2022年9月30日金曜日

2022.09.30 わが友に贈る

「陰徳あれば陽報あり」
誰が見ていなくとも
自ら進んで広布に尽くす。
その清らかな心に
大いなる功徳が燦然と!
(新1613・全1178)

四条金吾殿御返事 P1186
『神の護ると申すも人の心つよきによるとみえて候、法華経はよきつるぎなれどもつかう人によりて物をきり候か』

【通解】
神の守護といっても、人の心が強いことによるということである。法華経はよい剣であるが、その切れ味は使う人によるのである。

【先生の指導から】
強い信心で、正義の言論の宝剣で、痛烈に邪悪を叩き斬ることだ。勇気凛々と勝ち進んでいくことだ。これが、弟子一同に対する大聖人の厳命であるからだ。

名字の言 自分が変われば人は育つ——島根のある支部長の奮闘 2022年9月30日
世界の人口は2100年に約109億人に膨らみ、その後は減少に転じる可能性があるという。国連の「世界人口推計」(2019年)が調査結果を報告している▼作家・河合雅司氏は、少子高齢化で先行する日本の経験が「各国にとってまさに21世紀以降の世界を歩いていくためのガイドブック、羅針盤の役割を果たす」と指摘する(『世界100年カレンダー』朝日新聞出版)。少子高齢化が進む地域で、学会活動に励む友の苦闘も、広布の羅針盤となろう▼島根のある支部長が指針としているのは、小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章の一節。「これからは、鳥取や島根など山陰の時代です。ここに、広宣流布の新しいモデルをつくることができれば、日本は変わります」との山本伸一の言葉だ▼かつては人の少なさを嘆くことも。だが、"自分が変われば人は育つ"と訪問・激励を開始。活動に消極的な壮年と、一対一で教学の研さんを重ねた。別の壮年とは3年間、一緒に勤行を続けた。2人の壮年は今、地区部長として活躍。支部では11月の教学部任用試験に挑む男子部員もいる▼自分が責任を担う——その一念に呼応して人材は必ず誕生する。支部長の戦いに、不変の広布の方程式を教わった。

寸鉄 2022年9月30日
SGIには青年の成長の場がある—博士。善友と錬磨しゆく青春の"道場"
きわめてまけじだましいの人—御書。不退の挑戦こそ法華経の行者の誉れ(新1309・全986)
人に与える喜びは自分に返ってくる—哲人。自他共の幸福道を今日も一歩
交通事故死ゼロを目指す日。他者への配慮を忘れず。多忙な時ほど心して
社会課題に関心を寄せる学生が増加と。自らの手で希望を創る気概頼もし

〈社説〉 2022.9.30 あす「学術部の日」50周年
◇民衆に尽くす正義の言論を
新型コロナウイルスが世界に広がり始めたのは、2019年12月。間もなく満3年となる。社会に閉塞感が漂う中にあって、一人一人が"広布に生きる仏法者として、自分には何ができるのか"と考えた期間ではなかったか。
本紙の連載企画「危機の時代を生きる——創価学会学術部編」も、細菌感染症を専門とする一人の学術部員の熱意から始まった。
「今こそ、正しい情報を踏まえながら、人々に希望を送るのが、私たちの使命だと思うのです」
そして20年に学術部編が開始。過去の感染症パンデミック(世界的大流行)の中で宗教が果たした役割や、日蓮大聖人は疫病等の災厄とどう向き合われたのかなど、多様なテーマを取り上げてきた。
学術部員の本業である研究は、一面では時間との戦いだ。競争の激しい分野では、世界中で同じ研究が進む中、一番に成果を発表できるかで評価が分かれる。そんな中でも、メンバーは共生の未来のためにと勇んで筆を執ってきた。
20回目に登場した友は、岩手で圏男子部長などを務めた広布のリーダー。5年前に大学教授の職に就き、現在は地区部長として汗を流す。「確かに多忙ですが、その中で学会活動に挑戦するから、社会でも負けられないとの思いが強まります。何より、活動をすると新しい発想が生まれ、それが自身の勝利にもつながってきました」
あす10月1日は「学術部の日」。淵源は、1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上で開始された、池田先生と学究の友とのてい談「生命論」である(後に『生命を語る』として出版)。
てい談では、当時の研究成果を踏まえ、十界論などの仏法の生命論が、いかに生命の本質を捉えているかが語り合われた。その中で先生が強調したのは、仏法の実践が現実に人間の内なる生命を変え、人類を平和へと導く力となるという点であった。
「部の日」50周年となる本年、先生は「大白蓮華」10月号で、改めてその重要性をつづっている。
「どこまでも実践に即して、自他共の境涯革命、さらには社会変革の指標としてきたのが、学会の生命論の真髄なのです」と。
民衆に尽くす——この実践の中で仏法の正義を証明し、それぞれの分野で勝利の実証を示す学術部員。この「正義・勝利の連帯」のますますの活躍に期待したい。

☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 美容師 谷口純子
◇母から継いだ使命のサロン
【プロフィル】たにぐち・じゅんこ 鳥取県米子市で「すがわら美容室」を営む。1961年(昭和36年)入会。分県副女性部長。華峯会(美容関係に携わる女性部のグループ)鳥取総県委員長。

◇今いる場所を幸福の園に
松の緑と白浜の景観が美しい、鳥取県・弓ケ浜半島。日本海に沿って、きれいな弧を描く海岸の近くに、私のサロンはあります。
44年前、実家の1階を改装して、母が始めた2席だけの店。お客さまの多くは常連で、開店当初から通ってくださる方もいて、家族のような間柄です。採れたての野菜を頂くことも。子どもの頃から通ってくださっている方に、結婚式のスピーチを頼まれたこともありました。
コロナ禍で、一人ずつ接客するようになり、以前よりもじっくり話すことが増えました。子どもの将来、親の介護——話は尽きません。施術が終わると、「よう、しゃべったわー」と、笑い声が店を包みます。こうした温かな交流に、幸せをかみ締める日々です。
日蓮大聖人は、「今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所は、山谷曠野、皆、寂光土なり。これを『道場』と云うなり」(新1086・全781)と仰せです。
信心をたもち、実践する人が今いる場所こそ、最高の「道場」であると教えられています。生活している社会を離れて、どこか他に寂光土、つまり理想郷を求めるのではない、との意です。
私にとって、このサロンが"幸福の園"です。そう思えるようになるなんて、美容師を始めた頃は想像もつきませんでした。

◇人間革命の道場
将来の目的が見つからず、無気力だった高校3年の頃、母の勧めもあって美容専門学校に進学。卒業後は化粧品販売の仕事に就きましたが、やる気が起きずに1年で退職してしまいました。
その頃、母が病を患ったこともあり、サロンを手伝うことに。母は、よく語っていました。「人をきれいにして喜んでもらえるなんて、素晴らしい仕事だよ」と。
けれども、勤務時間は長く、土日は休めない。薬剤で手は荒れる——ここでも仕事にやりがいを見いだせず、恵まれた条件の他の仕事をうらやんでばかりでした。
転機は22歳の時。友人から悩みを打ち明けられました。当時、学会活動を避けていた私でしたが、友人の支えになりたくて、一緒に勤行・唱題を実践するように。友人は悩みを乗り越え、前向きになり、翌年、入会することができました。
"友人のために、私も信心を学ぼう"と、責任感が芽生えました。華冠グループ(美容関係に携わる女子部〈当時〉の集い)の会合に参加。皆、必ずしも華々しく働いているわけではありません。
華冠グループで、「技術を磨くことが、自分自身を磨くことだ」との池田先生の指針を教わり、ハッとしました。"私も変われるかもしれない"——ひとたび決めた美容師の道に、私も全力を尽くしてみようと気持ちが改まりました。
朝晩、仕事のことを真剣に祈り、技術の向上に努めました。そのうち、お客さまへ感謝の気持ちを抱けるようになり、接客態度が柔らかくなりました。このサロンが、"人間革命の道場"なんだ!——幸福の園を築くカギは、妙法による自身の一念の変革にあることを確信しました。

◇介護を通して
2010年(平成22年)、一家に試練が訪れます。同居する義父が重度のアルツハイマー型認知症に。徘徊や排せつのトラブルが相次ぎ、暴言や暴力までも……。
まるで、"出口のないトンネル"の中。かつての自分だったら、反発して逃げ出していたかもしれません。しかし、今いる場所で幸福の実証を示すための信心です。一歩も引きたくはありませんでした。
それでも、つらい気持ちを学会の先輩に吐き出すと、"お義父さんの仏性を信じ抜こうね"と励まされました。
大聖人の仏法では、誰もが無限の可能性を発揮できる、仏の生命(仏性)をもつと説きます。そして、あらゆる人に具わる尊厳を敬う大切さを教えています。
4人の子どもたちにも、仏法の生命観を伝え、義父への向き合い方を確かめ合いました。変わりゆく義父の姿に、子どもたちも心を痛めていたからです。
当時、中学3年の長男が、義父の介護をテーマに作文を書きました。作文では、「祖父の心の奥底にある"人間としての尊厳"を尊敬していこう」との夫の言葉を引用。"アルツハイマーの介護は楽しい、と思えるコツを祖父から学べれば"と、結ばれていました。私たち夫婦の思いが届き、一緒に希望を見いだそうとしてくれたことが何よりの喜びでした。
5年間の介護の末、義父は周囲に感謝の思いを告げて霊山へ。大変でしたが、義父のおかげで、家族で信心を深められたことに幸せを感じています。
5年前から、母に認知症の症状が現れました。それでも、母がサロンに一歩足を踏み入れると、パッと仕事人の母に変わります。「純ちゃん、題目しかないよ!」と、信心の確信は健在です。
"母はこの場所で、使命の仕事に懸けてきたんだな"と感慨深くなります。母の人生の総仕上げを、この幸福の園であるサロンで支えていきます。

◇[視点]変毒為薬
谷口さんは、義父をみとった後、義母のくも膜下出血や、自身と両親のがんとも闘い、信心根本に乗り越えました。
仏法は「変毒為薬」の法理を説きます。これは、毒として働く材料を調合して、病を治す薬として使うことを意味します。万人成仏を説く法華経の偉大さと、苦しみに支配された生命(毒)を仏の生命(薬)へと転じていける、妙法の功力を表しています。
日蓮大聖人は「わざわいも転じて幸いとなるべし」(新1633・全1124)と仰せです。人生の途上に起こるどんな苦難も、信心根本の人は、幸福境涯を築く因に転換し、必ず変毒為薬していける——この希望の哲理が、大聖人の仏法なのです。

2022年9月29日木曜日

【重要】えきねっとアカウントの自動退会処理について

 

 

日頃より「えきねっと」をご利用いただきありがとうございます。 

minnielove.love@blogger.com

「えきねっと」は2022年2月1日(日)にサービスをリニューアルいたしました。これに伴い、「えきねっと」利用規約・会員規約を
変更し、最後にログインをした日より起算して2年以上「えきねっと」のご利用(ログイン)が確認できない「えきねっと」アカウン
トは、自動的に退会処理させていただくことといたしました。なお、対象アカウントの自動退会処理を、本規約に基づき、2022年2
月24日(月)より順次、実施させていただきます。

2年以上ログインしていないお客さまで、今後も「えきねっと」をご利用いただける場合は、2022年9月30日よりも前に、一度ログ
イン操作をお願いいたします。

→ログインはこちら

※えきねっとトップページ右上のログインボタンよりログインしてください。

なお、アカウントが退会処理された場合も、新たにアカウント登録(無料登録)していただくことですぐに「えきねっと」をご利用い
ただくことができますので、今後もご愛顧いただけますようよろしくお願いいたします。



お知らせ:

  • パスワードは誰にも教えないでください。
  • 個人情報と関係がなく、推測しにくいパスワードを作成してください。大文字と小文字、数字、および記号を必ず使用してください。
  • オンラインアカウントごとに、異なるパスワードを使用してください。


どうぞよろしくお願いいたします。
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2022.09.29 わが友に贈る

草の根の対話こそ
共生社会を築く道なり。
さあ足元から
大誠実の人間外交を!
強固な民衆の連帯を!

曾谷殿御返事 P1055
『夫れ法華経第一方便品に云く「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云、釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云い智水測り難き故に無量と云う」と』

【通解】
法華経第一方便品第二に「諸仏の智慧は甚深無量である」と説かれている。天台大師の釈には「境の淵が無辺であるので甚深といい智慧の水が測り難いので無量という」とある。

名字の言 「ありがとう」を言うたびに、あなたの心は光ってくる 2022年9月29日
「私が地区女性部長になったことを、先輩が自分のことのように喜んでくれて」。先輩とは、この女性に創価学会の信仰を教えた紹介者。居住地が少し離れているので20年ぶりの再会だった。彼女は伝えた。「先輩がいたから今の私があります。ありがとうございます」▼今月いっぱいで本紙の配達担当を終える壮年。読者宅のポストに新聞を入れる際、「購読してくださり、ありがとうございます」と頭を下げる。読者がいるから配達できる——このことに気が付くのに随分、時間がかかったという▼2人に共通するのは「感謝の心」。自分が、どれだけ多くの人に支えられて生きているか。この自覚が乏しいと、どうしても自分中心となり、相手よりも自分を上に置いてしまう。これでは感謝の心は生まれない▼池田先生は綴る。「『ありがとう』の中には相手への敬意がある。謙虚さがある。人生に対する大いなる肯定がある。前向きの楽観主義がある。強さがある。『ありがとう』と素直に言える心は健康である。だから『ありがとう』を言うたびに、あなたの心は光ってくる」▼当たり前を当たり前と思わず、常に感謝できる人でありたい。本紙を支えてくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます!

寸鉄 2022年9月29日
日中国交正常化50周年。苦難越え先人が咲かせた友誼と信頼の花を万代へ
任用試験、申込締切迫る。仏法は最極の"幸福学"。教える側も共に学び成長
埼玉青年部の日。鉄桶の団結光る広布の人材城。師弟常勝の魂燃やし拡大
信心の力で生活の全てが改善できる—牧口先生。日々、価値創造の挑戦!
変異株対応接種が各地で開始。従来型より重症化予防に効果と。賢く判断

〈社説〉 2022・9・29 きょう日中国交正常化50周年
◇友好の金の橋を未来へつなぐ
1972年9月29日に日中共同声明が調印され、国交が正常化してから、きょうで50周年を迎えた。
この間、両国の政治的関係は、さまざまな変遷をたどり、この数年はコロナ禍の影響もあり、懸案事項に関する対話も思うように進まないままだ。こうした状況の中、今年は文化交流展など、民間レベルの催しが活発に行われている。
政治的な枠組みだけではなく、民衆同士が手を携えられる道をつくる——。池田先生はその信念で、日中友好を築く青年の育成に力を注いできた。西側諸国と中国の溝が深まっていた68年9月、学生部総会で、「日中国交正常化提言」を発表。75年には、国交正常化後初の国費留学生を創価大学に受け入れた。青年らを伴った訪中は10度におよび、創大の教育交流や、民音、東京富士美術館を通じての文化交流が行われてきた。
東日本国際大学客員教授でジャーナリストの西園寺一晃氏が、74年6月、初訪中の途にあった池田先生と懇談した時の模様を自著『「周恩来と池田大作」の一期一会』(潮出版社)に記している。
氏は「日中友好の最大のテーマは?」と質問。未締結だった「日中平和友好条約」を挙げるだろうと予想した。しかし、先生は「いまいちばん大事なのは青年交流です。日中友好は百年の計です。若い人たちが交流し、理解し合っていかなければ、真の友好は築けません」と答えた。氏は驚きを隠せなかったという。
こうした池田先生の思いを受け、学会青年部は30年以上、中華全国青年連合会(全青連)と交流を続けている。昨年も、コロナ禍の中、詩を朗読する動画を両国の青年に募集して鑑賞し合ったほか、オンラインで交流会を行った。
顔の見える交流こそ真に心通うものとなる。意義深き50周年の節目は「私たちにできることは何か」と考える好機ともいえよう。
身近にも友好を深める一歩はあろう。かつて中国人のクラスメートがいたという首都圏の高等部員たち。その友人のことを「誰よりも一生懸命勉強に取り組んでいて、一人の人間として尊敬しています」「とてもオープンな性格で話しやすかった」と語っていた。
日中友好の「金の橋」を未来へつなぐ——。"井戸を掘った人"の思いを継ぎ、交流を深める中でこそ、風雨を越えて不滅の輝きを放つことを忘れまい。

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:信心に巡り合えた喜び
企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験を紹介するとともに、池田先生の指導を掲載する。今回は「信心に巡り合えた喜び」がテーマ。愛知県の壮年に話を聞いた。

◇御文
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。』(四条金吾殿御返事、新1623・全1192)

◇通解
どのような兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。法華経薬王品第23に「諸余の怨敵は、皆悉摧滅せり」と説かれる金言は決して空しいはずがない。

◇広布の組織から離れない 結婚を機に入会。続く試練の嵐
1991年(平成3年)、岩田公人さん(58)=愛知・三河創価県長=は、学会2世の妻・美紀さん(51)=圏副女性部長=との結婚を機に、創価学会へ入会した。とはいえ、岩田さんは当時を振り返り、「妻から話を聞いて、"やってみるか"くらいの気持ちで」と笑う。
      ◇
転機は、岩田さんの父親が末期がんであると判明したこと。
地域の同志が、まるで自分のことのように、毎日、父親の回復を祈り続けてくれた。入院中の父親を夫婦で見舞い、夜遅く帰宅すると、近所の同志が「作りすぎたから食べて」と、手料理を持ってきてくれた。
"赤の他人に、ここまで尽くしてくれるなんて"。岩田さんは、同志の真心に応えるように、自ら御本尊に向かった。やがて、父親は岩田さん夫婦らに見守られる中、安らかに息を引き取った。
その後、夫婦で力を合わせて、感謝の学会活動に励んだ。なかなか子宝に恵まれずに悩んでいたが、岩田さんが5世帯目の弘教を実らせた時、美紀さんが妊娠。ところが、喜んだのもつかの間、流産してしまう。
悲嘆の中、学会の先輩に相談すると、「何があっても信心を貫くこと」と励まされ、負けじ魂を奮い立たせた。
翌年、9世帯目の折伏が成就した時、待望の第1子を授かることができた。その4年後には次男も誕生。「この信心はすごい!」。岩田さんは、御本尊を疑わない不動の一念を固めた。
しかし、試練の荒波は容赦なかった。
2002年、美紀さんの父親が不慮の事故で急逝。同じ頃、美紀さんの母親に認知症の症状が出始めた。家族の心に重くのしかかる現実。
さらにその後、思春期を迎えた子どもとの関係で、夫婦は大きな壁に直面した。
当時、岩田さんは圏長。「夫婦で前に進めば進むほど、"これでもか"と難が押し寄せ、行く手を阻む。次第に妻は心をすり減らして、眠れなくなり、食事も取れなくなって、御本尊に向かえない日も続いたんです。医師からは『不安障害』と言われました」
実は岩田さん自身、職場で人間関係のあつれきに悩んでいた。数百人の部下を抱える重責から逃れるわけにはいかない。歯を食いしばった。美紀さんの代わりに家事の大半を担いながら、仕事に打ち込み、必死で信心に食らいつく毎日。
「毎朝4時に起きて"今日も一日、勝つぞ"と気合を込めて祈る。それから子どもたちの弁当を用意し、出勤する。"ここで倒れてたまるか"という意地だけで、踏ん張りました」
苦境の渦中で拝したのが、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(新1623・全1192)の一節だった。
「小手先の策や方法に走るのではなく、全て御本尊に任せきる。信心に徹する。そうすれば、どんな苦難の壁も必ず打ち破っていけることを、日蓮大聖人は大確信で示されている。拝せば拝すほど、勇気が湧いてきたんです」
美紀さんは、どうだったか。
「当時は、真っ暗なトンネルの中にいるような苦しい日々でした。でも、その中で、夫は常に題目を唱え続けてくれた。"家族の分まで夫が祈ってくれている"。その安心感が、私の心を少しずつ、前に向けてくれたんだと思います」
やがて、薄紙を剥ぐように、美紀さんの体調は快方に向かう。子どもたちも、それぞれが使命の道を自ら選び取り、いつしか、一家の状況は好転していった。
さらに、岩田さん自身も、職場での悩みを乗り越えることができた。「『願兼於業』です。自ら願って背負った宿業です。だから、この信心で乗り越えられない苦難はないんです。私自身、苦しんだあの経験があったからこそ、今、同じことで悩む友に心から同苦できるようになれた。御本尊に感謝は尽きません。信心に巡り合えて本当に良かったです」
岩田さんはなぜ、信心を疑わずに貫けたのか。
「どんなことがあっても、学会組織から離れなかったからです」
師匠の慈愛の指導。温かな同志の励まし。大聖人直結の信心の血脈が流れ通う創価学会にいたからこそ、苦難に負けない力を出せたというのが、岩田さんの確信だ。これまで夫婦で実らせた弘教は、29世帯を数える。
「学会の先輩からは、祈り方を教えてもらいました。それは、『誓願の祈り』『感謝の祈り』『確信の祈り』です。この祈りを重ねて、私たち夫婦は困難を打開しました」と、岩田さんは力を込める。
美紀さんは現在、地区女性部長を兼任し、広布の最前線で同志の激励に奔走。また、介護職に就いて職場で信頼を広げるなど、苦悩の日々がうそのように、はつらつとしている。
美紀さんは笑顔で言葉を継ぐ。
「人生のどん底を見たので、何も怖いものはありません。"こうやれば乗り越えられる"という、信心の戦い方をつかみましたから。私たち夫婦の『法華経の兵法』です」
池田先生はつづっている。
「信心に生き抜く時、いかなる苦悩に直面しようと、『宿命』を『使命』に変えていける。そして我らには、ともに戦う同志がいる。励ましがあり、希望がある。
生き生きとした生命と生命の触れ合い——それが、どれほど、健康長寿の活力の源泉となっていることか。学会こそ、最極の『常楽我浄』の安全地帯なのである」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
祈っても、すぐに現状は変わらないかもしれない。しかし、祈り続けていけば、必ず一番いい方向へ、現実を動かすことができる。その確信を岩田さんは笑顔で語りながら、こう言い添えた。
「ただただ信仰を貫く。それだけです。人生、題目を唱えること以上の『大歓喜』はないですから」

◇[教学コンパス]
仏法には、「八万法蔵」と呼ばれる釈尊の膨大な教説が存在し、それぞれが、仏の偉大さなどを説いている。当然、数千年に及ぶ仏典伝承の過程を一概にまとめることはできないが、あえて大胆に、こう考察してみたい。
——紀元前に説かれた仏教思想は、その後の社会や時代の変容に応じながら、新たな苦悩に直面する人々をいかに救っていくのか、という「問い」に挑み続けた。やがて、時代に即して創出し続けた知恵が、多様な経典群に結実していった、と。
民衆を救済するという、不変の使命を果たすために、むしろ変化し続ける。「変わらない」ために「変わり続ける」ところに、仏法の慈悲と知恵の発露もあると言えまいか。
時代は今、大きな転換点を迎えている。感染症の世界的流行、激動するグローバル経済や社会の状況。未曽有の危機に直面する今こそ、私たち創価学会員は「変わること」を恐れず、広布拡大の新たな挑戦を開始したい。その先に、「力ある真の宗教とは何か」が鮮明に浮き上がるはずだ。

2022年9月28日水曜日

2022.09.28 わが友に贈る

近隣とのつながりが
安心・安全の土台だ。
日頃の挨拶を大切に
支え励まし合う
心の絆を強めよう!

松野殿御返事 P1388
『妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん』

【通解】
妙覚の山に走り登って、頂上から四方を御覧なさい。法界は寂光土であり、瑠璃を以って大地とし、黄金の繩で涅槃にいたる八つの道を境とし、天からは曼荼羅華等の四種類の花がふり、虚空に妙なる音楽が聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の四徳の風にそよめいている。我らも、必ずその仏・菩薩の数の内に列なるでしょう。

名字の言 戦後の沖縄復興に尽力した志喜屋孝信氏 2022年9月28日
戦後、沖縄民政府の初代知事を務めた志喜屋孝信氏は、教育者として名高い。故郷のうるま市にはその功績をたたえ、銅像が立つ。教師時代は"ライオン先生"と呼ばれ、厳愛の指導で生徒から慕われた▼教育向上のため私財を投じ、私立中学を開校するが、沖縄戦で焼失。軍事教練の場に立ち、教え子たちを戦場へ送ってしまう。深い悔恨を残し、その自責の念を戦後の復興の誓いにした。郷土の再建に尽力した後、沖縄初の大学の学長に就き、人材育成の礎を築いた▼紀元前3世紀、インド初の統一国家を築いたアショカ大王。かつて"暴君"と恐れられたが、戦乱の地獄図を見て、痛切な後悔の念にさいなまれた。大王は仏教に帰依し、「武力による政治」ではなく、「法による統治」を行った▼インド・ガンジー研究評議会のラダクリシュナン博士は、「最初は暴君と恐れられたアショカ大王でさえ、平和の指導者へと変わることができた。自己を変革することができた」と述べ、「誰もが自分を変えることができる——そうガンジーは見た」と▼人間は必ず変わることができる。変わろうとする一念から、新たな時代の扉も開かれる——史実は、そう教える。一人の人間革命には無限の力がある。

寸鉄 2022年9月28日
開かれた精神性が学会の最大の特色—イタリア博士。差異を超え心結ぶ対話、更に
苦労なくして真の指導者は育たない—戸田先生。青年よ次代担う力今こそ
今日という日は再び来ないと思え—詩人ダンテ。日々、勤行・唱題で新生の出発
小中学生の「摂食障害」が倍増—調査。早期発見が治療の鍵。変化見逃さず
大雨の"災害便乗"詐欺に注意。「無料点検」謳い不要工事行う。呉々も警戒

☆御書と未来へ 第38回 即身成仏の唱題行こそ真の回向
〈御文〉
『過去の慈父尊霊は、存生に南無妙法蓮華経と唱えしかば、即身成仏の人なり。石変じて玉と成るがごとし。孝養の至極と申し候なり。』〈内房女房御返事、新2033・全1423〉

〈通解〉
亡くなったお父様は、存命中に南無妙法蓮華経と唱えたのですから、即身成仏の人なのです。それはちょうど、石が変じて玉となるようなものです。これこそ、最高の親孝行というべきです。

〈池田先生が贈る指針〉
妙法の功力は永遠である。生前、題目を唱えた故人が即身成仏の境涯にあることは、絶対の約束だ。追善の唱題の光明は、信心していない家族にも厳然と届く。
妙法で結ばれた我らは常楽我浄の軌道を「生も歓喜、死も歓喜」と悠々と進みゆけるのだ。
幸の仏縁を広げ、「心の財」を積み、最上の孝養をすがすがしく!

☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第20回 病によりて
◇妙心尼御前御返事
『このやまいは仏の御はからいか。そのゆえは、浄名経・涅槃経には、病ある人仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候なり。』(新1963・全1480)

◇勇気の指標
病気になること自体、何ら恥ずかしいことでもないし、まして人生の敗北などでは断じてありません。しかし、「自分は信心しているのに、なぜ」と疑いがもたげたり、「こんな時に病気になって」と苦しんだりする人もいるかもしれません。
だからこそ、「このやまひは仏の御はからひか」と受け止める信心が肝要なのです。偉大な妙法を持つ人が宿命を打開できないはずがありません。
◆◇◆
「道心」とは仏道を求める心です。成仏への軌道に入るということです。妙法の題目を唱え、病気に負けず、立ち向かう中で、実は、一段と大きく仏の境涯を開いていける。より深く、強く、尊く人生を生きていくことができる。そして、「病」や「老」や、「生」と「死」の実相を、恐れなく明らかに見つめられる功徳を満々と得ていけるのです。
◆◇◆
仏法では、病気は生命に本然的に具わっているものと捉えます。
病に直面して、健康の大切さ、生命の尊さを実感していくのです。自身の人生と使命を一重深く見つめ直すことができるのです。
その上で、強盛な信心、不屈の祈りで病魔と闘い、自身の偉大な境涯を築いていく姿は、皆に勇気と希望を贈ります。「病」は、即「使命」です。

◇病魔と闘い偉大な境涯築く 磯部昌継 ドクター部長
池田先生は、ドクター部の友に対して、よく「負けじ魂の善医」と呼びかけてくださいます。
「負けじ魂」といえば、強盛な信心と、医術を通して日蓮大聖人をお守りした四条金吾です。
金吾のごとく、広宣流布の最前線で戦い、自らの生命を磨きながら、どこまでも学会の同志を守り、"生命の世紀"を開く"戦うドクター部"の陣列を築いてまいります。

幸福へのプロセス
コロナ禍が長期化する中で、今こそ「生命尊厳の英知」「福徳長寿の智慧」である日蓮仏法を、先生の講義を通して学び深めていきたいと思います。今回は「妙心尼御前御返事」を拝します。
私は歯科医師として大学病院の口腔外科で臨床に従事した後、現在は自身の歯科医院で診察を行っています。特に大学病院では、口腔がんと闘う多くの患者さんの治療に携わってきました。
どんな人も、生老病死の苦悩からは逃れることはできません。
思いがけず、病気が分かり、"なぜ私が""どうして大切な今この時に"と動揺することもあるかもしれません。
先生はこの御文を拝し、病は"忌み嫌う対象"ではないと述べられ、次のように教えてくださっています。
「むしろ、かけがえのない人生の一部、それも『一生成仏』、すなわち永遠の幸福への欠かせぬプロセスであると捉えるならば、今こそ強盛の信心を燃え上がらせる『まことの時』と確信することができるのではないでしょうか」

◇「妙とは蘇生の義」
私自身、自分や家族の病を通して、このことを強く実感しています。中でも、長女の闘病は、自分にとって大きな経験となっています。
長女が生後7カ月の時、事故で脳出血を起こし、緊急搬送。手術を受け、なんとか一命を取り留めましたが、左半身にまひが残りました。集中治療室での娘の痛々しい姿に、ショックを受けました。
数カ月して退院できましたが、手足のまひを回復させるためのリハビリが始まりました。自分の病気ならまだしも、小さな体で闘う娘の姿に胸をつかれました。当初、医師からは、"今後の発育に関してはどうなるか分からない"と言われていました。
「子どもが病気をとおして親に本当の信心を教えてくれようとしている。絶対に完治させてわが子を広布の人材に育てていこう」「必ず宿命転換していこう」——夫婦して御本尊に必死に祈る中で、語り合いました。
長女はリハビリに励み、徐々に手足が動くように。「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがえる義なり」(新541・全947)の御聖訓を胸に、娘の脳細胞の一つ一つに注ぎ込む思いで、真剣に祈りました。すると、年々、担当医も驚くほど、知能や運動能力が回復。まさに、蘇生の実証を目の当たりにする思いでした。現在、長女は、軽度の障害はありますが、それに負けることなく、私の歯科医院で歯科助手として勤務。また女性部では華陽リーダーとして奮闘しています。
この間、師匠と地域の同志の皆さまにどれほど支えていただいたことか。娘の姿を通して、信心の偉大さを教えていただいたと、感謝の毎日です。

◇価値創造の戦い
先生はさらに、「偉大な妙法を持つ人が宿命を打開できないはずがありません」と強調されています。
病気になった時、「必ず意味がある」と捉えるからこそ、新しい価値創造の戦いが始まります。また、そこに病魔に打ち勝つ鍵があると思います。
また先生は、9月号の「大白蓮華」の巻頭言の中で、仏法は最高の道理であるからこそ、基本の励行を改めて確認されました。具体的には、
・張りのある勤行と献身の行動
・無理と無駄のない生活
・教養のある食生活
・睡眠を十分にとること
・時を逃さない早めの検診や治療
そして、「広宣流布を遂行する、かけがえのない宝器たる我が身を守り抜いていくことだ」と呼びかけてくださっています。
自らの健康を守ることが、広宣流布につながっていく——この確信で、聡明で豊かな生活を心がけ、創立100周年へ、はつらつと前進していきましょう。

◇メモ
「妙心尼御前御返事」は、病の夫・高橋入道を見守り支える妙心尼に対して、厳愛の励ましを送られたお手紙。夫妻は、駿河国(静岡県中央部)の富士方面に住む門下で、高橋入道は、この時期、重い病だった。

2022年9月27日火曜日

2022.09.27 わが友に贈る�

☆危機の時代を生きる インタビュー ジャーナリスト 田原総一朗氏
◇「宗教のための人間」か 「人間のための宗教」か
ジャーナリストの田原総一朗氏が、長年の取材をもとに著した『創価学会』(毎日新聞出版)。その文庫版が7月に発刊された。高度成長の時代から創価学会に強い関心を持ち、取材を重ねてきた田原氏は、危機に直面する現代をどう見つめているのか。今、宗教が果たすべき役割についてインタビューした。

◇排除の壁
——気候変動、コロナ禍、ウクライナ危機と、人類的課題が相次いでいます。

非常に大きいのは地球環境問題でしょう。このままいけば、30〜40年後には地球に住めなくなるかもしれない。パリ協定(産業革命以降の平均気温上昇を2度、理想的には1・5度未満に抑えることを目指す国際枠組み)が結ばれ、できるだけ早く石炭や石油といった化石燃料の使用を減らすなど、エネルギー政策を見直していこうという動きがありますが、福島原発事故の影響もあり、原子力発電をどうしていくかという一つをとっても、明確な答えが出にくい難題です。
そして、カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)に向けて世界が踏み出そうとした矢先のコロナ禍、今年のウクライナ危機です。常に変化を続ける時代にあって、私たちはどう生きていくべきか。本来、その生きる軸となるべきものが宗教であったはずです。そうした時に起きてしまったのが安倍晋三元首相の銃撃事件でした。
容疑者は、母親が団体に家庭を破綻させるほどの献金をしたと供述しています。この母親にとっては、いわば生活を犠牲にすることが信仰の強さを示すものとなっていた。
まず言いたいのは、目的や手段を間違った宗教は、いつか深刻な事態を引き起こすという点です。極端な話ですが、宗教には、ともすれば人を殺めたり傷つけたりすることを正当化するような教義を持つものもある。また、信仰心が強いほど、他の宗教を認められなかったり、排除しようとしたりすることもある。宗教には、そのような怖さや危険性があることを知っておかなければならない。
こうした、いわば「排除の壁」というものに、宗教はどう向き合うのか。果たして宗教はこの壁を乗り越えていけるのか。そこに僕は注目してきました。

——長年、創価学会を見つめてこられました。

僕は、戦後初期の創価学会も、この宗教における「排除の壁」という問題に陥っているのではないかと感じていました。信仰への確信ゆえに、自分たちと異なる意見を認めることができない、だから民主主義とも相いれないと思っていた。公明党が誕生し、政界に進出した時も、この矛盾をどう解消していくのか注目していたんです。
でも池田大作会長(当時)は、その壁を克服した。創価学会が現在のように発展できた理由は、三つあると思っています。
まず、言論・出版問題(1970年ごろ)をきっかけに、それまでの在り方を見直して、機構改革などに取り組み、より近代的な組織として生まれ変わったこと。地域に根差し、親しまれる創価学会を目指して、社会との関係を構築していくようになりました。
二つ目に、宗教的な寛容性の高まり。初期の創価学会では、他の宗教を時に「邪宗」と言い切るなど、攻撃的、排他的な部分があったが、70年の本部総会で会長は、弘教において行き過ぎの絶対にないよう、道理を尽くした対話であるべきことを確認しています。「邪宗」という言葉も「他宗」へと変わっていきました。
三つ目に、「人間あっての宗教」と言い切ったこと。池田会長は「仏教史観を語る」という講演(77年1月)で、「"宗教のための人間"から"人間のための宗教"への大転回点が、実に仏教の発祥だったのであります」と述べています。
「人間あっての宗教」ではなく、「宗教あっての人間」となれば、人間が宗教の手段になってしまい、やがては生活や人生、家族を破綻させかねません。その意味からも、この池田会長の言葉は、宗教の在り方を問う普遍性のある指摘です。僕は、よくぞ言ってくれたと思っています。
この講演では「仏教はいかにあるべきか」について語っていますが、これは日蓮正宗、つまり宗門の激しい怒りを買い、第1次宗門問題のきっかけともなりました。やがて池田会長は辞任を余儀なくされ、名誉会長となります。部外者として見れば、会長辞任は敗北にも見える幕引きです。しかし名誉会長は、さらなる世界広宣流布へと踏み出す好機と捉えていきました。
名誉会長は宗門問題以前から、宗教間の対話にも意欲的で、むしろ対立するような思想の人とも、忌憚なく本音で語り合うことを是としてきた。そうした対話もさらなる広がりを見せていきます。
振り返れば、言論・出版問題や宗門問題といった窮地に、創価学会は何度も直面してきた。そのたびに誰もが、創価学会は間違いなく衰退すると予測しました。僕もその一人です。でも創価学会は、その推測を見事に裏切り、その都度、驚くべきエネルギーをもってピンチをチャンスに変え、逆境を乗り越えてきた。この過程で、創価学会は「人間のための宗教」として成熟し、宗教における「排除の壁」をも乗り越えた。これはとても大きい意義を持つし、僕の見る限り、他には成し遂げられなかったことだと思うんです。

◇信仰と理性
——73年、初めて池田名誉会長を取材された時、「信仰と理性」の関係について話題になったそうですね。

この時の僕は、信仰とは、理性をかなぐり捨てて、ひたすら祈りを捧げることで成り立つものだと考えていました。ただ「理性には限界があるから、宗教が必要だ」という人も多く知っていた。それで「人間は理性だけじゃ生きられないですよね。だから宗教が必要なのでは?」と質問したんです。
すると"理性というのは非常に大事にすべきだ。理性に限界があるなんて言ってもらっては困る"と、思いがけない答えが返ってきた。
僕が大変に尊敬し、親しくしていた人に、哲学者の梅原猛さんがいます。彼はカント、デカルト、ニーチェをやった後に、釈迦の研究を始めた。「なぜ釈迦を?」と聞くと、「田原さん、人間っていうのは理性だけでは生きていけない」「心は理性だけじゃない。どうしても宗教が必要になる」と言うんです。
理性を大事にする哲学者が宗教の重要性を語り、一方で、信仰を大事にする宗教者が理性の重要性を語っている。
名誉会長は"人間がものを考える際の基本は理性です。だから理性をなくしてはいけません。理性があり、さらに信仰がある。この二つはなんら矛盾していません"とも言っていました。
理性を最大限に働かせていく中に、信仰を位置付けていたことに驚きました。

——今、求められる宗教の価値とは何でしょうか?

人生とは一体何なのか。そこを追求して、「生きる意味」を見いだしていけるのが宗教だと思います。
僕も生きる意味について、必死に探した時期があります。答えを得るために、ある新興宗教の合宿に参加したこともある。そこでは因果応報を説いていました。現世が良くないのは、前世での行いが良くないから——というものです。
多くの宗教で「救い」が説かれていますが、そのほとんどは、あくまで死後や来世での救いを言っている。一方で創価学会は、この世で「宿命転換」や「人間革命」ができるという。
現世で成果が出るというのは、創価学会の新しさであり、強みですね。今、自分の人生に希望が持てる。ここが大きな特徴だと思います。
僕が初めて創価学会を取材したのは、テレビディレクターをしていた64年のことです。「人間革命」という言葉を聞いて、疑問に思っていた。革命っていったら、権力を打ち倒す改革じゃないか。人間を革命するなんて、どうやるのか。そんなことが果たしてできるのかって。

◇息づく母性原理
——取材を女性から始められたそうですね。

日本の社会で弱い立場に立たされてきた女性が、創価学会の中でどのように活動しているのか。20人ほどの女性を取材しましたが、皆、例外なく、池田名誉会長への信頼を語ってくれました。宗教団体のリーダーだからというのではなく、身近な次元でつながっているという実感です。この絆、一体感が創価学会の強さなのだと思います。
ここで付け加えれば、創価学会の平和への思いは、女性の学会員の存在抜きには語れないとも感じています。なぜなら、彼女たちの活動には、真に平和を願い、生命を慈しむ「母性原理」が息づいているから。僕は、競争や強権を旨とするような「男性原理」だけでは、本当の平和は訪れないと思っている。
名誉会長のスピーチや著作からは、その平和の思想の根底に、母性原理が存在することが見てとれます。創価学会の女性が、さまざまな活動の担い手として立ち、公明党の支援にも全力を尽くせるのは、名誉会長のそうした信念と深く重なっていることを実感できているからなんでしょう。

——平和への思いを、お聞かせください。

僕は戦争を知る最後の世代。それは、ある意味で幸せなことだと思っています。
玉音放送を聞いたのは、小学5年の夏休みでした。
終戦前、ラジオや新聞が、こぞって国民の英雄だと褒めたたえていた人が非難された。アジアの国々を独立させ、植民地を解放する「正義の戦争」だと信じていたのに、「戦争は悪」だと180度変わったんです。
ところが高校に入学すると朝鮮戦争が始まり、そこで「戦争反対」と言ったら「お前はいつから共産党になったんだ」と叱られた。
偉い人やマスコミは信用できない——これがジャーナリストになったきっかけです。伝聞や推定じゃなく、1次情報を自分でちゃんと確かめなきゃいけない。
今、僕の生きる目的は三つあります。
一つ目に、言論の自由を絶対に守る。
二つ目に、日本に戦争をさせない。戦争を肯定するような人間には、断固、反対して、糾弾する。
三つ目に、政治を活性化させたい。その3点ですね。

◇一期一会の絆
——創価学会の海外における発展を、どうご覧になりますか。

いくら国内で大きくなったとはいっても、正直なところ、世界の壁は非常に厚いだろうと思っていました。鎌倉時代の歴史的背景がある純日本宗教だし、経典も題目も漢字で書かれています。日本の植民地支配によって、反日感情が根強く残っている国だってある。でも、創価学会は世界でも発展を続けている。それは数を見ても顕著です。
仏教や日蓮のことを知らない、もともと別の宗教を信仰していた人たちが、なぜ創価学会を選ぶのか。海外の幹部にもインタビューしました。魅力や入会動機は千差万別でしたけれど、共通していたのは、信仰したことで成長できたという自己変革体験、つまり「人間革命」の経験です。それを成し遂げた歓喜が、信仰の手応えとなっているようでした。
僕が注目しているのは、池田名誉会長の信仰観です。人間の幸福は、あくまで自身の強い生命力によって獲得できるものであり、その生命力を引き出すのが信仰であると考えられていますよね。反対に、困難に打ち勝とうとする闘争心を萎えさせるなら、それは信仰ではないと見ている。海外にあっても、人間の内面を強くする信仰の在り方が鍵となってくるのではないかと感じています。

◇逆境に臆せず立ち向かう そこに創価学会の真価が
——世界宗教への道程と挑戦にあって、何が重要でしょうか。

日本の宗教として前人未到の領域に踏み込むことであり、当然、困難は避けられないでしょう。ただ僕は、その答えはすでに示されていると思う。
池田名誉会長が作家の松本清張と対談するため、京都を訪れた折のことです。車が赤信号で止まった時、オートバイに乗っていた2人の少年が、車内の名誉会長に手を振った。名誉会長も窓から手を出して振り返した。しかし、すぐに信号が青に変わり、車とオートバイはそれぞれ走り出してしまう。そこで名誉会長は「あの2人の少年を何とか捜し出せないか」と。
その夜、何と2人の名前と住所が判明します。名誉会長は手元にあった著書に署名して贈り、その後も会って激励を重ねています。
一回、会った人を非常に大事にする。そのままにはしない。この「一期一会」のエピソードには、一人をどこまでも尊重し、大切に励まし、人間革命や宿命転換の挑戦を支える結び付きがある。それはどんな国や社会にあっても、根源的な価値と言えるでしょう。現に世界では、名誉会長と会ったことがない若い世代の学会員たちが、名誉会長の指針を学び、生きる希望を与え合いながら発展を続けていますよね。
これからも、苦難や逆境にひるむことなく、励まし合って立ち向かっていく。そこに創価学会の真価が発揮されていくのではないでしょうか。
この時代の危機をどのように転換していけるのか、注目しています。

2022.09.27 わが友に贈る

会合に参加できない友に
丁寧な声掛けをしよう。
全員が「使命の人」だ。
一人に寄り添う真心が
次の挑戦への原動力に!

治病大小権実違目 P997
『国主も又一には多人につき或は上代の国主の崇重の法をあらため難き故或は自身の愚癡の故或は実教の行者を賎しむゆへ等の故彼の訴人等の語ををさめて実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈日月四天等其の国を罰する故に先代未聞の三災七難起るべし、所謂去今年去ぬる正嘉等の疫病等なり』

【通解】
国主もまた、ひとつには多人数の方につき、あるいは昔の国主が崇重してきた教えをあきらめることが難しいため、あるいはまた自らの愚癡のゆえに、あるいは法華経の行者を賎しむ心から、彼の讒訴人の言葉を受け入れて法華経の行者を迫害している。このために法華経の守護神である梵天・帝釈・日月・四天等がその国を罰するゆえに先代未聞の三災七難が起きているのである。去年や今年、または正嘉等の疫病等がそれである。

名字の言 友の激励に駆ける地区部長が発心した"きっかけ" 2022年9月27日
かつて広布の活動から離れていた壮年が、当時の心境を語っていた。「何かに束縛され、自由でなくなる気がしていた」。学会の友が訪ねてきても邪険にして、追い返したことも▼その頃、営業職でバリバリ活躍していたという。「でも知らず知らず、わがままになって……」。面倒なことは避け、苦手なことは人任せ。職場で衝突を繰り返し、憂さ晴らしの夜遊びに興じるように。そして事故を起こした。会社は解雇▼そんな時、親身に励ましてくれたのは地域の同志だった。自分は冷たくしてきたのに、「大丈夫」「僕も一生懸命、祈るから」と。胸が熱くなった。壮年は、学会活動に励むようになって気付く。"弱い心に束縛され不自由になっていたのは俺自身だった。この信心で強くなってみせる"。再就職を勝ち取った今、地区部長として友の激励に自在に駆ける▼アメリカ心理学会元会長のセリグマン博士は「自分中心の人は、悲観主義におちいる」と指摘した。自分中心——つまり、揺れ動く自分の心を師としている限り、悩みは尽きない▼そうではなく、御本尊を心の師として人の幸福に尽くせば、自らが強く明るくなれるし、自由自在の境涯を開ける。創価の哲学と連帯は、その道を照らす。

寸鉄 2022年9月27日
広布の若師子・男子部が全国幹部会へ勇躍の拡大 頼もしき奮闘を皆で応援
熊本県女性部の日。友の幸せ願う行動は地域の光 励ましの絆を今こそ強く
学会活動は平和と文化推進の重要な実践—先師。生命尊厳の民衆スクラム
「人の為」と思うと仕事の質が向上—研究。利他の心は豊かな創造の源泉
薄暮時に交通事故が増える季節。早めの点灯を。歩行者は反射材等を活用

☆栄光の共戦譜 第9回 1968年(昭和43年)「栄光の年」
◇平和・文化・教育の花開く
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第9回は、「栄光の年」と銘打たれた1968年(昭和43年)を掲載する。

◇「4・8」創価学園入学式
創価教育を実践する学校の創立——それは、牧口先生、戸田先生の悲願であった。池田先生は、その実現に向けて尽力し、1968年(昭和43年)4月8日、創価学園(中学・高校)の待望の入学式が行われた。
先生が学校設立のため、東京・小平市の建設候補地を視察したのは、60年(同35年)の4月、第3代会長に就任する1カ月前だった。65年(同40年)11月には、準備のための委員会が発足した。
68年4月、先生は開校に先立ち、創立者として、開校の目的を発表した。「創価学園は創価学会のために設立したのではない」「創価学園は、あくまでも、日本の未来を担い、世界の文化に貢献する、有為の人材を輩出することを理想とする」
さらに、「進取の気性に富み、栄光ある日本の指導者、世界の指導者に育て」等、五つの指針を贈る。後の校訓として、鳳雛たちに刻まれることになる。
4月8日の入学式当日、先生は"学校運営は、校長や理事長が中心"との思いから、式典終了後に学園を訪問した。
そして、「みんなであの橋を渡ろう」と、生徒らと共に、玉川上水に架かる栄光橋へ。栄光寮にも足を運び、親元を離れ、向学心を燃やす寮生たちに万感の励ましを送った。
同年9月には、学園の寮歌(現・校歌)に、5番の歌詞を贈った。「未来に羽ばたけ 君と僕」——その一節一節に、創立者の父子の願いが込められていた。
本年、東京校は第55期生、関西校は第50期生を新入生として迎えた。入学式のメッセージで先生は、強く呼びかけた。
「今、皆さんを取り巻く時代の闇は深い」「わが学園生よ、希望の太陽と光れ! 勇気の明星と輝け! 英知の大星雲となって、地球の未来を照らしゆけ!」

◇「9・8」日中国交正常化提言
今月は、「日中国交正常化」から50周年の節目である。
1968年(昭和43年)9月8日の第11回学生部総会。池田先生は、その講演に向けて、原稿作成に取り組んでいた。歴史的な「日中国交正常化提言」の原稿である。
当時、中国は7億を超す人口を抱えながら、文化大革命が先鋭化する時期でもあり、国際的に孤立していた。先生は、アジアと世界の安定のため、歴史的にも地理的にも深い関係にある、日本と中国の国交正常化の必要性を痛感していた。
提言の発表は、身の危険も伴っていた。しかし、先生は、深い覚悟を固める。
"私が、発言するしかない! 私は仏法者だ。人びとの幸福と世界の平和の実現は、仏法者の社会的使命である"
先生の眼には、アジアの民衆の救済を叫び続けた恩師の姿が浮かんでいた。
日大講堂で開催された学生部総会の冒頭、先生は、9月8日が、戸田先生の「原水爆禁止宣言」が発表された日であることを通し、創価の平和の魂を確認。そして、日中の国交正常化、中国の国連における正当な地位の回復、経済的・文化的な交流の推進などを提案した。
同提言は大きな反響を呼び、中国側にも伝わった。4年後の72年(同47年)、日中国交正常化は現実のものとなる。
その後も、池田先生は、周恩来総理ら、中国の要人と対話を重ねた。さらに、民間交流を促進し、信頼と友情の"金の橋"を築いていったのである。
先生は、日中友好への思いをつづっている。「尊き先人が切り開いた『金剛の道』『金の橋』を、さらに強く、固く、広く、長く構築していく努力をしていかなくてはならない」「その軸となる根本は、『信義』の二字である」

◇「10、11月」各方面で芸術祭
芸術部主催による初の芸術祭が行われたのは、同部結成の翌年、1963年(昭和38年)だった。人間文化の創造の息吹にあふれた舞踊や演奏などが披露された。そして68年(同43年)秋、池田先生の提案により、中部、四国、九州、そして関西、東京の5方面で、芸術祭を開催することが決まった。
先生は、芸術祭の企画に悩む友に語った——。「私たちの芸術祭には、こうしなければならないという形式があるわけでもなければ、イデオロギーの宣伝でもありません」「信心をもった自分自身の生きる喜びを、そのまま表現していけばいいんです」
芸術祭は、「郷土」に光が当てられ、民謡や地域の踊りなどが祭典を彩った。中部芸術祭(10月14日)では、徳川家康の少年時代を題材にした舞踊劇が演じられた。同月の四国芸術祭は、坂本龍馬の青春時代が取り上げられ、11月10日の九州芸術祭では、郷土芸能の小倉祇園太鼓が披露された。
先生は11月に開催された関西、東京での芸術祭も含め、全5会場に出席し、真心の喝采を送った。掉尾を飾った東京芸術祭のフィナーレは、先生が青年に贈った詩「元初の太陽を浴びて」に曲をつけた歌の大合唱だった。

♪わが愛する 若人たち
 諸君の背に かがやくのは
 光彩陸離たる 栄光
 とどろく その跫音は
 世紀への警鐘と 救済の乱打だ……

青年のパワーが時代を動かす原動力となる。この下半期、青年世代を主役とする「SOKAユースフェスタ」が開催される。創価の文化と友情の光彩が、地域・社会を照らしていくに違いない。

1968年◆年表◆
〈1月1日〉
聖教新聞に詩「栄光への門出に」を発表

〈1月29日〉
創価学園(中学校・高等学校)の落成式(東京)

〈3月18日〉
九州指導(〜20日。福岡、長崎)
長崎会館を訪問。被爆地の平和祈念像を訪れ、恒久平和を祈る(20日)

〈4月4日〉
創価学園の開校に先立ち、「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ」等の5項目の指針(後の校訓)を贈る

〈4月5日〉
山梨本部落成入仏式(山梨)

〈4月8日〉
創価学園の第1回入学式式典後に学園を訪れ、「英知・栄光・情熱」のモットーの碑の除幕、記念撮影を行う

〈4月9日〉
最初の大学会となる東京大学会の結成式(東京)

〈5月3日〉
第31回本部総会。核保有国の首脳が一堂に会し核兵器廃棄の話し合いを行うよう訴える(東京)

〈5月18日〉
九州指導(〜20日。福岡、熊本、大分)

〈5月22日〉
女子大学会の結成式(東京)

〈8月8日〉
第1回高等部総会。「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」と激励(静岡)

〈8月29日〉
学生部の海外委員会のメンバーらと懇談(東京)

〈8月31日〉
婦人部幹部会。席上、婦人部の愛唱歌「今日も元気で」が発表される(東京)

〈9月2日〉
創価学園の学園寮歌「草木は萌ゆる」(現・校歌)に5番の歌詞「富士が見えるぞ 武蔵野の/渓流清き 鳳雛の/平和をめざすは 何のため/輝く友の 道拓く/未来に羽ばたけ 君と僕」を加筆

〈9月8日〉
第11回学生部総会で日中国交正常化を提言(東京)。
�中国の存在を正式に承認し、国交を正常化する
�国連における中国の正当な地位を回復する
�経済的・文化的な交流を推進する、等を提案
日本やアメリカが中国を敵視するなかでの大胆な発言に、日中友好を願う人々に反響が広がり、創価学会の民衆運動に着目していた周恩来総理も高く評価。提言の内容に沿うように4年後に国交正常化が実現する

〈9月13日〉
北海道指導(〜17日)
日本最北端の市・稚内を訪問し、「日本最初の広宣流布を成し遂げてもらいたい」と語る(14日)

〈10月14日〉
第1回中部芸術祭(愛知)。以後、四国(10月15日)、九州(11月10日)、関西(11月14日)、東京(11月26日)の芸術祭に出席

〈11月10日〉
九州・関西指導(〜15日。福岡、熊本、鹿児島、大阪)
奄美大島で「日本の広宣流布の理想郷に」と呼び掛ける(13日)

〈11月17日〉
高等部の定時制鳳雛会第1期生と懇談(東京)

2022年9月26日月曜日

2022.09.26 わが友に贈る

◇今週のことば
行学の金秋、到来す。
動けば命が躍動する。
学べば境涯が深まる。
語れば功徳が広がる。
青年を先頭に一歩前進!
2022年9月26日

王舎城事 P1138
『御勘気を二度までかほりすでに頚となりしかどもついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』

【通解】
(日蓮は)流罪を二度までもこうむり、すでに頸の座にもついたけれども、ついに恐れず信仰を貫き通したので、今では日本国の人々も「日蓮の言うことが道理かもしれない」という人もあることであろう。

名字の言 思考を固定化しない棋士・藤井聡太五冠 2022年9月26日
昨今、将棋界では「藤井曲線」という言葉が使われる。棋士の藤井聡太五冠の対局ではAI(人工知能)が示す形勢判断のグラフが、中盤以降、藤井五冠の方へ徐々に優位を拡大する曲線を描くことが多い。このことから生まれた言葉だ▼どの手が悪かったのかが分からない——藤井五冠に敗れた多くの棋士が対局後、そう口にする。藤井五冠の特徴の一つは、序盤からの「読みの深さ」だ。それが小さい差を生み、終盤には大差になっている、ともいわれる▼将棋には「定跡」がある。昔からの研究で、最善とされる手だ。ところが、藤井五冠は定跡から外れた手を指し、それが優勢の因になることがある。思考を固定化せず、それまでの前例を見直す姿勢が、読みの深さにつながっている▼前例にとらわれず、何が最善手かを考える——将棋の世界の話は、人生や社会にも応用できよう。思えば、コロナ禍以降、世界は新たな局面を迎えた。日々の生活でも、それまでの"当たり前"がそうではなくなった。物事の前提を疑い、柔軟に考え、行動を変える必要性を、誰もが実感したに違いない▼時代の挑戦に対して、一人一人ができることに全力を注ごう。人間の底力は活路を開き、豊かな未来を築くと信じる。

寸鉄 2022年9月26日
信心で宿業を破らねば同じ事で苦しむ—戸田先生 人間革命の劇を勇敢に!
「毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし」御聖訓。堂々と希望と正義の対話(新1632・全1123)
忍耐と根気が最後に勝つ—運動家ヘレン・ケラー。地道に一歩ずつ。その努力は人生の宝
核兵器の全面的廃絶のための国際デー。"絶対悪"との恩師の遺訓を世界へ
読書の機会が多い子ほど新しい事に興味を持つ—調査。親子で楽しく挑戦

☆四季の励まし 「生涯求道」の健康人生を 2022年9月18日
◇池田先生の言葉
わが"多宝の友"が
広布に走り抜いた
誉れの歴史は、
自身の生命に
黄金の日記として
厳然と刻まれる。
自らの命を使って
「人間革命」の実証を
示してきた栄光の福徳は、
絶対に消えないのだ。

年をとっても、
心まで
老け込んではならない。
妙法という生命の大法を
持った我々は、
生き生きと
若返っていくのである。
張り切って進むのである。
日蓮大聖人の御生涯は、
最後の最後まで、
広宣流布の大闘争に
貫かれていた。
信心に「引退」はない。
心は退いてはならない。

自他共の
一生成仏のためには、
どこまでも信心一筋に、
学会と共に
生き抜くことである。
「生涯求道」「生涯挑戦」
「生涯闘争」である。
ゆえに、「今一日」
「あと一日」における
信心が大事だ。
純一無二の信心で、
自身の広布と人生の
総仕上げをしていくのだ。

疲れをためないよう、
上手に休息をとりながら、
聡明に、健康第一で
進んでいきたい。
題目を朗々とあげ、
生命力を満々とたたえて、
価値ある一日一日を
勝ち取っていくことだ。

何歳になっても、
新しい何かに
挑戦する人は、
若々しく生きていける。
それが真の人生である。
いわんや私どもは、
不老長寿の最高の法である
南無妙法蓮華経を
持っている。
妙法と共に、
いよいよ若々しく、
広宣流布と
人生の最高峰へ、
お互いに、楽しく、
粘り強く挑み続けて、
勝っていこう!

【写真説明】鮮やかなコスモスが、競い合うように咲いていた。花びらが桜に似ていることから和名は「秋桜」。高原に一足早い秋を告げる。2006年(平成18年)8月、長野を訪れた池田大作先生がカメラに収めた。
古代中国では、人生を四季にたとえた。幼少期の「玄冬」から「青春」「朱夏」と進み、高齢期の「白秋」は、人生の実りを楽しむ時期とされる。
学会には、"生涯求道"の心で苦難の坂を越えてきた、尊き多宝会、宝寿会、錦宝会の方々がいる。皆さまの功労ありて、世界広布の基盤は築かれた。
あすは「敬老の日」。信心の大先輩への敬意と感謝を伝えたい。

☆初の墓地公園誕生45周年 「生死不二の生命の宮殿」がここに
◇基本理念 1、恒久性 2、平等性 3、明るさ
長年、広布のために戦ってこられた方々のために、安穏な成仏を象徴する場を——この池田先生の願いから誕生した創価学会の墓地公園。背景には昭和30年代初頭から起きた"墓地問題"があった。
当時、学会員の多くは、他宗派が管理する墓地を使用していた。ところが、創価学会への"改宗"を理由に、墓地使用を拒否される事態が相次いだ。墓を盾に取った暴挙であった。こうした状況や学会世帯の増加に伴い、墓園建設を望む声は日増しに大きくなっていった。
そして、墓園建設のために学会本部に墓苑公益事業部門が発足。池田先生の構想を骨子として、墓園の三つの基本理念が定められた。
第一に、時代の移り変わりに左右されない「恒久性」。第二に、仏法の生命観に根差した「平等性」。第三に、墓参者に潤いを与える親しみやすい「明るさ」である。
墓園・納骨堂は、この基本理念に基づき、各方面の特色を生かしながら発展を続け、現在では全国20カ所に広がっている。
大自然の中に美しく整備された園内、大小の差がなく整然と並ぶ墓石——学会の墓園を訪れた識者も賛辞を寄せる。
「経済力や社会的地位とは関係なく、墓石は同じものに統一されています。創価学会の価値観と人間観そのものです」

◇全国の墓園・納骨堂一覧
�北海道・戸田墓園
第2代会長・戸田城聖先生の名を冠した「戸田記念墓地公園」は1977年(昭和52年)10月2日、創価学会初の墓園として、戸田先生の故郷・北海道の石狩市厚田区に開園。来月、45周年を迎える。
恩師の亡き後、第3代会長に就任した池田先生は60年(同35年)8月27日、厚田を訪問。その折の真情をこうつづった。
「厚田村から、戸田先生という若鷲が、人類救済のために羽ばたいていった。そして広宣流布の礎を築かれた。その先生を、後世永遠に顕彰していくためにも、いつかこの地に、先生の精神をとどめる、『記念の城』を築かねばならない。それが弟子としての私の使命であり、責任である」(小説『新・人間革命』第26巻「厚田」の章)
その後、池田先生の構想は同園の完成をもって結実。開園式で先生は語った。
「戸田前会長の故郷である厚田の大地を、私を含めて全学会員の心の故郷ともし、広布の"生死不二の永遠の都"としていくよう提案したい」
この師弟の魂魄がとどめられた戸田墓園には、戸田先生の立像や記念碑等が設置。
来園者や地域住民に親しまれ、生死不二の福徳と栄光の理想郷として、北海の天地に燦然と輝いている。

�岩手・みちのく墓園
今月、開園20周年を迎えた、みちのく池田記念墓地公園(岩手・奥州市)。園内の高台にある時計塔からは、奥州市と奥羽の山々を望むことができる

�宮城・東北墓園
雄大な蔵王連峰に抱かれた東北池田記念墓地公園(宮城・白石市)。これまで池田先生が2度訪問。園内には「母の池」など美しい景観が広がる

�茨城・ひたち墓園
鮮やかに色づいた紅葉が美しい、ひたち平和記念墓地公園(茨城・城里町)。首都圏を中心に多くの人が訪れ、これまでの来園者は500万人を超える

�群馬・はるな墓園
池田先生が何度も訪れた、はるな池田記念墓地公園(群馬・渋川市)。榛名山麓に広がり、赤城山や日光連山などを一望できる。今月、開園35周年を迎えた

�静岡・富士桜墓園
静岡・富士宮市の富士桜自然墓地公園は、秀麗な富士の裾野に広がる。池田先生が10度にわたり訪問。春には約8000本の桜が咲き、園内を鮮やかに彩る

�新潟・牧口墓園
牧口記念墓地公園は2019年、初代・牧口先生の生誕の地である新潟・柏崎市に開園。広大な丘陵地に立つ同園からは「刈羽三山」の雄姿を望める

�三重・中部墓園
伊勢湾を望む景勝地にある中部池田記念墓地公園(三重・津市)。池田先生は同園を3度訪問。本年8月には管理センター等を一部増築し、リニューアルした

�滋賀・びわこ墓園
2016年に滋賀・大津市に開園した、びわこ池田記念墓地公園。園内に造られた「近江庭園」では、四季折々の花々が来園者を楽しませてくれる

�兵庫・関西墓園
常勝の天地に立つ関西池田記念墓地公園(兵庫・丹波市)。池田先生は2度訪れ、開園に尽力した地元の友らを激励。自然に彩られた同園をたたえた

�広島・中国墓園
中国平和記念墓地公園にある「世界平和祈願之碑」。爆心地の真北に立ち、世界中の被ばく者の追悼と恒久平和を誓う意義が込められている(広島・北広島町)

�島根・山光墓園
島根・松江市の山光平和記念墓地公園。学会の墓園として初めてカリヨン(音階別の鐘で音楽を奏でるもの)の時計塔が設置され、明るい音色で時を告げる

�香川・四国墓園
本年6月に開園20周年を迎えた四国池田記念墓地公園(香川・三木町)。秋には真っ赤に染まったタイワンフウをはじめ、色とりどりの木々が来園者を迎える

�大分・九州墓園
九重連山の景色を望む九州池田記念墓地公園(大分・日田市)。園内には、九州の先駆の伝統を築いた同志を顕彰する「世界広布先駆之碑」が立つ

�沖縄墓園
"日本一早咲きの桜"で有名な八重岳に広がる沖縄平和記念墓地公園(沖縄・本部町)。1999年2月、池田先生は満開の桜並木を通り、同園を初訪問した

�青森・十和田納骨堂
東北十和田多宝納骨堂(青森・十和田市)は東北研修道場の敷地内に立つ。同道場には池田先生の筆による「滝の詩」の歌碑が。近くに奥入瀬渓流が流れる

�石川・北陸納骨堂
能登半島国定公園に隣接する景勝地に立つ北陸常楽納骨堂(石川・七尾市の北陸研修道場内)。立山連峰を望み、能登島などが浮かぶ七尾湾を一望できる

�滋賀・関西納骨堂
滋賀研修道場内に設置されている関西常楽納骨堂(滋賀・米原市)。目の前には日本一の大きさを誇る琵琶湖が広がる

�和歌山・関西白浜納骨堂
眼前に太平洋の大海原が広がる関西白浜平和納骨堂(和歌山・白浜町の関西研修道場内)。昨年11月には、礼拝室や永久収蔵納骨室などが増設された

�福岡・九州納骨堂
九州多宝納骨堂(福岡・糸島市)は福岡研修道場の敷地内に立つ。"筑紫富士"と呼ばれる可也山の中腹に位置し、糸島平野や博多湾を望むことができる

2022年9月25日日曜日

2022.09.25 わが友に贈る

"交通事故に遭わない。
起こさない"と祈り抜き
常に安全を心掛けよう。
ちょっとした油断を排し
有意義な一日一日に!

富木尼御前御返事 P975
『やのはしる事は弓のちからくものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり』

【通解】
矢が飛ぶことは、弓の力です。雲が動くことは、竜の力です。男の行いは、女の力によるものです。

名字の言 少年野球を通した母子のドラマ 2022年9月25日
ある少年部員は地元の野球チームに所属して1年がたつ。その間、真面目に練習してきたが、なかなか上達しない。下級生は次々にレギュラーとなり、活躍している。親身になって少年に野球を教えてきたコーチは悩んだ。"何でできないのだろう"▼だが、同時にこうも思った。ただただ、ひたむきに練習を重ねる少年の姿勢に"何で、そこまで努力できるんだろう"と▼コーチは少年と話をする中で訳を知った。少年の母は入院中で、さまざまな治療を試しても、思うように回復しない。母子は電話で語らう日々が続いた。ある日、少年は母に弱気なことを口にした。「僕、一生懸命に練習しているんだけど、全然、うまくならないんだ」▼受話器の向こうで母は優しく言った。「何があっても諦めず、自分で決めたことを貫く人が一番偉くて強いんだよ」。それは"元気になって家族の元に帰るぞ"と決意する母が自身を励ます言葉でもあったろう▼先月、ついに母が退院。その数日後、少年は試合に初出場を果たした。応援席では元気になった母が両手に持つメガホンをたたいてエールを送っていた。誰かに勝つより、自分に負けないこと。母子は人生を勝ちゆく、かけがえのない心の宝を得たに違いない。

寸鉄 2022年9月25日
SGIには調和のとれた幸福な社会を築く力が—ドミニカ識者。共生哲理を世界へ
「ひとえに一乗に帰すべし」御書。広布の師弟に生きる誉れ。共戦の魂で(新513・全463)
他人の為に動かねば精神の健康保てない—哲人ヒルティ。今日も颯爽と学会活動に
デマへの沈黙は"お墨付"与える危険—識者。青年が悪の正体鋭く裁き正せ
子育て世代で帯状疱疹が急増。過労やストレス等で発症。生活リズム整え

☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第4回 「原水爆禁止宣言」の発表65周年〈下〉
◇相互理解と信頼の世界へ
先崎 戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表された1年後の1958年(昭和33年)、池田先生は、聖教新聞に「原水爆宣言に思う」(9月26日付)という一文を寄せられました。

長谷川 池田先生は「一瞬にして、幾十万の尊き生命を殺傷した、地獄の使いたる原爆の使用は、絶対に禁止しなければならない。原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と記されました。そして、「御遺訓の成就するまで、いかなる難にも負けず」と、いかに核兵器廃絶の道程が困難であったとしても、恩師の宣言を実現する誓いを述べられています。
58年9月といえば、戸田先生が逝去されて5カ月後、まだ池田先生が第3代会長に就任される2年前のことです。しかし、先生はすでに遺訓を果たす深き責任感に立たれていました。
戸田先生が原水爆禁止宣言を発表された後、池田先生の胸中には数々の構想が広がっていきました。しかし、はやる心を抑え、先生が力を注いだことは、地道な弘教による人間革命の運動です。その運動の流れが国内、そして世界へと広がる中で、学会の広範な平和運動が展開されていきます。

◇"核の力"より"生命の力"を
田島 池田先生は一貫して、国連支援と市民社会の声の結集を訴えられてきました。

長谷川 地球的な諸問題を恒常的に話し合える場が国連にほかなりません。だからこそ、池田先生は国連を「人類の議会」と位置付け、支援してきました。核兵器の問題についても、世界的規模で議論する場を設けることを繰り返し提案されています。
74年(同49年)に愛知で開催された本部総会では、学会は永久に民衆の側に立った平和の道を走る、との基本路線を確認します。
そして、核兵器の問題について、「恐怖による戦争抑止という考え方から、相互理解と信頼による真の平和樹立という考え方へと、根本的に発想を転換すべきである」と述べられます。先生は、核抑止論を真っ向から否定し、新たな発想に立つことを提案されたのです。
さらに、核兵器廃絶のために、�結論を生むまで首脳会議を続行する�国連を実行力ある機関にする�科学者は人類的視野に立った代表として発言し行動すべき、と主張されました。
先生は翌75年(同50年)、広島で行われた本部総会では、同年1月に、青年部有志が中心となって集めた核兵器反対の1100万人の署名簿を、国連事務総長に手渡したことを紹介。また、核兵器全廃のために各国首脳が集まって議論する国際平和会議を、平和原点の地である広島で開催することなどを主張されます。
83年(同58年)1月に初めて「SGIの日」記念提言を発表されて以降、先生は核兵器廃絶に関する提案をされてきました。今年で40回です。
また、今年7月に発表された核兵器の「先制不使用」の誓約等を求める緊急提案は、各界から大きな反響がありました。恩師の遺訓を実現しようとされる、先生の深い思い——。師匠の戦いに、皆さんが続いてほしいと思います。

山下 創価学会はこれまで、「核兵器——現代世界の脅威」展、「核兵器なき世界への連帯」展などを国内だけでなく、世界各国で行ってきました。

長谷川 87年(同62年)5月のことです。ソ連(当時)のモスクワで"核の脅威展"が開かれ、先生に随行させていただきました。
先生は開幕式の席上、「この地球上に、核もない、悲惨と残酷さもない社会が生まれ、人間と人間との平和の花が咲き乱れることを強く信じたい」と訴えられました。核保有国での先生の叫びは、35年たった今も、私の心に響いています。
また、96年(平成8年)6月、コスタリカで行われた"核の脅威展"の開幕式も印象に残ることがありました。
500人の招待客のうち、250人が小学生でした。また、会場の科学文化センターには、子ども博物館が併設されていました。場内は子どもたちの声があふれていました。
開幕式が始まってからも、元気に遊ぶ声はやみません。私は内心、"少しの間だけでいいから、静かにしてくれないかな"と思っていました。
ところが、あいさつに立った先生は笑顔を浮かべ、「この元気な声を聞いてください」と呼びかけられたのです。そして、こう続けられました。
「賑やかな、活気に満ちた、この声こそ、この姿こそ、『平和』そのものです。ここにこそ、原爆を抑える力があります。希望があります」
私は感動で胸が震えました。コスタリカの新聞の論説委員長は、先生のあいさつに、「池田会長の知性とセンスと人間性が、あますところなくあらわれています」と賛辞を送りました。
先生はさらに、子どもたちは、伸びゆく「生命」の象徴であり、核兵器は「死」と「破壊」の象徴であると述べられ、「焦点は、"核の力"よりも偉大な"生命の力"を、いかに開発させていくかです。そして、"核の拡大"よりも強力な"民衆の連帯"を、どう拡大していくかです」と訴えられました。そこに私たち、また後継の皆さんの大きな使命があります。

◇平和のために今できること
山口 今年8月、未来部の夏季研修会が開催されました。皆で、小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章を教材に、「平和」について学び合いました。

長谷川 学びに学んで力をつけてください。そして、友だちを大切にすることです。「友情」こそ平和の礎です。
「平和」というと、どこか漠然としたイメージがあるかもしれない。しかし、「平和」といっても、どこか遠くにあるのではない。身近な人と仲良くすることから平和は生まれます。
先生が語られた「相互理解と信頼による真の平和樹立」とは、友情を「築く」「広げる」ことだと思います。
もう1点は、「生命を大切にする」ということです。
仏法では、生命の限りない尊さを説きます。国籍や民族、宗教に関係なく、全ての人間の生命は等しく尊い。現在、「生命尊厳」の仏法を基調にした創価学会の運動は、192カ国・地域にまで広がっています。皆さん一人一人がその大切な担い手です。立派に成長し、先生や先輩たちが進めてきてくださった運動を、さらに大きく広げていっていただきたい。

田島 学生部では今月8日から、全国で平和意識調査を開始しました。平和を求める学生の声を糾合し、新たな未来を開いていきます。

長谷川 素晴らしい! 「先駆」を使命とする皆さんの活躍を期待しています。
今回の座談会に当たって、私も皆さんと一緒に、もう一度、『人間革命』『新・人間革命』を学びました。
特に、『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章は、「広宣流布」即「世界平和」への新たな前進を、師から弟子へ、また次の世代へと託されたものと思われてなりません。
若き皆さんは、どうか、『人間革命』『新・人間革命』の研さんに取り組み、後継の師子になってほしい。一人一人が「新時代の山本伸一」として、大きく雄飛していってください。

2022年9月24日土曜日

2022.09.24 わが友に贈る

生命の絆は永遠だ。
妙法流布に尽くす
真剣な題目と行動こそ
最高の追善回向となる。
福徳の大道を共々に!

乗明聖人御返事 P1012
『夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや』

【通解】
法華経より劣った仏を供養しても、なお九十一劫の長い間、金色の身になったのだから、すぐれた法華経を供養した施主が一生の間に仏の境界に入らないことがあろうか。

名字の言 ある女性部員の御書研さんの原点 2022年9月24日
その女性の御書には、多くの書き込みがあった。後半部分は数百ページにわたって、細かなメモがほぼ全ての行に記されていた▼幼い時に両親が離婚。母は病の克服を願い、1952年に信心を始めた。彼女も入会し、美容師として母を支えた。しかし、経済的には厳しい状況が続いた。その苦悩を聞いた先輩は、彼女を連れて学会本部へ。そこで、池田先生と出会った▼彼女はありのままを伝えた。すると、先生は「今は冬の信心だね。冬のあとには、暖かい春が必ず来るに決まっているよ」と。そして、「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)を拝し、凍えた彼女の心を温かく包み込むように励ましを送った▼彼女は「あの時に、心の重い雲がサーッと去った。暖かい太陽の光が、生命に降り注いだような気がした」と振り返る。この時の池田先生の励ましが、彼女の御書研さんの原点となった。昨年、89歳で霊山へ旅立つまで、御書根本の人生を歩み続けた▼11月の教学部任用試験へ向け、各地で研さんの息吹が高まっている。今この時、受験者と、その挑戦を励ます人で築く"信心の思い出"は、最高の宝と輝いていく。試験に挑む一人一人を、全力で応援しよう。

寸鉄 2022年9月24日
各地で座談会たけなわ。「11・18」へ創価家族の励ましの連帯固く前進!
「はげみをなして強盛に」御書。どんな試練も必ず越えられる。強き一念で(新1623・全1192)
一人の青年が命をかければ広宣流布できる—恩師 自身が"山本伸一"の如く
発がん要因、菌や肝炎ウイルス等の感染がトップと。受診率の向上が重要
街中や駅のホーム等での"歩きスマホ"は危険。ちょっとの隙が大事故に

☆世界広布の源流 青年に語る創価の魂 第3回 「原水爆禁止宣言」の発表65周年〈上〉
◇核兵器の存在を許さない
山口 明8日は、1957年(昭和32年)に、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表されてから65周年の佳節です。

長谷川 日蓮仏法は生命尊厳の哲理であり、万人の幸福を志向しています。だからこそ、創価学会の社会的使命は「世界平和」と「民衆の幸福」の実現にあります。
日蓮大聖人は末法万年のために、妙法を説かれた。つまり、私たちの信仰は、常に「今」のためにあります。
戸田先生の原水爆禁止宣言もそうです。「今の私たち」のために、核兵器は人類の生存の権利を脅かすものと断罪し、その全面禁止を求める宣言を発表されたのです。それは、逝去される7カ月前のことでした。
私たち、なかんずく青年部の皆さんが、原水爆禁止宣言を過去の出来事として捉えてしまったならば、「遺訓の第一」として発表された宣言の精神も、核兵器は"絶対悪"であるとして、その遺訓の実現に生涯を捧げてこられた池田先生の精神も、流れ通わなくなってしまう。
恩師の宣言をいかに実現していくかを、真剣に考え、行動を起こすことに、青年部の戦いがあります。

◇師から弟子へ平和託す儀式
山下 原水爆禁止宣言が発表された横浜での「若人の祭典」に、理事長は参加されていたと伺いました。

長谷川 当時、私は高校生で、先輩に連れられて参加しました。恥ずかしい限りですが、"感動した"という記憶しかなく、戸田先生の宣言が、どれほど大きな意義があり、歴史的な瞬間の場にいたのかということは、池田先生のご指導などを通して、後で知りました。
学会の集いにどんな意義があるのか、10代、20代の時には分からないことがほとんどです。しかし、後になって、だんだんと分かってくる。
だから、先輩は未来部を、新たな人材を、大切に育んでもらいたい。私も先輩が連れていってくれたからこそ、原水爆禁止宣言の発表の場にいることができた。そのことは今、自身の大きな歴史となっています。
私は、あの日の恩師の宣言は、後継の青年の代表である池田先生へ託されたものであったと思います。師弟の峻厳なる儀式です。
小説『人間革命』第12巻「涼風」の章に、「若人の祭典」の1カ月前、57年8月13日、浅間山の鬼押出しでの語らいの場面が描かれています。
「何か聞きたいことはないかね」と尋ねる戸田先生に、山本伸一は「現代では、戦争などの人災の方が、はるかに大きな脅威になってきているのではないかと思います。なかでも最大の脅威は、原水爆ではないでしょうか」と述べます。すると、戸田先生は「そうだ。そうなんだよ。私も、最近、この問題について、考え続けているんだよ」と答えます。
原水爆に関して、師弟の思いが同じであることを示している印象深いシーンです。
伸一は恩師の宣言を、「打ち震える思いで」聞きました。さらに、「この師の遺訓を、必ず果たさなければならないと、自らに言い聞かせた。そして、戸田の思想を、いかにして全世界に浸透させていくかを、彼は、この時から、真剣に模索し始めた」(小説『人間革命』第12巻「宣言」の章)のです。
伸一は恩師の遺訓を、「ほかの誰か」ではなく、「自分自身」に与えられた、と捉えています。
この責任感にこそ、師弟の精神は脈動するのです。

◇学会の活動は"水底の動き"
田島 戸田先生は核兵器の使用について、「使用したものは、ことごとく死刑にすべき」と宣言されています。『人間革命』第12巻「宣言」の章では、「死刑」という言葉をあえて使われた理由を、「生命の魔性への『死刑宣告』ともいえよう」と記されています。

長谷川 世界のいずれの国であれ、核兵器を戦争の道具として使用しようとすることは、人間の生命に巣食う「魔性」の働きにほかなりません。
仏法では、その魔性の働きを「元品の無明」と説きます。戸田先生は無明に染まった生命を、「法性」「菩提」という善の生命に転じていかねばならないという意味から、あえて「死刑にせよ」という言葉を使われたのだと思います。
人間の生命には善悪の両面があります。"悪の生命"を克服し、"善の生命"を輝かせていく——つまり、一人一人の胸中に「平和の砦」を築いていかなければなりません。

先崎 先日、ニューヨークの国連本部で開かれていた核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は合意に至らず、残念ながら、最終文書の採択はできませんでした。

長谷川 だからこそ、平和を願う民衆の声が、民衆の連帯が、重要度を増しているといえます。私たちは広宣流布の運動を、強く推し進めていくことを誓い合いたいと思います。
20世紀を代表する歴史学者のトインビー博士は、究極的に歴史をつくるのは、世間をにぎわすニュースや出来事ではなく、「水底のゆるやかな動き」と述べています。
学会活動は、平和を築く"水底の動き"——その確信を、青年・未来部の皆さんは持っていただきたいのです。
学会は仏の慈悲の精神がみなぎる、麗しい人間主義の団体です。私たちは、創価の平和哲学を勇気凜々と語り、友情と信頼を広げていきたいと思います。
池田先生は『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章で、次のようにつづられています。
「あきらめてしまえば事態は何も開けない。平和とは、あきらめの心との闘争である。戦争を行うのは人間である。ならば、人間の力でなくせぬ戦争はない」と。
学会の人間革命の実践は、平和構築への不断の闘争でもあります。核兵器廃絶への道は険路です。しかし、どれほど困難であろうと、断じてあきらめてはなりません。

山口 理事長は、第2次世界大戦下、4歳で東京大空襲に遭われました。当時のご記憶をお聞かせください。

長谷川 あの時のことは、今でも忘れられません。3月10日、焼夷弾の雨でした。
火の粉の海の中を無我夢中で逃げました。目の前に焼夷弾が落ちてきて、恐怖で立ちすくんで、逃げられなくなりました。しかし、そのおかげで助かった。逃げるはずだった場所に爆弾が落ちたのです。
幼い頃の東京大空襲の記憶は、今でも焼き付いています。原爆の被害を受けた広島、長崎の方々の苦しみは、どれほど大きいか。
戦争となれば、ミサイルなどによって、多くの人命が失われ、建物も破壊される。しかし、原爆の恐ろしさ、残酷さは通常兵器の比ではありません。一瞬にして無数の人が殺され、町が消える。まさに、地獄です。
被爆者の中には、今なお後遺症などに苦しむ人がいます。「核兵器の存在を、ましてやその使用など絶対に許してはならない」とは、私たち、師弟の叫びです。
平和を守るために、青年部の皆さんが立ち上がってほしい。生命の尊厳を叫び抜いてもらいたいと強く願っています。

2022年9月23日金曜日

2022.09.23 わが友に贈る

学会の座談会は
地域の皆を元気にする
生命のオアシスだ。
一人一人をたたえ励まし
歓喜あふれる集いに!

開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』

【通解】
過去の因を知りたいと思うなら、その現在の果を見なさい。未来の果を知りたいと思うなら、その現在の因を見なさい。

名字の言 読書は勝利者の源泉 2022年9月23日
評論家の草柳大蔵氏が生前、池田先生を取材したことがある。その折、先生が「戸田大学」で使用したテキストの中から20冊を借りて、目を通した▼『世界史』(矢田俊隆著、有精堂)や『化学』(F・S・テーラー著、河出書房)などジャンルは幅広い。氏は記している。「どの本も最終頁まできちんと赤線がひかれ、書きこみのしてあるのにはおどろいた」(『実力者の条件』)。広布の激闘が続く中で、池田先生は書を繙き、学び続けた▼恩師から教わったテキストや、戦時中に防空壕に入れて守った本など、青春時代からの愛読した約7万冊の書籍を、池田先生は創価大学に寄贈している。その膨大な蔵書は、中央図書館の「池田文庫」に所蔵された。関係者の強い要望によって命名された同文庫は、今年で開設25周年となる▼池田先生は折々に読書の大切さを創価大学生に語ってきた。2004年1月、中央図書館に足を運んだ先生は、勉強に励む学生に声をかけ、「読書は黄金の輝き」「読書は勝利者の源泉」「読書は幸福の伴侶なり」など、次々と箴言を贈った▼慌ただしい日々の中でも、活字に触れ、思索を深める時間を持ちたい。良書に親しむことは、それ自体が喜びであり、価値創造の根幹の力となる。

寸鉄 2022年9月23日
「題目の光無間に至って即身成仏せしむ」御書。秋の彼岸に追善回向の唱題(新991・全712)
広布の戦いはどこまでも現実社会での格闘—戸田先生。今いる場所で勝利
少年少女部の結成記念日創立100周年の主役を皆で応援!強く賢く伸びゆけ
激しい気温差に注意を。外出時は上着持つ等、小さな積み重ねで健康維持
6割が睡眠不足を実感—調査。良質な眠りが体調管理の源。聡明な生活で

〈社説〉 2022・9・23 きょう少年少女部の結成記念日
◇信じる心が子どもの「自信」育む
きょう23日は、少年少女部結成記念日である。
1965年のこの日、高等部、中等部に続き、少年部(当時)が誕生した。翌年には少年少女合唱団も発足。
池田先生は、目指すべき新時代・21世紀に羽ばたきゆく鳳雛たちに、大いなる希望を見いだし、慈愛を注いだ。
子どもは社会の宝、世界の希望だ。しかし、昨今の日本の子どもたちは世界的に見て、自己肯定感が低いといわれている。
内閣府の調査(2018年度)では、「自分自身に満足している」と答えた割合が調査対象の7カ国中、最も低かった。日本では多くの青少年が、"自分は駄目だ""自分には価値がない"という思いを抱いている。
小学3年、中学1年で肯定感が下がるという研究もある。健全な社会建設のため、何より子どもたちの幸福のために「自信」を育んでいくことが不可欠だろう。
池田先生は少年少女部の結成について、「世界の平和と人類の未来を託す思いで、私がつくりました」と、「少年少女きぼう新聞」9月号に心境をつづった。
未来部担当者や地域の同志も同じ思いで、未来からの使者に温かい励ましを送り続ける。未来部時代に悩み、池田先生の言葉を支えに唱題に挑戦し、信心の確信をつかんだ人も多く、励ましに力が入る。
北海道のある女性部員は、家族を失った悲しみで小学校に行けなくなってしまった未来部員を根気強く激励。時には家に招き、優しく包み込むように対話を重ねた結果、少女は徐々に心を開き、笑顔が増えた。そして、晴れて卒業式に出席することができた。
女性部員は「子どもは必ず成長していきます。今の状況だけ見て決めつけてはいけません」と語る。
今の姿がどうあれ、誰もが命に"宝"を持っている。子どもを信じ抜く心が、子どもの「自信」を育んでいくことを忘れまい。
池田先生は『青春対話』の中で、「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる」と語っている。
創価学会には、未来部員を信じ抜く担当者や地域で励ます大人たちがいる。激動の時代を生き抜く少年少女部員に、"必ず君にしかできない使命の舞台が待っている""あなたは本当に素晴らしい"と確信の言葉を届けたい。

☆「志国」に輝く希望の旭日——永遠の指針「楽土建設の革命児たれ」発表から55周年
◇新時代の勇気あるリーダーが四国から誕生することは間違いない
1967年(昭和42年)9月11日、池田先生は四国本部幹部大会で、「楽土建設の革命児たれ」との永遠の指針を発表した。明後11日は、55周年の佳節である。四国の友は、広布への「志」厚く、たゆみない前進を続けてきた。ここでは、四国での先生の励ましの足跡を紹介する。

�.心に染みた師の姿
池田先生が第3代会長に就任して7年が経過した1967年(昭和42年)5月3日、創価学会は"次の7年"へ向け、新たな出発を開始した。
この船出に当たり、先生は活動の旗印として、各地方にモットーを示した。同年6月13日の関西本部幹部大会を皮切りに、九州、中部、東北、北海道、中国の大会に出席。掉尾を飾ったのが、9月11日に香川・高松市の体育館で開催された四国の大会である。
この大会に向けて、四国の同志は"日本一の拡大で師匠を迎えよう"と対話に奔走。前月の8月、日本一の弘教を達成した。
9月11日、会場には、誓いを果たした6000人の同志の歓喜が弾けた。
午後3時半、大会が幕を開けた。会場に、鼓笛隊が奏でる、学会歌の音色が響いた。ファイフを演奏していた渡邊洋子さん(愛媛池田東県、地区女性部長)は、この時が初めての先生との出会いだった。
大会の終了後、池田先生は鼓笛隊のメンバーと懇談。先生が「皆さんの中で、お父さんのいない人はいますか?」と尋ねると、数人が手を上げた。先生は、温かく包み込むようにして、友に励ましを送った。
さらに、先生はメンバーと記念のカメラに納まった。"全員が幸福になってもらいたい"との師の慈愛は、16歳の渡邊さんの心に深く染みた。以来、"私の師弟共戦の歴史をつづろう"と、信心の大道を真っ直ぐに進んできた。
3年前、地区女性部長に就任。だが、昨年、胃がんを発症した。病床で何度も、「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との御聖訓を拝し、1日も早く広布の最前線に戻ることを、真剣に祈り続けた。
手術で、胃の3分の2を摘出した。寛解を目指して、経過観察を続ける。しかし、渡邊さんは「病魔に負けません!」と朗らかだ。
地区の活動は、林真知子さん(同、女性部副本部長)、青野幸子さん(同、支部女性部長)が支える。渡邊さんは、あの日の記念写真を見返しつつ、地域広布の歩みを重ねている。

�.わが地域のために
四国に初の学会員が誕生したのは、53年(同28年)のこと。この年、高知班が結成され、翌54年(同29年)には、四国で初めての地区が高知に誕生する。
そして、55年(同30年)1月22日、戸田先生が池田先生と共に高知へ。これが池田先生の四国への第一歩である。
戸田先生は地区総会で、高知出身の板垣退助や中江兆民の「自由民権運動」に触れつつ、「新時代の平和革命の大思想は、この日蓮大聖人の仏法である」と訴えた。
それから12年後の四国本部幹部大会で、池田先生は強調した。
「四国の地から、妙法を受持した坂本龍馬、板垣退助、中江兆民といえる新時代の勇気ある指導者が、陸続と出現することは、絶対に間違いないと私は確信するものです」
さらに、交通網の発達に伴い、四国が広布の戦いの中心地となっていく時が来たと期待を述べ、四国広布の未来を見据えつつ、「青年部、学生部、高等部、中等部、少年部を大事にして、育てていっていただきたい」と力を込めた。
31分間にわたる渾身のスピーチに続いて、先生は学会歌の指揮を執った。師匠の舞に合わせ、青年部は高らかに旗を振った。松岡貞敏さん(高知池田正義県、副県長)も、その一人である。
「55年前のことですが、先生が『楽土建設の革命児たれ』とのモットーを発表された時の感動は、今でも覚えています」
発電機メーカーに勤務した後、31歳で独立。工業部品の卸売業を始めた。経営の浮き沈みを何度も経験した。苦難に直面した時ほど、信心の炎を赤々と燃やし、乗り越えてきた。
「楽土建設の革命児たれ」を胸に、地域活動にも率先した。町内会の防災の副会長、高知県の薬物乱用防止推進委員などを歴任。妻の政代さん(同、県女性部主事)と、二人三脚で信頼の輪を広げた。
8年前、試練が襲う。県婦人部書記長(当時)を務めていた長女の美智子さんが、くも膜下出血で倒れ、半年後に亡くなった。松岡さん夫婦は、御本尊にしんしんと祈り、"娘の分まで広布に尽くし抜こう"と誓った。昨年、夫婦で広宣貢献賞を受賞した。
次女の香織さん(同、女性部本部長)、三女の由美さん(同、支部女性部長)も、父母と同じ思いで、愛する地域の楽土建設に駆け巡っている。

�.小豆島ここにあり
67年(同42年)9月11日、四国本部幹部大会の終了後、池田先生は瀬戸内海に浮かぶ小豆島に向かった。
小豆島広布は、53年(同28年)8月、道下ハナさん(故人)の入会から始まった。周囲から「南無妙法蓮華経が歩いている」などと言われながら、道下さんは、地域に仏法を語り広めた。
一人の女性から、一人また一人へと幸福の種が蒔かれ、先生が67年に小豆島を初めて訪問した時には、2支部にまで発展していた。
先生が島を訪れたことは、同年9月13日付の聖教新聞1面で報道され、会館建設が決定したことも掲載された。その朗報は、瞬く間に伝わった。
翌68年6月、小豆島会館が完成。その10年後の78年7月、先生は小豆島会館の開館10周年記念勤行会に出席した。
席上、先生は語った。
「これからも、私は、小豆島の皆さま方に題目を送ります。"小豆島ここにあり"という『団結の小豆島』『福運の小豆島』を、スクラムを組んで建設してください」
柴田徳彦さん(香川池田正義県、圏壮年部長)は、勤行会が生涯の原点だ。会館に到着すると、柴田さんの視線の先に、師の姿があった。
「よく来たね」と声を掛けた先生と、固く握手を交わした。その柔らかく、温かい手のぬくもりは、柴田さんの心に今も鮮明だ。
柴田さんは、小豆島の初代の高等部長を務め、未来の宝の育成に全力を注いだ。地域活動にも尽力。瀬戸内国際芸術祭では、スタッフとして運営に携わってきた。島のための労を厭わない姿に、周囲からの信頼は厚い。
◇◆◇
池田先生は、四国の友に万感の期待を寄せている。
「『香川』『高知』『愛媛』『徳島』と、いずれも、おとぎの国のようなロマンあふれる名前を冠した四国は、『常楽我浄』の生命の宝塔が林立する幸福と平和の楽土を、永遠に勝ち栄えさせていってください」

2022年9月22日木曜日

2022.09.22 わが友に贈る

寒暖差に注意。
季節の変わり目は
今一重の体調管理を。
夏の疲れを取りながら
健康第一で進もう!

盂蘭盆御書 P1430
『悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息夫妻所従檀那無量の衆生三悪道をはなるるのみならず皆初住妙覚の仏となりぬ』

【通解】
悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。さらには、子息、夫妻、従者、檀那、無量の衆生が三悪道を離れただけでなく、皆、ことごとく(菩薩の修行の中で最初の不退の位である)初住の位に昇り、また(極果である)妙覚の仏となったのである。

【先生の指導から】
なかには、ご家族が信心されていない場合もある。ご家族を、早くに亡くされる場合もあるかもしれない。しかし、大聖人は断言されている。
(中略)
一人が成仏すれば、皆を成仏させることができる。一人が幸福になれば、皆を幸福にしていくことができる。嵐の暗夜にあっても、一本の灯台が燦然と輝きわたっていれば、多くの船を安全に導いていけるようなものである。自身が根本である。
仏意仏勅の学会は、究極の「幸福の安全地帯」である。この学会とともに自分自身が生きぬいていくならば、一家眷属も皆、必ず幸福へとリードしていくことができる。この大確信を忘れないでいただきたい。

名字の言 鹿児島で話題の"90歳の現役美容師" 2022年9月22日
日本をはじめ、世界各国の教育思想に大きな影響を与えた米国の教育哲学者ジョン・デューイ。90歳の誕生日の祝賀会が開かれた時、感謝のあいさつに立った彼は「これからの将来に横たわっている仕事に自分が専念する」(石田理訳)と述べた。90歳を過ぎても、青年のごとく、学問に情熱を注いでいた▼鹿児島に"県内最高齢の現役美容師"として話題の女性部員がいる。20歳で美容師免許を取得し、28歳で独立。経営の浮き沈みや自身の病など、さまざまな苦労を乗り越えてきた。この道70年、90歳の支部副女性部長である▼彼女がカットとカラーを行い、同居する86歳の妹が接客を担当する。仲良し姉妹がもてなす美容室は、常連客も同世代が多い。無理はせず、予約は1日3人まで。「お客さまがいる限りは、店を続けていきたい」と、ますます元気だ▼加齢によって体が衰えるのは誰しも避けられない。しかし、心は違う。自分で希望を生み、挑戦を続ける人には、前進の息吹がみなぎっている。そんな人に接すると、こちらも元気になってくる▼池田先生は「『若さ』とは、年齢では決まらない。生命の力、生命の勢いで決まる」と教える。不屈の信仰でわが心を磨き、充実人生の一日一日を刻もう。

寸鉄 2022年9月22日
「ほむればいよいよ功徳まさる」御書。体験語り互いに讃え合う座談会に(新1713・全1242)
東京・青梅総区の日。わが地域を広布の理想郷に!誓願の祈り強く対話拡大
いかなる苦悩もやがては大きな実りに—戸田先生 多宝の友が厳然と証明!
未来の創造の為に今、何かを準備せねば—哲学者ベルグソン 青年は勇んで試練に挑め
今冬、流感と新型の同時流行に懸念—医師。基本的な感染対策を緩みなく

〈社説〉 2022・9・22 あす「手話言語の国際デー」
◇"違い"を"個性"と理解し合う社会へ
本年3月、ろう者の俳優が主な登場人物を演じた映画「コーダ あいのうた」が米アカデミー賞に輝いたのは記憶に新しい。同作はコーダ(ろう者の親を持つ聴者)の高校生とその家族が共に成長していく物語で、手話の豊かな表現力が多くの人を魅了した。
あす23日は「手話言語の国際デー」。手話言語を音声言語と対等であると認め、ろう者の人権が保障されるよう、社会全体での意識向上を促進するために2017年、国連で定められた。
既に06年には、手話を言語と位置付けた「障害者権利条約」が国連で採択。世界的にも、ニュージーランドや韓国など手話を公用語と定めた国は広がりつつある。
日本では、11年の東日本大震災が大きな転機となった。この時、避難の呼びかけや防災無線が聞こえず、逃げ遅れたろう者らが少なくなかった。手話による情報提供を求める声が高まったことなどから、同年改正の障害者基本法では「言語(手話を含む。)」と明記され、日本の法律として初めて手話を独自の文法を持つ言語として規定したのだ。以後、手話言語条例を制定し、住民の手話への理解を深める活動に取り組む自治体も増加。また、聴者が言語科目として手話を学べる大学も複数ある。
ろう者の活躍の舞台も広がっている。日本の手話とは表現などの異なる海外の手話を学び、留学を目指す学生がいる。筆談やスマートフォンの音声変換アプリ等を活用して、白ゆり長として広布に駆けるメンバーもいる。
池田先生は「桜梅桃李」という仏法の知見について、「それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめ、麗しい人間共和の世界を築いていく、人間や文化の多様性を最大に尊重し、生かし、また調和させゆく哲理」と語った。これは、ろう者と共に生きる社会を考える上でも大切な英知だと思える。
このほど、ろう者など聴覚に障がいのあるアスリートが実力を競う、4年に1度の国際スポーツ大会「デフリンピック」が、25年に東京で行われることが決まった。"ろう者の五輪"とも呼ばれ、日本では初の開催となる。
同大会を機に、"聴者の「普通」にろう者が合わせるのではなく、互いに歩み寄る社会"を、そして"「違い」を「個性」として理解し合える社会"を築いていきたい。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第23回 アルバート・アインシュタイン
〈アルバート・アインシュタイン〉
他の人の喜びを喜び、他の人とともに苦しむこと——
これが人間にとって一番の指針です。

「笑ってください」とのカメラマンの要望に、舌を出してユーモアたっぷりにほほ笑む。
飾らないユニークな人柄で知られるアルバート・アインシュタインの有名な写真は、72歳の誕生日パーティーの帰り際に撮影されたものだった。
"現代物理学の父"アインシュタインは1879年3月、ドイツ南部の都市ウルムで暮らすユダヤ人の両親の元に生まれた。
科学に興味を抱くきっかけとなったのは、幼少期に手にした方位磁石。どの方角に向けても北を指し続ける磁針——物体に作用する"目に見えない不思議な力"の存在を知り、科学のとりこになった。
磁針に据えられた少年の眼は、やがて宇宙の謎の解明へと向けられ、科学者になるという夢をもつように。しかし、そこへ至る道は決して平たんではなかった。
父が営む工場の経営不振を機に学校を中退。その後、受験の失敗を経て大学進学を果たすも、今度は就職でつまずいた。
やむなく臨時の教師をしながら研究を続ける中、友人の助けもあり、スイスの特許局に就職。そこは安定した職場ではあったが、夢をかなえられる場所とは言いがたかった。
それでも、アインシュタインの科学への情熱が消えることはなかった。「私には特別な才能などありません。ただ好奇心が激しく強いだけです」
1905年、26歳の時に「特殊相対性理論」をはじめとする三つの科学論文を発表。それは200年以上、物理現象の常識とされた「ニュートン力学」に基づく「時間」と「空間」の概念を覆す内容であった。
支持を表明する著名な物理学者はいたものの、無名の青年の論文は容赦なく誹謗された。ユダヤ人という理由で中傷されもした。
「人間としての真の偉大さにいたる道はひとつしかない。何度もひどい目にあうという試練の道だ」——彼の信念はその11年後、「一般相対性理論」の完成として結実する。精密な天体観測の結果、この理論は証明され、科学の発展に尽くした功績によって21年度のノーベル物理学賞が贈られた。
アインシュタインは後年、次のように記している。
「他人のために生きる人生だけが生きがいのある人生だ」「他の人の喜びを喜び、他の人とともに苦しむこと——これが人間にとっていちばんの指針です」と。
"何のための科学か"——波瀾万丈の人生の中でそれを問い続けた姿こそ、「20世紀最大」と称される物理学者の実像であった。

〈アルバート・アインシュタイン〉
我々は自らの心を変え、勇敢に声を発することによってのみ、他者の心を変えることができる。

アインシュタインは戦争を憎んだ平和主義者でもあった。
彼が生きたのは、日進月歩の科学技術が、2度の世界大戦で武力として使用された時代。科学はあくまで手段であり、それを用いる人間次第で「希望」にも「恐怖」にもなり得る、というのが彼の考えであった。
本格的に反戦・平和運動へと身を投じるようになったのは、1914年の第1次大戦勃発以降。欧州の文化を支持し、人々に分断ではなく連帯を呼びかける声明書に署名したほか、戦争の早期終結を目指してフランスの文豪ロマン・ロランらと意見を交わした。
また、国際連盟の知的協力委員会にも所属。「人々の間の語らいは、魂のふれ合いを進めうる」との思いで、物理学者マリー・キュリー、詩聖タゴール、心理学者フロイトら知識人と親交を結ぶ。
そうした中、祖国ドイツではナチスが政権を掌握(33年)。ユダヤ人は総じて迫害の対象となり、アインシュタインは一家でアメリカへと亡命する。
遠い異国の地にまで届く同胞の悲痛な叫び。胸をえぐられるような毎日を過ごしていたある日、一人の物理学者から相談が持ちかけられる。それは、ドイツが原子力を利用した新型爆弾をつくっている可能性と、対応が必要だと米国のルーズベルト大統領に伝えるべきであるとの趣旨であった。
アインシュタインは、大統領宛ての書簡に署名。ドイツが製造間近ではないと分かるのは後の話だが、これが米国による原子爆弾開発の「マンハッタン計画」を急がせることになった。
彼自身、実際の開発には携わっていない。しかし、新型爆弾の原理には、相対性理論で示した質量とエネルギーの関係を表す公式が応用されたのである。
45年8月6日、世界初の原爆が広島に投下。3日後には長崎にも落とされ、無数の尊い命が一度に奪われた。人類最悪の悲劇が起きた事実を知り、アインシュタインは絶句した。そして、その後悔を背負い、残りの人生を対話による核兵器の廃絶に捧げていく。
「恒久の平和は脅迫によってではなく、相互の信頼を招く真摯な努力によってのみ、もたらされるものです」「我々は、自らの心を変え、勇敢に声を発することによってのみ、他者の心を変えることができる」と。第2次大戦が終結したこの年、彼は65歳になっていた。
アインシュタインが生涯を閉じたのは、10年後の55年4月のことである。最後まで科学の探究と平和の創造に生き抜き、亡くなる7日前には全ての国に核兵器と戦争の根絶を訴える共同声明への署名を承諾。この声明は「ラッセル=アインシュタイン宣言」として、科学者など11人の連名で世界に発信され、平和の誓いとして次代に継承されていった。

〈アインシュタインを語る池田先生〉
「私の永遠は、今、この瞬間なんだ」
清新な決意の一念に立ち返るならば、わが生命に元朝の旭日が赫々と昇る。
人生は戦いである。充実と歓喜の峰へ、新たな一歩を踏み出すのだ。

今から100年前の1922年秋。アインシュタインは日本を訪れ、各地で講演活動を行った。
最初の講演会の場所は、東京・慶應義塾大学。会場には、創価の父・牧口常三郎先生と22歳の戸田城聖先生の姿があった。
戸田先生は5時間にわたる相対性理論の講義を受講した思い出を"人生の誉れ"として、折々に愛弟子の池田先生に語った。
池田先生は恩師の会社で少年雑誌の編集長をしていた21歳の時、「少年日本」の第1号(49年10月号)でアインシュタインを取り上げ、その魅力を伝えている。
そして「ラッセル=アインシュタイン宣言」から2年がたち、同宣言に基づく世界の科学者の連帯「パグウォッシュ会議」が発足されて2カ月後の57年9月8日。
戸田先生は青年部の「若人の祭典」で、核兵器を絶対悪と断ずる「原水爆禁止宣言」を発表した。
民衆の生存の権利を脅かす魔物を断じて許してはならぬ! この思想を広めることこそ、青年の使命である——烈々たる師子吼が、横浜・三ツ沢の競技場に集った5万人の胸に刻まれた。
恩師が「青年への遺訓の第一」とした宣言は学会の平和運動の原点となり、その精神は池田先生に継承された。先生は毎年の「SGIの日」記念提言や各国の首脳・識者との対話を行うとともに、青年を軸にした草の根の運動を提案するなど、核兵器廃絶を目指す連帯を世界に広げてきた。
「ラッセル=アインシュタイン宣言」の署名者の中では、ライナス・ポーリング博士(ノーベル化学賞・平和賞受賞者)、ジョセフ・ロートブラット博士(パグウォッシュ会議名誉会長、ノーベル平和賞受賞者)と深い交友を結び、それぞれ対談集を発刊している。
さらには、随筆やエッセー、スピーチなどでアインシュタインの珠玉の言葉を紹介し、社会の繁栄と平和の建設に尽くす友に指針を贈ってきた。
「大科学者アインシュタイン博士は、『私の永遠は、今、この瞬間なんだ』と言った。
仏法は一念三千と説く。『今、この瞬間』の一念に、『永遠の勝利』も『三世の功徳』も納まっている。いついかなる時も、清新な決意の一念に立ち返るならば、わが生命には、元朝の旭日が赫々と昇りゆくのだ。(中略)
人生は戦いである。ならば今、悔いなく、不滅の戦いを起こすのだ。自身の充実と歓喜の峰へ、新たな一歩を踏み出すのだ」(2007年12月29日付「随筆 人間世紀の光」)
「博士は、こんな言葉も残している。『高貴な思想と行為に導きうるのは、偉大でかつ純粋な個性の実例のみである』と。
率先垂範の『実例』がありてこそ、新たな価値創造の波動も広がる。我らの掲げる『青年の拡大』も、先駆の『一人』から始まるのだ」(17年1月25日付「随筆 永遠なれ創価の大城」)
今月8日、「原水爆禁止宣言」の発表から65周年を迎えた。広宣流布即世界平和の大誓願へ——弟子が立ち、弟子が戦い、弟子が勝つ時は常に「今」である。

2022年9月21日水曜日

2022.09.21 わが友に贈る

"実践の教学"こそ
学会の誉れの伝統だ。
「我もいたし、
人をも教化候え」
行学の二道を貫こう!
(新1793・全1361)

御義口伝巻上 P725
『信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり』

【通解】
信ずることによって、智慧という宝を買うことができる。三世のあらゆる仏の智慧を買うのは信によるのである。

名字の言 常に向上しようとする"キングカズ"の雄姿 2022年9月21日
55歳203日で日本フットボールリーグの最年長出場記録を更新した三浦知良選手が、コラムにつづっている。「学ぶということを知っている者はだれのせいにもしない。僕は学び続ける人間でいたい」▼仮に自分と同じポジションの経験がない監督であっても、指示に耳を傾け、プラスとなる何かを探す。「過去の実績なんてものはどこかへしまって、今を歩む」(日本経済新聞2010年11月5日付)と。年齢や環境にとらわれず、常に向上しようとする"キングカズ"の雄姿は、ファンを魅了してやまない▼ある壮年はバイク事故に遭い、車いす生活に。母が信心しても「自分に未来はない」と入会を拒んだ。そんな彼を4年前、地域の壮年部員が教学部任用試験の勉強に誘った▼最初は渋々始めた。だが、人々を救うため、あえて宿業を背負い生まれてくる「願兼於業」の法理を学ぶ中で、宿命は使命に変えられることを知った。会友で合格し、本年3月に入会。脊髄損傷者を支援する会の県会長として、福祉車両を運転し友の元へ通う▼「生きるとは学ぶことです。学ぶとは生きることです」と池田先生は教える。苦闘の中でなお、至高の生命哲理を学ぶ。その人は不動の自分を築くことができる。

寸鉄 2022年9月21日
信用できるのは青年の心—恩師。正義の炎燃やす広布の闘士よ新時代開け
任用試験、申し込み進む。"理は信を深からしむ"。新たな同志と共に研さん
妙法は「蘇生の義」。苦闘の友を皆で応援。最後に勝つのがわれらの信心だ
国連・国際平和デー。新たな誓いで今日も対話を!生命尊厳の哲理を掲げて
車の事故、雨の日は約4倍と。不安定な天候。次の連休も無理のない計画を

〈社説〉 2022・9・21 きょうから秋の交通安全運動
◇横断歩道では歩行者が優先
「赤信号で止まりますか」——車を運転する人は全員が「止まる」と答えるだろう。では、歩行者が渡ろうとしている、信号機のない横断歩道ではどうか。「止まる」人が多いと願いたいが、実際には「止まらない」人が約7割にものぼったという。
日本自動車連盟(JAF)の調査によれば、信号機が設置されていない横断歩道を歩行者が渡ろうとしている時、一時停止した車は何と30・6%だけだった(2021年調査)。
道路交通法では、横断歩道などを渡ろうとする歩行者などがいるかいないか分からない場合は横断歩道の手前で停止できる速度で走行すること、また、横断中もしくは横断しようとしている歩行者などがいる場合には一時停止することがドライバーに義務付けられている。違反すると罰則の対象となり、違反点数2点、反則金9000円(普通車の場合)の行政処分が科せられる。
21年に全国の警察が横断歩行者妨害で摘発したのは32万件超と、過去最多を更新した。違反の多さ以上に、横断歩道が全く安全ではない現実に戦慄を覚える。
きょうから「秋の全国交通安全運動」(31日まで)。警察庁では、交通事故死者数に占める歩行者の割合が高いことを踏まえ、「子どもと高齢者をはじめとする歩行者の安全確保」などの重点事項を定めている。
ドライバーは今一度、「横断歩道は歩行者優先」との基本に徹し、横断歩道手前での減速・一時停止を厳守していきたい。
また、歩行者も手を挙げるなどドライバーに横断する意思を明確に伝えることや、安全を確認してから横断を始めることなど、自らの安全を守る行動を心がけよう。
池田先生は友の無事故と安全を心から願い、「事故を防ぐ要諦とは何か——それは、信心においても、生活においても、しっかりと基本を守るということです。基本を怠るというのは油断であり、さらに、そこには慢心があります」(小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「大山」の章)と戒めている。
私たちは、ドライバーであれ、歩行者であれ、絶対に"事故を起こさない""事故に遭わない"との明確な意識と強盛な祈りを根本に、交通ルールを順守し、無事故で充実の日々を過ごしたい。

☆対話のツボ 【問い】「彼岸」は、どういう意味なの?
「彼岸」とは、「向こう側の岸」の意味で、「こちら側の岸」を意味する「此岸」との対比で用いられます。此岸とは煩悩の迷いの世界を譬えたもの、彼岸とは成仏の覚りの境涯を譬えたものです。
また、彼岸には成仏の境涯とともに「到彼岸」、すなわち、そこに到る「修行」「実践」の意義も含んでいます。
日本では年2回、「春分の日」や「秋分の日」を挟むそれぞれ前後1週間を「彼岸」と呼び、墓参や先祖供養を行っています。しかし、これは仏教本来の伝統ではなく、日本独特の風習です。
本来、仏教における「彼岸」の本義は、どこまでも「成仏の境涯」、また「成仏に到る実践」にあります。
日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんば、かなうべからず」(新1721・全1448)と仰せのように、南無妙法蓮華経と唱え、広布に生き抜くことで、誰もがこの一生のうちに生死の大海を越えて、覚りの境涯に到達することができるのです。
御書では、「彼岸」という言葉を、先祖供養の意義で用いられている箇所はありません。むしろ大聖人の仏法では、毎日の勤行・唱題が、先祖への追善回向となっています。毎日が彼岸であり、いわば「常彼岸」とも言えるのです。

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第30回 さあ仏法対話に取り組もう
明2023年の11月、広宣流布大誓堂完成10周年を目指して、新たなる弘教拡大の歩みが開始されました。私たちが仏法対話に取り組む姿勢について、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指針を紹介します(指導集163ページ、164ページを抜粋)。

◇穏やかに、にこやかに
大聖人は、破折をするさいにも、「穏やかに、また強く、両目を細くして、顔色をととのえて、静かに申し上げなさい」(新1673・全1280、通解)と仰せである。
大確信をもって、穏やかに、また、にこやかに仏法を語っていくことだ。
(『池田大作全集』第96巻、関東会・東京会合同研修会でのスピーチ)

◇確信と体験を堂々と語る
仏法の偉大さと信心のすばらしさを自信満々と話していくことです。
そして人生の確信ある生き方、未来への限りなき希望に雄々しく生きぬく、価値ある生活の実証を語っていくことです。
結論して言えば、自分自身の確信と体験を堂々と語りぬいていくことです。
(『池田大作全集』第94巻、世界平和祈念勤行会でのスピーチ)

◇焦ってはいけない
人には、それぞれ「時」というものがあります。いつか、その人も、正しい仏法に目覚める時が来る。祈っていれば、必ずそうなります。焦ってはいけない。
忍耐強くいきなさい。戦いは忍耐です。
また、なかなか思うとおりにいかない人がいるからこそ、題目がたくさん唱えられるのではないですか(笑い)。その功徳は、全部、自分のものです。広布への行動に無駄はない。「損」はない。学会活動は、「得」ばかりなのです。
(『池田大作全集』第94巻、世界平和祈念勤行会でのスピーチ)

◇耳を傾けること
真の対話は、他者の尊極の生命に対する敬意から始まる。
この点に関しては、世界的な文化人類学者ヌール・ヤーマン博士とも一致した。「相手を尊敬すること」そして「耳を傾けること」である、と。
(本紙2007年9月30日付、「世界との語らい」)

2022年9月20日火曜日

2022.09.20 わが友に贈る

悪天候等の大変な中で
本紙配達に携わる皆様に
心から感謝します!
決して無理をしないよう
無事故・安全第一で!

妙一尼御前御消息 P1252
『譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇えり、父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し』

【通解】
たとえば、ある人に七人の子供がいて、その子の中で一人が病気になったとする。父母の心は、どの子にも平等であるが、やはり、病気の子に対しては誰よりも、心配するようなものである。

名字の言 "なる"と決める。"なれる"と信じ抜く 2022年9月20日
生徒から「授業が分かりやすい」と定評のある、中学校教諭の男子部員。彼に「優秀なんですね」と声をかけると、「その逆です」と笑顔で答えた。元々は勉強が苦手で、算数の九九を覚えるにも人の何倍も時間を要したという▼彼は少年部時代、「将来、学校の先生になれたらいいな」と未来部員会で夢を語った。すると担当者は「"なる"と決めよう。"なれる"と信じ抜こう」と励ました。後年、教員採用試験に5度目の挑戦で合格。「全てがトントン拍子にいっていたら、今の教員生活に、これほどの充実感はなかった」と振り返る▼先日、ある女性部員が知人と仏法セミナーに参加した。語らいながら会場へ向かう道中、知人が彼女に聞いた。「これまで信心に疑いを抱いたことはありましたか?」。彼女は「入会して55年間、一度もありません」と言った▼ただ、彼女の人生は波瀾万丈だった。若くして母を亡くし、結婚後は息子のけが、夫の大病など幾多の試練が襲った。その一切を信心で乗り越えてきた▼苦難があったにもかかわらず、いな、苦難があったからこそ、仏法への不動の確信を築けたのだ。順風ばかりの人生では信心の醍醐味は味わえない。苦闘を通して、わが生命は磨かれ、輝く。

寸鉄 2022年9月20日
「一句一偈なりとも行ぜば、必ず得道なるべし」御書。実践の人が勝利者(新1828・全1496)
創価班・牙城会の若き力が躍動!未来は君の双肩に。勇気と智慧で光れ!
苦労せざるものは幸運に値せず—偉人ダ・ヴィンチ。あえて困難に挑む青春こそ無上道
歩幅を広げれば認知症予防に効果—研究。運動はできる事から。室内でも
台風通過の地域でも"吹き返し"に注意。土砂崩れ等も。厳重警戒さらに

☆教学随想 日蓮仏法の視座 他者への想像力 石田幸司男子部教学部長
今月2日、第2次世界大戦の正式な終結から77年を迎えた。今この時に当たり、「一人」を思いやる想像力の重要性を考えてみたい。そこに、平和実現のための確実な方途があるに違いないからだ。

◇利己主義超える世界平和の道
「一人」の幸福を信じ祈る
近年、SNSの普及に伴って、その匿名性の故か、気軽に発信できるからか、さまざまな形で「誹謗中傷」が横行し、社会問題になっている。
見ず知らずの相手へ、攻撃的なメッセージを一方的に送りつける。その人は、スマホやパソコンの画面の"向こう側"にいてメッセージを受け取る"生身の人間"の痛みに、どれほど思いを巡らせているだろうか。
他者を思いやれない。目にしているもの以外に思いが至らない——。そこに欠如しているのは、目に見えない相手の"状況"にまで深く思いを巡らせる「想像力」ではないだろうか。
それは裏返せば、自分本位というエゴイズム(利己主義)の表出といえるかもしれない。他者の存在を軽視するところから、人間不信が社会に根を張り、やがて、対立や分断、争いが生じてしまうことは、古今の歴史が証明している。
他者への想像力が欠如した社会に、明るい未来はない。

◇「異の苦」と「同一苦」
日蓮大聖人は「今ときどのにげんざんつかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとおぼう」(新1316・全975)と、目の前にいる富木常忍を自らのもとへ送り出した、妻の富木尼御前の献身に思いをはせられている。眼前の一人だけでなく、その背後にいるであろう家族、そして地域の門下にまで心を砕かれたのだ。
また、大聖人は、大集経や薬師経などの経典に基づいて自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)の二難を予言し、後に二月騒動と蒙古襲来として的中された。民衆を守るために、現実を深く洞察した上で、経典という根拠に基づいて、まだ起きていない事柄の生起を言い当てられたのだ。
これらはまさに、究極の「想像力」だと思えてならない。では、その根底にあるものとは何か。
御書では、涅槃経に説かれる「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ如来一人の苦なり」との一節を引用し、二つのことを述べられている。
すなわち、「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ日蓮一人の苦なるべし」(新1056・全758)と、「一切衆生の同一苦は、ことごとくこれ日蓮一人の苦なり」(新745・全587)である。
「異の苦」とは、あらゆる人々がそれぞれに抱く、一つ一つの苦しみを指す。「同一苦」とは、万人成仏を説く法華経を蔑ろにした人々が、無間地獄に堕ちる苦しみのことである。
つまり大聖人は、個々人が持つ多様な「苦」と一切衆生の「苦」、その両者を御自身の「苦」として捉えられていたのだ。
目の前の「一人」の苦悩を起点に、人類全体の苦悩へと思いを巡らせる——。大聖人の「想像力」の根底にあるものとは、一切衆生を救わんとする、偉大な「大慈悲」にほかならない。
そもそも、「異の苦」と「同一苦」は一見、次元が異なるように見えるが、そこには密接な関係がある。それぞれ異なる苦悩を抱いている人々は、実は、その根底に、生命への根本的な不信という「同一苦」を抱いているのだ。それは、生命軽視、人間不信という、人類が抱える根源的な苦悩である。ゆえに、この「同一苦」との戦いなくして、真の苦悩の克服はありえないのである。

◇菩薩が法を説く場
大聖人が示された「立正安国」の原理も、ある面、人間不信や生命軽視という「同一苦」との戦いといえまいか。
妙法を信受した一人が生命を変革し、幸福境涯を開いていくことで、やがて、法華経の万人成仏に基づく生命尊厳の理念が、一人また一人と広がり、社会を動かす基本原理として確立される。
それによって、私たちの住む現実世界がそのまま、安穏な仏国土となることを、「立正安国論」では教えられている。そのための実践として示されたのが、「一対一の対話」である。
大乗仏教の維摩経では、在家の菩薩である維摩詰が、自らが病になった原因について、"衆生を子のように愛するので、衆生が病めば、菩薩も病むのである"と述べる場面がある。先の涅槃経の一節に通じる話である。
注目したいのは、維摩詰が、学校や政治・法律の場、議論の場、さらには酒場や賭博場にまで入り込んで法を説いていることだ。具体的、直接的にあらゆる他者と関わることは、万人尊敬の実践であり、一切衆生の救済につながることを示唆しているように思える。
現実に関わる「一人」と語らい、「一人」を救済することから、あらゆる衆生の救済は始まるのだ。

◇具体的な幸せの姿
以前、戦争を経験した方々のお話を伺ったことがある。ある方は、語り部として学校等で必ず伝えていることがあるという。
「学校で友達をいじめる。これは、人間生命を大切にしていないという点で戦争に通じる。人生にはもっともっと楽しいことがあるはずなんです。それを、友達と協力して努力して見つける。平和って、そうやって築いていくしかないと思う」と。
争いと対極という意味での「楽しいこと」を、身近な他者と協力して見つけていく粘り強い営みが、今ほど求められている時はないと感じる。
私が創価学会の活動を積極的に始めた頃、先輩から教わったことがある。それは、「あの人に幸せになってほしい」という漠然とした願いから一歩踏み込んで、「こういう幸せをつかんでほしい」という、相手が具体的に幸福になる姿を祈ることだった。
そのためには、相手のことを深く知らなければいけない。会って話すなど、人間関係が深まれば、より一層、相手についての想像力が働く。「一人を大切にする」ことの一つの形がここにあると思う。
池田先生は、「一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、『同苦』は始まるのである」と述べられている。
関わることで他者への想像力は培われ、培われた想像力をもって他者に励ましを送っているのが、私たち学会員の生き方である。
さらに先生はつづられている。「あの友の悩みに耳を傾け、懸命に励ましの言葉をかける。この人に、なんとしても幸せになってほしいと、必死に仏法を語り、題目を送る——われらの健気なる日々の実践こそが、大聖人に連なる直道であるのだ。
その時、自身の偏狭なエゴイズムの殻は破られ、地涌の菩薩の、御本仏の大生命が胸中に脈動し、境涯革命の歯車が回転するのだ」
自分だけの幸福などない。他人だけの不幸もない。
社会の分断が危惧される今こそ、想像力豊かに、目の前の一人を大切にする行動を貫き、その思想を広げ、思いやりに満ちた社会を築いていきたい。

2022年9月19日月曜日

2022.09.19 わが友に贈る

◇今週のことば
「年はわこうなり、
福はかさなり候べし」
最極の多宝の父母に
感謝と敬意を込めて
和楽充実の座談会を!
(新1543・全1135)
2022年9月19日

異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』

【通解】
日本国の人々は、大勢いるが、体同異心なので、何事もうまくいかない。日蓮の一門は、異体同心であるゆえに、人数は少ないけれども、大事を成し遂げ、必ず妙法が広まると確信する。悪は多くとも、一善に勝つことはない。

名字の言 青年に弘教を実らせた多宝の友 2022年9月19日
ゲーテは"人類の至宝"ともいえる数々の作品を生み出す一方、愛する妻子に先立たれる苦悩の人生を送った。悲哀の渦中、大文豪は仕事に熱中することで苦悩を乗り越えたという。執筆という"使命の道"を強い決意で突き進み、自己を立て直した▼そうした不屈の人生の総仕上げとして、劇詩『ファウスト』を残した。20代で書き始め、書き終えたのは82歳の時。結末をわずかに加筆し、その後、程なく世を去った。まさに生涯を懸けた畢生の大著であった▼「人生は無常ですね」と語る多宝会の女性部員。広布の苦楽を共にした夫が亡くなり、1人暮らしに。ただ、彼女の日々は多忙だった。連日、同志と語らいの場を設け、教学の研さんにも励んだ。そんな中、30代の青年に弘教も実らせた▼仏法が説く「無常」は、センチメンタルや諦めといった弱い気持ちではない。"変化"を意味する。彼女は変化の連続である無常の人生で、信心根本に最高の価値を創造する年月を歩んだ▼御聖訓に「年はわこうなり、福はかさなり候べし」(新1543・全1135)とある。隠遁や引退などとは無縁にして、若々しく生き抜き、福徳輝く多宝の友を心から尊敬し、その姿勢に学びたい。きょうは「敬老の日」。

寸鉄 2022年9月19日
SGIは理想の人間社会築く存在—識者。我らは共生世紀の建設に邁進!
「法華経に名をたて身をまかせ給うべし」御聖訓。広布大道に生き抜く誉れ(新1791・全1360)
人生に関する問題は対話でなくては通じぬ—牧口先生。真剣勝負で励まし
猛烈な台風の影響続く。最新情報注視し避難は早め早めに。絶対無事故で
世代を超えた交流は脳を活性化—研究。学会活動は皆が主役。生き生きと

〈社説〉 2022・9・19 きょうは「敬老の日」
◇時代を築いた先達に感謝
きょうは「敬老の日」。これを機に読書を楽しんでもらうため、公益社団法人「読書推進運動協議会」は24冊の本を紹介している。
その中の一冊に、プロデューサー・演出家の石井ふく子氏が著した『家族のようなあなたへ—』がある。国民的な脚本家となった、故・橋田壽賀子氏との60年に及ぶ二人三脚を振り返った内容だ。
初対面で「何を書きたいんですか?」と尋ねた石井氏に、橋田氏は「人を書きたい」と。テーマは「家族」で一致した。身近な人を描いたホームドラマに、人生の価値を見いだしたのかもしれない。以降、数々のヒット作を世に送り出していった。
本紙「幸齢社会」の欄にも登場した橋田氏は当時90歳。「老後」について問われ、「あるのは"今"の人生だけです。過去は変えられないのでくよくよ考えず、未来を先取りしてあれこれ心配もしない。『今日一日を悔いなく生きること』に集中します」と明言した。
それは創価の大先輩である多宝の友が"生涯青春"との情熱で、自他共の幸福のために駆け続ける尊い姿とも重なり合う。
"信心で幸せになってほしい"と願い、20年前に友を入会に導いた、80歳のある女性を取材した。
友は店を営んでいたが、3年ほど前に転んで脚を骨折し、休業。落ち込む友に「元気になる!って祈るんだよ」と寄り添い、本人の希望になればと、店の掃除もした女性。友は唱題に励み、リハビリで回復を目指すようになった。
女性は、「これからもお互いに『幸せだ』と言えるよう、生命の変革を後押ししたい」と語る。
仏法は、万人成仏の法である。あらゆる人の生命が尊い。相手の仏性を引き出そうと祈り、行動してきたのが信心の先輩方だ。
御書には「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(新1309・全986)とある。あまたの父母が、その一日一日を真剣に生き、師弟の共戦譜をつづってきたからこそ、広布の未曽有の伸展がある。
池田先生は、「人生も社会も、諸行無常である。しかし、生涯、誓いを胸に、同志と共に広宣流布に生き抜くなかに、生命の大法に立脚した常楽我浄の人生があるのだ」とつづっている。
誰もが今を生きる。その上で私たちは、今の時代を築いてくれた先達に感謝を忘れまい。

☆御書と未来へ 第37回 仏の大慈大悲に連なる実践
〈御文〉
『いのちと申す物は、一切の財の中に第一の財なり。「三千界に遍満するも、身命に直するもの有ることなし」ととかれて、三千大千世界にみてて候財も、いのちにはかえぬことに候なり。』〈白米一俵御書、新2052・全1596〉

〈通解〉
命というものは、一切の財の中で、第一の財である。「三千界に遍満するも、身命に直するもの有ることなし」と、経文に説かれているように、たとえ三千大千世界に満ちている財であっても、命には代えられない。

〈池田先生が贈る指針〉
最極の生命を守る創価の薬王菩薩が、わが誉れのドクター部だ。仏の大慈悲に連なり抜苦与楽に献身する方々に、深謝をささげたい。
我らには「更賜寿命」の妙法があり、負けじ魂の善友がいる。共に祈り、共に励まし、病魔を打ち破って、全宇宙の財宝に勝る「いのち」を、一日一日、丁寧に輝かせ切っていこう!

☆大慈悲の心音 門下への便り 第7回 四条金吾�
あす9月12日は、日蓮大聖人が竜の口の法難で、「発迹顕本」を遂げられた日です。この日は、四条金吾にとっても、師弟の絆を確固不動のものとする重大な"一日"となりました。
文永8年(1271年)9月12日の夕刻、平左衛門尉頼綱が武装した兵を率いて松葉ケ谷の草庵を襲撃。大聖人をまるで謀反人のように捕縛しました。背後には、大聖人との祈雨の勝負に敗れ、憎悪を募らせた極楽寺良観らの謀略と讒言がありました。
夜半、大聖人は馬に乗せられ、鎌倉の郊外へと連行されます。闇に紛れて斬首してしまおうと企んだのでした。途中、急報を受け、裸足で駆け付けてきた金吾に、大聖人は悠然と仰せになりました。
「今夜、頸を斬られに行く。この数年の間、願ってきたことは、これである」(新1231・全913、通解)
金吾は、馬の口に取り付き、殉死の覚悟で大聖人にお供しました。そして、竜の口の刑場で、武士が大聖人を処刑せんと身構えた、まさにその時——。月のような「光り物」が江ノ島の方向から現れ、兵士たちは恐れおののき、処刑は失敗に終わったのです。
この法難で、大聖人は凡夫という仮の姿(迹)を開き、凡夫の身のままで、慈悲と智慧に満ちた本来の仏の境地(本地)を顕されました。金吾は、即身成仏を身をもって示された師匠のお姿を命に刻み、生涯、師弟不二の道を歩み抜こうと誓ったに違いありません。

◇"覚悟の信心"で不二の道を
『さてもさても、去ぬる十二日の難のとき、貴辺たつのくちまでつれさせ給い、しかのみならず、「腹を切らん」と仰せられしことこそ、不思議とも申すばかりなけれ。』(四条金吾殿御消息、新1516・全1113)

◇通解
それにつけても、去る12日の難の時、あなたは竜の口の刑場まで連れそってくださり、そればかりではなく、「腹を切ろう」と言われたことは、不思議といおうか、とても言い表せないほどである。
法難から、わずか9日後に四条金吾に送られた御書の一節です。
師匠の一大事に、共に殉じようとした金吾との師弟の縁の深さを、「とても言い表すことはできない」とまで言われています。
竜の口で、大聖人がまさに斬首されようとした時、金吾は、「只今なり(今が最期でございます)」と、こらえきれずに嗚咽しました。これを見られた大聖人は、厳然と金吾を叱咤されます。
「なんという不覚の人か。これほどの喜びを笑いなさい。どうして約束を破ることができようか」(新1231・全913、通解)
命を奪われようとする絶体絶命の危機においても、微動だにしない師子王の大いなる境涯。"経文通りの正しい実践を貫いている"との大確信と、"断固として障魔に打ち勝ち、万人成仏の道を開く"との気迫に、圧倒されます。
池田先生はつづっています。
「(竜の口の法難における大聖人の振る舞いは)一個の人間がいかに偉大であるかを、弟子に示された『師弟の儀式』でもあったと、私には思われてなりません。師匠の命懸けの大法戦を最も信頼する弟子の心に刻み付け、未来永劫に繋げようとされたのではないかと拝されます」
"覚悟の信心"こそ、師弟不二の道を決定づける——御本仏に連なる私たちも、金吾のごとき不屈の信仰で、人間革命の大ドラマを演じていきましょう。

◇共に戦った同志を忘れない
『返す返す今に忘れぬことは、頸切られんとせし時、殿はともして馬の口に付いてなきかなしみ給いしをば、いかなる世にか忘れなん。たとい殿の罪ふかくして地獄に入り給わば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらえさせ給うとも、用いまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。』(崇峻天皇御書、新1595・全1173)

◇通解
なんといっても今でも忘れられないことは、私が頸を切られようとした時、あなたがお供をしてくださり、馬の口にとりついて泣き悲しまれたことです。このことは、どのような世になっても忘れることはできません。
もし、あなたの罪が深くて地獄に入ってしまわれるようなことがあれば、この日蓮に対して釈迦仏が「仏になりなさい」と、どれほど導こうとされようとも、私は従うことはありません。あなたと同じく地獄へ入るでしょう。
四条金吾は後年、信仰を理由に、主君からの所領没収の危機などに直面します。この「崇峻天皇御書」を頂いた当時、状況は好転し始めていたとはいえ、いまだ厳しいものがありました。
苦境と戦う金吾が拝した慈愛の言葉。師の真心に、熱いものが込み上げたに違いありません。金吾は原点に立ち返り、どこまでも信心根本、師の御指導を根本に、人生の艱難を乗り越えていきました。
その後も大聖人は、竜の口での金吾の振る舞いを幾度もたたえておられます。"あの時のことを決して忘れません""諸天に守られ、成仏することは間違いない"と。
池田先生は本抄を拝し、語っています。
「人を見くだすような"権威"のかけらもない。あるのは、真心には真心で、真剣には真剣で応えようという最高の人間性であられる。仏法は、人間性の真髄と完全に一致するのである」
共に戦った同志を、永遠に忘れない。永遠に守り抜く。これが師匠の心です。

2022年9月18日日曜日

2022.09.18 わが友に贈る

猛烈な台風に厳重警戒!
最新の情報を確認し
災害への備えを万全に!
「百千万億倍
御用心あるべし」
(新1590・全1169)

種種御振舞御書 P925
『法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり、此の魔王疫病の神の目にも見えずして人に付き候やうに古酒に人の酔い候如く国主父母妻子に付きて法華経の行者を嫉むべしと見えて候』

【通解】
法華経を持つ者は必ず成仏するゆえに六天の魔王という三界の主が此の経を持つ人を強烈に嫉むのである。この魔王は、あたかも疫病の神が、だれの目にも見えずに人に取りつくように、古酒に人が酔い入ってしまうように、国主・父母・妻子に取りついて、法華経の行者を嫉むと経文に見える。

名字の言 日本選手のシーズン最多本塁打数に到達した村上宗隆選手 2022年9月18日
58年ぶりの快挙に列島が沸いた。プロ野球・ヤクルトの村上宗隆選手が、日本選手のシーズン最多本塁打数(55本)に到達した。次は記録更新、そして歴代最多の60本超えなるか。22歳の若武者の活躍に期待が膨らむ▼特別なことは何もしていないし、打てて不思議でも何でもない。自分なりに1年やってきたことを着実にやっているだけだと思う——そう語ったのは、1964年に55本を放った王貞治さん。自身の記録に村上選手が並んだ直後のコメントだ。自分がそうだったように、彼にも同様の感覚があるのではないか、と▼その上で、本塁打を量産するのは「我々の時代よりも難しい」とも。投球術や投手の起用法などが進化する中でこれだけ打てるのは、基本を大切にしながら自分なりに努力と挑戦を積み重ね、圧倒的な技術を身に付けたからだろう▼どんな技術であれ、時代とともに研究され、陳腐化する。ゆえに、それまでと同じことをしているだけでは成長も勝利もない。「変えてはならないもの」は変えず、「変えるべきもの」は変えていく。そこに成否や勝敗を決する鍵がある▼精神や伝統は堅持しながらも、知恵を湧かせ、新しい価値を創造していけば、強くなる。人も組織も同じである。

寸鉄 2022年9月18日
大善人になるには強くならねばならぬ—牧口先生 立正安国へ断固と前進!
祈りの姿勢は「子の母にはなれざるがごとく」と御書。強く深く具体的に(新1697・全1255)
自分を磨くことが人生で最も重要だ—文豪トルストイ。人間革命こそ幸福勝利の直道
100歳以上が初の9万人超に。豊かな経験、知恵は宝なり。充実の幸齢社会へ
今冬は7年ぶり節電要請の方針と。衣・食・住の工夫今から。聡明に省エネ

☆「青年不戦サミット」への池田先生のメッセージ
◇創価の青年は"地涌の光明" 人類の未来を照らしゆけ
我らの恩師・戸田先生の「原水爆禁止宣言」65周年に当たり、原点の天地・神奈川での「青年不戦サミット」、誠にご苦労さま!
全国の青年部の代表と共に、希望の宝たる未来部の皆さんも凜々しく参加してくれ、何より頼もしく感じられてなりません。
「核兵器なき世界」への我らの闘争は、一貫して師弟の共戦であります。不二なるがゆえに、行き詰まることはない。
当時、恩師の宣言を報じた聖教新聞の同じ日の紙面で、私は、核兵器は「全世界の共通の憂い」であるとの主張を発表しました。その後も、私は師の心を心として、折々の会合で、"核兵器の使用を断じて許してはならない"と訴え続けたのです。
その年の秋、戸田先生にお供して東海道本線に乗った折、道路建設の第一人者であった人物と知遇を得る機会がありました。語らいが弾む中、その方は先生の信念に感銘し、「あなたは絶対に崩れない心の道路を、全世界につくろうとしているんですな」と言われたのです。破顔一笑された恩師の姿がよみがえります。
まさに、世界の民衆の生存の権利を守り抜くために、何があろうとも「平和と人道の大道」を断固として開いていくのが、我ら創価の師弟の誉れ高き使命なのであります。
核兵器廃絶を求めてやまぬ市民社会の人々やNGO(非政府組織)との連帯を強める中で、「原水爆禁止宣言」の精神と響き合う「核兵器禁止条約」が昨年発効し、本年6月にはウィーンで第1回の締約国会議が開催されました。日本と各国のわが青年部の代表が出席し、核時代に終止符を打つためのグローバルな挑戦を力強く後押しする一翼を担ったことも、恩師はさぞお喜びでしょう。
法華経に「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(妙法蓮華経並開結575ページ)とあるように、世界の混迷がいかに深まろうとも、創価の青年一人一人が"地涌の光明"となって時代変革の行動を続ける限り、晴らすことのできない闇など、決してないはずです。
「いまだこりず候」(新1435・全1056)という不屈の学会精神で「青年不戦」の声を強めながら、人類の未来を照らす若き世代の光のスクラムを敢然と広げゆくことを念願して、私のメッセージとします。

2022年9月17日土曜日

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2022.09.17 わが友に贈る

身近な友と心を通わせ
友好の絆を結ぶことが
平和を築く第一歩だ。
今いる場所から
幸の連帯を広げよう!

四条金吾釈迦仏供養事 P1146
『日蓮をば日本国の人あだむ是はひとへにさがみどの(相模殿)のあだませ給うにて候ゆへなき御政りごとなれどもいまだ此の事にあはざりし時よりかかる事あるべしと知りしかば今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずとをもい候へば、此の心のいのりとなりて候やらんそこばくのなんをのがれて候、いまは事なきやうになりて候』

【通解】
日蓮を日本国の人々が憎んでいる。これはひとえに相模守殿が日蓮を憎まれていたからである。道理にかなわない政道であるが、いまだこのようなことにあわぬときから、こういうことがあるだろうと知っていたから、今更、どんなことがあっても人を恨むような心は全くないと思っていたので、この心が祈りとなったのであろうか。数々の難をのがれてきた。そして今は、何事もないようになった。

名字の言 「鍛えがあるからおいしい米ができる」 2022年9月17日
実りの秋、店頭に今年も新米が並び始めた。以前、水稲栽培の農家が「苗踏み」をする光景を見た▼重いローラーに踏み付けられて苗が折れ曲がる様子は痛々しい気もしたが、この刺激が生育を促進させ、根張りが良くなり、倒れにくい丈夫な稲に育つのだという。「鍛えがあるからおいしい米ができる。人生に通じますよね」と農業従事者がしみじみと語っていた▼確かに、苦難の山坂を越えた人の歩みは味わい深い。そもそも順風満帆なだけの人生などありえない。加えて、混迷を極める昨今の世相。仕事の苦境、人間関係の軋轢、思いもしなかった災害や病気……。"なぜ自分が"と壁にぶつかっている人もいるかもしれない。しかし、意味のない試練などない▼仏法は「願兼於業」の法理を説く。菩薩は、願って宿業を背負いながら悪世に生まれ、それを乗り越える姿で人々を励まし救っていくとの意。直面する悩みを"業"と捉えるだけでは価値を生み出せない。"人間革命の勝利劇を演じるために、自ら誓願した試練なんだ"と捉えて真剣に祈り、行動に打って出る。その時、宿命は必ず使命に変わる▼何があろうと屈せず、希望を持って前へ。その姿勢を貫く人生に豊かな「実りの季節」はやってくる。

寸鉄 2022年9月17日
正義の師子王・男子部がスタートダッシュ!鮮烈なる広布拡大の万波を!
鳥取・島根の日。地域の繁栄は一念の変革から。励まし対話広げ希望の前進
蓮祖の弟子となる功徳は「はかり尽くし給うべからず」御書。宿縁は三世に(新1790・全1359)
"秋バテ"注意。バランス良い食事・運動・睡眠が健康の源。聡明なリズムで
高齢者狙う詐欺は孤独や健康の不安に巧みに付け入ると。声掛け幾重にも

☆御書と未来へ 第36回 平和を築く師子吼を共々に
〈御文〉
『元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり。「疑いなきを信と曰う」の釈、これを思うべし云々。』〈御義口伝、新1047・全751〉

〈通解〉
元品の無明という生命の根源的迷いを対治する利剣は「信」の一字なのである。「無疑曰信(疑い無きを信と曰う)」(『法華文句』)という釈を、よくよく思うべきである。

〈池田先生が贈る指針〉
人類の生存の権利を守り抜け——恩師の宣言から65年。生命尊厳の哲理の連帯は地球規模に広がった。師弟の挑戦は続く。妙法の師子吼で「元品の無明」という魔性を打ち破っていくのだ。
万人に具わる仏性を信じ抜き、一対一の確信の対話で呼び覚ます。地道なれども、ここにこそ根源的な平和への希望がある。

☆明日を照らす テーマ:真の追善回向
◇御義口伝
『今、日蓮等の類い、聖霊を訪う時、法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ。回向の文、これより事起こるなり。』(新991・全712)

◇生命を輝かせる
【通解】今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる。回向の文は、このことから事起こるのである。

私たちが唱える題目には、今世だけでなく、三世にわたって、一切衆生を救っていく大功力があります。
掲げた御文は、法華経の序品で、釈尊が法を説こうとした時、眉間にある白毫から放たれた光が、下は阿鼻地獄まで世界をくまなく照らしたと説かれている箇所に関する御義口伝です。
妙法の功力に、一切の差別はありません。たとえ悲しい別れであったとしても、題目の光の届かないところはないのです。
広布の途上で亡くなられた親族や同志、また友人の三世永遠にわたる福徳と安穏を祈念し、「題目の光」を放っていけば、生死を超え、縁する全ての人の生命を照らし、晴らすことができるのです。自他共に幸福の軌道に入っていけるのです。
池田先生は、「『題目の光』こそ、あらゆる人の生命を輝かせ、三世永遠に救いきっていく根源の『福光』である。私たちが真心込めて送る追善回向の題目は、いかなる悲嘆の闇も打ち破り、亡くなられた方々を、必ずや赫々たる光で黄金に照らしゆくに違いない」と語っています。
大切なことは、自らの生命を最大に輝かせ、故人をも照らしていくことです。
広布の誓願に生き抜く人の生命は、まばゆい輝きを放っています。そこには、悲嘆も悲哀もありません。あるのは希望と勇気です。
誓願の題目を朗々と唱えながら、三世にわたる幸福の軌道を、久遠の同志と共に晴れやかに進んでいきましょう。

◇法蓮抄
『一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放って大地をつきとおし(中略)いかなる処にも過去聖霊のおわすらん処まで尋ね行き給いて、彼の聖霊に語り給うらん。』(新1426・全1050)

◇題目の力は絶大
【通解】(法蓮法師が、亡き父のために毎朝、読誦してきた自我偈の)一つ一つの文字は変じて太陽となり、太陽は変じて釈迦如来となり、大光明を放って大地を突き通し、(三悪道や無間地獄を照らし、また東西南北を照らし、上方に向かっては非想非非想処〈天界の最上部〉へも昇り)いかなる所であっても過去聖霊のいらっしゃる所まで訪ねて行かれて、かの聖霊に語られるでしょう。

本抄は、法蓮(曽谷教信)が、父の十三回忌の追善法要に当たり、御供養をお届けしたことへの御返事です。
法蓮は、毎朝、亡き父のために法華経の自我偈を唱えていました。日蓮大聖人は、その孝養の真心をたたえられています。私たちにとっても、日々の勤行・唱題に勝る追善はありません。
あなたが毎朝、唱えてきた自我偈は、一文字一文字がすべて仏となって、父がどのような境涯にあろうとも、間違いなく、そのもとを訪れて、"私は、あなたの息子が毎朝、読誦している自我偈の文字である。あなたの目となり、耳となり、手となり、足となろう"と語りかけている——大聖人は続く御文でこう述べられ、父の成仏は間違いないことを教えられています。
池田先生は、「自我偈は『金色の文字』であり、一つ一つの文字が太陽となり、仏となり、大光明を放って、全宇宙を照らす。題目の大光明は言うまでもない。亡くなった家族とも、いわば"無線"のように生命が通じていく。ここに大聖人の仏法の偉大さがある。題目の力は絶大である」と語っています。
広宣流布に励む人の祈りは必ず、大切な人に伝わります。
朝夕の勤行で、故人と心を通わせ、誓いを新たにしていきましょう。

2022年9月16日金曜日

2022.09.16 わが友に贈る

「現在の因」に
「未来の果」がある。
決勝点を明確にして
地道な挑戦を貫こう!
努力の人に栄光は輝く!

太田入道殿御返事 P1010
『世尊大悲導師阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう三昧に入り已つて大光明を放つ其の光り清凉にして往いて王の身を照すに身の瘡即ち愈えぬ』

【通解】
大悲の導師であられる釈尊は、阿闍世王のために月愛三昧に入られた。そのあと大光明を放たれた。その光は清凉であり、阿闍世王のもとに届いて王の身を照らすと、悪瘡はたちまち治った。

【先生の指導から】
これは「心の病」を治した仏の慈悲の光を、優しい月光にたとえた話である。
軽度の「心の病」の人は、いよいよ増加している。そういう人には強烈な激励は逆効果になる場合が多い。むしろ粘り強く、静かに話をよく聞いてあげ、同苦してあげる包容力がポイントとなる。
一般的に言っても、何か相談すると、話も聞かないうちに、いつも「とにかく、題目をあげればいいんだ!」では、やりきれない。たとえ真実ではあっても、相手が納得できなければしかたがない。
"真理である"ことと、"説得力がある"ことは違う。どう、その人に「信心の力」「唱題の力」を確信させ、発心させていくか。そこまでにいたらせる力が指導力なのである。

名字の言 人類の諸課題を克服する処方箋とは?——"20世紀最大の歴史家"の考察 2022年9月16日
歴史学者・トインビー博士の大著『歴史の研究』の日本語版は、全25巻からなる。第14巻から20巻までの7冊には、それまでの13巻までとは異なり、「高い張りつめた調子」があふれている▼その理由は、7冊が執筆されたのが、広島と長崎に原子爆弾が投下された後だからである。博士は述べている。「私の感情が滲み出るほど、これらの悲劇的な不吉な政治的事件に深く動かされなかったとすれば、そのほうが異様である」(『歴史の研究』第21巻、下島連ほか訳)▼いかにすれば核兵器をはじめとする、人類の危機を克服することができるか——。50年前に始まった博士と池田先生の対談も、その問題意識に貫かれている。博士は語らいの中で、核兵器の永久不使用や地球環境問題の解決の方途について、「自己中心性を克服していくなかに見いだせるはず」と結論している▼"20世紀最大の歴史家"と称される博士が、人類の諸課題を根本的に克服する処方箋は、「人間の変革」にしかないと見た。その力を与え得る「宗教」とは何かを考察し、創価学会に最大の期待を寄せた▼宗教の使命は、人間をより聡明にし、希望を生み出していくことにある。私たちは、この「人間革命の大道」を力強く進みたい。

寸鉄 2022年9月16日
牧口先生は晩年まで"我々、青年は"と同志に。広布誓願の師子に停滞なし
東京・秋川「師弟原点の日」。正義の炎を燃やし勇躍!拡大の先陣を頼む
「法華を識る者は世法を得べきか」御書。仏法即社会の智慧で信頼を結べ(新146・全254)
国際オゾン層保護デー。フロンガス対策等で問題は改善へ。希望は創れる
連続する台風に警戒。進路や勢力など最新情報を注視。"万が一"の備えを

〈社説〉 2022・9・16 きょう「国際オゾン層保護デー」
◇啓発と希望の連帯が生命守る
「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください」(『あなたが世界を変える日』、学陽書房)。1992年、ブラジルのリオデジャネイロで開催された地球環境サミットの席上、12歳の少女セヴァン・スズキさんが訴えた言葉だ。
オゾン層に開いた穴をどうやってふさぐのか。死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか。砂漠にどうやって森をよみがえらせるのか……。切々と訴える彼女の言葉は、開発の名の下に自然破壊を続けてきた国際社会が、その在り方を見つめ直す一つのきっかけとなった。
彼女がスピーチで触れたオゾン層は、高度10キロから50キロの成層圏にある。酸素分子が太陽光を受けて生じるオゾンの集まりで、生物の遺伝子に有害となる紫外線の大半を取り除いてくれる存在だ。ところが半世紀前、人の作り出したフロンという化学物質によって、オゾン層が破壊されることが理論的に分かった。80年代には、南極のオゾン層に穴が開いていることが判明した(オゾンホール)。
危機意識が高まる中、1987年9月16日、フロン類を削減するモントリオール議定書が採択された。きょうはこれを記念する「国際オゾン層保護デー」だ。現在、各国が連携してフロン類の削減を進めた結果、オゾン層の減少傾向に歯止めがかかりつつある。
そもそも、4、5億年前にオゾン層ができるまでは、紫外線が強すぎるため、生物は海から陸に上がってこられなかった(岩坂泰信ほか『岩波講座 地球惑星科学3 地球環境論』、岩波書店)。オゾン層保護は、人類の生存基盤を守るための最重要課題と言える。
国内でも、フロン類を用いた冷蔵庫等を処分するときは、許可を受けた業者に依頼することが義務づけられている。購入の際も、フロン類を使わないノンフロン製品を選ぼう。暮らしの中での選択が、地球を守る重要な一歩となることを銘記したい。
池田先生は、先日の本部幹部会に寄せたメッセージで語った。「今、人類が立ち返る原点は何か。それは、『生命』そのものでありましょう」。コロナ禍や地球温暖化など、先が見通せない不安の時代にあって、私たちは創価の哲理を胸に、啓発と励ましを重ねている。生命を守るため、希望の連帯を、さらに広げていきたい。

☆VOD新番組に収録された池田先生の指針——皆で万年の平和と幸福の道を
池田先生のスピーチを収録した新番組「利他の行動で自他共の幸福を」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、1993年4月に行われた全国青年部幹部会でのスピーチである。創価学会創立記念日の「11・18」へ、新たな出発を切り、弘教拡大に励みゆく友への指針として、その要旨を掲載する。

◇「共に」の精神に立つ人は強い
◇ガンジー「人に尽くした分だけ偉大に」
インドの偉大な初代首相ネルーは、アショーカ大王の"法による統治"という偉業をたたえている。
「アショーカは、熱心な仏教徒となり、法(ダルマ)を弘めるために、全力を尽くしました。しかし、それは力や強制によったのではありません。彼は、ただ人々の心を勝ち取ることによって、仏法に帰依させたのです」※1
人々の心をつかむ——これがアショーカ大王の弘法であった。仏法の指導者の極理ともいえる。「広宣流布」の魂である。
大切なことは、人間の心をつかむことである。"あの人に会うと、うれしい。安心だ。希望がわく。確信がわく。勇気がわく"——こう、人々から慕われるのが真の指導者である。
青年の「心」、民衆の「心」を勝ち取っていくところに、新しい歴史が開かれる。それ以外にない。
私たちは、どこまでも誠実に、どこまでも確信をもって進みたい。生き生きと、聡明に知恵を発揮しつつ、友情をすがすがしく広げてまいりたい。

◇民衆の味方
インド独立の父ガンジーについては、これまで幾度となく語ってきた。本日も青年のために少々、紹介しておきたい。
ガンジーは述べている。
「友の幸福のために、尽くした分だけ、人は確実に偉大になる」「私の活動はすべて、私の飽くことなき人類愛に源を発している」※2
友の幸福のために行動する。人類の幸福のために日夜、働き、労苦の汗を流す——ガンジーは、どこまでも他人の幸福、他人の利益のために生ききった。ゆえに偉大であり、ゆえに幸福であった。
"人々のために"——この精神で立つ人は強い。何ものも恐れない。恐れる必要がない。
ゆえに私も、ここまで一切を乗り越えてこられた。一切に勝ってきた。負けなかった。
利己の人は堕落である。向上がなく、充実がなく、幸福もない。
だからこそ、わが学会は、いよいよ民衆の絶対の味方となって、戦っていく。諸君も戦っていただきたい。人類愛の「偉大な人生」であっていただきたい。
日蓮大聖人の仏法は、全民衆を平等に「仏」にしゆく大法である。
大聖人は、御自分と同じ境涯になりなさいと、そのために御本尊を遺してくださったのである。
師と「同じ希望」「同じ信念」をもち、「同じ努力」を重ねていく——それが弟子である。そのことによって「同じ境涯」にいたるのである。この師弟の道に、仏法の根本があり、人類向上の永遠の王道がある。
ガンジーは"民衆のために「平和の道を開こう」「幸福の道を開こう」"と戦った。その模範の行動に、人々が続いた。
皆さまも、よき先輩の「模範」に続いていただきたい。自分自身が「模範」となっていただきたい。海外の皆さまも、ご自身の「人間革命」の足跡が、そのまま、それぞれの国で、万年の「道」をつくっているのである。この尊き使命を確信していただきたい。

◇一人の確信
さて、大聖人の門下が激しい弾圧を受けた熱原の法難。この大難に対し、恐れることなく立ち上がった青年に、南条時光がいる。
時光が数えで21歳の時に与えられた御手紙では、こう激励されている。
「『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』」(全1561・新1895)——願わくは、仏に供養する功徳をあまねく一切に及ぼし、自分たちと衆生が皆、ともに成仏できますように——。
皆さまの広布への献身は、仏への最大の供養である。妙法のために行動した功徳は、自分だけでなく、父母、兄弟など、すべての縁ある人々の成仏への力となっていく。
皆を幸福の方向へ向かわせてあげられる。
ゆえに「一人」が立てばよい。一切は「一人」から出発する。「一人」の勇気と確信の信心で決まる。このことを、私はきょう、強く申し上げておきたい。
また、人の幸福を祈れば、その分、自分が幸福になっていく。人の健康を祈れば、その分、自分の健康も守られる——これが妙法の不思議な力用である。
「利己」と「利他」のどちらに力点があるかで、人間の偉大さは決まる。信心が本物かどうかも決まる。
皆さまは、法のため、友のため、真剣に祈り動いて、「利己」から「利他」へと、ダイナミックな生命の転換を、偉大なる人間革命を実現していただきたい。
大聖人は仰せである。
「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(全970・新1324)——一生を空しく過ごして、万年にわたって悔いることがあってはならない——と。
一生は短い。しかし、生命は永遠である。短い今世の戦いによって、永遠の福徳を積むことができる。ゆえに決して、今世の法戦に悔いを残してはならない。人生に悔いを残しては何のための信心か。
広布に生きる人生は多忙である。苦労も多いかもしれない。しかし、普通の人生の10倍、100倍の価値ある人生を生きているのである。大聖人の仰せのとおり、永遠の栄光につつまれた人生であることを確信していただきたい。
諸君の成長と、ご活躍を心から祈りつつ、スピーチを終わりたい。
全国の青年部の諸君、ご苦労さま! これからの戦い、よろしくお願いします!

2022年9月15日木曜日

2022.09.15 わが友に贈る

苦難と戦う友の元へ
真っ先に駆け付ける。
それが仏法者だ。
確信と真心の励ましで
共に宿命転換の劇を!

別当御房御返事 P901
『但し当時日蓮心ざす事は生処なり日本国よりも大切にをもひ候、例せば漢王の沛郡ををもくをぼしめししがごとしかれ生処なるゆへなり』

【通解】
ただし、いま日蓮が心に願うことは生まれた土地のことである。日本の国よりも大切に思っている。たとえば漢の高祖劉邦が沛郡を重くみられたようなものである。

名字の言 入会2年目の壮年の"勝利宣言" 2022年9月15日
新婚旅行から帰ってきた男子部の友に土産話を聞いた。胸を躍らせて出かけたものの、飛行機の遅れによって行程が狂い、天候にも恵まれず……と、目的地に着くまでハプニング続きの珍道中だったという▼ただ、楽観主義の妻に「いろいろあった方が思い出になるよ」と元気づけられ、心持ちが変わったそうだ。彼は笑顔で語っていた。「2人で『何のこれしき!』と励まし合って、とても楽しかった」「行く先々で親切な人たちと出会い、新たな友好を結んだ」と▼先月の座談会では、入会2年目の壮年からうれしい報告があった。壮年は失業して悩んでいた昨年、「この信心で必ず、苦難を乗り越え、勝利の人生が開けるよ」と温かく励まされ、入会していた▼以来、唱題を重ね、就職活動に奮闘するも不採用が続き、落胆した。それでも事情を知る同志の激励も支えにして、ついに再就職を勝ち取った。「振り返れば、思い通りにいかないことは数々ありました。でも、皆さんと一緒に信心して、後悔した日は1日もなかった」。壮年の"勝利宣言"に参加者は喝采を送った▼目的地だけでなく、道中にも楽しみがあるのは旅行に限らない。広布の旅路は、前へ進む一歩一歩に真の幸福を見いだせる。

寸鉄 2022年9月15日
青年は高く大いなる理想に生きよ!—戸田先生。広布即平和の大道を歩め
命の守り手・ドクター部の日。尊き献身に感謝。「健康の世紀」の旗手たれ
東北女性部の日。周囲に希望送る"福光の太陽"。自他共の幸築く連帯拡大
「一文一句なれども耳にふるる者は既に仏」御書。共々に勇気の対話に邁進(新1213・全936)
竜巻発生数は9月が最も多い—調査。最新情報を常に。安全確保を最優先

〈社説〉 2022・9・15 きょう「ドクター部の日」
◇"命の守り手"の奮闘にエールを
コロナ禍との戦いが続く中、今月から一部地域で、感染者の全数把握の見直しが開始された。医療機関や保健所の負担軽減のためだ。また政府は、人々の生活を守り、支えるために重要な社会経済活動と、感染防止の両立を図る「ウィズコロナ」へ、感染者の療養期間短縮などの施策を実施。国内は"新たな日常"の構築へ、動き始めている。
そこで不可欠なのは、一人一人の基本的な感染対策はもちろんのこと、懸命の対応・治療に当たる医療従事者の方々の存在だ。コロナ禍の約3年もの間、苦しむ人々を救うため献身を貫く姿に感謝は尽きない。
きょう15日は「ドクター部の日」。淵源は、1975年9月15日に行われた部の総会に、初めて池田大作先生が出席したことにある。以来、池田先生は折あるごとに記念の集いに出席するなど、友の奮闘を称賛し、激励を重ねてきた。2008年の研修会で先生は語った。「医学の根本は、人間への慈愛であるといえよう。病気と闘う患者に安心を与え、希望を贈っていく。皆様は、そうした人間性の光る『名医』であっていただきたい」
都内でクリニックを営む壮年の友は、コロナ後遺症に苦しむ患者の治療に全力を挙げている。倦怠感など、さまざまな症状に悩む患者に接する際、彼が最も大切にしてきたことは、師の指針のままに、希望となる言葉をかけることだという。彼は"日本で一番、後遺症患者を診ている医師"と呼ばれ、各種メディアで後遺症の実態を伝える活動にも励んでいる。昨年、感染症で著名な大学の研究員にも就任した。
仏教には、医学を尊重してきた歴史がある。釈尊の直弟子には、分け隔てなく平等に多くの人の命を救い、「医王(医学の王者)」と称された耆婆がいた。日蓮大聖人は耆婆などの名医を「その時代の宝であり、後世の医師の師」(新1962・全1479、通解)とたたえている。
感染症だけでなく、心の病の増加、また社会の高齢化の進行等、多くの課題を抱える現代。その中にあって、"命の守り手"として人々に安心を広げるドクター部の使命はますます深い。混迷の時代に皆を支え、信頼の灯台と輝く同部のメンバーのさらなる奮闘にエールを送っていきたい。

☆輝きの瞬間 8月の広布史
◇1983年8月14日 第3回世界平和文化祭
北海道の友と8月——そこには、決して色あせない師弟のドラマが幾重にも刻まれる。その一つが、1983年8月14日の「第3回世界平和文化祭」だ。それは、北海道広布開拓30周年を慶祝し、21世紀へ新たな出発を開始する祭典であった。
その4年前の79年4月24日、池田先生が第3代会長を辞任。邪宗門が「(池田先生を)先生と呼んではならない」と強いる中、北海道の友は広布拡大に奔走した。
81年9月、第9回「北海道青年部総会」に新会員5000人を含む4万5000人の青年が結集。82年2月には、全道で青年主張大会を開催した。北海道は青年が先頭に立って、創価の正義を宣揚したのである。
翌83年5月末、北海道での「世界平和文化祭」の開催が発表された。会場は札幌の真駒内屋外競技場(当時)。練習期間はわずか1カ月半。急ピッチで準備が進められ、一人一人が限界突破に挑んだ。
迎えた当日。36カ国2000人の世界の友が集い、計6万人の参加者が競技場を埋めた。
12時59分——大きな拍手と歓声に会場が揺れた。炎天下のグラウンドに先生の姿があった。
先生はあいさつした後、ゆっくりとグラウンドを歩き始める。帽子を高く振りながら、何度も立ち止まって、友に声を掛け続けた。
祭典は熱演に次ぐ熱演だった。演目の全体練習は、たった2回。にもかかわらず、見事な団結で、8000人の来賓を魅了する演技を披露した。
クライマックスを飾ったのは、5段円塔。先生は、最上段に上った青年に、その日、身に着けていた自身の胸章を贈った。
文化祭の終了後、先生は一首の和歌を認めた。「六万の 歓喜のうねりは 北海の 天地に舞いたり 歴史綴りて」
「六万」には、祭典を陰で支えた役員も含まれる。当時のほとんどの青年部が携わり、師弟の共戦譜をつづった栄光のあの夏。青春の輝きは、今も友の胸中に燦然と光を放っている。

◇1984年8月26日 第1回北陸平和文化祭
"北陸で5万人の文化祭を!"——開催が発表されたのは1982年の9月、池田先生を迎えて行われた、北陸広布開拓25周年を記念する勤行会の席上である。石川、富山の同志は、かつてない弘教に励んでいった。
84年8月の開催に向け、同年5月、先生から北陸に伝言が届いた。"しっかり祈って、盛大にやろう!"。その後、このような激励は7度に及んだ。
8月23日、先生は富山空港に降り立ち、富山文化会館へ。車中、北陸青年部の活躍を聞いた先生は、「明日は、北陸の青年たちと会おう!」と。「8・24」は先生の入信記念日。「大事な日だから」と、恩師の故郷・北陸の青年たちとの勤行会を開催することになった。
後に先生はつづっている。「急な呼びかけであったが、翌日、優秀な三百人の男女青年部の代表たちが、颯爽として、我らの牙城の富山文化会館に集ってくれた」
席上、先生は青年たちに、"苦難に負けてはいけない。地道に、賢明に、伸び伸びと進もう!"と訴えた。この勤行会は8・24「北陸青年部の日」の淵源となった。
翌25日は五箇山の富山研修道場(当時)へ。地元の功労者らと勤行し、懇談した。
26日、文化祭の当日。先生は開始40分前に、会場の金沢市・石川県西部緑地公園陸上競技場に到着。"北陸の全同志を讃えたい"と、フィールドを1周し、両手を大きく振り、友の歓声に応えた。
午後2時、「第1回北陸平和文化祭」が開幕。1万1千人の来賓を含む、5万人の一大イベントである。一つ一つの演目に、平和を願う民衆の心が躍動していた。8月26日は後に「北陸の日」に。
翌27日、先生は石川文化会館で、人材育成グループや少年少女部の合唱団の代表との集いに出席。28日には、小松空港から帰京する直前に小松会館へ。200人ほどの参加者と共に、同志の幸福と、さらなる広布伸展を祈念した。
6日間の間断なき激励行は、北陸の友の師弟共戦の原点である。

◇1967年8月13日 福井訪問、15日 岐阜訪問
1967年8月13日、池田先生は第3代会長の就任後、初となる福井訪問へ向かった。
福井の友は"広布拡大の証しで師をお迎えしよう!"と、弘教に励んだ。前日も、各地で新来者を招いての座談会を一斉に開き、対話の花を咲かせた。
迎えた当日、先生は福井会館(当時)で、リーダーと勤行し、「仏道修行は、一生涯のものです。粘り強く、信心をしきっていくことが大事です」と語った。
その後、福井県民会館(当時)で、福井本部幹部会が盛大に開催された。先生は"何があっても御本尊を疑わず、迷いの心に打ち勝つ題目を"と呼び掛け、「学会活動が一番楽しい、御本尊を信ずるのが一番楽しい、生活、仕事が楽しいという人生を」と強調。その生き方こそが"信心の達人"であることを示した。
最後に、先生の提案で「春が来た」を合唱。福井の春が来た——皆が歓喜の前進を誓い合った。
14日、先生は富山・高岡市を訪れ、北陸の班長・班担当員ら4000人との記念撮影に臨んだ。翌15日には岐阜・高山市へ。前年10月に誕生した高山会館(当時)を初めて訪れた。
高山のある飛騨地方は当時、交通の便が良いとはいえず、メンバーの多くは、経済的にも大変な状況だった。その中で、地元の繁栄を願い、黙々と奮闘を重ねていた。
求道の同志が会場を埋め尽くした。先生は「信心をしたからといって、悩みや苦しみがなくなるということではありません」「いかなる苦難に直面しようが、いかに宿命の嵐が吹き荒れようが、それらを全部、打開し、転換していく力の源泉が信仰なんです」と語り、崩れざる幸福境涯を築いていくことを心から願った。
話が一段落すると、先生は場外にあふれたメンバーと入れ替えを提案。2度目の勤行をし、渾身の激励を送った。
その後、飛騨高山は観光地として飛躍的に発展。創価の友も、愛する郷土のため、地域貢献に誠実に、率先して取り組んでいる。

◇8月12日 教育本部原点の日
「私の人生における最終の事業は教育と決めております」
1975年8月12日、池田先生は、教育部の夏季講習会で自身の思いを語った。この日が「教育部の日」となり、教育部が「教育本部」へ拡充された現在、「教育本部原点の日」となっている。
教育部の設置が発表されたのは、61年5月3日の本部総会の席上のこと。翌62年の8月1日に、第1回の全国大会が開かれた。先生は創価教育学の研究、教育体験を発表する雑誌の出版を提案。この1カ月後、機関誌「灯台」が創刊され、先生は「世界を照らす灯台たれ」と題して巻頭言を執筆。教育部に励ましを送った。
第1回に続いて、先生は63年8月1日の第2回の大会、64年8月1日の第3回の大会にも出席。この64年には、同部の代表のメンバーに御書講義も行っている。65年7月30日の第4回「教育部総会」では、創価大学の設立審議会が発足することを発表した。
池田先生は、教育部に最大の期待を寄せた。先師・牧口先生の教育思想を継ぎ、自らと同じ思いで教育現場で奮闘を重ねる友に、全精魂を注いで激励した。
75年8月の教育部夏季講習会では、パリ大学ソルボンヌ校の総長との会談で、総長が教育にとって大切なのは"よく聞くこと"であると語っていたことを述懐し、「言葉による表現から、その奥にある精神の心音を、よく聞いていく」ことの重要性を強調。「"よく聞く"ためには、教育する側に、それだけのキャパシティー(容量)がなければならない。それは、大海のような慈愛の深みがあってこそ、可能となる」と訴えた。
以来、教育本部の友は「8・12」を原点として、自らの教育現場で知恵を発揮してきた。その実践記録は、今や15万事例を超える。一つ一つに"子どもの幸福のため"との心が光る。
「教師こそ最大の教育環境」との指針を胸に、自身の人間的成長と教育力の向上に力を注ぐ教育本部の友。池田先生は「人間教育の不二の盟友」とたたえている。

2022年9月14日水曜日

2022.09.14 わが友に贈る

尊き使命に生きる
地涌の若人よ!
わが広布の舞台で
着実に 朗らかに
勝利の突破口を!

生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』

【通解】あなた(最蓮房)は過去の宿縁に運ばれて、このたび、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦仏・多宝如来こそ、ご存じであると思われる。
「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」との経文は、決して嘘ではあるまい。

名字の言 同じ目線に立って、共に成長する 2022年9月14日
農作業を通し、不登校の子どもたちを支援する女性部員から話を聞いた。地域の耕作放棄地を借りて活動を始めた彼女だが、農業に関しては素人。「でも、それが良かったんですよ」と▼専門知識や経験をもとに"教えてあげよう"と接すると、敏感な子は反発し、心を閉ざしてしまいがち。だが彼女は、土づくり、苗の植え付けなど一から子どもたちと共に野菜の栽培法を調べ、一緒に悪戦苦闘した▼その中で多くの子が心を開き、希望を芽吹かせた。ひどく引っ込み思案だった少女が、泥まみれで仲間とはしゃぐように。感情が顔に出にくかった少年が、とびきりの笑顔を輝かせた。将来の夢を語ってくれる子も。彼女は言う。「まるで、さなぎが蝶になって飛び立つような子どもたちの変化に、私の方が勇気をもらいっぱなしです!」▼「伴走」という言葉が教育、医療、福祉など、さまざまな分野で着目されている。同じ歩幅で進み、力を合わせて課題や困難に挑む。そうした関わりが豊かな人間関係を育み、最高の支援につながる▼一人を大切に——それは、高いところから何かを授けるといったことではない。どんな人とも同じ目線に立って語り合い、共に成長していく「心の絆」を結ぶことである。

寸鉄 2022年9月14日
「日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」御書。学会は大聖人直結で勇躍前進(新1270・全903)
「忍耐が大成の礎である」戸田先生。地道な祈りと行動の先に栄光は燦然と
東京・北区の日。地域に広がる"喜び多き"連帯。青年を先頭に模範の拡大
「友人の助け」が悩み改善の要因1位—若者調査。抜苦与楽の励まし今日も
感謝を伝え合えば免疫力が向上—医師。「有難う」の思いを日頃から言葉に

〈社説〉 2022・9・14 多くの友と任用試験に挑戦
◇幸福をつかむ仏法哲理を学ぶ
文永8年(1271年)9月12日、竜の口の頸の座に臨まれ、末法の御本仏としての御境涯を顕された日蓮大聖人は、その3日後、門下の富木常忍にお手紙を認められている。
「(あなたの)お嘆きはもっともであるが、自分としては、もとより覚悟していたことであるから、今更嘆いてはいない」(新1276・全951、通解)
むしろ法華経の故に難に遭うことは、成仏の好機であるとの御確信をつづられている。
大聖人の仏法では、あらゆる人の胸中に、どんな困難にも負けない仏性が具わっていると説く。
そして、成仏とは、この自身の中にある仏性を開くことで、一人一人が何ものにも崩れない幸福境涯を築くことなのである。
私たちの人生においても、必ず苦難が伴い、広布の途上にも困難は必定である。ゆえに、何があっても力強く生き抜いていくことが、幸福をつかむ上で肝要といえよう。
そのことを大聖人は、忍難弘通の御生涯を通して、門下に教えてくださった。
現在、11月6日に実施される「教学部任用試験(仏法入門)」に向け、申し込みが推進されている(来月2日まで)。
その出題範囲に、「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)との「開目抄」の一節がある。
ある壮年は未来部時代、この御文を任用試験で学んだ。以来、50年余。険しき人生の坂道を歩む中で幾度も拝し、題目を唱え抜いて、一つ一つの課題を乗り越えてきた。
信仰の実践に即した"生きた教学"を、現代によみがえらせたのが創価学会である。
池田先生はかつて、任用試験の受験者に呼びかけた。
「皆さんは、妙法という究極の生命尊厳の大哲学を心に抱きました。ゆえに、自分自身が、いかなる生老病死の荒波をも乗り越え、自他共に健康長寿と絶対勝利の幸福の航路を悠々と進みゆく、賢者の大船となっていけるのです」
受験する友も、支える同志も、一緒に研鑽することが、仏法を持つ喜びと確信を深め、共々に成長する好機となることは間違いない。
一人でも多くの友が御本仏の大確信に触れ、幸福をつかむ仏法の哲理を学べるよう、任用試験に総力を挙げて挑戦していきたい。

☆男子部が新出発 西方青年部長、梁島男子部長が誕生
◇原田会長が出席し全国の代表の集い
広布の師子王が師弟の誓願に勇み立つ!
男子部の新出発となる全国代表幹部会が13日、東京・新宿区の金舞会館(創価文化センター内)と各地の会館をオンラインで結び、意気高く行われた。
席上、本部人事委員会で検討・決定した新人事が発表され、西方光雄青年部長、梁島英明男子部長が誕生した。
10月「全国男子部幹部会」を開催
また、10・2「世界平和の日」を記念する「全国男子部幹部会」が、10月に開催されることが発表された。
池田大作先生はメッセージを贈り、「地涌の本命」である男子部の船出を祝福。不思議な宿縁で結ばれた一人一人に新たな「広布拡大の旗」を託したいと述べた。そして、「一の師子王吼うれば百子力を得て、諸の禽獣、皆頭七分にわる。法華経は師子王のごとし。一切の獣の頂とす」(新1745・全1316)を拝読。「妙法を持ち行ずる君たちは、真正の師子王となって、邪悪を破る正義の師子吼、仏種を植える勇気の師子吼を放ち、慈折広布の先陣を開いていってくれたまえ!」と呼びかけた。
幹部会では、西方青年部長のあいさつに続き、新任の中本四国男子部長、中村東北男子部長、坪井関東男子部長、永井総東京男子部長が清新な決意を披歴。梁島男子部長は、リーダー率先の「大訪問・激励運動」と「弘教拡大」で報恩の弟子の歴史をと訴えた。
原田会長は、師匠に勝利で応えることが、池田門下の使命であると強調。学会の未来の全責任を担う自覚で、目の覚めるような拡大の実証をと望んだ。

☆青年想� 第1回 「信心の継承」とは
◇総合未来部長 大宮将之 「生き方」を自ら選び取ること
価値観が多様化する現代。「青年想�」では創価の哲学や生き方がいかなる意味を持ち、社会にどんな価値をもたらすかを青年世代が訴えます。初回は「信心の継承とは」をテーマに、大宮総合未来部長がつづりました。

◇"学会の家"に生まれ
東京・八王子市で弁当店を営む創価学会員の両親のもとに、私は3人兄弟の長男として生まれた。
母は生来、左の腎臓が機能しておらず、妊娠高血圧症候群を患う恐れもあったため、「子どもを授かるのは難しい」と医師から言われていたらしい。「生まれてきてくれたこと自体が信心の功徳だったのよ」と、母がしみじみと語っていたのを覚えている。
その母と二人三脚で私たちを育ててくれた父の口ぐせは、「全てに意味がある」だった。20歳で父親(私の祖父)を病で失ったことをきっかけに、創価学会員の友人に折伏されて以来、多くの体験を得たゆえの確信だという。この「意味がある」という言葉に、私は中学・高校時代、反発を覚えた。信心に「意味」を感じられずにいたからだ。
朝から晩まで両親は働き通し。けれど経営は苦しいまま。"信心しているのに?"という疑問が湧いた。仕事と学会活動、さらに地域活動の"三立"で多忙な両親に対し、寂しさから来る不満もあったと思う。
また当時はオウム真理教が起こした事件に端を発して、宗教への偏見に満ちた報道が続いていた時期でもあった。学会のシンボルである"三色旗"を弁当店に掲げていたこともあり、学校のクラスメートから「お前も宗教やってんだろ?」と、からかわれるのがイヤだった。
一つ下の弟には、生まれた時から知的障がいがある。そのことで私は小・中学生の時、いじめられることがあった。一番下の弟は中学生になると荒れに荒れ、地域で問題になったことも。
"幸せになる信心"のはずなのに、なぜ? どうして? 「意味なんていらないから、"学会の家"じゃなくて"普通の家"が良かった」「俺は自分でこの信心を選んだわけじゃない」。そんな思いを両親にぶつけた。父とは"売り言葉に買い言葉"となるような感情の衝突もあった。
とはいえ、信心を強制されたと感じたことはない。なぜなら、両親は私の話に耳を傾けてくれたからだ。最後は一言、「自分が納得できる生き方をすればいい」と言うのが常だった。両親が向かう仏壇の経机に置かれた御祈念板には、私たち3兄弟の名前と共に、「自分らしく、使命の道を歩めますように」との文字が記されていた。

◇この人みたいに
もちろん親心として、「こんな道を歩んでもらいたい」といった願望は、あったはず。信心の何たるかを息子たちと語り合えるなら、夜を徹して訴えたいこともあっただろう。だが両親は最終的に、言葉よりもその姿、その祈りで伝える道を選んだのではないか。今になって、そう思えてならない。
宿命の嵐と戦う日々にあって、両親がとてもうれしそうにしていた時間があった。青年部員や創価大学などに通う学生部員が、わが家に集まるひとときだ。弁当店を構える自宅は地区の広布の会場でもあった。おなかをすかせた青年たちに、両親はお皿いっぱいの唐揚げやおむすびを作って振る舞うことを、何よりの喜びとしていた。
この中で大聖人は"仏である釈尊を供養する功徳より、末法の法華経の行者に対する供養の功徳の方が大きい"ことが示された法華経の経文を引用される。ある意味で不思議な経文だ。大聖人ご自身も「僻事(道理に合わない事柄、間違った事柄)」とまで仰せになっている。しかしそれは、ほかでもない釈尊自身が述べたこと。ゆえに大聖人は、最終的に「この経文を疑おうと信じようと、あなた(時光)のお心にお任せする」と、言われたのだろう(新1837・全1508、趣意)。
池田先生はこの一節を拝し、講義されている。「真実の信仰は『内発』です。自分で決意し選び取るものです。あくまで大聖人は、時光が自発的に、自分で『信』の道を進みゆくことを促されたのでしょう」(「大白蓮華」本年7月号「世界を照らす太陽の仏法」)
そもそも自分が幼かった頃に、信心をしていた父を失うという経験自体、信仰に疑いを起こさせても不思議ではない。それでも、母・上野尼御前がけなげに信心を貫く姿、そしてその母を何度も励まし抜かれた大聖人の慈愛に触れて、時光は「法華経の行者として生きること」を自ら選び取ったのではないだろうか。父が信心を始めてくれたから、母が負けずに生き抜いてくれたから、その生き方を知った。大聖人という師匠と出会えた——この時光の感謝と報恩の心を、大聖人も御照覧であったに違いない。
「信心の継承」とは「生き方の継承」でもあろう。創価学会の歴史の中で無数に生まれてきた「継承のドラマ」も、その一つ一つを子細に見れば、学会員の温かな人柄や誠実な振る舞い、そして揺るぎない信念に共感し、感動し、決意する瞬間が必ずあったはずだ。

◇意味を見いだして
今夏、全国で行われた創価ファミリー大会や未来部の各種コンクールなどを通して、「学会家族の触れ合い」がどれほど生まれたことだろう。担当者の皆さまには感謝してもしきれない。
この中で大聖人は"仏である釈尊を供養する功徳より、末法の法華経の行者に対する供養の功徳の方が大きい"ことが示された法華経の経文を引用される。ある意味で不思議な経文だ。大聖人ご自身も「僻事(道理に合わない事柄、間違った事柄)」とまで仰せになっている。しかしそれは、ほかでもない釈尊自身が述べたこと。ゆえに大聖人は、最終的に「この経文を疑おうと信じようと、あなた(時光)のお心にお任せする」と、言われたのだろう(新1837・全1508、趣意)。
池田先生はこの一節を拝し、講義されている。「真実の信仰は『内発』です。自分で決意し選び取るものです。あくまで大聖人は、時光が自発的に、自分で『信』の道を進みゆくことを促されたのでしょう」(「大白蓮華」本年7月号「世界を照らす太陽の仏法」)
そもそも自分が幼かった頃に、信心をしていた父を失うという経験自体、信仰に疑いを起こさせても不思議ではない。それでも、母・上野尼御前がけなげに信心を貫く姿、そしてその母を何度も励まし抜かれた大聖人の慈愛に触れて、時光は「法華経の行者として生きること」を自ら選び取ったのではないだろうか。父が信心を始めてくれたから、母が負けずに生き抜いてくれたから、その生き方を知った。大聖人という師匠と出会えた——この時光の感謝と報恩の心を、大聖人も御照覧であったに違いない。
「信心の継承」とは「生き方の継承」でもあろう。創価学会の歴史の中で無数に生まれてきた「継承のドラマ」も、その一つ一つを子細に見れば、学会員の温かな人柄や誠実な振る舞い、そして揺るぎない信念に共感し、感動し、決意する瞬間が必ずあったはずだ。

◇意味を見いだして
今夏、全国で行われた創価ファミリー大会や未来部の各種コンクールなどを通して、「学会家族の触れ合い」がどれほど生まれたことだろう。担当者の皆さまには感謝してもしきれない。
8月上旬には、創価大学で中等部と高等部の研修会がそれぞれ行われた。参加者から最も多く寄せられた感動の声は、学生部員との交流や、運営役員の献身的な姿に対してのものである。
「どうして親が信心を頑張るのか、分からない」といった思いを抱く女子未来部員に対し、ある女子学生部員は「私もそうだったよ」と笑顔で受け止め、答えたという。「私自身が学会のいろんな人との交流を通して『創価の心』に触れ、学ぶ中で、池田先生と信心のすごさを知ったの。『親が見てきた"景色"は、これだったんだ』って」
私も、今なら分かる。両親は経済革命を成し遂げた。知的障がいのある弟は地域の作業所に勤め、周囲から愛されて毎日を過ごしている。中学時代に荒れた弟も、兄弟の中で一番の親孝行者に。私自身、当初の夢だった教員の道には進まなかったものの、こうして今、多くの未来部員と出会いを結ぶことができる福運を実感する日々だ。
何よりの"功徳"だと私が思うのは、悩み葛藤した未来部時代そのものに、「意味」を見いだせるようになったことである。未来部員と語らいを重ねる中で、悩みを相談されることは少なくない。親との関係、友人との仲、いじめ、病や障がいのある家族のこと……私が「実は自分もね」と、これまでの歩みを打ち明けると、"安心と共感の橋"が心にかかる瞬間がある。簡単には正解を出せない課題ばかりだが、信心で乗り越えられるその時まで、伴走し続ける一人でありたいと切に願う。
そう思うと、反発するわが子を「信じて祈り、待ち続けた」両親の苦労はいかばかりだったか。自分が未来部担当者となり、2人の子を持つ親になって、つくづく骨身に染みてならない。
なかなか、面と向かっては言えないが——"信心している家"に産んでくれて、ありがとう。

2022年9月13日火曜日

2022.09.13 わが友に贈る

「一家和楽」を築くことが
信心の大いなる目的だ。
支えてくれる家族に
真心の感謝を伝えよう。
日々の心掛けを大切に!

千日尼御前御返事 P1314
『阿仏房を見つけて尼ごぜんはいかにこう入道殿はいかにとまづといて候いつればいまだやまず、こう入道殿は同道にて候いつるがわせはすでにちかづきぬこわなしいかんがせんとてかへられ候いつるとかたり候いし時こそ盲目の者の眼のあきたる死し給える父母の閻魔宮より御をとづれの夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし』

【通解】
私のもとを訪ねてきた阿仏房に、千日尼と国府入道殿の様子を尋ねたのに対して、「まだ病気にもかからず元気でおります。国府入道殿は同道して参りましたが、早稲〈実のなるのが早い稲〉の刈り入れが近づき、手伝う子どももいないので、やむなく途中から帰られました」と語られるのを聞いた時には、盲目の者の眼が開き、亡くなられた父母が閻魔宮から訪れて来られた夢を見て、夢の中で喜んでいるような気持ちでありました。。

名字の言 向学の日々を歩む女性部員からの便り 2022年9月13日
今春から創価大学の通信教育部に学ぶ女性部員から便りが来た。夏期スクーリングの期間中、「勉強が苦手な私には、四苦八苦の日々でした」とあった▼彼女の母は10代から奉公に出て、学びたくても学べない青春時代を過ごした。その母が本年3月、霊山へ。"まだまだ親孝行したかった"と彼女は祈りを重ねた。そして"母の夢を私がかなえよう"と、娘である自分が、母の思いを胸に創価大学の門をくぐった▼日蓮大聖人は門下へ送られた手紙で、先立たれた母に"もっと親孝行しておけばよかった"と、真情を率直に記されている。だからこそ、釈尊の教えを全て学び、最もすぐれた法華経によって、母への孝養を果たそうと考えられた(新2074・全1401、趣意)▼大聖人の民衆を救わんとの死身弘法の闘争の根源には、母への深き報恩の一念があった。自分に愛情を注いでくれた存在に感謝し、恩に報いようとする——その心は、今この瞬間を自分らしく前進していく活力を生む▼池田先生はかつて、親を亡くした友に語った。「お父さん、お母さんのことを大事に思っていきなさい。そして、亡き親と、何でも一緒に喜び合っていくことだ」と。向学の日々を歩む、先の彼女の姿が目に浮かんだ。

寸鉄 2022年9月13日
SGIが希望の人間主義を地球の隅々に—アメリカ博士。平和な社会を我らの手で
青年の意気と力は世界の歴史変える—戸田先生。一波が万波に!君よ立て
飛躍のカギは副役職者の奮起にあり。長と心一つ。さあ「励まし週間」に総力
幸せな体験を周囲と共有する人は幸福度が高い—研究。まさに座談会運動
各地で感染減も高水準で推移。自主的な予防対策引き続き励行。油断なく

☆ジャパンカップ マーチングバンド・バトントワリング全国大会で創価ルネサンスバンガードが優勝
「ジャパンカップ マーチングバンド・バトントワリング全国大会」が11日、東京・調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザで行われ、音楽隊の創価ルネサンスバンガード(大竹政之楽団長)がシニアドラムコー部門で優勝。通算18度目の栄冠に輝いた。併せて、一般のマーチング部門の最優秀団体に贈られる「東京都知事賞」を受賞した。
同大会に出場した創価ルネサンスバンガード・ジュニア(麻生浩一楽団長)は、「DREAM TRAIN——開拓の足音」と題し、機関車のオブジェが登場するなど工夫を凝らしたステージを展開。シニアマーチングバンド部門で7位となった。
同大会に出場した創価ルネサンスバンガード・ジュニア(麻生浩一楽団長)は、「DREAM TRAIN——開拓の足音」と題し、機関車のオブジェが登場するなど工夫を凝らしたステージを展開。シニアマーチングバンド部門で7位となった。
創価大学のプライド・オブ・ソウカ(藤滝大地部長)は、「心動」をテーマに躍動感あふれる演奏・演技を披露し、シニアドラムコー部門で5位と健闘した。

☆明日を照らす テーマ:確固たる信心
◇御義口伝
『一念三千も「信」の一字より起こり、三世の諸仏の成道も「信」の一字より起こるなり。この「信」の字、元品の無明を切る利剣なり。その故は、「信」は、「疑いなきを『信』と曰う」とて、疑惑を断破する利剣なり。』(新1011・全725)

◇自身が妙法の当体
【通解】一念三千も「信」の一字から起きる。三世の諸仏の成道も、「信」の一字によるのである。この「信」は元品の無明(根本の迷い)を切る鋭利な剣である。その理由は、「信」は「疑い無きを『信』と曰う」ということで、疑惑を断ち切る利剣である。

一念三千の法理が成仏の法門となるのも、三世の諸仏が成仏するのも、「信」の一字を起こしたからであると仰せです。
日蓮大聖人は、万人の生命に具わる仏性を、妙法によって顕現できることを明かされました。
それに対して、自らの命に仏性が具わることを信じられない、人間の生命に本来潜む"根本的な迷い"のことを、「元品の無明」といいます。「元品の無明」は、成仏を閉ざす働きなので、仏法では人間の不幸の根源と考えます。
池田先生は、「広宣流布は魔との戦いです。権威権力の迫害をはじめ、予期せぬことが起こり、不信を煽りたてることもあるでしょう。どうか、何があろうが、『信』の一字を、深く、深く、胸に刻んで、広宣流布の大道を歩み通し、断じて幸せになってください」(小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章)とつづっています。
あらゆる障魔を打ち破り、仏性を涌現させるためには、「信心の利剣」で、無明を打ち破るしかありません。つまり、何があっても御本尊を信じて疑わない、透徹した信心を貫けば、生命に具わる可能性を発揮させていくことができます。
自分自身が妙法の当体である!——この確信を原動力に、自他共の仏性を薫発する対話を力強く広げていきましょう。

◇生死一大事血脈抄
『相構えて相構えて、強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給え。生死一大事の血脈、これより外に全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは、これなり。信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり。』(新1777・全1338)

◇日々、真剣な題目を
【通解】よくよく心して強盛の大信力を起こして、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念しなさい。生死一大事の血脈を、これよりほかに決して求めてはならない。煩悩即菩提・生死即涅槃とは、このことである。信心の血脈がなければ、法華経を持っても無益である。

仏法における師匠から弟子へ、法門が正しく継承されていくために、何が必要か——。日蓮大聖人は、本抄の結論で「信心の血脈」を訴えられています。
広宣流布を進める上で難は必定です。ゆえに、難を覚悟して、いかなる時も「強盛の大信力」を起こす姿勢が、肝要なのです。
そして大聖人は、一日一日を悔いなく生き抜き、真剣に題目を唱えなさいと仰せです。そうした実践を貫く人に、「生死一大事の血脈」が流れ通うのです。
「煩悩即菩提」とは、煩悩に覆われている凡夫であっても、妙法を信じ実践することで、その生命に仏の覚りの智慧(菩提)が発揮できることです。また、「生死即涅槃」とは、生死の苦しみを味わっているその身に、仏の覚りの平安な境地である涅槃が開かれることです。
いずれも、妙法によって、誰もがその身のままで成仏できる、「即身成仏」を表しています。いわば、ありのままの姿で題目を唱えていけば、最高に輝いていけるという、"希望の原理"といえます。
現代にあって、苦悩を抱える人々に分け入り、"希望の原理"を体現してきたのが、創価学会です。大聖人の仏法を世界に流布してきた学会の前進こそ、「信心の血脈」を継承する証左にほかなりません。