全国が奮い立つ!
先駆とは勇気なり。
試練の嵐を超えて
師弟勝利の春を呼べ!
法蓮抄 P1041
『仏は二百五十戒を持ち三千の威儀をととのへ給いしかば諸の天人これを渇仰し四衆これを恭敬す、提婆達多を人たとまざりしかばいかにしてか世間の名誉仏にすぎんとはげみしほどに』
◇希望の明日へ
信心は万人の"幸福の秘術"である。本当に信心の"心"を鍛えれば、三世永遠の勝利者となる。強盛な信心があれば、「随縁真如の智」を発揮し、すべての変化を"勝利の方向へ""希望の方向へ"生かしきっていける。『法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし』(P1492)−−法華経を信じる人は、幸いを万里の外から集めるであろう−−との功徳の実証を必ず示していけるのである。
▽命を打ち込んで、御本尊に祈り抜け−恩師。宿命乗り越えて偉大な人生を
☆随筆 我らの勝利の大道 「仏法勝負」の師弟の絆
◆永遠の前進の軌道
もしも、この「二月闘争」の目覚ましい勝利が、その時だけで終わっていれば、本当の意味で「壁を破った」とは言えなかった。
しかし、蒲田支部は、その後も二百世帯を突破し続けた。「三月闘争」も勝った。「四月闘争」も勝った。
そして、戸田先生の会長就任一周年の五月には、大歓喜の勢いで初めて三百世帯に到達し、十一月には、二月から倍増となる四百世帯を突破したのである。
この蒲田の大躍進に負けじと他の支部も次々に壁を破った。神奈川を地盤にした鶴見支部もやがて月間三百世帯へ躍進し、さらにほとんどの支部も悠々と百世帯、百五十世帯を超えるようになっていった。そこには、東北の仙台支部と関西の大阪支部も、新たな力として隆々と台頭してきたのである。
なお、勢いに乗り遅れた文京支部が、支部長代理となった私と共に、「前進!」を合言葉に、最強の組織へと一変したのは、この翌年のことであった。
ともあれ、青年の私は、「二月闘争」を起点として、全学会の前進・勝利の方程式を作った。
表面的な方法論ではない。学会は「一人立つ信心」そして「師弟共戦の信心」で勝つ、という永遠の軌道を固めたのである。