2022年9月17日土曜日

2022.09.17 わが友に贈る

身近な友と心を通わせ
友好の絆を結ぶことが
平和を築く第一歩だ。
今いる場所から
幸の連帯を広げよう!

四条金吾釈迦仏供養事 P1146
『日蓮をば日本国の人あだむ是はひとへにさがみどの(相模殿)のあだませ給うにて候ゆへなき御政りごとなれどもいまだ此の事にあはざりし時よりかかる事あるべしと知りしかば今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずとをもい候へば、此の心のいのりとなりて候やらんそこばくのなんをのがれて候、いまは事なきやうになりて候』

【通解】
日蓮を日本国の人々が憎んでいる。これはひとえに相模守殿が日蓮を憎まれていたからである。道理にかなわない政道であるが、いまだこのようなことにあわぬときから、こういうことがあるだろうと知っていたから、今更、どんなことがあっても人を恨むような心は全くないと思っていたので、この心が祈りとなったのであろうか。数々の難をのがれてきた。そして今は、何事もないようになった。

名字の言 「鍛えがあるからおいしい米ができる」 2022年9月17日
実りの秋、店頭に今年も新米が並び始めた。以前、水稲栽培の農家が「苗踏み」をする光景を見た▼重いローラーに踏み付けられて苗が折れ曲がる様子は痛々しい気もしたが、この刺激が生育を促進させ、根張りが良くなり、倒れにくい丈夫な稲に育つのだという。「鍛えがあるからおいしい米ができる。人生に通じますよね」と農業従事者がしみじみと語っていた▼確かに、苦難の山坂を越えた人の歩みは味わい深い。そもそも順風満帆なだけの人生などありえない。加えて、混迷を極める昨今の世相。仕事の苦境、人間関係の軋轢、思いもしなかった災害や病気……。"なぜ自分が"と壁にぶつかっている人もいるかもしれない。しかし、意味のない試練などない▼仏法は「願兼於業」の法理を説く。菩薩は、願って宿業を背負いながら悪世に生まれ、それを乗り越える姿で人々を励まし救っていくとの意。直面する悩みを"業"と捉えるだけでは価値を生み出せない。"人間革命の勝利劇を演じるために、自ら誓願した試練なんだ"と捉えて真剣に祈り、行動に打って出る。その時、宿命は必ず使命に変わる▼何があろうと屈せず、希望を持って前へ。その姿勢を貫く人生に豊かな「実りの季節」はやってくる。

寸鉄 2022年9月17日
正義の師子王・男子部がスタートダッシュ!鮮烈なる広布拡大の万波を!
鳥取・島根の日。地域の繁栄は一念の変革から。励まし対話広げ希望の前進
蓮祖の弟子となる功徳は「はかり尽くし給うべからず」御書。宿縁は三世に(新1790・全1359)
"秋バテ"注意。バランス良い食事・運動・睡眠が健康の源。聡明なリズムで
高齢者狙う詐欺は孤独や健康の不安に巧みに付け入ると。声掛け幾重にも

☆御書と未来へ 第36回 平和を築く師子吼を共々に
〈御文〉
『元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり。「疑いなきを信と曰う」の釈、これを思うべし云々。』〈御義口伝、新1047・全751〉

〈通解〉
元品の無明という生命の根源的迷いを対治する利剣は「信」の一字なのである。「無疑曰信(疑い無きを信と曰う)」(『法華文句』)という釈を、よくよく思うべきである。

〈池田先生が贈る指針〉
人類の生存の権利を守り抜け——恩師の宣言から65年。生命尊厳の哲理の連帯は地球規模に広がった。師弟の挑戦は続く。妙法の師子吼で「元品の無明」という魔性を打ち破っていくのだ。
万人に具わる仏性を信じ抜き、一対一の確信の対話で呼び覚ます。地道なれども、ここにこそ根源的な平和への希望がある。

☆明日を照らす テーマ:真の追善回向
◇御義口伝
『今、日蓮等の類い、聖霊を訪う時、法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ。回向の文、これより事起こるなり。』(新991・全712)

◇生命を輝かせる
【通解】今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる。回向の文は、このことから事起こるのである。

私たちが唱える題目には、今世だけでなく、三世にわたって、一切衆生を救っていく大功力があります。
掲げた御文は、法華経の序品で、釈尊が法を説こうとした時、眉間にある白毫から放たれた光が、下は阿鼻地獄まで世界をくまなく照らしたと説かれている箇所に関する御義口伝です。
妙法の功力に、一切の差別はありません。たとえ悲しい別れであったとしても、題目の光の届かないところはないのです。
広布の途上で亡くなられた親族や同志、また友人の三世永遠にわたる福徳と安穏を祈念し、「題目の光」を放っていけば、生死を超え、縁する全ての人の生命を照らし、晴らすことができるのです。自他共に幸福の軌道に入っていけるのです。
池田先生は、「『題目の光』こそ、あらゆる人の生命を輝かせ、三世永遠に救いきっていく根源の『福光』である。私たちが真心込めて送る追善回向の題目は、いかなる悲嘆の闇も打ち破り、亡くなられた方々を、必ずや赫々たる光で黄金に照らしゆくに違いない」と語っています。
大切なことは、自らの生命を最大に輝かせ、故人をも照らしていくことです。
広布の誓願に生き抜く人の生命は、まばゆい輝きを放っています。そこには、悲嘆も悲哀もありません。あるのは希望と勇気です。
誓願の題目を朗々と唱えながら、三世にわたる幸福の軌道を、久遠の同志と共に晴れやかに進んでいきましょう。

◇法蓮抄
『一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放って大地をつきとおし(中略)いかなる処にも過去聖霊のおわすらん処まで尋ね行き給いて、彼の聖霊に語り給うらん。』(新1426・全1050)

◇題目の力は絶大
【通解】(法蓮法師が、亡き父のために毎朝、読誦してきた自我偈の)一つ一つの文字は変じて太陽となり、太陽は変じて釈迦如来となり、大光明を放って大地を突き通し、(三悪道や無間地獄を照らし、また東西南北を照らし、上方に向かっては非想非非想処〈天界の最上部〉へも昇り)いかなる所であっても過去聖霊のいらっしゃる所まで訪ねて行かれて、かの聖霊に語られるでしょう。

本抄は、法蓮(曽谷教信)が、父の十三回忌の追善法要に当たり、御供養をお届けしたことへの御返事です。
法蓮は、毎朝、亡き父のために法華経の自我偈を唱えていました。日蓮大聖人は、その孝養の真心をたたえられています。私たちにとっても、日々の勤行・唱題に勝る追善はありません。
あなたが毎朝、唱えてきた自我偈は、一文字一文字がすべて仏となって、父がどのような境涯にあろうとも、間違いなく、そのもとを訪れて、"私は、あなたの息子が毎朝、読誦している自我偈の文字である。あなたの目となり、耳となり、手となり、足となろう"と語りかけている——大聖人は続く御文でこう述べられ、父の成仏は間違いないことを教えられています。
池田先生は、「自我偈は『金色の文字』であり、一つ一つの文字が太陽となり、仏となり、大光明を放って、全宇宙を照らす。題目の大光明は言うまでもない。亡くなった家族とも、いわば"無線"のように生命が通じていく。ここに大聖人の仏法の偉大さがある。題目の力は絶大である」と語っています。
広宣流布に励む人の祈りは必ず、大切な人に伝わります。
朝夕の勤行で、故人と心を通わせ、誓いを新たにしていきましょう。