創価の太陽・女性部の
日々の奮闘に大感謝!
どこまでも朗らかに
無量の福徳を積みながら
地域に希望の陽光を!
同生同名御書 P1115
『おのおのわずかの御身と生れて鎌倉にゐながら人目をもはばからず命をもおしまず法華経を御信用ある事ただ事ともおぼえず』
【通解】
あなた方は、身分も低く生まれ、しかも(迫害の強い)鎌倉に住みながら、人目をもはばからず、命をも惜しまず、法華経の信心をされている事は、ただ事とも思えない。
【先生の指導から】
昭和18年の6月、牧口先生と戸田先生は、静岡の大石寺に呼びつけられ、大謗法の神札を受けるよう強要された。しかし、創価の師弟は断固として拒否した。臆病な、狂った宗門に憤激しながら。
もし、このとき、両先生が宗門を破折しておられなかったならば、大聖人の「立正安国」の大精神は死に絶え、「広宣流布」の命脈は断絶していたに違いない。牧口先生、戸田先生の烈々たる信念の戦いは、日本の国家主義という「一凶」を禁じゆく大闘争となったのである。
牧口先生は、58年前のきょう6月28日、再度、法主を直接、諌めておられる。しかし、こともあろうに宗門は、この正義の学会を切り捨てた。軍部権力の弾圧が自分たちに及ぶのを恐れたのである。
牧口先生、戸田先生は、7月6日の早朝に逮捕された。牧口先生は、逮捕から1年後の秋、11月18日、創価学会の創立記念日に獄死し、殉教された。
後継の弟子・戸田先生は、逮捕から2年後の7月3日に出獄され、権力の魔性に対する仇討ちの戦いを開始された。7月がめぐり来るたびに、戸田先生の「巌窟王」の闘魂は、いやまして炎と燃え上がった。
名字の言 サンゴの再生に取り組む沖縄の人々の思い 2022年6月28日
沖縄はサンゴの島である。沖縄本島や周辺の島々を形成する琉球石灰岩は、長い年月をかけて、サンゴの骨格が堆積したもの。この時期、サンゴは大潮の晩に産卵し、繁殖期を迎える▼近年、温暖化の影響で各地のサンゴが減少。石垣島では、水産庁と協力し、地元の漁師たちがサンゴの再生に取り組む。産卵後、幼生の成長を助ける新たな方法である。多様な生物を育み、台風の防波堤にもなるサンゴ保全の重要性は高い▼再生には時間を要する。計画に携わる人々の多くは、その成果を見ることはないという。だが彼らは語る。「子どもたちの世代に、将来に向けた技術を残したい」と。今の挑戦は、未来の豊かな海へとつながっていく▼米国の海洋生物学者レイチェル・カーソンは著書『沈黙の春』で、化学物質による自然破壊がもたらす生命の危機を訴えた。幾多の批判や病などに屈しなかった彼女の原動力——それは"冬の後には春が来る"との不変の法則に基づく希望と確信だった。命懸けでつづった言葉は、生命と環境を守る連帯を築いた▼"今日より明日へ"と前進する「本因妙」の仏法の力は、"今"を懸命に生き抜く中で発揮される。その努力と挑戦の積み重ねこそが、希望の未来を開いていく。
寸鉄 2022年6月28日
対話の最大の決め手は人格—恩師。誠意を尽くして語れば深い信頼が残る
神奈川よ勇猛果敢に攻め捲れ!底力発揮し勝利の扉を開け。悔いを残すな
愛知が疾風迅雷の進撃!困難の巌砕く執念の拡大今日も。凱旋の歓呼必ず
強さは不屈の意志から生じる—偉人ガンジー。青年よ絶対に勝つと決めて壁を破れ
熱中症の発生、最多は室内と。就寝中にも危険が。無理せずエアコン利用を
☆Switch——共育のまなざし 在日外国人の"ママ友"との絆
山梨・南アルプス市に、在日外国人のシングルマザーと、彼女を入会に導いた日本人の女性部員がいます。出会いを結んで以来、異国の日本で懸命に生きてきた"ママ友"を、その女性部員のみならず、地元の学会員たちも、真心で包んでいきました。そして、日本人の女性部員が子育ての悩みに直面した時、支えとなってくれたのは、そのシングルマザーと息子さんでした。
◇「仲良くして」と
森亜古さん=地区女性部長=と、マークプラコーン・サンワンさん=女性部員=が出会ったのは、2013年のことだ。森さんの長男・冠太さん(高校1年)とサンワンさんの長男・友さん(同)が、小学校への入学を機に仲良くなり、連れだって通学するようになった。
ある日、森さんが冠太さんとスーパーマーケットへ買い物に行った時のこと。自転車のチャイルドシートに座っている友さんを見つけた。彼が乗る自転車を、店の駐輪場に止めようとする女性がいる。
"あの人が友君のお母さんかしら"
森さんは歩み寄って声を掛けた。「冠太の母です。友君が一緒に遊んでくれて、ありがとうございます」
するとサンワンさんは、こう返事をした。「私、日本人じゃないの」。外見からも、たどたどしい日本語からも、そのことは分かった。サンワンさんは続けた。「でも仲良くしてください」と。
丁寧に頭を下げるサンワンさんの姿に、森さんは妙に心を打たれた。森さんが「こちらこそ喜んで。よろしくお願いします」と言うと、サンワンさんはホッとしたように笑顔を見せてくれた。
それから"ママ友"の付き合いが始まった。サンワンさんがタイ出身だということを聞き、食品雑貨店に勤めていた森さんは、「よかったら食べて」とタイの麺を見つけて届けに行ったことがある。サンワンさんは、すぐに調理して"お裾分け"に来てくれた。森さんは"なんて心の温かな人だろう"と感じた。
相手に対して抱いた好感は、サンワンさんも同じだったようだ。2人が打ち解けるまでに長い時間はかからなかった。
やがて、サンワンさんは自らの来し方を、森さんに語るようになった。
◇人の輪の中
サンワンさんは、タイの首都・バンコクから数百キロ離れた村で生まれ育った。
実家は農業を営んでいたものの、暮らしは貧しかった。サンワンさんは、小学校を卒業するとバンコクへ。ハウスキーパー(家政婦)として10年ほど働き、出稼ぎのために来日した。山梨に来て日本人男性と結婚し、友さんとその姉を出産したものの、友さんが3歳の時に離婚。その後はシングルマザーとして子どもたちを育てた。
ハローワークや市役所の担当者も力を尽くしてくれ、工場勤務と内職を掛け持ちすることで、親子3人、何とか生活してきた。苦しいことは数え切れないほどあった。見掛けや文化の違い、言葉の壁、それらから生じる人間関係のあつれき……。サンワンさんは森さんに教えてくれた。「言葉は分からなくても、のけ者にされている時は、相手の目を見れば分かる」と。
子育てでも悔しい思いをした。長女は小学生の時、「外国人はあっちへ行け」と、いじめられた。サンワンさんは「泣いて帰ってくる娘のことを、抱き締めることしかできなかった」と言う。
森さんは胸が締め付けられる思いがした。"苦労を重ねながら、懸命に生きてきたサンワンさんに、どうか幸せになってほしい"
創価学会の信仰の話をせずにはいられなかった。2013年の年末、サンワンさんは森さんに誘われて座談会に参加した。地区の同志たちは口々に「よく来てくれましたね」と温かく迎えた。サンワンさんは「こんなに親切に外国人のことを思ってくれる日本人がいる場所に、初めて来た」と感想を口にした。
仏法用語の意味が分からず、すぐには入会に踏み切れなかった。それでも、「南無妙法蓮華経で幸せになれる」との言葉が心に刻まれた。以後、サンワンさんは、工場勤務の行き帰り、自転車に乗りながら、心の中で毎日、題目を唱えていく。
とともに、息子の小学校の諸行事では、森さんと、家族ぐるみの付き合いをした。
運動会では一緒に場所取りをし、他のママ友たちの家族とも昼食を囲んだ。姉の時とは異なり、友さんが学校でいじめに遭うことはなかった。「森さんがママさんたちの輪の中に、私を迎え入れてくれた」。サンワンさんは今も深く、感謝している。
◇"君のそばに"
子どもたちが中学に進学した2019年。2学期から森さんの長男・冠太さんが不登校になった。夏休み最終日、「明日から2学期だね」と声を掛けると、普段と変わらず「そうだね」と答えていた息子が翌朝、布団に潜って「行きたくない」と言う。翌日もその次の日も……。
"え、なんで?"。森さんは、夏休みと打って変わって無表情で過ごす息子の姿に戸惑った。息子はあまり多くを語るタイプではないものの、中学校の担任からは「学校では友達とよく話し、昼休みは校庭で元気に遊んでいた」と聞いた。
日がたつごとに、不安に駆られた。"この子はこの先、どうなってしまうのだろう"
心配のあまり無理やり学校へ引っ張って行った日も、「逃げちゃダメだよ」と強く言ってしまった日もある。近所の目を気にしている自分もいた。そんな時、教員をしている学会の先輩から言われた。
「学校に行くことは、当たり前だと思っているでしょう。でも、違うんです。"戦い"に行くような思いで、学校に行く子もいます」
雷に打たれたような思いがした。"息子は毎日、悩んで頑張って「行ってきます」と家を出ていたんだ"と。"冠太を信じ抜こう。理屈じゃなく、心の底からそう思えるまで題目を唱えよう"と決めた。
夫の隆男さん=副本陣長(副ブロック長)=も、しばしば、冠太さんと、2つ年下の長女・ここなさん兄妹を連れて近県までドライブへ。またある時は、息子の中学校にある登校支援の教室に付き添い、わが子と共に歩んだ。
そして、森さんの家に冠太さんを訪ね続けて来てくれたのが、サンワンさんの息子の友さんだった。
ゲームをしたり、外でバドミントンをしたり。そこには昔から変わらない2人の姿があった。学校に行くとか行かないとか、そういう話はしない。友さんは「いつも通り、"僕は君のそばにいるよ"という気持ち」で過ごしたという。サンワンさんも"息子の親友である冠太君の幸せを"と願い、森さんの不安から決意まで、その心を分かち合ってくれた。
2020年初頭、国内で新型コロナの感染拡大が起こり、3月には山梨の小・中学校でも卒業式などの諸行事を挟み、休校が続いた。同月下旬、3学期の修了式を前に、冠太さんは母へ「学校に行くよ」と。そして学期末と、休校期間が明けた5月下旬以降、登校するようになった。
それから2年。今春、2人は中学校を卒業し、別々の高校に進学した。冠太さんは友さんへの思いを語る。「会う機会は減っても、ずっと大切な友達です」と。
◇考え行動する
冠太さんが不登校にあった2020年1月26日、サンワンさんの入会記念勤行会が行われた。
初めて座談会に参加してから、勤務先の行き帰りに胸中で唱題を重ねて6年余り——その間、願っていた労働環境の職場に転職を果たした。何社もの面接に挑み、時に森さん宅で御本尊に向かって共に祈り、つかんだ結果。そうした中でサンワンさんは「題目を唱えると勇気や希望が湧いてくることを感じて」入会を決意したのだった。
森さんと共に、多くの友が入会記念勤行会に参加し、サンワンさんの新出発を祝福した。その一人が、和出陽子さん=県総合女性部長(総県副国際部長兼任)。サンワンさんにも森さんにも、励ましを送り続けてきた。
「在日外国人のメンバーの中には、夜勤など負担の大きい仕事をしている方も少なくありません。そんな中、唱題で生命力をみなぎらせ、職場で信頼を得て、生活の基盤を確立しています」と和出さん。また、多くの女性部員への激励も重ねる中で、気付いたことがある。
「それは、誰もが何かしらの課題を抱えているということです。外見や言葉、文化の違いもあれば、一見しただけでは分からない家庭や仕事の問題、内面の葛藤も……。悩みは違っても、信心根本に向き合うからこそ"同じように苦しんでいる人を放っておけない"と思える。同志の存在は本当にありがたいです」
同志から祝福を受けるサンワンさんの姿を見て、森さんは自分が入会した時のことを思い出した。夫の隆男さんと交際していた時に仏法の話を聞き、2005年に入会した。当時は「仕事も人間関係も、何をしてもうまくいかない」と、自らを卑下していた。反対に「学会の皆さんは朗らかで、キラキラと輝いて見えた」と言う。
自身の入会から十数年を経て森さんは思い至った。「同志の皆さんが輝いて見えたのは、苦労がないからではなく、苦労と向き合って、そのど真ん中を走ってきたからなんだ」と。サンワンさんとの絆を育みながら、自らの子育てと向き合うからこそ、気付くことができた。
今、森さんは「大変だと感じる時も、一人じゃなかった」と振り返る。夫の支えはもとより、両親は離れた実家から応援の電話をくれた。同居する義父・佐一さん=副支部長(本陣長兼任)=と義母・陽子さん=県副女性部長=も、孫である冠太さんを温かく見守ってくれた。「そして家族だけでなく、"学会家族"の皆さんが祈り励ましてくれたから、頑張ろうと思えたんです」と。
池田先生は語っている。
「私は常々、『一番苦しんでいる人こそ、一番幸福になる権利がある』と訴えてきました。仏法とは、その一番苦しんでいる人のためにあるのです。その人に同苦する、その人のことを自分と同じだと感じる、その人の身になって考え行動する。そこに慈悲が光ります」
励まし合いながら歩んできた、森さんとサンワンさん。2人は、これまでの経験を糧として、これからも"出会った友を励ます人生"を歩んでいくに違いない。