2011年2月5日土曜日

2011.02.05 わが友に贈る

受験に挑む友に
温かな励ましを!
家族にも真心の配慮を!
諦めない人に必ずや
使命の道は開かれる!

富木殿御書 P969
夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く

◇希望の明日へ
どんなに正しい御本尊といっても、正しい"無二の信心"がなければ功徳はない。正法ではない。そのことは、他宗日蓮宗の姿を見れば明らかである。その堂字伽藍には、大聖人の御真筆の御本尊さえ、ある。しかし正しき信心がないゆえに邪流となってしまっている。"法"とともに大切なのは"人"である。なかんずく一宗の中心になる人の信心が狂ってしまえば、そこには正流はない。指導者が悪人であれば、だれも法を信じない。

▽偉大な人とは青年時代の信念と情熱を失わぬ人ー恩師。歴戦の勇者よ走れ
▽「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」幹部率先で破竹の進撃だ

☆随筆 我らの勝利の大道 「仏法勝負」の師弟の絆
晴ればれと
 勝利の人生
  脈りゆけ

御書に曰く
夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」(P二六五)
仏法は、あくまでも「勝負」だ。仏とは「世雄」、すなわち堂々と社会で勝利しゆく英雄である。
君よ、あなたよ!
この御聖訓を、さらに深く命に刻んで生涯を送れ!

私は、戸田先生の不二の弟子として、「悪口罵言」「猶多怨嫉」のありとあらゆる中傷批判を受けながら、大盤石なる創価学会に仕上げた。
いまだかつてない、無上光栄の民衆勝利の絆と絆を創り上げてきた。

これこそ、「仏法勝負」の前進の姿だ。
仏法者は断じて勝たねばならない。広宣流布のために、「不惜身命」と仰せの細く、わが身を惜しまず、断固と勝ち抜くのだ。
永遠の生命から観れば、前世も生まれ合うたびに、我らは法のために戦い勝って、幾万もの福徳と強大な自身の栄えある殿堂を築き上げてきたのだ。
そして今世もまた、一年ごとに堅固に強力に、わが身の荘厳なる勝利、勝利へと、共々に輝きわたっていくのだ。