新たな歴史を築く時は今。
何ものも恐れぬ勇気と
誠実を貫く言論で
拡大の波動を起こそう!
地涌の友よ広布に走れ!
松野殿御返事 P1381
『聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候』
【通解】
聖人が唱えられる題目の功徳と、私たちが唱える題目の功徳とでは、どれほどの違いがあるのでしょうか、とのご質問ですが、まったく勝劣はありません。
名字の言 未来部員会で担当者が手品をした訳 2022年6月30日
数十年前の未来部員会の思い出。担当者の男子部員が手品を行った。彼は文房具のクリップの箱から短い棒状の鉄を数本取り出し、「この棒がすごい力を発揮します」と言い、服のポケットにしまった▼再び出して箱に戻すとクリップがくっついた。2本、3本と棒を増やすと数多くのクリップが吸い寄せられてつながった。ポケットで同じ形の磁石にすり替えたというのが種明かし。参加者は"なぜ?"と驚いた▼彼が手品をしたのには訳がある。母親が入院中の少女部員を励ますためだった。彼は「手品で使った磁石のように、私たちでいえば、幸せを引き寄せる力が題目です。その力は団結するほどに強くなる。みんなで○○ちゃんとお母さんを応援しよう」と。以来、皆が唱題に挑戦した▼翌月の部員会には先の少女と、退院した母の姿も。「おかげで、おばちゃんは病気をやっつけたよ」と感謝され、部員たちは飛び上がって喜んだ。"本気の祈りは状況を変える"と子ども心に学んだ▼池田先生は語る。「最終的に勝敗を決するものは、一人また一人の胸の奥に刻み込まれた、金剛にして不壊なる一念という大感情であることをけっして忘れてはならない」。必死の一人が団結すれば、その力は計り知れない。
寸鉄 2022年6月30日
学生部こそ希望の未来を創る主役。大いなる理想を友に語れ!結成65周年
兵庫で大激戦続く。ここからが関西魂の見せ場!民衆の大連帯で金字塔を
「一日片時もたゆむことなく」御書。時を逃さぬ行動を。毎日が真剣勝負(新1698・全1226)
心の世界は、いくらでも変化する事を忘れるな—恩師。粘り強い対話こそ
公明、比例も押し上げに総力。全議員が全人脈に総当たり。皆で大応援!
〈社説〉 2022・6・30 きょう学生部結成65周年
◇"つながり"の価値を見つめる時
「Z世代」——1990年代後半から2000年代に生まれ、物心ついた時からネットやSNS(交流サイト)が発達した環境で育った世代を指す。まさに今の大学生が、このZ世代に当たる。
SNSは、ネット空間を通じて広く関係を構築でき、多様な情報を瞬時に得ることができる。その半面、相手の表情や感情が見えづらく、深い人間関係を築きにくい側面も指摘されている。一昨年に突如、世界を襲ったコロナ禍は、SNSが身近な若者にとって、"つながり"の価値を見つめ直す契機となった。
特に学生は、コロナ禍で授業がオンラインになり、キャンパスでの友人との関わりが著しく減少した。「リアル」で会う機会が増えてきたとはいえ、いまだ多くの学生が孤独感を抱えて暮らしている。
自らも現役学生であるNPO法人「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星さんは、「望まない孤独」をなくす鍵は「多様なつながりをつくること」と強調する。そして「そのために特別なことをする必要はなく、縁している人に声を掛けていくことが大切」(創価新報6月15日付)と語る。人間は支え合って生きる存在である。リアルであれ、オンラインであれ、そうした支える、支えられるといった"つながり"自体が、生きる活力になると言えよう。
ある男子学生部の友は、アメリカへの留学を目指して大学に進学し、努力の末に交換留学を勝ち取った。しかし、コロナ禍によって長年の目標だった留学が中止に。失意の底にいた彼を学生部の同志が励まし続けてくれた。「悩みにじっと耳を傾けてくれる友の存在が、前を向く力になりました」と語る彼は、学生部のリーダーとして今度は"励ます側"に立ち、教育者を目指して努力を重ねる。
池田先生はつづっている。
「人に『生きる力』を与えるのは何か。それは、自分以外のだれかのために生きようという『人間の絆』ではないだろうか」
きょう6月30日は学生部結成65周年。今、男女学生部の友は、縁する友に励ましの声を送り、希望を持てる社会の構築へ正義の連帯を拡大している。その誠実な挑戦の中にこそ、広宣流布・立正安国という人間共和の理想は輝く。誰一人置き去りにしない"つながり"を一段と広げゆく、先駆の学生部の使命はいやまして大きい。
☆栄光の共戦譜 第6回 1965年(昭和40年)「勝利の年」
◇すべては「一人」から始まる
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の"師弟の足跡"がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる"学会の原点"を確認していく。第6回は、「勝利の年」と銘打たれた1965年(昭和40年)を掲載する。
◇「1・15」中等部結成記念日
◇「9・23」少年少女部結成記念日
1964年(昭和39年)、池田先生は、青年部幹部との協議の場で語った。
「みんなが賛成ならば、高等部、中等部を結成しようと思う」
日本・世界の未来を見据えたとき、学会の使命は、中学・高校生を育成する範を示すことだと、先生は考えていた。
同年6月7日、高等部が結成を迎えた。池田先生の第3代会長就任後、最初に誕生した部となった。翌65年(同40年)1月15日には、全国各地で中等部が結成された。先生は中等部員に対し、「勤行をしっかりしましょう」「勉強をしっかりしましょう」「正しく、強く、明るい毎日を送りましょう」等の指針を贈った。
創価の後継たちへの育成が本格化し、8月には、「少年部をつくってはどうか」と提案。9月23日、少年部結成の集いが各地で開催され、この日が、少年少女部の結成記念日となったのである。
先生は決して、未来部員を子ども扱いしなかった。時に優しく、時に厳しく、"後継の宝"への薫陶を重ねた。
5年後の70年(同45年)、「言論問題」の嵐が吹き荒れた。困難な状況が学会を取り巻く中にあって、先生が絆を強めたのは、使命深き未来部員たちだった。
同年6月、未来部の代表と語らいながら、先生は「大阪事件」に言及。「民衆を守り、幸福にするために、みんな、しっかり勉強してほしい」と訴えた。
「言論問題」の渦中、先生は記者会見でこう宣言している。「学会がどうなるか、二十一世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」
後継者の育成は、学会の未来を決する。"創価の師子"たる未来部員、そして未来部出身者の成長の姿こそ、師弟勝利の証しである。
◇「7・15」聖教新聞の日刊化
「本紙日刊は、いよいよきょうから始まりました」——1965年(昭和40年)7月15日付の本紙で、聖教新聞の日刊化が告知された。
51年(同26年)4月20日、戸田先生が第2代会長に就任する直前に創刊された聖教新聞は、ブランケット判の月3回刊。発行部数は5千部だった。
広布の伸展とともに、64年(同39年)9月には200万部を突破。週3回刊となっていた。この年の秋から、日刊化に向けて準備が進められた。
当初、日刊化は翌65年10月から開始される予定だった。だが、広布の前進が加速していることから、3カ月早められたのである。
同年6月、聖教新聞社を訪問した池田先生は、急ピッチで作業に当たる職員たちを激励した。こまやかな新聞評も行い、「聖教は、思想と哲学の電源地であり、世界最強の言論城にしていかなければならない」と聖教の使命を訴えた。
日刊化によって、先生の言論の戦いは、さらに激しさを増した。65年元日から本紙でスタートしていた小説『人間革命』の連載回数は、週3回から週7回へと大幅に増えた。早朝や深夜に原稿用紙に向かう日が続いた。
やがて聖教新聞の発行部数は、三大紙と肩を並べるまでに飛躍的に増加。日刊化と相前後し、「ワールド・トリビューン」「ノーバ・エラ」(後のブラジル・セイキョウ)など、各国語の機関紙誌が世界各地で誕生し、"思想と哲学の光"は世界に広がっていった。
「日本中、世界中の人に読ませたい」——この戸田先生の熱願を継いだ池田先生の激闘によって、聖教新聞は大きく発展した。聖教電子版は現在、210を超える国と地域からアクセスされている。
◇「8・17」メキシコ初訪問
池田先生は、1965年(昭和40年)8月14日、北・中米訪問に出発した。この日は、その18年前、初めて出席した座談会で戸田先生と出会った日だった。
17日、池田先生はメキシコを初訪問した。先生にとって、同国訪問は特別な意味を持っていた。58年(同33年)3月、恩師は、病床で愛弟子に世界広布の構想を託した。亡くなる前月のことである。
「メキシコへ行った夢を見たよ。待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……」「君の本当の舞台は世界だよ。世界は広いぞ……」
戸田先生がメキシコに関心を募らせたのは、牧口先生が『人生地理学』の中で同国について触れたことにあった。
戸田先生が夢にまで見たメキシコ訪問——。池田先生は恩師の思いを胸に、3日間の滞在で、一人一人の心に広布の灯をともしていった。
「さあ、メキシコ広布の新しい幕を開きましょう!」
「一つの火が燃えれば、野原を焼き尽くすように、すべては、一人から始まる」
先生が第一歩を刻んだ「8月17日」は後に「メキシコの日」となった。メキシコの同志は、その原点を節目として、友情の連帯を広げてきた。
昨年の同日には、メキシコ創価学会として、SGI(創価学会インタナショナル)とICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が共同制作した「核兵器なき世界への連帯——勇気と希望の選択」展のバーチャル展示会が、メキシコ創価学会のホームページ上で開幕。積極的な平和発信は大きな反響を呼んだ。
師と刻んだ原点を胸に、広布の"新しい幕"を開いていく——その連続闘争の中で、黄金の共戦譜は輝きを増す。
◆年表◆ 1965年
〈1月1日〉
聖教新聞で小説「人間革命」の連載を開始
〈1月15日〉
全国各地での中等部結成式に、勤行、勉学の大切さなど5つの指針を贈る
〈1月16日〉
九州・関西・中国・中部指導(〜20日。福岡、大阪、鳥取、岐阜、愛知)
〈3月7日〉
中国・関西・中部指導(〜12日。広島、大阪、兵庫、愛知、静岡、山梨)
〈5月3日〉
会長就任5周年の第28回本部総会(東京)
〈5月18日〉
東北第3本部落成入仏式(秋田)
〈5月28日〉
中国・関西・中部指導(〜6月2日。岡山、大阪、京都、愛知)
〈6月23日〉
関西・中部指導(〜26日。大阪、兵庫、愛知)
〈7月9日〉
関西・中部指導(〜10日。大阪、愛知)
〈7月11日〉
第8回学生部総会(東京)
〈7月15日〉
聖教新聞が日刊化
〈8月10日〉
高・中等部メンバーとの記念撮影の折、少年部の結成を提案(静岡)
〈8月14日〉
北・中米訪問(〜25日。アメリカ、メキシコ)
〈9月23日〉
全国各地で少年部が結成される
〈10月3日〉
関西・中部指導(〜4日。大阪、愛知)
〈10月19日〉
欧州訪問(〜31日。フランス、西ドイツ、イタリア、ポルトガル)
フランスでヨーロッパ本部事務所の開所式
ヨーロッパ総合本部の設置、アフリカ支部の結成を発表
遠路、各国から集った友の質問に答えつつ、欧州・アフリカ広布の伸展をたたえる(20日)
〈11月23日〉
第14回青年部総会(東京)
〈11月26日〉
第1回創価大学設立審議会(東京)
※年表は『栄光の共戦譜』から転載
2022年6月30日木曜日
2022年6月29日水曜日
2022.06.29 わが友に贈る
気温の急上昇に警戒!
水分補給や冷房の使用等
適切な熱中症対策を!
子どもや高齢者への
声掛けも忘れずに。
小乗大乗分別抄 P526
『或は慈悲魔と申す魔身に入つて三衣一鉢を身に帯し小乗の一法を行ずるやからはづかの小法を持ちて国中の棟梁たる比叡山竜象の如くなる智者どもを一分我が教にたがへるを見て邪見の者悪人なんどうち思へり』
【通解】
あるいは慈悲魔という魔が身に入るゆえに、三衣一鉢を身に帯して小乗の一法を修行する輩が、わずかの小法を持っただけで、国中の仏法の頭である比叡山の竜象のような智者を、自分の教えと違っているのを見て、邪見の人・悪人であるなどと思っている。
名字の言 体験は勇気と希望の光源 2022年6月29日
「道理・証文よりも現証にはすぎず」(新1941・全1468)。会合でも、大きな励みになるのは信仰体験だ。信心の喜びと確信が友の胸に伝わり、勇気と希望が湧く▼都内のある地域の壮年部が毎週、開く集いもそうである。2月に地区部長となり、3月に弘教を実らせた壮年。昔の彼を知る人は、生まれ変わったような姿に目を見張った。9年前、持病が悪化し、同じ時期に両親も他界。自暴自棄に陥り、「この上ない生き地獄を味わいました」▼御本尊に唱題すると、学生部時代に学んだ、御書の一節がよみがえってきた。「たとえ、どんな煩わしいことがあっても夢の中のこととして、ただ法華経のことだけに専念しなさい」(新1481・全1088、通解)。困難と戦い抜いた池上兄弟に与えられた御文だった▼「この御金言を抱きしめてきました。"新しい自分をつくる時だ""全ての悩みを乗り越え、広布の人生を貫くのだ"と、腹が決まりました。地域の同志も親身に支えてくださり、現在の自分があります。この恩は生涯、忘れません」▼体験に勝る説得力はない。困難を勝ち越えた体験の数々は、信仰の素晴らしさを伝えると同時に、同じ問題に直面した多くの人への最大の励ましとなる。
寸鉄 2022年6月29日
「顔貌に色を調えて閑かに言上すべし」御書。誠実に自信満々と正義を語れ(新1673・全1280)
福岡が一気呵成の大進撃 強気の開拓でせり上がれ 先駆は堂々と勝ってこそ
埼玉に燃え上がる敢闘魂 さあ、対話の大旋風を!痛快なる勝利劇を共々に
大阪・東京、混戦突破へ総当たり!戦いはここから執念の拡大で栄光の頂へ
平和と福祉掲げる公明の存在は益々重要—教授。確かな未来へ舵取りを!
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第21回 21世紀は女性の世紀 �池田先生ご夫妻と兵庫の友
日本一
世界一なる
兵庫かな
見よやあの地区
見よやこの支部
◇「1月24日」のメモ
その日、池田大作先生は、兵庫婦人部長(当時)の西村尚子さんに一枚のメモを渡した。1985年1月24日のことである。
メモは、先生の口述を香峯子夫人が筆記したもの。「兵庫婦人部の日 3月16日」と書かれていた。衝撃にも似た感動が、西村さんの五体を貫いた。さらに、三つの指針も記されていた。
「清新な信心と幸の生活を作る兵庫」
「希望の人生と求道常楽の兵庫」
「あなたも私も仏子の兵庫」
3月16日は、恩師・戸田城聖先生が池田先生をはじめとする青年たちに後事の一切を託した"広宣流布の記念式典"が行われた日である。西村さんは、兵庫の使命の重大さを痛感した。
「兵庫婦人部の日」の制定が正式に発表されたのは、西村さんがメモを受け取ったその日に、兵庫池田講堂(現・西宮平和講堂)で行われた兵庫代表者会議である。
先生は席上、「兵庫は日本一だ」と何度も語り、「人材も日本一、福運も日本一、仲の良さも日本一と誇れる素晴らしき兵庫を」と呼び掛けた。
この日から23年前の62年1月24日、尼崎市体育会館(当時)で関西男子部幹部会が開かれた。先生は「善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う」と宣言した。翌25日、先生に「大阪事件」の無罪判決が出された。
先生が師子吼を放った「1月24日」から、「素晴らしき兵庫」の建設へ、友は新たな師弟共戦譜をつづり始めた。
◇決意のアルバム
1991年7月、それまで3分県の布陣だった兵庫が6分県に発展した。
藤田康子さんは、姫路県の婦人部長に就いた。同県のリーダーらは、新出発の決意を込めてアルバムを作成し、池田先生に届けた。
新体制の発足から2カ月が経過した9月15日、藤田さんに一本の電話がかかってきた。「アルバムに、先生がご揮毫を認めてくださいました」との連絡だった。数日後、アルバムが戻ってきた。そこには、こう記されていた。
「悔なき人生を おくりゆける人は 三世の幸福者であり 三世の長者である」。この言葉に続いて、「九月十五日 大作」とあった。さらに、左下のスペースには、「KANEKO」とつづられていた。
先生ご夫妻の文字に、藤田さんの目は釘付けになった。"先生、奥さまの「姫路、頑張れ! 兵庫、負けるな!」とのエールだ"。湧き上がる感謝は、広布前進の力となった。
当時、第2次宗門事件の真っただ中。藤田さんは師の励ましを胸に、一人一人と語り合い、「先生と共に、学会と共に、悔いなき人生を送ろう」と訴え続けた。
昨年2月、肝細胞がんの手術を受けた。病が判明した時、藤田さんは「悔いなき人生を送る」との決意を一層、強くした。その誓いのまま、兵庫の地を駆け巡っている。
◇「やあ! お帰り!」
それは突然の出来事だった。1989年10月17日、長瀬昭子さんは、西本時代さんが運転する車に乗っていた。
赤信号で停車していると、後ろの車が、猛スピードでぶつかってきた。飲酒運転だった。
翌18日、事故の報告を受けた池田先生は、即座に励ましの和歌を詠んだ。
西本さんには「偉大なる 母の法難 耳にして 驚き祈らむ ひたすら無事をば」と送り、長瀬さんには「偉大なる 母の法難 耳にして 祈りに祈らむ 完治の笑顔を」と認めた。
当時、二人は圏婦人部長として、互いに切磋琢磨しながら、広布拡大に挑戦していた。だが、事故に遭った後、"リーダーとして、同志の皆さんに申し訳ない"との思いが心を占め、悶々とした日々が続いた。
事故から1年が過ぎた90年10月21日、二人に転機が訪れる。関西に滞在中の池田先生と懇談の機会に恵まれた。その日、関西文化会館に向かうと、先生はドクター部のメンバーの家族を励ましていた。
「人生にはいろんなことがある。しかし、決して負けてはいけない。必ず宿命転換できる。どこまでも明るくいくんだよ」
二人が近くで待っていると、香峯子夫人がそばに来た。
事故からしばらくの間、長瀬さんは右腕に麻痺が残った。しかし、懸命にリハビリに励み、動くようになった。そのことを報告すると、夫人は先生に「ここに宿命転換をされた証明者がいます」と語った。先生は二人の方を向くと、両手を大きく広げた。
「やあ! お帰り!」
師は待っていた。二人が元気に戻ってくることを——。「お帰り」の一言は、暗雲が覆っていた二人の心に、まばゆい太陽の光となって差し込んだ。
以来、この出会いを宝として、広布一筋の人生を歩んできた。今、立正安国の勝利劇をつづろうと、対話拡大に率先している。
◇感謝のある人は幸せに
第1次宗門事件の折、播磨方面は宗門の悪僧らによる学会攻撃が、関西の中で激しかった地域の一つである。
その嵐が吹き荒れていた渦中の1978年11月13日、池田先生は加古川文化会館を初めて訪問した。
会館に到着すると、先生はすぐに同志の輪の中へ。握手を交わし、激励を重ねた。リーダーには「会員中心」の指揮を、と強調した。
島津淳子さんは、館内の一室で役員に就いていた。そこにも先生は姿を現し、陰の戦いに徹する献身に、心からの感謝を伝えた。
会館の2階では、婦人部の合唱団が練習していた。先生は香峯子夫人と共に足を運び、メンバーを励ました。
加古川支部結成17周年を記念する勤行会で先生は、「きょうは、おそばでも食べているような気持ちで楽しく語り合いましょう」と切り出した。
そして、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(新1623・全1192)との御聖訓を拝し、「いかに三障四魔、三類の強敵が競い起こったとしても、"法華経に勝る兵法なし"の信心があれば、すべてに打ち勝っていける」と訴えた。
勤行会の終了後、香峯子夫人は島津さんに声を掛けた。懇談の中で、夫人が語った「感謝のある人は幸せになります」との言葉を、島津さんは胸に深く刻んだ。
師への感謝、学会への感謝——。先生の加古川初訪問を原点として、報恩の人生を進んだ。地域活動にも率先。健康体操を通して、近隣同士の絆を育んでいる。
◇大好きな丹波
1982年4月17日、池田先生と兵庫の各部代表のリーダーとの懇談会が開かれた。
その場で、吉竹としゑさんは、「明日の18日、丹波の総会を開催します」と伝えた。先生は「分かっているよ。大成功を祈っています」と語った。
としゑさんと夫の五雄さんは、丹波地方の一粒種。自宅を広布の会場として提供した。畳を替えるたび、畳店から「なんでこんなに、お宅の畳は隅から隅まで傷むんですか」と不思議がられた。
多くの同志の依怙依託となり、ひたすら丹波広布の原野を開拓した。旧習の深い地で、地域の有力者にも次々と学会理解の輪を広げた。
吉竹さん夫婦の苦闘を、先生ご夫妻は誰よりもたたえてきた。78年、先生は「山奥に 福運一灯 久遠の幸」と詠み贈っている。
師に見守られて迎えた総会は、2600人が集い、爆発的な盛り上がりを見せた。先生は、「2600人とは、よく集まったね。これで丹波は一つの突破口を開いたよ」と伝言を送った。
総会から7カ月後の11月15日、丹波の婦人部総会が行われた。先生ご夫妻は友に寄せる真情を、メッセージにつづった。
「兵庫第一に大好きな丹波の皆様」
「どうか、素晴らしい信心第一、家庭第一、健康第一で兵庫第一の、いな日本第一のお幸せなお一人お一人になられますことを祈って、東京の地よりメッセージを送ります」
メッセージは、香峯子夫人の手書きだった。
この婦人部総会から今年は40周年。先生ご夫妻の深き慈愛は、今も丹波の女性たちを優しく包んでいる。
◇万感の和歌
1994年5月、兵庫県の総会が東京牧口記念会館で行われた。
池田先生は和歌を贈った。
「わが天地 誉れの兵庫に 生まれけむ 三世の友との 広宣誓いて」
「行くならば 栄光輝く この道を 兵庫の友と 歩む楽しさ」
さらに、万感の思いを詠んだ。
「日本一 世界一なる 兵庫かな 見よやあの地区 見よやこの支部」
【アナザーストーリーズ】
◇一切は一念の変革から
今から55年前の1967年、兵庫本部(現・灘文化会館)が誕生した。同本部で、兵庫の主要行事が開かれ、池田先生は友との出会いを刻んできた。
ある時、香峯子夫人が出席しての懇談会が行われた。その場に、小嶋悦子さんも集った。
小嶋さんは、新たな役職に就いたばかり。組織には年長者が多く、どのように活動を進めていけばいいか分からなかった。
その苦悩を率直に打ち明けた。すると、夫人は「私もそうでしたよ」と寄り添い、優しく語り掛けた。
「ご年配の方は人生経験、生活の知恵が豊かです。そのことを学ぼうとする姿勢が大切です。信心のことは、御書を通して、しっかりお話しするようにしてください」
夫人の励ましに、小嶋さんの心はすっきりとした。御書の研さんに挑戦し、メンバーと一方通行ではなく、双方向の関係を築いた。気心が知れてくると、組織の雰囲気は自然と明るくなった。
心が変われば、行動が変わる。自身の一念の変革から一切は始まる——この確信を、小嶋さんは55年前の夫人との出会いでつかんだ。
◇明石から勝利の証しを
「いい子だね」
池田先生は、溝垣慶子さんが抱いていた、生後7カ月の長男・雅人さんの頬をなでた。1986年11月10日、関西文化会館の周辺でのことである。
先生と溝垣さんが語らっていると、雅人さんが、握っていた先生の指を口の中に入れてしまった。「すみません!」と謝る溝垣さんに、先生は笑顔を浮かべて、「あれ、乳歯が生えてきているね」と。
香峯子夫人は「おなかがすいているんじゃないかしら」と語り、手元にあった饅頭を取り出した。「これは、赤ちゃんには無理よね」。すると、先生が「それなら、お母さんにあげよう」と、饅頭を溝垣さんに手渡した。
この出会いの翌月、雅人さんの難聴が判明した。検査を続ける中で、医師から「5歳になったら、手術をしましょう」と言われた。
母として、手術は避けたかった。溝垣さんは必死に祈り、宿命転換を懸けて、学会活動に励んだ。
2歳、3歳、4歳と、雅人さんの難聴は続いた。ところが、5歳の時、聴力が突然、回復した。医師は首をかしげた。手術の必要はなくなった。溝垣さんは、信心の力を心から実感した。
次男の高志さんは、先天性の弱視で生まれた。その試練も、溝垣さんは夫・好人さんと共に乗り越えた。
現在、雅人さんはITエンジニアとして、高志さんは中学校の教員として、社会で奮闘を重ねる。
あの時の先生の励ましがあったから、今の家族がある——溝垣さんの感謝は尽きない。その師恩に報いるには、広布勝利の証しを打ち立てることと決め、使命の天地である明石、そして兵庫を奔走している。
水分補給や冷房の使用等
適切な熱中症対策を!
子どもや高齢者への
声掛けも忘れずに。
小乗大乗分別抄 P526
『或は慈悲魔と申す魔身に入つて三衣一鉢を身に帯し小乗の一法を行ずるやからはづかの小法を持ちて国中の棟梁たる比叡山竜象の如くなる智者どもを一分我が教にたがへるを見て邪見の者悪人なんどうち思へり』
【通解】
あるいは慈悲魔という魔が身に入るゆえに、三衣一鉢を身に帯して小乗の一法を修行する輩が、わずかの小法を持っただけで、国中の仏法の頭である比叡山の竜象のような智者を、自分の教えと違っているのを見て、邪見の人・悪人であるなどと思っている。
名字の言 体験は勇気と希望の光源 2022年6月29日
「道理・証文よりも現証にはすぎず」(新1941・全1468)。会合でも、大きな励みになるのは信仰体験だ。信心の喜びと確信が友の胸に伝わり、勇気と希望が湧く▼都内のある地域の壮年部が毎週、開く集いもそうである。2月に地区部長となり、3月に弘教を実らせた壮年。昔の彼を知る人は、生まれ変わったような姿に目を見張った。9年前、持病が悪化し、同じ時期に両親も他界。自暴自棄に陥り、「この上ない生き地獄を味わいました」▼御本尊に唱題すると、学生部時代に学んだ、御書の一節がよみがえってきた。「たとえ、どんな煩わしいことがあっても夢の中のこととして、ただ法華経のことだけに専念しなさい」(新1481・全1088、通解)。困難と戦い抜いた池上兄弟に与えられた御文だった▼「この御金言を抱きしめてきました。"新しい自分をつくる時だ""全ての悩みを乗り越え、広布の人生を貫くのだ"と、腹が決まりました。地域の同志も親身に支えてくださり、現在の自分があります。この恩は生涯、忘れません」▼体験に勝る説得力はない。困難を勝ち越えた体験の数々は、信仰の素晴らしさを伝えると同時に、同じ問題に直面した多くの人への最大の励ましとなる。
寸鉄 2022年6月29日
「顔貌に色を調えて閑かに言上すべし」御書。誠実に自信満々と正義を語れ(新1673・全1280)
福岡が一気呵成の大進撃 強気の開拓でせり上がれ 先駆は堂々と勝ってこそ
埼玉に燃え上がる敢闘魂 さあ、対話の大旋風を!痛快なる勝利劇を共々に
大阪・東京、混戦突破へ総当たり!戦いはここから執念の拡大で栄光の頂へ
平和と福祉掲げる公明の存在は益々重要—教授。確かな未来へ舵取りを!
☆ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史 第21回 21世紀は女性の世紀 �池田先生ご夫妻と兵庫の友
日本一
世界一なる
兵庫かな
見よやあの地区
見よやこの支部
◇「1月24日」のメモ
その日、池田大作先生は、兵庫婦人部長(当時)の西村尚子さんに一枚のメモを渡した。1985年1月24日のことである。
メモは、先生の口述を香峯子夫人が筆記したもの。「兵庫婦人部の日 3月16日」と書かれていた。衝撃にも似た感動が、西村さんの五体を貫いた。さらに、三つの指針も記されていた。
「清新な信心と幸の生活を作る兵庫」
「希望の人生と求道常楽の兵庫」
「あなたも私も仏子の兵庫」
3月16日は、恩師・戸田城聖先生が池田先生をはじめとする青年たちに後事の一切を託した"広宣流布の記念式典"が行われた日である。西村さんは、兵庫の使命の重大さを痛感した。
「兵庫婦人部の日」の制定が正式に発表されたのは、西村さんがメモを受け取ったその日に、兵庫池田講堂(現・西宮平和講堂)で行われた兵庫代表者会議である。
先生は席上、「兵庫は日本一だ」と何度も語り、「人材も日本一、福運も日本一、仲の良さも日本一と誇れる素晴らしき兵庫を」と呼び掛けた。
この日から23年前の62年1月24日、尼崎市体育会館(当時)で関西男子部幹部会が開かれた。先生は「善良な市民を苦しめている権力とは、断固、一生涯戦う」と宣言した。翌25日、先生に「大阪事件」の無罪判決が出された。
先生が師子吼を放った「1月24日」から、「素晴らしき兵庫」の建設へ、友は新たな師弟共戦譜をつづり始めた。
◇決意のアルバム
1991年7月、それまで3分県の布陣だった兵庫が6分県に発展した。
藤田康子さんは、姫路県の婦人部長に就いた。同県のリーダーらは、新出発の決意を込めてアルバムを作成し、池田先生に届けた。
新体制の発足から2カ月が経過した9月15日、藤田さんに一本の電話がかかってきた。「アルバムに、先生がご揮毫を認めてくださいました」との連絡だった。数日後、アルバムが戻ってきた。そこには、こう記されていた。
「悔なき人生を おくりゆける人は 三世の幸福者であり 三世の長者である」。この言葉に続いて、「九月十五日 大作」とあった。さらに、左下のスペースには、「KANEKO」とつづられていた。
先生ご夫妻の文字に、藤田さんの目は釘付けになった。"先生、奥さまの「姫路、頑張れ! 兵庫、負けるな!」とのエールだ"。湧き上がる感謝は、広布前進の力となった。
当時、第2次宗門事件の真っただ中。藤田さんは師の励ましを胸に、一人一人と語り合い、「先生と共に、学会と共に、悔いなき人生を送ろう」と訴え続けた。
昨年2月、肝細胞がんの手術を受けた。病が判明した時、藤田さんは「悔いなき人生を送る」との決意を一層、強くした。その誓いのまま、兵庫の地を駆け巡っている。
◇「やあ! お帰り!」
それは突然の出来事だった。1989年10月17日、長瀬昭子さんは、西本時代さんが運転する車に乗っていた。
赤信号で停車していると、後ろの車が、猛スピードでぶつかってきた。飲酒運転だった。
翌18日、事故の報告を受けた池田先生は、即座に励ましの和歌を詠んだ。
西本さんには「偉大なる 母の法難 耳にして 驚き祈らむ ひたすら無事をば」と送り、長瀬さんには「偉大なる 母の法難 耳にして 祈りに祈らむ 完治の笑顔を」と認めた。
当時、二人は圏婦人部長として、互いに切磋琢磨しながら、広布拡大に挑戦していた。だが、事故に遭った後、"リーダーとして、同志の皆さんに申し訳ない"との思いが心を占め、悶々とした日々が続いた。
事故から1年が過ぎた90年10月21日、二人に転機が訪れる。関西に滞在中の池田先生と懇談の機会に恵まれた。その日、関西文化会館に向かうと、先生はドクター部のメンバーの家族を励ましていた。
「人生にはいろんなことがある。しかし、決して負けてはいけない。必ず宿命転換できる。どこまでも明るくいくんだよ」
二人が近くで待っていると、香峯子夫人がそばに来た。
事故からしばらくの間、長瀬さんは右腕に麻痺が残った。しかし、懸命にリハビリに励み、動くようになった。そのことを報告すると、夫人は先生に「ここに宿命転換をされた証明者がいます」と語った。先生は二人の方を向くと、両手を大きく広げた。
「やあ! お帰り!」
師は待っていた。二人が元気に戻ってくることを——。「お帰り」の一言は、暗雲が覆っていた二人の心に、まばゆい太陽の光となって差し込んだ。
以来、この出会いを宝として、広布一筋の人生を歩んできた。今、立正安国の勝利劇をつづろうと、対話拡大に率先している。
◇感謝のある人は幸せに
第1次宗門事件の折、播磨方面は宗門の悪僧らによる学会攻撃が、関西の中で激しかった地域の一つである。
その嵐が吹き荒れていた渦中の1978年11月13日、池田先生は加古川文化会館を初めて訪問した。
会館に到着すると、先生はすぐに同志の輪の中へ。握手を交わし、激励を重ねた。リーダーには「会員中心」の指揮を、と強調した。
島津淳子さんは、館内の一室で役員に就いていた。そこにも先生は姿を現し、陰の戦いに徹する献身に、心からの感謝を伝えた。
会館の2階では、婦人部の合唱団が練習していた。先生は香峯子夫人と共に足を運び、メンバーを励ました。
加古川支部結成17周年を記念する勤行会で先生は、「きょうは、おそばでも食べているような気持ちで楽しく語り合いましょう」と切り出した。
そして、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(新1623・全1192)との御聖訓を拝し、「いかに三障四魔、三類の強敵が競い起こったとしても、"法華経に勝る兵法なし"の信心があれば、すべてに打ち勝っていける」と訴えた。
勤行会の終了後、香峯子夫人は島津さんに声を掛けた。懇談の中で、夫人が語った「感謝のある人は幸せになります」との言葉を、島津さんは胸に深く刻んだ。
師への感謝、学会への感謝——。先生の加古川初訪問を原点として、報恩の人生を進んだ。地域活動にも率先。健康体操を通して、近隣同士の絆を育んでいる。
◇大好きな丹波
1982年4月17日、池田先生と兵庫の各部代表のリーダーとの懇談会が開かれた。
その場で、吉竹としゑさんは、「明日の18日、丹波の総会を開催します」と伝えた。先生は「分かっているよ。大成功を祈っています」と語った。
としゑさんと夫の五雄さんは、丹波地方の一粒種。自宅を広布の会場として提供した。畳を替えるたび、畳店から「なんでこんなに、お宅の畳は隅から隅まで傷むんですか」と不思議がられた。
多くの同志の依怙依託となり、ひたすら丹波広布の原野を開拓した。旧習の深い地で、地域の有力者にも次々と学会理解の輪を広げた。
吉竹さん夫婦の苦闘を、先生ご夫妻は誰よりもたたえてきた。78年、先生は「山奥に 福運一灯 久遠の幸」と詠み贈っている。
師に見守られて迎えた総会は、2600人が集い、爆発的な盛り上がりを見せた。先生は、「2600人とは、よく集まったね。これで丹波は一つの突破口を開いたよ」と伝言を送った。
総会から7カ月後の11月15日、丹波の婦人部総会が行われた。先生ご夫妻は友に寄せる真情を、メッセージにつづった。
「兵庫第一に大好きな丹波の皆様」
「どうか、素晴らしい信心第一、家庭第一、健康第一で兵庫第一の、いな日本第一のお幸せなお一人お一人になられますことを祈って、東京の地よりメッセージを送ります」
メッセージは、香峯子夫人の手書きだった。
この婦人部総会から今年は40周年。先生ご夫妻の深き慈愛は、今も丹波の女性たちを優しく包んでいる。
◇万感の和歌
1994年5月、兵庫県の総会が東京牧口記念会館で行われた。
池田先生は和歌を贈った。
「わが天地 誉れの兵庫に 生まれけむ 三世の友との 広宣誓いて」
「行くならば 栄光輝く この道を 兵庫の友と 歩む楽しさ」
さらに、万感の思いを詠んだ。
「日本一 世界一なる 兵庫かな 見よやあの地区 見よやこの支部」
【アナザーストーリーズ】
◇一切は一念の変革から
今から55年前の1967年、兵庫本部(現・灘文化会館)が誕生した。同本部で、兵庫の主要行事が開かれ、池田先生は友との出会いを刻んできた。
ある時、香峯子夫人が出席しての懇談会が行われた。その場に、小嶋悦子さんも集った。
小嶋さんは、新たな役職に就いたばかり。組織には年長者が多く、どのように活動を進めていけばいいか分からなかった。
その苦悩を率直に打ち明けた。すると、夫人は「私もそうでしたよ」と寄り添い、優しく語り掛けた。
「ご年配の方は人生経験、生活の知恵が豊かです。そのことを学ぼうとする姿勢が大切です。信心のことは、御書を通して、しっかりお話しするようにしてください」
夫人の励ましに、小嶋さんの心はすっきりとした。御書の研さんに挑戦し、メンバーと一方通行ではなく、双方向の関係を築いた。気心が知れてくると、組織の雰囲気は自然と明るくなった。
心が変われば、行動が変わる。自身の一念の変革から一切は始まる——この確信を、小嶋さんは55年前の夫人との出会いでつかんだ。
◇明石から勝利の証しを
「いい子だね」
池田先生は、溝垣慶子さんが抱いていた、生後7カ月の長男・雅人さんの頬をなでた。1986年11月10日、関西文化会館の周辺でのことである。
先生と溝垣さんが語らっていると、雅人さんが、握っていた先生の指を口の中に入れてしまった。「すみません!」と謝る溝垣さんに、先生は笑顔を浮かべて、「あれ、乳歯が生えてきているね」と。
香峯子夫人は「おなかがすいているんじゃないかしら」と語り、手元にあった饅頭を取り出した。「これは、赤ちゃんには無理よね」。すると、先生が「それなら、お母さんにあげよう」と、饅頭を溝垣さんに手渡した。
この出会いの翌月、雅人さんの難聴が判明した。検査を続ける中で、医師から「5歳になったら、手術をしましょう」と言われた。
母として、手術は避けたかった。溝垣さんは必死に祈り、宿命転換を懸けて、学会活動に励んだ。
2歳、3歳、4歳と、雅人さんの難聴は続いた。ところが、5歳の時、聴力が突然、回復した。医師は首をかしげた。手術の必要はなくなった。溝垣さんは、信心の力を心から実感した。
次男の高志さんは、先天性の弱視で生まれた。その試練も、溝垣さんは夫・好人さんと共に乗り越えた。
現在、雅人さんはITエンジニアとして、高志さんは中学校の教員として、社会で奮闘を重ねる。
あの時の先生の励ましがあったから、今の家族がある——溝垣さんの感謝は尽きない。その師恩に報いるには、広布勝利の証しを打ち立てることと決め、使命の天地である明石、そして兵庫を奔走している。
2022年6月28日火曜日
2022.06.28 わが友に贈る
創価の太陽・女性部の
日々の奮闘に大感謝!
どこまでも朗らかに
無量の福徳を積みながら
地域に希望の陽光を!
同生同名御書 P1115
『おのおのわずかの御身と生れて鎌倉にゐながら人目をもはばからず命をもおしまず法華経を御信用ある事ただ事ともおぼえず』
【通解】
あなた方は、身分も低く生まれ、しかも(迫害の強い)鎌倉に住みながら、人目をもはばからず、命をも惜しまず、法華経の信心をされている事は、ただ事とも思えない。
【先生の指導から】
昭和18年の6月、牧口先生と戸田先生は、静岡の大石寺に呼びつけられ、大謗法の神札を受けるよう強要された。しかし、創価の師弟は断固として拒否した。臆病な、狂った宗門に憤激しながら。
もし、このとき、両先生が宗門を破折しておられなかったならば、大聖人の「立正安国」の大精神は死に絶え、「広宣流布」の命脈は断絶していたに違いない。牧口先生、戸田先生の烈々たる信念の戦いは、日本の国家主義という「一凶」を禁じゆく大闘争となったのである。
牧口先生は、58年前のきょう6月28日、再度、法主を直接、諌めておられる。しかし、こともあろうに宗門は、この正義の学会を切り捨てた。軍部権力の弾圧が自分たちに及ぶのを恐れたのである。
牧口先生、戸田先生は、7月6日の早朝に逮捕された。牧口先生は、逮捕から1年後の秋、11月18日、創価学会の創立記念日に獄死し、殉教された。
後継の弟子・戸田先生は、逮捕から2年後の7月3日に出獄され、権力の魔性に対する仇討ちの戦いを開始された。7月がめぐり来るたびに、戸田先生の「巌窟王」の闘魂は、いやまして炎と燃え上がった。
名字の言 サンゴの再生に取り組む沖縄の人々の思い 2022年6月28日
沖縄はサンゴの島である。沖縄本島や周辺の島々を形成する琉球石灰岩は、長い年月をかけて、サンゴの骨格が堆積したもの。この時期、サンゴは大潮の晩に産卵し、繁殖期を迎える▼近年、温暖化の影響で各地のサンゴが減少。石垣島では、水産庁と協力し、地元の漁師たちがサンゴの再生に取り組む。産卵後、幼生の成長を助ける新たな方法である。多様な生物を育み、台風の防波堤にもなるサンゴ保全の重要性は高い▼再生には時間を要する。計画に携わる人々の多くは、その成果を見ることはないという。だが彼らは語る。「子どもたちの世代に、将来に向けた技術を残したい」と。今の挑戦は、未来の豊かな海へとつながっていく▼米国の海洋生物学者レイチェル・カーソンは著書『沈黙の春』で、化学物質による自然破壊がもたらす生命の危機を訴えた。幾多の批判や病などに屈しなかった彼女の原動力——それは"冬の後には春が来る"との不変の法則に基づく希望と確信だった。命懸けでつづった言葉は、生命と環境を守る連帯を築いた▼"今日より明日へ"と前進する「本因妙」の仏法の力は、"今"を懸命に生き抜く中で発揮される。その努力と挑戦の積み重ねこそが、希望の未来を開いていく。
寸鉄 2022年6月28日
対話の最大の決め手は人格—恩師。誠意を尽くして語れば深い信頼が残る
神奈川よ勇猛果敢に攻め捲れ!底力発揮し勝利の扉を開け。悔いを残すな
愛知が疾風迅雷の進撃!困難の巌砕く執念の拡大今日も。凱旋の歓呼必ず
強さは不屈の意志から生じる—偉人ガンジー。青年よ絶対に勝つと決めて壁を破れ
熱中症の発生、最多は室内と。就寝中にも危険が。無理せずエアコン利用を
☆Switch——共育のまなざし 在日外国人の"ママ友"との絆
山梨・南アルプス市に、在日外国人のシングルマザーと、彼女を入会に導いた日本人の女性部員がいます。出会いを結んで以来、異国の日本で懸命に生きてきた"ママ友"を、その女性部員のみならず、地元の学会員たちも、真心で包んでいきました。そして、日本人の女性部員が子育ての悩みに直面した時、支えとなってくれたのは、そのシングルマザーと息子さんでした。
◇「仲良くして」と
森亜古さん=地区女性部長=と、マークプラコーン・サンワンさん=女性部員=が出会ったのは、2013年のことだ。森さんの長男・冠太さん(高校1年)とサンワンさんの長男・友さん(同)が、小学校への入学を機に仲良くなり、連れだって通学するようになった。
ある日、森さんが冠太さんとスーパーマーケットへ買い物に行った時のこと。自転車のチャイルドシートに座っている友さんを見つけた。彼が乗る自転車を、店の駐輪場に止めようとする女性がいる。
"あの人が友君のお母さんかしら"
森さんは歩み寄って声を掛けた。「冠太の母です。友君が一緒に遊んでくれて、ありがとうございます」
するとサンワンさんは、こう返事をした。「私、日本人じゃないの」。外見からも、たどたどしい日本語からも、そのことは分かった。サンワンさんは続けた。「でも仲良くしてください」と。
丁寧に頭を下げるサンワンさんの姿に、森さんは妙に心を打たれた。森さんが「こちらこそ喜んで。よろしくお願いします」と言うと、サンワンさんはホッとしたように笑顔を見せてくれた。
それから"ママ友"の付き合いが始まった。サンワンさんがタイ出身だということを聞き、食品雑貨店に勤めていた森さんは、「よかったら食べて」とタイの麺を見つけて届けに行ったことがある。サンワンさんは、すぐに調理して"お裾分け"に来てくれた。森さんは"なんて心の温かな人だろう"と感じた。
相手に対して抱いた好感は、サンワンさんも同じだったようだ。2人が打ち解けるまでに長い時間はかからなかった。
やがて、サンワンさんは自らの来し方を、森さんに語るようになった。
◇人の輪の中
サンワンさんは、タイの首都・バンコクから数百キロ離れた村で生まれ育った。
実家は農業を営んでいたものの、暮らしは貧しかった。サンワンさんは、小学校を卒業するとバンコクへ。ハウスキーパー(家政婦)として10年ほど働き、出稼ぎのために来日した。山梨に来て日本人男性と結婚し、友さんとその姉を出産したものの、友さんが3歳の時に離婚。その後はシングルマザーとして子どもたちを育てた。
ハローワークや市役所の担当者も力を尽くしてくれ、工場勤務と内職を掛け持ちすることで、親子3人、何とか生活してきた。苦しいことは数え切れないほどあった。見掛けや文化の違い、言葉の壁、それらから生じる人間関係のあつれき……。サンワンさんは森さんに教えてくれた。「言葉は分からなくても、のけ者にされている時は、相手の目を見れば分かる」と。
子育てでも悔しい思いをした。長女は小学生の時、「外国人はあっちへ行け」と、いじめられた。サンワンさんは「泣いて帰ってくる娘のことを、抱き締めることしかできなかった」と言う。
森さんは胸が締め付けられる思いがした。"苦労を重ねながら、懸命に生きてきたサンワンさんに、どうか幸せになってほしい"
創価学会の信仰の話をせずにはいられなかった。2013年の年末、サンワンさんは森さんに誘われて座談会に参加した。地区の同志たちは口々に「よく来てくれましたね」と温かく迎えた。サンワンさんは「こんなに親切に外国人のことを思ってくれる日本人がいる場所に、初めて来た」と感想を口にした。
仏法用語の意味が分からず、すぐには入会に踏み切れなかった。それでも、「南無妙法蓮華経で幸せになれる」との言葉が心に刻まれた。以後、サンワンさんは、工場勤務の行き帰り、自転車に乗りながら、心の中で毎日、題目を唱えていく。
とともに、息子の小学校の諸行事では、森さんと、家族ぐるみの付き合いをした。
運動会では一緒に場所取りをし、他のママ友たちの家族とも昼食を囲んだ。姉の時とは異なり、友さんが学校でいじめに遭うことはなかった。「森さんがママさんたちの輪の中に、私を迎え入れてくれた」。サンワンさんは今も深く、感謝している。
◇"君のそばに"
子どもたちが中学に進学した2019年。2学期から森さんの長男・冠太さんが不登校になった。夏休み最終日、「明日から2学期だね」と声を掛けると、普段と変わらず「そうだね」と答えていた息子が翌朝、布団に潜って「行きたくない」と言う。翌日もその次の日も……。
"え、なんで?"。森さんは、夏休みと打って変わって無表情で過ごす息子の姿に戸惑った。息子はあまり多くを語るタイプではないものの、中学校の担任からは「学校では友達とよく話し、昼休みは校庭で元気に遊んでいた」と聞いた。
日がたつごとに、不安に駆られた。"この子はこの先、どうなってしまうのだろう"
心配のあまり無理やり学校へ引っ張って行った日も、「逃げちゃダメだよ」と強く言ってしまった日もある。近所の目を気にしている自分もいた。そんな時、教員をしている学会の先輩から言われた。
「学校に行くことは、当たり前だと思っているでしょう。でも、違うんです。"戦い"に行くような思いで、学校に行く子もいます」
雷に打たれたような思いがした。"息子は毎日、悩んで頑張って「行ってきます」と家を出ていたんだ"と。"冠太を信じ抜こう。理屈じゃなく、心の底からそう思えるまで題目を唱えよう"と決めた。
夫の隆男さん=副本陣長(副ブロック長)=も、しばしば、冠太さんと、2つ年下の長女・ここなさん兄妹を連れて近県までドライブへ。またある時は、息子の中学校にある登校支援の教室に付き添い、わが子と共に歩んだ。
そして、森さんの家に冠太さんを訪ね続けて来てくれたのが、サンワンさんの息子の友さんだった。
ゲームをしたり、外でバドミントンをしたり。そこには昔から変わらない2人の姿があった。学校に行くとか行かないとか、そういう話はしない。友さんは「いつも通り、"僕は君のそばにいるよ"という気持ち」で過ごしたという。サンワンさんも"息子の親友である冠太君の幸せを"と願い、森さんの不安から決意まで、その心を分かち合ってくれた。
2020年初頭、国内で新型コロナの感染拡大が起こり、3月には山梨の小・中学校でも卒業式などの諸行事を挟み、休校が続いた。同月下旬、3学期の修了式を前に、冠太さんは母へ「学校に行くよ」と。そして学期末と、休校期間が明けた5月下旬以降、登校するようになった。
それから2年。今春、2人は中学校を卒業し、別々の高校に進学した。冠太さんは友さんへの思いを語る。「会う機会は減っても、ずっと大切な友達です」と。
◇考え行動する
冠太さんが不登校にあった2020年1月26日、サンワンさんの入会記念勤行会が行われた。
初めて座談会に参加してから、勤務先の行き帰りに胸中で唱題を重ねて6年余り——その間、願っていた労働環境の職場に転職を果たした。何社もの面接に挑み、時に森さん宅で御本尊に向かって共に祈り、つかんだ結果。そうした中でサンワンさんは「題目を唱えると勇気や希望が湧いてくることを感じて」入会を決意したのだった。
森さんと共に、多くの友が入会記念勤行会に参加し、サンワンさんの新出発を祝福した。その一人が、和出陽子さん=県総合女性部長(総県副国際部長兼任)。サンワンさんにも森さんにも、励ましを送り続けてきた。
「在日外国人のメンバーの中には、夜勤など負担の大きい仕事をしている方も少なくありません。そんな中、唱題で生命力をみなぎらせ、職場で信頼を得て、生活の基盤を確立しています」と和出さん。また、多くの女性部員への激励も重ねる中で、気付いたことがある。
「それは、誰もが何かしらの課題を抱えているということです。外見や言葉、文化の違いもあれば、一見しただけでは分からない家庭や仕事の問題、内面の葛藤も……。悩みは違っても、信心根本に向き合うからこそ"同じように苦しんでいる人を放っておけない"と思える。同志の存在は本当にありがたいです」
同志から祝福を受けるサンワンさんの姿を見て、森さんは自分が入会した時のことを思い出した。夫の隆男さんと交際していた時に仏法の話を聞き、2005年に入会した。当時は「仕事も人間関係も、何をしてもうまくいかない」と、自らを卑下していた。反対に「学会の皆さんは朗らかで、キラキラと輝いて見えた」と言う。
自身の入会から十数年を経て森さんは思い至った。「同志の皆さんが輝いて見えたのは、苦労がないからではなく、苦労と向き合って、そのど真ん中を走ってきたからなんだ」と。サンワンさんとの絆を育みながら、自らの子育てと向き合うからこそ、気付くことができた。
今、森さんは「大変だと感じる時も、一人じゃなかった」と振り返る。夫の支えはもとより、両親は離れた実家から応援の電話をくれた。同居する義父・佐一さん=副支部長(本陣長兼任)=と義母・陽子さん=県副女性部長=も、孫である冠太さんを温かく見守ってくれた。「そして家族だけでなく、"学会家族"の皆さんが祈り励ましてくれたから、頑張ろうと思えたんです」と。
池田先生は語っている。
「私は常々、『一番苦しんでいる人こそ、一番幸福になる権利がある』と訴えてきました。仏法とは、その一番苦しんでいる人のためにあるのです。その人に同苦する、その人のことを自分と同じだと感じる、その人の身になって考え行動する。そこに慈悲が光ります」
励まし合いながら歩んできた、森さんとサンワンさん。2人は、これまでの経験を糧として、これからも"出会った友を励ます人生"を歩んでいくに違いない。
日々の奮闘に大感謝!
どこまでも朗らかに
無量の福徳を積みながら
地域に希望の陽光を!
同生同名御書 P1115
『おのおのわずかの御身と生れて鎌倉にゐながら人目をもはばからず命をもおしまず法華経を御信用ある事ただ事ともおぼえず』
【通解】
あなた方は、身分も低く生まれ、しかも(迫害の強い)鎌倉に住みながら、人目をもはばからず、命をも惜しまず、法華経の信心をされている事は、ただ事とも思えない。
【先生の指導から】
昭和18年の6月、牧口先生と戸田先生は、静岡の大石寺に呼びつけられ、大謗法の神札を受けるよう強要された。しかし、創価の師弟は断固として拒否した。臆病な、狂った宗門に憤激しながら。
もし、このとき、両先生が宗門を破折しておられなかったならば、大聖人の「立正安国」の大精神は死に絶え、「広宣流布」の命脈は断絶していたに違いない。牧口先生、戸田先生の烈々たる信念の戦いは、日本の国家主義という「一凶」を禁じゆく大闘争となったのである。
牧口先生は、58年前のきょう6月28日、再度、法主を直接、諌めておられる。しかし、こともあろうに宗門は、この正義の学会を切り捨てた。軍部権力の弾圧が自分たちに及ぶのを恐れたのである。
牧口先生、戸田先生は、7月6日の早朝に逮捕された。牧口先生は、逮捕から1年後の秋、11月18日、創価学会の創立記念日に獄死し、殉教された。
後継の弟子・戸田先生は、逮捕から2年後の7月3日に出獄され、権力の魔性に対する仇討ちの戦いを開始された。7月がめぐり来るたびに、戸田先生の「巌窟王」の闘魂は、いやまして炎と燃え上がった。
名字の言 サンゴの再生に取り組む沖縄の人々の思い 2022年6月28日
沖縄はサンゴの島である。沖縄本島や周辺の島々を形成する琉球石灰岩は、長い年月をかけて、サンゴの骨格が堆積したもの。この時期、サンゴは大潮の晩に産卵し、繁殖期を迎える▼近年、温暖化の影響で各地のサンゴが減少。石垣島では、水産庁と協力し、地元の漁師たちがサンゴの再生に取り組む。産卵後、幼生の成長を助ける新たな方法である。多様な生物を育み、台風の防波堤にもなるサンゴ保全の重要性は高い▼再生には時間を要する。計画に携わる人々の多くは、その成果を見ることはないという。だが彼らは語る。「子どもたちの世代に、将来に向けた技術を残したい」と。今の挑戦は、未来の豊かな海へとつながっていく▼米国の海洋生物学者レイチェル・カーソンは著書『沈黙の春』で、化学物質による自然破壊がもたらす生命の危機を訴えた。幾多の批判や病などに屈しなかった彼女の原動力——それは"冬の後には春が来る"との不変の法則に基づく希望と確信だった。命懸けでつづった言葉は、生命と環境を守る連帯を築いた▼"今日より明日へ"と前進する「本因妙」の仏法の力は、"今"を懸命に生き抜く中で発揮される。その努力と挑戦の積み重ねこそが、希望の未来を開いていく。
寸鉄 2022年6月28日
対話の最大の決め手は人格—恩師。誠意を尽くして語れば深い信頼が残る
神奈川よ勇猛果敢に攻め捲れ!底力発揮し勝利の扉を開け。悔いを残すな
愛知が疾風迅雷の進撃!困難の巌砕く執念の拡大今日も。凱旋の歓呼必ず
強さは不屈の意志から生じる—偉人ガンジー。青年よ絶対に勝つと決めて壁を破れ
熱中症の発生、最多は室内と。就寝中にも危険が。無理せずエアコン利用を
☆Switch——共育のまなざし 在日外国人の"ママ友"との絆
山梨・南アルプス市に、在日外国人のシングルマザーと、彼女を入会に導いた日本人の女性部員がいます。出会いを結んで以来、異国の日本で懸命に生きてきた"ママ友"を、その女性部員のみならず、地元の学会員たちも、真心で包んでいきました。そして、日本人の女性部員が子育ての悩みに直面した時、支えとなってくれたのは、そのシングルマザーと息子さんでした。
◇「仲良くして」と
森亜古さん=地区女性部長=と、マークプラコーン・サンワンさん=女性部員=が出会ったのは、2013年のことだ。森さんの長男・冠太さん(高校1年)とサンワンさんの長男・友さん(同)が、小学校への入学を機に仲良くなり、連れだって通学するようになった。
ある日、森さんが冠太さんとスーパーマーケットへ買い物に行った時のこと。自転車のチャイルドシートに座っている友さんを見つけた。彼が乗る自転車を、店の駐輪場に止めようとする女性がいる。
"あの人が友君のお母さんかしら"
森さんは歩み寄って声を掛けた。「冠太の母です。友君が一緒に遊んでくれて、ありがとうございます」
するとサンワンさんは、こう返事をした。「私、日本人じゃないの」。外見からも、たどたどしい日本語からも、そのことは分かった。サンワンさんは続けた。「でも仲良くしてください」と。
丁寧に頭を下げるサンワンさんの姿に、森さんは妙に心を打たれた。森さんが「こちらこそ喜んで。よろしくお願いします」と言うと、サンワンさんはホッとしたように笑顔を見せてくれた。
それから"ママ友"の付き合いが始まった。サンワンさんがタイ出身だということを聞き、食品雑貨店に勤めていた森さんは、「よかったら食べて」とタイの麺を見つけて届けに行ったことがある。サンワンさんは、すぐに調理して"お裾分け"に来てくれた。森さんは"なんて心の温かな人だろう"と感じた。
相手に対して抱いた好感は、サンワンさんも同じだったようだ。2人が打ち解けるまでに長い時間はかからなかった。
やがて、サンワンさんは自らの来し方を、森さんに語るようになった。
◇人の輪の中
サンワンさんは、タイの首都・バンコクから数百キロ離れた村で生まれ育った。
実家は農業を営んでいたものの、暮らしは貧しかった。サンワンさんは、小学校を卒業するとバンコクへ。ハウスキーパー(家政婦)として10年ほど働き、出稼ぎのために来日した。山梨に来て日本人男性と結婚し、友さんとその姉を出産したものの、友さんが3歳の時に離婚。その後はシングルマザーとして子どもたちを育てた。
ハローワークや市役所の担当者も力を尽くしてくれ、工場勤務と内職を掛け持ちすることで、親子3人、何とか生活してきた。苦しいことは数え切れないほどあった。見掛けや文化の違い、言葉の壁、それらから生じる人間関係のあつれき……。サンワンさんは森さんに教えてくれた。「言葉は分からなくても、のけ者にされている時は、相手の目を見れば分かる」と。
子育てでも悔しい思いをした。長女は小学生の時、「外国人はあっちへ行け」と、いじめられた。サンワンさんは「泣いて帰ってくる娘のことを、抱き締めることしかできなかった」と言う。
森さんは胸が締め付けられる思いがした。"苦労を重ねながら、懸命に生きてきたサンワンさんに、どうか幸せになってほしい"
創価学会の信仰の話をせずにはいられなかった。2013年の年末、サンワンさんは森さんに誘われて座談会に参加した。地区の同志たちは口々に「よく来てくれましたね」と温かく迎えた。サンワンさんは「こんなに親切に外国人のことを思ってくれる日本人がいる場所に、初めて来た」と感想を口にした。
仏法用語の意味が分からず、すぐには入会に踏み切れなかった。それでも、「南無妙法蓮華経で幸せになれる」との言葉が心に刻まれた。以後、サンワンさんは、工場勤務の行き帰り、自転車に乗りながら、心の中で毎日、題目を唱えていく。
とともに、息子の小学校の諸行事では、森さんと、家族ぐるみの付き合いをした。
運動会では一緒に場所取りをし、他のママ友たちの家族とも昼食を囲んだ。姉の時とは異なり、友さんが学校でいじめに遭うことはなかった。「森さんがママさんたちの輪の中に、私を迎え入れてくれた」。サンワンさんは今も深く、感謝している。
◇"君のそばに"
子どもたちが中学に進学した2019年。2学期から森さんの長男・冠太さんが不登校になった。夏休み最終日、「明日から2学期だね」と声を掛けると、普段と変わらず「そうだね」と答えていた息子が翌朝、布団に潜って「行きたくない」と言う。翌日もその次の日も……。
"え、なんで?"。森さんは、夏休みと打って変わって無表情で過ごす息子の姿に戸惑った。息子はあまり多くを語るタイプではないものの、中学校の担任からは「学校では友達とよく話し、昼休みは校庭で元気に遊んでいた」と聞いた。
日がたつごとに、不安に駆られた。"この子はこの先、どうなってしまうのだろう"
心配のあまり無理やり学校へ引っ張って行った日も、「逃げちゃダメだよ」と強く言ってしまった日もある。近所の目を気にしている自分もいた。そんな時、教員をしている学会の先輩から言われた。
「学校に行くことは、当たり前だと思っているでしょう。でも、違うんです。"戦い"に行くような思いで、学校に行く子もいます」
雷に打たれたような思いがした。"息子は毎日、悩んで頑張って「行ってきます」と家を出ていたんだ"と。"冠太を信じ抜こう。理屈じゃなく、心の底からそう思えるまで題目を唱えよう"と決めた。
夫の隆男さん=副本陣長(副ブロック長)=も、しばしば、冠太さんと、2つ年下の長女・ここなさん兄妹を連れて近県までドライブへ。またある時は、息子の中学校にある登校支援の教室に付き添い、わが子と共に歩んだ。
そして、森さんの家に冠太さんを訪ね続けて来てくれたのが、サンワンさんの息子の友さんだった。
ゲームをしたり、外でバドミントンをしたり。そこには昔から変わらない2人の姿があった。学校に行くとか行かないとか、そういう話はしない。友さんは「いつも通り、"僕は君のそばにいるよ"という気持ち」で過ごしたという。サンワンさんも"息子の親友である冠太君の幸せを"と願い、森さんの不安から決意まで、その心を分かち合ってくれた。
2020年初頭、国内で新型コロナの感染拡大が起こり、3月には山梨の小・中学校でも卒業式などの諸行事を挟み、休校が続いた。同月下旬、3学期の修了式を前に、冠太さんは母へ「学校に行くよ」と。そして学期末と、休校期間が明けた5月下旬以降、登校するようになった。
それから2年。今春、2人は中学校を卒業し、別々の高校に進学した。冠太さんは友さんへの思いを語る。「会う機会は減っても、ずっと大切な友達です」と。
◇考え行動する
冠太さんが不登校にあった2020年1月26日、サンワンさんの入会記念勤行会が行われた。
初めて座談会に参加してから、勤務先の行き帰りに胸中で唱題を重ねて6年余り——その間、願っていた労働環境の職場に転職を果たした。何社もの面接に挑み、時に森さん宅で御本尊に向かって共に祈り、つかんだ結果。そうした中でサンワンさんは「題目を唱えると勇気や希望が湧いてくることを感じて」入会を決意したのだった。
森さんと共に、多くの友が入会記念勤行会に参加し、サンワンさんの新出発を祝福した。その一人が、和出陽子さん=県総合女性部長(総県副国際部長兼任)。サンワンさんにも森さんにも、励ましを送り続けてきた。
「在日外国人のメンバーの中には、夜勤など負担の大きい仕事をしている方も少なくありません。そんな中、唱題で生命力をみなぎらせ、職場で信頼を得て、生活の基盤を確立しています」と和出さん。また、多くの女性部員への激励も重ねる中で、気付いたことがある。
「それは、誰もが何かしらの課題を抱えているということです。外見や言葉、文化の違いもあれば、一見しただけでは分からない家庭や仕事の問題、内面の葛藤も……。悩みは違っても、信心根本に向き合うからこそ"同じように苦しんでいる人を放っておけない"と思える。同志の存在は本当にありがたいです」
同志から祝福を受けるサンワンさんの姿を見て、森さんは自分が入会した時のことを思い出した。夫の隆男さんと交際していた時に仏法の話を聞き、2005年に入会した。当時は「仕事も人間関係も、何をしてもうまくいかない」と、自らを卑下していた。反対に「学会の皆さんは朗らかで、キラキラと輝いて見えた」と言う。
自身の入会から十数年を経て森さんは思い至った。「同志の皆さんが輝いて見えたのは、苦労がないからではなく、苦労と向き合って、そのど真ん中を走ってきたからなんだ」と。サンワンさんとの絆を育みながら、自らの子育てと向き合うからこそ、気付くことができた。
今、森さんは「大変だと感じる時も、一人じゃなかった」と振り返る。夫の支えはもとより、両親は離れた実家から応援の電話をくれた。同居する義父・佐一さん=副支部長(本陣長兼任)=と義母・陽子さん=県副女性部長=も、孫である冠太さんを温かく見守ってくれた。「そして家族だけでなく、"学会家族"の皆さんが祈り励ましてくれたから、頑張ろうと思えたんです」と。
池田先生は語っている。
「私は常々、『一番苦しんでいる人こそ、一番幸福になる権利がある』と訴えてきました。仏法とは、その一番苦しんでいる人のためにあるのです。その人に同苦する、その人のことを自分と同じだと感じる、その人の身になって考え行動する。そこに慈悲が光ります」
励まし合いながら歩んできた、森さんとサンワンさん。2人は、これまでの経験を糧として、これからも"出会った友を励ます人生"を歩んでいくに違いない。
2022年6月27日月曜日
2022.06.27 わが友に贈る
◇今週のことば
「新しき世紀を創るものは
青年の熱と力である」
楽しく賢く伸びやかに
信頼と友情を広げゆけ!
青春凱歌の金字塔を共に。
2022年6月27日
同生同名御書 P1115
『釈迦仏普賢菩薩薬王菩薩宿王華菩薩等の各各の御心中に入り給へるか、法華経の文に閻浮提に此の経を信ぜん人は普賢菩薩の御力なりと申す是なるべし』
【通解】
釈迦仏をはじめ、普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩などが、あなた方の心の中に入っておられるであろう。法華経普賢菩薩勧発品第二十八に「閻浮提に法華経を信ずることができるのは普賢菩薩のお力によるのである」と説かれているのはこのことである。
名字の言 365段の急勾配を上って見えたもの 2022年6月27日
群馬県の伊香保にある有名な石段を、かつて上ったことがある。両脇に古い土産店なども並ぶ風情漂う石段を、多くの老若男女が上り下りしていた▼とはいえ、365段の急勾配。エスカレーターなどはなく、自力で一段一段、踏み締めて上るしかない。頂上に着いて振り返ると、視界には山々の威容が広がり、眼下には石段の道が延々と続く。その絶景は充実感をもたらし、疲れも吹き飛ばしてくれた▼創価大学の職員だった女性部の友に聞いた話。ある日、創立者の池田先生が大学行事に出席するため来校した。先生が会場へ向かう校内の窓から、ふと外に目をやると、近くの階段を1人の男性が幼子を抱きかかえて上っていくのが見えた▼先生は大きく手を振った。しかし、男性は背中を向けているので気付かない。それでも先生は男性が上り切るまで振り続けた。その場に役員で居合わせた、先の女性部の友は胸を熱くした。"先生は本人が気付こうが、気付くまいが、こうしてずっと見守り、一人一人を励まされてきたのだ"と▼どんなに厳しい苦難の坂があろうとも、弟子は胸中に師への誓いを抱き、断じて上り切ろう。そこに師弟勝利の未来を開き、報恩の人生の軌跡が描けると確信して。
寸鉄 2022年6月27日
「異体同心なればかちぬ」御書。我らの団結は無敵。総立ちして限界突破を!(新2054・全1463)
兵庫が熾烈な競り合い。ここから一気呵成の猛攻で金星掴め!同志が援軍
「未来会の日」。若き日の誓い果たす時。一騎当千の師子よ師弟共戦の心で
今夏は猛暑、今週も記録的な暑さと。水分・塩分補給こまめに熱中症対策
公明、選挙区・比例ともに大激戦に。全議員が支持拡大に総力。皆が大声援
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で——池田先生の連載エッセーから 第21回 横浜
◇荒波を越え 栄光の凱旋を
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「横浜——新時代を創る『開かれた港』」〈2012年11月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。太平洋に面する国際都市・横浜は、世界から多くの人々が訪れ、新しい文化が次々と花開いてきた。私たちも、対話の大海原へ朗らかに船出し、広々とした心で友好の絆を幾重にも結んでいきたい。
海のごとく
心ひろびろと
空のごとく
心限りなく高く
風のごとく
心幸せのために自在たれ
心は不思議です。大きく開けば、どこまでも広く、どこまでも高く、そして、どこまでも自在に、躍動させていくことができます。
大海原と向き合い、新鮮な出会いと語らいが光る港には、皆の心を開いて、弾ませてくれる活力があります。
その世界に燦たる「共生」と「進取」の国際港が、私たちの大好きな横浜です。
東京・大田に生まれ育った私は、少年時代から、多摩川をはさんだ"ご近所"の神奈川で、たくさんの思い出を刻んできました。日本の各地を訪れた帰途、車窓から神奈川の天地を目にすると、それだけで故郷に帰ったような安堵と懐かしさが込み上げてきます。
折々に、雄大な世界へ広がる横浜の海を友と眺め、浩然の気を養いながら、新たな使命の航路を開拓してきたことは、宝の歴史です。
横浜は、わが人生のかけがえのない「心の港」と言っても、決して過言ではありません。
横浜出身の思想家・岡倉天心と交友を結び、横浜で深き創作の歴史を残したインドの大詩人タゴールは綴っております。
「ひたむきに急ぐそよ風のように、生命と若さをもって世界のなかに飛び出していきたい」と。
まさに、横浜には、活発な交流のなかで、常に新しいものを生み出し、新時代を創り開く若々しさがあふれていると言えましょう。
◇友よ負けるな
〈幾重にも広布の歴史が刻まれた横浜、そして神奈川。池田先生は、青春時代に友を励ましたことや、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表したことを述懐する〉
戦後、横浜、神奈川の庶民の幸福を深く願われ、何度も足を運んで一人一人を励まされたのが、私の師匠・戸田城聖先生です。
私も師の心を体して、愛する故郷に尽くす思いで、川崎、そして、鶴見をはじめ横浜——神奈川の各地へ、友の輪のなかへ飛び込んでいきました。
それは、師の事業が厳しい苦境の時でもありました。訪ねる家々も皆、生活苦や病気との闘いに直面していました。そうしたなかで、私は、一人の青年として、困難にあった時にこそ「賢者はよろこび愚者は退く」という勇気の哲学を語っていったのです。
家計を支えるために、働きながら学ぶ道を選んだ少年には、自作の詩を贈りました。
「友よ負けるな希望を高く
僕が信ずる君が心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも」——。
私自身、肺を患い、熱が続き、血痰を吐きながらの悪戦苦闘の連続でした。私の体を案じて、家の鶏の産みたての卵を分けてくださった、横浜の庶民の婦人の真心を、私は今も温かく思い起こします。
わが師は一九五七年、横浜市・三ツ沢の陸上競技場に集結した五万人の青年らを前に、遺訓の第一として「原水爆禁止宣言」を発表しました。
世界の民衆の「生存の権利」を叫び、それを脅かす魔性を弾劾した師子吼です。
生命を傷つけ脅かすものは悪であり、生命を守り育むものこそ善であります。これこそ人類に普遍の正義ではないでしょうか。
思えば、神奈川の鎌倉は、人道主義を掲げた「白樺派」の文学者らの拠点でもありました。志賀直哉は「不正虚偽を憎む気持」を培い、長与善郎は「正義に対する愛」を人々のなかに燃やすことを願いました。
新たな思潮が生まれ出ずる天地で、私の信頼する友人たちも、人間主義の「正義の旗」を誇り高く掲げ、世界市民の連帯を広げてきました。
◇いよいよ勇み立って
〈結びに池田先生は、横浜港のシンボル「氷川丸」に言及。大海原を進みゆく大船のごとく、いかなる荒波も越えゆこうと呼び掛ける〉
日本初の臨海公園である山下公園で、次代を担う青年や少年少女たちと、幾たびとなく語らいを重ねてきたことも、忘れることはできません。
山下公園に係留されている貨客船・氷川丸は一九三〇年、横浜で建造されました。主にアメリカ西海岸のシアトルと日本を結び、約三十年で二百五十四回の太平洋横断をしています。
"もてなしの心"が評判を呼び、あの喜劇王チャップリンも乗船しました。
戦争中には、ある時はナチスの迫害から逃れるユダヤの人々を乗せ、ある時は病院船として傷病兵を運び、機雷に接触する危機も乗り越えて、重要な使命を果たしました。
戦後は、"平和と文化の使者"として多くの留学生や芸術団なども乗せています。
人生もまた、嵐の海を越えて、価値ある行動を断固と成し遂げていく航海です。
横浜生まれの作家・吉川英治氏は記しました。
「人と生れたからには、享けた一命をその人がどう生涯につかいきるか、それでその人の値うちもきまる」
「人の一生にはたくさんなことができる。誓えばどんな希望でもかけられる」
ここから出発し、ここに帰り、また再び、ここから旅立つ——。開港百五十年を超えた横浜は、「母なる港」であり、「開かれた港」です。
わが愛する神奈川の二十一世紀の若き世界市民たちも、いよいよ勇み立って、希望の銅鑼を打ち鳴らしながら、新時代へ船出をしています。
いかなる荒波も、勇敢に朗らかに突き破って、必ずや栄光の凱旋を! と、灯台の光の如く、私もエールを送り続ける毎日です。
一隻の大船
断じて目的
達成を
共に万歳
勝利の万歳
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
「新しき世紀を創るものは
青年の熱と力である」
楽しく賢く伸びやかに
信頼と友情を広げゆけ!
青春凱歌の金字塔を共に。
2022年6月27日
同生同名御書 P1115
『釈迦仏普賢菩薩薬王菩薩宿王華菩薩等の各各の御心中に入り給へるか、法華経の文に閻浮提に此の経を信ぜん人は普賢菩薩の御力なりと申す是なるべし』
【通解】
釈迦仏をはじめ、普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩などが、あなた方の心の中に入っておられるであろう。法華経普賢菩薩勧発品第二十八に「閻浮提に法華経を信ずることができるのは普賢菩薩のお力によるのである」と説かれているのはこのことである。
名字の言 365段の急勾配を上って見えたもの 2022年6月27日
群馬県の伊香保にある有名な石段を、かつて上ったことがある。両脇に古い土産店なども並ぶ風情漂う石段を、多くの老若男女が上り下りしていた▼とはいえ、365段の急勾配。エスカレーターなどはなく、自力で一段一段、踏み締めて上るしかない。頂上に着いて振り返ると、視界には山々の威容が広がり、眼下には石段の道が延々と続く。その絶景は充実感をもたらし、疲れも吹き飛ばしてくれた▼創価大学の職員だった女性部の友に聞いた話。ある日、創立者の池田先生が大学行事に出席するため来校した。先生が会場へ向かう校内の窓から、ふと外に目をやると、近くの階段を1人の男性が幼子を抱きかかえて上っていくのが見えた▼先生は大きく手を振った。しかし、男性は背中を向けているので気付かない。それでも先生は男性が上り切るまで振り続けた。その場に役員で居合わせた、先の女性部の友は胸を熱くした。"先生は本人が気付こうが、気付くまいが、こうしてずっと見守り、一人一人を励まされてきたのだ"と▼どんなに厳しい苦難の坂があろうとも、弟子は胸中に師への誓いを抱き、断じて上り切ろう。そこに師弟勝利の未来を開き、報恩の人生の軌跡が描けると確信して。
寸鉄 2022年6月27日
「異体同心なればかちぬ」御書。我らの団結は無敵。総立ちして限界突破を!(新2054・全1463)
兵庫が熾烈な競り合い。ここから一気呵成の猛攻で金星掴め!同志が援軍
「未来会の日」。若き日の誓い果たす時。一騎当千の師子よ師弟共戦の心で
今夏は猛暑、今週も記録的な暑さと。水分・塩分補給こまめに熱中症対策
公明、選挙区・比例ともに大激戦に。全議員が支持拡大に総力。皆が大声援
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で——池田先生の連載エッセーから 第21回 横浜
◇荒波を越え 栄光の凱旋を
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「横浜——新時代を創る『開かれた港』」〈2012年11月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。太平洋に面する国際都市・横浜は、世界から多くの人々が訪れ、新しい文化が次々と花開いてきた。私たちも、対話の大海原へ朗らかに船出し、広々とした心で友好の絆を幾重にも結んでいきたい。
海のごとく
心ひろびろと
空のごとく
心限りなく高く
風のごとく
心幸せのために自在たれ
心は不思議です。大きく開けば、どこまでも広く、どこまでも高く、そして、どこまでも自在に、躍動させていくことができます。
大海原と向き合い、新鮮な出会いと語らいが光る港には、皆の心を開いて、弾ませてくれる活力があります。
その世界に燦たる「共生」と「進取」の国際港が、私たちの大好きな横浜です。
東京・大田に生まれ育った私は、少年時代から、多摩川をはさんだ"ご近所"の神奈川で、たくさんの思い出を刻んできました。日本の各地を訪れた帰途、車窓から神奈川の天地を目にすると、それだけで故郷に帰ったような安堵と懐かしさが込み上げてきます。
折々に、雄大な世界へ広がる横浜の海を友と眺め、浩然の気を養いながら、新たな使命の航路を開拓してきたことは、宝の歴史です。
横浜は、わが人生のかけがえのない「心の港」と言っても、決して過言ではありません。
横浜出身の思想家・岡倉天心と交友を結び、横浜で深き創作の歴史を残したインドの大詩人タゴールは綴っております。
「ひたむきに急ぐそよ風のように、生命と若さをもって世界のなかに飛び出していきたい」と。
まさに、横浜には、活発な交流のなかで、常に新しいものを生み出し、新時代を創り開く若々しさがあふれていると言えましょう。
◇友よ負けるな
〈幾重にも広布の歴史が刻まれた横浜、そして神奈川。池田先生は、青春時代に友を励ましたことや、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表したことを述懐する〉
戦後、横浜、神奈川の庶民の幸福を深く願われ、何度も足を運んで一人一人を励まされたのが、私の師匠・戸田城聖先生です。
私も師の心を体して、愛する故郷に尽くす思いで、川崎、そして、鶴見をはじめ横浜——神奈川の各地へ、友の輪のなかへ飛び込んでいきました。
それは、師の事業が厳しい苦境の時でもありました。訪ねる家々も皆、生活苦や病気との闘いに直面していました。そうしたなかで、私は、一人の青年として、困難にあった時にこそ「賢者はよろこび愚者は退く」という勇気の哲学を語っていったのです。
家計を支えるために、働きながら学ぶ道を選んだ少年には、自作の詩を贈りました。
「友よ負けるな希望を高く
僕が信ずる君が心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも」——。
私自身、肺を患い、熱が続き、血痰を吐きながらの悪戦苦闘の連続でした。私の体を案じて、家の鶏の産みたての卵を分けてくださった、横浜の庶民の婦人の真心を、私は今も温かく思い起こします。
わが師は一九五七年、横浜市・三ツ沢の陸上競技場に集結した五万人の青年らを前に、遺訓の第一として「原水爆禁止宣言」を発表しました。
世界の民衆の「生存の権利」を叫び、それを脅かす魔性を弾劾した師子吼です。
生命を傷つけ脅かすものは悪であり、生命を守り育むものこそ善であります。これこそ人類に普遍の正義ではないでしょうか。
思えば、神奈川の鎌倉は、人道主義を掲げた「白樺派」の文学者らの拠点でもありました。志賀直哉は「不正虚偽を憎む気持」を培い、長与善郎は「正義に対する愛」を人々のなかに燃やすことを願いました。
新たな思潮が生まれ出ずる天地で、私の信頼する友人たちも、人間主義の「正義の旗」を誇り高く掲げ、世界市民の連帯を広げてきました。
◇いよいよ勇み立って
〈結びに池田先生は、横浜港のシンボル「氷川丸」に言及。大海原を進みゆく大船のごとく、いかなる荒波も越えゆこうと呼び掛ける〉
日本初の臨海公園である山下公園で、次代を担う青年や少年少女たちと、幾たびとなく語らいを重ねてきたことも、忘れることはできません。
山下公園に係留されている貨客船・氷川丸は一九三〇年、横浜で建造されました。主にアメリカ西海岸のシアトルと日本を結び、約三十年で二百五十四回の太平洋横断をしています。
"もてなしの心"が評判を呼び、あの喜劇王チャップリンも乗船しました。
戦争中には、ある時はナチスの迫害から逃れるユダヤの人々を乗せ、ある時は病院船として傷病兵を運び、機雷に接触する危機も乗り越えて、重要な使命を果たしました。
戦後は、"平和と文化の使者"として多くの留学生や芸術団なども乗せています。
人生もまた、嵐の海を越えて、価値ある行動を断固と成し遂げていく航海です。
横浜生まれの作家・吉川英治氏は記しました。
「人と生れたからには、享けた一命をその人がどう生涯につかいきるか、それでその人の値うちもきまる」
「人の一生にはたくさんなことができる。誓えばどんな希望でもかけられる」
ここから出発し、ここに帰り、また再び、ここから旅立つ——。開港百五十年を超えた横浜は、「母なる港」であり、「開かれた港」です。
わが愛する神奈川の二十一世紀の若き世界市民たちも、いよいよ勇み立って、希望の銅鑼を打ち鳴らしながら、新時代へ船出をしています。
いかなる荒波も、勇敢に朗らかに突き破って、必ずや栄光の凱旋を! と、灯台の光の如く、私もエールを送り続ける毎日です。
一隻の大船
断じて目的
達成を
共に万歳
勝利の万歳
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
2022.06.26 わが友に贈る
広布の黄金柱・壮年部よ!
いよいよ本領発揮だ!
"わが姿を見よ"と
同志を鼓舞する
師子奮迅の拡大を頼む!
下山御消息 P346
『如来は未来を鑑みさせ給いて我が滅後正法一千年像法一千年末法一万年が間我が法門を弘通すべき人人並に経経を一一にきりあてられて候』
【通解】
如来は未来を見通されて自らの亡き後、正法一千年・像法一千年・末法一万年の間、自らの法門を弘通すべき人々と弘めるべき経を一つ一つ明確に当てられている。
名字の言 島民の約半数が本紙を購読——福岡・藍島 2022年6月26日
「聖教新聞、楽しく読んでいますよ!」「いつも学会の皆さんから元気をもらっています」。福岡県北九州市の藍島で出会った人が、口々に温かい声を掛けてくださった。島に暮らす約80世帯の5割近くが、本紙の購読経験者である▼かつて地元の学会員は、島の伝統、風習などの壁にぶつかり、つらい思いもしたという。だが、負けずに闘志を燃え上がらせた。"祈り、笑顔、真心を倍加して語ろう"と▼メンバーは島のさまざまな仕事を引き受け、「幸福パトロール隊」と称して高齢者宅への声掛けも行う。明るく誠実に地域に尽くす姿に接し、島民の大半が学会の実像を知り、良き理解者に。その信頼は今、不動のものとなった。友は語る。「苦しい時も前に進み続けたからこそ、私たちは強くなれた。島の広布が開けた」▼御書に「誰かが信仰をさまたげたら、心の中で『うれしい』と思いなさい」(新1843・全1512、趣意)と。立正安国の道に苦難は多い。その時こそ"飛躍への大チャンス"と心を奮い立たせ、果敢なる行動に打って出たい▼我らには、無限の力を引き出す師弟がある。全てをプラスに転じる哲学があり、同志がいる。乗り越えられない壁などない。恐れなく、前進また前進!
寸鉄 2022年6月26日
英雄は失敗にも勇気増し最終の勝利を得る—牧口先生。不屈こそ創価の魂
正義の大神奈川が激闘!縦横無尽に動き語ろう。全国の応援胸に勇気凜々
国連憲章の調印記念日。民衆は不戦を希求。学会は人類の議会へ支援貫く
国際麻薬乱用撲滅デー。抵抗感薄い若年層。未来奪う魔物は社会挙げ根絶
公明の後押しで携帯電話料金引き下げ—前首相。更に国民生活守る戦いを
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:病と向き合う
◇御文
『妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがえる義なり。』(法華経題目抄、新541・全947)
◇通解
妙とは蘇生の意味である。蘇生とは、よみがえるということである。
◇人生に勝つための信心
慢性骨髄性白血病と診断され
1989年(平成元年)2月のある朝、安達純子さん(64)=兵庫県養父市、北兵庫宝光県総合女性部長=は突然、大量の血を吐いた。緊急入院となり、輸血が必要なため血液検査したところ、結果を見た医師の顔が曇った。吐血の原因は胃潰瘍によるものだと判明したが、「慢性骨髄性白血病」であることが分かった。地区婦人部長(当時)の時のことだった。
◇
「病名を聞いた時は"なんで私が?"って。頭の中はその言葉だけでした」
安達さんは振り返る。
体に異変を感じたのは、30歳を過ぎた頃。だるさや吐き気、めまいに襲われることが増えていたが、「たいして気にしてなかったんです」。吐血したのは、そうした中でのことだった。
医師からは、発病してすでに数年はたっており、このまま急性期に至れば命に及ぶため、早期の骨髄移植を勧められた。
しかし当時、国内での骨髄移植の事例は多くなかった。移植に必要な、同じ白血球の型(HLA)を持つドナーは、数万人に1人の割合ともいわれるが、公的骨髄バンクもまだなく、たとえ移植できても完治できるか不明とも告げられた。
「話を聞けば聞くほど不安が募ってきて。悔しさと死の恐怖で、涙が止まりませんでした」
病室に駆け付けた婦人部(当時)の先輩は、そんな安達さんを抱きかかえるように励ましてくれた。
「大丈夫! 戦って出た宿業なんやし。絶対に乗り越えられる!」
確信の言葉が胸に刺さった。
1カ月ほどで退院。安達さんは夫・道一さん(67)=副支部長(地区部長兼任)=と、御本尊の前から病魔との"闘争"を開始した。「信心で勝つ以外にない。祈るほど、そう心が定まっていきました」
夫妻で強盛に題目を唱えては、仏法対話に、同志の激励に、広大な地域を走った。
90年6月、関西池田記念墓地公園の開園記念の場で、初訪問した池田先生と師弟の出会いを刻んだ。
「先生は、全て分かってくださっている。負けるわけにはいかない!」。心のエンジンが、一段とうなりを上げた。
その後、東京にいた安達さんの姉と、白血球の型が一致することが判明した。希望の光が差した。東京の国立病院で移植手術を受けることが決まった。
同年11月に入院。移植の前処置として、大量の投薬と放射線照射による治療が行われた。
「その副作用が想像以上に過酷で」と安達さん。髪の毛は全て抜け、あらゆる内臓の粘膜はただれた。絶え間のない吐き気と発熱。激しい下痢。食べ物を全く口にできなかった。
「兵庫の同志が送ってくれた励ましの手紙に、どれほど勇気をもらったか。"もう、治療をやめてしまいたい"と弱気が頭をもたげるたび、心で題目を唱えて、ねじ伏せました」
安達さんは無菌室に移り、91年3月1日、移植の日を迎えた。姉の骨髄から採取した造血幹細胞が、点滴によって安達さんの体に入っていった。
術後2週間ほどで生着が確認され、無菌室から一般病棟へ。その後もつらい症状は続いたが、祈りを重ねては歯を食いしばるように耐え抜き、同年7月、晴れて退院することができた。
実は、治療による副作用もあって、夫妻の間に子どもはいない。安達さんは「そのことで、ずいぶんと悩みましたね」と、ほほ笑む。
「苦しみの渦中で深く拝した御文は、『妙とは蘇生の義なり』の一節です。新しい生命を誕生させる代わりに、私の生命を"蘇生"させてもらえた——この御聖訓を拝す中で『蘇生の義』を実感できました。私は、広布の母として生き抜くんだと、心が強くなりました」
一時は人生を悲観した「絶望」の中から、安達さんは「希望」を見いだし、前を向いてきた。
「信心で"蘇生"したこの人生。だからこそ、広布のため、師匠と同志のために使っていきます」
骨髄移植での過酷な副作用と闘っていた安達さんは、かつて池田先生が兵庫の同志に贈った「人生/勝つために/信心のあることを/忘れまい」との言葉を、心の中で何度も反すうしたという。
「しんどい現実から思わず逃げ出したくなる時、"負けるわけにはいかない。信心で必ず乗り越えてみせる!"って、師匠や同志の顔を思い浮かべては、自身を奮い立たせました」
その上で、安達さんはこうも話す。「苦しいといえば、これほど苦しい経験はありませんでした。けれど、信心のおかげで、こんなに大きな宿業を今世で呼び起こすことができた。祈る中でそう確信できた時に、心の底から感謝が湧いてきたんです。なんて幸せな人生だろうと」
そうした境涯の変革を、安達さんは"蘇生"だと捉える。
安達さんと二人三脚で歩んできた道一さんは、どう見てきたのか。
「強い人やと思います。つらい状況でも、決して弱音を吐かない。退かない。信心一筋の人はここまで強くなれるんやと教わりました」
池田先生は語っている。
「今、ここで、生活に戦い、人生に戦い、広宣流布に戦う——その生命に幸福の旭日は赫々と昇りゆくのだ。(中略)
いかなる苦悩をもち、いかなる境遇にあろうが、その人でなければ果たせぬ尊き使命がある。それを深く自覚した時、すべては変わる。久遠の『大願』を果たすために、私たちは、今ここに生まれてきた。宿命は即、使命となり、わが勝利の逆転劇を荘厳する舞台となるのだ。
いかに現実が多事多難であろうとも、ここから離れて、幸福の大地はどこにもない」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
信心によって境涯を開けば、いかなる試練も悠々と見下ろしていける。確信みなぎる"常勝の母"は、悩める友の"蘇生"を願って、今日も広布の舞台を駆ける。
[教学コンパス]
晴れ間がのぞいた梅雨時の空を、燃えるような夕日が染める。大自然が織り成す"天空の芸術"に、思わず心を動かされる。ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医のフランクルは、過酷な環境を生き抜いた人の共通点の一つに「夕焼けに感動したこと」を挙げている。極限状態でも美しさを感じる——本来の人間性を失わなかったことが、精神的な強さとなり、困難に打ち勝つ力となったのだ。
苦悩に満ちた現実世界を、仏教では「娑婆」という。サンスクリットの「サハー」の音写で、「堪忍」などと訳されるが、この不条理な娑婆世界にあって、忍び難き苦難に打ち勝つドラマを日々、演じているのが創価の同志である。
過酷な宿命の嵐の中で、懸命に御本尊に向かい、現実変革に果敢に挑みながらも、地涌の菩薩として民衆救済に生きるという、自らの根本の使命を決して見失わない。
そうした一人一人が使命の舞台で演じる、人間革命の鮮やかな勝利劇こそ、生命が織り成す"究極の芸術"だと、たたえたい。
いよいよ本領発揮だ!
"わが姿を見よ"と
同志を鼓舞する
師子奮迅の拡大を頼む!
下山御消息 P346
『如来は未来を鑑みさせ給いて我が滅後正法一千年像法一千年末法一万年が間我が法門を弘通すべき人人並に経経を一一にきりあてられて候』
【通解】
如来は未来を見通されて自らの亡き後、正法一千年・像法一千年・末法一万年の間、自らの法門を弘通すべき人々と弘めるべき経を一つ一つ明確に当てられている。
名字の言 島民の約半数が本紙を購読——福岡・藍島 2022年6月26日
「聖教新聞、楽しく読んでいますよ!」「いつも学会の皆さんから元気をもらっています」。福岡県北九州市の藍島で出会った人が、口々に温かい声を掛けてくださった。島に暮らす約80世帯の5割近くが、本紙の購読経験者である▼かつて地元の学会員は、島の伝統、風習などの壁にぶつかり、つらい思いもしたという。だが、負けずに闘志を燃え上がらせた。"祈り、笑顔、真心を倍加して語ろう"と▼メンバーは島のさまざまな仕事を引き受け、「幸福パトロール隊」と称して高齢者宅への声掛けも行う。明るく誠実に地域に尽くす姿に接し、島民の大半が学会の実像を知り、良き理解者に。その信頼は今、不動のものとなった。友は語る。「苦しい時も前に進み続けたからこそ、私たちは強くなれた。島の広布が開けた」▼御書に「誰かが信仰をさまたげたら、心の中で『うれしい』と思いなさい」(新1843・全1512、趣意)と。立正安国の道に苦難は多い。その時こそ"飛躍への大チャンス"と心を奮い立たせ、果敢なる行動に打って出たい▼我らには、無限の力を引き出す師弟がある。全てをプラスに転じる哲学があり、同志がいる。乗り越えられない壁などない。恐れなく、前進また前進!
寸鉄 2022年6月26日
英雄は失敗にも勇気増し最終の勝利を得る—牧口先生。不屈こそ創価の魂
正義の大神奈川が激闘!縦横無尽に動き語ろう。全国の応援胸に勇気凜々
国連憲章の調印記念日。民衆は不戦を希求。学会は人類の議会へ支援貫く
国際麻薬乱用撲滅デー。抵抗感薄い若年層。未来奪う魔物は社会挙げ根絶
公明の後押しで携帯電話料金引き下げ—前首相。更に国民生活守る戦いを
☆いのちの賛歌 心に刻む一節 テーマ:病と向き合う
◇御文
『妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがえる義なり。』(法華経題目抄、新541・全947)
◇通解
妙とは蘇生の意味である。蘇生とは、よみがえるということである。
◇人生に勝つための信心
慢性骨髄性白血病と診断され
1989年(平成元年)2月のある朝、安達純子さん(64)=兵庫県養父市、北兵庫宝光県総合女性部長=は突然、大量の血を吐いた。緊急入院となり、輸血が必要なため血液検査したところ、結果を見た医師の顔が曇った。吐血の原因は胃潰瘍によるものだと判明したが、「慢性骨髄性白血病」であることが分かった。地区婦人部長(当時)の時のことだった。
◇
「病名を聞いた時は"なんで私が?"って。頭の中はその言葉だけでした」
安達さんは振り返る。
体に異変を感じたのは、30歳を過ぎた頃。だるさや吐き気、めまいに襲われることが増えていたが、「たいして気にしてなかったんです」。吐血したのは、そうした中でのことだった。
医師からは、発病してすでに数年はたっており、このまま急性期に至れば命に及ぶため、早期の骨髄移植を勧められた。
しかし当時、国内での骨髄移植の事例は多くなかった。移植に必要な、同じ白血球の型(HLA)を持つドナーは、数万人に1人の割合ともいわれるが、公的骨髄バンクもまだなく、たとえ移植できても完治できるか不明とも告げられた。
「話を聞けば聞くほど不安が募ってきて。悔しさと死の恐怖で、涙が止まりませんでした」
病室に駆け付けた婦人部(当時)の先輩は、そんな安達さんを抱きかかえるように励ましてくれた。
「大丈夫! 戦って出た宿業なんやし。絶対に乗り越えられる!」
確信の言葉が胸に刺さった。
1カ月ほどで退院。安達さんは夫・道一さん(67)=副支部長(地区部長兼任)=と、御本尊の前から病魔との"闘争"を開始した。「信心で勝つ以外にない。祈るほど、そう心が定まっていきました」
夫妻で強盛に題目を唱えては、仏法対話に、同志の激励に、広大な地域を走った。
90年6月、関西池田記念墓地公園の開園記念の場で、初訪問した池田先生と師弟の出会いを刻んだ。
「先生は、全て分かってくださっている。負けるわけにはいかない!」。心のエンジンが、一段とうなりを上げた。
その後、東京にいた安達さんの姉と、白血球の型が一致することが判明した。希望の光が差した。東京の国立病院で移植手術を受けることが決まった。
同年11月に入院。移植の前処置として、大量の投薬と放射線照射による治療が行われた。
「その副作用が想像以上に過酷で」と安達さん。髪の毛は全て抜け、あらゆる内臓の粘膜はただれた。絶え間のない吐き気と発熱。激しい下痢。食べ物を全く口にできなかった。
「兵庫の同志が送ってくれた励ましの手紙に、どれほど勇気をもらったか。"もう、治療をやめてしまいたい"と弱気が頭をもたげるたび、心で題目を唱えて、ねじ伏せました」
安達さんは無菌室に移り、91年3月1日、移植の日を迎えた。姉の骨髄から採取した造血幹細胞が、点滴によって安達さんの体に入っていった。
術後2週間ほどで生着が確認され、無菌室から一般病棟へ。その後もつらい症状は続いたが、祈りを重ねては歯を食いしばるように耐え抜き、同年7月、晴れて退院することができた。
実は、治療による副作用もあって、夫妻の間に子どもはいない。安達さんは「そのことで、ずいぶんと悩みましたね」と、ほほ笑む。
「苦しみの渦中で深く拝した御文は、『妙とは蘇生の義なり』の一節です。新しい生命を誕生させる代わりに、私の生命を"蘇生"させてもらえた——この御聖訓を拝す中で『蘇生の義』を実感できました。私は、広布の母として生き抜くんだと、心が強くなりました」
一時は人生を悲観した「絶望」の中から、安達さんは「希望」を見いだし、前を向いてきた。
「信心で"蘇生"したこの人生。だからこそ、広布のため、師匠と同志のために使っていきます」
骨髄移植での過酷な副作用と闘っていた安達さんは、かつて池田先生が兵庫の同志に贈った「人生/勝つために/信心のあることを/忘れまい」との言葉を、心の中で何度も反すうしたという。
「しんどい現実から思わず逃げ出したくなる時、"負けるわけにはいかない。信心で必ず乗り越えてみせる!"って、師匠や同志の顔を思い浮かべては、自身を奮い立たせました」
その上で、安達さんはこうも話す。「苦しいといえば、これほど苦しい経験はありませんでした。けれど、信心のおかげで、こんなに大きな宿業を今世で呼び起こすことができた。祈る中でそう確信できた時に、心の底から感謝が湧いてきたんです。なんて幸せな人生だろうと」
そうした境涯の変革を、安達さんは"蘇生"だと捉える。
安達さんと二人三脚で歩んできた道一さんは、どう見てきたのか。
「強い人やと思います。つらい状況でも、決して弱音を吐かない。退かない。信心一筋の人はここまで強くなれるんやと教わりました」
池田先生は語っている。
「今、ここで、生活に戦い、人生に戦い、広宣流布に戦う——その生命に幸福の旭日は赫々と昇りゆくのだ。(中略)
いかなる苦悩をもち、いかなる境遇にあろうが、その人でなければ果たせぬ尊き使命がある。それを深く自覚した時、すべては変わる。久遠の『大願』を果たすために、私たちは、今ここに生まれてきた。宿命は即、使命となり、わが勝利の逆転劇を荘厳する舞台となるのだ。
いかに現実が多事多難であろうとも、ここから離れて、幸福の大地はどこにもない」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)
信心によって境涯を開けば、いかなる試練も悠々と見下ろしていける。確信みなぎる"常勝の母"は、悩める友の"蘇生"を願って、今日も広布の舞台を駆ける。
[教学コンパス]
晴れ間がのぞいた梅雨時の空を、燃えるような夕日が染める。大自然が織り成す"天空の芸術"に、思わず心を動かされる。ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医のフランクルは、過酷な環境を生き抜いた人の共通点の一つに「夕焼けに感動したこと」を挙げている。極限状態でも美しさを感じる——本来の人間性を失わなかったことが、精神的な強さとなり、困難に打ち勝つ力となったのだ。
苦悩に満ちた現実世界を、仏教では「娑婆」という。サンスクリットの「サハー」の音写で、「堪忍」などと訳されるが、この不条理な娑婆世界にあって、忍び難き苦難に打ち勝つドラマを日々、演じているのが創価の同志である。
過酷な宿命の嵐の中で、懸命に御本尊に向かい、現実変革に果敢に挑みながらも、地涌の菩薩として民衆救済に生きるという、自らの根本の使命を決して見失わない。
そうした一人一人が使命の舞台で演じる、人間革命の鮮やかな勝利劇こそ、生命が織り成す"究極の芸術"だと、たたえたい。
2022年6月25日土曜日
2022.06.25 わが友に贈る
「かしこへおしかけ、
ここへおしよせ」御聖訓。
勝負は「勢い」で決まる。
どこまでも攻めの一念で
対話の旋風を起こそう!
(新600・全502)
可延定業書 P986
『きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』
【通解】
(四条金吾殿は)極めて負けじ魂の人で、自分の味方(信心の同志)のことを大切にする人です。
名字の言 再び開花の時を迎えた福島のハマヒルガオ 2022年6月25日
先日、福島県浜通りに住む通信員の方から一葉の写真を頂戴した。写っていたのは、浜辺に群生する淡いピンク色のハマヒルガオである▼その浜辺は東日本大震災で津波被害に遭い、ハマヒルガオも砂ごと押し流された。しかし、蘇生を願う地元の住民が植栽運動を実施。地道に取り組んだ結果、"初夏の風物詩"は再び開花の時を迎えた。それは、思いをつなぐ人々の努力が紡いだ"奇跡の風景"ともいえる。ハマヒルガオの花言葉は「絆」である▼ある女性部員には長年、仏法対話を継続してきた友人がいた。会合には参加してくれるものの、入会には至らず、半ば諦めかけていた時、女性部の先輩から声を掛けられた。「諦めとは、信心の無限の可能性を閉ざしてしまうこと。大切なのは、相手の仏性を信じ抜くこちらの一念よ」▼その後、心新たに唱題を重ねる中で友人の心境に変化が。「私の幸せを祈り続けてくれた、あなたの真心に報いたい」と、今春、16年越しの対話が実った。今、二人で仲良く広布拡大に駆ける▼池田先生はつづった。「誰もが心一つで、明るい対話の花も、楽しい友情の花も、豊かな文化の花も、生き生きと咲かせていける」。その開花の時をつくる力は、わが胸中にある。
寸鉄 2022年6月25日
青年の心を揺さぶるのは青年の叫び—戸田先生。社会変革の情熱は伝わる
兵庫が師子奮迅の猛攻。世界一の"カンサイ・スピリット"で大逆転へ!
団地部の日。信頼と友好広げる模範の友。「地域の灯台」と輝く福徳の賢者
男性の日傘利用に肯定的—8割。"メンズ商品"も続々と。熱中症対策、賢く
公明が連立にいるから教育支援を力強く推進できる—教授。政治は実現力
〈社説〉 2022・6・25 想像以上に危険な「歩きスマホ」
◇小さな油断排し無事故の日々を
今や、多くの人が手にするようになったスマートフォン(スマホ)。NTTドコモモバイル社会研究所が実施した、都道府県別の人口比率で分けた7050人への調査によると、スマホの所有比率は、2010年には4・4%だったが、22年を迎えた時点では94%に達したことが分かった。
カメラ機能や音楽プレーヤーとしての機能、インターネット接続などの利便性の向上が、急速な普及につながったといえようか。
その一方で、社会問題となっているのが、いわゆる「歩きスマホ」による事故の多発だ。
東京消防庁によると、15年から19年までの5年間で「歩きながら」「自転車に乗りながら」など、歩きスマホ等の事故によって、211人が救急搬送され、うち34人が入院の必要がある中等症以上と診断されている。事故と報告されない事例は、はるかに多いだろう。
愛知工科大の小塚一宏名誉教授の研究によると、スマホの画面を見ながら歩くと、視界が「20分の1」になるという。つまり、通常より95%の視野を失った状態である。当然、衝突や転倒といった危険に遭遇する可能性が増す。また、両手か利き手でスマホを操作していれば、転倒した際、とっさに手をつくことが難しくなる。
周りが見えていないゆえに、壁や人とぶつかる、階段や駅のホームから転落・落下する、赤信号に気付かずに車と接触する等々の命に関わる事例がある。さらに周囲の人を巻き込んでしまう事故もあり、中には多額の損害賠償責任や刑事責任を課せられたケースも。事態を憂慮し、公共の場所での歩きスマホを規制する条例を定めた地方自治体もある。
私たちは、まず自分の意識から「このくらいは平気だろう」という小さな油断を排したい。それが大きな事故を防ぐことにつながる。池田先生は教えている。「小さなミスや小さな手抜きが、魔のつけ込む隙を与え、取り返しのつかない大事故を生むのだ。ゆえに、小事が大事なのである」と。
外に出たときには、スマホで地図を確認したり、SNSで誰かと連絡を取り合ったりすることもあるだろう。自分も周りも守っていくために「歩きスマホは厳禁」、「スマホを使用するときは立ち止まって安全な場所で」と徹底し、無事故の日々を送っていきたい。
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:海洋環境を守る
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇充足を得る生き方に転換を
ホープ 今月27日から、ポルトガルのリスボンで「国連海洋会議」が行われるよ。今、国際問題となっている海洋汚染や乱獲など、海洋環境をどう守るか議論される予定なんだ。
ミライ SDGs(持続可能な開発目標)では、目標14「海の豊かさを守ろう」を掲げているね。
ホープ 私たちにとって、海は食料を提供しているだけでなく、新たな薬品資源を見つける場所としても注目されているんだ。
海は、多種多様な生物の宝庫でもあるよね。ところが、世界の海に流れ込むごみの量が増え続けて、自然環境と経済に大きな影響を及ぼしている。
ミライ 海の汚染はどれくらい進んでいるの?
ホープ 例えば、海に流出しているプラスチックごみは、毎年800万トンに及ぶといわれ、これはジャンボジェット機5万機分の重さに相当するんだ。海洋汚染の対策を強化しないと、2050年には海中のプラごみの重量が、海の魚の総量を超えてしまうかもしれないんだよ。
ミライ 海鳥やウミガメが、5ミリ以下の「マイクロプラスチック」を誤って飲み込んでしまい、弱っている映像を見たことがある。
マイクロプラスチックは化学物質を吸着しやすいから、有害な物質を媒介して、海の生き物や生態系に悪影響を与えかねないようだね。私たち人間への影響も心配だよ。
ホープ プラスチックは軽くて丈夫で、加工もしやすいから、幅広く活用される優れた素材だよね。医療をはじめ、私たちの生活の質を大きく向上させている。
けれども、不法投棄やポイ捨てによって正しく処理されないことで、自然界に残り続けてしまい、事態が深刻化しているんだ。
こうした状況を踏まえて、本年3月、国連環境総会でプラごみの海洋汚染などについて、国際協定を作る決議が採択されたんだよ。これまで、海や河川への流出を規制する国際条約がなかっただけに、これからの推移に注目したいね。
◇本当の豊かさ
ミライ 海洋汚染の実態に直面すると、私たち人間が、「快適さ」「便利さ」「利益」を優先するあまり、環境保全を蔑ろにしてきたことを、深く考えさせられるね。
ホープ そうだね。自然への影響を無視して資源を浪費し続けていては、地球環境や私たちの暮らしの持続可能性が危ぶまれる一方だ。
大量生産・大量消費では、本当の豊かさが得られないことは明らかだよね。
だから、人間が本来もつ「欲望」をどう制するかが焦点なんだよ。
釈尊は、人間の欲望が際限ないことを「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない」と表現しているよ。(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)
さらに仏教では、欲望が肥大することで、自他の生命を傷つけ、破壊させる状態を「貪欲」と呼ぶんだ。
ミライ 貪欲に支配されないために、仏法の智慧に学んでいきたいね。
◇少欲知足
ホープ 法華経にも「少欲知足」と説かれているよ。欲望の肥大化をコントロールすること(少欲)で、得られたもので満足する生き方(知足)を教えているんだ。
対して、富や財に恵まれているようであっても、欲望に支配されてしまえば、人間として「不知足」であり、本質的には貧しいと考えるんだ。
ミライ 苦しみながら嫌々、節制したり、人から強制されたりしても、充足は得られないし、長続きしない。誰もやりたがらないよね。
「少欲知足」は、幸福を感じつつも、節度ある"ちょうどいい"生き方を教えているんだね。多くの人に共感を広げ、行動に変化をもたらすメッセージが込められているね。
ホープ 日蓮大聖人は、「(唱題する時)煩悩という薪を焼いて、菩提(悟り)という智慧の火が現れるのである」(新987・全710、通解)と仰せだよ。
池田先生は、この御文を拝して、欲望をコントロールしながら、より大きな目的のために転じていく生き方を、「欲望そのものを『滅する』ことを目指すのではなく、欲望の源にある"自分を取り巻く状況を何とかしたい"という生命のエネルギーを、自己の利益のためだけでなく、『自他共の幸福』に資する方向へと向け、『質的転換』を図ること」と示されているよ。(『地球革命への挑戦』潮出版社)
ミライ どこまでも人間の可能性に光を当てる、仏法の法理に希望を感じるよ。
実際、海洋汚染に立ち向かおうと、自然界で分解される植物由来のプラスチックの開発が進むなど、新たな兆しも出てきているよね。
ホープ 自他共の幸福を目指す仏法者として、一人一人が希望を持ち続け、自然環境に貢献的なライフスタイルを確立し、海洋汚染の改善に向けて行動を変えていこうね。
◇御文
『煩悩の薪を焼いて、菩提の慧火現前するなり。』(御義口伝、新987・全710)
◇メモ
爾前経では、煩悩を不幸の原因と捉え、煩悩を断じ尽くすことを説いてきました。しかし、煩悩、欲望を離れて人間はありません。大切なのは、その欲望にとらわれることなく、むしろ成長と幸福のバネにする信心です。
"どうすれば良い社会になるのか"といった悩みも煩悩の一種。信心を根本に、煩悩を薪のように燃やしていけば、智慧が湧き出て、必ず前進への原動力に転じることができるのです。
[コラム:"いま"を知る]人道的競争の時代
学生が就職先を選ぶ上で、興味深い結果がある。2024年に、卒業を控える大学生・大学院生のうち、「企業がSDGs(持続可能な開発目標)に取り組んでいることを知ると、志望度が上がる」と回答した学生は7割弱に及んだ(あさがくナビ調べ)。一方で、企業のSDGsへの取り組みを、"一時のブームに乗っているだけではないか?"と見る学生の目は真剣だ。
初代会長・牧口常三郎先生は大著『人生地理学』で、人類の発展を、軍事的・政治的・経済的競争を経て、「人道的競争」の時代へ移ると予見された。現代の諸課題を見渡せば、他者や自然環境の犠牲の上に、人類の幸福と繁栄が得られないことは明白である。
同著発刊から100年以上たった今、SDGsが普及し、誰も取り残さない社会をつくろうと、多様な取り組みが広がっている。「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」との、人道的競争の理念を実践する日々でありたい。
ここへおしよせ」御聖訓。
勝負は「勢い」で決まる。
どこまでも攻めの一念で
対話の旋風を起こそう!
(新600・全502)
可延定業書 P986
『きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて我がかたの事をば大事と申す人なり』
【通解】
(四条金吾殿は)極めて負けじ魂の人で、自分の味方(信心の同志)のことを大切にする人です。
名字の言 再び開花の時を迎えた福島のハマヒルガオ 2022年6月25日
先日、福島県浜通りに住む通信員の方から一葉の写真を頂戴した。写っていたのは、浜辺に群生する淡いピンク色のハマヒルガオである▼その浜辺は東日本大震災で津波被害に遭い、ハマヒルガオも砂ごと押し流された。しかし、蘇生を願う地元の住民が植栽運動を実施。地道に取り組んだ結果、"初夏の風物詩"は再び開花の時を迎えた。それは、思いをつなぐ人々の努力が紡いだ"奇跡の風景"ともいえる。ハマヒルガオの花言葉は「絆」である▼ある女性部員には長年、仏法対話を継続してきた友人がいた。会合には参加してくれるものの、入会には至らず、半ば諦めかけていた時、女性部の先輩から声を掛けられた。「諦めとは、信心の無限の可能性を閉ざしてしまうこと。大切なのは、相手の仏性を信じ抜くこちらの一念よ」▼その後、心新たに唱題を重ねる中で友人の心境に変化が。「私の幸せを祈り続けてくれた、あなたの真心に報いたい」と、今春、16年越しの対話が実った。今、二人で仲良く広布拡大に駆ける▼池田先生はつづった。「誰もが心一つで、明るい対話の花も、楽しい友情の花も、豊かな文化の花も、生き生きと咲かせていける」。その開花の時をつくる力は、わが胸中にある。
寸鉄 2022年6月25日
青年の心を揺さぶるのは青年の叫び—戸田先生。社会変革の情熱は伝わる
兵庫が師子奮迅の猛攻。世界一の"カンサイ・スピリット"で大逆転へ!
団地部の日。信頼と友好広げる模範の友。「地域の灯台」と輝く福徳の賢者
男性の日傘利用に肯定的—8割。"メンズ商品"も続々と。熱中症対策、賢く
公明が連立にいるから教育支援を力強く推進できる—教授。政治は実現力
〈社説〉 2022・6・25 想像以上に危険な「歩きスマホ」
◇小さな油断排し無事故の日々を
今や、多くの人が手にするようになったスマートフォン(スマホ)。NTTドコモモバイル社会研究所が実施した、都道府県別の人口比率で分けた7050人への調査によると、スマホの所有比率は、2010年には4・4%だったが、22年を迎えた時点では94%に達したことが分かった。
カメラ機能や音楽プレーヤーとしての機能、インターネット接続などの利便性の向上が、急速な普及につながったといえようか。
その一方で、社会問題となっているのが、いわゆる「歩きスマホ」による事故の多発だ。
東京消防庁によると、15年から19年までの5年間で「歩きながら」「自転車に乗りながら」など、歩きスマホ等の事故によって、211人が救急搬送され、うち34人が入院の必要がある中等症以上と診断されている。事故と報告されない事例は、はるかに多いだろう。
愛知工科大の小塚一宏名誉教授の研究によると、スマホの画面を見ながら歩くと、視界が「20分の1」になるという。つまり、通常より95%の視野を失った状態である。当然、衝突や転倒といった危険に遭遇する可能性が増す。また、両手か利き手でスマホを操作していれば、転倒した際、とっさに手をつくことが難しくなる。
周りが見えていないゆえに、壁や人とぶつかる、階段や駅のホームから転落・落下する、赤信号に気付かずに車と接触する等々の命に関わる事例がある。さらに周囲の人を巻き込んでしまう事故もあり、中には多額の損害賠償責任や刑事責任を課せられたケースも。事態を憂慮し、公共の場所での歩きスマホを規制する条例を定めた地方自治体もある。
私たちは、まず自分の意識から「このくらいは平気だろう」という小さな油断を排したい。それが大きな事故を防ぐことにつながる。池田先生は教えている。「小さなミスや小さな手抜きが、魔のつけ込む隙を与え、取り返しのつかない大事故を生むのだ。ゆえに、小事が大事なのである」と。
外に出たときには、スマホで地図を確認したり、SNSで誰かと連絡を取り合ったりすることもあるだろう。自分も周りも守っていくために「歩きスマホは厳禁」、「スマホを使用するときは立ち止まって安全な場所で」と徹底し、無事故の日々を送っていきたい。
☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:海洋環境を守る
登場人物
【娘・ミライさん】好奇心旺盛な女性部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【父・ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。
◇充足を得る生き方に転換を
ホープ 今月27日から、ポルトガルのリスボンで「国連海洋会議」が行われるよ。今、国際問題となっている海洋汚染や乱獲など、海洋環境をどう守るか議論される予定なんだ。
ミライ SDGs(持続可能な開発目標)では、目標14「海の豊かさを守ろう」を掲げているね。
ホープ 私たちにとって、海は食料を提供しているだけでなく、新たな薬品資源を見つける場所としても注目されているんだ。
海は、多種多様な生物の宝庫でもあるよね。ところが、世界の海に流れ込むごみの量が増え続けて、自然環境と経済に大きな影響を及ぼしている。
ミライ 海の汚染はどれくらい進んでいるの?
ホープ 例えば、海に流出しているプラスチックごみは、毎年800万トンに及ぶといわれ、これはジャンボジェット機5万機分の重さに相当するんだ。海洋汚染の対策を強化しないと、2050年には海中のプラごみの重量が、海の魚の総量を超えてしまうかもしれないんだよ。
ミライ 海鳥やウミガメが、5ミリ以下の「マイクロプラスチック」を誤って飲み込んでしまい、弱っている映像を見たことがある。
マイクロプラスチックは化学物質を吸着しやすいから、有害な物質を媒介して、海の生き物や生態系に悪影響を与えかねないようだね。私たち人間への影響も心配だよ。
ホープ プラスチックは軽くて丈夫で、加工もしやすいから、幅広く活用される優れた素材だよね。医療をはじめ、私たちの生活の質を大きく向上させている。
けれども、不法投棄やポイ捨てによって正しく処理されないことで、自然界に残り続けてしまい、事態が深刻化しているんだ。
こうした状況を踏まえて、本年3月、国連環境総会でプラごみの海洋汚染などについて、国際協定を作る決議が採択されたんだよ。これまで、海や河川への流出を規制する国際条約がなかっただけに、これからの推移に注目したいね。
◇本当の豊かさ
ミライ 海洋汚染の実態に直面すると、私たち人間が、「快適さ」「便利さ」「利益」を優先するあまり、環境保全を蔑ろにしてきたことを、深く考えさせられるね。
ホープ そうだね。自然への影響を無視して資源を浪費し続けていては、地球環境や私たちの暮らしの持続可能性が危ぶまれる一方だ。
大量生産・大量消費では、本当の豊かさが得られないことは明らかだよね。
だから、人間が本来もつ「欲望」をどう制するかが焦点なんだよ。
釈尊は、人間の欲望が際限ないことを「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない」と表現しているよ。(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)
さらに仏教では、欲望が肥大することで、自他の生命を傷つけ、破壊させる状態を「貪欲」と呼ぶんだ。
ミライ 貪欲に支配されないために、仏法の智慧に学んでいきたいね。
◇少欲知足
ホープ 法華経にも「少欲知足」と説かれているよ。欲望の肥大化をコントロールすること(少欲)で、得られたもので満足する生き方(知足)を教えているんだ。
対して、富や財に恵まれているようであっても、欲望に支配されてしまえば、人間として「不知足」であり、本質的には貧しいと考えるんだ。
ミライ 苦しみながら嫌々、節制したり、人から強制されたりしても、充足は得られないし、長続きしない。誰もやりたがらないよね。
「少欲知足」は、幸福を感じつつも、節度ある"ちょうどいい"生き方を教えているんだね。多くの人に共感を広げ、行動に変化をもたらすメッセージが込められているね。
ホープ 日蓮大聖人は、「(唱題する時)煩悩という薪を焼いて、菩提(悟り)という智慧の火が現れるのである」(新987・全710、通解)と仰せだよ。
池田先生は、この御文を拝して、欲望をコントロールしながら、より大きな目的のために転じていく生き方を、「欲望そのものを『滅する』ことを目指すのではなく、欲望の源にある"自分を取り巻く状況を何とかしたい"という生命のエネルギーを、自己の利益のためだけでなく、『自他共の幸福』に資する方向へと向け、『質的転換』を図ること」と示されているよ。(『地球革命への挑戦』潮出版社)
ミライ どこまでも人間の可能性に光を当てる、仏法の法理に希望を感じるよ。
実際、海洋汚染に立ち向かおうと、自然界で分解される植物由来のプラスチックの開発が進むなど、新たな兆しも出てきているよね。
ホープ 自他共の幸福を目指す仏法者として、一人一人が希望を持ち続け、自然環境に貢献的なライフスタイルを確立し、海洋汚染の改善に向けて行動を変えていこうね。
◇御文
『煩悩の薪を焼いて、菩提の慧火現前するなり。』(御義口伝、新987・全710)
◇メモ
爾前経では、煩悩を不幸の原因と捉え、煩悩を断じ尽くすことを説いてきました。しかし、煩悩、欲望を離れて人間はありません。大切なのは、その欲望にとらわれることなく、むしろ成長と幸福のバネにする信心です。
"どうすれば良い社会になるのか"といった悩みも煩悩の一種。信心を根本に、煩悩を薪のように燃やしていけば、智慧が湧き出て、必ず前進への原動力に転じることができるのです。
[コラム:"いま"を知る]人道的競争の時代
学生が就職先を選ぶ上で、興味深い結果がある。2024年に、卒業を控える大学生・大学院生のうち、「企業がSDGs(持続可能な開発目標)に取り組んでいることを知ると、志望度が上がる」と回答した学生は7割弱に及んだ(あさがくナビ調べ)。一方で、企業のSDGsへの取り組みを、"一時のブームに乗っているだけではないか?"と見る学生の目は真剣だ。
初代会長・牧口常三郎先生は大著『人生地理学』で、人類の発展を、軍事的・政治的・経済的競争を経て、「人道的競争」の時代へ移ると予見された。現代の諸課題を見渡せば、他者や自然環境の犠牲の上に、人類の幸福と繁栄が得られないことは明白である。
同著発刊から100年以上たった今、SDGsが普及し、誰も取り残さない社会をつくろうと、多様な取り組みが広がっている。「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」との、人道的競争の理念を実践する日々でありたい。
2022年6月24日金曜日
2022.06.24 わが友に贈る
多宝の友の奮闘ありて
広布の大道は盤石。
百戦錬磨の経験と行動が
後継の同志を鼓舞する!
幸福の凱歌を高らかに!
十字御書 P1491
『地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば或は地の下と申す経文もあり或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候』
【通解】
地獄と仏とは、どこに存在するのかと探究したとき、あるいは地の下にあるという経文もあり、あるいは西方等にあるという経もあります。しかしながら、詳細に探究してみると、私達の五尺の身の内にあると説かれています。
名字の言 女性部員の「常勝の信心」 2022年6月24日
ある女性部員と語らい、話題は入会動機に。60年前、結婚した先は貧しかった。ある日、近所の学会員から「『冬は必ず春となる』(新1696・全1253)を実感できる信仰です」と聞き、入会したという▼「確かにその通りでした。ただ、夏と秋が過ぎれば、また冬が来るように苦難は続きまして……」と女性は苦笑し、しみじみと言葉を継いだ。「でも、そのたびに信心で乗り越え、何度も春をわが家に呼び込みましたよ」▼別の女性部員は、長女を出産した喜びもつかの間、その娘が大病を患っていると告げられた。それでも"信心で勝つ!"と唱題を重ねる中、幼い娘は過酷な手術や治療にも耐え、成長していった▼しかし、続いて次女、三女にも長女と同じ病が見つかった。"これでもか"と襲い掛かる試練に、女性部員は「常勝の信心」をより強く燃やし、立ち向かった。同志も一家を励まし続けた。娘二人の手術は成功。現在、子どもたちは皆、元気に日常生活を送っている▼難のない仏道修行など、あり得ない。一時は敗れたように見える事態が人生にはあっても、この信仰は「常勝の信心」である。「常勝」とは、途中のいかなる試練の冬も、"必ず"春に転じ、勝って咲くことである。
寸鉄 2022年6月24日
猛者の進んで大陣を破る—御書。いざ決戦の時。正義の壮年・男子よ頼む(新780・全123)
日本の要・愛知が対話の旋風!堅塁中部の団結で勝ち上がれ。皆がエール
福岡が激走!ここが正念場に。先駆の中の先駆の真骨頂を発揮し栄光掴め
埼玉が大攻勢。一人立つ勇者の連帯は無敵。果敢に攻め抜き堂々凱旋を!
燃料価格抑制など公明の提言が政府の対策に反映 暮らし守る政治を貫け!
〈社説〉 あすは「団地部の日」
◇地域との絆結ぶ先駆の行動
今、団地が注目を浴びている。
企業と都市再生機構(UR)がリノベーション(大規模改修)を手掛けた団地や、近隣の大学と協力してのコミュニティーづくりなどが話題を呼び、若者世代からも人気の団地が出ているという。
こうした明るい話題の一方、旧来の団地には課題も多い。その一つが居住者の高齢化である。
団地建設が盛んになったのは、1950年代後半。木造の家屋が大多数の時代にあって、コンクリートの外壁にステンレス製の流し台などを備えた団地は"暮らしの最先端"とされた。だが、半世紀以上が経過した今、単身高齢者も増え、孤独死などの問題を抱える。
こういった課題は団地に限らず、ゆくゆくは日本社会全体が抱えることになる。団地に暮らす人々は、"課題の最先端"を生きているといっても過言ではない。
その中で、存在感を増すのが団地部の友だ。担い手不足が深刻な自治会活動をはじめ、高齢者の見守りなど、多くの同志が近隣住民と手を取り合い、率先して地域のために献身の汗を流す。
多くの外国人が住むある団地では、ルール違反のゴミ出しや深夜の騒音が問題となり、周囲の日本人居住者は冷ややかな目で見ていたという。しかし、団地部の友は積極的に声を掛け、ゴミ捨てなどのルールを教える。その理由について「もし自分が同じ立場だったら、文化の違いに戸惑うこともあるでしょうし、周囲に知り合いがいなかったら孤独にも感じるでしょう。そう思うと、力になってあげたいんですよ」と語っていた。
無縁社会といわれる現代。そうした友の奮闘に「団地部の方々の団結があれば、団地が直面するさまざまな課題に立ち向かっていける」と期待を寄せる識者もいる。
1978年(昭和53年)6月25日、池田先生は団地部の第1回全国大会に出席し、訴えた。「社会は連帯である。その連帯の先端で結び合い、協調し合っていかねばならない団地部の皆さんこそ、革新の次元で活躍されている方々である」「社会の前駆を行く誇りを忘れないでいただきたい」
あす25日は、この事を淵源とする「団地部の日」。師との原点を胸に最先端の課題に立ち向かう団地で、目の前の一人と友情を結び、地域の絆を強める友の先駆の行動は、これからの社会を生き抜く上での大切な視点を教えている。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第13回 普賢の英知
◇御義口伝
『御義口伝に云わく、「勧発」とは、「勧」は化他、「発」は自行なり。「普」とは、諸法実相、迹門の不変真如の理なり。「賢」とは、智慧の義なり、本門の随縁真如の智なり。しかるあいだ、経末に来って本迹二門を恋法したまえり。詮ずるところ、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、普賢菩薩の守護なり云々。』(新1084・全780)
◇勇気の指標
「勧発」とは、自分自身が信心を「発し」、その歓喜の生命で、他の人に「勧める」ことです。まさに、生命と生命の触発です。「普賢」とは、「普く」理論を究め、「賢く」智慧を発揮することです。人々に、安心と希望、確信と勇気を送る智慧です。
◆◇◆
歓喜踊躍の生命によってこそ、相手自身の仏性を目覚めさせ、涌現させることができるのです。相手のことを真剣に思う慈悲の一念から、無量の智慧が湧いてくるのです。
そして、誠心誠意の励ましです。広宣流布は、身近な一人一人への励ましの一歩から開かれていくのです。
◆◇◆
健気に戦う庶民を仏の如く敬い、抱きかかえていく。徹頭徹尾、この精神から離れない智勇の後継者が、わが誉れの学生部なのです。
◆◇◆
学生部は徹底して御書を学び、人間主義の仏法を探究し抜くとともに、真摯に学問に挑戦し、謙虚に古今東西の知の体系を吸収してほしい。心広々と、壮大にして深遠な仏法の大海と、一流の思想・哲学の水脈を結び、どこまでも民衆を守り切る普賢の力の輝きを放っていくことです。
それが世界宗教です。皆の鍛錬と成長が、「新しき世紀」を創るのです。
◇"民衆の時代"を勝ち開く 田島大樹 学生部長
法華経の最終章「普賢菩薩勧発品第28」に登場する「普賢菩薩」。
釈尊が妙法を説いていることを知り、説法の終わりかけた頃に、無数の人々を率いて駆け付け、法華経の行者を守護することを誓ったと説かれています。
池田先生は、このことに触れて、「学生部も、戸田先生の総仕上げの時に結成された部です。いよいよ、『民衆の時代』を開く重大な使命を託すために呼び出された"創価の普賢菩薩"といってよいでしょう」と期待を寄せてくださいました。
1957年(昭和32年)6月30日に学生部が結成されて本年で65周年。意義深い本年を勝ち飾ろうと、全国の学生部員は学問と広布の闘争に全力で挑んでいます。
「御義口伝」を拝し、学生部に託された使命を今一度、胸に刻んでいきましょう。
◇相手を思う一念から
「どこまでも、民衆と共に生き、民衆を守り抜き、民衆のために戦い切る、妙法の指導者に成長すること」——先生は学生部の使命について、このようにつづってくださっています。
長引くコロナ禍、ウクライナ危機、悪化する経済……分断や孤立が叫ばれ、先の見えない激動の社会で、多くの人が苦しんでいることを思うと激しく胸が痛みます。
生命尊厳の哲理を掲げる学生部こそが、必ずや力をつけて、誰一人置き去りにすることなく幸せを享受できる「民衆の時代」を勝ち開くのだと決意しています。
「デジタルネーティブ」と呼ばれる今の学生世代は、年長の世代にはないSNSを中心とした世界観を持っています。ネット空間では、物理的距離を超えて容易に他者と"つながり"を結べる一方で、その絆は希薄になりがちです。
池田先生は私たちがなすべき実践の根本について、御文に即して教えてくださっています。
「自分自身がまず御本尊に真剣に、強盛に祈り抜くことです。そこから、歓喜と充実で躍動し、自身の生命空間が必ず広がります」
「歓喜踊躍の生命によってこそ、相手自身の仏性を目覚めさせ、涌現させることができるのです。相手のことを真剣に思う慈悲の一念から、無量の智慧が湧いてくるのです」
題目根本に生命力をたたえ、友の幸せを祈り、勇気の対話に打って出ていく。その中で心通う深い"つながり"も築かれていくと確信します。
私自身も学生時代、勉学に挑みつつ、キャンパスの友人や教授に師匠の哲学を伝えようと、「SGIの日」記念提言や対談集を紹介して対話を重ねました。素っ気ない反応をされたこともありましたが、同志と共に祈ると、師と共に戦う歓喜がみなぎりました。徐々に、民衆の幸福のために身を粉にして行動されてきた先生の思想と生き方に共鳴し、行動を共にしてくれる友人も出てきました。結果として大学時代に3人の友を入会に導くことができ、学業では、五つの教員免許を取得。自身の師弟共戦の原点になっています。
◇人間尊敬の知性
「広宣流布を求めてやまない大情熱にこそ、人類の境涯を高め、豊かにする普遍の知性が現れるのです。誓願を掲げ、民衆を苦しめる悪とは断固、戦うからこそ、正義の知性が光るのです。眼前の一人の仏性を、絶対に確信するからこそ、人間尊敬の知性となるのです」
この先生の講義の通り、広布へのあふれる"熱量"をもって正義の陣列を拡大していきたいと思います。
ある友は先輩の励ましに奮起し、ツイッターを駆使して40人もの新しい友人を拡大。その後、実際に会い、友好を深めることができました。またある友はアカデミックハラスメントや、幼い頃からの持病に負けず、信念の対話に挑戦。弘教を実らせる中で病の寛解を勝ち取ることができました。
戸田先生が最後に結成され、池田先生が不惜身命で育んでくださった"普賢の英知"の連帯は今、大きく広がっています。
小説『新・人間革命』第2巻「先駆」の章で、山本伸一が学生部員に呼び掛けます。
「今、皆さんが成すべきことは、大情熱をたぎらせ、人の何倍も勉強し、信仰の実践に取り組むことです」
今こそ学生部が、新たな広宣流布を開きゆく使命を胸に、新しい発想と新しい挑戦で、正義を叫び切り、"民衆の時代"を勝ち開きます。
◇メモ
「御義口伝」は、日蓮大聖人が、身延で法華経の要文を講義され、それを日興上人が筆録したものと伝えられている。御文で大聖人は、普賢菩薩勧発品の「勧発」と「普賢」について、「勧」を化他行、「発」を自行に、「普」を「不変真如の理」、「賢」を「随縁真如の智」に配されている。
広布の大道は盤石。
百戦錬磨の経験と行動が
後継の同志を鼓舞する!
幸福の凱歌を高らかに!
十字御書 P1491
『地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば或は地の下と申す経文もあり或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候』
【通解】
地獄と仏とは、どこに存在するのかと探究したとき、あるいは地の下にあるという経文もあり、あるいは西方等にあるという経もあります。しかしながら、詳細に探究してみると、私達の五尺の身の内にあると説かれています。
名字の言 女性部員の「常勝の信心」 2022年6月24日
ある女性部員と語らい、話題は入会動機に。60年前、結婚した先は貧しかった。ある日、近所の学会員から「『冬は必ず春となる』(新1696・全1253)を実感できる信仰です」と聞き、入会したという▼「確かにその通りでした。ただ、夏と秋が過ぎれば、また冬が来るように苦難は続きまして……」と女性は苦笑し、しみじみと言葉を継いだ。「でも、そのたびに信心で乗り越え、何度も春をわが家に呼び込みましたよ」▼別の女性部員は、長女を出産した喜びもつかの間、その娘が大病を患っていると告げられた。それでも"信心で勝つ!"と唱題を重ねる中、幼い娘は過酷な手術や治療にも耐え、成長していった▼しかし、続いて次女、三女にも長女と同じ病が見つかった。"これでもか"と襲い掛かる試練に、女性部員は「常勝の信心」をより強く燃やし、立ち向かった。同志も一家を励まし続けた。娘二人の手術は成功。現在、子どもたちは皆、元気に日常生活を送っている▼難のない仏道修行など、あり得ない。一時は敗れたように見える事態が人生にはあっても、この信仰は「常勝の信心」である。「常勝」とは、途中のいかなる試練の冬も、"必ず"春に転じ、勝って咲くことである。
寸鉄 2022年6月24日
猛者の進んで大陣を破る—御書。いざ決戦の時。正義の壮年・男子よ頼む(新780・全123)
日本の要・愛知が対話の旋風!堅塁中部の団結で勝ち上がれ。皆がエール
福岡が激走!ここが正念場に。先駆の中の先駆の真骨頂を発揮し栄光掴め
埼玉が大攻勢。一人立つ勇者の連帯は無敵。果敢に攻め抜き堂々凱旋を!
燃料価格抑制など公明の提言が政府の対策に反映 暮らし守る政治を貫け!
〈社説〉 あすは「団地部の日」
◇地域との絆結ぶ先駆の行動
今、団地が注目を浴びている。
企業と都市再生機構(UR)がリノベーション(大規模改修)を手掛けた団地や、近隣の大学と協力してのコミュニティーづくりなどが話題を呼び、若者世代からも人気の団地が出ているという。
こうした明るい話題の一方、旧来の団地には課題も多い。その一つが居住者の高齢化である。
団地建設が盛んになったのは、1950年代後半。木造の家屋が大多数の時代にあって、コンクリートの外壁にステンレス製の流し台などを備えた団地は"暮らしの最先端"とされた。だが、半世紀以上が経過した今、単身高齢者も増え、孤独死などの問題を抱える。
こういった課題は団地に限らず、ゆくゆくは日本社会全体が抱えることになる。団地に暮らす人々は、"課題の最先端"を生きているといっても過言ではない。
その中で、存在感を増すのが団地部の友だ。担い手不足が深刻な自治会活動をはじめ、高齢者の見守りなど、多くの同志が近隣住民と手を取り合い、率先して地域のために献身の汗を流す。
多くの外国人が住むある団地では、ルール違反のゴミ出しや深夜の騒音が問題となり、周囲の日本人居住者は冷ややかな目で見ていたという。しかし、団地部の友は積極的に声を掛け、ゴミ捨てなどのルールを教える。その理由について「もし自分が同じ立場だったら、文化の違いに戸惑うこともあるでしょうし、周囲に知り合いがいなかったら孤独にも感じるでしょう。そう思うと、力になってあげたいんですよ」と語っていた。
無縁社会といわれる現代。そうした友の奮闘に「団地部の方々の団結があれば、団地が直面するさまざまな課題に立ち向かっていける」と期待を寄せる識者もいる。
1978年(昭和53年)6月25日、池田先生は団地部の第1回全国大会に出席し、訴えた。「社会は連帯である。その連帯の先端で結び合い、協調し合っていかねばならない団地部の皆さんこそ、革新の次元で活躍されている方々である」「社会の前駆を行く誇りを忘れないでいただきたい」
あす25日は、この事を淵源とする「団地部の日」。師との原点を胸に最先端の課題に立ち向かう団地で、目の前の一人と友情を結び、地域の絆を強める友の先駆の行動は、これからの社会を生き抜く上での大切な視点を教えている。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第13回 普賢の英知
◇御義口伝
『御義口伝に云わく、「勧発」とは、「勧」は化他、「発」は自行なり。「普」とは、諸法実相、迹門の不変真如の理なり。「賢」とは、智慧の義なり、本門の随縁真如の智なり。しかるあいだ、経末に来って本迹二門を恋法したまえり。詮ずるところ、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、普賢菩薩の守護なり云々。』(新1084・全780)
◇勇気の指標
「勧発」とは、自分自身が信心を「発し」、その歓喜の生命で、他の人に「勧める」ことです。まさに、生命と生命の触発です。「普賢」とは、「普く」理論を究め、「賢く」智慧を発揮することです。人々に、安心と希望、確信と勇気を送る智慧です。
◆◇◆
歓喜踊躍の生命によってこそ、相手自身の仏性を目覚めさせ、涌現させることができるのです。相手のことを真剣に思う慈悲の一念から、無量の智慧が湧いてくるのです。
そして、誠心誠意の励ましです。広宣流布は、身近な一人一人への励ましの一歩から開かれていくのです。
◆◇◆
健気に戦う庶民を仏の如く敬い、抱きかかえていく。徹頭徹尾、この精神から離れない智勇の後継者が、わが誉れの学生部なのです。
◆◇◆
学生部は徹底して御書を学び、人間主義の仏法を探究し抜くとともに、真摯に学問に挑戦し、謙虚に古今東西の知の体系を吸収してほしい。心広々と、壮大にして深遠な仏法の大海と、一流の思想・哲学の水脈を結び、どこまでも民衆を守り切る普賢の力の輝きを放っていくことです。
それが世界宗教です。皆の鍛錬と成長が、「新しき世紀」を創るのです。
◇"民衆の時代"を勝ち開く 田島大樹 学生部長
法華経の最終章「普賢菩薩勧発品第28」に登場する「普賢菩薩」。
釈尊が妙法を説いていることを知り、説法の終わりかけた頃に、無数の人々を率いて駆け付け、法華経の行者を守護することを誓ったと説かれています。
池田先生は、このことに触れて、「学生部も、戸田先生の総仕上げの時に結成された部です。いよいよ、『民衆の時代』を開く重大な使命を託すために呼び出された"創価の普賢菩薩"といってよいでしょう」と期待を寄せてくださいました。
1957年(昭和32年)6月30日に学生部が結成されて本年で65周年。意義深い本年を勝ち飾ろうと、全国の学生部員は学問と広布の闘争に全力で挑んでいます。
「御義口伝」を拝し、学生部に託された使命を今一度、胸に刻んでいきましょう。
◇相手を思う一念から
「どこまでも、民衆と共に生き、民衆を守り抜き、民衆のために戦い切る、妙法の指導者に成長すること」——先生は学生部の使命について、このようにつづってくださっています。
長引くコロナ禍、ウクライナ危機、悪化する経済……分断や孤立が叫ばれ、先の見えない激動の社会で、多くの人が苦しんでいることを思うと激しく胸が痛みます。
生命尊厳の哲理を掲げる学生部こそが、必ずや力をつけて、誰一人置き去りにすることなく幸せを享受できる「民衆の時代」を勝ち開くのだと決意しています。
「デジタルネーティブ」と呼ばれる今の学生世代は、年長の世代にはないSNSを中心とした世界観を持っています。ネット空間では、物理的距離を超えて容易に他者と"つながり"を結べる一方で、その絆は希薄になりがちです。
池田先生は私たちがなすべき実践の根本について、御文に即して教えてくださっています。
「自分自身がまず御本尊に真剣に、強盛に祈り抜くことです。そこから、歓喜と充実で躍動し、自身の生命空間が必ず広がります」
「歓喜踊躍の生命によってこそ、相手自身の仏性を目覚めさせ、涌現させることができるのです。相手のことを真剣に思う慈悲の一念から、無量の智慧が湧いてくるのです」
題目根本に生命力をたたえ、友の幸せを祈り、勇気の対話に打って出ていく。その中で心通う深い"つながり"も築かれていくと確信します。
私自身も学生時代、勉学に挑みつつ、キャンパスの友人や教授に師匠の哲学を伝えようと、「SGIの日」記念提言や対談集を紹介して対話を重ねました。素っ気ない反応をされたこともありましたが、同志と共に祈ると、師と共に戦う歓喜がみなぎりました。徐々に、民衆の幸福のために身を粉にして行動されてきた先生の思想と生き方に共鳴し、行動を共にしてくれる友人も出てきました。結果として大学時代に3人の友を入会に導くことができ、学業では、五つの教員免許を取得。自身の師弟共戦の原点になっています。
◇人間尊敬の知性
「広宣流布を求めてやまない大情熱にこそ、人類の境涯を高め、豊かにする普遍の知性が現れるのです。誓願を掲げ、民衆を苦しめる悪とは断固、戦うからこそ、正義の知性が光るのです。眼前の一人の仏性を、絶対に確信するからこそ、人間尊敬の知性となるのです」
この先生の講義の通り、広布へのあふれる"熱量"をもって正義の陣列を拡大していきたいと思います。
ある友は先輩の励ましに奮起し、ツイッターを駆使して40人もの新しい友人を拡大。その後、実際に会い、友好を深めることができました。またある友はアカデミックハラスメントや、幼い頃からの持病に負けず、信念の対話に挑戦。弘教を実らせる中で病の寛解を勝ち取ることができました。
戸田先生が最後に結成され、池田先生が不惜身命で育んでくださった"普賢の英知"の連帯は今、大きく広がっています。
小説『新・人間革命』第2巻「先駆」の章で、山本伸一が学生部員に呼び掛けます。
「今、皆さんが成すべきことは、大情熱をたぎらせ、人の何倍も勉強し、信仰の実践に取り組むことです」
今こそ学生部が、新たな広宣流布を開きゆく使命を胸に、新しい発想と新しい挑戦で、正義を叫び切り、"民衆の時代"を勝ち開きます。
◇メモ
「御義口伝」は、日蓮大聖人が、身延で法華経の要文を講義され、それを日興上人が筆録したものと伝えられている。御文で大聖人は、普賢菩薩勧発品の「勧発」と「普賢」について、「勧」を化他行、「発」を自行に、「普」を「不変真如の理」、「賢」を「随縁真如の智」に配されている。
2022年6月23日木曜日
2022.06.23 わが友に贈る
確信ある青年の声から
新しい時代は創られる。
正義と真実を語ることに
遠慮などいらない。
自分らしく自信満々と!
教行証御書 P1282
『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』
【通解】
日蓮の弟子等は、臆病であってはならない。
【先生の指導から】
この大聖人の仰せのごとく、威風も堂々と戦うことだ。妙法という無上道に生きゆくわれらに、恐れるものは何もない。
名字の言 いつかはゴールに達するという歩き方ではだめだ——ゲーテ 2022年6月23日
「私にとって信心とは、人生を思い通りに進んでいけるエンジン。祈って動くと、全てが違うんです。農作業も順調に進むし、作物の品質も良くなる」。すくすくと育つスイカに目を細めながら、山形県の女性が語っていた▼35年前、農家の夫と結婚。最初は悪戦苦闘の連続だった。周囲が当たり前のように行う作業ができない。慣れない仕事に体と心が悲鳴を上げた。「あの頃はとにかく疲れすぎて自然と涙があふれました。今は私が(農作業は)一番上手ですよ!」▼納得のスイカができるまで10年かかった。スイカを食べた人が「おいしい」と笑顔になる時が一番うれしいと言う。「スイカを通して"笑顔のつながり"が広がることが最高の宝。大地の上で生命を育むことが農業の魅力です」▼真剣勝負の時を重ね、今の彼女の笑顔がある。文豪ゲーテの言葉を思い起こす。「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない」(手塚富雄訳)。どんな道もそうであろう▼女性の心の支えとなった御書の一節がある。「その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(新1953・全1467)。信仰に徹する人は負けない。
寸鉄 2022年6月23日
沖縄「慰霊の日」。平和は尊し。我らは不戦の誓い胸に"立正安世界"の道を
兵庫が気迫の追い上げ。強気の語らいで金星を!民衆の底力で大勝旗必ず
神奈川が総立ちで猛反撃 勢いと執念で大逆転へ!日本中が大声援で後押し
一人の献身が全ての者に力と勇気を与えた—文豪ユゴー "私の前進"が突破口開く
公明、選挙区・比例で拡大急務。全議員が実績・政策語り壁を破れ!皆で支援
〈社説〉 2022・6・23 きょう、沖縄「慰霊の日」
◇今、語り継ぐ「命どぅ宝」の心
太平洋戦争末期の1945年、沖縄では国内最大の地上戦が起こった。「この世の地獄を全て集めた」といわれた凄惨な戦闘は、20万人余の尊い命を奪った。軍人、民間人を問わず、犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」には、戦後77年となる本年も、新たに55人の名が刻銘された。きょうは、沖縄戦等の戦没者を追悼する、沖縄「慰霊の日」である。
「こわいをしって、へいわがわかった」——本年、沖縄県平和祈念資料館が募集した「児童・生徒の平和メッセージ」で最優秀賞となった詩の題名である。書いたのは小学2年生の少女。きっかけは、家族で美術館に行った際に見た、沖縄戦の惨禍を描いた絵画だった。
「こわくてかなしい絵だった」と詩につづったように、戦争で命が失われたことに心を痛めた。そして"平和を考えて、大切にしたい"との心が芽生えたという。
戦争の残酷さを知ることで、平和が当たり前ではないことが分かる。体験者の高齢化が進み続ける中、忘れてはいけない教訓をどう継承していくか。それは、戦後を生きる私たちの使命である。
沖縄青年部はその自覚を胸に、「戦争証言集」の発刊や「沖縄戦の絵」の収集・展示など、あらゆる形で継承を進めてきた。
そして今月、新たな平和運動として「沖縄戦の紙芝居」の貸し出しが始まった。15歳で沖縄戦を経験した女性の証言を基に"体験者の思いを未来へつなげたい"と、青年部が制作したものだ。先日、那覇市内の小学校での平和を考える授業で紙芝居が朗読された。
絵をじっと見つめ、悲惨な戦争の記憶に耳を傾ける児童たち。読み終えた教師が感想を聞くと、いくつもの手が挙がった。「大切な命がなくなる戦争は絶対にやってはいけないと思った」「戦争をやったらみんなが悲しんでしまう。世界中が平和で仲良くしてほしい」。さらに児童たちは語った。「平和のために身近な人を大切にしたい」「けんかをした友だちとも仲良くしていきます」
「沖縄戦の紙芝居」や「沖縄戦の絵」は今年、県内23の学校やこども園、保育園で平和学習に活用されている。戦争の歴史を風化させず、平和を継承していくには、生命尊厳の心を育み続ける不断の努力を重ねる以外にない。沖縄の「命どぅ宝」の思想を、今こそ、語り継いでいきたい。
☆御書と未来へ 第23回 いよいよの大信力で勝利へ
〈御文〉
『法華経の行者をば諸天善神守護すべきよし、嘱累品にして誓状をたて給い、一切の守護神・諸天の中にも我らが眼に見えて守護し給うは日月天なり。いかでか信をとらざるべき。』〈四条金吾殿御返事(法華経兵法の事)、新1622・全1192〉
〈通解〉
法華経の行者に対しては、諸天善神が守護すると、法華経嘱累品第22で誓いを立てている。一切の守護神・諸天善神の中でも、我々の眼にはっきりとその姿が見えて守護しているのは、日天(太陽)と月天(月)である。どうして諸天善神の守護を信じないでいられようか。
〈池田先生が贈る指針〉
強敵との熾烈な戦いを四条金吾は勝ち越えた。なぜか。「前々の用心」、「けなげ」(勇気)、「法華経の信心つよき故に」と、御本仏は仰せである。
妙法を行ずる生命は大宇宙の諸天を動かし、縁する全ての衆生を味方にできる。
法華経に勝る兵法なし——この大確信で「いよいよ強盛に大信力をいだし」勝利の実証を!
☆質問BOX 会合で"皆が主役に"と聞きましたが、自信がありません
◇答え
創価学会の組織では全員が主役となります。広布を前進させるための"役割"としては、さまざまな役職がありますが、"あの人は主役で、この人は脇役"というような意味ではありません。
また、自分の人生においては、誰もが主役であるといえます。時には、"自分なんて"と思うこともあるかもしれません。しかし、今がどんなに厳しい状況や環境にあったとしても、信心根本に立ち向かっていくならば、誰もが"人生の勝利劇"を演じる、主役となることができるのです。
池田先生は「人生は劇である。波瀾万丈を越え、最後に勝つのが真の勝利者である。偉大なる妙法に生きぬき、苦労を喜びに変え、悩みを成長への糧にしながら、深き使命の人生を晴ればれと生きぬいていただきたい」とつづっています。
同志と共に、自分らしく"人間革命の劇"を演じていきましょう。
新しい時代は創られる。
正義と真実を語ることに
遠慮などいらない。
自分らしく自信満々と!
教行証御書 P1282
『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』
【通解】
日蓮の弟子等は、臆病であってはならない。
【先生の指導から】
この大聖人の仰せのごとく、威風も堂々と戦うことだ。妙法という無上道に生きゆくわれらに、恐れるものは何もない。
名字の言 いつかはゴールに達するという歩き方ではだめだ——ゲーテ 2022年6月23日
「私にとって信心とは、人生を思い通りに進んでいけるエンジン。祈って動くと、全てが違うんです。農作業も順調に進むし、作物の品質も良くなる」。すくすくと育つスイカに目を細めながら、山形県の女性が語っていた▼35年前、農家の夫と結婚。最初は悪戦苦闘の連続だった。周囲が当たり前のように行う作業ができない。慣れない仕事に体と心が悲鳴を上げた。「あの頃はとにかく疲れすぎて自然と涙があふれました。今は私が(農作業は)一番上手ですよ!」▼納得のスイカができるまで10年かかった。スイカを食べた人が「おいしい」と笑顔になる時が一番うれしいと言う。「スイカを通して"笑顔のつながり"が広がることが最高の宝。大地の上で生命を育むことが農業の魅力です」▼真剣勝負の時を重ね、今の彼女の笑顔がある。文豪ゲーテの言葉を思い起こす。「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない」(手塚富雄訳)。どんな道もそうであろう▼女性の心の支えとなった御書の一節がある。「その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(新1953・全1467)。信仰に徹する人は負けない。
寸鉄 2022年6月23日
沖縄「慰霊の日」。平和は尊し。我らは不戦の誓い胸に"立正安世界"の道を
兵庫が気迫の追い上げ。強気の語らいで金星を!民衆の底力で大勝旗必ず
神奈川が総立ちで猛反撃 勢いと執念で大逆転へ!日本中が大声援で後押し
一人の献身が全ての者に力と勇気を与えた—文豪ユゴー "私の前進"が突破口開く
公明、選挙区・比例で拡大急務。全議員が実績・政策語り壁を破れ!皆で支援
〈社説〉 2022・6・23 きょう、沖縄「慰霊の日」
◇今、語り継ぐ「命どぅ宝」の心
太平洋戦争末期の1945年、沖縄では国内最大の地上戦が起こった。「この世の地獄を全て集めた」といわれた凄惨な戦闘は、20万人余の尊い命を奪った。軍人、民間人を問わず、犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」には、戦後77年となる本年も、新たに55人の名が刻銘された。きょうは、沖縄戦等の戦没者を追悼する、沖縄「慰霊の日」である。
「こわいをしって、へいわがわかった」——本年、沖縄県平和祈念資料館が募集した「児童・生徒の平和メッセージ」で最優秀賞となった詩の題名である。書いたのは小学2年生の少女。きっかけは、家族で美術館に行った際に見た、沖縄戦の惨禍を描いた絵画だった。
「こわくてかなしい絵だった」と詩につづったように、戦争で命が失われたことに心を痛めた。そして"平和を考えて、大切にしたい"との心が芽生えたという。
戦争の残酷さを知ることで、平和が当たり前ではないことが分かる。体験者の高齢化が進み続ける中、忘れてはいけない教訓をどう継承していくか。それは、戦後を生きる私たちの使命である。
沖縄青年部はその自覚を胸に、「戦争証言集」の発刊や「沖縄戦の絵」の収集・展示など、あらゆる形で継承を進めてきた。
そして今月、新たな平和運動として「沖縄戦の紙芝居」の貸し出しが始まった。15歳で沖縄戦を経験した女性の証言を基に"体験者の思いを未来へつなげたい"と、青年部が制作したものだ。先日、那覇市内の小学校での平和を考える授業で紙芝居が朗読された。
絵をじっと見つめ、悲惨な戦争の記憶に耳を傾ける児童たち。読み終えた教師が感想を聞くと、いくつもの手が挙がった。「大切な命がなくなる戦争は絶対にやってはいけないと思った」「戦争をやったらみんなが悲しんでしまう。世界中が平和で仲良くしてほしい」。さらに児童たちは語った。「平和のために身近な人を大切にしたい」「けんかをした友だちとも仲良くしていきます」
「沖縄戦の紙芝居」や「沖縄戦の絵」は今年、県内23の学校やこども園、保育園で平和学習に活用されている。戦争の歴史を風化させず、平和を継承していくには、生命尊厳の心を育み続ける不断の努力を重ねる以外にない。沖縄の「命どぅ宝」の思想を、今こそ、語り継いでいきたい。
☆御書と未来へ 第23回 いよいよの大信力で勝利へ
〈御文〉
『法華経の行者をば諸天善神守護すべきよし、嘱累品にして誓状をたて給い、一切の守護神・諸天の中にも我らが眼に見えて守護し給うは日月天なり。いかでか信をとらざるべき。』〈四条金吾殿御返事(法華経兵法の事)、新1622・全1192〉
〈通解〉
法華経の行者に対しては、諸天善神が守護すると、法華経嘱累品第22で誓いを立てている。一切の守護神・諸天善神の中でも、我々の眼にはっきりとその姿が見えて守護しているのは、日天(太陽)と月天(月)である。どうして諸天善神の守護を信じないでいられようか。
〈池田先生が贈る指針〉
強敵との熾烈な戦いを四条金吾は勝ち越えた。なぜか。「前々の用心」、「けなげ」(勇気)、「法華経の信心つよき故に」と、御本仏は仰せである。
妙法を行ずる生命は大宇宙の諸天を動かし、縁する全ての衆生を味方にできる。
法華経に勝る兵法なし——この大確信で「いよいよ強盛に大信力をいだし」勝利の実証を!
☆質問BOX 会合で"皆が主役に"と聞きましたが、自信がありません
◇答え
創価学会の組織では全員が主役となります。広布を前進させるための"役割"としては、さまざまな役職がありますが、"あの人は主役で、この人は脇役"というような意味ではありません。
また、自分の人生においては、誰もが主役であるといえます。時には、"自分なんて"と思うこともあるかもしれません。しかし、今がどんなに厳しい状況や環境にあったとしても、信心根本に立ち向かっていくならば、誰もが"人生の勝利劇"を演じる、主役となることができるのです。
池田先生は「人生は劇である。波瀾万丈を越え、最後に勝つのが真の勝利者である。偉大なる妙法に生きぬき、苦労を喜びに変え、悩みを成長への糧にしながら、深き使命の人生を晴ればれと生きぬいていただきたい」とつづっています。
同志と共に、自分らしく"人間革命の劇"を演じていきましょう。
2022年6月22日水曜日
2022.06.22 わが友に贈る
「なにの兵法よりも
法華経の兵法」御聖訓。
強き誓願の祈りから
無限の智慧と生命力が!
不屈の勇気で前進!
(新1623・全1192)
祈祷抄 P1351
『かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌をきるべきよし座につらなるまじきよしののしり侍りき』
【通解】
このような嘆きのなかにあって、法華経の敵は舌を切るべきである。一座に列なるべきではないなどと大声で言い立てたのであった。
名字の言 「命こそ宝」の思潮を世界へ——あす沖縄の「慰霊の日」 2022年6月22日
幼少の頃に沖縄戦を体験したある女性が、終戦から3年目の冬、母に連れられ南部戦跡を訪れた。一帯は沖縄戦最後の激戦地である▼壕の中に高く積まれた遺骨は「頭蓋骨の二つの穴が天空をにらみつけているよう」に見えた。そのそばで涙を流し続ける"おばあ"たち。凄惨な地上戦の傷痕は、少女のまぶたに焼き付いて離れなかった▼1960年7月、米軍統治下の沖縄を初訪問した池田先生は南部戦跡へ。62年にも同戦跡へ足を運び、64年12月、沖縄で小説『人間革命』を書き起こした。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と▼当時、ベトナム戦争が世界に暗い影を落とし、沖縄の基地からも爆撃機が飛び立った。小説の冒頭の一節はこう続く。「だが、その戦争はまだ、つづいていた。愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである」。戦争で苦しむのは常に弱い人々だ。強大な武力の応酬を前に、民衆になすすべなどない▼今なお戦火が絶えない現実にあって、他者の不幸に思いを巡らせ、生命の尊厳を守る眼が閉ざされていけば、平和は見いだせない。あすは沖縄の「慰霊の日」。「命こそ宝」の思潮を世界へ——仏法者の使命を深く胸に刻みたい。
寸鉄 2022年6月22日
始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし—御書。慈折広布に邁進(新2063・全1440)
味方をつくること自体が一切の勝利—戸田先生。ダイナミックに動き対話
学会には人と人とを強く結ぶ力が—議員。あの友この友に希望の語らいを
地震や大雨相次ぐ。災害で命を守る基本は自助。もしもの備えを今、確認
参院選が公示。難局続く日本の命運決する一票。公明よ大衆に尽くし働け
〈社説〉2022・6・22 あすから「男女共同参画週間」
◇一人一人の個性が輝く社会に
「『あなたらしい』を築く、『あたらしい』社会へ」——。
あす23日から始まる「男女共同参画週間」(29日まで)のキャッチフレーズだ。同週間は、性別や年齢にかかわらず、誰もが自身の能力を十分に発揮できる社会の形成を促すもの。
内閣府がまとめた2022年版の男女共同参画白書では、人生や家族のあり方が変わる一方で、男女の賃金格差や働き方の慣行などが依然として"昭和"のままになっていると指摘。女性の就労環境の整備など、時代の変化に応じた制度・政策の見直しが必要だとしている。
男女格差の度合いを示す「ジェンダー・ギャップ指数」(世界経済フォーラム)において、昨年、日本が156カ国中120位となったことからも、男女間の不平等が大きいことが分かる。
この背景の一つには、「男性は仕事をして家計を支えるべきだ」「家事・育児は女性がするべきだ」といった、性別による無意識の偏見があると考えられている。
認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんは、本紙電子版で「無意識のうちに『最終的に、家事や育児は妻がやってくれるもの』という、ある種の甘えの構造が横たわっているのであれば、どこかでそれは変えないと永続してしまう」と語っている。
ただ、着実な変化であろう。同白書によると、20〜30代男性の7割以上は、家事と育児を「妻と半分ずつ分担したい」と希望している。この意欲を阻害しないためにも、企業を挙げた男性育休の促進や、テレワークなど柔軟な働き方を定着させることが重要だ。
池田先生は小説『新・人間革命』第28巻「革心」の章で、「社会のあらゆる分野で女性の能力を生かしていくことは、極めて重要なテーマ」と、女性の社会進出の重要性に触れた上で「その根本の第一歩こそ、男性の意識改革であろう。(中略)これまでの経験にばかり固執するのではなく、変化への対応能力を磨いていくことが、よりよく生きるための不可欠な要件となる」とつづった。
生活スタイルが多様化する今、一人一人の個性が輝く社会を実現するには何が必要か——。まずは自分から、身近な家庭や職場で性別役割分担の意識を見直し、互いに助け合い、特性を生かし合うことを心掛けていきたい。
☆御書と未来へ 第22回 人類を結ぶ菩薩の振る舞い
〈御文〉
『菩薩界とは、六道の凡夫の中において、自身を軽んじ他人を重んじ、悪をもって己に向け、善をもって他に与えんと念う者有り。』〈十法界明因果抄、新469・全433〉
〈通解〉
菩薩とは、六道の凡夫の中において、自身を軽んじて他人を重んじ、悪(苦しみ)は自分が引き受け、善(楽しみ)は他人に与えようと思う者のことをいう。
〈池田先生が贈る指針〉
菩薩は「国の宝・世界の宝」だ。"創価の菩薩の行動は、分断を超えて、幸と平和へ人類を結ぶ"と、ポーリング博士も信頼してくださった。
その鑑こそ、最も地道にして最も尊貴な貢献を貫く、団地部をはじめ地域本部の宝友なのだ。
仏に等しい慈悲と勇気の振る舞いで、わが団地、わが地域から、幸福城を築き広げてくれ給え!
☆みんなで学ぶ教学 第29回 一人立つ
◇周囲を照らす太陽に
どんな環境であっても、決意した「一人」が立ち上がり、信心に励んでいくならば、周囲を"希望の光"で、明るく照らしていくことができます。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「一人立つ」がテーマです。近所を清掃し始めた新入会者のリホさんが、支部女性部長のユリコさんと話しています。
ユリコ 道がとってもキレイになったわ。ご近所の皆さんも、とても感謝していたのよ。本当にありがとう。
リホ それは良かったです。最近、この周辺はゴミのポイ捨てが増えたと話題になっていたんです。なかなか改善されないので、"それなら、自分がキレイにしよう"と思って、掃除するようにしたんです。
ユリコ 素晴らしいわ! まさに「一人立つ」精神ね。
リホ ただ、"皆の役に立てるなら、自分がやろう"って思っただけなんです。
そういえば、学会ではよく「一人立つ」という言葉を聞きますが、どういう意味でしたっけ?
ユリコ 「一人立つ」とは、"自分が今いる場所で、広宣流布の責任をもつ"ことといえるわ。"誰かがやるだろう"ではなく、"自分が"その地域の人々や社会の幸福のため、広布を前進させる主体者として、率先の行動を起こしていくことなのよ。
リホ なるほど。でもたった一人で、大きく変わるのでしょうか。
ユリコ 確かに、そう思うかもしれないわね。
日蓮大聖人は「はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、そこから二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか」(新1791・全1360、通解)とつづられているの。
大聖人のごとく、一人が立ち上がれば、地涌の使命に目覚める人たちが、「二人・三人・百人と次第に」立ち上がり、広宣流布は必ず実現すると仰せなのよ。全ては一人から始まるのね。
リホ なるほど。
ユリコ 創価学会も、三代会長に脈打つ「一人立つ」精神で前進してきたのよ。
牧口先生は「勇気ある大善人が一人いれば、大事を成就することができる」と、戦時下の軍部政府に屈することなく戦い抜かれた。
その遺志を継いだ戸田先生が、戦後の焼け野原にたった一人立ち上がり、その戸田先生の大願を継承した池田先生が、世界中に創価の連帯を広げていったの。
リホ そうなんですね。感動しました。
ユリコ 私たち、学会員一人一人も、その精神を受け継ぎ、いかなる厳しい環境や、困難な状況にも一人立ってきたの。そして、自らの人間革命の姿で、地域や社会を太陽のように明るく照らしているのよ。リホさんのようにね!
リホ ありがとうございます。そんなに輝いてるかなあ……。
ユリコ あら、皆がリホさんの姿から勇気をもらっているわ。
池田先生は「自分が行動しても、それが本当に世界をよりよく変えられるのだろうか? 自分の力だけでは、何もすることができないのではないだろうか? こうした無力感や諦めを打ち破って、"世界を変える主役は、汝自身なり!"と、真実に目覚めるように教えたのが仏法です」とつづられているの。
今こそ、創価の希望の哲学が求められているんじゃないかしら。
リホ よく分かりました。自分から皆を明るくできるように、これからも頑張っていきます!
ユリコ 私も、さらなる決意で、"今日から""自分から"周囲に励ましを送っていくわ。
法華経の兵法」御聖訓。
強き誓願の祈りから
無限の智慧と生命力が!
不屈の勇気で前進!
(新1623・全1192)
祈祷抄 P1351
『かかるなげきの庭にても法華経の敵をば舌をきるべきよし座につらなるまじきよしののしり侍りき』
【通解】
このような嘆きのなかにあって、法華経の敵は舌を切るべきである。一座に列なるべきではないなどと大声で言い立てたのであった。
名字の言 「命こそ宝」の思潮を世界へ——あす沖縄の「慰霊の日」 2022年6月22日
幼少の頃に沖縄戦を体験したある女性が、終戦から3年目の冬、母に連れられ南部戦跡を訪れた。一帯は沖縄戦最後の激戦地である▼壕の中に高く積まれた遺骨は「頭蓋骨の二つの穴が天空をにらみつけているよう」に見えた。そのそばで涙を流し続ける"おばあ"たち。凄惨な地上戦の傷痕は、少女のまぶたに焼き付いて離れなかった▼1960年7月、米軍統治下の沖縄を初訪問した池田先生は南部戦跡へ。62年にも同戦跡へ足を運び、64年12月、沖縄で小説『人間革命』を書き起こした。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と▼当時、ベトナム戦争が世界に暗い影を落とし、沖縄の基地からも爆撃機が飛び立った。小説の冒頭の一節はこう続く。「だが、その戦争はまだ、つづいていた。愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである」。戦争で苦しむのは常に弱い人々だ。強大な武力の応酬を前に、民衆になすすべなどない▼今なお戦火が絶えない現実にあって、他者の不幸に思いを巡らせ、生命の尊厳を守る眼が閉ざされていけば、平和は見いだせない。あすは沖縄の「慰霊の日」。「命こそ宝」の思潮を世界へ——仏法者の使命を深く胸に刻みたい。
寸鉄 2022年6月22日
始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし—御書。慈折広布に邁進(新2063・全1440)
味方をつくること自体が一切の勝利—戸田先生。ダイナミックに動き対話
学会には人と人とを強く結ぶ力が—議員。あの友この友に希望の語らいを
地震や大雨相次ぐ。災害で命を守る基本は自助。もしもの備えを今、確認
参院選が公示。難局続く日本の命運決する一票。公明よ大衆に尽くし働け
〈社説〉2022・6・22 あすから「男女共同参画週間」
◇一人一人の個性が輝く社会に
「『あなたらしい』を築く、『あたらしい』社会へ」——。
あす23日から始まる「男女共同参画週間」(29日まで)のキャッチフレーズだ。同週間は、性別や年齢にかかわらず、誰もが自身の能力を十分に発揮できる社会の形成を促すもの。
内閣府がまとめた2022年版の男女共同参画白書では、人生や家族のあり方が変わる一方で、男女の賃金格差や働き方の慣行などが依然として"昭和"のままになっていると指摘。女性の就労環境の整備など、時代の変化に応じた制度・政策の見直しが必要だとしている。
男女格差の度合いを示す「ジェンダー・ギャップ指数」(世界経済フォーラム)において、昨年、日本が156カ国中120位となったことからも、男女間の不平等が大きいことが分かる。
この背景の一つには、「男性は仕事をして家計を支えるべきだ」「家事・育児は女性がするべきだ」といった、性別による無意識の偏見があると考えられている。
認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんは、本紙電子版で「無意識のうちに『最終的に、家事や育児は妻がやってくれるもの』という、ある種の甘えの構造が横たわっているのであれば、どこかでそれは変えないと永続してしまう」と語っている。
ただ、着実な変化であろう。同白書によると、20〜30代男性の7割以上は、家事と育児を「妻と半分ずつ分担したい」と希望している。この意欲を阻害しないためにも、企業を挙げた男性育休の促進や、テレワークなど柔軟な働き方を定着させることが重要だ。
池田先生は小説『新・人間革命』第28巻「革心」の章で、「社会のあらゆる分野で女性の能力を生かしていくことは、極めて重要なテーマ」と、女性の社会進出の重要性に触れた上で「その根本の第一歩こそ、男性の意識改革であろう。(中略)これまでの経験にばかり固執するのではなく、変化への対応能力を磨いていくことが、よりよく生きるための不可欠な要件となる」とつづった。
生活スタイルが多様化する今、一人一人の個性が輝く社会を実現するには何が必要か——。まずは自分から、身近な家庭や職場で性別役割分担の意識を見直し、互いに助け合い、特性を生かし合うことを心掛けていきたい。
☆御書と未来へ 第22回 人類を結ぶ菩薩の振る舞い
〈御文〉
『菩薩界とは、六道の凡夫の中において、自身を軽んじ他人を重んじ、悪をもって己に向け、善をもって他に与えんと念う者有り。』〈十法界明因果抄、新469・全433〉
〈通解〉
菩薩とは、六道の凡夫の中において、自身を軽んじて他人を重んじ、悪(苦しみ)は自分が引き受け、善(楽しみ)は他人に与えようと思う者のことをいう。
〈池田先生が贈る指針〉
菩薩は「国の宝・世界の宝」だ。"創価の菩薩の行動は、分断を超えて、幸と平和へ人類を結ぶ"と、ポーリング博士も信頼してくださった。
その鑑こそ、最も地道にして最も尊貴な貢献を貫く、団地部をはじめ地域本部の宝友なのだ。
仏に等しい慈悲と勇気の振る舞いで、わが団地、わが地域から、幸福城を築き広げてくれ給え!
☆みんなで学ぶ教学 第29回 一人立つ
◇周囲を照らす太陽に
どんな環境であっても、決意した「一人」が立ち上がり、信心に励んでいくならば、周囲を"希望の光"で、明るく照らしていくことができます。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「一人立つ」がテーマです。近所を清掃し始めた新入会者のリホさんが、支部女性部長のユリコさんと話しています。
ユリコ 道がとってもキレイになったわ。ご近所の皆さんも、とても感謝していたのよ。本当にありがとう。
リホ それは良かったです。最近、この周辺はゴミのポイ捨てが増えたと話題になっていたんです。なかなか改善されないので、"それなら、自分がキレイにしよう"と思って、掃除するようにしたんです。
ユリコ 素晴らしいわ! まさに「一人立つ」精神ね。
リホ ただ、"皆の役に立てるなら、自分がやろう"って思っただけなんです。
そういえば、学会ではよく「一人立つ」という言葉を聞きますが、どういう意味でしたっけ?
ユリコ 「一人立つ」とは、"自分が今いる場所で、広宣流布の責任をもつ"ことといえるわ。"誰かがやるだろう"ではなく、"自分が"その地域の人々や社会の幸福のため、広布を前進させる主体者として、率先の行動を起こしていくことなのよ。
リホ なるほど。でもたった一人で、大きく変わるのでしょうか。
ユリコ 確かに、そう思うかもしれないわね。
日蓮大聖人は「はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、そこから二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか」(新1791・全1360、通解)とつづられているの。
大聖人のごとく、一人が立ち上がれば、地涌の使命に目覚める人たちが、「二人・三人・百人と次第に」立ち上がり、広宣流布は必ず実現すると仰せなのよ。全ては一人から始まるのね。
リホ なるほど。
ユリコ 創価学会も、三代会長に脈打つ「一人立つ」精神で前進してきたのよ。
牧口先生は「勇気ある大善人が一人いれば、大事を成就することができる」と、戦時下の軍部政府に屈することなく戦い抜かれた。
その遺志を継いだ戸田先生が、戦後の焼け野原にたった一人立ち上がり、その戸田先生の大願を継承した池田先生が、世界中に創価の連帯を広げていったの。
リホ そうなんですね。感動しました。
ユリコ 私たち、学会員一人一人も、その精神を受け継ぎ、いかなる厳しい環境や、困難な状況にも一人立ってきたの。そして、自らの人間革命の姿で、地域や社会を太陽のように明るく照らしているのよ。リホさんのようにね!
リホ ありがとうございます。そんなに輝いてるかなあ……。
ユリコ あら、皆がリホさんの姿から勇気をもらっているわ。
池田先生は「自分が行動しても、それが本当に世界をよりよく変えられるのだろうか? 自分の力だけでは、何もすることができないのではないだろうか? こうした無力感や諦めを打ち破って、"世界を変える主役は、汝自身なり!"と、真実に目覚めるように教えたのが仏法です」とつづられているの。
今こそ、創価の希望の哲学が求められているんじゃないかしら。
リホ よく分かりました。自分から皆を明るくできるように、これからも頑張っていきます!
ユリコ 私も、さらなる決意で、"今日から""自分から"周囲に励ましを送っていくわ。
2022年6月21日火曜日
2022.06.21 わが友に贈る
一心不乱に挑戦する友を
最大にたたえよう!
一つ一つの言葉に
真心を込めて励まし抜く。
そこに壁を破る力が!
下山御消息 P357
『而るを日蓮が出現して一切の人を恐れず身命を捨てて指し申さば賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに剰へ頚に及ばむとせし事は存外の次第なり』
【通解】
しかるに、日蓮が出現して、一切の人を恐れることなく身命を捨てて、その謗法を指摘し諌め申し上げたからには、賢明な国主であれば詳細を聞かれるべきであるのに、聞きもせず用いられないことすら不可解であるのに、まして首を切ろうとしたことはもってのほかである。
名字の言 劇場に漂う歴史の匂い——作曲家・團伊玖磨氏 2022年6月21日
作曲家の團伊玖磨氏は、世界各国のオペラを聴き歩く中で気付いた。劇場にはそれぞれ特有の「匂い」がある、と▼香水、ぶどう酒、葉巻たばこ……。外界から身にまとってきた観客たちの匂いは"入り交じって累積し、変質して、歴史の匂いとなっている"(『パイプのけむり選集 旅』小学館文庫)。一人一人の"香り"が劇場の伝統の一部になっているということだろう▼信心の世界にも「蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)」が醸し出す"香気"がある。本年1月、ある目の不自由な男性が入会した。決め手となった一つが毎月の座談会。「皆さんの信仰体験に共通点があった」からだという▼それは「自らが置かれている状況を前向きに語ること」。病や経済苦を抱えながらも「絶対に勝ちます!」と誓い、宿命転換を目指し広布に走る。その姿に感銘を受けて入会した彼は、点字で勤行を覚え、父親に仏法対話。周囲に幸の薫風を広げている▼池田先生は「その人には、その人ならではの香りがある。香水とか体臭とかではなくて、『心の香り』『生命の香り』がある」と語る。匂いも心も、目には見えない。だが苦難に負けない同志の生き方は、味わい深い人生の香りとなり、友を社会を包んでいく。
寸鉄 2022年6月21日
初の核禁条約締約国会議非人道的な兵器の廃絶へ 民衆のスクラムで後押し
愛知が勇戦!堅塁の友は試練の時こそ本領発揮。民衆の大行進で断固凱旋
福岡が乾坤一擲の大攻勢 先駆の勇者に恐れなし!大九州の底力で栄冠掴め
埼玉の友が猛進。圧倒的拡大で新たな常勝城を!鉄桶の団結で押しまくれ
大阪・東京がせり上がりへ大奮闘。庶民の大連帯で攻め勝ち堂々凱歌を!
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 私の最高峰へ 2022年6月14日
◇祈って、祈って、祈り抜くのだ!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は人生の最高峰へ挑む友に贈った、励ましの言葉を紹介します。
◇最後まで執念深く!
戦いは、執念深く攻めぬいたほうが勝つ。これが鉄則である。最後の最後まで、攻めて攻めて攻めぬく。これが本当の指揮である。中途半端はいけない。執念深く! 戦いは、勝つか、負けるかしかない。祈って、祈って、祈りぬくのだ。戦って、戦って、戦いぬくのだ。勝利の結果を見届けるまで!
(『池田大作全集』第99巻、30ページ)
◇皆に「師子王の心」が
勇気こそ万事の決定打である。あきらめや弱気を打ち破るのも勇気だ。限界に挑むのも勇気である。
御書には、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(全1190・新1620)と仰せである。「師子王の心」が学会魂である。
その勇気は「取り出す」ものだ。勇気のない人はいない。出していないだけなのである。
(『池田大作全集』第134巻、341ページ)
◇つねに未来を向いて
仏法は「現当二世」と説く。つねに、現在から未来へ、希望に燃えて、先手先手を打っていくための仏法であり、信心である。この一点を忘れてはならない。
御聖訓に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(全1190・新1620)と仰せのとおりである。
「もう、これくらいでいいだろう」という「たゆむ心」「弱い心」では、魔に負けてしまう。人生の最後のその日まで、断じて一歩も退いてはならない。
(『池田大作全集』第94巻、231ページ)
◇大闘争が歴史つくる
「『塵も積もれば山となる』という言葉はあるが、実際には塵が積もって山となったことはない」とは、牧口先生の教えである。
激しい地殻変動が山をつくるように、熾烈な大闘争が偉大なる歴史をつくる。
大悪と戦ってこそ、大善の境涯はつくられ、大難を越えてこそ、偉大なる人格はできる。
(『池田大作全集』第129巻、348ページ)
◇「負けない」人が勝つ
人生は、断じて退いてはならない。負けてはならない。「負けない」ことが「勝利」である。
最後まで「負けない」人は勝ったのである。
学会の前進も、どんな障魔にも退かなかった。前へ前へと進んだ。だから勝ってきた。
"何があろうと、一歩も退かない"——これが学会精神である。その人こそが、無限の勝利を得ることができる。
(『池田大作全集』第88巻、455ページ)
◇そこに友がいる限り
たとえ、一進一退の膠着状態に見えるところでも、絶壁に食らいついて、必死に戦っている友がいる。それを、目立つところだけ見て、健気な同志の陰の奮闘を見なければ、あまりにも傲慢な幹部だ。
いずこであれ、一人立つ勇者が現れれば、必ず広布の火蓋を切ることができる。いかに困難であっても、そこに奮闘する友がいる限り、一人を誠実に励まし抜く。これが壁を破る鉄則だ。
(『随筆 希望の大道』、241ページ)
◇限界を破る信心の力
限界を突破できるか、否か。それは、自身の一念で決まる。執念で決まる。
大聖人は、虎に母を殺された将軍が仇討ちのために放った矢は、石をも貫いたという中国の故事を引かれ、「強盛の信心」の真髄の力を教えておられる。
あの「大阪の戦い」の折、私はこの御書を拝し、関西の同志に語った。
「弓を満月の如く、キリキリと引き絞って、まさに全魂を込めて的を射んとする一念が大事なのだ。ここぞという時は、この姿勢を絶対に忘れてはならぬ」
戦いを決するのは、生命の奥底から発する勢いだ。
(『随筆 我らの勝利の大道』、220ページ)
◇"守り"に入らず前進
外からの刺激を求めていくことだ。また、心のアンテナを磨いて、いろいろなところから学んでいくことだ。
現状に安住したり、妥協して、守りに入ってはならない。それは滅びの前兆である。
妙法とは、無限の希望の大法である。限りない前進の原動力である。ゆえに私たちは、満々たる生命力で、勇敢に打って出てまいりたい。そこから、必ず、新しい勝利の突破口が開かれる。
(『池田大作全集』第97巻、57ページ)
◇万歳悔ゆること勿れ
一九五八年(昭和三十三年)の年頭、戸田先生は、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(全970・新1324)との一節を拝して訴えられた。
「きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
まず、肚を決めよ! 決まったら、勇ましく進め!」
さあ、共に出発だ。燦然たる「勝利」の最高峰へ、共々に登るのだ。
(『池田大作全集』第139巻、255ページ)
最大にたたえよう!
一つ一つの言葉に
真心を込めて励まし抜く。
そこに壁を破る力が!
下山御消息 P357
『而るを日蓮が出現して一切の人を恐れず身命を捨てて指し申さば賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに剰へ頚に及ばむとせし事は存外の次第なり』
【通解】
しかるに、日蓮が出現して、一切の人を恐れることなく身命を捨てて、その謗法を指摘し諌め申し上げたからには、賢明な国主であれば詳細を聞かれるべきであるのに、聞きもせず用いられないことすら不可解であるのに、まして首を切ろうとしたことはもってのほかである。
名字の言 劇場に漂う歴史の匂い——作曲家・團伊玖磨氏 2022年6月21日
作曲家の團伊玖磨氏は、世界各国のオペラを聴き歩く中で気付いた。劇場にはそれぞれ特有の「匂い」がある、と▼香水、ぶどう酒、葉巻たばこ……。外界から身にまとってきた観客たちの匂いは"入り交じって累積し、変質して、歴史の匂いとなっている"(『パイプのけむり選集 旅』小学館文庫)。一人一人の"香り"が劇場の伝統の一部になっているということだろう▼信心の世界にも「蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)」が醸し出す"香気"がある。本年1月、ある目の不自由な男性が入会した。決め手となった一つが毎月の座談会。「皆さんの信仰体験に共通点があった」からだという▼それは「自らが置かれている状況を前向きに語ること」。病や経済苦を抱えながらも「絶対に勝ちます!」と誓い、宿命転換を目指し広布に走る。その姿に感銘を受けて入会した彼は、点字で勤行を覚え、父親に仏法対話。周囲に幸の薫風を広げている▼池田先生は「その人には、その人ならではの香りがある。香水とか体臭とかではなくて、『心の香り』『生命の香り』がある」と語る。匂いも心も、目には見えない。だが苦難に負けない同志の生き方は、味わい深い人生の香りとなり、友を社会を包んでいく。
寸鉄 2022年6月21日
初の核禁条約締約国会議非人道的な兵器の廃絶へ 民衆のスクラムで後押し
愛知が勇戦!堅塁の友は試練の時こそ本領発揮。民衆の大行進で断固凱旋
福岡が乾坤一擲の大攻勢 先駆の勇者に恐れなし!大九州の底力で栄冠掴め
埼玉の友が猛進。圧倒的拡大で新たな常勝城を!鉄桶の団結で押しまくれ
大阪・東京がせり上がりへ大奮闘。庶民の大連帯で攻め勝ち堂々凱歌を!
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 私の最高峰へ 2022年6月14日
◇祈って、祈って、祈り抜くのだ!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は人生の最高峰へ挑む友に贈った、励ましの言葉を紹介します。
◇最後まで執念深く!
戦いは、執念深く攻めぬいたほうが勝つ。これが鉄則である。最後の最後まで、攻めて攻めて攻めぬく。これが本当の指揮である。中途半端はいけない。執念深く! 戦いは、勝つか、負けるかしかない。祈って、祈って、祈りぬくのだ。戦って、戦って、戦いぬくのだ。勝利の結果を見届けるまで!
(『池田大作全集』第99巻、30ページ)
◇皆に「師子王の心」が
勇気こそ万事の決定打である。あきらめや弱気を打ち破るのも勇気だ。限界に挑むのも勇気である。
御書には、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(全1190・新1620)と仰せである。「師子王の心」が学会魂である。
その勇気は「取り出す」ものだ。勇気のない人はいない。出していないだけなのである。
(『池田大作全集』第134巻、341ページ)
◇つねに未来を向いて
仏法は「現当二世」と説く。つねに、現在から未来へ、希望に燃えて、先手先手を打っていくための仏法であり、信心である。この一点を忘れてはならない。
御聖訓に「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(全1190・新1620)と仰せのとおりである。
「もう、これくらいでいいだろう」という「たゆむ心」「弱い心」では、魔に負けてしまう。人生の最後のその日まで、断じて一歩も退いてはならない。
(『池田大作全集』第94巻、231ページ)
◇大闘争が歴史つくる
「『塵も積もれば山となる』という言葉はあるが、実際には塵が積もって山となったことはない」とは、牧口先生の教えである。
激しい地殻変動が山をつくるように、熾烈な大闘争が偉大なる歴史をつくる。
大悪と戦ってこそ、大善の境涯はつくられ、大難を越えてこそ、偉大なる人格はできる。
(『池田大作全集』第129巻、348ページ)
◇「負けない」人が勝つ
人生は、断じて退いてはならない。負けてはならない。「負けない」ことが「勝利」である。
最後まで「負けない」人は勝ったのである。
学会の前進も、どんな障魔にも退かなかった。前へ前へと進んだ。だから勝ってきた。
"何があろうと、一歩も退かない"——これが学会精神である。その人こそが、無限の勝利を得ることができる。
(『池田大作全集』第88巻、455ページ)
◇そこに友がいる限り
たとえ、一進一退の膠着状態に見えるところでも、絶壁に食らいついて、必死に戦っている友がいる。それを、目立つところだけ見て、健気な同志の陰の奮闘を見なければ、あまりにも傲慢な幹部だ。
いずこであれ、一人立つ勇者が現れれば、必ず広布の火蓋を切ることができる。いかに困難であっても、そこに奮闘する友がいる限り、一人を誠実に励まし抜く。これが壁を破る鉄則だ。
(『随筆 希望の大道』、241ページ)
◇限界を破る信心の力
限界を突破できるか、否か。それは、自身の一念で決まる。執念で決まる。
大聖人は、虎に母を殺された将軍が仇討ちのために放った矢は、石をも貫いたという中国の故事を引かれ、「強盛の信心」の真髄の力を教えておられる。
あの「大阪の戦い」の折、私はこの御書を拝し、関西の同志に語った。
「弓を満月の如く、キリキリと引き絞って、まさに全魂を込めて的を射んとする一念が大事なのだ。ここぞという時は、この姿勢を絶対に忘れてはならぬ」
戦いを決するのは、生命の奥底から発する勢いだ。
(『随筆 我らの勝利の大道』、220ページ)
◇"守り"に入らず前進
外からの刺激を求めていくことだ。また、心のアンテナを磨いて、いろいろなところから学んでいくことだ。
現状に安住したり、妥協して、守りに入ってはならない。それは滅びの前兆である。
妙法とは、無限の希望の大法である。限りない前進の原動力である。ゆえに私たちは、満々たる生命力で、勇敢に打って出てまいりたい。そこから、必ず、新しい勝利の突破口が開かれる。
(『池田大作全集』第97巻、57ページ)
◇万歳悔ゆること勿れ
一九五八年(昭和三十三年)の年頭、戸田先生は、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(全970・新1324)との一節を拝して訴えられた。
「きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
まず、肚を決めよ! 決まったら、勇ましく進め!」
さあ、共に出発だ。燦然たる「勝利」の最高峰へ、共々に登るのだ。
(『池田大作全集』第139巻、255ページ)
2022年6月20日月曜日
2022.06.20 わが友に贈る
◇今週のことば
「皆、我が一念に納めたる
功徳・善根なり」
行動は即、境涯の革命だ。
共に大福運を積みながら
希望と安穏の社会を!
(新317・全383)
2022年6月20日
上野殿御返事 P1544
『今の時法華経を信ずる人あり或は火のごとく信ずる人もあり或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時はもへたつばかりをもへどもとをざかりぬればすつる心あり、水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり』
【通解】
今の時代に、法華経を信ずる人がいる。あるいは火の燃えるように信ずる人もあり、あるいは水が流れるように信ずる人もいる。教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が起きてしまう。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいう。
名字の言 小説『新・人間革命』は"信心の教科書" 2022年6月20日
都内のある地域の壮年部は「師弟常勝大学校」と銘打ち、小説『新・人間革命』を定期的に研さんしている。この春、新たに第7期生が入った▼先月、学んだのは第3巻と第4巻。各巻の内容を代表が紹介した後、5人ほどのグループに分かれて自由に意見交換する。当然ながら、同じ文章を読んでも感じ方や捉え方は十人十色。この違いが互いの刺激となる▼1961年のアジア平和旅が描かれた第3巻で、山本伸一は語る。「今回、訪問したほとんどの国に、わずかでもメンバーがいたというのは、大変なことです。『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです」(「平和の光」の章)▼ある壮年は思った。「次元は異なるが、仏縁を広げる私たちの対話は『一人』をつくる作業ではないだろうか」と。誰もがさまざまな人間関係の中で生きている。「一人」の真の友人ができれば、そこから共感の輪が大きく広がる▼『新・人間革命』は、単なる学会の歴史ではなく、広宣流布の不滅の方程式が示された"信心の教科書"。「今の自分」「今の活動」に生かせる"答え"がちりばめられている。
寸鉄 2022年6月20日
時代の先覚者には決然と進む覚悟が必要—恩師。立正安国の志高く対話へ
兵庫が反転攻勢へ。戦いは攻め抜いた方が勝つ。感激の同志と逆転勝利!
神奈川が一瀉千里の追走 正義の天地に栄光の旗を翻せ!総力戦で押し捲れ
世界難民の日。問題克服へ人道の連帯更に。誰も置き去りにしない未来を
物価高の今、公明主導の軽減税率が庶民生活守る—識者。輝く実績と行動
〈社説〉 2022・6・20 きょう「世界難民の日」
◇深刻な人道危機 克服へ連帯
"フルートを演奏した"という理由で、祖国・アフガニスタンを追われた青年がいる。命の危険におびえながら国境を越え、イランを経て日本へ。空港に到着した20歳を出迎えたのは、彼ら難民に光を当て、苦しみを取り除くために奔走してきた人々の笑顔だった。
創価学会平和委員会の「SDGsオンラインシネマシリーズ」にビデオメッセージを寄せた彼は、支援者に感謝しつつ、夢を語る。「美しい未来を実現するために多くの人と知り合い、良き友をつくっていきたい」。屈託のない笑顔には、失いかけた未来を再構築しようとする気概が脈打っていた。
ウクライナでは現在、1300万人超が国内外に逃れ、苦しい生活を強いられている。乳幼児や高齢者の手を引いて退避し、帰還の時を待つ母の心中はいかばかりか。日本でも、東京都が都営住宅を確保したり、日本財団が生活支援金を給付したりと、人道支援の輪が急ピッチで拡大。今後は、衣食住のサポートだけでなく"心のケア"も不可欠になる。
創価学会でも緊急人道支援として、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)をはじめ、ウクライナあるいはその周辺で支援に取り組む国際協力NGOなど、計5団体に寄付を実施。また、昨年からヨルダンで推進する音楽教育プロジェクト「音楽が私たちをつなぐ」のように、トラウマ(心的外傷)を抱える難民、避難民の子どもたちの精神的なサポートにも力を注いでいる。
世界の難民、避難民の総数は1億人を超えた。東南アジアや中東、アフリカの諸地域で続く人道危機も、今なお深刻である。戦争や紛争だけでなく、気候変動に伴う災害などで住む場所を失う「気候難民」も増加。こうした悲劇を生み出す「地球的問題群」は決して人ごとではなく、私たちは当事者の視点で関わっていくことが、いやまして求められていよう。
池田先生は、「誰も置き去りにしない」世界を築くために、「厳しい状況に置かれている人々の目線」に立つ大切さを訴えている。難民という状態に陥った方々が、どういう人生を送りたいと願っているのか、そこに心を寄せ、共に考えることが支援の出発点となろう。
きょうは「世界難民の日」。悲惨な紛争の一日も早い終息を祈りつつ、差別や偏見、無関心を共に乗り越える民衆の連帯を広げたい。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第7回 広布のために「歩く」功徳は絶大
◇広布のために「歩く」功徳は絶大
次に「歩く」ことの意義に少々、ふれておきたい。「歩き」すなわち「ウオーキング」は、現在、もっとも身近で効果の高い健康法として、あらためて注目を集めている。
それはそれとして、仏教でも「歩行」は重視されている。
たとえば「経行」は、体調を整えるための一種の運動法で、釈尊時代から僧俗ともに、これを行った。法華経にも何回も出てくる。
(中略)
「経行」の功徳として、まとめると、だいたい次の五点が挙げられている。�体が鍛えられる(体力がつく)�病気が少ない�消化がよい�よく思索できる�意志が強くなる——こうした効果である。
(中略)
学会活動は、こうした面からも、日々、大きな価値を生んでいることを自覚していただきたい(拍手)。まして広布のために歩くことは、これ以上、尊き行動はない。
釈尊も、インドの大地を、よく歩かれた。足が鉄板のようになるほど歩いたといわれる。日蓮大聖人もまた、歩きに歩かれた。すべて弘法のため、一切の民衆のための行動であられた。
ゆえに、現実に広宣流布のために歩き、動かれている皆さま方こそ、大聖人の真実の門下であり、また釈尊以来の仏教の本流を実践している方々なのである。(1990年5月、第2回千葉県記念総会でのスピーチ、『池田大作全集』第74巻所収)
◇動いた分だけ平和と幸福が広がる
庶民の智慧ほど偉大にして賢いものはない。学者よりも政治家よりも賢明だ。
新しい発想が、新しい力を引き出す。我らの千葉には、新しき"何か"を生み出す土壌がある。
二百年ほど前、初めて正確な日本地図を作った伊能忠敬も千葉の出身だ。
九十九里に生まれ、佐原の名家を再興した彼は、五十歳で江戸に出て測量技術を学び始めた。五十五歳の時、幕府の許可を得て、蝦夷地の測量に出発。以来、二十年もの歳月を「大日本沿海輿地全図」の作製に捧げていった。
(中略)
伊能忠敬は、後半生のすべてを賭けて、自身の夢の完成のために、日本中を歩きに歩いた。その距離は実に四千万歩ともいわれる。
広宣流布も行動で決まる。
自ら動いた分だけ、歩いた分だけ、語った分だけ、わが地域の"平和の地図"は拡大する。祈りに祈り、心を砕いた分だけ、"幸福の地図"は光を放っていくのだ。(「随筆 新・人間革命」〈昇りゆく千葉の旭日〉、『池田大作全集』第133巻所収)
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第27回 【栄光への指針】
◇「勝つ!」と決めて祈る
日蓮大聖人は、「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」(全992・新1346)と断言なされている。
人間は、世間を離れて生きることはできない。しかし、世間に振り回され、翻弄される人生は不幸だ。絶対に強く賢くあらねばならない。
「体」とは、個人でいえば「信心」である。
何があろうと、信心を奮い起こして、頭を上げ、胸を張ることだ。
いかなる局面にあっても、「絶対に勝つ!」と決めて祈り切ることだ。
これこそ、最強無敵の「法華経の兵法」なのである。
(『池田大作全集』第137巻、「随筆 人間世紀の光」)
◇祈って、祈って、勝つ
現実は厳しい。一番いけないのは無責任です。「御本尊を拝んでいるから、なんとかなるだろう」というのは信心利用です。祈ったならば、全力をあげて、全身全霊で、それを実現していくために戦うのが、まことの信心です。
社会で勝ち、「実証」を示してこそ、一家の勝利もあるし、広布の伸展もある。不可能を可能にする信心で、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に」(全1132・新1539)祈って、祈って、勝つのです。
(『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」)
◇柱は倒れてはならない
壮年部の先達ともいうべき四条金吾が、主君から"法華経を捨てよ"と責められ、所領を没収される危機にあった時、日蓮大聖人は、烈々たる気迫で指導された。
——もし、あなたが倒れたならば、敵はそれに乗じて、鎌倉の同志を皆、退転させてしまうだろう、と。
負けるな! 柱は、絶対に倒れてはならないのだ!
「一生はゆめ(夢)の上・明日をご(期)せず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」(全1163・新1583)
彼は勇敢に戦い抜いた。信心の究極は「人の振舞」なりと誠実を貫き、あらん限りの知恵を働かせた。身を慎み、周囲に細かい注意と配慮を怠らなかった。
そして、苦難を耐え抜き、蓮祖の指南通りに「法華宗の四条金吾・四条金吾」と、人びとに讃えられる勝利者となっていったのだ。
「仏法は勝負」である。
壮年部は、一家の柱、社会の柱、そして広宣流布の偉大なる黄金柱だ。皆様が厳然としているからこそ、婦人部も男女青年部も、安心して戦える。
(『池田大作全集』第133巻、「随筆 新・人間革命」)
「皆、我が一念に納めたる
功徳・善根なり」
行動は即、境涯の革命だ。
共に大福運を積みながら
希望と安穏の社会を!
(新317・全383)
2022年6月20日
上野殿御返事 P1544
『今の時法華経を信ずる人あり或は火のごとく信ずる人もあり或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時はもへたつばかりをもへどもとをざかりぬればすつる心あり、水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり』
【通解】
今の時代に、法華経を信ずる人がいる。あるいは火の燃えるように信ずる人もあり、あるいは水が流れるように信ずる人もいる。教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が起きてしまう。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいう。
名字の言 小説『新・人間革命』は"信心の教科書" 2022年6月20日
都内のある地域の壮年部は「師弟常勝大学校」と銘打ち、小説『新・人間革命』を定期的に研さんしている。この春、新たに第7期生が入った▼先月、学んだのは第3巻と第4巻。各巻の内容を代表が紹介した後、5人ほどのグループに分かれて自由に意見交換する。当然ながら、同じ文章を読んでも感じ方や捉え方は十人十色。この違いが互いの刺激となる▼1961年のアジア平和旅が描かれた第3巻で、山本伸一は語る。「今回、訪問したほとんどの国に、わずかでもメンバーがいたというのは、大変なことです。『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです」(「平和の光」の章)▼ある壮年は思った。「次元は異なるが、仏縁を広げる私たちの対話は『一人』をつくる作業ではないだろうか」と。誰もがさまざまな人間関係の中で生きている。「一人」の真の友人ができれば、そこから共感の輪が大きく広がる▼『新・人間革命』は、単なる学会の歴史ではなく、広宣流布の不滅の方程式が示された"信心の教科書"。「今の自分」「今の活動」に生かせる"答え"がちりばめられている。
寸鉄 2022年6月20日
時代の先覚者には決然と進む覚悟が必要—恩師。立正安国の志高く対話へ
兵庫が反転攻勢へ。戦いは攻め抜いた方が勝つ。感激の同志と逆転勝利!
神奈川が一瀉千里の追走 正義の天地に栄光の旗を翻せ!総力戦で押し捲れ
世界難民の日。問題克服へ人道の連帯更に。誰も置き去りにしない未来を
物価高の今、公明主導の軽減税率が庶民生活守る—識者。輝く実績と行動
〈社説〉 2022・6・20 きょう「世界難民の日」
◇深刻な人道危機 克服へ連帯
"フルートを演奏した"という理由で、祖国・アフガニスタンを追われた青年がいる。命の危険におびえながら国境を越え、イランを経て日本へ。空港に到着した20歳を出迎えたのは、彼ら難民に光を当て、苦しみを取り除くために奔走してきた人々の笑顔だった。
創価学会平和委員会の「SDGsオンラインシネマシリーズ」にビデオメッセージを寄せた彼は、支援者に感謝しつつ、夢を語る。「美しい未来を実現するために多くの人と知り合い、良き友をつくっていきたい」。屈託のない笑顔には、失いかけた未来を再構築しようとする気概が脈打っていた。
ウクライナでは現在、1300万人超が国内外に逃れ、苦しい生活を強いられている。乳幼児や高齢者の手を引いて退避し、帰還の時を待つ母の心中はいかばかりか。日本でも、東京都が都営住宅を確保したり、日本財団が生活支援金を給付したりと、人道支援の輪が急ピッチで拡大。今後は、衣食住のサポートだけでなく"心のケア"も不可欠になる。
創価学会でも緊急人道支援として、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)をはじめ、ウクライナあるいはその周辺で支援に取り組む国際協力NGOなど、計5団体に寄付を実施。また、昨年からヨルダンで推進する音楽教育プロジェクト「音楽が私たちをつなぐ」のように、トラウマ(心的外傷)を抱える難民、避難民の子どもたちの精神的なサポートにも力を注いでいる。
世界の難民、避難民の総数は1億人を超えた。東南アジアや中東、アフリカの諸地域で続く人道危機も、今なお深刻である。戦争や紛争だけでなく、気候変動に伴う災害などで住む場所を失う「気候難民」も増加。こうした悲劇を生み出す「地球的問題群」は決して人ごとではなく、私たちは当事者の視点で関わっていくことが、いやまして求められていよう。
池田先生は、「誰も置き去りにしない」世界を築くために、「厳しい状況に置かれている人々の目線」に立つ大切さを訴えている。難民という状態に陥った方々が、どういう人生を送りたいと願っているのか、そこに心を寄せ、共に考えることが支援の出発点となろう。
きょうは「世界難民の日」。悲惨な紛争の一日も早い終息を祈りつつ、差別や偏見、無関心を共に乗り越える民衆の連帯を広げたい。
☆法華経に勝る兵法なし 千葉への指針から 第7回 広布のために「歩く」功徳は絶大
◇広布のために「歩く」功徳は絶大
次に「歩く」ことの意義に少々、ふれておきたい。「歩き」すなわち「ウオーキング」は、現在、もっとも身近で効果の高い健康法として、あらためて注目を集めている。
それはそれとして、仏教でも「歩行」は重視されている。
たとえば「経行」は、体調を整えるための一種の運動法で、釈尊時代から僧俗ともに、これを行った。法華経にも何回も出てくる。
(中略)
「経行」の功徳として、まとめると、だいたい次の五点が挙げられている。�体が鍛えられる(体力がつく)�病気が少ない�消化がよい�よく思索できる�意志が強くなる——こうした効果である。
(中略)
学会活動は、こうした面からも、日々、大きな価値を生んでいることを自覚していただきたい(拍手)。まして広布のために歩くことは、これ以上、尊き行動はない。
釈尊も、インドの大地を、よく歩かれた。足が鉄板のようになるほど歩いたといわれる。日蓮大聖人もまた、歩きに歩かれた。すべて弘法のため、一切の民衆のための行動であられた。
ゆえに、現実に広宣流布のために歩き、動かれている皆さま方こそ、大聖人の真実の門下であり、また釈尊以来の仏教の本流を実践している方々なのである。(1990年5月、第2回千葉県記念総会でのスピーチ、『池田大作全集』第74巻所収)
◇動いた分だけ平和と幸福が広がる
庶民の智慧ほど偉大にして賢いものはない。学者よりも政治家よりも賢明だ。
新しい発想が、新しい力を引き出す。我らの千葉には、新しき"何か"を生み出す土壌がある。
二百年ほど前、初めて正確な日本地図を作った伊能忠敬も千葉の出身だ。
九十九里に生まれ、佐原の名家を再興した彼は、五十歳で江戸に出て測量技術を学び始めた。五十五歳の時、幕府の許可を得て、蝦夷地の測量に出発。以来、二十年もの歳月を「大日本沿海輿地全図」の作製に捧げていった。
(中略)
伊能忠敬は、後半生のすべてを賭けて、自身の夢の完成のために、日本中を歩きに歩いた。その距離は実に四千万歩ともいわれる。
広宣流布も行動で決まる。
自ら動いた分だけ、歩いた分だけ、語った分だけ、わが地域の"平和の地図"は拡大する。祈りに祈り、心を砕いた分だけ、"幸福の地図"は光を放っていくのだ。(「随筆 新・人間革命」〈昇りゆく千葉の旭日〉、『池田大作全集』第133巻所収)
☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第27回 【栄光への指針】
◇「勝つ!」と決めて祈る
日蓮大聖人は、「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」(全992・新1346)と断言なされている。
人間は、世間を離れて生きることはできない。しかし、世間に振り回され、翻弄される人生は不幸だ。絶対に強く賢くあらねばならない。
「体」とは、個人でいえば「信心」である。
何があろうと、信心を奮い起こして、頭を上げ、胸を張ることだ。
いかなる局面にあっても、「絶対に勝つ!」と決めて祈り切ることだ。
これこそ、最強無敵の「法華経の兵法」なのである。
(『池田大作全集』第137巻、「随筆 人間世紀の光」)
◇祈って、祈って、勝つ
現実は厳しい。一番いけないのは無責任です。「御本尊を拝んでいるから、なんとかなるだろう」というのは信心利用です。祈ったならば、全力をあげて、全身全霊で、それを実現していくために戦うのが、まことの信心です。
社会で勝ち、「実証」を示してこそ、一家の勝利もあるし、広布の伸展もある。不可能を可能にする信心で、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に」(全1132・新1539)祈って、祈って、勝つのです。
(『池田大作全集』第31巻、「法華経の智慧」)
◇柱は倒れてはならない
壮年部の先達ともいうべき四条金吾が、主君から"法華経を捨てよ"と責められ、所領を没収される危機にあった時、日蓮大聖人は、烈々たる気迫で指導された。
——もし、あなたが倒れたならば、敵はそれに乗じて、鎌倉の同志を皆、退転させてしまうだろう、と。
負けるな! 柱は、絶対に倒れてはならないのだ!
「一生はゆめ(夢)の上・明日をご(期)せず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」(全1163・新1583)
彼は勇敢に戦い抜いた。信心の究極は「人の振舞」なりと誠実を貫き、あらん限りの知恵を働かせた。身を慎み、周囲に細かい注意と配慮を怠らなかった。
そして、苦難を耐え抜き、蓮祖の指南通りに「法華宗の四条金吾・四条金吾」と、人びとに讃えられる勝利者となっていったのだ。
「仏法は勝負」である。
壮年部は、一家の柱、社会の柱、そして広宣流布の偉大なる黄金柱だ。皆様が厳然としているからこそ、婦人部も男女青年部も、安心して戦える。
(『池田大作全集』第133巻、「随筆 新・人間革命」)
2022年6月19日日曜日
2022.06.18 わが友に贈る
広布と人生の栄光の峰へ
眼前の坂を登りゆこう!
限界突破の拡大で
「今生人界の思い出」刻む
有意義な一日一日を!
(新519・全467)
兄弟抄 P1084
『なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ』
【通解】
特別なことがなくても、人間は、一度死ぬことが決まっています。臨終の姿が悪くて、人から笑われるようなことがあってはなりません。
名字の言 人生を勝ち開く"広布の父たち" 2022年6月19日
春先、果樹園を営む男子部員の自宅を訪れた。彼は不在で、家族から「ブドウ園にいるよ」と聞き、足を運ぶと、ブドウの木に芽傷処理をしている最中だった▼これは芽の付近の枝にあえて傷をつける作業。そうすることで枝先だけでなく、枝の途中にある芽も数多く成長し、ブドウの収穫量が増えるという。"傷を受けたことで、かえって新たな芽を出し、多くの果実を得る"——同じようなことが人生にもある▼調理師の壮年部員。昨年、コロナ禍の影響で、勤める店が閉鎖となり、失業した。壮年は深夜のアルバイトをして家族を養った。この間、学会の組織では地区部長として広布に走り抜いた▼壮年の娘は当時を「家計は苦しく大変だった。でも忘れ難い、大切な思い出になった」と述懐する。"必ず宿命転換するぞ!"と家族で唱題し、御書を研さんした。親子で仏法対話にも歩いた。娘は「必死な父の背中に"負けない"信心の姿勢を教わりました」とも。その後、壮年は和食店の料理長として再起を果たした▼試練や苦難によって傷を負っても、信心根本の人は、それを糧に、より実りある人生を勝ち開いていける。各地の"広布の父たち"の雄姿が、それを厳然と物語る。きょうは「父の日」。
寸鉄 2022年6月19日
新時代の平和革命は仏法の実践以外にない—戸田先生。誇り胸に語り捲れ
兵庫が猛追。民衆凱歌の時代を開く主役は我ら!全国の友も執念の大援軍
福岡が疾風怒濤の猛攻。先駆とは勇んで壁に挑む行動。総立ちし凱旋を!
総攻撃の烽火を愛知から勝利の「この道」を全同志と共に!雄弁に攻め抜け
きょう父の日。社会支え、一家守る壮年部に感謝。誉れの黄金柱よ出番は今
☆大慈悲の心音 門下への便り 第4回 弥三郎
人生にも、広宣流布の途上にも、"ここが正念場"という勝負どころがあります。むしろ、常に"今こそ人間革命の好機!"と捉えて眼前の課題に挑みゆく勇気の信心、潔い信心こそ、宿命転換の直道ではないでしょうか。
弥三郎という名の門下も、勝負に臨むに当たり、日蓮大聖人から渾身の激励のお手紙を賜った一人です。
彼に送られたお手紙で唯一残る「弥三郎殿御返事」によると、弥三郎は在家の身でありながら、何らかの事情で念仏僧と法論を行うことになったようです。そのことを身延の大聖人にご報告した返答が、建治3年(1277年)8月に御述作されたこのお手紙です。
当時、四条金吾や池上兄弟、南条時光ら、有力な日蓮門下は、難の渦中にありました。
同年5月に御執筆された「上野殿御返事(梵帝御計らいの事)」は、周囲から圧迫を加えられ始めた南条時光に対する"勝利の人間学"です。また、四条金吾が讒言によって主君から「法華経を捨てよ」と責められたのも、この年の6月。"正義の言論戦は、かくあるべし"と、大聖人は金吾に代わって直ちに筆を執り「頼基陳状」を著されました。
「弥三郎殿御返事」でも同じように、法論で"このように言い切りなさい""こう責めなさい"と具体的に記されています。
広布の前進を阻もうと、紛然と競い起こる三障四魔、三類の強敵——。大聖人は、師匠に呼応して立ち上がる弟子たちに対し、"私のように正義を叫び切れ!"と烈々たる折伏精神で共戦を呼び掛けられています。
◇一人立つ共戦の弟子に
『されば、心あらん人々は「我らがために」と思しめすべし。もし恩を知り心有る人々は、二つ当たらん杖には一つは替わるべきことぞかし。』(弥三郎殿御返事、新2084・全1450)
日本の諸宗の僧、そしてあらゆる衆生は、最も大恩ある法華経、釈迦仏を蔑ろにするという転倒に陥り、大苦を招いている——。
この真実をただ一人知った大聖人は、大難に次ぐ大難を耐え忍びながら、正義を叫び抜かれました。その目的は仏法の本義を取り戻し、未来永遠にわたる民衆の幸福を実現するためです。
大聖人は、恩を知り、心ある人々であるならば、大聖人が受ける「二つの杖(難)」のうち、一つは受けるべきであるとまで仰せです。
池田先生は、「本抄で大聖人は、弟子が広宣流布の主体者として『一人立つ』ことを願われたのではないでしょうか」と講義されています。
悩みや環境に翻弄され、「師匠による救いを待つ弟子」から、己心の悲哀を制覇し、広布を切り開く「師弟共戦の弟子」へ。
日蓮仏法は、どこまでも人間革命の宗教です。
その上で法論に臨むに当たって、「我が師は、たびたびの大難にも臆する心がなく、ますます意気軒高でいらっしゃると承知していると、しかるべき筋に申し上げなさい」と指南されています。
大聖人の師子吼を拝し、弥三郎の胸に、師匠と共に戦い抜く闘魂がみなぎったことでしょう。
◇「断じて勝つ」と心決めて
『構えて構えて、所領を惜しみ、妻子を顧み、また人を憑んであやぶむことなかれ。
ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。』(同、新2085・全1451)
戸田先生は言われました。
「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」
今この時に集った私たちに使命のない人など一人もいません。
多くの同志が人生の岐路、広布の難所においてこの御文を拝し、わが使命を自覚して、勝利を開いてきました。
広布の言論戦に挑みゆく日蓮門下の心意気。その根本は油断や不安、他者を頼む心を排し、「断じて勝つ」と心を決めることです。
古来、幾多の勇将が命懸けで突破して名を馳せた合戦の勝負所「宇治川」「勢多(瀬田川)」。同じように、このたびの法論こそ、妙法弘通の歴史に永遠に名を残す絶好機ではないか!——大聖人の大確信が胸に迫ります。
池田先生は呼び掛けられています。「一人立ったその時、その場所が、仏法の正義を証明しゆく『宇治・勢多』の使命の宝処となるのです。ゆえに、わが親愛なる同志よ、わが後継の青年たちよ、断固として、今日を勝ち抜け!」
眼前の坂を登りゆこう!
限界突破の拡大で
「今生人界の思い出」刻む
有意義な一日一日を!
(新519・全467)
兄弟抄 P1084
『なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ』
【通解】
特別なことがなくても、人間は、一度死ぬことが決まっています。臨終の姿が悪くて、人から笑われるようなことがあってはなりません。
名字の言 人生を勝ち開く"広布の父たち" 2022年6月19日
春先、果樹園を営む男子部員の自宅を訪れた。彼は不在で、家族から「ブドウ園にいるよ」と聞き、足を運ぶと、ブドウの木に芽傷処理をしている最中だった▼これは芽の付近の枝にあえて傷をつける作業。そうすることで枝先だけでなく、枝の途中にある芽も数多く成長し、ブドウの収穫量が増えるという。"傷を受けたことで、かえって新たな芽を出し、多くの果実を得る"——同じようなことが人生にもある▼調理師の壮年部員。昨年、コロナ禍の影響で、勤める店が閉鎖となり、失業した。壮年は深夜のアルバイトをして家族を養った。この間、学会の組織では地区部長として広布に走り抜いた▼壮年の娘は当時を「家計は苦しく大変だった。でも忘れ難い、大切な思い出になった」と述懐する。"必ず宿命転換するぞ!"と家族で唱題し、御書を研さんした。親子で仏法対話にも歩いた。娘は「必死な父の背中に"負けない"信心の姿勢を教わりました」とも。その後、壮年は和食店の料理長として再起を果たした▼試練や苦難によって傷を負っても、信心根本の人は、それを糧に、より実りある人生を勝ち開いていける。各地の"広布の父たち"の雄姿が、それを厳然と物語る。きょうは「父の日」。
寸鉄 2022年6月19日
新時代の平和革命は仏法の実践以外にない—戸田先生。誇り胸に語り捲れ
兵庫が猛追。民衆凱歌の時代を開く主役は我ら!全国の友も執念の大援軍
福岡が疾風怒濤の猛攻。先駆とは勇んで壁に挑む行動。総立ちし凱旋を!
総攻撃の烽火を愛知から勝利の「この道」を全同志と共に!雄弁に攻め抜け
きょう父の日。社会支え、一家守る壮年部に感謝。誉れの黄金柱よ出番は今
☆大慈悲の心音 門下への便り 第4回 弥三郎
人生にも、広宣流布の途上にも、"ここが正念場"という勝負どころがあります。むしろ、常に"今こそ人間革命の好機!"と捉えて眼前の課題に挑みゆく勇気の信心、潔い信心こそ、宿命転換の直道ではないでしょうか。
弥三郎という名の門下も、勝負に臨むに当たり、日蓮大聖人から渾身の激励のお手紙を賜った一人です。
彼に送られたお手紙で唯一残る「弥三郎殿御返事」によると、弥三郎は在家の身でありながら、何らかの事情で念仏僧と法論を行うことになったようです。そのことを身延の大聖人にご報告した返答が、建治3年(1277年)8月に御述作されたこのお手紙です。
当時、四条金吾や池上兄弟、南条時光ら、有力な日蓮門下は、難の渦中にありました。
同年5月に御執筆された「上野殿御返事(梵帝御計らいの事)」は、周囲から圧迫を加えられ始めた南条時光に対する"勝利の人間学"です。また、四条金吾が讒言によって主君から「法華経を捨てよ」と責められたのも、この年の6月。"正義の言論戦は、かくあるべし"と、大聖人は金吾に代わって直ちに筆を執り「頼基陳状」を著されました。
「弥三郎殿御返事」でも同じように、法論で"このように言い切りなさい""こう責めなさい"と具体的に記されています。
広布の前進を阻もうと、紛然と競い起こる三障四魔、三類の強敵——。大聖人は、師匠に呼応して立ち上がる弟子たちに対し、"私のように正義を叫び切れ!"と烈々たる折伏精神で共戦を呼び掛けられています。
◇一人立つ共戦の弟子に
『されば、心あらん人々は「我らがために」と思しめすべし。もし恩を知り心有る人々は、二つ当たらん杖には一つは替わるべきことぞかし。』(弥三郎殿御返事、新2084・全1450)
日本の諸宗の僧、そしてあらゆる衆生は、最も大恩ある法華経、釈迦仏を蔑ろにするという転倒に陥り、大苦を招いている——。
この真実をただ一人知った大聖人は、大難に次ぐ大難を耐え忍びながら、正義を叫び抜かれました。その目的は仏法の本義を取り戻し、未来永遠にわたる民衆の幸福を実現するためです。
大聖人は、恩を知り、心ある人々であるならば、大聖人が受ける「二つの杖(難)」のうち、一つは受けるべきであるとまで仰せです。
池田先生は、「本抄で大聖人は、弟子が広宣流布の主体者として『一人立つ』ことを願われたのではないでしょうか」と講義されています。
悩みや環境に翻弄され、「師匠による救いを待つ弟子」から、己心の悲哀を制覇し、広布を切り開く「師弟共戦の弟子」へ。
日蓮仏法は、どこまでも人間革命の宗教です。
その上で法論に臨むに当たって、「我が師は、たびたびの大難にも臆する心がなく、ますます意気軒高でいらっしゃると承知していると、しかるべき筋に申し上げなさい」と指南されています。
大聖人の師子吼を拝し、弥三郎の胸に、師匠と共に戦い抜く闘魂がみなぎったことでしょう。
◇「断じて勝つ」と心決めて
『構えて構えて、所領を惜しみ、妻子を顧み、また人を憑んであやぶむことなかれ。
ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。』(同、新2085・全1451)
戸田先生は言われました。
「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」
今この時に集った私たちに使命のない人など一人もいません。
多くの同志が人生の岐路、広布の難所においてこの御文を拝し、わが使命を自覚して、勝利を開いてきました。
広布の言論戦に挑みゆく日蓮門下の心意気。その根本は油断や不安、他者を頼む心を排し、「断じて勝つ」と心を決めることです。
古来、幾多の勇将が命懸けで突破して名を馳せた合戦の勝負所「宇治川」「勢多(瀬田川)」。同じように、このたびの法論こそ、妙法弘通の歴史に永遠に名を残す絶好機ではないか!——大聖人の大確信が胸に迫ります。
池田先生は呼び掛けられています。「一人立ったその時、その場所が、仏法の正義を証明しゆく『宇治・勢多』の使命の宝処となるのです。ゆえに、わが親愛なる同志よ、わが後継の青年たちよ、断固として、今日を勝ち抜け!」
2022年6月18日土曜日
2022.06.19 わが友に贈る
「強盛の信心いよいよ
悦びをなすべし」
地涌の使命を胸に
幸福広げる対話を!
さあ今日も前へ進もう!
(新1720・全1448)
祈祷抄 P1347
『されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごとし琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし』
【通解】
したがって、法華経の行者が祈る祈りは、音に応じて響きがあるように、影が体に添うように、澄んだ水に月が映るように、冷えた鏡が表面に露をつけるように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、曇りのない鏡が物の色を浮かべるように、必ず叶うのである。
【先生の指導から】
「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
「法華経に勝る兵法なし」の信心である。
恩師の「追撃の手をゆるめるな!」の叫びのままに、さらに強盛に祈りぬき、祈りきり、梵天・帝釈等を揺り動かしながら、爽快なる勝ち戦を続けてまいりたい。
名字の言 全日本大学駅伝予選会——創価大学の力走に期待 2022年6月18日
第54回全日本大学駅伝の地区選考会が、きょうから始まる。東海を皮切りに、あすは関東、関西、九州で行われ、8地区の選考会を勝ち抜いた17校と前回大会の上位8校などが学生日本一を懸け、11月の本戦に挑む▼最激戦の関東地区には、創価大学など20校がエントリー。各大学の8人が2人ずつ4組に分かれて1万メートルを走り、合計タイムの上位7校に全国への切符が与えられる▼初出場を狙う創大が目指すのは、スローガンに掲げた「強さの証明」だ。それを示したのが4月の日本学生陸上個人選手権1万メートル。序盤からレースを引っ張った葛西潤選手が優勝し、2位の嶋津雄大選手と共に最後まで主導権を渡さなかった▼長距離のトラック種目は多くの場合、集団を形成してレースが進む。単に先頭を走れば勝利に結び付くというわけではない。気象条件、レース展開、ライバルの調子などを見極める洞察力が求められる。何より必要なのは、どんな状況でも、自分のベストの力を自在に発揮できる"本物の強さ"だ▼積み重ねた努力は絶対に裏切らない。それは調子や条件が悪い時ほど自分を支え、前進させる強さとなる。駅伝部の力走を楽しみに、私たちも人生という名の大舞台で悔いなく走り抜こう!
寸鉄 2022年6月18日
「各々、師子王の心を取り出だして」御書。勇気はすべての人に。皆が人材(新1620・全1190)
兵庫が執念の反転攻勢。逆転の劇はここからだ。全同志が力強くエール!
正義の大神奈川が猛追!誠実と確信で語れ。いよいよ本領発揮し共に勝鬨
埼玉が鉄桶の団結で激走われらは前進あるのみ!民衆パワーで栄光の頂へ
食中毒が増加する季節。不十分な加熱等に注意。入念な手洗いも欠かさず
〈社説〉 2022・6・18 あす「朗読の日」
◇子どもと心を響かせ合う交流を
「読み聞かせ 親子見つめる 月天子」
かつて本紙「新・生き生き川柳」欄に紹介された句だ。就寝前に親子で楽しそうに読み聞かせをする様子が目に浮かんでくる。
あす6月19日は「朗読の日」。
2002年に、日本朗読文化協会が制定したもので、「朗読」という文化活動を通じて、広く社会に貢献することを目指し、さまざまな取り組みがされている。
最も身近な朗読の一つに、子どもへの絵本の読み聞かせがある。
同協会名誉会長の加賀美幸子さんは、かつて本紙のトーク企画で、「読み聞かせ」のこつを巡ってこう語った。
「『どうしたら伝わるか』という真剣な思いでしょうか。その上で、足りなければ、補えばいい。多すぎたら、削ればいい」
昨年、英・オックスフォード大学出版局(OUP)が発表した、保護者による子どもへの読み聞かせに関する調査で、保護者の75%は"読み聞かせが子どもとの関係構築を助ける"と回答し、51%は"読み聞かせの時間を増やしたい"と考えていることが分かった。
本紙でも、これまで読者や専門家の読み聞かせの工夫やアドバイスを紹介してきた。
その一人、フリーアナウンサーの堀井美香さんは、絵本を朗読する際に声の「強弱」、読む「スピード」、言葉と言葉の「間」の三つを、自分なりに変えてみることを勧めている。そのように「思いっ切り感情を込めて読んだ方がより楽しめるのでは」と親子で楽しむポイントを紹介していた。
最近は子どもも読み手となる絵本の「読み合い」も注目されている。読み聞かせ、読み合いのどちらも、聞き手と読み手とが一緒になり、ハラハラ・ドキドキし、喜びや悲しみを共有し、心を響かせ合える。子どもの心を豊かに耕し、親にとっても子どもへの愛情を深める大切な時間である。
池田大作先生は、「親から子へ、子から親へと通いあう『心の時間』こそが大事なのです」と強調し、「わずかな時間であったとしても、ともに語りあったり、何かを一緒に体験したり、感動しあった時間というのは、子どもの心に深く残っていく」と、子育てに奮闘する友へ励ましを送る。
たとえ10分でも絵本を通じた親子の時間をつくってみる。そうした積み重ねが心の財産となろう。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第20回 ヘレン・ケラー
〈ヘレン・ケラー〉
不可能だと思われた障壁を征服し、完成の領域をさらに押し広げていく。
それに匹敵する歓びがあるでしょうか。
それは、今から90年前のことである。1932年6月15日、イギリスの名門・グラスゴー大学は、一人の女性に最高栄誉である「名誉博士号」を贈った。
アメリカの社会福祉運動家ヘレン・ケラーである。
授与式の会場となった19世紀建造のビュート・ホールに、大学総長の厳かな宣言が響く。会場の一角には、ヘレンの晴れ舞台を見守る教師アン・サリバンの姿が。
「我々は、勇気と不屈の忍耐をもって、人間の肉体の弱さゆえの障害を越えて、先例なく、また類例なき智力の勝利をかち得たる、この婦人を尊敬する。それと同時に我々は、彼女の友人にして教師である人、献身的な愛と天才によって、この勝利を可能ならしめた婦人を讃美するものである」
目・耳・口の"三重苦"に屈しなかったヘレン。そして彼女を懸命に薫陶し続けたサリバン——。総長の言葉は、偉大な師弟への賛辞にあふれていた。
「不可能だと思われた障壁を征服し、完成の領域をさらに押し広げてゆく歓び、それに匹敵する歓びがあるでしょうか」
この信念で、自らの生涯を通して人々に希望の光を与え続けたヘレンは、1880年6月27日、米アラバマ州で生まれた。
裕福な家庭で育つが、2歳を前に、原因不明の恐ろしい病に襲われる。やがて体調は回復したものの、後遺症として目と耳の機能が奪われ、さらには話すこともできなくなってしまった。
しかし両親は、娘の可能性を信じて愛情を注ぎ、障がいを乗り越える方途を求めて医師などの意見を聞き歩いた。その中で出会ったのが、電話の発明で知られるグラハム・ベル。聴覚障がい者の教育に携わっていた彼の提案で、盲学校の校長に家庭教師を紹介してもらうことになった。
そして、ヘレンが6歳だった87年3月3日、盲学校を優秀な成績で卒業したサリバンが家庭教師としてケラー家へ。ヘレンにとって「魂の誕生日」となったこの日から、半世紀にわたる二人三脚の歩みが始まったのである。
反抗心の強いヘレンに、サリバンは手を焼いた。それでも根気よく関わり続けるサリバンに、ヘレンは信頼を寄せていく。
「全てのものに名前がある」。それを認識させるため、サリバンは指の形でアルファベットを一文字ずつ表す「指文字」を、ヘレンの手のひらにつづり、言葉を教えた。しかし何度教わっても、ヘレンは「名前がある」ということを理解できない。
転機が訪れたのは、出会って1カ月が過ぎた頃。サリバンはヘレンを庭の井戸に連れて行き、コップを持たせて水を注いだ。コップからあふれ出した水が、ヘレンの手に伝わる。するとサリバンは、ヘレンのもう一方の手に何度も指文字で「WATER(水)」と書いた。水に触れたヘレンは、それが名前をもつものであると、初めて認識することができたのだ。
"生きた言葉が魂を目覚めさせ、光と望みと喜びを与え、自由にしてくれた"——この出来事は彼女の向学の意欲を呼び覚ました。
可能性の扉を開いたヘレンは、その後の数週間で300以上の単語を習得。学ぶ楽しさを知り、達成感に満たされていくと、次第に心も穏やかになっていった。
やがて読み書きができるようになると、さらに"声を発したい"との願いも実現させる。
大学進学の夢もかなえた。16歳で入学したケンブリッジ女学院を経て、ハーバード大学の女子学生が学ぶラドクリフ・カレッジに進み、優秀な成績で卒業する。
在学中には雑誌で連載を持ち、『わたしの生涯』と題する書籍を出版。作品は絶賛され、後に世界中で読まれる名著となった。
どんな不可能も可能にしてきたヘレンの傍らには、常にサリバンがいた。その献身への感謝を、ヘレンは次のように表現している。
「先生の存在が私とは切り離せぬものであり、また私の生涯の歩みは先生の歩みの中にあることを感じます。私の持っている一番良いものはみな先生のものです」
人生の師匠ともいうべきサリバンに導かれ、使命の道を切り開いたヘレン。大学卒業後は培った力を存分に生かし、障がい者のための福祉事業や社会運動に積極的に取り組んでいった。
〈ヘレン・ケラー〉
私たちの仕事に相応し、はるかな目的に向かって雄々しく進みうる力を与えてください——そう祈るのです。
1936年、彼女の成長と活躍を見守り続けてきたサリバンが、70歳でこの世を去った。大きな喪失感に襲われたヘレンだったが、悲しみを振り払うように、新たな挑戦として海外での講演活動を本格的に開始する。その第一歩として訪れた国こそ日本であった。
初訪問は37年4月。船で横浜港に着くと、約3カ月半かけて、東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡など全国を巡り、実に97回もの講演会を行っている。
ヘレンの訪日は3度。講演した会場の一つは、後に学会の「大阪大会」で池田先生が正義を師子吼した大阪市中央公会堂である。
ヘレンは晩年まで、障がい者が幸福に生きられる社会、そして世界の平和の実現を訴え続けた。
彼女の言葉にこうある。
「あらゆる苦闘は一つひとつが勝利なのです。もう少し努力をすれば光り輝く雲にとどき、空の青い深み、私の望みの高天原に着くのです」
「私たちは、私たちの力に相応した仕事を与えてください、ということを祈るのではなくして、私たちの仕事に相応し、大望心に燃え、はるかな目的に向かって、おおしく進みうる力を与えてください、ということを祈るのでなければなりません」
彼女が残した直筆メモなどの一部は、学会の「21世紀 希望の人権展」「7色に輝く女性展」等で展示され、大きな反響を呼んだ。
「師弟」によって育まれたヘレンの慈愛、忍耐、勇気は、人類史に不滅の光を放っている。
〈ヘレン・ケラーを語る池田先生〉
大事なのは、なによりも、自分自身が満足できたかどうかだ。
だれになんと言われようが、「私はやりきった!」「私は勝った!」
そう言い切れる人が勝者である。
グラスゴー大学がヘレンに名誉博士号を授与してから、ちょうど62年後の1994年6月15日。
彼女が式典に臨んだビュート・ホールに池田先生の姿はあった。この日、同大学から先生に名誉博士号が贈られたのである。
同じ「6月15日」という不思議な時の一致を見た授与式。
「池田氏の人生の方向を決定づけたのは、1947年、戸田城聖氏と出会い、氏の弟子になられたことであります」
推挙の辞では、ヘレンとサリバンの師弟を賛嘆した62年前と同様に、池田先生と戸田先生の師弟が世界に向かって宣揚された。
「真の正義の人を擁護し、賞讃することは、グラスゴー大学の誉れ高き伝統です」——そう述べたのは、式典を感慨を込めて振り返った同大学出身の教育者である。
"弟子の勝利は、師匠の勝利""弟子の喜びは、自らの勝利を師匠にささげること"——それを知るヘレンの言葉を通して語った池田先生のスピーチに、こうある。
「彼女は、『人間を変えるものは環境ではなく、人間自身の内なる力なのです』と語っている。
私たちの『人間革命』の思想と響き合う。大事なのは、なによりも、自分自身が満足できたかどうかだ。だれになんと言われようが、『私はやりきった!』『私は勝った!』と言い切れる人生を送った人が勝者である。
さらにヘレン・ケラーさんは言う。『他人のために尽そうとか、社会に新生命を打ち建てようという、私欲を離れた目的から永続的な確実な歓喜が生れるものであります』
私たちの前進は、社会の善のためである。友の希望のためである。自身の使命のためである。歓喜と充実の人生とならないはずはない」(2003年8月5日、全国最高協議会でのスピーチ)
2008年6月5日には「ヘレン・ケラーの思い出」と題した随筆を発表。その中で、最後に先生は力強く呼び掛けた。
「『我らの友よ、夜明けはそこまで来ているのです』
『我らがつくった大道を真っしぐらに前進しようではありませんか。団結し合い、覚悟を新たにして恐れることなく!』
これは、ヘレン・ケラーの人生を貫いた叫びである。
わが敬愛する同志よ、晴れ晴れと戦い、晴れ晴れと勝つのだ!
青年の心で、青年と共に!
滝の如く堂々と!」
悦びをなすべし」
地涌の使命を胸に
幸福広げる対話を!
さあ今日も前へ進もう!
(新1720・全1448)
祈祷抄 P1347
『されば法華経の行者の祈る祈は響の音に応ずるがごとし影の体にそえるがごとし、すめる水に月のうつるがごとし方諸の水をまねくがごとし磁石の鉄をすうがごとし琥珀の塵をとるがごとし、あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし』
【通解】
したがって、法華経の行者が祈る祈りは、音に応じて響きがあるように、影が体に添うように、澄んだ水に月が映るように、冷えた鏡が表面に露をつけるように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、曇りのない鏡が物の色を浮かべるように、必ず叶うのである。
【先生の指導から】
「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
「法華経に勝る兵法なし」の信心である。
恩師の「追撃の手をゆるめるな!」の叫びのままに、さらに強盛に祈りぬき、祈りきり、梵天・帝釈等を揺り動かしながら、爽快なる勝ち戦を続けてまいりたい。
名字の言 全日本大学駅伝予選会——創価大学の力走に期待 2022年6月18日
第54回全日本大学駅伝の地区選考会が、きょうから始まる。東海を皮切りに、あすは関東、関西、九州で行われ、8地区の選考会を勝ち抜いた17校と前回大会の上位8校などが学生日本一を懸け、11月の本戦に挑む▼最激戦の関東地区には、創価大学など20校がエントリー。各大学の8人が2人ずつ4組に分かれて1万メートルを走り、合計タイムの上位7校に全国への切符が与えられる▼初出場を狙う創大が目指すのは、スローガンに掲げた「強さの証明」だ。それを示したのが4月の日本学生陸上個人選手権1万メートル。序盤からレースを引っ張った葛西潤選手が優勝し、2位の嶋津雄大選手と共に最後まで主導権を渡さなかった▼長距離のトラック種目は多くの場合、集団を形成してレースが進む。単に先頭を走れば勝利に結び付くというわけではない。気象条件、レース展開、ライバルの調子などを見極める洞察力が求められる。何より必要なのは、どんな状況でも、自分のベストの力を自在に発揮できる"本物の強さ"だ▼積み重ねた努力は絶対に裏切らない。それは調子や条件が悪い時ほど自分を支え、前進させる強さとなる。駅伝部の力走を楽しみに、私たちも人生という名の大舞台で悔いなく走り抜こう!
寸鉄 2022年6月18日
「各々、師子王の心を取り出だして」御書。勇気はすべての人に。皆が人材(新1620・全1190)
兵庫が執念の反転攻勢。逆転の劇はここからだ。全同志が力強くエール!
正義の大神奈川が猛追!誠実と確信で語れ。いよいよ本領発揮し共に勝鬨
埼玉が鉄桶の団結で激走われらは前進あるのみ!民衆パワーで栄光の頂へ
食中毒が増加する季節。不十分な加熱等に注意。入念な手洗いも欠かさず
〈社説〉 2022・6・18 あす「朗読の日」
◇子どもと心を響かせ合う交流を
「読み聞かせ 親子見つめる 月天子」
かつて本紙「新・生き生き川柳」欄に紹介された句だ。就寝前に親子で楽しそうに読み聞かせをする様子が目に浮かんでくる。
あす6月19日は「朗読の日」。
2002年に、日本朗読文化協会が制定したもので、「朗読」という文化活動を通じて、広く社会に貢献することを目指し、さまざまな取り組みがされている。
最も身近な朗読の一つに、子どもへの絵本の読み聞かせがある。
同協会名誉会長の加賀美幸子さんは、かつて本紙のトーク企画で、「読み聞かせ」のこつを巡ってこう語った。
「『どうしたら伝わるか』という真剣な思いでしょうか。その上で、足りなければ、補えばいい。多すぎたら、削ればいい」
昨年、英・オックスフォード大学出版局(OUP)が発表した、保護者による子どもへの読み聞かせに関する調査で、保護者の75%は"読み聞かせが子どもとの関係構築を助ける"と回答し、51%は"読み聞かせの時間を増やしたい"と考えていることが分かった。
本紙でも、これまで読者や専門家の読み聞かせの工夫やアドバイスを紹介してきた。
その一人、フリーアナウンサーの堀井美香さんは、絵本を朗読する際に声の「強弱」、読む「スピード」、言葉と言葉の「間」の三つを、自分なりに変えてみることを勧めている。そのように「思いっ切り感情を込めて読んだ方がより楽しめるのでは」と親子で楽しむポイントを紹介していた。
最近は子どもも読み手となる絵本の「読み合い」も注目されている。読み聞かせ、読み合いのどちらも、聞き手と読み手とが一緒になり、ハラハラ・ドキドキし、喜びや悲しみを共有し、心を響かせ合える。子どもの心を豊かに耕し、親にとっても子どもへの愛情を深める大切な時間である。
池田大作先生は、「親から子へ、子から親へと通いあう『心の時間』こそが大事なのです」と強調し、「わずかな時間であったとしても、ともに語りあったり、何かを一緒に体験したり、感動しあった時間というのは、子どもの心に深く残っていく」と、子育てに奮闘する友へ励ましを送る。
たとえ10分でも絵本を通じた親子の時間をつくってみる。そうした積み重ねが心の財産となろう。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第20回 ヘレン・ケラー
〈ヘレン・ケラー〉
不可能だと思われた障壁を征服し、完成の領域をさらに押し広げていく。
それに匹敵する歓びがあるでしょうか。
それは、今から90年前のことである。1932年6月15日、イギリスの名門・グラスゴー大学は、一人の女性に最高栄誉である「名誉博士号」を贈った。
アメリカの社会福祉運動家ヘレン・ケラーである。
授与式の会場となった19世紀建造のビュート・ホールに、大学総長の厳かな宣言が響く。会場の一角には、ヘレンの晴れ舞台を見守る教師アン・サリバンの姿が。
「我々は、勇気と不屈の忍耐をもって、人間の肉体の弱さゆえの障害を越えて、先例なく、また類例なき智力の勝利をかち得たる、この婦人を尊敬する。それと同時に我々は、彼女の友人にして教師である人、献身的な愛と天才によって、この勝利を可能ならしめた婦人を讃美するものである」
目・耳・口の"三重苦"に屈しなかったヘレン。そして彼女を懸命に薫陶し続けたサリバン——。総長の言葉は、偉大な師弟への賛辞にあふれていた。
「不可能だと思われた障壁を征服し、完成の領域をさらに押し広げてゆく歓び、それに匹敵する歓びがあるでしょうか」
この信念で、自らの生涯を通して人々に希望の光を与え続けたヘレンは、1880年6月27日、米アラバマ州で生まれた。
裕福な家庭で育つが、2歳を前に、原因不明の恐ろしい病に襲われる。やがて体調は回復したものの、後遺症として目と耳の機能が奪われ、さらには話すこともできなくなってしまった。
しかし両親は、娘の可能性を信じて愛情を注ぎ、障がいを乗り越える方途を求めて医師などの意見を聞き歩いた。その中で出会ったのが、電話の発明で知られるグラハム・ベル。聴覚障がい者の教育に携わっていた彼の提案で、盲学校の校長に家庭教師を紹介してもらうことになった。
そして、ヘレンが6歳だった87年3月3日、盲学校を優秀な成績で卒業したサリバンが家庭教師としてケラー家へ。ヘレンにとって「魂の誕生日」となったこの日から、半世紀にわたる二人三脚の歩みが始まったのである。
反抗心の強いヘレンに、サリバンは手を焼いた。それでも根気よく関わり続けるサリバンに、ヘレンは信頼を寄せていく。
「全てのものに名前がある」。それを認識させるため、サリバンは指の形でアルファベットを一文字ずつ表す「指文字」を、ヘレンの手のひらにつづり、言葉を教えた。しかし何度教わっても、ヘレンは「名前がある」ということを理解できない。
転機が訪れたのは、出会って1カ月が過ぎた頃。サリバンはヘレンを庭の井戸に連れて行き、コップを持たせて水を注いだ。コップからあふれ出した水が、ヘレンの手に伝わる。するとサリバンは、ヘレンのもう一方の手に何度も指文字で「WATER(水)」と書いた。水に触れたヘレンは、それが名前をもつものであると、初めて認識することができたのだ。
"生きた言葉が魂を目覚めさせ、光と望みと喜びを与え、自由にしてくれた"——この出来事は彼女の向学の意欲を呼び覚ました。
可能性の扉を開いたヘレンは、その後の数週間で300以上の単語を習得。学ぶ楽しさを知り、達成感に満たされていくと、次第に心も穏やかになっていった。
やがて読み書きができるようになると、さらに"声を発したい"との願いも実現させる。
大学進学の夢もかなえた。16歳で入学したケンブリッジ女学院を経て、ハーバード大学の女子学生が学ぶラドクリフ・カレッジに進み、優秀な成績で卒業する。
在学中には雑誌で連載を持ち、『わたしの生涯』と題する書籍を出版。作品は絶賛され、後に世界中で読まれる名著となった。
どんな不可能も可能にしてきたヘレンの傍らには、常にサリバンがいた。その献身への感謝を、ヘレンは次のように表現している。
「先生の存在が私とは切り離せぬものであり、また私の生涯の歩みは先生の歩みの中にあることを感じます。私の持っている一番良いものはみな先生のものです」
人生の師匠ともいうべきサリバンに導かれ、使命の道を切り開いたヘレン。大学卒業後は培った力を存分に生かし、障がい者のための福祉事業や社会運動に積極的に取り組んでいった。
〈ヘレン・ケラー〉
私たちの仕事に相応し、はるかな目的に向かって雄々しく進みうる力を与えてください——そう祈るのです。
1936年、彼女の成長と活躍を見守り続けてきたサリバンが、70歳でこの世を去った。大きな喪失感に襲われたヘレンだったが、悲しみを振り払うように、新たな挑戦として海外での講演活動を本格的に開始する。その第一歩として訪れた国こそ日本であった。
初訪問は37年4月。船で横浜港に着くと、約3カ月半かけて、東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡など全国を巡り、実に97回もの講演会を行っている。
ヘレンの訪日は3度。講演した会場の一つは、後に学会の「大阪大会」で池田先生が正義を師子吼した大阪市中央公会堂である。
ヘレンは晩年まで、障がい者が幸福に生きられる社会、そして世界の平和の実現を訴え続けた。
彼女の言葉にこうある。
「あらゆる苦闘は一つひとつが勝利なのです。もう少し努力をすれば光り輝く雲にとどき、空の青い深み、私の望みの高天原に着くのです」
「私たちは、私たちの力に相応した仕事を与えてください、ということを祈るのではなくして、私たちの仕事に相応し、大望心に燃え、はるかな目的に向かって、おおしく進みうる力を与えてください、ということを祈るのでなければなりません」
彼女が残した直筆メモなどの一部は、学会の「21世紀 希望の人権展」「7色に輝く女性展」等で展示され、大きな反響を呼んだ。
「師弟」によって育まれたヘレンの慈愛、忍耐、勇気は、人類史に不滅の光を放っている。
〈ヘレン・ケラーを語る池田先生〉
大事なのは、なによりも、自分自身が満足できたかどうかだ。
だれになんと言われようが、「私はやりきった!」「私は勝った!」
そう言い切れる人が勝者である。
グラスゴー大学がヘレンに名誉博士号を授与してから、ちょうど62年後の1994年6月15日。
彼女が式典に臨んだビュート・ホールに池田先生の姿はあった。この日、同大学から先生に名誉博士号が贈られたのである。
同じ「6月15日」という不思議な時の一致を見た授与式。
「池田氏の人生の方向を決定づけたのは、1947年、戸田城聖氏と出会い、氏の弟子になられたことであります」
推挙の辞では、ヘレンとサリバンの師弟を賛嘆した62年前と同様に、池田先生と戸田先生の師弟が世界に向かって宣揚された。
「真の正義の人を擁護し、賞讃することは、グラスゴー大学の誉れ高き伝統です」——そう述べたのは、式典を感慨を込めて振り返った同大学出身の教育者である。
"弟子の勝利は、師匠の勝利""弟子の喜びは、自らの勝利を師匠にささげること"——それを知るヘレンの言葉を通して語った池田先生のスピーチに、こうある。
「彼女は、『人間を変えるものは環境ではなく、人間自身の内なる力なのです』と語っている。
私たちの『人間革命』の思想と響き合う。大事なのは、なによりも、自分自身が満足できたかどうかだ。だれになんと言われようが、『私はやりきった!』『私は勝った!』と言い切れる人生を送った人が勝者である。
さらにヘレン・ケラーさんは言う。『他人のために尽そうとか、社会に新生命を打ち建てようという、私欲を離れた目的から永続的な確実な歓喜が生れるものであります』
私たちの前進は、社会の善のためである。友の希望のためである。自身の使命のためである。歓喜と充実の人生とならないはずはない」(2003年8月5日、全国最高協議会でのスピーチ)
2008年6月5日には「ヘレン・ケラーの思い出」と題した随筆を発表。その中で、最後に先生は力強く呼び掛けた。
「『我らの友よ、夜明けはそこまで来ているのです』
『我らがつくった大道を真っしぐらに前進しようではありませんか。団結し合い、覚悟を新たにして恐れることなく!』
これは、ヘレン・ケラーの人生を貫いた叫びである。
わが敬愛する同志よ、晴れ晴れと戦い、晴れ晴れと勝つのだ!
青年の心で、青年と共に!
滝の如く堂々と!」
2022年6月17日金曜日
2022.06.17 わが友に贈る
目標を達成するまで
何度も何度も挑戦する。
これが勝利の要諦だ。
わが誓願を果たしゆく
粘り強き前進を!
守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』
【通解】
この悪侶は利養(名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること)の故に、この経を広宣流布することができない。
名字の言 味とともによみがえる「食事の思い出」 2022年6月17日
一家の夕食は、夫婦が当番制で準備するという男子部員。ある休日、彼が「たまには外食でも」と家族を誘うと、幼い息子は「パパご飯、ママご飯がいい」とごねた。夫妻は困惑しながらも、うれしくなった▼子どもにとって、両親が一生懸命に作ってくれたご飯を食べる時間は、家族の愛情に包まれ、単におなかを満たす以上の意味がある。同様に、人それぞれの「食事の思い出」も料理とともに、その時の情景を呼び起こすものだろう▼そば屋を営む友人読者を本紙で掲載したところ、紙面を見た女性部員から便りがあった。数十年前、社会人の第一歩をしるした勤務先の近所に、その店があったという。時折、出前を頼んでは堪能したことが懐かしい、と▼だしの味とともに、あの頃の出来事もよみがえった。一番の思い出は「信心と出あったこと」——学会員である職場の同僚に折伏され、入会。社会で奮闘しつつ、充実の青年部時代を送り、後年、両親への弘教も実らせた▼彼女は現在、支部女性部長として活躍。「同じ釜の飯」ならぬ、"同じそば屋の出前"を食べ、数々の思い出を刻んだ同僚とは、今も励ましを重ねては友好を広げている。"食とは体験である"とも言われるが、まさに至言である。
寸鉄 2022年6月17日
試練を切り抜ける度、崩れぬ成仏の境涯に—恩師 広布の戦いは全てが宝と
全国各地で対話の大旋風 確信漲る声は乱世の希望 平和と幸福の連帯を拡大
茨城の日。求道・団結・行動で進む無敵の人材城 仏法は勝負!共に凱旋を
交通事故に注意。絶対に起こさない、遭わない。隙をつくらず障魔を撃退
"気候変動に歯止めを"—国連とメディアが運動。今できることを足元から
〈社説〉 2022・6・17 あさって「父の日」
◇男性の家庭進出を当たり前に
「イクメン」という言葉が生まれて十数年がたった。保育園への送迎など、育児のさまざまな場面で、男性の姿が見られるように。仕事などとの両立に悩みながらも育児に取り組む男性読者から、声が寄せられることも増えた。
ある男子部員は、第2子誕生の喜びをかみ締め、夜泣きの赤ん坊の世話をするように。「夜勤」と表現するほど精神的にも肉体的にも過酷と語り、「妻に感謝です。正直、仕事より大変です」とも。
産後うつは、何も女性に限らない。実際、父親の11人に1人の確率で産後うつになるというデータもある。日本は長時間労働の人が多い国として知られる。子育てしやすい環境をつくり、少子化を改善するには、国や企業の本気の改善が望まれる。
日本の女性たちは、もっと深刻だ。1日の家事・育児時間は男性の5倍。核家族化が進み、親以外の家族が子どもを見られない。共働きが主流になり、かつて専業主婦だった女性たちも日中は仕事に出て、地域で助け合おうにも難しい。出産した女性全体の10%だった産後うつは、コロナ禍の中で「2倍になったおそれがある」という調査結果も。認定NPO法人フローレンス代表室長の前田晃平さんは、「人類史上、最も孤独な母親たち」と表現する。
前田さんは、「もっと長いものさしで見てみよう」と語る。日本の悠久の歴史から考えてみれば、"人類は、子育てを集団で助け合ってやってきた"。母親が一人で切り盛りする形は、当たり前でなく特殊であり、限界がある、と。
未来に目を向けてみよう。例えば、大介護時代を迎える日本において、柔軟に働ける環境を整えることは、何も子育て世帯のみに資する話というわけではない。
池田先生は「子育ては、確かに労作業ではあるが、人間の生命を育む、最も尊貴な聖業である。そのなかに、最高の喜びがあり、生きがいもある。また、子どもを育てるなかで、親も、学び、磨かれていくのである」とつづる。
子育てを重労働という男子部員は、一方で「子育てから学ぶことは多い。まるで"留学"です!」とも。周囲の配慮、社会の応援があれば、親子は伸び伸びと成長していくことができる。あさっては「父の日」。男性の"家庭進出"に寄り添いのエールを送りたい。
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:信仰と苦難
連載「英知の光源 希望の哲理に学ぶ」では、日蓮大聖人の仏法を研さんするに当たって、さらなる理解のためにキーワードとなる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を掲載します。今回のテーマは「信仰と苦難」。日蓮仏法における「難」について考えていきます。
◇池田先生の指導から
末法にあって、自行化他の信心の実践に励むとき、必ず障魔が競い起こる。その障魔に立ち向かい、苦難と正面から戦うところに、真実の「安楽」がある。難を受けるということは、最大に信心を貫き通している証しでもある。
どんな船でも遠洋に出れば、激しい風雨や波浪にさらされる。しかし、それを乗り越え、前進していかなければ、目的の"港"に到着することはできない。
「成仏」という"港"をめざす私どもも、苦難の風雨におびえ、困難の波浪に負けてしまえば、決して「成仏」という"彼岸"に着くことはできない。
要するに、信心とは、仏と魔との戦いであり、その戦いの渦中で、「難」に負けない力強い生命境涯を築く以外に、真実の「安楽」への正道はない。
つまり、どのような苦難にも崩れない絶対の「安楽」の境涯は、いかなる「難」にも屈せぬ強き信心の確立にあることを銘記してほしい。(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
Q1:正しい信仰を実践しているのに、なぜ反発を受けるのですか。
法華経には、釈尊滅後の悪世末法において一切衆生の幸福を願い、妙法流布の実践をする者に対して、さまざまな迫害や困難があることが説かれています。
そして、日蓮大聖人ただお一人が、経文通りの大難を受け、法華経を「身読」されたのです。
法華経勧持品第13には「三類の強敵」という迫害者の出現が示されており、特に、迫害者の心の中が悪に支配されたさまは、「悪鬼入其身(悪鬼は其の身に入って)」(法華経419ページ)と説かれています。
「悪鬼」とは、人の苦悩の因となって精神を乱す働きのことで、現代的には、人間の可能性、尊厳性を脅かす宗教・思想に当たるでしょう。そのような「悪」に心が支配されているがゆえに、正しい仏法を信じることができず、反発の様相を呈してしまうのです。
大聖人は「立正安国論」の中で、「仁王経」の「国土が乱れる時はまず鬼神が乱れる。鬼神が乱れるゆえに万民が乱れる」(新43・全31、通解)との一節を引用され、続けて、「鬼神が乱れると、万民が乱れるという先難は、このように明らかである。国土が乱れるという後災が起こることを、どうして疑うことができようか」(同、通解)と仰せです。
正しい価値観が見失われ、誤った思想が人々の間にはびこる時、人心が乱れ、社会や時代全体の混迷の度が増していく——。思想の混乱ほど、恐ろしいものはありません。
だからこそ、迫害を恐れず正義を語り広げ、立正安国を実現するために戦う私たちの使命は、いや増して大きいのです。
Q2:末法において正法を弘める使命の深さを実感しました。
たとえいかなる迫害を受けようとも、不惜身命で広宣流布に生き抜く。日蓮大聖人は、そうした御自身の弘通の姿を、法華経で説かれる「不軽菩薩」の実践に重ねられました。
不軽菩薩とは、常不軽菩薩品第20に登場する釈尊の過去世の姿です。
威音王仏の像法時代の終わり、思い上がった人々が大勢いる混沌とした社会にあって、自らを迫害する人々(上慢の四衆)に対してさえ、"必ず成仏できる"という言葉を唱えながら、敬っていきました。いかなる相手も決して軽んずることなく、出会った全ての人を礼拝し続けたのです。
この実践により、不軽菩薩は過去世の罪業をすべて消し去り(其罪畢已)、妙法を覚って生命が清らかになる(六根清浄)という功徳を得て、寿命を延ばし、後に成仏します。最終的には、迫害した人々も自分たちの誤りに気付き、教えを受けて救われます。
御聖訓には、「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(新1071・全769)とあります。
私たちが相手の仏性を敬って対話する時、たとえ相手に反発されたとしても、実は相手の仏性は、私たちの仏性を礼拝しています。やがて必ず、自他共の仏種が開花することは間違いありません。
どこまでも相手の仏性を信じ、粘り強く対話を重ねる。増上慢の人々の中にも勇んで飛び込み、諦めずに語っていく。不屈の信念と誠実な行動こそが、人々の不信と無理解という"心の氷壁"を溶かしていきます。
Q3:いかなる困難も恐れずに、戦い抜くことが大切なのですね。
日蓮大聖人は、御書の随所で「日蓮がごとく」(新1341・全989)、「予がごとく」(新1783・全1342)、「我がごとく」(新1803・全1367)とつづられ、弟子たちに"私と同じ戦いを起こすのだ!"と幾度も呼び掛けられています。
「真実の法華経の如説修行の行者の師弟・檀那とならんには、三類の敵人決定せり」(新599・全501)とあるように、広宣流布の師匠と一緒に戦うということは、三類の強敵と戦う"覚悟の信心"を貫くことにほかなりません。
池田先生は、つづっています。
「学会の歴史は、非難・中傷のつぶてを浴び、障魔の風雪のなかを進む、迫害に次ぐ迫害の道でありました。それ自体、『魔競はずは正法と知るべからず』(全1087・新1479)との御文に照らして、学会が正義であることの証明であります。
その創価学会の信心に生き抜く人が、成仏できないわけがない。大功徳を受けないわけがないと、私は断言しておきます!」(小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章)
創価学会の中で信心に励み、広布を阻む魔との闘争を一つ一つ勝ち越えていく中で、思いもよらない大境涯を開いていくことができます。
眼前の峰を登攀し、次なる広布の峰へ——この連続闘争に、人間革命の直道もあるのだと深く確信し、前進していきましょう。
何度も何度も挑戦する。
これが勝利の要諦だ。
わが誓願を果たしゆく
粘り強き前進を!
守護国家論 P43
『是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず』
【通解】
この悪侶は利養(名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること)の故に、この経を広宣流布することができない。
名字の言 味とともによみがえる「食事の思い出」 2022年6月17日
一家の夕食は、夫婦が当番制で準備するという男子部員。ある休日、彼が「たまには外食でも」と家族を誘うと、幼い息子は「パパご飯、ママご飯がいい」とごねた。夫妻は困惑しながらも、うれしくなった▼子どもにとって、両親が一生懸命に作ってくれたご飯を食べる時間は、家族の愛情に包まれ、単におなかを満たす以上の意味がある。同様に、人それぞれの「食事の思い出」も料理とともに、その時の情景を呼び起こすものだろう▼そば屋を営む友人読者を本紙で掲載したところ、紙面を見た女性部員から便りがあった。数十年前、社会人の第一歩をしるした勤務先の近所に、その店があったという。時折、出前を頼んでは堪能したことが懐かしい、と▼だしの味とともに、あの頃の出来事もよみがえった。一番の思い出は「信心と出あったこと」——学会員である職場の同僚に折伏され、入会。社会で奮闘しつつ、充実の青年部時代を送り、後年、両親への弘教も実らせた▼彼女は現在、支部女性部長として活躍。「同じ釜の飯」ならぬ、"同じそば屋の出前"を食べ、数々の思い出を刻んだ同僚とは、今も励ましを重ねては友好を広げている。"食とは体験である"とも言われるが、まさに至言である。
寸鉄 2022年6月17日
試練を切り抜ける度、崩れぬ成仏の境涯に—恩師 広布の戦いは全てが宝と
全国各地で対話の大旋風 確信漲る声は乱世の希望 平和と幸福の連帯を拡大
茨城の日。求道・団結・行動で進む無敵の人材城 仏法は勝負!共に凱旋を
交通事故に注意。絶対に起こさない、遭わない。隙をつくらず障魔を撃退
"気候変動に歯止めを"—国連とメディアが運動。今できることを足元から
〈社説〉 2022・6・17 あさって「父の日」
◇男性の家庭進出を当たり前に
「イクメン」という言葉が生まれて十数年がたった。保育園への送迎など、育児のさまざまな場面で、男性の姿が見られるように。仕事などとの両立に悩みながらも育児に取り組む男性読者から、声が寄せられることも増えた。
ある男子部員は、第2子誕生の喜びをかみ締め、夜泣きの赤ん坊の世話をするように。「夜勤」と表現するほど精神的にも肉体的にも過酷と語り、「妻に感謝です。正直、仕事より大変です」とも。
産後うつは、何も女性に限らない。実際、父親の11人に1人の確率で産後うつになるというデータもある。日本は長時間労働の人が多い国として知られる。子育てしやすい環境をつくり、少子化を改善するには、国や企業の本気の改善が望まれる。
日本の女性たちは、もっと深刻だ。1日の家事・育児時間は男性の5倍。核家族化が進み、親以外の家族が子どもを見られない。共働きが主流になり、かつて専業主婦だった女性たちも日中は仕事に出て、地域で助け合おうにも難しい。出産した女性全体の10%だった産後うつは、コロナ禍の中で「2倍になったおそれがある」という調査結果も。認定NPO法人フローレンス代表室長の前田晃平さんは、「人類史上、最も孤独な母親たち」と表現する。
前田さんは、「もっと長いものさしで見てみよう」と語る。日本の悠久の歴史から考えてみれば、"人類は、子育てを集団で助け合ってやってきた"。母親が一人で切り盛りする形は、当たり前でなく特殊であり、限界がある、と。
未来に目を向けてみよう。例えば、大介護時代を迎える日本において、柔軟に働ける環境を整えることは、何も子育て世帯のみに資する話というわけではない。
池田先生は「子育ては、確かに労作業ではあるが、人間の生命を育む、最も尊貴な聖業である。そのなかに、最高の喜びがあり、生きがいもある。また、子どもを育てるなかで、親も、学び、磨かれていくのである」とつづる。
子育てを重労働という男子部員は、一方で「子育てから学ぶことは多い。まるで"留学"です!」とも。周囲の配慮、社会の応援があれば、親子は伸び伸びと成長していくことができる。あさっては「父の日」。男性の"家庭進出"に寄り添いのエールを送りたい。
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:信仰と苦難
連載「英知の光源 希望の哲理に学ぶ」では、日蓮大聖人の仏法を研さんするに当たって、さらなる理解のためにキーワードとなる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を掲載します。今回のテーマは「信仰と苦難」。日蓮仏法における「難」について考えていきます。
◇池田先生の指導から
末法にあって、自行化他の信心の実践に励むとき、必ず障魔が競い起こる。その障魔に立ち向かい、苦難と正面から戦うところに、真実の「安楽」がある。難を受けるということは、最大に信心を貫き通している証しでもある。
どんな船でも遠洋に出れば、激しい風雨や波浪にさらされる。しかし、それを乗り越え、前進していかなければ、目的の"港"に到着することはできない。
「成仏」という"港"をめざす私どもも、苦難の風雨におびえ、困難の波浪に負けてしまえば、決して「成仏」という"彼岸"に着くことはできない。
要するに、信心とは、仏と魔との戦いであり、その戦いの渦中で、「難」に負けない力強い生命境涯を築く以外に、真実の「安楽」への正道はない。
つまり、どのような苦難にも崩れない絶対の「安楽」の境涯は、いかなる「難」にも屈せぬ強き信心の確立にあることを銘記してほしい。(池田大作先生の指導選集〈中〉『人間革命の実践』)
Q1:正しい信仰を実践しているのに、なぜ反発を受けるのですか。
法華経には、釈尊滅後の悪世末法において一切衆生の幸福を願い、妙法流布の実践をする者に対して、さまざまな迫害や困難があることが説かれています。
そして、日蓮大聖人ただお一人が、経文通りの大難を受け、法華経を「身読」されたのです。
法華経勧持品第13には「三類の強敵」という迫害者の出現が示されており、特に、迫害者の心の中が悪に支配されたさまは、「悪鬼入其身(悪鬼は其の身に入って)」(法華経419ページ)と説かれています。
「悪鬼」とは、人の苦悩の因となって精神を乱す働きのことで、現代的には、人間の可能性、尊厳性を脅かす宗教・思想に当たるでしょう。そのような「悪」に心が支配されているがゆえに、正しい仏法を信じることができず、反発の様相を呈してしまうのです。
大聖人は「立正安国論」の中で、「仁王経」の「国土が乱れる時はまず鬼神が乱れる。鬼神が乱れるゆえに万民が乱れる」(新43・全31、通解)との一節を引用され、続けて、「鬼神が乱れると、万民が乱れるという先難は、このように明らかである。国土が乱れるという後災が起こることを、どうして疑うことができようか」(同、通解)と仰せです。
正しい価値観が見失われ、誤った思想が人々の間にはびこる時、人心が乱れ、社会や時代全体の混迷の度が増していく——。思想の混乱ほど、恐ろしいものはありません。
だからこそ、迫害を恐れず正義を語り広げ、立正安国を実現するために戦う私たちの使命は、いや増して大きいのです。
Q2:末法において正法を弘める使命の深さを実感しました。
たとえいかなる迫害を受けようとも、不惜身命で広宣流布に生き抜く。日蓮大聖人は、そうした御自身の弘通の姿を、法華経で説かれる「不軽菩薩」の実践に重ねられました。
不軽菩薩とは、常不軽菩薩品第20に登場する釈尊の過去世の姿です。
威音王仏の像法時代の終わり、思い上がった人々が大勢いる混沌とした社会にあって、自らを迫害する人々(上慢の四衆)に対してさえ、"必ず成仏できる"という言葉を唱えながら、敬っていきました。いかなる相手も決して軽んずることなく、出会った全ての人を礼拝し続けたのです。
この実践により、不軽菩薩は過去世の罪業をすべて消し去り(其罪畢已)、妙法を覚って生命が清らかになる(六根清浄)という功徳を得て、寿命を延ばし、後に成仏します。最終的には、迫害した人々も自分たちの誤りに気付き、教えを受けて救われます。
御聖訓には、「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(新1071・全769)とあります。
私たちが相手の仏性を敬って対話する時、たとえ相手に反発されたとしても、実は相手の仏性は、私たちの仏性を礼拝しています。やがて必ず、自他共の仏種が開花することは間違いありません。
どこまでも相手の仏性を信じ、粘り強く対話を重ねる。増上慢の人々の中にも勇んで飛び込み、諦めずに語っていく。不屈の信念と誠実な行動こそが、人々の不信と無理解という"心の氷壁"を溶かしていきます。
Q3:いかなる困難も恐れずに、戦い抜くことが大切なのですね。
日蓮大聖人は、御書の随所で「日蓮がごとく」(新1341・全989)、「予がごとく」(新1783・全1342)、「我がごとく」(新1803・全1367)とつづられ、弟子たちに"私と同じ戦いを起こすのだ!"と幾度も呼び掛けられています。
「真実の法華経の如説修行の行者の師弟・檀那とならんには、三類の敵人決定せり」(新599・全501)とあるように、広宣流布の師匠と一緒に戦うということは、三類の強敵と戦う"覚悟の信心"を貫くことにほかなりません。
池田先生は、つづっています。
「学会の歴史は、非難・中傷のつぶてを浴び、障魔の風雪のなかを進む、迫害に次ぐ迫害の道でありました。それ自体、『魔競はずは正法と知るべからず』(全1087・新1479)との御文に照らして、学会が正義であることの証明であります。
その創価学会の信心に生き抜く人が、成仏できないわけがない。大功徳を受けないわけがないと、私は断言しておきます!」(小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章)
創価学会の中で信心に励み、広布を阻む魔との闘争を一つ一つ勝ち越えていく中で、思いもよらない大境涯を開いていくことができます。
眼前の峰を登攀し、次なる広布の峰へ——この連続闘争に、人間革命の直道もあるのだと深く確信し、前進していきましょう。
2022年6月16日木曜日
2022.06.16 わが友に贈る
寒暖差が大きい
季節の変わり目だ。
朝晩の勤行を根本に
賢く体調管理を!
健康第一で進もう!
新尼御前御返事 P904
『磯のほとりにて昔見しあまのりなり、色形あぢわひもかはらず、など我が父母かはらせ給いけんとかたちがへなるうらめしさなみだをさへがたし』
【通解】
片海・市川・小湊のほとりで、昔見たあまのりである。色や形や味も変わらないのに、どうして我が父母は変わられてしまったのであろうかと、方向違いのうらめしさに涙を押えることができない。
名字の言 世界中の子どもたちを撮り続けた写真家・田沼武能氏 2022年6月16日
日本を代表する写真家で、かつて本紙でも連載を持っていた田沼武能氏。今月、93歳で亡くなるまでカメラを握り続けた▼写真家としての転機は、独立して多くの注文写真の撮影をこなしていた頃。師匠・木村伊兵衛氏から"頼まれ仕事ばかりでは、何も自分の仕事は残らない"と指摘され、写真と向き合う姿勢を見つめ直した。テーマを持つ大切さを教えられ、選んだのは「世界中の子どもたち」を撮ることだった▼世界には飢餓や紛争などに苦しむ子どもたちがいる。"次世代の家族をつくる子どもたちに住みよい地球を手渡していけるか"。そこに真剣に取り組む時代が来ていると感じた氏は、120以上もの国や地域を訪れ、子らの"生きる尊厳"を写真で伝えてきた(『ぼくたち地球家族』講談社)▼「すべての人を尊重せよ。しかし子供の場合は普通の百倍も尊重し、その汚れを知らぬ魂の純粋さを損なわぬよう努めよ」(北御門二郎訳)とは、文豪トルストイの言葉。地球の財産である子どもを守ることは、人類を守ることにつながる▼今を、そして未来を生きる人々が暮らしたいと思えるような世界をつくる。ここに世界広宣流布の実像がある。そのために今日も祈り、語り、励ましを広げよう。
寸鉄 2022年6月16日
深き団結があれば恐れるものはない—戸田先生。異体同心の前進は無敵!
福岡が力闘。先駆の対話大拡大をわが地区から!大九州に民衆の勝ち鬨を
愛知に誓願の炎は赤々。勇気の言論で皆が広布の一番星に!乱戦突破必ず
総福島女性部の日。心を結ぶ希望の太陽。愛する郷土に友情の花を爛漫と
ネット中傷対策で侮辱罪が厳罰化。卑劣な"言葉の暴力"は社会悪。断固根絶
☆旭日の天地に希望の法城 新「千葉文化会館」の建設決定
◇2024年の完成へ 今夏着工
旭日の天地に希望の新法城! 総千葉の中心拠点となる新「千葉文化会館」が千葉市内に建設されることが決定した。今夏に着工し、2024年秋の完成を目指す。新会館は地上2階建て。大小の礼拝室をはじめ、会議室、事務室、応接室などを備える。
日蓮大聖人御聖誕の地・千葉を、池田大作先生は旭日の天地とたたえる。池田先生の入信75周年の本年は、千葉で初の支部が結成されて75年の節目である。友は今、師と共に広布の幾山河を越えてきた誉れの歴史を胸に、勢いよく対話拡大に奔走している。
来る7月は、千葉の同志が師弟の誓願に燃え立つ月だ。
1978年7月19日、池田先生の作詞による千葉の歌「旭日遙かに」が発表され、明年で45周年の佳節を迎える。
88年7月11日には、先生が千葉の友に贈った長編詩「天地に満つる幸の旭日」が本紙に掲載された。先生は長編詩で「旭日の信心」とは、明朗の人の頭上に輝く王者の冠、活力の異名、不退の一念であるとつづり、こう呼び掛けた。「同志よ/絶え間なき前進だ/たゆみなき精進だ/寄せ返す波が/やがて巌を削り取るように/いかなる困難の障壁も恐れまい/最後の勝利を信じて/勇気をもって立とう」
旭日の友は、学会創立100周年へ、新法城建設の槌音とともに、新たな勝利劇をつづりゆく!
☆四季の励まし 広宣流布の団結は無敵 2022年6月12日
◇池田先生の言葉
一人の力は
小さいかもしれない。
しかし、
力を合わせれば、
一人の力が
五にも十にも百にもなる。
足し算ではなく、
何倍、何十倍という
掛け算になる。
「異体同心」という
無敵の団結を
創り上げてゆく
肝要は何か。
それはまず、師匠の掲げる
広宣流布という大理想を
我が誓いとし、
師弟共戦の祈りと行動を
貫くことだ。
「信心で勝つ!」という
一点で皆が呼吸を合わせ、
心のギアをガッチリと
かみ合わせることだ。
人を頼む心、
依存の心があれば、
本当の力は出せない。
一人立つ人こそが
真の信仰者であり、
創価の後継者なのだ。
そして、その一人立つ人と
人との団結によってのみ、
広宣流布の大願の実現は
可能となるのだ。
異体同心の「心」とは、
「信心」である。
「広宣流布」という大願に
心を合わせていくことだ。
そこに、個々人の
「宿命転換」の願いも、
全部、包含される。
「一人くらいは」という
油断と慢心から、
破綻が始まる。
一人を大切にし、
「もう一歩」と
前進し続ける所は、
団結もより強固になり、
それまでの労苦と困難を、
すべて勝利と福徳に
変えていくことができる。
異体同心の団結こそが、
広宣流布の命脈である。
一家にあっては和楽を!
人と人の間には友情を!
地域には信頼と友好を!
人類社会の中には、
平和への民衆の連帯を!
心を合わせて
仲良く進むのだ。
団結のあるところに
勝利があり、幸福がある。
【写真説明】陽光に照らされ、アヤメの紫とツツジの紅が映える。1990年(平成2年)5月の三重研修道場で、池田大作先生がカメラに収めた。
色とりどりに咲きながら調和するさまは、一人一人が自身の人間革命に挑みながら、励まし進む創価の友の姿にも似て——。
我らには、「広宣流布」という大いなる目的がある。その目的へ、「一人立つ」勇者が「心一つ」になる時、どんな艱難も乗り越えられる。御書に「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」(新2054・全1463)と。
師弟の月・7月へ、わが命を燃やし、使命の花を爛漫と!
季節の変わり目だ。
朝晩の勤行を根本に
賢く体調管理を!
健康第一で進もう!
新尼御前御返事 P904
『磯のほとりにて昔見しあまのりなり、色形あぢわひもかはらず、など我が父母かはらせ給いけんとかたちがへなるうらめしさなみだをさへがたし』
【通解】
片海・市川・小湊のほとりで、昔見たあまのりである。色や形や味も変わらないのに、どうして我が父母は変わられてしまったのであろうかと、方向違いのうらめしさに涙を押えることができない。
名字の言 世界中の子どもたちを撮り続けた写真家・田沼武能氏 2022年6月16日
日本を代表する写真家で、かつて本紙でも連載を持っていた田沼武能氏。今月、93歳で亡くなるまでカメラを握り続けた▼写真家としての転機は、独立して多くの注文写真の撮影をこなしていた頃。師匠・木村伊兵衛氏から"頼まれ仕事ばかりでは、何も自分の仕事は残らない"と指摘され、写真と向き合う姿勢を見つめ直した。テーマを持つ大切さを教えられ、選んだのは「世界中の子どもたち」を撮ることだった▼世界には飢餓や紛争などに苦しむ子どもたちがいる。"次世代の家族をつくる子どもたちに住みよい地球を手渡していけるか"。そこに真剣に取り組む時代が来ていると感じた氏は、120以上もの国や地域を訪れ、子らの"生きる尊厳"を写真で伝えてきた(『ぼくたち地球家族』講談社)▼「すべての人を尊重せよ。しかし子供の場合は普通の百倍も尊重し、その汚れを知らぬ魂の純粋さを損なわぬよう努めよ」(北御門二郎訳)とは、文豪トルストイの言葉。地球の財産である子どもを守ることは、人類を守ることにつながる▼今を、そして未来を生きる人々が暮らしたいと思えるような世界をつくる。ここに世界広宣流布の実像がある。そのために今日も祈り、語り、励ましを広げよう。
寸鉄 2022年6月16日
深き団結があれば恐れるものはない—戸田先生。異体同心の前進は無敵!
福岡が力闘。先駆の対話大拡大をわが地区から!大九州に民衆の勝ち鬨を
愛知に誓願の炎は赤々。勇気の言論で皆が広布の一番星に!乱戦突破必ず
総福島女性部の日。心を結ぶ希望の太陽。愛する郷土に友情の花を爛漫と
ネット中傷対策で侮辱罪が厳罰化。卑劣な"言葉の暴力"は社会悪。断固根絶
☆旭日の天地に希望の法城 新「千葉文化会館」の建設決定
◇2024年の完成へ 今夏着工
旭日の天地に希望の新法城! 総千葉の中心拠点となる新「千葉文化会館」が千葉市内に建設されることが決定した。今夏に着工し、2024年秋の完成を目指す。新会館は地上2階建て。大小の礼拝室をはじめ、会議室、事務室、応接室などを備える。
日蓮大聖人御聖誕の地・千葉を、池田大作先生は旭日の天地とたたえる。池田先生の入信75周年の本年は、千葉で初の支部が結成されて75年の節目である。友は今、師と共に広布の幾山河を越えてきた誉れの歴史を胸に、勢いよく対話拡大に奔走している。
来る7月は、千葉の同志が師弟の誓願に燃え立つ月だ。
1978年7月19日、池田先生の作詞による千葉の歌「旭日遙かに」が発表され、明年で45周年の佳節を迎える。
88年7月11日には、先生が千葉の友に贈った長編詩「天地に満つる幸の旭日」が本紙に掲載された。先生は長編詩で「旭日の信心」とは、明朗の人の頭上に輝く王者の冠、活力の異名、不退の一念であるとつづり、こう呼び掛けた。「同志よ/絶え間なき前進だ/たゆみなき精進だ/寄せ返す波が/やがて巌を削り取るように/いかなる困難の障壁も恐れまい/最後の勝利を信じて/勇気をもって立とう」
旭日の友は、学会創立100周年へ、新法城建設の槌音とともに、新たな勝利劇をつづりゆく!
☆四季の励まし 広宣流布の団結は無敵 2022年6月12日
◇池田先生の言葉
一人の力は
小さいかもしれない。
しかし、
力を合わせれば、
一人の力が
五にも十にも百にもなる。
足し算ではなく、
何倍、何十倍という
掛け算になる。
「異体同心」という
無敵の団結を
創り上げてゆく
肝要は何か。
それはまず、師匠の掲げる
広宣流布という大理想を
我が誓いとし、
師弟共戦の祈りと行動を
貫くことだ。
「信心で勝つ!」という
一点で皆が呼吸を合わせ、
心のギアをガッチリと
かみ合わせることだ。
人を頼む心、
依存の心があれば、
本当の力は出せない。
一人立つ人こそが
真の信仰者であり、
創価の後継者なのだ。
そして、その一人立つ人と
人との団結によってのみ、
広宣流布の大願の実現は
可能となるのだ。
異体同心の「心」とは、
「信心」である。
「広宣流布」という大願に
心を合わせていくことだ。
そこに、個々人の
「宿命転換」の願いも、
全部、包含される。
「一人くらいは」という
油断と慢心から、
破綻が始まる。
一人を大切にし、
「もう一歩」と
前進し続ける所は、
団結もより強固になり、
それまでの労苦と困難を、
すべて勝利と福徳に
変えていくことができる。
異体同心の団結こそが、
広宣流布の命脈である。
一家にあっては和楽を!
人と人の間には友情を!
地域には信頼と友好を!
人類社会の中には、
平和への民衆の連帯を!
心を合わせて
仲良く進むのだ。
団結のあるところに
勝利があり、幸福がある。
【写真説明】陽光に照らされ、アヤメの紫とツツジの紅が映える。1990年(平成2年)5月の三重研修道場で、池田大作先生がカメラに収めた。
色とりどりに咲きながら調和するさまは、一人一人が自身の人間革命に挑みながら、励まし進む創価の友の姿にも似て——。
我らには、「広宣流布」という大いなる目的がある。その目的へ、「一人立つ」勇者が「心一つ」になる時、どんな艱難も乗り越えられる。御書に「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」(新2054・全1463)と。
師弟の月・7月へ、わが命を燃やし、使命の花を爛漫と!
2022年6月15日水曜日
2022.06.15 わが友に贈る
仕事・育児・介護などで
多忙を極める友にこそ
理解と共感が大切だ。
相手の心を軽くして
勇気をともす励ましを!
報恩抄 P329
『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか』
【通解】
極楽での百年の修行の功徳は、汚れた、この国土での一日の修行の功徳に及ばない。正法・像法時代の二千年間の弘通は、末法の一時の弘通に劣るであろう。
【先生の指導から】
大聖人に続き、末法万年尽未来際までの広宣流布の道を開いているのが、皆さま方であられる。その功徳は計り知れない。万人を苦悩の道から救う、偉大なる使命を自覚していただきたい。
名字の言 世の中は全て"二つで一つ" 2022年6月15日
「朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰮の/大漁だ。/浜はまつりの/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう。」(『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)▼金子みすゞさんの詩「大漁」。人間の側から鰯の側へと移るまなざしに驚く。この作品から「世の中は全て"二つで一つ"ということ」を理解したと語るのは、詩人の矢崎節夫さん。生と死、光と影、喜びと悲しみ、目に見えるものと見えないもの……▼矢崎さんは「人間の心も同じ」と続ける。例えば、子どもの心は黒と白で一つになった灰色の状態であり、「灰色という状態だから、白くもなれば黒くもなる。どちらの色が支配的になるかは、周りの大人の責任です」▼池田先生と対談した歴史学者トインビー博士の洞察を思い出した。「偉人であろうと小人であろうと、人間の魂はいずれも、善と悪とが支配権を争って絶えず戦っている、精神的戦場である」(長谷川松治訳)▼日蓮大聖人は生命を鏡に譬え、苦悩する生命を闇鏡、悟りの生命を明鏡の状態と示された。生命の鏡を曇らせないためには「深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし」(新317・全384)。題目を朗らかに唱え、弱い心に負けない自分を貫きたい。
寸鉄 2022年6月15日
「仏法と申すは勝負をさきとし」御書。まず勝つと決めて!逆転劇は今から(新1585・全1165)
総立ちの神奈川。正義の使命を果たす時!民衆の大連帯で凱歌の鐘鳴らせ
埼玉が怒濤の前進。気迫と執念で金星を!師子となって走り断固勝利旗を
栃木女性部の日。朗らかに地域照らす友。大関東を牽引する拡大、今日も
ゲリラ豪雨等の天気急変に注意。外出時は予報の確認を。「前々の用心」で
〈社説〉 2022・6・15 梅雨時の体調管理に注意
◇正しい対策で「健康即勝利」
今年も、梅雨の時期を迎えている。梅雨時は天候の変化に起因して、倦怠感や頭痛など、さまざまな体調不良を起こしやすい。健康な日々を過ごすため、代表的な原因と対策を確認し合いたい。
原因の一つ目は「気圧」。この時期は気圧が下がる。耳の奥にある内耳は"気圧のセンサー"で、そこで感じた気圧の変化が脳に伝わり自律神経を変化させ、身体を活動的にする交感神経と、休息時に働く副交感神経のバランスが崩れる。よって、痛みの神経を刺激したり、血管や筋肉が過剰に収縮、痙攣したりして、周囲の神経を興奮させて痛みが生じると、医学博士の佐藤純氏は説明する。
二つ目は「湿度」。水分は身体に適切な量を超えると、さまざまな悪影響を及ぼす。これを東洋医学では「湿邪」と言い、梅雨の時期に身体のだるさやむくみ、食欲不振、下痢、胸の苦しさなどの症状を引き起こす要因となる。
三つ目は「ホルモン」。日光を浴びることで増えるホルモンとして有名なセロトニンには、「気分をスッキリさせる」「自律神経を調節する」「痛みをコントロールする」などの作用がある。梅雨の時期は日光の量がどうしても減るため、「気分が優れない」と感じることが増えてしまう。
これらの原因を踏まえた日々の対策として、�運動�日光浴�食生活�規則正しい生活に留意することを心掛けていきたい。
適度な運動やストレッチは、自律神経を整える。セロトニンは日光を浴びるだけでなく運動によっても増やせるため、天気の良い日には短時間でも、散歩などで運動と日光浴を同時にしたいものだ。また、発汗により体内の余計な水分を排出できるメリットもある。
甘いもの、塩辛いもの、アルコール類を取りすぎると身体は水分を欲する。それが過剰な水分摂取につながり、むくみやすくなるので控え目に。そして、規則正しい生活リズムをつくり、自律神経を整えることが、最も基本的で大切な心得といえるだろう。
池田先生は本紙連載「四季の励まし」で、「健康は智慧である。賢明な智慧があれば、病気を未然に防ぐこともできる。健康即勝利の賢者の一日一日を、晴れ晴れと送っていきたい」と。熱中症や食中毒、雨の影響など、多様な危険が潜む梅雨。正しく注意を払い、元気な日々を過ごしたい。
☆池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ 凱歌の劇をいよいよ胸張り 2022年6月9日
6月は、牧口先生の生誕の月であるとともに、創価の太陽・女性部の月である。
4日は世界の華陽姉妹の日であり、あす10日は婦人部の結成記念日だ。
牧口先生の故郷の新潟・柏崎の市の花は「ヤマユリ」。奇しくも女性部のシンボルである「白ゆり」と合致する。ヤマユリの英語名は「golden-rayed lily(黄金の光を放つユリ)」である。まさに今、「華陽カレッジ」や「創春ミーティング」など、生命の黄金の光を放つ、多彩な人華のスクラムを、牧口先生も、戸田先生とご一緒に、さぞかしお喜びであろう。
* *
71年前の白ゆりの香りも高き婦人部結成の集いで、恩師・戸田先生は御書を拝された。
「広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは、大地を的とするなるべし」(新1791・全1360)
そして、慈父のごとく、「われわれがやっていることは、未来の社会にとっても、日本にとっても、世界にとっても、実に大したことをやっているんだよ。もっと、もっと、自信をもちなさい」と激励されたのだ。
創価の師弟が貫いている一対一の勇気と誠実の対話——それは先人たちも願い求めてきた、民衆の幸福と平和の道にほかならない。
アメリカの社会福祉運動家のヘレン・ケラーさんが1948年、来日された折、忘れ得ぬ出会いを結んだ、関西の錦宝会の母がいる。
岡山のろう学校に学ぶ小学生の代表として、歓迎の花束を手渡した。すると、目・耳・口の"三重苦"を越えてきた不屈の女性は、少女の手のひらに、指で「ありがとう」と書いて、頬を寄せてくれた。その感激を胸に、自分も皆を励ませる人になろうと成長し、やがて妙法と巡り合えたのである。
この母は今も「ありがとう」という奇跡の言葉を大切に、手話を自在に用い、広布のリーダーの娘さん夫妻やお孫さん方と、愛する兵庫の天地で信頼と友情の拡大に挑まれている。
* *
牧口先生誕生の6日は、「欧州師弟の日」である。各国で記念の集いが平和への祈りを込めて行われた。
スペインでは、学会の文化会館に隣接する市立公園が「平和庭園」として新たに開園された。長年にわたり公園整備に携わってきた同志の地域貢献の宝処だ。
宗門事件の嵐が吹き荒れる中、健気なスペインの正義の友と私は語り合った。
「正しいからこそ、勝たねばならない」
あれから30年余。スペイン創価学会は、当時の80倍近い陣列に発展を遂げ、同国の仏教連盟を代表する団体として、大いなる衆望を寄せられている。
* *
今月が結成記念の学生部、高等部の英才たちも、元気で頼もしい。
私は妻と毎日、全宝友の健康幸福・栄光勝利を祈りに祈り抜いている。いよいよの信力・行力を奮い起こし、いよいよの仏力・法力を湧き出しながら、胸を張って人間革命と宿命転換の凱歌の劇をつづりゆこう!
多忙を極める友にこそ
理解と共感が大切だ。
相手の心を軽くして
勇気をともす励ましを!
報恩抄 P329
『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか』
【通解】
極楽での百年の修行の功徳は、汚れた、この国土での一日の修行の功徳に及ばない。正法・像法時代の二千年間の弘通は、末法の一時の弘通に劣るであろう。
【先生の指導から】
大聖人に続き、末法万年尽未来際までの広宣流布の道を開いているのが、皆さま方であられる。その功徳は計り知れない。万人を苦悩の道から救う、偉大なる使命を自覚していただきたい。
名字の言 世の中は全て"二つで一つ" 2022年6月15日
「朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰮の/大漁だ。/浜はまつりの/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう。」(『金子みすゞ童謡全集』JULA出版局)▼金子みすゞさんの詩「大漁」。人間の側から鰯の側へと移るまなざしに驚く。この作品から「世の中は全て"二つで一つ"ということ」を理解したと語るのは、詩人の矢崎節夫さん。生と死、光と影、喜びと悲しみ、目に見えるものと見えないもの……▼矢崎さんは「人間の心も同じ」と続ける。例えば、子どもの心は黒と白で一つになった灰色の状態であり、「灰色という状態だから、白くもなれば黒くもなる。どちらの色が支配的になるかは、周りの大人の責任です」▼池田先生と対談した歴史学者トインビー博士の洞察を思い出した。「偉人であろうと小人であろうと、人間の魂はいずれも、善と悪とが支配権を争って絶えず戦っている、精神的戦場である」(長谷川松治訳)▼日蓮大聖人は生命を鏡に譬え、苦悩する生命を闇鏡、悟りの生命を明鏡の状態と示された。生命の鏡を曇らせないためには「深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし」(新317・全384)。題目を朗らかに唱え、弱い心に負けない自分を貫きたい。
寸鉄 2022年6月15日
「仏法と申すは勝負をさきとし」御書。まず勝つと決めて!逆転劇は今から(新1585・全1165)
総立ちの神奈川。正義の使命を果たす時!民衆の大連帯で凱歌の鐘鳴らせ
埼玉が怒濤の前進。気迫と執念で金星を!師子となって走り断固勝利旗を
栃木女性部の日。朗らかに地域照らす友。大関東を牽引する拡大、今日も
ゲリラ豪雨等の天気急変に注意。外出時は予報の確認を。「前々の用心」で
〈社説〉 2022・6・15 梅雨時の体調管理に注意
◇正しい対策で「健康即勝利」
今年も、梅雨の時期を迎えている。梅雨時は天候の変化に起因して、倦怠感や頭痛など、さまざまな体調不良を起こしやすい。健康な日々を過ごすため、代表的な原因と対策を確認し合いたい。
原因の一つ目は「気圧」。この時期は気圧が下がる。耳の奥にある内耳は"気圧のセンサー"で、そこで感じた気圧の変化が脳に伝わり自律神経を変化させ、身体を活動的にする交感神経と、休息時に働く副交感神経のバランスが崩れる。よって、痛みの神経を刺激したり、血管や筋肉が過剰に収縮、痙攣したりして、周囲の神経を興奮させて痛みが生じると、医学博士の佐藤純氏は説明する。
二つ目は「湿度」。水分は身体に適切な量を超えると、さまざまな悪影響を及ぼす。これを東洋医学では「湿邪」と言い、梅雨の時期に身体のだるさやむくみ、食欲不振、下痢、胸の苦しさなどの症状を引き起こす要因となる。
三つ目は「ホルモン」。日光を浴びることで増えるホルモンとして有名なセロトニンには、「気分をスッキリさせる」「自律神経を調節する」「痛みをコントロールする」などの作用がある。梅雨の時期は日光の量がどうしても減るため、「気分が優れない」と感じることが増えてしまう。
これらの原因を踏まえた日々の対策として、�運動�日光浴�食生活�規則正しい生活に留意することを心掛けていきたい。
適度な運動やストレッチは、自律神経を整える。セロトニンは日光を浴びるだけでなく運動によっても増やせるため、天気の良い日には短時間でも、散歩などで運動と日光浴を同時にしたいものだ。また、発汗により体内の余計な水分を排出できるメリットもある。
甘いもの、塩辛いもの、アルコール類を取りすぎると身体は水分を欲する。それが過剰な水分摂取につながり、むくみやすくなるので控え目に。そして、規則正しい生活リズムをつくり、自律神経を整えることが、最も基本的で大切な心得といえるだろう。
池田先生は本紙連載「四季の励まし」で、「健康は智慧である。賢明な智慧があれば、病気を未然に防ぐこともできる。健康即勝利の賢者の一日一日を、晴れ晴れと送っていきたい」と。熱中症や食中毒、雨の影響など、多様な危険が潜む梅雨。正しく注意を払い、元気な日々を過ごしたい。
☆池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ 凱歌の劇をいよいよ胸張り 2022年6月9日
6月は、牧口先生の生誕の月であるとともに、創価の太陽・女性部の月である。
4日は世界の華陽姉妹の日であり、あす10日は婦人部の結成記念日だ。
牧口先生の故郷の新潟・柏崎の市の花は「ヤマユリ」。奇しくも女性部のシンボルである「白ゆり」と合致する。ヤマユリの英語名は「golden-rayed lily(黄金の光を放つユリ)」である。まさに今、「華陽カレッジ」や「創春ミーティング」など、生命の黄金の光を放つ、多彩な人華のスクラムを、牧口先生も、戸田先生とご一緒に、さぞかしお喜びであろう。
* *
71年前の白ゆりの香りも高き婦人部結成の集いで、恩師・戸田先生は御書を拝された。
「広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは、大地を的とするなるべし」(新1791・全1360)
そして、慈父のごとく、「われわれがやっていることは、未来の社会にとっても、日本にとっても、世界にとっても、実に大したことをやっているんだよ。もっと、もっと、自信をもちなさい」と激励されたのだ。
創価の師弟が貫いている一対一の勇気と誠実の対話——それは先人たちも願い求めてきた、民衆の幸福と平和の道にほかならない。
アメリカの社会福祉運動家のヘレン・ケラーさんが1948年、来日された折、忘れ得ぬ出会いを結んだ、関西の錦宝会の母がいる。
岡山のろう学校に学ぶ小学生の代表として、歓迎の花束を手渡した。すると、目・耳・口の"三重苦"を越えてきた不屈の女性は、少女の手のひらに、指で「ありがとう」と書いて、頬を寄せてくれた。その感激を胸に、自分も皆を励ませる人になろうと成長し、やがて妙法と巡り合えたのである。
この母は今も「ありがとう」という奇跡の言葉を大切に、手話を自在に用い、広布のリーダーの娘さん夫妻やお孫さん方と、愛する兵庫の天地で信頼と友情の拡大に挑まれている。
* *
牧口先生誕生の6日は、「欧州師弟の日」である。各国で記念の集いが平和への祈りを込めて行われた。
スペインでは、学会の文化会館に隣接する市立公園が「平和庭園」として新たに開園された。長年にわたり公園整備に携わってきた同志の地域貢献の宝処だ。
宗門事件の嵐が吹き荒れる中、健気なスペインの正義の友と私は語り合った。
「正しいからこそ、勝たねばならない」
あれから30年余。スペイン創価学会は、当時の80倍近い陣列に発展を遂げ、同国の仏教連盟を代表する団体として、大いなる衆望を寄せられている。
* *
今月が結成記念の学生部、高等部の英才たちも、元気で頼もしい。
私は妻と毎日、全宝友の健康幸福・栄光勝利を祈りに祈り抜いている。いよいよの信力・行力を奮い起こし、いよいよの仏力・法力を湧き出しながら、胸を張って人間革命と宿命転換の凱歌の劇をつづりゆこう!
2022年6月14日火曜日
2022.06.14 わが友に贈る
「言と云うは、心の思いを
響かして声を顕す」
皆の幸福を願う熱意が
友の心を揺り動かす!
真剣と真心で語り抜こう。
(新713・全563)
聖愚問答抄上 P495
『然るを浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ善導は法華経を雑行と名け剰へ千中無一とて千人信ずとも一人得道の者あるべからずと書けり、真言宗の弘法は法華経を華厳にも劣り大日経には三重の劣と書き戯論の法と定めたり、正覚房は法華経は大日経のはきものとりにも及ばずと云ひ釈尊をば大日如来の牛飼にもたらずと判せり、禅宗は法華経を吐たるつばき月をさす指教網なんど下す、小乗律等は法華経は邪教天魔の所説と名けたり、此等豈謗法にあらずや責めても猶あまりあり禁めても亦たらず。』
【通解】
ところが浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ、善導は法華経を雑行と名づけ、そのうえ「千中無一」といって千人信じて一人も得道する者ははいと書いている。真言宗の弘法は法華経を華厳にも劣る。大日経には三重の劣であると書き、戯論の法と定めている。正覚房は「法華経は大日経の履物取りにも及ばない」「釈尊は大日如来の牛飼いにもたりない」と批判している。禅宗は法華経を吐きすてたた唾、月をさす指、教えの網などとさげすんでいる。小乗律等は法華経は邪教、天魔の所説と名づけている。これらは謗法ではないか。どこまで責めても責めたりないし、どれほど禁めても足りないのである。
名字の言 言葉は氷山の一角 2022年6月14日
言葉というものは不思議だ。普段使っているありふれた言葉でも組み合わせ方、発する時と場合によって、すごい力を発揮したりする。なぜそういうことが生じるのか▼詩人の大岡信さんは言う。「つまり、われわれが使っている言葉は氷山の一角だということである。氷山の海面下に沈んでいる部分はなにか。それは、その言葉を発した人の心」にほかならない、と(『詩・ことば・人間』講談社)。海面下の氷山のように見えない心次第で、表に出る言葉の力はいかようにも変わる▼対話に挑んでも上手に話せず悩んでいた友を、多宝会の先輩が励ました。「昔の肉屋さんや魚屋さんを思い浮かべてごらん。おいしいコロッケや魚は古新聞で素っ気なく包んであってもおいしかった。対話も一緒。包装紙で箔をつけるようなもったいぶった話をする必要なんかない。素朴でいいんだよ」▼そばで聞いていて、こちらも得心した。確かに、どんな立派な内容でも、見えや気取りがあれば人の胸に響かない。話がうまくなくていい。大切なのは「言葉の海面下」にある心だ▼相手の幸福を願う慈悲の祈り、社会や未来をよくしたいという熱い思いを精いっぱい言葉に込めて語ろう。そうすれば対話の力は何倍も増す。
寸鉄 2022年6月14日
「一糸乱れず」。これこそ学会の勝利の姿—恩師。栄光の峰へ共に勢いよく
常勝の電源地・大兵庫が奮戦。限界突破の拡大、今こそ!全国の同志も声援
唯一恐れるのは行動しないこと—イギリス元首相。勇気の一歩が苦難を破る突破口
2時間超の就寝ズレで睡眠の質が低下傾向—調査 聡明なリズムで健康第一
国内の「食品ロス」が過去最少。意識向上、コロナ禍が因と。公明よ更に動け
☆御書と未来へ 第21回 広布の女性は「世界の光明」
〈御文〉
『竜女と申す女人は、法華経にて仏に成りて候えば、末代にこの経を持ちまいらせん女人をまぼらせ給うべきよし誓わせ給いし。その御ゆかりにて候か。貴し、貴し。』〈松野殿後家尼御前御返事、新2004・全1393〉
〈通解〉
竜女という女人は、法華経で仏に成られたので、末代にこの法華経を持つ女人を守ると誓いを立てられました。あなたは、そのゆかりの人でしょうか。まことに貴いことです。
〈池田先生が贈る指針〉
竜女は衆生を赤子のごとく慈念し、心を大いに歓喜せしめ、幸福の世界を広げる。
慈折広布に励む女性部こそ、その真の後継である。十方の仏天が守らぬわけがない。華陽の乙女、ヤング白ゆりを先頭に、皆が最極の生命の宝珠で社会を照らすのだ。
女人成仏・万人成仏の道を"万代へ踏み開ける"希望の大連帯、万歳!
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 総神奈川ドクター部長・医学博士 小林広幸
◇人間のための医療を提供
【プロフィル】こばやし・ひろゆき 大学病院の治験・臨床研究支援部門で責任者を務める。総合内科専門医。日本血液学会認定血液専門医。63歳。1979年(昭和54年)入会。神奈川県相模原市在住。副本部長。
◇楽観主義は最良の"薬"
「患者さんに一日でも早く、より良い治療を届けたい」——そんな思いで20年間、新薬の開発に携わってきました。
日本において、新薬を一つ開発するには、10年以上の長い年月と多額の費用がかかります。その成功率は約2万2000分の1。
困難な課題に向かって、看護師、薬剤師、研究者、コーディネーター等、多様なスタッフと一丸となって仕事をしています。
何より欠かせないのが、患者さんの協力です。希望と不安を抱きながら、"同じ病に苦しむ人のためにもなれば"——。そんな思いで臨床試験(治験)に加わってくださる方が多くいらっしゃいます。
だからこそ、患者さんの人権と安全を十分に考慮し、科学的に根拠のある医療をサポートしています。
新薬による"痛みが和らいだ""生活が充実するようになった"といった喜びの声に触れることが、開発に携わる私たちにとって何よりの励みです。
◇心温かな医師
小・中学生の頃、胃腸が過敏で、おなかをよく下していました。中学2年の時、近所の小児科医の先生が、私のストレスや生活の悩みをじっくり聞いて、症状の背景にまで心を砕いてくれました。
その温かな人柄に感動し、医師を志しました。
念願かなって大学の医学部に進むも、「何のための医師か」との、目的が定まっていないことに悶々とする日々。
そんな時、信心していた祖母や、地域の学生部の先輩が真心こめて励ましてくれたのです。
池田先生が、トインビー博士との対談集『21世紀への対話』の中で、「真のヒューマニズムとは、生命の本質と人間性への明晰な洞察を基盤とすべき」と語られていることに感銘を受けました。
"人間のための医療を提供しよう"と心に期し、20歳で入会。研究と学会活動に情熱を注ぎました。
30歳を迎え、米ニューヨーク州の大学に留学。新型コロナウイルスのワクチンでも活用された、「メッセンジャーRNA」と呼ばれる遺伝物質をベースとする治療薬の研究を始めました。
しかし、初めの半年間は思うような成果が出ません。悲観的になっていた時、同僚から励まされ、"まず1年間はやり抜こう"と決意。題目を唱え抜き、課題を明確にしながら試行錯誤を続けました。
3カ月後、状況は好転。翌年、国際学会での成果発表で高評価を得ることができました。
帰国後は、新規抗がん剤や血栓症に関する研究を専門にしました。20年余の研究・臨床の成果が認められ、2009年(平成21年)から、大学病院で治験・臨床研究支援部門の責任者を務めています。
◇本当の幸せとは
幸福な人生を歩む上で、健康は大切な要素です。しかし、病気イコール不幸かというと、必ずしもそうではありません。
それを最初に教えてくれたのは、祖母でした。祖母は、私が入会してまもなく、肺腺がんに。がんは脳にも転移し、手の施しようがない状態でした。
しかし祖母は、御本尊を一筋に信じ、薬で痛みを抑えながら、病魔と闘いました。孫の私に信心をさせたいと祈っていたこと、入会して本当にうれしかったこと——あふれる思いを語り、2年後に霊山へ。
所願満足の祖母の姿を通し、病苦を乗り越えながら信心根本に生きる中に、本当の幸せはあることを知りました。
御書には、「しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし」(新1901・全1565)と仰せです。今がどんなに苦しくても、信心を貫けば必ず勝利していける——この、たくましい楽観主義こそ仏法者の生き方です。
それは、決して「何とかなる」といった安易な生き方ではありません。自らの意志で現実を変えようとする、主体性に裏打ちされた生き方です。
医療の現場でも、前向きな気持ちで病と立ち向かう方は、治療効果がより明確に表れる傾向にあります。楽観主義は、心身を健やかにする最良の"薬"であると思います。
これまで、「病気で苦しんだからこそ、人の苦労が分かる。悩んでいる人を励ませる」と、病に意味を見いだし、他者に尽くす、多くの同志と出会ってきました。
病と無縁な人はいません。超高齢社会を迎えた今、健康長寿を目指す上で、病と上手に付き合う知恵が求められています。それは、「生きがい」と「希望」を自らつくり、社会に貢献する生き方にこそあるのではないでしょうか。
祖母から教わった信心は、わが家の2人の子どもも継承。東京・立川に住む息子は、東京創価小学校の教員として奮闘しています。
昨年、初孫が生まれ、私も"おじいちゃん"デビューです。といっても、若い頃に誓った「人間のための医療を」との志は変わりません。研究に没頭するあまり、先日、腰を痛めてしまいました。年齢相応のケアも大切だと痛感しています(苦笑い)。
これからは、若手研究者と一緒に新たな治療の道を開き、社会に貢献していきたいと思います。
[視点]衆生所遊楽
多忙な日々を送る小林さん。「次から次に課題が出るのは当たり前。だから、サーファーのように"波"を楽しんでいます」——さらっと笑顔で語っていました。
法華経寿量品では「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)」と、人は、遊び楽しむために、この世に生まれたと説いています。そのために人生の苦難があると捉えれば、苦難の意味は百八十度変わります。
池田先生は、「信心を貫けば、生きていること自体が楽しいという人生になる。何があっても、生命の根底は安心しきって勝ち越えられる」と語っています。
御本尊を信じ抜き、強い生命力を発揮すれば、人生の厳しい波浪も悠々と乗り越えていけるのです。
響かして声を顕す」
皆の幸福を願う熱意が
友の心を揺り動かす!
真剣と真心で語り抜こう。
(新713・全563)
聖愚問答抄上 P495
『然るを浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ善導は法華経を雑行と名け剰へ千中無一とて千人信ずとも一人得道の者あるべからずと書けり、真言宗の弘法は法華経を華厳にも劣り大日経には三重の劣と書き戯論の法と定めたり、正覚房は法華経は大日経のはきものとりにも及ばずと云ひ釈尊をば大日如来の牛飼にもたらずと判せり、禅宗は法華経を吐たるつばき月をさす指教網なんど下す、小乗律等は法華経は邪教天魔の所説と名けたり、此等豈謗法にあらずや責めても猶あまりあり禁めても亦たらず。』
【通解】
ところが浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ、善導は法華経を雑行と名づけ、そのうえ「千中無一」といって千人信じて一人も得道する者ははいと書いている。真言宗の弘法は法華経を華厳にも劣る。大日経には三重の劣であると書き、戯論の法と定めている。正覚房は「法華経は大日経の履物取りにも及ばない」「釈尊は大日如来の牛飼いにもたりない」と批判している。禅宗は法華経を吐きすてたた唾、月をさす指、教えの網などとさげすんでいる。小乗律等は法華経は邪教、天魔の所説と名づけている。これらは謗法ではないか。どこまで責めても責めたりないし、どれほど禁めても足りないのである。
名字の言 言葉は氷山の一角 2022年6月14日
言葉というものは不思議だ。普段使っているありふれた言葉でも組み合わせ方、発する時と場合によって、すごい力を発揮したりする。なぜそういうことが生じるのか▼詩人の大岡信さんは言う。「つまり、われわれが使っている言葉は氷山の一角だということである。氷山の海面下に沈んでいる部分はなにか。それは、その言葉を発した人の心」にほかならない、と(『詩・ことば・人間』講談社)。海面下の氷山のように見えない心次第で、表に出る言葉の力はいかようにも変わる▼対話に挑んでも上手に話せず悩んでいた友を、多宝会の先輩が励ました。「昔の肉屋さんや魚屋さんを思い浮かべてごらん。おいしいコロッケや魚は古新聞で素っ気なく包んであってもおいしかった。対話も一緒。包装紙で箔をつけるようなもったいぶった話をする必要なんかない。素朴でいいんだよ」▼そばで聞いていて、こちらも得心した。確かに、どんな立派な内容でも、見えや気取りがあれば人の胸に響かない。話がうまくなくていい。大切なのは「言葉の海面下」にある心だ▼相手の幸福を願う慈悲の祈り、社会や未来をよくしたいという熱い思いを精いっぱい言葉に込めて語ろう。そうすれば対話の力は何倍も増す。
寸鉄 2022年6月14日
「一糸乱れず」。これこそ学会の勝利の姿—恩師。栄光の峰へ共に勢いよく
常勝の電源地・大兵庫が奮戦。限界突破の拡大、今こそ!全国の同志も声援
唯一恐れるのは行動しないこと—イギリス元首相。勇気の一歩が苦難を破る突破口
2時間超の就寝ズレで睡眠の質が低下傾向—調査 聡明なリズムで健康第一
国内の「食品ロス」が過去最少。意識向上、コロナ禍が因と。公明よ更に動け
☆御書と未来へ 第21回 広布の女性は「世界の光明」
〈御文〉
『竜女と申す女人は、法華経にて仏に成りて候えば、末代にこの経を持ちまいらせん女人をまぼらせ給うべきよし誓わせ給いし。その御ゆかりにて候か。貴し、貴し。』〈松野殿後家尼御前御返事、新2004・全1393〉
〈通解〉
竜女という女人は、法華経で仏に成られたので、末代にこの法華経を持つ女人を守ると誓いを立てられました。あなたは、そのゆかりの人でしょうか。まことに貴いことです。
〈池田先生が贈る指針〉
竜女は衆生を赤子のごとく慈念し、心を大いに歓喜せしめ、幸福の世界を広げる。
慈折広布に励む女性部こそ、その真の後継である。十方の仏天が守らぬわけがない。華陽の乙女、ヤング白ゆりを先頭に、皆が最極の生命の宝珠で社会を照らすのだ。
女人成仏・万人成仏の道を"万代へ踏み開ける"希望の大連帯、万歳!
☆紙上セミナー 仏法思想の輝き 総神奈川ドクター部長・医学博士 小林広幸
◇人間のための医療を提供
【プロフィル】こばやし・ひろゆき 大学病院の治験・臨床研究支援部門で責任者を務める。総合内科専門医。日本血液学会認定血液専門医。63歳。1979年(昭和54年)入会。神奈川県相模原市在住。副本部長。
◇楽観主義は最良の"薬"
「患者さんに一日でも早く、より良い治療を届けたい」——そんな思いで20年間、新薬の開発に携わってきました。
日本において、新薬を一つ開発するには、10年以上の長い年月と多額の費用がかかります。その成功率は約2万2000分の1。
困難な課題に向かって、看護師、薬剤師、研究者、コーディネーター等、多様なスタッフと一丸となって仕事をしています。
何より欠かせないのが、患者さんの協力です。希望と不安を抱きながら、"同じ病に苦しむ人のためにもなれば"——。そんな思いで臨床試験(治験)に加わってくださる方が多くいらっしゃいます。
だからこそ、患者さんの人権と安全を十分に考慮し、科学的に根拠のある医療をサポートしています。
新薬による"痛みが和らいだ""生活が充実するようになった"といった喜びの声に触れることが、開発に携わる私たちにとって何よりの励みです。
◇心温かな医師
小・中学生の頃、胃腸が過敏で、おなかをよく下していました。中学2年の時、近所の小児科医の先生が、私のストレスや生活の悩みをじっくり聞いて、症状の背景にまで心を砕いてくれました。
その温かな人柄に感動し、医師を志しました。
念願かなって大学の医学部に進むも、「何のための医師か」との、目的が定まっていないことに悶々とする日々。
そんな時、信心していた祖母や、地域の学生部の先輩が真心こめて励ましてくれたのです。
池田先生が、トインビー博士との対談集『21世紀への対話』の中で、「真のヒューマニズムとは、生命の本質と人間性への明晰な洞察を基盤とすべき」と語られていることに感銘を受けました。
"人間のための医療を提供しよう"と心に期し、20歳で入会。研究と学会活動に情熱を注ぎました。
30歳を迎え、米ニューヨーク州の大学に留学。新型コロナウイルスのワクチンでも活用された、「メッセンジャーRNA」と呼ばれる遺伝物質をベースとする治療薬の研究を始めました。
しかし、初めの半年間は思うような成果が出ません。悲観的になっていた時、同僚から励まされ、"まず1年間はやり抜こう"と決意。題目を唱え抜き、課題を明確にしながら試行錯誤を続けました。
3カ月後、状況は好転。翌年、国際学会での成果発表で高評価を得ることができました。
帰国後は、新規抗がん剤や血栓症に関する研究を専門にしました。20年余の研究・臨床の成果が認められ、2009年(平成21年)から、大学病院で治験・臨床研究支援部門の責任者を務めています。
◇本当の幸せとは
幸福な人生を歩む上で、健康は大切な要素です。しかし、病気イコール不幸かというと、必ずしもそうではありません。
それを最初に教えてくれたのは、祖母でした。祖母は、私が入会してまもなく、肺腺がんに。がんは脳にも転移し、手の施しようがない状態でした。
しかし祖母は、御本尊を一筋に信じ、薬で痛みを抑えながら、病魔と闘いました。孫の私に信心をさせたいと祈っていたこと、入会して本当にうれしかったこと——あふれる思いを語り、2年後に霊山へ。
所願満足の祖母の姿を通し、病苦を乗り越えながら信心根本に生きる中に、本当の幸せはあることを知りました。
御書には、「しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし」(新1901・全1565)と仰せです。今がどんなに苦しくても、信心を貫けば必ず勝利していける——この、たくましい楽観主義こそ仏法者の生き方です。
それは、決して「何とかなる」といった安易な生き方ではありません。自らの意志で現実を変えようとする、主体性に裏打ちされた生き方です。
医療の現場でも、前向きな気持ちで病と立ち向かう方は、治療効果がより明確に表れる傾向にあります。楽観主義は、心身を健やかにする最良の"薬"であると思います。
これまで、「病気で苦しんだからこそ、人の苦労が分かる。悩んでいる人を励ませる」と、病に意味を見いだし、他者に尽くす、多くの同志と出会ってきました。
病と無縁な人はいません。超高齢社会を迎えた今、健康長寿を目指す上で、病と上手に付き合う知恵が求められています。それは、「生きがい」と「希望」を自らつくり、社会に貢献する生き方にこそあるのではないでしょうか。
祖母から教わった信心は、わが家の2人の子どもも継承。東京・立川に住む息子は、東京創価小学校の教員として奮闘しています。
昨年、初孫が生まれ、私も"おじいちゃん"デビューです。といっても、若い頃に誓った「人間のための医療を」との志は変わりません。研究に没頭するあまり、先日、腰を痛めてしまいました。年齢相応のケアも大切だと痛感しています(苦笑い)。
これからは、若手研究者と一緒に新たな治療の道を開き、社会に貢献していきたいと思います。
[視点]衆生所遊楽
多忙な日々を送る小林さん。「次から次に課題が出るのは当たり前。だから、サーファーのように"波"を楽しんでいます」——さらっと笑顔で語っていました。
法華経寿量品では「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)」と、人は、遊び楽しむために、この世に生まれたと説いています。そのために人生の苦難があると捉えれば、苦難の意味は百八十度変わります。
池田先生は、「信心を貫けば、生きていること自体が楽しいという人生になる。何があっても、生命の根底は安心しきって勝ち越えられる」と語っています。
御本尊を信じ抜き、強い生命力を発揮すれば、人生の厳しい波浪も悠々と乗り越えていけるのです。
2022年6月13日月曜日
2022.06.13 わが友に贈る
新聞休刊日
辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』
【通解】
第六天の魔王は十種の魔の軍勢で戦を起こし、法華経の行者を相手に生死の苦しみの海の中で、凡夫と聖人が同居しているこの娑婆世界を「とられないぞ」「奪ってやる」と争うのである。日蓮は、第六天の魔王と戦う(法華経の行者の)身に当たっており、大兵を起こして戦うこと二十余年である。その間、日蓮は一度も退く心はない。
☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第10回 中部の友へ
◇勝利の一番星よ輝け!
一番星が輝いた。
堅塁・中部の大空に!
金星が
勝利の光を
放ちながら輝いた。
この星は
我らの星だ!
夕焼けに染まって
やがて見つめる
名古屋城の彼方には
きれいな星の煌めくように
青年たちの希望に燃えゆく
光の眼が輝いて集まる。
その輝く星座は
懇願するように
中部の君たちよ!
中部の貴女たちよ!
戦う魂を
さらに光らせながら
勝利の憧れの歌を
歌ってくれ給え! と。
幾たびとなく
卑劣な権力者たちに
荒らされた
苦しめられた君たちよ!
中傷の風の怒号に
戦い抜いた中部よ!
◆◇◆
我らの大道には
いくら
周囲が騒々しくても
いくら
社会が荒々しくても
一度限りの貴重な人生は
嵐にも不動である。
そして
正義の太陽に包まれ
暗黒の闇を吹き払った
満天の幸福の星座に
抱かれながら
崇高なる一生を
飾ることができるのだ。
我らは勝った!
中部の友は勝った!
創価の勇者は
永遠に勝った!
快活な大演奏に包まれた
勇気と幸福と力をもって
永遠に
勝利の軌道の法則に
胸を張って進みゆく
嬉しさよ!
◆◇◆
さあ 今日も
私の魂を
私の生命を
私の使命を
私の生活を
最も高貴な
広宣流布という
永遠の歴史に残る
平和と栄光の戦いを
何一つ悔いを残さずに
前進することだ!
真実の眼の覚めた
人生を生きることだ!
この尊き崇高な大運動に
皆さま方は
夜となく昼となく
そして
晴れても曇っても
雨の日も風の日も
ある時は夜遅くまで
正義の調べを広げるために!
正義の戦が勝利するために!
大きな信念を
胸に秘めながら
ひたすらに戦い
そして勝っていく!
戦い勝った皆さまの
正義の大いなる往来を
大宇宙の仏天は
朝陽の光とともに
身動きもせずに見つめ
讃えているに違いない。
日本列島の中心の中部!
日本の要の中部!
中部が中心となって
両翼が羽ばたいている
日本の姿。
完勝の原動力の中部よ!
中部の名誉と勝利の
金星よ 光れ!
中部の親愛なる同志の
日々の生活と人生に
金星よ 輝け!
☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第8回=完 希望の未来へ
身延の山で、弟子たちを育成していた日蓮大聖人さまのもとには、たびたび、各地から門下が訪れました。
遠く離れた佐渡の地から、海と山を越えて、阿仏房が御供養の品を背負って来たことがありました。
大聖人さまは、阿仏房を励ましつつ、夫を送り出した千日尼のことを思って、「あなたの心は、間違いなく私のもとに来ています。ただ心こそが大切なのですよ」と手紙を書きました。
また、父親と死別した後、母親や、きょうだいと一緒に信心に励んできた16歳の南条時光が、御供養の品を持って訪れたこともありました。
時光が立派な若武者に育ったことを、わがことのように喜んだ大聖人さまは、時光とその母へのお礼の手紙の中で、「時光は、身も心も亡き父上に似ていますね」と、温かく励ましました。
実は、大聖人さまは、8年にわたり身延で暮らす中、少しずつ病気がちになっていました。
そこで、温泉に入って病気を治そうと、常陸国(現在の茨城県北部と福島県南東部)というところへ向けて旅に出ました。
弟子に支えられ、ゆっくりと進んでいった大聖人さま。やがて、武蔵国池上(現在の東京都大田区)に到着すると、池上宗仲という弟子の家で、しばらく休むことにしました。
大聖人さまがいると聞いて、池上宗仲の家には、多くの門下たちがやって来ました。大聖人さまは、病気でつらい中でしたが、かつて書いた「立正安国論」を、門下たちに一生懸命、教えました。
ある日のこと。
大聖人さまは、自らの枕元に、日興上人をはじめとする弟子たちを呼び寄せました。
そして、「私がやってきた、正しい仏法を弘める行動を、弟子のあなたたちが継いでいくのです」と話しました。
弟子たちは、間もなく大聖人さまがいなくなると思うと、涙が止まりませんでした。
やがて、大聖人さまは目を閉じました。たくさんの弟子が見守る中、そのまま、眠るように静かに息を引き取ったのです。
大聖人さまが亡くなった後も、日興上人は師匠の心を受け継いで、苦しむ人々を救うための行動を貫きました。
大聖人さまが書いた手紙や論文を集め、「御書」として大切にし、門下が学べるようにもしました。
それから、およそ650年後——。
大聖人さまの心を、最も正しく受け継ぎ、偉大な仏法を弘める団体が生まれました。
それが「創価学会」です。
あらゆる人々を幸福にして、平和な世界をつくるため、今日も創価学会の友は、大聖人さまの直系の門下として頑張っているのです。(完)
◇[道しるべ]師弟共戦
「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」(法華経493ページ)——私たちが日々、読誦する法華経如来寿量品第16の自我偈は、釈尊が"何としても一切衆生を幸福に導きたい"という、仏の永遠の願いを明かして結ばれています。
この仏の大願をわが心として、仏滅後の妙法弘通を誓ったのが「地涌の菩薩」であると、法華経には示されています。いわば、広宣流布は永遠に「師弟不二の共戦」によって成し遂げられるのです。
御聖訓に「『大願』とは、法華弘通なり」(新1027・全736)、「ちかいし願いやぶるべからず」(新114・全232)とあるように、日蓮大聖人は広宣流布の大願を生涯の誓いとし、どこまでも貫かれました。
そして、「日蓮がごとく」(新1341・全989など)、「日蓮と同意」(新1791・全1360)と仰せになり、"私と共に広布の大願に生きるのだ!"と、後継の弟子たちに、師弟共戦を幾重にも呼び掛けられています。
この大聖人のお心のままに、世界広布を現実の上で進めているのが創価学会にほかなりません。
御本尊を「法華弘通のはたじるし」(新2086・全1243)と奉じて、全世界の民衆の平和と幸福のため、日夜、広布の使命に生き抜く私たちこそ、仏の大願を継ぐ地涌の菩薩なのです。
◇[地図・関連年表]
弘安4年(1281年)5月(60歳) 蒙古襲来(弘安の役)
弘安5年(1282年)9月8日(61歳) 身延山を下る
同年9月18日 武蔵国の池上宗仲邸に到着
同年10月13日 池上邸で御入滅
(聖寿は数え年)
辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』
【通解】
第六天の魔王は十種の魔の軍勢で戦を起こし、法華経の行者を相手に生死の苦しみの海の中で、凡夫と聖人が同居しているこの娑婆世界を「とられないぞ」「奪ってやる」と争うのである。日蓮は、第六天の魔王と戦う(法華経の行者の)身に当たっており、大兵を起こして戦うこと二十余年である。その間、日蓮は一度も退く心はない。
☆桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進� 第10回 中部の友へ
◇勝利の一番星よ輝け!
一番星が輝いた。
堅塁・中部の大空に!
金星が
勝利の光を
放ちながら輝いた。
この星は
我らの星だ!
夕焼けに染まって
やがて見つめる
名古屋城の彼方には
きれいな星の煌めくように
青年たちの希望に燃えゆく
光の眼が輝いて集まる。
その輝く星座は
懇願するように
中部の君たちよ!
中部の貴女たちよ!
戦う魂を
さらに光らせながら
勝利の憧れの歌を
歌ってくれ給え! と。
幾たびとなく
卑劣な権力者たちに
荒らされた
苦しめられた君たちよ!
中傷の風の怒号に
戦い抜いた中部よ!
◆◇◆
我らの大道には
いくら
周囲が騒々しくても
いくら
社会が荒々しくても
一度限りの貴重な人生は
嵐にも不動である。
そして
正義の太陽に包まれ
暗黒の闇を吹き払った
満天の幸福の星座に
抱かれながら
崇高なる一生を
飾ることができるのだ。
我らは勝った!
中部の友は勝った!
創価の勇者は
永遠に勝った!
快活な大演奏に包まれた
勇気と幸福と力をもって
永遠に
勝利の軌道の法則に
胸を張って進みゆく
嬉しさよ!
◆◇◆
さあ 今日も
私の魂を
私の生命を
私の使命を
私の生活を
最も高貴な
広宣流布という
永遠の歴史に残る
平和と栄光の戦いを
何一つ悔いを残さずに
前進することだ!
真実の眼の覚めた
人生を生きることだ!
この尊き崇高な大運動に
皆さま方は
夜となく昼となく
そして
晴れても曇っても
雨の日も風の日も
ある時は夜遅くまで
正義の調べを広げるために!
正義の戦が勝利するために!
大きな信念を
胸に秘めながら
ひたすらに戦い
そして勝っていく!
戦い勝った皆さまの
正義の大いなる往来を
大宇宙の仏天は
朝陽の光とともに
身動きもせずに見つめ
讃えているに違いない。
日本列島の中心の中部!
日本の要の中部!
中部が中心となって
両翼が羽ばたいている
日本の姿。
完勝の原動力の中部よ!
中部の名誉と勝利の
金星よ 光れ!
中部の親愛なる同志の
日々の生活と人生に
金星よ 輝け!
☆子どもと学ぶ 日蓮大聖人の御生涯 第8回=完 希望の未来へ
身延の山で、弟子たちを育成していた日蓮大聖人さまのもとには、たびたび、各地から門下が訪れました。
遠く離れた佐渡の地から、海と山を越えて、阿仏房が御供養の品を背負って来たことがありました。
大聖人さまは、阿仏房を励ましつつ、夫を送り出した千日尼のことを思って、「あなたの心は、間違いなく私のもとに来ています。ただ心こそが大切なのですよ」と手紙を書きました。
また、父親と死別した後、母親や、きょうだいと一緒に信心に励んできた16歳の南条時光が、御供養の品を持って訪れたこともありました。
時光が立派な若武者に育ったことを、わがことのように喜んだ大聖人さまは、時光とその母へのお礼の手紙の中で、「時光は、身も心も亡き父上に似ていますね」と、温かく励ましました。
実は、大聖人さまは、8年にわたり身延で暮らす中、少しずつ病気がちになっていました。
そこで、温泉に入って病気を治そうと、常陸国(現在の茨城県北部と福島県南東部)というところへ向けて旅に出ました。
弟子に支えられ、ゆっくりと進んでいった大聖人さま。やがて、武蔵国池上(現在の東京都大田区)に到着すると、池上宗仲という弟子の家で、しばらく休むことにしました。
大聖人さまがいると聞いて、池上宗仲の家には、多くの門下たちがやって来ました。大聖人さまは、病気でつらい中でしたが、かつて書いた「立正安国論」を、門下たちに一生懸命、教えました。
ある日のこと。
大聖人さまは、自らの枕元に、日興上人をはじめとする弟子たちを呼び寄せました。
そして、「私がやってきた、正しい仏法を弘める行動を、弟子のあなたたちが継いでいくのです」と話しました。
弟子たちは、間もなく大聖人さまがいなくなると思うと、涙が止まりませんでした。
やがて、大聖人さまは目を閉じました。たくさんの弟子が見守る中、そのまま、眠るように静かに息を引き取ったのです。
大聖人さまが亡くなった後も、日興上人は師匠の心を受け継いで、苦しむ人々を救うための行動を貫きました。
大聖人さまが書いた手紙や論文を集め、「御書」として大切にし、門下が学べるようにもしました。
それから、およそ650年後——。
大聖人さまの心を、最も正しく受け継ぎ、偉大な仏法を弘める団体が生まれました。
それが「創価学会」です。
あらゆる人々を幸福にして、平和な世界をつくるため、今日も創価学会の友は、大聖人さまの直系の門下として頑張っているのです。(完)
◇[道しるべ]師弟共戦
「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」(法華経493ページ)——私たちが日々、読誦する法華経如来寿量品第16の自我偈は、釈尊が"何としても一切衆生を幸福に導きたい"という、仏の永遠の願いを明かして結ばれています。
この仏の大願をわが心として、仏滅後の妙法弘通を誓ったのが「地涌の菩薩」であると、法華経には示されています。いわば、広宣流布は永遠に「師弟不二の共戦」によって成し遂げられるのです。
御聖訓に「『大願』とは、法華弘通なり」(新1027・全736)、「ちかいし願いやぶるべからず」(新114・全232)とあるように、日蓮大聖人は広宣流布の大願を生涯の誓いとし、どこまでも貫かれました。
そして、「日蓮がごとく」(新1341・全989など)、「日蓮と同意」(新1791・全1360)と仰せになり、"私と共に広布の大願に生きるのだ!"と、後継の弟子たちに、師弟共戦を幾重にも呼び掛けられています。
この大聖人のお心のままに、世界広布を現実の上で進めているのが創価学会にほかなりません。
御本尊を「法華弘通のはたじるし」(新2086・全1243)と奉じて、全世界の民衆の平和と幸福のため、日夜、広布の使命に生き抜く私たちこそ、仏の大願を継ぐ地涌の菩薩なのです。
◇[地図・関連年表]
弘安4年(1281年)5月(60歳) 蒙古襲来(弘安の役)
弘安5年(1282年)9月8日(61歳) 身延山を下る
同年9月18日 武蔵国の池上宗仲邸に到着
同年10月13日 池上邸で御入滅
(聖寿は数え年)
2022年6月12日日曜日
2022.06.12 わが友に贈る
◇今週のことば
我らは所願成就の同志だ。
「自他・彼此の心なく、
水魚の思いを成して」
異体同心の無敵の団結で
どんな険路も越えよう!
(新1775・全1337)
2022年6月12日
教行証御書 P1282
『此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや』
【通解】
法華経本門の肝心である、この妙法蓮華経は、過去・現在・未来すべての諸仏の、あらゆる修行、あらゆる善行の功徳を集めて五字としたものである。この五字の中に、どうしてあらゆる戒の功徳を納めないことがあろうか。
名字の言 絵本作家・佐野洋子さんが愛用していた"短針1本の時計" 2022年6月12日
絵本・童話作家の佐野洋子さんはある時期、一風変わった時計を愛用していた。友人のメキシコ土産で、文字盤に短針1本しかないというものだった▼後に、それはあるべき長針が外れ落ちた、壊れた時計だと知る。それでも"分刻み"の長針がないぶん、時間に追われず、おおらかに時が流れていくように感じ、とても気に入っていたという(『私の猫たち許してほしい』ちくま文庫)▼小説『新・人間革命』に、山本伸一が聖教新聞の本社屋上で何人かの職員と語らう場面がある。視線のかなたには富士の雄姿が光り、眼下には家々の屋根が見える。伸一は言う。「家並みは路地裏から見てもわからないが、高いところから見ると、一目瞭然だろう。こうして上から見下ろしていくような、境涯を確立していく道が仏法なんだよ」と▼これは、足元や目の前の小事を軽んじていいという意味ではない。本意は、信心の眼を開き、自身の境涯を高めれば、揺れ動く社会の荒波に翻弄されず、悠然と進んでいけるということである▼刹那に生きる人は大事を成せない。物事を大局から捉え、目的を正しく定めてこそ、達成への課題も明確になる。それが着実な一歩前進の因ともなり、人生勝利への起点ともなる。
寸鉄 2022年6月12日
「富士山の木のごとく、ぞくぞくと」御書。必ず人材は出る!激励の手緩めず(新2090・全1245)
兵庫が乾坤一擲の猛攻。情熱込め粘り強く。未聞の大逆転へ皆で押し上げ
君の仕事は未来の収穫の為に幸福の種を蒔く事—劇作家バーナード・ショー。新時代開く主役
日記の日。一日を振り返り綴るべき挑戦がある人は幸福。輝く自分史刻め
給付金詐欺の容疑者7割が20代以下。SNSで安易に加担と。破壊は一瞬
☆輝きの瞬間 6月の広布史
◇1957年6月30日 学生部の結成記念日
「新しく『学生部』設置」——この見出しが聖教新聞に躍ったのは、1956年3月25日のこと。「立正安国」の実現のため、創価学会が新たな戦いを展開している最中のことである。
学生部は、戸田先生と池田先生によって結成された最後の部である。池田先生は、設置が発表された学生部の結成に向け、折々に励ましを送った。
翌57年6月30日、東京・麻布公会堂に約500人の学生が集い、結成大会が行われた。池田先生は電報を送り、祝福した。
この結成大会の日、先生は北海道にいた。炭鉱労働組合が学会員を弾圧した「夕張炭労事件」の陣頭指揮を執っていたためである。
また、結成大会から3日後の7月3日、先生は公職選挙法違反という事実無根の容疑で逮捕される。「大阪事件」である。民衆勢力を弾圧する権力との闘争の渦中に、学生部は発足した。
先生は、民衆を護る若き英知のリーダーを手塩に掛けて育んできた。第3代会長に就任した翌月の60年6月26日、学生部総会に出席。「決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたい」と強調した。
62年8月31日には、学生部の代表への「御義口伝」講義を開始。創価大学の設立構想の発表や、日中国交正常化の提言を行ったのも、学生部の総会の席上であった。
78年6月30日、学生部結成21周年を記念する幹部会が行われた。席上、学生部歌「広布に走れ」が発表された。
♪歴史を創るは この船たしか 我と我が友よ 広布に走れ
当時、宗門の悪僧らによる師弟分断の謀略が吹き荒れていた。先生は幹部会で訴えた。
「戸田前会長は、常々『次の学会を頼む』と若い青年に期待された。私は、その通りに歩んできたつもりである。と同じように、今度は諸君の番である」
この師の万感の期待は、学生部結成から65周年を迎える今も、決して変わらない。
◇1971年6月 北海道での写真撮影
1971年6月10日、池田先生は北海道の大沼研修所(現・函館研修道場)の開所式に出席。記念植樹や卓球大会に臨み、友との絆を結んだ。
前日の9日に研修所に到着した先生は、開所式の準備を開始。午後8時過ぎ、周囲の視察のため先生は車に乗った。漆黒の夜空だったが、東の山の向こうが白く光って見えた。
「あの光は何だろう」。先生の問い掛けに、同行の友は「函館の街の明かりではないでしょうか」と答えた。
先生を乗せた車は、湖畔の外周道路へ。しばらくすると、雲の切れ間から、月が姿を現した。暗闇の中の輝きは、人工の光ではなく、満月であった。
湖面には月光が金波、銀波となってきらめき、揺れた。先生は湖畔を移動しながらシャッターを切り、フィルム数本分を撮影した。それは大宇宙が織りなした、"美の絵巻"であった。
この日から、先生は本格的に写真の撮影を開始。奮闘する友の励みになればと、折に触れてカメラを手にした。
各地を訪れ、自然の持つ"瞬間の美"を捉えた作品は、「自然との対話——池田大作写真展」に発展。40年にわたり、世界41カ国・地域、150以上の都市で行われている。
「池田会長のポエムは口で詠まれた詩であり、写真は眼で詠まれた詩です」とは、20世紀を代表する美術史家ルネ・ユイグ氏の言葉である。
北海道訪問から数日後、先生は大沼で撮影した月の写真を、男子部の代表のメンバーに贈り、その真情を語った。
「"日夜、戦っている学会員の皆様が、この月の光に照らされ、英知輝く人になってほしい。名月天子よ、我が友を見守ってくれ"との願いを込めて、シャッターを切りました」
一枚の写真は言葉の壁を越え、人間と人間の心をつなぐ。先生が折々に撮影した写真は、友の心に勇気の灯をともしている。
◇1973年6月 5日 福井の日
◇1973年6月 10日 群馬の日
◇1973年6月 17日 茨城の日
1973年は、学会が新たな飛翔を開始した年である。「広布第2章」がスタートし、「仏法を基調とした本格的な社会建設の時代」へ船出した。
池田先生が強調したことの一つが、地域に即した広布の運動の推進である。「各方面、また、各県、各区を、何があっても微動だにせぬ黄金柱にしなければならない」と、激励に駆けた。
年頭から5月にかけて東京各区で記念撮影を行った先生は、6月に各地を訪問。この時に福井、群馬、茨城の3県は「県の日」の淵源となる歴史を刻んだ。
先生は5日、武生市体育館(当時)で開催された「福井県幹部会」に出席。空襲や自然災害を、不撓不屈の精神で乗り越えてきた福井の歴史を通し、"愛する郷土の発展は皆の勇気にかかっている"と強調した。さらに、「これからは福井の時代です。『東京、何するものぞ!』という気概で存分にやってください」と呼び掛けた。
最後に、「武田節」を全員で合唱。先生の雄渾な指揮に、参加者の決意が燃え上がった。
10日には、「群馬・高原スポーツ大会」へ。当初、会場がなかなか決まらなかった。群馬の同志は懸命に祈り抜き、伊香保町(当時)のスケートセンターで、大会が開催されることになった。
先生はメンバーと記念のカメラに納まり、"幸福の実証者に""一人一人が一騎当千の精鋭たれ"などの励ましを。そして、共に卓球をし、陰の力に徹する役員らを見つけては、心からの感謝を述べた。
1週間後の17日は、水戸市で行われた「茨城県スポーツ祭」に出席。先生もワイシャツを腕まくりし、鉢巻きを締めて、競技に出場。真剣勝負そのものの姿に、場内は最高潮に沸いた。同志の輪の中に入り、生命を削るようにして一人一人の心に希望を送る師の振る舞いを、皆が胸に焼き付けた。
先生は席上、「求道」「団結」「行動」「人材育成」との四つの指針を送った。その意義は、ますます重みを増している。
◇1990年6月3日、4日 関西池田記念墓地公園 初訪問
兵庫・丹波市にある関西池田記念墓地公園。そのオープンは1990年6月のこと。美しい山並みと田園風景が広がる水と緑の天地に、待望の墓園が誕生し、関西中の同志に歓喜があふれた。
池田先生は3日、丹波へ向かった。"先生が通られる!"——墓園までの道々には、三色旗を振る同志の姿があった。
夕方に同園に到着した先生は、「素晴らしいね。おめでとう!」と祝福。記念植樹や歌碑の除幕式などに参加した後、園内を回り、亡くなられた同志やその家族に、懇ろに題目を送った。
翌4日、開園を記念するテープカットが行われ、墓園内の丹波平和講堂で勤行会が開催された。
厳粛に勤行・唱題し、先生は、「広宣流布にまい進する民衆こそ真の"長者"であり、妙法の同志がきたって安らかに休みゆくこの墓園は"王宮""長者の城"ともいうべき誉れの故郷である」とあいさつした。
この年の年末、第2次宗門事件が勃発する。「僧が上で信徒が下」という時代錯誤の権威主義の体質を露呈した宗門が、一方的に池田先生を「法華講総講頭」から罷免した。91年には「破門通告書」なる文書が送られ、創価学会は「魂の独立」を果たす。
92年10月22日、先生は再び関西池田記念墓地公園へ。丹波平和講堂で、「兵庫県総会」の意義をとどめた本部幹部会が開催された。
「学会・学会員を大切にする人こそ、正法を大切にする人である。正法を大切にする人は、今度は大聖人から大切にされる。御本尊から大切にされる。十方の諸仏から大切にされる。この一事を知れば、人生は盤石である。仏法の真髄の実践が、ここにある」との師の言葉に、兵庫の友は破邪顕正の前進を誓った。
豊かな自然に囲まれ、来園者への真心にあふれた同園は長年、地元の老人会や園児、小学生たちが見学に訪れる。丹波市観光協会も桜の名所として紹介するなど、地域の"憩いの場"としても親しまれている。
我らは所願成就の同志だ。
「自他・彼此の心なく、
水魚の思いを成して」
異体同心の無敵の団結で
どんな険路も越えよう!
(新1775・全1337)
2022年6月12日
教行証御書 P1282
『此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや』
【通解】
法華経本門の肝心である、この妙法蓮華経は、過去・現在・未来すべての諸仏の、あらゆる修行、あらゆる善行の功徳を集めて五字としたものである。この五字の中に、どうしてあらゆる戒の功徳を納めないことがあろうか。
名字の言 絵本作家・佐野洋子さんが愛用していた"短針1本の時計" 2022年6月12日
絵本・童話作家の佐野洋子さんはある時期、一風変わった時計を愛用していた。友人のメキシコ土産で、文字盤に短針1本しかないというものだった▼後に、それはあるべき長針が外れ落ちた、壊れた時計だと知る。それでも"分刻み"の長針がないぶん、時間に追われず、おおらかに時が流れていくように感じ、とても気に入っていたという(『私の猫たち許してほしい』ちくま文庫)▼小説『新・人間革命』に、山本伸一が聖教新聞の本社屋上で何人かの職員と語らう場面がある。視線のかなたには富士の雄姿が光り、眼下には家々の屋根が見える。伸一は言う。「家並みは路地裏から見てもわからないが、高いところから見ると、一目瞭然だろう。こうして上から見下ろしていくような、境涯を確立していく道が仏法なんだよ」と▼これは、足元や目の前の小事を軽んじていいという意味ではない。本意は、信心の眼を開き、自身の境涯を高めれば、揺れ動く社会の荒波に翻弄されず、悠然と進んでいけるということである▼刹那に生きる人は大事を成せない。物事を大局から捉え、目的を正しく定めてこそ、達成への課題も明確になる。それが着実な一歩前進の因ともなり、人生勝利への起点ともなる。
寸鉄 2022年6月12日
「富士山の木のごとく、ぞくぞくと」御書。必ず人材は出る!激励の手緩めず(新2090・全1245)
兵庫が乾坤一擲の猛攻。情熱込め粘り強く。未聞の大逆転へ皆で押し上げ
君の仕事は未来の収穫の為に幸福の種を蒔く事—劇作家バーナード・ショー。新時代開く主役
日記の日。一日を振り返り綴るべき挑戦がある人は幸福。輝く自分史刻め
給付金詐欺の容疑者7割が20代以下。SNSで安易に加担と。破壊は一瞬
☆輝きの瞬間 6月の広布史
◇1957年6月30日 学生部の結成記念日
「新しく『学生部』設置」——この見出しが聖教新聞に躍ったのは、1956年3月25日のこと。「立正安国」の実現のため、創価学会が新たな戦いを展開している最中のことである。
学生部は、戸田先生と池田先生によって結成された最後の部である。池田先生は、設置が発表された学生部の結成に向け、折々に励ましを送った。
翌57年6月30日、東京・麻布公会堂に約500人の学生が集い、結成大会が行われた。池田先生は電報を送り、祝福した。
この結成大会の日、先生は北海道にいた。炭鉱労働組合が学会員を弾圧した「夕張炭労事件」の陣頭指揮を執っていたためである。
また、結成大会から3日後の7月3日、先生は公職選挙法違反という事実無根の容疑で逮捕される。「大阪事件」である。民衆勢力を弾圧する権力との闘争の渦中に、学生部は発足した。
先生は、民衆を護る若き英知のリーダーを手塩に掛けて育んできた。第3代会長に就任した翌月の60年6月26日、学生部総会に出席。「決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたい」と強調した。
62年8月31日には、学生部の代表への「御義口伝」講義を開始。創価大学の設立構想の発表や、日中国交正常化の提言を行ったのも、学生部の総会の席上であった。
78年6月30日、学生部結成21周年を記念する幹部会が行われた。席上、学生部歌「広布に走れ」が発表された。
♪歴史を創るは この船たしか 我と我が友よ 広布に走れ
当時、宗門の悪僧らによる師弟分断の謀略が吹き荒れていた。先生は幹部会で訴えた。
「戸田前会長は、常々『次の学会を頼む』と若い青年に期待された。私は、その通りに歩んできたつもりである。と同じように、今度は諸君の番である」
この師の万感の期待は、学生部結成から65周年を迎える今も、決して変わらない。
◇1971年6月 北海道での写真撮影
1971年6月10日、池田先生は北海道の大沼研修所(現・函館研修道場)の開所式に出席。記念植樹や卓球大会に臨み、友との絆を結んだ。
前日の9日に研修所に到着した先生は、開所式の準備を開始。午後8時過ぎ、周囲の視察のため先生は車に乗った。漆黒の夜空だったが、東の山の向こうが白く光って見えた。
「あの光は何だろう」。先生の問い掛けに、同行の友は「函館の街の明かりではないでしょうか」と答えた。
先生を乗せた車は、湖畔の外周道路へ。しばらくすると、雲の切れ間から、月が姿を現した。暗闇の中の輝きは、人工の光ではなく、満月であった。
湖面には月光が金波、銀波となってきらめき、揺れた。先生は湖畔を移動しながらシャッターを切り、フィルム数本分を撮影した。それは大宇宙が織りなした、"美の絵巻"であった。
この日から、先生は本格的に写真の撮影を開始。奮闘する友の励みになればと、折に触れてカメラを手にした。
各地を訪れ、自然の持つ"瞬間の美"を捉えた作品は、「自然との対話——池田大作写真展」に発展。40年にわたり、世界41カ国・地域、150以上の都市で行われている。
「池田会長のポエムは口で詠まれた詩であり、写真は眼で詠まれた詩です」とは、20世紀を代表する美術史家ルネ・ユイグ氏の言葉である。
北海道訪問から数日後、先生は大沼で撮影した月の写真を、男子部の代表のメンバーに贈り、その真情を語った。
「"日夜、戦っている学会員の皆様が、この月の光に照らされ、英知輝く人になってほしい。名月天子よ、我が友を見守ってくれ"との願いを込めて、シャッターを切りました」
一枚の写真は言葉の壁を越え、人間と人間の心をつなぐ。先生が折々に撮影した写真は、友の心に勇気の灯をともしている。
◇1973年6月 5日 福井の日
◇1973年6月 10日 群馬の日
◇1973年6月 17日 茨城の日
1973年は、学会が新たな飛翔を開始した年である。「広布第2章」がスタートし、「仏法を基調とした本格的な社会建設の時代」へ船出した。
池田先生が強調したことの一つが、地域に即した広布の運動の推進である。「各方面、また、各県、各区を、何があっても微動だにせぬ黄金柱にしなければならない」と、激励に駆けた。
年頭から5月にかけて東京各区で記念撮影を行った先生は、6月に各地を訪問。この時に福井、群馬、茨城の3県は「県の日」の淵源となる歴史を刻んだ。
先生は5日、武生市体育館(当時)で開催された「福井県幹部会」に出席。空襲や自然災害を、不撓不屈の精神で乗り越えてきた福井の歴史を通し、"愛する郷土の発展は皆の勇気にかかっている"と強調した。さらに、「これからは福井の時代です。『東京、何するものぞ!』という気概で存分にやってください」と呼び掛けた。
最後に、「武田節」を全員で合唱。先生の雄渾な指揮に、参加者の決意が燃え上がった。
10日には、「群馬・高原スポーツ大会」へ。当初、会場がなかなか決まらなかった。群馬の同志は懸命に祈り抜き、伊香保町(当時)のスケートセンターで、大会が開催されることになった。
先生はメンバーと記念のカメラに納まり、"幸福の実証者に""一人一人が一騎当千の精鋭たれ"などの励ましを。そして、共に卓球をし、陰の力に徹する役員らを見つけては、心からの感謝を述べた。
1週間後の17日は、水戸市で行われた「茨城県スポーツ祭」に出席。先生もワイシャツを腕まくりし、鉢巻きを締めて、競技に出場。真剣勝負そのものの姿に、場内は最高潮に沸いた。同志の輪の中に入り、生命を削るようにして一人一人の心に希望を送る師の振る舞いを、皆が胸に焼き付けた。
先生は席上、「求道」「団結」「行動」「人材育成」との四つの指針を送った。その意義は、ますます重みを増している。
◇1990年6月3日、4日 関西池田記念墓地公園 初訪問
兵庫・丹波市にある関西池田記念墓地公園。そのオープンは1990年6月のこと。美しい山並みと田園風景が広がる水と緑の天地に、待望の墓園が誕生し、関西中の同志に歓喜があふれた。
池田先生は3日、丹波へ向かった。"先生が通られる!"——墓園までの道々には、三色旗を振る同志の姿があった。
夕方に同園に到着した先生は、「素晴らしいね。おめでとう!」と祝福。記念植樹や歌碑の除幕式などに参加した後、園内を回り、亡くなられた同志やその家族に、懇ろに題目を送った。
翌4日、開園を記念するテープカットが行われ、墓園内の丹波平和講堂で勤行会が開催された。
厳粛に勤行・唱題し、先生は、「広宣流布にまい進する民衆こそ真の"長者"であり、妙法の同志がきたって安らかに休みゆくこの墓園は"王宮""長者の城"ともいうべき誉れの故郷である」とあいさつした。
この年の年末、第2次宗門事件が勃発する。「僧が上で信徒が下」という時代錯誤の権威主義の体質を露呈した宗門が、一方的に池田先生を「法華講総講頭」から罷免した。91年には「破門通告書」なる文書が送られ、創価学会は「魂の独立」を果たす。
92年10月22日、先生は再び関西池田記念墓地公園へ。丹波平和講堂で、「兵庫県総会」の意義をとどめた本部幹部会が開催された。
「学会・学会員を大切にする人こそ、正法を大切にする人である。正法を大切にする人は、今度は大聖人から大切にされる。御本尊から大切にされる。十方の諸仏から大切にされる。この一事を知れば、人生は盤石である。仏法の真髄の実践が、ここにある」との師の言葉に、兵庫の友は破邪顕正の前進を誓った。
豊かな自然に囲まれ、来園者への真心にあふれた同園は長年、地元の老人会や園児、小学生たちが見学に訪れる。丹波市観光協会も桜の名所として紹介するなど、地域の"憩いの場"としても親しまれている。
2022年6月11日土曜日
2022.06.11 わが友に贈る
「日蓮が一門は
師子の吼うるなり」
大確信の対話が
立正安国の大道を開く。
歴史に残る勝利劇を!
(新1620・全1190)
聖人御難事 P1190
『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』
【通解】
月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。
【先生の指導から】
きょうという日は二度と来ない。大切な一日一日を、どこまでも強気で、「師子王の心」で、勝利することだ。
これまでがどうあれ、過去は過去である。現在から未来へ、いかにして前進と向上、成長と発展の道を開いていくか。そこから人間革命のドラマが始まる。
惰性の延長はご破算にして、たえず生き生きと新しく出発するのが、本因妙の仏法である。
日々、心新たに前進する学会活動は、仏法の法理にのっとって、幸福と勝利のリズムを奏でゆく行動なのである。
名字の言 対話の風を巻き起こす福岡の壮年部員 2022年6月11日
「風が吹かない日はあっても、この人から"対話の風"が吹かない日はない」と評判の壮年が福岡県の宗像市にいる。彼の胸には関西男子部時代の原点がある▼1984年9月、兵庫県で開催された第4回世界平和文化祭の組み体操に出演した。この年に入会したばかりだったが、体操経験を買われ、5段円塔の頂上で逆立ちする大役に。必死に練習し、父に弘教を実らせ、迎えた当日、見事な演技を披露した。池田先生が両手を振り、お辞儀をし、たたえてくれた。彼は涙して誓う。「何があろうと先生と共に生きよう」▼その後、福岡で建設業に就くも試練の連続。仕事中の事故で大けがをした。妻が病気で倒れた。そのたびに、いの一番に駆け付けてくれたのは地元の学会員。その励ましがあったからこそ、全てを乗り越えることができた。「一生涯、学会の素晴らしさを語り抜こう」と奮起した彼は、妻と一緒に対話を広げ、地域の大半を良き理解者に変えた▼御書に「ただ南無妙法蓮華経なるべし」(新1874・全1546)と。どこまでも師弟一筋、学会一筋に奮闘する友が今、ここかしこで輝いている▼潔い信心を貫く同志と共に前進すれば勇気が湧く。壁を破る拡大の大旋風を巻き起こそう。
寸鉄 2022年6月11日
「『道場』とは、十界の衆生の住所」御書。今いる場所が人間革命の本舞台(新1086・全781)
東京・板橋師弟の日。本陣に聳える人材の錦州城!民衆凱歌へ圧倒的拡大を
勇気がなければ幸福は得られない—哲人ルソー。踏み出す勇気、貫く勇気を共に
脳梗塞と熱中症の初期症状は類似と。水分不足は身体に負担大。小まめに
核兵器なき世界へ今夏が正念場に—識者。平和を望まぬ人なし。連帯強く
〈社説〉 2022・6・11 師弟の7月へ着実な一歩を!
◇明確な目標が前進を促す
"課題が見えた""修正して次に生かしたい"。華やかなプロスポーツの世界。試合後のインタビューで、選手からこんな言葉が語られるのをよく耳にする。その度に、選手の活躍を生む膨大な努力を思わずにはいられない。
自転車ロードレースの最高峰ツール・ド・フランス。2012年、この伝統の大会で、結成からわずか3年のチームが総合優勝者を出す快挙を成し遂げたことが話題となった。中でも注目されたのは「マージナル・ゲイン」と呼ばれるチームの標語だった。
意味は「小さな改善」。トレーニング方法の検証や練習施設の整備だけではない。専用の枕やユニホームを洗濯する洗剤選びまで、それらは全て、レースに勝利するという「大きなゴール」を構成する"小さな目標"だ。目の前にある小さな目標の達成の積み重ねが大きな前進を生んだ(マシュー・サイド著『失敗の科学』ディスカヴァー・トゥエンティワン)。
法華経が説く譬喩の一つに「化城宝処の譬え」がある。険しい悪路に疲れ、来た道を引き返そうとする隊商の人々がいた。指導者は彼らの前に幻の町を出現させる。そこで英気を養った人々は再び希望を抱き、目的地への旅を続けることができた。譬えは、方便を用いて衆生を仏の覚りへと導く様子を表したものだが、眼前に到達すべき目標が見えたことで、悪路を行く人々の気持ちが後押しされたとも言えよう。
私たちは時として、目の前の困難な現実に圧倒されそうになる。その際に必要なのは、不安や恐れの心に惑わされず、今なすべきことを明らかにし、目的地に向かって自ら行動を開始することだ。
かつて池田先生は「たとえ小さなことであっても、地味であっても、まったく構いません。『今、これをやり遂げてみせる』と誓いを立て、誠実に、粘り強く、果たし切っていくことです」と語られた。自身の現在地から着実な一歩を踏み出す大切さを、たびたび強調されている。
苦難と格闘し、困難に立ち向かった"挑戦の証し"である小さな一歩に、最大の賛辞と励ましを送りたい。その挑戦は、必ずや自身の歴史となり、さらには周囲の人々に勇気を与える波動となろう。
師弟の月・7月は目前。決められた決勝点へ、同志と共に着実な歩みを進めていきたい。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第12回 まことの信心
◇兄弟抄
『各々随分に法華経を信ぜられつるゆえに、過去の重罪をせめいだし給いて候。たとえば、鉄をよくよくきたえばきずのあらわるるがごとし。石はやけばはいとなる。金はやけば真金となる。この度こそまことの御信用はあらわれて、法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ。』(新1474・全1083)
◇勇気の指標
正しい実践があるからこそ、難が起こるのです。重要なのは、「賢者はよろこび愚者は退く」(全1091・新1488)と仰せの如く、難や障魔が現れた時に、勇んで「挑む」のか、それとも怯んで「逃げる」のか。いざという時の信心の姿勢です。
信心をしていく中では、時として「なぜ」「どうして」というような出来事が起こることがあります。しかし、凡夫の眼だけでは分からないことも、仏法の眼で見るなら、生命の次元から真実を知見することができます。この境地から見れば、さまざまな難には、必ず深い意味があるのです。
◆◇◆
苦難の時にこそ「まことの御信用」を表し、「本物の弟子」としての真価を発揮できると教えられています。
焦点は、一人一人が「まこと」の信心に立つことです。その時、必ず諸天善神が働きます。諸天が励んでいけば、宿命との戦いが打開できないわけがありません。
◆◇◆
私たちが信心に励み、学会活動に挑む中で直面する苦難には、全て意味があります。すなわち、広布のために戦い抜いた人は、わが生命を金剛の宝剣の如く、未来永劫に光り輝かせていくことができるのです。
◇"本物の弟子"の真価を 太田英雄 関東青年部長
「今こそ、まことの時!」——関東青年部は今、総立ちとなっています。仕事での逆境や病気など、宿命と戦う友も、"信心で必ず勝利のドラマを"と立ち向かっています。
正しい信仰に励めば、障魔が競い起こる。その時に、"今こそ"と強盛な信心で戦い抜けば、真金のように強靱な生命を築くことができる——試練に直面する池上兄弟たちへ送られた一節を拝し、「まことの信心」を命に刻んでいきたいと思います。
◇絶対、大丈夫!
先生は、『人間革命の宗教』の中で、この御文を講義され、「焦点は、一人一人が『まこと』の信心に立つことです。その時、必ず諸天善神が働きます。諸天が励んでいけば、宿命との戦いが打開できないわけがありません」と教えてくださっています。
総埼玉男子部長だった6年前の3月、妊娠8カ月を過ぎた妻が緊急入院。急きょ、帝王切開で出産しました。結婚5年目にしてようやく授かった命でした。生まれてきた男の子は約1300グラム。手のひらの上に乗るくらいの大きさでした。
さらにその直後、今度は妻が合併症で、命の危機に陥ったのです。
息子は新生児集中治療室(NICU)、妻は集中治療室(ICU)で必死に闘っている。何もできない無力感に押しつぶされそうになりながらも、"祈るしかない"と必死に唱題しました。この時、多くの同志の皆さんが励まし、題目を送ってくださいました。
「絶対に大丈夫!」
「使命があるんだから!」
「私も祈るよ!」
この時ほど、創価家族のありがたさを感じたことはありません。
師匠と同志の励ましを胸に、無我夢中で祈り、限界を破る正義の対話拡大に徹し抜きました。そして3日目に妻の容態が安定したのです。
幸いにも息子は元気に育ってくれ、今春、東京創価小学校に入学することができました。長女も誕生して子宝にも恵まれ、感謝してもしきれません。
この体験を通して、"信心とは「確信」なんだ"ということを命に刻ませていただきました。
妻と息子が大変だった時、同志の皆さんは、口々に「絶対、大丈夫」と言われるのです。"そうだ。大丈夫かな、治るかな、という弱々しい祈りではない。絶対に治してみせる、勝ってみせるとの大確信の祈りだ"——そう腹を決めることができました。
最高の仏法を持っている以上、勝つことは間違いない。焦点は、こちらが「まことの信心」に立てるかどうか——池田先生と同志から教えていただいた学会魂です。
◇"今こそ"と挑み続ける
先生はさらに、「大難は、全部、わが生命を鍛え、永遠の幸福境涯を築くために不可欠の軌道となっているのです」と講義されています。
コロナ禍が世界を覆った2年前、実家・兵庫の母が急逝。父もがんとの闘病が続いていました。悲しみに襲われ、動揺しましたが、多くの同志に励ましていただき、前を向くことができました。以来、積み重ねてきた題目は750万遍に達しました。
「まことの信心」とは何か——祈り、戦う一日一日を通して、深めてくることができたと感じています。それは、どんな困難があったとしても、常に"今こそ、今こそ"と、師匠と共に広布に挑み続ける生命自体のことではないでしょうか。
私自身、こうした題目への挑戦や体験を、メンバーと共有しながら、共に誓いを新たにする日々です。
"今日も、このように戦うぞ"という決意、"今、こういう目標に向かって、このように挑戦している"という実践を、ありのままに語り合っていきたい。広宣流布という大願に生きる歓喜を、堂々と語り広げていきたいと思います。
池田先生はかつて、関東男子部に、「広宣流布は人に頼まれてするのではなく、地涌の菩薩としての自身の自覚から、また、この世に生まれてきた自分の使命として、やむにやまれぬ久遠の生命の発動として遂行するもの」と呼び掛けてくださいました。
今こそ、我らが誓い生まれてきた地涌の使命に、雄々しく立ち上がる時。関東青年部の一人一人が「まことの信心」を奮い起こし、立正安国の大連帯を勝ち広げていきます!
◇メモ
「兄弟抄」は、池上兄弟と、その夫人たちに団結して困難を乗り越えゆくように激励された長文のお手紙。当時、池上宗仲・宗長兄弟の父は、真言律宗の僧・極楽寺良観の熱心な信者であり、兄弟の信仰に反対し、兄・宗仲を勘当した。当時の勘当は、家督相続権を失い、社会的に抹殺されることにも等しいものであった。
師子の吼うるなり」
大確信の対話が
立正安国の大道を開く。
歴史に残る勝利劇を!
(新1620・全1190)
聖人御難事 P1190
『月月日日につより給へすこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』
【通解】
月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきにつけこんで襲ってくるであろう。
【先生の指導から】
きょうという日は二度と来ない。大切な一日一日を、どこまでも強気で、「師子王の心」で、勝利することだ。
これまでがどうあれ、過去は過去である。現在から未来へ、いかにして前進と向上、成長と発展の道を開いていくか。そこから人間革命のドラマが始まる。
惰性の延長はご破算にして、たえず生き生きと新しく出発するのが、本因妙の仏法である。
日々、心新たに前進する学会活動は、仏法の法理にのっとって、幸福と勝利のリズムを奏でゆく行動なのである。
名字の言 対話の風を巻き起こす福岡の壮年部員 2022年6月11日
「風が吹かない日はあっても、この人から"対話の風"が吹かない日はない」と評判の壮年が福岡県の宗像市にいる。彼の胸には関西男子部時代の原点がある▼1984年9月、兵庫県で開催された第4回世界平和文化祭の組み体操に出演した。この年に入会したばかりだったが、体操経験を買われ、5段円塔の頂上で逆立ちする大役に。必死に練習し、父に弘教を実らせ、迎えた当日、見事な演技を披露した。池田先生が両手を振り、お辞儀をし、たたえてくれた。彼は涙して誓う。「何があろうと先生と共に生きよう」▼その後、福岡で建設業に就くも試練の連続。仕事中の事故で大けがをした。妻が病気で倒れた。そのたびに、いの一番に駆け付けてくれたのは地元の学会員。その励ましがあったからこそ、全てを乗り越えることができた。「一生涯、学会の素晴らしさを語り抜こう」と奮起した彼は、妻と一緒に対話を広げ、地域の大半を良き理解者に変えた▼御書に「ただ南無妙法蓮華経なるべし」(新1874・全1546)と。どこまでも師弟一筋、学会一筋に奮闘する友が今、ここかしこで輝いている▼潔い信心を貫く同志と共に前進すれば勇気が湧く。壁を破る拡大の大旋風を巻き起こそう。
寸鉄 2022年6月11日
「『道場』とは、十界の衆生の住所」御書。今いる場所が人間革命の本舞台(新1086・全781)
東京・板橋師弟の日。本陣に聳える人材の錦州城!民衆凱歌へ圧倒的拡大を
勇気がなければ幸福は得られない—哲人ルソー。踏み出す勇気、貫く勇気を共に
脳梗塞と熱中症の初期症状は類似と。水分不足は身体に負担大。小まめに
核兵器なき世界へ今夏が正念場に—識者。平和を望まぬ人なし。連帯強く
〈社説〉 2022・6・11 師弟の7月へ着実な一歩を!
◇明確な目標が前進を促す
"課題が見えた""修正して次に生かしたい"。華やかなプロスポーツの世界。試合後のインタビューで、選手からこんな言葉が語られるのをよく耳にする。その度に、選手の活躍を生む膨大な努力を思わずにはいられない。
自転車ロードレースの最高峰ツール・ド・フランス。2012年、この伝統の大会で、結成からわずか3年のチームが総合優勝者を出す快挙を成し遂げたことが話題となった。中でも注目されたのは「マージナル・ゲイン」と呼ばれるチームの標語だった。
意味は「小さな改善」。トレーニング方法の検証や練習施設の整備だけではない。専用の枕やユニホームを洗濯する洗剤選びまで、それらは全て、レースに勝利するという「大きなゴール」を構成する"小さな目標"だ。目の前にある小さな目標の達成の積み重ねが大きな前進を生んだ(マシュー・サイド著『失敗の科学』ディスカヴァー・トゥエンティワン)。
法華経が説く譬喩の一つに「化城宝処の譬え」がある。険しい悪路に疲れ、来た道を引き返そうとする隊商の人々がいた。指導者は彼らの前に幻の町を出現させる。そこで英気を養った人々は再び希望を抱き、目的地への旅を続けることができた。譬えは、方便を用いて衆生を仏の覚りへと導く様子を表したものだが、眼前に到達すべき目標が見えたことで、悪路を行く人々の気持ちが後押しされたとも言えよう。
私たちは時として、目の前の困難な現実に圧倒されそうになる。その際に必要なのは、不安や恐れの心に惑わされず、今なすべきことを明らかにし、目的地に向かって自ら行動を開始することだ。
かつて池田先生は「たとえ小さなことであっても、地味であっても、まったく構いません。『今、これをやり遂げてみせる』と誓いを立て、誠実に、粘り強く、果たし切っていくことです」と語られた。自身の現在地から着実な一歩を踏み出す大切さを、たびたび強調されている。
苦難と格闘し、困難に立ち向かった"挑戦の証し"である小さな一歩に、最大の賛辞と励ましを送りたい。その挑戦は、必ずや自身の歴史となり、さらには周囲の人々に勇気を与える波動となろう。
師弟の月・7月は目前。決められた決勝点へ、同志と共に着実な歩みを進めていきたい。
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第12回 まことの信心
◇兄弟抄
『各々随分に法華経を信ぜられつるゆえに、過去の重罪をせめいだし給いて候。たとえば、鉄をよくよくきたえばきずのあらわるるがごとし。石はやけばはいとなる。金はやけば真金となる。この度こそまことの御信用はあらわれて、法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ。』(新1474・全1083)
◇勇気の指標
正しい実践があるからこそ、難が起こるのです。重要なのは、「賢者はよろこび愚者は退く」(全1091・新1488)と仰せの如く、難や障魔が現れた時に、勇んで「挑む」のか、それとも怯んで「逃げる」のか。いざという時の信心の姿勢です。
信心をしていく中では、時として「なぜ」「どうして」というような出来事が起こることがあります。しかし、凡夫の眼だけでは分からないことも、仏法の眼で見るなら、生命の次元から真実を知見することができます。この境地から見れば、さまざまな難には、必ず深い意味があるのです。
◆◇◆
苦難の時にこそ「まことの御信用」を表し、「本物の弟子」としての真価を発揮できると教えられています。
焦点は、一人一人が「まこと」の信心に立つことです。その時、必ず諸天善神が働きます。諸天が励んでいけば、宿命との戦いが打開できないわけがありません。
◆◇◆
私たちが信心に励み、学会活動に挑む中で直面する苦難には、全て意味があります。すなわち、広布のために戦い抜いた人は、わが生命を金剛の宝剣の如く、未来永劫に光り輝かせていくことができるのです。
◇"本物の弟子"の真価を 太田英雄 関東青年部長
「今こそ、まことの時!」——関東青年部は今、総立ちとなっています。仕事での逆境や病気など、宿命と戦う友も、"信心で必ず勝利のドラマを"と立ち向かっています。
正しい信仰に励めば、障魔が競い起こる。その時に、"今こそ"と強盛な信心で戦い抜けば、真金のように強靱な生命を築くことができる——試練に直面する池上兄弟たちへ送られた一節を拝し、「まことの信心」を命に刻んでいきたいと思います。
◇絶対、大丈夫!
先生は、『人間革命の宗教』の中で、この御文を講義され、「焦点は、一人一人が『まこと』の信心に立つことです。その時、必ず諸天善神が働きます。諸天が励んでいけば、宿命との戦いが打開できないわけがありません」と教えてくださっています。
総埼玉男子部長だった6年前の3月、妊娠8カ月を過ぎた妻が緊急入院。急きょ、帝王切開で出産しました。結婚5年目にしてようやく授かった命でした。生まれてきた男の子は約1300グラム。手のひらの上に乗るくらいの大きさでした。
さらにその直後、今度は妻が合併症で、命の危機に陥ったのです。
息子は新生児集中治療室(NICU)、妻は集中治療室(ICU)で必死に闘っている。何もできない無力感に押しつぶされそうになりながらも、"祈るしかない"と必死に唱題しました。この時、多くの同志の皆さんが励まし、題目を送ってくださいました。
「絶対に大丈夫!」
「使命があるんだから!」
「私も祈るよ!」
この時ほど、創価家族のありがたさを感じたことはありません。
師匠と同志の励ましを胸に、無我夢中で祈り、限界を破る正義の対話拡大に徹し抜きました。そして3日目に妻の容態が安定したのです。
幸いにも息子は元気に育ってくれ、今春、東京創価小学校に入学することができました。長女も誕生して子宝にも恵まれ、感謝してもしきれません。
この体験を通して、"信心とは「確信」なんだ"ということを命に刻ませていただきました。
妻と息子が大変だった時、同志の皆さんは、口々に「絶対、大丈夫」と言われるのです。"そうだ。大丈夫かな、治るかな、という弱々しい祈りではない。絶対に治してみせる、勝ってみせるとの大確信の祈りだ"——そう腹を決めることができました。
最高の仏法を持っている以上、勝つことは間違いない。焦点は、こちらが「まことの信心」に立てるかどうか——池田先生と同志から教えていただいた学会魂です。
◇"今こそ"と挑み続ける
先生はさらに、「大難は、全部、わが生命を鍛え、永遠の幸福境涯を築くために不可欠の軌道となっているのです」と講義されています。
コロナ禍が世界を覆った2年前、実家・兵庫の母が急逝。父もがんとの闘病が続いていました。悲しみに襲われ、動揺しましたが、多くの同志に励ましていただき、前を向くことができました。以来、積み重ねてきた題目は750万遍に達しました。
「まことの信心」とは何か——祈り、戦う一日一日を通して、深めてくることができたと感じています。それは、どんな困難があったとしても、常に"今こそ、今こそ"と、師匠と共に広布に挑み続ける生命自体のことではないでしょうか。
私自身、こうした題目への挑戦や体験を、メンバーと共有しながら、共に誓いを新たにする日々です。
"今日も、このように戦うぞ"という決意、"今、こういう目標に向かって、このように挑戦している"という実践を、ありのままに語り合っていきたい。広宣流布という大願に生きる歓喜を、堂々と語り広げていきたいと思います。
池田先生はかつて、関東男子部に、「広宣流布は人に頼まれてするのではなく、地涌の菩薩としての自身の自覚から、また、この世に生まれてきた自分の使命として、やむにやまれぬ久遠の生命の発動として遂行するもの」と呼び掛けてくださいました。
今こそ、我らが誓い生まれてきた地涌の使命に、雄々しく立ち上がる時。関東青年部の一人一人が「まことの信心」を奮い起こし、立正安国の大連帯を勝ち広げていきます!
◇メモ
「兄弟抄」は、池上兄弟と、その夫人たちに団結して困難を乗り越えゆくように激励された長文のお手紙。当時、池上宗仲・宗長兄弟の父は、真言律宗の僧・極楽寺良観の熱心な信者であり、兄弟の信仰に反対し、兄・宗仲を勘当した。当時の勘当は、家督相続権を失い、社会的に抹殺されることにも等しいものであった。
2022年6月10日金曜日
2022.06.10 わが友に贈る
平和の文化を広げゆく
創価の女性に最敬礼!
皆様ありて広布あり。
さあ今日も元気に
友情の花を爛漫と!
内房女房御返事 P1424
『大王此の声を聞食し色は日輪の如し膚は月の如し力は那羅延の如し謀は梵王の如し』
【通解】
大王はこの声を聞かれて、色つやは日輪のように輝き、膚は月のように鮮やかに、力は那羅延のように強く、謀は梵天王のように豊かになったのです。
名字の言 母の顔を思い浮かべれば…… 2022年6月10日
思春期を迎えた息子の気ままな言動に悩む夫妻が、ある壮年部員に相談した。一家をよく知る壮年は、答えに窮した▼考えた揚げ句、壮年は言った。「わが家では子どもにこう教えています。『物事の判断に悩んだときは、それを実行したら、お母さんがどんな顔をするのかを想像しなさい』と」。心の中の母親が"笑顔"なら果敢に挑戦しよう。失敗しても、それは敗北ではない。逆に"悲しい顔"なら、目先の損得などに惑わされず、絶対にやらない、との趣旨だった。この話を伝え聞いた息子は、その後、態度が改善したという▼「母を思う」——この心のある人は、人生を正しい軌道で歩んでいけるだろう。それだけでなく、他者との接し方も変化するはずだ。例えば、誰かの誤りを正すにしても"この人にも大切な母がある"と思えば、感情的に責めるのではなく、真に蘇生を願う慈しみの言動で対応できるのではないか▼池田先生は「『母を悲しませない心』『母に喜んでもらう心』——それこそが、平和を創る出発点である」と語る。人は皆、母から生まれる。人としての感謝、幸福の出発点にもまた、「母」の存在があろう▼わが母はもちろん、心美しき慈母たちを深く尊敬し、報恩を尽くしたい。
寸鉄 2022年6月10日
白馬のなくは我らが南無妙法蓮華経のこえ—御書 張りのある朝の祈りから(新1447・全1065)
群馬の日。試練の時ほど輝く敢闘精神。民衆の底力は無限!団結で壁破れ
対面の会話は電話等より脳を一段と活性化—医師 人生彩る対話へ朗らかに
多忙な現代、音声媒体が活況と。本紙電子版も"記事の読み上げ"など充実
SNSのトラブル、20代が最多。儲け話の相談多数と。旨い話には罠あり
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 全国を駆ける 2022年6月2日
◇君よ舞え! 私も舞う!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は地域の繁栄と幸福を願い贈った、各方面への指針を紹介します。(引用元の『全集』は、『池田大作全集』です)
【東京】 立正安国の"本陣"と
大聖人は、ここ東京の天地で、御生涯の総仕上げをされた。(中略)
大聖人の御一代の弘法は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。妙法を掲げ、平和と安穏の社会を築きあげていくのが、私たちの戦いである。
東京は、永遠に「広宣流布の本陣」である。本陣として、「立正安国」の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある。
(『全集』第97巻、172ページ)
【東海道】 「正義」の大道を共に
会長を辞任後、真っ先に向かったのも、東海道である。静岡であり、そして神奈川である。(中略)
輝く大海原が見える神奈川文化会館で、私は「正義」と、一気呵成に筆を走らせた。
そして「われ一人正義の旗持つ也」と記したのである。
「正」の文字は「一」を「止める」と書く。
「義」の文字は「我」を「美しく」と解く。
「正義」の師弟——この一筋の大道ほど、人間として心定まり、心美しき道はない。
(『全集』第138巻、241ページ)
【関東】 「敢えて」の一歩を!
「敢闘」とは、「敢えて闘う」と書く。「敢えて」挑戦するのだ。「敢えて」一歩を踏み出すのだ。そこに、豁然として、大平野の如く自分の境涯が広がっていくことを忘れまい。
三世の生命を、勝利と栄光で飾りゆく、わが大関東の同志たちよ、さらに愉快に、一歩前進して、大いなる完勝の歌を、栄光の歌を、歌いゆこうではないか!
(『全集』第134巻、352ページ)
【関西】 常勝ありて広布あり
伸一は、「関西の歌」に、「常勝の空」という題名をつけた。祈りを託して。
——"常勝の空"は、晴れやかである。そこには、苦悩の暗雲を突き抜けた、大歓喜の光彩が満ちあふれている。勝つのだ! 断じて勝ち続けるのだ! 常勝ありてこそ、崩れざる自他共の幸福があるからだ。常勝ありてこそ、広宣流布があるからだ。
(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章、65ページ)
【北海道】 難攻不落の「三代城」
北海道の皆さまは、どんな時にも、希望のVサインを掲げながら、「北海道さえあれば、学会は永遠なり」という難攻不落の「三代城」(初代・二代・三代の会長ゆかりの人材の城の意)を築いていただきたい。
「三代城」は北海道しかない。この誇りで進んでいただきたい。
(『全集』第84巻、462ページ)
【東北】 師子が"人材"の要件
人材の根本の要件は、世法上の地位でも、肩書でも財力でもない。どこまでも、信心強盛であることだ。広宣流布への誓願を貫くことだ。
「人材の牙城・東北」は、広宣流布に生き抜く師子として立ち上がった。
(『全集』第132巻、183ページ)
【中部】 堅固な巌が波浪砕く
難があるたびに、障害にあうごとに、われらの異体同心の信心は、いよいよ堅固な巌となって、いかなる波浪をも打ち砕いていく。
何があろうと、微塵も揺るがない。恐れない。負けない。断じて前へ前へ進む。この不屈の闘魂で、勝利の歴史を、一歩また一歩と築き上げてきたのが、わが堅塁・中部の陣列である。
(『全集』第88巻、94ページ)
【北陸】 誓願に歓喜の生命が
広宣流布の大誓願に生きる時に、歓喜あふれる地涌の菩薩の大生命がみなぎる。
何ものをも恐れず、いかなる困難も乗り越えていける、無限の勇気と智慧と力が脈動します。
大誓願に生きることが、最も人生を輝かせていける道なんです。
北陸は、"広布の誓願"に生き抜かれた戸田先生の、ご生誕の地です。どうか、恩師の、その精神を受け継ぐ闘将の皆さんであってください。
(小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章、221ページ)
【信越】 輝く「人間革命」物語
庶民の苦闘と栄光の「人間革命」物語は、わが信越のあの町、この村に光り輝いている。(中略)
仏国土といっても、自分が存在する場所を離れて、どこか遠いところ、別世界にあるのではない。わが地域こそ、仏法証明の大地であり、わが「生命の鏡」である。ゆえに、地域の発展は、わが生命の成長であり、わが生命の栄冠なのである。
(『全集』第135巻、359ページ)
【中国】 「人を離れて事無し」
牧口先生は、「人を離れて事無し」(人間を離れて、何事もありえない)という吉田松陰の言葉をよく引かれた。"社会の各方面の行き詰まりの根源はどこにあるか?——それはことごとく人材の欠乏にある"と喝破しておられたのである。(中略)
何よりもまず「新しい人材」を登場させよ!
こう牧口先生はうながされた。まさに道理である。
「新しき人材」よ出でよ——「人材の中国」の青年部こそ、牧口先生のこの期待に、鋭敏に応えていただきたい。
(『全集』第85巻、409ページ)
【四国】 弟子が果たす師の志
四国は「志国」「志の国」であるとは、ある詩人の結論であった。(中略)
牧口先生の勝利は、戸田先生の勝利で決まった。そして、恩師戸田先生の永遠の勝利は、私の戦いで決まることを、私は骨の髄まで知っている。
私は、この五十年(当時)、牧口・戸田両先生の「志」を、ことごとく実現してきた。
皆様ご存じの通り、行くところ行くところで、勝って、勝って、勝ち抜いてきた。
(『全集』第135巻、177ページ)
【九州】 壁を破る先駆の誉れ
「創価完勝の決定打は我等の手で!」。この気宇壮大な責任感こそ九州魂である。(中略)
「先駆」とは、"人に先んじる"だけではない。いざ新たな戦いを起こそうとした時、誰でも最初に突き当たるのは、自分自身の心の壁である。「難しい」「苦手だ」「できない」——そうした自身の壁に、勇気を奮ってぶつかることだ。
(『全集』第135巻、93ページ)
【沖縄】 勇戦こそ勝利の源泉
勇んで戦いを起こし、使命に生き抜く人には、大歓喜がみなぎる。生命の躍動がある。それこそが、人間革命の原動力なのだ。創価の完勝の源泉なのだ。
わが沖縄の英雄の君よ、青春に輝く君たちよ!
君よ舞え! 私も舞う!
君よ戦え! 私も戦う!
(『全集』第135巻、331ページ)
創価の女性に最敬礼!
皆様ありて広布あり。
さあ今日も元気に
友情の花を爛漫と!
内房女房御返事 P1424
『大王此の声を聞食し色は日輪の如し膚は月の如し力は那羅延の如し謀は梵王の如し』
【通解】
大王はこの声を聞かれて、色つやは日輪のように輝き、膚は月のように鮮やかに、力は那羅延のように強く、謀は梵天王のように豊かになったのです。
名字の言 母の顔を思い浮かべれば…… 2022年6月10日
思春期を迎えた息子の気ままな言動に悩む夫妻が、ある壮年部員に相談した。一家をよく知る壮年は、答えに窮した▼考えた揚げ句、壮年は言った。「わが家では子どもにこう教えています。『物事の判断に悩んだときは、それを実行したら、お母さんがどんな顔をするのかを想像しなさい』と」。心の中の母親が"笑顔"なら果敢に挑戦しよう。失敗しても、それは敗北ではない。逆に"悲しい顔"なら、目先の損得などに惑わされず、絶対にやらない、との趣旨だった。この話を伝え聞いた息子は、その後、態度が改善したという▼「母を思う」——この心のある人は、人生を正しい軌道で歩んでいけるだろう。それだけでなく、他者との接し方も変化するはずだ。例えば、誰かの誤りを正すにしても"この人にも大切な母がある"と思えば、感情的に責めるのではなく、真に蘇生を願う慈しみの言動で対応できるのではないか▼池田先生は「『母を悲しませない心』『母に喜んでもらう心』——それこそが、平和を創る出発点である」と語る。人は皆、母から生まれる。人としての感謝、幸福の出発点にもまた、「母」の存在があろう▼わが母はもちろん、心美しき慈母たちを深く尊敬し、報恩を尽くしたい。
寸鉄 2022年6月10日
白馬のなくは我らが南無妙法蓮華経のこえ—御書 張りのある朝の祈りから(新1447・全1065)
群馬の日。試練の時ほど輝く敢闘精神。民衆の底力は無限!団結で壁破れ
対面の会話は電話等より脳を一段と活性化—医師 人生彩る対話へ朗らかに
多忙な現代、音声媒体が活況と。本紙電子版も"記事の読み上げ"など充実
SNSのトラブル、20代が最多。儲け話の相談多数と。旨い話には罠あり
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 全国を駆ける 2022年6月2日
◇君よ舞え! 私も舞う!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は地域の繁栄と幸福を願い贈った、各方面への指針を紹介します。(引用元の『全集』は、『池田大作全集』です)
【東京】 立正安国の"本陣"と
大聖人は、ここ東京の天地で、御生涯の総仕上げをされた。(中略)
大聖人の御一代の弘法は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。妙法を掲げ、平和と安穏の社会を築きあげていくのが、私たちの戦いである。
東京は、永遠に「広宣流布の本陣」である。本陣として、「立正安国」の大闘争を勝ち抜かねばならない使命と宿命がある。責任があり、名誉がある。
(『全集』第97巻、172ページ)
【東海道】 「正義」の大道を共に
会長を辞任後、真っ先に向かったのも、東海道である。静岡であり、そして神奈川である。(中略)
輝く大海原が見える神奈川文化会館で、私は「正義」と、一気呵成に筆を走らせた。
そして「われ一人正義の旗持つ也」と記したのである。
「正」の文字は「一」を「止める」と書く。
「義」の文字は「我」を「美しく」と解く。
「正義」の師弟——この一筋の大道ほど、人間として心定まり、心美しき道はない。
(『全集』第138巻、241ページ)
【関東】 「敢えて」の一歩を!
「敢闘」とは、「敢えて闘う」と書く。「敢えて」挑戦するのだ。「敢えて」一歩を踏み出すのだ。そこに、豁然として、大平野の如く自分の境涯が広がっていくことを忘れまい。
三世の生命を、勝利と栄光で飾りゆく、わが大関東の同志たちよ、さらに愉快に、一歩前進して、大いなる完勝の歌を、栄光の歌を、歌いゆこうではないか!
(『全集』第134巻、352ページ)
【関西】 常勝ありて広布あり
伸一は、「関西の歌」に、「常勝の空」という題名をつけた。祈りを託して。
——"常勝の空"は、晴れやかである。そこには、苦悩の暗雲を突き抜けた、大歓喜の光彩が満ちあふれている。勝つのだ! 断じて勝ち続けるのだ! 常勝ありてこそ、崩れざる自他共の幸福があるからだ。常勝ありてこそ、広宣流布があるからだ。
(小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章、65ページ)
【北海道】 難攻不落の「三代城」
北海道の皆さまは、どんな時にも、希望のVサインを掲げながら、「北海道さえあれば、学会は永遠なり」という難攻不落の「三代城」(初代・二代・三代の会長ゆかりの人材の城の意)を築いていただきたい。
「三代城」は北海道しかない。この誇りで進んでいただきたい。
(『全集』第84巻、462ページ)
【東北】 師子が"人材"の要件
人材の根本の要件は、世法上の地位でも、肩書でも財力でもない。どこまでも、信心強盛であることだ。広宣流布への誓願を貫くことだ。
「人材の牙城・東北」は、広宣流布に生き抜く師子として立ち上がった。
(『全集』第132巻、183ページ)
【中部】 堅固な巌が波浪砕く
難があるたびに、障害にあうごとに、われらの異体同心の信心は、いよいよ堅固な巌となって、いかなる波浪をも打ち砕いていく。
何があろうと、微塵も揺るがない。恐れない。負けない。断じて前へ前へ進む。この不屈の闘魂で、勝利の歴史を、一歩また一歩と築き上げてきたのが、わが堅塁・中部の陣列である。
(『全集』第88巻、94ページ)
【北陸】 誓願に歓喜の生命が
広宣流布の大誓願に生きる時に、歓喜あふれる地涌の菩薩の大生命がみなぎる。
何ものをも恐れず、いかなる困難も乗り越えていける、無限の勇気と智慧と力が脈動します。
大誓願に生きることが、最も人生を輝かせていける道なんです。
北陸は、"広布の誓願"に生き抜かれた戸田先生の、ご生誕の地です。どうか、恩師の、その精神を受け継ぐ闘将の皆さんであってください。
(小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章、221ページ)
【信越】 輝く「人間革命」物語
庶民の苦闘と栄光の「人間革命」物語は、わが信越のあの町、この村に光り輝いている。(中略)
仏国土といっても、自分が存在する場所を離れて、どこか遠いところ、別世界にあるのではない。わが地域こそ、仏法証明の大地であり、わが「生命の鏡」である。ゆえに、地域の発展は、わが生命の成長であり、わが生命の栄冠なのである。
(『全集』第135巻、359ページ)
【中国】 「人を離れて事無し」
牧口先生は、「人を離れて事無し」(人間を離れて、何事もありえない)という吉田松陰の言葉をよく引かれた。"社会の各方面の行き詰まりの根源はどこにあるか?——それはことごとく人材の欠乏にある"と喝破しておられたのである。(中略)
何よりもまず「新しい人材」を登場させよ!
こう牧口先生はうながされた。まさに道理である。
「新しき人材」よ出でよ——「人材の中国」の青年部こそ、牧口先生のこの期待に、鋭敏に応えていただきたい。
(『全集』第85巻、409ページ)
【四国】 弟子が果たす師の志
四国は「志国」「志の国」であるとは、ある詩人の結論であった。(中略)
牧口先生の勝利は、戸田先生の勝利で決まった。そして、恩師戸田先生の永遠の勝利は、私の戦いで決まることを、私は骨の髄まで知っている。
私は、この五十年(当時)、牧口・戸田両先生の「志」を、ことごとく実現してきた。
皆様ご存じの通り、行くところ行くところで、勝って、勝って、勝ち抜いてきた。
(『全集』第135巻、177ページ)
【九州】 壁を破る先駆の誉れ
「創価完勝の決定打は我等の手で!」。この気宇壮大な責任感こそ九州魂である。(中略)
「先駆」とは、"人に先んじる"だけではない。いざ新たな戦いを起こそうとした時、誰でも最初に突き当たるのは、自分自身の心の壁である。「難しい」「苦手だ」「できない」——そうした自身の壁に、勇気を奮ってぶつかることだ。
(『全集』第135巻、93ページ)
【沖縄】 勇戦こそ勝利の源泉
勇んで戦いを起こし、使命に生き抜く人には、大歓喜がみなぎる。生命の躍動がある。それこそが、人間革命の原動力なのだ。創価の完勝の源泉なのだ。
わが沖縄の英雄の君よ、青春に輝く君たちよ!
君よ舞え! 私も舞う!
君よ戦え! 私も戦う!
(『全集』第135巻、331ページ)
2022年6月9日木曜日
2022.06.09 わが友に贈る
「その国の仏法は貴辺に
まかせたてまつり候ぞ」
近隣を大事にしよう!
わが愛する地域に
希望の楽土の構築を!
(新1953・全1467)
神国王御書 P1524
『国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきかいかがしたりけん諸人の讒言ををさめて一人の余をすて給う』
【通解】
国主というのは道理を親とし非道を敵とする人であるべきなのに、どうしたことか人々の讒言を受け入れて、ただ一人の日蓮を斥けられた。
名字の言 原爆の脅威を伝える"無言の語り部" 2022年6月9日
崩れた土間、砕けた瓦……。広島の「被爆遺構展示館」は、60〜90センチほど掘り下げた地中で発見された道路や住居跡を露出展示している▼戦後、壊滅した街には盛り土がされ、公園が整備された。近年の発掘調査で住居跡を発見。市民の要望を受け、保存することに。現在を生きる人々の願いによって、過去の"がれき"は、原爆の脅威を未来に伝える"無言の語り部"となった▼広島の女性部員は15歳の時、爆心地から約3キロで被爆し、地獄の光景を見た。後年、子どもが生まれても詳細は語らなかった。90歳になり、「被爆体験を聞きたい」との青年部の要望に初めて重い口を開いた。その勇気の声は証言集『75——未来へつなぐヒロシマの心』に収録。翌年、彼女は霊山へ旅立った。過去の忌まわしい記憶は平和の熱願となり、未来へ受け継がれる▼池田先生は本年の「SGIの日」記念提言で、日本で行われる来年のG7サミット(主要7カ国首脳会議)の時期に合わせ、「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」の広島での実施を提案。折しも先月、同サミットの広島開催が決定した▼過去を悲劇だけで終わらせない。被爆者の心を継ぎ、不戦の未来を創る。その使命を果たす責任が私たちにはある。
寸鉄 2022年6月9日
激動の時代は足元を固めた人が勝者—戸田先生。全幹部が地区の最前線へ
男女学生部が結成の月を躍進。新時代開く旗手。勇み立正安国の言論戦を
「各もおずることなかれ」御書。信心は勇気の異名。堂々と創価の正義を語れ(新1939・全1455)
生活習慣の改善で寿命が長く—研究。賢き食事・睡眠等意識。多忙な時ほど
公明が豪雨被災地の声を国政に届けた—名誉教授議員網で政策実現を更に
☆御書と未来へ 第20回 仏法は最高の人間尊敬の思想
〈御文〉
『妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目、宝塔なり。宝塔また南無妙法蓮華経なり。』〈阿仏房御書(宝塔御書)、新1732・全1304〉
〈通解〉
妙法蓮華経よりほかに宝塔はない。法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経である。
〈池田先生が贈る指針〉
佐渡流罪から満600年に、牧口先生は有縁の新潟に誕生され、御本仏の仰せのままに死身弘法された。先生が朱線を引き大事にされたのが、この御書だ。
創立の師父の勇気を胸に、我らも一対一の人間尊敬の対話を貫こう! 自他共の生命を最極の宝塔と林立させ、現実の社会に立正安国の宝処を築き広げるために。
☆6月度座談会拝読御書 四条金吾殿御返事(法華経兵法の事)
◇御文
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。兵法・剣形の大事もこの妙法より出でたり。ふかく信心をとり給え。あえて臆病にては叶うべからず候。』(御書新版1623ページ9行目〜11行目、御書全集1192ページ15行目〜1193ページ2行目)
◇[池田先生の指針から]師匠と共に戦う弟子へ
広宣流布の師匠と心を合わせて、法華経の兵法で戦えば必ず勝てる! 勇気ある信心を貫けば、必ず正義を宣揚できる! 異体を同心とする善の団結を築けば、いかなる悪をも打ち破れる!
これが「絶対勝利の信心」の極意です。(中略)
全世界の皆さんが、和楽の道、幸福の道、栄光の道、健康の道、長寿の道、勝利の道を力強く歩んでいくことが、創価の三代の師弟の根本の誓願です。
創価学会は、永遠に師弟不二で絶対勝利の信心を貫き、凱歌の歴史を刻んでいくのです。(『創価学会 永遠の五指針』)
◇ ◇ ◇
どこまでも「師弟不二の心」で、「師弟一体の祈り」を貫き通していくことこそ、いかなる苦難や困難をも勝ち越えゆくための信心の要諦なのです。また、ここに「法華経の兵法」の肝要があります。
反対に、師弟の祈りが一致しなければ、真の力は出せません。(中略)
最初は"自分のための祈り"だったものが、そのまま"師と同じ誓願の祈り"へと発展していく。それは「師匠に守られる弟子」から、「師匠と共に戦う弟子」への一大転換劇ともいえるでしょう。
これは、「超越的絶対者に救済を求める宗教」とは異なります。「万人が民衆救済の慈悲(慈しみと同苦の仏の生命)の行動者」になるというのが、仏教の根幹の原理なのです。
「師弟」とは、目覚めた民衆の陣列を築く、師匠の「精神」と「行動」を共戦の弟子が継承していくことなのです。(『調和と希望の仏法——「人間の宗教」の時代へ』)
◇大確信の題目が障魔を打ち破る
[キーワード�]師弟一体の祈り
苦難や宿命の壁にぶつかった時、ともすれば、厳しい環境や状況を前に、打つ手なく立ちすくんでしまうことがあります。目の前の課題を解決しようと、小手先の"策"に走って、結局は右往左往してしまうこともあるでしょう。
"師匠がいるじゃないか!""信心があるじゃないか!"——。学会員一人一人は、困難に立ち向かう途上で、たとえどんなに打ちのめされたとしても、師との誓い、信心の原点に立ち返り、何度でも立ち上がってきました。
そしてわが心を奮い立たせ、「法華経の兵法」で人生の艱難辛苦を勝ち越えてきたのです。
「法華経の兵法」とは、"必ずかなう"との、大確信の祈りといえます。わが生命に湧き上がる無限の力で、不信の心を破る、絶対勝利の信心のことです。
拝読御文の直前には、「ただ、心こそが大切なのである。どれほど日蓮があなたのことを祈ったとしても、あなた自身が不信であるならば、濡れた火口に火を付けるようなものである」(新1623・全1192、通解)と仰せです。
門下の勝利を祈り待ってくださる、大聖人の大慈悲のお心を拝すことができます。そして、"師と同じ祈り、同じ心で立ち上がれ!"との師子吼が胸に迫ります。
あらゆる障魔を打ち破る「法華経の兵法」は、大聖人と同じ心、つまり「広宣流布の大願」に立った時に、わが身に脈打ちます。その心で御本尊に向かう"師弟一体の祈り"こそが、"最強の兵法"となるのです。
[キーワード�]勇気の信心貫く
日蓮大聖人が、"生きて帰ることは望めない"とされる佐渡流罪から御帰還された後、四条金吾は歓喜の決意に燃えて、主君である江間氏を折伏します。
しかし、江間氏は大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者でした。当時の状況を考えると、金吾の実践がどれほど勇気のいることであったのかは、計り知れません。
金吾は主君から法華経の信仰を捨てるように迫られ、同僚からも迫害を受けるようになります。
それでも金吾は、決して屈することなく、大聖人の御指導通りの実践を、勇敢に貫いたのです。
その後、江間氏からの信頼を回復し、新たな領地を受けるまでになった金吾を、嫉妬に狂う敵が襲撃します。
命の危機を乗り切った金吾に送られたのが本抄です。
大聖人は、法華経薬王品の「諸余の怨敵は、みな摧滅す」との文を引用し、一切の魔を粉砕する、妙法の偉大な力を示されます。
"どこまでも勇気ある強盛な信心で、邪悪な勢力の襲撃を防ぐのだ"との仰せです。
広宣流布は、仏と魔との闘争です。心に隙があれば魔が付け入ってきます。勢いよく前進している時こそ、より一層深く祈り、油断を排していくことが肝要となります。
その上で、あらゆる大難を悠然と勝ち越えられた大聖人は、「臆病であっては、何事も叶わない」と仰せです。
何ものをも恐れない、勇気ある信心を貫いていくならば、必ず勝利の実証を示すことができるのです。
まかせたてまつり候ぞ」
近隣を大事にしよう!
わが愛する地域に
希望の楽土の構築を!
(新1953・全1467)
神国王御書 P1524
『国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきかいかがしたりけん諸人の讒言ををさめて一人の余をすて給う』
【通解】
国主というのは道理を親とし非道を敵とする人であるべきなのに、どうしたことか人々の讒言を受け入れて、ただ一人の日蓮を斥けられた。
名字の言 原爆の脅威を伝える"無言の語り部" 2022年6月9日
崩れた土間、砕けた瓦……。広島の「被爆遺構展示館」は、60〜90センチほど掘り下げた地中で発見された道路や住居跡を露出展示している▼戦後、壊滅した街には盛り土がされ、公園が整備された。近年の発掘調査で住居跡を発見。市民の要望を受け、保存することに。現在を生きる人々の願いによって、過去の"がれき"は、原爆の脅威を未来に伝える"無言の語り部"となった▼広島の女性部員は15歳の時、爆心地から約3キロで被爆し、地獄の光景を見た。後年、子どもが生まれても詳細は語らなかった。90歳になり、「被爆体験を聞きたい」との青年部の要望に初めて重い口を開いた。その勇気の声は証言集『75——未来へつなぐヒロシマの心』に収録。翌年、彼女は霊山へ旅立った。過去の忌まわしい記憶は平和の熱願となり、未来へ受け継がれる▼池田先生は本年の「SGIの日」記念提言で、日本で行われる来年のG7サミット(主要7カ国首脳会議)の時期に合わせ、「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」の広島での実施を提案。折しも先月、同サミットの広島開催が決定した▼過去を悲劇だけで終わらせない。被爆者の心を継ぎ、不戦の未来を創る。その使命を果たす責任が私たちにはある。
寸鉄 2022年6月9日
激動の時代は足元を固めた人が勝者—戸田先生。全幹部が地区の最前線へ
男女学生部が結成の月を躍進。新時代開く旗手。勇み立正安国の言論戦を
「各もおずることなかれ」御書。信心は勇気の異名。堂々と創価の正義を語れ(新1939・全1455)
生活習慣の改善で寿命が長く—研究。賢き食事・睡眠等意識。多忙な時ほど
公明が豪雨被災地の声を国政に届けた—名誉教授議員網で政策実現を更に
☆御書と未来へ 第20回 仏法は最高の人間尊敬の思想
〈御文〉
『妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目、宝塔なり。宝塔また南無妙法蓮華経なり。』〈阿仏房御書(宝塔御書)、新1732・全1304〉
〈通解〉
妙法蓮華経よりほかに宝塔はない。法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経である。
〈池田先生が贈る指針〉
佐渡流罪から満600年に、牧口先生は有縁の新潟に誕生され、御本仏の仰せのままに死身弘法された。先生が朱線を引き大事にされたのが、この御書だ。
創立の師父の勇気を胸に、我らも一対一の人間尊敬の対話を貫こう! 自他共の生命を最極の宝塔と林立させ、現実の社会に立正安国の宝処を築き広げるために。
☆6月度座談会拝読御書 四条金吾殿御返事(法華経兵法の事)
◇御文
『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。兵法・剣形の大事もこの妙法より出でたり。ふかく信心をとり給え。あえて臆病にては叶うべからず候。』(御書新版1623ページ9行目〜11行目、御書全集1192ページ15行目〜1193ページ2行目)
◇[池田先生の指針から]師匠と共に戦う弟子へ
広宣流布の師匠と心を合わせて、法華経の兵法で戦えば必ず勝てる! 勇気ある信心を貫けば、必ず正義を宣揚できる! 異体を同心とする善の団結を築けば、いかなる悪をも打ち破れる!
これが「絶対勝利の信心」の極意です。(中略)
全世界の皆さんが、和楽の道、幸福の道、栄光の道、健康の道、長寿の道、勝利の道を力強く歩んでいくことが、創価の三代の師弟の根本の誓願です。
創価学会は、永遠に師弟不二で絶対勝利の信心を貫き、凱歌の歴史を刻んでいくのです。(『創価学会 永遠の五指針』)
◇ ◇ ◇
どこまでも「師弟不二の心」で、「師弟一体の祈り」を貫き通していくことこそ、いかなる苦難や困難をも勝ち越えゆくための信心の要諦なのです。また、ここに「法華経の兵法」の肝要があります。
反対に、師弟の祈りが一致しなければ、真の力は出せません。(中略)
最初は"自分のための祈り"だったものが、そのまま"師と同じ誓願の祈り"へと発展していく。それは「師匠に守られる弟子」から、「師匠と共に戦う弟子」への一大転換劇ともいえるでしょう。
これは、「超越的絶対者に救済を求める宗教」とは異なります。「万人が民衆救済の慈悲(慈しみと同苦の仏の生命)の行動者」になるというのが、仏教の根幹の原理なのです。
「師弟」とは、目覚めた民衆の陣列を築く、師匠の「精神」と「行動」を共戦の弟子が継承していくことなのです。(『調和と希望の仏法——「人間の宗教」の時代へ』)
◇大確信の題目が障魔を打ち破る
[キーワード�]師弟一体の祈り
苦難や宿命の壁にぶつかった時、ともすれば、厳しい環境や状況を前に、打つ手なく立ちすくんでしまうことがあります。目の前の課題を解決しようと、小手先の"策"に走って、結局は右往左往してしまうこともあるでしょう。
"師匠がいるじゃないか!""信心があるじゃないか!"——。学会員一人一人は、困難に立ち向かう途上で、たとえどんなに打ちのめされたとしても、師との誓い、信心の原点に立ち返り、何度でも立ち上がってきました。
そしてわが心を奮い立たせ、「法華経の兵法」で人生の艱難辛苦を勝ち越えてきたのです。
「法華経の兵法」とは、"必ずかなう"との、大確信の祈りといえます。わが生命に湧き上がる無限の力で、不信の心を破る、絶対勝利の信心のことです。
拝読御文の直前には、「ただ、心こそが大切なのである。どれほど日蓮があなたのことを祈ったとしても、あなた自身が不信であるならば、濡れた火口に火を付けるようなものである」(新1623・全1192、通解)と仰せです。
門下の勝利を祈り待ってくださる、大聖人の大慈悲のお心を拝すことができます。そして、"師と同じ祈り、同じ心で立ち上がれ!"との師子吼が胸に迫ります。
あらゆる障魔を打ち破る「法華経の兵法」は、大聖人と同じ心、つまり「広宣流布の大願」に立った時に、わが身に脈打ちます。その心で御本尊に向かう"師弟一体の祈り"こそが、"最強の兵法"となるのです。
[キーワード�]勇気の信心貫く
日蓮大聖人が、"生きて帰ることは望めない"とされる佐渡流罪から御帰還された後、四条金吾は歓喜の決意に燃えて、主君である江間氏を折伏します。
しかし、江間氏は大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者でした。当時の状況を考えると、金吾の実践がどれほど勇気のいることであったのかは、計り知れません。
金吾は主君から法華経の信仰を捨てるように迫られ、同僚からも迫害を受けるようになります。
それでも金吾は、決して屈することなく、大聖人の御指導通りの実践を、勇敢に貫いたのです。
その後、江間氏からの信頼を回復し、新たな領地を受けるまでになった金吾を、嫉妬に狂う敵が襲撃します。
命の危機を乗り切った金吾に送られたのが本抄です。
大聖人は、法華経薬王品の「諸余の怨敵は、みな摧滅す」との文を引用し、一切の魔を粉砕する、妙法の偉大な力を示されます。
"どこまでも勇気ある強盛な信心で、邪悪な勢力の襲撃を防ぐのだ"との仰せです。
広宣流布は、仏と魔との闘争です。心に隙があれば魔が付け入ってきます。勢いよく前進している時こそ、より一層深く祈り、油断を排していくことが肝要となります。
その上で、あらゆる大難を悠然と勝ち越えられた大聖人は、「臆病であっては、何事も叶わない」と仰せです。
何ものをも恐れない、勇気ある信心を貫いていくならば、必ず勝利の実証を示すことができるのです。
2022.06.08 わが友に贈る
副役職の友こそ
地区の発展の要だ!
人知れぬ陰の労苦に
無量の福徳は燦然と。
皆が誉れの使命の道を!
月水御書 P1203
『御経をばよませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし』
【通解】
経をよまれずに、暗でただ南無妙法蓮華経と唱えておいでなさい。礼拝も経に向かわずに拝むようになさるがよい。
名字の言 懐かしい土地に咲いていた名も知らぬ花 2022年6月8日
旧友と再会するため、車で故郷へ。記憶を頼りに懐かしい土地を走っていると、かつての町並みは寂しい景色に一変。人の往来もなくなり、ついに道は行き止まりとなった。やれやれと車を降りると、道端に名も知らない花が咲いていた▼腰を下ろして見るほどの小さい花だった。しかしその姿は"誰が見ようが見まいが、私はここで精いっぱいに咲く!"と言わんばかりの生気にあふれていた▼花の美しさに勝劣はない。人が比べるだけ。生きて、咲いていることで幸福なのだ。他のものと比べて感じる幸不幸は環境や条件で変化する。そんな「相対的幸福」ではなく、自身の使命に生き切る「絶対的幸福」を仏法は教える▼池田先生は「幸福は自分自身をどう確立するか、という問題である」と語り、それに不可欠な条件を要約して6項目挙げた。�日々の充実�深き哲学をもつ�信念をもつ�朗らかに生きる�勇気�包容力。そして「これらのすべての条件も、結局は『信心』の二字に収まっている。信心に生き抜く人生こそが『最高に幸福な人生』なのである」と結論した▼花も街も人も、一つとして生々流転から逃れられるものはない。その中で、「絶対」と言える幸福観をもって生きられる人生に感謝したい。
寸鉄 2022年6月8日
「百千万年くらき所にも灯を入れぬればあかく」御書。妙法は希望の哲理(新2100・全1403)
「師弟とは弟子の自覚の問題」戸田先生。青年が一切の責任担い勝利開け
忍耐だ!そうすれば良くなっていく—文豪ゲーテ。幹部は根気強く励ましの声を
大雨の季節。浸水リスクある場所に住む人177万人増と。防災地図を再確認
プラごみ対策怠れば約40年後に3倍—OECD調査。国境なき課題。青き地球、皆で
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第17回「大阪事件〈上〉」 "正しい仏法"が、必ず勝つ!
【「若き日の日記」1957年(昭和32年)7月17日から】
学会は強い。
学会は正しい。
学会こそ、美しき団体哉。
◇「大丈夫だよ」
「忘れまじ 七月三日の この文字は 師弟不敗の 記なるかな」
「七月の 十七日を 原点と 魂燃えなむ 君達いとしき」
「7・3」「7・17」に寄せて、池田先生がかつて詠んだ和歌だ。本年は、不屈の「負けじ魂」が燃え上がった「大阪大会」から65年である。
1957年(昭和32年)7月3日、北海道で夕張炭労事件による学会への弾圧を打ち破った先生は、千歳空港(当時)から羽田経由で大阪に入った。
関西の同志は先生に懇願した。「府警なんかに、行かんといてください。行かはったら、帰れんようになるに決まってます」
その不安とは対照的に、先生は毅然と語った。「大丈夫だよ。ぼくは、何も悪いことなんかしていないじゃないか。心配ないよ」
4月に行われた参議院大阪地方区の補欠選挙で、選挙違反を指示したという事実無根の容疑だった。背後には、民衆勢力として台頭する学会を陥れようとの権力の策謀があった。
先生は、午後7時過ぎに逮捕された。12年前の7月3日、軍部政府の弾圧と戦い抜いた戸田先生が出獄したのと、奇しくも同じ日、同じ時間だった。
6日、護送の車に乗る先生を見た友がいる。周囲から厳しい視線が注がれる中、先生はとっさに応じた。「明日、教学試験だね。しっかり頑張るように皆に伝えてください」
翌7日は、全国で任用試験の開催が予定されており、同志たちは教学の研さんを重ねていた。困難な中でも、最前線の友のことが、先生の頭から離れることはなかった。
旧関西本部には、戸田先生から頻繁に電話がかかってきた。10分おきに連絡が入ったこともあった。ある時、電話の応対をした壮年は、受話器を持ったまま、肩を震わせた。
剛毅な戸田先生が涙声で、「代われるものなら、わしが代わってやりたい。あそこ(牢獄)は入った者でないと分からないんだ」と語ったからである。愛弟子を思う恩師の深き慈愛に、壮年は師弟の精神を心に刻んだ。
◇負けてたまるか
逮捕されてから6日目の1957年(昭和32年)7月8日、先生は大阪拘置所に移監。検事は2人がかりで、夕食も取らせず、深夜まで取り調べを続けた。
翌9日、先生は取り調べの途中、手錠をかけられたまま、大阪地検の本館と別館を往復させられた。
手錠姿で屋外を連行される姿を見掛けた同志は、張り裂けんばかりの怒りをこらえるのに必死だった。
先生が手錠をはめられたまま、衆目にさらされたという話はすぐに、戸田先生に伝わった。恩師は激怒した。
「直ちに手錠を外させろ」
「学会をつぶすことが狙いなら、この戸田を逮捕しろと、検事に伝えてくれ。かわいい弟子が捕まって、牢獄に入れられているのを、黙って見過ごすことなど、断じてできぬ。戸田は、逃げも隠れもせんぞ!」
いかなる仕打ちにも決して動じない池田先生に、検事は業を煮やし、罪を認めなければ学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する、と恫喝した。10日、担当の弁護士は、恩師が逮捕されることを避けるため、検事の言う通りに供述するように告げた。
この日、先生は眠れぬ夜を過ごした。獄中でただ一人、煩悶を続けた先生は、恩師の身を案じ、法廷で無実を証明することを決断した。
翌11日、先生は容疑を全て認め、供述することを主任検事に伝えた。真実を偽らざるを得ない悲哀は、食欲を奪った。
一方、旧関西本部では、取り調べを受けた関係者らが、でっち上げの調書に協力したこと、そのことが原因で池田先生が逮捕されてしまったことなどを、関西の幹部に伝えた。先生が学会を護るため、検察側の思惑通りの供述を始めた日に、検事たちの捏造の全貌が浮かび上がり始めたのである。
12日、東京・蔵前の国技館で「東京大会」が開催された。戸田先生の一般講義が予定されていた日だったが、急きょ、「大阪事件」の抗議集会が行われた。
雨の中、東京だけではなく、埼玉や神奈川、千葉からも友が集った。場内2万人、場外にも2万人、計4万人の共戦の同志が駆け付けた。
席上、戸田先生は質問会を行った。今後の対策について尋ねる友に、恩師は烈々と語った。「今、既にいろいろな面から戦いを始めています。おめおめ負けてたまるものか!」
「東京大会」の終了後、戸田先生は大阪へと出発した。そして、大阪地検に向かい、検事正に面会を求めた。
地検の階段を上がる時には、同行の友が恩師の体を支えた。それほど、戸田先生の体は衰弱していた。にもかかわらず、恩師は検事正に会うや、「なぜ、無実の弟子を、いつまでも牢獄に閉じ込めておくのか! 私の逮捕が狙いなら、今すぐ、私を逮捕しなさい」と猛然と抗議したのである。
師匠は弟子を守るために、自らの命を懸けた。弟子は師匠の身を案じ、自らの身命を賭して、獄中で戦い抜いた。
池田先生が釈放される17日の早朝、東京から音楽隊のメンバーが夜行列車で駆け付けた。夏の太陽が照りつける中、彼らは大阪地検の近くで、怒りの演奏を開始した。すでに、地検の周辺には、先生の釈放を今か今かと待つ多くの同志が、集まっていた。
◇関西に轟く万歳
7月17日正午過ぎ、大阪拘置所の鉄扉が開いた。開襟シャツ姿の池田先生は、意気軒高にあいさつした。
「ありがとう。ご心配をおかけしました。私はこのように元気です!」
出迎えの人垣に、「万歳!」の歓声が轟いた。
釈放された後、池田先生は戸田先生を迎えるため、伊丹空港へと向かった。再会を果たすと、恩師は、裁判が勝負であり、裁判長が必ず分かってくれるとの確信を述べた。
旧関西本部に到着し、戸田先生は弟子たちに、かき氷を振る舞った。池田先生は「体は芯まで疲れ果てていた。そんな私に、恩師・戸田城聖先生は、かき氷を振る舞ってくださったのである。涼味とともに、師の真心が生命に沁みわたった」と述懐している。
午後6時、「大阪大会」が開会した。会場は、大阪地検のある建物と川を挟んで対岸に立つ、中之島の大阪市中央公会堂である。場内は義憤に燃えた同志で埋まり、場外にも1万数千人があふれた。
開会後、激しい豪雨が地面を叩きつけた。稲妻が黒雲を引き裂き、大阪地検のある建物の方向に閃光が走った。場外のスピーカーから流れる声は、雨の音にかき消された。場外の同志はずぶ濡れになりながら、必死に耳を傾けた。
池田先生が登壇すると、戸田先生はイスから立ち上がり、演壇のコップに水を注いだ。場内は大きな拍手に包まれた。
池田先生は御書の「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)を拝し、"私もさらに、強盛な信心を奮い起こし、皆様と共に、広宣流布に邁進する決心であります"と師子吼。そして、烈々と呼び掛けた。
"最後は、信心しきったものが、御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!"
「大阪大会」の終了後、先生は公会堂の窓を開けた。場外の同志を励ますためである。先生は身を乗り出して、大きく手を振った。
その後、音楽隊が会場前で学会歌の演奏を始めた。公会堂を出た先生は、扇子を手に何度も指揮を執った。さらに、同志の輪の中に入ると、「今度は勝とうな!」と繰り返した。
池田先生と同志との、魂と魂の結合が輝いた「大阪大会」。
場外で参加した女性は、"負けて泣くより、勝って泣こう"と決めた。兵庫から駆け付けた友は、隣にいた同志と手を取り合い、"絶対に頑張りましょう"と誓い合った。
先生は万感の思いを述べている。
「大阪大会には、全関西から、また首都圏から、大中部から、さらには中国、四国から、そして遠く九州からも、勇んで同志が駆けつけてくださった。私の胸から、その同志の熱意は、今もって、いな一生涯、消えることはない」
「たとえ大阪に来られなくとも、全国津々浦々で、私の無事を祈り、堂々と正義を叫んで立ち上がってくださった同志たちよ! 私はその真心を、真剣な行動を、一生涯、忘れない」
地区の発展の要だ!
人知れぬ陰の労苦に
無量の福徳は燦然と。
皆が誉れの使命の道を!
月水御書 P1203
『御経をばよませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし』
【通解】
経をよまれずに、暗でただ南無妙法蓮華経と唱えておいでなさい。礼拝も経に向かわずに拝むようになさるがよい。
名字の言 懐かしい土地に咲いていた名も知らぬ花 2022年6月8日
旧友と再会するため、車で故郷へ。記憶を頼りに懐かしい土地を走っていると、かつての町並みは寂しい景色に一変。人の往来もなくなり、ついに道は行き止まりとなった。やれやれと車を降りると、道端に名も知らない花が咲いていた▼腰を下ろして見るほどの小さい花だった。しかしその姿は"誰が見ようが見まいが、私はここで精いっぱいに咲く!"と言わんばかりの生気にあふれていた▼花の美しさに勝劣はない。人が比べるだけ。生きて、咲いていることで幸福なのだ。他のものと比べて感じる幸不幸は環境や条件で変化する。そんな「相対的幸福」ではなく、自身の使命に生き切る「絶対的幸福」を仏法は教える▼池田先生は「幸福は自分自身をどう確立するか、という問題である」と語り、それに不可欠な条件を要約して6項目挙げた。�日々の充実�深き哲学をもつ�信念をもつ�朗らかに生きる�勇気�包容力。そして「これらのすべての条件も、結局は『信心』の二字に収まっている。信心に生き抜く人生こそが『最高に幸福な人生』なのである」と結論した▼花も街も人も、一つとして生々流転から逃れられるものはない。その中で、「絶対」と言える幸福観をもって生きられる人生に感謝したい。
寸鉄 2022年6月8日
「百千万年くらき所にも灯を入れぬればあかく」御書。妙法は希望の哲理(新2100・全1403)
「師弟とは弟子の自覚の問題」戸田先生。青年が一切の責任担い勝利開け
忍耐だ!そうすれば良くなっていく—文豪ゲーテ。幹部は根気強く励ましの声を
大雨の季節。浸水リスクある場所に住む人177万人増と。防災地図を再確認
プラごみ対策怠れば約40年後に3倍—OECD調査。国境なき課題。青き地球、皆で
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第17回「大阪事件〈上〉」 "正しい仏法"が、必ず勝つ!
【「若き日の日記」1957年(昭和32年)7月17日から】
学会は強い。
学会は正しい。
学会こそ、美しき団体哉。
◇「大丈夫だよ」
「忘れまじ 七月三日の この文字は 師弟不敗の 記なるかな」
「七月の 十七日を 原点と 魂燃えなむ 君達いとしき」
「7・3」「7・17」に寄せて、池田先生がかつて詠んだ和歌だ。本年は、不屈の「負けじ魂」が燃え上がった「大阪大会」から65年である。
1957年(昭和32年)7月3日、北海道で夕張炭労事件による学会への弾圧を打ち破った先生は、千歳空港(当時)から羽田経由で大阪に入った。
関西の同志は先生に懇願した。「府警なんかに、行かんといてください。行かはったら、帰れんようになるに決まってます」
その不安とは対照的に、先生は毅然と語った。「大丈夫だよ。ぼくは、何も悪いことなんかしていないじゃないか。心配ないよ」
4月に行われた参議院大阪地方区の補欠選挙で、選挙違反を指示したという事実無根の容疑だった。背後には、民衆勢力として台頭する学会を陥れようとの権力の策謀があった。
先生は、午後7時過ぎに逮捕された。12年前の7月3日、軍部政府の弾圧と戦い抜いた戸田先生が出獄したのと、奇しくも同じ日、同じ時間だった。
6日、護送の車に乗る先生を見た友がいる。周囲から厳しい視線が注がれる中、先生はとっさに応じた。「明日、教学試験だね。しっかり頑張るように皆に伝えてください」
翌7日は、全国で任用試験の開催が予定されており、同志たちは教学の研さんを重ねていた。困難な中でも、最前線の友のことが、先生の頭から離れることはなかった。
旧関西本部には、戸田先生から頻繁に電話がかかってきた。10分おきに連絡が入ったこともあった。ある時、電話の応対をした壮年は、受話器を持ったまま、肩を震わせた。
剛毅な戸田先生が涙声で、「代われるものなら、わしが代わってやりたい。あそこ(牢獄)は入った者でないと分からないんだ」と語ったからである。愛弟子を思う恩師の深き慈愛に、壮年は師弟の精神を心に刻んだ。
◇負けてたまるか
逮捕されてから6日目の1957年(昭和32年)7月8日、先生は大阪拘置所に移監。検事は2人がかりで、夕食も取らせず、深夜まで取り調べを続けた。
翌9日、先生は取り調べの途中、手錠をかけられたまま、大阪地検の本館と別館を往復させられた。
手錠姿で屋外を連行される姿を見掛けた同志は、張り裂けんばかりの怒りをこらえるのに必死だった。
先生が手錠をはめられたまま、衆目にさらされたという話はすぐに、戸田先生に伝わった。恩師は激怒した。
「直ちに手錠を外させろ」
「学会をつぶすことが狙いなら、この戸田を逮捕しろと、検事に伝えてくれ。かわいい弟子が捕まって、牢獄に入れられているのを、黙って見過ごすことなど、断じてできぬ。戸田は、逃げも隠れもせんぞ!」
いかなる仕打ちにも決して動じない池田先生に、検事は業を煮やし、罪を認めなければ学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕する、と恫喝した。10日、担当の弁護士は、恩師が逮捕されることを避けるため、検事の言う通りに供述するように告げた。
この日、先生は眠れぬ夜を過ごした。獄中でただ一人、煩悶を続けた先生は、恩師の身を案じ、法廷で無実を証明することを決断した。
翌11日、先生は容疑を全て認め、供述することを主任検事に伝えた。真実を偽らざるを得ない悲哀は、食欲を奪った。
一方、旧関西本部では、取り調べを受けた関係者らが、でっち上げの調書に協力したこと、そのことが原因で池田先生が逮捕されてしまったことなどを、関西の幹部に伝えた。先生が学会を護るため、検察側の思惑通りの供述を始めた日に、検事たちの捏造の全貌が浮かび上がり始めたのである。
12日、東京・蔵前の国技館で「東京大会」が開催された。戸田先生の一般講義が予定されていた日だったが、急きょ、「大阪事件」の抗議集会が行われた。
雨の中、東京だけではなく、埼玉や神奈川、千葉からも友が集った。場内2万人、場外にも2万人、計4万人の共戦の同志が駆け付けた。
席上、戸田先生は質問会を行った。今後の対策について尋ねる友に、恩師は烈々と語った。「今、既にいろいろな面から戦いを始めています。おめおめ負けてたまるものか!」
「東京大会」の終了後、戸田先生は大阪へと出発した。そして、大阪地検に向かい、検事正に面会を求めた。
地検の階段を上がる時には、同行の友が恩師の体を支えた。それほど、戸田先生の体は衰弱していた。にもかかわらず、恩師は検事正に会うや、「なぜ、無実の弟子を、いつまでも牢獄に閉じ込めておくのか! 私の逮捕が狙いなら、今すぐ、私を逮捕しなさい」と猛然と抗議したのである。
師匠は弟子を守るために、自らの命を懸けた。弟子は師匠の身を案じ、自らの身命を賭して、獄中で戦い抜いた。
池田先生が釈放される17日の早朝、東京から音楽隊のメンバーが夜行列車で駆け付けた。夏の太陽が照りつける中、彼らは大阪地検の近くで、怒りの演奏を開始した。すでに、地検の周辺には、先生の釈放を今か今かと待つ多くの同志が、集まっていた。
◇関西に轟く万歳
7月17日正午過ぎ、大阪拘置所の鉄扉が開いた。開襟シャツ姿の池田先生は、意気軒高にあいさつした。
「ありがとう。ご心配をおかけしました。私はこのように元気です!」
出迎えの人垣に、「万歳!」の歓声が轟いた。
釈放された後、池田先生は戸田先生を迎えるため、伊丹空港へと向かった。再会を果たすと、恩師は、裁判が勝負であり、裁判長が必ず分かってくれるとの確信を述べた。
旧関西本部に到着し、戸田先生は弟子たちに、かき氷を振る舞った。池田先生は「体は芯まで疲れ果てていた。そんな私に、恩師・戸田城聖先生は、かき氷を振る舞ってくださったのである。涼味とともに、師の真心が生命に沁みわたった」と述懐している。
午後6時、「大阪大会」が開会した。会場は、大阪地検のある建物と川を挟んで対岸に立つ、中之島の大阪市中央公会堂である。場内は義憤に燃えた同志で埋まり、場外にも1万数千人があふれた。
開会後、激しい豪雨が地面を叩きつけた。稲妻が黒雲を引き裂き、大阪地検のある建物の方向に閃光が走った。場外のスピーカーから流れる声は、雨の音にかき消された。場外の同志はずぶ濡れになりながら、必死に耳を傾けた。
池田先生が登壇すると、戸田先生はイスから立ち上がり、演壇のコップに水を注いだ。場内は大きな拍手に包まれた。
池田先生は御書の「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)を拝し、"私もさらに、強盛な信心を奮い起こし、皆様と共に、広宣流布に邁進する決心であります"と師子吼。そして、烈々と呼び掛けた。
"最後は、信心しきったものが、御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!"
「大阪大会」の終了後、先生は公会堂の窓を開けた。場外の同志を励ますためである。先生は身を乗り出して、大きく手を振った。
その後、音楽隊が会場前で学会歌の演奏を始めた。公会堂を出た先生は、扇子を手に何度も指揮を執った。さらに、同志の輪の中に入ると、「今度は勝とうな!」と繰り返した。
池田先生と同志との、魂と魂の結合が輝いた「大阪大会」。
場外で参加した女性は、"負けて泣くより、勝って泣こう"と決めた。兵庫から駆け付けた友は、隣にいた同志と手を取り合い、"絶対に頑張りましょう"と誓い合った。
先生は万感の思いを述べている。
「大阪大会には、全関西から、また首都圏から、大中部から、さらには中国、四国から、そして遠く九州からも、勇んで同志が駆けつけてくださった。私の胸から、その同志の熱意は、今もって、いな一生涯、消えることはない」
「たとえ大阪に来られなくとも、全国津々浦々で、私の無事を祈り、堂々と正義を叫んで立ち上がってくださった同志たちよ! 私はその真心を、真剣な行動を、一生涯、忘れない」
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