万全の注意を払い
一歩一歩 進もう!
今日も友のもとへ
笑顔の春風を!
善無畏三蔵抄 P890
『当世牛馬の如くなる智者どもが日蓮が法門を仮染にも毀るは糞犬が師子王をほへ癡猿が帝釈を笑ふに似たり』
◇希望の明日へ
指導者は、後輩を自分以上の人材に育てようとする、その心が要である。この一念なくして、後輩をうまく使い、利用するのみの先輩では、いかに言葉たくみに指導しようとも、仏法の世界のリーダーではない。後輩に対し、どれだけ、細やかに面倒をみたか、ある意味で、自分が倒れるような思いで、心をくだきにくだいてこそ、はじめて次代の人材が育つ。そこに「令法久住」「広宣流布」の道が開ける。
☆御書と青年 No.1 師弟誓願の祈り
地涌の使命に目覚めることは、汝自身の生命の本源を知ることだ。
なぜ生まれてきたのか。なぜ生きゆくのか。その究極の意義を知ることです。自分の永遠の使命に目覚める以上の歓喜はない。これほどの充実はない。これに勝る誇りはありません。
大聖人は、流罪の佐渡の地で、愛弟子と共に『喜悦はかりなし』(P1360)と宣言されました。
地涌の生命を現すことは、人間の無窮の内発性を開花させることです。これは人類の意識を根底から変革し、至上の高みへ飛翔させ、結合させゆく平和の大偉業なのです。
大聖人は『願くは我が弟子等・大願ををこせ』(P1561)と、青年に呼びかけられました。『大願とは法華弘通なり』(P736)とも仰せです。
広宣流布の誓願とは、そもそもが「師弟の誓願」です。師弟の一念が合致して、祈り切っていくところに、計り知れない力が出る。
「祈り」は即「行動」だ。ゆえに広布と人生の勝利のため、一つ一つ祈り、真剣勝負で行動していくのです。