2022年6月18日土曜日

2022.06.19 わが友に贈る

「強盛の信心いよいよ
悦びをなすべし」
地涌の使命を胸に
幸福広げる対話を!
さあ今日も前へ進もう!
(新1720・全1448)

祈祷抄 P1347
『されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごとし琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし』

【通解】
したがって、法華経の行者が祈る祈りは、音に応じて響きがあるように、影が体に添うように、澄んだ水に月が映るように、冷えた鏡が表面に露をつけるように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、曇りのない鏡が物の色を浮かべるように、必ず叶うのである。

【先生の指導から】
「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
「法華経に勝る兵法なし」の信心である。
恩師の「追撃の手をゆるめるな!」の叫びのままに、さらに強盛に祈りぬき、祈りきり、梵天・帝釈等を揺り動かしながら、爽快なる勝ち戦を続けてまいりたい。

名字の言 全日本大学駅伝予選会——創価大学の力走に期待 2022年6月18日
第54回全日本大学駅伝の地区選考会が、きょうから始まる。東海を皮切りに、あすは関東、関西、九州で行われ、8地区の選考会を勝ち抜いた17校と前回大会の上位8校などが学生日本一を懸け、11月の本戦に挑む▼最激戦の関東地区には、創価大学など20校がエントリー。各大学の8人が2人ずつ4組に分かれて1万メートルを走り、合計タイムの上位7校に全国への切符が与えられる▼初出場を狙う創大が目指すのは、スローガンに掲げた「強さの証明」だ。それを示したのが4月の日本学生陸上個人選手権1万メートル。序盤からレースを引っ張った葛西潤選手が優勝し、2位の嶋津雄大選手と共に最後まで主導権を渡さなかった▼長距離のトラック種目は多くの場合、集団を形成してレースが進む。単に先頭を走れば勝利に結び付くというわけではない。気象条件、レース展開、ライバルの調子などを見極める洞察力が求められる。何より必要なのは、どんな状況でも、自分のベストの力を自在に発揮できる"本物の強さ"だ▼積み重ねた努力は絶対に裏切らない。それは調子や条件が悪い時ほど自分を支え、前進させる強さとなる。駅伝部の力走を楽しみに、私たちも人生という名の大舞台で悔いなく走り抜こう!

寸鉄 2022年6月18日
「各々、師子王の心を取り出だして」御書。勇気はすべての人に。皆が人材(新1620・全1190)
兵庫が執念の反転攻勢。逆転の劇はここからだ。全同志が力強くエール!
正義の大神奈川が猛追!誠実と確信で語れ。いよいよ本領発揮し共に勝鬨
埼玉が鉄桶の団結で激走われらは前進あるのみ!民衆パワーで栄光の頂へ
食中毒が増加する季節。不十分な加熱等に注意。入念な手洗いも欠かさず

〈社説〉 2022・6・18 あす「朗読の日」
◇子どもと心を響かせ合う交流を
「読み聞かせ 親子見つめる 月天子」
かつて本紙「新・生き生き川柳」欄に紹介された句だ。就寝前に親子で楽しそうに読み聞かせをする様子が目に浮かんでくる。
あす6月19日は「朗読の日」。
2002年に、日本朗読文化協会が制定したもので、「朗読」という文化活動を通じて、広く社会に貢献することを目指し、さまざまな取り組みがされている。
最も身近な朗読の一つに、子どもへの絵本の読み聞かせがある。
同協会名誉会長の加賀美幸子さんは、かつて本紙のトーク企画で、「読み聞かせ」のこつを巡ってこう語った。
「『どうしたら伝わるか』という真剣な思いでしょうか。その上で、足りなければ、補えばいい。多すぎたら、削ればいい」
昨年、英・オックスフォード大学出版局(OUP)が発表した、保護者による子どもへの読み聞かせに関する調査で、保護者の75%は"読み聞かせが子どもとの関係構築を助ける"と回答し、51%は"読み聞かせの時間を増やしたい"と考えていることが分かった。
本紙でも、これまで読者や専門家の読み聞かせの工夫やアドバイスを紹介してきた。
その一人、フリーアナウンサーの堀井美香さんは、絵本を朗読する際に声の「強弱」、読む「スピード」、言葉と言葉の「間」の三つを、自分なりに変えてみることを勧めている。そのように「思いっ切り感情を込めて読んだ方がより楽しめるのでは」と親子で楽しむポイントを紹介していた。
最近は子どもも読み手となる絵本の「読み合い」も注目されている。読み聞かせ、読み合いのどちらも、聞き手と読み手とが一緒になり、ハラハラ・ドキドキし、喜びや悲しみを共有し、心を響かせ合える。子どもの心を豊かに耕し、親にとっても子どもへの愛情を深める大切な時間である。
池田大作先生は、「親から子へ、子から親へと通いあう『心の時間』こそが大事なのです」と強調し、「わずかな時間であったとしても、ともに語りあったり、何かを一緒に体験したり、感動しあった時間というのは、子どもの心に深く残っていく」と、子育てに奮闘する友へ励ましを送る。
たとえ10分でも絵本を通じた親子の時間をつくってみる。そうした積み重ねが心の財産となろう。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第20回 ヘレン・ケラー
〈ヘレン・ケラー〉
不可能だと思われた障壁を征服し、完成の領域をさらに押し広げていく。
それに匹敵する歓びがあるでしょうか。

それは、今から90年前のことである。1932年6月15日、イギリスの名門・グラスゴー大学は、一人の女性に最高栄誉である「名誉博士号」を贈った。
アメリカの社会福祉運動家ヘレン・ケラーである。
授与式の会場となった19世紀建造のビュート・ホールに、大学総長の厳かな宣言が響く。会場の一角には、ヘレンの晴れ舞台を見守る教師アン・サリバンの姿が。
「我々は、勇気と不屈の忍耐をもって、人間の肉体の弱さゆえの障害を越えて、先例なく、また類例なき智力の勝利をかち得たる、この婦人を尊敬する。それと同時に我々は、彼女の友人にして教師である人、献身的な愛と天才によって、この勝利を可能ならしめた婦人を讃美するものである」
目・耳・口の"三重苦"に屈しなかったヘレン。そして彼女を懸命に薫陶し続けたサリバン——。総長の言葉は、偉大な師弟への賛辞にあふれていた。
「不可能だと思われた障壁を征服し、完成の領域をさらに押し広げてゆく歓び、それに匹敵する歓びがあるでしょうか」
この信念で、自らの生涯を通して人々に希望の光を与え続けたヘレンは、1880年6月27日、米アラバマ州で生まれた。
裕福な家庭で育つが、2歳を前に、原因不明の恐ろしい病に襲われる。やがて体調は回復したものの、後遺症として目と耳の機能が奪われ、さらには話すこともできなくなってしまった。
しかし両親は、娘の可能性を信じて愛情を注ぎ、障がいを乗り越える方途を求めて医師などの意見を聞き歩いた。その中で出会ったのが、電話の発明で知られるグラハム・ベル。聴覚障がい者の教育に携わっていた彼の提案で、盲学校の校長に家庭教師を紹介してもらうことになった。
そして、ヘレンが6歳だった87年3月3日、盲学校を優秀な成績で卒業したサリバンが家庭教師としてケラー家へ。ヘレンにとって「魂の誕生日」となったこの日から、半世紀にわたる二人三脚の歩みが始まったのである。
反抗心の強いヘレンに、サリバンは手を焼いた。それでも根気よく関わり続けるサリバンに、ヘレンは信頼を寄せていく。
「全てのものに名前がある」。それを認識させるため、サリバンは指の形でアルファベットを一文字ずつ表す「指文字」を、ヘレンの手のひらにつづり、言葉を教えた。しかし何度教わっても、ヘレンは「名前がある」ということを理解できない。
転機が訪れたのは、出会って1カ月が過ぎた頃。サリバンはヘレンを庭の井戸に連れて行き、コップを持たせて水を注いだ。コップからあふれ出した水が、ヘレンの手に伝わる。するとサリバンは、ヘレンのもう一方の手に何度も指文字で「WATER(水)」と書いた。水に触れたヘレンは、それが名前をもつものであると、初めて認識することができたのだ。
"生きた言葉が魂を目覚めさせ、光と望みと喜びを与え、自由にしてくれた"——この出来事は彼女の向学の意欲を呼び覚ました。
可能性の扉を開いたヘレンは、その後の数週間で300以上の単語を習得。学ぶ楽しさを知り、達成感に満たされていくと、次第に心も穏やかになっていった。
やがて読み書きができるようになると、さらに"声を発したい"との願いも実現させる。
大学進学の夢もかなえた。16歳で入学したケンブリッジ女学院を経て、ハーバード大学の女子学生が学ぶラドクリフ・カレッジに進み、優秀な成績で卒業する。
在学中には雑誌で連載を持ち、『わたしの生涯』と題する書籍を出版。作品は絶賛され、後に世界中で読まれる名著となった。
どんな不可能も可能にしてきたヘレンの傍らには、常にサリバンがいた。その献身への感謝を、ヘレンは次のように表現している。
「先生の存在が私とは切り離せぬものであり、また私の生涯の歩みは先生の歩みの中にあることを感じます。私の持っている一番良いものはみな先生のものです」
人生の師匠ともいうべきサリバンに導かれ、使命の道を切り開いたヘレン。大学卒業後は培った力を存分に生かし、障がい者のための福祉事業や社会運動に積極的に取り組んでいった。

〈ヘレン・ケラー〉
私たちの仕事に相応し、はるかな目的に向かって雄々しく進みうる力を与えてください——そう祈るのです。

1936年、彼女の成長と活躍を見守り続けてきたサリバンが、70歳でこの世を去った。大きな喪失感に襲われたヘレンだったが、悲しみを振り払うように、新たな挑戦として海外での講演活動を本格的に開始する。その第一歩として訪れた国こそ日本であった。
初訪問は37年4月。船で横浜港に着くと、約3カ月半かけて、東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡など全国を巡り、実に97回もの講演会を行っている。
ヘレンの訪日は3度。講演した会場の一つは、後に学会の「大阪大会」で池田先生が正義を師子吼した大阪市中央公会堂である。
ヘレンは晩年まで、障がい者が幸福に生きられる社会、そして世界の平和の実現を訴え続けた。
彼女の言葉にこうある。
「あらゆる苦闘は一つひとつが勝利なのです。もう少し努力をすれば光り輝く雲にとどき、空の青い深み、私の望みの高天原に着くのです」
「私たちは、私たちの力に相応した仕事を与えてください、ということを祈るのではなくして、私たちの仕事に相応し、大望心に燃え、はるかな目的に向かって、おおしく進みうる力を与えてください、ということを祈るのでなければなりません」
彼女が残した直筆メモなどの一部は、学会の「21世紀 希望の人権展」「7色に輝く女性展」等で展示され、大きな反響を呼んだ。
「師弟」によって育まれたヘレンの慈愛、忍耐、勇気は、人類史に不滅の光を放っている。

〈ヘレン・ケラーを語る池田先生〉
大事なのは、なによりも、自分自身が満足できたかどうかだ。
だれになんと言われようが、「私はやりきった!」「私は勝った!」
そう言い切れる人が勝者である。

グラスゴー大学がヘレンに名誉博士号を授与してから、ちょうど62年後の1994年6月15日。
彼女が式典に臨んだビュート・ホールに池田先生の姿はあった。この日、同大学から先生に名誉博士号が贈られたのである。
同じ「6月15日」という不思議な時の一致を見た授与式。
「池田氏の人生の方向を決定づけたのは、1947年、戸田城聖氏と出会い、氏の弟子になられたことであります」
推挙の辞では、ヘレンとサリバンの師弟を賛嘆した62年前と同様に、池田先生と戸田先生の師弟が世界に向かって宣揚された。
「真の正義の人を擁護し、賞讃することは、グラスゴー大学の誉れ高き伝統です」——そう述べたのは、式典を感慨を込めて振り返った同大学出身の教育者である。
"弟子の勝利は、師匠の勝利""弟子の喜びは、自らの勝利を師匠にささげること"——それを知るヘレンの言葉を通して語った池田先生のスピーチに、こうある。
「彼女は、『人間を変えるものは環境ではなく、人間自身の内なる力なのです』と語っている。
私たちの『人間革命』の思想と響き合う。大事なのは、なによりも、自分自身が満足できたかどうかだ。だれになんと言われようが、『私はやりきった!』『私は勝った!』と言い切れる人生を送った人が勝者である。
さらにヘレン・ケラーさんは言う。『他人のために尽そうとか、社会に新生命を打ち建てようという、私欲を離れた目的から永続的な確実な歓喜が生れるものであります』
私たちの前進は、社会の善のためである。友の希望のためである。自身の使命のためである。歓喜と充実の人生とならないはずはない」(2003年8月5日、全国最高協議会でのスピーチ)
2008年6月5日には「ヘレン・ケラーの思い出」と題した随筆を発表。その中で、最後に先生は力強く呼び掛けた。
「『我らの友よ、夜明けはそこまで来ているのです』
『我らがつくった大道を真っしぐらに前進しようではありませんか。団結し合い、覚悟を新たにして恐れることなく!』
これは、ヘレン・ケラーの人生を貫いた叫びである。
わが敬愛する同志よ、晴れ晴れと戦い、晴れ晴れと勝つのだ!
青年の心で、青年と共に!
滝の如く堂々と!」