わが久遠の誓願を
果たすのは「今」だ!
正義の声も高らかに
いざ完勝の大行進を!
さじき女房御返事 P1231
『この功徳は父母祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん、ましてわがいとをしとをもふをとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし』
◇希望の明日へ
真心と真心で結ばれた、深い"信頼"と"安らぎ"のある世界。それが仏法の世界である。大聖人の御心に連なりゆく広布の活動にあっても、幹部は尊い仏子の"真心"や"労苦"を、いささかでも軽んずる姿勢があってはならない。学会は麗しき広宣流布の和合体である。どこまでも、人情の"機微"を知り、友の心の"奥の奥"にまで深く思いをはせながら、つねに最大の尊敬と感謝の心をもって一人一人と接していってこそ指導者といえる。
☆御書と青年 No.1 師弟誓願の祈り
どのように祈ったらいいのでしょうか?
そんなに、難しく考えなくていいんだよ。自分らしく、ありのままの姿で御本尊の前に端座すればいいのです。そして苦しいことも、つらいことも、そのまま祈っていけばいい。
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ』(P1143)と教えてくださっている通りです。
「諸法実相抄」では、『皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』(P1360)と言われています。題目を唱えられるということ、それ自体が、いかに深い宿縁であるか。
大聖人は『日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』とも仰せです。広宣流布に生き、題目を唱えゆく青年は、皆、最も尊極な地涌の菩薩なのです。
戸田先生のご指導
「本当の決意を込めた題目をあげよ! 題目は利剣である。題目は宝刀である。題目で勝つのだ!」
友の幸福を願い、広宣流布を願って題目をあげていく。学会活動をし、折伏に挑戦していく。それ自体が、立派な「誓願の祈り」であり、「誓願の実践」なのです。
地涌の菩薩は、法華経の涌出品で大地の底から現れ、末法における広宣流布を誓願した。私たちは、その誓願のままに創価学会員として生まれ、戦っているのです。
「いえ、そんなことを誓った覚えはありません」と言うかもしれない。でも仏法の眼から見れば、また生命の因果から見れば、厳粛なる真実なのです。