広布発展の鍵は
新たな人材を励まし
一緒に成長することだ!
友と苦楽を分かち合い
勝利の峰を登攀しよう!
上野殿御返事 p1565
『しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとしいかでか位につかざらんとおぼしめし候へ』
【通解】
しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯になる。たとえば、国王のたった一人の王子のようなものである。どうして国王の位につかないことがあるだろうかと、確信していきなさい。
名字の言 伊豆諸島の創価ファミリー大会 2022年9月6日
三味線とジャズピアノのセッションを聴いたことがある。"異色のコラボ"と思いきや、その演奏は、双方の音色が絶妙に溶け合い、互いの楽器の良さを引き立てているように感じた▼演奏後のトークで奏者の2人は同様の話をした。相手に抱いていた印象は、分野の違う「遠い存在」。だが縁あって知り合い、語らう中で、目指す音楽の「方向性が同じ」と分かるや、"すぐに一緒にやろう"となった、と▼先月、伊豆諸島のうち、6島の未来部員がオンラインで初めてつながり、創価ファミリー大会を開催した。当地の同志にとって、日頃の生活や学会活動の行動範囲は、それぞれ島の中だけだった。そんな折、各島の壮年・女性部の友らが「島の広布の未来を開くためにも、子どもたちの心を結び合おう」と立ち上がり、大会が実現した▼画面越しに初対面のメンバーが自己紹介、決意発表などを行った。"あの島で暮らし、勉強や課題に奮闘する仲間がいる。僕も、私も頑張ろう!"と、終始、活気あふれる集いになった▼島々を囲む海は"隔てる"ものではなく"つなぐ"もの。また、人と人における差異は"避ける"理由ではなく、互いの可能性を拡大する"原石"になる。それを磨くのは「対話」である。
寸鉄 2022年9月6日
唱題こそ幸福への直道。必ず壁は破れる。幾百万の同志が題目の力を証明
華陽カレッジが各地で。励ましの心に満ちた人華の園。大成功を皆で応援
学んだ喜びは時とともに更に大きくなる—ロシア科学者 青年よ時を惜しんで学べ
1日10分でも毎日の運動でメタボ予防に効果と。挑戦の積み重ねで健康を
大企業や公的機関騙る偽メール多し。個人情報の入力求めるもの等は注意
☆御書と未来へ 第35回 仏の"智慧の泉"は無限なり
〈御文〉
『塹つつみ漏らざれば、水失することなし。信心のこころ全ければ、平等大慧の智水乾くことなし。』〈秋元御書、新1458・全1072〉
〈通解〉
塹の堤が漏れなければ、水がなくなることはない。信心の心が堅固であれば、仏の平等大慧の智慧の水が乾くことはない。
〈池田先生が贈る指針〉
仏の智慧は広大無辺である。御本尊と境智冥合すれば、わが生命の泉からも尽きることなく智水を湧き出させていける。
どんな悩みや難問にも怯まず、一つ一つ具体的に祈り切るのだ。広布誓願の信心に行き詰まりはない。必ず道は開ける。
縁する一人一人に題目を送り、公平に、誠実に妙法の大功力で潤していこう!
☆9月度座談会拝読御書 経王殿御返事
◇御文
『ただし御信心によるべし。つるぎなんども、すすまざる人のためには用いることなし。法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし。』(御書新版1633ページ5行目〜6行目、御書全集1124ページ10行目〜11行目)
◇[池田先生の指針から]日蓮仏法の魂は「勇気」
日蓮仏法の魂も、「勇気」であります。
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(全1282・新1675)と、明快に断言されている通りであります。
あの身命にも及ぶ佐渡流罪の大難の渦中、大聖人は厳然と仰せになられた。
「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(全957・新1286)と。
「師子王の心」とは、どんな強敵が、群れをなして襲いかかってこようとも、恐れない。どんな大難が山また山となって立ちはだかろうとも、断じて負けない。その最極にして無敵の勇気が、「師子王の心」であります。
いざという苦難の時に、この勇気を奮い起こし、師匠と共に、思い切って戦い抜いた人が、仏になれる。勇気こそが、己心の無明を打ち破り、自他共に仏界の生命を開くのであります。(中略)
戸田城聖先生のもとで、女子部の「華陽会」が学んだ、『トム・ソーヤーの冒険』の作者である、アメリカのマーク・トウェインは語っている。
「どれだけ多くの人間が自分の力を知らないことか! 人間には宇宙を動かす力が秘められている」(ドロシー・クイック『マーク・トウェインと私』野川浩美訳、ほんのしろ)のだと。
人間生命に秘められた、この宇宙大の力を解き放つ鍵こそ、「勇気」であります。
そして、その極致こそが「勇気ある信心」なのであります。
戸田先生は「信心とは、要するに、どんなことがあっても必ず勝つと、心を決めることだ」と結論されました。
無名にして無冠の庶民が、この勇気ある信心に立ち上がって、いかなる悪口にも、いかなる圧迫にも、いかなる陰謀にも屈せずに戦い切ってきたからこそ、世界の柱たる平和と文化と教育の創価の大連帯が築かれたのであります。(2012年1月、新時代第55回本部幹部会へのメッセージ)
◇「師子王の心」で広布と人生を開く
[キーワード�]"けなげなる人"に
拝読御文の前の箇所で、日蓮大聖人は、師子王はどんな獲物を捕らえる時も、万全の構えで全力を尽くすと述べられ、「御本尊を認めたことも、その姿勢は師子王に劣るはずがない」(新1632・全1124、通解)と御断言になっています。
大聖人が全生命を注いで御図顕されたのが御本尊です。だからこそ、この御本尊に強盛に祈念していくならば、成就しないことはありません。
ここで大事なことは、私たちが、「信心のけなげなる人」、すなわち「勇気ある信心の人」であるかどうかです。
いかに立派な剣でも、使う人が臆病では役に立ちません。「法華経の剣」も、勇敢な信心の人が振るうから、"鬼に金棒"でより大きな力を発揮するのだと教えられています。
"私には勇気などない"と思う人もいるかもしれません。しかし、大聖人は別の御書で「各々、師子王の心を取り出だして」(新1620・全1190)と仰せです。「師子王の心」とは"最高の勇気"ともいうべき仏界の生命です。その生命は、十界互具で万人に具わるからこそ「取り出だして」と仰せなのです。
池田先生は語っています。
「勇気は、特別な人だけがもっているのではない。だれでも平等にもっている。
しかし、どれほど多くの人々が、この無尽蔵の宝を封印して、臆病、弱気、迷いの波間に漂流していることか。これほど、もったいない人生はない。勇気を『取り出して』、胸中の臆病を打ち破ることだ」
勇気の信心こそ、幸福を勝ち開く源泉なのです。
[キーワード�]強盛な祈りと行動
仏法には、祈りをかなえるための要の力である「四力」が説かれています。信力、行力、仏力、法力です。
「信力」とは御本尊を信じる心の強さのこと。「行力」とは教えの通りに実践する力のことです。
「仏力」とは仏が持つ力用のことであり、「法力」とは妙法に具わる広大深遠な利益のことです。
強盛な信力、行力を奮い起こしていく時、それに応じて仏力、法力が現れ、祈りが成就するのです。
池田先生は、分かりやすく語っています。
「『祈りが叶う』といっても、オカルト的なものではない。また人間とかけ離れた神仏が、"お情け"で願いを聞き届けてやるといった、神秘的な、いいかげんな話ではない。(中略)生命と宇宙の法則を研究したのが仏法です。その仏法の最高理論をもとに、日蓮大聖人が御本尊をつくってくださったのです。電気の理論で電灯ができたようなものです」
「こちらが一の信力、一の行力だと、一の仏力、一の法力となって現れる。百の信力・行力は、百の仏力・法力となって現れる。万の信力・行力は、万の仏力・法力となって現れるのです」
仏法は道理です。"必ずかなえてみせる"との強盛な祈りと行動——いわば"百千万の信力・行力"こそ、無限の仏力・法力を引き出し、広布と人生を開きゆく要諦です。
強き信心で勇敢な実践を貫く人は、限りなく境涯を開き、勝利、勝利の人生を飾っていけるのです。