新聞休刊日
辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』
【通解】
第六天の魔王は十種の魔の軍勢で戦を起こし、法華経の行者を相手に生死の苦しみの海の中で、凡夫と聖人が同居しているこの娑婆世界を「とられないぞ」「奪ってやる」と争うのである。日蓮は、第六天の魔王と戦う(法華経の行者の)身に当たっており、大兵を起こして戦うこと二十余年である。その間、日蓮は一度も退く心はない。
☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第10回 中部の友へ
◇勝利の一番星よ輝け!
一番星が輝いた。
堅塁・中部の大空に!
金星が
勝利の光を
放ちながら輝いた。
この星は
我らの星だ!
夕焼けに染まって
やがて見つめる
名古屋城の彼方には
きれいな星の煌めくように
青年たちの希望に燃えゆく
光の眼が輝いて集まる。
その輝く星座は
懇願するように
中部の君たちよ!
中部の貴女たちよ!
戦う魂を
さらに光らせながら
勝利の憧れの歌を
歌ってくれ給え! と。
幾たびとなく
卑劣な権力者たちに
荒らされた
苦しめられた君たちよ!
中傷の風の怒号に
戦い抜いた中部よ!
◆◇◆
我らの大道には
いくら
周囲が騒々しくても
いくら
社会が荒々しくても
一度限りの貴重な人生は
嵐にも不動である。
そして
正義の太陽に包まれ
暗黒の闇を吹き払った
満天の幸福の星座に
抱かれながら
崇高なる一生を
飾ることができるのだ。
我らは勝った!
中部の友は勝った!
創価の勇者は
永遠に勝った!
快活な大演奏に包まれた
勇気と幸福と力をもって
永遠に
勝利の軌道の法則に
胸を張って進みゆく
嬉しさよ!
◆◇◆
さあ 今日も
私の魂を
私の生命を
私の使命を
私の生活を
最も高貴な
広宣流布という
永遠の歴史に残る
平和と栄光の戦いを
何一つ悔いを残さずに
前進することだ!
真実の眼の覚めた
人生を生きることだ!
この尊き崇高な大運動に
皆さま方は
夜となく昼となく
そして
晴れても曇っても
雨の日も風の日も
ある時は夜遅くまで
正義の調べを広げるために!
正義の戦が勝利するために!
大きな信念を
胸に秘めながら
ひたすらに戦い
そして勝っていく!
戦い勝った皆さまの
正義の大いなる往来を
大宇宙の仏天は
朝陽の光とともに
身動きもせずに見つめ
讃えているに違いない。
日本列島の中心の中部!
日本の要の中部!
中部が中心となって
両翼が羽ばたいている
日本の姿。
完勝の原動力の中部よ!
中部の名誉と勝利の
金星よ 光れ!
中部の親愛なる同志の
日々の生活と人生に
金星よ 輝け!
☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第8回=完 希望の未来へ
身延の山で、弟子たちを育成していた日蓮大聖人さまのもとには、たびたび、各地から門下が訪れました。
遠く離れた佐渡の地から、海と山を越えて、阿仏房が御供養の品を背負って来たことがありました。
大聖人さまは、阿仏房を励ましつつ、夫を送り出した千日尼のことを思って、「あなたの心は、間違いなく私のもとに来ています。ただ心こそが大切なのですよ」と手紙を書きました。
また、父親と死別した後、母親や、きょうだいと一緒に信心に励んできた16歳の南条時光が、御供養の品を持って訪れたこともありました。
時光が立派な若武者に育ったことを、わがことのように喜んだ大聖人さまは、時光とその母へのお礼の手紙の中で、「時光は、身も心も亡き父上に似ていますね」と、温かく励ましました。
実は、大聖人さまは、8年にわたり身延で暮らす中、少しずつ病気がちになっていました。
そこで、温泉に入って病気を治そうと、常陸国(現在の茨城県北部と福島県南東部)というところへ向けて旅に出ました。
弟子に支えられ、ゆっくりと進んでいった大聖人さま。やがて、武蔵国池上(現在の東京都大田区)に到着すると、池上宗仲という弟子の家で、しばらく休むことにしました。
大聖人さまがいると聞いて、池上宗仲の家には、多くの門下たちがやって来ました。大聖人さまは、病気でつらい中でしたが、かつて書いた「立正安国論」を、門下たちに一生懸命、教えました。
ある日のこと。
大聖人さまは、自らの枕元に、日興上人をはじめとする弟子たちを呼び寄せました。
そして、「私がやってきた、正しい仏法を弘める行動を、弟子のあなたたちが継いでいくのです」と話しました。
弟子たちは、間もなく大聖人さまがいなくなると思うと、涙が止まりませんでした。
やがて、大聖人さまは目を閉じました。たくさんの弟子が見守る中、そのまま、眠るように静かに息を引き取ったのです。
大聖人さまが亡くなった後も、日興上人は師匠の心を受け継いで、苦しむ人々を救うための行動を貫きました。
大聖人さまが書いた手紙や論文を集め、「御書」として大切にし、門下が学べるようにもしました。
それから、およそ650年後——。
大聖人さまの心を、最も正しく受け継ぎ、偉大な仏法を弘める団体が生まれました。
それが「創価学会」です。
あらゆる人々を幸福にして、平和な世界をつくるため、今日も創価学会の友は、大聖人さまの直系の門下として頑張っているのです。(完)
◇[道しるべ]師弟共戦
「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」(法華経493ページ)——私たちが日々、読誦する法華経如来寿量品第16の自我偈は、釈尊が"何としても一切衆生を幸福に導きたい"という、仏の永遠の願いを明かして結ばれています。
この仏の大願をわが心として、仏滅後の妙法弘通を誓ったのが「地涌の菩薩」であると、法華経には示されています。いわば、広宣流布は永遠に「師弟不二の共戦」によって成し遂げられるのです。
御聖訓に「『大願』とは、法華弘通なり」(新1027・全736)、「ちかいし願いやぶるべからず」(新114・全232)とあるように、日蓮大聖人は広宣流布の大願を生涯の誓いとし、どこまでも貫かれました。
そして、「日蓮がごとく」(新1341・全989など)、「日蓮と同意」(新1791・全1360)と仰せになり、"私と共に広布の大願に生きるのだ!"と、後継の弟子たちに、師弟共戦を幾重にも呼び掛けられています。
この大聖人のお心のままに、世界広布を現実の上で進めているのが創価学会にほかなりません。
御本尊を「法華弘通のはたじるし」(新2086・全1243)と奉じて、全世界の民衆の平和と幸福のため、日夜、広布の使命に生き抜く私たちこそ、仏の大願を継ぐ地涌の菩薩なのです。
◇[地図・関連年表]
弘安4年(1281年)5月(60歳) 蒙古襲来(弘安の役)
弘安5年(1282年)9月8日(61歳) 身延山を下る
同年9月18日 武蔵国の池上宗仲邸に到着
同年10月13日 池上邸で御入滅
(聖寿は数え年)