◇今週のことば
「年はわこうなり、
福はかさなり候べし」
最極の多宝の父母に
感謝と敬意を込めて
和楽充実の座談会を!
(新1543・全1135)
2022年9月19日
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。
名字の言 青年に弘教を実らせた多宝の友 2022年9月19日
ゲーテは"人類の至宝"ともいえる数々の作品を生み出す一方、愛する妻子に先立たれる苦悩の人生を送った。悲哀の渦中、大文豪は仕事に熱中することで苦悩を乗り越えたという。執筆という"使命の道"を強い決意で突き進み、自己を立て直した▼そうした不屈の人生の総仕上げとして、劇詩『ファウスト』を残した。20代で書き始め、書き終えたのは82歳の時。結末をわずかに加筆し、その後、程なく世を去った。まさに生涯を懸けた畢生の大著であった▼「人生は無常ですね」と語る多宝会の女性部員。広布の苦楽を共にした夫が亡くなり、1人暮らしに。ただ、彼女の日々は多忙だった。連日、同志と語らいの場を設け、教学の研さんにも励んだ。そんな中、30代の青年に弘教も実らせた▼仏法が説く「無常」は、センチメンタルや諦めといった弱い気持ちではない。"変化"を意味する。彼女は変化の連続である無常の人生で、信心根本に最高の価値を創造する年月を歩んだ▼御聖訓に「年はわこうなり、福はかさなり候べし」(新1543・全1135)とある。隠遁や引退などとは無縁にして、若々しく生き抜き、福徳輝く多宝の友を心から尊敬し、その姿勢に学びたい。きょうは「敬老の日」。
寸鉄 2022年9月19日
SGIは理想の人間社会築く存在—識者。我らは共生世紀の建設に邁進!
「法華経に名をたて身をまかせ給うべし」御聖訓。広布大道に生き抜く誉れ(新1791・全1360)
人生に関する問題は対話でなくては通じぬ—牧口先生。真剣勝負で励まし
猛烈な台風の影響続く。最新情報注視し避難は早め早めに。絶対無事故で
世代を超えた交流は脳を活性化—研究。学会活動は皆が主役。生き生きと
〈社説〉 2022・9・19 きょうは「敬老の日」
◇時代を築いた先達に感謝
きょうは「敬老の日」。これを機に読書を楽しんでもらうため、公益社団法人「読書推進運動協議会」は24冊の本を紹介している。
その中の一冊に、プロデューサー・演出家の石井ふく子氏が著した『家族のようなあなたへ—』がある。国民的な脚本家となった、故・橋田壽賀子氏との60年に及ぶ二人三脚を振り返った内容だ。
初対面で「何を書きたいんですか?」と尋ねた石井氏に、橋田氏は「人を書きたい」と。テーマは「家族」で一致した。身近な人を描いたホームドラマに、人生の価値を見いだしたのかもしれない。以降、数々のヒット作を世に送り出していった。
本紙「幸齢社会」の欄にも登場した橋田氏は当時90歳。「老後」について問われ、「あるのは"今"の人生だけです。過去は変えられないのでくよくよ考えず、未来を先取りしてあれこれ心配もしない。『今日一日を悔いなく生きること』に集中します」と明言した。
それは創価の大先輩である多宝の友が"生涯青春"との情熱で、自他共の幸福のために駆け続ける尊い姿とも重なり合う。
"信心で幸せになってほしい"と願い、20年前に友を入会に導いた、80歳のある女性を取材した。
友は店を営んでいたが、3年ほど前に転んで脚を骨折し、休業。落ち込む友に「元気になる!って祈るんだよ」と寄り添い、本人の希望になればと、店の掃除もした女性。友は唱題に励み、リハビリで回復を目指すようになった。
女性は、「これからもお互いに『幸せだ』と言えるよう、生命の変革を後押ししたい」と語る。
仏法は、万人成仏の法である。あらゆる人の生命が尊い。相手の仏性を引き出そうと祈り、行動してきたのが信心の先輩方だ。
御書には「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(新1309・全986)とある。あまたの父母が、その一日一日を真剣に生き、師弟の共戦譜をつづってきたからこそ、広布の未曽有の伸展がある。
池田先生は、「人生も社会も、諸行無常である。しかし、生涯、誓いを胸に、同志と共に広宣流布に生き抜くなかに、生命の大法に立脚した常楽我浄の人生があるのだ」とつづっている。
誰もが今を生きる。その上で私たちは、今の時代を築いてくれた先達に感謝を忘れまい。
☆御書と未来へ 第37回 仏の大慈大悲に連なる実践
〈御文〉
『いのちと申す物は、一切の財の中に第一の財なり。「三千界に遍満するも、身命に直するもの有ることなし」ととかれて、三千大千世界にみてて候財も、いのちにはかえぬことに候なり。』〈白米一俵御書、新2052・全1596〉
〈通解〉
命というものは、一切の財の中で、第一の財である。「三千界に遍満するも、身命に直するもの有ることなし」と、経文に説かれているように、たとえ三千大千世界に満ちている財であっても、命には代えられない。
〈池田先生が贈る指針〉
最極の生命を守る創価の薬王菩薩が、わが誉れのドクター部だ。仏の大慈悲に連なり抜苦与楽に献身する方々に、深謝をささげたい。
我らには「更賜寿命」の妙法があり、負けじ魂の善友がいる。共に祈り、共に励まし、病魔を打ち破って、全宇宙の財宝に勝る「いのち」を、一日一日、丁寧に輝かせ切っていこう!
☆大慈悲の心音 門下への便り 第7回 四条金吾�
あす9月12日は、日蓮大聖人が竜の口の法難で、「発迹顕本」を遂げられた日です。この日は、四条金吾にとっても、師弟の絆を確固不動のものとする重大な"一日"となりました。
文永8年(1271年)9月12日の夕刻、平左衛門尉頼綱が武装した兵を率いて松葉ケ谷の草庵を襲撃。大聖人をまるで謀反人のように捕縛しました。背後には、大聖人との祈雨の勝負に敗れ、憎悪を募らせた極楽寺良観らの謀略と讒言がありました。
夜半、大聖人は馬に乗せられ、鎌倉の郊外へと連行されます。闇に紛れて斬首してしまおうと企んだのでした。途中、急報を受け、裸足で駆け付けてきた金吾に、大聖人は悠然と仰せになりました。
「今夜、頸を斬られに行く。この数年の間、願ってきたことは、これである」(新1231・全913、通解)
金吾は、馬の口に取り付き、殉死の覚悟で大聖人にお供しました。そして、竜の口の刑場で、武士が大聖人を処刑せんと身構えた、まさにその時——。月のような「光り物」が江ノ島の方向から現れ、兵士たちは恐れおののき、処刑は失敗に終わったのです。
この法難で、大聖人は凡夫という仮の姿(迹)を開き、凡夫の身のままで、慈悲と智慧に満ちた本来の仏の境地(本地)を顕されました。金吾は、即身成仏を身をもって示された師匠のお姿を命に刻み、生涯、師弟不二の道を歩み抜こうと誓ったに違いありません。
◇"覚悟の信心"で不二の道を
『さてもさても、去ぬる十二日の難のとき、貴辺たつのくちまでつれさせ給い、しかのみならず、「腹を切らん」と仰せられしことこそ、不思議とも申すばかりなけれ。』(四条金吾殿御消息、新1516・全1113)
◇通解
それにつけても、去る12日の難の時、あなたは竜の口の刑場まで連れそってくださり、そればかりではなく、「腹を切ろう」と言われたことは、不思議といおうか、とても言い表せないほどである。
法難から、わずか9日後に四条金吾に送られた御書の一節です。
師匠の一大事に、共に殉じようとした金吾との師弟の縁の深さを、「とても言い表すことはできない」とまで言われています。
竜の口で、大聖人がまさに斬首されようとした時、金吾は、「只今なり(今が最期でございます)」と、こらえきれずに嗚咽しました。これを見られた大聖人は、厳然と金吾を叱咤されます。
「なんという不覚の人か。これほどの喜びを笑いなさい。どうして約束を破ることができようか」(新1231・全913、通解)
命を奪われようとする絶体絶命の危機においても、微動だにしない師子王の大いなる境涯。"経文通りの正しい実践を貫いている"との大確信と、"断固として障魔に打ち勝ち、万人成仏の道を開く"との気迫に、圧倒されます。
池田先生はつづっています。
「(竜の口の法難における大聖人の振る舞いは)一個の人間がいかに偉大であるかを、弟子に示された『師弟の儀式』でもあったと、私には思われてなりません。師匠の命懸けの大法戦を最も信頼する弟子の心に刻み付け、未来永劫に繋げようとされたのではないかと拝されます」
"覚悟の信心"こそ、師弟不二の道を決定づける——御本仏に連なる私たちも、金吾のごとき不屈の信仰で、人間革命の大ドラマを演じていきましょう。
◇共に戦った同志を忘れない
『返す返す今に忘れぬことは、頸切られんとせし時、殿はともして馬の口に付いてなきかなしみ給いしをば、いかなる世にか忘れなん。たとい殿の罪ふかくして地獄に入り給わば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらえさせ給うとも、用いまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。』(崇峻天皇御書、新1595・全1173)
◇通解
なんといっても今でも忘れられないことは、私が頸を切られようとした時、あなたがお供をしてくださり、馬の口にとりついて泣き悲しまれたことです。このことは、どのような世になっても忘れることはできません。
もし、あなたの罪が深くて地獄に入ってしまわれるようなことがあれば、この日蓮に対して釈迦仏が「仏になりなさい」と、どれほど導こうとされようとも、私は従うことはありません。あなたと同じく地獄へ入るでしょう。
四条金吾は後年、信仰を理由に、主君からの所領没収の危機などに直面します。この「崇峻天皇御書」を頂いた当時、状況は好転し始めていたとはいえ、いまだ厳しいものがありました。
苦境と戦う金吾が拝した慈愛の言葉。師の真心に、熱いものが込み上げたに違いありません。金吾は原点に立ち返り、どこまでも信心根本、師の御指導を根本に、人生の艱難を乗り越えていきました。
その後も大聖人は、竜の口での金吾の振る舞いを幾度もたたえておられます。"あの時のことを決して忘れません""諸天に守られ、成仏することは間違いない"と。
池田先生は本抄を拝し、語っています。
「人を見くだすような"権威"のかけらもない。あるのは、真心には真心で、真剣には真剣で応えようという最高の人間性であられる。仏法は、人間性の真髄と完全に一致するのである」
共に戦った同志を、永遠に忘れない。永遠に守り抜く。これが師匠の心です。