2022年6月17日金曜日

2022.06.17 わが友に贈る

目標を達成するまで
何度も何度も挑戦する。
これが勝利の要諦だ。
わが誓願を果たしゆく
粘り強き前進を!

守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』

【通解】
この悪侶は利養(名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること)の故に、この経を広宣流布することができない。

名字の言 味とともによみがえる「食事の思い出」 2022年6月17日
一家の夕食は、夫婦が当番制で準備するという男子部員。ある休日、彼が「たまには外食でも」と家族を誘うと、幼い息子は「パパご飯、ママご飯がいい」とごねた。夫妻は困惑しながらも、うれしくなった▼子どもにとって、両親が一生懸命に作ってくれたご飯を食べる時間は、家族の愛情に包まれ、単におなかを満たす以上の意味がある。同様に、人それぞれの「食事の思い出」も料理とともに、その時の情景を呼び起こすものだろう▼そば屋を営む友人読者を本紙で掲載したところ、紙面を見た女性部員から便りがあった。数十年前、社会人の第一歩をしるした勤務先の近所に、その店があったという。時折、出前を頼んでは堪能したことが懐かしい、と▼だしの味とともに、あの頃の出来事もよみがえった。一番の思い出は「信心と出あったこと」——学会員である職場の同僚に折伏され、入会。社会で奮闘しつつ、充実の青年部時代を送り、後年、両親への弘教も実らせた▼彼女は現在、支部女性部長として活躍。「同じ釜の飯」ならぬ、"同じそば屋の出前"を食べ、数々の思い出を刻んだ同僚とは、今も励ましを重ねては友好を広げている。"食とは体験である"とも言われるが、まさに至言である。

寸鉄 2022年6月17日
試練を切り抜ける度、崩れぬ成仏の境涯に—恩師 広布の戦いは全てが宝と
全国各地で対話の大旋風 確信漲る声は乱世の希望 平和と幸福の連帯を拡大
茨城の日。求道・団結・行動で進む無敵の人材城 仏法は勝負!共に凱旋を
交通事故に注意。絶対に起こさない、遭わない。隙をつくらず障魔を撃退
"気候変動に歯止めを"—国連とメディアが運動。今できることを足元から

〈社説〉 2022・6・17 あさって「父の日」
◇男性の家庭進出を当たり前に
「イクメン」という言葉が生まれて十数年がたった。保育園への送迎など、育児のさまざまな場面で、男性の姿が見られるように。仕事などとの両立に悩みながらも育児に取り組む男性読者から、声が寄せられることも増えた。
ある男子部員は、第2子誕生の喜びをかみ締め、夜泣きの赤ん坊の世話をするように。「夜勤」と表現するほど精神的にも肉体的にも過酷と語り、「妻に感謝です。正直、仕事より大変です」とも。
産後うつは、何も女性に限らない。実際、父親の11人に1人の確率で産後うつになるというデータもある。日本は長時間労働の人が多い国として知られる。子育てしやすい環境をつくり、少子化を改善するには、国や企業の本気の改善が望まれる。
日本の女性たちは、もっと深刻だ。1日の家事・育児時間は男性の5倍。核家族化が進み、親以外の家族が子どもを見られない。共働きが主流になり、かつて専業主婦だった女性たちも日中は仕事に出て、地域で助け合おうにも難しい。出産した女性全体の10%だった産後うつは、コロナ禍の中で「2倍になったおそれがある」という調査結果も。認定NPO法人フローレンス代表室長の前田晃平さんは、「人類史上、最も孤独な母親たち」と表現する。
前田さんは、「もっと長いものさしで見てみよう」と語る。日本の悠久の歴史から考えてみれば、"人類は、子育てを集団で助け合ってやってきた"。母親が一人で切り盛りする形は、当たり前でなく特殊であり、限界がある、と。
未来に目を向けてみよう。例えば、大介護時代を迎える日本において、柔軟に働ける環境を整えることは、何も子育て世帯のみに資する話というわけではない。
池田先生は「子育ては、確かに労作業ではあるが、人間の生命を育む、最も尊貴な聖業である。そのなかに、最高の喜びがあり、生きがいもある。また、子どもを育てるなかで、親も、学び、磨かれていくのである」とつづる。
子育てを重労働という男子部員は、一方で「子育てから学ぶことは多い。まるで"留学"です!」とも。周囲の配慮、社会の応援があれば、親子は伸び伸びと成長していくことができる。あさっては「父の日」。男性の"家庭進出"に寄り添いのエールを送りたい。

☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:信仰と苦難
連載「英知の光源 希望の哲理に学ぶ」では、日蓮大聖人の仏法を研さんするに当たって、さらなる理解のためにキーワードとなる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を掲載します。今回のテーマは「信仰と苦難」。日蓮仏法における「難」について考えていきます。

◇池田先生の指導から
末法にあって、自行化他の信心の実践に励むとき、必ず障魔が競い起こる。その障魔に立ち向かい、苦難と正面から戦うところに、真実の「安楽」がある。難を受けるということは、最大に信心を貫き通している証しでもある。
どんな船でも遠洋に出れば、激しい風雨や波浪にさらされる。しかし、それを乗り越え、前進していかなければ、目的の"港"に到着することはできない。
「成仏」という"港"をめざす私どもも、苦難の風雨におびえ、困難の波浪に負けてしまえば、決して「成仏」という"彼岸"に着くことはできない。
要するに、信心とは、仏と魔との戦いであり、その戦いの渦中で、「難」に負けない力強い生命境涯を築く以外に、真実の「安楽」への正道はない。
つまり、どのような苦難にも崩れない絶対の「安楽」の境涯は、いかなる「難」にも屈せぬ強き信心の確立にあることを銘記してほしい。(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)

Q1:正しい信仰を実践しているのに、なぜ反発を受けるのですか。
法華経には、釈尊滅後の悪世末法において一切衆生の幸福を願い、妙法流布の実践をする者に対して、さまざまな迫害や困難があることが説かれています。
そして、日蓮大聖人ただお一人が、経文通りの大難を受け、法華経を「身読」されたのです。
法華経勧持品第13には「三類の強敵」という迫害者の出現が示されており、特に、迫害者の心の中が悪に支配されたさまは、「悪鬼入其身(悪鬼は其の身に入って)」(法華経419ページ)と説かれています。
「悪鬼」とは、人の苦悩の因となって精神を乱す働きのことで、現代的には、人間の可能性、尊厳性を脅かす宗教・思想に当たるでしょう。そのような「悪」に心が支配されているがゆえに、正しい仏法を信じることができず、反発の様相を呈してしまうのです。
大聖人は「立正安国論」の中で、「仁王経」の「国土が乱れる時はまず鬼神が乱れる。鬼神が乱れるゆえに万民が乱れる」(新43・全31、通解)との一節を引用され、続けて、「鬼神が乱れると、万民が乱れるという先難は、このように明らかである。国土が乱れるという後災が起こることを、どうして疑うことができようか」(同、通解)と仰せです。
正しい価値観が見失われ、誤った思想が人々の間にはびこる時、人心が乱れ、社会や時代全体の混迷の度が増していく——。思想の混乱ほど、恐ろしいものはありません。
だからこそ、迫害を恐れず正義を語り広げ、立正安国を実現するために戦う私たちの使命は、いや増して大きいのです。

Q2:末法において正法を弘める使命の深さを実感しました。
たとえいかなる迫害を受けようとも、不惜身命で広宣流布に生き抜く。日蓮大聖人は、そうした御自身の弘通の姿を、法華経で説かれる「不軽菩薩」の実践に重ねられました。
不軽菩薩とは、常不軽菩薩品第20に登場する釈尊の過去世の姿です。
威音王仏の像法時代の終わり、思い上がった人々が大勢いる混沌とした社会にあって、自らを迫害する人々(上慢の四衆)に対してさえ、"必ず成仏できる"という言葉を唱えながら、敬っていきました。いかなる相手も決して軽んずることなく、出会った全ての人を礼拝し続けたのです。
この実践により、不軽菩薩は過去世の罪業をすべて消し去り(其罪畢已)、妙法を覚って生命が清らかになる(六根清浄)という功徳を得て、寿命を延ばし、後に成仏します。最終的には、迫害した人々も自分たちの誤りに気付き、教えを受けて救われます。
御聖訓には、「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(新1071・全769)とあります。
私たちが相手の仏性を敬って対話する時、たとえ相手に反発されたとしても、実は相手の仏性は、私たちの仏性を礼拝しています。やがて必ず、自他共の仏種が開花することは間違いありません。
どこまでも相手の仏性を信じ、粘り強く対話を重ねる。増上慢の人々の中にも勇んで飛び込み、諦めずに語っていく。不屈の信念と誠実な行動こそが、人々の不信と無理解という"心の氷壁"を溶かしていきます。

Q3:いかなる困難も恐れずに、戦い抜くことが大切なのですね。
日蓮大聖人は、御書の随所で「日蓮がごとく」(新1341・全989)、「予がごとく」(新1783・全1342)、「我がごとく」(新1803・全1367)とつづられ、弟子たちに"私と同じ戦いを起こすのだ!"と幾度も呼び掛けられています。
「真実の法華経の如説修行の行者の師弟・檀那とならんには、三類の敵人決定せり」(新599・全501)とあるように、広宣流布の師匠と一緒に戦うということは、三類の強敵と戦う"覚悟の信心"を貫くことにほかなりません。
池田先生は、つづっています。
「学会の歴史は、非難・中傷のつぶてを浴び、障魔の風雪のなかを進む、迫害に次ぐ迫害の道でありました。それ自体、『魔競はずは正法と知るべからず』(全1087・新1479)との御文に照らして、学会が正義であることの証明であります。
その創価学会の信心に生き抜く人が、成仏できないわけがない。大功徳を受けないわけがないと、私は断言しておきます!」(小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章)
創価学会の中で信心に励み、広布を阻む魔との闘争を一つ一つ勝ち越えていく中で、思いもよらない大境涯を開いていくことができます。
眼前の峰を登攀し、次なる広布の峰へ——この連続闘争に、人間革命の直道もあるのだと深く確信し、前進していきましょう。