2020年4月23日木曜日

2020.04.23 わが友に贈る

大変な時だからこそ
自分を褒めよう!
その前向きな心が
周囲を照らし
他者をも励ます力に!

如説修行抄 P501
『我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども大小の難来る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ』

【通解】
わが弟子檀那の中に、かねてから聞いてはいても、いざ、大小の難が来てみると、今はじめて聞いたかのように驚き肝をつぶして、信心を退転したものがいる。

名字の言 女優・高峰秀子さんの"若さの秘けつ" 2020年4月23日
昭和の大女優・高峰秀子さんが養女を迎えたのは、80代半ばの時だった。「かあちゃんは、自分が年をとったと思ったのは、いつ?」と娘から尋ねられ、「今日できることを明日に延ばした時」と、即答したという▼「それは何歳の時?」との質問には「74歳」と。料理や読書に励み、規則正しい生活をおろそかにしない。より良い人生について、生涯、問い続けた。そんな母・高峰さんには「己を律する心が、微動だにせず存在し続けていた」と、娘は振り返っている(『類型的なものは好きじゃないんですよ』河出書房新社)▼中国のことわざに「身体の老いは恐れないが、心の老いが恐ろしい」と。心の老いとは、意欲や気力を失うことともいえよう。社会や生活状況の変化に直面した時こそ、"自分はこう生きる"という哲学があるか否かが問われてくる▼池田先生と親交を結んだ高峰さんは、学会の集いにも参加したことがある。先生は高峰さんを前に語った。「人間はこの地球上に楽しむために生まれてきました。『衆生所遊楽』の人生こそ、真実の人生です」▼遊楽とは、うわべの楽しみではない。豊かな生命力と知恵で逆境も成長の舞台に変え、生涯青年の心で"今できること"に挑戦していく。それが真の「遊楽」の生き方である。(之)

寸鉄 2020年4月23日
御書「強敵が人をば・よくなしけるなり」。試練を変革の因に。強盛に祈り
三重県婦人部の日。地域と家庭照らす幸福の太陽希望の声を今日も元気に
子ども読書の日。良書と触れ合えば心が豊かに。今こそ親子で繙く習慣を
3月下旬から50代以下の感染者急増。気の緩み排し接触8割減へもう一重
信号ない横断歩道、渡る人いても8割の車が停車せず。「歩行者優先」守れ

☆4月度「御書講義」 上野殿御返事(刀杖難事)(下) 森中教学部長
◇苦難を宿命転換の原動力に世界の同志と新たな前進!

御文�
『及加刀杖の刀杖の二字の中に・もし杖の字にあう人はあるべし・刀の字にあひたる人をきかず、不軽菩薩は杖木・瓦石と見えたれば杖の字にあひぬ刀の難はきかず、天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば是又かけたり』(御書1557ページ3行目〜5行目)

◇「及加刀杖」を身読
勧持品の二十行の偈の中には「及加刀杖」、すなわち、仏法に無智な人々が刀や杖をもって法華経を弘める者を迫害することが説かれています。
この「刀杖」の二字のうち、「杖」をもって打たれた人はいるかもしれないが、「刀」をもって斬られた人のことは聞かないと仰せです。
その具体的な例として、大聖人は不軽菩薩を挙げています。不軽菩薩は「杖木・瓦石」と経文にあるように、杖の難に遭ってはいるが、刀の難に遭ったとは記されていないとあります。実際に法華経の不軽品の箇所では、杖や瓦礫のことが述べられていても、刀の難を受けたとは書いてありません。
さらには、大聖人以前の人たち、天台・妙楽・伝教たちも、「刀杖も加えず」とあることを示されています。「刀杖も加えず」とは、法華経に説かれている諸天善神の加護の証しです。刀や杖で危害が加えられることはない、ということです。
いずれも大聖人は、あえて経文を確認されています。本抄にはありませんが、大聖人はこれまでも勧持品を身読したとして数数見擯出や、僭聖増上慢が具体的に誰に当たるのか、あるいは、僭聖増上慢を支える俗衆増上慢が、当時の日本で誰に当たるのかなどについても触れています。大聖人ほど、徹底して経文を身で読まれた方はいません。
どこまでも経文を根本とするのが大聖人の態度です。学会は、この仰せの通りに「御書根本」の姿勢を貫いてきました。

◇大難が境涯を豊かに
御文の趣旨に戻れば、ここでは、経典に説かれている菩薩も、釈尊滅後から末法の時代まで法華経を持った人たちも、大聖人ほどの迫害を受けた人はいない、ということが強調されています。大難を受けていることが、そのまま一生成仏の軌道を歩んでいることの証明となるからです。
また、信仰とは、大難の中で自身の生命を鍛え、あらゆる困難に負けない境涯を築き上げる意味を持ちます。
宿命を使命に変える、というのが日蓮大聖人の仏法に基づく創価学会員の生き方です。
大難に耐え抜くなかで、力強い自分を築き、境涯を豊かにして、今度は、自身の生命の変革から周囲を変え、皆の幸福を実現し、最後は自他共に、人々の無明を打ち破り、人類の境涯を高めていく。
それが私たち創価学会の仏法実践者の生き方です。

御文�
『日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ、剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり、一度も・あう人なきなり日蓮は二度あひぬ、杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども第五の巻をもってうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり』(御書1557ページ5行目〜8行目)

◇刀と杖の難
「日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ」と、前の段を受けて、大聖人御自身は、勧持品の経文にある「刀杖」の二字、すなわち「刀の難」と「杖の難」をともに身で読んだのであると仰せです。
本抄で「東条の難」「東条の松原」との仰せは、いわゆる「小松原の法難」のことです。これは、文永元年(1264年)11月11日、大聖人が安房国東条郡天津に住む門下・工藤殿の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信の軍勢に襲撃された法難です。
竜の口の法難は、文永8年(1271年)9月12日の深夜、大聖人が斬首の危機に遭われた法難です。
このように、大聖人は2回にわたって、「刀の難」に遭いました。
続いて、「杖の難」について仰せです。竜の口の法難の際に、平左衛門尉一行が急襲し、武装した兵士たちが大聖人を捕縛しようと草庵に押し入りました。その時、平左衛門尉の手下の「少輔房」という男が、大聖人の懐に入れられていた巻物を奪い取り、それで大聖人のお顔を三度、打ちすえたのです。これが「杖の難」です。不思議なことに、この巻物こそが、法華経の「第五の巻」でした。

◇法華経の「御恩の杖」
法華経の「第五の巻」、5巻目には、法華経28品のうち、提婆品第12から、涌出品第15までが収録されています。いずれも、末法弘通の大難が説かれている大事な部分です。
法華経は全部で8巻あるのに、この第5巻で打たれたということです。少輔房が大聖人の顔を打った杖も、法華経の「第五の巻」。刀や杖の難が述べられて「打たれるであろう」と説かれている経典も「第五の巻」。この意義を、大聖人は、「不思議な未来予言の経典である」と総括されています。
今回の範囲に続く部分で「日蓮仏果をえむ」と、大聖人は"この法華経の「第五の巻」によって仏の境涯を得ることができるのであるから、実は、少輔房に感謝すべきであり、杖もまた、法華経の「御恩の杖」である"として、最後は「感涙をさへがたし」とまで仰せられています。
大聖人は門下に対して、本当の意味で、大難にどう立ち向かい、乗り越えていくのか。そして、自身の境涯をどのように開いていくのかを、自らの振る舞いを通して教えられているということです。
苦難を宿命転換の原動力にしていく——この大聖人に連なる、仏法の精髄の生き方を私たちに教えてくれたのが創価三代の師弟であり、なかんずく池田先生です。
私たちは、どこまでも、師弟共戦の信心で、いかなる障魔の嵐をも乗り越えて、価値創造の源泉にしていく信仰を厳然と貫いていこうではありませんか。

◇師弟共戦の出発を
本抄の続く箇所で大聖人は、「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ」(御書1557ページ)と、法華経への信仰を共に貫こうと南条時光に師弟共戦を呼び掛けられています。
また、「一日片時も・こころやすき事はなし」(同1558ページ)と仰せのように、大聖人御自身は、こうした大難また大難の連続の御生涯であっても、心やすまることは全くなかった、全ては民衆救済のためであり、一筋も後悔はないと仰せです。
この御本仏の大境涯を拝するとともに、この大聖人の御精神に連なった団体は、創価学会しかないことを一人一人が改めて確認して、前進していきたいと思います。
私たちは、今こそ、池田先生と共に、世界の同志と共に、新型コロナウィルス感染拡大の一日も早い終息と安穏を、強盛に祈ってまいりたい。
本年の「5・3」を、「私たちは、断じて負けません」と、新たな前進を、師匠に誓って、出発する時にしていきたいと思います。