、堂々と勝ちましょう!
終わりに、
恐れるな
君も私も
師子奮迅
と申し上げ、私のメッセージといたします。
仏と魔との戦い!
一つ一つ真剣に
勝利していくことだ。
題目根本で進め!
◇今週のことば
創価ファミリー大会は
希望と和楽と歓喜の集い。
人材を育てる人こそ
未来を創る大人材だ。
「信心の継承」に総力を!
2012年07月17日
南条殿御返事 P1578
『法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所尊しと申すは是なり』
◇希望の明日へ
人間として、だれが勝利者なのか敗者なのか。ずる賢く、うまく立ち回って、世の拍手を浴びる人間がいる。正義を曲げないがゆえに、世の指弾を一身に浴びる人がいる。表面のみを見れば、要領よく生きたほうが得かもしれない。しかし、心は自らの悪の泥にまみれる。胸中は、光のささない、まっ暗な洞窟となる。友情の花も咲かない。希望という新鮮な空気もない。誓いに生ききった、さわやかな満足もない。ただ、うしろめたく、ただ、むなしい。これでは幸福とはいえないし、人間らしい一生に、なるはずがないのである。
平3・6・1
☆創価ファミリー大会・新時代第59回本部幹部会・青年部幹部会へのメッセージ
「青年の月」7月のはつらつたる本部幹部会、おめでとうございます!(大拍手)
また、暑いなか、本当にご苦労様です。
きょうは海外の大事なリーダーの皆さん方も集われております。
アメリカの皆さん! ブラジル青年部の皆さん! イタリアの皆さん! 東アジアの台湾・香港・マカオ・フィリピンの皆さん! インドの皆さん! そして韓国の皆さん!
尊い研修に、ようこそ、お越しくださいました。
すべて偉大な世界広布の歴史であり、皆さん方の黄金の足跡に、功徳は無量無辺についてきます。
ここで、今回の九州の豪雨による甚大な被害に、重ねて心からお見舞いを申し上げます。
被災地にあって、わが誉れの同志は、地域の柱となって奮闘されております。
九州青年部の友も、懸命に支援に奔走してくれております。
御聖訓に、『大悪をこれば大善きたる』(P1300)と厳然と約束されている通り、必ずや偉大な「変毒為薬」の実証が示されていくことを、強く確信してやみません。
私も、愛する九州の友を、仏天よ、守りに護れと、一心不乱に祈り抜いております。
全国、全世界の同志と共に、「大九州、負けるな! 大九州の人材城よ、永遠なれ!」とエール(声援)を送ろうではありませんか!
もう40年以上も前になりますが、創価学会が大きな難を乗り越えていく渦中、私は一つの宣言をしました。
それは「学会がどうなるか、21世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が、必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」と。
今まさに、「その時」が来ました。
これほど頼もしい、これほど壮大な世界的な広がりをもった、社会貢献の若き人材の陣列が、一体、どこにあるでしょうか。
きょうは、力強く正義と幸福の連帯を拡大しゆく「全国青年部幹部会」、そして、創立100周年の未来を勝ち開く、「創価ファミリー大会」の開催、誠におめでとう!
さて、まもなく英国のロンドンで、平和の祭典オリンピックが開催されます。
スポーツをはじめ、青春と人生の万般において、勝敗を大きく決するのが、「勢い」であることは、論を待ちません。
個人であれ、団体であれ、「勢い」のあるところが勝ち栄えていきます。
その意味から──我らは、「師子奮迅の勢い」で、そして「常勝破竹の勢い」で、明るく朗らかに勝ち進もう!──と申し上げたいのであります。
法華経には、「師子奮迅の力」と説かれています。
題目という師子吼を唱える人は、この最強最大の生命力を満々と湛え、いかなる課題であれ「師子奮迅の勢い」で挑み、苦しみさえも楽しみに変えながら、勝ち越えていくことができるのであります。
古来、東洋では、おさえ難い勢いのことを「破竹の勢い」といいます。どうすれば、この「破竹の勢い」を生み出すことができるのか。
御書には、『竹の節を一つ破れば、他の節も次々に破れていくようなものである』(P1046、通解)と、記されております。
要するに、目の前にある、なすべきことを、一つ一つ強盛に祈り切って、断固として戦い、勝ちとっでいくことであります。
それが、たとえ小さなことであっても、地味であっても、まったく構いません。
「今、これをやり遂げてみせる」と誓いを立て、誠実に、粘り強く、果たし切っていくことです。
その一点突破から、「破竹の勢い」が生まれます。
それが「人間革命」の勢いとなり、青春と人生の「常勝」の勢いとなっていくのであります。
なかんずく、華陽の乙女が、また創価の若き丈夫が、真心を込めて同志を励まし、勇気を出して友と仏縁を結んでいくことが、いかに偉大であるか。
そこに必ず、旭日が昇りゆくような勢いで、新たな広宣流布の「希望の門」が、晴れ晴れと開かれることは、絶対に間違いありません。
「一人」の人材を徹して大切にし、育て上げていく。
そのたゆまぬ積み重ねによって、今日の創価学会の大発展が築かれました。
一人一人の生命を「仏の如く」大切にする学会精神を貫き通していく限り、はるかな未来まで、創価の勝利の勢いは加速するのであります。
日蓮大聖人は、『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1589)と仰せになられました。
妙法と共に、同志と共に、私と共に、誇りも高く、何ものにも負けず、勇敢に戦い、堂々と勝ちましょう!
終わりに、
恐れるな
君も私も
師子奮迅
と申し上げ、私のメッセージといたします。
2012年7月16日月曜日
2012.07.16 わが友に贈る
一人が立てば
「二人・三人・百人と」
地涌の同志は続く。
皆が広布を担う
創価の全権大使たれ!
祈祷抄 P1347
『されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごと琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし』
◇希望の明日へ
"苦しみ"は長く、"喜び"は短い。しかし、どちらもやがて消える。消えないのは、正義と自由のために戦った魂の歴史である。その歴史は、自分の生命に、そしてこの地球に厳然と刻まれていく。
平3・5・28
☆勝利の人間学第12回 君よ一人立て! 人材城の柱となれ!
・全ての戦いの先頭に
「学会は人材をもって城となすのだ」とは、恩師・戸田城聖先生の不滅の叫びである。
我らの城は、人材が学び鍛えて、育ち伸びゆく城である。人材が人材をつくり、平和と文化と教育の陣列を広げゆく城である。
そして、人材が打って出て、「立正安国」の使命の闘争を勝ち戦で飾リゆく城である。
それは、師匠と弟子が「同じ目的」に向かって、「同じ責任」をもち、「同じ心」で戦い勝って、栄えさせゆく城なのである。
創価班、牙城会、白蓮グループをはじめ、学会の人材育成グループは、広布の人材城の柱である。音楽隊や鼓笛隊などで訓練を受けた人も、皆、立派に成長し、活躍している。全員が私の直系である。
誇りも高く胸を張って、誠実に、真剣に、大胆に、戦いの先頭に立っていただきたい。
・自らを鍛え抜け
青年は一人立つ時、真に光る。他人任せでなく、自らが広布の責任を担って戦うのだ。学会は、その鍛錬の場だ。今は、うんと苦労してもらいたい。苦労した分、生命が鍛えられ、磨かれる。最後は必ず勝利する。
私も、全てを一手に引き受けて、悩み、考え、祈った。愚痴を言っている暇もなかった。広宣流布の組織の責任を担えることは、最も偉大な青春ではないか。永遠の歴史を残せる。
・徹して会員を大切に
戸田先生が「命よりも大事」と言われた学会の組織である。麗しい異体同心の組織に、清らかな信心の血脈は流れ通うのである。
ゆえに、どこまでも学会は「会員第一」で進む。それしかない。同志は互いに仏の如く尊敬し合い、励まし合っていくのだ。
徹して「一人」を大切にする。
断じて「一人」を勇者にする。
そこから、広布の「万波」を広げる−−ここに、学会の誉れ高き使命と栄光がある。
(2012.07.16 創価新報掲載)
「二人・三人・百人と」
地涌の同志は続く。
皆が広布を担う
創価の全権大使たれ!
祈祷抄 P1347
『されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごと琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし』
◇希望の明日へ
"苦しみ"は長く、"喜び"は短い。しかし、どちらもやがて消える。消えないのは、正義と自由のために戦った魂の歴史である。その歴史は、自分の生命に、そしてこの地球に厳然と刻まれていく。
平3・5・28
☆勝利の人間学第12回 君よ一人立て! 人材城の柱となれ!
・全ての戦いの先頭に
「学会は人材をもって城となすのだ」とは、恩師・戸田城聖先生の不滅の叫びである。
我らの城は、人材が学び鍛えて、育ち伸びゆく城である。人材が人材をつくり、平和と文化と教育の陣列を広げゆく城である。
そして、人材が打って出て、「立正安国」の使命の闘争を勝ち戦で飾リゆく城である。
それは、師匠と弟子が「同じ目的」に向かって、「同じ責任」をもち、「同じ心」で戦い勝って、栄えさせゆく城なのである。
創価班、牙城会、白蓮グループをはじめ、学会の人材育成グループは、広布の人材城の柱である。音楽隊や鼓笛隊などで訓練を受けた人も、皆、立派に成長し、活躍している。全員が私の直系である。
誇りも高く胸を張って、誠実に、真剣に、大胆に、戦いの先頭に立っていただきたい。
・自らを鍛え抜け
青年は一人立つ時、真に光る。他人任せでなく、自らが広布の責任を担って戦うのだ。学会は、その鍛錬の場だ。今は、うんと苦労してもらいたい。苦労した分、生命が鍛えられ、磨かれる。最後は必ず勝利する。
私も、全てを一手に引き受けて、悩み、考え、祈った。愚痴を言っている暇もなかった。広宣流布の組織の責任を担えることは、最も偉大な青春ではないか。永遠の歴史を残せる。
・徹して会員を大切に
戸田先生が「命よりも大事」と言われた学会の組織である。麗しい異体同心の組織に、清らかな信心の血脈は流れ通うのである。
ゆえに、どこまでも学会は「会員第一」で進む。それしかない。同志は互いに仏の如く尊敬し合い、励まし合っていくのだ。
徹して「一人」を大切にする。
断じて「一人」を勇者にする。
そこから、広布の「万波」を広げる−−ここに、学会の誉れ高き使命と栄光がある。
(2012.07.16 創価新報掲載)
2012年7月15日日曜日
2012.07.15 わが友に贈る
わが地域こそ
広布の本舞台!
向こう三軒両隣
足元から信頼と友情を。
振る舞いで光れ!
御義口伝巻上 P727
『宝聚とは三世の諸仏の万行万善の諸波羅蜜の宝を聚めたる南無妙法蓮華経なり、此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る信心なり』
◇希望の明日へ
信心の世界には、引っ込み思案や遠慮は無用である。組織上の権限や役職があるとかないとかではなく、それぞれの立場で明快に悪は悪、善は善と、言いきっていかねばならない。それが学会を、ひいては自分自身を守ることになる。
平1・8・24
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.022「いさぎよい信心で進め」
九州をはじめ各地の大雨の甚大な被害に、心からお見舞いを申し上げます。
一刻も早い復旧と皆様方の無事安穏を、毎日、真剣に御祈念しております。
天候不順であり、今後も油断できません。皆、絶対無事故で、価値ある日々を進んでいけるよう、リーダーは全力で手を打ってまいりたい。互いに声をかけ、励まし合い、支え合っていきたい。
今、海外の各地に妙法が広がっている。日本は世界の模範として、いやまして求道の炎を燃やしていくことだ。
日蓮大聖人は『みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし』(P1262)と仰せになり、「いさぎよい信心」をしていきなさいと教えておられる。
すっきりと、勇んで行動する信心に、大功徳がわく。
臆病や愚痴や文句の心では、諸天も動かない。
どこまでも「心こそ大切」なのである。
青年部は、求道の心で光っていくのだ。勢いよく、勝利の歴史を開くのだ。
リーダーには「よき人格」と「強き信心」の両面がなければならない。
皆を大事に! 後輩を大切に! 今こそ、思い切り、広布へ戦うのだ。全学会を背負って戦うことである。
そこに、自分自身の人間革命への道があるからだ。
最高の人生の勝利者とは、どういう人か。世間で脚光を浴びている人が勝利者か。そうではない。
人間としての「魂の勝利者」。これが本当の勝利者であり、永遠の勝利者である。
広布の本舞台!
向こう三軒両隣
足元から信頼と友情を。
振る舞いで光れ!
御義口伝巻上 P727
『宝聚とは三世の諸仏の万行万善の諸波羅蜜の宝を聚めたる南無妙法蓮華経なり、此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る信心なり』
◇希望の明日へ
信心の世界には、引っ込み思案や遠慮は無用である。組織上の権限や役職があるとかないとかではなく、それぞれの立場で明快に悪は悪、善は善と、言いきっていかねばならない。それが学会を、ひいては自分自身を守ることになる。
平1・8・24
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.022「いさぎよい信心で進め」
九州をはじめ各地の大雨の甚大な被害に、心からお見舞いを申し上げます。
一刻も早い復旧と皆様方の無事安穏を、毎日、真剣に御祈念しております。
天候不順であり、今後も油断できません。皆、絶対無事故で、価値ある日々を進んでいけるよう、リーダーは全力で手を打ってまいりたい。互いに声をかけ、励まし合い、支え合っていきたい。
今、海外の各地に妙法が広がっている。日本は世界の模範として、いやまして求道の炎を燃やしていくことだ。
日蓮大聖人は『みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし』(P1262)と仰せになり、「いさぎよい信心」をしていきなさいと教えておられる。
すっきりと、勇んで行動する信心に、大功徳がわく。
臆病や愚痴や文句の心では、諸天も動かない。
どこまでも「心こそ大切」なのである。
青年部は、求道の心で光っていくのだ。勢いよく、勝利の歴史を開くのだ。
リーダーには「よき人格」と「強き信心」の両面がなければならない。
皆を大事に! 後輩を大切に! 今こそ、思い切り、広布へ戦うのだ。全学会を背負って戦うことである。
そこに、自分自身の人間革命への道があるからだ。
最高の人生の勝利者とは、どういう人か。世間で脚光を浴びている人が勝利者か。そうではない。
人間としての「魂の勝利者」。これが本当の勝利者であり、永遠の勝利者である。
2012年7月14日土曜日
2012.07.14 わが友に贈る
さじき女房御返事 P1231
『たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんにすこしの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる』
◇希望の明日へ
人間として生きているかぎり、最高善の実践に生きるべきである。最高の善に対して反対すれば最高の悪となり、最高の善に賛同し共に行動すれば、自らもそれに獣なっていくことができるのである。
平1・3・22
☆御書とともにNo.085 強敵を迎え撃て
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり』(種種御振舞御書、P917)
◇通解
釈迦如来にとっては(迫害を加えてきた)提婆達多こそ第一の善知識ではなかったか。今の世間を見ると、人をよくするものは、味方よりも強敵が人をよくしているのである。
◇同志への指針
青年よ、喜び勇んで「強敵」を迎え撃て!
試練に臆し、苦難を避ける心に、魔は増長し付け入ってくる。
「さあ、来い!」と、あえて強敵に挑んでこそ、わが生命は鍛えられ、磨かれる。そこに人間革命があり、一生成仏がある。
日蓮大聖人に直結する我らは「師子王の心」を取り出して、何ものも恐れず、堂々と悠々と一切を勝ち越えていくのだ!
『たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんにすこしの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる』
◇希望の明日へ
人間として生きているかぎり、最高善の実践に生きるべきである。最高の善に対して反対すれば最高の悪となり、最高の善に賛同し共に行動すれば、自らもそれに獣なっていくことができるのである。
平1・3・22
☆御書とともにNo.085 強敵を迎え撃て
『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり』(種種御振舞御書、P917)
◇通解
釈迦如来にとっては(迫害を加えてきた)提婆達多こそ第一の善知識ではなかったか。今の世間を見ると、人をよくするものは、味方よりも強敵が人をよくしているのである。
◇同志への指針
青年よ、喜び勇んで「強敵」を迎え撃て!
試練に臆し、苦難を避ける心に、魔は増長し付け入ってくる。
「さあ、来い!」と、あえて強敵に挑んでこそ、わが生命は鍛えられ、磨かれる。そこに人間革命があり、一生成仏がある。
日蓮大聖人に直結する我らは「師子王の心」を取り出して、何ものも恐れず、堂々と悠々と一切を勝ち越えていくのだ!
2012年7月13日金曜日
2012.07.13 わが友に贈る
今の苦労が
全部、生きてくるのが
変毒為薬の仏法だ。
信心あるかぎり
希望の門は開く!
経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』
◇希望の明日へ
信心で大切なのは、行動である。広布のため、法のため、人々のために、やむにやまれず、自らの決意で行動した分だけ、自身の福徳となる。行動の人は、つねに若々しく、前進がある。行動のない、観念の信心は、空転するだけで成長はない。
平6・3・10
☆みんなで学ぶ教学 No.001「正法・像法・末法」
◇万人を救う希望の教え
末法の特徴について、同じく「大集経」では「闘評言訟・白法隠没」と説かれています。
「闘評」とは"争い"を、「白法」とは"清浄な善の法"すなわち釈尊の正しい教えを意味します。
末法は、仏法の争いが起こり、釈尊の正しい教えが分からなくなり、埋没してしまう時代なのです。
混乱は、仏教内部のみにとどまりません。人々の生命それ自体が、以前にも増して、「貪り」「瞑り」「裔か」の三毒に支配されるため、社会においても争いや対立が絶えなくなります。
いわば、仏法も社会も行き詰まった時代が末法であるといえます。
大聖人は、混迷の時代である末法の全ての人々を救済するために、法華経の肝要の法である南無妙法蓮華経を打ち立てられました。南無妙法蓮華経の唱題行によって、一人一人が「貪(むさぼ)り」「瞋(いか)り」「癡(おろ)か」の生命を打ち破り、自身に元来具わる仏の生命を開き顕すことができるようになったのです。
大聖人は『今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり』(P720)、『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし』(P329)と述べられています。
日蓮大聖人の仏法こそ、末法の闇を照らす希望の太陽であり、今を生きる全ての人々を幸福にし、世界の平和と人類の繁栄を実現する万能薬なのです。
◇更なる理解のために
戸田第2代会長は、「同じ法華経にも、仏と、時と、衆生の機根とによって、その表現が違うのである。その極理は一つであっても、その時代の衆生の仏縁の浅深厚薄によって、種々の差別があるのである」と述べ、具体的に�釈尊在世と正法の法華経は「釈尊の法華経28品」�像法の法華経は「天台大師の摩詞止観」�末法の法華経は「日蓮大聖人の南無妙法蓮華経」と教えています。
時代によってさまざまな法華経がある──『法華経 方便品・寿量品講義』の冒頭部分や、『法華経の智慧』の序品�において、このことが詳しく述べられています。
全部、生きてくるのが
変毒為薬の仏法だ。
信心あるかぎり
希望の門は開く!
経王殿御返事 P1124
『師子王は前三後一と申してありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時もいきをひを出す事はただをなじき事なり』
◇希望の明日へ
信心で大切なのは、行動である。広布のため、法のため、人々のために、やむにやまれず、自らの決意で行動した分だけ、自身の福徳となる。行動の人は、つねに若々しく、前進がある。行動のない、観念の信心は、空転するだけで成長はない。
平6・3・10
☆みんなで学ぶ教学 No.001「正法・像法・末法」
◇万人を救う希望の教え
末法の特徴について、同じく「大集経」では「闘評言訟・白法隠没」と説かれています。
「闘評」とは"争い"を、「白法」とは"清浄な善の法"すなわち釈尊の正しい教えを意味します。
末法は、仏法の争いが起こり、釈尊の正しい教えが分からなくなり、埋没してしまう時代なのです。
混乱は、仏教内部のみにとどまりません。人々の生命それ自体が、以前にも増して、「貪り」「瞑り」「裔か」の三毒に支配されるため、社会においても争いや対立が絶えなくなります。
いわば、仏法も社会も行き詰まった時代が末法であるといえます。
大聖人は、混迷の時代である末法の全ての人々を救済するために、法華経の肝要の法である南無妙法蓮華経を打ち立てられました。南無妙法蓮華経の唱題行によって、一人一人が「貪(むさぼ)り」「瞋(いか)り」「癡(おろ)か」の生命を打ち破り、自身に元来具わる仏の生命を開き顕すことができるようになったのです。
大聖人は『今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり』(P720)、『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし』(P329)と述べられています。
日蓮大聖人の仏法こそ、末法の闇を照らす希望の太陽であり、今を生きる全ての人々を幸福にし、世界の平和と人類の繁栄を実現する万能薬なのです。
◇更なる理解のために
戸田第2代会長は、「同じ法華経にも、仏と、時と、衆生の機根とによって、その表現が違うのである。その極理は一つであっても、その時代の衆生の仏縁の浅深厚薄によって、種々の差別があるのである」と述べ、具体的に�釈尊在世と正法の法華経は「釈尊の法華経28品」�像法の法華経は「天台大師の摩詞止観」�末法の法華経は「日蓮大聖人の南無妙法蓮華経」と教えています。
時代によってさまざまな法華経がある──『法華経 方便品・寿量品講義』の冒頭部分や、『法華経の智慧』の序品�において、このことが詳しく述べられています。
2012年7月12日木曜日
2012.07.12 わが友に贈る
学会の会館は
平和と安心の大城。
周辺および館内の
整理整頓、安全点検を!
役員の皆様に感謝!
四条金吾殿御返事 P1180
『此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』
◇希望の明日へ
ひるむ前に行動である。行動すれば、どんな困難の山も越えられる。まず足を踏み出すことである。前に進むことである。一歩一歩、焦らず、弛まず、登ることである。
平5・11・21
☆みんなで学ぶ教学 No.001「正法・像法・末法」
仏法に説かれるさまざまな教えを学ぶと、信仰への確信が一段と深まり、さらなる実践の原動力となります。新連載「みんなで学ぶ教学〜新会員のための仏法用語〜」では、信心を深める上で大切な言葉を順次、取り上げます。第1回は「正法・像法・末法」。日蓮大聖人が説き顕された南無妙法蓮華経こそ、争いが絶えない時代である末法の全民衆を救う大法であることを学びます。
◇時の変遷と弘めるべき法
仏法は、現実社会で生きる人々を救済するために説かれたのであり、救われるべき人々の背景となる時代との関わりを抜きに考えることはできません。
時代の移り変わりとともに、弘めるべき法も変わっていきます。
釈尊の在世には衆生を救済できた教えであっても、時代が下るにつれて、人々の機根(仏法を理解する能力)が悪くなるために、次第に通用しなくなるのです。
仏法では、こうした仏滅後の時代の推移を「正法」「像法」「末法」と立て分けています。これらをまとめて「三時」、あるいは「正・像・末の三時」といいます。
「正法」とは、仏法が正しく弘められていく時代。
「像法」とは、仏法が形式化、形骸化(形だけになる)していく時代。そして「末法」とは、仏法本来の精神が失われた時代です。
仏教では、この三つの時代のそれぞれの長さについてさまざまな説がありました。
日蓮大聖人は、正法千年、像法千年、それ以降を末法とする説を用いられています。
実際に、各時代の仏法の正しい実践者は、三時のそれぞれに応じた教えを実践し、弘めていきました。その時代の人々の機根にあわせて仏法を説き弘めていったのです。
◇五百年ごとの区切り
大聖人が御書で引用されている「大集経」では、釈尊滅後の時代の移り変わりを、五百年ごとに五つに分けて示しています。
最初の五百年は悟りを得る人が多い「解脱堅固」の時代。「解脱」とは"悟り"のことです。「堅固」とは、それぞれの時代の様相がしっかりと定まっていることを指しています。
次の五百年は禅定(瞑想)の修行が盛んに行われる「禅定堅固」の時代です。
第三の五百年は経典の読誦や法門の聴聞が盛んに行われる「読誦多聞堅固」の時代、第四の五百年は堂塔や寺院が盛んに造られる「多造塔寺堅固」の時代です。
そして、第五の五百年には、仏法の中でさまざまな見解が入り乱れて争う「闘静堅固」の時代を迎えます。
今あげた「五箇の五百歳」と、先に述べた「正・像・末の三時」との対応について、「解脱堅固」「禅定堅固」が正法時代、次の「読誦多聞堅固」「多造塔寺堅固」が像法時代、そして第五の五百年間である「闘評堅固」が末法の初めにあたるとされています。
平和と安心の大城。
周辺および館内の
整理整頓、安全点検を!
役員の皆様に感謝!
四条金吾殿御返事 P1180
『此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり』
◇希望の明日へ
ひるむ前に行動である。行動すれば、どんな困難の山も越えられる。まず足を踏み出すことである。前に進むことである。一歩一歩、焦らず、弛まず、登ることである。
平5・11・21
☆みんなで学ぶ教学 No.001「正法・像法・末法」
仏法に説かれるさまざまな教えを学ぶと、信仰への確信が一段と深まり、さらなる実践の原動力となります。新連載「みんなで学ぶ教学〜新会員のための仏法用語〜」では、信心を深める上で大切な言葉を順次、取り上げます。第1回は「正法・像法・末法」。日蓮大聖人が説き顕された南無妙法蓮華経こそ、争いが絶えない時代である末法の全民衆を救う大法であることを学びます。
◇時の変遷と弘めるべき法
仏法は、現実社会で生きる人々を救済するために説かれたのであり、救われるべき人々の背景となる時代との関わりを抜きに考えることはできません。
時代の移り変わりとともに、弘めるべき法も変わっていきます。
釈尊の在世には衆生を救済できた教えであっても、時代が下るにつれて、人々の機根(仏法を理解する能力)が悪くなるために、次第に通用しなくなるのです。
仏法では、こうした仏滅後の時代の推移を「正法」「像法」「末法」と立て分けています。これらをまとめて「三時」、あるいは「正・像・末の三時」といいます。
「正法」とは、仏法が正しく弘められていく時代。
「像法」とは、仏法が形式化、形骸化(形だけになる)していく時代。そして「末法」とは、仏法本来の精神が失われた時代です。
仏教では、この三つの時代のそれぞれの長さについてさまざまな説がありました。
日蓮大聖人は、正法千年、像法千年、それ以降を末法とする説を用いられています。
実際に、各時代の仏法の正しい実践者は、三時のそれぞれに応じた教えを実践し、弘めていきました。その時代の人々の機根にあわせて仏法を説き弘めていったのです。
◇五百年ごとの区切り
大聖人が御書で引用されている「大集経」では、釈尊滅後の時代の移り変わりを、五百年ごとに五つに分けて示しています。
最初の五百年は悟りを得る人が多い「解脱堅固」の時代。「解脱」とは"悟り"のことです。「堅固」とは、それぞれの時代の様相がしっかりと定まっていることを指しています。
次の五百年は禅定(瞑想)の修行が盛んに行われる「禅定堅固」の時代です。
第三の五百年は経典の読誦や法門の聴聞が盛んに行われる「読誦多聞堅固」の時代、第四の五百年は堂塔や寺院が盛んに造られる「多造塔寺堅固」の時代です。
そして、第五の五百年には、仏法の中でさまざまな見解が入り乱れて争う「闘静堅固」の時代を迎えます。
今あげた「五箇の五百歳」と、先に述べた「正・像・末の三時」との対応について、「解脱堅固」「禅定堅固」が正法時代、次の「読誦多聞堅固」「多造塔寺堅固」が像法時代、そして第五の五百年間である「闘評堅固」が末法の初めにあたるとされています。
2012年7月11日水曜日
2012.07.11 わが友に贈る
団結の根本は
友を思う誠実さだ。
「仲良くしよう」と
気を配り行動できる
心豊かな人たれ!
種種御振舞御書 P910
『各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』
◇希望の明日へ
成すべきことは、すぐに成す。それが勢いを生む。現実はつねに動いている。"直ちに動く行動力"がなければ、後手、後手になってしまう。
平5・6・25
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.021「信・行・学の基本を錬磨」
わが地域から「青年学会」を築くのだ。人を育てることが未来をつくることになる。
新入会の友も、皆、偉大な使命の人だ。若き友も、皆、かけがえのない宝だ。
新しい人材を、よく激励してあげてほしい。親身になって、話を聞くことである。
悩みを「聞いてもらう」だけでも、ぐっと心が軽くなるものだ。前へ進む力になる。
今、手を差し伸べれば、全ての人を輝かせていける。
日蓮大聖人は、大難と戦う門下に『師子王の心を取り出して』(P1190)と厳然と教えられた。
現実の社会には、嫉妬もある。虚偽もある。しかし、師子は負けない。恐れない。
幸福とは、何の悩みもないことではない。いかなる苦難にも屈しない「師子王の心」に、真の幸福は光るのだ。
草創期、戸田先生は、社会の誰からも見捨てられ、いじめ抜かれた人たちをも抱きかかえて、「本当にかわいそうだ。必ず救ってあげたい」と立ち上がられた。
私は感動した。大慈悲の先生であった。その心を心として、全世界を駆けてきた。これが学会精神である。
リーダーは、どこまでも誠実に、皆から信頼される人間になることだ。
日々の研鎖、努力を怠ってはならない。もう一度、あらゆる面で姿勢を正して、信・行・学という基本を錬磨し、確立していくことである。
広布へ戦えば、諸天が守る。題目をあげれば、智慧と勇気が湧く。リーダーが力をつけてこそ、わが地域が守られる。何かあっても、朗らかに! 強く生きるのだ。
◎きょう、男子部結成記念日。
友を思う誠実さだ。
「仲良くしよう」と
気を配り行動できる
心豊かな人たれ!
種種御振舞御書 P910
『各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』
◇希望の明日へ
成すべきことは、すぐに成す。それが勢いを生む。現実はつねに動いている。"直ちに動く行動力"がなければ、後手、後手になってしまう。
平5・6・25
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.021「信・行・学の基本を錬磨」
わが地域から「青年学会」を築くのだ。人を育てることが未来をつくることになる。
新入会の友も、皆、偉大な使命の人だ。若き友も、皆、かけがえのない宝だ。
新しい人材を、よく激励してあげてほしい。親身になって、話を聞くことである。
悩みを「聞いてもらう」だけでも、ぐっと心が軽くなるものだ。前へ進む力になる。
今、手を差し伸べれば、全ての人を輝かせていける。
日蓮大聖人は、大難と戦う門下に『師子王の心を取り出して』(P1190)と厳然と教えられた。
現実の社会には、嫉妬もある。虚偽もある。しかし、師子は負けない。恐れない。
幸福とは、何の悩みもないことではない。いかなる苦難にも屈しない「師子王の心」に、真の幸福は光るのだ。
草創期、戸田先生は、社会の誰からも見捨てられ、いじめ抜かれた人たちをも抱きかかえて、「本当にかわいそうだ。必ず救ってあげたい」と立ち上がられた。
私は感動した。大慈悲の先生であった。その心を心として、全世界を駆けてきた。これが学会精神である。
リーダーは、どこまでも誠実に、皆から信頼される人間になることだ。
日々の研鎖、努力を怠ってはならない。もう一度、あらゆる面で姿勢を正して、信・行・学という基本を錬磨し、確立していくことである。
広布へ戦えば、諸天が守る。題目をあげれば、智慧と勇気が湧く。リーダーが力をつけてこそ、わが地域が守られる。何かあっても、朗らかに! 強く生きるのだ。
◎きょう、男子部結成記念日。
2012年7月10日火曜日
2012.07.10 わが友に贈る
油断は禁物だ。
女子部・婦人部は
10帰運動の徹底を!
細心の心掛けで
無事故を勝ち取れ!
法華経題目抄 P943
『妙と申す事は開と云う事なり』
◇希望の明日へ
仏法も行動のなかにある。正義は受難のなかにある。幸福は"戦い続ける不屈さ"のなかにある。決して、座して天祐(天の助け)を待つような、何かにすがる信仰ではない。諸天善神といっても、それを動かすのは結局、自分自身以外にはない。自分自身で人生を切り開く、自分自身でわが生命の宝蔵を開く、知恵を開く、民衆の勝利の道を開きに開いていく。そうした戦う人間こそ、大乗仏教なかんずく日蓮大聖人の仏法が教える人間像である。
平5・6・8
☆御書とともにNo.084 今一重の「心ざし」を
『人の心かたければ神のまほリ必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし』(乙御前御消息、P1220)
◇通解
心の堅固な者には、諸天善神の守りが必ず強いというのである。このように言うのは、あなたのために言うのである。あなたの昔からの信心の深さは言い尽くせない。だが、それよりもなお一層、強盛に信心をされるべきである。
◇同志への指針
心は不思議である。いくらでも強くなる。深くなる。その最も強く深い心が、信心である。
堅固な信心があれば、いかなる状況であろうと、必ず厳然と守られる。
信心は常に「いよいよ」「これから」だ。「今一重強盛」の信心で、日に日に新たな出発を期すのだ。それが、誉れ高き我らの「常勝の魂」である。
女子部・婦人部は
10帰運動の徹底を!
細心の心掛けで
無事故を勝ち取れ!
法華経題目抄 P943
『妙と申す事は開と云う事なり』
◇希望の明日へ
仏法も行動のなかにある。正義は受難のなかにある。幸福は"戦い続ける不屈さ"のなかにある。決して、座して天祐(天の助け)を待つような、何かにすがる信仰ではない。諸天善神といっても、それを動かすのは結局、自分自身以外にはない。自分自身で人生を切り開く、自分自身でわが生命の宝蔵を開く、知恵を開く、民衆の勝利の道を開きに開いていく。そうした戦う人間こそ、大乗仏教なかんずく日蓮大聖人の仏法が教える人間像である。
平5・6・8
☆御書とともにNo.084 今一重の「心ざし」を
『人の心かたければ神のまほリ必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし・其よりも今一重強盛に御志あるべし』(乙御前御消息、P1220)
◇通解
心の堅固な者には、諸天善神の守りが必ず強いというのである。このように言うのは、あなたのために言うのである。あなたの昔からの信心の深さは言い尽くせない。だが、それよりもなお一層、強盛に信心をされるべきである。
◇同志への指針
心は不思議である。いくらでも強くなる。深くなる。その最も強く深い心が、信心である。
堅固な信心があれば、いかなる状況であろうと、必ず厳然と守られる。
信心は常に「いよいよ」「これから」だ。「今一重強盛」の信心で、日に日に新たな出発を期すのだ。それが、誉れ高き我らの「常勝の魂」である。
2012年7月9日月曜日
2012.07.09 わが友に贈る
新聞休刊日
妙一尼御前御消息 P1253
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』
◇希望の明日へ
身分−地位や役職、僧か俗かなどの立場よりも、大切なのは行動である。事実のうえで、何をしたのか、何ができるのか、何を為しっつあるのか。それだけが、問題である。人間の価値は、行動で決まる。
平5・1・28
☆勝利の人間学第11回 破邪顕正こそ学会精神
・正義によって立て
日蓮仏法の魂は、「立正安国」である。
大聖人は、人間を不幸にし、民衆を苦しめる魔性と真っ向から戦い抜かれた。
邪義を破ってこそ、正義を打ち立てることができる。この御本仏に直結する「破邪顕正」の大精神を、青年は燃え上がらせることだ。
「正しさ」は「強さ」である。その「強さ」を、勇気凛々と響かせていかねばならない。
戸田先生は「強気でいけ」とよく言われた。
悩める友には優しく、邪悪な人間には強く、どこまでも折伏精神で戦うのだ。その正義の前進に、功徳は必ずっいてくる。
・青年が師子吼せよ
破邪顕正とは「声」の戦いである。
声が真剣であればこそ、魔を断ち切れる。声が清新であればこそ、心を一新していける。
わが信念を率直に勇敢に訴えきるのだ。真実の声こそが、皆の心の起爆剤だ。それが青年の特権じゃないか。『彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなリ』(P1190)である。
師と同じ心で叫ぶ。この師弟不二の叫びが「師子吼」なのである。
・言論の力を磨け
戸田先生は、青年に言われた。「ひとたび戸田の弟子となったならば、いかなる邪論、暴論にも屈してはならぬ。断じて破折し、打ち破っていくのだ」と。この仰せの通りに、戦い勝ったことが、私の青春の誉れである。
末法は「闘評言訟」−−すなわち言論の暴力が渦巻く時代であり、正と邪が転倒する世界である。ゆえに、正義の陣列が弱くなれば、民衆は嘆き、社会が乱れてしまうだけだ。
青年は、正邪を鋭く見破る力をつけるのだ。正しい人を陥れ、善なる民衆の和合を撹乱せんとする卑劣な中傷には、痛烈に反論するのだ。臆病ではいけない。
青年が先頭に立って、正義の対話、信頼の絆を大いに広げていこうではないか!
(2012.7.2 創価新報掲載)
妙一尼御前御消息 P1253
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』
◇希望の明日へ
身分−地位や役職、僧か俗かなどの立場よりも、大切なのは行動である。事実のうえで、何をしたのか、何ができるのか、何を為しっつあるのか。それだけが、問題である。人間の価値は、行動で決まる。
平5・1・28
☆勝利の人間学第11回 破邪顕正こそ学会精神
・正義によって立て
日蓮仏法の魂は、「立正安国」である。
大聖人は、人間を不幸にし、民衆を苦しめる魔性と真っ向から戦い抜かれた。
邪義を破ってこそ、正義を打ち立てることができる。この御本仏に直結する「破邪顕正」の大精神を、青年は燃え上がらせることだ。
「正しさ」は「強さ」である。その「強さ」を、勇気凛々と響かせていかねばならない。
戸田先生は「強気でいけ」とよく言われた。
悩める友には優しく、邪悪な人間には強く、どこまでも折伏精神で戦うのだ。その正義の前進に、功徳は必ずっいてくる。
・青年が師子吼せよ
破邪顕正とは「声」の戦いである。
声が真剣であればこそ、魔を断ち切れる。声が清新であればこそ、心を一新していける。
わが信念を率直に勇敢に訴えきるのだ。真実の声こそが、皆の心の起爆剤だ。それが青年の特権じゃないか。『彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなリ』(P1190)である。
師と同じ心で叫ぶ。この師弟不二の叫びが「師子吼」なのである。
・言論の力を磨け
戸田先生は、青年に言われた。「ひとたび戸田の弟子となったならば、いかなる邪論、暴論にも屈してはならぬ。断じて破折し、打ち破っていくのだ」と。この仰せの通りに、戦い勝ったことが、私の青春の誉れである。
末法は「闘評言訟」−−すなわち言論の暴力が渦巻く時代であり、正と邪が転倒する世界である。ゆえに、正義の陣列が弱くなれば、民衆は嘆き、社会が乱れてしまうだけだ。
青年は、正邪を鋭く見破る力をつけるのだ。正しい人を陥れ、善なる民衆の和合を撹乱せんとする卑劣な中傷には、痛烈に反論するのだ。臆病ではいけない。
青年が先頭に立って、正義の対話、信頼の絆を大いに広げていこうではないか!
(2012.7.2 創価新報掲載)
2012年7月8日日曜日
2012.07.08 わが友に贈る
仏法を持ったこと自体
最高の福運の人生だ。
断じて負けない!
悠然と祈り抜いて
苦難の障壁を乗り越えよ!
生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』
◇今週のことば
「ほむれば
弥 功徳まさる」
尊き同志を誉め讃え
喜び光る座談会を!
はずむ心で前進だ!
2012年07月08日
◇希望の明日へ
大聖人の仏法は、理ではない、事の仏法である。ゆえに、現実社会のなかで、具体的な行動の事実を積み重ねている学会にこそ、大聖人の仏法の正しい実践がある。
平4・10・21
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.020「全てが人間を磨く修行」
今、ブラジル、アメリカをはじめ、世界中で、青年部・未来部が伸びている。これほどうれしいことはない。
困難な時代だからこそ、新しい希望をどうつくるか。大きな使命をもった皆さんであることを忘れてはならない。
私も、戦後の混乱の中、懸命に戸田先生をお守りした。いかに逆風が吹き荒れても、愛する同志のために、矢面に立って戦った。
日興上人は「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである」と厳然と記されている。
師と心を合わせれば、限りない力がわく。師の心を心として戦えば、わが生命が燃え上がる。どんな時代になっても、師の指導から離れない。師の指導を忘れない。そういう学会を築いていくのだ。
若い皆さんは、思うようにいかない時もあるだろう。しかし、全部、意味がある。そう心して、苦労を喜びとしていくことだ。
皆、未来の大指導者だ。
今、偉大な人間になる修行をしているのだ。
何かあっても、決して自分を卑下してはいけない。
戸田先生も、「小さなことに、くよくよするな!」とよく言われた。「全世界にあって、いかなる指導者も、成功者も、皆、悪口を言われ、叩かれてきたのだ。狂っていると言われ、仲間はずれにされたり、言うに言われぬ苦しみを味わいながら、それを乗り越えていった。その人が勝利者である」と。
努力は全部、勝利につながる。無駄なことは一切ない。
後継の君よ、自らが決めた平和の使命の大道を進め!
最後の勝利を、私は祈り待っている。
最高の福運の人生だ。
断じて負けない!
悠然と祈り抜いて
苦難の障壁を乗り越えよ!
生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』
◇今週のことば
「ほむれば
弥 功徳まさる」
尊き同志を誉め讃え
喜び光る座談会を!
はずむ心で前進だ!
2012年07月08日
◇希望の明日へ
大聖人の仏法は、理ではない、事の仏法である。ゆえに、現実社会のなかで、具体的な行動の事実を積み重ねている学会にこそ、大聖人の仏法の正しい実践がある。
平4・10・21
☆名誉会長と共に 今日も広布へ No.020「全てが人間を磨く修行」
今、ブラジル、アメリカをはじめ、世界中で、青年部・未来部が伸びている。これほどうれしいことはない。
困難な時代だからこそ、新しい希望をどうつくるか。大きな使命をもった皆さんであることを忘れてはならない。
私も、戦後の混乱の中、懸命に戸田先生をお守りした。いかに逆風が吹き荒れても、愛する同志のために、矢面に立って戦った。
日興上人は「この大聖人の法門は、師弟の道を正して、成仏していくのである」と厳然と記されている。
師と心を合わせれば、限りない力がわく。師の心を心として戦えば、わが生命が燃え上がる。どんな時代になっても、師の指導から離れない。師の指導を忘れない。そういう学会を築いていくのだ。
若い皆さんは、思うようにいかない時もあるだろう。しかし、全部、意味がある。そう心して、苦労を喜びとしていくことだ。
皆、未来の大指導者だ。
今、偉大な人間になる修行をしているのだ。
何かあっても、決して自分を卑下してはいけない。
戸田先生も、「小さなことに、くよくよするな!」とよく言われた。「全世界にあって、いかなる指導者も、成功者も、皆、悪口を言われ、叩かれてきたのだ。狂っていると言われ、仲間はずれにされたり、言うに言われぬ苦しみを味わいながら、それを乗り越えていった。その人が勝利者である」と。
努力は全部、勝利につながる。無駄なことは一切ない。
後継の君よ、自らが決めた平和の使命の大道を進め!
最後の勝利を、私は祈り待っている。
2012年7月7日土曜日
2012.07.07 わが友に贈る
不安定な天候が続く。
雨・風・雷に注意を!
高齢の方々をはじめ
皆への声かけが大事だ。
「前前の用心」を怠るな!
御義口伝巻下 P779
『一切衆生は一眼の亀なり栴檀の浮木とは法華経なり』
◇希望の明日へ
釈尊自身が行動の人であった。仏法は座したままの瞑想の人が説いたのではない。「妙法蓮華経」の経は、人の身に当てはめれば"足"にあたるとされる。"歩く"すなわち"行動"してこそ法華経を持ったことになる。大聖人もまた、歩きに歩かれ、語りに語り抜かれた。真の門下であるゆえに、学会員は徹して動くべきである。叫び抜くべきである。
平4・4・12
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第3回「友情は宝なり」
−−池田先生は、不滅の「友情の物語」として『永遠の都』(ホール・ケイン著)について、これまで何度も語ってくださいました。
名誉会長 そうだ、『永遠の都』だね。戸田先生が「この本を君にあげよう」と手渡してくださった。信頼する同志と回し読みしたことも懐かしい思い出です。
『永遠の都』には、青年革命家ロッシイと、無二の盟友ブルーノの同志愛が描かれています。
西暦1900年のローマを舞台に、「人間共和」の世界を築くために立ち上がったロッシイ。その彼が、独裁者によって弾圧を受けます。ロッシイの盟友ブルーノもまた捕らえられ、拷問を受ける。
ブルーノは「ロッシイがお前を裏切っている」との嘘の手紙を見せられます。
しかしブルーノは、最後の最後までロッシイを裏切らなかった。そして、「ロッシイ万歳!」と叫びきって、死んでいく。
その叫びは「自分に打ち勝った勝利の声」と讃えられています。友を信じ抜いた人の胸中には、勝利の栄冠が輝くのです。
二人の友情の素晴らしさは、互いに信じ合い、共に正義の理想に生き抜いていく「強さ」にある。
この究極の「人間の強さ」は、苦難によって磨かれます。
盟友ブルーノの前で、ロッシイは語ります。
「苦しみを甘んじて受け、耐え忍んで強くなってきた人間こそ、この世でいちばん強い人間なのだ」(新庄哲夫訳、潮出版社刊)
自分が強くなれば、何があっても崩れない金の友情が築けます。
友情は、いつも「自分から始まる」のです。誇り高い友情を築くには、自分自身が誇り高い信念を持つことです。誇り高い青春を生き抜いていくことです。
たとえ相手に裏切られようと、自分は絶対に裏切らない。この信義を勇敢に誠実に貫き通した人生は、永遠に光る勝利の劇です。
「友情の真髄は、わが創価の同志愛にあり」と、私は19歳から65年間の命を賭した大闘争を通して、断言することができます。
−−私たちも、この尊い「友情の道」に必ず続いてまいります。
名誉会長 日運大聖人は「立正安国論」で「蘭室の友」と仰せです。
香り高い蘭の花のある部屋にいると、わが身まで香しくなる。それと同じように、自然のうちに良き感化をもたらしてくれる善友が「蘭室の友」です。こうした友情を広げていくことこそ、平和と正義の社会を築いていく力なのです。
ともあれ、私が信じるのは友情です。今回は、古代ローマの哲学者・キケロの言葉を贈りたい。
「友情は順境をいっそう輝かせ、逆境を分かち担い合うことで軽減してくれる」(『友情について』中務哲郎訳、岩波文庫)
−−キケロは、戦争や権力の横暴に苦しむ人々を救うため、悪と戦った「正義の人」です。それゆえ悪人たちから、ねたまれました。
名誉会長 そうです。その中で彼を勇気づけていたのは、真の友人でした。良き友がいたから、前進し続けることができたんです。
一人で笑うよりも、友と一緒に笑う方が、楽しい。頑張ったことを喜んでくれる友がいれば、その喜びは倍になる。
悩みを聞いてくれる友がいれば、どれだけ安心できるか。つらいことがあった時に、「大丈夫だよ」と声をかけてくれる友がいるだけで、心が温かくなる。豊かになる。苦悩と戦える。
友は宝だ。輝く希望の太陽であり、苦難の冬空にきらめく星です。気持ちが安らぐ爽やかな風であり、心が潤う泉です。共に夢に向かって航海する勇気の大船であり、共に世界に雄飛する英知のジェットエンジンなのです。
(2012.07.01 未来ジャーナル掲載)
雨・風・雷に注意を!
高齢の方々をはじめ
皆への声かけが大事だ。
「前前の用心」を怠るな!
御義口伝巻下 P779
『一切衆生は一眼の亀なり栴檀の浮木とは法華経なり』
◇希望の明日へ
釈尊自身が行動の人であった。仏法は座したままの瞑想の人が説いたのではない。「妙法蓮華経」の経は、人の身に当てはめれば"足"にあたるとされる。"歩く"すなわち"行動"してこそ法華経を持ったことになる。大聖人もまた、歩きに歩かれ、語りに語り抜かれた。真の門下であるゆえに、学会員は徹して動くべきである。叫び抜くべきである。
平4・4・12
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第3回「友情は宝なり」
−−池田先生は、不滅の「友情の物語」として『永遠の都』(ホール・ケイン著)について、これまで何度も語ってくださいました。
名誉会長 そうだ、『永遠の都』だね。戸田先生が「この本を君にあげよう」と手渡してくださった。信頼する同志と回し読みしたことも懐かしい思い出です。
『永遠の都』には、青年革命家ロッシイと、無二の盟友ブルーノの同志愛が描かれています。
西暦1900年のローマを舞台に、「人間共和」の世界を築くために立ち上がったロッシイ。その彼が、独裁者によって弾圧を受けます。ロッシイの盟友ブルーノもまた捕らえられ、拷問を受ける。
ブルーノは「ロッシイがお前を裏切っている」との嘘の手紙を見せられます。
しかしブルーノは、最後の最後までロッシイを裏切らなかった。そして、「ロッシイ万歳!」と叫びきって、死んでいく。
その叫びは「自分に打ち勝った勝利の声」と讃えられています。友を信じ抜いた人の胸中には、勝利の栄冠が輝くのです。
二人の友情の素晴らしさは、互いに信じ合い、共に正義の理想に生き抜いていく「強さ」にある。
この究極の「人間の強さ」は、苦難によって磨かれます。
盟友ブルーノの前で、ロッシイは語ります。
「苦しみを甘んじて受け、耐え忍んで強くなってきた人間こそ、この世でいちばん強い人間なのだ」(新庄哲夫訳、潮出版社刊)
自分が強くなれば、何があっても崩れない金の友情が築けます。
友情は、いつも「自分から始まる」のです。誇り高い友情を築くには、自分自身が誇り高い信念を持つことです。誇り高い青春を生き抜いていくことです。
たとえ相手に裏切られようと、自分は絶対に裏切らない。この信義を勇敢に誠実に貫き通した人生は、永遠に光る勝利の劇です。
「友情の真髄は、わが創価の同志愛にあり」と、私は19歳から65年間の命を賭した大闘争を通して、断言することができます。
−−私たちも、この尊い「友情の道」に必ず続いてまいります。
名誉会長 日運大聖人は「立正安国論」で「蘭室の友」と仰せです。
香り高い蘭の花のある部屋にいると、わが身まで香しくなる。それと同じように、自然のうちに良き感化をもたらしてくれる善友が「蘭室の友」です。こうした友情を広げていくことこそ、平和と正義の社会を築いていく力なのです。
ともあれ、私が信じるのは友情です。今回は、古代ローマの哲学者・キケロの言葉を贈りたい。
「友情は順境をいっそう輝かせ、逆境を分かち担い合うことで軽減してくれる」(『友情について』中務哲郎訳、岩波文庫)
−−キケロは、戦争や権力の横暴に苦しむ人々を救うため、悪と戦った「正義の人」です。それゆえ悪人たちから、ねたまれました。
名誉会長 そうです。その中で彼を勇気づけていたのは、真の友人でした。良き友がいたから、前進し続けることができたんです。
一人で笑うよりも、友と一緒に笑う方が、楽しい。頑張ったことを喜んでくれる友がいれば、その喜びは倍になる。
悩みを聞いてくれる友がいれば、どれだけ安心できるか。つらいことがあった時に、「大丈夫だよ」と声をかけてくれる友がいるだけで、心が温かくなる。豊かになる。苦悩と戦える。
友は宝だ。輝く希望の太陽であり、苦難の冬空にきらめく星です。気持ちが安らぐ爽やかな風であり、心が潤う泉です。共に夢に向かって航海する勇気の大船であり、共に世界に雄飛する英知のジェットエンジンなのです。
(2012.07.01 未来ジャーナル掲載)
2012年7月6日金曜日
2012.07.06 わが友に贈る
学会活動の根本は
「励ましの対話」だ。
尊き同志に勇気を!
悩める友に希望を!
大誠実で絆を広げよ。
諸法実相抄 P1359
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ』
◇希望の明日へ
人を奮い立たせるのは自分の行動である。行動の裏づけをもった魂の叫びであり、声である。観念ではない。立場でも権威でもない。
平4・1・26
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第3回「友情は宝なり」
−−「嫌な人を避けてしまったり、仲の良い友だちにも、ちょっとしたことで怒ったり冷たくしたりしてしまう」「苦手な友だちとつき合うには、どうしたらいいでしょうか」という声もありました。
名誉会長 人間だから、"好き嫌い"があるのは、当たり前です。仲が良いからこそ、ケンカしたり、激しくぶつかったりすることもあるでしょう。また、「ちょっと苦手だから」と距離をとっていても、何かのきっかけて、心が通い合う場合だってあります。
だから、ありのままでいいから、快活につき合ってみることだ。
試行錯誤を繰り返しながら、みんなと仲良く聡明に協調できる人格を、自分らしく、だんだんと鍛えていけばいいんです。
ある夕べ、私はイギリスと中国の敬愛する知性と、心ゆくまで語り合いました。その時、三人で確認し合った『論語』の一節があります。
「文を以て友を会し
友を以て仁を輔(たす)く」と。
少し難しいかもしれませんが、「学問によって友人を集め、その友人によって自分の人格の成長を助けていく」という意義です。
「友情」には、好き嫌いの感情に振り回されるのではなく、お互いを高めていくための二つの翼があります。
一つが「向学」であり、一つが「錬磨」です。
「学ぼう」「向上しよう」という人の周りに「良き友」は集うのです。その「良き友」の中で人間は「磨かれる」のです。高みを目指す真実の友情は、その努力の実りを、何倍にもしてくれます。
とくに、学生時代の友情には、共に学び合い、共に切磋琢磨する素晴らしい触発の力がある。
気が合う、気が合わないという次元を超えて、一緒に努力し、向上していく中で、自分の力が引き出される。相手の良さを引き出すこともできる。互いに「さすがだな」と尊敬し合うこともできる。
皆さんには、ぜひ、この友情の深さをつかんでいただきたい。
−−携帯電話を持つメンバーが教えてくれましたが、「メールの返信が遅れると関係が悪くなる」と言ってくる友だちがいるそうです。
名誉会長 便利な反面、慌ただしいこともあるんだね(笑い)。
確かに、反応は速い方が気持ちいい。私も、伝言や礼状などスピードを大切にしてきた一人です。
でも、中高生の皆さんが、もしメールのやりとりなどで神経をすり減らして、勉強や睡眠の生活のリズムを乱してしまったら、本末転倒だろうね。これは、お父さんやお母さんに心配をかけないように、賢くお願いします。
本当に信頼できる友だちなら、メールの返信が遅れたことだってきっと分かってくれるはずだよ。
私の世界の友人にも、お互いに多忙のゆえに、数回しかお会いしたことのない方が少なくありません。中には、手紙のやりとりだけで、一度もお会いできていない友人だっている。
中国の「人民の父」と敬愛される周恩来総理とは、たった一度しかお会いしていません。
それでも、私たちの友誼は、永遠だと確信しています。
なぜか−−それは、私が周総理を信じているからです。周総理の心を心としているからです。
たとえ、総理がおられなくても、私の心が変わらなければ、友情は不滅なのです。
「励ましの対話」だ。
尊き同志に勇気を!
悩める友に希望を!
大誠実で絆を広げよ。
諸法実相抄 P1359
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞかたにかけせなかにをふべきぞ大善根の者にてあるぞ』
◇希望の明日へ
人を奮い立たせるのは自分の行動である。行動の裏づけをもった魂の叫びであり、声である。観念ではない。立場でも権威でもない。
平4・1・26
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第3回「友情は宝なり」
−−「嫌な人を避けてしまったり、仲の良い友だちにも、ちょっとしたことで怒ったり冷たくしたりしてしまう」「苦手な友だちとつき合うには、どうしたらいいでしょうか」という声もありました。
名誉会長 人間だから、"好き嫌い"があるのは、当たり前です。仲が良いからこそ、ケンカしたり、激しくぶつかったりすることもあるでしょう。また、「ちょっと苦手だから」と距離をとっていても、何かのきっかけて、心が通い合う場合だってあります。
だから、ありのままでいいから、快活につき合ってみることだ。
試行錯誤を繰り返しながら、みんなと仲良く聡明に協調できる人格を、自分らしく、だんだんと鍛えていけばいいんです。
ある夕べ、私はイギリスと中国の敬愛する知性と、心ゆくまで語り合いました。その時、三人で確認し合った『論語』の一節があります。
「文を以て友を会し
友を以て仁を輔(たす)く」と。
少し難しいかもしれませんが、「学問によって友人を集め、その友人によって自分の人格の成長を助けていく」という意義です。
「友情」には、好き嫌いの感情に振り回されるのではなく、お互いを高めていくための二つの翼があります。
一つが「向学」であり、一つが「錬磨」です。
「学ぼう」「向上しよう」という人の周りに「良き友」は集うのです。その「良き友」の中で人間は「磨かれる」のです。高みを目指す真実の友情は、その努力の実りを、何倍にもしてくれます。
とくに、学生時代の友情には、共に学び合い、共に切磋琢磨する素晴らしい触発の力がある。
気が合う、気が合わないという次元を超えて、一緒に努力し、向上していく中で、自分の力が引き出される。相手の良さを引き出すこともできる。互いに「さすがだな」と尊敬し合うこともできる。
皆さんには、ぜひ、この友情の深さをつかんでいただきたい。
−−携帯電話を持つメンバーが教えてくれましたが、「メールの返信が遅れると関係が悪くなる」と言ってくる友だちがいるそうです。
名誉会長 便利な反面、慌ただしいこともあるんだね(笑い)。
確かに、反応は速い方が気持ちいい。私も、伝言や礼状などスピードを大切にしてきた一人です。
でも、中高生の皆さんが、もしメールのやりとりなどで神経をすり減らして、勉強や睡眠の生活のリズムを乱してしまったら、本末転倒だろうね。これは、お父さんやお母さんに心配をかけないように、賢くお願いします。
本当に信頼できる友だちなら、メールの返信が遅れたことだってきっと分かってくれるはずだよ。
私の世界の友人にも、お互いに多忙のゆえに、数回しかお会いしたことのない方が少なくありません。中には、手紙のやりとりだけで、一度もお会いできていない友人だっている。
中国の「人民の父」と敬愛される周恩来総理とは、たった一度しかお会いしていません。
それでも、私たちの友誼は、永遠だと確信しています。
なぜか−−それは、私が周総理を信じているからです。周総理の心を心としているからです。
たとえ、総理がおられなくても、私の心が変わらなければ、友情は不滅なのです。
2012年7月5日木曜日
2012.07.05 わが友に贈る
豪雨被害の皆様に
心からお見舞いを。
無事・安穏を深く祈念。
配達も無事故第一で。
厳重な警戒を怠りなく。
立正安国論 P26
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
◇希望の明日へ
仏法は、口でどんなことを言うよりも、振る舞いが大切である。また賢明に生活していく人が、確かな幸福の軌道を歩む人である。
平3・9・9
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第3回「友情は宝なり」
−−今、若き後継の友は、各地で「未来対話」を学び合い、皆で成長を誓い合っています。
「池田先生のお話を、直接、聞いているような気持ちになりました」と、感想を寄せてくれたメンバーもいます。「師匠」と「弟子」の心は一つと、深く感動します。
池田名誉会長 未来部のみんなは、私の生命だもの。私も、みんなの声を聞いて、みんなの心を感じているよ。さまざまな悩みに、真つ正面から向き合っていることも、よく分かります。
−−友情に関する質問や悩みが多いのには、本当に驚きました。
「同級生との接し方が苦手で、自分から声をかけられません」「ケンカをして仲直りしたいけど、なかなか勇気が出ません」などなどです。
名誉会長 何とかしたいと悩むのは、一歩前進している証拠です。一生懸命だから、悩むんです。
昔から文学作品にも、「友情」をテーマにした傑作が多い。太宰治の『走れメロス』や、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』などが、時代が変わっても読み継がれているように、誰もが真剣に見つめてきた命題なんです。
だから、みんなの友情の悩みも、自分だけで窮屈に抱えずに、偉大な文学や先人たちの「智慧の鏡」に照らしながら、大きな心で悠々と見つめていったらどうだろうか。
−−「友だちは増えても、親友がいません」という悩みも寄せられていました。
名誉会長 焦ることはありません。若い皆さんの友情の物語は、いよいよ始まったばかりです。
皆さんの年代になれば、自分の個性も考え方も、はっきりしてくる。今まで仲良しだったのに、だんだん合わない感じがする友だちもいるでしょう。時には「孤独」を感じることもあるかもしれない。
それは、みんなが成長しているからなんです。
皆さんは、体も、心も、頭も、日々、発達している。友情だって成長し、発達していくんです。それは、自立した人間として、大人への階段を上っていくステップと言ってよいでしょう。
その途上の孤独や葛藤に耐えてこそ、「自分が本当に必要としている人は誰か」を知ることもできます。
私は、戸田先生と出会う直前の19歳の時、親友と真摯に人生を語り、哲学を語り合いました。友はキリスト教の信仰を選びました。私自身は詳しい教義を理解できないながらも友の決断を尊重し、それぞれの道を歩み始めたのです。
「森ヶ崎海岸」の詩に−−
友の求むる 遠き世に
たがうも吾れは 己が道
と詠んだ通りです。
その友は、今も私の胸の中にいますし、仏法者として題目を送り続けています。
「真実の正しい人生とは」−−戦後、それまでの価値観が崩壊する中で、私は悩み抜きました。
師匠と仰ぐ戸田城聖先生とお会いできたのは、まさにその時です。私か求めていたのは、この方だと思いました。
そして数々の薫陶を受け、戸田先生の弟子として、世界中に友人をつくり、広げてきました。皆さんのお父さん、お母さん方とも、広宣流布という志のもとに、固い友情で結ばれています。
心からお見舞いを。
無事・安穏を深く祈念。
配達も無事故第一で。
厳重な警戒を怠りなく。
立正安国論 P26
『蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』
◇希望の明日へ
仏法は、口でどんなことを言うよりも、振る舞いが大切である。また賢明に生活していく人が、確かな幸福の軌道を歩む人である。
平3・9・9
☆未来対話−−君と歩む勝利の道 第3回「友情は宝なり」
−−今、若き後継の友は、各地で「未来対話」を学び合い、皆で成長を誓い合っています。
「池田先生のお話を、直接、聞いているような気持ちになりました」と、感想を寄せてくれたメンバーもいます。「師匠」と「弟子」の心は一つと、深く感動します。
池田名誉会長 未来部のみんなは、私の生命だもの。私も、みんなの声を聞いて、みんなの心を感じているよ。さまざまな悩みに、真つ正面から向き合っていることも、よく分かります。
−−友情に関する質問や悩みが多いのには、本当に驚きました。
「同級生との接し方が苦手で、自分から声をかけられません」「ケンカをして仲直りしたいけど、なかなか勇気が出ません」などなどです。
名誉会長 何とかしたいと悩むのは、一歩前進している証拠です。一生懸命だから、悩むんです。
昔から文学作品にも、「友情」をテーマにした傑作が多い。太宰治の『走れメロス』や、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』などが、時代が変わっても読み継がれているように、誰もが真剣に見つめてきた命題なんです。
だから、みんなの友情の悩みも、自分だけで窮屈に抱えずに、偉大な文学や先人たちの「智慧の鏡」に照らしながら、大きな心で悠々と見つめていったらどうだろうか。
−−「友だちは増えても、親友がいません」という悩みも寄せられていました。
名誉会長 焦ることはありません。若い皆さんの友情の物語は、いよいよ始まったばかりです。
皆さんの年代になれば、自分の個性も考え方も、はっきりしてくる。今まで仲良しだったのに、だんだん合わない感じがする友だちもいるでしょう。時には「孤独」を感じることもあるかもしれない。
それは、みんなが成長しているからなんです。
皆さんは、体も、心も、頭も、日々、発達している。友情だって成長し、発達していくんです。それは、自立した人間として、大人への階段を上っていくステップと言ってよいでしょう。
その途上の孤独や葛藤に耐えてこそ、「自分が本当に必要としている人は誰か」を知ることもできます。
私は、戸田先生と出会う直前の19歳の時、親友と真摯に人生を語り、哲学を語り合いました。友はキリスト教の信仰を選びました。私自身は詳しい教義を理解できないながらも友の決断を尊重し、それぞれの道を歩み始めたのです。
「森ヶ崎海岸」の詩に−−
友の求むる 遠き世に
たがうも吾れは 己が道
と詠んだ通りです。
その友は、今も私の胸の中にいますし、仏法者として題目を送り続けています。
「真実の正しい人生とは」−−戦後、それまでの価値観が崩壊する中で、私は悩み抜きました。
師匠と仰ぐ戸田城聖先生とお会いできたのは、まさにその時です。私か求めていたのは、この方だと思いました。
そして数々の薫陶を受け、戸田先生の弟子として、世界中に友人をつくり、広げてきました。皆さんのお父さん、お母さん方とも、広宣流布という志のもとに、固い友情で結ばれています。
2012年7月4日水曜日
2012.07.04 わが友に贈る
宝の未来部を支える
担当者の皆様
いつも ありがとう!
わが創価家族は
最も仲良き集いなり!
四条金吾殿御返事 P1169
『又さきざき申すがごとくさきざきよりも百千万億倍御用心あるべし』
◇希望の明日へ
正しき行動の人は、たとえ無認識な人から軽蔑され、非難されようとも、必ず、その偉大さは証明されるようになる。また、真剣な行動は、心ある人の共感の眼差しをひきつけずにはおかない。
平2・8・7
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第3回「歌を歌おう!」
みなさんの中には、少年少女部の合唱団に入っている人もいるでしょう。毎回の練習や出動、本当にご苦労さまです!
合唱団の結成は、私か提案したものです。今から46年前になりますから、みなさんのお父さんやお母さんも、合唱団に入っていた方がいるでしょう。
今の「富士少年希望少女合唱団」のもととなった「富士少年合唱団」と「希望少女合唱団」が発足したとき、私は、「21世紀の日本の将来、世界の平和は、皆さんに期待しています。立派に成長してください」とメッセージを贈りました。
その言葉を今再び、私は、みなさんに託したい。みなさんの明るい歌声は、平和そのものです。戦争を止める力があります。人類の希望なのです。
私の世界の友人たちが、何よりも感動されるのも、みなさんの歓迎の歌声です。
苦しい時、つらい時ほど、みなさんには歌があることを思い出してください。そして、思い切り声を出して、歌を歌い、自分を励まし、みんなを励ましながら、また朗らかに出発してほしいのです。
少年少女部のみなさんの元気な歌声がとどろく、健康で平和な世界−−その建設のために、私はこれからも戦っていきます。
みなさんの歌声が私のエネルギーです。
少年少女合唱団のスローガンが、私のスローガンです。
「勝利の未来へ! 響け! 希望のハーモニー」
君とあなたと私の勝利の未来へ、きょうも元気に歌を歌って前進しよう!
君とあなたと私の希望のハーモニーで!
(2012.07.01 少年少女きぼう新聞掲載)
担当者の皆様
いつも ありがとう!
わが創価家族は
最も仲良き集いなり!
四条金吾殿御返事 P1169
『又さきざき申すがごとくさきざきよりも百千万億倍御用心あるべし』
◇希望の明日へ
正しき行動の人は、たとえ無認識な人から軽蔑され、非難されようとも、必ず、その偉大さは証明されるようになる。また、真剣な行動は、心ある人の共感の眼差しをひきつけずにはおかない。
平2・8・7
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第3回「歌を歌おう!」
みなさんの中には、少年少女部の合唱団に入っている人もいるでしょう。毎回の練習や出動、本当にご苦労さまです!
合唱団の結成は、私か提案したものです。今から46年前になりますから、みなさんのお父さんやお母さんも、合唱団に入っていた方がいるでしょう。
今の「富士少年希望少女合唱団」のもととなった「富士少年合唱団」と「希望少女合唱団」が発足したとき、私は、「21世紀の日本の将来、世界の平和は、皆さんに期待しています。立派に成長してください」とメッセージを贈りました。
その言葉を今再び、私は、みなさんに託したい。みなさんの明るい歌声は、平和そのものです。戦争を止める力があります。人類の希望なのです。
私の世界の友人たちが、何よりも感動されるのも、みなさんの歓迎の歌声です。
苦しい時、つらい時ほど、みなさんには歌があることを思い出してください。そして、思い切り声を出して、歌を歌い、自分を励まし、みんなを励ましながら、また朗らかに出発してほしいのです。
少年少女部のみなさんの元気な歌声がとどろく、健康で平和な世界−−その建設のために、私はこれからも戦っていきます。
みなさんの歌声が私のエネルギーです。
少年少女合唱団のスローガンが、私のスローガンです。
「勝利の未来へ! 響け! 希望のハーモニー」
君とあなたと私の勝利の未来へ、きょうも元気に歌を歌って前進しよう!
君とあなたと私の希望のハーモニーで!
(2012.07.01 少年少女きぼう新聞掲載)
2012年7月3日火曜日
2012.07.03 わが友に贈る
聖教拡大の先頭に立つ
「新聞長」に最敬礼!
全同志に心から感謝!
言葉の力、活字の力で
社会に希望の大哲学を!
経王殿御返事 P1124
『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし』
◇希望の明日へ
行動なき人は、いかにうまく言葉で飾ろうとも、人間として信用されない。
平2・8・7
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第3回「歌を歌おう!」
わが創価学会が、なぜ、多くの難を受けても、これほど発展できたのか。
その大きな一つの力は、どんな時も、みんなで胸を張って、歌を歌ってきたことです。
私の恩師・戸田先生も歌がお好きでした。なかでも好きだったのが"大楠公"です。父子の誓いの歌です。
青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ……(落合直文作詞)
先生に、「私たちが小学生の時に歌った歌です」と申し上げると、「そうか、そうか」と、ほほえまれていました。
「早く生い立ち(=早く成長して)」という一節を力をこめて歌うと、先生は深くうなずかれ、私たち弟子が、どんな気持ちで歌っているのか、すべてわかってくださいました。
歌を歌えば、心がまっすぐ伝わります。
言葉では、うまく伝えられないことでも、歌は心から心へと響いていきます。
歌は、心と心を固くつなぎ、いっしよに高めてくれる。強くしてくれるのです。
私自身、どんなに悪口を言われても、歌を歌って、気持ちをパッと明るくして、前へ進んできました。
まさに「Be Brave!」です。
歌で「負けない心」を燃やせるのです。
もしかしたら、みなさんの中に自分は"オンチ"″で、「歌う」のは苦手だと思っている人がいるかもしれません。
高い声や低い声が出なかったり、音程やリズムがとれなかったりして、なかなか思うように歌えない、歌詞もおぼえられないなど、いろんな理由があるでしょう。
「人の前で歌うのがはずかしい」という人もいると思います。
大丈夫。あせる必要はありません。最初から上手に歌える人はいません。私だって、人前で歌うのは、きんちようします。
でも、がんばつて歌うと、聴いた人は感動してくれます。がんばった心が、聴いた人の心にまつすぐに届くからです。
だから、まず大きな声で歌うことです。聴こえなければ、心に届かないからです。
大きな声を出そうと思えば、おなかから声を出すことになります。私たちは、ふだん呼吸をする時、胸の中にある肺を使っています。ところが、プロの歌手などが歌う時は、おもに、おなかの筋肉、つまり腹筋を使って呼吸をしています。これを「腹式呼吸」といいます。
これができるようになると、呼吸が安定して、のどのきんちようもほぐれ、声の響きがよくなります。そうすれば、歌うのが楽しくなります。「腹式呼吸」は、体にいいこともわかつています。大きな声で歌えば、心も体も健康になるのです。
そして、合唱する時は、周りの声と伴奏を、よく聴くことです。耳は心の窓です。だから、耳はいつも開いているのです。
心を一つに歌おう──その心が声となって、みんなの心を一つに結びます。
歌には、心が表れるのです。命が響くのです。だから、どんな歌が歌われているかで、その世の中がわかるし、その時代のようすが決まっていきます。
「新聞長」に最敬礼!
全同志に心から感謝!
言葉の力、活字の力で
社会に希望の大哲学を!
経王殿御返事 P1124
『つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし』
◇希望の明日へ
行動なき人は、いかにうまく言葉で飾ろうとも、人間として信用されない。
平2・8・7
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第3回「歌を歌おう!」
わが創価学会が、なぜ、多くの難を受けても、これほど発展できたのか。
その大きな一つの力は、どんな時も、みんなで胸を張って、歌を歌ってきたことです。
私の恩師・戸田先生も歌がお好きでした。なかでも好きだったのが"大楠公"です。父子の誓いの歌です。
青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ……(落合直文作詞)
先生に、「私たちが小学生の時に歌った歌です」と申し上げると、「そうか、そうか」と、ほほえまれていました。
「早く生い立ち(=早く成長して)」という一節を力をこめて歌うと、先生は深くうなずかれ、私たち弟子が、どんな気持ちで歌っているのか、すべてわかってくださいました。
歌を歌えば、心がまっすぐ伝わります。
言葉では、うまく伝えられないことでも、歌は心から心へと響いていきます。
歌は、心と心を固くつなぎ、いっしよに高めてくれる。強くしてくれるのです。
私自身、どんなに悪口を言われても、歌を歌って、気持ちをパッと明るくして、前へ進んできました。
まさに「Be Brave!」です。
歌で「負けない心」を燃やせるのです。
もしかしたら、みなさんの中に自分は"オンチ"″で、「歌う」のは苦手だと思っている人がいるかもしれません。
高い声や低い声が出なかったり、音程やリズムがとれなかったりして、なかなか思うように歌えない、歌詞もおぼえられないなど、いろんな理由があるでしょう。
「人の前で歌うのがはずかしい」という人もいると思います。
大丈夫。あせる必要はありません。最初から上手に歌える人はいません。私だって、人前で歌うのは、きんちようします。
でも、がんばつて歌うと、聴いた人は感動してくれます。がんばった心が、聴いた人の心にまつすぐに届くからです。
だから、まず大きな声で歌うことです。聴こえなければ、心に届かないからです。
大きな声を出そうと思えば、おなかから声を出すことになります。私たちは、ふだん呼吸をする時、胸の中にある肺を使っています。ところが、プロの歌手などが歌う時は、おもに、おなかの筋肉、つまり腹筋を使って呼吸をしています。これを「腹式呼吸」といいます。
これができるようになると、呼吸が安定して、のどのきんちようもほぐれ、声の響きがよくなります。そうすれば、歌うのが楽しくなります。「腹式呼吸」は、体にいいこともわかつています。大きな声で歌えば、心も体も健康になるのです。
そして、合唱する時は、周りの声と伴奏を、よく聴くことです。耳は心の窓です。だから、耳はいつも開いているのです。
心を一つに歌おう──その心が声となって、みんなの心を一つに結びます。
歌には、心が表れるのです。命が響くのです。だから、どんな歌が歌われているかで、その世の中がわかるし、その時代のようすが決まっていきます。
2012年7月2日月曜日
2012.07.02 わが友に贈る
「信・行・学」の
基本の実践が
わが生命に
福運の土台を築く。
勝利の大道を歩め!
四菩薩造立抄 P989
『総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし』
◇今週のことば
さあ「青年の月」
前進する人は若い。
開拓する人は明るい。
誉れ高き人生を
朗らかに生き抜こう!
2012年07月02日
◇希望の明日へ
真の哲学者は、決して理論のみの人ではない。その哲学が全人格に血潮となって脈動しているのであれば、哲学者とは同時に"実践の人"でもあるはずである。自身の哲学と信念の実現のために、何物も恐れぬ勇気をもって行動してこそ、偉大なる価値が生まれる。
平1・2・2
☆御書とともにNo.083 妙法を持つことが最高の親孝行
『法華経を持ち奉るを以て一切の孝養の最頂とせり』(御義口伝、P774)
◇通解
妙法蓮華経を持ちたてまつることを、一切の孝養のなかで最高としたのである。
◇同志への指針
妙法を受持することは、自身と両親の生命を無量の福徳で包み、最上の親孝行になる。
たとえ親が信心をしていなくても、わが子が唱える題目の力によって、必ず成仏へと導き、根本の孝養を果たせる。また、亡くなられた親にも、最高の追善回向ができる。
自分が太陽と輝いていけば、家族も省属も社会も照らしていけるのだ。
ともあれ、学会つ子は親孝行であれ!
父母に笑顔を忘れずに!
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第3回「歌を歌おう!」
みなさんは、アルメニア共和国という国の名前を聞いたことがありますか?
一度、世界地図を間いてみてください。
アジアとヨーロッパを結ぶ場所にある、美しい高原の国です。人びとには、他の国からの侵略など、苦難の歴史を勝ちこえた強さと明るさが光っています。
先日(現地時間6月15日)、この国の首都エレバンで、私が撮影した写真の展示会(「自然との対話」写真展)を開いてくださいました。開幕式では、小学生から高校生くらいまでの合唱団「アルメニア・リトル・シンガーズ」が、美しい日本語で歌を歌ってくれたのです。
その中には、東日本大震災をのりこえてきた東北の方々へのエールをこめ、福島県の民謡「会津磐梯山」もありました。
深い感動が広がり、大拍手につつまれたそうです。この合唱団のみなさんは、7月から日本全国で公演をおこなう予定です。
歌には、どんな違いもこえて、人の心をただちに結び合う、ふしぎな力があります。
私は歌が大好きです。みなさんのお父さんやお母さんたちと、いっしよに歌ったことも、いっぱいあります。みなさんが喜んでくれるならばと、ピアノを弾いたり、指揮をとったり、少しでも励ましになればと、歌を作ったりもしてきました。
私の手もとには、少年少女部の合唱団をはじめ、学会の多くの合唱団、また、創価学園や創価大学の合唱団から届けられたCDがあって、毎日、聴いています。
みなさんの歌っている姿を思い浮かべては、「さあ、もう一歩、がんばろう」と、仕事を続けるのです。
みなさんの元気な歌声が、私の元気のもとなのです。
少年少女部のみなさんにも、好きな歌があるでしょう。
少年部歌「Be Brave! 獅子の心で」も、とても、すばらしい歌です。
♪Be Brave!
負けない心を 燃やして
平和の未来へ 出発だ……
あの東日本大震災のとき、宮城県気仙沼の会館では、大津波に流されず、この少年部歌の歌詞を書いた模造紙が残りました。以来、大人も子どもも、みんなで、この歌を口ずさみながら、勇気をふるいおこして前進してきたのです。
私も、この歌を聴くたびに、新しい時代の到来を感じます。少年少女部のみなさんが、勇敢に世界で大活躍する姿が目に浮かんできます。そして、希望の未来の大勝利を力強く確信するのです。
基本の実践が
わが生命に
福運の土台を築く。
勝利の大道を歩め!
四菩薩造立抄 P989
『総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし』
◇今週のことば
さあ「青年の月」
前進する人は若い。
開拓する人は明るい。
誉れ高き人生を
朗らかに生き抜こう!
2012年07月02日
◇希望の明日へ
真の哲学者は、決して理論のみの人ではない。その哲学が全人格に血潮となって脈動しているのであれば、哲学者とは同時に"実践の人"でもあるはずである。自身の哲学と信念の実現のために、何物も恐れぬ勇気をもって行動してこそ、偉大なる価値が生まれる。
平1・2・2
☆御書とともにNo.083 妙法を持つことが最高の親孝行
『法華経を持ち奉るを以て一切の孝養の最頂とせり』(御義口伝、P774)
◇通解
妙法蓮華経を持ちたてまつることを、一切の孝養のなかで最高としたのである。
◇同志への指針
妙法を受持することは、自身と両親の生命を無量の福徳で包み、最上の親孝行になる。
たとえ親が信心をしていなくても、わが子が唱える題目の力によって、必ず成仏へと導き、根本の孝養を果たせる。また、亡くなられた親にも、最高の追善回向ができる。
自分が太陽と輝いていけば、家族も省属も社会も照らしていけるのだ。
ともあれ、学会つ子は親孝行であれ!
父母に笑顔を忘れずに!
☆希望の大空へ 〜わが愛する王子王女に贈る〜第3回「歌を歌おう!」
みなさんは、アルメニア共和国という国の名前を聞いたことがありますか?
一度、世界地図を間いてみてください。
アジアとヨーロッパを結ぶ場所にある、美しい高原の国です。人びとには、他の国からの侵略など、苦難の歴史を勝ちこえた強さと明るさが光っています。
先日(現地時間6月15日)、この国の首都エレバンで、私が撮影した写真の展示会(「自然との対話」写真展)を開いてくださいました。開幕式では、小学生から高校生くらいまでの合唱団「アルメニア・リトル・シンガーズ」が、美しい日本語で歌を歌ってくれたのです。
その中には、東日本大震災をのりこえてきた東北の方々へのエールをこめ、福島県の民謡「会津磐梯山」もありました。
深い感動が広がり、大拍手につつまれたそうです。この合唱団のみなさんは、7月から日本全国で公演をおこなう予定です。
歌には、どんな違いもこえて、人の心をただちに結び合う、ふしぎな力があります。
私は歌が大好きです。みなさんのお父さんやお母さんたちと、いっしよに歌ったことも、いっぱいあります。みなさんが喜んでくれるならばと、ピアノを弾いたり、指揮をとったり、少しでも励ましになればと、歌を作ったりもしてきました。
私の手もとには、少年少女部の合唱団をはじめ、学会の多くの合唱団、また、創価学園や創価大学の合唱団から届けられたCDがあって、毎日、聴いています。
みなさんの歌っている姿を思い浮かべては、「さあ、もう一歩、がんばろう」と、仕事を続けるのです。
みなさんの元気な歌声が、私の元気のもとなのです。
少年少女部のみなさんにも、好きな歌があるでしょう。
少年部歌「Be Brave! 獅子の心で」も、とても、すばらしい歌です。
♪Be Brave!
負けない心を 燃やして
平和の未来へ 出発だ……
あの東日本大震災のとき、宮城県気仙沼の会館では、大津波に流されず、この少年部歌の歌詞を書いた模造紙が残りました。以来、大人も子どもも、みんなで、この歌を口ずさみながら、勇気をふるいおこして前進してきたのです。
私も、この歌を聴くたびに、新しい時代の到来を感じます。少年少女部のみなさんが、勇敢に世界で大活躍する姿が目に浮かんできます。そして、希望の未来の大勝利を力強く確信するのです。
2012年7月1日日曜日
2012.07.01 わが友に贈る
青春の宝は
不屈の挑戦の中に!
若き君よ
誓願の7月を
完全燃焼で飾れ!
撰時抄 P291
『されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ』
◇希望の明日へ
目的に向かって懸命な行動を続けていくならば、たとえ短期的には成果が出なくても、やがて必ずや、一つの結実を生むことができる。それが人生の法則であろう。ゆえに、一喜一憂することなく、生あるかぎり、わが目標に向かって奔走し、行動し抜くことが大切なのである。
昭62・12・19
☆平成24年7月号大白蓮華巻頭言「君よ、青春勝利の勇舞を!」
我が青春
悔いなく生き抜け
この道で
晴れの使命を
宝と抱きて
二十世紀の大歴史学者トインビー博士との対話の折に、私は「これからの青年が一番心がけるべきことは?」と尋ねたことがある。
博士は熟考されつつ、「忍耐強くあれ」との一言を贈ってくださった。
急速に変化を続ける、困難な時代を生きねばならない青年たちの辛労を思いやられての発言であった。
あれから四十年。二十一世紀を担い立つ世代には、世界経済の低迷、若者の深刻な失業、自然災害の脅威、少子高齢社会の不安等、いやまして多くの難問が立ちはだかっている。
その中にあって、わが創価の青年たちは、来る日も来る日も、生命尊厳の哲理の旗を掲げ、忍耐強く「立正安国」の行動に打って出てくれている。何と明るく、頼もしいことか。
法華経には、「太陽と月の光明が、諸々の闇を除くことができるように、妙法を受持する人は世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる」(趣意)と説かれる。
舞台は「世間」。すなわち、濁り乱れた社会のっっ只中で、地涌の若人は、何ものにもへこたれず、苦しみをも楽しみに変えながら、絶望の闇を打ち破り、前途を照らし晴らす妙法の光を放っていくのだ。
広宣流布の巌窟王たる戸田城聖先生も、「私は信心のこととなると、強情なまでに辛抱強いんだよ」と言われていたことが、胸に熱く蘇る。
日蓮大聖人が、仏教史上、初めて開いてくださった「仏法即社会」の正道を、忍辱の鎧を着て勇猛精進し、勝利の実証を打ち立ててきたのが、我ら創価の師弟の誇りである。
厳しい試練に立ち向かう、若き南条時光への御聖訓には、『ひとへにおもひきりて』(P1539)と仰せである。策でもなければ、要領でもない。正義のために思い切って戦う時、青年の本当の強さが発揮される
師匠と同じ広宣流布の誓願に勇んで立ち上がるならば、自身の小さな殻を突き破って、仏の智慧と力が歓喜踊躍して迸り、湧き出でるのだ。
いかなる悪世にあろうとも、妙法と一体の青年の勇気には、全宇宙の諸天善神を揺り動かす力がある。その若き連帯は、悪鬼魔民さえも仏の陣列の味方に変えずにはおかない。
昭和三十二年(一九五七年)七月、大阪事件の弾圧にも、関西青年部は、私と共に一歩も怯まなかった。絶対に信頼できる同志に、私は言った。
「青年の勇敢な信心に、皆がついてくる。尽未来際までの民衆に幸福を及ぼさんとする我らではないか。次も断じて戦う!そして勝つのだ」
この常勝関西の負けじ魂の炎は、後継の若人へと受け継がれている。
大聖人は、時光に『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』(P1557)とも仰せになられた。
わが生命に無量の「心の財」を積み、父母に孝養を尽くし、縁する人々に希望を贈りながら、社会を変革し、国土までも転換していく。この最高に価値ある栄光の青春を、青年部は堂々と閑歩していただきたい。
人類が待望する「持続可能な地球社会」とは、青年が永遠に勝ち栄えゆく世界だ。今の君たちの勝利こそが、その未来を開くことを忘れまい。
後継の
広宣流布の
指導者と
歴史 残せや
勝利飾れや
◎きょうから希望の明日へは、「実践」です。!(^^)!
不屈の挑戦の中に!
若き君よ
誓願の7月を
完全燃焼で飾れ!
撰時抄 P291
『されば我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ』
◇希望の明日へ
目的に向かって懸命な行動を続けていくならば、たとえ短期的には成果が出なくても、やがて必ずや、一つの結実を生むことができる。それが人生の法則であろう。ゆえに、一喜一憂することなく、生あるかぎり、わが目標に向かって奔走し、行動し抜くことが大切なのである。
昭62・12・19
☆平成24年7月号大白蓮華巻頭言「君よ、青春勝利の勇舞を!」
我が青春
悔いなく生き抜け
この道で
晴れの使命を
宝と抱きて
二十世紀の大歴史学者トインビー博士との対話の折に、私は「これからの青年が一番心がけるべきことは?」と尋ねたことがある。
博士は熟考されつつ、「忍耐強くあれ」との一言を贈ってくださった。
急速に変化を続ける、困難な時代を生きねばならない青年たちの辛労を思いやられての発言であった。
あれから四十年。二十一世紀を担い立つ世代には、世界経済の低迷、若者の深刻な失業、自然災害の脅威、少子高齢社会の不安等、いやまして多くの難問が立ちはだかっている。
その中にあって、わが創価の青年たちは、来る日も来る日も、生命尊厳の哲理の旗を掲げ、忍耐強く「立正安国」の行動に打って出てくれている。何と明るく、頼もしいことか。
法華経には、「太陽と月の光明が、諸々の闇を除くことができるように、妙法を受持する人は世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる」(趣意)と説かれる。
舞台は「世間」。すなわち、濁り乱れた社会のっっ只中で、地涌の若人は、何ものにもへこたれず、苦しみをも楽しみに変えながら、絶望の闇を打ち破り、前途を照らし晴らす妙法の光を放っていくのだ。
広宣流布の巌窟王たる戸田城聖先生も、「私は信心のこととなると、強情なまでに辛抱強いんだよ」と言われていたことが、胸に熱く蘇る。
日蓮大聖人が、仏教史上、初めて開いてくださった「仏法即社会」の正道を、忍辱の鎧を着て勇猛精進し、勝利の実証を打ち立ててきたのが、我ら創価の師弟の誇りである。
厳しい試練に立ち向かう、若き南条時光への御聖訓には、『ひとへにおもひきりて』(P1539)と仰せである。策でもなければ、要領でもない。正義のために思い切って戦う時、青年の本当の強さが発揮される
師匠と同じ広宣流布の誓願に勇んで立ち上がるならば、自身の小さな殻を突き破って、仏の智慧と力が歓喜踊躍して迸り、湧き出でるのだ。
いかなる悪世にあろうとも、妙法と一体の青年の勇気には、全宇宙の諸天善神を揺り動かす力がある。その若き連帯は、悪鬼魔民さえも仏の陣列の味方に変えずにはおかない。
昭和三十二年(一九五七年)七月、大阪事件の弾圧にも、関西青年部は、私と共に一歩も怯まなかった。絶対に信頼できる同志に、私は言った。
「青年の勇敢な信心に、皆がついてくる。尽未来際までの民衆に幸福を及ぼさんとする我らではないか。次も断じて戦う!そして勝つのだ」
この常勝関西の負けじ魂の炎は、後継の若人へと受け継がれている。
大聖人は、時光に『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ』(P1557)とも仰せになられた。
わが生命に無量の「心の財」を積み、父母に孝養を尽くし、縁する人々に希望を贈りながら、社会を変革し、国土までも転換していく。この最高に価値ある栄光の青春を、青年部は堂々と閑歩していただきたい。
人類が待望する「持続可能な地球社会」とは、青年が永遠に勝ち栄えゆく世界だ。今の君たちの勝利こそが、その未来を開くことを忘れまい。
後継の
広宣流布の
指導者と
歴史 残せや
勝利飾れや
◎きょうから希望の明日へは、「実践」です。!(^^)!
登録:
投稿 (Atom)