2020年4月13日月曜日

2020.04.13 わが友に贈る

新聞休刊日

撰時抄 P265
『仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき』

【通解】
仏の御使いとして、南無妙法蓮華経を流布しようとする人を、日本国の王臣ならびに万民などが、あるいは罵ったり、あるいは悪口を言ったり、あるいは流罪にし、あるいは打ち叩く、さらには、その弟子や眷属などを種々の難にあわせる、そのような人々が、どうして安穏でいられようか。



☆心に御書を 第33回 "ヤング白ゆり"の友よ強く
〈御文〉
『日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し』(呵責謗法滅罪抄、1126ページ)

〈通解〉
(あなた方は)日蓮よりも強盛な信心であると聞いた。これは全くただ事ではない、教主釈尊が、あなた方一人一人のお心に入り替わられたのではないか、と思えるので、感涙を抑えがたい。

〈池田先生が贈る指針〉
大難の中、信仰を貫いた日眼女たちを最大に讃えられている。今の"ヤング白ゆり世代"だ。
仕事や家事、育児等々、多忙な現実にも負けない奮闘を、御本仏が全て御照覧である。
本抄で示された「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」との強盛な祈りで、創価の太陽よ、勇気と希望を広げゆけ!

☆上野殿御返事(刀杖難事)研さんのために
幸福境涯を開くためには、難に立ち向かう覚悟が必要です。日蓮大聖人は、いかなる時も信心を貫く大切さを示されています。ここでは4月度座談会拝読御書である「上野殿御返事(刀杖難事)」の研さんのために、池田先生の指導と解説を掲載します。(「大白蓮華」4月号も参考にしてください)

◇拝読御文
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ。
日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり』(御書全集1557ページ18行目〜1558ページ2行目、編年体御書1182ページ15行目〜17行目)

◇[池田先生の指針から]広宣流布は間断なき闘争
(南条)時光に対して、"あなたの師匠は、経文に照らせば、末法のために戦いを起こした上行菩薩であり、六万恒河沙の地涌の菩薩から必ず賞讃されるのだ。これほど頼もしいことはないではないか"と教えられていると拝されます。
その意味で、「何があっても、法華経に身を任せて信じていきなさい」との、本抄の結論ともいえる一節は、どこまでも根本の師匠・大聖人と共に生き抜くこと、戦い抜くことを勧められています。師と共に、自分の信心を常に前へ進めるのです。
そして、この信心を貫き通すことは、自分一人だけでなく、過去世で父母となった人たちなどを救っていくこと、すなわち、この人生で巡りあう無数の縁ある人々を救っていくことになるのであると教えられています。
さらに「いまに一日片時も・こころやすき事はなし」と、間断なき連続闘争を振り返られています。同様の御真情は、諸御抄の中で、繰り返し綴られています。
時光も、法華経の信心のゆえに、南条一族の中でも、悪口を言われ、批判されました。しかし、今や富士方面の日蓮門下の中心者の一人として、立派に育っていました。
その時光に対して、大聖人は御自身がどれほどの思いで戦われてきたのか、大難に次ぐ大難の人生を生き抜かれてきたのか、さらに一重深く教えられていくのです。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
どこまでも師と共に戦い、師と共に大難を越えて広布の大道を進む——この「師弟共戦」こそ、日蓮仏法の実践の真髄です。
「師弟共戦」の道を歩むためには、弟子は何よりもまず、師匠の戦いを知らなければならない。師は何のために戦ったのか。いかにして戦ったのか。いかにして勝利したのか。その闘魂と行動と智慧を、自らの苦闘の中で生命に刻むことです。そして、弟子が現実のうえで断固として戦い勝つことです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第14巻)

◇御本尊を根本に難に立ち向かう
◇[キーワード1]あらゆる人を救う
法華経見宝塔品で釈尊は、滅後に法華経の受持を誓う菩薩たちに、"法華経を一人のためにも説き、法華経を持つなどのことは難事である"と説きます。
なぜなら法華経は万人成仏を説いた経典だからです。成仏の境涯を目指すためには、自らの生命を根底から変革しなければなりません。その時、成仏させまいとする働きが自身の生命自体や周囲の環境から起こるのは必然です。しかし、飛行機が向かい風を受けて高く飛翔するように、境涯を大きく開けるのです。
大聖人が本抄を認められた当時、熱原の大聖人門下が傷害事件に遭うなど、後に頂点を迎える「熱原の法難」が既に始まっていました。
だからこそ、大聖人は"苦難に一歩も引くべきでない"と、信心の覚悟を南条時光に教えられたのです。
「とにかくに」とは、"いずれにせよ""どんなことがあっても"との意です。
信心の究極は、法華経に身を任せ、信じ抜くことに尽きます。法華経の肝心である「南無妙法蓮華経」を根本に、御本尊に一切を任せて人生を歩んでいくことです。
さらに、大聖人は、仏の境涯を築く方途を貫くことを「殿一人にかぎるべからず」と、あらゆる人々に勧め、救っていくよう仰せになっています。
全ての生ある人の過去をたどれば、父や母として自分に縁してきたとの考え方を踏まえ、「過去の父母等」とは、あらゆる人を指しています。大聖人は、時光の成長を期し、全人類を"縁ある人"として救っていこうとする生き方を示されたのです。

◇[キーワード2]わが身を惜しまず
「日蓮は、生まれた時から今に至るまで、一日片時も心の安まることはなかった」——末法広宣流布に一人立たれ、間断なき闘争を貫かれた大聖人の御真情が胸に迫ってきます。
立宗宣言をされて以来、松葉ケ谷の法難に始まり、伊豆流罪、小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪と、命にも及ぶ大難が相次ぎました。現実に法華経勧持品に説かれる「刀杖の難」を一身に受けられたのは大聖人だけだったと仰せです。
そうした中、迫害は門下にまで及ぶようになりました。中には、難に遭うことで信心が揺らぎ、信心を捨てる者も出てしまいました。門下を深く案じられていた、大聖人の御心中はいかばかりだったでしょう。
勧持品では菩薩たちが、釈尊滅後に正法を持ち、弘めゆくことを誓っています。
「世尊よ、どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ずこの法華経を持ち、説いていきますから。(中略)私たちは勇敢に耐え忍び、身命を惜しまず、法華経を語り抜いていきます」(法華経411ページ、趣旨)
"師に代わって人々の心に妙法の種を蒔く""わが身を惜しまず広布に生きる"——大聖人の闘争に連なる覚悟こそ、私たち創価学会が継承した精神です。自らの使命を果たしゆく日々を着実に歩んでいきましょう。