2022年9月14日水曜日

2022.09.14 わが友に贈る

尊き使命に生きる
地涌の若人よ!
わが広布の舞台で
着実に 朗らかに
勝利の突破口を!

生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』

【通解】あなた(最蓮房)は過去の宿縁に運ばれて、このたび、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。
「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」との経文は、決して嘘ではあるまい。

名字の言 同じ目線に立って、共に成長する 2022年9月14日
農作業を通し、不登校の子どもたちを支援する女性部員から話を聞いた。地域の耕作放棄地を借りて活動を始めた彼女だが、農業に関しては素人。「でも、それが良かったんですよ」と▼専門知識や経験をもとに"教えてあげよう"と接すると、敏感な子は反発し、心を閉ざしてしまいがち。だが彼女は、土づくり、苗の植え付けなど一から子どもたちと共に野菜の栽培法を調べ、一緒に悪戦苦闘した▼その中で多くの子が心を開き、希望を芽吹かせた。ひどく引っ込み思案だった少女が、泥まみれで仲間とはしゃぐように。感情が顔に出にくかった少年が、とびきりの笑顔を輝かせた。将来の夢を語ってくれる子も。彼女は言う。「まるで、さなぎが蝶になって飛び立つような子どもたちの変化に、私の方が勇気をもらいっぱなしです!」▼「伴走」という言葉が教育、医療、福祉など、さまざまな分野で着目されている。同じ歩幅で進み、力を合わせて課題や困難に挑む。そうした関わりが豊かな人間関係を育み、最高の支援につながる▼一人を大切に——それは、高いところから何かを授けるといったことではない。どんな人とも同じ目線に立って語り合い、共に成長していく「心の絆」を結ぶことである。

寸鉄 2022年9月14日
「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」御書。学会は大聖人直結で勇躍前進(新1270・全903)
「忍耐が大成の礎である」戸田先生。地道な祈りと行動の先に栄光は燦然と
東京・北区の日。地域に広がる"喜び多き"連帯。青年を先頭に模範の拡大
「友人の助け」が悩み改善の要因1位—若者調査。抜苦与楽の励まし今日も
感謝を伝え合えば免疫力が向上—医師。「有難う」の思いを日頃から言葉に

〈社説〉 2022・9・14 多くの友と任用試験に挑戦
◇幸福をつかむ仏法哲理を学ぶ
文永8年(1271年)9月12日、竜の口の頸の座に臨まれ、末法の御本仏としての御境涯を顕された日蓮大聖人は、その3日後、門下の富木常忍にお手紙を認められている。
「(あなたの)お嘆きはもっともであるが、自分としては、もとより覚悟していたことであるから、今更嘆いてはいない」(新1276・全951、通解)
むしろ法華経の故に難に遭うことは、成仏の好機であるとの御確信をつづられている。
大聖人の仏法では、あらゆる人の胸中に、どんな困難にも負けない仏性が具わっていると説く。
そして、成仏とは、この自身の中にある仏性を開くことで、一人一人が何ものにも崩れない幸福境涯を築くことなのである。
私たちの人生においても、必ず苦難が伴い、広布の途上にも困難は必定である。ゆえに、何があっても力強く生き抜いていくことが、幸福をつかむ上で肝要といえよう。
そのことを大聖人は、忍難弘通の御生涯を通して、門下に教えてくださった。
現在、11月6日に実施される「教学部任用試験(仏法入門)」に向け、申し込みが推進されている(来月2日まで)。
その出題範囲に、「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)との「開目抄」の一節がある。
ある壮年は未来部時代、この御文を任用試験で学んだ。以来、50年余。険しき人生の坂道を歩む中で幾度も拝し、題目を唱え抜いて、一つ一つの課題を乗り越えてきた。
信仰の実践に即した"生きた教学"を、現代によみがえらせたのが創価学会である。
池田先生はかつて、任用試験の受験者に呼びかけた。
「皆さんは、妙法という究極の生命尊厳の大哲学を心に抱きました。ゆえに、自分自身が、いかなる生老病死の荒波をも乗り越え、自他共に健康長寿と絶対勝利の幸福の航路を悠々と進みゆく、賢者の大船となっていけるのです」
受験する友も、支える同志も、一緒に研鑽することが、仏法を持つ喜びと確信を深め、共々に成長する好機となることは間違いない。
一人でも多くの友が御本仏の大確信に触れ、幸福をつかむ仏法の哲理を学べるよう、任用試験に総力を挙げて挑戦していきたい。

☆男子部が新出発 西方青年部長、梁島男子部長が誕生
◇原田会長が出席し全国の代表の集い
広布の師子王が師弟の誓願に勇み立つ!
男子部の新出発となる全国代表幹部会が13日、東京・新宿区の金舞会館(創価文化センター内)と各地の会館をオンラインで結び、意気高く行われた。
席上、本部人事委員会で検討・決定した新人事が発表され、西方光雄青年部長、梁島英明男子部長が誕生した。
10月「全国男子部幹部会」を開催
また、10・2「世界平和の日」を記念する「全国男子部幹部会」が、10月に開催されることが発表された。
池田大作先生はメッセージを贈り、「地涌の本命」である男子部の船出を祝福。不思議な宿縁で結ばれた一人一人に新たな「広布拡大の旗」を託したいと述べた。そして、「一の師子王吼うれば百子力を得て、諸の禽獣、皆頭七分にわる。法華経は師子王のごとし。一切の獣の頂とす」(新1745・全1316)を拝読。「妙法を持ち行ずる君たちは、真正の師子王となって、邪悪を破る正義の師子吼、仏種を植える勇気の師子吼を放ち、慈折広布の先陣を開いていってくれたまえ!」と呼びかけた。
幹部会では、西方青年部長のあいさつに続き、新任の中本四国男子部長、中村東北男子部長、坪井関東男子部長、永井総東京男子部長が清新な決意を披歴。梁島男子部長は、リーダー率先の「大訪問・激励運動」と「弘教拡大」で報恩の弟子の歴史をと訴えた。
原田会長は、師匠に勝利で応えることが、池田門下の使命であると強調。学会の未来の全責任を担う自覚で、目の覚めるような拡大の実証をと望んだ。

☆青年想� 第1回 「信心の継承」とは
◇総合未来部長 大宮将之 「生き方」を自ら選び取ること
価値観が多様化する現代。「青年想�」では創価の哲学や生き方がいかなる意味を持ち、社会にどんな価値をもたらすかを青年世代が訴えます。初回は「信心の継承とは」をテーマに、大宮総合未来部長がつづりました。

◇"学会の家"に生まれ
東京・八王子市で弁当店を営む創価学会員の両親のもとに、私は3人兄弟の長男として生まれた。
母は生来、左の腎臓が機能しておらず、妊娠高血圧症候群を患う恐れもあったため、「子どもを授かるのは難しい」と医師から言われていたらしい。「生まれてきてくれたこと自体が信心の功徳だったのよ」と、母がしみじみと語っていたのを覚えている。
その母と二人三脚で私たちを育ててくれた父の口ぐせは、「全てに意味がある」だった。20歳で父親(私の祖父)を病で失ったことをきっかけに、創価学会員の友人に折伏されて以来、多くの体験を得たゆえの確信だという。この「意味がある」という言葉に、私は中学・高校時代、反発を覚えた。信心に「意味」を感じられずにいたからだ。
朝から晩まで両親は働き通し。けれど経営は苦しいまま。"信心しているのに?"という疑問が湧いた。仕事と学会活動、さらに地域活動の"三立"で多忙な両親に対し、寂しさから来る不満もあったと思う。
また当時はオウム真理教が起こした事件に端を発して、宗教への偏見に満ちた報道が続いていた時期でもあった。学会のシンボルである"三色旗"を弁当店に掲げていたこともあり、学校のクラスメートから「お前も宗教やってんだろ?」と、からかわれるのがイヤだった。
一つ下の弟には、生まれた時から知的障がいがある。そのことで私は小・中学生の時、いじめられることがあった。一番下の弟は中学生になると荒れに荒れ、地域で問題になったことも。
"幸せになる信心"のはずなのに、なぜ? どうして? 「意味なんていらないから、"学会の家"じゃなくて"普通の家"が良かった」「俺は自分でこの信心を選んだわけじゃない」。そんな思いを両親にぶつけた。父とは"売り言葉に買い言葉"となるような感情の衝突もあった。
とはいえ、信心を強制されたと感じたことはない。なぜなら、両親は私の話に耳を傾けてくれたからだ。最後は一言、「自分が納得できる生き方をすればいい」と言うのが常だった。両親が向かう仏壇の経机に置かれた御祈念板には、私たち3兄弟の名前と共に、「自分らしく、使命の道を歩めますように」との文字が記されていた。

◇この人みたいに
もちろん親心として、「こんな道を歩んでもらいたい」といった願望は、あったはず。信心の何たるかを息子たちと語り合えるなら、夜を徹して訴えたいこともあっただろう。だが両親は最終的に、言葉よりもその姿、その祈りで伝える道を選んだのではないか。今になって、そう思えてならない。
宿命の嵐と戦う日々にあって、両親がとてもうれしそうにしていた時間があった。青年部員や創価大学などに通う学生部員が、わが家に集まるひとときだ。弁当店を構える自宅は地区の広布の会場でもあった。おなかをすかせた青年たちに、両親はお皿いっぱいの唐揚げやおむすびを作って振る舞うことを、何よりの喜びとしていた。
この中で大聖人は"仏である釈尊を供養する功徳より、末法の法華経の行者に対する供養の功徳の方が大きい"ことが示された法華経の経文を引用される。ある意味で不思議な経文だ。大聖人ご自身も「僻事(道理に合わない事柄、間違った事柄)」とまで仰せになっている。しかしそれは、ほかでもない釈尊自身が述べたこと。ゆえに大聖人は、最終的に「この経文を疑おうと信じようと、あなた(時光)のお心にお任せする」と、言われたのだろう(新1837・全1508、趣意)。
池田先生はこの一節を拝し、講義されている。「真実の信仰は『内発』です。自分で決意し選び取るものです。あくまで大聖人は、時光が自発的に、自分で『信』の道を進みゆくことを促されたのでしょう」(「大白蓮華」本年7月号「世界を照らす太陽の仏法」)
そもそも自分が幼かった頃に、信心をしていた父を失うという経験自体、信仰に疑いを起こさせても不思議ではない。それでも、母・上野尼御前がけなげに信心を貫く姿、そしてその母を何度も励まし抜かれた大聖人の慈愛に触れて、時光は「法華経の行者として生きること」を自ら選び取ったのではないだろうか。父が信心を始めてくれたから、母が負けずに生き抜いてくれたから、その生き方を知った。大聖人という師匠と出会えた——この時光の感謝と報恩の心を、大聖人も御照覧であったに違いない。
「信心の継承」とは「生き方の継承」でもあろう。創価学会の歴史の中で無数に生まれてきた「継承のドラマ」も、その一つ一つを子細に見れば、学会員の温かな人柄や誠実な振る舞い、そして揺るぎない信念に共感し、感動し、決意する瞬間が必ずあったはずだ。

◇意味を見いだして
今夏、全国で行われた創価ファミリー大会や未来部の各種コンクールなどを通して、「学会家族の触れ合い」がどれほど生まれたことだろう。担当者の皆さまには感謝してもしきれない。
この中で大聖人は"仏である釈尊を供養する功徳より、末法の法華経の行者に対する供養の功徳の方が大きい"ことが示された法華経の経文を引用される。ある意味で不思議な経文だ。大聖人ご自身も「僻事(道理に合わない事柄、間違った事柄)」とまで仰せになっている。しかしそれは、ほかでもない釈尊自身が述べたこと。ゆえに大聖人は、最終的に「この経文を疑おうと信じようと、あなた(時光)のお心にお任せする」と、言われたのだろう(新1837・全1508、趣意)。
池田先生はこの一節を拝し、講義されている。「真実の信仰は『内発』です。自分で決意し選び取るものです。あくまで大聖人は、時光が自発的に、自分で『信』の道を進みゆくことを促されたのでしょう」(「大白蓮華」本年7月号「世界を照らす太陽の仏法」)
そもそも自分が幼かった頃に、信心をしていた父を失うという経験自体、信仰に疑いを起こさせても不思議ではない。それでも、母・上野尼御前がけなげに信心を貫く姿、そしてその母を何度も励まし抜かれた大聖人の慈愛に触れて、時光は「法華経の行者として生きること」を自ら選び取ったのではないだろうか。父が信心を始めてくれたから、母が負けずに生き抜いてくれたから、その生き方を知った。大聖人という師匠と出会えた——この時光の感謝と報恩の心を、大聖人も御照覧であったに違いない。
「信心の継承」とは「生き方の継承」でもあろう。創価学会の歴史の中で無数に生まれてきた「継承のドラマ」も、その一つ一つを子細に見れば、学会員の温かな人柄や誠実な振る舞い、そして揺るぎない信念に共感し、感動し、決意する瞬間が必ずあったはずだ。

◇意味を見いだして
今夏、全国で行われた創価ファミリー大会や未来部の各種コンクールなどを通して、「学会家族の触れ合い」がどれほど生まれたことだろう。担当者の皆さまには感謝してもしきれない。
8月上旬には、創価大学で中等部と高等部の研修会がそれぞれ行われた。参加者から最も多く寄せられた感動の声は、学生部員との交流や、運営役員の献身的な姿に対してのものである。
「どうして親が信心を頑張るのか、分からない」といった思いを抱く女子未来部員に対し、ある女子学生部員は「私もそうだったよ」と笑顔で受け止め、答えたという。「私自身が学会のいろんな人との交流を通して『創価の心』に触れ、学ぶ中で、池田先生と信心のすごさを知ったの。『親が見てきた"景色"は、これだったんだ』って」
私も、今なら分かる。両親は経済革命を成し遂げた。知的障がいのある弟は地域の作業所に勤め、周囲から愛されて毎日を過ごしている。中学時代に荒れた弟も、兄弟の中で一番の親孝行者に。私自身、当初の夢だった教員の道には進まなかったものの、こうして今、多くの未来部員と出会いを結ぶことができる福運を実感する日々だ。
何よりの"功徳"だと私が思うのは、悩み葛藤した未来部時代そのものに、「意味」を見いだせるようになったことである。未来部員と語らいを重ねる中で、悩みを相談されることは少なくない。親との関係、友人との仲、いじめ、病や障がいのある家族のこと……私が「実は自分もね」と、これまでの歩みを打ち明けると、"安心と共感の橋"が心にかかる瞬間がある。簡単には正解を出せない課題ばかりだが、信心で乗り越えられるその時まで、伴走し続ける一人でありたいと切に願う。
そう思うと、反発するわが子を「信じて祈り、待ち続けた」両親の苦労はいかばかりだったか。自分が未来部担当者となり、2人の子を持つ親になって、つくづく骨身に染みてならない。
なかなか、面と向かっては言えないが——"信心している家"に産んでくれて、ありがとう。