2010年2月3日水曜日

2010.02.03 わが友に贈る

声の力は偉大だ!
中心者は元気一杯に
張りのある声で語れ!
友の胸に勇気と自信と
確信の炎を点せ!

富木尼御前御返事 P975
設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり

◇希望の明日へ
指導者は指導者である。支配者でもなければ、権力者でもない。人々が自分の言うことを何でも聞いてくれると思ったら、大間違いである。どれほど多くのリーダーが、この過ちから自滅していったことか−−。指導者は一人一人の仏子を、できうるかぎりの慈愛で大切に守り、祈り、尽くしていかなければならない。そうできる自分の立場に感謝していかねばならない。その"真心に徹しゆく"行動にこそ、真実の仏法の心があり、学会精神がある。

☆御書と青年 No.1 師弟誓願の祈り
題目が一切の原動力です。
「御義口伝」には「師子吼」の意義について『師弟共に唱うる所の音声なり』(P748)とあります。先生と唱える題目は、まさに宇宙をも揺さぶるような「師子吼」でした。勝ち戦への轟きです。
ともあれ、「祈り」は宗教の根源です。祈りは人間にしかできない崇高な行為です。
何を、どう、祈っているのか。祈りにその人の一念が如実に現れる。私たちの祈りは、いわば、大宇宙と人間生命の小宇宙との深遠なる交流の儀式です。南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く根本の大法則だからです。

仏法と申すは道理なり』(P1169)です。スポーツ部の友にも語ったことがあるけれども、真の祈りは、これ以上ないという「努力」と直結しているのです。
仏法は、人間の生命に限りない尊厳性を認めている。その生命の偉大な力を実際に開いていく仏道修行が、唱題行です。
南無妙法蓮華経の題目は、人類の潜在力を開く無限大の力を持っているのです。