◇今週のことば
我らは所願成就の同志だ。
「自他・彼此の心なく、
水魚の思いを成して」
異体同心の無敵の団結で
どんな険路も越えよう!
(新1775・全1337)
2022年6月12日
教行証御書 P1282
『此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや』
【通解】
法華経本門の肝心である、この妙法蓮華経は、過去・現在・未来すべての諸仏の、あらゆる修行、あらゆる善行の功徳を集めて五字としたものである。この五字の中に、どうしてあらゆる戒の功徳を納めないことがあろうか。
名字の言 絵本作家・佐野洋子さんが愛用していた"短針1本の時計" 2022年6月12日
絵本・童話作家の佐野洋子さんはある時期、一風変わった時計を愛用していた。友人のメキシコ土産で、文字盤に短針1本しかないというものだった▼後に、それはあるべき長針が外れ落ちた、壊れた時計だと知る。それでも"分刻み"の長針がないぶん、時間に追われず、おおらかに時が流れていくように感じ、とても気に入っていたという(『私の猫たち許してほしい』ちくま文庫)▼小説『新・人間革命』に、山本伸一が聖教新聞の本社屋上で何人かの職員と語らう場面がある。視線のかなたには富士の雄姿が光り、眼下には家々の屋根が見える。伸一は言う。「家並みは路地裏から見てもわからないが、高いところから見ると、一目瞭然だろう。こうして上から見下ろしていくような、境涯を確立していく道が仏法なんだよ」と▼これは、足元や目の前の小事を軽んじていいという意味ではない。本意は、信心の眼を開き、自身の境涯を高めれば、揺れ動く社会の荒波に翻弄されず、悠然と進んでいけるということである▼刹那に生きる人は大事を成せない。物事を大局から捉え、目的を正しく定めてこそ、達成への課題も明確になる。それが着実な一歩前進の因ともなり、人生勝利への起点ともなる。
寸鉄 2022年6月12日
「富士山の木のごとく、ぞくぞくと」御書。必ず人材は出る!激励の手緩めず(新2090・全1245)
兵庫が乾坤一擲の猛攻。情熱込め粘り強く。未聞の大逆転へ皆で押し上げ
君の仕事は未来の収穫の為に幸福の種を蒔く事—劇作家バーナード・ショー。新時代開く主役
日記の日。一日を振り返り綴るべき挑戦がある人は幸福。輝く自分史刻め
給付金詐欺の容疑者7割が20代以下。SNSで安易に加担と。破壊は一瞬
☆輝きの瞬間 6月の広布史
◇1957年6月30日 学生部の結成記念日
「新しく『学生部』設置」——この見出しが聖教新聞に躍ったのは、1956年3月25日のこと。「立正安国」の実現のため、創価学会が新たな戦いを展開している最中のことである。
学生部は、戸田先生と池田先生によって結成された最後の部である。池田先生は、設置が発表された学生部の結成に向け、折々に励ましを送った。
翌57年6月30日、東京・麻布公会堂に約500人の学生が集い、結成大会が行われた。池田先生は電報を送り、祝福した。
この結成大会の日、先生は北海道にいた。炭鉱労働組合が学会員を弾圧した「夕張炭労事件」の陣頭指揮を執っていたためである。
また、結成大会から3日後の7月3日、先生は公職選挙法違反という事実無根の容疑で逮捕される。「大阪事件」である。民衆勢力を弾圧する権力との闘争の渦中に、学生部は発足した。
先生は、民衆を護る若き英知のリーダーを手塩に掛けて育んできた。第3代会長に就任した翌月の60年6月26日、学生部総会に出席。「決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたい」と強調した。
62年8月31日には、学生部の代表への「御義口伝」講義を開始。創価大学の設立構想の発表や、日中国交正常化の提言を行ったのも、学生部の総会の席上であった。
78年6月30日、学生部結成21周年を記念する幹部会が行われた。席上、学生部歌「広布に走れ」が発表された。
♪歴史を創るは この船たしか 我と我が友よ 広布に走れ
当時、宗門の悪僧らによる師弟分断の謀略が吹き荒れていた。先生は幹部会で訴えた。
「戸田前会長は、常々『次の学会を頼む』と若い青年に期待された。私は、その通りに歩んできたつもりである。と同じように、今度は諸君の番である」
この師の万感の期待は、学生部結成から65周年を迎える今も、決して変わらない。
◇1971年6月 北海道での写真撮影
1971年6月10日、池田先生は北海道の大沼研修所(現・函館研修道場)の開所式に出席。記念植樹や卓球大会に臨み、友との絆を結んだ。
前日の9日に研修所に到着した先生は、開所式の準備を開始。午後8時過ぎ、周囲の視察のため先生は車に乗った。漆黒の夜空だったが、東の山の向こうが白く光って見えた。
「あの光は何だろう」。先生の問い掛けに、同行の友は「函館の街の明かりではないでしょうか」と答えた。
先生を乗せた車は、湖畔の外周道路へ。しばらくすると、雲の切れ間から、月が姿を現した。暗闇の中の輝きは、人工の光ではなく、満月であった。
湖面には月光が金波、銀波となってきらめき、揺れた。先生は湖畔を移動しながらシャッターを切り、フィルム数本分を撮影した。それは大宇宙が織りなした、"美の絵巻"であった。
この日から、先生は本格的に写真の撮影を開始。奮闘する友の励みになればと、折に触れてカメラを手にした。
各地を訪れ、自然の持つ"瞬間の美"を捉えた作品は、「自然との対話——池田大作写真展」に発展。40年にわたり、世界41カ国・地域、150以上の都市で行われている。
「池田会長のポエムは口で詠まれた詩であり、写真は眼で詠まれた詩です」とは、20世紀を代表する美術史家ルネ・ユイグ氏の言葉である。
北海道訪問から数日後、先生は大沼で撮影した月の写真を、男子部の代表のメンバーに贈り、その真情を語った。
「"日夜、戦っている学会員の皆様が、この月の光に照らされ、英知輝く人になってほしい。名月天子よ、我が友を見守ってくれ"との願いを込めて、シャッターを切りました」
一枚の写真は言葉の壁を越え、人間と人間の心をつなぐ。先生が折々に撮影した写真は、友の心に勇気の灯をともしている。
◇1973年6月 5日 福井の日
◇1973年6月 10日 群馬の日
◇1973年6月 17日 茨城の日
1973年は、学会が新たな飛翔を開始した年である。「広布第2章」がスタートし、「仏法を基調とした本格的な社会建設の時代」へ船出した。
池田先生が強調したことの一つが、地域に即した広布の運動の推進である。「各方面、また、各県、各区を、何があっても微動だにせぬ黄金柱にしなければならない」と、激励に駆けた。
年頭から5月にかけて東京各区で記念撮影を行った先生は、6月に各地を訪問。この時に福井、群馬、茨城の3県は「県の日」の淵源となる歴史を刻んだ。
先生は5日、武生市体育館(当時)で開催された「福井県幹部会」に出席。空襲や自然災害を、不撓不屈の精神で乗り越えてきた福井の歴史を通し、"愛する郷土の発展は皆の勇気にかかっている"と強調した。さらに、「これからは福井の時代です。『東京、何するものぞ!』という気概で存分にやってください」と呼び掛けた。
最後に、「武田節」を全員で合唱。先生の雄渾な指揮に、参加者の決意が燃え上がった。
10日には、「群馬・高原スポーツ大会」へ。当初、会場がなかなか決まらなかった。群馬の同志は懸命に祈り抜き、伊香保町(当時)のスケートセンターで、大会が開催されることになった。
先生はメンバーと記念のカメラに納まり、"幸福の実証者に""一人一人が一騎当千の精鋭たれ"などの励ましを。そして、共に卓球をし、陰の力に徹する役員らを見つけては、心からの感謝を述べた。
1週間後の17日は、水戸市で行われた「茨城県スポーツ祭」に出席。先生もワイシャツを腕まくりし、鉢巻きを締めて、競技に出場。真剣勝負そのものの姿に、場内は最高潮に沸いた。同志の輪の中に入り、生命を削るようにして一人一人の心に希望を送る師の振る舞いを、皆が胸に焼き付けた。
先生は席上、「求道」「団結」「行動」「人材育成」との四つの指針を送った。その意義は、ますます重みを増している。
◇1990年6月3日、4日 関西池田記念墓地公園 初訪問
兵庫・丹波市にある関西池田記念墓地公園。そのオープンは1990年6月のこと。美しい山並みと田園風景が広がる水と緑の天地に、待望の墓園が誕生し、関西中の同志に歓喜があふれた。
池田先生は3日、丹波へ向かった。"先生が通られる!"——墓園までの道々には、三色旗を振る同志の姿があった。
夕方に同園に到着した先生は、「素晴らしいね。おめでとう!」と祝福。記念植樹や歌碑の除幕式などに参加した後、園内を回り、亡くなられた同志やその家族に、懇ろに題目を送った。
翌4日、開園を記念するテープカットが行われ、墓園内の丹波平和講堂で勤行会が開催された。
厳粛に勤行・唱題し、先生は、「広宣流布にまい進する民衆こそ真の"長者"であり、妙法の同志がきたって安らかに休みゆくこの墓園は"王宮""長者の城"ともいうべき誉れの故郷である」とあいさつした。
この年の年末、第2次宗門事件が勃発する。「僧が上で信徒が下」という時代錯誤の権威主義の体質を露呈した宗門が、一方的に池田先生を「法華講総講頭」から罷免した。91年には「破門通告書」なる文書が送られ、創価学会は「魂の独立」を果たす。
92年10月22日、先生は再び関西池田記念墓地公園へ。丹波平和講堂で、「兵庫県総会」の意義をとどめた本部幹部会が開催された。
「学会・学会員を大切にする人こそ、正法を大切にする人である。正法を大切にする人は、今度は大聖人から大切にされる。御本尊から大切にされる。十方の諸仏から大切にされる。この一事を知れば、人生は盤石である。仏法の真髄の実践が、ここにある」との師の言葉に、兵庫の友は破邪顕正の前進を誓った。
豊かな自然に囲まれ、来園者への真心にあふれた同園は長年、地元の老人会や園児、小学生たちが見学に訪れる。丹波市観光協会も桜の名所として紹介するなど、地域の"憩いの場"としても親しまれている。