2022年6月19日日曜日

2022.06.18 わが友に贈る

広布と人生の栄光の峰へ
眼前の坂を登りゆこう!
限界突破の拡大で
「今生人界の思い出」刻む
有意義な一日一日を!
(新519・全467)

兄弟抄 P1084
『なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ』

【通解】
特別なことがなくても、人間は、一度死ぬことが決まっています。臨終の姿が悪くて、人から笑われるようなことがあってはなりません。

名字の言 人生を勝ち開く"広布の父たち" 2022年6月19日
春先、果樹園を営む男子部員の自宅を訪れた。彼は不在で、家族から「ブドウ園にいるよ」と聞き、足を運ぶと、ブドウの木に芽傷処理をしている最中だった▼これは芽の付近の枝にあえて傷をつける作業。そうすることで枝先だけでなく、枝の途中にある芽も数多く成長し、ブドウの収穫量が増えるという。"傷を受けたことで、かえって新たな芽を出し、多くの果実を得る"——同じようなことが人生にもある▼調理師の壮年部員。昨年、コロナ禍の影響で、勤める店が閉鎖となり、失業した。壮年は深夜のアルバイトをして家族を養った。この間、学会の組織では地区部長として広布に走り抜いた▼壮年の娘は当時を「家計は苦しく大変だった。でも忘れ難い、大切な思い出になった」と述懐する。"必ず宿命転換するぞ!"と家族で唱題し、御書を研さんした。親子で仏法対話にも歩いた。娘は「必死な父の背中に"負けない"信心の姿勢を教わりました」とも。その後、壮年は和食店の料理長として再起を果たした▼試練や苦難によって傷を負っても、信心根本の人は、それを糧に、より実りある人生を勝ち開いていける。各地の"広布の父たち"の雄姿が、それを厳然と物語る。きょうは「父の日」。

寸鉄 2022年6月19日
新時代の平和革命は仏法の実践以外にない—戸田先生。誇り胸に語り捲れ
兵庫が猛追。民衆凱歌の時代を開く主役は我ら!全国の友も執念の大援軍
福岡が疾風怒濤の猛攻。先駆とは勇んで壁に挑む行動。総立ちし凱旋を!
総攻撃の烽火を愛知から勝利の「この道」を全同志と共に!雄弁に攻め抜け
きょう父の日。社会支え、一家守る壮年部に感謝。誉れの黄金柱よ出番は今

☆大慈悲の心音 門下への便り 第4回 弥三郎
人生にも、広宣流布の途上にも、"ここが正念場"という勝負どころがあります。むしろ、常に"今こそ人間革命の好機!"と捉えて眼前の課題に挑みゆく勇気の信心、潔い信心こそ、宿命転換の直道ではないでしょうか。
弥三郎という名の門下も、勝負に臨むに当たり、日蓮大聖人から渾身の激励のお手紙を賜った一人です。
彼に送られたお手紙で唯一残る「弥三郎殿御返事」によると、弥三郎は在家の身でありながら、何らかの事情で念仏僧と法論を行うことになったようです。そのことを身延の大聖人にご報告した返答が、建治3年(1277年)8月に御述作されたこのお手紙です。
当時、四条金吾や池上兄弟、南条時光ら、有力な日蓮門下は、難の渦中にありました。
同年5月に御執筆された「上野殿御返事(梵帝御計らいの事)」は、周囲から圧迫を加えられ始めた南条時光に対する"勝利の人間学"です。また、四条金吾が讒言によって主君から「法華経を捨てよ」と責められたのも、この年の6月。"正義の言論戦は、かくあるべし"と、大聖人は金吾に代わって直ちに筆を執り「頼基陳状」を著されました。
「弥三郎殿御返事」でも同じように、法論で"このように言い切りなさい""こう責めなさい"と具体的に記されています。
広布の前進を阻もうと、紛然と競い起こる三障四魔、三類の強敵——。大聖人は、師匠に呼応して立ち上がる弟子たちに対し、"私のように正義を叫び切れ!"と烈々たる折伏精神で共戦を呼び掛けられています。

◇一人立つ共戦の弟子に
『されば、心あらん人々は「我らがために」と思しめすべし。もし恩を知り心有る人々は、二つ当たらん杖には一つは替わるべきことぞかし。』(弥三郎殿御返事、新2084・全1450)

日本の諸宗の僧、そしてあらゆる衆生は、最も大恩ある法華経、釈迦仏を蔑ろにするという転倒に陥り、大苦を招いている——。
この真実をただ一人知った大聖人は、大難に次ぐ大難を耐え忍びながら、正義を叫び抜かれました。その目的は仏法の本義を取り戻し、未来永遠にわたる民衆の幸福を実現するためです。
大聖人は、恩を知り、心ある人々であるならば、大聖人が受ける「二つの杖(難)」のうち、一つは受けるべきであるとまで仰せです。
池田先生は、「本抄で大聖人は、弟子が広宣流布の主体者として『一人立つ』ことを願われたのではないでしょうか」と講義されています。
悩みや環境に翻弄され、「師匠による救いを待つ弟子」から、己心の悲哀を制覇し、広布を切り開く「師弟共戦の弟子」へ。
日蓮仏法は、どこまでも人間革命の宗教です。
その上で法論に臨むに当たって、「我が師は、たびたびの大難にも臆する心がなく、ますます意気軒高でいらっしゃると承知していると、しかるべき筋に申し上げなさい」と指南されています。
大聖人の師子吼を拝し、弥三郎の胸に、師匠と共に戦い抜く闘魂がみなぎったことでしょう。

◇「断じて勝つ」と心決めて
『構えて構えて、所領を惜しみ、妻子を顧み、また人を憑んであやぶむことなかれ。
ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。』(同、新2085・全1451)

戸田先生は言われました。
「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」
今この時に集った私たちに使命のない人など一人もいません。
多くの同志が人生の岐路、広布の難所においてこの御文を拝し、わが使命を自覚して、勝利を開いてきました。
広布の言論戦に挑みゆく日蓮門下の心意気。その根本は油断や不安、他者を頼む心を排し、「断じて勝つ」と心を決めることです。
古来、幾多の勇将が命懸けで突破して名を馳せた合戦の勝負所「宇治川」「勢多(瀬田川)」。同じように、このたびの法論こそ、妙法弘通の歴史に永遠に名を残す絶好機ではないか!——大聖人の大確信が胸に迫ります。
池田先生は呼び掛けられています。「一人立ったその時、その場所が、仏法の正義を証明しゆく『宇治・勢多』の使命の宝処となるのです。ゆえに、わが親愛なる同志よ、わが後継の青年たちよ、断固として、今日を勝ち抜け!」