広布の勢いは倍加!
わが地区の同志と
「水魚の思を成して」
和楽と勝利に前進を!
三三蔵祈雨事 P1468
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ』
◇今週のことば
祈りから
すべては始まる。
法華経に勝る兵法なし。
朗々たる題目で
勝利の威光勢力を!
2011年02月07日
◇希望の明日へ
"妙法の種"を蒔けば、必ず"妙法の芽"が出、"妙法の花"が咲く。一生また三世という長い目で見れば、"信心の祈り"は、必ず叶う。信心の"真剣の一念"は、必ず"明らかな結果"となって表れる。だからこそ「信心がいっさいの根本」なのである。
▽信心の大情熱が爆発的な勝利を呼ぶ−恩師。青年は勇敢に正義を叫ぶ進め
☆随筆 我らの勝利の大道 「仏法勝負」の師弟の絆
◆先陣切って現場へ
昭和二十七年(一九五二年)の一月のことである。
満を持して、この時を待っていたように、戸田先生が宣言された。
「いよいよ大作を出すか」
先生の直々のお話で、私は蒲田支部の支部幹事の任命を受けた。
わが師が会長就任式で「七十五万世帯の弘教」を誓願されてから約九カ月が経つものの、折伏は遅々として進まず、大きい支部でも、月に百世帯の拡大がやっとの有り様であった。
"このままでは何万年もかかってしまう"と、先生の嘆きは深かった。沈滞した闇を破る、広宣流布の夜明けの光を、先生は二十四歳の青年に託されたのだ。
青年は青年らしく、師弟共戦の旗を掲げ、勇猛果敢に、誠実一路で、先陣を切っていく行動以外にない。
二月、私は、当時の組織の最前線である、小単位の「組」に突入した。それは、一軒また一軒と歩いて励ますことであり、一人また一人に会って語り合うことであった。大勢を集めて演説する必要などない。自分自身が一人のもとへ飛び込めばよい。そこが現場だ。
私は東奔西走、自ら折伏し、皆の応援に入った。親身に悩みを聞き、個人指導を重ねた。大田区内はもちろん、多摩川を渡って、川崎にも通った。
入会の新しい人や活動に馴染めぬ人もいた。しかし、誰もが偉大な使命を帯びた地滴の菩薩だと、信心の素晴らしさを訴え、「まず祈ろう、生き生きと体験を語ろう」と激励していった。