日本一、世界一に!」
皆で同じ心に立ち
大きく祈り動けば
必ずや歴史はできる!
法華経題目抄 P944
『譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉華菓出来するが如し』
◇希望の明日へ
広布の伸展とともに、学会には、さまざまな非難や中傷が浴びせられてきた。そのほとんどが、あたかも社会的な不正を働いているかのように誹諦したものである。そのねらいは、学会の悪いイメージを作り上げることであった。だが、いかにイメージを悪くしようとも、実体がない。虚事であり、事実無根であった。その陰には、学会の偉大な発展の姿、ク喜びの集い″ の姿を妬む退転者、背信者らの画策がある。いわば遺言である。"謹言による権力の迫害"−−。この"構図"さえ見破っておけば、事実を尊重しない、低次元な言論に紛動されることはない。
☆随筆 我らの勝利の大道 栄光の創立80周年 万歳!
◆10年また10年と
断片的であるが、学会八十年の足跡を、あらためて十年ごとに刻めば——。
(1)創立から創立十周年(一九四〇年)まで。
二度の大戦の狭間、国家主義が世界を分断し、民衆をのみ込んでいく時代に、創価の師弟は、最も大事なのは「子どもの幸福」であり、「民衆の幸福」であると叫んだ。その幸福の実現のために、「広宣流布」「立正安国」の対話を展開していったのである。
(2)二十周年(一九五〇年)まで。
戦争が破局に向かうなかで、創価の師弟は軍国主義と戦い抜いた。「信教の自由」を死守して、先師は獄中に殉教。仇討ちを誓った分身の恩師は、敗戦の焦土に一人立ち、日蓮仏法を現代に蘇らせ、未聞の民衆救済の戦いを起こした。私は十九歳で、この師と出会い、師子と鍛え抜かれた。
(3)三十周年(一九六〇年)まで。
第二代会長に就任された戸田先生のもと、私を中心に青年たちが突破口を開いて、七十五万世帯の弘教を達成。「貧乏人と病人の集まり」と悪口され、庶民を見下す権力からは迫害されながら、「宗教界の王者」として難攻不落の創価城の基礎を構築した。師弟不二の実践に創価の「絶対勝利の信心」の真髄がある。また恩師は「地球民族主義」「原水爆禁止宣言」を発表し、平和建設へ、学会の人類的使命の方向を示した。
(4)四十周年(一九七〇年)まで。
三十二歳で第三代会長に就任した私は、恩師の構想を次々に具体化した。国内にあっては七百五十万世帯へと拡大。さらに御遺命の「世界広宣流布」即「世界平和」の実現へ、自ら各国を回り、一人また一人へと妙法の種を蒔いていった。そのなかで創価学園を開校し、民音や公明党なども創立。アジアと世界の安定のため、日中国交正常化提言なども行った。
(5)五十周年(一九八〇年)まで。
トインビー博士をはじめ世界の識者との対話に取り組むとともに、東西冷戦の壁を超えて中国・ソ連などを歴訪し、文明間の対話を推進。また創価大学の開学など、創価教育の学舎を充実。仏法を基調とした平和・文化・教育の運動を本格的に展開した。そのなかでSGI(創価学会インタナショナル)が発足、草の根の民衆のネットワークを世界に広げていった。
(6)六十周年(一九九〇年)まで。
創価の師弟の魂を燃え上がらせ、正義の反転攻勢を開始した。邪悪な謀略を断固と打ち破り、「一人立つ」「一人を励ます」という学会の根本精神を同志の心に打ち込んでいった。
私自身の六十歳までの指標であった「日本の広布の基盤完成」を完全に果たしたのである。
(7)七十周年(二〇〇〇年)まで。
「人間のために宗教があるのか」「宗教のために人間があるのか」——学会は、この人類史的な大テーマに挑み、世界宗教として大きく飛翔した。人間尊敬と生命尊厳の日蓮仏法の精神を高く掲げ、私は冷戦後の世界を駆け巡った。相前後して旧ソ連のゴルバチョフ大統領、南アフリカのマンデラ大統領、統一ドイツのワイツゼッカー大統領らと対話を重ね、仏法の人間主義と世界の良心の思潮が、深く強く共鳴していった。
(8)八十周年(二〇一〇年)まで。
我らの平和と人道の連帯は百九十二カ国・地域へ、地球的規模に拡大。仏法の人間主義は世界精神へと高まり、「地涌の義」そのままに、世界中に妙法流布を担い立つ平和創造の人材が躍動し、それを垣根なく世界の良識が期待する時代となった。真の人間世紀へ、「世界広布の基盤」は完璧に出来上がった。
今、私は胸を張り、恩師にご報告できる。
「わが創価の後継の陣列は、美事な完勝で飾りました!」——弟子として勝利の報告以上の喜びはない。
創立百周年には、今の男女青年部が堂々たる学会の柱と育っている。地域の柱であり、社会の柱であり、世界の希望の柱なのだ!
「平和の世紀」は、対話の英雄が創る!
「人間の世紀」は、人間主義の人材が輝かせる!
「生命の世紀」は、生命尊重の賢者が開く!
地球を舞台に、若き弟子たちよ、君たちが指導者となって自由自在に乱舞しゆくのだ!人と人を繋ぎ、人類を結ぶのだ!