人と比べる必要はない。
昨日の私より今日の私が
1ミリでも前へ!
真剣な祈りを原動力に
自分自身に勝とう!
妙法尼御前御返事 P1402
『須弥山を他方の世界へつぶてになぐる人よりも三千大千世界をまりの如くにけあぐる人よりも無量の余の経典を受け持ちて人に説ききかせ聴聞の道俗に六神通をえせしめんよりも、末法のけふこのごろ法華経の一句一偈のいはれをも尋ね問う人はありがたし』
【通解】
須弥山を他方の世界へ小石のように投げる人よりも、三千大千世界を鞠のように蹴り上げるよりも、無量の経典を受け持って、人に説き聞かせ、聴聞した道俗に六神通を得させる人よりも、末法の今日において法華経の一句一偈の意義を訪ね問う人は稀である。
名字の言 人生の主役は自分自身 2022年6月4日
整形外科医に聞いた話。担当患者に、けがをした足のリハビリに励む女性がいた。順調な回復ぶりではなかった彼女に「立って、少し歩いてみましょう」と言うと、「歩けません」と落胆している▼医師は優しく励ました。「"歩けているかどうか"は、歩行の様子で私が判断します。でも"歩くかどうか"は、あなたが決めることですよ」。気持ちが楽になった女性は、それ以降、目を見張る回復ぶりだったという▼ある芸術部員の女性は、歌の道を志した10代の頃、大病を患った。余命まで告知され、音楽大学への進学の道も断たれた。そんな失意の中で仏法と出あった▼彼女は"信心根本に生きる"と決め、病を克服。そして歌手になった。今、各地の仏法セミナーで信仰体験を語り、磨き上げた歌唱も披露する。気付けば、歌手になりたい理由だった「歌で皆に勇気と元気を届けたい」という夢をかなえていた▼"できるかどうか"の結果は、環境や条件にもよる。だが"何があろうと最後までやり抜く"という自身の一念の強さがなければ、望む結果を引き寄せることさえできない。人生の主役は自分自身である。一度立ったら、最後まで演じ切ると腹を決めるしかない。その覚悟から舞台は動き始める。
寸鉄 2022年6月4日
「濁世には、互いにつねにいいあわせて」御書。悩みも喜びも皆で共有し飛躍(新1304・全965)
「世界池田華陽会の日」。誓いの道歩む青春尊し。私の勝利が創価の勝利と
仏法に生きれば生命は強く輝く—恩師。師子奮迅の闘争で栄光の山を登攀
歯と口の健康週間。マスク生活で虫歯リスク増—専門家。定期検診で予防
給付型奨学金の対象拡充—公明の主張で。"小さな声"を形に。政治は結果だ
〈社説〉 2022・6・4 きょう「世界池田華陽会の日」
◇平和へ 輝く女性の連帯を
「使命に目覚めた『女性たちの声の力』こそが、社会と時代を正しい方向へと導く原動力」——池田先生は、19世紀アメリカの思想家エマソンの言葉を通して語った。
きょう6月4日は「世界池田華陽会の日」。昨秋、池田華陽会が女性部として新出発して以来、初めて迎える誓いの日である。
近年、コロナ禍や紛争で混迷する世界情勢の中、ニュージーランドやフィンランドで若き女性首相が活躍するなど、女性リーダーの台頭が話題になっている。
日本でもジェンダー平等がうたわれ、若い女性のコメンテーターが多様な発信をする場面も多く見られる。
そんな中、華陽姉妹は、各地で妙法の哲理と聡明な知恵を輝かせ、社会の第一線で躍動する。
日用品・化学会社に勤める和歌山の友は、半導体関連の材料開発に取り組む。部署で女性は1人。"自身の使命の職場で必ず実証を"と奮闘し、信頼も厚い。日々、最先端の商品開発に携わりながら、真剣に祈り、圏池田華陽会キャップとして仏縁の拡大にも先駆する。
創価の母から華陽姉妹への学会精神の継承も大きく進む。逆境に負けない不屈の祈りと、社会の平和や人々の幸福を願う献身の行動を受け継ぐ。
ある大阪のメンバーは母親ががんと宣告され、深刻な病状にがく然とした。だが、どんな時も笑顔で広布に尽くす母の姿に、成長を誓う。
学会活動に励み、勤務する保険代理店では営業成績でトップクラスに。母も快方に向かい、共に対話拡大に歩む喜びがあふれる。
若き女性の創価のスクラムは、192カ国・地域のSGIの連帯とともに、全世界に広がる。
家庭内の悩みを抱えていたイタリアの友は、入会後、同志と励まし合い進むと、再び家族に笑顔が戻った。目標の司法試験にも合格し、弁護士となり事務所を開設。
インドの圏女子部長は歯科医師として働き、公衆衛生の専門家を目指す。"池田先生の弟子ならば世界を変えゆく使命がある"と力強く。
歴史上、これほど朗らかな女性のネットワークがあっただろうか。国境や世代を超えて結ばれた絆と、対話の実践が、平和と繁栄の未来を開く原動力となろう。
新しき世紀を創るのは"青年の熱と力"であり、21世紀は"女性の世紀"。その中核を担う池田華陽会の一人一人に、心からのエールを送り、共に前進しよう。
☆御書と未来へ 第19回 「如我等無異」の勇気即慈悲を
〈御文〉
『我ら具縛の凡夫、たちまちに教主釈尊と功徳ひとし。彼の功徳を全体うけとる故なり。経に云わく「我がごとく等しくして異なることなし」等云々』〈日妙聖人御書、新1681・全1215〉
〈通解〉
私たち煩悩に縛られた凡夫が、たちまちに教主釈尊と等しい功徳を具えるのである。それは釈尊の無量の功徳を全て受け取るからである。法華経には「一切の衆生を自分と同じ仏にして、異なることがないようにしたい(如我等無異)」とある。
〈池田先生が贈る指針〉
全ての人を仏と同じ幸福境涯に!——この大誓願を貫く創価の師弟の信力・行力にこそ、「等しくして異なることなし」の仏力・法力が滾々と涌現するのだ。
日蓮大聖人は「師子王の子は師子王となる」とも仰せである。平等大慧の妙法の勇気即慈悲をいよいよ発揮し、自他共に功徳を受けゆく幸の仏縁を結び広げよう!
☆ONE GOSHO この一節とともに! 聖人御難事 2022年5月29日
◇正義の対話を堂々と
青年の月・7月へ、男子部の同志は、各地で立正安国の対話を広げている。今回は、広布の勝利を開く源泉である「師子王の心」について学ぶ。
◇御文
『各々、師子王の心を取り出だして、いかに人おどすともおずることなかれ。師子王は百獣におじず。師子の子、またかくのごとし。彼らは野干のほうるなり。日蓮が一門は師子の吼うるなり。』(新1620・全1190)
◇通解
各々は師子王の心を取り出して、どのように人が脅しても、決して恐れることがあってはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである。彼ら(正法を誹謗する人々)は野干(キツネの類い)が吠えているようなものであり、日蓮の一門は師子が吼えるのと同じである。
◇背景
本抄は「熱原の法難」の渦中である弘安2年(1279年)10月1日、日蓮大聖人が身延でしたためられ、門下一同に与えられたお手紙である。また、鎌倉の四条金吾のもとにとどめるように指示されている。
大聖人の身延入山後、駿河国(現在の静岡県中央部)の富士方面で弘教が伸展。その勢いに危機感を抱いた天台宗滝泉寺の院主代・行智らが虚偽の訴えを起こし、罪のない農民門下20人が捕らえられた。門下たちは拷問に等しい取り調べを受けたが、誰人も屈しなかった。そして、神四郎、弥五郎、弥六郎の3人が処刑され、残る17人は追放処分となった。本抄では、迫害の最中にあった弟子たちに、大聖人が大難を勝ち越えてきたように、「師子王の心」を取り出して難に立ち向かい、強盛な信心を貫くよう励まされている。
◇解説
「必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く」(新1488・全1091)——大難に遭った時に、信心を貫けるかどうか。ここに、成仏の分かれ目がある。
本抄の前半では、法華経法師品第10の「如来現在猶多怨嫉。況滅度後(釈尊の在世でさえ、なお怨嫉が多い。まして釈尊が入滅した後はなおさらである)」(法華経362ページ)の一節を引き、釈尊が受けた難はさまざまだが、滅後の難は、さらに大きいはずであると指摘されている。
ここでは釈尊在世の難として、投げられた大石の破片で小指から出血したこと、心が外道の味方となった弟子に命を狙われたこと、酔った象によって多くの弟子が踏み殺されたこと等を挙げられている。
続いて大聖人は、竜樹、天親、天台、伝教は身から血を流すこともなく、釈尊以上の難には遭っていないと指摘。立宗以来、2度の流罪や、竜の口の法難をはじめ命に及ぶ大難の連続であった大聖人御自身が唯一、釈尊の言葉が真実であると証明した人であり、法華経の行者であると示される。
本抄が著されたのは、熱原の農民門下20人が厳しい責めを受けている渦中であった。その中で、門下一同に、どのような迫害に遭っても「師子王の心を取り出だして」恐れずに進んでいくよう鼓舞されている。
「師子王の心」とは、最高の勇気であり、あらゆる試練に決して負けない仏界の力である。
佐渡御書に「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし」(新1286・全957)とあるように、師子王の心をもって一人立つならば、必ず仏になれると御断言である。
本抄で「取り出だして」と仰せなのは、この「師子王の心」は、全ての人の生命に本来具わっているからだ。では、どうすれば取り出すことができるのか。
大聖人は御自身を、百獣を恐れない「師子王」に譬えられ、「師子の子、またかくのごとし」と仰せだ。民衆救済のために、命に及ぶ大難を勝ち越えた師匠と共に戦う覚悟をもつ——ここに人生勝利の要諦がある。
池田先生は「師匠と同じ大願に生きる時、わが生命に『師子王の心』が涌現するのです。自分中心の『小願』にとどまっていれば、力も出ない。小さな自分で終わってしまう。大いなる自分へ、覚悟を決め、ど真ん中に『大願』を打ち立てることです」と指導されている。
日々、師と同じ大願に立ち、広布の戦いを起こす中で、いかなる苦難も恐れない勇気を湧き起こすことができる。師子王の前ではいかなる迫害も「野干が吠えている」にすぎないのだ。
青年の月・7月は、創価の師弟が権力の横暴に屈することなく戦った原点の月。後継の男子部は、不屈の魂を胸に、師子王の心で正義の対話の大旋風を、堂々と巻き起こしていきたい。