2010年2月5日金曜日

2010.02.05 わが友に贈る

多忙な時こそ
祈りから出発し
空転をなくせ!
睡眠をとるのも大事。
日々、賢明な指揮を!

松野殿御返事 P1387
我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり、信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず

◇希望の明日へ
一身をなげうって、大切な仏子を守り、正義を叫びきっていく。ここに真実の広布の指導者の姿がある。「法のため」「広布のため」「同志のため」に−−私の行動の根幹は、その一念に尽きる。反対に、かりに指導者が、同志に対する圧迫を、いささかなりとも他人事のように傍観祝するようなことがあれば、その罪は大きいといわざるをえない。

☆御書と青年 No.1 師弟誓願の祈り
戸田先生は「広宣流布へ戦う私たちは、皆、虚空会の儀式に連なっていたんだよ」と言われました。
要するに、折伏にせよ、広宣流布にせよ、「人から言われたから」やるのではない。私たちは皆、「自分で誓い願って」、地涌の菩薩として生まれてきた。
そう決めて拝読すれば、御書の内容も何重にも深く生命に響きます。法華経も同じです。『八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり』(P563)とある通りだ。
御書を一切、自分の生命のことを説き明かした経典と拝しているから、学会は強いのです。負けないのです。
地涌の菩薩は、最も大変な時に、最も大変な場所に勇み立って出現する。みんなも、そうなんだよ。
今、直面している困難は、信心の眼で見れば、自ら願った使命です。そう確信して前進することが、「誓願の祈り」の証しです。
仕事のこと、経済苦、人間関係の悩み、病気の克服など、目下の課題に打ち勝つために、猛然と祈ることです。
自分自身が、断固として勝利の実証を示していくことが、同じような苦しみに直面する友を励ます光となる。
「宿命」を「使命」に変える。これが「願兼於業」の祈りです。勇気を奮い起こして、自他共の幸福を祈ることだ。そこに深い慈悲がある。自分だけでない。人の幸福を祈る中で、自分の悩みを悠々と見下ろせる境涯が開かれていくのです。
自らの悩みを抱えながら、それに押しつぶされない。『難来るを以て安楽』(P750)と、広宣流布のため真剣に祈り、勇敢に学会活動に打って出る。広布の祈りは、仏・菩薩の祈りです。
大きな悩みを引き受け、大きく祈った分だけ、大きな境涯を開くことができる。気がついたら、小さな悩みは全部、包まれ、乗り越えられている。
ここに「煩悩即菩提」の極理があります。

自分の人生の課題を祈ることと、人々の幸福を願う広宣流布への祈りとは、一体です。共に前進の力です。
自分の勝利が、広宣流布の実証になる。広宣流布を進める創価学会の大発展を強盛に祈っている人は、どんなことにも負けない自分自身になる。王者のような境涯を必ず開けるのです。