2011年2月27日日曜日

2011.02.27 わが友に贈る

さあ今日も朗らかに
仏縁を広げよう!
「其の国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」
地域の幸福責任者たれ!

祈祷抄 P1347
されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごとし琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし

◇希望の明日へ
勤行・唱題の声は、たとえ人間に意味がわからなくとも、御本尊に通じ、三世十方の仏・菩薩の世界には、きちんと通じている。いわば仏・菩薩の世界の言語ともいえよう。ゆえに、御本尊への勤行・唱題の声は、いっさいの仏・菩薩・諸天善神のもとに届き、「善哉、善哉」「エクセラント(すばらしい)!」「ベリー・ナイス!」等と、喜び、たたえ、全宇宙が学会員を福光で包むのである。

☆随筆 我らの勝利の大道 「仏法西還」の大光
◆出でよ地涌の菩薩

懐かしき
 あの日 あの時
  ガンジスの
 大河を見つめて
  広宣 誓わむ

私がインド訪問の第一歩を印した当時、メンバーは一人もいなかった。
夕闇迫るガンジス川のほとりに立ち、広布の展望に思いを凝らしながら「無数の地涌の菩薩を出現させてみせる」と深く決意した。そして大地に題目を染み込ませる思いで真剣に祈りながら、釈尊やアソカ大王などのゆかりの地を巡った。
それから18年後(1979年)、私は尊き地涌の先駆者であるインドの皆様方と初めてお会いした。
ニューデリーの私の宿舎に勇んで集われたのは、40人ほどであったか……。哲人の眼差しが輝く、一人ひとりの顔を見つめながら、私は強く語った。
「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
この頃の人口は約7億。同志は本当に少なかった。
しかし、法華経の涌出品には、「一一の菩薩は、皆な是れ大衆の唱導の首にして、各おの六万恒河沙等の眷属を将いたり」(創価学会版法華経P453)と説かれる。
地涌の友には、一人ひとりに、大きく賑やかに広宣流布の陣列を広げゆく力が具わっているのだ。一人の生命に無限の可能性を信じ抜く人間主義こそ、法華経の魂といってよい。
インドの詩聖タゴールの小説に登場する女性は、毅然と語っている。
「一人ででも闘うつもりですから。そして、胸をはって言いますわ、負けないわ、必ず勝ってみせるわ、とね」
私には、朗らかな常勝の母たちの「負けたらあかん」の心意気と重なり合って響いてくる言葉である。思えばタゴールは、大阪、京都、兵庫、奈良と、関西にも足跡を留めていた。