忙しい時こそ
細心の注意を!
健康第一の
祈りが根本だ。
四条金吾殿御返事 P1192
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』
◇希望の明日へ
外的な裾野薪からの自由も大事である。そのうえで、さらに内なる精神の自由へ、魂の自由へと進んでいかなければならない。"魂の自由"こそ、何ものにもかえがたい"宝処"である。生死の鉄鎖、宿命の鉄鎖から解放し、生命の宝処に入っていくことを可能にする、仏法の意義はまことに大きい。さらに、仏法では化城を即宝処と開いていくと説く。
すなわち、化城であるこの無常、苦悩の現実を離れたどこか遠くに、宝処である理想郷を求めていくのではない。自身の内なる生命の境涯を広々と開きながら、この現実の一つ一つの課題に全力で挑戦していく。そして、現実の苦悩のなかに、幸福と安穏の世界を築いていく。そこに仏法のいき方がある。
☆御書と師弟 三世の勝利劇
師弟の宿縁は永遠なり!
釈尊の説法を聞いた弟子たちは心から驚嘆し、そして随喜した。「師弟不二」という深遠なる境地を、法理でも譬喩でもなく因縁を説かれることによって生命の底から実感し、信ずることができたのです。
師の慈悲は、弟子が思っているよりも、遥かに深く大きい。弟子の小さな境涯のカラを打ち破り、より高みへと引き上げてくださる存在が、師匠なのであります。
師匠の人格、師匠の慈悲、師匠の境涯を命で感じ取り、心から尊敬して、師の教え通り、ひたぶるに実践する人こそが、直系の門下といえる。
仏法は、どこまでも「以信代慧」(信を以って慧に代える)です。肩書や学歴などは、信心とは関係ない。仏の金言を強盛に信じ抜く力(信力)、行じ抜く力(行力)によって、人生の勝負も幸不幸も決まるのです。
日蓮大聖人の仏法は、一部のエリートのためのものではありません。どこまでも、無名にして勇敢なる庶民が主役である。
師と弟子が、ともに大難を受けながら、命をかけて仏国土の建設のため、人類の宿命転換のために戦う。その実像の中に、過去から未来へと続く久遠の生命の栄光が、凝結しているのです。
広宣流布という無上の使命を抱いて、我らは「勝つため」に生まれた! そして「師とともに」戦い勝つ! これが師弟の約束です。誓願であります。
戸田先生
「我々はこの世に生命を受けて生きているが、決して今世だけの生命ではない。過去、現在、来世にわたって、三世に仏の大生命を体得するのである」
我ら凡夫が三世にわたって常楽我浄の幸福境涯を会得できる。そのための信心であり、師弟の道なのであります。