◇今週のことば
妙法を唱えることは
「自身の宮殿に入るなり」
生命の王者の境涯で
皆の幸と安穏を祈ろう!
仏天を揺り動かして。
2020年4月12日
立正安国論 P31
『悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る』
【通解】
悦ばしいことに、あなたが蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化を受け、蓬のように曲がっていた「邪信」が、麻のように素直な「正信」になることができた。
名字の言 多忙の中、なぜ母は配達を続けてきたのか? 2020年4月12日
本紙3日付「新・生き生き川柳」に「花びらが 新聞にのる 桜道」と。配達中、桜の花びらが新聞の上に舞い落ちてきて、と選者は評した。池田先生撮影の桜の写真が1面に載った新聞を配達する喜び、とも読める。花びらとは無冠の誇り、それを頭上に頂き、師弟の桜道を進む姿、とも読める▼ある女子学生から、配達員の母への感謝を込めた投稿が届いた(3月8日付)。彼女が幼い頃、母は仕事をし、夕方に保育園に迎えに来て、夕食を作り、夜は活動で遅くなることも。多忙な母に少しでも休んでほしかった彼女は、早朝から配達する母の体が心配でならなかった▼やがて創価の学びやに進んだ彼女は、「何のため」との創立の精神を自らに問いつつ、勉学やクラブ活動に打ち込んだ。今、なぜ母は配達を続けてきたのかに気付いたという。友に希望を届けるため、師との誓いを果たすため、子らの未来を開くため、と▼彼女は「私も将来、母のような立派な無冠の友になる」と書いた。彼女を含め、母を支えた4人の子どもたちは皆、朗らかに後継の大道を歩む▼昨年6月の川柳に「配達の 陰に家族の 祈りあり」と。献身の行動を続ける尊き無冠の友の無事安穏を強く祈るとともに、支えるご家族にも心から感謝申し上げます。(進)
寸鉄 2020年4月12日
地域に根差す学会員は社会に愛広げる存在—識者電話等で孤独防ぐ激励を
未来部の日。「子の成仏・即ち父母の成仏」御聖訓。家族で座談会など楽しく
青年部が医学者と会議。我らから正しい情報を!逞しき責任感は時代の光
コロナ関連の詐欺相談が1万件超。高齢者、子ども狙う事件も増加。要警戒
世界宇宙飛行の日。人類初の偉業も忍耐の連続。外出自粛の今こそこの心
☆心に御書を 第32回 信心は澄み切った水のごとく
〈御文〉
『水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし』(日厳尼御前御返事、1262ページ)
〈通解〉
水が澄めば月が映り、風が吹けば木が揺らぐようなものである。人の心は水のようなものであり、信心が弱いのは水が濁っているようなものである。信心が潔いのは水が澄んでいるようなものである。
〈池田先生が贈る指針〉
願いを立てて大聖人にご報告した健気な門下への御返事である。願いが叶うかどうかは、あなた自身の信心で決まると励まされている。
妙法の功力は推し量れない。その力を無限に引き出せるのが、潔き信心なのだ。「広布のために」との誓願の一念で、澄み切った水のごとく祈り抜こう! 勝利の実証を打ち立てるまで。
☆4月度研修教材 上野殿御返事(竜門御書)
広宣流布の誓願に生きる時
大難に耐え抜く力が湧く!
◇御文
『身子と申せし人は仏にならむとて六十劫が間・菩薩の行をみてしかども・こらへかねて二乗の道に入りにき、大通結縁の者は三千塵点劫久遠下種の人の五百塵点劫生死にしづみし此等は法華経を行ぜし程に第六天の魔王・国主等の身に入りて・とかうわづらわせしかば・たいしてすてしゆへに・そこばくの劫に六道には・めぐりしぞかし。
かれは人の上とこそ・みしかども今は我等がみにかかれり、願くは我が弟子等・大願ををこせ』(御書全集1560ページ13行目〜1561ページ1行目、編年体御書1240ページ13行目〜1241ページ1行目)
◇通解
身子(=舎利弗)という人は、仏になろうとして、六十劫というきわめて長い間、菩薩の修行を続けてきましたが、耐え切れず、退転して二乗の道に陥ってしまいました。
大通智勝仏の時に法華経と縁を結んだ者であっても、退転して三千塵点劫もの間、生死の苦しみに沈んだ者や、また、久遠実成の釈尊から仏に成る下種を受けたにもかかわらず、退転して五百塵点劫という長遠な間、生死の苦しみに沈んでしまった者がいます。
これらの人々は、法華経を修行していた時に、第六天の魔王が国主等の身に入って、あれこれと修行を妨げたので、退転して法華経を捨てたために、きわめて長い間にわたって六道を流転してしまったのです。
それらのことは、他人の身の上のことにすぎないと見ていましたけれども、今は私たちの身にかかっています。
願わくは、我が弟子たちよ、大願を起こしなさい。
語注
身子 釈尊の十大弟子の一人である舎利弗のこと。過去世において、六十劫もの間、菩薩道を修行している時に、バラモンから眼の布施を求められたので、自らの眼を与えた。ところが、バラモンは眼の臭いを嫌って唾を吐きかけ、足で踏みつけた。これを見た舎利弗は、このような者は救いがたいと思い、自分だけ生死を脱すればよいと菩薩道を退転した。
大通結縁の者 法華経化城喩品で、16人の王子は、父・大通智勝仏が説いた法華経を、それぞれ再説して、衆生に下種を施した。この時、法華経との縁を結んだ衆生のこと。
◇背景と大意
本抄は、弘安2年(1279年)11月6日、日蓮大聖人が身延の地で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下・南条時光に送られたお手紙で、「竜門御書」の別名があります。
当時は、大聖人の門下が激しい弾圧を受けた熱原の法難の渦中でした。時光は、迫害に遭った人を自邸にかくまうなどして、同志を守りました。その後、幕府からさまざまな圧迫を受けましたが、信心を貫き、本抄では「上野賢人」と最大にたたえられています。
私たちの信心の途上にも、仏道修行を阻もうとさまざまな障魔が起こります。その障魔を打ち破って成仏を成し遂げる鍵は、どのような一念で信心に取り組んでいるかにかかっています。
今回の「竜門御書」を通して、あらゆる障魔を乗り越える広宣流布の「大願」を学んでいきましょう。
◇本抄の解説
◇悪知識の恐ろしさ
この御文の前では、中国の「竜門の滝」の故事や、平氏らの武家が権勢を得るまでの苦闘の逸話を通して、成仏するためには、いかに多くの難を越えなければならないのかが示されています。
さらにここでは、仏道修行を妨げ、不幸に陥れる「悪知識」の恐ろしさについて教えられています。
「大智度論」によると、釈尊の十大弟子の一人だった身子(舎利弗)は、過去世に六十劫もの長い間、菩薩行を修行していました。ある時、舎利弗の眼が欲しいというバラモンに出会い、布施行として自らの眼を差し出します。しかし、バラモンは眼の臭いを嫌い、唾をはきかけ、地に捨てて踏みつけました。舎利弗は、この者は救いがたいと思って菩薩行を退転し、自分だけが生死の苦しみから脱すればよいと小乗の教えに堕ちたのです。
また、法華経化城喩品に出てくる、大通智勝仏の時代に法華経を聞いて縁を結んだ者(大通結縁の者)の中にも、悪知識に紛動されて、三千塵点劫という長い間、苦悩の流転を繰り返した者がいました。
久遠実成の釈尊から下種を受けた人(久遠下種の人)であっても、修行を貫けず、五百塵点劫という長い間、流転を繰り返した人がいました。
舎利弗や久遠下種の人々が長遠な期間に退転したのと同じように、悪知識による退転の危機が、今、法難の渦中にいる門下にも迫っていると大聖人は教えられているのです。
◇「大願」を起こせ
悪知識の本質は、第六天の魔王の働きです。生命の尊厳や妙法を信じ切れない迷いであり、名聞名利の心です。
この悪知識を打ち破る方途は、「大願」に立つしかありません。一生成仏を人生の願いとして定め、広宣流布という仏の大願をわが誓願とする中で、大難に耐え抜く力が湧き上がるのです。ゆえに大聖人は「願くは我が弟子等・大願ををこせ」と強く呼び掛けられているのです。
成仏への道が困難に満ちていることを強調しているのは、難が来るたびに、宿命転換や信心成長のチャンスと捉え、人間革命の道を勇躍して進むように促すためです。
今こそ、広布の誓願をいやまして燃やし、地域や社会で勝利の実証を示していこうではありませんか。
◇池田先生の指導
師と共に同じ誓いに立ち、自他共の幸福を実現しようと法を弘め、人々を励ましていく。
この仏法の慈悲に連なる「大いなる願い」は、決して特別に選ばれた人だけが持つものではない。
全ての弟子、ひいては、誰人もが本然的に胸中に抱いているものです。
大願を「をこせ」とは、この誰もが本来持っている、自分の根底にある願いを「思い起こしなさい」ということでもありましょう。(「大白蓮華」2017年3月号掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)