2022年9月21日水曜日

2022.09.21 わが友に贈る

"実践の教学"こそ
学会の誉れの伝統だ。
「我もいたし、
人をも教化候え」
行学の二道を貫こう!
(新1793・全1361)

御義口伝巻上 P725
『信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり』

【通解】
信ずることによって、智慧という宝を買うことができる。三世のあらゆる仏の智慧を買うのは信によるのである。

名字の言 常に向上しようとする"キングカズ"の雄姿 2022年9月21日
55歳203日で日本フットボールリーグの最年長出場記録を更新した三浦知良選手が、コラムにつづっている。「学ぶということを知っている者はだれのせいにもしない。僕は学び続ける人間でいたい」▼仮に自分と同じポジションの経験がない監督であっても、指示に耳を傾け、プラスとなる何かを探す。「過去の実績なんてものはどこかへしまって、今を歩む」(日本経済新聞2010年11月5日付)と。年齢や環境にとらわれず、常に向上しようとする"キングカズ"の雄姿は、ファンを魅了してやまない▼ある壮年はバイク事故に遭い、車いす生活に。母が信心しても「自分に未来はない」と入会を拒んだ。そんな彼を4年前、地域の壮年部員が教学部任用試験の勉強に誘った▼最初は渋々始めた。だが、人々を救うため、あえて宿業を背負い生まれてくる「願兼於業」の法理を学ぶ中で、宿命は使命に変えられることを知った。会友で合格し、本年3月に入会。脊髄損傷者を支援する会の県会長として、福祉車両を運転し友の元へ通う▼「生きるとは学ぶことです。学ぶとは生きることです」と池田先生は教える。苦闘の中でなお、至高の生命哲理を学ぶ。その人は不動の自分を築くことができる。

寸鉄 2022年9月21日
信用できるのは青年の心—恩師。正義の炎燃やす広布の闘士よ新時代開け
任用試験、申し込み進む。"理は信を深からしむ"。新たな同志と共に研さん
妙法は「蘇生の義」。苦闘の友を皆で応援。最後に勝つのがわれらの信心だ
国連・国際平和デー。新たな誓いで今日も対話を!生命尊厳の哲理を掲げて
車の事故、雨の日は約4倍と。不安定な天候。次の連休も無理のない計画を

〈社説〉 2022・9・21 きょうから秋の交通安全運動
◇横断歩道では歩行者が優先
「赤信号で止まりますか」——車を運転する人は全員が「止まる」と答えるだろう。では、歩行者が渡ろうとしている、信号機のない横断歩道ではどうか。「止まる」人が多いと願いたいが、実際には「止まらない」人が約7割にものぼったという。
日本自動車連盟(JAF)の調査によれば、信号機が設置されていない横断歩道を歩行者が渡ろうとしている時、一時停止した車は何と30・6%だけだった(2021年調査)。
道路交通法では、横断歩道などを渡ろうとする歩行者などがいるかいないか分からない場合は横断歩道の手前で停止できる速度で走行すること、また、横断中もしくは横断しようとしている歩行者などがいる場合には一時停止することがドライバーに義務付けられている。違反すると罰則の対象となり、違反点数2点、反則金9000円(普通車の場合)の行政処分が科せられる。
21年に全国の警察が横断歩行者妨害で摘発したのは32万件超と、過去最多を更新した。違反の多さ以上に、横断歩道が全く安全ではない現実に戦慄を覚える。
きょうから「秋の全国交通安全運動」(31日まで)。警察庁では、交通事故死者数に占める歩行者の割合が高いことを踏まえ、「子どもと高齢者をはじめとする歩行者の安全確保」などの重点事項を定めている。
ドライバーは今一度、「横断歩道は歩行者優先」との基本に徹し、横断歩道手前での減速・一時停止を厳守していきたい。
また、歩行者も手を挙げるなどドライバーに横断する意思を明確に伝えることや、安全を確認してから横断を始めることなど、自らの安全を守る行動を心がけよう。
池田先生は友の無事故と安全を心から願い、「事故を防ぐ要諦とは何か——それは、信心においても、生活においても、しっかりと基本を守るということです。基本を怠るというのは油断であり、さらに、そこには慢心があります」(小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「大山」の章)と戒めている。
私たちは、ドライバーであれ、歩行者であれ、絶対に"事故を起こさない""事故に遭わない"との明確な意識と強盛な祈りを根本に、交通ルールを順守し、無事故で充実の日々を過ごしたい。

☆対話のツボ 【問い】「彼岸」は、どういう意味なの?
「彼岸」とは、「向こう側の岸」の意味で、「こちら側の岸」を意味する「此岸」との対比で用いられます。此岸とは煩悩の迷いの世界を譬えたもの、彼岸とは成仏の覚りの境涯を譬えたものです。
また、彼岸には成仏の境涯とともに「到彼岸」、すなわち、そこに到る「修行」「実践」の意義も含んでいます。
日本では年2回、「春分の日」や「秋分の日」を挟むそれぞれ前後1週間を「彼岸」と呼び、墓参や先祖供養を行っています。しかし、これは仏教本来の伝統ではなく、日本独特の風習です。
本来、仏教における「彼岸」の本義は、どこまでも「成仏の境涯」、また「成仏に到る実践」にあります。
日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんば、かなうべからず」(新1721・全1448)と仰せのように、南無妙法蓮華経と唱え、広布に生き抜くことで、誰もがこの一生のうちに生死の大海を越えて、覚りの境涯に到達することができるのです。
御書では、「彼岸」という言葉を、先祖供養の意義で用いられている箇所はありません。むしろ大聖人の仏法では、毎日の勤行・唱題が、先祖への追善回向となっています。毎日が彼岸であり、いわば「常彼岸」とも言えるのです。

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第30回 さあ仏法対話に取り組もう
明2023年の11月、広宣流布大誓堂完成10周年を目指して、新たなる弘教拡大の歩みが開始されました。私たちが仏法対話に取り組む姿勢について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指針を紹介します(指導集163ページ、164ページを抜粋)。

◇穏やかに、にこやかに
大聖人は、破折をするさいにも、「穏やかに、また強く、両目を細くして、顔色をととのえて、静かに申し上げなさい」(新1673・全1280、通解)と仰せである。
大確信をもって、穏やかに、また、にこやかに仏法を語っていくことだ。
(『池田大作全集』第96巻、関東会・東京会合同研修会でのスピーチ)

◇確信と体験を堂々と語る
仏法の偉大さと信心のすばらしさを自信満々と話していくことです。
そして人生の確信ある生き方、未来への限りなき希望に雄々しく生きぬく、価値ある生活の実証を語っていくことです。
結論して言えば、自分自身の確信と体験を堂々と語りぬいていくことです。
(『池田大作全集』第94巻、世界平和祈念勤行会でのスピーチ)

◇焦ってはいけない
人には、それぞれ「時」というものがあります。いつか、その人も、正しい仏法に目覚める時が来る。祈っていれば、必ずそうなります。焦ってはいけない。
忍耐強くいきなさい。戦いは忍耐です。
また、なかなか思うとおりにいかない人がいるからこそ、題目がたくさん唱えられるのではないですか(笑い)。その功徳は、全部、自分のものです。広布への行動に無駄はない。「損」はない。学会活動は、「得」ばかりなのです。
(『池田大作全集』第94巻、世界平和祈念勤行会でのスピーチ)

◇耳を傾けること
真の対話は、他者の尊極の生命に対する敬意から始まる。
この点に関しては、世界的な文化人類学者ヌール・ヤーマン博士とも一致した。「相手を尊敬すること」そして「耳を傾けること」である、と。
(本紙2007年9月30日付、「世界との語らい」)