広布の黄金柱・壮年部よ!
いよいよ本領発揮だ!
"わが姿を見よ"と
同志を鼓舞する
師子奮迅の拡大を頼む!
下山御消息 P346
『如来は未来を鑑みさせ給いて我が滅後正法一千年像法一千年末法一万年が間我が法門を弘通すべき人人並に経経を一一にきりあてられて候』
【通解】
如来は未来を見通されて自らの亡き後、正法一千年・像法一千年・末法一万年の間、自らの法門を弘通すべき人々と弘めるべき経を一つ一つ明確に当てられている。
名字の言 島民の約半数が本紙を購読——福岡・藍島 2022年6月26日
「聖教新聞、楽しく読んでいますよ!」「いつも学会の皆さんから元気をもらっています」。福岡県北九州市の藍島で出会った人が、口々に温かい声を掛けてくださった。島に暮らす約80世帯の5割近くが、本紙の購読経験者である▼かつて地元の学会員は、島の伝統、風習などの壁にぶつかり、つらい思いもしたという。だが、負けずに闘志を燃え上がらせた。"祈り、笑顔、真心を倍加して語ろう"と▼メンバーは島のさまざまな仕事を引き受け、「幸福パトロール隊」と称して高齢者宅への声掛けも行う。明るく誠実に地域に尽くす姿に接し、島民の大半が学会の実像を知り、良き理解者に。その信頼は今、不動のものとなった。友は語る。「苦しい時も前に進み続けたからこそ、私たちは強くなれた。島の広布が開けた」▼御書に「誰かが信仰をさまたげたら、心の中で『うれしい』と思いなさい」(新1843・全1512、趣意)と。立正安国の道に苦難は多い。その時こそ"飛躍への大チャンス"と心を奮い立たせ、果敢なる行動に打って出たい▼我らには、無限の力を引き出す師弟がある。全てをプラスに転じる哲学があり、同志がいる。乗り越えられない壁などない。恐れなく、前進また前進!
寸鉄 2022年6月26日
英雄は失敗にも勇気増し最終の勝利を得る—牧口先生。不屈こそ創価の魂
正義の大神奈川が激闘!縦横無尽に動き語ろう。全国の応援胸に勇気凜々
国連憲章の調印記念日。民衆は不戦を希求。学会は人類の議会へ支援貫く
国際麻薬乱用撲滅デー。抵抗感薄い若年層。未来奪う魔物は社会挙げ根絶
公明の後押しで携帯電話料金引き下げ—前首相。更に国民生活守る戦いを
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:病と向き合う
◇御文
『妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがえる義なり。』(法華経題目抄、新541・全947)
◇通解
妙とは蘇生の意味である。蘇生とは、よみがえるということである。
◇人生に勝つための信心
慢性骨髄性白血病と診断され
1989年(平成元年)2月のある朝、安達純子さん(64)=兵庫県養父市、北兵庫宝光県総合女性部長=は突然、大量の血を吐いた。緊急入院となり、輸血が必要なため血液検査したところ、結果を見た医師の顔が曇った。吐血の原因は胃潰瘍によるものだと判明したが、「慢性骨髄性白血病」であることが分かった。地区婦人部長(当時)の時のことだった。
◇
「病名を聞いた時は"なんで私が?"って。頭の中はその言葉だけでした」
安達さんは振り返る。
体に異変を感じたのは、30歳を過ぎた頃。だるさや吐き気、めまいに襲われることが増えていたが、「たいして気にしてなかったんです」。吐血したのは、そうした中でのことだった。
医師からは、発病してすでに数年はたっており、このまま急性期に至れば命に及ぶため、早期の骨髄移植を勧められた。
しかし当時、国内での骨髄移植の事例は多くなかった。移植に必要な、同じ白血球の型(HLA)を持つドナーは、数万人に1人の割合ともいわれるが、公的骨髄バンクもまだなく、たとえ移植できても完治できるか不明とも告げられた。
「話を聞けば聞くほど不安が募ってきて。悔しさと死の恐怖で、涙が止まりませんでした」
病室に駆け付けた婦人部(当時)の先輩は、そんな安達さんを抱きかかえるように励ましてくれた。
「大丈夫! 戦って出た宿業なんやし。絶対に乗り越えられる!」
確信の言葉が胸に刺さった。
1カ月ほどで退院。安達さんは夫・道一さん(67)=副支部長(地区部長兼任)=と、御本尊の前から病魔との"闘争"を開始した。「信心で勝つ以外にない。祈るほど、そう心が定まっていきました」
夫妻で強盛に題目を唱えては、仏法対話に、同志の激励に、広大な地域を走った。
90年6月、関西池田記念墓地公園の開園記念の場で、初訪問した池田先生と師弟の出会いを刻んだ。
「先生は、全て分かってくださっている。負けるわけにはいかない!」。心のエンジンが、一段とうなりを上げた。
その後、東京にいた安達さんの姉と、白血球の型が一致することが判明した。希望の光が差した。東京の国立病院で移植手術を受けることが決まった。
同年11月に入院。移植の前処置として、大量の投薬と放射線照射による治療が行われた。
「その副作用が想像以上に過酷で」と安達さん。髪の毛は全て抜け、あらゆる内臓の粘膜はただれた。絶え間のない吐き気と発熱。激しい下痢。食べ物を全く口にできなかった。
「兵庫の同志が送ってくれた励ましの手紙に、どれほど勇気をもらったか。"もう、治療をやめてしまいたい"と弱気が頭をもたげるたび、心で題目を唱えて、ねじ伏せました」
安達さんは無菌室に移り、91年3月1日、移植の日を迎えた。姉の骨髄から採取した造血幹細胞が、点滴によって安達さんの体に入っていった。
術後2週間ほどで生着が確認され、無菌室から一般病棟へ。その後もつらい症状は続いたが、祈りを重ねては歯を食いしばるように耐え抜き、同年7月、晴れて退院することができた。
実は、治療による副作用もあって、夫妻の間に子どもはいない。安達さんは「そのことで、ずいぶんと悩みましたね」と、ほほ笑む。
「苦しみの渦中で深く拝した御文は、『妙とは蘇生の義なり』の一節です。新しい生命を誕生させる代わりに、私の生命を"蘇生"させてもらえた——この御聖訓を拝す中で『蘇生の義』を実感できました。私は、広布の母として生き抜くんだと、心が強くなりました」
一時は人生を悲観した「絶望」の中から、安達さんは「希望」を見いだし、前を向いてきた。
「信心で"蘇生"したこの人生。だからこそ、広布のため、師匠と同志のために使っていきます」
骨髄移植での過酷な副作用と闘っていた安達さんは、かつて池田先生が兵庫の同志に贈った「人生/勝つために/信心のあることを/忘れまい」との言葉を、心の中で何度も反すうしたという。
「しんどい現実から思わず逃げ出したくなる時、"負けるわけにはいかない。信心で必ず乗り越えてみせる!"って、師匠や同志の顔を思い浮かべては、自身を奮い立たせました」
その上で、安達さんはこうも話す。「苦しいといえば、これほど苦しい経験はありませんでした。けれど、信心のおかげで、こんなに大きな宿業を今世で呼び起こすことができた。祈る中でそう確信できた時に、心の底から感謝が湧いてきたんです。なんて幸せな人生だろうと」
そうした境涯の変革を、安達さんは"蘇生"だと捉える。
安達さんと二人三脚で歩んできた道一さんは、どう見てきたのか。
「強い人やと思います。つらい状況でも、決して弱音を吐かない。退かない。信心一筋の人はここまで強くなれるんやと教わりました」
池田先生は語っている。
「今、ここで、生活に戦い、人生に戦い、広宣流布に戦う——その生命に幸福の旭日は赫々と昇りゆくのだ。(中略)
いかなる苦悩をもち、いかなる境遇にあろうが、その人でなければ果たせぬ尊き使命がある。それを深く自覚した時、すべては変わる。久遠の『大願』を果たすために、私たちは、今ここに生まれてきた。宿命は即、使命となり、わが勝利の逆転劇を荘厳する舞台となるのだ。
いかに現実が多事多難であろうとも、ここから離れて、幸福の大地はどこにもない」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
信心によって境涯を開けば、いかなる試練も悠々と見下ろしていける。確信みなぎる"常勝の母"は、悩める友の"蘇生"を願って、今日も広布の舞台を駆ける。
[教学コンパス]
晴れ間がのぞいた梅雨時の空を、燃えるような夕日が染める。大自然が織り成す"天空の芸術"に、思わず心を動かされる。ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医のフランクルは、過酷な環境を生き抜いた人の共通点の一つに「夕焼けに感動したこと」を挙げている。極限状態でも美しさを感じる——本来の人間性を失わなかったことが、精神的な強さとなり、困難に打ち勝つ力となったのだ。
苦悩に満ちた現実世界を、仏教では「娑婆」という。サンスクリットの「サハー」の音写で、「堪忍」などと訳されるが、この不条理な娑婆世界にあって、忍び難き苦難に打ち勝つドラマを日々、演じているのが創価の同志である。
過酷な宿命の嵐の中で、懸命に御本尊に向かい、現実変革に果敢に挑みながらも、地涌の菩薩として民衆救済に生きるという、自らの根本の使命を決して見失わない。
そうした一人一人が使命の舞台で演じる、人間革命の鮮やかな勝利劇こそ、生命が織り成す"究極の芸術"だと、たたえたい。