必死の「一人」の情熱が
同志を奮い立たせる。
後継の若人よ
拡大の突破口を!
歴史を開く「主役」に!
日妙聖人御書 P1216
『いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を』
【通解】
女性が仏法を求めて千里の路を踏み分けたことは、いまだかつて聞いたことがありません。
名字の言 能楽師・野村幻雪氏の内弟子時代の日課 2022年9月9日
能の観世流シテ方の人間国宝・野村幻雪氏は狂言師の家に生まれ、15歳で能の世界に飛び込んだ▼10年間の内弟子時代の日課は、舞台の床を清める雑巾がけ。能面をつけて舞台に立つ能では、視界が限られ、位置感覚をつかむのが難しい。毎日の雑巾がけは、その舞台空間を体得するための大切な修行だった(『梅は匂ひよ 桜は花よ 人は心よ』藤原書店)▼技芸の世界では「守・破・離」という言葉がある。「守」は師から流儀を習い、「破」は他の技も学び深め、「離」は自らの境地を開くこと。芸の道を究めるにはまず、師匠の教えを守り、実践することから出発する。「守」があってこそ、芸の境地が大きく開かれていくと捉える▼法華経嘱累品に「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし」(妙法蓮華経並開結579ページ等)と。菩薩たちの"釈尊の言われる通りに実行します"との言葉である。この誓いを3回繰り返し、釈尊への「ご安心ください」との言葉をもって、法華経の、師匠から弟子に付嘱する場面は終わる▼師匠の教えを「身口意の三業」、すなわち「体」で「口」で「心」で実践していく——ここに、私たちの仏道修行の根本がある。その実践が、いかなる困難にも揺るがぬ不動の境涯を開く。
寸鉄 2022年9月9日
創価の女性には世代超えた結びつきがある—ワイダー博士 "世界一"の励ましの連帯
北海道の日。師弟の心で結ばれた誉れの三代城。皆が青年の開拓魂で前へ
女子学生部の日。「心の財」積む青春尊し。福智輝く次代のリーダーよ育て
全国で人材育成の波が!目の前の友を必ず広布の勇者に。成長の日々、共に
AEDや応急手当など、いざという時の為の備え確認。きょう「救急の日」
☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第2回 池田先生の入信75周年〈下〉
◇「拡大」こそが師に連なる実践
◆田島 池田先生の入信から3年となる1950年(昭和25年)8月24日、戸田先生は、学会の理事長を辞任する意向を発表されます。
◇原田 この日、池田先生は恩師に「先生が理事長を辞められると、これから、私の師匠は誰になるのでしょうか」と尋ねます。それに対し、戸田先生は「君の師匠は、この私だよ」と答えます。池田先生は、"生涯の師匠は、(戸田)先生なんだ"と心に決めるのです。
後日、池田先生は変わらぬ決意を、「古の/奇しき縁に/仕へしを/人は変れど/われは変らじ」との和歌に託し、恩師に手渡しました。戸田先生は二つの返し歌を贈りました。
戦後の混乱期で、中小企業の倒産が続出した時代です。経済不況の中、戸田先生の会社でも、給料の遅配が続き、周囲の人間は手のひらを返して戸田先生のもとを去っていく。池田先生はただ一人、戸田先生を支え、東京・埼玉・神奈川などを駆け巡りながら、事業の活路を開いていきました。
当時を振り返りながら、先生は「指導者は困難な局面に強くならなければいけない」と教えてくださったことがあります。
苦境にあればあるほど、強盛な祈りで「師子王の心」を涌現させ、師匠を守り、学会を守り抜く——池田先生の若き日の戦いこそ、私たちの実践の永遠の模範です。
◇苦難の歳月に種子の育成
◆先崎 小説『人間革命』第4巻「秋霜」の章には、50年から翌51年に至るまでの、池田先生が戸田先生を支え抜かれた日々について、「この期間の秘史のなかに、その後の創価学会の、発展と存在との根本的な要因があったといえよう」とつづられています。
◇原田 戸田先生と池田先生が皇居のお堀端を歩いていた時のことです。急に降り出した雨で、二人はずぶ濡れになってしまいます。近くにはGHQ(連合国軍総司令部)の高いビルが立っていました。
池田先生はビルを見上げて、戸田先生に宣言します。
「必ず、将来、先生に乗っていただく車も買います。広宣流布のための立派なビルも建てます。どうか、ご安心ください」
今、世界各地に立派な会館が立っています。その源流こそ、この先生の恩師への誓いです。
また、前回(8月24日付)も触れましたが、戸田先生と池田先生が聖教新聞創刊の構想を語り合ったのは、50年8月24日のことでした。
さらに、戸田先生が池田先生に、創価大学の設立の思いを披歴し、委ねたのは、50年の晩秋です。
一つの大学を設立することが、どれほど多くの労苦を伴うことか。しかし、池田先生は、恩師の構想の実現に全精魂を注がれ、その約20年後の71年(同46年)に創価大学は開学します。
「秋霜」の章に、「戸田の会長就任以後の飛躍的な学会の前進と、その没後における急速な躍進も、すべて、その源を尋ねるならば、ひとえに大聖人の仏法の偉大さによることはもちろんであるが、この苦難の歳月の間に、既に決定的な種子の育成がなされていた」と記されています。
「種子の育成」とは、「師匠が弟子を鍛えた」ということだけではありません。大事なことは、「弟子が師匠に仕えきる」ことです。その精神があってこそ、師匠の弟子に対する薫陶が花開いていくのです。
◇戸田大学に学ぶ"絶妙の呼吸"
◆山口 この時期、池田先生は、通っていた夜学を断念されました。そうした中、戸田先生は個人教授を行います。これが「戸田大学」です。
◇原田 戸田大学を通して、私たちが学びたいのは、"師弟の絶妙の呼吸"です。
池田先生は、49年(同24年)秋ごろから、夜学を休んで恩師の会社を支え、仕事が一段落したら、復学しようと考えていました。
しかし、50年の年頭、戸田先生は、「君には、本当にすまないが、夜学は断念してもらえないか」と愛弟子に語ります。
池田先生は、戸田先生の深い思いを受け止め、「はい。先生のおっしゃる通りにいたします」と即座に答えます。そして、一身を捧げて、事業の再建に力を注いでいきます。
しばらくして、戸田先生は池田先生を自宅に呼んで、一対一の授業を開始します。個人教授は日曜日に行われ、やがて市ケ谷にあった会社の始業前にも開かれるようになります。
恩師は御書を根幹に、政治、経済、法律、歴史、化学、物理学など、万般の学問を講義します。戸田先生は、この個人教授だけではなく、日常のあらゆる機会を通して、池田先生を薫陶します。
戸田先生はよく、池田先生に「今、何の本を読んでいるか」と聞かれました。
50年10月2日の夜、電車の中で、ルソーの小説『エミール』が話題になります。池田先生が、かいつまんで感想を述べると、戸田先生は笑みを浮かべ、「大作とは何でも話せるな!」と語られました。
池田先生は、戸田大学で学んだことを最大の誇りとされています。アメリカの青年に、「戸田大学は世界一の、最高の大学であると確信しています。私は、その戸田大学の優等生として、それを世界に証明する義務がある」と、戸田大学を通して師弟の精神を訴えられました。
世界の大学・学術機関から池田先生に贈られた名誉学術称号は400を超えています。人類史に輝く英知の偉業の源流は、この戸田大学にあります。
◆山下 池田先生の入信75周年を迎えた先月24日、先生は全国・全世界の同志に3首の和歌を贈ってくださいました。
◇原田 その中の1首で、入信75周年を迎えられた心境について、こう詠まれています。
師に捧ぐ
七十五歳の
入信日
閻浮に妙法
轟く誉れは
戸田先生は、亡くなる前月の58年(同33年)3月、「君の本当の舞台は世界だよ。世界は広いぞ」「人類の幸福と平和の実現こそ、仏法の本義なんだからな」と、愛弟子に世界広布の構想を託されます。一人立たれた池田先生の激闘によって、世界広布の大願は成就されました。
先生の75周年の入信記念日から、「青年・飛躍の年」の総仕上げへと前進する青年部が、師匠に連なりゆく実践とは何なのか。それは、「拡大」にほかなりません。小説『新・人間革命』の中では、次のように何度もつづられています。
"出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ"(第3巻「月氏」の章、第8巻「宝剣」の章、第29巻「源流」の章)
インドの青年部は、「アイ アム シンイチ・ヤマモト!(私は山本伸一だ!)」、「アイ アム ザット ワン ディサイプル!(私がその一人の弟子だ!)」との合言葉で、目覚ましい拡大のドラマをつづっています。
広宣流布大誓堂完成10周年の明2023年11月へ向け、学会は新たに出発しました。少子高齢化をはじめ、社会にはさまざまな課題が山積しています。だからこそ、青年部の一人一人が、"新時代の山本伸一"との自覚で、広布拡大の突破口を開き、見事な後継の証しを示していこうではありませんか。