◇今週のことば
「いずれの処にても候え、
常寂光の都なるべし」
ブロック長・白ゆり長と
地域に励ましの大光を!
そこから勝利の回転が。
(新1784・全1343)
2022年9月11日
実相寺御書 P1453
『而るに彼の阿闍梨等は自科を顧みざる者にして嫉妬するの間自眼を回転して大山を眩ると観るか』
【通解】
しかるに尾張阿闍梨等は、自分の誤りを顧みない者であり、他人を嫉妬したあまり、ちょうど、自分が目眩いしているのを知らずに、大山が回っていると思うようなものである。
名字の言 平和とは、わが子の無事と幸福を願う母の心 2022年9月11日
「かながわ平和祈念館」で読んだ女性の手記には、亡き母の半生がつづられていた。29歳の息子がビルマ(現ミャンマー)で戦死。母のもとに届いたのは、遺髪も遺骨もない白木の箱だった▼母は「息子は必ず帰る」と信じた。夜風が雨戸をたたき、柿の実がトタン屋根に落ちる音にも反応した。息子を待ち続け、85歳で亡くなった、という▼かつて、広島で暮らしていた別の女性。おなかに新しい命を宿したが被爆する。5歳の娘は原爆症で他界し、胎内にいた息子は原爆小頭症を患った。女性は"息子に幸せな人生を歩んでほしい"との思いから、転居した神奈川で創価学会に入会する▼彼女の体には、ガラス片の傷痕があった。その体を押して、仏法を語り歩いた。戸田先生の「原水爆禁止宣言」を実現したいとの一心からである。彼女の平和への思いを継いだ子どもたちは、広島の原爆小頭症患者などでつくる会に所属し、核兵器廃絶のために行動を重ねる▼冒頭の女性の手記には「今も病床で呻吟する被爆者や、『戦争』という非情な世界へ肉親をむしり取られた遺族らに、戦争の風化は無い」と。風化と戦い、平和を叫び続ける——それは、今を生きる私たちが果たすべき、人間としての責務である。
寸鉄 2022年9月11日
苦難の中で偉大なものは生まれるのだ—戸田先生 次代開く若人よ勇み立て
「御信心強盛なれば、大難もかねて消え候か」御書。絶対勝利の信心で進め!(新1609・全1186)
果敢に打って出れば何でもできる—文豪ゲーテ。弛まぬ祈りを根本に。さあ挑戦
「米同時テロ」から21年。暴力でなく対話、分断でなく連帯!我らの使命大
野菜や果物多く食べる人は死亡リスク低下—調査 聡明な食生活で健康人生
☆四季の励まし 御書は最高峰の「歓喜の光源」 2022年9月4日
◇池田先生の言葉
自己を向上させるために、
何を為すべきか。
世界を平和へと導くには、
どうすればよいのか——。
全人類が
切実に求め続けてきた
問いに対して、
我らには、
明確な指標があり、
実践の規範があり、
則るべき大法がある!
妙法は、
宿命に立ち向かう
「勇気の源泉」である。
全人類の未来を照らしゆく
「歓喜の光源」である。
邪悪を打ち破っていく
「正義の利剣」である。
この真髄の法理を
説き明かした御書こそ、
時代を超えた
最高峰の一書である。
仏法を学び、教学の研鑽を
重ねることは、
人生の意味を掘り下げ、
豊饒なる精神の宝庫の扉を
開く作業といってよい。
信仰の実践とともに、
教学を
学んでいかなければ、
仏法の本義を深く理解し、
信心を究めていくことは
できない。
御書には、
一人にここまでも
心を配られるのかという、
大誠実の「人の振る舞い」が
随所に示されている。
その究極の人間主義を
深く学びながら、
私たちも、
一人一人を大切にし、
一人一人と
仏縁を結んでいくのだ。
法華経の肝心・
南無妙法蓮華経の
御本尊を根本として、
"全民衆を幸福に!"との
地涌の誓願を
現代に蘇らせたのは、
まぎれもなく我ら学会だ。
民衆の凱歌の未来へ!
さあ、我らの思想を、
勇気の行動を、
人類が待っている。
永遠不滅の妙法を
学び実践する感激に燃え、
希望の大哲学を、
一人また一人と伝え
弘めていこうではないか!
【写真説明】白雪を冠した南アルプス連峰の稜線が、青空に浮かぶ。その雄姿を背に、三色旗がはためく。2002年(平成14年)4月、池田大作先生が笛吹市の山梨教学研修センターでシャッターを切った。
先生は同センターをたびたび訪れ、御書根本の学会精神を語った。「信心を貫いている人、御書を心肝に染めている人には、だれもかなわない。地域でも、光る存在となっていく」(2007年9月)と。
季節は進む。11月の「教学部任用試験(仏法入門)」に向け、各地で受験者の申し込みが行われている(10月2日まで)。新しい人材と共に、最高峰の仏法を喜び学ぶ「教学の秋」としていこう。
☆ONE GOSHO この一節とともに! 持妙法華問答抄 2022年8月28日
◇求道心こそ幸福の直道
さらなる飛躍の下半期へ!——新たな人材とともに「求道心」の重要性を学んでいきたい。
◇御文
『受けがたき人身をうけ、値いがたき仏法にあいて、いかでか虚しくて候べきぞ。同じく信を取るならば、また大小・権実のある中に、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ。』(新514・全464)
◇通解
受けがたい人間としての身を受け、あいがたい仏法にあいながら、どうして一生をむなしく過ごしてよいものであろうか。同じく仏法を信じるならば、大乗・小乗、権教・実教とある中には、諸仏の出世の本意であり、衆生の成仏の直道である法華一乗をこそ信じるべきである。
◇背景
本抄は、弘長3年(1263年)、日蓮大聖人が伊豆流罪の赦免直後に鎌倉で著されたものとされているが、詳細は定かではない。
「持妙法華」と題号にあるように、「妙法華」すなわち「妙法蓮華経」を「持つ」意義について、五つの問答形式で教えられている。
そのうち、今回の御文は第5の問答にあたり、「法華経をどのように修行すべきか」との問いを立て、「信」の重要性を強調されている。
◇解説
本抄は、冒頭に「まれに人間として生まれ、たまたま仏法を聞くことができた。ところが、仏の法に浅深があり、人の機根に高下があるという。どのような法を修行すれば、すみやかに仏になるのであろうか」(新509・全461、通解)と、人として生まれ、仏法を聞くことができた千載一遇の機会に、必ず幸福になれる教えは何か、という現代においても重要な問いから説き起こされている。
続く第4までの問答で、法華経が諸経典の中で、最も優れた教えであり、「仏になる実の道」(新511・全462)が説かれていると示される。さらに、法華経は、それ以外の経典で成仏が許されなかった二乗(声聞、縁覚)をも救うことで、全ての人を成仏させる教えであることを明かされている。
大聖人は、第5の問答で、法華経を修行する上で、「信じること」が重要であると結論されている。
その譬えを本抄では、「岸に上がろうとする人が、自分の力では上がることができない時に、岸の上の人が縄を垂らしてくれたのに、縄を引く人の力、縄の強度を疑って、縄につかまらなかったら、岸に上がることができない」(新514・全464、趣意)と示されている。
今回の御文では、人間として生まれ、仏法に巡り合えたことの幸運を示した上で、仏法を信じることなく尊い一生をむなしく過ごしてはいけないと教えられている。「直道の一乗」とは、末法の人々が成仏するための根本の法である「南無妙法蓮華経」にほかならない。
さらに続く御文では、法華経を信受し、語り伝えていく功徳がいかに大きいかを強調される。
そこで大事なことは、真に正しい教えを求める心、求道心である。求道心があってこそ、信心の実践は深まる。
池田先生は、「自身の宿命転換を願い、広宣流布の実現を祈って、身命を惜しまず戦うところに、必ず幸福勝利の人生を開くことができる」と講義されている。
その求道心は自分だけのためのものではない。
本抄の最後には、はかない名声や利益に執着する自分を乗り越えて、法華経の題目を自らも唱え、人にも勧めることこそ、人間として生まれてきた、この一生の思い出となることを示されている。
自身が勤行・唱題に励むとともに、友人の幸福を願って日蓮仏法の素晴らしさを伝えていくことが、この一生を最高に充実させる実践なのである。正しい法を求め信じる。他者の幸せを願い行動する。この両方があってこそ、自他共の幸福を目指す創価の生き方である。
池田先生はつづられた。「仏法を社会に大きく開いた運動を展開するというのは、これは円運動でいえば遠心力だ。その遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる。この求心力の中心こそが、師弟不二の精神だ」と。
11月には教学部任用試験(仏法入門)が実施される。受ける人も教える人も、共に学び、その感動を内外の友に語り広げていきたい。
新たな人材の新たな力を開花させる仏法を共に学び、共に実践し、最高の「一生の思い出」を築こう。